地場・旬・自給

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中国の視察団

2009-10-31 04:32:52 | 地域
中国からの視察団は無事小田原を出発された。小田原有機の里づくり協議会に対応していただけたので、とても有意義な農業視察が出来たと、市長を始めとても喜ばれていた。今回、とても新鮮な視察が出来たというのが、視察団の意見であった。計画した私の意図の一部は伝わったかと思う。「提携・宅配」「農事法人・生協出荷」「農協・地場産市場」この3つの、農家が主役となるの新しい販売方式を見てもらいたかった。実は、古くて新しい、この方式は日本でも成功しているばかりではない。問題点も多々ある。しかし、私が見るところ、古い流通形態を充分に残している中国で、こうした3方式が、日本の新しい農産物流通として現れていることは注目するだろうと考えていた。中国が日本向けに農産物を出荷する形態は、遠からずなくなる。その新しい中国の農産物の流通形態を考える上で、大いに参考になるだろうと考えていた。

今回の視察は、農業技術者も居られたが、主農政関係の行政の方達だそうだ。生々しく動いている、巨大な中国の農産物流通機構に形成に、大いに影響がある方々だと聞いた。是非とも、「一つ一つの農家が暮らしている。」という視点で、新しい流通形態の形成をしていく参考に、小田原で生れている農産物流通の新方式が、なるはずだと考えた。中国政府は日本とは比較にならない位、巨大で、合理化した、いわば農業工場のようなものを想定しがちである。その中で、小さな農民は忘れられ、埋もれて行きかねない。農業工場の労働者と言う立場に固定される。しかし、農家の暮らしの一つ一つはとても、人間味あふれた、豊かな空気を持っている。そうした、小さな農民の暮らしが大切にされるような方向を、失わず近代化を進めてもらいたいと思う。日本への輸出とか、上海の富裕層向け、高給農産物の生産。そういうものがいけないという訳ではないが、その時に、忘れてはならない農家主人公の流通。

中国の視察団の人は、どの視察の後も、バスに戻ると大激論をしていた。たぶん、あんなものは成り立たない。中国では無理だ。見えていない矛盾部分を指摘しあっているようだった。中国語は分からないから、即断は出来ないが、とても刺激が起きた事だけは確かだ。帰りの電車の中で本音は出るものだ。宅配の仕組みについては、ほとんど理解できないようだった。生協出荷については、生産物の品質管理にとても興味を持ったようだった。地場産市場については、興味シンシンでぜひ中国にも作ろう。こう言う雰囲気だった。農産物を購入して、その場で食べ始めた。味がいいので驚いたと言っていた。お世辞とは思えないように、一気に食べてしまった。日本で見る中国の人は、とても緊張していた。外国だから当然のようだけど、真剣度がだいぶ違う。日本人が失った本気度。行動がとても早い。団体だから時間がかかると想定した。昼食でも1時間と考えて計画したが、20分で食べ終わり、もうバスに戻った。

あしがら農の会の活動は、中国にもあるから、改めて日本で見るほどの事もない。そんな感じなのか。中国では農家の人が、朝野菜や牛乳を配達している姿を見た。しかし、この古くさい形態こそ、最も新しい可能性なのだと言う事を、誰か一人でも見ていてくれていればとおもう。ジョイファームでは、渡辺さんがとてもいい説明をしてくださった。中国の人にもその仕組みが充分理解できた。しかし、出荷先である生協という消費者のグループの姿が、システムが、良く分からないようだった。後からの反応は行政から独立した、農家の自主的な動きと言う事で、戸惑いと言うか、混乱と言うか。行政サイドとしてどう受け止めてゆけばいいのかに戸惑っているようだった。地場産市場はこれこそ、自分たちが準備するべきものだ。直ちにやるべきだ。そういう反応であるように見えた。既に中国には存在しているとも言える地場産市場。
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中国からの農業視察

2009-10-30 04:48:40 | 地域
中国から農業視察に見える。二度伺ったことのある、江蘇省鎮江市の包容市からみえる。鎮江市に伺って、発酵利用の自然養鶏について、話しをし、現地の養鶏を見せていただいたのだが、私の実際の所を見てもらわないといけないと言う話をしていた。それが急に実現する事になった。包容市の市長さんを団長にした、行政の方と研究者を含めた、13名の訪日団である。1週間かけて、日本の農業をあちこち回るのだそうだ。日本では考えられない、すばやさと真剣さがある。少しでも参考になりたいと思う。小田原を一日掛けて見ていただく。大きな目的は、「小田原地域における農産物の流通と地域の農業者の関係について」と言う事である。三つの流れを考えた。一つは、新規就農者を中心にした宅配事業、「あしがら農の会」 二つ目は、精鋭農家を核ににした「小田原産直組合・ジョイファーム」 3つめは、西湘農協の「朝ドレファーミー」

あしがら農の会の「宅配の方式」は最も素朴でありながら、最先端の方式である。中国では知られているかどうか。世界語に成りつつある「提携・テイケイ」である。消費者が生産者の暮らしを支える形で、安心・安全な農産物を流通させる。個々の農業者は独立して経営しているのだが、ゆるやかな連携をとりながら、大きな輪を形成している。出荷している生産者が、10名くらい。その回りに市民的自給農業者が200人。さらにその回りに、消費者が多分300名くらい。

「小田原産直組合・ジュイファーム」は小田原でも農業を企業として経営してゆく農業者を核とした、精鋭農業者の集団である。ずば抜けた農業業技術を駆使しながら、有機農業を実践されている。本物の農家が、経営を考えながら、有機農業を志したら、どんな物になるのかを見せてくれている。キューイ・菜花を作っている。首都圏の生協に農産物を出荷している。農家としての経営規模が大きく、出荷量も大きい。生協の組合員との、はたけ・たんぼ・果樹の学校と言う形で、農業体験も行っている。

「朝ドレファーミー」はJAの作った地場の産直販売所である。とても繁昌している。今日本全国に展開している、大きな潮流である。秦野のじばさんずや寒川 ファーマーズマーケットわいわい市と同様の展開をしている。とても賑わっている。小田原の農業を変えてゆく可能性を秘めている。多分、中国の視察団には興味深い所であろう。中国は朝市の国である。早朝から路上や、ちょとした広場にすごい量の露天が立ち並んでいる。行政としてはどのように展開してゆくか。考えているのではないだろうか。

急遽、小田原有機の里づくり協議会や農政課にお願いをした。あり難い事に皆さんが協力的に対応くださり、小田原の地域農業の流通の三つの形が、何とかお伝えできそうである。この視察のきっかけになった、「笹村農鶏園」の発酵利用の自然養鶏も見ていただく。小さな養鶏場ではあるが、これこそが農家の可能性だと考えている。それは中国にとっても同じことだと考えている。農業の近代化と言う経済至上主義。農業の工場化ともいえる、人間の暮らしから離れた生産方式。この方向が生み出した豊かさと、この方向で失った人間らしい循環してゆく暮らし。人間が何を求める行く事が、目標であるのか。このことをお伝えしたいと思っている。私は中国の方なら判ってくれる。まだ間にあうと言う感じがしている。鎮江市は阿倍仲麻呂が暮らした街である。道元禅師も学んだ町である。鑑真和上も鎮江市から日本に渡ったのだ。

昨日の自給作業:菜花の種蒔き1時間30分 累計時間:累計時間17時間
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おんりーゆーのお得情報

2009-10-29 05:54:53 | 日帰り温泉
《その1》11月24日(火)~27日(金)ポイント2倍DAY!!
《その2》12月1日(火)~12月4日(金)期間限定!大変お得な回数券(10枚綴り)販売!!
1日使える『かよい券』が通常16000円→なんと12000円!!
18時以降のみ使える『宵湯券』が通常13000円→なんと9000円!!

「おんりーゆー」からはときどきメールで案内がある。会員と言うのか、よくは分からないのだが、出来た頃から登録をしている。メールと言うのは便利なものだ。無料で、大量に案内が出来る。どうせ、18時以降しか行けないのだから、当然宵湯と言う事になる。1回900円なら、時には良い。期限があるわけではないので、こういう時に買うことにする。「おんりーゆー」の良さは静けさである。小川の流れの音だけが響いている。と言いたいのだが、なにやらモーター音、ボイラー音が聞こえて気になる。どうもここお風呂はいつまでもコンセプトの徹底がない。しょっちゅう変更はあるのだが、方向性が定まっていない。まあーいいのだが、止められたら残念と言う事がある。あいかわらず、空いている。大いに赤字が心配である。私が心配する事ではないのだが、900円は仕方がないと思うことになる。何が仕方がないのかも良く分からないのだが。ともかく、人が少ない。人が少ないのは、入るほうとしては、悪い事ではない。一人だけと言う贅沢もしたことがあるくらいだ。

ここのお風呂の一番のすごさは、欅のドームだ。男の方の露天風呂は完全に欅の大木で覆われている。この2年で枝がさらに張り出し、いい感じになった。露天風呂に入っているのだが、実は上半身は、欅の作り出す、夜の空間と言うお風呂に入っている感じだ。風呂に入っている下半身より、上半身の夜の空間という物に入り込んでいる、闇に浸かっている感じが始まる。葉っぱの作り出しているドームにニューと身体を差し込んでいる状態。闇と言う空気感に包まれ、浸る。この自然と一体になる感じは、ちょっと他にはない。たぶん、箱根のヒメシャラの湯に夜中に一人では居ればそういう感じがあるかもしれない。しかし、ヒメシャラの植え込みの人工的な感じはちょっと違う。あの森空間を生かしてお風呂を作ったと言う、設計のコンセプトは、なかなかのものだ。

子どもはお断りと言う事らしい。たまに見るから、廃除している訳でもないのだろうが、騒ぐ子供はお断りらしい。一体騒がない子供など居るのだろうか。それは子供らしくない子供だ。騒ぐ他人の子供を上手く指導できる大人が居ないのだ。私には子供の騒ぎより、風呂の側のモーターの音の方が、はるかにうるさい。音という物は、主観だ。小川のせせらぎが聞こえてうるさいと思う人はない。以前はジャズが流れていて、いいと思ったが、いつも同じ曲が流れ続けていて、あきれた。それであの曲は誰の何ていう曲なのか、聞いてみたが誰も知らなかった。それでも森の中で、大木に覆われてコルトレーンだと思うのだが、聞いている気分は悪くなかった。流し続けたのが悪かっただけだ。止めたとなったら、チンとも音がしない。たまには流れるのも良いとは思うが、そんなことを言うとどんな曲になるか分からないから、今の方が増しであろう。

おんりーゆーは計画をたてた人の感性は、相当のものだと思う。推測だが、温泉コンサルタントでも居たのではないか。しかし、それを継続して運営する人は、どうもそのコンセプトを理解していないようだ。その一番は人がしょっちゅう変わっている。そして、職員の理解はどんどん一般的なお風呂屋さんに近づいてきている。気取った感じより気さくで良いのだが、少々心配ではある。この心配は止められたら困ると言う意味である。毎月の通信というものがある。以前は手書きのものを印刷している、実に素朴な手作りの味わいがあった。今は、ワープロで作られている。それでもないよりは良いのだが、以前を思い出すと少し寂しいものだ。森の樹木の方はそんなことにはお構いなく、設計思想にしたがって、どんどん深まっている。庭の下草にしゃがが植え込んであるのだが、こちらはいつになっても広がらない。
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郵政人事の老人化

2009-10-28 04:36:34 | Peace Cafe
郵政社長に元大蔵事務次官の斎藤次郎(73)・東京金融取引所社長を当てると言う。亀井総務大臣と言う人は、時代を読む力がない。いかにも警察官僚出身らしい、内部に対する人事を行った。人脈もどうにも古臭い。亀井氏も郵政改革を担当する大塚耕平副大臣も、揃って他に適任者が居ないと言っている。次に出てきたのが、取締役に作家の曽野綾子氏(78)を起用する方針を打ち出した。奥田碩トヨタ自動車相談役(76)については、財界とのパイプを維持するため、方針を修正して留任となった。平均年齢が後期高齢者(失礼)集団の会社。他に人が居ないと言うのは、もう日本は老人力以外だめだと言う事か。新しい器に新しい酒。もう冒険が出来ない国になった。何が脱官僚だ。今最も国民から注視されている場面の人事で、名前が挙げられるのが、年寄りばかりだ。若い人に任せられないのは、事業仕分けでもそうだった。

亀井静香のモラトリアムもひどい話だ。善人ぶるのもいい加減にして欲しい。借りた金の返済猶予。どうにもこうにもおかしな話だ。横からしゃしゃり出て、何を言い出したのかと思おう。契約という物は守った方がいい。その上で政府が中小企業元気付ける方法は別にある。返済猶予だけで喜ぶような、中小企業はまずない。苦しみを伸ばすだけだ。倒産は早い方が良い。だめなものが、いつまでも苦しんでいるなど馬鹿げている。どうせ返さなければならない借金が、3年先になったらどうだというのだろう。今だめなものが、3年先良くなるなどと言う考えはあまい。亀井氏によると、経営も良いし問題もない会社が、銀行の貸しはがしで倒産する。こう説明している。明らかにおかしい。経営がそんなに良い会社を貸しはがしはしない。銀行から見たらどこか怪しいのだ。簡単にいえば仕事がないのだ。

いま新しく生まれた民主党の新政府がやるのは、新しい仕事の創出だろう。郵政の新会社も、同じことだ。過去の郵政を復活させるのではない。大きい事だけでは動きが取れない。これはとても困難ではあるが、中小企業の技術力、工夫力を生かすこと。グリンエネルギー分野は相応しい世界ではなかろうか。風力発電、水力発電、太陽光、新エネルギー開発、堆肥化、メタン化、ごみ分野。中小企業の技術力で、世界水準を切り開く事。25%のCO2削減のためには、ここに投資の手を打つ必要がある。野菜工場などとんでもないことだ。いずれも、小さいことの価値を見直すこと。ローテク産業化。この辺りに新しい事業分野が潜んでいる。でかいものはだめ。効率化。小型化、ローテク。手仕事。家庭。小地域重視。ここに中小企業が技術を展開するための「施設、資金、情報、連携、」こうした事を準備するのが政府の役割ではなかろうか。

鳩山氏の友愛論の甘さが、こういう緩みに繋がっていないか。甘さが亀井氏と軋轢に繋がれば、肝心の革命的改革が停滞する事になる。例のグローバイズム批判論文。あるいは、憲法私案。善意があれば解決する。というような甘さがある。自衛隊の問題において、自衛の為と明文化すれば、近隣諸国の理解が得られるとしている。世界制覇するための軍隊を持つなどと憲法に書いてある国はない。隣国においては軍事力は攻撃的なもの以外の何物でもない。もし自衛隊の存在を、憲法において明確化するというなら、自衛隊をどう位置づければ、日本の平和主義と矛盾しないかが、憲法の文面の上で表現されなければならない。そのようなことが出来る訳がない。むしろ、憲法にある、国際紛争を解決する平和的手段を、具体的に文面に表わすことが真っ先に必要である。日本国の義務的要件として、国際平和活動の不断の努力を行う事を書く必要がある。ついその話になってしまう。
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鳩山政権の1ヶ月

2009-10-27 04:30:14 | Peace Cafe
民主党政権での初めての国会が始まり、鳩山首相の所信表明演説が行われた。聞いている時間もなく、ニュースで部分的に言われている事しかわからないが。予想通りというか、鳩山首相らしい熱意のある、友愛的な演説であったようだ。当然具体性に乏しいと言われるだろう。その通りの報道である。「理念先行、見えぬ具体像」と言うのが見出しかな。気になるのが、献金偽装問題からの足のすくい方。「今はやらせて見ろよ。」と言うのが気分。献金偽装が良い訳はないが、日本は総選挙で、献金で問題があるやも知れない、鳩山代表の民主党を選択し、チェンジをしようとしているところである。100年に一度だと言う事になっている世界の難局に、鳩山体制で打開しようというところだ。ともかくやってもらう以外にない。やりもしないうちから、選挙をやり直せと言う人が居たが、やり直して出てくる政党も政治家もにたような顔ぶれだ。ともかく落ち着いてやってもらってからの話ではないか。

アジア重視アメリカ離れ。この点が評価できる。アジア重視も日本が中心のアジアではなく、中国中心の展開。この点でも評価できる。アメリカ人の味覚音痴の話で、私が「アメリカを悪くばかり言う。」と先日友人から言われた。そのとおりである。アメリカが日本を占領し、日本の方向を捻じ曲げたと考えている。確かに明治以降の天皇中心の富国強兵は馬鹿げていた。しかしその馬鹿げた道を歩ませたのも、欧米の帝国主義モデルだと思う。鎖国していた日本を無理やりこじ開けたのもアメリカではないか。例えば普天間移転問題で、アメリカ政府は日本に脅しをかけている。脅かせば何とでも成るという傲慢がアメリカにはある。これが核の傘理論だ。岡田氏はアメリカに原子爆弾の先制使用をしないことを宣言させるそうだ。まさかそんなことをアメリカが受け入れる訳がない。

政権が交代したときが、国際関係を変えられる少ない機会になる。確かに国際関係は継続性が、信用に繋がる。普天間移転に対し自民党とアメリカの約束はあっただろう。しかし、その約束に対し、「おかしい」と突きつけたのが選挙結果である。それを無視するのでは、民主主義ではない。アメリカ・プロレスでは、あいかわらずミスターフジやらヨコヅナが日の丸を掲げ、敵役である。64年の同盟関係にもかかわらず、北朝鮮の国防訓練の子供たちと似たような茶番が、アメリカ・プロレスではある。どこの国にだってあることだとは言い切れない、アメリカの正義のゆがみ。イラク、アフガニスタン、と軍事的占領政策。アルカイダ。テロ国家と決め付けていても、何も解決は出来ない。力での抑え込みは、何度繰り返しても変わらない。イラクのかかえる、民族問題、宗派問題、チトー大統領の独裁的政治の間問題が表面化しなかった、ユーゴスラビア。国際紛争は一筋縄ではいかない。

鳩山政権はいよいよ予算編成である。日本農業をどうするのか。この方向は予算編成に現れるはずだ。その前に、急遽あの分かりにくい、「事業仕分け」を行おうとして、小沢氏の待ったがかかった。新人ではだめだと言う事らしい。想像するに仕分けと言う意味をよく理解できないのだろう。仕分けと言う言葉がまことに悪い。最初にこういう言葉を命名した人間のセンスを疑う。熟達政治家なら良い事業仕分けが出来るという物でもない。案外素人の方が良い場合もある。プロの政治家より、素人の方がまともな生活者である。素朴であることはここではむしろ評価される。事業仕分けをネット中継する必要がある。仕分け作業を公開し、記録すると言う事が重要である。小沢氏を仕分け人にして、どんな発言をするか、新人議員より増しなのか、是否見たいものだ。
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農地法の改正

2009-10-26 04:36:23 | 地域
農地法の大きな改正が実施される。納税猶予の土地の貸借が可能になる。これなども、今まで違法承知で行なわれてきた事を、法律の方が追認したものである。納税猶予を受けて、税を払わない農地というのは、神奈川県だけで3、500億円あり一件当たり6,140万円と言うからすごい。農業をやってこれだけの税金を納税するなど不可能な事だから、農業を20年続けるなら、相続税を払わないでいいですよ。と言う制度だ。この農地が耕作放棄の原因になっていた。相続の際納税猶予を受けては見たものの、農業をやることは状況が許さない。それなら人にやってもらおうとなると、ビックリするような税金がかかってくる。それで農地を放棄してせざる得なくなる。放棄しているのは実は違法であるが、納税猶予用栗苗と言うのを見たことがある。栗をただ植えておけば農業を継続していることになる。大抵は栗も植えてないが、それで納税させられた例は先ず聞いた事はない。始まりと20年目さえ注意すればいいといわれてきた。

猶予の農地をビクビクしながら借りている。荒らしておくより地域の為に良いと考えるからだ。やはり法律の方が追いついてきた。もう一つの大きな変化、解釈にもよるが、誰でも農地を借りられるようになった。と言ってもいい。と言う事は、農業者資格という意味はなくなったといえる。これも、いままで違法で農地を借りてきたものとして、法律の方が追認したと言う事になる。やはり、正しいと考える事は、違法であってもやらなければならない。違法の積み重ねが、法の方を変えている。農地法関連はそんなことばかりだ。例えば、ビニールハウスの高さが、230センチをこえてはいけないとか言うのがあると聞いた。ビニールハウスで、鶏を飼ってはいけないという法律があるとも言われたので、相変わらず私のやっていることは違法行為だ。食品廃棄物を鶏の餌にもらえなくなったのも、食品リサイクル法と言う悪法のためだ。

では今度の改正で期待される企業参入はどうなるのだろう。「企業参入によって、農業が大型合理化され、生産性の向上が行われる。」一般にこのように考えられているが、日本の農業の現場においてどのようなことが起こるか。企業参入と言った場合、2系統ある。一つが公共事業の縮小から来る、建設業の将来的衰退予測の中で、地域の建設業者の農業分野への進出転換である。北海道のように公共事業で成り立ってきた経済地域で顕著である。もう一つが流通、消費分野の企業からの参入である。イトウヨウカドウ、わたみ、ラディシュボーヤ等である。いずれの場合も成功するかどうかは、農協や行政の姿勢が大きく影響している。私の所属する、西湘農協においては協力的な傾向は見えない。行政も積極誘致と言う事はない。こういう背景では、企業参入はどのような形でも、起こり得ないし、又、無理に参入したとしても成功はしない。行政、農協との連携なくしてあり得ない。

足柄地域の農業が行き詰まって来た背景をあげてみる。専業的農家の老齢化と減少が目立つ。これは全国共通的要素。農地が資産管理対象になり、農業とは別の要因の影響を受けやすい。結果、不動産的に営農可能な価格より高い。農地の集積が起こり得ない。地権者が多様化し、農業での活用を期待していない場合が多い。将来の転用への期待。農業の計画的展望をもてないまま来たため、住宅、工場等と混在してしまった結果、大きな計画が建てにくい。こうした条件では、企業が参入しにくいであろう。一方、この地域の潜在的に持つ可能性をあげてみる。首都圏に存在し、消費者と近い。個性ある農業の展開には、有利である。首都圏の特殊な需要にこたえる農業。また、通勤圏にあることで、田園生活の場に成りうる。優良田園住宅などの理念を、適正に把握すれば可能性がある。生産物を販売する農業から、消費者を呼ぶ農業への可能性。少し尻切れであるが。

機能の自給作業:ハザ掛けの続き1時間30分 累計時間:15時間30分
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稲刈り

2009-10-25 05:34:09 | 稲作
舟原田んぼの稲刈りを行った。20人越える人達が来てくれた。夕方4時30分何とか終えることが出来た。雨が強くなる前であったので助かった。20人がひたすら働いたのだから、休憩も全く無しであった。それはすごい仕事量だったと思う。午後は、小雨が降ったりやんだりで、先行き不安で休む事の出来ない作業だった。でも昼ごはんはなんとか外で食べられた。バインダーでの稲刈りが終わった2時には、まだ地面がぬかるんでいる、と言う事はなかった。大変な稲刈りではあったが、かろうじて許容範囲であった。一番予想外であったのは、ハザ掛けの竿が予想以上に足りなかった事だ。横にも渡し補強した事もある。竿が足りない分は結局畦に倒したままである。雨がやんだら、上の田んぼにハザ掛けを一列、立てなければならない。つまり、去年より、お米が多く採れていると言う事だと思う。とらぬ狸の皮算よ。

一番ありがたかったのは、バインダーが快調であったことである。1条刈りと、2条刈りの2台を使ったのだが、両機とも一度のトラブルもなく、刈り終える事が出来た。機械整備をしていただいた、額田さんのおかげである。バインダーは扱いが微妙である。ちょっとしたことで不安定になる。ことしは、新メンバーの岡本さんに機械の練習をしていただけたことも良かった。女性の石井さんもすっかり運転が上手くなった。出来るだけ手作業でやるとしても、稲刈りのバインダーだけは機械に頼らざる得ない。この部分を手作業で行えば、二日かけても終わらない作業になるだろう。技術を習得しながら、作業が進んだ事は大きな成果である。スタートで少々手こずったのは、紐通しだった。いいはずなのに結束できない。説明文を確認すればするほどこんがらかった。要するに結わけないまま、2束行けば結束が始まるだけだった。バインダーも機種ごとに、若干違う。

田んぼのぬかるみが心配だったのだが、この点は1週間前の水きりで作業には問題がなかった。これは晴天が続いたためであろう。出来る限り長く、間断潅水を続けるという方針は貫けた。ともかく土の状況がいい。臭さがまるでない。美味しいお米が出来るはずである。それでも、葉先が少し黄色から白く変わり始めていた。稲穂の葉柄は根本3分の1に緑が残る最善の状態であった。舟原としては一番遅い稲刈りを設定して訳だが、まさに適期であったと思っている。課題として残ったのは、遅れて来る無効分けつである。明らかに他所より多い。一般に自然農法で行うと、無効分けつが増える傾向がある。干しの強さが足りないのではないかと考えて、二度目の干しは強めに行ったが、あまり関係がないようだ。お酢を使い、体質を変えるという農法を読んだ事がある。来年は実験をして見る。つまり、妊婦さんがすっぱいものが好きに成ると言う事らしい。

実は今年はハザ掛けを止そうかと言う事を、提案した。とんでもない話だと言う事で、ハザ掛けをした。確かにハザ掛けは良いのだが。そのまま、ハーベスターで脱穀してしまうと言う考えだ。18%以下に稲が田んぼで乾く。そこまで田んぼに置いても、自然農法では胴割れが出ない、気がする。一度その方法を行ったことがあるが、上手くいった。反対派の意見の中で、なるほどと言うのは、ハザ掛けの景観は美しい。こう言われたらもうどうしようもない。確かにハザ掛けは秋の風物詩だ。里地の景観と言えば、ハザ掛けが一番に思い出される。台風で倒される心配。イノシシに引っ張られる心配。スズメに食べられる心配。雨でかびる心配。色々あるにしても、ハザ掛けの美しさには変えられないといわれたら。納得してしまった。

昨日の自給作業:稲刈り8時間 累計時間:14時間
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ワクチンの副作用

2009-10-24 04:46:37 | Peace Cafe
新型インフルエンザワクチンの副作用の結果が出た。 「厚生労働省は23日、新型インフルエンザのワクチン接種で、安全性調査の対象とした病院の医療従事者約2万2千人のうち、7人の副作用報告があったと発表した。うち嘔吐、意識低下などの重い副作用は4人。」 この比率はとても高い方である。実際この3000倍行われるのだから、重い副作用で12、000人と言う事になる。少なくともこの0.1%の人は、体質や併発などによって、死まで到る可能性もあるとしなければならない。12人の可能性。インフルエンザの死者数と変わらないレベルになりやしないか。この結果が安全性が確認された数値と言うことになるらしい。ワクチンの安全性というのは、こうしたものである。インフルエンザのワクチンをする気に成れない。60歳で、特別の持病のない人間であれば、ワクチンを打たないほうが正解かもしれない。

生きていると言う事は常にリスクにさらされている。この自覚をしておく。何か政府に、と言うかどこか上の方の管理者にお願いすれば、全てのリスクを回避できるかのような、幻想がありやしないか。政府の方でも、その義務があるような錯覚をしている節がある。現在、小田原でも学級閉鎖32すでにあったそうだ。市内にもインフルエンザのウイルスは飛び回っているはずだ。ここで行う事は一番は睡眠を充分にとること。うがいや手洗いなど全く無駄である。結局はどこかでウイルスとは遭遇する。遭遇して乗り越える以外ない。遭遇をいくら回避していても、どうにもならない宿命なのだ。このことを受け入れる為には、リスク覚悟のワクチンも選択にある。ワクチンの副作用で死んだとしても、文句は言わない受け入れの覚悟である。自己免疫力を高める事。そして感染して、乗り切ること。乗り切るために最善の健康生活を送ること。

ワクチンを摂取せず、豚由来新型インフルエンザに感染して、死んだとしても仕方がないと受け入れている。ワクチンと言う形の病原菌への対応は、免疫と言う形が不充分である。今回のインフルエンザウイルスに免疫が老齢者にあるらしい。と言う事は、60年以上も免疫が継続していると言う事である。ワクチンによる免疫は、何年持つのであろうか。どうも同じことではないようだ。免疫という物はもう少し総合的なもののようだ。ある特定のウイルスに免疫があるというだけでなく。様々な感染を体験し、ある巾をもって総合的な免疫を獲得するのではないか。この考えは認められていないようだ。医学が、特に免疫学は、まだこれからと言う状態ではないのか。いま解明されていることは、ほんの一部であると言う自覚が必要。さらに不安はタミフルである。薬である。ウイルスにも効果がある以上、影響を体に及ぼす。

今回のものは大流行をしているが、日本においてはそれほどの被害はでていない。最初のアメリカ、メキシコの様子では深刻な予測がされた。過去の類似ウイルスの流行の歴史が違うためなのかもしれない。今回の新型インフルエンザは前触れである。必ず、もっと深刻なインフルエンザの流行がそう遠くないうちに起こる。今のままでは新しい病気の発生が防げない。大規模畜産の検証が必要である。畜産の中で起きる、ウイルスの変異。この仕組みを解明する必要がある。特に、豚である。鶏の中で起きている、強毒のインフルエンザウイルス。これが豚に感染する日が来る。豚の中で、人間に感染しやすい性質を獲得する可能性が高い。感染の連鎖と言う意味が、重要であろう。豚豚感染が起こりやすい変異と言う事になれば、遠からず、人間への流行が起こるのだろう。今回のことも深刻ではあるが、これから起こることから見れば、予行演習のようなものである自覚をして置いたほうが良いだろう。

昨日の自給作業:菜花の準備1時間 累計時間:6時間
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2市8町の合併論議

2009-10-23 05:26:25 | Peace Cafe
小田原市が合併するのは反対です。開成町の露木町長のブログによると 「150億円ほど削減が見込めるという試算が出ました。神奈川県内の市町村の人口一人当たりの歳出額が28万5千円であることを前提にした計算です。2市8町の現状の歳出額は、1177億円。仮に合併すると人口は36万人。36万人かける28万5千円で1027億円。その差が150億円ということです。人口が大きくなると効率性が発揮できて人口規模の歳出額は減ります。」 このように書かれているが、何故、歳出が削減されるのかの具体的根拠は書かれていません。合併する事で住民に負担が増えるのは明らか。大きく成ると効率性が発揮出る。この論議当然のように言われるが、具体的に論議すべきだ。住民サービスをそれだけ整理できるから、はっきり言ってしまえば、止められるから、と言う事のような気がしてならない。例えば、合併して議員の数を減らせる。だから歳出が減る。

さらに合併の弊害がある。一番大切な暮している場の誇りである。開成町に暮らしたい。こうして県西地域で唯一人口が増えた町である。それは露木町長を始めとする、歴代の行政の政策が優れていたからである。あの瀬戸屋敷に集まる、地元の方々、あるいは新住民。自分の地域を盛り上げてゆこうと言う意識が、明らかに他地域より高い。開成町と言う小さな単位であればこそ、可能であった思い切った政策。つちかわれた町民意識の誇り。これを薄れさす可能性が高い。また、開成町で田んぼをやってみてわかったのは、対応が杓子定規でなく、きめが細かいと言う事である。人間的であると言う事も出来る。農業分野において、厳密な法的規制を建前で論議すれば、何も出来ない。小田原市はそうした状況がまだ残っている。多分小田原の20万人規模に成ると、個々の人間まで見る事が出来ない。

そうは言いながらも、明らかに合併した方がいいこともある。大ホールなどは、一つで十分である。各市町村に必要と考えるのは、各行政が催しを行う場合だけだ。行政が一つになれば、市民大ホールは一つですむ。音楽会や、演劇など、今までだって、市町村の枠は超えて行われていた。議会も、病院も、火葬場も、図書館も、役場も、ごみ焼却場も一つになる可能性がでてくる。それでいいのかと言う事だ。お金がなくなれば、それしかないという事だが、市町村が小さく分れていたために、閉鎖したくても出来ない性格の施設もあったのだろう。そうは言いながらも既に、閉鎖を始めた南足柄市の例がある。合併すれば、おしなべてこう言う事になる覚悟が必要と言うのが、市町村合併である。

もしどうしても合併と言うなら、合併の一方で、逆行するような、小さな生活圏の自立を行わなくてはならない。一言で言えば、「久野を3つぐらいで独立させろ。」と言う事である。久野は開成町位の規模は充分ある。面積ならずーと大きい。久野にホールは要らないが、久野住民の今でも僅かに残る、昔の久野村の時代の自治意識は大切なことだ。以前、内山の方に伺ったところ、内山はむしろ山北町の方に親近感がある。こう言われていた。塩沢の方などは、山北より、むしろ静岡県の小山町だという。寄の方は秦野だと言われていた。合併はするが、小さな単位での自治意識が芽生えるような、自立性を予算の中にも作るべきだ。久野には久野住民の意思が反映できる予算が必要なのだ。それがない限り地域コミュニティーは再生できない。合併して節減できると言う予算150億円が各地域に1000万円づつ割り振られるなら、1500の地域が独立予算を持ち、自治意識を持てる可能性が出てくる。240人単位の小さな地域に、1000万円が割り振れると言う事である。舟原に1000万円の予算なら、合併も承認したい。

機能の自給作業:菜花の種蒔き2時間 累計時間:5時間
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久野の市民団体の集まり

2009-10-22 05:15:14 | 地域
市民団体の初めて集まりが開かれました。6つの個性ある団体が集まりとても、おもしろい様子だった。「美しい久野・里地里山協議会 意見交流会」として、地域の人達で運営する団体が、主催したものである。日時:2009(平成21)年10月20日19:00-21:30場所:久野区民会館。集まった活動団体「あしがら農の会」「CLCA」「ビーグッドカフェ」「21世紀の農学校」「森のなかま」「神奈川育林隊」会員の鈴木敦子 湯口さゆり 吉田・柿野(神奈川県西湘地区行政センター農地課) 露木・岩崎(小田原市農政課)そして協議会のメンバー11名。
今回は知っている久野で活動する市民団体を名前を上げるという形で、集まりの連絡をお願いしたので、多分まだもれている組織があるかも知れない。ご存知の方が居られたら連絡いただけたらありがたい。

坊所で田んぼを始めたのが、1997年のようだ。そこで、小田原と関係が深まった。まだ山北の山の中で暮していた頃の事だ。坊所の石綿敏久さんに田んぼを紹介いただいた。それまで、塩沢で田んぼを耕作していた。塩沢は丹沢の奥で、車の入る塩沢の集落からさらに奥に20分歩いて行かなければならなかった。そんな事情を話したら、坊所の田んぼを紹介してくれた。山北から、40分かけて毎日田んぼに通ったのだが、田んぼをやれるのがありがたくて、遠いなど少しも思わなかった。今回の集まりでも、石綿さんのお世話でと言う団体がほとんどである。石綿さんは地元の古い農家の方だ。小田原の森林組合を長年運営されてきた。いわば地元に里親さんが居る。そのことは他の誰にもできない尊い事だ。市民団体と言っても、様々である。リスクを覚悟でお世話くださっている。正直これほど立派な方はまずいない。農の会の顧問にもなってくれている。久野の市民活動が盛んになった半分は、石綿さんの存在である。

各団体の活動の概要は名前をクリックすると、その団体のホームページに行くので、見ていただきたい。森のなかまについては、そのメンバーの個人的なページのようだ。ビグッドカフェは東京の組織である。その他の組織は地域の市民団体である。21世紀の農学校はシンクタンク藤原事務所と関連が深いようだ。今回の集まりは各団体の初めての顔合わせと言う事だろう。様々な歴史と思想を持った組織が、久野で活動をしている。活動をしていることも、ほとんど知られていない。集まった中では間違いなく古い組織はCLCAである。久野に家もあり、はじめ塾という母体は疎開で小田原に来たのが始まりと言うから、古い組織である。最近は随分農業や林業活動をしているが、地域の人で知っている人は少ない。このように、久野という地域を、様々な組織が農業や林業と活動の地域にしていることは、意味があると思う。どの団体も考えを持ってこの地域を選び、集まってきている。地域の潜在的価値がいかに高いかが分かる。

地域の持つ力。自然の力と人間の力。久野の里地里山協議会に加えてもらい、地域の人の農業者としての力量が良く分かった。今の時代地域に根ざし、農林業分野で、生計を立てている人達の力量という物は、すごいものがある。都会で会社を運営する以上に困難な、事業なのだと思う。その地域の方々が、地域の里地里山を何とか守ろうとしている。各々の農業に大変な中、地域が良くなることならと、率先して動いている。この力と、外部から自然に集まってきている市民組織の力が、良い形で連携することに、幾分でも役立ちたい。私は地域に暮す農業者であり、市民団体の一員でもある。両者の通訳的役割を担いたいと思う。今の所各団体別段困っていることはないようだ。要望も特にはなかった。今後ゆるやかな連絡を取りながら、何かの時にはお手伝いしたいと思う。
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宮内庁で鳥インフルエンザ発症

2009-10-21 04:43:50 | 自然養鶏
10月16日、宮内庁埼玉鴨場(越谷市大林)の飼育施設内のアイガモやアヒルに鳥インフルエンザ陽性反応があった。「H3亜型鳥インフルエンザの発生が確認されたことから、飼養者に対し、発生家きんの隔離等の防疫措置を実施し、念のため、病原性を確認するため、当該ウイルスの家きん等への接種試験を実施。」農水省の対応はこのように書かれている。「20日、大阪府の養豚農場の豚のインフルエンザ検査において新型インフルエンザの疑いがあるウイルスが確認されました。」これも農水省の発表である。


足柄上の家畜保健所は廃止された、平塚の方からの管轄に統合された。畜産農家も急速に減っている。そのうち、管轄の役所も県内1つで充分と言う事になるだろう。先日、担当者が新しくこの地域の担当になったので、挨拶に伺いたいと連絡があった。挨拶だけなのかと聞くとそうだと言う。挨拶は電話で充分なので、来て頂くのはお断りした。所が事前連絡がないまま、来てくれた。私は居なかったのであえなかった。電話で、ネットをどのように張るのか伺い、事例があるなら教えてもらいたい。と言う事を話したので、わざわざ写真を撮って持ってきてくれたのだ。中井の養鶏場で、ネットを張って放し飼いしている事例らしい。良く出来ている。しかし、この対策が有効であるとはどうしても思えない。スズメが入らないとは到底思えない。ネズミが入れない。ゴキブリも入れない。そこまでやっても感染する時は感染している。リスクが下がると言う事を言うのだが、根拠はあるのだろうか。

宮内庁の鴨場で鳥インフルエンザが発症した。何故、宮内庁では放し飼いが許されているのだろうか。網を張らなければ放してはいけないと、家畜保健所から指導されないのだろうか。放し飼い養鶏場に網を張れと言う様な指導は、科学的根拠がない。このままでは、「全ての野鳥を殺そう。」こう言う事になる。鳥だけではないだろう。人間以外の一切の生物を淘汰しなければ、完結できない考え方だ。人間が暮してゆくと言う事は、害のあるものとも、妥協点を見出し、共存してゆくと言う事だ。日本人の衛生観念が、おかしくなっている。テレビコマーシャルで流れる除菌スプレーとか、ウイルスを除去する空気清浄機とか。まさに排除の思想である。どこまでも排除して、無菌室のような所でしか、人間が生きて行けないようなイメージが作られる。もう多勢に無勢で、「ワクチンなど絶対に打たない。」と言う人間を異端視する空気が感じられる。

豚のインフルエンザ感染が起きた。以前から早急な対策主張していたが、やはり日本でも起きている事が確認された。鶏の方はさしたる心配はない。問題は豚の方だ。鳥と人間は病原菌から見れば、体質が相当に違う。同じ病気にかかるなど、稀有な例だ。その予測どおりの結果が、鳥インフルエンザの10年の経過でいよいよ明らかになってきた。豚はそうはいかない。クローン豚からの臓器移植が研究されているくらいだ。豚の中で強毒化して、人間への感染拡大が起こる可能性は充分にある。ウイルスの変異と言う事が、どういう経緯で起こるかはまだ未知なところが多く、安易な推測は出来ないが、タミフル耐性ウイルスに簡単に変異することが判っている。豚が感染した時、豚がどんな薬を使われているのかも問題だろう。また、100万とか言う数の豚が、狭い所にひしめいているのだ。アメリカ資本のメキシコの養豚場で何が起きたのかは、全く封殺された。

鳥という生物は多くが群れで暮す。特に水鳥は何万羽集まり生きてゆけるように、自然淘汰を潜り抜け、生き抜いてきた。豚は違う。豚は、イノシシはせいぜい30頭ぐらいで生活している。これを何万と言う所まで集めて飼うと言う事に無理がある。もちろん、鶏だって、1000羽以上飼えば、リスクが高まる。数を一箇所に集める事は、人間の社会だってリスクが高まる。経済効率だけが優先され、国際競争を勝ち抜くことが、目的化されてきた。中国の巨大畜産はこれからどんな結果を世界にもたらすか。自動車生産台数、紙の生産量、世界1になるらしい。同じような感覚で、畜産も一気に巨大化している。もう日本が、放し飼いは網を張るように、どころではない。巨大な養鶏場と、養豚場。そして、いたるところの放し飼い。日本が率先して畜産の方向を変えない限り、中国の畜産リスクに対して、発言は出来ない。
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週2日で出来る農業

2009-10-20 04:02:19 | 自給
職業としての農業は日本では難しい。そのことは農業を始めてすぐに分かった。そこで無理だからこそ、「地場・旬・自給」を掲げた。何故専業農家が成り立たないか。このことを少し考えてみる。日本の国土は、四季の変化はあるものの、比較的気候温暖。水に恵まれている。農業を行うには、最適の地である。しかし、地形が急峻で平らな土地は、少なく。人口密度が高く、農業適地には住宅地、工業地帯、道路、公共施設が広がっている。残る大半の土地は急峻な山谷である。しかも、どこの土地も古くからの、所有が複雑に絡んでおり、経済の合理性だけで、整理が付かない状況である。こうした条件下において、規模拡大して、集落営農や認定農業者や他産業からの参入の推進。などの制度を、奨励したとしても、効果がある地域、効率が上がる農業は一定に留まる事になる。とどまった時に困るのは、大規模化できなかった農家の処遇である。却って、専業農家の数を減らす結果になった。

専業農家の発想には限界がある。そこで、考えたのが自給的農業の奨励である。まず、日本人の都市集中型の暮らしを変えてゆく。各地方に分散して暮せるようにする。地方にいても可能な業種の人が、地方に分散してゆく政策をおこなう。1軒が300坪くらいの土地に住む。農業が放棄された地域に、通信環境のととえ、住宅が建てられるようにする。通勤は月1回程度にする。あるいは、企業、工場の地方分散をはかり、土地の有効に使われて言い無い地域に、産業が移動するようにする。そのイメージが足柄平野である。この地域をモデルにすれば、農地法を、都市計画法を改正して、農地や山林に家が建てられるようにする。1軒300坪の自給型の農地併設住宅である。つまり今の私の家のような状態を、誰にも簡単にできるようにする。自給農業に費やす時間は、年間通しても400時間にはならない。土曜、日曜その気になれば、可能な農業である。

仕事は普通に行う。魚市場に勤めていてもいいし。大工さんでもいい。市役所でも、病院勤めでもいいだろう。もちろん日立でも、フジフィルムでもいい。どこかに勤務しながら、自給的に農業を行う。もちろんまだ、普通の人はそんな馬鹿なことは考えていない。しかし、この先の事を思うと、そう考えるしかないと思えるのだ。まずは、自給的農業をやりたいと考えている人に、その機会を提供すべきではないだろうか。昔からの農家の人が、何とかやってくれている間はまだいい。その農地を誰かに頼むとしても、受け手のない土地の方が多いい。だから放棄されて、荒れてしまう。そうなれば、農道の管理も、水路の管理も、いよいよ難しくなる。一人が止めると言う事は、全体に及んで行くことにもなる。いま、昔からの農家の方がやってくれている、ギリギリの仕事を誰かが受けつがなければ、日本の農業は終わってゆく。

基本は今実際にやってくれている農家の方達を、離農させるような事が起こらないように、将来展望を持てるようにする。一番大切な方向は、農業を行う人間をへらさず、増やすこと。農業法人が農業者を雇用する補助もいい。農地の管理者に税の免除。新規就農者の育成に力を入れる。特に就農の斡旋を本気で行う。その上で、自給的農業者の希望が適うような、条件作りを行ってゆく。自給的農業者の農業参入には、農の会のような窓口が必要。農振農地での放棄地は行政が強制的に借り上げ、斡旋してゆく。住宅については、国が法律を変える様働きかける。300坪以下の住宅、農業を行わない住宅は認めない。秩序ある、転換になるよう。大きな都市計画の枠組みを明確に決める。日本の国土と言う条件で、自給率を上昇させようと考えるなら、農業者を増やす以外方法がない。この方角から考えておけば、間違わない。
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戸別所得保障制度の不透明

2009-10-19 05:24:54 | 稲作
今年の稲作も終わろうとしている。作況指数はやや不良だとか、平年並みとか言われているが。きっと美味しいお米は少ないのではなかろうかと感じている。いずれにしろお米は余る。余るというのは日本という地域で見たときのことで、日本のお米が極端に高いから、高いお米が余ると言う事になる。世界では食べる物がない所はいくらでもある。米作農家の時給を計算すると、189円だそうだ。農水省がそう言っている。民主党に成ると、最低賃金は時給1000円にしてくれるというのだが、811円は誰が農家にくれるのだろう。戸別所得保障制度というのは、そういう意味だろうか。この制度相変わらず不透明である。時給1000円では手の足りない農家が作業委託するとき、いよいよ大変なことになる。日本全体の構造が、手のつけようがないほど格差が広がっている。稲作はその底辺に位置する産業になっている。

大きく成るとわからなくなるが、舟原というような規模の集落で田んぼはどういうものか。こういうところから考えてみる必要があるだろう。江戸時代でも今より広い田んぼが耕作されていた形跡がある。その分だけ舟原に人が住んでいたのだと思う。食糧を出荷するような地域ではなかったと思う。いわゆる里地里山地域で、山仕事が生活の基盤であったと思われる。炭、薪を大都会江戸に出荷する。かまど石の出荷。薪炭材だけでなく、建築材も生産していただろう。生産現場に一番近いターミナル的機能も持った集落であったろう。最初に人が住み始める場所。田んぼはその人口を支える、暮らしの構造まで決めていた基幹産業。田んぼは小作するというより、小さく自立的農家ごとに、1反程度を分散的に耕作していた。自作、小作、はあるにしてもたんぼを耕作できると言う事が、地域で一家をなしてゆく基本であったようだ。人口も田んぼの面積以上にも増えることは出来ない。400年前には溜池が作られているくらいだから、新田開発はすぐ限界に達していた。

田んぼを中心に全てが回るように出来ていた。米で給与が払われるような時代だ。水という物がものの流れを作り出す。薪炭を安定的に供給するための山林管理。それは河川管理でもあり、環境整備である。水車が5基あったという集落であるから、河川の管理は重大な事であったろう。田んぼというのは調整池であった。山に杉檜だけを植林して、水管理にダムを作る。ダムを作らない変わりに、田んぼに出来る場所はいたるところに田んぼを作ってゆく。ここで暮らしを完結せざる得ないとしたら、生産コストはあらゆる暮らしの隅々まで関連して行く。畳み、むしろ、草鞋から、蓑。お米がいくらであるか。こう言う事とは別の次元の事のように、田んぼは存在した。いまだって、農家の暮らしは実は他産業に依存して成立している。だから、米作農家に戸別に保障すると言う事は、実は矛盾を増幅する事になる。

分業化が進み、暮らしも切断された形で営まれる。経済が外国に対する輸出でどんどん拡大される中では、田んぼの矛盾は189円と1000円まで広がりながらも、出稼ぎ、兼業農家と、吸収されてきた。1000円の時給を守るために、企業はのりを超えた怖ろしい事までやってきたのだろう。CO2の問題だって、そう言う事だろう。これがもう通用しないと成ると、189円で暮してゆくと言う事になる。この原点から、日本の農家をどうするかを決めないと、戸別補償などできるわけがない。いいじゃないか。月5万円の暮らしである。これが日本という国土の妥当な線なのだろう。この線を覚悟すれば何も恐くない。こんな時代がまだまだ続く訳だから、徐々に人口も減るだろう。そうすれば、月10万円ぐらいまでは可能な国土であろう。人口は8000万人まで。まだまだ多すぎる。本当の少子化対策である。

昨日の時給作業:蜜柑摘み3時間 累計時間:3時間
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稲刈り

2009-10-18 04:59:34 | 稲作
2ヶ所の稲刈りが行われた。「月の田んぼ」と「めだか田んぼ」である。どちらも小さな田んぼではあるが、とても良く出来ていた。特徴としては、雑草のない田んぼであった。稲刈り後の状態を見ても、小さなコナギがある程度で稲に影響するような雑草はなかった。草をとったというより、抑草が上手く行った田んぼである。深水を続けた。8センチ以上の深水を続ければ、ヒエが抑えられることはここでも明らかだ。昔であれば、そんなにジャブジャブ水を使ってと怒られる所であろう。今の時代、大抵の場所で水は充分ある。それでもお年寄りには、時にそんなに水を使ってだっちょもねぇこんだ。などと多分水争いがあった名残なのだろう。深水管理をもう少し書いておけば、稲ががっしりと大きく育つ。茎が太い。葉が厚い。穂が大きい。粒張りが良い。分けつは1本手植え5葉苗で、13から、23程度。問題点は無効分けつが増える。

もう一つの抑草がソバカスの田植え直後から1ヶ月間の連続散布。ソバカスが何かというと、蕎麦の実のから、枕に入れる奴ではない。蕎麦殻のケバの事。蕎麦製粉工場では最初に殻からソバノケバをとるらしい。パウダー上のきわめて軽いものだ。米袋1袋で10キロぐらいのもの。ソバカスと勝手に呼んでいる。ソバカスを田植えが終わり水を張ったら、すぐ表面を覆うように播く、できる限り1ヶ月表面を覆い続ける。もちろんそんなことは出来ないのだから、出来る範囲でいい。朝水周りのときに、気がついたら蒔いている。ソバカスは土壌にも良い影響がある。微生物のえさになる。生き物が死ぬ事はない。米糠のように臭くなる事はない。この二つの田んぼでは成功したが、草を生やした失敗した田んぼもある。ひつこくソバカスが撒けない田んぼである。深水も同じである。手間暇がかかると言う事。この手間暇がかけられないというのが、今の時代の農法である。

草さえ出さなければ、お米が取れないでもいい。などと昔は負け惜しみを言っていたが、最近は充分採れるようになった。稲刈りをすると、3束を握るのが精一杯であった。ずっしりと穂も重い。めだか田んぼの稲刈りは、午後少しやる程度で終わった。手刈りをした。水がまだ入ってくる田んぼだから、地面は田植えの時と変わらないような状態。こんな状態では普通の農家さんなら、間違っても耕作する気にならないだろう。機械は全く使えない。農の会のグループ田んぼだからこそ出来た田んぼだ。それにしても農道から、ジャブジャブ水が入ってくるのだ。来年は直してもらえないなら、止めようと思う。県土木の担当者の話では、農道は市の担当だから、手が出せないと言う事で昔のままなのだ。めだかの保全のためだと思うからやったが、やはり普通に出来ないと困る。

来年は、この二つの田んぼは1家族の田んぼにしたいと思う。月の田んぼの岩越さんは、類希な観察力がある。岩越さんには大きな田んぼで、充分に耕作して貰い、平成の福岡正信になってもらいたい。それぐらいの可能性を秘めていると思っている。メダカ田んぼも月の田んぼも、1家族がやるにはちょうど良い大きさの田んぼだ。栽培の手伝いは私が行うとして、家族田んぼとして、誰か担当したい人はいないだろうか。天候にもよるが、めだかたんぼは1週間もすれば、脱穀になる。しかし、驚いたことに月の田んぼは、1ヶ月干すのだそうだ。いや干すのではなく、天日で熟成させるのだそうだ。ともかく尋常ではない。新月1日前刈りなら、1ヶ月干せるのだそうだ。絶対にかびることはないそうだ。同じ苗で、3通りの農法が行われた。稲刈りも新月を挿んで、前後している。是非とも、食べ比べをしたいものだ。
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田んぼの再生

2009-10-17 05:38:55 | 地域
舟原から1キロほど下った辺りが、欠の上の集落である。集落の南側に下りたところに久野川が流れている。その久野川へ下ってゆく2ヘクタールほどの斜面に耕作地が広がっている。以前は全ての耕作地が段々の田んぼだったのだろう。いわゆる谷に広がる谷戸田である。一段上の集落は、河岸段丘に乗ったように、諏訪の原の台地まで続いている。こちにも田んぼはあったはずだ。いずれ、久野川の舟原から、欠の上間に、江戸期の初めには既に三つの溜池が存在した。それは欠の上に広がっていただろう4ヘクタールはあったろう田んぼのためである。今も水田として残るのは、全てをあわせても5反ほどだろう。多くの田んぼがミカンに変わった。そしてミカンの値が下がって、熱心には作られなかくなった。それで、縞模様に流れていた水路も、今はほとんど使われなくなっている。

久野の里地里山ではここの農地を田んぼとして、再生することになった。実際に耕作するのは、あしがら農の会である。新しく仲間を募集して、田んぼグループを新たに始める。又、県の事業として、農業体験事業などもある時、利用できる田んぼとなる。小田原有機の里作り協議会の事業として、取り上げてもらいたいとも考えている。水田に戻すのが、4反ほどである。1反が栗と柿が作られている。栗と柿の所は、そのまま農の会で管理させてもらう予定である。まず、一番の仕事は2反5畝のミカン畑の整理である。ミカンを全て取り払い、チップ化して積んでおくことになっている。その仕事は菊原建設という、板橋の建設会社がやってくれることになった。初めて顔を合わせたのだが、農地の事に詳しい人で、蜜柑の片付けもやったことがあるそうだ。たんぼの事も話すと、大体の事が繋がるので、ホッとした。

昔は多くの水路が、道の脇を流れていたために、久野川の河岸の工事の為に車両を入れるために暗渠化されている。この水路の再生も行わなければ、田んぼにはならない。地主さんから、説明を聞いて工事の進め方を調整したのだが、翌朝、上で田んぼをされている、瀬戸さんから電話があった。どうも水路を取り違えているようだ。慌てて、現地で色々教えていただいた。つまり地主さんが説明してくれたのだが、その方がお嫁に来たという、多分40年前にはすでに蜜柑になっていて、実際には田んぼはやっていなかったらしい。だから、水路については、良くご存じなかったのである。川から直接水を入れるようになっていた。水管理が独自に出来て、短くてありがたい。この水路はもう一軒の2反の田んぼと共用になる。こうして久野川から水を採る訳だが、久野川の清流を守ると言う事が、田んぼをやることで現実になる。私の家から流れ出る排水も、結局田んぼに入る事になるのだ。

昔の普通の農家の暮らしは、循環を守る暮らしであった。どの家も田んぼをやりながら暮す。1反の田んぼがあれば、1軒の昔の大家族が暮せる。田んぼを守る事が、暮らしを守る事であり。山を守り、川を守る事であった。溜池に十分の水を集めるためには、里山を手入れしなければならない。薪を切り出し、落ち葉をかき、必然美しい里地になった。水を汚さないと言う事は、当然の事で、水がなければそこは暮せない場所だった。4ヘクタールの田んぼがあれば、40軒の大家族が暮らしせることになり、人口的には300人はいたと思う。畦には大豆を作り、味噌醤油を作る。裏作には麦をやる。今戸数は倍近くに増えたが、人口的にはさして変わりはないはずである。今からだってやれないことはない。そのことを思うと、今回の田んぼの再生は、不時着地点の整備である。この先、日本は楽は出来ない。普通の暮らしが、普通にできる姿を作り出したい。
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