地場・旬・自給

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緑肥作物の発芽

2016-12-10 04:02:33 | 稲作

 

赤クローバー

からしな

レンゲ

耕さない田んぼのレンゲ

緑肥作物は順調に発芽している。11月6日に播種したから、1か月経過したところだ。順調というのは16日目の様子とそれほど変わっている訳ではない。昨年は10月に播種して、寒さに当たり枯れてしまったものがあった。特にヘヤリーベッチと大麦にそれが目立った。そこで、今年は少し遅らせて播種した。小さい内の方が、寒さに強いのではないかと想定している。また、耕して蒔いたり、耕さないで蒔いて見たりして比較している。いずれの条件でも播種した後に藁はまき散らしてある。藁の腐植を進めることと、緑肥作物の保護を期待している。レンゲが成績が良かったので、日の当たらない1,2番はレンゲである。ところがレンゲも日が当たらない田んぼは発芽もあまりよくない。この後どういう結果になるか。川の向こう側の南側に山があるので、川沿いの田んぼは日が当たらない。春になり陽が高くなるとまだ日が当たるようになるのだが、冬の間は極端に日照不足の田んぼになり、寒さが貯まり凍るような状態になる。昨年はなぜか赤クローバーが発芽が良くなかったのだが、今のところクローバーも発芽している。

小麦11月26日播種

11月6日播種の大麦

小麦の会の機械小屋の前の畑は11月26日播種して、発芽が始まっている。大麦を11月29日播種した家の畑は10日が経過して発芽を始め出揃ったところだ。11月の6日の一か月経過した田んぼの大麦はかなり大きくなってきた。発芽もいいようだが、麦踏をするような大きさになっている。一部麦踏をしてみたがしたところもしないところも今のところ変化はない。どうも麦踏の効果というものが分からない。今後の経過を観察したい。大麦の方が小麦より寒さに弱いようだ。もし麦踏が寒さに対する手法なら、小麦以上に大麦に効果が高いという事になるのだろうか。私は今まで麦踏の効果というものを感じたことがない。家の大麦は昨年、みんなで麦茶にしてくべれるくらいは実った。田んぼの大麦は少しも実らなかった。肥料の問題ではないかと考えている。家の畑は今年無肥料で大麦を蒔いた。それでも土壌が充分にできている感じがある。田んぼの土壌は無肥料で麦を蒔いても、充分に育つことがない。

マメ科の緑肥作物は、最初の段階であまり肥料分がない方が、根粒菌が付きやすいらしい。その根粒菌の増殖で後半の生育が盛んになるという事らしい。マメ科植物と、麦のようなものと、からしなのようなものとでは、同じく緑肥と考えてもずいぶん違う結果になる。この違いをどのように利用すれば効果があるのかを分かりたいと思う。腐植質の補給という事だけであれば、腐植量の比較だけでいいのだが、腐植の速度という事がある。緑肥を春に漉き込んで、田んぼがワイてしまうような悪影響を与えず、抑草効果を高めるものであってほしい。表層に敷き藁状態で残るような形が抑草効果は高いようだ。この方法は田植えのやりやすさとの兼ね合いが出てくる。まだまだ分からない事ばかりだ。

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鶴来の町と白山比咩神社

2016-12-09 04:14:10 | 身辺雑記

白山比咩神社の本殿 落ち葉をブロアーで吹き払っていた。騒がしい掃除だった。

参道 山の斜面を切って本殿まで続く上り坂である。

せっかく松任で展覧会をしているのだから、鶴来の街まで行ってみた。鶴来は昔、白山に登るときや、獅子吼高原のスキーをするために来た町である。友人が鶴来の病院に勤めていた。朝から、冬の北陸らしい垂れこめた空になった日だ。松任の駅前から、7時20分発のバスに乗った。バスは通学に使われているようで、高校生は駅前から乗車した。途中から中学生が乗り込んできた。と言っても小さなコミュニティーバスで10人も乗ればいっぱいという事で、途中乗車の中学生は立ったままだった。全員途中で降りてしまい、鶴来の駅で降りた時には、一人だった。冷たい雨の中バスを下車したのだが、傘をさして、雨の中を白山神社まで歩いた。街を歩く目的として白山比咩神社まで歩くことにしただけである。白山神社の奥の院の方は何度も言った。つまり、白山の頂上にある祠が、奥の院であり、白山登山は学生の頃10回はしたと思う。

そのふもとの鶴来にある神社が、本殿という事なのだろう。何十回と前を通りながら、素通りしていた。一度は本殿まで行ってみようというだけなのだが。その参道の落ち葉道は、美しいものだった。雨に濡れ、落ち葉が敷き詰められていた。歩いている内に気持ちが清々としてきた。登り詰めたあたりに大きな杉の木がある。姫神社の老杉と書かれていた。しめ縄が張られている。私には神社よりこの老木の方が、神々しさを感ずるようだ。1000年杉となると、その圧倒的な生命の漂う姿は別格である。人間が作る、本殿などたかが知れていて厳かな気にはなれない。その意味では途中にある滝の姿にも、頭を下げ拝みたいような感情が湧いてきた。参道をとぼとぼ歩いている内に十分満足してしまい、本殿は見ただけでそのまま戻ることになった。白山がご神体という事だから、本殿は仮の姿に過ぎないと解釈すればいいのだろう。全国にある白山神社の元になる神社にしては、意外にあっさりしていた。

 

 

鶴来に行く電車のなか。

白山下まで行っていた廃線になった線路

私の学生の頃は白山下というところまで電車は行った。そこでバスに乗り換えて一ノ瀬というところまでバスで行くか、さらに別当出会いというところまでバスで行ったと思う。今は途中にダムが出来て、白峰あたりははずいぶん変わっしまったと思う。街を歩いていると、もう45年前のことなのに、少しも昔のような気がしない。鶴来の町はそう変わった感じがしなかった。確かに、建物は新しい大きな建物があちこちにできて、先端技術大学院大学というものがあった。しかし、街の空気は懐かしいままで、暗く重い空と冷たい雨のお陰で昔を思い出すことができた。ただ白山神社に行って、そのまま戻っただけなのだが、何かやみくもに歩きたくなるところがある。

 

 

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舟原溜池の企画案

2016-12-08 04:37:59 | 地域

舟原には元治という江戸時代初期に作られた溜池がある。神奈川県では溜池というものは無くなったと聞いている。確かなことはあしがら平野には他にはいわゆる田んぼの為の溜池は一つもなくなっている。水車はとうの昔に無くなった。このままでは足柄平野の稲作の江戸時代の農業遺構は、失われてしまう。耕作放棄地が増え、農業自体が失われてゆく時代である。溜池を農業遺構として残す意義は、小田原地域の江戸時代の暮らしを想像するわずかな痕跡となるはずだ。この地域の農民の暮らし、つまり大半の人々の暮らしがどのようなものであったかを忘れ去ることは、小田原の未来の暮らしを考えるうえで、歴史的な貴重な資料を失うという事である。武士や支配階級の歴史遺構は尊重されるが、多数を占めた常民の暮らしは軽視される時代である。すでに、多くの溜池が無くなってしまった今、唯一偶然にも残った溜池を農業遺構として保存する意義は小さくないと考える。

小田原の未来の暮らしがどんな暮らしであるか。農業は今のまま残ることは考えにくいことだろう。日本人の暮らしをたどり、再生させようとするとき、もう一度地域の農業は見直されるはずだ。新鮮な角度から新しい農業の形が見つけられることだろう。その時に、考えの基礎になるものは江戸時代の農業である。その資料として、溜池や農業用水路は、水にまつわる地域の暮らしの形成を考えるうえで、重要な要素である。水は暮らしの原点である。水を媒介として、地域の暮らしの関係が形成されたと考えられる。水をどのように確保し、水をどう分かち合うかが、地域の形成の基本である。ふるくから舟原では横井戸の暮らしであったようだ。北側の山に穴を掘り湧いてくる水で生活をしていた。時代によってその湧き出る水位は変化した。その為に集落も上に移動したり、下に移動したりしたと言われている。、又隣の諏訪の原や、欠ノ上の集落で水を遠くから引いてこなければ暮らせなかったために、部落が出来たのは遅れたようだ。江戸時代初期には溜池が出来たように、田んぼの開発が一気に進み、今もこの地域に住んでいるかけの先祖がいくつかの部落を形成したようだ。

舟原の溜池を残すことは、そうした先祖たちの暮らしに思いをはせることになる。溜池のある場所は、上流には人家はない。明星岳の谷筋からの絞り水を集めて、溜池を作った。かつては3つあったという。今も絞り水が小さな川となって通年流れている。2000年頃までは、人が泳げるほどの深さに保たれていた。鬱蒼とした雑木に覆われて、薄暗い場所になっていた。しかし、水鳥が多数飛来し、オシドリも見られた。そのころから農業用水としての機能を失い、草刈り程度の維持となり、水位も30センチくらいまでに下げられた。欠ノ上の水利権を持っていた人たちも、田んぼを止めることになり、溜池の保全自体が負担になってきていた。そのころから徐々に美しい久野里地里山協議会が溜池の草刈り管理に関係するようになる。舟原の自治会でも呼びかけがあり草刈り管理を行った。しかし、水を流すこともないために、また、海堀を行う事もなくなったため、年々土砂に埋まるところとなった。

現状として行わなくてはならないことは 

1、溜池まで下りる道を作ること。

2、土砂を均し浅く広く水がたまるようにすること。

3、周辺の草刈り管理をしやすいように整えること。

4、小田原市の管理地の確定。農業遺構である表示。

以上を行うためには、継続的な管理体制を作らなくてはならない。現状としては美しい久野里地里山協議会が保全管理することが、唯一可能性のあることではないかと思う割れる。その前提としては、この溜池が農業遺構として価値あるものであると認定され、今後とも保全してゆくという事が明確にならなくてはならない。

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石川展が終わりました。

2016-12-07 05:18:41 | 水彩画

水彩人石川展が終わった。昨夜遅く、家に帰ったのだが、やはり朝早く目が覚めた。心底面白かった。自分の絵の方角が見えた、展覧会だった。そうではないか。自分の絵の問題点に気づけた展覧会だった。無私になるという事は、そう簡単なことではない。自分をただ忘れて描いた絵が、自分の学んできた絵画法が現れる。これは今までの、少しでも良い絵を描こうという生き方が問題だったのだ。このことに気づけたことは有難いことだ。1000人近い入場者がありました。地元の同人の北野さん、堀田さん二人の活動の反映だと思った。水彩人は小さな新しい組織である。水彩画に興味ある人が見に来てくれたのだと思う。福井や富山からも来てくれる人がいた。画集や絵葉書の売れ行きも良くて、水彩画に興味ある方が増えていることも痛感した。講習会も定員の25名を超えて27名で行われた。ギャラーリトークも30名位の方がおられたかと思う。とても熱心な集まりになった。白山市「うるわし」で初めての十回展水彩人石川展が行えたことは、水彩人にとって良い経験になったと思う。私にとってもかけがえのない機会になった。

金沢で自分の方向が決まった。そして、45年進んできて、また石川県で展覧会をやれたという事が、不思議なようで巡りあわせを感じた。しかも、隣に中川一政美術館があり、充分にその絵を見ることができたという事も意味あるような気がした。水彩人の誰もが、中川一政氏の晩年の絵のすごさに刺激を受けたのではないだろうか。97歳まで生きることはとても難しいことだが、一年生きると一年絵が深まり、自由になってゆくという、生き方に学びたいと思う。もし、80歳で亡くなられてしまえば、梅原龍三郎氏と同レベルの絵かきで終わっただろう。それでも日本の洋画の10指に入ると思うが、90代の絵によって、日本の絵画史に残る作家になった。そう、雪舟、宗達と並び称されても不思議はない画家だと思う。まあ、そういう事は別としても、私絵画の始祖であることは確かだ。他人の評価がどれほど高くとも、それは他信であって、自信にはならないと書いて居る。

一日良く働いたものが、良い眠りにつくように、良く生きたものが、良い死はある。こう話している。良く生きようとしただけなのだろう。精一杯生きるという事で、私の自由を絵として示すことになった。私には幸い、その自由な生命の息吹を、絵として残してもらえたという事になる。今より、明日は、さらに深く生きる。そういう生き方、眼前の絵として示している。迷えばあの絵の前に立てばいい訳だ。私絵画は自己新の絵画だ。私のレベルで在ればそれでいい、ただし、今日より明日より深い絵にならなくてはならない。それが出来ないのであれば、充分に生きていないという事になる。本当に生きていないという事になる。福浦のシリーズ、駒ケ岳のシリーズを見ていて、それは苦しい絵画だと見えていた。千日回峰行のような絵画だと思っていた。ところがそうでなく、楽しかったのだ。楽しいままに描き続けていたことが分かった。

私は求道的な道を歩んでいる訳ではない。朝起きたら今日何がやりたいかなというような、その日その日の楽しみに生きたい。田んぼを見に行きたいな。緑肥はどうなっているだろう。冬水田んぼのその後はどうだろう。篠窪の畑はどうなっているだろう。下田の庭も見てみたい。その朝思ったことにその一日が費やせるように、その日その日一番やりたいことがやれるようにして来ただけだ。養鶏を始めた友人が、笹村さんよくこんな大変なことを続けて居ましたね。と先日話していた。しかし、鶏を飼うのが面白くて、面白くて、本当のところは今でも鶏に囲まれていたいというだけだ。それでも10羽の鶏がいてくれるから、実に楽しい。それだけのことの毎日である。そうした自分のやりたいことをやりつくす、それが絵を描くという事に繋がり、その自分の見ている世界を絵として道しるべにしながら歩みたいという事で来た。それにしても、絵を描く道はまた見えなくなったことでもある。

 

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木鼓23号24号25号

2016-12-06 04:12:58 | 楽器

70㎝タイプ。

木鼓のほぼ最終形の3作品をつくった。制作は当面これで終わりである。大、中、小である。私の結論としては、木鼓は大きければ大きいほど良い音がする。良いというのは言い過ぎかもわからないが、私の好みの音がする。つまり森の音である。木の心を伝えるような音。ただ大きすぎるものは移動もできないので、そこそこの大きさで我慢するしかない。それで、横幅が70㎝タイプが良い音がして一番小さいサイズではないかというのが、今のところの結論である。何とかそこそこの音を探して、55,40と考えた。やはり70が良い音の最小形であると思う。三線の棹作りでもそのようなことを聞いたことがある。木の響きには良く共鳴する長さの限度があるのかもしれない。三線は中国では100㎝はあり、それが沖縄で短くなった。たぶん音の良さを維持しながら短くする限界が70当たりだったのだろう。それがまた、三味線や津軽三味線ではまた長くなる。楽器作りのこういうところが面白い。私の木鼓作りはそんな高級なものではないのだが、私なりの目指すところはある。

55㎝タイプ

40㎝で良い音が出ればと思い様々な工夫をしてみた。まあまあの音になった少し鋭い音である。切れが良いともいえる。音の奥行きの点で少し物足りない感もある。マレットで敲く分にはこの大きさでも大丈夫かもしれない。マットも様々で毛糸を硬く巻き付けて作ったマレットだと、たいていのものは良い音に聞こえる。然し手で敲くようなニュアンスは出にくい。手で敲くと自分の間隔がじかに伝わるようでいい。それでも置いておいても邪魔にならないし、40センチぐらいが普及するサイズなのかもしれない。飾っておいて見た目にも良いのが40センチサイズである。また演奏というか楽器としてはこのくらいなのかもしれない。

40㎝タイプ

木の厚みでも音は違ってくる。20ミリ前後が面白いと思うが、10ミリの音も当然ある。全体のバランスだろう。樹種によっても木の厚みは変えたほうがいいようだ。パドックの場合ひいきが良いので厚めで作れるともいえる。厚い板の場合中で厚みの調整をする。裏側で調整をして音を整える。

 

 

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測定マニア

2016-12-05 04:20:25 | 暮らし

何でも測定することには興味がある。田んぼをやるときには、水温、地温を計ることが楽しみになる。お風呂に入れば、お湯の温度を当てたくなる。体重はとても面白い。ご飯を食べて何グラム増えたとかとか、トイレに行って何グラム減ったか。そいう事を計ること自体が面白いと思う。一晩寝て人間は何グラム減るのか。だからと言ってそれを記録を取り、何かを解明しようという事でもない。なんとなくわかってああそうかという範囲である。父が民俗学の聞き取り調査に入った桧枝岐村におられたお年寄りが、毎年ハエの出た日を障子紙に書きつけていたという話をしたことがある。とても興味深かった。ハエがいつ出たからと言って何かになる訳ではないが、これが日本全体の資料になったとすれば、何かが表れが見えてくるはずである。私の測定は資料にはならないが、自分の中に蓄積されてゆくものはそういうものの貯まりたまったものなのだと思う。

その時にはほぼ意味のない、何でもないものが、何んとなくたまりながら自分という存在を作る。絵描きの道に行き詰まった時に、自分の身体を形成している肉体を作る食べものを、自分の手で作り上げてみるところに戻ってみようとした。自給自足の暮らしを模索した。何を食べて人間が出来ていて、それは自力で可能なものなのかを確かめたかった。それを5年間で確認した。それ以来、自分という生命は生涯絵を描いて生きてよいと思えた。食べるものを確認するのは面白い。そうして自分の自給率を確認してゆく。私は1っ品は採取のものにしてみた。別段理由はないが、そんな風にするのが楽しい。自分という存在を確かに自分が自覚して把握したい。そこに安心というものがある。そう思いながら生きてきた。そうすると、自分というものを測定するのは面白い。体温、体重、体脂肪、血圧、血液検査。

測定してそれが自分の存在と繋がっていると考える訳ではないが、結局はその物理的に把握できる自分存在の、その奥にしか自分は居ないという自覚である。だから測定は直接的には無意味ではある。無意味ではあるが、やはり人間も機械でもある。日ごろの管理は重要である。きしみだせば、大いに影響が出る。絵を描くにも目が悪くなれば終わりだろう。歳をとれば眼は衰える。色の判別は出来なくなる。人間のそういう機能は厳然とある。精神とか心とか、そいうあいまいなものに自分をして置くことは無駄だ。私絵画においては、機械的な自分存在の状態の方が重要になる。機械で簡単に測定できるものもあれば、内臓の状態のようにまずは、内観するしかないものもある。心臓はどうかなと思い、感じてみる。頭はどうかなと感じてみる。目はどうかな。足はどうかな。それだけであるが、自分を確認ができる。絵をそういうものと関連があると考えている。妄想をして絵は描くのだが、妄想するのも機械的な自分だ。

測定をするという事の先にあるものは、自分というものを探り当てたいという思いだ。自分というものが何たるものかを自覚したい。分かったようでなかなか分りにくいものだ。測定して分かる訳もないが、人間が死ぬときに魂が抜けるなら、人間が死ぬときに測定していて、死んだときに体重がいくらか減るはずだと考えて本当に測定した人がいるそうだ。体重が減らないので、抜ける魂がないことが確認できただろう。うして文章を書くのも頭の中の測定である。絵を描くのも見ているという事の測定である。これからだんだん衰える年齢である。目は悪くなり、色や形の判別が出来なくなる。出来なくなったところで描いた絵がその時に自分である。モネは白内障になりそういう色の絵になったという。みて描いて居たということが素晴らしいではないか。文章も頭の思考力が落ちてゆくのだろう。それはそれで面白い測定になる。

 

 

 

 

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見ることには2つある。

2016-12-04 03:52:16 | 水彩画

生きているという事は見る喜びだと昔の友人が言っていた。違うとそれを聞いた時は思った。生きるは見ているだけでなく、やることだと思ったわけだ。今はその言葉が強くよみがえってきた。柳田国男氏が死ぬときはトウラバーマを聞きながら死にたいといったそうだが、私は自分の描いた絵を見ながら死にたいものだと思うようになった。その絵はまだ描けていないのだが。石垣が好きなのは石垣の景色が好きなのだ。石垣の景色を見ていたいからだ。本当はそれだけのことだ。それで十分と思うようになった。もちろん今住んでいる舟原もいい。欠ノ上田んぼもいい。そういう良い場所を眺めていたいという気持ちがある。その眺めていたいものを絵に描き止めたい。何故その場所が見ていたいのかよく分からないが、見ていれば飽きないのだから不思議だ。人の絵より自分の絵を見たいから、人の絵と較べてみたいとは思う。ボナールはとても好きだが、やはり中川一政の道の方が方角だと思う。それでも今日はボナールで描こうという日がある。

見る喜びとは何なのだろう。直接そのことを考えても一向にわからない。何を見ていたいのかと言えば、自然と人間のかかわりの姿である。ただの自然が見ていたいとも思わない。空は天才だとしても、空を眺めていたいわけではない。お城がブームのようだが、見たい気持ちはわかない。どれほど素晴らしい工芸品でも同じだ。備前焼が好きだが、面白い範囲で、見て居れば全てだとは思えない。ところが、ある場所を見ているとみているだけでもういいという気になる。人間が手入れをした自然というものが面白い。人間の痕跡が自然と調和しているところが面白い。田んぼや畑を見ていると飽きることがない。人間の営みというものがかけがえがない。今田圃では緑肥の発芽が始まっている。この変化を見ていると何か格別なものを感じる。土から命が湧き出てくるようなエネルギーがある。こういうものを描けないものか。

「見るには目を見開いてみるという事と、目を細めてみるという事がある。」美術館にあった中川一政氏の文章である。目を見開いて見るは科学的論理である。目を細めてみるとは哲学や宗教ではないか。芸術はその両者の調和である。「字を書くことは写生だ」とも中川氏は書いている。確かに中川氏の書は絵である。そして写生だ。つまり、目で見た世界を写しているのが写生なのだ。何を見ているのだろう。その筆触の中にすべてがある。自由というものがわかる。自分からも自由になるという世界が眼前に示される。私は自由になろうと、自分から脱しようと何も考えないようにしながら絵を描いた。ところがそれで出てきたものの大半は、自分が学習してきた諸々の方法である。他人の作り上げた方法が色濃く出てきた。つまり、意図を消すという事から、自分が現れる以上に他人が現れてきたのだ。むしろ、絵画することを抑えようと自制の意識をしているときの方が、自分の世界に近づけたような絵になっていた。

ここが大事なところだろう。中川一政氏は学んで身に着いてしまったものを抜け出ることができた。ただの自分だけに成れた。自分が見るという事にいたったことが、90代の晩年の絵にある。いかに難しいことであることか。並び称された、梅原龍三郎氏が西洋絵画から学んだことから抜け出なかったことと大きく違う。中川氏は日本人の精神世界というものの、「ものを観る」という事にいたっている。ランチュウのこぶが出るか出ないかが見えたのだ。生きるという意味が見えたのだ。自分というものが曖昧なものであれば、何処まで行っても自分の絵にはならない。自分というものを超えなければ絵にはならない。見ることを学ぶためには田んぼや畑だ。田んぼや畑は私の道場だ。田んぼの土を見ることができなければ田んぼは出来ない。そしてお米という結果は生まれない。これは科学だ。見開いた眼だ。目を細めてみれば、その総合に宇宙がある。田んぼは実にありがたい修行道場ではないか。

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中川一政美術館

2016-12-03 04:09:47 | 水彩画

松任駅前には中川一政美術館がある。すぐ隣にあるので、水彩人を抜けて見に行った。素晴らしい美術館だった。真鶴の中川一政美術館より良かった。特に最晩年の作品の素晴らしさは衝撃的であった。昔一度は見たことがある作品に違いないのだが、全く意味が変わるような感激があった。何故、80代の作品より、90代の作品が素晴らしいかである。油彩画が特にそう感じさせた。字もそうであったし、顔彩画もそうであった。人間の不思議である。90代の作品によって中川一政は後世に残る作家になっていると言える。1世紀に1人の画家と言えるような人になった。私に絵がわかるのかどうかは判断できないが、私の今まで進んできた道のはるか彼方にそびえているという事が分かった。何故こんなことができたのであろうか。まず長生きしたという事がある。そしてよい人生を生き切ったという事であろう。桁外れに人間が素晴らしい。

中川一政氏は禅宗に縁の深い人だ。私の僧侶としての師である、山本素峰先生は中川一政氏の甥にあたる人だった。山本先生の父親である方は、生涯托鉢に生きた高僧である。私も何度かお目にかかることができたのだが、この山本老師と若い頃から親しく接せられたと聞いたことがある。とても禅の精神に関心が深かった。生涯絵画禅に生きた人だったのかもしれない。絵を描くという事を座禅を行うというように行われたのではないか。福浦を描いた時、福浦の人たちは、堤防の突堤に杭が出来たようだったと言われた人がいる。ただひたすら描いた。その時、ここで絵がかけなければ繪は終わりだと、つまり人生が終わりだと思って描かれたと聞いた。悟りというものに至らない限り立たないという座禅を聞いたことがある。その修行の姿の厳しさが絵にそのまま表れている。それは良い絵を描こうという事とは全く別世界のことである。

その修行の姿を見ることができることは私の幸せである。比較することなどおこがましいとは思うが、人間が生きるという事はどういうことなのかを、今回、松任の中川一政の絵から学んだ。有難いことだ。こんな絵を残してくれたことは実にありがたいことだ。分析しても始まらないことだが、絵に方法論がないという事がすごい。どこに至ろうとしているのかがわからないところがいい。そして濁り、塗り残し、厚塗り、すべてその時その時の心の目を感ずる。「見るという事には目を見開いてみるという事と、目を細めてみる問う事がある。」こう中川一政は書いている。目を見開きそのものの細部を見極めること。そして、目を細めて全体を総体としてとらえること。世界を顕微鏡的に分析すれば、細胞の中の世界にまで至る。そして全体を見れば果てしのない宇宙に至る。その両者が同時にありうるのが絵画だ。

帰るまでにまた見せてもらおうと思う。絵を描く人はだいたいが若い時が良い。死ぬまでまあまあの人は、死に物狂いの努力をした人だ。歳をとってよくなる人は天才だと。草家人が話してくれたのを思い出す。お会いしたことのある画家では、90を超えて最高の世界に至った人は唯一中川一政である。もう一人の尊敬している画家は須田剋太氏なのだが、この人は死ぬまで活火山だった。自分の絵に至れるかどうかは、自分というものを生きれるのかどうかだ。お二人とも私絵画の始祖のような人だ。絵が現代社会、未来に続くものであるとすれば、中川一政氏のように描くことに絵画の意味がある。中川一政氏の母親が松任の出の人だったという。そして、松任の方が大切に思い、こういう素晴らしい美術館を駅前に作り、後世に残してくれた。文化というものがこれほど大切にされているという事は、もう今後はないことだろうと思う。

 

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松任海浜公園温泉

2016-12-02 04:26:33 | 日帰り温泉

石川県白山市の松任海浜公園温泉。久しぶりに日帰り温泉採点法で点をつけてみる。

1、清潔度「8」 お風呂の大きさがすごい。過去最大のお風呂面積である。湯船から溢れ出る湯量も、なかなかの物である。それなりの時間が経過しているようなので、温泉垢がついたところもあるが、それは風情ともいえる範囲。

2、泉質「7」温まるお湯だ。水は薄茶色感がある。どの湯船も温泉で、日帰り湯としてはぜいたくなもの。塩素臭はそれほど気にならなかった。


3、環境「9」うみべの公園の中にある。温泉だけの利用はもったいない。今ならカニでしょう。高速道路からも入れる。物産館が充実している。海の夕日が美しいそうだ。私が行ったときは雨降りだった。


4、食事「8」値段が安い。食べなかったので味はわからないが、メニューも豊富で満足できるもの。そばの道の駅のほうには観光客が押し寄せていたので、たぶんカニだろう。


5、湯船施設充実度「8」サウナはテレビあり。温度も90度で良い。それほど広くないが混んではいない。水風呂も水温17度前後で、すっきりできる。畳敷きの広い休憩室は清潔でのんびりできそう。


6、従業員の対応力「9」若い人が受け付けに3人もの人がいて、対応が素晴らしい。親切この上ない。10点でもいいかもしれない。

7、コンセプト「8」観光日帰り温泉。にしては観光客は少ない雰囲気。サウナマナーも悪くない。しゃべる人はいない。道の駅隣接の温泉のレベルを超えた充実。日帰り温泉観光も存在するという点で、施設に地元の施設紹介の写真パネルとか、楽しめるものを加えたらどうだろう。加賀の千代女コーナーで俳句を作り残して帰るとか。


8、価格満足度「10」460円は最安値。タオルは100円で記念にもある。バスタオルは100円で貸してくれる。市民には無料券が配られるようだ。そばにホテルがあるからそこに泊まって、この風呂に入るというのも悪くない。金沢観光の人などそういう手を考えたほうがいい。道の駅から高速バスがある。高速バスで小松空港にも行ける。

9、全体施設「7」ジェットバスもあるのだが、パワー不足。炭酸泉、打たせ湯とか、歩き湯とか、仮眠場所など、もうひと工夫がほしい。

10、アクセス「7」そう便利な所ではない。車社会なら問題ないのだろうが、バスの本数が少ない。夜に松任まで帰れるバスがほしい。確か6時台で終わりだ。


総合点81点。最高位。日常使える環境に暮らしている人が羨ましくなる。前回金沢から小松空港までのバスの中から、この温泉を見かけたことがあり、今度来たらぜひ寄ろうと考えていた。松任からコミュニティーバスがある。ただ本数が少なく実際には使えなかった。行くときは堀田さんにお願いして載せていってもらった。帰りはタクシーで確か1640円だった。お風呂自体は何しろ、460円と格安である。日帰り温泉としては80点越えの最高位にある。

 

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水彩人石川展始まる

2016-12-01 07:38:17 | 水彩画

会場の白山市市民工房 「うるわし」正面玄関 松任駅前にある。

 

入った吹き抜けのロビーに続いて、ギャラリーがある

会場入り口 水彩人の大看板が入口にある。

 

受付の様子 絵葉書が並んでいる。見に来てくれた人で買ってくれる人が多いい。

水彩人の画集も置かれている。

 

水彩人石川展が始まる。なかなか魅力的な作品展になった。1点、一点の作品がとても見やすい。東京都美術館の本展の会場では見えにくかった細部までよくわかる。会場の光が良いのだろう。作者の工夫や意図がくっきりと出てきた。自画自賛かもしれないが、水彩画のこういう展覧会が開きたかったのかと納得したところがある。夜は絵の話が十分にできた。仲間がいるということはありがたいことだ。松波さんから絵に関して、思いもかけない感想が聞けた。作画意図があって、絵を作っているというのだ。これは予想外のことだった。私としては作画から離れられた絵だと思っていた。その場所を選んだ時も、絵を描いているときも、田んぼの観察の続きのような気分で、自分の田んぼを描いていた。絵をつくろうどころか、ただ茫然と描きとめたというだけの絵。ところがそのことによってむしろ絵作りのようなものが表れてきたという結果。もう一度よく見てみたい。

スペースは3つに分かれている。右側の部屋

 

やはり、松波さんの指摘は正しいようだ。自分の内部に溜まった、どうしようもない学習結果がこういう形で立ち現れたということになる。今まで学んできたものが、どれほどの悪癖になっているのかと思うと、情けないことになる。さてどうするか。絵を描くということは自己否定するということ。これができていないということ。この考えもわかりにくいとはいえる。ゆっくり考えなければ。自分の悪癖を捨てたと思うと心の奥底、根底に横たわるどうしようもない学習が出てくる。そうやって人間はできてくる生き物のだから仕方がないことかもしれないものが作り出す自分、それを飾る学習。多分修行というものはそういう学習したなにかを捨て去るということなのだろう。本来無一物。無一物ということはしゃべれないことになる。言葉がないのだから、思考することもできない。とすれば、拭い去って拭い去って、ある大切な何かに立ち至るということのほうが、自然なことになる。絵で最も大切なものとは何か。捨てなければいけないものと、捨ててはいけないもの。

左側の部屋

私の絵が見える。展覧会をやることはこうして自分を洗いなおすことになる。脱いでも脱いでも脱ぎきれない、目を曇らせている自分を作っているもの。

受付から見える中央の部屋

 

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12月の自給畑

2016-12-01 04:23:57 | 自給

12月は麦と玉ねぎが中心である。もう雑草は伸びてこないので、その点はすこし楽になる。小麦の会では11月26日に播種をした。午前中まだ雪が残っていて、午後からの播種となった。畝間を1メートル、25㎝という事にした。家の畑の方は時間に追われて、作業が遅れ気味だ。29日わずかに乾いた畑に2条大麦を蒔いた。75cm間隔の畝間にした。この秋の天候は雨が強く降ることが多く、作業がおくれ遅れになった。大麦を家の畑にまくのは、例年より少し遅れた。それでも大麦はクリスマス頃蒔いたこともある。大豆の収穫が遅れたので、押せ押せになっている。12月にずれ込んだ作業をまず行う。エンドウの播種はこの後しておきたい。落ち葉を集めて踏み込み温床は作りたい。出てきている大根やブロッコリー、葉物には土寄せをしてみようと考えている。土寄せ効果が現代農業に書かれていたので試してみたくなった。木の伐採。田んぼの整備。はざがけタケの確保。そして3日が自給祭。10日には玉ねぎの植え付け予定。

玉ねぎは簡単にできるという人と、玉ねぎは難しいという人の両極に分かれる。タマネギは独特の生育をする興味深い作物だ。現在9月19日に種を蒔き、8週間が経過した。発芽が60%ぐらいである。成育したのはその半分くらいだろう。一人600粒がすでに、150粒になっているのではないだろうか。何とか300個の収穫は目指したいとすれば、苗を購入するしかない。種の劣化が早いという事があるそうだ。ずいぶん繊細なものだ。肥料がいるという人も居れば、要らないという人も居る。玉が大きくなるには温度がいるという意見もあれば、寒いところでもよくできるとい人も居る。土壌のリンが影響しているという意見も聞いた。ともかく虫が来て食べてしまうのが問題だ。堆肥を入れるなら完熟だ。いろいろの意見で勉強になる。聞けば聞くほど面白いものだと思うようになった。一年保存して食べる作物というところも面白い。今年は苗づくりにまた、失敗してジョイファームから分けてもらえることになった。

タマネギは今年は舟原の大豆畑の後に作る予定で進めている。場所がかなり寒いという事で、黒マルチを使う予定である。家の畑には例年通りベットで作ってみる。5m×25メートル=125㎡の畑に3600の苗を植える予定である。11月23日に鶏糞堆肥を軽く入れた米袋に30袋畑にまく。燻炭大袋4体を入れる。夜に雨になった。そして雪になって積もった。土が乾いて、トラックターで耕す。10日に植え付け予定だから、時間が少しあくので土も良い状態になるだろう。果たしてこのやり方で良くタマネギができるかどうかである。家の方のタマネギは大きな球になったことがない。小さくとも持ちが良いなどという人も居るが、私は普通の大きさのタマネギが作りたいと思っている。

現在畑には、北側から、大根2列、こかぶ2列、小松菜1列、ホウレンソウ2列、春菊半列。1か月経過して芽を出している。冬の作物はゆっくりしたものだ。大根が一番先に生育している。それでも10センチほどの葉を震えながら両側に延ばしている。苗を植えたものではケールが虫にやられていたが、なんとか持ち直した。畑全体をそばの芽が覆っている。これはもうすぐ枯れてゆくき、大根やホウレンソウだけが寒い中残る。そばは枯れる前に摘まんで食べることにしている。私の畑ではソバカスを撒くので、芽を出していることになる。ほうれん草も何とか芽を出している。いつもこの後伸びないのだが、本葉が良い色で出始めている。土が良くなれば伸びるのだろうと思い、その確認のつもりで毎年蒔いてみている。ハウスの小松菜もそれなりに芽を伸ばしている。しかし、生育が悪くこの調子では正月に間に合わない。ハウスのビニール張りを何とか終わった。こういう作業がどうしても遅れてしまう。

 

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高病原性鳥インフルエンザの流行の兆し

2016-11-30 04:02:42 | 自然養鶏

鳥インフルエンザが再流行の兆しを見せている。しばらく沈静化していたのだが、大規模養鶏場の状態に変化がないのだから、必ず再燃する。中国の大規模養鶏の状態はかなり危険な状態である。ワクチンを中途半端に使い、その上に野鳥と鶏の接触にも注意が払われていない。そして鶏の流通は、生きたまま街の路上市場盛んに行われている。これでは最悪の状態が起来ても不思議はない。見たことはないが、インドネシアを見てきた人の話では、中国以上に問題がある状態のようだ。全ての国の巨大畜産は危険があるという事だ。消毒で病気を防ぐという発想には限界がある。それは巨大化すればするほど、危険が高まってゆくことになる。経済優先が問題を深刻化している。野鳥には鳥インフルエンザは常在する。特に集団で生活している水鳥には、普通に感染がある。感染があっても絶滅しない調和の中で野鳥は生きている。しかし、そうした野生の状態が一旦、大規模養鶏場に接触した時には、100万羽というような鶏の淘汰が必要になる。

大規模畜産は常にこうしたリスクの中に存在する。安く、誰でもが畜産品を手に入れることを可能にしたのが、大規模畜産であろう。自然養鶏であれば、私の計算では卵は1個230円で販売しなければ、事業としては生産を継続できないものであった。私の場合、自給の余剰を販売するという発想だったので、55円で販売していた。それは普通の人が食べることのできる価格がそのあたりだと思ったからだ。230円にしても飼いたいという人はいるのかもしれない。しかし富裕層だけの食べられる卵など生産したくなかった。スーパーに行くと大規模養鶏場の卵は20円くらいである。これは自然養鶏の10分の1の価格である。少々問題はあっても、安い畜産品のためには、目をつぶらざる得ないという事がこの社会の矛盾に満ちた現実である。それと同時に引き受けなければならないのが、鳥インフルエンザのリスクである。まさに原発と同じ構図である。

人間は目先の利益に踊らされて、進んではいけない文明の領域に入り込んだ。これがマルクスも考えなかった資本主義の最悪のシナリオだったのだ。大規模畜産を一日も早く辞める以外に、感染の拡大を防止することは出来ない。どれほど安全を高めたところで、原発のリスクは残る。大規模畜産も同じことなのだ。必ず大きな網からこぼれ落ちるリスクが表面化する。病気に薬で対抗しようとしても、人間は病気で死ぬ。どれほど新薬を発見したところで、病気を無くすことは出来ない。消毒まみれの中でしか暮らせなくなるひ弱な人類が、そう長く生き残れるとは思えない。私は不衛生な時代、自然の中に育ち、選抜され生き残った優秀個体である。こういう優秀個体は日本では少なくなり始めている。私が食べても大丈夫だからと言って、今の子供が食べたらどうなるかはわからない。汚いはきれい、きれいは汚い。

鳥インフルエンザの流行は警告である。自然が人間の越えてはならない限界を示しているのだ。日本がどれほど養鶏場の衛生管理を進めたところで、中国で漏れが起これば、日本にも被害が及ぶ。原発も同じだ。インドや中国の原発事故が人類の滅亡になる。人間の暮らしは欲望に従い、自堕落に贅沢化するばかりだ。節度というものがない。人間の欲望を駆り立てて、消費を拡大させようという姿が資本というものの目論見である。自給自足的に生きてみると、どんな暮らしが人間らしいものかがわかる。一杯のご飯をどれほどおいしいものかを知ることができる。これは自分でお米を作ってみたものでなければ、分からないことだ。苦労をするからこそ、有難さを知ることができる。一個の卵を手に入れるためにどういうことが必要かは、いくらでも売っているという状態では見失うばかりである。鉢植えのニガウリ一つでもいい。育てて食べるという体験は人間には欠かせないものだ。

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TPPの新展開

2016-11-29 04:16:30 | Peace Cafe

アメリカと日本が加わらないと、TPPは発効しないという事とは知らなかった。トランプアメリカ新大統領はこの点では朗報であった。トランプ氏は日本との関係を見直すに違いない。今までの隷属関係がおかしいのは、お互い様である。隷属関係というものは、王様にも不満はある。日本政府は選挙の読み違えをして、今になってトランプにしがみ付き媚を売っている。最初に会えたなど自慢げな日本の総理大臣が恥ずかしい。安保ただ乗り論。米軍撤退。費用負担の公平化。日本の核武装。そしてTPP離脱。現在国会でTPPの早期承認を論議しているが、日本の国会が早く承認をして、アメリカの加入を促す方針だそうだ。まともとな政府の考え方とは思えない。何処までもアメリカに依存しようというのである。グローバル企業はアメリカに依存しなければ競争力の点で不利益と考えているのだろう。アメリカは一国主義に転換と言っているが、これはあり得ないことだ。アメリカのグローバル企業が黙っていないはずという読み。

アメリカは中国との関係を見直すはずだ。中国との経済関係を重視する。日本より大きな経済圏である中国を、商売人であるトランプが軽んずるはずがない。日本は中国の台頭を良しとしないアベ政権が、アメリカに依存して軍事的に対抗を計ろうとしてきた。ところがトランプ政権の方は、軍事的対立は止めにして、経済関係の強化を図るはずだ。そのあらわれがTPPの離脱なのだ。日本はもっと早く東アジア経済連携を作るべきだったのだ。その点鳩山氏の展望は正しかった。アメリカ依存を唯一の方針にしてきた安倍政権というか、日本の経済人の浅はかな展望がここにきて崩れようとしている。アベ政権ははしごを外されたにもかかわらず、TPP承認をする。そしてアメリカ抜きの新たな連携を作ろうとなるのか。日本を含めたTPP加盟国よりも、中国の方が商売になると踏んだのがトランプ政権だ。本来であれば、TPPを日本もやめ、アメリカとともに中国との関係を見直そうというのが、トランプと会って話し合うべき内容である。

なぜ中国敵視政策を見直せないかと言えば、アベの背景の圧力集団は脱亜入欧の亡霊を引きづっているのだ。明治の御代を日本だと誤解している日本帝国主義者の愚かさよ。アメリカと中国は経済関係を強めるとみなければならない。悪いことではない。経済が軍事的対立を解消するはずだ。中国は商業国家である。軍事的な増強もあくまで商売の為だ。アメリカが軍事的対抗心を捨てれば、中国は軍事力強化を止めるはずだ。その象徴として米軍は沖縄から引き上げる可能性が出てきた。問題はアメリカの軍事産業がトランプの商売優先という姿勢に対してどう出るかである。一番怖いのはトランプ暗殺である。その可能性は現実味を帯びてきている。軍事産業に対してどこに妥協策があるのか。日本政府もトランプの意図を平明に読み取る必要がある。過去のアメリカの方角に引っ張られて、方向転換に気づかなければ、転覆する。

アベ政権のやろうとしていることは世界の政治情勢の変化の読み違えだ。八重山自衛隊配備など即刻中止すべきである。自衛隊を与那国、石垣、宮古に配備して、中国に対抗心をむき出しにして、良い結果が出るわけがない。配備して米軍に共同使用していただきますのでお助けくださいという、隷属作戦なのだろう。世界情勢の変化を見れば、いまさら日本が軍事化をしたところで世界の笑い者になるに過ぎない。アメリカと中国という軍事大国の間に挟まれてどう動こうというのか。アメリカにへばりつくだけを展望にしているアベ政権は取り残される。もし日本が軍事的対抗できるとすれば、トランプの主張通り核武装しかない。トランプ氏は今になって、そんなことを言った覚えはないと前言を翻したが、日本の核保有の現実化の深刻さに気付いたのだ。そんなことは北朝鮮を見ればすぐわかることだ。過去にとらわれず、いちいちの中国の政府の態度など問題にせず、日本の方角を、日本自身で見定めなければならない。

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フィリピンのドゥテルテ大統領

2016-11-28 04:07:24 | Peace Cafe

フィリピンのドゥテルテ大統領が来日した。暴言大統領が暴言を吐かずに帰られて良かった。ドゥテルテ氏はどこか日本の大統領であるアベマリオ氏と似ている。ドゥテルテ氏はアメリカに暴言を吐き、中国と接近して経済援助を引き出す。アベマリオ氏はロシアに対して欧米からの経済制裁の中、ぬけぬけと経済援助を打ち出して、北方領土の返還を試みている。日本はフィリピン・ダバオへの農業開発支援に約50億円の円借款を供与する方針も打ち出した。結果どういう事が起こるのか、何もないのか。アメリカの大統領はトランプ氏だ。末世の世の中では、とんでもない人が選挙でえらばれことになるようだ。政治家はすべからく頭の黒い猫という事のようだ。石原慎太郎が日本主義の堕落を嘆いているが、いったい日本とは何なのか。日本の伝統と考えるものは一体どこから生まれたものなのか。日本人の資質が醸成されたその根源を探るべきだ。

世界はグローバリズムの競争の嵐に翻弄され、多くの国家が他人を慮る余裕を失っている。他国を出し抜くことだけが生き残る道だと世界中が喚きたてている。そういう資本主義の末期的状況に世界は立ち至ったと考えなければならない。独裁的で独善的な政治家が選挙で選ばれる状況である。安倍晋三氏が最悪だと思わない方が良い。日本にもドゥテルテ氏が登場するはずだ。鶴保氏などそれを狙っている気がする。悪い世の中になったものだ。日本の伝統を壊したのは石原慎太郎的なものだ。力で相手をねじ伏せれば勝ちだというような考え方が、そもそもの日本主義からは全く程遠いい、列強の帝国主義的思想の反映なのだ。日本主義という時振り返るのは明治維新以降の日本のことだ。そして都合よく戦国期の武将などを思い返す。そもそもの日本を形成してきたのは、庶民なのだ。常民なのだ。ごく普通の人の生活の水準の高さが日本だったのだ。

西表の今は消えた仲良田集落で産まれた唄が、世界に誇れるものとしてある。この文化力を日本だと考えなければならない。その日本の文化が世界の希望だと思う。人を出し抜くとか、一番になるとかではなく、自らの内なる世界の充実こそ安寧な暮らしを送れるという日本人である。その多くのものは稲作から生まれた。戦国の武将がバカな戦に躍起になっていたときも、大半の日本人はごく当たり前の日常として、普通に田んぼで耕作をしていたのだ。 そうしたごく当たり前の暮らしの深さこそ、日本の文化の特徴である。それは世界中にある人間のすばらしさの一つなのだろう。人間は原子力という文明を発見し、エネルギー革命がおこると考えたが、それによって滅びの道を歩み始めている。ものによる充実は抑制できる倫理がなければ、崩壊につながる。北朝鮮の原爆が飛来して日本はいつ終わるかもしれない危機にある。競争の結末とはそういうものだ。

相手を罵倒することを止めなければならない。相手を土人扱いするものが人気を博するような日本から降りるしかない。それでも日本は滅びに向って競争を続けるのだろう。現実はそれほど悲惨である。民進党はカジノ法案の推進議員連盟が集会をしたという。こんな野党に期待ができるわけがない。こういう自民党に入りたいが、入れてもらえなかった人たちが野党を作るという最悪の政治状況。経済政策が賭博奨励では、まさに地獄の釜の蓋が開いた。儲かれば何でもありの世の中である。たぶん多くの日本人が賭博が好きである。それを無くせというのではない。政治はそれをコントロールしてゆく役割である。悪所は悪所であるから成り立つのだ。政府と不健全野党でこぞって声高に奨励するようでは、世も末だ。心有る少数者は、この末の世をどう生きるかを考えるほかない。

本当の日本の姿は、帝国主義を目指した明治時代ではなく、それ以前の日本人の当たり前の暮らしの中に在る。石原氏等は、明治日本を日本であると誤解しているに過ぎない。安倍氏が昔間違って書いて、今は忘れている瑞穂の国が日本の国柄である。一人の人間が生きるためには1反の土地があれば十分である。家族であれば3反の百姓である。日本の農地は日に日に放棄されている。ここに有難く生きることだ。つまらぬ競争に心を煩わされないことだ。日本の国柄は競争では無く共存である。江戸時代の部落は循環型社会の良い事例である。ここ戻れば何とかなる。そのうち世界の庶民は競争のむなしさ、苦しさ、困難に気づくはずだ。その時に江戸時代の暮らしが大切になる。100年は待たなければならないだろう。その時参考になることもあるかと自給の暮らしを書き残す。

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日本版トランプ鶴保庸介沖縄北方担当相

2016-11-27 04:34:32 | Peace Cafe

鶴保庸介沖縄北方担当相は八日の参院内閣委員会で、沖縄県の米軍北部訓練場の工事反対派に大阪府警の機動隊員が「土人」と発言した問題について「差別だと断じることは到底できない」と述べた。鶴保氏は入閣直後、菅氏とともに政府の沖縄振興策が米軍基地負担の見返りともとれる発言をした。九月には名護市辺野古(へのこ)での米軍新基地建設を巡る県と政府の対立を「早く片付けてほしい」と述べた。ーーー東京新聞

鶴保氏は元小沢一郎の秘書だった。そして今は二階幹事長の派閥である。野田聖子氏と結婚をしていたこともあるらしい。何故、土人とヘリポート反対派の人のことを罵倒して、差別的発言ではないのだろうか。鶴保、お前は土人だ。土人だと決めつけたのだ。これは差別である。鶴保氏の考えは間違っていると思うが、まさか土人ではないと思う。鶴保お前トランプだ。これは差別にならないという意味なのか。両者がけんか腰で罵倒し合う時に、相手が一番嫌がることを口にするのは、良くあることだ。お前のカーチャンでべそというのは子供には致命傷だろう。この土人発言をした大阪の機動隊員をねぎらってご苦労さんと発言した、大阪知事はゴマカシで終わりのようだ。橋下氏の後継として、これもトランプ氏を気取っているのだろうか。下品な政治家が受ける時代のようだ。末世だ。気にしないようにするしか、平穏に暮らせないのだが、沖縄差別に関してはさすがに黙っていることは出来ない。

この問題には敏感でなければならない。報道も書かないようにしているようにみえる。すでに本土の人間の多くは洗脳され聞く耳を持てなくなっているのかもしれない。これで済ませば、沖縄差別を本土の人間が認めたことになる。在ってはならないことだ。沖縄には防人に成れと櫻井氏は述べている。米軍基地の建設。自衛隊基地の各島への配備。沖縄諸島の軍事基地化はむしろ強まっている。沖縄がやられている間に、アメリカに助けてもらおうというでたらめな防衛政策。あり得ない戦略だ。北朝鮮が潜水艦から核弾頭を日本に打ち込む状況なのだ。軍事的に防ぐことは不可能になっている。沖縄に自衛隊配備は日中関係の悪化になる。トランプの思うつぼである。トランプは中国やロシアと関係修復をする。アメリカのお先棒を担ごうという事だと安倍氏は考えているが大間違いだ。トランプを考えればこれがいかに馬鹿馬鹿しい話になるかわかるだろう。

軍事力で対抗する考えはもう無理なことだ。トランプは自分のことは自分で守れ、強盗が来るから銃を各家に装備しておけ。こういう主張だ。それがアメリカの本音だろう。第2次大戦の世界の反省が全くない。このままでは世界の軍事的競争はエスカレートしてゆくことだろう。と同時に、米中は軍事的対立を無視することになる。八重山の軍事化は現実的ではない。危険を増すだけだ。日本は軍事力の弱い国の生き抜き方を探すほかない。なまじの軍事力を持つことは、太平洋戦争の失敗の繰り返しになるだけだ。日本国憲法にあるように、国際紛争を平和的手段をもって解決する方法を見つけ出すことだ。それが日本の役割である。中国とアメリカという軍事大国の間に入り、両国と等しい距離をとることだ。日本がいくらアメリカの奴隷のままでいたいとお願いしても、本音ではそれが不可能とわかったはずだ。

平和外交とはどういうものか。まず、日本の自主独立である。エネルギーや食糧を自給できる国家になること。外国に依存しない国家。迷惑をかけない国になること。それは自給で生きてきて分かったことだ。自立していれば、自分の道を歩むことができる。ところが、日本のグローバル企業はそれでは自分の儲けが少ないと言って、海外依存を高めようとする。企業の恩恵で暮らしが良くなるという幻想を振りまいている。それは出来ないことだ。韓国を見てみればよく分かることだ。企業は良い時もあれば、悪くなることもある。国家のような総合的な安定はない。企業に依存しないに依存しない日本を目指す。鶴保氏のことから離れてしまったが、鶴保氏は日本のトランプを狙っての発言だ。そのうちもっと気に障ることを叫ぶはずだ。

 

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