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安倍政権の総括

2020-08-31 04:13:25 | Peace Cafe

  尖閣諸島の巡視から戻ってくる海上保安庁の船でないかと思っている。竹富島と石垣島の屋良部岬の間を通過して、石垣港に入港する。見る間に通り過ぎて行く。中国漁船は尖閣まで近づいているのだろうか。

  まさか辞めないだろうと思っていた。辞任を判断を出来なかったのは、読みが甘かった。安倍総理大臣は辞任を表明した。日本にとって正しい選択であった。安倍氏は日本人というものをすっかりだめな奴らにしてしまった。新宿御苑の花見の会はまさにその象徴であった。あの芸能人の嫌らしい笑い顔が思い浮かぶ。何を浮かれていたのだろうか。

 希代の詐欺師が花見の会に総理大臣推薦枠の招待状を自慢げに信用パンフレットに利用していた。まさにその姿こそアベ政治の姿である。内側に入り込むことが上手であれば、恩恵が受けられる側に立つ政治である。既得権を守る忖度政治であった。新しい物の出現の意欲を萎えさせる政治であった。

 総理夫人も教育勅語を暗唱させる幼稚園にすっかり感動してしまい、様々に夫人ワクを利用した。あの安倍晋三記念小学校を名乗ろうとした事件の気分の悪さは、歴代政権第一である。おかげで財務相の公文書まで、書き換えが行われた。そしてその手柄で出世をした佐川局長。

 この腐った構造が官僚の意欲をそいでいる。優秀なはずの官僚がすっかりだめになったことは、コロナ対応では露呈した。厚生省の能力不足は目に余る物がある。そして感染研や保健所との連携はどこの国よりも劣っていた。

 一部国民だけ優遇する忖度政治はすっかり国民をだめにしてしまった。国民は自分が優遇され無い立場であることに意欲を失った。何をしてもだめだという絶望的な状況に牙を抜かれてしまった。自分の立ち位置をこんな程度の物と判断したのだろう。憲法無視の法案が強行採決されるたびに支持率は下がったが、すぐに元に戻った。怒りも恐怖も持続できない日本人になってしまった。

 石垣市長が自衛隊ミサイル基地建設を受け入れたときに、国が決めることに対して、住民は意思を表明できない。受け入れるしかないと繰返し述べている。この愚かな感覚こそアベ政治である。お上には逆らえないという、家来の性根のような物が日本中に蔓延した。ノーと言えない日本人の誕生。

 特に自民党の国会議員の劣化は見苦しいほどである。自分の政治的理想を持ってはならないようだ。そんな物があれば役に就けない自民党の封建的構造。飼い犬的議員が多数を占め、物言えば唇寒しの状況に陥った。河野太郎であれ、小泉進次郎であれ、いつの間にか忖度議員に成り下がった。当人がそのことに気付かず、見苦しいばかりである。

 日本人がこの10年大きく変化をした。団塊の世代が引退したと言うこともあるのだろう。お上に逆らえない。理由無く従ってしまう、下取り根性が普通になった。これでは国が衰退して行くのも止むえないことだろう。これが日本の人口減少の根本原因だろう。たぶん日本はここからさらに衰退を始める気がして成らない。

 やっと安倍時代が終わったにもかかわらず、次の総理大臣候補を並べられても、ほとんど期待のできない状況である。小選挙区制が日本人の政治感覚にどれほどよくない制度であったかが分かる。日本の未来のためには良くない制度であると言う人はいくらでも居る。しかし、既得権として獲得した与党は未来永劫変えることがないだろう。この絶望感は深い。

 国会議員は就職の一つになった。良い会社が与党である。危うい会社が野党である。この入党試験さえ合格すれば、後はつつがなくやって行くだけだ。国会議員が公務員と同じになった。上の顔色の判断が得意な人間ほど上に行くシステム。理想を叫ばない国会議員。現実主義者ばかりの国会議員。その最たる物がアベ氏。

 国を諦めなくてはならないと言うことは、国民に力が失われると言うことである。正義の意欲が萎えたのだ。何を言っても無駄である。40%の住民が自衛隊基地の是非の住民投票を署名をしてお願いした。しかし、それが実現されない社会。この不公正な政治状況では、どうせ何を言っても無駄だ。市に協力などしたくない。この先の共同参画社会は失われるだろう。こう言う悪い空気になる。

 自分のことだけ考えればかまわないと言うことになる。これが沖縄でコロナが日本一広がった理由ではないだろうか。これが台湾でコロナが押さえ込まれた理由であろう。国が公正で正しい方向性を示すことは、生活に直結している。国民の意見に耳を傾けているのかどうかである。

 沖縄県民の、石垣市民の正義が無視されたことで起きた現象である。国はどんな理不尽も押しつけてくる存在である。しかもそれに対して意見の表明も出来無いむなしさ。正しい心が失われると、コロナは広がる。自分ぐらいかまいやしないと言うことで、コロナは広がる。アメリカのコロナの広がりはまさにその象徴である。第2位がブラジルである。

 日本では一位が沖縄で、第2位以降が都会である。沖縄に米軍基地があり、日米地位協定という不平等条約下にあると言うことは、沖縄の心を空洞化させているのだ。権力の横暴が続けば、おかしなことが起きてくる。まさに一部の心ない人の行為で、コロナは広がる。

 日本が立ち直るためには、日本を見捨てるところから始めるほか無い。日本国を引きずって行くのでは、自分の暮らしの構築が出来ない状況である。国がどうしようもないのだから、先ずは国の事は見切って、自分の暮らしを国という権力から自立させる以外に、自分という存在を立ち上がらせることは出来ない。

 アベ政権は長かった。そして最後にはコロナで辞めた政権である。コロナ政権と呼ぶことにしよう。日本に悪い病気を蔓延させたのだ。人間の前向きな意欲を失なう病気である。気持ちが萎える病気である。従う性根だけになる病気である。

 ここから立ち直るためにはリハビリが必要である。自分が何のために生まれてきたのか。この大切な命をどう全うさせるか。何が大切で、何が好きで、何のために生きるのか。命を活性化させるためには、自分のためだけに生ききる時間が必要な日本になったのだ。

 身勝手と言われようとも、人目を気にせず自分のために生きてみることだ。本当に自分のために生きていると言うことかを、確かめてみることだ。自分の命の方角に従っているのか、確かめてみることだ。そこから自分がやりたいことを見つけることしかないだろう。

 自分の生きる方角を見つけることだ。せっかくの命である。国に牙を抜かれ、意欲を失わさせられ、要領よく生きる道を歩んで、本当のやりたいことをやっていないために意欲が再生産され無い状況からの脱出。

 始めて見ることが道である。行動してみて始めて気づくことがある。始める前には見えなかった世界が広がっている。未来が広がっているかどうかの確認をしている間に、意欲が減退してしまう。それは日本の状況がそんな閉塞した忖度状況だからだ。ろくでもない人達が、権力を動かしているからだ。

 この日本の状況を先ずは明らめることだ。正しく分かれば、諦めることが出来る。正しい見方を持つ人達が、何とか変えようとして大切な意欲がしぼんでしまうのだ。迂回だ。まず自分の意欲を育てるところからだ。

 自分がやりたいと言うことを始めて見る。そのことから自分という存在がすこしづつ見えてくる。明日の方が昨日より進んでいることの分かる暮らしを見つけることだ。
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第16回 水彩画 日曜展示

2020-08-30 04:41:06 | 水彩画
第16回 水彩画 日曜展示








  50,「海の眺め」1
 中判全紙・クラシコファブリアーノ
 2013.7







 51,「海の眺め」2
 中判全紙・クラシコファブリアーノ
 2013.7







 52.「海の眺め」3
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2013.7







 53.「海の眺め」4
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2013.7


 今回は大分前の絵になる。すこしづつ、昔の絵も展示したいと思う。自分が変化していると言うことを確認するような気持ちもある。この頃の作品は絵を描いているのだと思う。絵を作り上げたいという気持ちが出ている。

 実際の制作した日にちは明確には分からない。確か大津波の後海を見るのも怖くなり、とても絵が描けるような心境ではなかった。とするとその数年後の夏だったという気がして、2013年の夏の絵と判断した。もう少し前には海の暗い絵がある。

 それはまだ、小田原の方にあるので、そのうち石垣に回収したら掲載したいと思う。暗い絵は描きたくないと思っているので、暗い海の絵を何とか明るい物にした後の絵だ。この頃は紙と絵の具の反応の美しさに影響されていた。

 そして、絵を創作する意識が強かった。自然に従うと言うより、自分の内側の見たい景色を画面に作ると言うことだった。今よりも迷いもないように見える。この時点で出来ることをやればいいという気持ちだったのだろう。

 田んぼを描くようになり、絵は変わった。今は先を見ている。今やれることをやるのだが、その先に自分の絵があると思っている。まだ出来たわけではないと言う意識がある。見ていると言うことにどこまで迫れるのか。

 見ているという現実にこだわり続けるの描き方が、どういう意味なのかを考えている。やはり、見たいように見ている。見たいところを見ているとも言える。当たり前なのだが、そのことをもう少し深く考えたいと思う。

 しばらく前の絵を見ながら、やはり変わってきた自分が分かる。変わってきているつもりなのか衰えてきているのか分からない。この年齢では普通のことである。冷静に自分の絵を見て考えたいと思う。


 
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石垣島住民投票は裁判で敗れた。

2020-08-29 04:30:32 | Peace Cafe


 なんと言うことか、未だに信じられない。石垣島住民投票は裁判によって出来ないことになった。8月27日に那覇地裁で開かれて、住民側が敗訴した。敗訴と言うより判断をしないと言う判決であった。いわゆる裁判の提訴の仕方が、おかしいので判断できないという、門前払い判決である。

 何というひどい裁判であろうか。世も末である。住民の権利がないがしろにされた。民主主義はどこに行くのか。これは中山市長の独善を認めるという判決である。市長のリコール以外に道はなくなった。判決理由は住民投票を行う条例がないからだそうだ。それは条例の不備と言う議会と市長の責任である。

 市長と議会の準備した形の整わない条例に踊らされた市民の権利はどこに行くのだろうか。4割の市民が自衛隊基地の是非の住民投票を希望した。この希望はどこに行くのだろうか。

 議会の多数派の賛成がなければ、住民投票が出来ないというのであれば、そもそも住民投票などいらない。多数派の意見を問題だとするから、住民投票が要求されたのだ。議会の判断や市長の判断は国の専権事項だから、拒否できないという程度である。これではこの島に住むすべての住民の権利はないがしろにされてもかまわないと言うことなる。

 住民投票をしないで自衛隊基地建設は進んでいる。住民投票をすれば、大多数の市民が反対だからだ。住民は間違いなく自衛隊基地を望んでいない。多くの住民が、自衛隊の的基地攻撃ミサイル基地が出来ることで、石垣島の安全は脅かされると考えている。

 軍事基地とはそういう物であろう。米軍の沖縄基地はアメリカの安全の為に、沖縄の棄権をないがしろにしたものだ。それほど軍事基地が作りたいのであれば、国会議事堂に作れば良い。まさに国の専権事項だ。何故、沖縄の軍事基地負担を増して行かなければならないのか。

 どうしても尖閣諸島が心配ならば、八重山諸島にもある無人島に作れば良い。何故石垣島の信仰の山である、於茂登岳の山腹に作らなければならないのか。まして島にとって命の水である水源地帯である。これほど理不尽なことが住民の意思を無視して作られて良いはずがない。

 この島で暮らす住民の意思が表明すら出来ない状況で自衛隊基地建設が進み、市有地が販売されている。これは民主主義の明らかな軽視である。島の未来はどうなるのだろう。観光とその関連産業で島の活性化を進めようとしていた方向は、これで大きく後退する。

以下八重山毎日新聞の記事である。

地裁「対象にならない」「不当判決」、控訴含め検討         
 【那覇】石垣市住民投票を求める会(金城龍太郎代表)のメンバーら30人が市に対して自治基本条例に基づく平得大俣への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票の義務付けを求めた訴訟の判決が27日、那覇地方裁判所であり、平山馨裁判長は住民投票の義務付けが訴えの対象となる処分に当たると解することはできないとして却下した。原告側は「不当判決」として控訴を含め今後、対応を検討する。
 訴訟は、市長の実施義務を規定する自治基本条例28条4項の解釈や住民投票実施の処分性などが争点となっていたが、判決では解釈に対する判断をせず訴えを退けた。
 処分性について判決は「その行為によって、国民の権利義務を形成しまたはその範囲を確定することが法律上認められたもの」と定義。
 原告側は「市長らに結果を尊重すべき義務を生じさせ、市の有権者が政治的意思を表明する法的地位を獲得するなど法律上の効果を有する以上、処分性はある」、市側は「住民投票の実施は一般的行為だから処分性はない。仮に実施されたとしても結果は何ら法的効果はなく、市の世論調査と大差ない」と主張していた。
 平山裁判長は「市長による規則等の制定や住民投票の執行は、いまだ直接個々の市民の権利を形成する法的効果を生じさせるものとはいえない」として義務付けの訴えの対象となる行政訴訟法上の処分に当たらないと判示した。
 自治基本条例28条4項に基づく市長の実施義務を巡る「所定の手続き」について、原告側は「規則等の制定」にあたり、条文によって義務付けられていると主張したが、平山裁判長は「規則等の制定自体は住民投票実施に先立つ規範定立行為にとどまり、一般的、抽象的な法的効果を有するにすぎず、処分に当たらない。義務付けの訴えの範疇を超えているといわざるを得ない」と指摘した。
■「市の主張が認められた」中山義隆市長
 住民投票義務付け訴訟の判決について中山義隆市長は27日夕、「市の主張を全面的に認めてもらったものと考えている」と述べた。
 「もともと地方自治法に基づいて手続きしたもの。1万4000人余りの署名が集まったことは非常に重く受けとめているが、法律に従った手続きとして議会に諮って、議会で否決されたので実施できないという判断。今回の判決は(市の)法令に従っての手順を適法だと認めていただいたと考えている」とした。
 判決が自治基本条例の解釈に言及していないことから、主張が否定されたわけではないとした原告側に対し、「裁判を起こすことが不適法ということなので、原告の判断は判決からすると合わない」と疑問視した。
 一方、住民投票については「国防に関する案件を一地方自治体の住民投票で決するというのはふさわしくない。住民投票自体を否定するものではないが、石垣配備を行政が判断するのは適さない。今後も私がこの件に関して住民投票を発議する考えはない」と従来の考えを示した。

 判決はまるで住民投票という物の、民主主義的な意味を評価していない。いわば、住民投票結果が基地反対であったところで法的な意味が無いのだから、住民投票をしなければならないというような意味が無いと延べている。

 確かに中山市長の主張するように、国の決めたことに住民が口を挟む権利がないと言わんばかりの判決である。これはあきらかな間違いである。住民が反対であるにもかかわらず、基地を作ることは出来ない。それが民主主義国家の基本である。

 今後は市長のリコール以外にない。住民投票が出来ない以上、市長リコールで住民の意思を表明すべきだ。それ以外に道は残されていない。ミサイル基地の島になるか。観光の島になるのか。大きな選択である。
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アベ氏の辞任は早いほうが良い。

2020-08-28 04:17:34 | Peace Cafe

 アベ氏は自分の体調に関して偽りを語っている。慶応病院でまず1ヶ月前に定期検診をして貰った。その際再検査が必要となり1週間前に行った。そしておとといになり、さらにその説明を受け、さらなる検査を受けた。こうして、慶応病院に3回行ったことに関して、体調の万全を期し全力で国政に当たる為としている。

 今晩、記者会見があると言うことだ。私の推測では健康には問題が無いというのだと思う。本当のことはいつも言えない。しかし、アベ時代は終わったのだ。何の成果も上げられず終わろうとしている。

 確かに病状のことだから、あれこれ穿鑿することは趣味の良いことではない。しかし、アベ氏は総理大臣である。どんな体調で執務を取るかは国民には重要な問題である。真実を知らないままで良いようなことではない。明日の暮らしに影響してくることなのだ。特にコロナが蔓延する状況では、ゴーツートラベルの結果で分かるように待ったなしの正確な判断を必要としている。

 分かる範囲で状況を推測すると、検査を繰り返しているのではなく治療を受けていると考えるのが自然である。もし検査だけであれば、これは相当に深刻な難しい検査を繰り返していると言うことになるだろう。医療的に判断できないような状況と言うことになる。普通ならあり得ない。

 前回の退任の理由であった、潰瘍性大腸炎の再発と言うことになるのだろう。前回の時も見た目はそれほど変わることはなかった。顔色が悪いという人も居たが、私には仮病のずる休みのような感じさえした。その後の復活は新しい薬が出現したためとされている。薬というのは長く使い続けると問題が無いとは言えないだろう。効果が薄れると言うこともある。

 潰瘍性大腸炎、難病と言われている。その難病からの回復が効果的な新薬のためと言うことだった。その薬ですべてが改善されるのであれば、難病などとは言われない。その薬も長く使っていると問題が出てくる可能性はある。

 どんなに良い薬であっても、その当たりの調整を慶応病院でしているのでは無いだろうか。全くの憶測であるが。総理大臣の体調は憶測せざるえないほど重要なことだ。報道は遠慮気味であるが、踏み込んで調査報道すべきことだ。

 最長の政権となった今、潔く総理の座から離れることが最善の選択である。総理大臣としてこれだけ長く国政を預かりながら、これと行ったことが出来なかったアベ氏である。アベのミックスは買いだ。ぐらいだろうか。成功とは言えない。新しい産業はついに現われない。その人が政権末期の今となって、病気が心配される状況で何かを成し遂げられるはずがない。

 こうして一度出た体調不安説は消えることはない。とくにアベ後の政権闘争が活発になれば収まることはないだろう。政治という物は終わる物に容赦は無い。もう何も出来ない政権になると考えることが普通ではないだろうか。

 コロナのことを考えてみてもここで政府の人心を一新することは最善の選択となるだろう。幸い第2波も落ち着いてきた。何とか収まる方向で頑張ればなんとかなりそうである。これから、新しいコロナ対策、経済政策と気持ちを入れ替えて進めなくてはならないときだ。絶好の機会とも言える。これ以上やれば、晩節を汚すと言うことになるに違いない。

 総理大臣の辞任、内閣改造は日本のためには悪い選択ではない。ここは最長政権の名に恥じない引き際が必要である。すべては日本のためである。個人の執着心で日本の方角を間違ってはならない。引き際くらいは潔くして貰いたい。

 日本は大きな曲がり角にある。地方の時代を作り出すためにも新しい総理大臣の下、気持ちをそろえて出発するべき時だ。在宅勤務や企業のIT化もこの機会に世界レベルに追いつかなければならない。アベ時代に完全に世界から取り残された。

 アベ政権は戦後最悪の政権だったと思う。私がそう考えるとすれば、最良の政権だったと考える人も必ず居るのだと思う。政治という物は見る角度や、立場が異なればそういう物だろう。だから権力は長期化することで腐敗する。アベ政権を良しとする人はアベ政権の恩恵を受けている人達を中心にしている。

 忖度政治はそういう物だ。忖度政治は辞任が見えてくれば、手のひらを返したように人が離れて行く。官僚の忖度もなくなる。次を考えれば当然である。アベ政権はどうせなにも出来ないのだ。

 アベ支持者は既得権を持つ人達が中心だ。例えば原子力関連の人達。原発がなくなれば、自分たちの居場所がなくなる。日本のためと言うよりも、屁理屈を付けても原子力にしがみつく。これがアベ岩盤支持層である。今の日本の枠組みをもう変えなければ日本は終わりになる。

 これは安易な気持ちで書いているのでは無い。病気らしいアベ氏には申し訳ないことではあるが、日本の未来のためだ。日本というすばらしい文化と国土の国をなんとしても立ち直らせる必要がある。それが出来なければ、戦後世代はご先祖にも顔向けが出来ない。病気という理由が出来たいまこそ、退任する良い機会である。

 この日本の苦境をアベ自民党は明治帝国に戻すことに乗り切ろうとした。しかし、この無理な方向転換はさらに日本に未来を見る眼を失わせた。過去の栄光に戻ろうという意識ばかりが目立ち、自分だけの利益に終始する集団が目に余る行動を取るようになった。

 これがアベ長期政権の姿である。日本が心機一転して再出発するためには、まずアベ氏が辞任することだ。そこからやり直す以外にない。アベ氏は既得権益集団だから、止めさせない圧力はすごい物があるだろう。しかし、アベ氏がいくらかでも日本のことを思うのであれば、それを振り切り辞任することである。

 今晩、記者会見がある。全く体調に問題は無いと言い出すのではないかと心配している。総理大臣であれば、気が休まることなど一時もないはずだ。持病があり、病院通いを続けている大腸炎の人が神経的に耐えきれる物ではない。アベ氏としてはやれることは限界までやったと言うことだろう。もう十分ではないか。

 もうこれ以上続けたところで、求心力が弱まった以上憲法改定も間違っても出来ない。次の総裁選びの道筋を着けて、辞任するのが選びうる唯一の道だ。それがアベ氏を支持しないとする、多数派の国民の願いである。


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日本が赤字国債をいくらでも発行する理由

2020-08-27 04:42:33 | 暮らし


 塚崎公義氏という経済評論家の方が、日本政府が赤字国債をいくら発行しても倒産しない理由を、ダイアモンドオンラインで分かりやすく説明していた。初めてそういうことなのかと納得がいった。読んでいただくのが一番なのだが、理解も整理したいので、ここに理解したことを書いてみたい。

 全体の仕組みは簡単のようである。分かった範囲の結論から書けば、日本の投資家にとって日本の国債が一番安全で確実な投資先だからと言うことである。つまり安全な投資方法がないと言うことになる。教えて貰えば確かにその通りで、投資家のこの考え方に気付かなかった。

 日本の投資家は安全な投資先が他にないという状態に置かれている。他の投資先のリスクが年々高まっている。海外の国債に投資すれば、利益は大きいかもしれないが、為替リスクが存在する。そこで、仕方がなく比較すれば安全な日本国債を購入する。

 この仕方なくは日本人が日本と言う運命共同体の中にいるということである。この先どれほど日本が危うくなろうとも、外国に逃げ出すよりはまだ日本にいた方が、ましだという程度である。それほど世界経済は大変なことになるとみている。

 外国の企業の株式に投資すると、為替リスクという違う要素も加わる。大多数の投資家はそこまではしない。日本の国債は値上がりはしないかもしれないが額面で買い戻してはくれる保障がある。その保障も不確実であるが、日銀が倒産するときはどのみち、日本の倒産である。

 ここが一番理解していなかったところだ。日本国がダメになる状態を想定したとすれば、どのみちすべてがダメなのだ。もうすべてがどうにもならないのだから、そのリスクを考えてみても無駄だと言うことになる。と言うことはこの最悪の状況にみんなで渡れば怖くない状態なのかもしれない。しかい、心配してもどうしようもないことなので諦めているらしい。

 現状では一部の投資家は相変わらず高リスク高リターンにも手を出している。それが日本の株価の高止まり現象である。株価はGDPの下落幅は下げて良いはずである。株が暴落して戻らなくなったときが一つの目安であろう。日銀が倒産する前に株価の暴落が起こるはずだ。その前に地方銀行が倒産する。あるいは円が急落する。ハイパーインフレが起こる。

 こうしたことが起こるまでは日本国債はかろうじて安全な投資先と言うことらしい。確かに市中銀行の方が先に倒産するだろう。貯金よりも安全と言うことになる。1000万円の預金の補償と言っても日銀が潰れ留自体となれば、それもないだろう。

 日本の株価は私から見れば異様に高値である。生産が落ちているのだ。ところが、株価が景気と連動しないように実はお金の有効な行き場がないために、株式投資がマネーゲームとして行われている。それはJALやANNの株式があれほど客が減少しても、値上がりしたような現象である。

 みんなで渡れば怖くないで、誰が利益を得て早く降りるかを競っているようないわゆるチキンレースだ。株価の動きをコンピュターが判断していて、つまりマネーゲームの動きを想定しているソフトの判断で、かなりの量の株の売買が行われている。みんなが買い始めればいち早く買い、利益を出せば売りに回る。株価の動きを正確にコンピューターソフトが読んでいるらしい。

 使い道のないお金が利益を求めて動く。そうしたお金の車庫のような場所が日本国債と言うことらしい。そこで問題になるのはその国債を投資家でなく、銀行や日銀以外には徐々に買わなくなっている現状をどう考えれば良いかである。

 個人向け国債の発行額は4月債が6200億円だったのが、5月債は前年同月比85%減の563億円、6月債も同82%減の663億円と激減した。4-6月期の累計では前年同期比35%減の7425億円で、今年度発行計画4.8兆円に対する販売進捗(しんちょく)率は15%にとどまる。

 投資先として国債は選択されなくなっているようだ。理由やいくつもあるが、国債を買うメリットが減少している結果。その結果発行した日銀が買う比率が高まり、50%以上を日銀が購入している。それはにほんのGDPとほぼ同じ額である。

 本来であれば、市中銀行や証券会社が国債を購入し、販売するのが健全と言えるのだろう。日本国債の約9割は日本銀行や、そのほかの銀行や生命保険会社などの金融機関で保有している。市中銀行や証券会社は購入した物を販売する。

 ところが販売先の一般の人が余り購入しなくなった、一方で政府がよりお金を必要とするようになった。そこで発行した日銀自身が買い付けるほか無いという状況が次第に高まっている。これは法律としては禁止されているのだが、特例と言うことになる。

 財政法第5条では以下のように決まっている。
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

 それでも銀行が国債を購入するというのは、銀行も利益の出る貸し付けが出来ないので、国債を買うしかないという状況が生まれているのだと思う。銀行にしてみて、国債より良い投資先があれば、そこに投資するはずだ。

 ここまでは分かったのだが、日本は倒産しないわけではなくて、国債を買う人が居る間は国債を出し続けると言うことのようだ。ただ、国債を買う銀行だって倒産はする。いつか日銀だって倒産する。このことについては相変わらずよく分からない。

 しかし、今のところは円の値下がり、インフレ、株価の暴落、銀行の倒産、こういうことは起きては居ない。こういうことが起きない手前までは国債を発行できると言うことなのだろう。もうそれ以外手段がないので危ない違法行為は承知で、国は国債を発行し続けていると言うことのようだ。
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安倍総理大臣の土下座像

2020-08-26 04:30:45 | Peace Cafe


 アベ総理大臣の土下座像は衝撃的な物であった。未だどう考えて良いのか判断がつかないところがある。制作した人への怒りが判断を狂わせている。アベ氏は大嫌いであるが、それとは別な話で日本人としてさすがに耐えがたい物である。それでもあれは作品という要素はあるのだろうか考えなければならない。

 自分の植物園にアベ土下座像を設置する神経はすごい。植物園にお客さんが増えると感じる要素が韓国にはあると考えていいのだろうか。その植物園主はそもそも学生時代は左翼運動をしていたという。いくらかは知性のある人間と考えてもいいのだろう。

 たしかに政治的な表現として、これほど衝撃的な表現のものは少ない。従軍慰安婦少女像の象徴性に比べて、この具体性には表現としての衝撃が高まっている。しかし、これを作品と呼んでいいものかどうか疑問がある。芸術作品と言うより、悪意ののろい像のような物かもしれない。

 テレビ映像で見る限りアベ土下座像は作品とは言えない張りぼてである。私には彫刻には見えなかった。さすがに狭い悪意に満ちた物では作品にはならないということか。張りぼてが土下座して謝罪したところで、内容が伴わない。張りぼて像は造る側の真剣さも無いと言うことが分かる。作品の本当の強さはその表現に対する世界観である。間違った狭い考えでは作品を支える世界観にはなり得ない。

 アベ土下座像は狭い一面的な怒りだけで作られたものだろう。人間の謝罪と言うことがどういうことであるかまで、思想が伴っていない。大げさなようだが、もしここでの怒りが、真実のものであれば謝罪する人間像として、後世に残り評価される作品になることだろう。そして見る人をも変える力を持つ。

 この像が生み出した結果は日韓の憎しみの増幅である。悪い物は悪い結果しか残さない。

 金次郎像にも似たような意味がある。報徳思想の象徴と言うことは分かるが、この意味の曖昧な像が戦争教育にも利用された歴史がある。その利用された事実を認め、報徳教団は組織として謝罪をしたことが無いのだろう。報徳会はそこが曖昧である。曖昧であるままに金次郎像を未だ立て続けている。立派な人も居るだけに残念なことだ。

 金沢にいた頃金次郎像にペンキをかけたと言うことで、捕まった人が居た。裁判を学生運動のある組織が支援していた。保釈されている間にその人が窃盗の罪で再逮捕された。そしてどこかに行方不明になった。警察の暗い部分を感じたが、どこに真実があったのかはわからない。

 その人は戦時中の記憶が金次郎像の前に来たときに、突然思い出されたのだそうだ。小学校の軍国教育である。こいつが悪かったせいで、自分の人生は狂ったとおもった。そこで仕事帰りで持っていたペンキをぶちまけたらしい。それは嘘ではないと思う。金次郎像が妙なトラウマになることもある。

 子供の私は風呂焚き用の薪を集めることが役割だった。薪を背負った金次郎ではないが、いつも薪を探していた。薪集めは一番好きな仕事だったかもしれない。役立つと言うことは嬉しいことだった。風呂を焚いてみんなに一風呂浴びてもらえる。

 まさかそんな面白いことをやるときに、勉強なぞ思い出すことはない。薪を取るなら薪だけで良い。勉強をするなら勉強だけをすべきだ。子供の私にもそのくらいのことは分かっていた。好きなことに一意専心である。だから金次郎像は嫌いだ。二宮尊徳という人まで誤解する原因になった。地域農業の先達としての尊徳の重要性が隠れてしまった。

 その意味でいえば、アベ土下座像は作った人の意図は成功したのだと思う。韓国の国情が生み出した像である。日本を憎み、アベ氏を恨み、張りぼて像を造った。金次郎像が彫刻として少しも面白くないのは、出世礼賛像というインチキがあるので、張りぼてにしか成らなかったのだ。張りぼて金次郎像は、二宮尊徳という人間までおかしくした。小田原の人にはこのことに気付かない人が多かった。

 しかし、アベ氏を諸悪の根源認定したとしても、あのアベ氏の土下座像には受け入れがたい物がある。人間の尊厳である自由は、尊厳のある行為を通して守らなければ守ることは出来ない。謝罪というテーマで作品を作り、世界にアピールできるところまで行うべきだ。

 現代韓国の芸術文化の認識の低さを世界に指している像になる。韓国人はこの程度作品レベルの物を守ろうとしているのかと、見る人は見ていると思う。同じ朝鮮の人が作った、百済観音や興福寺の弥勒菩薩像を思い出すべきだ。日本人に文化という物を教えてくれたのではなかったのか。

 思想の深さが違うのだと思う。そうした謝罪しなければならない悪行すら、許し合う深い人間像である。韓国の人が芸術の世界を知る民である。同時代人として、日本より作品のレベルが高いと何度か感じたことがある。レベルの高いはずの韓国人が何故あの像を受け入れているのかがよく分からない。

 ヒットラーの土下座像をユダヤ人収容所跡地に造るというようなことはありうるのだろうか。人類すべての謝罪という意味の土下座像表現はあり得るのだろう。たぶんそれはヒットラーの間違った理解に繋がる像になるだろう。謝罪しない人間を銅像によって謝罪させる意味は、やはり人間の否定である。謝罪は心からの物で無い限り、無意味ではないだろうか。

 アベ氏は言葉では何度も謝罪をしている。不可逆的な解決とした、朴 槿恵政権との従軍慰安婦問題解決のさいも、日本政府の認識として、従軍慰安婦を認め謝罪を行っている。ところがこの重いはずの謝罪が、謝罪にならなかったのだ。謝罪という物は許しを得るまで繰り返すほかないということなのだろう。

 日本政府が謝罪をすると言うことは、その気持ちが日本外交の形に具体的ににあらわれていなければなら無いと言うことだろう。不可逆的解決とは、韓国は従軍慰安婦問題を二度と持ち出さない代わりに、日本は韓国に対して不可逆的に謝罪の姿勢を取り続けるという意味なのだろう。終わったと言うことではなく、永遠に続くという意味なのだ。

 ところが、日本はこれですべてが帳消しになったというような空気になった。これが韓国に反感を起こしたのだ。少女像の撤去を出来ないのは不誠実ではないか。むしろ居丈高な対応が強くなった。このためにせっかくの不可逆的解決という関係の正常化への道が、又元に戻されたのだ。

 ヒットラーのユダヤ人虐殺はヒットラーだけの問題ではない。ドイツ人すべての問題であるし、掘り下げて考えれば、人類すべてが負わなければならない罪だ。人類としての反省が出来ないが故に、トランプやプーチンや習近平や安倍晋三が何度でも現われるわけだ。

 自分は関係ないと考える人が居ては成らないことなのだと思う。日本人が行った、アジアでの1000万人という戦争死者を人ごとではなく反省しなければならない。加害者としての日本人を思い出さなければならない。ここには言い訳などいらないのだ。


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石垣市桃林寺「大衆禅堂」と笹村アトリエ

2020-08-25 04:08:02 | 暮らし


 石垣島で一番古いお寺が桃林寺である。石垣島にお寺は8つある。桃林寺の裏の歩いて2分ほどの所に私の家はある。どこに行くにしても前をよく通る。仁王像が山門に構えている。この仁王像は明和の大津波で一度流されてしまったそうだ。それが崎枝湾に幸運なことに流れ着いた。何という不思議か。

 仁王像はいかにも江戸時代の作風である。一見閻魔大王を思わせる像である。すこし見世物風の大仰しい風貌である。江戸時代の人の好みが残っているところが、石垣島の当時の気風をも想像される。七夕に開張される、桃林寺の地獄絵図と同じ系譜の作風だと感じた。桃林寺の入口には大衆禅堂の大看板が掲げられている。

  そういえば、桃林寺では絵図の公開が行われている。七夕と言われていたが、今がそういう時期にあたるのだろうか。公開と行っても本堂の扉は閉じられているから、黙って入っていいものか迷うところである。

 桃林寺は臨済宗の妙心寺派の寺院と言うことらしい。沖縄に仏教寺院が沢山出来たのは江戸時代である。檀家制度を作り庶民の統制を取ろうとした江戸幕府の統治手法のは波及ではないだろうか。薩摩藩を通して、琉球王にまで及び、それが石垣まで来たわけだ。琉球王国第二尚氏王朝7代目国王尚寧王によって、1614年に鑑翁西堂を開山とし桃林寺は創建されたとある。

 妙心寺は臨済禅の本山である。座禅は面壁ではなく、堂の中を向いて座ると聞いている。どういういきさつで臨済宗のお寺になったのかは分からないが、創建当時は真言宗とある。このように宗派が変わる寺院は案外に多い。私の生まれた向昌院も江戸時代に曹洞宗に変わった。それにしても臨済宗のお寺は少ないからめずらしいことだと思う。

 叔父の彫刻家の草家人の長女は奈良の妙心寺派の寺院に嫁いだ。いとこに当たる。私の家で長く一緒に暮らしていた人なのだが、今は生きているのか死んだのかも分からなくなってしまった。草家人がどこかの100歳のお坊さんの像を造った縁と言うことを聞いた。

 桃林寺では少し前までは、土曜参禅会が行われていたらしい。今は行われては居ない。旅行できていたときにはまだ参禅会があった。家のそばで参禅をしていると言うことで少し緊張した。引っ越してきてみたら、止めたと言うことで何かほっとした所もある。

 妙心寺系のお寺では大衆禅堂という活動が行われている。妙心寺では今も続けられている。まず住職が土曜日の夜には参禅会を開くことになっている。よほど真面目な坊さんでなければ続けられるものではない。桃林寺さんのご住職もきっと若い頃には妙心寺で修行されたのだろう。

 ご住職には家の上棟式の時に祭事を取り計らっていただいた。お寺さんが建前の祈祷も行うというのは、おかしいことのようだが、田舎では普通のことである。山梨の向昌院でも子供の頃おじいさんである住職は、上棟式に出かけていった。帰りにはおぶっくを貰ってきてくれた。おぶっくはお菓子のことである。建前では屋根の上から、お菓子を撒いたのだ。

 あのいわゆる駄菓子がなんと美味しかったことか。少し古びたような味まで懐かしい。お菓子を食べるというようなことが、全くなかった子供時代である。ヤマメ、蜂蜜、栗虫、随分美味しい物を食べていたのに、建前の時の駄菓子の方が記憶に残るほど美味しかったわけだ。

 桃林寺の前には大衆禅堂と言う看板のことである。本山である妙心寺の説明によると、大衆禅堂とは在家の方、一般の方を対象とした坐禅会を行う場とある。やはり、妙心寺の布教活動の一環として土曜の夜の座禅会が行われていたと言うことと考えていいようだ。

 私が参禅させていただいた、茅野の頼岳寺では参禅道場という看板が山門にあった。こう言う言葉の違いに、臨済禅と曹洞禅の違いのような物を感じる。曹洞禅の方が構えが厳しい。道元の姿勢を考えれば当然のことだろう。大衆、庶民、布教、葬式も眼中になかったのだ。



 家の表札には笹村アトリエ書いた。家を作るより大分前に表札だけは書いてあった。石垣島に心機一転のアトリエを作るという気持ちだった。笹村アトリエは、絵を見る場である。作業として絵を描くのは車アトリエである。

 おかしな事のようだが、家のアトリエで実際に絵を描くと言うことはない。これは小田原でも、山北にいたときでも同じだ。もう30年になる絵の描き方である。水彩画を始めてから、現場での写生で絵を描くようになった。

 アトリエは絵と対峙する場である。アトリエで描いた絵と向かい合っている。絵を描く時間よりもはるかに長い。アトリエでは絶対に描かないようにして居る。絵の具や筆を出してない。出してあるのは書の道具だけだ。

 アトリエは絵と対峙するのだから、良い空間でなければ成らない。そうでなければ絵が見えてこない。良い空間とは物理的な光とか、絵までの空間の広さとか、壁の色と床の色、様々あるわけだが。それ以上に重要なことは空間の濃密さのような物だ。空気を乱す余計な物があってはダメと言うことがある。

 アトリエには真剣な空気が満ちてこなければならない。だから、夜の修行として掃除をする。床を磨きながら自分を磨く。日々掃除をしている内にどこかアトリエの空気が参禅道場の緊張感のある空気に変わってくる。そこではじめて絵と向かい合えることになる。

 動禅もアトリエで行う。動禅を行うことで、空気が変わった。いつもだらだらしているのに、さすがに緊張感が生まれた。2年という歳月だろう。アトリエにも時間が籠って行く。

 やはり笹村アトリエには大衆はいない。布教の方はそもそもその種が私の中にない。あくまで私のことだけの場だ。だからどちらかと言えば、監獄のような空気である。窓も高いところに一つだけである。天窓は4つあるのだが、明かり取りで開放感というような感じはない。

 車アトリエで描いているときには何かを考えているわけでは無い。その場に反応しているだけだ。思わぬ面白い事が起こることもあれば、とんでもないこともある。何故なんだろうと家で絵を眺めて、方角を見定めている。方角を見定めては、又描きに行く。

 絵を見るとき一番大事なことは場の空気である。緩んでいれば、やはり絵は見えてこない。良い美術館には切り済ましたような緊迫感がある。自分という存在のすべてをかけて絵画と向かい合うこと。そうした真剣勝負が出来る場が必要だ。参禅道場というのはそういう場だと思う。

 だから、アトリエはそこを育て磨き上げる生活という物が無ければならない。草家人の棡原にあったアトリエはなかなかすごいアトリエだった。今もそのままに残してあると聞いている。石垣島のアトリエもそういう場にすこしづつ育ってきている。

 今度車アトリエを変えることになっている。好きな軽トラアトリエである。どんなものになるかまだ分からないが、10月に出来てくる約束である。描きやすい四角い箱を軽トラに載せる予定だ。今のタントアトリエがダメになってきたので、買い換えである。
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書に書く良い文字について

2020-08-24 03:59:37 | 水彩画


 昨日は誕生日だったので、七一歳笹村出とでも書こうかなと思った。書は改めて書くというのではなかなか書かないものだ。それでいつでも書けるように硯と筆は座り机に出してある。墨をゆっくりと摺り、気持ちが整ったらば書く。それだけのことだが、何か居合い切りのような気分になる。

 書には手直しのような物はない。そこが書の魅力だろう。その時の切り取りがすべてだ。絵のように悩まなくていい。どんな出来上がりであれ、字を書いたときが完成である。後は署名と印鑑の場所ぐらいだ。行為そのものがきっぱりとしていて、なんとも爽快である。

 書はうまい下手は全くない。その人の字が見たいのであって、上手な字が見たいのであれば、代書屋さんの字で充分だろう。人柄も知らない人の字は正直どうでも良い。中川一政氏という人物がすばらしいから、その人のよすがとなる字を見たいのである。

 人によっては乃木大将の字が良いとか。西郷隆盛の書を持っているとか。あるいは野口英世の字は別格だとか。今なら藤井聡太の書が欲しいとか。別段書の専門家の書を見たいわけではない。その書いた人の精神を感じることが出来るのが書だ。だから、書道家などという存在は本来あり得ない芸術が書だ。

 書く文字を選ぶところが先ずは面白い。普通は立派な言葉を書くことになっているようだが、天邪鬼としてはそういうことはしたくもない。もっともらしい書は大嫌いだ。言葉として意味を持たない物の方が書を書くときの気分である。

 写真のように、〇△▢と言うような書もある。不立文字と言うことなのだろう。言葉には出来ない悟りの世界を表しているというような理屈の説明がついているのだろう。そういうことより、坊主の突っ張った気分と私は読む。

 石垣島に来てからは石敢當という字も書くようになった。街角に良くあるので、ついつい書く。面白い字である。中国のおまじないのような言葉らしい。何でも良いが意味が無い文字が好きだ。おまじないで意味が無いので書いている。

 申し訳ないが、一番嫌いなのが、相田みつおさんのような思いたっぷりの文句だ。字は嫌いと言うほどでもないが、あの善人嫌みのたっぷりの感じが良くもヌケヌケト、と感じてしまう。天邪鬼の性だとは分かっているが、書には好き嫌いしかないのだから、許して貰う。

 南海晴 北山雨という字は山北にいたときにはよく書いた。山小屋の前にその日の天気予報を掲げる木札のイメージである。黒板にチョークでかく書である。山小屋の親父さんがこわばった手で、力強く一日晴れと書いた感じだ。

 実際には紙に墨だが、書はそんな気持ちで書きたいと言うことで。字の形にはそもそもの力があるから、書かないより書いたことで別物に変わるのだ。書いたことで起こる魔力のような物が字にはある。

 正月になると書くのは立春大吉と決めている。おめでたいと言うことは良い。書くことでおめでたくなるのだ。禅寺では正月に貼ることになっている。生まれた向昌院は極寒の場所でこの寒い日に、立春大吉とはどういうことかと子供心に思った記憶がある。

 新年にもう一つ新しく掲げたのが、鎮防火燭である。火の用心というわけだ。こう言う実用の文字には良さがある。母が亡くなったときに、弟である叔父さんが、何故か俗名を書いた位牌と、鎮防火燭と書いたお札を持ってきてくれた。おじさんとしては沢山書いていて、得意な文字だったのだろうか。

 どうも笹村の家にある、邪鬼のような物を追い払いたいと思ったのではないかと思っている。おじさんの中にある死んだ姉に対する実に様々な思いが、鎮防火燭の中にあふれ出ていて、これでこの家は火事にはなりませんねとつい、心にもないつまらないことを口にしてしまった。そのおじさんもとうに亡くなった。

 お寺にまつわる言葉というのは大抵は抹香臭いので書く気にはなれないのだが。脚下照顧、言語道断、不可思議、自業自得、ぐらいならば書いてもいいかと思う。脚下照顧とお寺の入口には書いてあるものだ。この言葉はおまえは何者だ。と尋ねてきた人に問うていると受け止めている。

 相撲取りが昇進するときに言う言葉も書くと強そうで面白い、若乃花「一意専心」琴奨菊「万理一空」貴乃花「不撓不屈」武双山「正々堂々」白鵬「全身全霊」琴光喜「力戦奮闘」若乃花 「堅忍不抜」双羽黒「心技体」

 百姓のつもりだから、種袋とか、保存というような字もよく書く。これは百姓が実用のために記したような様子が好きだからだ。醤油絞り袋とか、小豆保存袋というのもいい。米保存袋はもちろん書く。こう言う文字は柿渋で染めた布に描くと古びていいものだ。農の会というのも看板として良く書いた。

 自家採種。有機農業。不耕起。堆肥場。一反百姓。こう言う農にまつわる言葉を書くのは良い。日月星という文字も好きだ。宇宙という意味に呼んでいる。大雄山最乗寺の参道にこの文字が石に刻まれている。江戸の遊女が寄進したと伝えられている。月星日となるとこれはウグイスの声という意味らしい。

 
 普通。当たり前。当然。こう言う文字も悪くないと思っている。水土人天というのも好きだ。これを見た石垣の人が、石垣には土人が居るという意味かと怒られた。全くそんなわけではないのだが、機動隊員が、デモに押しかける沖縄の人を「この土人」と罵倒したことが頭に残っていたのだろう。

 できるだけ風流でない方が好きだ。激突とか、突破と言うような言葉の書が、須田克太氏にはある。須田氏の書は描き方もすごい。まず真っ黒に塗った紙に白で字を浮かび上がらせて行く書がある。これも実に素晴らしいものだ。もちろん須田克太氏の生き様そのままだ。

 中川一政氏の書はすばらしい中でも最高の物だと思う。特に最晩年の物はすごい迫力である。その書の中に、自分の中川一政という文字をまず鉛筆で書いてから、中川一政としたためたものがあった。本当に自由だ。その鉛筆の下書きをまるで外して書いている。

 家に見えた人が、壁に貼り付けてある文字を見て、どういう意味なのか。どういう意味なのかとひつように聞くのだ。意味は別に無いというように説明しても、ごまかしているというか、意味が分からないと思って、軽く見ているのだろうと言うことで少し怒りだしてしまった。本当にただ字を書くのが好きなのだ。落書きである。

 あえて説明をすれば意味のある字が書きたくないのだ。文字を選ぶ理由はあくまで見た目である。見た目の良い文字を選んでいる。

「黒漆崑崙夜裡走」「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」「只管打坐」「平常心是道」「行雲流水」「本来無一物」 「非思量」今度はこう言う立派な言葉を書いてみるか。身程不知と言うことになるか。
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第15回 水彩画 日曜展示

2020-08-23 04:34:52 | 水彩画
第15回 水彩画 日曜展示






 46,「鳥が飛ぶ」1
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020.7







 47「鳥が飛ぶ」2
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020.7
 






 48,「鳥が飛ぶ」3
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020.7






 49,「鳥が飛ぶ」4
 中判全紙 クラシコ・ファブリアーノ
 2020.7


 鳥の絵を四点描いた。何で鳥の絵が突然出てきたのか自分でも不思議なのだが、アカショウビンをカラスの大群から助けたからだと思う。アカショウビンは好きな鳥だ。好きな鳥を助けてあげることが出来たので、嬉しくなった。

 そのアカショウビンは絵を描いている車のそばに静かに置いて、枯れ葉で隠しておいた。全く動かなかったからだ。絵を描き終えて家に帰るときに、もう一度見たらなんと居なかったのだ。まだか助からないだろうと思っていたので、幸せな気分一杯になった。

 それから鳥の飛ぶ姿についつい目が行く。鳥が飛ぶと空間という物に意識が変わる。描いている空間の位置のような物がはっきりとする。そんな気持ちで最初の鳥の絵が出てきた。いつも通り何か考えていると言うことでもないので、こうなったんだなと言うことだ。

 それからもう少し書いてみても良いかも知らないと、続けて後三点描いた。2枚目ぐらいまではまあ良いかと思って、3,4,と進んだらどこか絵が面白くなくなった。絵を作っている感じが出てきた。ドンドンやり過ぎになっている。

 やはり、絵は見えているものを描くものだと思う。空想で描いているとおかしな絵になる。そういう自戒を込めて、四点展示することにした。

 
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ドコモ・リボ払い詐欺まがい商法

2020-08-22 04:02:15 | Peace Cafe


 目の前に見える島が竹富島である。橋が架かりそうなほど近い。アクアブリッジが4424mで日本一。宮古島の観光名所になった伊良部大橋は全長3540mだ。石垣島と竹富島は6キロは長すぎるか。

 竹富島は古い家並みの景観保存がされていて、見事な観光地だ。手前の黄色に草の枯れた場所が、牧草地の草を刈った後の姿である。海との間には森のような斜面が続き、その中には別荘があるのだろうか。降りていったことはない。

 この亜熱帯の海岸に続く森を書いている。草の海と言うが、木の海である。そして塩水の本当の海。すべて地球というものがあり、その上の違いだ。そこには太陽から光が当たり、同じに反映している。

 ドコモには「クソ野郎」メモというものがある。これをお客さんに渡してしまい、一大騒動になった。私の記録にもクソ野郎とメモされているに違いない。クソ野郎とはいくらでもカモに出来る面倒だが金になる客という意味だ。

 いままで恥ずかしくてブログに書くことさえも出来なかったドコモ・リボ払い詐欺まがい商法で、詐欺された経験がある。知らないうちにリボ払いにしてしまう商法にはめられていたのだ。騙されたのはドコモのプラチナカードの入会の時である。お得の説明が長々と続けるのが手法だ。

 しかもこのカードのポイントでも詐欺にあった。いくらまで購入すればというものが、実はポイントで購入すればであり、カードで購入すれば良いというのではなかった。その説明は全くなかった。

 オレオレ詐欺に遭った被害者が自己嫌悪感で、家族にも話せないと言う心情がよく分かる。思い返すたびに騙された自分を情けなく思う。今思えば何故気付かなかったのか、あまりの愚かさに驚くのだが、やはり詐欺というのはそういう仕組みが隠されている。

 ドコモ店舗にはクソ野郎詐欺手順書があるのではないだろうか。どうやってリボ払いを説明せずに、加入させるか。どうやってポイントとカード払いを混同させるか。知らない間に途中から有料になるアプリを入れてしまうか。様々説明をしながら混乱させてしまう方法の手順などである。

 あえて、今回書いておくのは「隠れリボ払いの懺悔録」である。懺悔すれば少しは気も楽になるだろうか。今も書くのをよそうかと思うから、そうでもなさそうだ。こんなクソ野郎は自分だけなのかもしれない。と思っていた。

 ところが八重山毎日新聞ではリボ払い詐欺の話が、何度か特集されている。消費生活センターの記事である。この記事でリボ払い詐欺に遭ったのは私だけではないと言うことが分かったので、恥の体験記を書いておく。

 ドコモではあれやこれやいくつも騙されてはいるのだが、リボ払い詐欺にあったのは大枚71.000円である。実はドコモカードに入る時点では、「リボ払い」がなんたる物かも知らなかった。これがサラ金が肩代わりで先払いしてくれる仕組みだと明確に分かるようになっていれば、まさか騙されなかった。

 さりげなく、じゃお払いはリボ払いにしときましょうね。限度は1万円にしておきますね。機種の操作の説明を受けている間に、一瞬に説明が紛れ込まされていたのだ。2時間もの間あれやこれや説明を聞かされて頭がボーとしている、その最後にさりげなく挟み込まれたので、何のことか分からなかった。今思えばリボ払いって何ですかと聞けば良かったのだ。キクは一時の恥をうまく突かれた。

 あれこれ分からないので、質問ぜめでうんざりさせていた後なので、聞き慣れないリボ払いを聞けなかったのだ。銀行に残高がないときに、1万円まで貸してくれるというシステムで、別に借りなければ大丈夫だと勝手に解釈してしまった。

 たしかに、今思えばそういう言葉をかけられた記憶があるのだ。もう契約したのは大分前のことだったので、おぼろげながらの記憶だけだが。リボ払いという物が、実は大嫌いなサラリーローンの加入とはまさかのことである。

 銀行に残高があるから大丈夫だと思って、できるだけネット購入をドコモカードで購入していた。自分の認識ではドコモカードで商品や電話代を購入すると、自分の銀行口座から引き落とされるだけだと思っていた。何か落ちる額が違うと言うのはなんとなく分かっては居たのだ。航空券のキャンセルなど、大きいキャンセルがいろいろあってそういうことかなど思ってしまった。

 ところが1万円を越えた代金はすべて、借金をして購入したことに成っていたのだ。これがちりも積もり、気付いたときには利息だけで71.000円にもなっていたのだ。ドコモカードで購入すれば、ポイントがつきますよ。何度もドコモカードを利用すればキャッシュレスです。という甘言である。リボ払いという借金をしているとは全く気付いても居なかった。

 借金など全くしたくなかったのだ。銀行からの引き落としを正しく確認していなかった私が馬鹿だったのだ。これは反省しているが、ネットでいつ何を買ったのかを管理できなかった。あれこれ購入して、頭から銀行から落ちていると思い込んでいたのだ。そういういい加減なところがあったのだ。

 あの頃はまだドコモを信頼していた。と言うか電電公社だとドコモのことを考えていた。今思えば一番気をつけなければいけない、クソ野郎商法の危険なドコモ店舗だったのだ。まさかのリボ払いで、抗議をした。ドコモの店舗では、これは私たちとはもう関係ないのですよと切り捨てられた。

 紹介された相手の主張は私どもはローン会社でドコモではありませんと主張する。この切り離しが詐欺商法の仕組みなのだ。ドコモがどんな説明をしているのか。全く知りません。私どもは別組織のローン会社ですから、私どもに説明のことで苦情を言われてもどうしようもないことです。そういうことになります。これで終わりだった。初めからこうしたトラブルが想定されているのだ。よく出来ている。

 いまさら、ドコモにも抗議したところでむなしさが増すばかりだろう。自分がサインして印鑑を押したのだから、今更おかしいと言っても水掛け論だろう。もう自分の愚かさをドコモに確認しに行くようなことだけだろうから、オレオレ詐欺に遭ったと思い一切を忘れることにした。そして今日まで誰にも言えずに黙っていた。

 それ以来、ドコモカード利用状況確認というウエッブページを保存するようにした。そして、毎月コピーすることにした。そしてよく確認してみる。2人であれこれネット購入しているので確認が必要だ。何しろアメリカからも、ドイツからも、ドコモカードで買っているのだ。

 
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71歳の誕生日に際して

2020-08-21 04:37:27 | 暮らし



 フサキリゾートの上で続けて描いている。ミルミル本舗の南の斜面である。5枚目なのだが、明るい気分の絵が描けている。自由な感じも悪くない。水彩という材料の使い方がやっと分かってきた気がしている。これは描き出して1時間ぐらいの所である。

 このぐらいの調子で、進めていって画面がまだ明るいまま終わりまで行ければいいと思っている。これが実に難しいことで、その難しさのかなりの部分は水彩画と言う紙に透明な色彩で描くという素材の持ち味に関わる部分である。

 水彩画の良さを自分の絵画表現として確立することが難しいことなのだ。日本の油彩画は独自の表現法を確立した。ヨーロッパにはない油彩画の世界を構築して表現した人が居る。日本の油彩画には日本人的哲学が、絵画を成立させている。

 梅原龍三郎や中川一政や須田克太の絵画である。精神世界が毅然としていて、極めて画格が高い。こうした絵のすごさは次の時代にはないことだろう。明治以降の日本の精神世界の頂点を反映させている。

 今のところ日本の水彩画は、せいぜいいわさきちひろ止まりである。あるいは安野光雅止まりである。心きれいな絵ではある。絵画としての哲学が甘い。最近の人気作家となると、ほとんど絵画と言うより、装飾イラストという体にしか私には見えない。作家としての精神世界が確立されているとは言えない。

 それは時代の精神が低いと言うことを反映しているのだろう。絵画批評という物が失われた。昔は新聞にも今年の日展と言うようは批評文を漱石が書いたりしたらしい。社会が哲学を求めていたのだろう。現代の絵画は提灯記事はあるが、きちっとした思想的批評は失われた。

 私としては能力不足はあるのだが、やれないとしても、日本の油彩画が到達した精神世界まで、水彩画でも行けると言うことを示したい。日が暮れて道遠しと言うが、まだ諦めていない。

 65歳頃から、それまでの自分を払拭することに専念してきた。こびりついていた絵作り方法をどうして忘れるか、ご破算になることを模索した。そして、69歳からは石垣島に移り、100歳までの水彩画の再出発を始めた。

 私が生まれたのは、71年前山梨県の藤垈にある向昌院という小さな山寺の中二階と呼ばれる、味噌蔵の上だそうだ。おばあさんは元看護婦さん。そのお姉さんはお産婆さんだったから、母は熟練の二人に見て貰って、心配のないお産だったのだろう。その上に味噌蔵の様々な菌の中で生まれた幸運である。

 母は実家に戻り私を産んだのだ。父の東京の家が、商売の家で子供が育つ環境でもないと言うことで、おじいさんがお寺で預かってくれたのではないかと思う。半分はその山の中の一軒家だったお寺で育った。東京より、向昌院が好きだったのだから、自然環境の力という物を感じる。これも幸運というしかない。

 70歳の一年は充実して暮らせたと思う。絵を100枚以上描いただろう。絵を描きたくなる1年であった。それなりにこれからの30年の石垣島での絵を描く暮らしの形が出来た。石垣島での暮らしを選択したことは、これも間違いなく幸運なことであった。

 石垣島の2年目が終わり、今日は誕生日である。71歳になった。少しこれからの方角を書いてみたいと思う。

 70歳の後半はコロナであった。予想していたことで心の準備はそれなりにあった。鳥インフルエンザが流行したときに、今回のことは予測できた。警告は必死に発したのだが、聞いてくれる人は少なかった。専門家の警告すら聞かなかった政府である。

 すでに不要不急の年齢なので、対社会と言うことでは困ることは特になおい。残念なことは神奈川に行きにくくなったことである。田んぼや畑はまだやりたくてうずうずしている。10月のイネの収穫は航空券は確保してある。できる限り行きたいと考えている。行けるかどうか心配している。

 先日、石垣の方から畑をやりたいなら、農地を貸してあげると言う話があったそうだ。しかし、丁重にお断りした。石垣では農業はやらないつもりだ。やれば絵を描く生活が徹底できない。申し訳ないことだが、この後の命はすべて絵に費やさせて貰う。

 体調は特に悪いところは無い。むしろ調子が良い状態と言えるだろう。体重等を記録しておけば、55キロで前後500グラムに維持している。腹囲は80センチより下がらない。タニタの年齢は42歳。フィットビットでは65有酸素運動能力。体脂肪率が19。内臓脂肪は4。来年は何とか保っているだろうか。

 今年一年は八段錦、太極拳、スワイショウ、V字腹筋90秒、膝蹴り体操の室内運動を身につけた。71歳はこの運動を動禅というものに近づけたいと思う。一日の行動を動禅にする工夫である。絵を描くことを勤行としたい。夕方の拭き掃除を夜動禅としたい。何の変化のない毎日にしたい。

 朝のブログも続けるつもりだ。ぼけ防止である。誤字脱字は変換違いは多々あるのだが、考えて文章を書くと言うことは一番のぼけ防止になる。ぼけてしまえば、100歳まで生きたところで絵は描けない。絵を描けないのでは生きる甲斐もない。

 唯一気がかりは緑内障である。見えなくなるとしても受け入れるしかないのだが、そこで絵が終わりになると言うことが困る。先日、琉球大学で緑内障の手術をしていると言うことで、予約を取ったのだが、台風とコロナの流行で、当面那覇には行けなくなった。

 実は三線はこのところサボっている。でん田楽団で集まれなくなってしまい、急に意欲が落ちてしまった。情けないことだ。一人で唄っていてももう一つ盛り上がらない。練習してみんなで唄えると思うと楽しかったのだが。何とか再開するのが、71歳の課題だ。これはコロナ次第だがなんとなく長引きそうだ。

 続けるという意味では日曜展示である。15回やってみて、この公開の方法は、私絵画の一つのあり方かもしれないと思うようになった。もう少し本気でやらなければならない。ホームページの方にもきちっと撮影した絵を残さなくてはならない。

 希望としては台湾旅行である。台湾をあちこち歩き回る旅行をしてみたい。石垣からは一時間で行ける。飛行機が早く再開して貰いたい物だ。これも当分は無理なようだが

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アベ政権は憲法無視政権である。

2020-08-20 04:18:20 | Peace Cafe


 フサキ半島の高台からの眺めである。別荘やホテルが建ち並んでいる。向かいに見えるのが、崎枝半島。この手前の放棄された草地がおもしろくて、このところ続けて5枚描いている。下の方は牧草地もあり、きれいに管理されている。牛の放牧もいくらか行われている。

 下の通り沿いには放し飼いの養鶏場もある。なかなか良く飼われている養鶏場だ。イサブランウンのようだ。雄もかなり居るので、絵を描いていると、鶏の声が聞こえてきてのどかでいいものである。

 混在するようにある別荘地やリゾートホテルがあるが、リゾートの住民から、鶏の声の苦情は出ないのだろうか。昔から養鶏場のあるところに、別荘地が広がってきたと言うことなのだろうか。鶏の居る別荘地なんてすばらしいではないか。そうヤギも飼っていた。

  アベ首相は2014年1月の施政方針演説で、「積極的平和主義の項目」を設け「国家安全保障戦略を貫く基本思想」と説明。この考え方に基づき、自国が攻撃を受けなくても、武力で同盟国を守る集団的自衛権の行使容認について「対応を検討する」と表明してきた。それが憲法違反の安保法制度になったわけだ。

 今年になり、ついに全国戦没者追悼式の式辞の中でさえも、「積極的平和主義」を表明した。敵基地攻撃能力を持つべきという考えである。これを戦没者の御霊に向けて発言する真意はどこにあるのだろうか。靖国神社と間違えたのだろうか。あそこなら軍国神社から場所のおかしさはない。

 敵地攻撃は平和憲法に明らかな違反行為である。敵がミサイル発射する前に叩く必要があるというのが、最近の自衛隊の言い分のようだ。これは日本国憲法では国際紛争を平和的に解決することになっているのだから、明らかな自己矛盾だ。石垣に自衛隊基地が出来れば、明確な中国を攻撃するための物になると言うことだ。

 こうして憲法をなし崩し的に解釈で壊してしまうのでは、憲法改正などやる意味が無いだろう。憲法改正の議論を始めるとをするのであれば、その前に憲法裁判所を作る必要がある。憲法を三権分立の要とし無ければならない。司法権で守らなければ政府が解釈ででたらめをやるだけになる。

  憲法53条おいては、衆参いずれか4分の1以上の議員から臨時国会の召集の要求があった場合は、「内閣は、その召集を決定しなければならない」と決められている。ところがアベ政権は平然と憲法違反を繰り返して国会を開催しない。過去これほど明らかな憲法違反を繰り返した内閣は存在しない。

 どうも慶応病院に診察に行ったらしいが、体調が良くないことは間違いが無い。一度、人間ドックで見て貰った結果再検診で呼ばれたと言うことらしい。結果はそろそろ出るのだろうか。大事を取ってもらい、降りて貰うのが一番ではないだろうか。

 香港で民主主義が危機的な状況になっている。武力を持って市民の人権に制限を加えている。権力の明らかな暴走である。しかし、日本においても実はすでに同じ事が起きている。アベ政権が憲法を無視し続けると言うことは、日本国民の権利が侵害されていると言うことである。

 武力によって人権が侵害されると言うこともあるが、日本のように内閣のストライキによって国民の人権が侵害されることもある。アベ政権のコロナ対策は経済優先に変わった。それは一つの選択であるが、政府ではなく国会が決めるべき事だ。

 コロナ感染が拡大することで経済が崩壊すると言うことも考える必要がある。たいした病気ではないから、経済を優先しコロナは無視すべきだというブラジルは、感染拡大によって経済が行き詰まっている。コロナは無視しても経済をむしばむ。

 日本経済は極めて深刻な、恐慌が迫っている。政府が方向性を示して心を一つにして、対応して行かなければ乗り越えられない危機である。この状況に至ってもアベ政権は、傍観者的な態度を繰り返している。やることと言えば、アベノマスクの配布とゴツートラベルだ。無策で転げ落ちるだけの無能政権である。

 経済とコロナとをどう調和して行くかは、すべての国民にとって明日の生活に及ぶ問題である。経済とコロナ新生活の兼ね合いについては様々な対応がある。日本国はどういう方向で行くのかは明確にする、説明責任が内閣にはある。

 何故国会を開いて議論を始めないのか。今国会を開かないと言うことは、説明を放棄していると言うことである。膨大な赤字国債を発行してのコロナ緊急対策である。これが何故必要で、今後どのようにこの赤字国債対応をして行くのか。説明をして貰わなければならない。

 立憲デモクラシーの会が13日発表した見解の全文は以下の通り。アピール文なので、そのまま転記させていただく。

安倍内閣の度び重なる憲法第53条違反に関する見解

 新型コロナウィルスの感染拡⼤と経済活動の⼤幅な収縮に⻭⽌めが掛からず国⺠⽣活が深刻な危機に⾒舞われるさなか、国会は閉じる⼀⽅で、来⽉にも国家安全保障会議で「敵基地攻撃能⼒」の保有に向けた新しい⽅向性を⽰す安倍晋三政権の意向が報じられている。
 コロナ対策の当否など⽕急の案件だけでなく、国政上の深刻な課題が⼭積しているにもかかわらず、安倍⾸相は国会の閉会中審査に姿を現さず、記者会⾒もまともに開かず、何より憲法53条に基づく野党による臨時国会開催要求にさえ応じない。これは、主権者たる国⺠に対する説明責任を徹底して回避していると⾔わざるをえない。
 そもそも憲法53条後段は、国会閉会中における⾏政権の濫⽤を防⽌する⽬的で、⼀定数の議員の要求により国会が⾃主的に集会する制度を設定したものであり、「いづれかの議院の総議員の四分の⼀以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とするのは、衆参どちらかの少数派の会派の要求がありさえすれば、国会の召集の決定を内閣に憲法上義務づけたものである。
 また、議員からの召集要求があった以上は、召集のために必要な合理的期間を経た後は、すみやかに召集すべきであるとするのが学説の⼀致した⾒解であり、近年は政府でさえ「合理的期間を超えない期間内に臨時国会を召集しなければならない」(2018 年2 ⽉14 ⽇横畠裕介内閣法制局⻑官答弁)と認めている。さらに、本年6⽉10⽇那覇地裁判決は、「内閣が憲法53条前段に基づき独⾃に臨時会を開催するなどの特段の事情がない限り、同条後段に基づく臨時会を召集する義務がある」とする。議員の要求によって召集される臨時国会での審議事項は、上記の⾃律的集会制度の本質上、内閣提出の案件の存否にかかわらず、各院において⾃ら設定しうるものである。内閣の準備不⾜などとして、召集時期を必要な合理的期間を超えて⼤幅に遅らせようとするのは、憲法53条後段の解釈・適⽤に前段のそれを持ち込もうとする悪意すら感じさせる。
 2015年と2017年につづいて2020年にもまた、このような憲法違反が常態的に繰り返されようとする事態は看過できない。そうした中、憲法上重⼤な疑義のある「敵基地攻撃能⼒」が政権・与党内で軽々しく論議されていることも、現政権の姿勢を⽰すものと⾔える。敵基地攻撃は国際法上preemptive strike すなわち先制攻撃と⾒なされるのは明らかで、政権内の⾔葉遊びですまされるものではない。安倍政権はいずれ終わるとしても、その負の遺産は消えない。これ以上、⽴憲主義や議会制⺠主主義を冒瀆することを許してはならない。

 
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国とはいえ、いくらでも借金して大丈夫なはずがない。

2020-08-19 04:00:45 | Peace Cafe

 石垣島富崎である。フサキビーチを上の方から眺めている。斜面からは西表島や竹富島がすぐそばに見える。島にある建物まで見える。海の碧さもいかにも南国的な場所で、石垣で一番のリゾート地になっている。大きなホテルや別荘が建ち並んでいる。

 みるみる本舗の南側の斜面の道には車が止めて絵が描ける場所がある。車から海の絵を描ける、石垣島唯一の場所である。日陰は全くないので夏は厳しい場所なのだが、風がある日ならばで何とかしのげる。海の色は日々刻々変化する。

 この斜面の耕作放棄地の雰囲気が悪くない。下の方の区切られた畑と点在する別荘。方向を変えるとハイビスカスの群落があって、その赤い花が面白い。なんとか描いてみている。まだどんな絵になるのか見当もつかない。開放的な空気の風景が描けそうな気がする。やはり、田んぼや畑とリゾート地では違う。

 日本は世界一の借金経営の国になった。コロナでいよいよ借金が膨らんでいる。不安が増すばかりなのだが、何故か株価は上がっているし、円の暴落も起きていない。一体この状況をどう考えればいいのだろうか。

  行き所の無いお金が様々な投機に集まっているだけで、実質の生産が背景にないのだから、いつか経済全体が崩れてしまうように思えて仕方がない。これから書いてみることは分からない話である。分からないのだけれど考えてみたい。

   日本の実質国内総生産(GDP)は1~3月期から年率換算で27.8%減った。米国の減少率は32.9%、英国は約60%、ドイツも30%を超え、軒並み最悪となった。米欧の2期連続に対し、日本は19年10月の消費増税から3期連続とマイナス成長が長期化する。

 今の日本の財政を家計に例えれば、年収700万円の収入の家庭が今年は1600万円を支出する。今年末に借金額は年1億2000万円に達する。満期がくる借金の返済分を含めて、今年、2530万円の調達が必要だが、このような家計に融資をしてくれる銀行なぞ、まず無い。自己破綻だ。

 しかし国相手なら、銀行は(今のところ)貸し続けて(=国債を新たに購入)くれている。国には家計には無い徴税権があるからだ。いざと言えば、大増税をして、それで借金を返してくれると思っているからだ。だから、253兆円はなんとか消化できている。ーーー日経新聞

 何故国が赤字国債を大量に発行して円が暴落しないかの理由であるが。以下の説明でなんとなく、そうなのかとは思えるがまだ納得できると言うところまでは行かない。

1.海外保有比率が少なく自国内での消費が可能である
2.世界最大の債権国であり、経常収支が黒字で外貨準備高も十分にある
3.クジラと呼ばれる公的資金を総動員して日本国債を買い支えることができる
4.海外勢が日本国債の売り方に回っても、民間の生命保険会社や銀行が買い支える
5.中央銀行である日本銀行が日本国債を買い入れるシステムが確立されている
6.国民が円を信用し、日本政府を信用している

 世界中のお金が行き場を失っている状態である。ゼロ金利政策が続いている現状では、配当が出て売買益も期待できる株式市場や金融商品には資金がどんどん入ってくる状態と言ってよい。行き場が無いお金が集まり、株価が上がると言うことは健全ではないだろう。いつか総崩れする気がしてならない。

 株というものは投資先がその資金を使い、生産性を上げ、販売を伸ばして初めて株価が上がるというのが健全である。ところが生産性は下がっているが、マネーゲームのようにお金だけが廻っていると言うことは、どこかで崩れ去るだろう。

 リーマンショック以降、世界中に拡大した金余りによって、これまでの経済概念とは異なる金融市場に変化している。と言うことらしいが、日本のような莫大な額の日本国債が流通している市場というのは極めて特殊である。

 ハイパーインフレが起こると言われてきたが、インフレになる心配もない今のところはないようだ。ものは売れないのだから、価格が上がることはなさそうだ。心配なのは、コロナによる消費の落ち込みが実質経済を落ち込ませている事のほうだろう。経済の弱い国から対外債務の支払いが滞って国が倒産する。それが日本経済にどう波及してくるのか。

 日本政府は借金を増やし続けている。国であろうが、個人であろうが、借りた金を返さなければならないのは当たり前すぎることだ。何故国ならいくら借りても大丈夫と言うのか、この理論の根拠はやはり良く分からない。

 トンデモ経済論者は訳の分からない説明をしているが、何度読んでみてもなるほど国はいくら借金しても大丈夫だと得心したことがない。読めば読むほど、意味が不明になる仕組みだ。不明になるところで諦めると理解できないのは自分の能力不足のためかと。現状は未知の分野に突入しているために、今の経済の状態を分かりやすく説明できる理論がないのだろうか。

 政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できる。したがって、政府は財源の制約なくいくらでも支出できる。インフレにならない限り、財政支出はいくらでも拡大できる。と説明されている。お金がなくなれば、自分でお金を発行すればいいという理屈は明らかにおかしいだろう。

 これでは貨幣の価値というものが、国の信用に支えられているという現在の通貨制度では、ある限度を超えたときに、円の価値が暴落して行くと考えざるえない。どこが限界なのかが分からないだけだ。現状ではそろそろ危うい状態が近づいているとみていいのだろう。もし一度円の暴落が始まればすべては終わりである。

 お金が際限なく印刷され増え続けると言うことはお金の価値が下がることになる。日本では、お金は物の消費には使われず、貯金や株式投資が増えて行くばかりであるので、今のところはインフレにはならないのだろう。日銀が出した膨大な国債は銀行や日銀自身がため込んでいる状態。

 この次に何が起こるかと言えば、銀行の倒産ではないか。大恐慌は2,3年続くだろう。お金の行く先がない。株式はいつか大暴落を始める。実質経済が伴わないのだから、そうならざるえない。どこで銀行からお金を引き出すかは、1000万円以上の貯金のある人は考えておいた方がいい。どうせ、利息など無いのだ。

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3,100歳までの絵の描き方

2020-08-18 04:08:57 | 暮らし

 
 百歳まで生きるには三つの要素が必要ではないか。1,運動健康法、2,食養生、と書いた。そして今回は3,絵の描き方である。身体とそれを作る食べ物をしっかりと考える。そして何より心のことである。心が充実していなければ、100歳は無理である。前向きな気持ちで絵を描き続けられる間は生きている。

 食事、運動と書いてきたが、最後に最も重要なことは生きる心の張り合いである。生きていると言うことのすべてを絵を描くと言うことに集約してきた。若い頃自分はどう生きたいのかなかなか分からなかった。どう生きるのかで揺れ動いていた。

 あきらめがついたと言うこともあり、今は生きているすべてを絵を描くことになっている。日々よりよく絵を描くと言うことも案外に難しいことで、昨日より今日描く絵。そして今日よりも明日描く絵が、良くなっていないのであれば、100歳まで絵を描く人生はあり得ないだろう。100歳が頂点になるように、今があると言う意識でいる。

 ほぼすべての絵を描く人の絵を見ると、50歳を超えて衰えてゆく。年齢と共に絵が衰えている。わずかに天才と呼ばれる中川一政のような人だけが、90歳を超え、100歳に向かい絵が良くなっている。私も例外では無いとは思うのだが、それでもなんとか気持ちだけは100歳に向かい明日こそと思い絵を描いて行きたい。

 比較するのではおこがましいことではあるが、マチスであろうとも、ダビィンであろうとも、生きるという意味の価値は別段生きる命としては、私と変わらない。自分を存分に生きなければ、生まれてきたありがたさに申し訳が立たない。

 明らかに若くして何も出来ていない以上、これからすこしづつ良くなっていかなければ命として話にならない。生まれて、生きてきた甲斐がない。出来るだけの努力を100歳まで続けたいと思う。今日これから描く絵のために生きたい。

 自分という人生の限界まで生きて行く気だ。それが心の張り合いである。その方法である。100歳までの絵を描く人生とは70歳を超えても、前の絵より、今日描く絵が良くなるための方法である。これは実に難しいことだが、努力だけは続けるつもりだ。

 毎週絵をブログで展示することにしたのはその確認と言うことである。私の絵の描き方が、正しいか正しくないかは描いた絵を見なければ分かるものではない。そこで展示しながら、自己確認をしようと言うことである。案外自分のことが分からないのが人間である。少しだけでも、客観視する場を作れる。

 70歳をスタートにブログでも絵を積極的に展示することにした。15週前からは、定期的に日曜日に絵を展示することにした。これはブログダイエット法のようなものだ。絵が良くなっていないようであれば、残念な人生と言うことになる。口にしてしまうことは未来を変える。

 絵を語る会を出来ないということがある。絵を持ち寄り自分の絵を語る会を年4回行っていた。ところがこれが出来ない。出来なくなってみると、自分の絵の確認の場を失ったと言うことに気付いた。このままでは危険だと思う。

 絵を描くと言うことは一人でやることだから、一人だとつじつまが合う。とんでもない衰退でも気付かない。公開すると言うことがないと、自分では自分は見えないものだ。公開する方法を新しく考えないと危ういと思い始めたのが、ブログ展示である。

 絵が少しでも進歩できることにすべてを注いで生きる。それが当を得ているかどうかは絵を見れば分かることである。こうしてみると、毎週平均3枚くらいは描いているようだ。これは絵を描き始めた頃から、同じようなものだろう。このくらいが調子の良いときのペースである。

 ただ、描かないときには全く描かなかった。描きたいという気持ちが湧いてこなければ、絵は描かないことにして来た。もう絵を描きたくならないのかと思うような長い空白もある。最近はコロナの性もあって、絵を描く以外何もない。

 他に心を埋められることが出てくると、絵を描きたいという気持ちは減少する。ただ、そういうときの方が実は絵を描く内側の蓄積のようなものが育っていると思う。絵を描くべき心の何かが育たなければ絵の成長などあるわけがない。コロナは自分の命に向き合う機会になったと思う。

 その時その時に最も心引かれることに精一杯生きる。そういう生き方でなければ、絵に描くべき内容が育たない。自給自足に生きる事にかけていたころは、ほとんど絵を描いていない。すべてをそのことに費やさない限り、そこから自分の心を育てるものは成長しない。絵はその後に自然に生まれてくるものだと考えてきた。

 今は石垣島で絵を描いている。明日もここに描きに来ようという気持ちでその日を終わっている。気持ちよい期待感で一日が始まる。正直いい絵日もあれば、ひどい絵日もあるのだが、ダメはダメなりに前向きな気持ちでその日を送ることが出来る。

 展示には昔描いた絵ももう少し織り交ぜて出してみようと思う。どう変わってきたのかを確認も出来る方がいい。ウエッブ公開は私にとって良い方法だった、といえるような結果を出したい。見てくれる数人から反応がある。ありがたいことだ。見ていると言ってもらうだけで、気持ちが違う。

 絵を描くと言うことは孤立して行えば、おかしくなる。そういうおかしな絵になった人を沢山見てきた。絵を描くと言うことが私絵画である以上、心が狂えば、狂った絵になる。公開すると言うことは羅針盤になるかもしれない。

 日々絵を描く。そしてそれを公開する。これが、100歳までの絵の描き方のようだ。春日部先生は個展はまな板に乗せられるようなものだとよく言われた。生きた心地がしないと言われていた。もう個展というものも成立しない時代なのかもしれない。

 個展を行ったとしても、見に来る人は極めて少ないだろう。公募展も中止である。開催することも不可能な状況である。こうした新しいコロナの時代には、それぞれの作品の公開法を考える必要がある。

 従来の絵の公開法が失われている以上、何か考えるほか無い。今度水彩人では水彩人の東京都美術館展が開催中止である。そこでウエッブ展示を行うことになった。開催は9月を目標にしている。その時は是非互いに相互批評を行いたいと思う。

 
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コロナウイルスと日本の方角

2020-08-17 04:06:23 | Peace Cafe


 コロナウイルスの人間への影響をみると、世界が変わることのできる、最後の機会ではなかろうか。原発事故は日本人の人間としての生き方への警告であった。しかし、日本人は恐れおののき逃げ惑ったが、すぐに忘れて又経済競争に戻った。

 コロナは忘れるわけには行かない。次の感染症の前段と考えた方がいい。コロナが流行した状況は何も変わらない。年々次のウイルスが登場しやすい状況が生まれている。人間の暮らし方が限界を超えてしまったのだ。

 先日アメリカの青年の4人に一人が、本気で自殺を考えたというまさかというような記事を読んだ。アメリカほど豊かな国の中で、どれほど心をさいなむようなことになっているのかと思う。コロナなどたいしたことではないと言い切る人達の、すさまじさを思う。

 原発事故で経済絶対主義から抜け出せるかと思えたが。しかし、日本は衰退しただけだった。原発事故の結果はアベ政権の既得権益死守に翻弄され、競争主義が悪い方に進んだだけであった。コロナは二回目の警告と考えなければならない。いまだ、経済活動を優先させろということになり、感染はさらに激しくなるばかりである。

 三回目の警告は環境破壊と気候変動であろう。もうこの三回目の警告は後戻りできない、人類の壊滅の宣告に近いものと思わざるえない。その意味で、コロナと言う二回目の警告を人間が受け止めることが出来るかどうかは未来の社会にとって、極めて重要なことになる。

 見ての通り、アベ政権はコロナは少々広がっても仕方がないという方向に進んでいる。経済が疲弊すれば、コロナどころではないという判断だろう。一見正しい判断のように見えるわけだが、実際にはコロナ2波が1波以上に拡大して行く中で、コロナの拡大は経済を破綻させると言うことが見えてきている。

 経済とコロナ感染拡大の両立など不可能なのだ。コロナなど何でも無いとうそぶく人は少ないのだ。そういえば、カドニューム汚染の時も害などないと飲んで見せた人が居た。放射能など何でも無いという人も居た。しかし、健全な人間には正しい恐れがある。

 コロナは二回目の人類への警告なのだ。人間は生き方を変えなければならないと、警告が発せられている。経済競争よりも、人間が共存して命を守らなければならないと言うことである。ところが、経済が厳しくなり、かえって国同士の軋轢も強まり始めている。

 コロナの警告は人間は自然環境を守り、自己本位ではダメだと言うことだ。具体的には都市生活を止めると言う方角であるが、それ以上に人間が生きるという目的にとって、重要なことは何かを歩を止めて考えてみろと言うことなのだろう。

 文明の方角がおかしくないかと言うことである。拝金主義や競争主義の蔓延が人間のをダメにしていないかと言うことではないだろうか。経済競争が軍事的な戦争に発展しかねない危険が近づいている。米中の経済対立はどこかで代理戦争が起こりそうだ。台湾は大丈夫だろうか。

 香港は中国の国内問題であるが、台湾はどうなるのだろうか。台湾はすばらしい国だと思う。今の中国に巻き込まれたら、大変なことになる。コロナも耐えて時間稼ぎが必要だ。中国が民主化されるまで、ともかく時間稼ぎをしなければならない。豊になり時間が経過すれば、民主化されるに違いない有能な人達だと思う。

  コロナ後の世界とは、「個の時代」と言うことになる。人との繋がりは直接的なものはかなり減少する。繋がりがないままに個がどのように生きる事ができるのか、と言うことにならざるえない。人間が社会的な人間でなくなる時代。良い面で見れば個の自立した時代と言うことになるのかもしれないが、孤立した人間が追い込まれる時代でもあるだろう。自殺願望はそういうことなのかもしれない。

 一人で自立することができない人の生きにくい時代に入るのだろう。厳しい時代であるが、これも受け入れるほか無い。一人の自給は2倍から、3倍の労力が必要になる。共同体的に暮らすとしても、どのように他の共同体と距離を持って暮らすことが望ましいことになるのか。

 人間が交流を絶つ時代というのは悪い時代だろう。みんなで肩を寄せて、飲んで歌うと言うことが出来ないで、人間は人間で居られるわけがない。新しい人間の関わり方を作り出す必要がある。新しい生活様式などとのんきなことを言っては居られない。コロナ自粛は緊急時の生活様式である。
 
 直近の問題としては、人間が都市に集まりすぎたことが問題を深刻化したと理解された。この機会に都市から地方に暮らし方を変えることが求められている。地方でも生活できる社会にならなければ、繰返し新型ウイルスが登場すると言うことである。

 日本という豊かな環境はつつましく生きることさえ決意すれば、大抵の場所で自給的に生きることが出来る。その一番の原点に戻れとコロナの警告は言っている。

 人間の交流は限定しなければならない。地域の交流がある程度閉じられた都市国家のようなものであろうか。都市には出入り口があり、検疫がなければ通過できないような状態。物流や情報交換も現状のままではダメだろう。次の人間社会の仕組みが出来るまで、人間はかなり悲惨な中で暮らさなければならない。

 地方で暮らすためには地方でも生計が立てられる社会と言うことが求められる。その一つがテレワークの普及であろう。たぶん企業と経済競争と言うことも変わる気がする。新しい競争のルールが出来るのか、巨大企業が新しい人間の暮らし方を導いて行くのだろうか。

 一次産業の位置づけも変わらって行くのだろう。食糧自給が国の安全保障であると言うことは一段深刻な認識になった。コロナは物流を制限するだろう。自給的国家が再評価されるはずだ。このとき企業活動がどう国と言うものと関係するのだろうか。

 テレワークは競争社会が激化して行くとしても、暮らしについては都会と距離を置くことが出来る可能性が生まれる。地方から都市への人口集中は世界共通のことであった。都市に行く以外に生計が立たないと言うこともあるのだろう。都市の方が自由度が高いと言うこともあるのだろう。教育や医療が都市にはあると言うこともある。競争経済は都市に機能を集中させる合理性を求めてきたのだろう。

 その都市集中が限界を超えた姿が、新型ウイルスの都市での蔓延であった。まさに都市は3密状態を生みやすい。キャバクラやホストクラブで感染が広がるように、都市の持つ自堕落さが、人間のどうしようも無いところを、都市は受け皿にもなった。

 すべてに限界がある。都市は新しい魅力を生み出し続けた。それが経済の活性化でもあった。不要不急のものこそ、都市の魅力である。都市文化が終わるためには、地方に都会に変わる魅力が、人間のダメさ加減も含めた幅のある許容度が求められるのかもしれない。

 石垣市はコロナ対策を、街宣車でマスクをしろ。出歩くなとまで言い続けていた。二回目の今回はそういうことはしていない。しかし、ゴーツートラベル前に、飲食店には徹底的なころな基準を設けた。基準に達した店を認定した。ところが、そこには風俗関連は含まれていなかった。

 これにはなにか市長の意図が働いていたような気がしてならない。どこかで風俗関連と石垣市の政治屋達が絡みついていた疑いを感じる。これが人間のダメさ加減を表している。一番感染源となりそうな場所をわざわざ除外していたのだ。まさか気付かないわけがない。

 前回の一回目の感染もそういう所で起きたのではないか。そして、予想通り二回目の感染もキャバクラで起きた。そのキャバクラ嬢が西表に出張したように見える。そして感染クラスターが起きた。コロナの時代はこうした人間のダメさ加減が露呈してくる。まず、当たり前のことが当たり前に出来るところからやらないとダメだ。

 

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