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政治と人工頭脳

2016-07-02 04:35:16 | Peace Cafe

政治に人工頭脳を取り入れたらどうだろうか。たぶん、アベ政治よりは私の主張する政治に近いものになる気がする。憲法というルールを入れて、それに従って政治を行うとすれば、人工頭脳の判断ならアベ政治はルール違反の連発となるだろう。何故憲法があるかと言えば、ルールがなければ独裁政治になるからである。居眠りして死刑になるのは誰でも嫌だろう。もちろん為政者にしてみれば独裁が一番やりやすい。しかし、それではその他の人間にはたまらない。あくびをしたからというだけで思想教育収容所に入れられることになる。ソクラテスは悪法も法なりと言って毒を飲んだらしいが、法律というルールに従う事は万民共通でなければならない。総理大臣だから、少々憲法を拡大解釈しても許されるという事はおかしい。また立法府が政治資金規制法をざる法のままにしていることも、憲法違反である。憲法に従うことが民主主義の大前提である。このまま解釈で広げてゆく手法は、いつの間にか民主主義が終わるという事になる。

人間はどんな難解なゲームでも、人工頭脳には勝てない。チェスではコンピューターの助けを借りながら、対戦をするらしい。それでも機械同士の戦いよりも面白いから、チェスというゲームが成り立っているのだろう。5目並べやオセロのゲームレベルでは機械の結論が明確過ぎて、専門家が登場する余地がない。今はまだ囲碁将棋では専門家がいるが、存在の意味は急速に変わるに違いない。コンピューターゲームでは機械に勝てない前提で満足しているらしい。政治においても、コンピューター利用を行うべきだ。例えば災害支援にコンピューターを導入する。どういう対策があり、支援をどういう手順で行うかはコンピューターの判断の方が正しいに決まっている。少なくともテレビ電話で弁当の要求などコンピューターはしない。実は災害の場面だけではない。予算の立て方でも、税金の集め方でも人工頭脳の手助けは必要になっている。その方が透明性が高いし、公平になる。

それでは、機械に人間が支配されているようではないかと、怖ろしくなる。プロのゲーマーというものが居るが、そのプロは機械よりは弱い前提で存在が許されるという怪しげな立場ながら、1億円プレーヤーという事であるらしい。政治もコンピューターで行う方がましなのではないだろうか。少なくともコンピューターの出す結論を参考にやってもらえないだろうか。機械に支配されるのは確かに不愉快であるが、アベ政権よりはましに思える。こんな発想はゆがんでいるように見えるかもしれないが、政治のルールナシは耐えかねる。憲法というルールや、法律を拡大解釈せずに、考えるのは当然のことだ。その政治ゲームの勝利は平和な日本の暮らしである。どの道を進めば日本人が人殺しをしないで済むのかを、ぜひともコンピューターに探ってもらいたい。そんなことを考えてしまう不幸は、アベ政権の政治手法にある。総理大臣が口先だけで、説明責任があるなどと言いながら、甘利氏の説明を聞いたことがない。コンピューターなら、こういう嘘は許さないことだろう。

アベ政権はどうもレーガン大統領に学んでいると思う。政策は発言しない。テーマだけを発言する手法。具体的に待機児童を失くすとは決して言わない。子供を大切にするとだけ言う。どういう方法で、どういう政策で待機児童を減らすのかなどとは間違っても言わない。女性活躍社会を作るなどと大見えを切る。何の実質も述べない。3本の矢などと訳の分からないテーマは述べる。要するに口先政治だ。具体的な新規産業の創出は出来ない。出来なくても責任は問われないようになっている。矢は飛んだとか、アベノミクスの成果がこの国の隅々まで及ぶようにするなどと、耳当たりのよう言ことだけ口にする。口では責任を問われない事だけを述べる。具体的に発言した消費税は2度も政策の延期である。それでも「新しい判断」などと述べて失敗は決して認めない。

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7月の自給作業

2016-07-01 04:34:42 | 自給

7月はまず3日の大豆の播種がある。今年は3か所で大豆をやる予定である。舟原の山の畑が、昨年連作障害と思われる原因の極端な不作であった。今年回復するものかどうかは分からないが、ともかく、畑を3か所に分散市観察してみることにした。従来の山の畑7畝。舟原田んぼ下2畝。笹村の下の畑2畝の3か所で作ってみたい。まず種まきの幅を変えたい。30センチ70センチの繰り返しの畝幅にしたい。雑草の関係である。畝間を管理機で耕して、雑草対策をしようというのである。両側が耕されていれば、間の30センチは手で草が取れるのではないかという考えている。山北グループの大豆がそのようにやって上手く行っているというのだ。それから少し深く耕してみようかとも考えている。今まで5センチくらい浅く耕運していたが、15センチの耕運が必要という意見も聞いた。ともかく3か所でやって、その様子を較べたいと思っている。3日の播種までにそれぞれの畑の準備をしなければならない。山鳩が来ているので、ハト対策を考えなくてはならない。

山の畑が、大豆、小麦と続けて収量減少だったので、問題が出た時こそ学ぶ機会だと考えている。いろいろやってみるつもりだ。雑草が作物を阻害した可能性が一番高い気がしている。小麦に関しては、カラスムギ、ネズミ麦をどう抑えるかが重要ではないか。肥料を取られて分げつ不足になった。一度発芽させて、2度耕運して、小麦を遅らせて播種出来ないか。やはり畝幅を広げて草取りを徹底してみるというのもある。大豆の方は今まで草取りをかなり熱心にしてきてよくなかったので、少し原因が難しい。いろいろ畑をやって来て、叢生栽培が出来る作物は極めて少ないと感じている。田んぼでは雑草が少しでもあれば、収量は減る。収量などどうでもいいと言う自然農法の人も居るが、それは嫌だ。小麦でも大きな影響がある。野菜の中でも叢生栽培できるものは、つまり草の中で良い作物になるなど極めて少ないと感じる。土の状態もあるだろうから、土の違いも比べてみる。連作障害であれば、畑の違いですぐ分かるはずだ。

畑の作物はまずまずの所だ。大根や株は草の中でそれなりにできている。トマトは毎年力を入れる。冬を超えたトマトから芽を採り、差し芽した株はもうすぐ成り始めるところだ。また、下の畑には、昨年落ちたトマトからたくさんの株が芽生えたので、草の中で育てている。これもそろそろなりそうである。ナスは枯れたものもあったが成り始めている。直播のオクラも10株ほど育った。ピーマンの類も10本ほど、少しづつ食べている。いんげんがやはり草の中で育っている。サトイモは毎年良い。山芋は袋の中で順調に芽を出し、台所の窓に取り付いて、なかなか良い風情だ。ニガウリときゅうりは直播のトレー栽培だが、3メートルは伸びた。小さな実がつき始めたところで調子は良さそうだ。トオモロコシもずいぶん大きくなってきている。このあと長ネギ苗を貰ったので植えこむ予定。

田んぼはまずまず順調なところではなかろうか。まだわからないが株が大きくがっしりと育っている。わずかに苗床の稲の色が濃くなってきた。気分としては色の薄い田んぼには、ソバカスを撒きたいところだが、これは避けることにする。6番は極端に遅れているので、ここにはソバカスを撒く。ついでに、慈姑の水路にもソバカスまき。また病気が出たら元も子もない。緑肥のその後の効果を田んぼ巡りをして確かめたいと考えている。ともかく草を抑える効果が出ていることは確かだと思う。18日には最後の拾い草。このあと中干をやろうかと思っている。田植え後7週目となる。通常40日というが、40日で分げつが足りるのは化学肥料の為だろう。分げつが充分になっていれば、その前も考えておく。20日には例年行っている分げつの調査と写真の記録をすること。今は水は徐々に増やしてきているところ。今月いっぱいは増やして、間断灌水に入る。今年は干してみようかと思っている。干した方が病気が出ないような気がしている。そのタイミングをどこにするか観察を行う。

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消滅集落と移民労働者

2016-06-30 04:20:12 | 地域

---記録されなかった「ムラの記録」---は西表島の消滅した部落、稲葉集落の聞き書きである。住んでいた人たちの暮らしの記録がある。一軒で田んぼを2町歩もやっていて、ユイマールで手植の田植えをしていた。西表の島の内部に人が住んでいたという事自体がすごいことだ。稲葉の暮らしはごく普通に日本全国の山村の暮らしの一つである。田んぼを作り、自給自足的に暮らしていた。電気のない集落も珍しい訳ではなかった。歩いて6キロ小学校に通ったと言えば驚くが、これも珍しいことではなかった。稲葉集落では子供たちは多いいときには21人いたそうだ。分校があってもおかしくない人数である。ある意味豊かな集落稲葉がなぜ消えたかは考えてしまう。日本では毎日1つの集落が消えて行っている計算になるそうだ。その消える集落の人以外には、知られないことである。是非ともムラの記録を残してほしいものだ。

日本人は日本の暮らしをしている人たちのことだ。日本の暮らしはいまや消滅しかけている。稲葉集落での子供時代は豊かで楽しく暮らしだったと、話されていた。その言葉は思い出だから昔はよかっただけではないと思えた。日本で今失われつつある、日本人の暮らしの豊かさを考えなければならない。田植えをユイマールでやる暮らしである。田植え機械のない時代の当たり前の村の暮らしである。そんな暮らしに戻ることは出来ない事であるが、近い将来日本から、山間部の暮らしが無くなり、日本の暮らしが失われるだろう。その時、日本人がどこを目指すのかである。自給的な暮らしが消える。新しい時代の日本人はどのように形成されるのだろうか。アベ政権は瑞穂の国、美しい日本を外国人労働者によって維持しようという事である。日本ではなくなるという事だと早く気付くべきだ。もう一度の美しい国日本とは何かを考えてみなければならない。

日本政府が移民を奨励した時代がある。日本の農村から海外に日本人を棄民した時代である。哀れな政策である。哀れではあるが、明治政府の富国強兵の一つの道の選択であった。農村では人口爆発が起こり、それまでの耕地面積では増えてゆく人口を支えきれなくなった。しかし、帝国主義というものは残酷なもので、その後産めよ増やせよと標語まで掲げて日本が先進国になることに、すべてをかけたのだ。その結果が第2次世界大戦の敗北である。戦に敗れて72年が経過して、今度は、大企業の競争に日本をかけよう、女性の活用、産めよ増やせよ、それができないなら、移民労働者を受け入れよう。世界企業を信頼して良いものだろうか。富裕層は脱税の為にタックスヘブンとやらにお金を移しているらしい。アベ氏は大企業というものが日本を裏切らないものだと考えているらしいが、実はアベ氏という存在は大企業に操作されているとしか考えられないような、綜合体である。

第3の矢を放つことは出来なかった。金融政策や、為替政策で、その場しのぎをしてきたが、新しい産業の創出ができない以上、日本が国際競争に勝つようなことはありえない。その理由は日本人の独自性がすでに失われかけている。新しい産業を生み出せる、手入れの思想で磨かれた労働力、工夫と発意で暮らしを作り上げた地域力。日本人の暮らしが無くなったのだから、当然のことである。日本人の暮らしをもう一度考えてみるのか。いまさらそれができないのであれば、どのような日本を目指すのか。暮らしの時点からの人間教育を考えなければならない。世界は変わろうとしている。高度成長期の成功体験を、いつまでも夢よもう一度と追っているのでは、日本はますます困難な、危うい道を進むことになる。私は日本人の暮らしをもう一度考えてみるべきと思うが、別にそうでなくてもいい。人間をどう作るかを本気で考えてみることだ。小学校の英語教育などがいかにくだらないかが分からなければ始まらない。

 

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田植え一ヵ月の様子

2016-06-29 04:01:36 | 稲作

田植え一ヵ月の様子を記録しておく。籾洗いが3月20日。種まきが4月23日。田植えが5月29日。そして、天候に恵まれ、充分の日照で1か月が経過した。水も不足したことはない。有難い天候である。撮影は28日午後2時ごろ小雨。

今年は株間を29センチ角にした。昨年よりは浅水管理にしている。緑肥はムラがあったが、一応栽培をし、レンゲが繁茂した3番4番。8番は様々な草でそこそこ量はあった。田植え直後に1反あたり、10袋のソバカスを流し込んだ。全部で30袋。コロガシを縦横4回が目標である。草のではまずまず抑えられているようだ。ヒエはないようだ。3番で一本発見。これは苗床で他所の田んぼから種が来たと思われる。浅水でも出ないという事は、ほぼヒエの種が切れたのではないか。分げつは今までより良いようである。29センチの効果か。開帳型の株が多いい。同時に生育の悪い株が一部にみられる。これは苗の状態にばらつきがあり、悪い苗を植えたためではないかと考えている。

分げつはすでに、20本あるだろうという株と、3,4の分げつしかない株も同じくらいある。このところぐんぐん分げつが増えている。あと1か月の期待である。今年は病気が怖いので、ソバカスの追加蒔きはしていない。株の硬さも出てきている。葉幅も10ミリを超えた株が多いい。開帳型の株もあるが、そうでもない株も半分である。緑肥も生育にむらがあったように、稲も生育の村が目立つ。冬の肥料蒔きを増やしてみるか。水口の影響もあるが、良く見ると日照の差の影響も感じられる。

 

奥の少ししか見えないところが1番田んぼ、ここはセルトレー苗だけで植えた。

奥が2番田んぼ。生育にむらがある。原因は悪い苗があったのかもしれない。

苗床後の3番田んぼ。水口にもかかわらず、生育はいい。

4番田んぼ。生育は悪くないようだが、手前が生育が遅れている。日照であろうか。

三角田んぼが5番田んぼ。

6番田んぼが一番生育が悪い。水が右側の土手からどんどん湧いている。

中央が7番田んぼ。ここにすべての水が入る。

 

 

下側から見た、8番田んぼ。全体に乱れが大きい。草も出ている。奥は耕作をしていないお隣の田んぼ。

9番田んぼ。例年良い生育なのだが、昨年は病気(黒菌核病)が出た。

10番田んぼ。まずまずの状態。

11番のもち米の田んぼ。もち米はすべて、苗床直播。左側に生育の良い部分がある。全体としては、サトジマンより生育が遅れている。

 

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八重山の田んぼを描く

2016-06-28 04:41:27 | 水彩画

小浜島と石垣で田んぼを描いた。ここは多良間田田んぼ跡地である。古い時代、1752年にはすでに伝承として記載されている田んぼだから、その前の時代たぶん1400年代には田んぼが作られ始めていたのではないか。田んぼのできなかった多良間島の人たちが、石垣まで船で出作りしていた場所だ。石垣の一番北にあたる場所で、前回来た時にはそばまで行ったが、どうしてもわからなかったところである。今回やっとたどり着けた。地元の郷友会の人たちが今回整備をされたと新聞に出ていた。古い時代の田んぼというものがどういうものか見たかったのだ。緩やかな傾斜地に13段の田んぼがある。北側に山を背負っていて、高い山ではないが、山から少しの沢水がわずかに残る水路跡をたどったようだ。土は石垣のどこにもある赤土。今は周辺はすべて牧草地になっている。牧草の様子から見てもそう肥沃な土地ではない。田んぼは舟で通ってもできるという事だ。

多良間田跡の看板が立てられた。

かすかな田んぼの痕跡

背後の山はこの程度のもので、もしかしたら薪炭材として樹木が切り出されてしまい。草山になったのかもしれない。今は水はないようだった。

草の再生の仕方が地力のなさを感じさせる。

この平ら地はいかにも田んぼ跡用だった。面積で1反はない。

人間の痕跡というものに興味がある。自然を田んぼとして利用する。そして放棄するとまた自然に戻ってゆく。この関係に興味がある。人間の手入れ。元に戻る範囲の人間の自然とのかかわり方。そうしたものを絵にしようとしている。

 

 

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西表島稲葉集落

2016-06-27 04:02:05 | 暮らし

 

西表島いなば集落は1970年消滅した。その消滅した村の記録の聞き書きをしたものがある。浦内川の中流にあった集落である。最後まで住んでいた方が、平良さんでキッチン稲葉というレストランをやられている。浦内川観光船もやられているのではないかと思う。西表の観光では川をさかのぼる遊覧船があり、島の奥の様子を川から見ることになる。島の中に道はない訳ではないが、林業や炭焼きや、石炭採掘が無くなり、ほとんどの道が自然に戻りかけている。世界遺産になればますます、そうした自然の価値は高まることだろう。「祖内」という西表の東側にある集落が一番古く開けた集落という事らしい。江戸時代には役所もここにあったという事だ。祖内の祭りは古い形を残していて、無形文化財に指定されている。集落から降りて行った海辺に御嶽があり、その浜辺が祭りの場所になっている。村は小高い斜面に沿ってあり、沖縄で一番古い民家が残っている。茅葺き屋根の立派な家である。古い時代の日本人の暮らしの、何かを感じることが出来た。祖内という村はそういう村だと思う。

この祖内から山を越えて、稲葉に出作りをしていたという。稲葉で子供時代を暮らしていた方から、稲葉の暮らしを聞くことが出来た。平良さんという稲葉の記録の本を作られた最後に稲葉を離れた方と、もう一人はお名前は聞かなかったが、70過ぎの方で、神奈川県の大和に20年暮らしたことがあるといわれていた。電気がなかったという事が、稲葉では暮らせなかった一番の原因だと思うといわれていた。1970年に電気がない暮らしをされていたのだ。冷蔵庫もない。テレビもない。これでは今時、離れたくなるよ。と言われていた。しかし、今の時代ならソーラー発電もあるし、観光船もあるし、田んぼのできる平地が20ヘクタールもあったというから、暮らせないことはないだろう。いつか、稲葉にホテルが建てられる時代も来るのかもしれない。それでも西表で暮らしてゆくという事は、なかなか大変なことだろう。

今回西表に行ったのは、田んぼが見たかったからだ。田んぼが耕作されている間に、西表の田んぼの様子だけでも見て置きたかった。田んぼは稲刈りの最中で、刈り終わった田んぼと、もう少ししたら刈るという田んぼだった。全体に穂が小さい気がした。収量はどうだろうか、6俵平均ぐらいだろうか。作りにくそうな田んぼである。土の様子も田んぼには難しそうだった。もともとの湿地を田んぼにしたような感じだ。マングローブの林より一段高い湿地を田んぼに変えていったようだ。もう少し高いところとなると、すぐに山が迫っている。稲葉でも川沿いの平地に田んぼを作っていたというが、良く洪水にやられたそうだ。川が氾濫すれば、道でも田んぼでも水没してしまい、学校に通う事も出来なかったそうだ。学校まで6キロを歩いたといわれていた。収穫したお米を運び出すのも舟だそうで、舟に販売のすべてをお願いしていた。そして生活物資のすべてを運んでくれたそうだ。

今回、石垣島で多良間田跡を見た。古い時代の出作りの形を見ることが出来た。こうした農業遺構は稲葉集落と同じで消え去る寸前である。古い日本人の暮らしの姿をうかがわせる、特に田んぼにかかわる遺構は貴重なものである。なぜ、これほどの困難中田んぼをやらずとはいられなかったのか。日本人と稲の関係である。稲という食料の生産法が、日本人の信仰と切り離しがたいものであり、日本人である根の部分が稲作と結びついていたのだ。たぶん遠からず、そうした記憶も消えることだろう。そして日本人というものも消えるのだろう。稲作によって生まれた旧日本人。稲葉集落が消えたのは私が21歳の時だ。西表が豊かな場所で、稲葉での暮らしほど豊かで楽しいものはなかったとお二人ともいわれていた。その豊かさの意味が、日本では消えかかっている。新日本人がどんな暮らしをするのかは、私にはかかわりがないが、旧日本人の豊かな暮らしの意味は、実に尊いものに見える。

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沖縄慰霊(鎮魂)の日

2016-06-26 04:08:19 | Peace Cafe

沖縄鎮魂の日を石垣島で過ごした。桃林寺の「杜の祈り」に参加させてもらった。  桃林寺は臨済宗の寺院で、沖縄の中でも屈指の名刹ではないかと思う。この本堂の前で、鎮魂の日の夜を過ごしせたことは、大切な体験をしたと思う。鎮魂の為にたくさんの歌が歌われた。石垣には歌の文化が残っていると思った。今回、ここでも「トゥバラーマ」を聞くことが出来た。なんと、4人の方の唄う「トゥバラーマ」を聞くことが出来た。人によって違ってはいたが、それぞれに忘れがたい魅力があった。杜の祈りでは若い結の会の方が唄った。西表では平良さんが。そして石垣では、前田親子の"トゥバラーマ"を聞くことが出来た。前花さんは親子で、"トゥバラーマ"大会で優勝した唯一の方だそうだ。いずれの方の唄も素晴らしいものであった。柳田国男先生は、この唄を臨終のときは聞きたいといわれていたそうだ。それが少しも大げさなことではないことを感じた。

杜の祈りの歌会が終わりに近づくころ、空を火の玉が流れていった。始まるころは明るかったのだが、唄が続く間に日もとっぷりとくれた。見上げると満天の星である。そこを大きな火の玉が流れていった。そこに居合わせたみんながほーうと吐息をした。花火だと思ったが、その一つだけだった。やはり、鎮魂の唄にこたえて魂が現れたと考えてもいいかのかと思った。唄を聞くという事で魂が救われる。救われた魂が杜の集いに来ても不思議もない。唄を唄う事に生まれる死者と生きている者の一体感が石垣には残っていると感じた。八重山は唄の島である。鎮魂される魂は、戦争で死んだ方だけでない。祈る者も、祈られる魂も、唄によって救済される何かがある。八重山民謡は魂に直結する命をまだ保たれている。祖内の唄には仲良田節がある。お米の収穫後の1か月だけ唄うことが許される唄がある。まさに収穫の今しか歌えない唄である。地元の西表で祖内の平良さんの唄を聞くことが出来た。空前絶後の美しい唄である。収穫の喜びがこんなに悲しくも美しいという事に、深い感銘を受けた。いつの間にか涙が溢れ止まらなかった。

沖縄では鎮魂の日は休日である。祖内でも鎮魂の日の集まりがあった。おじいさんが、外で絵を描いて居た私に、鎮魂の日に何をしているのだと諫められた。静かに祈る日に絵を描いて居るという事が、許せないということのようだった。申し訳ない気持ちで絵を描くことはこの日は止めにした。このおじいさんは少年兵として招集され、弾薬を運ばされたそうだ。西表では、炭鉱や港が爆撃された。それはイギリス軍だと言われていた。こんな日本の戦争全体で考えれば、意味が有るのかと思う島まで爆撃をされた。戦争の恨みというか、怒りというものはそういものなのだろう。自衛基地を八重山に3つ作るのが中期防衛計画だそうだ。中国は軍事国家を目指しているのかもしれない。それに対抗する日本の戦略が、日本の軍事国家化でいいのだろうか。日本は平和的手段によって世界紛争を解決する国ではなかったのか。今こそ沖縄戦の重さを日本人全体が認識しなければならない。

鎮魂の日に沖縄で平和について感じるものがあった。平和外交の努力を充分に行わないで、軍事国家を目指すのは愚かでないのか。戦争になれば、全てが終わりになる。軍事的な競争で相手に勝とうという発想は、単なる弱肉強食の野蛮な世界観である。勝者も敗者も悲惨なことになることだだ。どれほど、屈辱的な結果であれ、平和的外交であれば戦争の悲惨は避けることができる。譲れり合う事が出来るのは、まずこちらが柔らかな心を持つことだ。軍事化をして頑なにな心になれば、互いが硬直するだけだ。まず日本が平和国家として、軍事化しない。平和国家とは、自給自足できる国である。人に勝つことではなく。人とともに生きることのできる国だ。これが大前提だ。相手が暴力的になればなるほど、日本は平和的対応を取る。これが唯一の解決策である。沖縄の鎮魂の日に改めて心すべきことを思った。

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東電第3者委員会の欺瞞

2016-06-25 04:17:08 | 環境関連

東電が作った第3者委員会から、福島原発事故調査報告が出た。最近はやりの厳しい眼で検討しているはずの、第3者委員会であるが、単純に東電の弁解が出てきた。こうした卑劣な態度がまた事故を起こすのだ。第3者員会の目的は企業責任の追及の裁判の弁護の為である。全くのでたらめのひどい報告である。こんなものを第3者と自ら呼ぶ姿勢がそもそもおかしい。当時の政府の対応のおかしさに原因を転嫁するための、自称第3者委員会である。確かに政府はひどかった。と同時に東電だってとてつもなくひどかった。東電には事故を起こした当事者としての責任を忘れたいだけだろう。予測を超えた大津波で、想定外の事態に至り、原発が炉心溶融して、放射能をまき散らした。それをまるで仕方がなかったこととして、誰も責任を取らないで終わろうとしている。農の会のお茶に対する補償は請求しているにもかかわらず、反応すらない。被害者が被害を証明しろで終わりである。

今ではほとぼりが冷めたと、アベ政権も各電力会社も、原発の推進をすることに躍起となっている。40年過ぎの原発も廃棄しないで、また20年使い続ける方針。廃棄したところで核のごみは行き場がない。これほど迷惑な原発を推進する理由は、企業利益意外に考えられない。政府は電力会社を後押しして、原子力を次のエネルギーの中心に据えようとしてきた。国民を安全神話に巻き込んできた。だから、原発事故が想定外で、対応が後手後手に回った。中国から大きなクレーンを貰わなければ、海水さえかけられなかった。近隣諸国も他人事ではなかったのだ。近隣諸国が今でも日本の食糧に不安を持つのは、そうした日本の政府や東電への不信である。メルトダウンしているだろうと、いくら追及しても口を割らなかった東電である。その責任だけでも極めて重いものがある。口を割らなかった理由を政府に口止めされていたと責任の転嫁をするなど情けなくないか。しかも、参議院選挙にその報告をぶつけてきた。この不誠実な態度では、又原発事故が起きそうだ。

東電の第3者委員会では、巻き添えケチの第3者委員会で有名になった、元東京地検特捜部副部長の佐々木善三弁護士である。「重要な事柄をマスコミ発表する際には 事前に官邸や保安院の了解を得る必要があり、対外的に炉心溶融を肯定する発言を差し控えるべきとの認識が、東電社内で広く共有されていた。」そして、最近実は東電は炉心溶融の事実を事故3日後に把握していたことが、分かってきた。そこで、分かっていたがそれを公表できなかったのは、政府の圧力だったと言い逃れの道を作ったのだ。佐々木氏は依頼者の弁護をするのに、確かにマムシのようである。小渕裕子氏もそうだった。今度は、甘利氏の第3者員会をやりそうである。真実を検証すべき第3者員会の名前を語り、完全に東電の側に立って弁護をしている。東電の清水社長の発言は正しいという前提なのだ。その指示をしたという政府への聞き取りは、やる余裕も権限もなかったが、指示をしたように推察できるというのだ。

佐々木氏の報告書は官邸の指示については、すべて推量である。推量で、炉心溶融を隠した責任は官邸にあったと結論しているのだ。こんな推量であれば、私にもできる。全く偏った杜撰な報告である。しかし、こうしてお茶を濁しておけば世間などいい加減なものだから、後は時間を稼げばいいと厚かましいマムシだ。。佐々木氏が過去かかわった第3者員会全てがこのやり方である。これほどの欺瞞を繰り返している人間を第3者委員会に入れて良いものだろうか。というより、この依頼者側に立つ姿勢が、又依頼が集中させるのだろう。この構造が日本社会のだらしなさである。すぐ国民が忘れる。忘れるまでの時間稼ぎが第3者委員会になっていないか。小渕裕子氏はその後選挙で再選された。甘利氏も、そういう事になるのだろう。このいい加減さが日本の一番ダメなところだ。

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自国優先主義と世界企業

2016-06-24 04:04:20 | Peace Cafe

世界が自国優先主義にかじを切ろうとしていると言われる。同時に国を超えて活動する企業は利益を求めて、国の利害とは別に活動する。両者は相反するもののように見えるが、実は同じく拝金主義に突き進んでいる姿だ。トランプ氏が日本の米軍の駐留経費を100%日本が持つべきだと主張する。アメリカ軍の日本駐留の意味は日本の防衛と、アメリカの世界戦略における基地利用との、比較の結果半々ぐらいだろうと私なら見積もる。ところが、引き上げると言えば、日本はおびえて100%経費を出すだろうと考える、商取引の精神なのだろう。利益を徹底して求める、資本の動きと瓜二つである。この利益優先の拝金主義の行方が問題なのだ。松下幸之助氏は日本の高度成長を支えた経営者であるが、相手側の利益を守ることが、結局のところ自分の利益にもなるという考え方を語っていた。風呂の水をいくら自分の方にかき寄せても多くはならないと。

アメリカの自国優先主義が果たしてアメリカの利益になるのだろうか。アメリカが日本から引き上げ、自国に戻ることは大賛成である。アメリカが沖縄を占領していた理由は何だったのだろう。アメリカに対してアベ氏は日米地位協定の見直しを主張できなかった。同じ敗戦国であるドイツは地位協定の見直しに成功している。アベ氏には米軍の引き上げが恐怖なのだ。どれほど差別的な事態が起きたとしても、地位協定に言及することができない。米軍は再発防止策を何も示さない。アメリカは地域協定の運用の見直しでなどとごまかしている。要するに米軍基地をアメリカ国内と同様に使い勝手良く使いたいからだ。それは沖縄の駐留米軍が、アメリカの為でもあるという事を良く表している。日本の為だけに米軍が駐留しているというのであれば、地位協定などなくし、自衛隊の下部組織として米軍に駐留してもらい、安倍総理大臣の指揮下に入ってもらえばいい。

世界平和に向けて世界は展望を持つ必要がある。G7から排除されている、中国とロシアという大国の立場に対して、敵対ではなく友好的関係をどのように高めてゆくかの道筋を探らなくてはならない。アメリカがトランプ大統領になった時に、世界は戦争の時代に入りかねない。日本は安保条約に基づき、アメリカの戦争を手伝わなければならないのである。日本から米軍を引き上げると脅すことだろう。いよいよアメリカの姿は、中国やロシアと少しも変わりがなくなる。つまり自国優先主義である。自国の利益だけを主張して、相手側の利益が見えなくなるのである。戦争の背景には必ず自国優先主義が存在する。自国民の利益を正義とする。世界企業の姿はまさに自分優先主義そのものである。風呂の水をかき寄せているあさましい姿である。世界はますますせちがらくなり、相手を思いやる余裕を失い自国主義に閉じこもる。

田んぼに水争いが付き物である。足りないものをどのように分け合うかで、常に争い、妥協を重ねる知恵を出して来たところだ。江戸時代は知恵を出し合わない限り、地域では暮らして行けなかった。自分優先だけでは自分も滅んでしまうという事になる。妥協に次ぐ妥協で地域の暮らしは成立する。それが美しい日本の、瑞穂の国の文化である。7対3で相手側から見れば5分5分である。相手を慮ることで自分も生き残れる。富裕層は合法的であるという言い訳の中、タックスヘブンを利用する。こうした拝金主義は資本主義の行き着く一つの岸辺である。自分の国さえ良ければの根底には、自分さえ勝てればいいという事がある。しかし、その先に有る者は間違いなく世界の行き詰まりである。暴力の世界である。どのように資本主義を正すか。自国優先主義が軍国主義に進まないようにできるか。自国優先主義と、拝金主義という危機が迫っている。

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外国人が働く農業

2016-06-23 04:26:30 | 自給

農業分野で不法就労する外国人が急増している。法務省によると、二〇一五年に退去強制手続きを執った不法就労者のうち、農業従事者は千七百四十四人で三年前の約三倍に達した。全体の21・9%を占め、業種別で最多となった。

日本の農業は外国人労働者によって行われる時代がそこまで来ている。この1744人という数が氷山の一角であることは想像できる。日本農業者の平均年齢が70歳を超えているのが現状である。まともな農業経営が行われている場合、中心になって働いていると考える方がおかしい。70歳を超えた農業経営者が、雇用労働力を頼って農業を行っているはずだ。しかし、今の日本人で肉体労働を望む人は少ない。労働力のミスマッチとか言われるが、肉体労働を嫌う傾向は何処の国でも起きていることだ。仕事が無くて最後に肉体労働を選択する。身体と心が肉体労働に耐えられない人間が増加している。今農業現場にいる若い人たちは、農業を志す頼れる少数派である。工事現場の人手不足も、外国人の労働力が補っている。農業でも、漁業でも同じ状況が想像できる。

都市銀行が農業に参入した。政府の意図が働いている。農協に風穴を開ける意図だろう。農業就労者の減少。企業農業を政府は導入する。その時には、外国人労働者が想定される。正規に外国人労働力を日本も受け入れる時代は近い。都合のよい労働力として外国人を受け入れる前提として、日本の社会が受け入れ可能になるのかどうか疑問がある。自分たちに役立つ部分としては外国人を受け入れたいが、外国人が増加しては不安だというジレンマ。社会の成り立ちの根本を議論することなく、考えもなく、ただ現実の労働力不足への対応で、政策が変わってゆく。根本とは日本の食糧をどうしたらいいかである。食糧輸入に頼るのか。それならどの程度の割合まで輸入が良いのか。日本の中山間地の農地が放棄されてゆくが、放棄される農地をこのまま放棄していって良いのか。地方が消滅してゆくことに繋がらないのか。正直、日本の国土維持は国境の島所の状況ではない。

日本に人の住まない地域が広がっている。食糧自給率は一向に上がらない。そして外国人労働力である。外国人労働では食糧の自給とは言えない。日本という国家が、国家として存立してゆく為には、日本人が働いて、自分たちの食べるものを確保するという姿が健全なものだ。畑で働いてみてわかるのは、昔の人の働き方である。ゆっくり働いていなかったはずだ。明治以降富国強兵で、農業現場はまるで強制労働のような厳しい労働環境になった。江戸時代を飢餓の時代のように明治政府は流布したが、それは明治政府の帝国主義政策をごまかすための宣伝である。江戸時代の働き方はもう少しのんびりしていたはずだ。のんびり働いて生きていけるのでなければ、農業をやる人などいなくなる。農業の楽しさは働きすぎる今の農業環境では、見えてこない。サラリーマンと同等に子供を育てようとしたら、やたら自分の身体を酷使して働く以外に道は見えない。これでは若い日本人が農業に入らないのは当たり前すぎる。

農業地域の資産価値はほとんど失われた。美田を子孫に残すために、農地を守るという思想もほぼ崩壊した。このまま行けば日本がどういう状態になるかは、地方で農業をしている人は気づいていると思う。日本全体をどうするかを、世界経済とは切り離して考えてみなければならない時だ。日本が世界企業の価値観に押されて、その活躍がなければ日本は衰退するということで、日本の地方社会は軽視されている。たぶんその日本出身の世界企業は、自分たちの利益の為には日本を見捨てることも辞さないだろう。それがタックスヘブンを行う大企業の姿としてすでに表れ始めている。農業を日本人が継続できるような、状態を作る以外にない。農業を出来る日本人の人間作りである。食糧を日本の国土で、日本人が一定量生産できるという状態を作り出さなくてはならない。そのための具体的政策はまた別書く。                  

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日本分け目の参議院選挙

2016-06-22 04:15:55 | Peace Cafe

いよいよ、参議院選挙である。日本分け目の選挙に違いない。近年では最も重要な選挙になるだろう。この選挙で自民、公明や右派政党を含めて、3分の2の議席を確保すれば、いよいよ、憲法改定に進む。たぶん最後の戦いとなる。戦いとは、日本が軍隊を持つかどうかの戦いである。自衛隊にとどめるか、アメリカや中国のような、軍事力で世界を動かそうとする国に加わるかである。6月22日に公示、7月10日投開票である。私はとても怖い。右派連合が勝ちそうな気分に襲われるからである。アベ人気はなかなかのものだ。しかも公明党はなんと今度の参議院選挙では改憲は争点にならない問う理由で、公約では触れないことにした。触れれば不利になると考えているところが、公明党らしい。その他紛れ右翼もままいるようだ。これほど日本の政治が右に偏ったことはなかっただろう。これほどの憲法の危機はかつてなかった。

参議院選挙が最後の戦いと考えるのは、憲法改定勢力の核心部分は老齢化している。もちろん同様に左翼勢力というのも私を含め老齢化している。老々対決であろう。次の世代は政治に熱意が薄い。もちろん老人も政治など関心がない人が大半であるが、左右に確信犯が頑固に固まっている。あと10年すれば、ほぼこの頑固な塊が居なくなる。ここが最後の分岐点と考える。日本の相対的経済力は、ダダ下がりとなるだろうから、たぶん軍事力で頑張れるような状況でなくなっている。武装化したところで、経済を圧迫するばかりで、ろくな競争ができないだろう。もちろん先のことは次の世代にお任せすることだ。しかし、今回だけはそんなのんきな状況ではない。相当に危ういのである。憲法改定して、明治の御代に戻りたい亡霊が最後の戦いに挑んでる。時代錯誤の軍事力神話の狼煙が見え始めている。ここでこの種火を消さなければ、燃え上がる炎が消せなくなる。

最大の関心事は経済である。政治と言っても選択は経済で決まると考えた方が良い。今の経済状態が良くないという事は、多くの人が感じているところである。一部に富裕層が産まれ、経済格差が広がり続けている。それは日本だけのことではなく、世界共通のことのようだ。つまり、能力主義が経済の国際競争に連結している。企業にすれば、青色ダイオードを作れる人が一人いれば、後の1万人と同じ価値になる。その一人が、世界でも際立っていなければ世界競争に勝てないと考えているのだろう。となると、能力のない者は黙って、優秀な人に従うほかないという経済の世界である。そうしなければ、国際競争に後れを取ると脅されている。しかし、一番でなければならない訳で、一番は世界に一人だから、日本人が一番になる確率は、極めて低い。この点ではアベ政権が悪いのではない。いずれ世界競争に負けるに違いないという不安。こういう恐怖感がアベ政権へのしがみ付きになっている。

日本は国の成り立ちを思い返してみるべきだ。国際競争に勝つ為に日本がある訳ではない。日本人がこの国土で豊かに穏やかに普通に暮らすことが目標である。民進党の人間への投資は、良い発想である。子供を中心に人間性を育むことだ。豊かな日々を送るために、平穏な暮らしを再構築する。文化的な日本人が育たなければ、豊かな国に成れるはずもない。幸い、日本列島というたぐいまれな水土の国である。ここで、人様に迷惑をかけないように暮らすことだ。人間が生きるという事をより深く全うするためには、他者とくらべる生き方ではない。自分がどんな自分になりたいかであろう。世界中が自国主義に傾き始めている。アベ政権は大企業を良くすれば、日本も良くなると主張して、大企業の利益を優先し続けている。このために、日本は極端な階層社会になり始めた。野党連合が出来た。野合と批判している自民党は、アベ企業傀儡政権と宗教政党の与党連合である。天下分け目の選挙である。

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風景画と現場主義

2016-06-21 04:06:52 | 水彩画

水彩人の仲間の松波照慶さんが、ブログで水彩画の現場主義のことを書いている。彼は学生時代博士と言われたそうで、とても論理的に絵のことを考えることができる人だ。絵を描くうえで、彼の言葉によって思考が展開されたことが度々ある。彼の書いて居る「水彩画を描く人に現場主義の人がいる。」という言葉の中に、私も入っていると思う。そして彼のいう絵画というものは表現であって、現場を移しとるようなものではない。現場を描いて居れば、次々に新しい発見があり、その発見をたどることになり、自分の表現する絵画にはならないのではないかという、発議である。ここには絵を描くうえで大切なことが含まれている。自分なりに考えてみる必要があると考えた。アトリエに岩を持ち込み描く例を挙げている。これは中国の画論にあることだ。岩を描くことが出来れば宇宙を描くことができるという考えである。岩を風景に見立てて描写し、自然全体を表す訓練をした。西洋画における人体が中国画では岩なのだ。

雪舟が中国での絵画留学から帰国して、天橋立図を直接風景を見て描いたことが風景画の日本の伝統の始まりと言われている。確かに天橋立図は、現場で描いたように描写されている。その場所に行ってみて私も描いてみたことがある。雪舟の見たものと私の目に映った風景はよく似ていた。中国で風景を見て描くという描き方がなかったとしたら、日本の風景の中に雪舟は、中国で学んだ絵画観と峻別する何か重要なものを発見したのではないか。岩を描いて宇宙に繋がるという感覚では、日本の人の作り上げた水土には迫れない。中国で絵を学び、中国の目になろうとした雪舟が、結局のところ絵画精神では日本の水土であり、中国に対する違和感がある。日本の風景に自分の精神が心地よく反応することに、感動したのではないだろうか。それで、風景を見て写すという新しい描き方を発見したのではないか。私はフランスで学んだものでは、日本の風景を描くことは出来なかった。

  

風景を直接見て描くという事は、風景を写そうという事ではない。上の写真と絵は、初めてこの場所に行って絵を描いた時のものだ。その後8枚の絵を描いた。絵の方はその後いろいろ描き進んで、今はまた違う絵になっている。写真を見ても美しい場所だということはよく分かる。しかし、絵では現場を写している訳でないこともわかる。その場所に反応して、自分の見ている里山の世界観を描いているのだと思う。たまたま田んぼの仲間が、私の家の麦刈りに来てくれて、置いてあった絵を見てくれた。田んぼの絵を見て、そうだあそこが私の担当の3番田んぼだ。などと言われていた。その絵は現場で見てみれば、情景とは違っていて戸惑う事だろう。絵として見た時に、その現場より私の絵の方が頭の中にある風景に近いのかもしれない。人によっては近いというより直結するのではないかと思う。あんな感じと現実とは違う。写真で写る姿は、確かにそこではあるが、イメージとしてそこに感じているものとはまるで違うと考えた方が良い。

現場で絵を描くという事は、確かにその場での反応である。次々に見えているものは変化してゆく。その中から、自分の里山の世界観に照らし合わせて、探って行く。ただ、その場に見つけた里山の風景に素直になって写し取ろうとしているだけである。そこでは自分のこうしたいとか、こんなものが絵であるというようなものを忘れるようにしている。離れて自分はただの器になっている。私という器にはその風景を描く前提として、田んぼの耕作というものがある。何十年か耕作したその感触に従おうとする。そのように意識して描くようになったのは、原発事故以後のことだ。田植え前と田植え後では、田んぼは違うものになる。この身体が感じた、田んぼの水土の感触が、絵に反映するようでありたいと考えている。田んぼの絵がいいと思えるまで25年がかかった。田んぼをしているときは絵を描くような気持で、田んぼを25年してきた。そして、やっと田んぼをそのまま描く気になった。それが絵なのかどうかわからないが、私絵画だと思っている。

 

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麦の収穫終わる

2016-06-20 04:45:48 | 自給

大麦を6月19日に収穫した。小麦は11日だった。麦刈をすると、毎年思う事は、昔ならこれから田植えをしたという力量のすばらしさ。急いでやれば、何とか6月中に田植えができる。何度か挑戦したが、梅雨時の麦刈のタイミングが難しいうえに、田んぼの苗作りである。頭が混乱してしまいついに諦めた。よほど整理がついていて、完成した技術がなければ、不可能なことだと思う。理屈ではできるとしても、よほどの精神力がなければ、この混乱と不安は乗り切れない。麦刈もそうだったのだが、上手くできるのかどうか、頭から離れない不安がある。能力の限界で作業をしている。体力のこともあるが、主に頭の方の能力が限界なのだ。あれこれの手順である。バインダー、ハーベスター、コンバインの機械操作がある。雑草がかなりあるので、人数さえいれば手刈りの方が良いとも考えられる。今回は、小麦はコンバイン。大麦は手刈りで、ハーベスター。機械は何とか動いた。

こむぎは18,3%まで乾いていた。これは乾燥機で15,0%まで調整した。大麦はすでに15%台だった。そのままハーベスターで問題なく脱穀できた。今広げて干してある。今年は5月から6月前半が少雨で、麦の乾燥には良かった。小麦も、大麦もよい粒になっている。しかし、小麦は不作だった。反収で、200キロ弱ぐらい。大麦は反収300キロ近くありまずまずだった。いずれにしても今年は雑草にやられた。雑草があるとやはり収量は減るようだ。小麦は2度草取りをした。大麦は一度もやらなかった。大麦は草のないところは分げつがかなり良かった。もしあれで草が全くなければ、400キロ取れるという事だろう。それなら、草取りせずに300キロの方が良い。良く分からないが、草取りした小麦の方が収量が減ってしまった。気が滅入るほどである。結局のところ肥料不足のように思うが、それだけでもない気がする。

自給には、大麦も小麦もやることが良い。もちろんお米の裏作にやるのが一番である。それが技術力なのだろうが、そうすれば、耕す面積が30%減らせる。穀類が1年120キロ必要なら、麦で40キロお米で80キロという事になる。それは面積にすれば、50坪である。老人家庭の我が家は2人で120キロだ。若い人なら、一人で120キロだろう。若い人が自給するとして、主食の穀類は一人50坪計算しておけば、4人家族なら、7畝200坪あれば十分である。野菜は冬場は玉ねぎジャガイモで2畝。終わって、夏の果菜類。大豆は田んぼの畔に作る。結局のところ1反の畑があれば、自給なら一家族何とかなる。というような計算をすぐしたくなるのが癖だ。実際のところは、農地が余っていて始めれば、ついつい広いところでやることになるだろう。それでも自分の力量に合わせて、狭いところでやる方が良い。技術があれば、面積半分で収量倍である。自給が出来る人かどうかは技術である。

小麦も、大豆も、大麦も、お米も、お茶とみんなでやっている。今年はジャガイモも一緒に作った。来年は玉ねぎも一緒にやろうと計画している。一緒にやる方が楽だからだ。労力が少なくて収穫が多いい。しかも楽しい。一人の自給より、みんなの自給である。採れた大麦は麦茶と麦みそにする予定である。麦みそは作ったことがないが、来年初めて挑戦してみるつもりだ。3年に一回麦みそを作れば、その時の気分で、味噌を使い分けられる。雑草は、ネズミ麦とカラスムギである。どうも連作をしていると増えてくるもののようだ。前年落ちた種が再生してくるという事になる。これをどう減らすかが課題だが、一度、発芽させてから、取り除く。もう一つは思い切って株間を取り、間を耕運機で耕して除草する。70センチ30センチの畝幅を変えて、一列置きに耕運機を入れて、間は手取りするというのもある。例年は雑草対策である。

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ビル・ゲイツ氏が鶏を飼う

2016-06-19 04:11:57 | 自然養鶏

ビル・ゲイツ氏は、発展途上国の貧困世帯を支援するためニワトリ10万羽を寄付すると発表した。ゲイツ氏は、サハラ砂漠以南に位置するアフリカ諸国の農村部で、養鶏の実施率を現在の5%から30%に引き上げることを目標にしているらしい。鶏を飼う事で貧困を克服できると考えている。世界には貧困が広がっている。日本にも貧困が広がり始めた。日本が先進国の中でも際立って貧困が深刻な状況になっている。どのデーターを調べても貧困は相当に深刻な状態という事になっている。にもかかわらず、社会がそのことを受け止めていない日本。日本の貧困問題はアフリカより複雑かつ困難。日本で自給生活の支えとして、鶏を飼ってきた。鶏は日本では無理だという思いが交錯する。日本で貧困生活をしている人の大半は鶏を飼える環境にいないだろう。それでも、日本でも地方の過疎地域ならば、鶏を飼うのは貧困生活が可能になり始めているかもしれない。自給生活の環境は整ってきた。

自給生活に鶏が必携というのは、当たり前のことだ。これほど自給生活に役立ってくれる生き物はないだろうと思う。ビル・ゲイツ氏が目をつけてくれたというのは、さすがの視点である。自分で増やせるという事を重視している。たぶん放し飼いをするのだろう。アフリカの村で鶏が走り回っている映像を見ることがある。放し飼いが出来るならば、餌などごく少量で済む。日本で鶏を飼うなら、移動式の小屋が良いだろう。獣害が一番怖いことだ。日本で放し飼いをすれば、忽ち食べられてしまう。その前に鶏を飼う暮らしを集落で認めてもらわなくてはならない。必ず、声がうるさい、悪臭がする。こういうことになる。だから私は防音小屋を作った。これを書いている今は早朝であるが、少しも鶏の声は聞こえない。7時に成ったら餌をやり、小屋を開けてやる。夜鶏が眠るところは、狭くて、真っ暗でかまわない。昼間外に出て遊べるようにしておけば、鶏に悪い環境ではない。

餌は家で出る生ごみを中心にすれば良い。発酵させることだ。段ボールコンポストでも可能だ。2箱作り交互にえさにすればいい。餌づくりと生ごみ処理を兼ねれば、最高の餌になる。人間が食べるものなら、何でも餌になる。自分の家で出る生ごみだけでは、たぶん足りないだろう。近所の生ごみまで貰えるならそれもいい。騒音の苦情も出にくくなる。あとは草である。草をどんどん与える。自給生活であれば、草だけはふんだんにあるだろう。山道の落ち葉など掃除を兼ねて集めて、小屋の床に入れてやる。そうすれば病気が出なくなる。そして、虫を食べさせる。コンポストを遊び場の地面に撒いて、むしろをかけておく。虫が湧けば最高の餌になる。米ぬかや、ふすま、魚のあらなど、貰えるところを探しておくとさらにいい。コイン精米所の掃除をしてあげれば、米ぬかをくれるかもしれない。

鶏が居れば、卵を産んでくれる。抵抗はあるだろうが、鶏肉も食べることができる。野菜やお米は一日1時間働けば自給できる。食べ物があれば、あとは何とかなるはずだ。つまり、日本でも中山間地であれば200円生活は不可能ではない。その条件の整い始めた地域は年々広がっている。そして、200円の自給生活ができるとわかっていても、それならやろうというような競争相手はまずいない。競争のストレスがないだけでもありがたい。都会で生活苦でブラック生活をするとしても、山の中よりもましだと考える人ばかりだろう。自給の覚悟さえすれば山の中こそ、素晴らしい。みんなが観光に出かけるような美しい場所だ。都会暮らしよりはるかに人間らしい生活をおくれるはずだ。何より、自分の生きるという事に真剣に向き合うことになる。鶏がいてくれれば、共に気持ち通じ合って暮らせる。そしてそれを食べるしかないかというような、気持ちで暮らすことになる。自分の命と向き合う生き方が、自給生活なのだろう。

 

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田んぼという不明に進む

2016-06-18 04:01:30 | 水彩画

初めて自分の田んぼを描いている。毎日3回は見ている場所を、6年間経って初めて描いて見たくなった。沼代の田んぼを描いている内に、田んぼの美しに気づいたようだ。田んぼを描くうえで大切なことがいくつかある。描く前に何を描くかが分からなければならないという事だ。ここで考えていることは分かるという言葉である。言葉は絵とは違う能力があって、同時に矛盾していることを含むことができる。例えば花の美しさを描くという事で、美しさの矛盾も含んでいる。人それぞれに美しさは違うし、人間と犬では美しの観念はかけ離れているだろう。その多様で複雑な美しさというものを、言葉は矛盾なく、全体として意味することができる。この花は汚いという人と、この花こそきれいだという人がいることを前提として、それを包括的に、花の美しを描くという言葉で、花のグロテスクな一面とか、色彩の鮮やかさとか、細部の構成の見事さとか、それぞれが感じる多様性を含み込んで、実は花の醜さを掘り下げていることが、美しさを描くという事になることすらある。という意味を暗示する。

言葉は規定しなければ、すり合わせが本当には出来ないのだが、言葉の曖昧さを含み込むことで、意思の伝達のツールとして優れたものになっている側面がある。互いに美しいが逆のことを意味していることを確認しながら、その先の話をするために、目をつぶってというか、差異を了解しながら、肝心な話を進めることまで、言葉は可能である。美しくて醜いというようなことを、言葉はただの美しいで表現してもいい。すごい不足である。不足を承知で利用している。だから、話の通ずる人と、通じない人が現れる。絵を描くことで考えてみると、何を描くかは明確にわかっていなければ、絵を描いても意味がないということだ。そして、このことは描くべき真実がある予感はして、実はわかっていないという前提なのだ。分からないから、分かろうとして絵を描く。やはりこういう屈折した意味で何を描くのかはわかっているのだ。少しややこしいが、絵を描くことを言葉で言えば不明をわかるというしかない。

分からないという事を、不明に入り込み分かるように説明する。ここに重大な何かがあるという事を示すのが絵だともいえる。問題の在りかの指摘である。ここにより大きな問題が存在するという事を証明する。この何か意味ある事がここにはあるという感覚のようなものを、その感覚のままに表現しようとする。絵で分かるという事は、結論を探すというようなことではなく、問題の重要性の暗示するというようなことなのだろう。そう言い切ると、これまた意味が半分である。見えているという事の重要性がここに加わる。見えているすべては言葉にすることは出来ない。私はその不明に向き合い絵を描いて居る。それは妄想なのかもしれない。しかし、その幻想のようなものに、最大の問題が存在していることを感ずる。この確実に見えている幻想は、私には分かっていることだと思う。と同時に、全く分からないが見えている不思議である。

最近描いた田んぼの8枚の絵がある。8枚を同じところで描いたのだが、その8枚がまるで違う絵である。違うのに同じなのだ。何故こうなるのかが分からない。結局心に従う結果そうなった。その日の気分である。田んぼを描いていて、やっと気持ちが解けてきたことを感じた。大震災以来、絵を描くという事が暗い想念に覆われていた。絵を描く気になれない時期も1年ほどあった。絵を描き始めると、押し寄せる津波と、失われた命のことがどうしても浮かんできた。メルトダウンした原発のことが頭から離れない状態であった。するとすべてが無意味に感じられ、絵を描く気持ちが萎えた。田んぼを描いて居て、そこからいつの間にか抜け出ていたことに気づいた。5年が経ち春が来たことに喜べている。どこかに納まってきたようだ。助かったのだが、思えば薄情なことだ。

 

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