地場・旬・自給

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石垣島での暮らし

2023-02-28 04:31:36 | 暮らし


 サトウキビ畑の予定地。随分石拾いをして、それなりにきれいになった。春植えに間に合うように準備を進めている。無農薬の株だし栽培をやってみたいと考えている。上手く出来たら、水牛で黒砂糖絞りに挑戦したい。大きな木はヤラブの大木である。ここにツリーハウスを作ろうと話している。

 石垣島に暮らして4年目になる。その前には小田原に15年、山北に15年、東京に15年。とさかのぼる。おおよその年数で移動した。あと11年石垣で暮らすとちょうどになる。三原山に噴火があった頃、山北で開墾生活に入り、都会から山暮らしを始めた。小田原に越しても小田原の箱根山麓の集落に暮らしていた。

 だから人生の半分が都会で、半分が田舎暮らしだった。今は石垣島の街中という、田舎の街場と言うところに暮らしている。気に入った場所での暮らしだ。越してきてコロナが始まったのだが、コロナ前に1年あったことで、コロナ下でも問題なく暮らせたのだと思う。

 石垣の良さは自然が美しいク、絵が十分に描けると言うことはもちろんあるのだが、のぼたん農園という目的が出来たことが大きい。日々やることがあり、やりがいを感じて沢山の仲間と働いていると言うことほど、充実していることはない。この歳で新しい仲間が沢山出来て、同じ方向をむいて暮らせると言うことは僥倖と言うことになる。

 長く田舎暮らしをしていて、都会暮らしは到底出来ないと思いながらも、やはり町に暮らす便利さが年寄には必要と言うことになった。熟慮した結果石垣島の街場に引っ越した。石垣島では歩いて暮らせる場所と言うことで、久しぶりの街中暮らしである。隣近所の付き合いというようなことはほぼない。静かな住宅地の場所で実に暮らしやすい。

 小田原では自治会長までやらなければならなかった。結構地域活動が大変で、週一回は集まりに出なければならなかった。自治会活動は形だけで、ほとんど無意味なことだった。無意味なことを義務的にこなすということが辛くて仕方がなかった。小田原では我慢して暮らしているところがあった。

 石垣では公民館活動と言われるものが、自治会活動になる。石垣島でも小さな集落での公民館活動はかなり大変なように見えるのだが、私の住んでいる字石垣では、ほとんど無視して貰えている。有り難いことだと感謝している。ゴミが戸別回収と言うことが大きいかも知れない。

 小田原では自治会に入らない家には、ゴミ置き場にゴミを捨てさせないということで2度もめた。裁判事例もあるのだが、自治会未加入でもゴミ置き場にゴミを捨てさせないことは、出来ないと判決が出ている。それでも自治会に入らない新住民を脅かすような人が結構居るのだ。

 困ったことは火事が起きたときに、その家の家族構成が分からなかったことだ。燃えている家の中に人が居るかどうかが分からない。これで消防が苦労したことがあった。自治会長としては、土砂災害危険地区内に暮らしているのに、災害が起きたときに、住民が把握されていないで大丈夫かと、不安だった。

 しかも川沿いのレッドゾーンに避難場所が指定されている。もし避難場所に避難したがために、土砂災害に遭えば誰に責任があるのだろうか。当然自治会長にも責任がないとは言えない。自治会長としてその危険な場所に行かないわけにはいかない。そこで避難場所をフラワーガーデンに変えることをした。

 小田原でも互いの家の状況は把握できていない。災害弱者がいるとしても、その把握が出来ていない。そこで、民生委員と協力して、地域の住民把握をアンケートで調査したことがあった。個人情報と言うことで、集めることも、集めた後の扱いも実に難しかった。

 石垣でも個人情報は集めないようだ。越してきた頃警察官が尋ねてきて、色々聞いていったのは小田原と同じだ。警察が一番情報を把握しているのだろう。そういう意味では全国民をデーター化しているのだろう。私など要注意人物とされているかも知れない。

 石垣では窃盗などの犯罪は少ないだろうと思う。犯罪が露見しやすいと思う。何か物を盗んでも自分で使っていれば分かってしまう。転売しようにもすぐ露見するだろう。島外に持ち出すにしても車などの大きいものでは、まず見つかってしまうに違いない。犯罪が少ない場所に暮らしているという安心は大きい。

 石垣島で素晴らしいのは晴れ晴れとした空気である。南の島らしい開放感が広がってる。街で散歩しても、のぼたん農園で絵を描いていてもそれは同じように感じる事ができる。自分にしがらみが無い場所と言うことも、回りの空気を軽くしてくれているような気がする。

 地方で暮らす事ができる人でも、都会で生活している人がいる。人の好みはそれぞれだが、都会で良く暮らしていられると思う。田舎で困るのは、仕事、病院、学校である。それ以外のことすべて大丈夫だ。仕事は無いわけではないが、選択の幅が小さくなると言うことだろう。

 のぼたん農園を始めてからは、石垣島にいるときの日中は必ずのぼたん農園にいる。まだ、2,3年はそうしていることだろう。農園のことのすべてが気になるので、ついつい行かないではいられない。行けば何かしらやることがあるので、結構おもしろい。今日はトイレの床を作ろうと考えている。

 農業が好きになる人の多くは、やって見て一番上手くゆく方法を探るのが好きという人が多い。自然を相手にして、試行錯誤しながらより良い方法を探る。これで良いという終わりがない探求である。次こそ次こその百姓である。

 田んぼを始めて40年近くなるわけだが、何も分かっていなかったと思う。小田原でかなり分かってきたと思っていたことが、石垣に来てまるで違うので驚いている。気候や土壌が変わったので、未知の世界への手探りのような状態である。

 ただ、今までの経験と知識を駆使して、イネ作りに挑戦してゆくと言うことは、これに勝る興味は無いだろうと思う。少ない水でどこまで田んぼが出来るか、これだけでも興味は尽きない。天水田はまさにお天道様任せである。許された条件の狭い選択の中で、最善を尽くすイネ作り。

 麦、大豆、ジャガイモ、里芋、田芋、と作ってみている。失敗を繰り返している。やってみなければ失敗すら出来ない。失敗したという情報を一つ得たと思ってやっている。出来るまでやれば、良いだけのことだ。諦めないで到達するまで、繰り返す。

 暮らしてみて再確認できたことは、越してくる数年前から、八重山毎日新聞を取っていたことが良かった。小田原に郵送で送られてきた。「やいま」と言う情報誌も取っていた。来てみて石垣島が想像通りの場所だった。5万人の島と言うことが、人が暮らすのに丁度良い大きさなのだろう。

 この2つの情報で、石垣島事情は来る前からかなり詳しくなり、島に旅行に来ると言っても、様々な学習会などに参加することが出来た。美味しいお店など今より詳しかったかも知れない。島巡りなども、旅行できていたときの方が、訪ね歩いた。よほど分かった上での引っ越しが出来たのは正解だった。
 
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生物多様性条約

2023-02-27 04:33:59 | Peace Cafe


 生物多様性条約がある。持続可能な地球を永続するためには、生物多様性が不可欠だ考え、作られた国際条約である。この条約に一番お金を出しているのが日本だそうだ。重要な考えではあるのだろうが、実際的には地球環境という複雑な絡み合いの中で、様々な方向があり、生物の多様性を守ることはそう単純なことではない。

 生物の環境は経済成長のために破壊され続けている。世界中が高度成長して、人口が増加している以上、生物はどんどん滅び続けている。そして、一部の生物だけが異常繁殖をする状況になっている。日本でも特定外来植物の除去活動が続いている。

 コロナ流行で盛んに言われたことだが、経済が停止すれば、人間は生きていけないと言うことである。生きていけないとなれば、自然環境どころではなくなる。そして、3年が経過して、コロナと妥協する道が選ばれた。すべてに経済を止めてはならないと言うことが、現実世界の選択になる。

 止まることのない経済発展の道は、地球環境の破壊を伴う物だ。人類がより快適な暮らしを求めて輩出するCO₂のために気候が変動し始めた。地球の環境変化は限界を超えて、急激に気候の劇症化進んでいる。世界中が問題にはしているが、有効な手段があるとしても、経済が優先だ。

 それに伴い、毎年何千種の生物が絶滅し続けている。恐竜絶滅の時代に次いで2回目と言うことだそうだ。こうして人間が滅び行くという姿に見えてくる。今はそれも受け入れて生きるほか無いような気になっている。まあ、私が生きている間はなんともつだろう。

 もちろん気候変動だけではなく、もっと直接的に、農薬や化学肥料を使う食料生産に伴い、多くの生き物が絶滅している。特にネオニコチノイド系農薬は、ミツバチの深刻な消滅状況を作り出しているが、日本政府はそれを危険な物として使用の禁止にはしていない。

 殺虫剤という物は昆虫をころすための物だ。土壌中の残留性が強く、地下水にも混入し、水を汚染してゆく。必要悪ぐらいに考えていたら、とんでもないことになる。ミツバチが居なくなればその影響を受ける植物の連鎖的消滅が予測される。

 一方でネオニコチノイド農薬の登場で、農業は大きな恩恵を受けている。今に至っては一切の禁止をすることで、たぶん相当の餓死者が出現するはずである。農薬と化学肥料の御陰で、世界の人口増加はかろうじて支えられている現状も無視できない。

 もし農薬と化学肥料がなければ、これほどの人口増加は起きなかったはずだ。安定期に入った国の人口減少の傾向は、人間という生き物の本能的な感受性なのだろう。もう危うい時代が近づいていると思えば、子孫を残そうなどと考えるはずも無い。

 身近なことで言えば、沖縄にはハブが居る。ハブに噛まれて死ぬ人もいる。果たしてハブは居ない方が良い生き物なのだろうか。生物多様性から言えば、ハブだっていた方が良いに決まっている。ここが難しいところで、コロナのような病原菌はいた方が良いのだろうか。たぶん居ない方が良いのだろう。

 コロナを造り出すというのは生物多様性に貢献しているのだろうか。そんなはずがない。ただ、そうした病原菌が登場する原因も、畜産のひどい飼育に原因がある。ミンク養殖の劣悪な環境がコロナを生んだ可能性が強い。人間にも感染を始めた、鳥インフルエンザも養豚と養鶏から来ている。

 畜産の多頭飼いが限界を超えているのだ。それも経済合理性からそう言う病原菌の変異が始まる。これらの判断は個人的見解だが、それを野性の世界に人間が近づきすぎたことだけの理由にしているのは、大型畜産を禁止したくないがためだ。

 ハブはいても良いかもしれないが、コロナ菌は絶滅した方が良い。この辺の線引きはどこにあるのだろうか。のぼたん農園ではネズミの食害で非常に困っている。このネズミを殺して良いのかどうかと言うことがある。ハブはこのネズミを食べるために増えているようだ。

 良い生き物の調和の中に、人間がどう折り合いよく割り込めるのか。これはもう哲学の問題かも知れない。あるいは宗教の問題なのかも知れない。どちらが良いというような善悪の付けようのないことではないか。どの道を選ぶかしかない。拝金主義者は大嫌いだが、環境原理主義者も好かない。

 ネズミが増えてきたと言うことは、今度はハブが増えてくるはずである。ハブが増えれば、農作業は難しいことにも成る。特に子供の作業には不安がある。人間が生きてゆくのはなかなかやっかいで、自然の中に人間の暮らしを織り込むことがなかなか難しい。

 人間の暮らしが肥大化して、地球の永続性を損ない始めているのだろう。人間が豊かに暮らすと言うことが、地球の多様性を維持することと、反比例している。人間は寒ければ、暖房と言うことになる。暑ければ冷房だ。その普通のことが地球を損ない始めている。

 WWFと言う組織がある。石垣市のユニマットリゾート開発計画の反対に協力してくれている。名蔵アンパルの生物多様性が失われるということをいわれている。名蔵アンパルはラムサール条約に締結されている湿地である。石垣島の希少生物がさまざま生活するところだ。

 特にカンムリワシという石垣島の固有種は100羽しか居ないとされている。特別天然記念物に指定された生き物が暮らす湿地である。この湿地で今年は営巣が見られなかったと聞いた。カンムリワシもいつまで石垣島に生きていられるのか微妙なところである。

 その大切な残さなければならない名蔵アンパルの上部にゴルフリゾートが出来て、下の干潟が干上がるほどの水を汲み上げるというのだ。この事業は市が後押しをしている。そもそも畜産団地を公共事業で作ったという農振農用地を、転用して作る計画なのだ。あってはいけないような、信じがたい事業なのだ。

 ゴルフをするなら島の北部にゴルフ場を作ればいい。場所が悪すぎる。前回の暴挙の自衛隊のミサイル基地建設も、石垣市の水源の山である於茂登岳の中腹に作ったのだ。さすがに場所が悪すぎる。もしミサイル基地から、ピーフォスのような化学物質が流れ出たら、石垣のお米が汚染されて人体に入る。

 石垣島では、自衛隊基地の場所の選定、ゴルフリゾートの場所の選定、どうも所有者への配慮が見える気がするがそんなことはないのか。狭い島での政治のように見える。そうした恩恵を振りまく市長が良い市長で、すでに3選である。石垣市の生物多様性どころではないのだ。

 批判していても始まらない。溜め池のある農業の場所を石垣島の各地に広げてゆきたい。農薬化学肥料を使わない、水面を広げてゆきたいのだ。まず10カ所ぐらいが目標である。こうした水面が50カ所ぐらいになれば、生き物の居場所のネットワーク化が出来る。

 昆虫でも3キロぐらいは飛べるものが多いから、何とか多様性が維持できるのではないかと期待している。やりたいことが色々出てくる。時間が足りない。


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第150 水彩画 日曜展示

2023-02-26 04:30:49 | 水彩画
第150 水彩画 日曜展示

 10号前後の作品です。







121「海」
2023.2








122「フラッグ」
2023.2







123「田んぼ」
2023.2







124「池」
2023.2







125「白い河の道」
2023.2








126「月光の海」
2023.2







127「赤い花」
2023.2






128「のぼたん農園」
2023.2






129「岬」
2023.2






130「宮良川」
2023.2


 絵を描くことが続いている。不思議なくらいおもしろい。小脳的に描いている。小脳的と言うことをよく分かっているわけではないのだが、歩いたり話したりするように、意識しないでも出てくる形で、絵を描いている。

 どこかへ行くために歩くように、自分の世界の方に行ってみようと言うことで描いている。描くこと自体に意識を置かないようにしている。どう描くのかとか。何を描いているのかとか。そういうことはほとんど頭に上ることが無い。

 いい絵を描くというようなこととはかなり遠い。自分の内面を絞り出すというような、重苦しいような描き方でもない。静かに散歩しているように描くようにしている。絵が進むこともあるし、1時間ぐらい絵の前に居るだけと言うこともある。

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のぼたん農園2回目の田植え。

2023-02-25 04:29:52 | 楽観農園
 

  新しく作った入口である。誰にも自由に来てもらいたいのだけれれど、何かあっても困るので、入口にゲートを作った。入りにくいというのもあるのだから、水牛が例え、放牧地の網を破ったとしても、ここからは出れないと言うことを重視した。

  2月23日に、3回目の苗代を作り種まきを行った。1回目が12月4日。2回目が1月15日。おおよそ40日ごとに種を蒔き、収穫を一月ずつずらすという計画である。一ヶ月よりいくらか長くしているのは、どうしても収穫期は近づくだろうと考えているからだ。

 実際には品種も違うので、収穫時期はまだ曖昧なものである。今年はひこばえ農法の実証実験を進めるので、少し早刈りをする予定である。天水田なので、雨だよりのところがある。上の方の田んぼから、順番に下の田んぼに水を回して行くので、上の田んぼの田植えが終わり、水をできる限り溜めて、田んぼ自体が溜め池を兼ねるようにしてゆく。

 23日の午前中にもう一度最後の代掻きを1,2,3,と行い。トンボで平らにした。必要の無いところはしない。代掻きが終わりしだいた上の線引きが出来るように適時に水を落としはじめた。先ずは溜め池を満杯にする用に配水管の水位を上げる。上げて0番田んぼに水が回るようにする。夕方になって水が張り始めた。

 0番田んぼの排水口の高さを上げて代掻きが出来る状態にする。24日の朝に0番の代掻きをした。0番田んぼも代掻きが午前中で終わったので、トンボで均した。そのあと水を抜いて、田植えに備える。25日の朝に線引きをして、田植えが出来るように進める。0番については遅れて26日でもかまわない。

 3番田んぼに苗代を作った。代掻きがよくできていたので、水を抜居て中央をいくらか高くすした。午後1時から、12人で苗代に種まきをした。苗代と言ってもベットを作るのではなく、田んぼの中で地面のいくらか高めの当たりを1,2m幅の苗代にする。

 下地さんのミルキーサマーの種籾が、2㎏あるので、2㎏と思って蒔いたのだが、どうも3㎏はあった。苗代の長さは20メートルと考えたが、30mになった。1メートル当たり100グラム検討で播く。種籾を20に分け、苗代には1mずつにダンポールを並べておく。後でこのダンポールでトンネルを作った。トンネルにはネズミが入れないようなしっかりした白い防風ネットを張った。

 種まきを終わったところで、今回は残っている苗土があるので、播いた種籾の上から覆土しておいた。クン炭があれば良いのだが、残念ながら作れなかったので、来年の課題にする。やろうと思っていながら進められて居ないことが色々あるが仕方がない。

 苗代には田植えが終わるまで水は来ないので、乾くようであれば、水遣りをするつもりだが、たぶん大丈夫だと思っている。翌日も水があり、むしろ水没で発芽しないことが心配になる。連続した田んぼなので、この辺りが手こずるところである。2番田んぼの水は3番に抜くしかないのだ。2番の畦を切って排水をした。

 1番田んぼからは7番田んぼに水を抜く。8番はかなり乾いてしまうが、しばらくは仕方がない。ここは雨降りに期待するほかないだろう。23日の午前中の水があるうちに仕上げの代掻きを行う。ガードレールがないので、平らには出来ないが仕方がない。

 苗取りは25日の朝から行う。まず9番田んぼの「ゆがふもち」のネットを外す所から始める。ネットの片付けもしていないので、できるだけきれいに降りたんで、イネの収穫の時に使えるようにする。そのあと、0番田んぼ用の苗取りを行う。できる限り苗を取り、0番田んぼで余れば、5番田んぼの補植に使う。

 5番田んぼは、今ある直播きのイネと随分とずれることになるが、これはひこばえに農法に入るときに、株をそろえてしまえば良いと考えている。うまく出来なければその点では仕方がない。ゆがふもちの餅米は0番と、5番ということになる。

 9番田んぼは今後雨が降り水が溜まるようであれば、今回3番に作る「ミルキーサマー」を田植えすることにする。田植えの頃水がなければ田植えをしない。ミルキーサマーは3番田んぼと、4番と、6番田んぼに作る予定だが、苗は大量に出来るはずだ。3本植えぐらいにしてみようかと思う。

 3㎏の種籾を蒔いたのだから、9番、10番と植えられるはずだ。その頃まに雨があれば、すぐ代掻きをして田んぼが出来る状態にはしておく。その時に田植えが出来るかどうかで判断すれば良いだろう。

 11番はサトウキビの畑にすることにした。10番から行く入水口はビニールで蓋をして、水が行かないようにする。11番は畦が弱いから、田んぼと考えない方が良い。サトウキビの株だし栽培を無農薬でやってみる挑戦である。

 10番は田芋(たーむん)を植えても良いかと思っている。今は溜め池の所に植えてあるので、もう少しその他りで広げても良いかもしれない。水の様子次第で水が足りないようであれば、10番は里芋を植えても良いかも知れない。里芋ならば、家に苗に出来る芋を小田原の渡部さんからもらってある。

 9番は、雨の様子次第で出来れば田んぼにしたい。ここに田んぼに出来れば、予定通りの10カ所の田んぼと言うことになる。水が行くかどうかは上の方の田んぼが溜め池のようになるかどうかである。田植えが終われば、上の方から徐々に溜め池に田んぼにしてゆく。

 そうすれば、9番まで水が回る可能性が出てくる。雨が降ればすぐにでも出来ることなのだが、まだこの先の雨量次第で予測が出来ない。ただ、9番までは水が行かなくなる可能性が高いので、あくまでだめでもし方がないの気持ちで植えてみたい。

 イノシシが来ないように出来れば、まだまだ色々が植えられるはずだ。外周に害獣よけのネットを購入したので、これでできるだけ張り巡らせるつもりだ。今はどこにでもイノシシが入り込んできている。5月頃までに何とかしなければ、田んぼがイノシシにやられることになる。

 3回目の田植えは1ヶ月後くらいを予定している。3月25日26日を予定する。4週育苗で4葉期が予測される。苗が小さくともその当たりで田植えをしたい。石垣の風の強さでは、苗を少なくして、2本植え3本植えにした方が強い可能性がある。

 最初の稲刈りが5月くらいになりそうだから、田植えが終われば稲刈りと言うことになりそうだ。一年中何らかの作業がある。今年は栽培に本格的に取組む年になる。ひこばえ農法のことを考えると、どこかわくわくしてくる。出来るのかどうか、や得ることはすべてやってみたい。
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美味しいコーヒーの入れ方

2023-02-24 04:02:08 | 暮らし


 毎朝、起きるとまずコーヒーを入れる。コヒー豆は石垣島の美崎町にある南星コーヒーで買っている。電話で予約して、モカの豆を焙煎してもらっている。やはり焙煎してから余り時間が経たない方が美味しいとおもうからだ。5日目当たりが一番美味しいと言う。それ以上の豆は封印して冷蔵庫で保存する。

 美味しいコヒーの入れ方というのも様々出ているのだが、一番納得できた解説は、入れ方を記録をするというものだった。コーヒーはなかなか安定しない飲み物である。これぞと思って上手く入れたと思っても、次回同じように美味しくなるとは限らない。

 それくらい味が変わる飲み物だと思う。その点がいつも不思議な気がするのだ。同じように入れているのになぜこんなにまずいのかというような日があるのだ。その大半の原因は自分の舌が安定しないからだと想像している。体調しだいで味覚が変わる。

 たとえ同じ物を飲んだとしても、体調によって舌が感じる味が変わって居るように思える。味の専門家はよほど舌を大切にしていると思われる。たばこなどで舌を荒らしてしまえば、安定して味を競べることは出来ないことだろう。コーヒー以外ではこれほどの差を感じていないのだ。

 古い友人に原さんと言う人が居る。アートコーヒーに務めた。毎朝、会社の朝礼でコーヒーを飲む試験をするのだそうだ。そして社長から指名されて、今日は何豆と何豆のどういうブレンドか、と答えさせられる。原さんも分かるようになったと言っていた。これは結構難しい試験ではないかと思う。

 ブレンドまでなんとか分かっても、その豆の比率まではなかなか分からない物だろう。もし3種のブレンドだったらさらに難しい。それが社長は完璧に分かる人らしい。何時までも答えられない人は、配置転換させられるのだろうか。止めることになるのだろうか。

 コーヒー通という人で、そういうことができる人がどれだけ居るだろうか。最近、コーヒーを改めて味を確かめているのは、干川さんが特別コーヒーに関心があると言うことが分かったからだ。干川さんの味の感じ方は独特なのだ。そこがおもしろくて、干川さんに味のことを色々聞くのだ。

 干川さんは石垣島でその昔、パイナップルからお酢を作ることを事業化しようとしたことがあるのだそうだ。何でもたちまちに、果実を何でもお酢にしてしまう酵素があって、それで石垣島にある、生食用では葉出荷できない傷物パインを集めて、お酢にしたら仕事になりそうだと眼を付けたのだそうだ。

 なかなか良い仕事に見える。そして試しに作ってみたらすぐお酢は出来たそうだ。普通ならよし、ここぞと事業化するところだろう。もう30年も昔の話らしいから、果実酢の先駆的な物になったはずだ。ところが干川さんはなんと、お酢の美味しさが分からなかったのだそうだ。どこが美味しいかが感じられないので、到底上手く行かないから、事業化を止めたそうだ。

 さすが干川さんである。何でそんな話になったかと言えば、干川さんは玄米の味は分からないそうだ。どんな玄米でも同じようなものではないかと言う。昔は玄米を食べていたが、玄米を食べると子供の背が大きくならないということが分かったそうだ。長男は玄米時代の子供で背が大きくならなかった。次男は白米に変えてからの子供だから背が大きいそうだ。

 玄米は身体に良くないという結論なのだ。まさかそんなことがあるわけがないと私は思うのだが。真実はともかくおもしろい考え方だ。玄米だって美味しい玄米もあれば、まずい玄米もあると私が言うと、自分には玄米の味の違いはまったく分からないというのだ。

 だいた干川さんは違うと思ったときには、分からないということにしているようだ。人を否定してばかりいた反省からそういうことにしたのだそうだ。つまり玄米はみんな味は同じという結論をもっていると考えて良い。玄米を食べていてそんなことがありうるだろうか。

 先ずは玄米が炊き方で味が違うということがある。美味しい炊き方であれば、食べたくなる玄米ご飯がある。私はカムカム鍋という土鍋で炊いていた時代がある。これで炊いたさとじまんは美味しかった。今は玄米は食べないのだが。

 なぜ食べないかというと、内の奥さんは玄米を食べれないためだ。身体が受け付けないと言うことらしい。それに合せて白米を食べている。自分で炊くわけでないし、二人しか居ないのにそれぞれ違うものを食べるというのも何だか変だと思うので。

 白米で食べたらば、味がもう一つだった「とよめき」が玄米で食べたらば意外に美味しかったのだ。これは多くの人にたぶん、50人くらいに聞いたとろろ玄米なら行けるという意見がほとんどだった。たぶんに忖度かも知れないが美味しいと言ってくるとうれしい。干川さんは正直に、玄米の味は分からないということだった。

 その干川さんが言うには、石垣島で一番美味しいコーヒーはホテルグランビューの昼定食に付いてくるコーヒーなのだそうだ。だからよく食べに行くらしい。干川さんによるとかなりこだわったコーヒーらしい。私も昔サウナがあるので、泊まっていた。モーニングに付いてきたコーヒーは飲んだが、記憶にない。

 モーニングのコーヒーは大量に入れてあり、自分でカップに取るタイプだったから美味しい等ほどの物ではなかったのだろう。一度ランチを食べに行かなければとは思うのだが、何しろ、まだコロナが怖いのでわざわざランチを食べに行くほどのこともない。

 コーヒーのためにランチを食べるというのも変な話だ。干川さんもランチの食事の味に関しては何も言わなかった。グランビューのランチが美味しいという噂は聞いたことがない。もしかしたら干川さん流儀で、ランチの味は分からないということで良いのかも知れない。

 コーヒーの美味しい入れ方である。納得の行く説明があったのだ。入れるときにはすべてを記録しろというのだ。記録しては入れては飲む。美味しい方に近づいたならば、その記録に基づき、調整して行き、自分の美味しいに近づけて行くという考えだった

 これはすごく納得が行くではないか。これなら、必ず自分の好みに近づく。お湯は何度が良いか。毎回代えながら記録して、一番の好みの味を見付ければ良い。コーヒーの焙煎の度合い。粉の大きさ。色々の要素を時間をかけて変えながら調整して行けば、必ず美味しいに至る

 今私はそのやり方で温度を徐々に下げている。94度まで来たのだが、どうもさらに低い方が良い感じがしている。温度が下がるほど時間をかけて入れないとならない。コノポタポタぐらいのお湯の注ぎ方の方が良いのは確かだが、どうも面倒くさすぎていけない。

 豆だって色々のところで買ってきて試したのだが、南西コーヒーは何しろ焙煎してくれるというところが良い。自分で焙煎したら良いだろうという人が居たが、これもまた面倒くさすぎる。コーヒーごときにそこまではやれない。私はファミマのコーヒーでもほんとうは良いのだ。

 ファミマのコーヒーは惜しいと干川さんにいったら、何か怪訝な顔をされた。ファミマのコーヒーの味は分からないということだろう。グランビューの定食のコーヒーを一番という人だから、相当にコーヒーの味には自信があるとと思っている。今度家に来た時に飲まして上げると言っていた。

 
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サトウキビに変わるものの提案

2023-02-23 04:26:34 | 石垣島

 9葉期まで来た「とよめき」水が少ない中、何とか水を保ち成長させている。日照不足で株が弱めなところが気になり、追肥に堆肥を入れた。少し回復したようにも見える。まだ土壌が出来ていないから、生育が今ひとつなのは仕方がないところだ。

 南西諸島には自衛隊の基地配備が進んでいる。政府は南西諸島の島々を防人の島にしようと考えている。しかし、この島々で暮らしている人間についてはどうすべきと考えているのだろうか。尖閣諸島には人は暮らしていない。北方4島にはすでにロシア人が多数暮らしている。竹島には韓国の軍隊が駐留している。

 自衛隊基地を作ろうとしている石垣島では、自衛隊基地の賛否の住民投票が拒否された。住民投票をすれば、明らかに反対が多いからだ。これは自衛隊誘致派の集会でも言われていたことだ。もし自衛隊基地に賛成が多いと考えるならば、住民投票を市長が提案して行うことだろう。市庁舎の移転問題はそうして進められた。

 北方4島に移住するロシアの新住民は相当の政府の補助を受けている。ロシア人が暮らす島であることを既成事実化するためである。それでは日本政府は琉球弧の島々の人の暮らしを、どうしようと考えているのだろうか。住民がいなくなってしまうのは困ると考えているのは確かだろう。

 防人の島に我慢して暮らす人が一人でも多く居て欲しいのだ。そのために特別の補助金がある。しかし、沖縄県知事が、基地反対派なのでその補助金もどんどん減らされている。防人の島と観光の島では両立しがたい。その先行事例が与那国島である。与那国島の自衛官でない住民は減少が続いている。

 若い人が就職したいと考えるような仕事先が無い。高校が無いと言うことが大きいだろう。高校に入るときから島を離れると言うことは、家族全体がそれを機会に島を離れてしまうと言う家族も居るようだ。また与那国に移住した人は、基地が出来て離れた人が多いと聞いている。

 サトウキビはそうした意味で多額の補助金を入れて、島々に暮らす人達を支えるという意味で重要視されてきた。与那国島にも製糖工場がある。さとうきびは先行き厳しくなることは分かっている。日本の気候、風土では生産費が余りに高くなるからだ。

 南西諸島のサトウキビは余りに国際価格とかけ離れている。10a当たり資本利子・地代全額算入生産費(以下「全算入生産費」という。)は14万9,014円で、前年産に比べ4.1%増加し、1t当たり全算入生産費は2万4,916円で、前年産に比べ6.2%増加した。 

 ブラジルやインドなどのサトウキビ生産はエタノール生産と砂糖生産の両方向で行われている。エネルギー価格が高騰すると、砂糖からエタノールに移行し、価格が下がると砂糖生産に移行する。その結果世界の砂糖価格は日本で生産する砂糖より大幅に安くなっている。

 もし石垣島の人口減少を起したくないのであれば、サトウキビに変わる農業を政府は提案しなければならない。それがミサイル基地を作る以上最低限の政府の義務だとおもう。それだけ石垣島の住民は日本全体のために負担を負ったのだ。

 原子力発電所を作る以上の危険を引き受けたのだ。核のゴミを引き受ける自治体と同じくらいの負担を強いられるのだ。日本の国民はそのことへの意識がほとんどない。沖縄のことだ、他人事だぐらいにしか考えていない。もし、その負担が嫌だというのならば、核のゴミ施設を自分の暮らしている場所に作ると考えてみたらいい。

 お金の恩恵よりも、石垣島で暮らして行けるように考えて欲しい。与那国島で暮らして行けるように考えて欲しい。その一つが石垣島のサトウキビ問題である。サトウキビに展望が無いというのであれば、サトウキビに変わるべき農業を、提案してもらいたい。

 こういう農業を行えば良いと研究提案をすべきだろう。自衛隊がいるだけの島になれば、それこそ竹島と同じことになる。何のために守っているのかが分からなくなる。住民を守るために自衛隊があるのだとすれば、まず政府は住民の暮らしを考えるべきだ。

 与那国島の町議会はシェルターを希望している。一体どれほどのシェルターが可能だろうか。ウクライナを見れば分かるように形ばかりのシェルターではだめだろう。よほど地下深く住民全員が逃げ込める要塞のようなシェルターが必要である。果たしてそんな物を作れるのだろうか。

 石垣島ではさらに話が困難になる。人口5万人が逃げ込める場所などあり得ないだろう。逃げると言ってもどこに逃げるのだろうか。沖縄本島の方がひどい戦場になるだろう。九州まで行かなければだめだろう。安全に行けるはずもない。

 戦争を回避すると言うことが、唯一の解決策だ。どこまでも専守防衛である。中国まで届くようなミサイルは必要が無い。どうしても敵基地攻撃をしなければならないという事態になるというなら、戦艦から撃てば良いだろう。一番良いのは潜水艦から撃てば良いのだ。

 安易に南西諸島を基地に島にするなどと言うアメリカの戦略構想に乗ってはならない。アメリカは日本を防波堤と考えているに過ぎない。アメリカ本土が戦場になったことがない。常に代理戦争をさせる国なのだ。世界の戦争にはいつも顔を出している。アメリカにとっての沖縄の意味をよく考えるべきだ。

 サトウキビのことだった。サトウキビに変わる農業を考える必要がある。それが正直どうしても思いつかない。それならブラジルのように、サトウキビでエタノール作りか。エタノールを政府が採算の合う価格で買い取ってくれるならば可能かも知れない。

 石垣牛もこれ以上は増やせない。これ以上増えれば糞尿被害が起こるはずだ。すでに土壌汚染が起きていると思われる。十分「よみがえり堆肥」が利用されていないためだ。よみがえり堆肥を回すためには、石垣の農業で堆肥を使えるようにしなければならない。

 サトウキビを作ってみたいと思っている。サトウキビを作り、水牛で黒糖を絞る。サトウキビ栽培は赤土の流出に繋がっている。サトウキビを株だし栽培にすれば、赤土の流出はかなり抑えられる。株だし栽培で8回も連続している国もあるらしい。

 しかし株だし栽培ではネオニコ農薬の使用が伴っている。使わないで出来るのかどうか。今のところは出来ないと言われている。ネオニコ農薬の登場で可能になった農法である。赤土で珊瑚が死んでしまうのも困るが、青い海がネオニコで死の海になるのはもっと怖い。

 株だし栽培が無農薬で可能かどうか、挑戦してみたいと思う。本来こういうことは国が行うべきことなのだが、国は何もしない。提案もしなければ、研究もしない。黙っているわけには行かないので、力量も不足しているが、手がけてみるほか無いかと考えている。
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ウクライナと台湾の違い

2023-02-22 04:40:34 | Peace Cafe

 「ゆがふもち」の直播き田んぼ。12月4日は種である。成長は遅いがなんとか残ったイネである。このまま育ててみるつもりだ。

 ロシアの突然のウクライナ侵攻が起こり、一年が経ってしまった。時代が帝国主義時代に戻ってしまったようだ。プーチンはまさにロシア帝国の皇帝のようだ。皇帝というような存在はだいたいはおかしくなる。習近平や金正恩やトランプ。まぁ小さい皇帝だが安倍晋三。

 ロシアと言う軍事大国が、陸続きの隣国ウクライナと全面戦争になり、ウクライナを占領できないとは想像できなかった。たぶん一番驚いたのがプーチンだろう。ロシアが思ったほど強力な軍事大国ではなかったようだ。今や日本の大東亜戦争状態。ナトウが全面的な軍事支援を続けたと言うことがある。

 ウクライナ侵攻が始まり、日本は専守防衛を放棄し、ある程度?の軍事力を保持する方向に転換した。敵基地ミサイル攻撃が必要と言うことになり、琉球弧にミサイル基地を並べようとしている。これは以前からアメリカが一番やりたかったことで、なかなか進められなかったことだ。

 アメリカの沖縄基地は日本を守るためではなく。アメリカへの直接攻撃を前線基地で防御するための物だ。沖縄基地米軍基地は捨て駒作戦で良いのだ。アメリカの利益と日本の利益が、反したときにどうなるかである。アメリカがトランプのようにおかしくなる可能性はかなりある。

 ロシアの蛮行で世論が熱しやすい今、一気に日本の軍事力の増強を進めようとしている。愚民化する民主主義の危ういところである。ロシアの蛮行と中国の台湾併合とはまった違うにもかかわらず、中国をロシアと同じように見せようとしている。中国脅威論によって、日本の軍事化を世論に認めさせようと言うことだ。

 沖縄に暮らすものの視点から言えば、沖縄を危険地帯にするなと言うことになる。ところが、石垣島に基地があれば安全になると、石垣市長は力説している。盾の会にでも洗脳されているとしか思えない。石垣島の基地は日本本土のための前線基地であり、アメリカのための前線基地でである。琉球弧を防人の島にしようとしているのだ。

 石垣島の安全だけを考えれば、基地がなければ、石垣島をわざわざ攻撃をする理由がない。確かに尖閣諸島は取られる可能性が無いとは言えない。中国が軍事力を用いて、尖閣を占領するというなら、そうさせれば良いだけのことだ。石垣市民の命の方が大切だろう。

 たぶん、そうではないのだ。石垣島が犠牲になっている間に、反撃できると考えているに過ぎない。沖縄はいつもそういう扱いを受けてきたのだ。日本は平和主義の国なのだ。攻撃のための武器を持つ前に、中国と平和的な交渉をすれば良いのだ。やろうともしないで、武器の準備ではおかしいだろう。

 ウクライナも平和交渉の機会があるにもかかわらず、軍事的対抗だけを準備していて、平和的な解決を目指さなかったのだ。ウクライナ国内にいる、ロシア系住民の問題があったのだ。ロシアにしてみれば、ロシア語を話すロシアの同胞を差別するなと言うことになる。ここがウクライナと台湾や、尖閣諸島が違うところだ。

 もっと丁寧にそのことを両国で話し合うことが出来れば、戦争にはならなかった。しかし、アメリカも戦争になることを承知していながら、ロシアとウクライナが話し合い解決を目指すことを、進めようとはしていない。むしろウクライナの軍事的な支援をするばかりだったのだ。

 ある意味焚き付けていたと言えるかも知れない。日本政府にも、南西諸島に自衛隊基地を作れ作れとけしかけている。そうすればアメリカのミサイルを撃ってやると言っているのだろう。いざとなれば、自衛隊基地に米軍も駐留してやると言うことだ。

 アメリカはロシアとウクライナの戦争を仕向ける意図まであったとは思わないが、例え戦争になったとしても、アメリカの利益に繋がるという思惑も見える。戦争がアメリカに大きな損害が起こることならば、ウクライナに対して、ロシアと平和交渉をするように進めたはずだ。

 この構図は日本と中国との関係にどのように対するのかと共通である。日本と中国が尖閣諸島問題を話し合いで解決し、平和条約を結び、互いに戦わないことが一番良い。にもかかわらず、なぜか日本政府も、アメリカもこのことには消極的である。

 石垣島に軍事基地がなければ、石垣島に中国は関わらないだろう。当たり前すぎることだ。だから、わざわざ石原慎太郎が尖閣諸島を東京都で購入すると
して騒ぎ立てて、尖閣問題を棚から下ろしたのだ。それは琉球弧を軍事列島にするためにやったことだ。

 自民党政府は軍事国家にならなければ、日本の安全保障はないと考えているからだ。アメリカとの軍事同盟を強めて、日本を核兵器で守る約束が必要としている。そうした軍事力での安全保障が不可欠と考えているからだ。それも一つの考えである事は確かだ。

 しかし、その方法が必ず戦争に繋がるから、軍事力を放棄するというのが、日本が敗戦したときに作った、平和憲法の考え方だ。軍事力を放棄する代わりに、平和的な手段で世界平和を目指そうと決め、日本は第2次世界大戦で大きな迷惑をかけた反省を、世界に示したのだ。

 その平和的努力が最近は放棄された。放棄し、今度は尖閣問題よりも、世界大戦にも繋がりかねない、台湾問題が大きくなってきた。アメリカや日本が台湾支持を強めてきた。私も台湾は独立すべきだと考えている。また台湾のかなりの人が台湾は今や独立国家だと意識している。

 もはや、中国の一部の地域というような意識は台湾にはない。いずれにしても台湾の所属を決めるのは台湾の人だ。民主的に決めるべきことだ。あのロシアでさえ、占領下で住民投票を擬似的に行い、住民がロシアに所属したというので、そのようにしたと主張している。

 台湾の人が、独立したいとしている。それも何十年という期間、安定して独立国家を作る意志が大勢を占めてきたのである。民主主義に於いてはそれが一番重視されるべきことだろう。中国もその点では、平和的な交渉をまず行うとしている。民主主義的な処理を目指すことを世界が後押しすべき所だ。

 台湾には中国系台湾人がいて、中国統一を希望していて、弾圧されているというようなことはない。この点がまったくウクライナとは異なる。親中国派の人は居ること入るが穏健派と呼ばれている範囲だ。中国と良い関係を作ろうという人達で、中国と統一を目指しているというわけではない。

 この点をはっきりしておくべきだ。日本政府やアメリカはまるで、台湾問題がウクライナと同じであるかのように宣伝している。今にも戦争があると、騒いでいる人達がいる。その理由は日本の軍事国家が必要だと考えているためだ。むしろ、日本が平和主義を捨てるべきなのかどうかを正面から議論すべきだろう。
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好きなことの探し方

2023-02-21 04:47:52 | 暮らし

 「ゆがふもち」の直播きの様子。上をネットで覆っている。土壌に肥料分がなく、その上天候が思わしくなかった。苗が細い。それでもあと1週間で田植えをする予定だ。

 何度も書いたことだが、好きを探すのが子供の仕事だと父親に言われて、絵を描くようになった。絵を描くことを好きだと決めたのは小学校6年生頃だったと思う。色々の子供の絵画コンクールに出していたから、多分その頃なのだと思う。小学校の美術の先生が、根津荘一先生という日展の会友の方だった。

 中学の入学祝いで油絵の道具を買って貰った。渋谷の道玄坂の上の方にあった、地球堂という画材屋さんだ。その頃住んでいた三軒茶屋には画材屋さんは無く、油絵の道具を買うならば渋谷まで行かなければならなかった。渋谷には他にもうえまつ画材があったのだが、そちらではなかった。

 渋谷には今はなくなった路面電車の玉電に乗ってゆく。玉電は今は世田谷線と呼ばれて、三軒茶屋と下高井戸の専用軌道部分だけに残っている。先日豪徳寺まで乗ったのだが、かなり混んでいて、随分利用されているようだ。豪徳寺で小田急線、下高井戸で京王線と連絡をしている。

 なぜ油絵の具が欲しかったかというと、裏のパン屋の大英堂の同級生のつよしのお姉さんが鷗友学園に通っていて、油絵具のセットを持っていたのだ。中学校の美術で油絵を教えていたと言うことになる。それがうらやましくて仕方がなかった。散々親に頼んで、中学生になったら、油絵の具を買って貰得るとなっていた。

 なぜ水彩絵の具を続けなかったのか、今思えば残念なことだが、油絵の方が、水彩画よりも本格的なことだと思い込んでいた。水彩画は小学生が図画の時間に使う、安易な方法だと思い込んでいた。世間がそう考えていた。今でもそれは変わらないことだろう。

 水彩画の方が油彩画よりも、はるかに奥が深いと思うのだが、西洋画と言えば油彩画だ。という明治以来の西欧志向がここにも残っているのだろう。結局13歳から35歳までの絵を一番学習する時期に、油彩画だけを描いていたために、随分遠回りしたことになった。

 その若い時期に描くと言うことを小脳化するべき様々なことを、70歳になってからしている。これは明らかに遅かった。35歳の時に油彩画から水彩画に変わったときに、もっと徹底して水彩画のすべてを身につけるべきだった。それから35年も遠回りしてから、始めて水彩画を初歩からやり直している。

 好きなことだけをしてきたと言うことは、こういう遠回りが多くなると言うことだ。つよしのお姉さんの描いた油彩画は見たことがなかったが、油彩画と言うだけで憧れて始めたのだ。世田谷中学の美術部にすぐに入った。早速6号くらいのキャンバスに静物画を描いた。

 家にそのまま持って帰ったもので学生服が油絵の具だらけになった。学生服など汚れようが、破れようがそういうことはどうと言うことは無かった。だらしない性格だったのだ。親に何故かそういうことで怒られるようなことは全くなかった。

 同級生の美術部員は畠山君と井沢君との3人と言うことだった。畠山君は東京電線という会社で今でも働いているらしい。井沢君はガラス工芸の作家になった。3人とも近所に住んでいたので、良く一緒に絵を描いた。美術部ではいつも静物が置かれていたので、それを描いた。

 中学3年くらいの頃には芸大に行きたいと考えるようになっていた。叔父草家人という人が、そのころ芸大の彫刻科の助教授だったからだと思う。しかしこの希望は父親の強烈な反対に遭った。好きなことをやれとあれほど言っていたのに、この時は本気の反対だった。

 お爺さんは日本画の人だったので、父は美術の世界を十分見てきて、その上で職業としてそういう道を選ぶのは止した方が良いという考えだった。絵を描いて行くにしても芸大は止して、普通の大学に行った方が良いという考えだった。

 父親の考えの影響もあってかと思うが、絵は描くが大学は普通の大学へ行く。そのうち大学は行かないでも良いと考えるようになった。高校の頃調子がおかしくなったのだ。そうした結果、美術系大学の進学のための石膏デッサンの勉強というのはやらないことになった。

 それは今思えば良かった。石膏デッサンをするというようなことは、絵描きになる上では害があると思っている。感動のないものを描写だけして、写し取る技術を小脳化する。これは絵を描く人間にとって少しも良いことではない。芸術というものは興味のあること以外はしない方が良い仕事だ。

 好きな画家である、ゴッホもマチスも中川一政も児島善三郎もそういう画家だ。始めから終わりまで、人に教わることなく好きに描き続けた人だ。そういう天才領域の人とは私が違うのは分かっているが、絵を描く方角だけは同じつもりである。

 日本では芸術としての絵画を、狭く美術品と考えている。藝術としての絵画は美術品ではない。美術品を作ることには興味が無い。商品絵画の時代だから、投資対象としての絵画が出現する。こういうものは芸術としては無意味なことだ。職業画家であれば、仕方がなく商品を作ることになってしまう。

 そういう意味では芸大に行かないで、金沢大学の美術部で好きな絵を描いたことは、自分には良かった。絵を描くと言うことを、生き方として考えることが出来た。父親が言ったように好きなことを好きなこととして貫くことが出来た。芸大に行かない方が良いといった意味が、今にしてみれば理解できる。好きなことと職業とは関係が無い。

 いつも好きなことだけをやるようにしてきた。好きは随分と変わった。それでも絵を描くことだけはいままで続いている。鶏を飼ったり、犬を飼ったり、ラン栽培をしたり、農業をしたり、様々な好きなことが表れた。その都度その好きなことに没頭してやってきた。

 結局は性格的に好きなこと以外が出来ない、つまり我慢して努力するというようなことは丸できなかった。そう思い込むことにしていたからかもしれない。好きだからやりたくてしょうが無いのでやる。絵も描きたいときだけ描いた。描きたくなければ、半年ぐらいまったく描かないで、このまま絵を描くことを止めるのかと思えたこともあった。それでもいいと考えてきた。

 今でも同じであるが、今は日々の一枚である。今嬉しいのはそういう気ままな暮らしをしていても、さすがに年寄がやることだから、仕方がない。と白い目では見られないことだ。若い頃は仕事もしないでどうしようもない奴だ思われていると、意識していた。まあ、人目は気にしない方が言い訳だ。

 今は農作業をしながら、合間合間に絵を描いている。毎朝の動禅もやりたいからやっている。案外続いている。今願うのはこの状態をできる限り長くつなげることである。まだいくらかずつだが進んでいるような気がしているからだ。前がひどかったから、いくらか進むのだろう。

 だんだん好き勝手に描けるようになってきている。好きなことを好き勝手に描く。これは実に有り難いことだ。日々の一枚の成果だと思う。一枚の繪に集中しすぎない。いくらか力まず当たり前に描けるようになってきた。水彩の描き方が小脳化してきたのだろう。

 
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石垣島崎枝にラム酒工場が。

2023-02-20 04:22:36 | 暮らし


 のぼたん農園のすぐ上の農地は長く売りに出ていた。その場所を購入して、のぼたん農園と関連付けて利用しようかと考えて、土地を見せてもらったことがある。しかし、大きな石が多くて、農地としては使えないと考えて辞めた場所である。

 その場所を購入した人が居る。どうもラム酒工場を作るために購入したとという話だ。その土地を買った人は外国人の方で、イタリア人だとか、フランス人だとか、スイス人だとか、インド系の人だとか言われている。眺めの良い場所だから、買いたい人は居るとは思っていた。

 ただし、農振農用地である。利用方法には限定がある。農業法人とか、NPO法人とか、そうした組織であれば、購入することは出来る。しかし、誰であったとしても、その農地を購入して、ラム酒工場を作るということは特例でも無ければ出来ないことだ。

 農振農用地である以上当然その場所で農業をしなければならない。農産物を購入して作るから良いだろう、と言うのではだめだ。サトウキビ農家が加わっているとすれば、可能となるかも知れないがまだまだハードルはあるが。たぶんこの辺りは準備して取り組む。

 NPO法人であれば、もう少しゆるい形で、購入を進めることは出来る。法的には買うことは出来る。しかし、その農地で農業を行う以外のことは出来ない。工場の建築申請などするのだろうか。それもしないで、進めてしまう人も少なくはないのだ。どうなるのだろうかと思っている。

 石垣島前勢岳ではユニマット社が農振農地を購入し、転用してゴルフリゾートを作ろうとしている。これには、石垣市が後押しをして推進している。このユニマット社がゴルフリゾートを作ろうとしている農地は、そもそも畜産団地を作るために、国の事業として、農地として公共事業で開発された場所である。

 道路などもその時に整備されている。わざわざ農地の整備をしておいて、今度はゴルフリゾートへの転用である。実に税金を上手く悪用して、土地の転売ビジネスのような話である。誰かがすごい利益を上げるに違いない。農業が弱い、弱いところにはこうした悪い虫がつけ込む。

 そのユニマットは以前、西表島で似たようなことを行い、リゾートホテルを作り上げた。ところがユニマット社にはホテルを経営するつもりはなかったのだろう。それを星野リゾートに転売している。ユニマットでは経営できなかったホテルが、星野になったら予約が取れないほど人が来ている。

 ユニマットはそもそも、汚い仕事を引き受けて、転売が最初からの視野に入っていたのだろうと噂されている。今度のゴルフリゾートもむしろ転売が目的では無いかと言われている。果たしてあんなに風の強い場所でゴルフが出来るはずがないというのだ。

 こういうことは行政と連携しなければ出来ない。ユニマットの社長は西表にホテルを作るときには、住民票を竹富町に移したのだ。そうしたら多額が税金が竹富島に入るようになった。それが功を奏したのか、利権がらみの開発が実現してしまったのだ。それが今では世界遺産の島の唯一の星野リゾートと言う落としどころになった。

 すべては農地の価格が安いと言うところから来ている。先日中国の人が、沖縄の屋那覇島で、島の半分ほどの土地を購入していたことが、中国人女性のブログに出て騒ぎになった。親族の企業はホームページで「リゾート開発計画を進めている」としている 。

 石垣島のゴルフリゾートも韓国企業当たりが計画しそうである。中国企業や韓国企業が、ゴルフリゾート用に農地を購入というのでは、さすがに石垣島でも住民の反対が起こるだろう。そこでユニマット社が仕掛けたのではないだろうか。日本のゴルフ場は安くて良いというのが、中国韓国のゴルファー達の感想だそうだ。

 日本の円安誘導はこういうことなのだ。日本を安く切り売りして、利益を上げようという人達がいるのだ。政府には展望など無いから、土地を買うのが外国人であっても問題が無い。土地が有効利用されて、経済に恩恵があればそれの方が良いわけだ。

 確かのぼたん農園の上の土地は、農振農用地のはずだ。行政が後押しでもしない限り、ラム酒工場が出来るとは思えない。農振農用地はそもそも、農業以外は出来ないと言う決まりがある。農業に必要な施設が特例で許可される。のぼたん農園の機械倉庫も面倒な手続きを経て、やっと許可が出たものだ。

 ラム酒工場が出来るのは悪い事ではない。しかし、それならば合法的に工場を作れる場所に作るべきものだろう。すでに清福酒造ではラム酒作りを始めている。ゴルフリゾートも農振農用地に作ると言うところが問題なのだ。同じ農地であっても白地農地であればまだ可能性がある。こういう悪例が農地の減少に繋がってゆく。

 農業が弱いために起きていることだ。弱いところには膿が出る。農業が強い時代にはあり得ないことが起こる。政府が農業を諦めてしまったから、起きていることだ。食料生産が38%しかない状況で、一向に改善出来ないで手を打とうとしないから、弱い農業が崩れ始めているのだ。

 サトウキビは石垣島の主たる農業の一つだ。南西諸島の農業はサトウキビ補助金で維持されている。補助金がなければ、世界の砂糖価格と競争は出来ない。現在、石垣島では一つしか無い製糖工場が、老朽化して操業が万全とは行かないらしい。

 補助金で何とか生産しても、沖縄の砂糖は余り始めているのだ。老朽化した工場を解体して、新規建造となると、国の補助金がなければ、到底無理なことだ。国にしても砂糖きびに展望がないことは分かっている。新工場の建設は厳しいに違いない。

 それでは、石垣島のサトウキビ農家はサトウキビを辞めて何を作れば良いのかと言うことになるのだろう。今は牧草地が広がってきている。放牧地ではなく、草の生産地である。輸入牧草が高騰しているので、島内の牧草生産が盛んになっているようだ。

 石垣島では牧草が年5,6回生産できるというので、有利なところがある。サトウキビを辞めて牧草生産と言うことは今のところ余り見ない。耕作放棄地だった場所が牧草地に変わって行くのを見る。牧草を管理さえすれば、刈り取りから、サイレージまで委託でやってくれるらしい。

 晴天が続くとなると、一気に大きな機械で島中でロールベールラップサイロ が作られて行く。昔はサイロと言えば、高い塔のような建物が、牧場の目印のようなものだだったが、今は大きなビニールに包まれた玉が、牧場の象徴である。

 確かにラム酒工場が出来て、サトウキビが利用されるのは一つの展望である。おもしろい着眼点である。それは南西諸島全体で始まっている。新規にラム酒工場を立ち上げるというような話であれば、それはそれで素晴らしいのだが、工場を作ることが出来る場所で工場は作り、農地ではサトウキビを作るべきだ。何かおかしな話にならなければ良いのだが。
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第149 水彩画 日曜展示

2023-02-19 04:47:08 | 水彩画
第149 水彩画 日曜展示






111「海底」
2023.2






112「今帰仁城裏」
2023.2






113「角館桜」
2023.2





114「のぼたん農園」
2023.2






115「ヨットのある海」
2023.2





116「洋梨」
2023.2







117「ふらっぐ」
2023.2






118「西表島」
2023.2






119「冬菜の花:篠窪」
2023.2



120「ヤエヤマヤシ」
2023.2


 少し苦労した1週間だった。絵がなかなか進まなかった。一日だけ描けた日があった。描けないときにも描いた方が良いのかどうか分からないのだが、描くことにしているので描いている。描きたいという気持ちは強い。それなのに一日絵の前にいるだけの時もある。

 ヨットの海はなぜか気持ちよく描けた。海の絵は自由に描ける。もう少し海の絵を描いてみた方が良いのかも知れない。のぼたん農園の絵はまだ正面から描けていない。描きたいのだが、難しすぎて絵にはなっていない。自分のものにまだなっていないのかも知れない。

 ヤエヤマヤシはすごい大木なのだ。想像を絶するほど大きなヤシの木なのだ。太さは目通りで直径50センチくらいはある。堂々たる風格の木だ。イシガキニィニィーと言う、絶滅したと思われる蝉が居た場所である。
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のぼたん農園の田植え

2023-02-18 04:46:14 | 楽観農園


 のぼたん農園の田植えを2月25日と26日に予定している。それまでに田んぼの準備である。苗は順調に生長している。苗代に種まきをしたのは、1月15日である。最初の直播きが、12月4日だったから、一ヶ月半後に2回目の種まきをしている。

 3回目の種まきを2月22日に予定して、16日に溜め池で浸種してある。ミルキーサマーという品種を、下地さんから種籾を分けてもらった。1ヶ月ずつずらしての3回の種まきである。まだ出来るかどうかは分からないが、これがひこばえ農法に繋がれば、毎月新米を食べるのも夢ではない

 一部ネズミに食べられて、失敗をしたということもあるが、今年は、時期をずらして3回に分けて、種まきの予定通りである。時期がずれていれば収穫の時期もずれて、毎月新米を食べるということになる。日本では八重山諸島以外では出来ないだろう。体験型の自給農業を目指してのぼたん農園の農法を探している。

 最初の12月4日に播いたイネは、今が8から9葉期である。この間10度まで下がる日もあったので、成長はゆっくりめである。それでも枯れると言うことは無く、ここまで来た。石垣島は一年中稲は生長できると言うことが確認できた。これはひこばえ農法には良い材料である。

 毎月新米構想は、危険分散でもある。石垣島の稲作は様々な問題が起こる。自然が厳しいと言うことと、大きな台風が来ると言うことがある。どこかでやられても、いつでも再出発できるという態勢にしたい。色々の成長段階のイネがあれば、どれかが助かるという可能性が高いはずだ。

 3回目になる次に播くイネでも、直播きの実験はする。苗代はいつも通りで良いと思うが、直播きでネズミや鳥に食べられないようにしたいわけだが、そう簡単ではない。全体をネズミが入らないようにすることはかなり難しいので、色々考えているところだ。

 直播きは手間がかからず簡単にできないのであれば、省力化という直播きの意味が無くなる。今の調子では直播きよりも苗代の方が、安定している気がしている。今後の課題である。直播きも大きなネットが一枚あり、毎月直播きをしてゆくと言うぐらいであれば、良いかもしれない。

 田んぼ全体に、カヤツリグサが出てきている。これは種を落とさないうちに抜かなければならない。コナギはまた溜め池に出てきている。種を落としたとは思わないのだが、いくらでもコナギは出てくる。コナギの種は生命力が強くよほど種が残っているのだろう。

 12月、1月、2月と3回に分けて種まきをする。これが、5月、6月、7月、と言う形で収穫になる。それをひこばえ農法にしたら、10月、11月、12月と収穫になり、さらに3月、4月、5月と3回目の収穫になる。ここまで上手く行けば、ひこばえの刈り込む時期を変えることで、毎月の収穫になるだろう。

 果たしてそうなるかは、これからの管理次第だ。山岡先生の言われる、幼保を形成させないための技術は、稲刈りをどの程度早くすれば良いのかだけだと言うことである。これを検討する必要がある。水分計で測定しながら、どの程度早くかれば幼保が形成されないのかを確認する。

 山岡先生は普通の稲刈りよりも1週間早めるのが、ひこばえ農法の適期と言われている。籾の水分が28%当たりがひこばえ農法の適期と言える。30%から徐々に下げて行きながら稲刈りを行う計画である。収穫に適した籾の水分は、25%前後とされている。

 私はいままで20%以下でなければ稲刈りをしなかった。15%でやったこともある。田んぼから直接ハーベスターに入れて、脱穀して、そのまま干さないで、籾すりをしたこともある。倒れなければそれでもいいと考えてきた。ところが今回は水分30%からの稲刈りである。想像が出来ない。

 籾水分は、積算温度50℃で約1%低下する 。おおよそ2日で1%さがるとすれば、2日ごとに稲刈りをして行き、その後出てくるひこばえを比較検討すれば良いだろう。ただし、水分判断だけでなく、目視も重要だから、どの程度の青米が残っているかも考えて稲刈りをしたい。

 トラヌ狸の話である。
1,アカウキクサによる緑肥。石垣島の土壌は腐植がたりない。
2,光合成細菌の投入。少ない水の腐敗を防ぐ。
3,ひこばえ農法。2年で7回の収穫をするスマトラ島のサリブ農法の再現。
4,一年中水のある田んぼ。石垣の土壌には泥沼化しない適性がある。
5,バイオガス設備。水牛糞の有効利用。
6,毎月稲刈りを行い、新米を食べる。

 この6つの目標が実現できれば、石垣島の自給農業は素晴らしい魅力ある場所になる。そうなれば、石垣島に50の自給の田んぼが生まれるはずだ。そのことが、石垣島の自然を維持してゆくことににも繋がる。そして石垣島がSDGS の島に名実ともに成るだろう。

 今年は2年目と言うことで、本格稼働の年である。このところ昨年と打って変わった少雨傾向である。ともかく雨の多い、2月に差して雨が降らない。雨が降らないので溜め池の水が大分減ってきている。これ以上減るとかなり厳しいことになるが、田んぼに水さえ溜まれば、田んぼ自体が溜め池になるので、何とかしのげるとみている。

 田んぼ全体に水が溜まるほどの雨が、一度だけでも降ってもらいたい。天水田は雨頼みである。自然に願う気持ちが良く分かる。自然は厳しいものだが、自然に助けられると言うこともある。自給農業の体験で一番重要なことは、実はこの自然を知ると言うことだろう。

 自然に生かされている自分を知ると言うことになる。その気持ちが、絵に表れてくると考えている。そういうことは一生を生きた結果のことだから、どうでも良いとも、何とも成らないとも言えることだが。のぼたん農園をやりきると言うことが、自分を生きると言うことと繋がっている。

 今年2回目の田植えが、近づいている。0,1,2,4番と4つの田んぼの予定である。0番は9番にある「ゆがふもち」を田植えする。1,2,4,番田んぼは「とよめき」である。これで、とよめきは直播きと田植えと言うことになる。生育も比較できておもしろそうだ。

 昨年の経験ではとよめきは肥料をやらないとしっかり成長をしない品種のようだ。8.5葉期で7,8番田んぼには追肥をした。もう少し早く追肥をしても良かったかも知れない。まだ土壌が出来ていないので、どうしても肥料不足のようだ。

 今年はアカウキクサが繁茂してくれればと思う。アカウキクサがきっちりと生えれば、これで肥料分は十分なはずなのだ。月々1反1キロぐらいの窒素分を生産しているはずだ。肥料が足りなくなるはずがない。いよいよ2回目の田植えが近づき、何だか緊張してくる。


 
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アカウキクサについて

2023-02-17 04:30:15 | 楽観農園

 写真はアカウキクサが地面に接触して、繁殖が盛んになったところ。アカウキクサは11月頃ほとんど姿を消した。また1月になり、所々で姿を現し、2月になりだんだん広がり始めている。しかし、そう簡単に水面を覆い尽くすと言うことは起きていない。

 先日の水共生ワークショップで、西表で作った池が、アカウキクサで覆われて困っているという話が出ていた。西表にもアカウキクサがあるのだと思いよかったと思ったのだが、なぜアカウキクサが増えすぎるのかに興味が湧いた。何かの理由が必ずあるはずだ。

  たぶん農業の場面ではそれほど広がるものではないのだと思う。手入れがまったくされない、ビオトープのような場所では水面を覆い尽くすことがあるかも知れない。現代のようなものの移動が激しい時代、ビオトープをやれば、例え世界遺産の西表島でも、おかしな偏りが出来ることがある。

 アカウキクサは一般に言われるアメリカから来た、アゾラとはちがう。アゾラほどの繁殖力は無い。窒素固定能力もアゾラよりも低いとされている。農業として考えれば、特定外来生物のアゾラの方が利用価値は高いのだが、さすがに外に出た場合の異常繁殖があるので使うわけにはいかない。

 アカウキクサが覆い尽くした池には、水に流れが足り無いのかもしれない。表層水から排出されるように池を直せば、アカウキクサが溜まることはない。川平のサイエンスガーデンでもアカウキクサが溜まると言われていた。理由は化学肥料の富栄養化だと言われていたが、もう少し観察が必要である。

 熱帯水連も池を覆うので心配だと言われていた。熱帯水連に池を覆ってしまい困るほどの繁殖力のある、園芸品種はあまりない。そんなに困るほど増えたらそれこそ、熱帯水連販売業者になれる。のぼたん農園のお土産品に出来る。

 お米を作るより、熱帯水連販売の方を営業に取り入れた方が良い。残念ながら今のところそれほど増えては居ない。1年前に4株入れたものが、今6株になったという程度である。美しい花は必要だと思っている。石垣固有の花だけでも良いのだが、ちょっと熱帯水連の美しさにはかなわない。

 池を覆ってしまって困ると言えば、田んぼの稲の方だろう。まさにイネは日本のものではない。帰化植物であっても、なかなか栽培が難しく、そう簡単に放置していて増えるようなことはない。良い状態に管理すると言うことは、何でも日常の手入れである。

 自然を豊かにするのはちょっとした手入れの連続だ。よく手入れされた自然栽培の田んぼは3000年自然と調和してきたのだ。人間が生きて行くために必要不可欠な食料生産の場所が、自然破壊を最小限にとどめているのが田んぼだ。

 のぼたん農園の溜め池だって、繰返しコナギが出てくる。溜め池はコナギの草取りをしなければ、忽ちコナギだらけになる。ミズオオバコとミズワラビが希少植物だからいいが、一向に減らないコナギは迷惑なものとなる。農家にしてみれば、ミズオオバコも、ミズワラビも、コナギもひとしく迷惑雑草なのだ。

 有用植物と、雑草とどこが違うのだろうか。珍しいから尊いとは言えないのかも知れない。ヘラオモダカだって花が美しいと言えば言える。歌舞伎の市川團十郎の屋号である。ヘラオモダカは漢方薬の材料になれば、有用植物であり、田んぼ雑草であれば迷惑千万なものになる。

 いずれにしても、西表の溜め池に肥料も入れないのに、アカウキクサで覆われたとすれば、何か原因がある。一度その池をみてみたいものだが、5月頃になれば、西表に行けるかも知れない。5月か、小田原の田植えか。無理かな。西表の高相さんのところに伺い、草取りぐらいやれることがあればやりたい。

 アカウキクサは雑草を抑える効果がある。アレロパシーがあるといわれている。だから、他の植物を抑えて、繁茂して行く。そうした他の植物を凌駕する能力を持つ植物というものがある。そばなどもアレロパシーがある。幸いイネ科植物には影響が少ないとされている。

 アカウキクサを繁茂させてどうなって行くのか。これから注意深く観察したい。のぼたん農園から外に出る可能性はほぼ無い。よほどの土石流でも起これば別だが、普通の大雨ぐらいでは水が外に直接は出ないようになっている。アカウキクサの純粋種は今や希少生物である。私が知る限り、石垣島では4カ所しかない。

 熱帯地域のアカウキクサ利用はベトナムや中国南部では11世紀頃から、水田緑肥として、利用されてきた歴史が在るものだ。現在、日本本土では特定外来生物としてのアゾラが、危険視されている理由は、稲作農業が化学肥料に変わったためと考えるほか無い。

 特に熱帯地域の稲作では腐植質が失われて行く。強い日照と高温のため腐植の分解が早すぎる。それを補うものが、ベトナムで生まれた水田のアカウキクサの利用だったはずだ。1ヶ月に1反4キロの窒素固定をする能力があるとされている。水田では月に1キロぐらいの窒素固定が行われると考えて良い。

 アカウキクサの増殖が上手くゆけば、アカウキクサだけで十分な肥料が期待できると言うことになる。この窒素固定能力はマメ科の緑肥植物のヘヤリーベッチやレンゲなどと変わらないほどのものなのだ。緑肥作物は案外に栽培が難しいところがある。

 アカウキクサも今のところ簡単には田面を覆うと言うほどの繁殖はしてくれない。どのような条件で上手くアカウキクサを広げられるかを、観察して行かなければならない。今のところ水田では広がらないで消えて行く場合の方が普通だ。

 フィリピンではアゾラ緑肥利用は行われて居なかったのだが、その技術を日本からの指導で行ったことで、一気にアゾラ利用が進んだという。その理由は池で、アヒルを飼う伝統があり、アヒルの餌にもなると言うことで、アゾラの利用が進んだようだ。

 フィリピンの気候であれば、水田にアゾラを広げることは簡単なようだ。果たして石垣島の気候で、アカウキクサがどの程度の繁殖力になるかはこれから観察して行くつもりだ。フィリピンではまず田んぼに水を張り、そこに池で増殖し保存してあったアゾラを投入する。

 その後水田の代掻きを行い、アゾラを漉き込み緑肥にする。フィリピンではこの時水牛を使った代掻きが行われている。水牛とアカウキクサ。熱帯稲作の姿である。のぼたん農園では田車でコロガシ中耕して、アカウキクサを漉き込んで行くつもりだ。

 また漉き込まないでも分解され自然に田んぼの土壌に混ざって行くものも多いと考えられる。アゾラは16度から30度が生育の最適温度。中国南部では2月から5月が繁殖が盛んな時期。ベトナムでは1月が最も生育が盛んになる。

 アゾラの栽培ではリン酸肥料不足が起こるとされていて、肥料不足になる場合は水を浅くして根が地上に近づくと、アゾラは元気を取り戻し繁殖を広げる。リンを増やすために一番良いのは、籾殻クン炭。籾殻をそのまま戻すのも良い。バガスにもリンは含まれているから、田んぼにバガスを入れることも試したい。またバガスをもらいに行きたい。

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仲間が居れば元気が出る。

2023-02-16 04:02:36 | 身辺雑記

 夜の那覇空港 台湾から戻るときに、直行便がないので、那覇で乗り換えて石垣に戻った。

 絵を描くのも、田んぼをやるのも、仲間とやってきた。みんなでやることで前に進んでこれたと考えている。天才ではないので、一人でやれることには限界がある。仲間とやろうとしたかと言えば、その方がおもしろいからである。一人でやってみて、そう思うようになったのだ。

 絵を描くと言うことは普通は一人で描く。金沢大学の美術部で坪田さんと浅野さんと大河内さんと4人で共同制作をしたことがあった。ベニア2枚の大きさの絵を4人で描こうとしたのだ。理屈で絵を描こうとしていたからだろう。共同制作に挑戦してみた。結局それぞれのやり方が旨く融合はしなかった。

 ただその時に感じたのは共同制作の作品を描いているときに、自分にはないものの上に、自分の描き方で絵を描くと、やりにくいがそれを乗り越えることは出来る。結果、不思議な感じになると言うことは体感した。すでに誰かが描いたものに手を入れて、自分の絵を描くという感じが、いつもの絵を描くと言うこととは発想が違った。自分を壊すことが出来るような感じがした。

 テレビで、絹谷浩二親子が共同制作作品を作る番組があった。どういう意味合いで行われたのかは分からなかったが、なんとなく父親が娘を売り出したいのでそういう企画に乗ったように見えた。その作品が絹谷浩二氏の作品を越えたなら別だが。私にはそうは見えなかった。

 学生の頃の共同制作は、私がどんどん描いてしまうもので、その後手を入れられなく成るという結果になって、途中で終わったと記憶している。誰かのやろうとしたことを、上手く生かして、一人で描くよりもおもしろい絵が表れると言うことを期待して始めたわけだが、残念ながらそうは成らなかった。

 この時分かったことは、一人の個性と言えるようなものは、他人の個性と融合して高まるためには、共同で絵を作り上げる仲間の中で練り上げなければならないものが必要だ。いう当たり前の経験をした。計画では互いにないものを補い合って、未だかつてないような作品が出来上がるはずだったのだが、そうはできなかった。 

 丸木夫妻の原爆図はいわゆる共同制作なのだろう。デッサン担当と、着色担当に分かれているらしい。確かに一人では出来ないものを二人で作り上げている。しかし、原爆図が芸術作品なのかと言えば、違うとみる。原爆の悲惨を人に伝えたいという意図はよく分かるが、作品には見えない。

 小林秀雄が書いたように人間を絞り出すことが、芸術作品。そうだとすると原爆図はどちらかと言えば、芸術作品ではなく、原爆批判のためのプラカード看板図のようなものになる。それは戦意高揚の戦争画と呼ばれるようなものも裏返しで同じような作品であろう。看板なら共同制作は良くある。

 作品というものは自己体験から絞り出てきた絵だと思う。自己表現だけが芸術だと言えばそうなる。それでは金沢大学の美術部で試みようとしたものは、美術部における共同体験のようなものが、集団の共同制作によって表れて来るはずと考えたわけだが、そうは成らなかった。技術の未熟さが原因していたとも思う。

 共通する体験をしていなかったと言うことはあり得ない。あの時代の濃密さが、絵にならないわけがない。あのときは人間としては互いを高め合うような関わり方をしていたはずだと思う。その意味では、あの美術部での4年間が今の私という人間の形成をした。しかし、そのことは絵画の上では表れるはずだった。

 出来ないと言う結論になった。あの絵をもう一度見てみたいものだ。今ならなぜできなかったのかと言うことが、もう少し分かるかも知れない。こんど金沢で浅野さんに会ってみたい。浅野さんには随分会っていない。会っては居ないが、時々思い出して彼ならこう考えるだろうとか、今でも仲間として仮想のとなりに居る。

 そうだ共同制作をしようとした仲間とは、その後シルクスクリーンの工房を始めたのだ。その工房には落合さんも加わった。落合さんが余りに熱心だったのだが、その意味はよく分からなかった。分からなかった人はやはり、自問する仲間として思い出すことはないことになる。落合さんはしばらく前に死んだと聞いた。

 互いに自問する仲間は自分の中に沢山居る。励ましてくれる人も居る。そうして自分は絵を描いているし、農業も続けている。曲がらずに何とか生きて来れたのは、多くの仲間が居たからに違いない。仲間が出来る場を求めてあれこれやってきたような気がする。

 水彩人展もそのつもりでやってきたのだが、ついに25年前に始めた仲間は7人から3人に減ってしまった。なぜかと思う。残念だと思う。受け入れがたいが受け入れるほか無い。しかし、一方で7人だった仲間が50人にまで増えたとも言える。それはおおきな喜びである。そう考えて去って行った仲間のことを耐えるほか無い。

 水彩人展もこの先どうなるのかは分からない。良い仲間になるように、大切にしていかなければならない。今年は、4月26日から30日まで石川県でうるわし展があり、私は担当である。途中、27日だけは東京にゆく。何か慌ただしい。

 そして、9月には上野の都美館で25回展である。新しい試みをやりたいと考えている。まだもう一つはっきりしてこないが、みんなで張り切ってやって行こうと言うことだ。それが25回展の一区切りになる。

 あしがら農の会は私が石垣に退いて、むしろ活発に活動を続けている。コロナ下で、共同の活動は難しくなっているにも関わらず、多くの活動が昔以上に活発に行われている。先日の味噌造りも、80人も集まり気持ちよく行われた。参加させて貰うことが出来て、久しぶりの小田原の仲間と再会が出来て、気分爽快であった。

 なかなか小田原に行けなくなっている。2月は石垣の田植えがありどうしても無理になった。今度行けるのは3月末になる。ジャガイモはまだ植えられるだろうか。植えられなければ仕方がない。4月に入ってからでは遅いだろうが、溜め池のカキツバタの移植だけはしたい。

 そして、石垣では田んぼの新しい仲間が出来て2年が経った。ラインで連絡を取り合っているのだが、32名と出ている。実際に田んぼに関わっている人はもう少し少ないのだが、それでも2年で随分と仲間が出来ている。関連の田んぼもあらたに一つ出来た。

 出来れば緩い連携が取れる、田んぼが年々1つぐらい出来てゆけば理想的である。可能性は十分にある。石垣島にはそうした水場が必要になっている。石垣の生き物の豊かさが維持されるためには、かなりギリギリの所に来ている。水共生学の集まりでそういう話が出ていた。

 
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物価高の中の米の値段だけが下がる理由

2023-02-15 04:00:02 | 楽観農園

 アメリカで稲作をされている牧田一郎氏の直播き田んぼの写真。記憶したいのでここに載せる。額縁が深く掘られているところが、興味深い。また、田面がでこぼこになっていて、その合間に種が蒔かれてゆくのだろう。1反に2,3キロ蒔くという。

 政府は稲作の生産コストについて、『日本再興戦略(平成25年6月安倍内閣閣議決定)』において、今後10年間(令和5年まで)に、 全農地面積の8割を担い手に集積し、担い手の米の生産コストを平成23年全国平均から4割削減する 政府目標(KPI)を設定した。

 ここで言う担い手とは、他産業並みの所得を確保し得る「効率的かつ安定的な農業経営2」 を行う経営体、つまり 本音で考えれば企業農家と言った方が分りやすい。農家の担い手は、認定農業者とも呼ばれる。

 農業経営基盤強化促進法に基づいて、農業経営改善計画を市町村に提出し認定を受けた個人の農業経営者または農業生産法人のこと。 認定農業者の実体は政府の考えた物と大分違っている。以前私も認定農業者にならないかと言われたことがあるくらいだ。

 その令和5年がやってきた。いつもの農業政策と同じで、何も実現していない。確かに農地を集積できた大規模農家は生産費が平均的農家の50%下げている。認定農業者全体のこととは違う。農家平均での60キロ当たりの生産費は15000円の所、50㏊以上の農家企業の生産費は1万円ぐらいである。

 一方で大規模農家の目標数の方は、80%どころではなく、スケールメリットが出て、生産費が低くなる、50へクタル以上の大規模農家となれば、25%程度に留まっていて伸び悩みなのだ。確かに一般農家との競争には勝って、農家を離農させているだが、企業的に見れば、つまり投資が集まるほど、利益が出ていると言うほどではないのだ。

 あしがら農の会の行うお米の自給活動の生産費は60キロ当たり、5000円くらいだから、大規模農業企業のさらに半分位になる。これが、将来は農業企業と自給市民の田んぼだけが残ると言うことの予測の根拠である。

 JAがJAに販売委託をしない農業企業との競争に勝てないと言うことになるのははっきりしている。JAは多くの稲作会員を抱えてどうすると考えているのだろうか。農協というものの設立の趣旨からすれば、諦める訳にはいかないはずだ。

 市民の生産費が60キロあたり5000円と低いのは、労賃が入らないからである。労賃はリクレーションと健康体操。普通の農家を平均的に見ると、労賃が60キロの生産費の内4000円くらいを占めている。この賃金の算出は最低賃金なのだろうか。あるいは、熟練技術者の労賃だろうか。大規模になると、これが2000円以下になる。外国人労働者の過酷な雇用が背景にあるのかも知れない。

 労賃を低く抑えると言うことでは今後難しくなるだろう。円安もあるし、アジアにおける、日本の相対的経済価値が下がってきている。働きに行くなら日本ではないという時代が、すぐそこまで来ているような気がする。最近は暮らせるなら日本から出て行くという人が、増えてきている情勢である。

 お米の価格は低いから、消費はだんだんに増えるはずだ。学生の頃お米と、もやしとオカラと卵で自炊で暮らしていた。お米があれば大満足できたのだ。何とか日々食べるものがあり、暮らせればそれで良かった。田んぼをやっていた大浦さんからお米を貰えることもあった。

 これからも貧困家庭は安いお米を買うことに成るだろう。古米であればかなり安はずだ。一杯10円ぐらいで食べれるだろう。月に主食費が、千円もあれば良い。出来れば鶏を飼えば良いのだが。戦後の食糧難時代のように、リンゴ箱で矮鶏を飼う家がまた出てくるかも知れない。

 しかし、企業農家の60キロ1万円の生産費もアメリカのお米の生産費から見れば、アメリカのお米の生産費は60キロ当たり5000円くらいだ。アメリカでは農の会の生産費と同じくらいなのだ。と言うことは、将来アメリカのお米と農の会のお米だけが残ると言うことになるのだろうか。

 アメリカのお米の生産費が安いのは、よく言われるように規模が日本の大型農家のさらに10倍も大きいと言うことがある。なぜそんなに大きくてもできるかと言えば、直播き栽培だからだ。飛行機で播種する方式だからだ。今はドローンと言うことかもしれない。

 徹底的に大型機械である。もちろん自動運転のトラックターやドローン等どんどん利用して、家族経営というものが多いらしい。米品種も直播きに向きの品種になっている。そうした品種開発は各州ごとに行われているので、当然気候や水土に適している。

 その開発費用は品種を利用する農家が、品種開発企業に払う。アメリカではお米は品種名で売られない。カリフォルニアならすべてカリフォルニア米。アメリカの消費者には、余りお米の味が分からないのだろう。より適した品種でやらなければ、到底ドローンによる直播きなど成功するはずもない。直播き稲作という意味でも、最小単位の自給稲作とアメリカ方式の巨大農業が同じなのだ。

 しかし、違うところがある。そのお米にはモンサント社の除草剤耐性であったりするのかもしれない。種籾と除草剤が続けて上空から蒔かれる。まさに環境破壊農業の典型である。そうして出来るアメリカの安価格のお米が、なんやかんやと日本の稲作農業を押しつぶそうとしている。

 幸い、トランプ大統領がTPPを離脱してくれたので、かろうじて今は踏みとどまっている。アメリカは圧倒的な農産物輸出国である。ロシアのウクライナ侵攻で、穀倉地帯が戦争になり利益を上げているはずだ。アメリカの経済はロシアを経済封鎖したところで、儲かるばかりである。

 担い手農家でけを残すという、安倍政権の目指した、と言うか竹中平蔵の構想は、やはり実現できなかったと言うことなのだろう。大型化といっても日本の諸条件ではアメリカほど大型化は出来ない。日本では空から除草剤は播いてもらうわけにはいかない。アメリカは農業者への保障は手厚い。何か問題が起きたときには、補填される農業法がある。

 アメリカでの田牧流播種床づくり作業の手順 冒頭の写真が参考になるので使わせてもらった。

(1)水田の土が乾いている時にプラウで10㎝程度に浅く土を反転。イネ刈りあとの切株やイネわらにも土をかぶせるように反転させる。

(2)反転した土の表面が乾くのを待ち、乾いた土を小さく砕きながらレーザーレベラーで均一にする。乾いた土がレベラーの排土板で砕かれながら移動し、プラウで反転された土塊のすき間がふさがれて土がならされる。
(※レーザーレベラーが使えない場合の対応は別途検討中。2022年作付けシーズン前にその試験を行う予定)

(3)水田の表面の土が乾いた時に、ギザギザローラーをトラクターで引っ張り、水田の表面に山と谷を造っていく。

(4)水を入れて10㎝前後(山が水にくぐる)の深さに保つ。

 以上の田んぼの作り方はとても参考になる。直播き栽培は成功すれば、おおきな可能性がある。石垣島ではネズミや鳥に食べられると言うことだ。これを防ぐことが出来れば、直播き栽培には可能性がある。
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水共生学石垣島ワークショップ

2023-02-14 04:08:59 | 楽観農園
―――のぼたん農園の紹介―― のぼたん農園代表 笹村出



 のぼたん農園は石垣島崎枝半島の付け根赤崎にある。自給農業の体験農業である。面積は3,6ヘクタールのゆるい南傾斜地にある。上部に湧き水があり、年間通して水は少ないが、涸れることはない。水道程度の水が出ている。その水を利用して、小さな溜め池を5つと、12枚の小さな天水田のような棚田、果樹園、小麦畑、水牛放牧地を耕作している。

 その他熱帯果樹園と、小麦と大豆の畑がある。水牛の放牧地が2ヘクタール。農園の目的は自給農業の体験農場である。1つの単位が100坪で、一日1時間の労働で、100坪の面積で1家族の食糧が自給できると言うことを、学び体験してもらう農場を目指している。米、麦、大豆、常備野菜。を協働で自給する。この実践をあしがら農の会(会員200名、面積20㏊ほど)として、小田原で35年間行ってきた。それを改めて石垣島でもやろうと考えている。2カ所で出来れば、どこでも出来ることになる。

 水牛(現在3頭を飼育)を利用する伝統農業で行う。できる限り手作業で行う江戸時代のような農業である。こうした自給のための水田が石垣島の環境を支える時代が来ると考えている。稲作農業は農家としての経営が年々厳しくなり、減少している。日本全体が、大規模な稲作企業と小さな市民自給の田んぼが残ると考えている。

 水田による稲作は3000年の食糧自給の永続性がある。外から持ち込まず、その場所で何千年も繰返しお米を生産できる食料生産方法は稲作だけである。のぼたん農園では6つの方法の確立を目指している。
1,アカウキクサによる緑肥。石垣島の土壌は腐植がたりない。
2,光合成細菌の投入。少ない水の腐敗を防ぐ。
3,ひこばえ農法。2年で7回の収穫をするスマトラ島のサリブ農法の再現。
4,一年中水のある田んぼ。石垣の土壌には泥沼化しない適性がある。
5,バイオガス設備。水牛糞の有効利用。
6,毎月稲刈りを行い、新米を食べる。

 石垣島周囲162キロに3キロごとに50カ所の有機農業で行う水田が残ることで、石垣島の生物多様性を市民の水田が担うことになると考えている。5万人の市民の内1%の500人の市民が参加すれば可能になる。水田でなくとも、農薬が入らない水場が最低でも50カ所必要になる。

 そのためには、市民が行う田んぼが広がって行く必要がある。有機農業は自給農業であれば可能である。のぼたん農園の役割として、有機農業による農業技術の指導を行っていく。機械の共同利用。小さなライスセンター活動を進める。


 以下九大の岩谷先生から

「石垣島を巡る水共生学」


≪ワークショップ≫
日時:2月13日 13:00〜17:30 
目的:水共生学プロジェクトにおける琉球列島の「共通フィールド」の主要拠点候補であ
る石垣島について、13日のワークショップ(非公開)では石垣島をフィールドにしている
水共生学関係の研究者と地元のステークホルダー双方からの話題提供とその後のパネルデ
イスカッションを通じた交流によって、研究者側が何を提供できるか、地元が何を望んで
いるかのマッチングを図り、新たな研究シーズの発見にもつなげる。14日の巡検では様々
な取り組みの現場を視察する。
対面会場:大濱信泉記念館 〒907-0004 沖縄県石垣市登野城2-70
https://ohamanobumoto.net


Zoom会議室
https://us06web.zoom.us/j/86258587992?pwd=MW1lWnVxeCtFdHpsdVV5YUUrS1plUT09
ミーティングID: 862 5858 7992  パスコード: 473725
12:30 開場
13:00〜14:00 第1部 ブリーフィング
    開会挨拶・「水共生学」概要説明 荒谷邦雄(九州大学)
    計画研究A01 概要と活動報告 渡部哲史(京都大学)
    計画研究B02 概要と活動報告 藤岡悠一郎(九州大学)
    計画研究B03 概要と活動報告 松本朋哉(小樽商科大学)
    計画研究C01 概要と活動報告 荒谷邦雄(九州大学)
14:10〜15:20 第2部 水共生学からの話題提供
「石垣島の農業利水」乃田啓吾(岐阜大学)
「サンゴ礁/海底地形」菅 浩伸(九州大学)
「琉球列島の水生昆虫の危機的状況とその保全」苅部治紀(神奈川県博)
「石垣島の集落コミュニティ」渡部哲史(京都大学)
「やんばる林道パトロールの結果から見えてきたこと」村岡吾朗(九州大学)
15:25〜16:15 第3部 地元側からの話題提供
「石垣島の環境行政」山本以智人(環境省石垣自然保護官事務所):
「沈砂池ビオトープ」冨坂峰人(日本工営株式会社沖縄支店):
「石垣島の歴史と考古遺跡」宮城公平(八重山博物館)
「水牛を使った有機農耕水田」笹村 出(のぼたん農園):
「サトウキビ畑の赤土流出防止策」干川 明(NPO法人石西礁湖サンゴ礁基金)
16:30〜17:25 第4部 総合討論
17:25〜17:30 閉会挨拶
18:00〜 ゆんたく(懇親会)
会場:居酒屋 はなんまや 〒907-0004 沖縄県石垣市登野城2-29
https://retty.me/area/PRE47/ARE275/SUB27501/100001207494/
≪巡検 14日(午前/午後)≫
集合9:00:アートホテル⽯垣島、ユーグレナ⽯垣港離島ターミナル前、ドラッグイレブン
⽯垣⼋島店駐⾞場
午前:フルスト遺跡(大浜)―沈砂池ビオトープ(大里)―イシガキニイニイ保護区域(
米原) 昼食(市街)
午後:赤土流出対策圃場試験(名蔵)―のぼたん農園(崎枝)―(空港①)
―オキナワウラジロガシ巨木林(屋良部岳)―(空港②)
空港①:16:30〜18:00出発便


空港②:19:00以降出発便
*午前、午後とも途中の集落探報を含む
≪特別巡検コース≫
12日 午後 野底マーペイ登山(空港出迎え)
13日(9:30〜11:00) 環境省国際サンゴ礁研究・モニタリングセンター見学
沖縄県石垣市八島町2-27
https://kyushu.env.go.jp/okinawa/coremoc/aboutsite.html
「石垣島を巡る水共生学」参加予定者リスト(敬称略) 


○:懇親会参加 巡:14日巡検参加


水共生学関係者
≪総括班評価者、招待講演者≫
・沖(東京大学) ○ 
・園部(アジア開発銀行研究所) ○ 巡
・乃田(岐阜大学) ○ 巡
≪計画研究A01≫
・渡部(京都大学) ○ 巡
・田尻(九州大学) 14日のみ参加 巡 
≪計画研究B02≫
・藤岡(九州大学) ○ 巡
・鬼丸(九州大学) ○ 巡
・大石(神戸大学) ○ 巡
・木村(近畿大学) 14日以降参加
≪計画研究B03≫
・江頭(小樽商科大学)○ 巡
・松本(小樽商科大学)○ 巡
≪計画研究B03≫
・荒谷(九州大学)○ 巡
・菅(九州大学) ○ 巡
・百村(九州大学)13日のみ
・舘(九州大学) ○ 巡
・苅部(神奈川県立博物館)○ 巡
・富永(琉球大学)○ 巡
・北野(東海大学)○ 巡
・杉本(与那国町立アヤミハビル館)14日のみ参加 巡
・鈴木(近畿大学)○ 巡
・細谷(日本大学)○ 巡
・村岡(九州大学共創学部学生)13日のみ
≪水共生学事務局≫
・松尾(九州大学) ○ 巡
石垣島関係者
≪環境省石垣自然保護官事務所≫
・山本 ○
・仲本 ○ 巡
・與那城 ○
≪日本工営株式会社沖縄支店≫
・冨坂 ○ 巡


≪八重山博物館≫
・宮城  巡
≪のぼたん農園≫
・笹村 ○ 巡
≪NPO法人石西礁湖サンゴ礁基金≫
・干川 ○ 巡
≪石垣市環境課≫
・上地 ○
・平良
・識名 ○
≪石垣市観光交流協会≫
・石垣 
≪竹富町自然観光課≫
・安生
・仲盛
≪参加予定団体≫
石垣市教育委員会、農政経済課(沈渣地担当)、沖縄県八重山土木事務所、のぼたん農園
、東海大学(学生)の皆様



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