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地場・旬・自給

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2020年の終わりに

2020-12-31 04:40:52 | 身辺雑記

 宮良川の中流域である。この川は画面の上の方に流れている。水平線の向こうには海がある。写真でも絵でもなかなかそうは見えない。しかし、肉眼では向こうに流れて行くことが当たり前に分かる。目にはなかなかすごい機能がある。

 今朝の気温は11度である。記憶では石垣島に来て一番寒い日ではないかと思う。調べると1963年01月28日に6.5度を記録したことがあると出ている。しかし最近ではやはり11度は寒い日のようだ。

 2020年は世間的にはコロナで、困った歳だったのだろう。申し訳ないようだが、私には良い年であった。不要不急老人の年であったのかもしれない。若い人には辛い年であったことだろう。来年はコロナも終わるだろうからもうひと頑張りである。

 絵描きの暮らしは普通の人から見れば、おかしな暮らしである。朝、小学生と一緒の時間にに出かける。交通指導員の自治会の方と毎日挨拶を交す。小学校の前を通る。このところ冬休みで子供がいない。いないと少し物足りない気分で通る。子供の様子で暦を思い出す。

 やっと絵画生活が軌道に乗ってきた年である。絵はまだまだである。一般的に言えば、前よりつまらない絵を描くようになっているのかもしれない。風景を写生しながら、自分の絵を描き始めた気がしてきた一年であった。自分の眼が見たものを絵として描くようになってきている。良い絵をまねていると言うことが無くなったことだけは、確かな一歩前進である。

 絵が少し自分の中に引きつけられた。絵を描くという感覚をすこしづつ取り戻し始めた。ここ4,5年は絵を描くのでは無く、見えているように写生をするということに徹していた。やっと、こびりついた物を剥がし切ったような気がしている。絵を描くという喜びを描きながら感じ始めている。

 良い絵を描きたいという気分も持たないでいられる。見ているそのものと一体になるようにただひたすらに描いているだけだ。いつの間にかである。前はどうだったのか思い出せないのだが、今は絵にしようという意識で描く事は無くなった。

 今年はやっと描くと言うことに没頭している。そのものに迫って行くという感じがつかめた気がしている。描きたいと思う場所が少し変化をしてきている。自分の絵にいたる道に近づきつつあるのかもしれない。なんとなく希望的に感じるところがある。

 石垣島に越してきて二年目は、計画したとおりに進んできた。70歳代は自分の絵を描く修行の道である。コロナが蔓延する中でむしろ修行計画は心乱れること無く進められた。条件が整った感がある。災い転じて福となしたような気分。

 軽トラアトリエカーが完成した。運転のしやすい4WDの軽トラに変えられた。これなら少なくとも80歳までは運転できそうだ。理想のアトリエが出来た。小さなアトリエカーが絵を描く空間として何とも言えなく良い。ここで24時間暮らして絵を描いていても良いと思うくらいである。

 画車とか画堂と言いたい気分だが、アトリエカーである。かっこつけるほどのことも無い。アトリエカーで絵を描いている人は他にもいるのだろうか。まだ出会ったことは無い。ネットで見ても今のところ見つからない。きっと世界にはいるはずだ。

   風景が見やすくなった。風景と対峙しやすくなった。見ている自分の場が確立できたような気分である。座禅をしていて、目を開くと風景があると言う状態の素晴らしさ。冷静に風景を眺めることが出来る。4方向から入る光を調整できるので、どんな天気でも絵を見やすい。50号まで描けるようになった。

 動禅を始めた。朝6時から、スワイショウ、八段錦、24式太極拳、蹴り上げ肝心体操、腹筋体操、体幹強化体操、半身浴の1時間。動禅を1年通して行う事ができた。これもコロナのおかげである。肺を鍛えようと思ったところから、始まった。呼吸の仕方が大分深くなった。

 徐々にこれは体操と言うより、禅の一つではないかと思うようになった。座禅は自分には無理だったが、動禅であればできるようになるかもしれないと、本気で取り組むようになった。それが絵を描くことも画禅なのではないという意識が出てきた。

 絵を描く暮らしは肉体的には不健康だ。絵を描くことも画禅として行う方が良い。画禅に至った絵描きは長生きである。精神が肉体を越える。医学的に見れば、禅僧の暮らしは生きていることが不思議と言われている。北斎と中川一政が代表例である。絵を描くと言うことがその人そのものになることである。

 北斎によると100歳まで生きなければ自分の絵に至れないということである。中川一政は100歳になれば、手形でも絵だと冗談を言っていた。北斎も中川一政も惜しいところで100歳前に死んでしまった。私のような才能の少ないものであれば、絵を深める唯一の道は、100歳までの精進以外にない。

 夕方には作務勤行として、アトリエの掃除をしている。これだって続けることで、今生きることを修行として生きていることにできるのではないかと思っている。掃除はなかなか良いものである。面倒くさいようだが、いまはアトリエ磨きをやらないと気持ち悪い。

 一ヶ月目、二ヶ月目、そして1年。やはりすこしづつ進んでいるものを感じる。少なくとも動きが身につき、意識がだんだん邪魔されなくなっている。修行と言っても楽行である。適当な私には相応しい動禅の毎日のようだ。

 北斎は100回の引っ越しを目指したそうだ。100回も改名をしたそうだ。心機一転を何度でも目指したようだ。そして100歳に絵が完成すると言うつもりだったらしい。まさに私が手本とするところだ。北斎は日々一枚という絵を続けている。ともかく描くことであろう。

 北斎は名声を捨てて、やり直すという意味で改名したわけだが、無名の私は改名する必要は特に無い。それでも身についたものを捨てることは大変なことであった。身につけるよりも捨てる方が大変だった。ここからが始まりである。

 無事一年が終わると言うこともあるが、来年こそやってやるぞと言う気分が満ちてきている。今日も描くことが決まっている。昨日の絵をどのように続けるかが見えている。今日の内に完成まで進めるつもりでいる。このところ描き始めた名蔵湾沿いの田んぼがともかく面白い。

 毎日早く行って描きたいことがある。新しい景色に出会った気分である。石垣の濃厚な緑の何かが見えてきている。琉球松とヒカゲヘゴがある状態が見えてきて、自分の絵に入り始めている。面白くてしょうが無い。この方角でもうしばらく進むつもりだ。

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水彩画の描画の過程

2020-12-30 03:48:39 | 水彩画
 今の描いている水彩画の制作過程を記録してみた。この日は描いている間に何度も絵を撮影した。この日どんな風に進めていたのかは、後々参考になるかもしれない。

 この日は薄曇りで、ときに雨も降った。風も吹いたり全くの無風になった時間もあった。薄日の差した時間もあった。

 描いた紙はファブリアーノの厚紙、紙目は細かいもの。大きさは中判全紙。場所は名蔵湾沿いの田んぼの奥。赤い屋根の家は獅子の森という別荘地の屋根である。位置も箱の場所を上から見て描いていたところである。




 空の写っている水の様子。地面も見える。雲も見える。対岸の木々も写る。写真ではなかなか分からない。









 2020年12月27日。8時30分から11時30分である。ここで一日目終わる。


  12月29日8時30分から10時 アトリエで見ていたものを進める。これ以上描くのかどうかはまだ分からない。

 良くもこんなに記録したものである。どう描いているのかが参考になって良かった。何をやっているのかは後では全く分からなくなる。描く手順もいつもバラバラである。こんな空の描き方をしたのはたぶん初めてのことだ。

 学生時代に美術部で一緒に絵を描いていた坪田さんがいつも言っていたのは、絵はどの段階でも完成しているはずだという言葉だった。この言葉は今も頭に残っている。描いているときにいつも魅力のある状態のまま進んでいって欲しいとは思っている。

 絵を描くと言うことはすべての段階で芸術的な行為でなければならない。坪田さんは当時から現代美術に関心があった。デッサンをするときに、最初に一本の線を引いた時にも美しく出来上がっていなければ成ら無いと言ってそういうデッサンをしていた。

 その言葉は今でも時々思い出す。絵を描く行為といものはそういう物で無ければならないと確かに思う。そうなるかどうかは別であるが、私絵画の究極の姿はそうなるはずだ。見ている自分が必要と思うことを描いていれば、画面は自分にとってどの段階でも見ているものであるはずだ。

 絵を描くことに作業のような無意味な段階が、あるはずが無い。そういうことの無い描き方になるはずである。どの段階もその時必要な行為を行い進んで行く。どこで止めても良いはずである。

 しかし、絵を完成すると言うことはある調和点まで進まないわけに行かない。見えている何かに、より近づこうとしている。そのためには一度描いたものを、乗り越えて行かなければならない。このあたりはまだよく分かっていない。だから、どこが絵の終わりなのかはいつも分からない。

 まだ乗り越えるものがあると言う状態は、終わっていないと言うことだろう。この時に修整すると言うことはだめだ。一度描いたものは意味があってそう描かれたのだ。それを変えるのは必要なことではあるが、最初こう描いたが、さらに見えてきた何かからすれば、こう描き直さなければならない。出来上がった絵ではそうした過程のすべてが見えていた方が良い。

 水彩画はそういう描法が可能な材料だ。最初に引いた線も探すことが出来る。

 その描いた過程こそ、描きながら見えてきた世界観である。描くという行為の意味はそのような場所にある。偶然できた絵づらに引きづられて絵を作って行くことはしない。あくまで見えている対象との問題である。対象がどう見えてくるかで絵面は動いて行くことはある。

 絵面の面白さで絵を進めるということは良いことではない。これが絵であるという観念で描いていると言うことになる。絵などどこにもない。頭の中にも無い。絵は見えている世界をどう見るかだけだ。そこにだけ向かえば良い。そこに何も無いとしても、それは自分に見えている物がないと言うことであり、仕方がない帰結だ。

 ないものをあるがごとく描くことは無意味なだけでは無く、自分を毒して行く。絵をでっち上げても空しいばかりである。ダメでもいいという覚悟で、自分の観ている世界に向かうことだ。そのむなしいかもしれないことに、どれほど向かい合えるかだけだろう。その深さが、浅いとしてもその人であり、その人の絵だと思う。

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2020年の水彩画のこと

2020-12-29 03:45:33 | 水彩画


 今年も12月29日まできた。残すところあと3日。年末年始だからというのはあまりない暮らしである。唯一、年が明けたらば、お水取りに於茂登岳白水神社へ行く。すぐ下の田んぼに絵を描きに行く。その前にお水取りに行き、その水で絵を描くことにしている。

 3回目になる。過去2回お水取りに人が来ている様子は無かった。石垣にお水取りの習慣があるわけでは無いようだ。お水取りした新しい水で、絵を描きたい。家に帰り書き初めをする。上手になると言われている。絵は上手になったのだろうか。少しは良くなったのだろうか。於茂登岳へ畏敬の思いはある。霊験あらたかなはずなのだが。

 今年新しいことと言えば、アトリエカーでお水取りに行くことだろう。そのことを思うだけで何か愉快になる。ほぼ完璧という気分の充実である。これ以上、何も言うことが無い。描きたいときに描きたい絵を描くことができる。これほどの幸せは無い。感謝の深い年であった。

 アトリエカーが来てから、絵が一段高くなった。値段では無い。絵を描く位置が少し高くなった。田んぼの水面が描きやすくなった。アトリエカーで描く位置は人が立っている目線ぐらいである。以前のタントアトリエよりも30センチぐらいは目線が高いのだろう。これだけで大分絵が描きやすい。

 もう一つは光の調整がなんとでも成る。以前は光に向かって絵を描くことは難しかった。画面の半分に日が差し込んでいる状態では絵は描けない。今はカーテンを調整できるので、光に対してどの方向からも絵が描ける。この点でも随分楽になった。雨で真っ暗な日でも4方に窓があるアトリエカーの中は、絵を描く明るさには充分である。

 年賀はがきの水彩画もアトリエカーの中で描いた。家に戻ってからもアトリエカーの中で絵を描いていることは良くある。居心地が良いのだ。良すぎて寝てしまうこともある。非常用バッテリーでお湯を沸かして、インスタントラーメンを食べて、夜まで絵を描くこともある。

 普通は午前中だけにしている。描きたいという気持ちが充実している間だけ描くことにしている。描いても新鮮な感覚が出てこないことが多い。別段無理をして絵を描かなければならない理由はない。

 好きな景色を前にした、アトリエがある。アトリエカーを禅堂をまねて、画堂だと思っている。お寺では摂心の一週間は禅堂で暮らすのだが、画堂であれば喜んで一週間修行できる。これほど具合の良いものなら、早く作るべきだった。アトリエ画堂車は今年一番の成果である。

 今年の書き初めは立春大吉と画堂車に決めている。特に書き初めでは左右対称の文字が書きたいと思っている。石敢當と石にも書くつもりだ。これは依然書いた文字が消えた。それでもう一度書くつもりだ。1年経つと消えて、書き初めで又新たに石敢當と描くというのも悪くない。石敢當とはマジムンをはじき返すおまじないの文字だ。

 ことし絵は少し踏み込んだのではないかと思っている。水彩画展示の初回は5月17日である。絵を語る会もなくなり、絵を公開する手段を持たなければならないと考えてのことだった。今年の終わりになって1回から、33回までを振り返ってみた、まだまだではあるが、良い方向も出てきている。

 水彩画日曜展示を見た、随分描いてますねと言われたことがある。別段描くペースは同じである。水彩画になってからは一週間に3枚ぐらいで何十年も続けている。油彩画の時は一週1枚のペースであった。ただ発表もしないのでそのまま眠っていて、そして捨ててしまったものもがほとんどである。

 葛飾北斎は一日1枚を志したそうだから、多いとは全く思わない。勤行と考えれば、描かない日がある方がおかしい。今はブログで公表するということにしたので、描いたもののほとんどを日曜展示している。日々精一杯のものではある。見直せば不十分なものである。

 10年ぐらい続けてみなければ、何をやっているかさえ、本当のところは分からないと思っている。成果を求めてやっていることでは無い。描きたい絵を描きたいだけ描いていればそれで行き着くところはあると考える。傍から見ての評価は一応別である。見直しながら、自分の進む方向が確認できればそれで万全である。

 10年と言っても生きているかどうか分からない。そういう年齢である。それでも、100歳までを生きるつもりで、今を生きている。今の絵が碌でもないとしても、100歳で完成するためだと思っている。人と比べれば、良いとか悪いとかあるのかもしれないが、今更くらべてみたところで意味が無い。

 水彩画日曜展示を始めたことは、今年の二番目の成果である。私絵画の画道を生きる者としての、ブログでの絵の公開という形はあるのではないかと思う。ブログは公開日記と言うことらしい。画廊で展示するというようなことより、他人に関わらないだけ精神的負担が無い。そうは言っても公開しないでいれば、独善に入る。この中間に位置するようなブログ公開という方法は、私絵画には適合していた。

 絵にとっての第3の成果と言えば、動禅を始めたことだ。今年に入り、朝太極拳を始めた。それが徐々に拡大して、自分なりの動禅を考えるようになった。これも始めて一年で、何とも言えないことなのだが、絵を描く心境という意味で何か感じるところがある。

 絵を描くときの心の置き所である。良い絵を描こうという浅ましい気持ちは良くない。これは捨てなければならない。と言って呆然と風景を見ていても何も見えない。描くべきものを見るためには、意識してみなくては成らない。ところが意識してみるとそれは、自分の獲得した色眼鏡になる。

 自分が絵だと思っている世界に、眼前の世界を当て込もうとしてしまう。それでは見ているものを受け入れていることには成らない。見たいものを見ているに過ぎないから、他人の絵を見て獲得した目を借りてきているような見え方になる。

 見ると言うことは、自分の生きている目が、その時に見たものである。その見るの心の置き所が重要になる。無念無想で見ると言うことなのだろうが、無念無想の先にある、自己の存在の充実が無ければ、見ていることには成らない。精神の充実を重ねなければ、見えるようにならない。

 本来であれば座禅と言うことになる。座禅が出来る人間が座禅の心境で絵を描ければと思う。ところが私には座禅が出来ない。残念なことであるが、出来ないのだから仕方がない。そこで次善の策として動禅を考えるようになった。

 達磨大師がインドのヨガから、只管打坐を打ち出したのは、大きな展開だと思う。たぶん中国の精神世界が、インドの精神世界と少し違ったのだろう。この二つの巨大な精神世界のぶつかりがもたらしたものが、禅にはある。中国の精神世界が何もしない、何も求めない、只管打坐に至ったことは老荘の思想の世界観なのだと思う。

 今年の第三の成果である動禅はまだ序の口である。始めることが出来たことだけが成果である。一つ具体的な成果は匂いである。座禅をしているとき突然匂いを感じることがある。これは一つの心の置き所が進んだことだと山本素峯先生に教えていただいた。

 動禅をしていると、匂いを感じることがある。意識が研ぎ澄まされてきて、匂いに敏感になるのだと思う。少し進んできたかと思う。絵を描いているときに、この匂いを感じるような意識の研ぎ澄ませ方が必要かと思っている。それには心眼で見なければダメだろう。半眼で風景を見ると言うことだろう。

 こうして一年のことを思い返してみると、随分と絵の描き方の進んだ年である。世界が感染症に覆われた。末世である。こうした状況だから、絵を描くということも明日の死を思いながら描くことになる。焦りもあるのだろうが、この一年は本気度がましたのだろう。石垣島に来ると言うことはこういうことだったのだ。

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あらためて、自給のことを考えてみる。

2020-12-28 04:17:46 | 自給

 名蔵の奥の田んぼである。12月の終わりに代掻きが行われた。今年は道普請がされていたから、代掻きが遅かったようだ。昨日も畦を治している方がいた。石垣の田んぼは冬水田んぼである。そばの田んぼの方から、理由を教えていただいた。

 石垣の土は一度乾くと、日干しレンガのように堅くなる。だから、常に水を溜めておけば堅くならないと言うことだそうだ。鳥類保護のためと言うことでは無かったのだ。農家のための技術が水鳥たちのためにも成っていたのはすばらしいことだ。

 代掻きされた田んぼの濁りは一週間は無くならない。それくらい細かな土壌で水持ちが実に良い。良すぎる。この濁りをうまく使い、コナギの発芽を抑えることが出来るのではないだろうか。8センチ以上の深水にして、一週間ごとに水を濁らせば草が生えないのではないだろうか。

 この田んぼも一度水を入れただけで、後は天水だけである。それでいて、濁ったままで水が引くと言うことが無い。浸透性が悪いということにもなる。この浸透性の悪さが、石垣の稲作の収量向上を困難にしているのかもしれない。

   山北の山の上で30代後半に自給の暮らしを始めた。自給に挑戦した。絵を描いて行く上でどのように暮らしをするかを考えたかった。シャベル一本の自給は意外に簡単に5年ほどでできた。そこから、みんなの自給と言うことを考えるようになり、あしがら農の会に繋がった。

 社会をよくするために絵を描くと考えてきた。それはいまでも実現できないのだが、今も挑戦をつづけている。人間のために、自分という存在を追求したい。だから、ひとりの自給ができたときに、そこまでで終わるわけにはいかなかった。

 自給は種一粒から始まる。窓辺でトマトを育ててみる。このことがすでに自給なのだと思う。考え方を分かっておりさえすれば、それだけでも充分なのだ。自分の存在は日々の食べ物から出来ている。この原点を見つめてみることが生きることの理由を考える上で役立つ。トマトの苗の生長を見ながら、考えてみる。

 トマトの苗一つの中に、自然のすべてがある。人間もその自然の一つ。蒔かれた種は芽を出す。この不思議は命というものすべてに共通する。いくつもの段階を経て、トマトという実りを結ぶ。この世界観をどう受け止めるかだろう。トマトは美味しいしい食料であり、次の世代に繋がる種である。そしてトマトは枯れて終わる。

 食糧を自給するとは、自分の命を育てると言うことなのだろう。人間は100年前までは、食糧自給の暮らしが当たり前のことだったのだ。今や食糧を作ると言うことは、社会から見えないことになってしまった。この原点が見えないで絵を描くことは出来ないと考えた。

 ひとりの自給が達成できたときに、みんなの自給を考えたのは、自給を体験することは、誰にとってもかけがいのないものになると考えたからだ。大豆を作ると言うことはどこまでも総合的なものだ。ひとりでやるよりみんなでやることが、本来の社会というものの理にかなっている。

 ひとりの自給の3分の1の労力で、みんなの自給は可能だ。ひとりの自給を日々3時間の労働で達成できる能力の人が10人集まり自給をすれば、1時間の労働時間で味噌は出来ることになる。みんなの自給にはひとりでは自給が無理な人もいる。子供も居れば老人もいる。

 農作業には子供の仕事もあれば、老人の仕事もある。多様な人が社会にはいる。ひとりの自給が出来る能力の人は3時間働くだろう。老人も、子供も働く。3時間も働けないかもしれない。しかし、10人の自給はみんなが提供した労働で、総合的に達成できる。ひとりの自給ができる人も、3時間以上働くわけでは無い。

 能力の高い人を中心にして、その回りを様々な人が支えるような形ができれば、合理的な自給が可能になる。これは人間が共同体を作った原型だと思う。能力主義や経済優先の社会になり、価値観まで自分を優先し競争に勝たなければ生きて行けないと、考え方が変化したのだろう。

 みんなの自給は楽しいからやる自給である。自給のための労働はつらいだけではなく、楽しい労働であると考える。それは自分のためだけの労働では無く、みんなのためにも成る労働だから、よりいっそう楽しくなる。人間には人のためならば頑張れるという人もいる。経済合理主義で考える者であれば、きっと馬鹿馬鹿しいと切り捨てる考え方なのだろう。

 自給を志したときに化石燃料は使わないことにした。どこまでやれるものか、自分を試してみたかったからである。機械力が無いとしても、自給ができると言うことを確認したかった。今でも農の会のは機械力に頼らない農作業である。

 しかも、自給農業は無農薬、無化学肥料、天日干し、そして収量においても周辺農家以上収穫量の達成が可能なのだ。遊びの農業では無い。自給農業は自分の命を支える農業である。不都合なら止めれば良いというような気楽な農業では無い。

 農の会の味噌造りも、最初は北海道の有機の大豆を購入して味噌造りをした。地域にも大豆はあったのだが、有機の大豆では無かった。果たして、遠くから有機大豆を買うことと、地場の慣行農法の大豆を購入することを選ぶとすれば、どちらが正しい選択なのか。当然地域のものである。

 有機野菜の方が身体に良いという考えよりも、地場の有機農業を育てることが大事だ。紆余曲折を経て、農の会で味噌造りをするのであれば、北海道から購入するより、自分たちで作る方が良いとと言うことになった。お米もあるのだから、麹も自分たちで作る方が良いと言うことになる。

 こうして大豆の会が始まったわけだが、その始まりは苗一つの自給である。大豆も蒔けば、芽を出したくさんの実を付ける。それをいただき味噌を仕込む。この循環を感じることが自給なのだろう。購入する大豆とは意味が違う。この循環は途切れることは出来ない。命をつないで行き、それをいただくと言うことである。

 コロナウイルスが蔓延し、人が集まることさえ困難になっている。自給の暮らしを忘れてしまった人間が導き出した、新しい感染症の出現である。コロナの次もあるに違いない。人間は生き方を変えなければならない。

 社会の中で生きる人間が、孤立を強いられている。人間は暮らし方を見直さなければならないはずだ。経済合理性に従って居る間に、最も大切な人間の暮らしの自給という原点を見失ったのだろう。

 こうしたときこそ、苗一つの自給の原点を思い出すべきだろう。種は芽を出す。芽は育ち実を付ける。その実がひとの命を支えてくれている。コロナは必ず終わる。感染症はどれだけ猛威を振るおうとも、終息が来る。それは今地球上に存在するすべての生き物の姿である。

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第33回 水彩画 日曜展示

2020-12-27 04:01:55 | 水彩画
第33回 水彩画 日曜展示






102,「石垣島宮良川上流域」
中判全紙 ファブリアーノ
2020.12





103,「宮良川中流域」
中判全紙・ファブリアーノ
2020.12







104,「名蔵の田んぼ」
中判全紙・ファブリアーノ
2020,12

 3枚とも最近の気持ちよく描いた絵である。上の2枚は橋の上から描いていている。以前からもう30枚くらいは描いていると思う。やっと方向が見えてきた気がしている。102番が橋の絵から上流を見ている。103番が橋から下流を見ている。だから、流れてくる川であり、自分が居て、流れて行く川である。

 自然に出来た川という者の様相を描きたいと思う。そしてその川の両側に道がある。上流部には田んぼがある。人間の暮らしがどのようにしぜんとかかわっているかが見えてくる。絵を描いているときそんなことは少しも考えているわけでは無いが、改めて絵をみるとそういうことになる。

 どちらも遠くに田んぼがある。最初はこの田んぼの感じに惹きつけられたのだ。そのうち、こうした自然に出来たような川の感じも惹きつけられる。すると踏み固められたような道も面白くなった。すこしづつ自分の絵として描くことができはじめたような気がしている。

 3枚目の104の絵は、耕地整理が終わり、奥まで車が入れるようになって、見えるようになった風景である。前から、描きたかった場所である。田んぼと松を描いてみたかった。その当たりが、とても良い空気なのだ。風景に近づいた気がする。

 ここはまだ何度も描いてみたい。冬水田んぼの水面がとても良いのだが、これがなかなか描ききれない。今日も又描いてみたいと思っている。
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やっぱり最悪だったアベ政権

2020-12-26 04:40:55 | Peace Cafe


 アベ政権は「えせ保守主義者の紋所、モリカケザクラが目に入らぬか。」と歌舞伎なら決めぜりふの演目になりそうなほどの敵役である。憲政史上最悪だったアベ政権である。すべてが嘘で塗り固められていた。誰もが、当時から、そして今でも、アベ政権が嘘をついてばかりいると思ってはいた。

 今になってみれば、都合が悪くなると病気にも悪くなり二度も辞任した記憶すべき総理大臣である。精神的負担があるのだろう。ずる休みには良くあることだ。こう言う言い方は病人に対して人権侵害だと言うことだろうが、元農水大臣の議員辞職も病気が理由だが、汚職については法律によって追求されるのは当然である。

 こっちは卵価格の問題だから、養鶏をやってきた者として一言、言いたいこともあるのだが、アベ氏への怒りの方が大きくて今は、ひとまずそれは置いておく。日本をここまでダメにしたアベ政権を批判しないでは、まずいだろう。

 今回一部の化けの皮が剥がされ、奇妙な言い訳を記者会見で語った。翌日は国会の言い訳だが、さすがに見る気にもなれない。まるで花見の宴に後援会の会員を特別枠招待し、自腹で接待したことに責任がない無いような態度である。自腹なら選挙民を招待して良いという話では無い。自腹なら選挙違反だろう。

 予想されたとおり、秘書に騙されてしまいました。国会で嘘をついたことになったことは申し訳なかった。と言っているが、選挙民を大量にサクラの会に招待したことは、まるで当然のことのような態度であった。あれほど国会で嘘答弁を繰り返したのに、秘書に騙され続けたとしたら、人を見る眼が全くない総理大臣と言うことになる。

 自分のお金が事務所でデタラメに使われているのに気がつかないというのだ。もし本当であれば、お金の管理がデタラメな人だ。アベノミクスはがデタラメなわけである。自己資金が何千万も無くなっていても、気づかないはずが無いのだが。こんな嘘が検察ではどうも通るらしい。白を切れば無罪になると、総理大臣が身をもって示したことになる。

 5000円でニューオオタニで宴会が出来るのか。問われて疑問を持たない人はいないだろう。あくまで出来たと言い張る根拠が秘書の説明を信じたと言われても、誰が信じれるだろうか。5000円の領収書をホテルが出したという嘘まで出ていたが、そんな領収書は結局登場しなかった。

 ホテルの出した明細書の方は存在した。それをみても、秘書の説明を疑わなかったとしたら、それではバカ殿様以外の何物でも無い。普通の人間なら、秘書に問いただすはずだ。自分の財布を調べるだろう。

 どのように言い訳をしようが、当人も十分承知していたとしか思えない。法律は見逃しても、国民は見逃しては成らないことだ。総理大臣であった以上、証拠が無いから仕方がないと済ますわけにはいかないだろう。

 アベ氏には総理大臣という立場を使い、国の行う行事に身内を大量に招待したことが悪いことだとは気付かないようだ。何しろ招待には総理大臣夫人枠まであったというのだから、やることが限度を超えているでは無いか。アベ氏の招待枠にはマルチ商法で、莫大な被害を与えた犯罪者まで紛れ込んでいたのだ。これを無かったとは言わせない。

 こうした嫌らしい社会にした責任がアベ政権には一番重いのだろう。サクラ招待方式がアベ政治の典型的な手法であった。忖度政治と呼ばれたものである。アベ後継の総裁が菅氏になった背景にあるものは、自民党議員がすべからく忖度議員になったと言うことになる。

 自分に対して有利に行動する者には、様々な恩恵を与える。こうした身びいきのやり方が、既得権を温存することになった。人事の優遇や、勲章の授与であろう。文化勲章まで口を出したというのだ。これは法律違反で無いにしても、賄賂以上に世の中を悪くした。

 アベ政治は身内を優遇することが目立つ。頻繁に会ってゴルフをしている友人の長年の夢である大学新設の話を、聞いたことも無い話とした。友人なら大学を作りたいという夢を、政治家の親友に話さないはずが無いだろう。話さなかったとすれば、アベ氏は友人でも、本音は話せない相談にも成らない人ということになる。

 ことごとくアベ政権は嘘で固められていた。その嘘を多くの国民が仕方がない、政治はそういう物だと受け入れていたのだ。国民はこの嘘で塗り固められたアベ政権を支持した。忖度した。この点が不思議だし、日本人の劣化に見えて成らない。

 自分が優遇される側に回りたいという意識に見えるのだが、よく分からない。安倍氏が嘘つきであったことより、嘘を承知で、何故アベ政権を国民は支持したのかと言うところに、深刻な問題がある。国民の諦めというか、自分のことで精一杯ということなのだろうか。

 日本国への期待をしぼませた総理大臣の重い責任を感じる。原発事故以来、日本は活力を失い始めた。守りの姿勢に終始した。事故を起した原発すら、展望の無いまま廃止できずに、いまだにすがりついている。本来であれば、事故後すぐに再生エネルギーに転換すべきだった。

 ところがその好機を逸した。新しい事業の展開に、自信が持てない意欲の無い国になってしまったのだ。結局アベノミクスでは、新産業の創出は出来なかった。出来なかったにもかかわらず、アベノミクスは成功したと主張している。この意欲の消滅がアベ政治の罪である。

 格差社会の進行。能力主義の矛盾。上級国民の出現。金権主義の蔓延。資本主義経済の限界。世界中で民主主義がすごい勢いで後退を始めている。日本は国の基盤を失いつつある。日本人の喪失。社会が方向を失いつつある。政府の迷走飛行。

  アベ政治のあくどさは特権階級を作ったことだ。サクラの会に出れる芸能人は上級芸能人。サクラの会に出れる詐欺師はお墨付き詐欺師。サクラの会に招待される人々を特権階級としてしまったいやらしさである。国民の多くが、上級世界へ加えてもらえることを羨望のまなざしで見るようになったことだ。

 おとなしく言いなりの良い子にしていれば、上の階級に入れてやらないことも無いというような、忖度の誘導政治である。日本人全体が牙を抜かれたのではないか。アベ氏の言い訳がひどすぎる状態でも大きな批判が起こらない。総理大臣がこれほど卑しい行いをしても、批判さえ起きない状態とはいったいどういうことであろうか。今年最後の愚痴のような者だ、このくらいにしておかなければならない。

 ここから日本はどう立ち直れば良いかである。ここまで落ち込んだ以上原点からのやり直しだろう。日本人の原点を見つけなければならない。一見遠回りのようではあるが、一次産業が揺らいだことが、おかしな国になった原因だと思う。
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イリオモテヤマネコの保護のための田んぼ

2020-12-25 04:26:09 | 石垣島


 浦内川河口

 イリオモテヤマネコは日本で最も貴重な哺乳類である。特別天然記念物であり、絶滅のおそれがある生き物である。イリオモテヤマネコは1965年、私が高校生の頃発見された。全く想像できないことで、動物好きとして、まさかという驚きと喜びで興奮したことを覚えている。

 西表島ではヤマネコが居ると言うことは知られていたことだが、それが貴重な固有種であることはこの時まで分からなかったらしい。島の面積は289.61 km²で日本で10番目の大きさの島である。同じように自然が豊かな世界自然遺産の島、屋久島の3分の2程度の大きさである。屋久島の人口1,2000人に比べて、西表島は人口が2300人程度でかなり少ない。

 西表島は林業や石炭採掘で何度か開発が行われようとしたが、様々な要因で開発は挫折した。開発の歴史を経て、亜熱帯の深い自然環境が自然のままで、残されることになった。開発が進んだ時期から見れば、今は又自然が回復している。

 開発できなかったことは経済性が無かったことが一番であるが、マラリア多発地帯であったことも開発が出来なかったひとつの要因でもある。似たような条件だった石垣島が開発され、西表島は対照的に自然が残された。自然環境の保全という意味では、奇跡のような幸運である。

 イリオモテヤマネコの現状は500頭以下と言うことで、正確には把握されていない。多くの方に聴いてみたが、減少傾向にあるという意見の方が多かった。国の保護施設の定点カメラでの監視で把握されている個体の数からの類推ではないかと思われる。島の中央山岳部の詳細は把握されていない。

 289平方キロという島の面積である。沿岸部は2800人の人間が、農業、漁業、そして70%の人が観光業を行い暮らしている。沿岸部はヤマネコにとっても、餌場になっていて人間と競争関係になっている。特に観光業はジャングルツアーの業者が急速に増えて、エコツアーと言いながら、エコ騒乱ツアーになっているものもあるとされる。

 このまま世界遺産に指定されるとすれば、さらに深刻なことになる事は間違いが無い。今この時点で観光と自然保護とをどのように調和させるのか。真剣に考えなければならないことだろう。ツアーガイドに対する指導は行われてはいるようだが、問題が解決されたということでも無いようだ。入党制限のような厳格なルール作りが必要であろう。

 イリオモテヤマネコの保護には田んぼが重要ではないかと考えている。島の耕地面積567haのうち、水田は77ha(14%)、畑は442ha(78%)、とされている。かなり広い面積の田んぼがある。田んぼは耕作放棄されているところも出ているが、同時に新しく田んぼになった場所も見られる。

 畑は牧草地が一番多い。観光業が増えると肉牛の生産が増える。肉牛には広い牧草地が必要になる。しかも牧草地は大型機械で耕作することになり、比較的少ない労働投下で広い面積の管理が可能になる。現在牧草地は広がりつつあるように見えた。

 田んぼは新しくマングローブの湿地だったところが整地された場所が多い。山際の湧き水に沿って、山が削られて開かれた田んぼもある。田んぼに成る前にはイリオモテヤマネコの餌場であった場所と考えていいのだろう。現在ほぼすべての田んぼに電気柵が備えられている。琉球イノシシの侵入を防いでいる。

 西表島は沿岸部分以外は人が入ることさえ困難な密林地帯が広がっているので、琉球イノシシは増加している。田んぼは電気柵が無ければ収穫が出来ないことになると言われていた。これはイリオモテヤマネコにとっては深刻な餌場を失ったことになっている。ジャンボタニシの害も目立っている。

 田んぼが電気柵で囲われたためにイリオモテヤマネコは道路上に出現してくるようになっていると思われる。そのために交通事故にが急激に増えた。これがイリオモテヤマネコの保護活動の最大の困難になった。ところがこのところの二年間交通事故が無い。

 理由は諸説ある。ヤマネコがいよいよいなくなってしまったのか。あるいは交通事故を防ぐ対策が行われ、事故を回避するようになったのか。ヤマネコが車の危険を察知するようになったのか。理由ははっきりしないようだが、道路の状態と交通量からして、危険が無くなったわけではないことだけは確かだろう。

 1969年までは浦内川の中流域にイナバ集落という小さな集落があった。稲作をして豊かに暮らしていた。イナバ集落は内陸部の唯一の集落である。その周辺には、林業開発の村が出来たこともあり、小学校さえあったという。炭鉱のための大きな飯場集落が出来たこともある。

 そのイナバ集落には20ヘクタールもの田んぼがあったらしい。西表全体で77ヘクタールというのだから、内陸部としてはかなりの面積である。そのうちの5ヘクタールを所有されている方が、平良彰健さんという方がいる。

 ショウケンさんは(西表ではそう呼ばれているようだ。)イナバ集落の元住人である。内浦川観光と言う会社を今は経営されている。キッチンイナバの経営もされている。三線をやられる唄者でもある。一度お会いしてイナバ集落のお話を聞かせていただいたことがある。イナバ集落の復活の夢を聞かせていただいた。

 八重山毎日新聞によると、国の水の観光ツアーのコンクールで優秀賞を内浦川が受賞したと言うことである。この記事の中で平良さんが、イナバ集落の5ヘクタールの所有地をイリオモテヤマネコの餌場にしたいと言うことを言われている。イナバ集落を昔の里山のようなものに戻したいと言うことのようだ。観光客が元イナバの集落で昔の西表の暮らしを体験する場にしたいとも書かれている。

 すばらしい発案である。と同時にどのようなものが出来るかで西表の未来像が大きく変わってくるような問題でもある。例えば、イナバ集落に大きなホテルや観光施設が出来ればイリオモテヤマネコにとっては餌場どころか、生息地をさらに失うことになりかねない。

 いかに西表島の自然環境を豊かにすることの出来るかが、重要なことになる。どんなイリオモテヤマネコの餌場を作ることが出来るかどうかが課題なのでは無いだろうか。イナバ集落で大型機械を使わない田んぼ作りをしなければならない。

 それは自然農の田んぼである。イリオモテヤマネコが入ることの出来る田んぼであれば、餌場になる。電気柵を廻らし、イノシシは防ぐ。そして、電気柵をイリオモテヤマネコならば渡ることの出来る、丸太の橋を渡す。出来れば冬季湛水の自然の稲作でありたい。これには私も少しは協力できるかもしれない。

 そして通年通水の田んぼを行う。イナバ集落には船以外では入れないようにする。道路は作らない。道路が出来れば、たちまちに荒らされることになる。もし作るとしても許可車両のみだろう。そして、最小限の施設にする。一つか二つの昔のイナバ集落に昔あったような家を再現する。祖内には古い家があるから、参考に出来る。

 この家にガイド付きで泊まることは出来るようにする。せいぜい一組である。そしてイナバ集落を西表島の自然保護活動の中心にする。それは平良さんの考えとは少し異なるかもしれないが。イリオモテヤマネコの保護のために、少しでも出来きることがあればやりたい。
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石垣島名蔵鳥類保全区域指定に

2020-12-24 04:01:39 | 石垣島


 名蔵周辺には絵を描いている場所が16カ所もある。農耕地と自然環境との調和の取れたすばらしい場所である。石垣でも景観の美しさでは傑出した場所であることは間違いが無い。竹富島、黒島、小浜島、西表島、鳩間島と沖合の島々もすばらしい。

 アカショウビンやカンムリワシはよく見かける。様々な水鳥も飛来する。小田原の桑原にも来ていた、タゲリも来ているようだ。正確には確認できなかったが、そうではないかと思えた鳥は見た。名前はわからないのだが、鶴と思われる鳥も来ている。問題の鳥では、カラス、孔雀、高麗キジが居る。

 このすばらしい地域を形成しているのは、名蔵アンパルと言う日本で最初にラムサール条約に加盟した湿地を中心にした、田んぼである。田んぼの中に、マングローブの手つかずの自然が存在すると言うことだろう。於茂登岳から流れてくる豊富な水量がこのアンパルを形成している。

 ただ、問題は二つある。1,深刻な赤土流出の問題がある。このまま進行すればアンパルは遠からず失われると言う状況に見える。名蔵湾全体が強い雨の後には赤茶色に濁る。この赤土が海岸を埋め尽くし、海岸が赤土の浜になっている。たぶん珊瑚礁もダメだろう。

 残念ながら、斜面に存在する農耕地が汚染の原因になっていることは確実なことだ。パイナップル、サトウキビ、牧草地である。十分な沈殿池が作られていない。

 どうやって赤土が海に流れないように出来るか。沈殿池などをどの当たりに作るのか、このあたりにしっかりとした対応策を作らない限り、アンパルそのものが赤土で遠からず埋まってしまう。名蔵湾の珊瑚や貝類。そして豊富な魚も失われてしまうことだろう。

 2,水の確保が危うくなってきている。名蔵アンパルは3方を山に取り囲まれて、名蔵湾に面している。主峰が於茂登岳である。名蔵ダム、真栄里ダムと水は農業用水、飲料水と使われている。このことで、名蔵アンパルへの流入水は昔とは比べものにならないほど減少しているそうだ。
 
 この水は、しらみずと言うブランドで飲料用自然水として販売もされている。加えて周辺の山はあたらに牧草地となり、山林資源は減少してきている。さらに、ゴルフ場が予定されていて、山林はさらに減少する。今後流入水の減少がアンパルの湿原にどのような影響が起こるか危惧される。

 減少して行く水資源をどのよに確保とアンパルの湿地環境を保護して行く事ができるのか。今計画を立てる必要がある。田んぼと湿地との調和であろう。田んぼが鳥類を守る重要度を増して行くに違いない。特に通年水が張られている田んぼが重要だ。今年は冬の雨が多いためなのか、名蔵の田んぼはどこも水が張られたような状態である。

 水の張られた田んぼが明らかに鳥類の保護に役立っている。赤土の流出も制限しているように見える。水鳥だけではない、カンムリワシもこの田んぼで捕食をしている。水の張られた田んぼでは生き物の多様性が維持される。このことで、鳥類の保護にも役立っている。もちろんすべての生き物の保護にも役立つ。

 今年名蔵の北側では耕地整理が行われた。そのことで田んぼの耕作も活性化したことはすばらしいのだが、まだまだ耕作放棄されている田んぼがある。湿地化しているのであれば良いのだが、乾いた草原として放棄されているところがかなりある。こうした田んぼも、せめて代掻きをして水を張れないものだろうか。

 そうすれば水面が増え、名蔵アンパルの役割もいっそう価値が高まるのではないだろうか。放棄している農家の立場に立てば、様々な要因があるのだろうが、結局の所利益が出ないから耕作できないと言うことなのだろう。

 アンパルの水資源が減少して行くことは、島が開発されて行くと言うことで避けられないことであろう。それを補う意味で水田を十二分に活用する必要がある。問題は稲作が経済的に継続が難しくなり、続けにくくなっていると言うことだ。

 田んぼの耕作に自然保護という付加価値を付ける必要がある。名蔵アンパル米として、鳥類の保護米として、付加価値を付けた販売をする必要がある。アンパルで鳥類の保護が行われている意味と田んぼの自然保護の意味を明確にする必要があるのだろう。

 宮城県内陸の北部に位置する、伊豆沼と内沼。日本最大の渡り鳥の飛来地である。ここでは冬期湛水が行われ、自然保護と稲作がうまく融合されている。豊岡のコウノトリ米や、佐渡島のトキの保護も田んぼを餌場とするものである。神奈川平塚ではタゲリ米、小田原ではメダカ米である。

 全国に、水田を環境運動と結びつけ、耕作を維持して行く活動がある。これには行政が先頭に立ち、保護活動が付加価値に繋がる仕組みを作らなければ、農家が取り組むことは出来ない。農家が取り組むことにならない限り永続性が無い。

 もう一つは害獣としての、カラス、高麗キジ、孔雀の駆除である。すでに許容範囲を超えた増加である。このままでは保護すべき鳥が害鳥によって増加できないだろう。カラスにアカショウビンがやられているのを助けたことがある。何十羽のカラスが突き回していた。カラスの増えている一番の原因は牛の飼料だろう。すでに畜産被害も出ているはずだ。

 カラスの誘導檻を作り捕まえて数を減らす必要がある。畜産農家で明けでは限界がある。行政も共に取り組まなければ出来ないことだ。これも先行事例が全国にあるわけだから、早急に取り組む必要がある。これ以上カラスが増えれば、畜産の被害も大変なものになるはずだ。

 ゴルフ場が出来ることは樹林地が失われることと、農地が失われることになる。それは名蔵アンパルの豊かさを損なうことになることは間違いが無い。しかし、石垣の観光業のためにどうしても必要というのであれば、ドウ名蔵アンパルの自然と調和できるのか具体的な政策が必要だろう。現在の環境影響調査では影響はほぼ無いとされているが、影響が無いはずがない。樹林地が芝生になるだけで、保水力は減少する。

 石垣島の未来のためには、確かに観光も必要であろう。同時に名蔵アンパルの自然の豊かさも観光に必要である。それには名蔵で行われている農業をできる限り水田中心のものにして行く。パインやサトウキビの栽培地も田んぼに出来るところは田んぼにして行く必要があるのだろう。

 現在の流出防止のセギの大きさでは、大雨の際は一気に流れ下ることになっている。下流域に土砂が貯まる沈殿池を計画する必要があるのではないだろうか。これはゴルフ場下流域にも必要になるだろう。海際にある田んぼをうまく活用することが出来るのではないだろうか。
 
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コロナ感染拡大を止める唯一の方法

2020-12-23 04:02:02 | 暮らし
  2,3メートルを超えたオクラ。根元の幹の直径は5センチある。まだ毎日実を付けている。

 政府はコロナ感染拡大の防止策を見失っている。アベノマスクの配布と同様に、ほとんど無意味な自粛要請だけである。まるで打てる手立てが無いというような有様である。ゴーツートラベルを中止したところで、感染は収まるはずが無い。問題はコロナ出現の当初に言われたとおり、3密の回避という原則である。3密の最たるものが室内の飲食である。

 旅行をして一番不安になるのが、ホテルでの食事の場面である。これが3密で無ければ旅行自体にはまず問題は無い。ホテルが人の入れ替え時に部屋の消毒をしていなければ感染源になるが、まずまともなホテルであれば、その程度の対応はしているであろう。ホテルとしても感染者を出せば、営業できなくなるのだ。

 今の状況判断の指標は、重症者数および死亡者数に注目しなければならない。感染者数は判断の材料には成らない。死者数が50人を超えたと言うことはかなり深刻に感染が広がり始めたと言うことである。軽症と思われた人が、待避ホテルで死んだ事例はさらに判断が不十分で深刻なことだ。

 感染拡大の原因は若い人が自粛を出来なくなったのだ。自粛には限界がある。若い人の10%の人が自粛を出来なければ、他の人の自粛は効果が薄れてしまう。若い人にはコロナはたいしたことの無い病気である。自粛などしない人が10%いるのは当然のことだ。

 いくら政府や行政が自粛を呼びかけても、今の段階では効果は上がらないと考えるべきだ。その結果が勝負の3週間の、完敗に出たのである。呼びかけ方が間違っている。10%の平気で出歩き飲食をする人には、老人と濃厚接触しないことをお願いしなければならない。

 これなら、気にしない若者でもそれほどの苦痛無く出来ることだろう。誰でも出来ることで呼びかける必要がある。自粛の限界を超えたのだ。どうしても帰省などで、老人と会いたい人には、抗体検査による陰性確認をお願いする。駅や飛行場で無料あるいは格安で出来るようにすればいい。

 一方、老人には防御法を周知することだ。老人は恐れているわけだから、比較的自粛はしてくれているだろう。それでも、老人忘年会が後を絶たないようだから、もうこう言う連中は付ける薬が無い。医療体制の迷惑なのだから、徹底的に批判すべきだ。コロナ警察と言われようが、社会の迷惑が考えられない人は批判しても良い。

 もう一つ日本の医療関係の特殊事情がある。日本の死者数は世界から見れば極端に少ない。この人数で医療崩壊が言われているのだ。何という医療の手薄さか。日本の社会は安全保障体制がまるで出来ていない。軍事力よりも、医療体制の方が生活に関わる重要事項である。

 長年にわたる地方の医師不足、看護師不足がおきている。医師不足は医学部定員の抑制政策が災いしている。これは日本医師会の落ち度である。医師の過当競争を恐れて、定員増には長年反対してきたのだ。医療関係者の給与問題と、病院経営の問題は別に考えるべきだ。

 さらに深刻な問題は看護士不足である。コロナ患者20人に医師ひとりで良いとしても、看護士は60人も必要になる。他の国では日本の何十倍も重症患者がいても、医療崩壊はしない。日本の医療体制は極めて不十分な態勢だったのだ。医療関係者の善意の中に問題が隠されてしまっていた。

 看護士が増えない理由は、待遇が悪いからである。今回、どれほど看護士が重要なものであるか、日本人は確認しただろう。医師も看護師も同等の待遇であるべきだ。給与を倍増してもかまわないほど重要である。しかし、これも病院経営の観点から、抑制が働いている。政府はこれを取り払わせなければダメだ。コロナで経営が困難になったからと言って、看護士の給与を下げた病院さえある。

 こんな医療風土では看護士さんは資格があっても、早期退職してしまう。コロナパンディミックで、医療は国の安全保障だったことが、誰の目にも明らかになったことであろう。次の感染症の出現に備えて、看護士への国民の感謝が広がっているこの機会に、待遇改善を計らねばならない。

 今何をすべきである。沖縄県は一つの事例になるだろう。幸いなことに感染が落ち着いてきた。死者数重症患者数が減少を始めている。やっと3密飲食店の対策が進んできたのではないかと思われる。石垣島を見ると3密飲食店はかなり、対策が進んだと思われる。

 観光客が増えた沖縄の感染者の減少からも、ゴーツートラベルと感染拡大は直接は関係が無いことが分かる。飲食店の対策が充分に出来れば、観光客が減らないでも、対応できるものだ。特に夜の濃厚接触風俗店である。しばらくは、濃厚接触なしのお店でやって貰うしか無い。

 石垣島では半ぐれ集団による店舗が島から撤退してくれた。警察の努力が大きかったようだ。営業を続ける昔からの店舗も島の顔の見える環境の中で、3密は控えるようになってきたのではないかと想像している。歓楽街は家から遠くはないのだが、暗くなったら寝てしまうものには正確な状況は分からないが。

 同時に、旅行者が若者中心になった。若者の観光は昼間中心なのでは無いだろうか。少し前まであった、おじさんたちの集団感染は起きなくなった。さすがに、旅の恥はかきすてツアーは無くなったのだろう。感染経路不明のかなりの割合が、こうした風俗営業関連ではないかと想像できる。いずれ飲食店の感染対策はかなり進んだのだろう。

 小さな島では全体が顔の見える関係だ。抑えるところが抑えられれば、感染は広がらない。ここ3週間で1人だけだったと記憶している。その人も県外で感染して戻った人だった。もちろん、感染の可能性が下がったわけでは無い。

 コロナの感染による医療崩壊を避ける唯一の方法は、老人の隔離である。若者が老人に会わないことだ。特に、自粛できない若者は老人との接触だけはしないで貰いたい。旅行も、飲食も、するのもかまわないが、老人とは会わないようにしてもらいたい。
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人間の暮らしと学問の関係

2020-12-22 04:01:54 | 暮らし

 石垣島宮良川上流部

 コロナの歳だったと今年を思い返している。コロナは政治と科学の関係を問い直した。例えば、菅氏が老人8人で忘年会をした。これは科学的におかしい為言い訳が出来ないところに追い込まれた。最初はごまかそうと、マスク会食であるとか、人数を問題にしていないとか、対策のある店だったとか、ところが科学の前には、政治家の言い訳は全く通用しなかった。

 それで思い出したのだが、感染症専門家会議が登場である。クルーズ船内のデタラメな感染症対策のときだった。政府の専門官がマスクもしないで、クルーズ船に乗り込んだり、船内の換気装置が実は感染を広げていたりと、科学的知識のないものにはコロナ対策をできないと言うことが明らかになった。

 その後は政府は専門家会議の意見に従い感染症対策を取らざるえなくなった。ところがこの専門家会議は、法的には今問題になっている学術会議以上に、政府に対して意見を言える根拠がなかった。政府には感染症危機対策がなかったのだ。

 そこで突然、政府は専門家会議を廃止にした。驚いた国民に対して、廃止ではなく、政府に従う部会にしたと言い訳の説明をせざる得なかった。国民にしてみれば、コロナへの恐怖に取り巻かれているときに、一番頼りになるのが専門家の意見で存、素人政治家の言うことなど誰も信じられなかったのだ。

 そのご、政府の無能はアベノマスクの配布に表われた。政府はPCR検査の数を増やすことも出来ず、アベ総理大臣がどこが詰まっているのか分からないという始末であった。政府のやることなすこと、思いつきのようなもので、学校の休校も決めた。

 コロナ対策を実質取りしきる専門家会議としては、アベノマスク配布の責任まで取らされるのでは、たまらないと考えたのだろう。国民の行動を決めるかのような思い立場にもかかわらず、法的根拠を持たないと言うことに、学者として疑問を持ったのだろう。

 このコロナ蔓延の最中、日本学術会議の任命拒否事件が起きた。菅氏はこれが大問題になることは自覚していたという。なぜ、国民が未曾有の大災害の中にいるときに、あえて、学術会議問題を起したのか。感染症専門家会議が国民を誘導する姿に、おそれをなしたのではないか。

 国民が政治家よりも、科学者の主張に従うと言うことを変えなければならないと考えたのだろう。政治家が国民を指導するものである存在であることを明確にしたくなったのだろう。国民の安全保障は総合的なもので、コロナに対しても、経済を無視してはならないと言うことなのだろう。
 
 もし、政治家が最善の行動が取れるとすれば、「65歳以上の外出禁止・若者との接見禁止令」である。65歳以下のものはいままで通りの生活をする。これコロナ蔓延の初期段階で、イスラエルの学者が提案した考え方である。出来ることであれば、今でもこれが一番のやり方だと考えている。

 出来ないことだ。世界中のほとんどの政治家が自宅から出れなくなる。それが出来れば世界も、日本も良くなることだろう。65歳は在宅勤務に限る。これが科学の判断だと思う。つまり、科学は助言機能を働かすものだ。その助言をうまく取り入れて、政治家は政治を行う。

 アベ政権があわてたのは、国民はコロナ蔓延の恐怖の中では、政治家よりも科学者を頼りにする姿だったのだろう。これでは、憲法の改定は出来ない。9割の憲法学者がアベ政権の憲法解釈を間違っていると、学問的に、科学的に、断罪している。

 学問を政治の下部にしなければならないと、学術会議の位置づけの変更を考えたのだろう。ところが、一筋縄に行くわけもない。そこで任命拒否事件を起そうとした。共産党系と思われる学者を排除することは、世論を味方に出来ると踏んだに違いない。アベ政権支持層は岩盤と見られた。

 この汚い手法による学問の否定は成功するかに見えた。報道も、とくにNHKなどはこの問題では政府補完していると思える姿勢に見えた。報道自体をほとんど行わなかった。かなりの圧力が起きていたに違いない。

 菅政権の本質である人事政治がNHKのような人事権を政府に握られた組織では、公共放送の中立性を失うと言うことである。政府のの顔色をうかがい続ける組織には、大きな影響が起こると言うことだろう。政府はいくらでも人事を動かせる。

 しかし、国民はまだ学問の科学性を、政治家の思惑よりも重要だと考えている人が多数派のようだ。それが菅政権の支持率低下に現れ始めた。経済重視の政府のコロナ対策が破綻を始めたのは、感染症対策部会の助言に従わない政府の姿勢にあると考え始めたのだ。

 勝負の三週間に敗北した政府はゴーツートラベルの中止を決定した。しかしこの科学性の乏しい、場当たり的な対策では間違いなく、感染者の増加は抑えられないだろう。問題は移動よりも65歳以上の老人対策である。どうやって効果的に老人を隔離するかである。これが出来なければ医療崩壊は防ぐことは出来ない。
 
 今回のコロナ蔓延で、ウイルス学と感染症学はすごい進歩をした。原発事故が起きて、やっと原発の安全性が見直されたことと同じである。10年前の高病原性鳥インフルエンザの流行時には、交差免疫すらまともに取り扱われなかった。

 学問の成果に基づき、次の感染症の蔓延に対して、政治は対策を取らなければならない。

 
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100歳を生きるための免疫

2020-12-21 04:20:27 | 自然養鶏


 コロナの流行で免疫が話題になっている。福島原子力発電所の崩壊の際も免疫が注目された。鳥インフルエンザの流行の際も免疫が問題だった。問題が起こるたびに、古くて新しい着目点として、免疫のことが話題になる。

 人間の身体は細胞で出来ているが、その細胞の数よりも多いと言われる微生物と共生して、人体は出来ている。自分であって自分だけで無い人間の身体。だからこそ、病原菌やウイルスに対して、免疫機能が働くということで、生命は維持されている。

 コロナに感染しても、アメリカ大陸やヨーロッパの人より、アジアの人の方が死亡率が低い。何かが作用している。若い人であれば、普通の風邪と変わらない。老人は重症化して死亡してしまう。これも何か理由があるはずだ。

 自然養鶏をやってきたので、発酵と酵素と言うことを鶏の餌から考えるようになった。健康に鶏を飼うためには三つのことが重要である。1,豊かな自然環境のかなでの放し飼い。2,二つの醗酵飼料を組み合わせた飼料3,自家鶏種、自家育雛。ーーー詳しくは「発酵利用の自然養鶏」を参照

 この養鶏の基本は江戸時代以来の鶏の飼い方の再現である。そして、鳥インフルエンザが蔓延したときに、ますます、自然養鶏の重要性を確信するようになった。ところが政府は小さな養鶏場を辞めさせて、管理の行き届いたと言われる大規模な工場養鶏だけに集約させようとした。

 こうした、理不尽で、科学性を無視した政府の政策と周辺住民の白眼視に、やる気を無くしてしまった。その頃から、自然養鶏から自給のためのイネ作りに関心を変えていった。自然養鶏の意味がコロナパンディミックの時代にいくつか重要な観点があると改めて考えるようになった。

 免疫のことである。日本では10万人当たりの死者数は少ない。東アジアの国では同様の傾向が見られる。そのことをファクターXとして理由が推理されてきた。そして、二つの要素があげられている。一つがBCGの予防注射。もう一つがコロナウイルスの交差免疫。

 自然養鶏では自然環境で様々な病気に感染させながら、免疫力を高めて行くという考え方である。自然環境と遮断させて、殺菌しながらの工場養鶏とは逆の行き方である。病気になることをあえて避けない。生き残った鶏で継続して行く養鶏である。

 自然を観察した結果考えたことである。シベリアの白鳥は高病原性鳥インフルエンザに感染している。しかし、そのことで白鳥が居なくなるわけでは無い。それを克服してきたから、何百万年も種として生きて来れたのだ。死ぬものが居たからこそ、生き残った鳥がインフルエンザを克服できたのだ。

 自然界に生きる生き物はすべて同じである。ワクチンがあるわけでも、特効薬があるわけでも無いが、人類よりも長く生存を維持している種が大半である。どの生き物も生存のための巧みな仕組みを確立しているのだ。ところが、人間は実にひ弱で、弱い生き物になってきている。

 それは自然淘汰の仕組みが外されたことにある。たとえ未熟児で生まれたとしても、何とか保育箱の中で生きることが出来る。様々疾患があるとしても、命を全うすることが出来る。その生活は衛生的と言われる、自然とは遮断された空間で行われる。

 汚いはきれい。きれいは汚い。衛生的であるはずの環境がひ弱な免疫力の無い人間を生み出している。ひと昔前であれば、泥だらけの子供達が野山で遊んでいた。幼児死亡率ははるかに高かった。しかし、生き残った子供はある意味強健に育った。

 昔の方が様々な病原菌やウイルスに感染して居る確率が高い。交差免疫が備わっている可能性がある。たぶん、交差免疫を獲得しているのはコロナだけでは無いだろう。そうして獲得した、自然免疫はワクチンによる人工免疫とは違うと考えられる。

 特定のウイルスの弱毒化した人工免疫は、その抗体の残存期間が短く、他の同類のウイルスに対する交差免疫の効果も弱いと考えられる。なぜ、BCGによる抗体が長く残存して、コロナに対しても効果があるのかについては、不明なことだ。ここには又別の仕組みがあるように見える。

 コロナに感染しにくい人間に成れると言うことである。コロナに感染しても、重病化しにくい人間に成れると言うことである。免疫力を高めればコロナを克服できる。コロナだけでは無い、次に表われる新型ウイルスを最乗越える事ができる。

 実際に老人がコロナに感染したとしても重症化する人は少数派である。基礎疾患が無い人であっても、あっけなく死んでしまう人もいれば、コロナウイルスに感染しても発病もしない老人もいる。濃厚接触しても感染する人としない人がいる。こうした人間による違いは免疫によるものと考えられる。

 免疫作用は人間の身体の中に微生物が侵入することで生まれる作用である。害のある病原菌やウイルスから身体を守るための作用を行う。その仕組みは多様なようであるし、複雑なようで、未だすべてが解明されたと言うことでも無い。

 100歳まで生きるためには免疫力を高める必要がある。免疫力を高めるためにはそう難しいことがあるわけではない。思いつくまま、10点あげてみる。

 1,楽しく充実して生きる。2,適度な運動をする。3,小食で多様なものを食べる。4,よく眠る。5,身体を暖める。6,新陳代謝をよくする。7,病原菌やウイルスとは安全な範囲で接触をする。8,発酵食品を食べる。9,筋肉を付ける。10,適度なストレスの中で生活する。

 以上は生活の中で実戦してきたことである。これが正しいかどうかは私が100歳まで生きたときのことである。健康法と言っても様々である。体質やそれまでの生活履歴にもよるのだろう。あくまで私の場合である。他の人に当てはまるかどうかの限りではない。

 さらに具体的に10点書いておけば
1,朝4時には起きる。2,夜は8時前には寝る。3,一日朝と昼の二食。4,動禅を1時間行う。5,絵を描く。6,発酵食品を食べる。7,サウナに入る。8,酒をいくらか飲む。9,嫌いなことはやらない。10,笑って暮らす。

 これこそ、100歳まで生きたときにのみ、参考にして貰わなければならない。
 

 
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第32回 水彩画 日曜展示

2020-12-20 04:05:11 | 水彩画
第32回 水彩画 日曜展示







99「中井町篠窪の柿の木・雨」
10号f インドの水彩紙 
2020.12






100「笛吹市・花鳥山の大杉」
6号p インドの水彩紙
2020、12








101「石垣島名蔵の一番奥の田んぼ」
中判全紙 ファブリアーノクラシコ
2020.12

 意識したわけではないが、全く違う場所の木の絵である。その場所で見えたものに、その時々に迫ろうとした。違っていることと、同じことがある。絵を描くと言うことはその時の精神状態がとても影響している。こうしてみると、石垣ではとても前向きな気持ちでいるようだ。

 風景を描いたいると、樹木はいつも出てくる。樹木は生命のエネルギーを発している。それは木によってそれが違っている。樹齢と言うこともある。大杉は何百年も生きてきた木としての、底深い力が宿っている。そういうものを直接意識して描いたわけでは無いのだが。

 見ている私もエネルギーを発してその反射を受け取っているような気がする。木は見ている私に反応をしているように思えることがある。そのてん、空や海とは違う。山とも違う。しかし、田んぼは生き物のようで、樹木と似たものを発している。そういうことはすべて妄想なのだろうか。妄想であったとしても別段かまわない。幻覚であろうが、そのように見ている世界である。

 樹木はデッサンをすると、まるで人物デッサンをしているようなきになっている。人物デッサンというものは、描くことによって人間の探究をすることであろう。自分が人間をどう考えているのかがデッサンに反映する。樹木デッサンは樹木の研究なのだろうが、自然というものを直接に感じることになる。

 樹木を描いていると、自分が自然というものをどう見ているかが一番反映する。自然観が出てくる。怖いものと見ているのか。親しいものと見ているのか。その中に行きたいのか。離れていたいのか。思い出の中で見ているのか。樹木の造形というものを探っている。樹木の命を探っているのか。

 マチスの絵を見ていると、まるで研究者が分析をするかのように対象を、分析的に見ている。ゴッホの絵を見ると、拒絶されている世界に入り込もうとしている。私は今のところ曖昧に眺めている。まだ、よく分からないので外界から眺めている。そんな絵である。それを残念だと思っているわけでもない。

 自然に対して無理矢理入り込んで、強引な自分側の世界観の形成はしないようにしている。むしろ自然から何かを感じ取るだけにしようとしている。あわてることはない。分かるときには分かるだろうと時間をかけ待っている。

 絵を描く為には待たなければならない。いつか何かが煮詰まると信じている。煮詰まらないとすれば、それが私というものの限界なのだろうと諦めるほかない。まだまだ100歳までは時間がある。

 
 
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水彩画年賀状 希望者募集

2020-12-19 04:22:33 | 暮らし


 ここ10年ほどは年賀状を水彩画で手描きしている。アトリエカーにはハガキサイズの紙が備えてある。白紙の紙もあるが、絵にならないで廃棄する紙をハガキサイズに切ってあるものもある。制作している合間に気分転換に、ハガキに勝手気ままに描く。できるだけやったことの無いようなことを大胆にやってみる。

 描いている絵の展開に繋がることがある。作った色を試しに描いてみて色を確かめることもある。色の重なり具合など、ハガキで発見することもある。今年は溜まったものを数えてみたら、150枚以上ありそうだ。これを年賀状にするつもりだ。

 時々見返してみては、又筆を入れる。そうこうしているうちに行き過ぎになり使えないものになる。適当なところで終わりにしないと、送ることの出来ないものになりそうである。なぜこんなことをしているのかと言えば、水彩画が一番自分の現状を伝えられるものだと思うからである。



 自己本位と言えば言えるのだろう。本来年賀状は送り先の人の新しい年をお祝いするものだ。新しい一年が良い年であることを祈るものである。自分のことばかりである、と言うようなことは論外である。しかし、年賀状を描き始めた小学1年生以来、何かを制作すると言うことが、なんとなく習わしになっている。

 制作したものを送ることが新年の挨拶という習慣で、65年間になる。これをやらないと一年がすっきりと終わらない。日本には年に一度、多くの芸術家が誕生する習慣があったのだ。これはすばらしい習慣だと思う。面倒くさいようだが、続けて来れて良かったと思っている。

 高校生の時までは木版画を作っていた。大学生の時は、シルクスクリーンやエッチングをやった。フランスにいたときは絵を描いた気がする。山北に移った頃から、プリントゴッコで描いた。プリントゴッコに手描きを加えると言うことも大分やった。油絵の具を使ったプリントゴッコである。



 その後手描きで水彩画を描くことになった。一番多かった年賀状は、石垣島への引っ越しの案内を兼ねた年賀状で、365枚を富士山を見ながら描いた。富士急ハイランドホテルに三日間泊まって描いた。これは良い思い出になった。

 今では年賀状は表現手段の一つと言う意識である。芸術的な行為という意味もある。年賀状であれば、絵を送りつけても不審に思われない、そんな表現の唯一の機会である。何かを表現するという意味の確認である。

 今年は今予定の発送枚数が120枚ぐらいに減った。年賀切手は発売と同時についつい150枚購入してしまった。減るのは寂しいことだが、来る年賀状が減ってきた。年々喪中はがきが増えてくる。寂しいことだが、歳をとったのだから仕方がない。年賀状は続けられる間は続けるつもりだ。



 今年はコロナで人に会うことが難しい歳だった。同窓会も無ければ、水彩人展もなかった。農の会の自給祭もない。例年とは別な意味で、年賀状でせめてもの近況報告をしたい。一時でも水彩画を見た人が、気分転換できる、楽しみとできるような、描いた絵を送らせてもらいたいと思っている。

 これも恒例のことだが、年賀状が欲しいという人がいたら、コメント欄から住所とお名前をいただきたい。公表はしません。数がある限り送らせていただく。年賀切手が余っても仕方がないので、よろしくお願いします。お会いしたことも無い人から、そういう希望があると嬉しくなる。

 こんな関係が生まれるとすれば、ブログを書いていることが嬉しくなる。興味を持ってくれる人がいるということは励みになる。人間歳をとっても、不要不急ばかりではつまらない。100歳に向かって前向きになれる。


 この5枚も誰に行くのか分からない。まだまだ、年賀状の絵の写真は撮るが、正月元旦に載せるつもりだ。24日頃には宛名を書いて、謹賀新年ぐらいは書いて投函したい。いつも一言書こうとこの段階では考えているのだが、なかなかそこまではできないでいる。

 ともかくエールである。絵を描いているおかげで元気そのものである。その元気が伝わる絵を描いて、エールを送りたいのだ。朝ドラでは音楽を共に生きる人々のエールとしていた。地場・旬・自給ブログからは年賀状で読んでくれている人にエールを送りたい。

 私の年賀状を見れば、いくらか明るい気分になれるかもしれない。コロナパンデミックは起こるべくして起きたことだ。こんな悲惨なことでも人間には必要だったのだと気付く日がかならず来る。もっと人間が良くなるための試練と思って絵を描いている。

  この文章を書き終わってから一通り見てみると、使えないものが60枚ほどある。それでも残りが140枚ほどあった。60枚をもう一度描いてみる。それで新しく出来たものの中には、入れ換え戦に勝ち残る物がでてくる。絵はやればやるほど良くなることの方が多い。

 絵が絵になるための境目がある。それを越えるための方法はその絵によって違う。60枚の内何枚が絵になるのか。興味深い。
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菅総理大臣は大変な人だった。

2020-12-18 04:06:33 | Peace Cafe
イノシシに荒らされた後。

 菅総理大臣は学術会議の6名の任命拒否は騒ぎになると思っていたそうだ。このコロナパンデミックの最中に騒動になる人事をわざわざやるということは、教養が無いと主張した川勝氏の意見の通りである。今こそ、政府は国民を正しく導くリーダーシップが必要なときである。この緊急時にこの人である。

 この肝心なときに騒動を起して、国民の意見を2分するようなことをして良いわけが無い。しかもその任命拒否の理由が、政府に批判的な人を入れないと言うことである。その嫌らしい手法の目的は学術会議の改革と言うことらしい。今そんなことを際立って問題するタイミングで無いことは誰が考えても当たり前だ。菅氏の自己主張はこんな所にあるようだ。

 そうこうしているうちに、コロナはいよいよ猛威を振るい、勝負の3週間に負けたのである。やはり教養が無いとしか言いようが無い。負けた理由ははっきりしている。菅氏には科学的に判断する能力がない。コロナとの勝負に真剣味が無い。本気でやらなければ勝てる相手ではない。

 何しろ、勝負の最中に総理大臣が、平均年齢80歳近い忘年会を8人でやらかしたのだ。これでは勝てない。国民の悪い手本になってしまった。どう考えても頭のたががゆるんでいる。スーガーです。と浮かれている場合だろうか。あのニタニタと笑い続けたテレビ出演は、コロナとの真剣勝負中の顔では無い。笑いには時と場合が重要であることが分からない人なのだ。

  しかも、忘年会に出たことを反省しているとテレビで発言した夜も、またホテルでの会食をはしごしているのだ。何が悪かったのかに当人が気付いていない。いったいどういう感性の人なのか。苦学し、総理大臣に登るとこういう人になる場合もある。

 失礼な言い草であるとは思うが、政治家としてのセンスが悪すぎる。ゴーツートラベルの中止はまだ考えていないと発言した三日後の中止である。なんたる予見力のなさか。そもそもコロナのことなど真剣に考えたことは無いだろう。勝負所で、これほど先読みが出来なければ、敗北は決まっていた。将棋で言えば、級位者である。

 菅氏は安倍氏も排除した。確かに後継のワンポイント総理扱いでは面白くは無かったのだろう。安倍事情聴取は菅氏の意向が関わっていると見た方が良いだろう。だから、自民党内からも、安倍氏の説明責任の声が出てきた。検察人事にもあれほど介入してきた菅氏である。麻雀賭博の黒川氏の人事にも菅氏は深く関わっていたようだ。

 すでに、安倍官邸官僚は一掃されたとある。ガースーはあの不愉快そうな人相で、やることが汚い。こうなるといつ不人気になるかと思っていたら、さすがに早い。もう世論調査では急落である。こう言うタイプの人は一度嫌われ始めたら、もう復活は無いだろう。

 人事権で人を操作するような人は、敵を多く作っている。いつか落ち目になれば足をすくってやると虎視眈々と狙っている人がいるはずだ。官僚というものはしたたかな能力がある。一筋縄では無い人脈の中に居る。ここに手を突っ込んだのだから、弱ってくれば一気に反旗が上がる。

 排除人事が得意な菅氏の官邸にはハイ以外言わない官僚がそろっただろう。異論が無い状況は間違うものだ。だから、コロナと戦う前に負けているのだ。だれが、こんな時に老人忘年会をやるものか。忘年会はさすがにまずいと止める人がいない官邸が怖い。そんな当たり前のことでも口を挟める、まともな人が周りに居ない。

 これでは菅政権はたちまちに行き詰まる。多様な人材がいてこそ、良い政策を作り出せるのは、当たり前のことだろう。いろいろの意見が出て、最終判断を総理大臣がすれば良いのだ。ところが菅氏の思惑を忖度する人だけになれば、異論は出ないだろう。そうなれば碌でもない忘年会でも当たり前に思えてしまうのだ。これほど世間からずれてしまえば、どうにもならない。

 年明けに選挙をすれば、自民党は大敗するだろう。しかし、そこで選挙が出来ないとオリンピック後と言うことになる。オリンピックを止める度胸は菅氏には無いだろう。泥はかぶらない人だ。任期一杯まで不人気のまま続けるとなると、日本はリーダーシップが無いまま、コロナの中に沈んでしまう。

 野党に変わると言っても、現状では無理だ。日本の中に誰か居ないのか。自民党なかでも良いので、本気で日本の危機を考える人が居ないものか。共産党も、維新の会もないだろう。ここは救国内閣でクーデターでは無いか。

 この政治の劣化は、アベ7年半の自民党すべからく忖度議員化の結果である。自分の意見を持たないような甘ちゃん以外優遇されなかった。河合夫妻のような議員である。立身出世のための国会議員枠でしか無い。

 小田原で考えれば、河野洋平氏の後継と言われた、わかい女性議員である。何をするでもなく、理想を語るわけでも無く、選挙を重ね徐々に党内で出世をしている。こんな人がクーデターをするはずもない。自民党を離れた河野洋平氏と比べれば、その能力差は歴然としている。

 ここまで政治が劣化した以上、自分の身は自分で守るいがいにない。図らずも、ガースー総理大臣のかねてからの主張通り、「自助」の時代である。コロナに感染しないためには、自助以外にない。年寄の自助だけが医療崩壊を避けることが出来る。老人は頑張ろうでは無いか。

 年寄が若い人と会食は避けることだ。家庭内別居である。そうしなければ、医療に迷惑を掛ける。知らない人と会う可能性のある場所は避けることにしよう。レストランには行かない。買い物はできるだけ人のいない店で、空いた時間にまとめ買い。新しい生活様式である。ソウシャルディスタンスである。

 不要不急の老人の自助。政府が冗談抜きでここまで劣化している以上、冗談のような生活以外に我が身は守れない。ワクチンの是非が半年もすれば分かる。それまでの辛抱である。ワクチンに副作用が無く、効果があれば、何とか次の感染症の出現までは大丈夫だ。

 若い人は遠慮は要らないので、老人に会わない努力だけはして欲しい。旅行をしようが、3密飲食をしようがかってではあるが、老人との接触だけは避けて欲しい。職場でも65歳以上の人は別枠にして貰いたい。本来であれば、定年の年齢である。出来れば早期退職の奨励である。あるいは、若い人とは接触しない部門に限定して貰いたい。

 若い人中心の経済の社会に転換するほか無い。そうしろと地球が人類に言っているのかもしれない。良い機会である。不要不急の早期定年の奨励である。そうすれば、コロナで就職が困難な若者も助かるであろう。

 
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ゴーツートラベル中止だけでは感染は減らない

2020-12-17 04:07:47 | Peace Cafe


 ゴーツートラベル4回経験者として、書かせて貰う。戻って1週間が経過したが、感染していない。旅行を経済対策にしているこの政策は今やコロナ感染源として、批判にさらされた。4回も利用した私は肩身が狭い。

一時中止になった。このまま中止になるのかもしれない。しかし、ゴーツートラベルを止めたからと言って感染拡大は止まらないだろう。一貫性のない政策変更である。旅行自体が問題なのでは無く、密なる飲食の問題が原因の中心にある。

  旅行そのもののはそれほど感染リスクは無い。スーパーコンピューターを使わないでもそのくらいのことは分かる。政府もそうは言いながらの中止である。こう言うときこそ冷静な科学的な思考が必要である。止まらない感染拡大に、何かやらないでは居られないだけだ。研究者にお願いして何が原因か、科学的に考えるべきだ。

 人間が移動すると感染が増えると感染症分科会の意見があるが、当然ながら移動の仕方が問題になる。家族だけの車旅行なら、感染リスクはほぼない。飛行機も感染リスクはかなり低い。飛行機で感染した事例が無いわけではないが、マスクなしの頃の話だ。電車やバスは混み方次第である。この点で言えば旅行よりも通勤の方がはるかに感染リスクが高い。

 たしかに乗り物は混んでいる時間は乗らない方が良い。小田原に行くときの電車はだいたい二時頃を狙っている。飛行機もこの間6回乗ったが、かなり空いた形で運行されている。隣の席に人がいたことは無い。空いた時間を選んで乗った方が良いだろう。みんなマスクをして、静かにしている。

 石垣島は例年どおり観光客が訪れている。12月10日、14:30分羽田からANAの同じ飛行機に乗った人のほとんどが若い人だった。ここには注目すべきだ。石垣島では2週間以上感染が起きていない。レンタカー利用して、野外観光が多いからだと思う。

 問題は食事である。ホテルの食事はかなり気をつけているだろうから、心配は少ない。夜の歓楽街も気をつけるようになったのかもしれない。若い人は余り夜の歓楽街には行かないのだろう。野外観光が中心だろう。

 酒を飲むと自制心がなくなる。一杯が二杯は当たり前である。コロナがどうした、とたちまちに豹変するのが酔っ払いである。おっさんグループは羽目を外しがちだ。若者はそういうことは少ない。

 混んでいるスーパーはリスクが高いから、夜の空いている時間に行く。購入リストを見ながら手早く購入する。長居は無用だ。こうして旅行をしていれば、別段旅行が感染を増やすなどと言うことは少ないはずだ。うるさく繰返しになるが、密な飲食の場面が危険である。

 どうしても移動中に食べなければならないほど時間がかかる移動は無いはずだ。飛行場の安全なところで食べる。成田では移動通路の野外のベンチで食べたことがある。羽田であれば、人のいない一角がある。飛行機の予定が無いゲート付近なのだろう。そこで素早く食べたこともある。マスクをしたまま30分掛けて室内で食べるより、マスクを外して野外5分なら寒さも大丈夫。

 人に会うとしてもできる限り野外である。あるいは安全と思われる特定の人に限る。若者は自覚症状が無いから危険である。そこまですれば旅行をしたところで感染はない。私が泊まったホテルは4カ所あるが、どこのホテルもとても気をつけていて、感染者を出さないように真剣であった。気をつければ、感染しないのがウイルスである。知らないうちの偶然など無いのだ。

 今感染が減らないのは、若い人達が、この病気は大丈夫と言うことで注意しなくなったためが、第一原因に間違いない。若者が感染するのはかまわないし、さしたることが無いのだから自粛もしないのも当然のことである。

 が、絶対に年寄に感染させないで欲しい。特に家に戻り家族の年寄に感染させる家族内感染事例が極端に増加している。悪気は無いのだろうが、不注意すぎる。年寄は死んでしまう人が多々あるのだ。もし若者同士で飲み会などやるのなら、やればいい。しかし、その後2週間は家族といえども老人に会うのは避けて貰いたい。

 コロナ対策ではスエーデン方式というものがある。コロナを気にしないというものだ。以前のままの日常を大切にして、緩やかな制限に徹していた。マスクなどしている人もいない。そうしたら、死者の90%が70才以上の年寄である。年寄の場合、特別な医療をしないで見守るだけだったと遺族が告発している。

 スウェーデンの人口10万人あたりの死亡者数は、世界で最高を記録した時期もある。死亡者数が増えてしまった理由は年寄に対しても感染対策をしなかった上に、特別な医療行為もなしである。スエェーデンは活動制限をしてこなかったが、11月半ばになって、死者数がさらに増加してきて、やっと11月24日から活動制限を高めている。結局患者が増えれば、経済活動に影響してくるのだ。

 スエーデンのコロナ対策の考え方の背景にあるものは、活動の中心である若い人達を尊重したと言うことであろう。経済においてもその方が有利と言うことがある。言い過ぎかもしれないが、老人や疾患がある人が死んで行くことも経済的な合理性があると考えているのかもしれない。事実なら恐ろしい考え方だ。

 弱者や老人がいなくなれば、若者の負担が減る。コロナの蔓延を弱者淘汰に利用しているとも結果的には言える。これは許されない考え方なのだろう。しかし、こんな奇妙なウイルスの流行は老人の多すぎる社会の自然淘汰という是正作用なのかもしれない。このやり方をスエーデン国民の80%が支持したという。しかし、遅ればせながら、活動制限を強めたと言うことは、スエーデン方式は失敗したと言うことだろう。

 日本でもコロナ対策などするべきでないという人がいる。スエーデン方式を支持すると言うことなのだろうか。老人や弱者など減った方が自分には好都合という考えなのだろうか。少なくとも結果的にはそういうことを主張していることになるのを自覚すべきだ。
 
 菅政権がコロナ対策を失敗したのではない。若者がこれ以上自粛など続けられないと言う、人間というものの当たり前の帰結だ。人間なのだから仕方がないことだ。自粛と言うことは大多数の人がやらなければ、効果が薄い。企業だって自粛を続けて倒産するより、無理矢理営業をするだろう。これ以上の制限は法的な活動制限しか無い。

 自分に関係ないことで、人間の活動制限は限界がある。旅行だって行きたい人はいるだろう。若い人が半値で人の少ない旅行が出来る良い機会だと考えるのは当たり前のことだ。むしろ、そういう若者たちが年寄には会わない仕組みを考える必要がある。

 年寄の方も、若者はコロナの危険が高いと考えて、濃厚接触を避けることだ。何しろ不要不急の年寄と言われようとも、死ぬのは勝手だとは言えない医療環境なのだ。重症化して医療崩壊を招く。スエーデンのように見守りだけというほど日本は老人を粗末にはしていない。有り難いやら、迷惑なのか。人それぞれと言うことになる。

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