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三線の日の大合奏会

2017-04-25 04:22:49 | 楽器

沖縄では3月4日を三線の日としている。その日には、沖縄各地で三線の大合奏がある。終日ラジオで中継が行われる。一度那覇で参加させてもらったが、大きなコンベンションセンター会場で3交代で、席が取れない状態であった。今年は何とか石垣の三線の日に行きたかったのだが、上手く日にちが取れなかった。来年こそと思っている。この日石垣では八島小学校の体育館で大合奏が行われた。来年は下手なりに三線合奏に加われればと思っている。と思いその演奏曲を見てみると、まず、小学生中学生の「繁盛節」「とぅまた節」「でんさ節」2回目が「鷲ぬ鳥節」「赤馬節」「かたみ節」「めでた節」「鶴亀節」「矼ゆば節」7時の時報に併せて琉球古典曲の「かじゃでぃ風節」と「上り口説」そして「安里屋ゆんた」4回目から2揚げ調子で「黒島節」「千鳥節」「古見ぬ浦節」5回目が「夜雨節」「弥勒節」「やらよう節」この中で現在練習しているのは4曲ある。こんな沢山の曲を400人もで集まって合奏するというのだから、素晴らしい。

石垣には三線を指導する研究所が150もあるというのだ。5万人の人口である。信じがたいものがある。先日お会いした石垣の石垣さんという設計の方によると、最優秀賞を受賞された広島の方の家を石垣に建築すると言われていた。三線の広がりは深く広い。この18曲となると、いつ弾けるようになるかもわからないが、何曲かは弾けるようになって、来年の石垣の三線大合奏に参加したいと思っている。これは三線を始めた夢のようなものだ。実現できるだろうか。「八重山古典民謡独習書」というものがある。宮良康正氏の編集したものである。この方はトゥバラーマでNHKの民謡日本一になったことのある方である。那覇でこの人の唄を聞いたことがある。この独習書にはCDもついていて、八重山のコンクールに出場するための独習書になっている。何度も何度も聞いてまさに独習している。どの唄も難しいのだが、どうにかこうにか練習を続けている。

このCDの唄も良い唄だと思うのだが、昔からファーンである大工哲夫さんが唄う八重山民謡もいい。語り口がそのまま歌になるという事の魅力。お二人の唄が少し違う調子の唄だったりする。民謡は本来口伝で唄い継がれてきたものだから、地域ごと伝わり方で異なるのは当たり前のことだろう。では八重山民謡の先生に教わればいいという事もあるが、これがまた難しい。八重山の唄の指導者は皆さん厳しい。「てえーげぇー」ではないのだ。竿の持ち方から、音の合わせ方。実に厳しい基準がある。観光客にリゾートホテルで涙そうそうを1時間で弾けるように指導するときは、てぇーげぇーである。ところがいざ八重山民謡となると、入門してもらわないとならないというようなことになる。正座して指導していただくらしい。大工さんのお弟子さんの東京の教室でもいい加減な人はお断りのようだ。三線はその人のままであることを大切にするからこそ、きちっとした教わる姿勢が求められるようだ。

私などは三線に関してはてぇーげぇーの権化だ。65の手習いとして挑戦である。厳しいのは御免こうむりたい。楽しみで鳴らしていれば満足である。そんな調子でもやればやるほど八重山の唄が良くなった。同じ歌でも琉球民謡バージョンより、八重山調がいい。まず前奏の三線が一節あるのだが、それを聞くだけでもう八重山の島々が目に浮かんでくる。この前奏の弾き方が曲ごとにまるで違う。様々な変化がある。正月めでた唄。悲しい別れ唄。民衆の教訓の唄。自然を賛美する唄。前奏の一節がすべてを表している。素朴でありながら、音楽の本質を抑えている。私のような初心者にもそれが分かるくらい、導入部が優れている。仲良田節の幽玄な充足感。鷲鳥節の荘厳でゆったりとした正月の空気感。デンサー節の気持ちの弾む躍動感。多様でありながら、一脈根源が通じている。すごい民謡があったものだ。前奏がこのように定まったのは新しい時代のような気がするが。どうなのだろう。

 

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カキツバタ園構想

2017-04-24 04:35:20 | 地域

舟原の溜池にはカキツバタを植えたいと思っている。カキツバタは絶滅危惧種2類に指定されている。万葉、平安の時代から日本人に愛されてきた古典植物である。カキツバタは日本の湿地が失われるに従い、姿を消してきた。カキツバタが失われた原因の一つには、通年通水の水路が減少したことにもある。カキツバタは菖蒲やアヤメよりも水が必要な植物。冬場田んぼを乾かす方が作業性が良いというので、田んぼの生態系は実に寂しいものになった。その背景には工業用水の確保という事がある。水路も自然河岸からコンクリート化され、カキツバタの生育できるような余地が失われることになった。万葉、平安時代以来、カキツバタと田んぼが共存してきたことなど想像も出来なくなっている。これからの時代に田んぼを残すという事は、カキツバタも共存できる田んぼを残すという事なのだろうと思う。伝統農業を行うという事は里地里山の環境を残すという事でもある。そうした農業の文化的側面を大切にする事こそ、美しい農業であり、愛される農業であり、つぎの時代に残りうる農業だと思う。

舟原の溜池が江戸時代初期に作られ、役割を終えた。新しい役割があるとすれば農業遺構としてである。里地里山の自然というものは、人間の暮らしが作り出した、手入れによって生かされて来たものだ。あくまで生産の為に循環するように管理された自然である。手つかずの自然とは全く違うものだ。人間の暮らしと繋がらなくなれば、荒れ果ててしまうものだ。現在、地域に根差して暮らす人が減少を続け、舟原も住宅地として存在している。農業を続ける方も減少せざる得ない状況である。こうした中、どうすれば里地里山の環境を維持できるかは、あらゆる手段を考えなければ無理だと思われる。農地が経営の為だけでなく、様々な新しい目的を模索し、利用されなくてはならないだろう。農の会の試みは、自給的に農地を利用したいと考える人に、農地をつないでゆく活動であった。すでに活動は25年を超えて継続拡大されている。小田原という地域の特徴を考えると、自給農が農地を利用する形態は今後も広がるのではないかと推測できる。

農業遺構としての溜池の保全には、2つの前提となる要素がある。一つは深く水を張れないという条件がある。事故の危険性が考えられるからである。小田原市の所有地である溜池で水の事故が起きる可能性は、責任の所在を考えると避けざる得ないだろう。では水を張らないで溜池としての形を維持するためには、浅い田んぼ状態に水を張ること以外にない。冬場水のある田んぼが減少し水辺環境が急速に失われている。幸い舟原の溜池には自然の沢水が通年流れてきている。浅く水を張ることで水辺環境を作りだすことは出来るであろう。こういう場所は他にはない。溜池管理は水を溜めて置く以上になかなか継続が難しいと思われる。溜池が荒れ地化していた現状がある。そこで、絶滅危惧種であり、田んぼとは縁の深いカキツバタを植えることが、選択になるのではないかと考える。花は人を呼ぶ。花は人を楽しませる。カキツバタがあれば、10年後、20年後も管理をする人が現れるのではないかと期待できる。

久野の里地里山にはフラワーガーデン、ざるギク園、久野川舟原上流部のもみじ渓流と人が楽しめる植物の魅力的要素が揃ってきた。それは久野が植木の生産地であったという事にもつながることである。誇りの持てる美しい里山になることが、里山が維持される大前提であろう。カキツバタ園ができれば、さらに久野の魅力が増すことになるだろう。まずは今年5月6月に試験的に栽培を行ってみる。一年様子を観察し、計画を練り直し、来年度には本格的なカキツバタ園の造成を行いたい。以前行った久野で庭林の会というものを作り、里山に庭を作るという事を試みたことがあった。中心メンバーだった方が、小田原を離れてその活動は終わったのだが、もう一度そうしたグループを作ることもいいかと思っている。出来れば舟原の地元の方が加わわれるようなものになると良いと思っている。

 

 

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トゥバラーマ指導日

2017-04-23 04:49:50 | 楽器

石垣では八重山民謡の中でも最高の曲と言われるトゥバラーマ練習日というものがある。月一回開かれている。今回が266回目という事で、昭和の時代から続いているものだそうだ。石垣の唄に寄せる覚悟のようなものが分かる。無料で誰でも参加できる。たまたま第3水曜日に石垣にいたので、聞かせてもらうだけでもと思い参加させていただいた。石垣健康福祉センターの視聴覚室である。ともかく大感激してしまった。今までこの歌の魅力というものは感じてはいたが、この歌の音楽性がどれほど深いものであるかを、入口ぐらいと思うが知ることができた。指導は師範の先生が3名見える。石垣の八重山古典民謡の会が主催されているそうだ。その日参加していた人はⅠ4名で北海道から見えていた人もおられた。3名の師範の方も神奈川出身の方、北海道出身の方、そして石垣の方と八重山民謡の広がりを感じる構成である。八重山古典民謡の会の数百人おられる師範の中から、派遣されるのだそうだ。

この歌は八重山民謡の中でも最高峰の唄という事で、この歌だけのコンクールが年一回開かれている。師範の先生方の声の美しさに、まず感動した。なぜこれほど美しい声が出るのかと不思議になる。人間の声は鍛えればここまで美しくなるもののようだ。高い方のソやラに当たる高音で唄われるのだが、まるで人間業とも思われない得も言われぬ天の声のようだった。今までも何度か聞く機会はあったのだが、すぐそばで肉声で聞くとまた格別である。声を出して少しづつついて唄った。全く初めて歌うのだからおっかなびっくりであったが、終わりの頃はそれなりに真似て歌い、何か成し遂げたような達成感があった。帰ったらいよいよトゥバラーマに取り組むつもりだ。そう簡単には歌えるようにならないだろうが、10年かかってもやっては見たいと思う。ともかく一生懸命声を出すという事は悪いことではない。まして、三線を弾きながらとなると、ボケ防止には効果があるにちがいない。

トゥバラーマの成り立ちは、男女がかけあうように唄を重ね合わせながら唄うようになっている。この旋律の違い、音調の違い、ここに絶妙な味わいがある。それに三線と笛が加わるのであるが、唄とは違う旋律とリズムで鳴らされる。この総合によって実に複雑で優雅な唄が生まれる。この曲では三線は太鼓のようなリズムを刻んでいる。また前奏もなかなか優雅で、今回教えて頂いた前奏は独特のものでかなり難しい気がしたが、リズムの取り方が美しいものだ。家に戻りやってみているのだが、やはり先生の指導を受けなければやれるようになるとは思えない。また高音部というものは先生の高い声を聞きながらだと、引っ張られて出たような気になるようだ。特に女性は一オクターブ高いところで声を出していいて、相当に難しいと思う。

いわゆる民謡調という範囲には入らない、何か壮大な音楽性を感じる。八重山が音楽文化の地域だという事が分かる気がする。伝統文化が至る所で失われている。それは地方の消滅という事と繋がっているのだろう。幸いなことに石垣島は人口は増加傾向にある。トゥバラーマの勉強会にも若い人が見えていた。こうした勉強会が続けられ、若い人たちに引き継がれてゆくことを祈る。八重山や宮古が日本文化の最後の砦になる可能性もあると思う。何とか努力を続け、八重山の唄をせめて聞けるようになりたいと思う。今度石垣に行くときにも、第3水曜日は必ず入れるようにしたいものだ。

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共謀罪の問題点

2017-04-22 04:30:21 | Peace Cafe

政府は共謀罪(テロ等準備罪を含む)の必要性について、2つ挙げている。一つは国際組織犯罪防止条約(TOC条約)を締結するための法整備が必要という理由。もう一つはテロの危険が迫っているので、共謀罪が必要という理由。まず、TOC加盟については、政府はむしろそれを理由にして共謀罪を作ろうとしていると考えた方が、理解しやすい。今ある法律の整備だけで、TOC加盟は可能だからだ。国民を欺くように、共謀罪が出来ないとTOC加盟が出来ず、オリンピック開催が出来なと説明している。根拠なき脅しである。政府は、今の法律では対応できない具体的なケースとして「ハイジャック」「化学テロ」「サイバーテロ」の3つの事例をあげた。しかし今の法律の範囲でも、こうした犯罪に対応しているのであって、何故、新しい法律が必要なのかの説明は足りない。国会の答弁を聞いても意味不明のままだ。

政府は今の法律では運用が慎重なため、果敢に、迅速にテロ防止に対応できないでいると主張している。この意味は実は共謀罪を根拠にした捜査の問題でもある。サイバーテロの防止の為には、携帯電話情報の大量分析などが必要。国民すべてのメールや、電話、検索、を総合的に把握して、データー的にテロの企画をあぶりだしたいという事だろう。維新の党の共謀罪はこの点が強調されている。これはすでにアメリカでは頻繁に行われているようだ。アメリカではウイクリークスの内部告発でアメリカ政府の情報収集が暴露された。たぶん日本のアベ政権もやってはいるのだろうが、それをさらに総合的に、合法的に行いたいのだろう。一人の人間をマークしたいと考えた場合、GPSやカードの使用、スイカなどの利用、電話利用、パソコンの使用。これを総合的に繋ぎ合わせ、蓄積すれば、私自身のことを考えるとかなり浮かび上がると思う。テロリストだというでっち上げも可能になる。すでに国民が羊化している原因でもある。

こういう個人情報の集積の仕方は、不愉快である。自由感のない暮らしにくい世の中になる。個人情報というものが、筒抜けになるという事は人権侵害である。情報収集が権力の行使に使われるという事になる。それを合法的に行うというのが、共謀罪と考えたほうがいい。あらゆる組織活動を監視する可能性が高い。いまでもやってはいるのだろうが。これは合法的にさらに徹底するだろう。公明党や、維新の党が、アベ政権のちょうちん持ちをやっているのは、徹底調査の結果弱みが把握されているという可能性がある。公明党や維新の党はさらに自民党に従う以外に道がないことになる。権力が権力維持のために共謀罪を利用するようになる点が一番の問題である。その為に、組織というものは委縮する。組織に政府が人を送り込む。そして、共謀罪を密告することになる。

共謀罪は怪しいと考える組織の情報収集が、拡大徹底され合法化されるという事である。すでにボランティア組織などにも、政府の情報収取員が入り込んでいる。そうとしか思えない人にあったことがある。環境関連の組織に実にこまめな役に立つ人がいた。そこの人間だとして他の組織を訪ね歩いていた。助かるのでつい手を借りる、いつの間にか私たちの組織に入り込み名簿作りを始めた。まったく意味不明でおかしいと思った頃その人は死んだので、実態は分からなかった。権力者というものは不安なのだ。権力を維持したいがために、あらゆる手立てをとりたくなる。権力者が権力を守るために、共謀罪を悪用するだろう。テロ防止を理由に個人の情報を、政府が自由に集めることが許されれば、暮らしにくい社会になる。犯罪防止に監視カメラは有効であるが、その範囲が無原則に広がり、家庭の中にまで及べば暮らしにくい社会になる。そういう事件がすでに起きている。監視の程度は今の法律の範囲で十分である。

 

 

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水彩画の技術

2017-04-21 04:18:25 | 水彩画

石垣で一番美しい田んぼ。耕作されている方と話すことができた。この田んぼには冠ワシが来る。前回は見ることができた。湧水で耕作されているので、水のあるこの時期だけ耕作できるのだそうだ。石垣の2月から4月まではいちばん過ごしやすい季節かもしれない。絵を描いていて、暑くも寒くもない。田んぼも一番変化が大きくおもしろい季節になる。サトウキビは今も刈り取りをしている場所がある。特に朝6時から明るくなってきて、夜7時近くまで明るい。1時間30分ほど小田原とは時間が違う。時差というか、亜熱帯ということなのだろう。それでも4時に目は覚める。

石垣で描いていて、自分が技術というものを今になって学んでいる。初心者のような驚きがある。技術から入るのは間違いだと思い、技術とか構図とか一切考えないできた。そういうものが自分の絵に至る道を邪魔するだろうと考えてきた。禅の道を究める為には書物を読んではならないという教えがある。ところが今の自分は絵画の道を究めるということより、里地里山の空気を残したいと考える様になった。だから基本的には写生をしている。見たとおり描こうとしている。問題は私が見ているものは、里山の空気感である。田畑によって広がった空間を見たとおりに描こうとしている。それは写真では、まったく写らないものだ。空間なのだから、言ってみれば透明である。人間の眼はすごいものでこの空間の違いが見える。空間の濃度の違いというか、空間は動いている。空は動いている。風に乗って雲は動いているが、実はそれ以上に見えない、あるものが動いている。こうした様々な動きの総合のようなものを含めて人は見ている。

昼間の星のように、見えないけれどあるものは、無数にある。耕作地は機械で耕作した場所と、鍬で耕した場所では表面の形だけでなく、人の思いの違いがある。この人の思いはこもっている。何千年もの間、人間が生きるために耕してきた思いは、蓄積され立ち上っている。耕作地を作り出し、継続してきた思いが耕作地には表れている。そういう幻想のようなものが見える。実際に目に映る耕作地はそこに唯あるのだが、耕して暮らそうとしてきたので、それだけでないものが見えてくることがある。それは、空が地面に写っているような感覚である。目の前にある台地を見て描いているのだが、それは空の鏡のような気がしてくる。そのあるのか、ないのかわからないようなものを、見えるとおりに描いてみようとしている。馬鹿げているとは思うが、絵がやるべきことはそういうことだと思うのだ。絵画は装飾品ではなく、絵画以外では不可能な、製作者の世界観をたどることのできるものだ。

そのためには、技術というものが必要になった。今まではどちらかといえば、画面を見て描いていた。今は耕作地を見て描いている。それが実は風景画という言葉なのかもしれない。風という目には見えないけれど、突然草木を揺さぶるものがある。昔の人は、それを風と呼んだわけだが、風以外にも、草木を揺さぶるものはある。大地の下には水が流れている。土地に傾斜があれば、必ず水は動いている。この動きは草地などに表われることがある。草という地表の植物に、実は見えない地下の水の流れが表れることがある。百姓なら知っていることだ。それは見えてはいないが、実に大きな力を持って働いる。田んぼであれば、田んぼの水は全体でうねりのように流れている。こういうどうしたって肉眼的に見えないものを、画面で描こうとしたら、自分の作画というより、あくまで風景写生ということになる。

ここで水彩技術が重要になる。見えている実に複雑で、あいまいで、見えるようで、見えないものを、なんとしてもその通りに画面に写し取るためには、あらゆる技術が必要になった。どうしたらあの感じは出るのだろうと、あれこれ工夫せざる得なくなった。画面は立てて描くようにした。今まで水平に寝かして描くことが中心だったが、今は立てて描くことが中心になった。その方が目の前のものを写すためには都合がいいからだ。みんなが画面を立てて描いている理由がいまさらに分かった。筆も10本を使い分けるようになった。水の使い方も随分変わった。どの程度の乾き状態で次の筆を入れるとよいのか、微妙な配慮が徐々に見えてきた。10本の筆の筆触の違いも徐々に見えてきた。どこでどう使い分けるかが重要。紙の違い理解できてきた。

 

 

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自衛隊が来たら暴行事件が

2017-04-20 04:24:56 | Peace Cafe

宮古島の石嶺香織市議がフェースブックに、自衛隊が配備されたらば、「婦女暴行事件が起こる」と書いた。その議員に対して宮古島市議会で20対3で辞職勧告決議がなされた。決議文では「投稿は自衛隊員、米海兵隊員に対する職業的差別であり、断じて許すことができない暴言と言わざるを得ず、市議会の品位を著しく傷つけるものだ」などとしている。私は石嶺議員の予測は一理あると思う。職業的差別とも思わない。アメリカの海兵隊員の沖縄で繰り返す犯罪を見れば、そう考える人のほうが素直な感覚のような気がする。間違いなく起こる可能性は高まる。アメリカの海兵隊員は命の瀬戸際で戦闘している人である。精神的に不安定であろう。人間を殺すという事で、自らの精神を破壊してしまう人も居るかもしれない。そういう戦闘員を普通の人と考えない方が良いのではないか。少なくとも社会復帰するまで、一定の回復期間が必要と考えて当然である。それはアメリカ社会で起きている帰還兵問題を見ればわかることだ。

ここで重要なことは、自衛隊が来て何故海兵隊の暴行事件が結びつくのかである。宮古島への自衛隊ミサイル部隊の配備は、沖縄の米軍基地負担の軽減の中で起きた、マヤカシ行為である。アメリカのミサイル防衛システムの日本配備を自民党は主張している。中国や北朝鮮をにらんだミサイル配備なのだ。それは韓国に配備される米軍のミサイルと同じことだ。自衛隊が来るという事は、米軍の基地共同使用に繋がるのは、日米安保条約がある以上必ず起こる。自衛隊と思っていたら、米軍が使っていたという事になる。軍の機密事項である。沖縄本ことと考えたほうがいい。島の基地負担を減らすと言って、実は辺野古に基地を配備する。沖縄本島にある、広大な実践訓練基地は確かに減少する。しかし、対中国、北朝鮮の基地は、実戦拡大する。これは沖縄の基地負担の軽減どころか、沖縄が日本本土の犠牲になればいいという事を意味する。ひいては、韓国、日本の基地はアメリカ本土を防衛するための、犠牲になればいいという事なのだ。その為に日本が中国と敵対心を高めることを願っている。そのお先棒がアベ政権なのだ。何故か日本の右翼はすべからくアメリカ隷属の立場だ。

まずは小さく自衛隊が配備される。一度配備された自衛隊は、中国の動向次第で、すぐにも拡張される。それはアメリカの喉元に原爆のキューバ配備をしようとしたロシアと同じなのだ。中国は目と鼻の先に日本軍が配備され、アメリカのミサイル基地が出来れば、当然対抗手段をとるだろう。緊張が高まる。小競り合いが始まる。こうして戦争のリスクは高まる。日本本土は先島列島が攻撃されている間に、反撃する作戦である。宮古、八重山の防人論である。しかし、そのことに気づかず、自衛隊を誘致したのが、与那国島の住民投票である。宮古島の議会であり、市長である。残念であるが仕方のない。かろうじて、残っているのが石垣島である。しかし、その石垣島も中山市長は誘致を進めている。住民投票も、選挙もないままに、自衛隊誘致という島の未来を決定づける判断をしている。残念なことである。自衛隊誘致の実際を、イメージできていない歯がゆさが、自衛隊が来たら婦女暴行事件が起こるという、切羽詰まった言葉になった。

自衛隊が来たら、中国や北朝鮮のミサイル攻撃を受ける可能性は確実に高まる。宮古島から北朝鮮に向けてミサイル発射をしようとしたので、自衛のためにやむ得ずミサイル発射をしたと弁解することだろう。島に基地がなければ、宮古島を攻撃する必要がない。当然本島米軍基地を攻撃するだろう。沖縄本島に基地がなければ、日本本土に攻撃をするだろう。本土攻撃をされれば日本が立ち直れないほどの被害になる。反撃も難しい。だから、先島列島に前線基地を配備するのが日本の防衛大綱である。沖縄犠牲の上に日本の安全を確保するという、ひどい話が根底にある。それでも、住民の判断が自衛隊基地誘致であるのなら、外部の者が止めろとは言い難い。都会の為の原発誘致と同じ構図である。しかし、選挙もしないでこんな重大な、島の未来を決定づけることを決めることだけは間違っている。しかし、基地の来る予定地では、反対の旗が来るたびに増えている。まだあきらめるには早い。

 

 

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石垣の4月を描く

2017-04-19 04:30:32 | 水彩画

石垣の4月を描いている。朝でも20度以上ある。昼間は連日28度になる。小田原で言えば夏景色に代わり始めたくらいだ。緑が輝いて反射している。田んぼは穂が出ていると思えば、田植えをしたばかりのところもある。写真の絵は石垣飛行場に近い平得あたりにある橋の上である。1時間ほど描いたところだ。ここに来ると惹きつけられたような新鮮な気持ちになる。周辺では良い田んぼが行われている。どこに行っても同じようなものだが、写真を撮ってわかったのだが、前回と逆向きで描いている。運転席のハンドルによりかけるようにして絵を置いてみた。後ろの座席に座っている。水を汲むのを忘れたので、自動販売機で水を買った。これがあるので水はどこに行っても困ることはない。高くつくようだが、絵を描く水より自分で飲む方が多いい。筆を洗うことはまずない。

写真では写らないのだが、曇り空が地面に移っている。

今回は名蔵の方を描いてみようかと考えている。すぐ見に入ったのだが、田んぼを描く良い場所がすぐには見つからなかった。新しい描く場所を探していると、何によって描きたくなるのかが不思議なきがする。開けた空間の広がりのようなものにひかれる気がしている。広がっているとか正面に屏風のような畑があるとか。

何もない広がりである。海まで続く空間のうねり。そして水平線から空につながり、空は自分の頭上まで戻ってくる。地面と空に挟まれたような塊が感じられる。空が地面に写されているいるようにも感じられる。大きなうねりのような力が感じられる場所。どうもこういうところが描きたくなるようだ。先日、子供のころいつも見ていた境川村を描きに行って、そうか育つ頃こうした眺めを見ていたのだ。ということが分かった。甲府盆地という空間の塊を見て育った。これが大きな空間を見ると描きたくなる理由のようだ。畑や田んぼの区画が、貼り付けられたように坊が峯にあった。子供のころ見たものが描きたくなるように刷り込まれている。

 

 赤に近い、沖縄の土色が見える。この土は描きたくなる。2日目の朝から1時間ほど描いたもの。この日は一日中描いたのだが、終わらない今日も明るくなったら引き続きやりたいと思う。初めて描く場所には時間がかかる。ここではタントの柱のないのが生きる。戸をすべて開いて、車の中で描いている。絵は運転席のところに於いて、後ろの座席から描いている。右側から日が差してきたので、用意のシートをガラスに張り付けた。これはどこにでも張ったり剥がしたりがきれいに出来るシートである。

 

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2017年の田んぼが始まる。

2017-04-18 04:00:15 | 稲作

種籾を川に浸してある。4月9日湿度79%水温13,7度。この時が一番水温が高かった。

今年は4月8日に籾洗いを行った。例年は3月20日前後の春分の日に行う事にしていたのだが、それでは籾が鳩胸状態を過ぎてしまう。それで今年は2週間だけ川に浸けることにした。4月8日に海水で籾洗いを行う。塩がもったいなくて、海水にしただが、その内種もみが目覚めるためには、海水に出合うというのも意味があるような気になった。儀式のようなもので疑問だが。水の行き着く先が海水だから、海水に出会い、籾が目覚めるという感じも悪くない。海水をボーメ計ではかると、1,03と出た。本来塩水選という事なら、比重1.10~1.15という事になるそうだが、そんな高濃度の塩水選はしない。海水ぐらいでかまわないと考えている。苗床で作る手植え苗だから、問題が出ないのかもしれない。

海水にボーメ計の浮いた様子。泥を混ぜたらば、メモリは下がった。泥を加えてみたら、確かにボーメ計は沈んで1,1を表示した。泥ともみが混ざったところで、川に浸けてしまえばさしたる問題はない。水温は13,7度だったが、雨模様で13度台だから、これが晴れれば、15度に近づいてしまうだろう。(初日の時点ではそう考えていた。)川の温度が以前より高いことは確かだ。ところが、その後の川の温度は12度台を保っている。何故だろうか、低ければ低いで不安になる。やはり今年の寒さが影響しているのだろうか。川の温度を測るだけで自然の不思議というものを痛感する。15日16日と20度を超える晴天になったが、水温は12度を保っている。一年中川の温度を測ると何か面白いことに気付くかもしれない。ともかく今年は、入水の水質検査を行う。

荒起こしを始める前のレンゲの生えた状態。花も少し咲き始めたところ。右側の少し茂りが多い半分が秋起こしをしてレンゲを播種した側。左側半分が秋起こしをせずそのままレンゲを播種した側。確かに秋起こしをして種を蒔いた方が、レンゲの発芽は良い。レンゲが生えないところは、水が溜まるところでもある。雨が降り、水がたまる場所は排水を工夫して乾くようにすることが大切なようだ。その意味で日陰は、凍るという事もあるが、水が乾かないという事も影響するようだ。

15日苗代作りをする。全体ににレンゲが生えていたところをそのまま荒起こしを行った。花が咲き始めた所だった。残したところにはまだレンゲがある。残したのは通路である。4列の苗床である。その間に水路の泥上げをお願いした。水路が貫通て、水を入れたらば一時間ほどで水が溜まり、すぐ代掻きを行った。3回代掻きを行った。特に一番左の畔側は、直播をするのでより念密に代掻きをした。直播をする場合、苗取りが大変である。苗取りを楽に行うには、深めに丁寧に代掻きをする必要がある。それでも 9時に初めて午前中で終わった。このあと1週間水を張っておいて、21日金曜日の水を止めて、22日に種籾を播種する予定。種籾も21日に川から引き上げ、水を切っておく。

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田んぼの肥料そばかす

2017-04-17 04:08:15 | 稲作

蕎麦6種類 小田原久野の久津間製粉さん 小田原に来て以来鶏の餌として、蕎麦の糠を貰っている。

左上から1、玄そば 2、精粉前の選別ごみ 3、ソバカス(磨きによって出るパウダーを含む。) 

下の段左 4、そば粉(藪)  5、そば粉 一番粉(内層粉、更科粉) 6、蕎麦サナゴ砕け 7、この写真にないのがそば糠である。 米ぬかとほぼ同じように蕎麦粒の甘皮を掏り取ったヌカである。枕に入るそば殻も写真にはない。蕎麦の実は複雑な選別を経て粉になる。

田んぼや堆肥に使うソバカスと私が呼んでいるものは、脱穀したままのコンバインから出たそばをまず精粉前に、ごみ取りをする。それが2番の雑草の種や小石などである。その後蕎麦粒自体を磨く。蕎麦のヘタや毛羽などが取れる。これが磨きによって出る、3番のソバカスである。ここには軽いそばのかけら、表皮のはがれたものも入っている。当然、発芽するような蕎麦粒も混ざっている。2番の精粉前の選別で出るごみは、小石や雑草のの種、小さなそばなどが混ざっている。欠けた蕎麦粒もかなり混ざっている。これは鶏の餌に一番いいものである。6番のそばサナゴはそばの表皮のような感じのものだ。軽くふわふわである。これらのものが毎週30袋ほど頂いていた。今は私が取りに行くの月に1,2回ほどになった。鶏の餌には2、の精粉前の選別ごみと写真にはないそば糠を使う。

蕎麦の精粉はお米や小麦の精粉より、かなり複雑で、どの段階でどういうものが出てくるのかわかりづらい。分かりづらいものではあるが、長年使ってきてその使う立場からの特徴は分かっている。水に長時間浮いているものは田んぼに撒くためにはちょうど良い。風上から静かに流し込むと、田面にあっという間に広がってくれる。2,3日すると沈んで田んぼの土を覆う。これが地表で発酵することで、発芽抑制になる。水中に浮遊してミジンコのえさとなり、沈んでイトミミズの餌となる。多く沈み込む田んぼの淵ではミジンコの発生が目立つ。水中に浮遊しながら小さな微生物の餌となり、忽ちに分解されることになる。田んぼの水がミジンコで濁るほどの発生となる。ソバカスは、そば糠よりも早く分解されるとみている。だから、ソバカスを分析して、炭素率とか、窒素分とか、肥料成分が何%という事とは少し違う。微生物の餌となって、微生物が糞や生成物や身体に置き換えてゆくものである。田んぼの土壌生物を大繁殖させるための飼料と考えている。

田んぼでミジンコ等の微生物が発生すれば、それはオタマジャクシやヤゴなどの水生昆虫の餌になる。こうして田んぼが生きものであふれてゆく。オタマジャクシやカエル沢蟹が増えると、それを餌とする水鳥やセキレイやカワセミなどが集まってくる。こうして田んぼは生き物の住処になる。生き物の住処になって田んぼが直接的に収量的に良くなるという事でもない。稲作には直接的には関係しない生き物たちも、循環の輪の中に無数にいることは確かだ。良い循環を作り出すことが、永続性のある農業という事になる。里山の手入れの一つが、田んぼの耕作であるというように、生き物としての人間も田んぼの生き物の一種という事だ。人間が居なければミジンコも困るというお互い様関係。

生き物が増えると具体的には田んぼの表面にトロトロ層が増える。ここでいうトロトロ層は田んぼの水を軽くかき回して煙のように浮き上がるような軽いものを指す。田んぼを代掻きして表面にできるトロトロ層よりもさらに細かい層である。この細かい層がある田んぼは良い田んぼだ。草が少ない。土壌が腐敗しにくい。稲が元気で硬くなる。田んぼの生き物を増やしたいというので、どんどんソバカスを撒き続けると稲が大きくなりすぎる。分げつも増えていいのだが、背丈も高くなりすぎて倒れることになる。ソバカスを撒いて20日目から30日で効果があるとすれば、ソバ糠は田植え前20日に撒いて耕運しておくという事にした。田植え直後にはソバカスを一回撒く。そして7月後半に様子を見てもう一回撒く。これは穂肥ということになる。秋にも撒く。同じものをこうして繰り返し撒くことで、それを餌とする微生物が住み着いてゆくと考えている。

 

 

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北朝鮮危機

2017-04-16 04:42:03 | Peace Cafe

北朝鮮の世襲支配者の金正恩は、マレーシアでその兄を毒殺した。この冷酷な若い独裁者は核弾頭を搭載したミサイルを、保有している。現在の事態は敗戦後日本が直面した最も深刻な危険である。私はしばらく米軍基地には近づきたくない。有効な対抗手段はない。アメリカは北朝鮮が6回目の核実験をする確証が得られたら、軍事的な攻撃を実行する可能性が高い。それは、北朝鮮がアメリカ本土まで核ミサイルを撃ち込める前に、殲滅してしまいたいとか考えているからだ。現在、どちらが我慢が切れるかの限度が近づいている。金正恩は核実験をしなければ、国民から弱腰の独裁者と思われる不安を抱えている。もし北朝鮮が核実験を実行しようとして、アメリカが実験場の爆撃をした場合、どういう事になるか。北朝鮮は日本や、韓国の米軍基地をミサイル攻撃する可能性が高い。それに対して、米軍や韓国軍が反撃を行えば、窮鼠猫をの自滅的攻撃を始める可能性がある。

この事態において、アベ政権は愚かにもアメリカの北朝鮮圧迫を要請している。韓国ではどの大統領候補も、アメリカの先制攻撃を止めさせると主張している。中国も話し合い意外解決はないと主張している。日本は平和外交を掲げて、間を取り持つ努力をして、日本への攻撃を避けることが賢明である。日本だけが良い子になる。正義を掲げ、ずる賢く生き延びるとみられても構わない。経済封鎖など無駄なことになっている。政府の繰り返すかつてない強い抗議をするという言葉が余りにも空しい。北朝鮮だけではない。世界は、暴走国家の危機に見舞われている。北朝鮮が核武装し、VXガスを大量に保有しているのは、抹殺される不安からである。サリンミサイルを撃ち込む可能性も高い。狂気にも見える北朝鮮もあくまで自衛のための核保有だと主張している。この自衛のためという武器が、相手国をさらなる、軍備に進ませる。そうして互いに緊張関係を高め、先制攻撃が必要だという事になる。何故兄を殺したかと言えば、世界に自分の狂気を示したかったと思う。何をするかわからない存在としての恐怖を振りまこうとしているのだ。イスラム国と何ら変わりがない。

先日、ある人が自分は兄金正男氏に余りによく似ているもので、やっと安心できたと言っていた。その人は、今までは何となく不安を感じざる得なかったというのだ。こんな不安が北朝鮮の狙う影響力ではなかろうか。兄や叔父さえ殺してしまう人間だから、本当に核ミサイルを発射しかねないという計算である。北朝鮮が自暴自棄になり核ミサイルを発射しかねないという不安がある。追い詰めすぎることは極めて怖い。中国はさすがに味方の振りをして、攻撃されない立場を維持した。もう何十回も書いているが、日本の最大の危険は北朝鮮である。中国ではなく北朝鮮である。私がアベ政権を批判すると、なぜか北朝鮮や中国を擁護しているのではないかと、考える単純なアベ政権支持者がいる。とんでもないことだ。日本人の命を守るためには、軍事的な対抗では解決できない事態に至ったという、状況判断が必要である。

北朝鮮に対して、韓国とアメリカトランプ政権はTHAAD(高高度防衛ミサイルシステム)の韓国配備決定し、韓国防衛、同盟強化を計るとしている。アベ政権と同じ方向である。その結果中国は韓国に対して、団体観光客の訪韓の禁止、韓国製品の不買運動で対抗している。ミサイルが北朝鮮ではなく、むしろ中国に向けられていると感じてのことだ。軍事力の強化は必ず、報復を予測しなければならない。韓国の態度から学ばなければならない。中国も軍事強化を行っている。辺野古基地移設。八重山自衛隊ミサイル配備は北朝鮮からの核攻撃の危険が増す。軍事的対抗は互いに競争し最後は、ぶつかり合うものだ。どこかで暴発が起こる。それが、イスラム圏やウクライナで起きていることだろう。代理戦争化する。アメリカは北朝鮮がアメリカに核弾頭を打ち込む前に、抑え込もうという事だろう。その為には韓国や日本には、防人になってもらいたいという事だ。そんな同盟をいくら強化したところで、金正恩の狂気が収まるはずもない。こうしてミサイル基地が標的になる。 

 

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トランプこそ農業の壁だ。

2017-04-15 04:10:23 | 暮らし

アメリカがTPPを止めた理由は、もっと自国だけに有利な貿易条件を作りたいという事だろう。世界最大の経済大国が徹底して自己利益に動いた場合、どういう結果になるか。アメリカ一国が栄え、世界経済は混乱し衰退に向かうであろう。強いものが弱いものに配慮をしない資本主義経済は、戦争への道になる。アメリカという国がどのように出来上がってきたのか。アメリカの農業は、低価格の燃料費に支えられている。低価格の外国人労働者が働いている。広大な土地と恵まれた気候の広大な国である。世界一農業に有利な条件下の国がアメリカである。農業は自然条件に大きく左右される。アメリカがアラスカだけであれば農業をして、世界と競争しろという訳には行かない。食糧は人が生きるための最も基本的なものだ。食糧自給は国家の基本にしなければならない。自動車と食糧を同じ尺度で考えてはならない。

日本政府は農産物を輸出産業にしようと口ではいうが、農業をつぶすための理由に過ぎない。日本が農産物の国際競争力を高めると主張するならば、アメリカの土俵に乗らざる得ないことになる。農産物からすべての関税を取り払い、一切の農業補助を撤廃する道に入り込む。各国の農業の背景にある、歴史と文化を消滅させることに必ずなる。東洋3000年の循環農業の伝統を消すことになる。そして、IT農業などと必ず失敗する道に入り込むことになる。IT農業は電力や燃料を莫大に必要とする農業である。日本が有利な訳がない。人間が滅びに向う農業である。目新しさに農業の本質を見失ってはならない。あくまで農業を考えるときは主食を考えればいい。稲作農業である。稲作が日本を作り上げてきた農業である。お米をどうするかを考えることが日本の水土を守ることである。日本のお米は価格的にアメリカと比較して確かに高い。価格競争だけで考えれば、日本の稲作農家は無くなる。この現実がアメリカの今の主張である。

アベ政権も、アベノミクスのためにはその方が有利であると考えている。国民も徐々にそう考える人が増えている。稲作農業者は老齢化し、減少しているのだ。たぶん、沖縄本島のように日本から稲作は無くなると考えておいた方が良い。残念だと思うが田んぼが無くなり、日本人であることも忘れるのであろう。稲作を止めるという事は、私には日本語を止めて、国語を英語にするのと同じように思える。お米を食べる人がさらに減り、パン食の国になるのだろう。輸入小麦の方が安いとかいう事になるはずだ。日本列島に暮らす人が、新日本人になる日が私が生きている間に来る。それは日本から伝統農業が失われた日だ。現実に農業者の平均年齢は私とほぼ同じ67歳である。70歳を超えている地域も多いい。残念ながらこの流れは、変えられないだろう。農業は伝統産業にすでになっている。

わずかに生き残る日本の稲作はアメリカ型の大型機械農業を取り入れられる広大な平地のあるところだ。北海道や一部の東北などに限られている。それは残るだろうが、日本の文化を創り出した、伝統的農業とはかけ離れたものになることだろう。そこに暮らす人は新日本人なのである。しかし、新日本人が世界で競争し、それなりに勝ち抜いてゆく為には、根底に文化というものがなければ無理だ。その意味でも韓国の失敗から学ぶべきだ。競争だけを精鋭化しても、人間の根底にある文化を失えば、新しいものを生み出す創造的文化力が衰退する。絵画の分野で見ればすぐにわかることだ。世界の絵画格差というものを見ると、それが分かる。時代によって、地域によって、良い絵がある地域とない地域がある。日本にもかつては高い時代があった。残念ながら、現状の日本絵画は衰退期である。伝統文化を失いつつあるからだ。それは、実は工業製品でも競争に敗れてゆく前兆である。トランプの登場は歴史の流れなのかもしれない。

 

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笛吹市の桜満開

2017-04-14 04:48:53 | 水彩画

笛吹市の桃畑はずいぶんと広がった。何処へ行っても今満開である。この場所は上が、桜で、ふもとにあんずが少しある。白いところである。その手前へには桃畑がある。手前の草の中にはタンポポが咲いている。西に南アルプスが見える。北岳や甲斐駒が高く見える。昨日はよほど晴れていて、一日中山が見えていた。桜はまさに今が満開で、桃と丁度重なって、色の変化がこれ以上はないというほど見事である。ここは笛吹市の市役所から少し西に行ったところの城跡のようなところがある。下に小山荘という老人ホームがあった。桜が盛り上がるように咲いていた。周辺は桃畑で何処ら見ても見事だ。絵になるところがなかなか見つからず、結局絵になりすぎるようなこの場所で、結局描くことにした。東側に車が止められる場所があったが、描きだしたらすぐに消毒に来た。山梨ではこういうことを何度も経験している。出て行けという事だと思うが、窓を閉め切って描いて居た。光の春が描ければと思いながら、なかなかできない。白い桜の幽玄な空気がただものでない。結局のところあまりに美しくて自分のものにならないという事なのだろう。自分のものというのは、自分の狭い了見に収まらないという事かもしれない。

描いている途中の状態。空はあまりに青いので、乾かしたコバルトブルーをパステルでこすりつけた。この後溶かしながらと考えて進めているところ。

午後から、寺尾というところに行った。私の母が生まれたところで、確か常楽寺さんではないかと思った。その後母の家族は藤垈の向昌院に移ったという事だった。祖父は本山から北海道に宣教師として赴任していた。そして本山からの指示で境川のお寺の住職になるよう言われたらしい。そして、寺尾の寺に一時的にいたのではないだろうか。しかし、最初に入るように言われた向昌院は前の住職の家族がまだ残っていて、祖父は特に入る気がなく、本山に戻りたかったようだ。しかし、常楽寺でとても気に入られて、何とかここに留まるようにという事もあり、油川の石原という家の祖母と結婚をさせられた。と祖父から聞いた。このあたりについては、おばあさんから聞いたことはなかったので、真実はよく分からない。母は寺尾で寄宿しているときに長女として生まれた。今回行ってみてその寺は常楽寺ではなかろうかと思った。子供の頃何度か遊びに行ったことはあったが、よく分からなくなっている。寺尾も美しい場所だ。そして、藤垈との間には原という部落があり、ここも美しい村だ。それに比べて、藤垈は谷間の村で展望がない。母が生まれた寺尾が良かったという事を繰り返し言っていたことが今は分かる。

改めて寺尾と原を描きに行ってみようと思う。今回は一まわり見るだけにした。思い出が強いので、今回の花を描きに来た気分ではちょっと絵を描くのは無理だった。心の中の風景というものがある。自分の奥底にある景色。私には藤垈の景色は特別である。しかも、今の景色ではなく、60年前の景色だ。坊が嶺という小高い丘があるのだが、一面畑だった。それが今は藪に覆われている。藪に覆われた坊が嶺を見ても、何にも見えてこない。あの畑を張り合わせて作ったような、坊が嶺の眺めが鮮明にある。それはそこを開墾し、水をリヤカーに積んで引っ張り上げた思いでがあるからだ。おじさんがほとんど一人で引っ張るのだが、途中の畑の人がいると、「水は居るけい。」と言って水を分けてあげてしまう。上の方にあった開墾地に着くころにはほとんど水が無くなっている。明日又運べばいいさと言っていた。何故おじさんは水を上げてしまうのだろうと、あの辛いリヤカー押しを思い出す。村を上げての坊が嶺開墾だった。おじいさんは村役場に勤めていたから、開墾を頑張らなければならなかったのだろう。どうも絵を描くという事はそういう事まで出てくる。

 

 

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笛吹市の春を描く

2017-04-13 04:42:00 | 水彩画

甲府盆地の笛吹市は私の生まれた土地である。昔は東八代郡境川村藤垈という甲府盆地の南側の山の中である。その一番奥の山寺の向昌院というお寺で育った。春の待ち遠しい山の中であった。標高は400メートルくらいあって、冬の凍てつきはかなり厳しいものだった。春が来ると眩くて、今でもあのまぶしさの感覚だけは鮮明によみがえる。昔の家は家の中が暗かった。暗い中から外に出て目がくらむ感じは春になると強く感じた。あの子供の頃に感じた春の喜びのようなまぶしい光景を描きとめてみたいと思う。子供のころは甲府まで歩いてゆくような暮らしだったので、甲府盆地の南半分は土地勘がある、とどこかで思い込んでいる。ところが故郷がまるで違う土地のように見える。まるで初めての土地に行ったような気になり少し寂しいことになる。ただ、話していると向昌院のことを知っている人も居てくれたりして、やはりほかの土地とは違う。描きたいと感じている物の根底にある世界は、昔の甲府盆地の情景なのだろう。それが今は見つからなくなり、あちこちを捜し歩いている気がする。

今回は「スパランド内藤」という石和にある日帰り温泉のようなホテルに泊まってみた。塩山のいつも描くあたりも、御坂あたりの桜の公園や藤垈にも近いので、絵を描くにはちょうどいいと考えた。もちろんスパランドという名前にも魅かれた。笛吹市の石和にある日帰り温泉である。宿泊もできる日帰り温泉である。石和温泉というのは今は有名だが、子供のころにはなかったものだ。ある日、温泉が突然発見された。確か小松農園という遊園地のあったあた付近だ。ホテル内藤はスパランドというだけあって、すごい充実した温泉施設である。何しろサウナが4種類もある。打たせ湯もあるし、ジェットバスも強力なものが4種類ある。露天風呂も4種。そのうち一つは漢方の薬草湯。甲府盆地に絵を描きに来て泊るところが、こんな充実したスパランドとは、私には願ったりかなったりである。場所は20号線沿いで分かりやすいところだった。一日絵を描いているとさすがに身体がこわばる。夜ゆっくりお風呂に入れるのはありがたい。そのうえ、夕食はとらないでも構わない。夕食はいつも食べないので、夕食を食べなければならないホテルは困る。ワイファイ完備もありがたい。

甲府盆地は果樹園が増えた。昔は桑畑が多かったのだが、今は昔は田んぼだったところまでブドウ、桃、アンズ、プラムだ。春は花が咲き乱れて見事である。しかし絵を描きたくなる場所はなかなか見つからなかった。いつも描いていた場所が3か所あって、順番に行ってみたが、どうも描きたくならなかった。描きたいものが変わったようだ。絵になりそうとか、美しいとか、以前そいう動機で描き始めていたのだと思う。昨日行ってみてそういう場所だと思って描きに行ったのに、描きたい里山の情景ではなかった。単一の農地や観光地であったり、絶景であったりすると、むしろ絵にしたくなくなった。普通のただの自給の畑が描きたい。自給の畑がなかなか見つからなかった。里地里山というものが見当たらない。藤岱にも行ってみたのだが、描きたくなるところはなかった。一番奥の大窪まで行ってみたが、昔を思い出す立派な家が並んでいたが、どこがおしん屋かわからないので驚いた。結局塩山で描いたのだが、どうだっただろうか。よくわからない。

今日はもう一度描きたくなる場所を探して見るつもりだ。描きたいところが変わってきているようだとは思っていたが、今回気に入っていた甲府盆地の3か所の場所が描けなかったので。はっきりと自分の絵が変わったことを自覚しなくてはならない。その上で自分がどういうところが描きたくなるのかを確かめることが必要だ。今回それが出来れば、それだけでいいと考えたい。昨年は描いたのだから、一年で随分変わるものだ。明るくなったらすぐ描きに行くつもりだ。

 

 

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「べっぴんさん」の後の「ひよっこ」

2017-04-12 04:19:19 | 身辺雑記

NHKの朝ドラはほとんど見ている。前回の「べっぴんさん」は脚本が弱すぎるので、さすがに見るのを止めた。始まった時にダメだと思った時は止めた方が良い。後味の悪い作品。靴屋の麻田さんを市村正親氏がやっていて、そこだけは良かった。学芸会レベルという意見もあるが、学芸会に失礼というものだ。まあ、見なければいいのについつい習慣で見た私が悪い。やっと終わって、あまり期待もしないで見た「ひよっこ」はいい。主演の有村架純さんがなかなかいい。北茨城の昔の農家の暮らしが特別にいい。あれこれでてくる農作業をこれは違うとか、こうだったよ。と言いながら楽しんでいる。稲刈りの田んぼがぬかるんでいる。昨年はどこの田んぼもこうだった。実はあれは珍しいことだ。倒れていないだけでも大したものだ。鶏も出てくるが、イサブラウンのようだ。こういう鶏は昔は居なかった。養鶏家として時代考証的に間違いを指摘させてもらう。まあ、いいか。

私もああやって卵を産んでいないか、たびたび鶏小屋に見に行ったものだ。鶏小屋はあれは違う。まあ、いいか。何度でも見に行きたくなったものだ。卵を食べていいと言われて子供たちが大喜びする場面がある。その通りと膝を叩いた。卵は卵屋さんが買いに来てくれるので、1個10円の貴重な現金収入である。これを子供が食べるのはめったにあることではない。たまに許されるのだが、3人で一個を分ける卵かけごはんだった。醤油を沢山いれれば問題なかった。たぶん田んぼに関しては、昨年田植えから一年を通して景色をすでに撮影しいるのではないか。そうではなく作秋茨城の田んぼの場面は撮影していて、後は東京に出てしまうのかな。茨城の農村場面を大切に出してほしい。出稼ぎのことも、あの辛い感じをきちっと表現してもらいたい。秋田からの出稼ぎの2人にエレベーターの現場で助けてもらったので、仕事場の空気やドヤのこともわかる。

有村架純さんという主演女優はあまちゃんの時に比べて、別人と思えるほど演技に自然な感じがでていて良い。私の子供の時代の藤垈では、母の妹のやすこおばさんがちょうどあの姉さんに重なる。やすこおばさんは中学生だったのだが、朝ごはんを薪で焚いて食事の世話をしてくれていた。おばあさんもいたのだが、病気がちだったのだ。やすこさんには親代わりに面倒を見てもらった。その後一緒ぐらいに東京に出て、やすこさんは東京の高校に行った。つまり姉の嫁ぎ先である、私の家に一緒に暮らして高校、大学へと働きながら通った。その後静岡の高校の教師になったが、もうだいぶ前に亡くなってしまった。藤垈にいた頃は畑仕事を一緒に良くした。草取りをしていて大変になると、やってあげるから遊びに行っていいよと言ってくれた。農作物を自転車に積んで、甲府の市場まで暗い内に出て、売りに行っていた。それが中学生だったのだ。「ひよっこ」以上の状態である。ひよっこに出てくる、あの小さな弟に自分が重なる。

母親もいるというのはうらやましい。私が藤垈に預けられているときは、母親は居ない。しかし、あの母親は違う。農家のお母ちゃんにはあんな人は居なかった。まあ、いいか。藤垈で高校に行くというのは、結構少なかった。普通は甲府か東京へ就職である。ドラマではこの後東京に出て働くことになるとみている。たぶん、あの西洋レストランで働くのだろう。農村の暮らしをドラマに残してもらいたいものだ。東京と農村の高度成長期の受け止め方の違い。働き手のいる家と、そうでない家の違いなど。貧困な農村ではあるが、実はこころ豊かな暮らしがあったという事も映像化してもらいたい。田植えに戻るのでもいい。もしかしたらいまそういう準備をしているかな。苗代なども出来れば出してほしい。私には、昔の障子と油紙を使った苗代の記憶がある。そうだ、連ドラ「まれ」では養鶏場と麦畑を出してくれた。まだ田植え機は来ていないはずだ。初めて田植え機が来たお祭り騒ぎも結構いいと思うのだが。

 

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現場で描くこと、家で描くこと

2017-04-11 04:06:57 | 水彩画

昨日描き始めて、家の見えるところにある絵。この後どうなるのか。

絵は現場の写生で描きはじめて、家でその先を続ける。そうと決めている訳ではないが、大抵はそうなる。油彩画をやっていたころは、風景を現場で描くという事は全くなかった。絵を描くのは部屋の中で描くだけだった。何故そうなったのかは分からないが、幼稚園の頃から、お絵かきは部屋の中でやるものだったからではないかと思う。子供の頃から絵を描くことが好きだった。小学校では年に1回ぐらいは写生会があったが、その他は部屋の中で描い絵を描いて居た。中学・高校・大学とやはり部屋の中で描いて居た。フランスの美術学校に行ってもそうだった。そういう習慣の癖がついて、絵は家の中で作りあげるものになった。教師をやって分かったのだが、写生を外でやる授業は事故が多く大変で、そう簡単には準備できなかった。野外で描いて見ようと思ったのは、山北の山中に越してからだ。39歳の時だ。絵を作ることが嫌になっていたので、初めて風景というものを描いてみた。そうしたら、油彩画では日本の色彩は出ないと感じた。それで初めて水彩画をやった。

それから油彩画はほとんど描いたことがない。油彩画では色やら調子が日本の風景には合わないように感じる。日本の湿気を含んだ風景は空気に溶け込んでいるように実態が薄く感じられる。何年か描いている内に、風景のある空間の方を描いて居るような感じになった。地面に鏡があって、空が映っているというような感じである。だから風景を描いていると言いながらも、空に写っている景色を描いて居るような感じだ。目の前に確かに見ているのだが、空の反映を描いて居るような感触がある。これは先日の絵を語る会で、笹村は空を狭く描くと松波さんに言われて、反射的にそのことに気づいた。そのものに迫ってゆくというより、そのあたりに漂うものを見ようとしている。実態の怪しげな存在を描くようになって、油彩画の質量のある物質の調子が合わなくなったともいえる。

昔から春になると時々描きたくなる家のそばの風景がある。大きな急坂の風景である。谷の南斜面に畑や家が点在している。春になると桃や桜が咲いて晴れやかな空気になる。その谷間に広がる空間が、空間として広がるのだ。何かそこだけ濃密な空間が生まれる。たぶんそれが、ムーブマンと呼ばれるものによるのだ。空間の持つ動きのことだ。景色というものは動きを感じさせる場がある。その景色が出来ている骨格のようなものがあり、その組み立てによって力関係が生じる。力が働く方向が見ている内にとらえられてくる。この動きを抑えることが画面を自分の空間にするにはとても重要なものになる。現場ではひたすら目の前にある空間を色彩や調子を見ながら大きな動きの中に収めようとしている。そこでは自分は絵を発見する機械になる。自分の意思のようなものは何もない。腕が自動的に目の前の何かをとらえてゆくことを邪魔しないように、受動的な心持で目の前の世界よ画面に来いと、願いながら自分の自由な反応を、意思が邪魔しないようにしている。

そして、家に戻り画面をいつも見えるところに置いておく。ある時画面が自分に呼び掛ける。幻覚のようなこうすればこうなる、というような視覚の変化が起こる。画面にある世界がこうしてほしいと言っているような気がし出す。それに従う。家では今度は画面に従う機械になる。別段何処へ進めようというようなわけではない。自分を引き付けた、里山の空間が画面の上に立ち現れないかという気持ちだけだ。何をどうすればというような考えもない。ただ画面の呼びかけに答えようというような、自分の描く仕組みや反応に任せる。そして絵からの呼びかけが途絶える。そしてまた置いておき呼びかけが来るのかどうか、見えるところに置いてある。そのまま何もないまま終わることもままある。思い切ってその絵を持って現場に戻ることも良くある。それでもそのまま格納庫にしまうものがほとんどである。こうして出来上がったのか、中途なのかよく分からない作品がたぶん1000枚近くあるのではないか。時にはたまにその格納庫を再点検する。すると呼ばれる作品と捨てるべき作品が出てくる。それが家での制作である。

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