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佐藤天彦9段がマスク外しで反則負け

2022-10-31 04:11:59 | 暮らし


 佐藤天彦9段がマスク外しで反則負け。 将棋好きとしてはまたもや、将棋連盟がやらかした。とがっかりさせられた事件。ルールがあまりに杜撰で、決まりの作り方があまりに幼稚である。決まり事を作る時には参加者の善意に依存してはならない。

 定期的に抗体検査をするとか、対局室を徹底してウイルス除去をするとか。マスク意外にやれることはある。マスクが出来ないスポーツ組織は他の手段をとっている。そもそも将棋だってマスクは無理なものかもしれない。

 マスクをすることでの社会的影響を示す期間は終わっている。マスクが不要な場所でも、影響力の強い組織がマスクを率先してするというような状況は終わっている。次のことを考えるべき今になって、何という馬鹿げたことが起きたのだろうか。悲しい事件だ。

(佐藤天彦九段が124手目を指したあと、鈴木大介理事が入室) 鈴木「対局中失礼します」 天彦「はい」(驚いた様子) 鈴木「席はずしてご相談がありますので、一回対局止めてもらって、よろしいでしょうか」 天彦「え? はい」 鈴木「すみません、じゃあちょっと、あちらの方で説明しますので」
>佐藤が対局中にマスクを長時間に亘って外していた。この行為が日本将棋連盟の臨時対局規定(コロナ禍に対応する臨時規定)に違反すると裁定され、本局は佐藤の反則負けとされた。(棋譜コメントより)
朝日新聞将棋取材班 
 

 後味の悪い事件という事にもうなっている。将棋連盟の理事会は将棋指しには任せてはおけない。もし反則負けの根拠がコロナ感染であるのならば。外していることに気づいた時点で、すぐにマスクをしてくださいと、注意するのが、本筋だろう。

 突然反則負けという事はあり得ないだろう。時計係にマスクを5分以上外していたら注意するというくらいの、指導をしておくべきだろう。注意してもマスクをしないための失格という事ならありうる。ルールを作った以上、30分以上していない状況が起こらないようにするのが将棋連盟の仕事だ。この状況を黙ってみていたことがおかしい。

 反則と判断できるたぶんかなりの時間の間、管理者はマスクを外しているのを黙ってみていたということになるのだ。何という感染対策の落ち度かという事になりかねない。外していれば将棋が感染リスクがあって、問題があると考えたためにできた規則なのだ。

 このマスクせずの反則負けの落ち度は対局を管理している将棋連盟に主としてある。将棋の終盤で必死になっていてそれどころではなかったのだ。私も大会に出たことがあるから、将棋以外のことは見えなくなってしまう事が分かる。将棋指しであれば、そのくらいの棋士の状態が理解できて当たり前のことだろう。

 以前、将棋連盟ではスマホによるカンニング問題があった。この時も疑わしいというだけで、何の確かな証拠もないのに失格処分にしてしまった。頻繁に席を立つのがおかしいというだけだったのだ。そして対局者からの聞き取りと、棋譜から見て人間の指す手順ではないという事になった。全くの主観的判断だ。

 そんなことをするような人ではないのに、ひどい処分をしたものだ。スマホの持ち込み禁止すら将棋連盟はしていないで、この時も突然の失格だった。そもそも、2日制の対局であれば、夜部屋でスマホを使い研究が出来るという、ずさんな前提があったのだ。

 結局不正行為はなかったというのがのちの発表であった。しかし一度疑われた人権の回復はない。その人はその後疑った人たちを連破して、面目を一新した。そもそも一人で研究するタイプの人で、コンピュターの差し手を早くから取り入れていたに過ぎない。

 マスク敗戦はもう取り戻せないだろうが、これは将棋連盟の責任を問題にすべきことだ。スマホ事件では理事長が交代した。相撲協会でも外部理事の登用が問題にされた。同じことだ、将棋指しは立派な頭の良い人が多いのは確かだが、やはり社会常識には不足があるようだ。

 法律家でしかも社会常識のある人を、理事として入ってもらう。その上で、こういう規則を作る時に相談できるようにしておくべきだ。こんかいA 級順位戦の最終ばんだから、深夜だったはずだ。誰もビデオをチェックしていなかったのだろう。

 ルールを作った以上それを運営する組織は、充分な対応策をとってことに当るのが必要だ。審判がその場にいないで処理ではどうしてもすっきりしない。一言時計が仮に声掛けをするように、指導しておけば済んだことだろう。何とも不十分で不愉快だ。

 決まり事などないことに越したことはない。私はその昔絵の大きさが大きすぎるというので、水彩連盟で出品拒否されたことがあった。その時は自分で紙を漉いて作品を作ったために、わずかに紙の大きさが越えた。その時天下をとったように得意顔で、違反違反と騒いだ人の得意げな顔を今も覚えている。

 それほどそんなことに拘るとは思いもしなかった。芸術とはそんなに了見の狭いものなのかと驚いた。水彩連盟で自分で200号を超える紙を漉いて作品を作ったものは過去にも未来にもいないだろう。その作品を拒否したという事実は残る。出る杭を叩いたのだろう。

 組織が何のために決まりを作るのか。決まりなどないほどいい。決まりを作るとその決まりに縛られて、今度は将棋の勝負の大切さを損なわれる。芸術の自由が損なわれる。悪い決まりが一人で歩き始める。人が集まっても決まり事などではなく、組織が健全に運営されるものでありたい。

 果たしてのぼたん農園はどうだろうか。明文化されたルールはない。あしがら農の会も明文化されたルールはない。水彩人には規約がある。のぼたん農園は結局私がルールになっているのだろう。そうなると習近平か。よほど気を付けなくてはならない。
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第133 水彩画 日曜展示

2022-10-30 04:25:27 | 水彩画
第133 水彩画 日曜展示
10号前後の作品です。




952「溜め池の木」
2022.10






953「ミズオオバコが咲いて」
2022.10





954「琉球松の岸辺」
2022.10





955「大里の草地」
2022.10





956「のぼたんのう園の眺め」
2022.10






957「西伊豆の漁港」
2022.10






958「やらぶだけ」
2022.10






959「宮良川の畑」
2022.10






960「名蔵アンパル」
2022.10






961「松本平の夕暮れ」
2022.10


 描いて居る気持ちは変わらないのだけれど、絵は少しづつ変わっているかもしれない。自分としては今週の絵は少し落ち着いて見れる。絵の描き方が気持ちに合っている。作ろうとしていないからかもしれない。終わろうとしていないというのかもしれない。

 小田原に来ているのだが、少し描きたいと思い、昨日は篠窪に行って集中して描いた。小田原にも絵の道具や紙が置いてあることがありがたい。小田原の家を維持してくれているお陰である。本当に幸せなことだと思っている。

 篠窪で描きだしたら、どんどん絵が出来た。なんと5枚も絵が出来た。今回持って帰れないので、置いて帰るので、写真だけ撮って置こうかと思っている。
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資本主義の次の時代が来ている。

2022-10-29 04:23:04 | Peace Cafe

 水田に進出して、蔓性で広がる牧草。

 資本主義が限界に来ているという事は共通認識になりつつある。その理由は資本の競争が無限に続いてゆくには、地球が有限な世界だという事だろう。地球という枠が、人類の膨張ですでに危うくなり始めた。それでも人口増加を資本主義は求める。

 気候変動が身近に迫ってきたことが、ひしひしと肌感覚で感じ始めている。今年の夏の暑さは少しおかしいぞ、と体感的に感じている。それでも何も有効な対策ができない現実の社会を、資本主義が限界に来ているためではないかと、思わざる得ない証拠。

 気候変動だけではない。プーチンが侵略戦争を開始した。国家資本主義と自由主義的資本主義との対立。このまま行けば人間が崩壊に向かうのであれば、資本主義の次の経済の形を見つけざる得ないのではないか。

 例えば農地はその地域に暮らす者の共有的なものであるべきだ。資本が農地を独占するようなことは間違えではないか。水だって、教育だって、医療だって、人間に必要なものが資本に占有される時代はおかしい。

 土地を公共のものとして考えることはできないのだろうか。森林は国有地であるほうが管理が可能になる。森林が利潤を生むものでなくなれば、私有地である森林は放棄されることになる。国有化して管理しなければ、国としての不利益が起こる。

 水というものも当然そうである。ダムがありダム湖があり、川があり、海がある。このすべてが公有地であることではじめて管理が可能になる。ある資本がこういうものを利潤を生みだす資産と考えることは、社会として健全とは言えないだろう。

 そしてあらゆるものが公共的なものであるというのが共産主義という事になるのだろう。これも成功しない考え方だとおもっている。公共のものである資産と私有化すべき資産がある。森林や、農地や水は公共化すべき資産である。さらに生活のための電力やエネルギーは公共かすべきものだろう。

 こうした、公共の資産は個人が有効に使用できるものである。農地はあくまで個人が所有するのではなく、利用する範囲のものである。農地を適正に使用することで、利用権が生じて継続される。適正でない利用をしている場合は使用が終了となる。

 農地の事例で見るように公共のものであるべきものを、個人が有効に利用することが可能という範囲を広げてゆく。それは教育などにも当てはまる。教育は公教育と言われるものがすでに行われているが、能力主義においては、能力をより延ばすことが可能だという、例えば中国ですら、学習塾が高額の利潤を生むものとして経営されている。

 それは学校教育全般にも及び、教育その門が利益の出る教育という事になっている。大学であれば、より良い就職が出来るものが良いものとされる。能力主義を助長するものとして教育が扱われることになる。本来人間の幸せのための学問が利潤を生む能力を育てるものに成り下がっている。

 資本主義の競争の原理が、学問の本質までもゆがめてきていると言える。人類の未来のためには必要な基礎研究も目先の利益に追い回され、充分な配分がされない事になる。こうして学問自体が徐々にゆがめられているのが資本主義の現状である。

 社会インフラと呼ばれる水道や電気なども、本来企業が利潤の為に運営するという事は不自然である。公共の利益として考えられるべきものであろう。交響にすると効率が悪いという事に問題がある。個人や市民グループが有効に運用する。利益の為ではなく、社会で喜ばれるために働くという姿なのだろうか。

 競争にあくせくしてまで働く必要はない。自分の好きなことをして、楽しんで暮らせる。こういう時代が来ているのではないだろうか。科学技術が発達して人々を豊かにする技術が充分になったと言える。競争に勝たないでも、それなりに楽しく生きることが出来る時代が来ている。

 これからの社会は、生活の回りのを物を豊かにして、贅沢に暮らすためというよりも、自分自身を成長させるために働くことが目標になる。あるいは、自己を成長させながら、よりよい社会をつくるために働くという事が目標になるような気がする。

 どれほどのものを所有したところで、生まれてきて死んでゆくのは変わらない。そして資本主義は人間の生活に必要なものは十分に生み出してくれるようになった。分配さえ公平に行われるのであれば、それなりに社会貢献をして生きるものが、普通に生きてゆくだけのものは分配可能になっている。

 国家資本主義と企業資本主義の対立がある。両者の対立が深まる中、個人というものが埋没し始めている。独裁的な国家権力者とその周辺におもねるもの。そして、独占的企業の資本家とその周辺のものの対立に、個人が巻き込まれてゆく。

 プーチンの侵略戦争が、冬の暖房費を直撃する。世界は急速に悪化し始めていると考えなければならない。先ずは公共を考える前に、避難地を探さなければならない。全体としての資本主義の次の体制を模索することはあまりにも難しい。さらに終末期に至らなければ何も変わらないのだろう。
 
 これほどの気候変動が始まっていても、対策がとれないのが世界の実情である。その現状を考えれば、一時避難が当面の現実的な対応策という事になるのではないか。そうしなければ、これからの角期の軋轢に巻き込まれて、神経を病んでしまう。

 一時避難場所はそれぞれが考える他ないのだろうが、まず仲間を探すことが出発点になる。一人では不可能なことも2人ならできることもある。2人より3人ならばということになる。仲間を見つけるためには理念を持たなければならない。旗印がなければ仲間は見つからない。

 旗印のもとに集まると言っても、仲間になることも、離れてゆくことも自由である。緩やかな集まりを持てれば、次の時代まで持ちこたえることが出来るだろう。もし次の時代がだいぶ先だとしても、何とか今のひどい時代を生き抜くことも出来るだろう。

 仲間はどこにでもいる。みんな苦しんで迷っている。呼びかけることからだと思う。のぼたん農園では呼びかけに応じて、今20人ぐらいの仲間がいる。73歳になって新しい友達が出来たのだ。呼び掛けたから始まったことだ。一人で絵を描いて居れば怒らなかったことだ。

 のぼたん農園のような、自給農業という変わった集まりでも石垣島という5万人の人口の島で、20人の仲間が出来たのだ。希望はどこにでもあるはずだ。同じ方向の仲間を強く求めている時代が来ていると感じている。


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東京の変化

2022-10-28 04:40:20 | 暮らし


 月に一度東京に来ている。来たときは、時間があれば少しでも絵を見ることにしている。石垣では他の人の絵から離れているので、そういう気持ちになるのだと思う。東京のほかのことにはあまり興味がわかない。東京にしかないものというものもたくさんあるのだろうが、多分そういう都会的なものには興味が少ないのだろう。東京で好きな町はアメ横ぐらいだ。

 三軒茶屋には暮らしていたので、あの辺りは今でもいくらか土地勘がある。今回泊まっていた大井町で図書館に行こうとしても、グーグルマップでは確認できるのだが、歩いてゆけるのかが少し不安だ。今でも下馬図書館の場所は行けばわかる。しかし、三軒茶屋からすぐの下馬図書館はWi-Fi環境がないようだ。

 三軒茶屋は知っているお店はもうほとんどない。このお店は昔もあったと確認できるものが2,3軒というぐらいだろう。三軒茶屋にいたのは35年前になるのだから、それがあたりまえのことなのだろう。商店というものも長くは続かないところがほとんどない。

 確かに商店は気楽な稼業ではない。時代の変化が大きすぎて、昨日良かったことがもう明日には変わる。日々商売商売で大変なはずだ。気楽なはずのサラリーマンはもっと大変な時代になりそうだ。自分の生きてきた時代を考えてみると、団塊の世代はめぐりあわせは良かったにちがいない。

 三軒茶屋がにぎわっていたのは戦災で燃えなかった地域だったからだ。戦後の住宅難時代に人口が過密になった地域である。戦後急遽三軒茶屋小学校が作られた。そこに通ったのだが、一クラス60人くらいはいた。それをさらに過密にして80名くらいも詰め込み、通路なしという状態すらあった。

 そうした過密すぎた人口が少しは落ち着いたのだろうが、そのころからマンションが立ち並び、新しい意味で人口増加が起きた結果が今なのだろう。世田谷区の人口自体が、小さめの県よりは多いのだから、人口過密も続いている。三軒茶屋はその後中学になったころ離れた。

 だからそう長いわけでもないのだが、子供時代にいた場所だから何となく土地勘は今でもある。大井町は昔よく自転車できた場所なのだが、大井町図書館へ行く道がどうしてもよくわからないで困った。やっとたどり着いたのだが、パソコンをやっていて困ると言われた。どこにもそんな表示はないのだが、追い出したかったらしい。パソコンをやってはいけない図書館とはいったい何だ。

 昨日は銀座で絵を見た。時間があったので少しでも絵を見てみたいと思った。どのくらい自分の絵がおかしくなっているのか、なにか基準になる絵を見たいと思ったのだ。彼末宏さんの作品展を泰明画廊でやっていた。懐かしい気持ちもあり、ゆっくり見せていただいた。

 もうなくなられて10年は経つとおもうが、彼末宏さんは国画会の会員で東京芸大の教授である。必死に絵描きになろうとしていたころ、かなり目立っていた人だ。今どうだろうか。彼末という印象に残る名前であるにしても、知っている人も多くはないのかもしれない。

 どこかくらい重たい絵だと感じていた。今回見てみるとそう重たいとも思わなかった。どちらかといえばずいぶん工夫された絵だと思えた。工夫というと悪いイメージがあるが、自分の世界を表現するためにあらゆることをやったということ。

 病の絵だと当時思っていた。同病のものが支持している。そう考えていた。それは今見てみると間違っていた。何かこだわりの強い絵であって、それが当時の私の浅はかさで病だと見えていたようだ。そのこだわりは画面の独特の雰囲気のようだと今回思えた。

 彼末宏の世界という雰囲気というか情緒的というようなものは確かにある。それは割合狭い世界のようだ。この人に見えていたものは、ちかしい身の回りの親密感のようなものらしい。自分の世界を表現することが、絵画であるという意味ではこれでいいのだろう。狭い範囲の根強い支持者が今もいるのではないかと思えた。

 そういう意味では絵はやはり自分を描く以外にはない。その自分次第だ。その人間がいかなるものかということが、その絵の世界への表現になるのだろう。ただ絵は技術的なものがかなり大きいものだ。井伏鱒二さんはすごい人間だと思うが、その絵はすごいものではない。

 いくら絵画の技術があるからと言って、絵が面白くないということがあるのは当たり前のことで、世間で興味深い人というものはそれほどはいない。つまらない人であれば、どれほど技術があっても絵は描けない。そこで、日々の絵の技術を磨く努力が、その人の人間を育てるようなものでなければだめだということになる。

 たいていの場合技術向上の方角が、よい絵を描く技術であったり、精密に欠ける技術であったり、時代の傾向に合わせれる技術であったりする。そのために技術向上の努力が人間をつまらなくしてゆく結果になってしまう事の方が多い。ここが難しいところなのだろう。

 絵画というものが、多分芸術はすべからく、こういうものだから見るものを変えてしまうほどの影響を与えるのだろう。ゴッホの絵を見て命を救われた人が居る。私の絵がそれほどのものになる可能性もないだろうが、そういうものを目指して絵を描きたいとは思っている。
 
 人間を成長させたいと考えて、禅に興味を持った。初めから乞食禅そのものだった。いま絵を描くのも人間の成長に結び付けている。それしかできないのだから、これを突き詰めるほかない。いまさらこの歳になってという事になるが。

 過ちては改むるに憚ること勿れということもある。身体が動く間はのぼたん農園を作り上げることに賭けたいと思う。東京に行ってますますそういう事を感じた。大きなビル工事が続いている。一体何をしているのかと思う。止まったら倒れる自転車のようだ。

 一度出来上がった仕組みが、判断力を失い、惰性で過去の方角を目指して、止まることができない。東京がもがいているように見える。この先は奈落だ。一度立ち止まらなければ、未来を見ることはできない。石垣島から見ているとそう感じる。

 人間が生きる幸せというものと、東京がどんどん乖離してゆく。違う努力を繰り返している人間。東京の様変わりが何を意味しているのだろう。
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「空」と「無」と自己本来

2022-10-27 04:57:49 | 暮らし

 
 ひこばえの実証実験中の2番田んぼの「とよめき」良さそうではあるが、まだ不安は残している。

 古代インドで生まれた「空」の概念。 空、くうという概念は、内部が空であることを表しているのだろう。内部と言うことになれば、自己内部と言うことと考えても良い。自分の内部がどうなっているのかという事は、生きていればかなりの人が考えることになる。

 インドでは自己という物がいかなる物か非常に突き詰めて考えられていたようだ。自分という物を指す言葉も、自己の置かれた時空の状況で変化するという。いつも今の自己はどういう自己であるかということが意識されている。その自己の内部を空とする考え方。確かに興味深い。

 仏教は出来て数百年が経過した頃、中国に伝わることになる。中国ではインドで考えられた「空」が「無」という概念に成って行く。無はないと言うことで、内部が空であることとは少し違う。外枠である自己という物も存在そのものがないという考え方である。空と無は似て非なるものであるはずだ。

 胡蝶の夢である。自分という物はそもそも無いのではないかという考え方。夢の中で蝶としてとんでいた。目覚めてみればああ夢だったのかと気付く。待てよ、蝶である自分が、今人間である夢を見ているのではないか。こういう言う考え方が出来る中国人は魅力的だ。

 2400年以上にもおよぶ仏教の歴史をとおして、自己の内部の空白概念を考えるとき、とても解決しきれない問題がある。解き明かせないから空という言葉に込められた意味は変化し続けたのではないだろうか。中国で考えられた無という考え方は、老荘思想的から生まれた考え方だ。

 禅の考え方として、日本の禅では主流の自己の捉え方として学んだ。その一番明確な認識が道元禅師の正法眼蔵なのだろう。私には十分に読み込むことができないので明確ではないが、自己存在をあると考えて、それをどう超越するかが只管打坐のように考えてきた。多分違っているのだろう。
 
  以下引用であるが、現存する最古の仏典と考えられているものは『スッタニパータ』原始仏典。『スッタニパータ』の「第5 彼岸ひがんに至る道の章」におさめられている第1119偈げ(詩句)に、以下のようなことが書かれている。
 
 つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。(『ブッダのことば』岩波書店、236頁)
 
「世界を空なりと観ぜよ」とは、自分などという物はないと言うことに通じている。そして、「世界が空なり」と認識することができれば、その人は生と死を明らかにしたことになり、「死を乗り超えることができる」と言う考え方になる。

 養老先生は、解剖学をやっていれば人間に自己存在などないと言うことは一目あきらかだと書かれている。物として人間を見て行けば、あらゆる人間という物体は変わらない。それを自己を独立させて、峻別することに大した意味はないという考え方。

 空という言葉も無という言葉も中国からの受け売りだったわけだが、考えてみれば中国でもインドからの受け売りだったわけだ。しかし、日本ではどうも空よりも無という方がしっくりしたのではないか。空は論理が通っているが、無はどちらかと言えば飛躍している。

 飛躍しているというか、詩的で情緒性が伴う。これは私だけの感覚かも知れないのだが。空は説明のようなものだから怖くない。無は絶対の世界の恐怖を伴う。死と無が結びつく。有るか無しかである。存在しないという感覚には慣れることはない。

 私は今ここに在る。そういう意識が普通だ。そんなものはないに決まっていると養老先生も言うし、道元禅師も言う。果たしてないと考えることが大切なことなのだろうか。自己存在にこだわり続けているような生き方を、ダメな生き方とは考えていない。

 何とかもう少し自分の何たるかを把握して、進みたいと日々生きている。それが絵を描くということになっている。絵を生み出すものとしての自己存在の確認をしていることになる。だからよい絵を描くということは重要ではなく、自己の独自性のようなものを探っているような気がする。

 それを邪魔しているのが、よい絵というようなことになる。昨日日動画廊で素晴らしい絵を見た。梅原龍三郎のカンヌの夕焼けの絵だった。自然体の絵だった。何かを表現してやろうといういうのではなく、梅原の自己内部がこの絵を描いたということを感じた。

 作ろうとか表現しようとか言うものがない、にもかかわらず、むしろそれだからこそ、強く梅原がそこにある。なぜこういう絵に至ったのか。日本の絵画の崇高なものがあった時代。今がいかに残念な時代になったものかと、その橋のほうにいる一人としてふがいなく思った。

 本当の絵を見ることは必要なことだ。確かに自己が表現された絵というものはある。あることが実感できる。ただし非常にまれだ。日動画廊には50点を超える絵があったのだが、そのほか一枚もなかった。多分その50点は日本の代表的な人の絵なのだろう。実は中川一政のものもあったがそれさえダメだった。

 絵を見る目がおかしくなっているのかもしれないが、一枚だけでもすごい絵を見ることができて、方向が間違っているわけではないということだけは確認できた。おかしくなっているにしろ自分の目で進むほかない。ますます方角が違うのかもしれないが、自分を確認するところまで行きたい。

 
 

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石垣の土壌について

2022-10-26 04:01:17 | 楽観農園
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 0番田んぼ  2回目の代掻きが終わったところの写真を載せておく。この後まだ代掻きを続けてゆくつもり。0番は漏れるところがないが。水漏れは絶対起きないようにする。手前の畦際が土壌が浅かったので、もう一度代掻きをする必要がある。


 1番田んぼ 奥がサジオモダカで手前が田んぼ。サジオモダカが終わり次第予定では2月。一つの田んぼにする。代掻きをする前には全面がアカウキクサで覆われていた。ウキクサ緑肥のつもりだ。それなりの窒素分の補充になると考えている。

 しばらく水を張れば、また浮草が覆うだろうから、水を浅くしてから浮く草を漉き込む。水を切らさないで浅くする容量を覚えなければならない。種まきの時も水を落として種まきをして、徐々に水を戻す。11枚の田んぼで、少ない水を利用して田んぼを乾かさず常に水があるようにしなければならない。


2番田んぼ ここは水が入れやすい。比較的石も少なく状態は比較的良いかと思う。1番田んぼからの水と、2番溜め池からの水が入っているので、管理がしやすい田んぼである。畔の草はきれいに刈らなければならない。


 3番田んぼ ここは2番田んぼからの水だけである。3番ため池から直接水が入るように、工事する必要がある。手前が低いのは水牛が寝ていたからだ。糞もしていたので肥料の補給には成ったかもしれない。糞の利用は考えてゆく必要がある。

 石が極端に多かった。この石を取り除くのは大仕事になる。あれだけの石の中で田んぼが出来たことの方に驚く。水を減らして石を取り除く。大変な作業になるが、やらなければよい田んぼにはならない。


 4番田んぼ ここは3番溜め池から水が入れられるので、水は十分在る。こここも石の多い田んぼなので石拾いが必要になる。4番田んぼからはこの後に続の5つの田んぼに水が行く。ここに無理があったようだ。5番、6番、10番の3つの田んぼに行くように変えようかと思っている。この場合、8番9番は予備的なものと考える。

 写真の手前の右側に水牛の糞が2つ在る。水牛は水があればそこにふんや尿をする。それをかき回して身体に塗りたくる。汚いようだが、それでダニやらアブを排除する。人間も汚くて触れない。それも狙っているのか。


 5番田んぼ ここも石が多かった。子供の頭ぐらいの石が10個以上も出てきた。さらに石拾いをしなければならないだろう。中央が高くなっている。少し均平になるように、直さなければならない。トラックターの逆回転で土の移動を試みてみる。


 6番田んぼ ここは昨年は工作をしなかった田んぼだが、水持ちは良い。今年は水さえ来れば、よく出来るのではないかと考えている。土壌の様子がここは違う。琉球石灰岩を砂にしたような土なのだ。じゃりじゃりで水持ちが悪そうなのだが、以外に水持ちがよい。


 10番田んぼ ここは最後の田んぼ私がやろうかと思っている。去年は0番田んぼをやり、一番上だった。苗床があったので工作が少し複雑になると考えて、0番の担当になった。今度は一番下で水が来なければ一番困る田んぼを引き受けたらどうかと考えている。

 ここは畦が弱いところが一番やっかいだ。また猪も頻繁に来る。ネットで囲ってしまおう必要がある。まずは畔直しをしなければならない。

 石垣の地質は多様性があると書いてあるものが多い。田んぼをやるにあたって、どんな土なのか手探りできた。一番驚いたことは田んぼの土が自然に締まることだ。0番田んぼは溜め池を兼ねていたから、10ヶ月水を入れ続けていた。にもかかわらず、トラックターがさして沈まないほど堅いのだ。

 この状態は名蔵の田んぼも同じことだった。崎枝ののぼたん農園は牧場だったところに新たに田んぼを作ったのだから、どうなることかと心配したのだが、まったく緩むことはなく自然に固まってゆく。しかも硬盤ができて固まるというようなことではない。

 石が多いために下のほうに石があるということもあるが、石の全くないはずの盛り土のところでも10か月の間にトラックターは沈まなくなっている。不思議な初めての土壌である。水を入れておき、物理的に固く締まって行く土というものは、稲にとって良いのだろうか。

 作業は楽である。稲刈りの時に水があってもそれほど潜らず作業ができる。もちろん機械ではなく手刈りでやるのだが、歩けないようなことはない。根ののび方は普通の成長だ。何か栄養素的に足りないものがあるようでもない。足りないものは腐食だろう。

 今回ひこばえ農法の実証実験を終わり、来期の田んぼを始めた。すべての田んぼを荒起こしをした。そのまま代掻きを続けている。石垣の土壌が独特のものであることを感じている。普通の土壌は永く水を入れていると緩んでくる。

 ところが石垣の土壌はなんと水を入れ続けていた0番田んぼでもトラックターが入っても少しも沈まないほど堅くなる。何というしっかりした土壌かと驚いている。代掻きがしやすい。今年2月頃始めて代掻きをしたときにはトラックターが沈んで動けなくなり、ユンボで引き出したところが在った。

 その場所が普通にトラックターで通って何でもなく代掻きが出来る。すごい土壌である。稲にとって良い土壌なのかはまだ把握できないが、機械作業をするにはとてもやりやすい土壌だ。その点では11枚の田んぼのどこも変わら良い状態で作業がしやすい。

 見た目では0番から10番田んぼまで、土壌は違うように感じるのだが、耕作してみると意外に変化がない。土壌の違いよりも石の多さが違うだけなのかも知れない。石は驚くほど多い。トラックターがかけれないほどの石が出てくる。

 5番田んぼなど、子供の頭ほどの石が、10個以上出てきた。荒起こしをしながら、その都度降りて石拾って、外に出さなければならないのでかなり大変だった。それでも根気よく続けた。何とか小田原に行く前に代掻きまで終わらせる計画だった。 

 石拾いと、田んぼ周囲の草刈りはそれぞれの田んぼの担当者にやってもらおうと思っている。私は0番と、溜め池回りと、7番と10番をやった。石垣にいる間にもう少しだったのだが、終わらなかった。石拾いに手間取り代掻きに時間がかかりすぎた。
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ホルベインの水彩絵の具

2022-10-25 04:57:42 | 水彩画

 ホルベインの絵の具が送られてきた。十分に使える。たしかに昔よりは良くなっている。あるいはニュートンが昔より悪くなっているかもしれない。徐々に色によってはシュミンケに変えたのだが、今度は円安の機会にホルベインに変えてみた。

 確かに色によって違いはあるのだが、基本的には大丈夫なようだ。ホットした。水彩絵の具で重要なことは色の明るさだ。彩度の高さと言えば良いのだろうか。濁らす方はいくらでも混色で何とかなるわけだが、さらに鮮やかに描きたいと言うときに、そういう絵の具がないと言うことが起こる。

 この対応の出来る絵の具が欲しい。特に、黄色で言えばカドニュームイエローレモンとコバルトバイオレットである。この2つの色が私には問題で、昔のニュートンの物が使いやすかったのだが、特にコバルトバイオレットが変化してしまい。その影響で絵まで変化した気がしている。

 絵の色が濃くなってきた一番の原因の一つの要素である。水彩画の場合紙の白が一番彩度が高く、一番に強い。その紙の明るさを上手く利用しながら描くのが一番水彩画の良さだ。その薄めた色が、紙の白さを透過させる幅が重要になる。

 水で薄めれば薄めるほど、絵の具の微妙さが大きく現われてくる。その時に平均的に色が薄めても強いのがシュミンケの絵の具である。ところがシュミンケの絵の具は無機的な感じがする。硬質な色で使いにくい場合が多々ある。私にはその点10年前ぐらいまでのニュートンが好きだった。

 しかしニュートンがだめになり、無機的な色味のシュミンケにせざる得なくなったのだが、シュミンケにはコバルトバイオレットがない。それで結局気に入った色が一つ失われてしまった。このことはさすがに絵に影響した。変わるべき色がないので、今でも困っている。

 

 実はパレットも変えた。これも変えたくなかったのだが、蓋がわれてしまい使えなくなった。長年愛用していた物が使えなくなったのだ。写真の左側にあるものが蓋のわれたパレットで、残った絵の具をまだ使っているが、そろそろ廃棄に近づいた。

 この20年も、まさに愛用したパレットは学童用のものだったのだが、使い勝手が最高の物だった。色が見やすいことが一番のよさだった。それで似たような者を4つも買ったのだが、どれも色が見にくいもので使えずわれた蓋を補修して使っていたが、ついに変えた。

 
 持ち出し用にはホルベインのアルミパレット。山梨に描きに行くときにはどうしても必要なのだ。そして車の中では陶器性の物に変えた。5色2つで10色である。それと前から使っていた、ニュートンの陶器性の大きなパン絵の具が5色。この15色で描いている。
 
 15色を改めて書いておけば、右からビリジャン、コバルトグリーン、コバルトターコーズ、コバルトバイオレット、ガンボージュ、コバルトイエローレモン、コバルトイエロー、ローシェンナ、バーミリオン、ローズマダー、上の大きなパンがチャイニーズホワイト、コバルトブルー、セルレアンブルー、ウルトラマリンブルー、バーントシェンナとインジゴブルーの混ぜたクロ。となっている。

 水彩の絵の具はたぶん全色持ってはいるが、安心のために持ってはいるが、滅多に使うことはない。写真の画台の下に引き出しがあり、そこが絵の具箱である。堅くなってしまった物も捨てないで残してある。春日部先生に頂いた、ラウニーのものも一揃い在る。

 今のところ試したホルベインの色で大丈夫なのは、色として強く塗る色だ。例えばセルレアンブルーが昔より薄めても大丈夫になっている。空とか水とかに使うから、薄めることがままある絵の具だ。それが大丈夫というのは心強い。昔は薄めると濁りが出てきてだめだった。

 やはり、だめなのはコバルトバイオレットとカドイエローレモン。仕方がないか。それでも使える範囲ではあるので、何とかなると思う。ホルベインの絵の具が大丈夫だと分かったことと、色によっては60ML大きなチューブがあると言うことも分かった。

 碍子に使われていたような、真っ白の陶器製の皿は使いやすい。パレットに具合の良い物はなかなかなくて、絵の具ざらというような物を使っていたこともあるが、今回中国製と思われる物で使いやすいパレットが見つかったので変えた。

 5色だけは大きな物にしているのは刷毛を使う色だ。よく広く塗るときには毛で使う色は別にしてある。今回パレットは固定用のものと携帯用とに変えたので、ほぼ陶器製の方は死ぬまで使えるだろう。陶器製のパレットには蓋を作ってある。使い終われば木の蓋がしてある。

 白の絵の具は今回初めてホルベインのチャイニーズホワイトを使ったが、割合使い勝手が良い。白は会社によって様々だが、白を混色することはしない。白を色の上に薄く重ねることが多い。この加減が上手く出来る白が使えるのだが、ホルベインの白で大丈夫なようだ。

 紙の白を残したいことはある。それくらい明るい白にしたいときだ。紙の明るさを消さないよう加減して白を塗る。紙かなと思う程度だが、よく見ると白が塗ってあるというぐらいに使う。紙のままだと紙部分の方が黒ずんでゆくからだ。

 紙にもよるし、保存状態にもよるのだろうが、絵のバランスが崩れるから、描いた後の変色は気になる。最近の絵の具は混色しても変色をしないようになってきたらしい。変色する顔料は使われなくなっていると言うことなので、その点は気にせず使っている。

 40年ぐらい前の絵もあるが、この間に変色したという感じはしない。水彩絵の具は案外に安定している。保存が大事になるのだろうが、黴びてきているものはある。かなり気にはしているのだが、描いているときの環境が影響している気がする。今描いている物は大丈夫と思っている。

 結局絵の具よりも紙の方に問題があるのだろう。良い紙を使えばその点安定している。耐光性のない紙がある。直射日光に1ヶ月当てて見れば分かる。使う前に確認している。ホルベインの絵の具は信用して大丈夫だと、言われたので使うことにした。
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「石垣島」おもてなしの観光

2022-10-24 04:33:52 | 石垣島


 倉庫が作られている。余り進まないので困るのだが、それでも徐々に形が見えてきた。早くできなければ、籾すりも出来ないし、色々困ることが出てくる。この調子では11月後半になりそうだ。まったくあきれてしまうほどマンマンディーである。

 石垣島の未来は観光業にある。それは農業も観光に結びついて始めて成立することになる。今のところ、観光と言えば、大きな道路を作る。何か他にないような施設を作る。いわゆるリゾート開発を考える。これは未来の観光ではなく、むしろ石垣島の観光の未来を潰す可能性がある。

 建設業は土木産業の仕事を作り出すことが、石垣島の政治の目標である。たぶん日本の離島の多くがそういう構図にあるのだと思う。離島の建設業者は例えば大きな港湾設備を建設する仕事をやるために、様々な記事嫌人員を用意して対応する。

 するとその港湾設備が終わったときに次の仕事がなければならない。そこで離島の政治は次の仕事を見つけ出すことが重要になる。公共事業でもいいし、民間のリゾート開発でも良い。石垣でもポンツーンとか言う海洋施設の建設というのも提案されている。

 自衛隊基地建設、隊員住宅の建設、市役所の建設、クルーズ船の港、高級リゾート開発、ゴルフ場建設、ダム建設、大規模農地整備、道路建設、博物館建設、これらのことが動くことで島の建設業とそこで働く人や物の流れがある。その流れが止まればかなりの倒産も起こるだろう。島の経済全体が苦境に陥ることは間違いない。

 必要なものであれ、不必要なものであれ、あるいはやるべきではない事業であれ、島の経済はかなりそうした建設業に依存しているのが現実だろう。だから、島の未来にとって負の遺産になるだろう物でも、建設関連に多かれ少なかれ関わる人の多さが、次の建設の仕事を島の政治に期待することになる。

 一方で多くの人が島の未来は、観光業にあると考えている。この点はたぶん大きくは違わない方向なのだと思う。石垣島が世界でも有数の美しい島だと言うことがある。その美しさは自然と人間の暮らし方の調和に支えられている。

 太古の自然が残されているとか、絶景があると言うのではない。ごく普通の島にごく普通に人が暮らしている。その当たり前の調和が石垣島の一番の魅力だと思っている。これには異論はあるだろうが、今後石垣島で議論されて行くべき部分だと思っている。

 畜産に於いては石垣牛が重要な産業である。石垣は草の生産が年5,6回も出来る有利な草地と言う自然環境がある。牛の飼料が高騰する中、生の草を食べさせることが出来る条件は、石垣での畜産には未来があると思える。この畜産が必要とする草地が、石垣の観光と調和しなければならない。

 石垣牛が安定して売れるためには、観光業がさらに盛んになる必要がある。石垣牛は島民が日常食べるような肉ではない。高級な肉で、観光の一つの要素になっている。台湾や韓国や中国から来る観光客の一つの楽しみが石垣牛になっている。

 しかし農業全般で考えると、サトウキビは未来がほぼない。稲作農業も同様の状況である。観光と結びつかない限り、生き残る可能性は低いはずだ。サトウキビもお土産の黒砂糖であれば一定量売れているが、普通の砂糖としての販売は採算が合わなくなっている。

 パイナップルやマンゴーの生産もかなり苦しいと言われているが、可能性はあると考えている。観光と結びつけることが可能だからだ。お土産と言うこともあるし、ジェラートなど良い材料を使う他では食べられない特別に美味しいものが観光客の人気になっている。

 美味しいと言えばマグロである。生のマグロが食べられる島だ。今は観光と結びつくまでではないようだが、将来は石垣島に生のクロマグロを食べに来ると言うことになると思っている。その他美味しい貝類もあるのだが、これはすでに資源が枯渇しそうだ。

 観光客が楽しめる乗馬クラブもある。もちろんダイビングショップは数多い。きっと石垣島に釣りに来る人もいることだろう。ウインドサーフィンやヨットなどもよく見る。石垣島に何かをやりに来るという人が観光客のかなりを占めているのだろう。野球やサッカーのプロチームがキャンプに来ると言うこともあるようだが、雨が多いいと言うことが、ネックになる。

 観光に結びつく農産物は未来があるのではないかと思っている。その意味で、石垣島のお米がホテルの朝食に使われるというのも良いと思っている。美味しくて、有機農業での生産のお米ならば可能だろう。石垣島の水田が石垣島の環境と景観に寄与していることを考えると、どうにかして結びつけたい。

 そしてなにより「おもてなし観光」である。一番は石垣島の民謡文化である。伝統的な八重山民謡の奥深さは間違いなく日本一である。世界から注目される物だと思う。それと同時にビギンやきーやま商店のような人気バンドもある。島の若い人達が音楽に触れている。

 おもてなし文化の島といえるだろう。泡盛はその象徴である。泡盛もうまく観光と結びつくことが重要にちがない。石垣産のお米で泡盛を造るようになるべきだろう。観光と地元の酒は結びついて成り立つ物だ。価値あるお酒が造られれば、必ず残って行くだろう。

 おもてなしの背景にあるものは、相手の心を読み取る能力である。わずかな表情の変化で相手の心が読み取れなければ、おもてなしは出来ない。これが日本人にはかなり出来なくなってきている。フランスに暮らして一番驚いたことは、相手の表情を読み取る文化がないと言うことだった。

 日本人がまわりの人を気にして暮らしてきたのは、百姓文化である。いつも自然を読み取らなければならない。動じにお隣の田んぼのことも気にしていなければならない。水は繋がっていて、自分だけ良ければと言う人は、我田引水と言われて、地域社会では排除される人だった。

 いつも回りに配慮して手入れを重ねて行く百姓の心。この里地里山の考え方が、実は日本の物作りに反映したのだ。心配りのある、わずかな改変を重ねて、さらに良い製品にしてゆく。一人でではなく、全体のチームで協調して良い物作りを行う。

 このおもてなしと物作りの心の繋がりは、これからの石垣島の観光に一番重要な要素になるだろう。台湾に行って実に気持ちが良いのは、まだおもてなしの心が、日本よりも残っているからだ。それは石垣島にも残っている。これから石垣島が世界一の観光地になるためには、おもてなしの心だろう。

 おもてなしの心がなくなれば、施設の整備では追いつかないのだ。自然を大切にして暮らしているのだな、そういうことが感じられる石垣島にならなければ、観光に於いては単なる消費になり、必ず滅びてゆく場所になってしまう。
 
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第132 水彩画 日曜展示

2022-10-23 04:40:56 | 水彩画
第132 水彩画 日曜展示
 大きさは10号前後です。




942「宮良川の畑」
2022.10






943「飯盛山」
2022.10







944「岬」
2022.10








945「琉球松の田んぼ」
2022.10







946「西伊豆」
2022.10







947「うみ」
2022.10






948「夕暮れ」
2022.10







949「ハイビスカス」
2022.10







950「紅葉」
2022.10






951「カイラギ沢」
2022.10

 今回も色々の絵になった。絵を描くときはできる限り何も考えないで描いている。そのためなのか色々の絵が現われる。それでいいというか、仕方がないかと思っているが、不思議な気はしている。またこれで良しという絵もあれば、まだまだなというものもある。

 絵を描く気持ちがゆれていると言うことなのかもしれない。できる限り同じ状態で絵に向かい合おうと考えているのだが、なかなか難しいのかもしれない。自分では分からないところだ。それでも展示するのは一応出来たと考えた物だ。

 自分の絵といえるものを展示している。どうしても絵にならないものもある。これも不思議なことだと思う。同じ人間が描いているのに、何故だろうと思う。当たり前の事のようだが、何か違うような気もする。
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習近平第3期政権と台湾

2022-10-22 04:42:51 | Peace Cafe


 習近平氏が党主席になった。2期までという慣例を破り3期目である。今の中国の状況を考えれば、当然すぎる判断だろう。現在の中国の経済成長は習近平氏の経済運営によって生まれた物である。国家資本主義による経済成長だ。経済成長という恩恵を中国の人達の大半は喜んで受け入れている。

 急激な経済成長は様々なひずみを生んでいるだろうが、貧困の克服が政府の一番の役割だとすれば、まだ十分とは言えないとしても、習近平政府の成果は大きなものがある。農村部の貧困の解消と共同富裕の課題は第3期習近平政権の課題となる位置づけのようだが、これからの重要課題である事は間違いない。

 今後の経済成長も続くとみて良いだろう。世界が経済停滞に入る中、経済成長がまだ継続される。日本では問題点の指摘ばかりがされているが、世界経済の中で見れば、比較で考えれば、中国はまだ増しな状況に置かれている。日本やヨーロッパの苦境はまだまだ続くだろう。

 さらに重要な課題として台湾統一が上げられている。これも当然の課題だろう。問題は統一の方法である。台湾の人々が喜んで統一を臨むような国に中国が成ることが一番良い方向だろう。民主的な統一は中国も主張するところである。嫌がる台湾を武力で統一すると言うことが最悪の事態になる。

 この点で、アメリカは台湾をアメリカ側に引き込むことに躍起になっている。当然その配下である日本でも台湾を守れという政府の宣伝が行われている。その主張はあくまでアメリカ自身の利益が目的である。国防もあるが、経済の競争と言うこともある。

 なにをおいても、重要なことは台湾の人々の意志である。日本がいくら台湾の人に仲間でいて欲しいと考えたとしても、あくまで台湾の人の選択である。国家という物はそこに暮らす住民の意思によって選択されるべきものである。

 あと10年先に中国がさらに豊かな経済大国になり、民主主義国家になっている可能性も無いとは言えない。中国人は優秀な民族だから、どこかで方向を変えてくれることを、私は期待している。国家統一は台湾人がどう考えるようになるかが問題になる。

 ロシアによるウクライナの侵略戦争も、前段階がある。当事者たるウクライナがどう考えるかが最も重要である。クリミヤがロシアに併合された段階で、クリミヤでの住民投票をきちっと評価すべきであった。私には当時のクリミヤの住民投票は客観性があると見えた。

 ヨーロッパでもアメリカでも、否定的な判断であったが、クリミヤがロシアに入りたいという判断をしたと私には見えたし、当時そのことは何度もこのブログにも書いた。所属を判断をするのは住民である。当事者の判断が重視されるのが、民主主義である。

 背景にあったものはウクライナ政府への、ウクライナ民族主義の台頭である。ウクライナ人のアイデンティテーである。長い間の露ビエト連邦に組み込まれて、ある意味支配されてきたが、ウクライナ人はウクライナ語を持つウクライナ人であると言う意識が高まった。

 当然、ロシア語を話すロシア系の人々は圧迫を受けることになる。ロシアに助けを求める心情が生まれた。ロシアと繋がる。その行き着いた先が特にロシア系住民の多かったクリミヤ半島である。問題が緊張する以前でも、ロシア帰属を求める人が半数は存在した場所である。

 いよいよ帰属の住民自身が選択できるという場面での、投票が行われる時点ではロシア帰属を希望する住民が多くなっていたのだ。背景にはやはり経済の問題があっただろうし、ウクライナで生まれた排他的な傾向のある民族主義政権にはついていけないというロシア系住民の判断ももっともなことだろう。
 
 いずれにして、ウクライナへのロシアの侵略戦争はこのクリミヤで起きたロシア編入問題が発端である。この問題への解決方法をNATOもアメリカもまちがったのだ。民族主義を強めたウクライナの政権を積極的に軍事的に支援して行くことになる。当然、NATO加盟も検討された。

 ロシアへの帰属を選択したクリミヤの住民は、不安を強めて行く。内戦状態が続いているウクラナイ東部4州という、ロシア帰属派の多い地域では徐々に将来への不安が高まって行く。そこでロシアは判断を誤る。ウクライナという独立国家へ軍事侵攻という最悪の選択から始めてしまう。

 東部4州の帰属だけの問題であればクリミヤと同様の問題があり、ロシア系住民の独立運動が内戦化していた。ロシアの支援も続けられている。しかし、ウクライナがNATOに加盟したならば、網東部4州のロシア編入はあり得ないことになると判断したのだろう。

 台湾の帰属問題を考えながら書いた。台湾は台湾人が帰属を決めれば良いことだ。独立する権利もあるし、中国へ編入する権利もある。そのことが冷静に検討され、決められる環境を作ることが重要なことであろう。アメリカのやり方はウクライナ同じである。

 日本はアメリカに従い、中国への軍事的圧力を強めようと言うことである。敵基地攻撃ミサイル基地を石垣島に建設中である。この政策はウクライナ侵略戦争を誘発した、対立構図と同じことになる。極めて危うい政策を選択していることになる。

 よく、日本の軍事力優先派は、台湾が中国に帰属したならば、今度は沖縄を中国に帰属させようとするだろうと主張する。しかし、現状のまま対立を深めることはウクライナロシア侵攻の二の舞になることは間違いがない。その前に諦めないで、話し合いを求めることだ。

 もし沖縄の住民の3分の2以上が独立を望むのであれば、それも一つの選択である。民主主義はそういう物だろう。しかし、現状ではそれは極めて少ない選択だろう。中国が台湾侵攻を思いとどまるように、時間を稼ぐことが最善の選択である。時間が平和をもたらすこともある。

 10年経過すれば、中国も台湾も日本も状況が変わる。軍事侵攻など必要が無い状況が生まれている可能性もある。アメリカにいくら言われたとしても、日本には日本国平和憲法がある事を理由に、中国との平和的な交渉を模索すべきだ。

 平和への何の努力もしないことが一番悪い。ウクライナでも戦争を回避する機会は何度もあったのだ。戦争が良くないのは何も解決できない手段と言うことにある。ウクライナ侵攻の結果問題はさらに深刻化しただけのことだ。多くの人が無駄死にしているのだ。

 武力によって解決されることは、何一つないと言うことを肝に銘じておかなければならない。武力は恨みを残す。今後何世代にもわたって、ウクライナ人はロシア人を憎むことだろう。しかも、ロシアは世界から疎まれる国になった。
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『百姓の百の声』映画が出来た。

2022-10-21 04:48:59 | 身辺雑記


 『百姓の百の声』監督柴田 昌平。農文協がはじめから推している作品である。現代農業では何度か紹介されていた。本当の百姓を表現しようという作品である。百姓はいまや差別用語として、使ってはならない言葉に位置づけられている。それほど百姓という物は情けないものだと、現代社会は卑怯な態度で位置づけている。

 しかし、宮沢賢治のユートピア「イーハトーブ」にあるように百姓の世界は夢のある豊かなものなのだ。百姓は自然と向き合う、哲学者なのかもしれない。そして世界を思考する実践家でもある。さらに自然分野の科学者でなくてはならない。そして明日の世界を作り出している創造者となる。

 こういう私のような楽観的な考え方を、柴田昌平監督は一方にある農業ユートピア思想としている。そしてもう一方に、農業問題化論が存在しているとする。その2極化は、沖縄の構造と同じだというのだ。南国のユートピア沖縄。同時に基地の島沖縄という問題化。監督は沖縄にいた人だ。

 日々の作物に向かい合う暮らしを通して、百姓は命と向かい合う。種を蒔けば芽が出る。命が芽生える。芽生えた植物はが実りを迎えるように、百姓は日々命を見つめ続け、手をかけて行く。その暮らしから百姓が学ぶものは、宗教とも哲学ともいえる世界の摂理を見つめ続けることになるのだろう。
 
 百姓に生きることは、人間を生きると言うことになる。人間がどう生きれば良いかは、自然と向かい合うことで見つかるものだ。自然と言う人間を生み出した物は、人間のまっとうな在り方を示してくれている。必要以上にむさぼってはならないと言うことを教えているように見える。

 農地の生命は長い。上手く利用すれば、永遠に人間が生かして貰えるものだ。この点近代的な工場農業とは違う。どれほど最先端な農業工場が出来たとしてもその耐用年数はは、せいぜい30年くらいのものだろう。原発のように耐用年数が過ぎても使い続けたとしても、50年すれば陳腐化する。

 東アジアでは4000年と言う長い期間、同じ農地が使われ続けている。この先4000年も問題なく使えるだろう。その農地は自然のままに置かれていたよりも、農耕を行うことで素晴らしい土壌になっているだろう。人間が生きていく場として農地はある。農地があると言うよりも、大地があるのだろう。人間はこの大地に百姓として生きてきた動物に一つだ。

 自然と人間が折り合いを付けたものが農地である。その折り合いを積み上げているのが百姓である。正しい折り合いを日々探している。毎日間違い、毎日修正し、完全とはいえないまでも何とか作物の収穫まで到達する。この農業によって、百姓が出来上がって行く。

 百姓は信念がなければ続けられない。何があるか分からない収穫までの未来を、どこかで疑いながら、どこかで信じて、日々の労働を続けなければ成らない。毎年の試練である。試練を越えて生きるためには信念がいる。この日本の社会で生き残っている百姓はみんなスーパーマンなのだ。

 もちろん私などは百姓とは到底いえない。自給農業者などと甘えて生きてきた人間である。百姓の一番の危機は、アパート経営である。農協不動産のセールスマンは、儲かるから是非とも建てろと回ってくる。そりゃー農業よりは儲かるだろう。農業がそう言う位なのだ。これが道を踏み外す第一歩である。

 原発事故以降、ソーラー発電業のセールスも来るようになった。百姓は減って行く。百姓だって日本経済の中に組み込まれているのだ。しかし、アパート経営の持ち出しで、百姓を続けているのでは、ちょっと違う。と言って百姓が仕事は研修生にお任せして、営業に走り回るのもかなり違う。百姓と共に生きなければならないのは、食べる人達だ。

 百姓はIT農業には登場しない。農業工場には百姓は探しても見つからない。百姓はいつも祈っている。明日雨よふれ。明日は晴れろ。百姓は願いばかりだ。百姓の願いはいつも裏切られる。百姓は辛いものだ。それでも百姓は少しもめげずに明るいものだ。明るいというのは脳天気と言うことだろうが、そのようにいられるのは、日々の試練の先に、それなりの実りがあると言う体験の積み重ねだ。

 柴田昌平監督は学生の時代に実習で芦川村に入り、その後通い続けている。芦川村は私の育った境川村とはお隣の村だ。1955年から60年頃になるが、芦川村には何度か行ったことがある。宿を兼ねた小さな商店が一軒だけあった。その向かいの家に母の弟のおじさんが住んでいた。

 その頃はまだ車は行けない村だった。鶯宿峠を越えて歩いて行ったのだ。その山奥のさらに山奥に芦川村はあったのだが、大きな川のある意外にきれいな村であった。そのように感じたのは向昌院があった藤垈の方がはるかに貧しい村だったからだと思う。

 叔父は芦川小中校の教師だった。芦川で一番驚いたことはみんなが優しいいい人達であったことだ。それは、隣の部落であるにもかかわらず、私の生まれた藤垈の集落は少しくらい、息苦しい空気の部落だったからだろう。自給自足で暮らしている日本の明るい山村と言うものがそこにはあった。

 子供の時代に芦川村という伝統的な日本の暮らしを見届けることが出来たことは、幸運なことだった。学生の柴田監督が調査に入った時代はその30年後のことで、自動車で行けるようになっていたはずだ。それでも人間の素晴らしさに目が覚めたという。芦川村には優しい人間的人間の世界が続いてきたはずだ。

 ともかく優しい人達なのだ。どこからどこまでも優しいので、子供の私はすっかり鶯宿になついてしまった。おじさんは日曜ごとに戻っていたので、いつでも付いて行きたくなったのだ。一人で歩いて行ったこともあった。芦川で出来た遊び友達は馬で鶯宿峠を越えて向昌院を何度か訪ねてくれた。

 芦川村は決して貧しい村ではなかった。藤垈の人達がうらやんでいた豊かな村だったのだ。芦川で水力発電をして、お風呂も電気で沸かしていた。農業ではこんにゃくを栽培していた。こんにゃく以外はイノシシに食べられてしまうので、仕方なくこんにゃくを作った。そのこんにゃくが高く売れたもので、裕福な村になったのだ。こんにゃくでーじんと言われていた。

 その後村を取り囲むように堀を張り巡らした。堀から中にはイノシシが入れないようになっていた。夜になると橋を外してしまうのだ。一山越えた富士山で米軍の演習が始まってイノシシが芦川に逃げてきたと言われていた。その芦川村の名前はなつかしかった。

 『百姓の百の声』映画が出来た。11月5日にポレポレ東中野で上映される。是非見に行き、監督のお話も聞きたいものだが、その日には行くことが出来ない。いつか石垣島で上映会が出来ればと思うが、そういうことは可能なのだろうか。監督は沖縄とは縁が深い人だから、本島では上映会はあるだろうから、見逃さないようにしなければ。

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統一教会問題の予算委員会

2022-10-20 04:46:46 | Peace Cafe


 統一教会が国会の予算委員会で議論された。その様子を2日間もラジオで聞いていた。野党の質問は見当違いとしか思えなかった。私が聞いて欲しいのは、何故統一教会と自民党がつるんでいたのかで在る。そしてどんな理由で統一教会と自民党は縁を切るのかだ。

 縁を切るにもかかわらず、安倍晋三が統一教会の後ろ盾ということで殺されにもかかわらず、調査もせず国葬にしたのかで在る。統一教会が非合法を行う宗教組織でであるのか、詐欺集団であるのか。そんなことをこれから調査すると言うこと自体が、無意味なことだ。国会で議論する必要はないとおもえる問題だ。

 統一教会は恐ろしい組織で在る。KCIAと連携してきた集金組織だ。韓国の情報機関は日本政府と連携している。金大中氏が東京のど真ん中のホテルから、KCIAに拉致された。日本の警察は金大中氏を監視していたので、そのことを最初から最後まで見ていた。

 警護していた人が手を出してはならないと上からの命令があり、そのまま船に乗せられ拉致されていったことを見ていた。日本の警察は命令で、誘拐という犯罪を手をこまねいていなければならなかった。悔しかったと証言している。そういう日本国内で犯罪行為を行うKCIAと統一教会は連携してきた。

 そして、安倍3代は日右翼右翼闇勢力として、統一教会と連携してきた。笹川良一は勝共連合創設時に組織の名誉会長に就任 した。極右勢力の親玉の児玉誉士夫 が介在したと言われている。何故、日本の右翼はアメリカにおもねり、韓国の言いなりになるのか。

 日本の右翼は軍事力を重視する武力主義者であり、利権集団であり、要するに愛国者ではないのだ。これが安倍晋三は国賊だと言われた所以だ。日本国を大切に考える物が、日本人をカルト宗教に入信させ、韓国に貢がせるなどと言うことを考えるはずが無い。そうした非合法行為を統一教会にさせてやる代わりに、自分たちはバックマージンを得ていたのだ。

 こうした政治の裏の利権構造は普通に想像されてきたことだ。少なくとも私は50年前からそう考えていた。安倍が木偶人形として、長く総理大臣にすげられていたのは、まさにそういう日本の裏勢力の体裁の良い人形だったからだ。そんなことも多くの人が指摘してきたことだ。しかし、殺されるまでは一切ないことになっていたわけだ。

 何故そういうアベ政権を自民党内でも崩せなくなったか。だらだらと長期政権になったかが問題なのだ。日本人の理念と倫理の喪失だと思っている。習近平が経済成長と言う実績があるから、何をやっても許させている姿をよく見なければならない。

 アベ政権はさまざま利権をばらまき、財界や報道機関を言いなりにした。人事権を駆使して、司法や官僚を従わせた。過去最悪の政権だった。統一教会はその切れっ端事件で、もっともっと巨悪なのだ。忖度が横行することで、日本人の正義の意欲が失われたのだ。

 統一教会程度の詐欺集団ならば、オレオレ詐欺をしている組織を考えればいくらでもいる。問題はその詐欺集団の支援を自民党の最長政権で、国葬までした安倍晋三が3代にわたって、腐れ縁があると言う問題なのだ。統一教会が犯罪組織であるかないかよりも、何故そんな怪しげな組織とつるんでいたのかが問題の本質だし、日本の未来に影響してくる問題だ。

 過去霊感商法で逮捕された詐欺組織を、何故安倍晋三を中心とした自民党の200人もの議員が連携を続けていたのかと言うことにある。統一教会が非合法組織であるかどうかはたいした問題ではない。過去明らかな犯罪集団に、安倍晋三はビデオに出演し応援をした理由を暴かなければ意味がない。そのことが見えてくるように国会質問をしなければだめだ。

 考え得ることは安倍氏は統一教会関係の歴史の中で弱みを握られていたと言うことではないか。安倍氏がビデオで顔出しせざる得ない、忖度せざる得ない状況が作られていた。それは極右集団からの圧力や、KCIAの情報があったのかも知れない。かつての岸時代の犯罪行為が隠されているのかも知れない。

 そして、統一教会との繋がりが原因で安倍晋三はテロで殺されることになる。ビデオを見たからと言うだけではないと考えた方が理解しやすい事件だ。その安倍氏を岸田政権はなんと国葬にしたのだ。国会の議決はないのに費用は国民が出した。岸田氏は暗い闇勢力の圧力に屈したのだろう。統一教会葬ではなかったのだ。

 安倍氏を国賊だといった自民党議員がいたが、同感である。木偶の坊の操り人形だった。利用しやすさがその特徴だ。統一教会献金にも良いように使われた。極右の看板役も兼ねていた。プーチンの親友役も、トランプのお友達もさせられていた。日本人としてまことに恥ずかしい、国家の品格をまさにおとしめた人間だ。

 日本をサタンの国として、日本人からお金を巻き上げる事が、統一教会の正義として、目的になっていたのだ。そんなことは今更ながらのことで、何十年も続けられてきたことである。私がひつこく勧誘をされたのは50年前のことだ。

 今は世界平和家庭連合とか言うらしいが、その結果として統一教会は長期にわたって、日本の家庭破壊組織であったことが現実だ。多くの家庭が献金で崩壊した。いったいどこの家庭を平和にするというのだろうか。この名前の変更自体が実にいかがわしい。これを優先して認めたのも自民党議員の忖度である。選挙で応援されていたのでは断れない。

 問題は今更統一教会犯罪を問題にするなどという前に、何故霊感商法事件を起したときに、宗教法人の解散をさせなかったのか。当時の方がひどい犯罪組織だった。ここを質問しろ。そこには政治が影響したとしか思えない。安倍晋三が関わっていれば、犯罪を犯した組織は政治と連携できるのか。何かおかしな事があると考えるのが自然だ。

 同じ問題が公明党と創価学会にもあるのではないか。宗教組織としての、悪事を隠すために政治に結びつく。その他の極右集団がアベ政治には取り巻きとして存在した。こうした反社と行っても言い組織が取り巻いている安倍が日本の最長政権として存在できた、日本社会が問題なのだ。

 あの国葬の焼香の長い列は実に気味が悪かった。反社右翼と統一教会と創価学会の動員だったのだろうか。確かにその3つの組織は焼香をしたくなるほど感謝をしているのだろう。高市氏は大陸の方からと言うことらしいが、半島の方から香典を貰って並んだのか。

 自民党が何故そこまで統一教会を浸透させていたのかが問題なのだ。統一教会の悪事の捜査など今更でどうでも言い。何故宗教組織を名乗る、韓国献金組織と、自民党がつるんでいるのかが問題なのだ。そのことを自民党支持者に教えなければならない。

 こんな体質の自民党が政権に居ると言うことが、恐怖を覚えるほど危険なことだと言うことになる。しかし、立憲民主党すら集会に出た人がいるぐらいだから、もう日本の政治はデタラメになっているとしか思えない。どこに敵がいるのかが見えなくなっている。

 
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太極拳の3年で分かったこと

2022-10-19 04:17:12 | 暮らし


 太極拳について書こうと思うのだが、まだ太極拳の練習は何か自分の考えを書けるところまで進んでいない。太極拳には相当に深い奥行がある気がしている。スワイショウ、八段錦と書いたので、これで朝の動禅が一通りになるので、太極拳につても、何がわからないかを含めて書いておこうと思う。

 太極拳は1年間かけてやっと覚えた。2年目に何とか忘れた。忘れたというのは、歩くのと同じで、意識することなく自然に出てくる物になったと言うことだ。3年目は正しい形を探してやっている。とても魅力のある動きだと思うのだが、その理由が分からないので、正しい形を真似ている状態。

 太極拳のなんたるかなど到底まだ分からない。スワイショウも、八段錦も自己流で大分形を変えたが、たぶん太極拳も随分自己流になっているに違いない。一人で眼を閉じてやっているので、どんな動きをしているのかはよく分かっていない。かなり無様な動きだと言うことは想像できる。

 せめて時間だけでも太極拳の正しい長さに合わせようと考え、調べたのだが、そのことは余り出ていない。競技として行っている者は6分以内という慌ただしいものだ。楊先生はゆっくり動くことが良いとして、12分ぐらいだと言われていたと言うことなので、12分になるようにしている。意識してじっくりと動かないと、12分にはならない。

 それでももう10ヶ月繰り返してきたので、何とか終わってみると12分に成っている。長さは良いとして、動きの目標が無いので、なかなか難しいところだが、重心をできるだけ低く落として動くと言うこととを心掛けている。それと重心の移動して行く動きが無理なく、なめらかに一定になるようにしている。

 動きはできるだけ大きくしている。ユーチューブで見るものはもう少し小さい動きのようだ。上下動も前後の動きも、手の上げ下げや伸ばし方も、すべてに大げさに大きく精一杯行うことにしている。これは本来から言えば随分おかしな事なのだろうが、この経過を通して、将来落ち着くところがあるのではないかと考えている。

 長さは最後の立禅を除いて12分ぐらいだと思ってやっている。何故か世間の太極拳は早い。中国の太極拳など、競技でないものも6分ぐらいで終わってしまう。太極拳が何かは理解できていないが、どうも中国は慌ただしいことだ。精神世界の体操だと考えれば、そんなに慌ただしい動きのはずがない。

 中国の太極拳の早さや、曲芸的な動きを見ると。中国が失った物がなんとなく分かる。かつて最も大切にされていた、タオ道である。オリンピック種目にしたいとしている。何でも争えば良いというものではない。そのうち禅まで競技にしてしまうのでは無いだろうか。

 太極拳を体操と考えることも申し訳ないことのような気がしている。能楽師の舞いのような物としてやりたい。幽玄な動きのものでありたい。そういう思いを込めてやっている。精神を込める動きは静かな物のはずだ。と言っても無様な私がやっているのだから、ほど遠いものだとは分かっている。初心者が書くのも恥ずかしいことだ。

 日本の能はすごいものだと思っている。宝生流の家元の方と交流があったので、舞台を時々見せていただいた。すごい動きである。精神を動きに込めて表現する世界は舞踏以上だと思った。一子相伝だと言うことがよく分かった。身体の動きという物は、実は心の中を表現できるもののようだ。

 心の中が「空」であれば、空という姿がある。空であると言うことは自由と言うことにも繋がっている。自分という物から解放された姿。これは大げさなようだが、太極拳をやる以上はそういうことを考えている。

 まだ3年くらいの者が大それた事を、言い過ぎていることは分かっている。やる以上はそこまで考えて取り組んでいる。本音では健康体操をやっているつもりはない。何でも大げさにしてしまう性格なのだ。だから毎朝やると言うことだけは決めている。

 さらに大げさに言えば、命を削っても太極拳の動きをつかみたいぐらいのことなのだ。身体の表現と言うことはとても重要な側面がある。手を前に出すと言うこと一つでも、実はまったく人によって違うのだ。まるで魂を手の平に載せて差し出すと言うことができる人がいるのだ。

 その気迫のようなものを感じられないくらいなら、太極拳をやる意味がない。それは座禅をしているだけで、その存在がまるで違う人がいるのと同じことだ。人間力というようなものかも知れないが、そういうことはすごい人の太極拳を見れば、その人間の大きさは分かる人には分かる物なのだ。

 わずかな取り柄があるとしたら絵を描いてきた目である。風景のなんたるかを真剣に向かい合い感じ取っている。風景の何が絵になるのかばかり日々精進している。人間をみることも同じことで、人間の力のようなものをある程度見ることが出来ると思っている。

 太極拳もこの人は違うという人がいる。その人間力が動きに現われるものだ。分りやすいのはだめな人の方だ。ほとんどの人がだめだから、すぐわかる。しかし、中には動きが違うという人がいる。動きに心が込められる人がいる。そこを重要な目標にしたいと考えている。

 私の太極拳はまだひどいものではある。しかし笹村出という人間がやっていると言うところまでは進みたいと思っている。そういう欲があるからだめなのかも知れないが、そう思わなければ続けていない。スワイショウや八段錦もすごい体操だと思うが、太極拳はそれ以上の何かがある。

 最後に立禅をする。立禅は立った姿の禅である。座禅のまま立った姿である。3年前に始めたときにすでに、立禅の時に空の状態になることが出来た。たぶん動禅体操を一通り行い、ホットして力が抜けていたからではないかと思う。安堵の気持ちで立禅を行うのはいい。邪念が湧いてこない立禅は気持ちが良い。

 立禅の時間は特別に設けていないが、10呼吸することにしている。呼吸は自分が最善と考える物を求めて行っている。呼吸にだけに集中している。短い立禅なのだが、立禅はとても気持ちが良いものだ。立禅の時の気持ちで絵を描くようにしている。

 最後の最後に手を組んで頭を深く下げる礼をおこなう。動禅体操を行えた事への感謝である。

 
 
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八段錦の実際

2022-10-18 04:09:42 | 暮らし


 八段錦をスワイショウが終わると行う。陽名時太極拳で行っている順番に従っている。八段錦の後に、24式の太極拳が行われる。そして最後に立禅が行われて終わる。スワイショウのことは前回かいたので、今回は八段錦について今やっている実際を書いてみる。すこしづつ変わっている。

 八段錦は呼吸を鍛える体操である。中国では気功法と言うことが重視されて、気を活性化する物が、呼吸と言うことになっている。気功は身体の中に気の流れがあるという考え方なのだが、血液や神経は確かに身体の中に張り巡らされているが、どうも気というようなはっきりしない物は考えないことにしている。

 いつか気という物が科学的に明確に証明されたときが来るまではないと考えるつもりだ。そのために、八段錦が言うところの気の流れを良くするための体操という点では、評価をしていない。しかし、八段錦が呼吸を強める体操であると言う意味ではすごい体操だと思っている。

 八段錦と言うとおり、8つの体操に分かれている。最後の8段は背伸び禅にしているので、12分か18分となる。八段目をべつにして、1段から4段までで、6分間。5段、6段、7段の後半で6分間。全体では24分か30分の体操になる。

 体操としては八段錦の方が、太極拳よりも長い。と言っても背伸び禅を別にすれば、ほぼ同じ時間なので、背伸び禅を除いて、7段錦と背伸び禅というところが実際のようだ。中心となる物は太極拳であって、あくまで八段錦はその前段の物という意識がある。

 八段錦は自分の身体の反応を通して、随分自己流に変えた。一番の違いは眼を閉じて行う点。スワイショウと同じく、眼を閉じていた方が、集中できるからだ。八段錦は独房内でも出来るくらい同じ場所で行う動きがないものだから、眼を閉じていて不自由と言うことはどこにもない。

 まず一段は深呼吸である。言葉通り深い呼吸を行う。細かい動作については色々重要な点があるのだが、書いたところで分かりにくいのだが、息を吸いながら手を重ねて大きく上げるのだが、1番手が上に行ったときに呼吸をとめる。手を放し空に向かって顔も上げる。そして、両手を後ろに引きつけて頭を腕の間に入れる。

 両手は頭の両側をできる限り後ろを通りながら下の下ろして行く、この時に呼吸はゆっくりと吸い始める。膝も合せて落としながらゆっくりと息を出し切る。最後に手を少し挙げてもう一度下ろしながら口を開けて最後まで息を出し切る。

 呼吸の際口は閉じてと言われる。特に吐くときは閉じたままと言われるが、私のやり方では口を開いて最後の息を出し切る。口を細くしてろうそくの火を吹き消すように、強く息を吐ききる。もう出ないという所まで出し切ることが重要だと考えている。

 2段は弓を引く動きである。これも呼吸に合わせて体重移動して、右足に全体重を乗せ、手は弓を全力で引くように動かす。左手を前に高く突き出す。まことちゃんの手の形グワッシュにして、手の指に力を込めて10秒持続する。これを左右2回ずつ繰り返す。余裕があれば3回繰り返してもいい。

 3段は胸を開き、首を曲げる体操。これは息を止めることが重要になる体操。息をゆっくりと吐ききりながら、両肩を肩甲骨から後ろに入れて行く。できる限り後に手を伸ばして、吐ききったまま10秒間維持する。これも左右2回ずつ行う。余裕があれば、これも3回でも良い。

 4段は足は限界まで大きく開き、身体を深く沈むところまで曲げて、落として回す、股関節の体操である。股関節が状態が悪かったのだが、4段を深くゆっくりと行っている間に改善された。今はいくら歩いても股関節が痛くなると言うことはなくなった。

 5段は両手を上げながら、身体を上に伸ばして行く、最後に伸び上がりながら、身体をストンと落とし、両手は一気に下まで落下させる。思い切って落下させることが重要になる。落としたら、今度は左手を頭上に上げて、天を支える。

 これを左右2回づつ4回繰り返す。これも余裕があれば、3回やっても良い。本来3回づつ行うことが八段錦の基本であるが、この後太極拳もあるので、少し手を抜いて、2回にしている。

 6段はまず左手を上げながら息を出し切る。さらに右手を上げながら、今度は口を開いてさらに息を吐きだす。これも2回ずつ4回行う。それが終わったら、身体の回転運動を行う。柔軟体操であるので、できる限りからだが柔らかくなるように工夫して行う。

 7段は総合的な体操である。言葉では上手く表現できないが、最初に右手を上げて、手を前に突き出す。手首を左回りに5回回す。そして次に右回り手首からぐるぐる右回しする。最後に、手の平を上に向けて開き親指から一本づつしっかりと握って行く。

 しっかりと手を握ったらその手を前に空手の突きを出す。そして両手をさげから上に上げて、大きくぐるりと背中に回す。この体操を2回繰り返す。これも3回でも良い。

 そして8段の背伸び禅体操である。まったく勝手に考えた物だ。まず、背伸びをして踵から落とす運動を25回行う。それからゆっくりと背伸びをする。そのまま6分無心に立つ。宇宙の無重力空間に漂うような気持ちで、立ち尽くす。

 いくらでも頭の中に邪念が湧いてくるので、頭の中を洗い流す気持ちでおこなう。背伸びをしているのは背伸びをしていることが難しいことなので、そのことに集中できるからである。それでもどうしても身体はゆれる。ゆれるから何とか立ち続けようとする。

 座禅より背伸び禅を選んだ理由だ。背伸びをしていることは安定は出来ないから、常に身体に意識が集中する。ボーとしていればふらっとくる。それで意識が覚醒される。呼吸に気持ちを集中させる。呼吸はお腹でおこなう。集中できるようになると、背伸びがゆれなくなってくる。

 以上が自己流の8段錦である。3年続いている。3年の間にすこしづつ自分にあった体操に変えてきた。これが良い体操だと言うとすぐ取り入れてしまうので、ついつい長くなる。そう長くなると困るので、50分ぐらいに収まるように、止めた体操もかなりある。

 やる以上全力で取り組むことにしている。中途半端にやるくらいなら、やらない方がましだと思うからだ。以上色々書いてきたのはあくまで自分のためだ。他の人の参考には余り成らない。参考になるのは100歳までボケずに生きていたときのことだ。

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仏教とスワイショウのこと

2022-10-17 04:13:24 | 暮らし


 毎朝スワイショウを7分間行う。動禅の準備運動である。スワイショウから始めるとやる気が振り出されてくる。おっくうな気持ちをふき飛ばしてくれる。嫌だなと思っていても、ともかくスワイショウだけでもと考えて始める。そうすれば何とかなる。

 身体を一定の速度で繰返し回転することで、脳内ホルモンが分泌される。
神経伝達物質の「セロトニン」の活性が高まる。セロトニンを増やすためには朝日差しを浴びながらスワイショウを行うのが一番である。セロトニンには痛みを軽減したり、気分をポジティブにしたりする作用がある。

 スワイショウは達磨大師が中国に伝えた物とされている。1500年ほど前のことである。インドでは3000年ぐらい前から行われていたと考えて良いようだ。いまに伝わる最も古い継続されている体操といっていいだろう。それほど素晴らしい体操で、スワイショウだけを朝晩40分やる人もいるくらいだ。

 原始的宗教に於いてぐるぐる回ることで神経を酩酊させてゆくものがある。スワイショウにはそれと共通のものがある。要するに眼を閉じていたとしても、ぐるぐる回れば目が回る。三半規管の中にあるリンパ液が動かされて、流れが出来るためである。

 達磨大師はインドから来た僧侶であるから、ヨガ的な行をさまざま携えてきたのだと思う。達磨大師は少林寺を創建した。少林寺で有名なのは仏教よりも少林寺拳法である。中国では仏教は変貌して衰退した。文化大革命では仏教は弾圧された。金魚や鳥を飼うことも否定された。

 中国では紀元1世紀頃には仏教が伝わり、経典の翻訳が盛んに行われている。400年前後に中国で仏教への関心が高まった時代があり、鳩摩羅什と言う人が政府の命を受けて、経典の完全な翻訳をする。500年頃になり、達磨大師が中国に渡り禅宗を確立する。そのころに日本にも仏教が伝来することになる。

 中国の仏教の受け入れ方と、日本での仏教の受け入れ型の違いは興味深い。日本では仏教は国教として受け入れられる。国の統一の象徴として仏教寺院が建立される。天皇は神主であるわけだが、その後も天皇が送検する寺院は多い。不思議な仏教の受け入れ方だと思う。そして、インドでも中国でも衰退するが、日本では古い形のままに継続されている。興味深い点は経典も日本語訳は行われなかった。

 達磨大師は禅宗を作った人でもあるのだが、中国の武術の基になる人でもある。インド的な行が中国に入り、老荘思想的な哲学と融合されて行く。その過程で、インドから仏教と共に伝えられた文化が、中国で様々な物に分かれてゆく。インドの思想文化は先進国中国以上に深化していたと言うことなのだろう。

 900年頃になって禅宗という仏教の座禅修行が盛んに行われるようになる。釈迦は瞑想によって悟りを開かれたとされるが、姿は座禅と近いものであるが、インドに於いて釈迦の時代には座禅という物はない。禅という考え方は中国で生まれた物だ。

 中国で仏教の修行の形は、次第に座禅に集約されていく。一方で、武術としての拳法や、養生法としての気功術なども、中国では道として広がってゆく。中国化した仏教は次第に弱まって辺境に残る形になる。チベット仏教などである。

 中国人の優れたところはインドの膨大な哲学的な仏典を中国語に翻訳した所だ。日本人は仏典の翻訳を今もってしていない。そのために日本の仏教には原典がない。難解な、理解不明な言葉の羅列が、お経として読み上げられているままである。

 日本のお経には漢文として意味が中国語に翻訳された物と、サンスクリット語の音を写したものがある。日本ではお経の意味は、まじない文のような物で、どうでも良かったような所がある。道元禅師の只管打坐であれば、お経の解釈などする必要がないと言うことになる。道元禅師の文章も意味を伝えようとする意志はないかのようだ。

 この日本人的な仏教の受け入れ方は片手落ちなもので、仏教が理念的に問われない原因となっている。日本人が無宗教だと言われる原因の一つだ。道元禅師の正法眼蔵の難解さもかなりその当たりに由来する。難解な理念を棚に上げておいて、実戦としての座禅修行が、中国以上に日本で専心されてることになり、いま現在も禅の修行は熱心に行われているが、正法眼蔵の講義はない。

 禅に於いて、老荘思想が影響した原因は、中国語訳をする際に、当時盛んであった老荘思想の書物から翻訳のための語彙が使われたことにある。しかも老荘思想の「無」という思想は禅における「空」の概念に近いものがあった。実際には空と無は違う内容のものだとおもう。

 中国では禅宗と浄土宗が残ることになったのは、この二つの宗派が実践的仏教であり、中国人の体質に適合したと言うことなのだろう。インドにあった論理を重視する哲学的仏教から、行としての道を重視する実践仏教へと変化をしてゆく。中国ではタオが重要な思想なのだ。

 スワイショウのことであった。中国ではスワイショウが一つの道となり、気功術になる。私は眼は閉じて行う。その方が集中して行える。重心を低くして、空手の立ち姿のように立つ。そして腰の骨の上に、背骨をのせ上体をまっすぐに載せる。

 載せた上半身が腕の振りによって、ゆっくりと大きくひねられる感覚である。身体をひねるのではなく、腕の振りに釣られて、腰に乗った上半身が振り回される感覚である。気功では呼吸を意識することが重要である。スワイショウは胸回りの呼吸筋を解きほぐす運動である。

 スワイショウを行うときには呼吸を意識すると呼吸筋が緩むことが感じられるようになる。自分にあったゆっくりした呼吸をしながら行う。呼吸は胸でするという意識ではなく、お腹でする気持ちで行う。これは難しいので、あくまで出来る範囲で呼吸を意識して行うようにしている。

 年齢と共に弱まる肺の機能がスワイショウを継続することで、維持強化されることになる。コロナで年寄が死ぬ率が高いのは肺の機能が衰えているからである。肺は鍛えることの出来ない器官で、必ず年齢と共に衰えて行く。だからこそ呼吸を司る呼吸筋の強化が必要になる。

 肺を劣化させないためには良い空気を深い呼吸で取り入れる。乾いた冷たい空気は良くない。冬はマスクをしているのも良い。たばこや汚れた空気は肺を痛める。その点空気のきれいな、湿度がいつもある石垣島は肺の弱い人には良い環境だと思う。

 スワイショウは元気の出る体操である。だから3000年も続けられているのだろう。朝日のでと共にスワイショウを行うことで、明るい気分で一日送ることが出来る。動禅もヤル気で行うことが出来る。ともかく何の運動も辛いときでもスワイショウだけでもやるといい。


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