サトウキビ畑の予定地。随分石拾いをして、それなりにきれいになった。春植えに間に合うように準備を進めている。無農薬の株だし栽培をやってみたいと考えている。上手く出来たら、水牛で黒砂糖絞りに挑戦したい。大きな木はヤラブの大木である。ここにツリーハウスを作ろうと話している。
石垣島に暮らして4年目になる。その前には小田原に15年、山北に15年、東京に15年。とさかのぼる。おおよその年数で移動した。あと11年石垣で暮らすとちょうどになる。三原山に噴火があった頃、山北で開墾生活に入り、都会から山暮らしを始めた。小田原に越しても小田原の箱根山麓の集落に暮らしていた。
だから人生の半分が都会で、半分が田舎暮らしだった。今は石垣島の街中という、田舎の街場と言うところに暮らしている。気に入った場所での暮らしだ。越してきてコロナが始まったのだが、コロナ前に1年あったことで、コロナ下でも問題なく暮らせたのだと思う。
石垣の良さは自然が美しいク、絵が十分に描けると言うことはもちろんあるのだが、のぼたん農園という目的が出来たことが大きい。日々やることがあり、やりがいを感じて沢山の仲間と働いていると言うことほど、充実していることはない。この歳で新しい仲間が沢山出来て、同じ方向をむいて暮らせると言うことは僥倖と言うことになる。
長く田舎暮らしをしていて、都会暮らしは到底出来ないと思いながらも、やはり町に暮らす便利さが年寄には必要と言うことになった。熟慮した結果石垣島の街場に引っ越した。石垣島では歩いて暮らせる場所と言うことで、久しぶりの街中暮らしである。隣近所の付き合いというようなことはほぼない。静かな住宅地の場所で実に暮らしやすい。
小田原では自治会長までやらなければならなかった。結構地域活動が大変で、週一回は集まりに出なければならなかった。自治会活動は形だけで、ほとんど無意味なことだった。無意味なことを義務的にこなすということが辛くて仕方がなかった。小田原では我慢して暮らしているところがあった。
石垣では公民館活動と言われるものが、自治会活動になる。石垣島でも小さな集落での公民館活動はかなり大変なように見えるのだが、私の住んでいる字石垣では、ほとんど無視して貰えている。有り難いことだと感謝している。ゴミが戸別回収と言うことが大きいかも知れない。
小田原では自治会に入らない家には、ゴミ置き場にゴミを捨てさせないということで2度もめた。裁判事例もあるのだが、自治会未加入でもゴミ置き場にゴミを捨てさせないことは、出来ないと判決が出ている。それでも自治会に入らない新住民を脅かすような人が結構居るのだ。
困ったことは火事が起きたときに、その家の家族構成が分からなかったことだ。燃えている家の中に人が居るかどうかが分からない。これで消防が苦労したことがあった。自治会長としては、土砂災害危険地区内に暮らしているのに、災害が起きたときに、住民が把握されていないで大丈夫かと、不安だった。
しかも川沿いのレッドゾーンに避難場所が指定されている。もし避難場所に避難したがために、土砂災害に遭えば誰に責任があるのだろうか。当然自治会長にも責任がないとは言えない。自治会長としてその危険な場所に行かないわけにはいかない。そこで避難場所をフラワーガーデンに変えることをした。
小田原でも互いの家の状況は把握できていない。災害弱者がいるとしても、その把握が出来ていない。そこで、民生委員と協力して、地域の住民把握をアンケートで調査したことがあった。個人情報と言うことで、集めることも、集めた後の扱いも実に難しかった。
石垣でも個人情報は集めないようだ。越してきた頃警察官が尋ねてきて、色々聞いていったのは小田原と同じだ。警察が一番情報を把握しているのだろう。そういう意味では全国民をデーター化しているのだろう。私など要注意人物とされているかも知れない。
石垣では窃盗などの犯罪は少ないだろうと思う。犯罪が露見しやすいと思う。何か物を盗んでも自分で使っていれば分かってしまう。転売しようにもすぐ露見するだろう。島外に持ち出すにしても車などの大きいものでは、まず見つかってしまうに違いない。犯罪が少ない場所に暮らしているという安心は大きい。
石垣島で素晴らしいのは晴れ晴れとした空気である。南の島らしい開放感が広がってる。街で散歩しても、のぼたん農園で絵を描いていてもそれは同じように感じる事ができる。自分にしがらみが無い場所と言うことも、回りの空気を軽くしてくれているような気がする。
地方で暮らす事ができる人でも、都会で生活している人がいる。人の好みはそれぞれだが、都会で良く暮らしていられると思う。田舎で困るのは、仕事、病院、学校である。それ以外のことすべて大丈夫だ。仕事は無いわけではないが、選択の幅が小さくなると言うことだろう。
のぼたん農園を始めてからは、石垣島にいるときの日中は必ずのぼたん農園にいる。まだ、2,3年はそうしていることだろう。農園のことのすべてが気になるので、ついつい行かないではいられない。行けば何かしらやることがあるので、結構おもしろい。今日はトイレの床を作ろうと考えている。
農業が好きになる人の多くは、やって見て一番上手くゆく方法を探るのが好きという人が多い。自然を相手にして、試行錯誤しながらより良い方法を探る。これで良いという終わりがない探求である。次こそ次こその百姓である。
田んぼを始めて40年近くなるわけだが、何も分かっていなかったと思う。小田原でかなり分かってきたと思っていたことが、石垣に来てまるで違うので驚いている。気候や土壌が変わったので、未知の世界への手探りのような状態である。
ただ、今までの経験と知識を駆使して、イネ作りに挑戦してゆくと言うことは、これに勝る興味は無いだろうと思う。少ない水でどこまで田んぼが出来るか、これだけでも興味は尽きない。天水田はまさにお天道様任せである。許された条件の狭い選択の中で、最善を尽くすイネ作り。
麦、大豆、ジャガイモ、里芋、田芋、と作ってみている。失敗を繰り返している。やってみなければ失敗すら出来ない。失敗したという情報を一つ得たと思ってやっている。出来るまでやれば、良いだけのことだ。諦めないで到達するまで、繰り返す。
暮らしてみて再確認できたことは、越してくる数年前から、八重山毎日新聞を取っていたことが良かった。小田原に郵送で送られてきた。「やいま」と言う情報誌も取っていた。来てみて石垣島が想像通りの場所だった。5万人の島と言うことが、人が暮らすのに丁度良い大きさなのだろう。
この2つの情報で、石垣島事情は来る前からかなり詳しくなり、島に旅行に来ると言っても、様々な学習会などに参加することが出来た。美味しいお店など今より詳しかったかも知れない。島巡りなども、旅行できていたときの方が、訪ね歩いた。よほど分かった上での引っ越しが出来たのは正解だった。