地場・旬・自給

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第159 水彩画 日曜展示

2023-04-30 04:50:40 | 楽観農園
第159 水彩画 日曜展示

 松任で描いた6号の白山の絵など。撮影もスマホ、パソコンも不十分なのだがともかく展示した。今回展示したもので、気に入ってくれたものがあれば、「うるわし」の会場に今日持ってゆくので、差し上げます。 






207「白山1」






208「白山2」







209「白山3」








210「雨の白山」








211「白山5」








212「自画像」




 朝、時間のある時に少しづつ描いた。白山が素晴らしかった。白山市に暮らす人は白山に見守られて暮らしている。白山から流れ出る手取川川が、豊かな水田地帯を作っている。冬は厳しいのだろうが、豊かな土地だ。今は田んぼに水の入り始めた季節だ。

 7枚は描きたかったのだが、そこまではできなかった。それでも日々の一枚は続けようと。じつはカメラの中には写真はあるのだが、パソコンに取り込めなかった。今朝は雨で白山も見えない。仕方がなかったのだが、目の前に鏡があるので、自画像を描いた。

 自画像を描くことはない。人物を描くということもない。それでも描いてみると面白いこともある。なんでもやってみるものだ。またいつかここにきて、白山を描くことがあるかもしれない。水彩人の仲間のおかげで面白いことができる。
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満天の湯・道の宿 白山インター店

2023-04-29 04:16:58 | 日帰り温泉
 




 松任に来てスーパー銭湯に泊まっている。好きなスーパー銭湯に1週間も泊まれて、大満足である。そもそも、スーパー銭湯で生活したいぐらいなのだ。スーパー銭湯で飲んだくれて、そのまま寝て、朝起きたら農場に出かける。そしてアトリエカーで絵を描く。これが私の理想とする生活かもしれない。

 以前名古屋のほうのスーパー銭湯で暮らし始めた、銭湯生活者のテレビドキュメントを見たことがある。ともかく一日居られる。自分のロッカーも確保して、そこに所持品を保管している。一日650円として、1か月2万円なのだからネットカフェよりましだろう。仮眠できる場所もあり、安い朝食など出すところもある。今そういうことができるスパー銭湯はなくなったようだ。

 スーパー銭湯のどこがいいかといえば、何といってもサウナである。様々なサウナがあり、安く入れる。サウナに入れば、当然出て一杯やりたくなる。しかし、車で家に帰るのだから、飲むわけにはいかない。そこに泊まるところがあれば、憂いなく飲んで寝ればいい。

 だから、上野展覧会があるときであれば、北欧でサウナに入り、飲んで寝る。これが一番なのだ。そういえばサウナ映画の舞台に北欧はなったそうだ。私としては北欧よりも新しくできたしずくのほうがいいのだが。北欧も確かに良い。良いことは良いが少し古いのかもしれない。

 大した違いはないのだが、北欧はなぜかアメ横のど真ん中にあるので、何となくいかがわしい。アメ横で飲んでそれから泊まるにはちょうど良い。年寄りが受付にいるイメージがある。しずくは若者が受付だ。どっちも同じかもしれないが、サウナのいかがわしさがしずくのほうがない。しずくは女性向とあり、北欧はサウナの殿堂である。

 サウナが30年代にでき始めたころは、いかがわしい場所の時代がある。渋谷のリキパレスのイメージ。あの記憶がまだ抜けない。台湾のサウナは今でも売春場の関係がある。と観光ガイドブックにある。断れば大丈夫とあるが、さすがにそいうサウナに入りたくない。今の日本のサウナはそいうことは想像もできない。それでも昔の記憶のあるものはまだいくらか不健康サウナの印象が残っているのだ。

 満点の湯は、ビジネスホテルと合体している。しずくや北欧は、カプセルホテルと合体なのだ。カプセルホテルも嫌いじゃないのでそれでもいいのだが、マンテン・インは少し余裕があり、部屋でこうやって、ブログを描くこともできる。となると上野ではドウーミーインなのだが、サウナがさすがに物足りない。

 満天の湯が素晴らしいのは5階の北側の部屋に泊まらせてもらえれば、白山が見えるのだ。夜明けの白山、夕暮れの白山を描くことができる。冬だって大丈夫だ。これはほかにはない素晴らしさである。部屋で絵が描けるホテルは案外に少ないのだ。8号線沿いにはいくつかあるのだが、そこにはサウナがない。

 満点の湯には高温タワーサウナとハーブスティームサウナの2つがある。高温といっても90度ぐらいだから、今では中温ぐらいかもしれない。スチームのほうでは薬草の薫りが心地よい。塩も用意されているし、シャワーもあるから、塩で体をこすりたい人には貴重なサウナだ。ただ寝転がっている奴がいるのでこれは良くない。マナー違反だ。

 低周波マッサージ風呂というものがあり、これは初体験。筋肉が自然に動く奴だ。結構強力なので、本当に効果があるかもしれない。特に腹筋あたりにぐいぐい来るので、へそ周りが1センチぐらいは細くなるかもしれない。心臓にわるいのではないかと思いあまり長くはやらなかった。

 露天風呂は3つもあって、薬草湯は川芎せんきゅう湯が毎日だった。そのほか光明石湯というのは、よくわからないがイオンがどうこうの効能があると書いてはあった。特に霊験あらたかというほどではなかった。あまり強くはない炭酸泉もある。なんでもあるのだが、打たせ湯がないのが、残念なところかもしれない。

 北陸地方に7店舗あるらしい。富山とか、福井に行く用事があれば、泊まってみたいと思う。まずそういうこともなさそうだから、また泊まるとすれば、松任ということになるのだろう。松任の展覧会は悪くない。なかなかない立地で会場がいい。

 食事に関しては周辺には何もないから、松任駅周辺で食べるほかない。満天の湯には「食事処どうだん」というところがある。味のほうは意外に良かった。特別ではないが、十分で不満はない。スーパー銭湯の食事処としては良いほうではないだろうか。

 朝食が700円でたっぷりの健康的なおかずがあった。ヒジキや野菜サラダがついている。納豆、のりももらえる。生卵ももらえればさらにいいのだが、最近高いのでくれないのだろうか。750円でも卵付きがいい。朝食さえしっかり食べれば心配がない。

 夜はここで生ビールが飲める。これが一番搾りなのだがかなりうまい。近くで作るところがあるのだろうか。サウナの後はやはり生ビールだろう。アジフライは新鮮でおいしかった。最近はいつの季節も枝豆がうまい。枝豆の冷蔵技術が進歩したのだ。日本酒やハイボールなど、一通りある。今日はイカゲソフライにするか。

 スパー銭湯採点
1、清潔度「9」かなり良く掃除がされている。
2、泉質「7」温泉ではないが、工夫がある。
3、環境「7」国道沿い、白山インターが近い。
4、食事「7」当たり前で、満足する範囲。
5、湯船施設充実度「9」サウナはテレビあり。温度も90度で良い。タワーサウナは圧巻。そこそこ広く混んではいない。薬草サウナも、塩サウナも悪くない。水風呂も水温17度前後で、すっきりできる。
6、従業員の対応力「9」てきぱきしている。間違いがない。
7、コンセプト「8」多様な風呂は素晴らしい。特に低周波風呂は研究の余地あり。サウナマナーも悪くない。しゃべる人はいない。
8、価格満足度「9」650円は今時安値。
9、全体施設「8」かなり満足だが打たせ湯がない。
10、アクセス「7」そう便利な所ではない。車社会なら問題ないのだろうが、バスの本数が少ない。

総合点80点。過去第2番目一番も松任の海のほうにあるのだから、北陸スーパー銭湯恐るべし。日常使える環境に暮らしている人が羨ましくなる。
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スーダン日本人脱出成功

2023-04-28 04:56:25 | Peace Cafe

 スーダンで内戦が起きた。以前から内部抗争は続いていた。それが激化して内戦化した。スーダンの飛行場で戦闘が起き、飛行場の使用は不可能になり、空路の脱出はできなくなった。陸路脱出した。相当難しいと思われたが、日本人を含め外国人は次々に無事脱出し、今のところ戦闘に巻き込まれた外国人は2人と報道されている。

 スーダンの内戦はかなり複雑なもので、理解しにくいのだが、民主化勢力と独裁勢力の戦いがあり、軍隊二つの勢力に分かれて戦う内に民主化の動きは消えてしまったようだ。世界中で起きている、強権政治の動きの一つのように見える。

 今回、50人余りの日本人の救出に自衛隊機が3機隣国ジプチまで行き待機した。陸路の脱出は30時間ぐらいかかったと書かれている。私がこの脱出に興味を持ったのは、石垣島に住んでいるから他人事ではないからである。この50名から見ればその1000倍の5万人の石垣島脱出は果たして可能なことかということである。

 政府は基本自助を求めている。自分で逃げろというのが、石垣島の避難計画の基本の考え方である。5万人が乗れるような飛行機はない。飛行場は爆撃されて使えない可能性が高い。もちろん港湾も同じようにミサイルが撃ち込まれる可能性がある。自衛隊は脱出にかかわれないとなっている。

 泳いで逃げろとでもいうのだろうか。与那国島ではシェルターを希望している。一体シェルターで何とかなるのだろうか。与那国島の2000人くらいなら何とかなるかもしれないが、石垣島の5万人は無理だろう。何日ぐらい隠れる予定なのだろうか。もっとおかしいのは波照間島である。まず、波照間島から、石垣島に逃げるのだそうだ。

 なぜ、波照間島から逃げなければならないのだろうか。遠くに孤立する波照間島にそのままいればいいだろう。むしろ私は波照間に避難したいぐらいだ。逃げなければならないような理由が見当たらない。石垣島に脱出すれば、それは確かに危険がます。何しろ石垣島には中国の軍事基地に向けて攻撃用のミサイル基地がある。

 中国の軍隊が普通の知恵があればまず何をおいても、石垣島や宮古島や与那国島のミサイル基地をミサイル攻撃するだろう。基地のない、なんの武器ももたない波照間島を攻撃する理由などどこにもない。当たり前のことだろう。この当たり前がわからないのが政府と行政である。

 なぜか、波照間から石垣に逃げて、さらに九州のどこかまで逃げることが想定されている。それも民間船で行うらしい。民間船はフル稼働したところで到底足りない。波があれていれば波照間航路自体が欠航である。石垣島の住民5万人がどうやって逃げるのだろうか。そんな船はどこにあるのだろうか。自衛隊の船は攻撃されても仕方がないのだから、民間の船で逃げなければならない。

 そもそも沖縄本島の人たちが九州に逃げるとすれば、次は日本人がアメリカに逃げることになるのか。ともかく荒唐無稽の計画にしか見えない。石垣島の安全は、ミサイル基地を作らないことだ。基地がなければ無視してくれる。中国を仮想敵国にしたいアメリカと日本政府は、わざわざ尖閣問題を棚から降ろしたのだ。

 現実にはあり得ない避難計画を行政が自衛隊の指導で作っている。いったいこれは何のためか。アメリカのため以外の何物でもない。石垣市民はミサイル基地ができたために、危険にさらされるようになっただけだ。それは本土の日本人とアメリカ人のための前線ミサイル基地だ。

 ミサイル基地は中山市長が作りましたと碑を立てておけ。こんなものを誘致した中山市長は石垣島の歴史にその行為を明確に記載しなければならない。きっと普通の人が住めなくなった石垣島に、こんな島にした市長がかつていたが、その市長を選んだのは石垣市民であった。と刻まれた石文である。

 スーダンにいた日本の方々は、皆さん尊い仕事をされていた方々である。JAICAで農業協力をしていたり、国境なき医師団の医師の方。日本人として感謝している。その方々はみんなさんスーダンの人々のために働かれていた人が多い。残念なことである。

 スーダンの政府や反政府の人たちにどういう理由があるのかはわからないが、世界中で戦争という無駄な争いがおこる。権力を握りたいという野蛮な思いが、この行き詰まった世界で世界中で起こっている。民主主義が武力主義によって世界中で押し切られようとしている。

 資本主義の競争が激化していることが原因である。競争に敗れることが、努力が足りないとか、自己責任であるとされる世界である。能力主義という差別。その国が置かれた歴史や条件など顧みられることがない。それならば武力を持って抵抗しようと考えることになる。

 スーダン日本人脱出は良かった。幸運であった。しかし、1万6000人いるというアメリカ人は脱出不可能が現状である。アメリカロシア中国と大国の利害が資源豊かなスーダンでぶつかっているのだ。ある意味代理戦争が起きている。スーダンの国づくりが大国の利害でほんろうされているのだ。

 アメリカ人でまず退避できた1000人は外交官関係。そのほかの16000人は取り残され脱出が難しいとされている。(ニューズウイーク)外交官から狙われているのがスーダンの戦闘らしい。アメリカ人がこれほど多数スーダンにいる理由がよくわからない。

 
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中川一政の絵

2023-04-27 06:09:10 | 水彩画


 松任の駅のすぐ隣に、中川一政美術館がある。金沢に来たら必ず寄る。見るたびに、中川一政のすばらしさが増してくる。時代が変わって絵の価値が明確になってきている。絵が中川一政氏その人なのだ。中川一政氏が素晴らしい方だから、絵が素晴らしい。

  その人であるということがどれほどすごいことかと思う。水彩人展を開催している「うるわし」はすぐ隣なので、毎日でも見に行くことができる。毎日見に行き思うことは、中川一政の絵より下手な絵は、水彩人にはない。水彩人の絵は上手ではあるが、絵ではまだない。

 私の絵もまだ絵ではない。絵に届くためにはまだまだ時間がかかりそうだ。絵になるためには、まずは借りてきた、様々学んだものを脱ぎ捨てなければならない。中川一政の絵は自分の目だけで描かれている。他人の見つけた美術を全く材料にしていない。

 自分の見ている世界だけを頼りに、絵を描こうとしている。その結果が90歳を超えてから現れてきている。もし中川一政氏が90歳で死んでいたとすれば、まだ到達していないことになる。90歳以降の絵があるから、90歳まで描いた絵の意味が明確になる。

 90歳以降に描いた絵の世界に至るために、ただ自分の目を信じて描き続けたということになる。あのすさまじい苦闘の絵「箱根駒ケ岳」シリーズはなんと74歳から始まったという。たいていの日本で絵を描いていると称する人は、74歳になると上手に自分の絵の模写を始める。

 画家という名の美術工芸品を作る職人になっている。世間がそうさせるのだろう。だから、大体の場合、50歳を過ぎると絵が衰えてゆく。自分の画風を作るまでがまだましな時代ということになる。中には20代ぐらいで自分を決めて、あとは磨き続ける人さえいる。

 そうした人の絵は生きている間はまだしも、死んでしま絵はたちまち消えてゆく。歴史を超えて残って行くような絵はまずない。人が死んでも絵が永遠に生きてゆく。そういう絵は極めて少ないのだろうが、中川一政氏の絵は確実に輝きを増してきている。

 私の絵を見る目が進んで、中川一政氏の絵を見ることができるようになったということもあるかもしれない。昔から目標で、春陽会に出品したこともあった。そうしたら、その年で私は春陽会をやめるという挨拶があった。そのまま春陽会には出さなかった。

 それでも何度かお話を聞く機会があったことは私の宝である。指針になっている。絵の描き方は学んだわけではないが、絵がどういうものかは学んだと思う。目指している「私絵画」はそこにある。絵を描くということが目的になる。絵が描かれた絵ではないのだ。描くことの意味を問う。

 宮沢賢治の作品を思った。森鴎外は文豪と呼ばれたのだが、今ではまず読まれることはない。宮沢賢治は童話作家ぐらいに呼ばれたのだが、今その本質が輝き始めている。多くの人に読まれ続けている。結局、賢治の生き方が書かれているからだ。

 あと50年たてばそのことはさらに明確になる。あと50年たてば、東山魁夷や平山郁夫の作品は埋もれてゆくだろう。しかし、中川一政の絵はどんどんその意味を増してゆくはずだ。宮 沢賢治が世界で評価されてきたように、中川一政の絵は日本の絵画の代表になっているだろう。

 そこにあるのは中川一政氏の精神の高さである。それは日本の絵画が明治期に、西洋絵画の影響で目覚めて、新しく日本の精神を模索した結果である。禅の精神に基ずく絵画である。中川一政氏の絵はまさに高僧の絵である。絵が人間をそのまま表すところまで行っている。

 絵は比べるものではないから、中川一政の絵と比べるわけではないが、自分の至らなさばかりが目立つ。絵に迷ったら、中川一政美術館に来ることにする。中川一政の絵は私の基準点である。確かな方角を示している。方角に迷ったときに、見れば羅針盤のように方角が確認できる。

 絵の力はそうしたものなのだろう。到底及ばないことだが、いくらかでも学んで恥ずかしくない、絵を描くことにしたい。箱根駒ケ岳の連作が74歳で始めたものだというのだから、よしこれから、「のボタン農園シリーズ」を始めても遅くはない。
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子供と学ぶ

2023-04-26 05:31:16 | 楽観農園


 のぼたん農園では崎枝小学校の子供達と、学校田んぼを行う。「子供達と一緒に考える。」これが私のテーマである。一応の一年間のスケジュールはあるが、興味に従って、「稲のことをよく見て行く。」ことにしたい。一緒に何かをみつける事が目標である。そこには正解はない。

 田んぼの学習では子供達自身が、見る力、感じる力、考える力、などを培う場になればと思っている。まずは、私自身がおもしろそうなことをやりたい。稲に関する知識は伝えるということはあまり考えないで、種を水田に蒔くと芽が出てくる。その不思議になぜという視点でみられること。

 稲をよく観察すると行っても、稲を見る様々な角度から、子供が考える要素を挙げて行きたい。お米はイネという植物の何なのだろうか。どうして稲はお米を実らすのか。一粒のお米にある様々な自然の現れを見て、考えることができるようになりたい

 芽が出た稲がどのように葉を出してゆくのか、イネの葉は何枚あるのか。どうすれば稲の葉を数えることができるだろうか。番号を書いて、順番に追っていく。ほかの方法を考える子供が居ればぜひ試してもらう。稲の大きさは何㎝あるものか。稲の葉の色はどんな色なのか。濃くなったり黄色くなったり、色々に変わって行く。穂はどうやって出てくるのか。

 稲がお米を実らすまでの過程で、毎週子供たちに稲を見る課題を考えたい。稲と水の関係。稲と田んぼの土の関係。田んぼの生き物観察。子供がなぜだろうと思うようになるための、材料の提供。稲はなぜ生長するのだろうか。正解などではなく、成長することのなかにある大きな疑問に気づく。

 「水」の観察の方法。水温を図る。地温を図る。水はどこからきているのかなぜ地中から水は沸いているのだろうか。崎枝の井戸についての学習。井戸があったので崎枝に人が暮らすようになった。人は水がなければ暮らせない。いつ崎枝に水道が来たのだろう。

 崎枝の田んぼの土はどんな土だろう。粘るのだろうか。形はできるのだろうか。乾いたらどんなものになるのだろう。ひびが入るのだろうか。どのくらいの硬さがあるのだろうか。稲はその地の中にどんな形で根を張っているのだろうか。

 田んぼ体験をしながら、生命のある者の成長の姿を見ることができればと思う。見てその不思議を感じて、なぜだろうと考えてみる。それは私自身の疑問である。子供をとして、私が知りたいことをよく見ることにしたい。

 
 
 
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松任「うるわし」第25回記念 同人・会員展

2023-04-25 04:13:17 | 水彩画


水彩人 第25回記念 同人・会員展

会 期  2023年4月26日(水)~4月30日(日)
     10時~17時(最終日16時まで)※入場無料
水彩人は、例年9月に東京都美術館で開催している水彩画専門の公募団体です。
この秋に25周年を迎えるにあたり「うるわし」にて水彩本来の美しさが感じられる20号までの作品を展示します。
是非ご高覧下さいますようお願い申し上げます。
 
会 場  白山市 市民工房「うるわし」 
1階 企画展示室
石川県白山市殿町62-5
076-274-2511

※私は(笹村出)会期中会場にいますが、金曜日はおりません。

 石川県の白山市松任に来ている。松任に満天の湯と言うスーパー銭湯がある。会期中の一週間ここに泊まることにした。松任の駅から歩いて20分というから、会場の「うるわし」までは20分はかかるのだろう。少し遠いいが、サウナがあるのでここに泊まることにした。

 10時からうるわしの会場は開くので、朝の内は絵を描くことにする。松任という街のことはよくは知らないのだが、屋上からは白山がみえると書かれている。上層階だと窓から白山が描ける。松任は歴史のある街だから、絵になる場所があるかも知れない。

 絵は無事にかゆう堂についているだろうか。中盤全紙を2点出品する。宅配便で送れる限度である。今回全員が宅配便だけで輸送をすることにした。かゆう堂という画材屋さんに、搬入と展示の協力をお願いしてある。かゆう堂さんに昨日までに絵はついているはずだ。

 今日一日かけてゆっくりと会場準備になる。何人ぐらい集まるだろうか。5人いれば大丈夫だ。多分大丈夫だと思う。前回の経験があるから大体の要領はわかっている。今回は中盤全紙ぐらいが最大のサイズなので、会場に余裕はあるはずだ。ゆったりとした絵がよく見える会場にしたい。

 水彩人第25回記念 同人・会員展


白山市 市民工房「うるわし」  2023年4月26日(水)〜4月30日(日)


1 秋元  由美子  祭壇を整う女 F10  竹刻筒に薔薇 P20  千葉
2 淺田  ようこ  甘いかおり  京都
3 畔上  撫子   赤いバック  F20  或る日の午後 52×67  東京
4 いとう ゆきこ  アトリエⅠ  F10 アトリエⅡ  F10  埼玉
5 稲村  美保子  葉牡丹A 10  葉牡丹B 10  千葉
6 大原  裕行   十二単 100.3×48  穂  100.3×48  千葉
7 奥山  幸子   想いⅠ F20縦  爽やかⅠF6横  神奈川
8 金田  勝則   けあらしと白鳥 M20  流木 M20  北海道
9 北野  喜代美  窓辺の夕陽Ⅰ F15  窓辺の夕陽Ⅱ S30 石川
10 栗原  直子   レモン F6 縦 ベコニア 20変横  東京
11 小峰  千惠子  遊 F10 忘れもの  F10  東京
12 昆野  朋代   春の出会い 古木の秋  埼玉
13 榊原  康之   秋から冬へ P20  浅春 P20  千葉
14 笹村  出    輝喜名さんの庭 中判全紙  光の庭 中判全紙  沖縄
15 佐瀬  芙美子  音楽Ⅰ 音楽Ⅱ  千葉
16 杉浦  カヨ子  夏の花 F20  秋の花 F20  千葉
17 関   とも子  とっくり湖散策 20  おそるおそる 20  奈良
18 瀧川  信介   雪来る、爺ヶ岳・鹿島槍10号大 五月.穂高 10号大 神奈川
19 西   凉子   ざぼん きざし 枯れる 10  千葉
20 疋田  利江   波の音 F20  千葉
21 平澤  薫    工場地帯の舟 P12横  神奈川
22 松田  憲一   青の景 F20  青のある景 515×728  神奈川
23 三橋  俊雄   風景  千葉
24 山下  美保子  春の風に乗ってⅠ F20  春の風に乗ってⅡ F20 千葉
25 山平  博子   夏樹 冬樹  北海道
26 米倉  三貴   記憶の中の未来 F20 新たな始まり F20  神奈川
27 渡辺  莞二   早苗の頃Ⅰ F15  早苗の頃Ⅱ F15  千葉
28 相川  恵美子  晩秋に朱いつるの実 グリーンの居場所  千葉
29 五十嵐 君枝   蒼日 25  福島
30 石井  博子   静物になった動物 F20  静物になった土 F15  千葉
31 井上  奈保子  夕暮れ 帰り道  東京
32 井上  るり子  春のおとずれ 思い出  神奈川
33 木村  文乃   波 S15  静寂 S15  千葉
34 杉山  昭    作品23−07  千葉
35 高橋  皐    熱海峠の見える風景 F10  千葉
36 伊達  賀代子  ささやかな日々Ⅰ ささやかな日々Ⅱ  埼玉
37 谷中  恵美子  小菊 いろいろ 小菊 いろいろ  千葉
38 はるき      Dreessing M12 連ねる M1  千葉
39 菱沼  幸子   おもかげ めぐり来て…  埼玉
40 堀   美恵子  春 ハーモニー S20  愛知
41 真壁  良子   おにゆず P15 ホウライショウ P15  東京

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日本人の寿命が短くなった。

2023-04-24 04:12:04 | Peace Cafe

 「福井戸」と呼ぶことにした。のぼたん農園の南西の角にある。田んぼの水が土壌に浸透したあと、もう一度ここに集まっている。田んぼの水の60%は地下に浸透して、地下水になると言われている。その水を集めてまた上の溜め池までポンプアップしている。

 2月の渇水で、田んぼの水が足りなくなり、この循環式の井戸を掘る他なかった。降った雨を最大限利用する以外に天水田は困難である。この位置なら、下に田んぼがないから迷惑をかけない。そしてここなら水があるという福仲先生の判断だった。

 2021年の死因別の分析では、新型コロナによる影響だけで男性は0.14歳、女性は0.09歳、平均寿命を短くする効果があったとのことだ。2021年時点の男女別の平均寿命の世界ランキングによると、男性はスイス(81.6歳)が首位で、日本はノルウェー(81.59歳)に抜かれて20年から順位を1つ落とし、3位になった。女性は日本が1位を維持し、韓国(86.5歳)、シンガポール(85.9歳)が続いた。

 米国でのコロナによる平均寿命の下落幅が最も大きかったのはラテン系の人々で、次が黒人の人々だった。米国では人種や民族による社会経済的な格差が以前から存在しているが、コロナ禍のなかでそれがさらに増幅され、健康に深刻な不平等が生じていることを示すデータだ。
ーーー日経新聞

 年寄と貧困層の人々がコロナで比較して多く死んだ結果である。これは2022年の方が多くの人がコロナで死んだのから、さらに日本の平均寿命が下がることになる。長年日本の平均寿命は世界の1,2だったのだが、3位に下がり、たぶん22年はさらに下がることと思われる。

 寿命が下がると言うことはまさに日本の停滞がそこに現われた結果だと言える。コロナ対策の失敗という、人口減少も停滞の現われなのだが、寿命の低下は深刻な現実が現われたと言える。まあ年寄が減少するのは日本経済にプラスだと、政府の計算が働いているとまでは思わないが。

 日本のコロナ対策は年寄に関して言えば失敗だったのだ。年寄の外出禁止をやれば、病院崩壊も経済停滞も起きなかった。コロナに関して厚労省が発表していた様々な数値に関して、死者数だけを重視していた。死者数だけは大きな嘘はつけない。去年今年のコロナ死者数は一気に大きくなっている。

 そして、次の第7波(死者数で見ればそうなる)の流行の兆候が見えてきた。しかし、政府はもう経済優先で行くしかないとコロナ対策をやめようとしている。それが自助の国ということなのだろう。年寄りは自ら感染対策を続けるほかない。

 私は感染対策を変えないつもりだ。まだというか、死ぬまでというか、マスクは必要なところではするつもりだ。そのほうが感染症対策になるということだ。つまらないことで死にたくない。コロナが終わったとしても次の感染症がいつ現れるかわからない。

 私の素人判断ではコロナはミンク養殖から起きたとみている。ただしこの見方は誰も言わない。たぶん間違いなのだろう。それでもそう思えて仕方がない。様々な原因説が流布され、陰謀説や細菌兵器の研究所流出説まであった。

 劣悪な環境でひどいエサでミンクは膨大な数中国で養殖されている。まさに動物虐待の極致である。毛皮利用だからだ。デンマークではミンクがコロナに感染したことを契機にミンクすべてを殺処分することになった。毛皮養殖自体を止める方向になっている。日本は止めている。

 中国の毛皮産業は近年急激に拡大した。中国でもミンクはコロナに感染する。劣悪な環境でコロナに感染したミンクがいても不思議ではない。ミンクの間で、感染の連鎖が起きたに違いない。その連鎖からコロナウイルスが変異して、人間に感染しやすいものに変わった可能性はある。

 大規模畜産には必ずこうした危険がある。養鶏も養豚も同様である。あまりに畜産が巨大化している。しかも薬漬けである。その中にウイルスが入り込み、感染の連鎖から強毒化する可能性が高い。人間はやってはいけない規模まで畜産を巨大化させたのだ。特に食糧と関係のない毛皮養殖はひどい環境である。

 そのために感染症の出現を防げなくなっている。これは高病原性鳥インフルエンザの出現で養鶏業をやめたざる得なくなったときに、そう考えるようになった。鳥インフルエンザは今も周期的に起きている。それを思うととても養鶏業をやる気にはなれない。

 一定数以上の家畜を狭い場所に飼えば、感染症の連鎖が起こる。連鎖が起こればウイルスの変異が起こる。この流れは必然である。大型畜産はやめなければならないのだ。鳥インフルエンザ流行の時に必ず人間に感染する感染症が起こると予言した。そしてその結果がコロナウイルスである。

 なぜか、ミンク養殖原因説はどこにもない。なぜなのか不思議でならない。野生の蝙蝠が、野外での山東省のミンク養殖のミンクに感染を広げるということはありうるだろう。そして感染の連鎖が起こり、人間に感染しやすいウイルスに変異した可能性はないのだろうか。

 10年前以上から大規模畜産の危険を訴えてきたが、残念ながら少しも伝わらない。むしろ畜産はより巨大化を続けている。まずは毛皮はもうやめよう。富裕層の象徴のようなミンクの毛皮など、グロテスクではないか。あんなものを着ていい気になっている人を、憐れむことにすべきだ。

 実はここで自己批判をしなければならない。私が使っている水彩画の筆はすべてイタチあるいは赤テンのしっぽの毛である。コリンスキーという。筆毛の中で最高のものなのだ。本来使ってはならないものを使って絵を描いている。代替品がないのだ。ひどい奴だ。

 イタチ、赤テンと言われているが、実際には養殖ミンクではないかと思われる。書道筆も特に仮名文字では今や良いとされる筆はミンクが多い。墨の含みがよく、ほかの素材の筆よりも書きやすい。最近は化粧のための刷毛やネールアートの筆もミンクになっている。

 今ある筆を大切に使うほかない。羊や馬なら良いのかと言えば、それだって難しい。代替品のナイロン筆というものもあるのだが、とても使えるものではない。弘法大師ではないので仕方がない。新しい筆を買わないでいる内になんとかナイロン筆が使えるようにならないものか。

 今までの日本人は医療が良くなり、子供の死亡が減少したので、寿命はどんどん長くなった。しかし、食べ物は確実に添加物が増加し、環境の汚染、マイクロプラステックは体内にまで蓄積を始めている。こんなことでは当然寿命は下がり始めるだろう。

 団塊の世代までが、子供時代にまともな食料を食べていたのかも知れない。ガンの死亡率の現象など見ると今も医療の進歩は素晴らしいものがある。しかし感染症の出現はコロナで終わらないだろう。免疫力を付ける生活をしてゆかなければならない。キムチ納豆にヨーグルト。適度な運動。十分な睡眠。
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第158 水彩画 日曜展示

2023-04-23 04:37:45 | 水彩画
第158 水彩画 日曜展示

10号前後の作品です。






198「花瓶の花」
2023.4






199「海夜明け」
2023.4







200「のぼたん農園」
2023.4






201「一本杉」
2023.4





202「月の海」
2023.4





203「屋良部岳」
2023.4





204「夜明け富士」
2023.4






205「瀬戸内」
2023.4






206「オモト岳」
2023.4


 石垣島の一番過ごしやすい季節である。のぼたん農園で絵を描いていて、過ごしやすい。一日があっという間に過ぎて行く。陽射しはもう真夏と変わらないのだが、まだ30度にはならない。雨は週に一回ぐらいだ。

 霞んでいる日が多く海の色はもう一つだ。山の色は複雑な様子をしている。亜熱帯の常緑樹の色の変化にはまだついて行けない。海の色も毎日見ていると、複雑なものだと思う。日々刻々変わって行く。変わって行く海の変わらないものを描く。

 来週から松任に行く。26日から水彩人展が「うるわし」である。2点出品する。会期中は会場にいる。絵は日々の一枚なのだから、朝早起きして描きたいと思っている。少しは描けるだろうか。ただ、金曜日だけは東京に日帰りしなければならないので、会場に行けない。


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日本と台湾の関係

2023-04-22 04:59:38 | Peace Cafe


 パフィオ.ロスチャイルドディアナム 今年は2つ花茎がたった。花は3輪である。石垣の気候に合っているようだ。こんな素晴らしい花が、特別なことをしないで咲いてくれるのだから嬉しくなる。肥料はやったことが一度もない。ボルネオのキンナバル山に生息している。

 中国は台湾は自国領土の一部であると主張して、武力的な併合も辞さないとしている。アメリカの上院議長が蔡英文総統と会談したと言うことで、また台湾島の周辺で軍事演習をしている。いつでも台湾に軍事侵攻できるのだと、威圧しているつもりなのだろう。そんなことをしているから、台湾の人は中国が嫌いになるのだ。

 習近平政権が香港の民主主義を弾圧した姿を見れば、中国に併合されたいと考える香港や台湾の人は極めて少数派だっただろう。一度自由を体験した人達は独裁政治を受け入れがたいと考えることが自然だ。あんな形で香港の民主主義を押しつぶすのでは、そんな国に加わりたいと考える人がいるはずがない。人間にとって自由ほど大切な価値観はない。

 フランスのマカロン大統領は台湾問題には関わらないと発言した。ヨーロッパから見れば、台湾は遠いい国である。ヨーロッパは中国との経済的繋がりが強く、台湾併合を容認すると発言して、中国にこびを売っているのだろう。ヨーロッパ諸国の大半が、台湾が併合されたとしてもさしたることはないと考えているようだ。果たしてその選択は正しいのであろうか。

 ウクライナがロシアに占領されても、日本には遠い国の事だと言っている訳には行かない。ウクライナ支援を表明している。フランスほど利己的ではない。軍事力による現状変更は許されないという日本政府の主張が正しい。遠いいとか、利害とかとは違う、侵略戦争に反対するのは正義の問題である。正義を打算で計るフランスのような国はそもそも信頼されない。

 もし台湾が中国に併合されてしまえば、日本はアメリカの属国から中国の属国にならざる得ないところまで進むと考えて置いた方が良い。韓国もフィリピンも同様の経過となるのではないだろうか。その理由はアメリカの支援なしに、東アジアのどの国も、単独で中国と対立してゆくことは不可能だからだ。

 それが核保有国が存在する世界の軍事均衡である。中国にあくまで、対抗していくというのであれば、日本も核保有まで進むほかなくなる。そして世界の軍事緊張が高まり、最後は核戦争になりかねない。まだ小さな芽の内に侵略戦争を止めなければならない。スーダンの内戦と台湾併合とは意味が違うのだ。

 今の中国と接近すると言うことは、民主主義が軽視されてゆくと言うことにならざる得ないだろう。基本的な価値観が違いすぎる国に従わされると言うことは、耐えがたいことである。たぶん日本は停滞から衰退へと進むことになるのだろう。

 アメリカと日本は基本的価値観が大まかな方角としては、共通する国だ。例えば、WBCを自由に戦い、互いにたたえ合うことが出来る。果たして、今のロシアの選手と開かれた気持ちでスポーツ競技を戦うことが出来るだろうか。違和感が生じるような気がする。先日行われた石垣島でのロッテ対台湾の楽天モンキーズはとても楽しかった。

 日本が台湾の防衛に協力すると言うことは重要な政策になる。もちろん武力的な協力ではなく、経済的、外交的に台湾の支持を明確にするべきだ。そうしなければ、正義が通らないときは来る。確かに日本は中国と国交があり、台湾とは正式な関係はない。

 しかし、心情的にも、また経済に於いても台湾の方が日本にとって重要なお隣の国なのだ。経済に於いては産業の要である半導体である。台湾の半導体産業が中国に吸収されたとすれば、自由主義陣営の経済は大打撃を受けることになる。これ以上習近平政権の独裁政治を増長させてはならない。

 中国にも必ず高度成長が止まるときが来る。まだ成長予知が大きいとしても、必ず経済停滞は来る。それを乗り越えることは独裁政権には難しいことだろう。暮らしが豊かになるので、自由が制限されることを我慢しているのが今の中国の普通の人達だろう。

 あと5年ぐらい様子見ている必要がある。時間が経過すれば習近平の次の時代はくる。その間に台湾侵攻はないとみている。中国の経済成長はまだそのくらいは続く。その意味では北朝鮮とは違う。自由の制限された監視社会とは言え、中国人は今の世界の情勢を理解している。

 今の台湾とその支援国にとって必要なことは明確に台湾を支持するという姿勢を打ち出すことだろう。本来フランスも自由主義の国としてそうしなければならないのだ。アメリカ、日本、韓国、フィリピンが台湾の武力的併合を許さないと意思表明することだ。平和的な併合策を模索することだ。台湾の民主主義を守りながらの、新しい統一の道も模索できるときが必ず来るだろう。

 G7広島では民主主義国として、台湾の軍事的併合を許さないという姿勢を打ち出さなくてはならない。バイデン大統領は台湾防衛を正式に表明している。これが今一番台湾にとって大きな中国軍事侵攻への抑止力になっている。

 アメリカも一国主義勢力が台頭して、このバイデンの主張を馬鹿げたリスクだと批判されている。しかし、台湾が中国化されることで怒る自由主義陣営の弱体化の方が、はるかにリスクが高いと考えなければ成らない。ロシアと中国が行う軍事力による現状変更は阻止しなければならない。

 台湾が中国独裁に飲み込まれることは、人類にとって最も大切であり、また希望である「自由の価値」が失われることになる。これはどうしても許してはならないことだ。また中国が台湾を含むことで、その覇権主義を近隣諸国に及ぼすことになるだろう。
 
 台湾の経済的成功は、日本韓国台湾の一人当たりのGDPはほぼ同じくらいにある事でも分かる。特に台湾韓国は小さな自由主義国家のめざましい成功事例である。シンガポールや香港も日本よりはるかにGDPは上であるが、香港の経済は中国の政治経済の影響でこのところ停滞を起している。

 日本は対中国のミサイル基地を南西諸島に作るなど、まったく無意味である。台湾侵攻の抑止力にはなっていない。日本は平和主義で中国と交渉を行うべきだ。先ずは尖閣諸島である。尖閣の領有権は対話も主張している。尖閣を平和的に解決することが、今日本に出来る平和外交だ。
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末世時代の楽観

2023-04-21 04:25:27 | 楽観農園


 末世である。末世の中で希望を持って生きる方法。楽観である。社会がどういうことであるとしても、人間は楽観的に生きる事はできる。自分というものに必ず到達する。自分の絵を描くことが出来る。そのことは社会とは関係がない。自分と生まれて自分として死ぬ目的である。

 行き過ぎた資本主義が激しい競争になり、拝金主義が横行する世の中になった。このままでは人間は滅びるところまで行くのではないかと危ぶまれる。この解決策はどこにも無いかのように見える。社会全体を見渡せば、絶望するばかりだから、足下から出来ることをやるほかない。

 これが今の世の中に対する感想である。情けない残念な気持ちでいる。やるべき若い時代に何も出来なかったという後悔である。分かれ目は70年前後にあった。あのときに何も出来なかったために、今のこの末世があるのだと思う。あのとき出来なかったのだから、いまできることはない。それでも今、できる限りをしなければと思う。

 今自分に何が出来るのか。絵を描くこととのぼたん農園を作ることだけだ。わずかなことである。個人的なことかも知れない。社会が崩壊してゆく過程を見ながら、何をやっているのかと言うことになる。何が出来るのかは問わず、今やれることに尽くす以外に生きることはない。道元禅師だってそうだったのだろう。

 プーチンの軍事侵攻は想像を出来なかった。と言うことは次の戦争がどこで始まるかも想像できないということにならざる得ない。それが中国が覇権主義で、台湾侵攻をするだろうという想定が現実味を持つことになる。だから日本も中国を攻撃できるミサイルを持たなければならないという選択になっているのだろう。

 この選択は、日本が平和憲法を捨てて、軍事国家に変わるという大転換である。戦後築いてきた平和主義の終焉である。憲法の拡大解釈ではなく、憲法を無視して敵基地攻撃型ミサイルの配備である。それを大方の国民が仕方がないと受け入れている。まだまだ不足だというのが、自民党と維新の考えのようだ。

 ミサイルを配備する南西諸島には防人の島としての犠牲が強いられている。このことも大方の国民が仕方がないことだろうと、他人事としてみている。その理由を地政学的にとか言うが、最先端の優秀なミサイルであれば、東京に基地があっても石垣島に基地があったとしても変わらない。

 ところがJアラートを見れば、日本の探知能力は極めて水準が低い。どこにミサイルが落ちるのかなど、判断が出来ない。これでは確かに先制攻撃と言うことになるのだろう。先制攻撃なら近いほど良いだろうし、南西諸島が犠牲になるのが良いのだろう。と政府は考えている。

 東京にミサイル基地があれば、攻撃されたときに日本全体が崩壊する。南の離島に基地を置くのが合理的だろうと、つまり、南の離島の人間を犠牲にしての国防である。この防人の島は日本全体の犠牲になるために、どんな見返りを得たのだろうか。果たして感謝されているのだろうか。

 見返りどころか、マイナスばかり増えているではないか。ミサイル基地で良いことなど何一つない。沖縄を犠牲にしておけば良いというところは、少しも変わっていない。それはアメリカが、日本を犠牲にしておけば良いということにも通じているのだ。

 石垣島の住民はこうして切り捨てられて暮らしている。しかし、石垣議会の自民党と公明党の市会議員と、山中市長は自衛隊が守ってくれると考えているらしい。台湾や尖閣を攻撃するついでにまず、石垣島のミサイル基地を叩いておくことを、どうやって防ぐというのだろうか。

 ミサイル基地を石垣島の安全を高める施設だとしている人は、きちっと住民にその実際を説明する義務がある。特に中山市長にはその義務がある。日本の防衛省によると地上配備型の弾道ミサイル発射機数は2020年に533機あるそうだ。石垣のミサイル基地がどう機能して中国のミサイル基地すべてを攻撃できるのかを示す義務がある。

 誰がどう考えても戦力が違いすぎる。中国の基地一つを叩く間に、無数のミサイルが撃ち込まれると考えざる得ない。ミサイルで中国に対校できると考えるほど自衛隊も愚かではないだろう。石垣島を犠牲にして時間を稼ぎ、アメリカ様のお助けを待って、本土を守ろうというのだろう。

 愚かだと思うのはこんな形で石垣島を犠牲にするミサイル基地を誘致した中山市長である。自民党と公明党の市会議員である。人間は一体何故こんな選択をしてしまうのだろうか。今も自衛隊歓迎、石垣島の防衛に感謝します。こんな看板が目立つようになった。

 悪い空気である。気持ちの悪いことだ。そのうち、こういうことを書くような輩は押しつぶしてやると、圧力がかかるだろう。覚悟はしている。こうして戦時体制に進むのだろう。強い者を忖度して、何も言わなくなる。すでにそういうみえない圧力が起きているの考えた方が良い。

 商売人であったり、親戚関係であったり、建設業関係者であったり、自由にものが言いにくい状況は生まれているのだろう。私は社会との繋がりが薄いからものが言いやすいのだろう。私に圧力をかけようにもたいした因縁がない。

 ある日ミサイルで破壊されるとしても、やるべきことは変わらない。これはあり得ない大げさなことを書いている。実際には中国は台湾侵攻はしないとみている。まだまだ中国は経済成長の余地がある。経済が成長してゆけば、台湾との関わりも変化する可能性がある。経済関係が深くなれば、何か新しい状況が生まれるかも知れない。
 
 社会を考えれば、絶望的な気持ちになる。それでも今日ものぼたん農園の完成を目指して、やれることをやる。それ以外にないと考えている。自給農業の形をなんとしても実現する。毎月稲刈りをする農業を実現する。畦で行う畑を実現する。水牛を使う伝統農業の形を石垣島に残す。そんなことに意味があるのかと言われればそうなのだが、私に出来ることをやるだけだ。

 農場の完成までは長い道のりがあるが、必ずたどり着くという気持ちで、今日やれることをやる。末世の世であるから、どこで断ち切られるかは分からないが、今日やれることをやりきることに専念するほかない。おかげさまで今のところ田んぼも畑も何とか進んでいる。

 田んぼの土壌は一年耕作した分だけ良くなっている。稲の生育も新しい田んぼより、2年目の田んぼの方が生育が良い。土壌をよくすることを主眼にしていることは間違っていないようだ。腐植を増やして行く。アカウキクサ農法である。ひこばえ農法の2年目の挑戦もある。様々なやり方でひこばえ農法を試してみたい。

 この末世を直視して絵を描きたい。絵はここで終わればどうにもならない。何が出来るのか、どうすれば良いかは分からないが、日々の一枚の継続と、どこかで飛躍をしなければならないだろう。すべてを恐れずひたすら描いて行くほかない。
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ブログ16年

2023-04-20 04:10:02 | 石垣島


 2006/03/05 07:32:05と最初のブログに日付がある。小田原に引っ越してしばらくしてからブログを始めたことになる。その日から、毎日書くと決めて続けてきた。一日でも書かなければ、続かなくなると考えて、何があろうが毎日続けてきた。

   その以前は開拓生活を始めてからの文章の記録が15年ほどある。自給生活というのは、日々の記録をしないことには暮らして行けない。去年の記録がなければ、今年何時何をやるのか側からない。その土地で何時作物の播種をするのが一番良いのかは、何年もやってみて分かることだ。

 必要で始めた記録ではあったのだが、今では惚け防止のようないくらか実用ではないものになった。考えをまとめるために書いている。書きながら書き出したときに書こうとしたこととは、違う結論になっていることも良くある。書いている内に考えが変わるのだろう。考えていたことが、考えている内に変わるのだろう。

 ブログというものは公開日記という形だと考えてきた。加えてブログは小さな報道だと考えて始めた。大げさに言えば、自給農業の活動を続ける人間の発信が社会には必要だと考えた。あの頃はブログに個人が報道を手に入れたと随分期待が集まっていた時代だ。

 巨大な社会に対して一人一人は無力だ。無力だからと諦めてしまえば民主主義は終わる。個人は小さな力しかないが、せめてブログという形で発信してゆけば、思いが伝わると考えた。その成果はほとんどなかったのだが、自分個人にはそれなりにはあったと思う。

 ブログを通して、自給農農業の仲間になり活動を今でも続けている人がかなりいる。ブログで正直に考えを書いてきたために、関わらなくなった人もかなりいる。ブログは敵も作り、仲間も作る。いずれにしても正直にありのまま考えていることを書いてきた。

 16年やってきて良いことがあったのかと言えば、ブログから生まれた人との繋がりが良かったことである。今は都会から遠いい石垣島を中心に暮らしているのだが、小田原にいたときとブログでの繋がりは変わらない。特に水彩画の日曜展示を始めたことで、絵を公開しているということは自分の制作の大きな要素になっている。

 ブログ以外にフェースブックホームページをやっている。良く理解しているわけではないのだが、専門家の方からそうした方が良いと言われて、始めた。グーブログであっても仕組み全体がある日終わることもあるし、事故で内容が消えてしまうかも知れないから、複数にしておいた方が安全だということらしい。

 それなりに面倒くさいことなのだが、そちらは途切れ途切れ何とか継続している。やっていると言えば、ラインというものも「のぼたん農園」の仲間が始めた。これは連絡用である。日常の連絡はラインで行っている。電話として使うことも最近は多い。雑音が多いようだ。

 ただ、グループラインを連絡に使うと問題もある。誤解が生じやすい。スマホで短文を打つからか、昔の電報文のようでトラブルの基になったことがある。互いに命令を下しているかのような受け取られ方や、意味の取り違いをしやすい。ラインはスマホ打ちでどうも嫌だ。

 タブレットを使っていたときにはまだ打ち込みが出来て良かったのだが、ラインはタブレットとスマホ両方では使えないことになっているらしい。やはり、スマホよりもタブレットの方が使いやすいというのが現状である。スマホにキーボードをつなげないものだろうか。

 ブログの実用性ということでは、農作業にはこれほど便利なものはない。田んぼや畑の様子を写真を撮って、すべての写真がブログの画像ページに保存してある。あの田植えは何時だったのかとか、すぐに調べることが出来る。本を作るときには大いに役立った。農文協の方と打ち合わせがやりやすかった。写真保存にブログを利用している。

 もちろんパソコンにも保存はできるわけだが、文章と関連させてあれば、耕作日誌になるわけだ。細かな耕作状況の記録は重要なものになる。常に再確認しなければ、次への最善の選択は出来ない。今年の田んぼの一番の成果は、15枚葉が出るための栽培法があるらしいということだった。

 12月4日の直播きの「とよめき」の稲は15枚葉がでた株もある。栽培環境が良かった場所のものだ。水が足りないため成長が不十分だった株は15枚葉はでなかった。どうも13枚しか葉がでない現象は、生育障害がどこかで起きていると考えて良いらしいことだ。

 それが日照時間の変化から来るのか、夜温の高さから来るのか、まだ正確なことは良く分からない。12月始め蒔きのジャポニカの稲が、石垣では一番健全に生育できるのかも知れない。ひとめぼれも、試してみる必要があるのかも知れない。やる余裕がないか。

 麦の「ニシノカオリ」は12月30日は種で4月22日刈り取りになった。これも11月11日蒔きの方が良いのかも知れない。来期は検討の必要がある。ニシノカオリが十分とは言えないが、一応は実ることは実ることは分かった。分ゲツが足りないが、これはまだ土壌が出来ていないためと考えられる。

 大豆は4月の10日に播種した。一週間でいくらか出てきたが、19日でまだ出そろわない。揃いが悪すぎるのも何か気になるところだ。大豆麦とやりたいから、23日に大豆のは種が出来れば良いと思うのだが小麦の刈り取り次第に成るだろう。

 ジャガイモも里芋もイノシシに食べられてしまい、結果が分からずじまいだった。里芋をもう一度たんぼの畦のそばに植えてみるのは良いかもしれない。今年はあくまで実験だ。水が湧いてくるような8番田んぼの下辺りが良いかもしれない。そうだ、あの辺りに田芋を植えておくのも良いかも知れない。これも実験だ。

 ブログの最近の成果はやはり、日曜展示である。毎日曜日絵を展示している。前回が157回とある。157週とはほぼ3年ということになる。ブログの上にも3年で3年間の日々の一枚の記録である。70歳から毎日書こうと決めたことである。石垣生活の決意である。

 石垣には絵を描く為に来た。それを形として表すことにしたのが、日曜展示である。石垣島に来て、絵を再出発させるつもりである。惰性でなく、心機一転して絵を進めるために場所を変えたと言うことがある。自分を変えるためには暮らす場所を変える必要があった。

 絵はそれまでに手が慣れてしまったものを、切り捨てる努力をしたのが、今までの3年間だったと思う。これから、あらためて再出発の段階に入る。どこまで行けるかは分からないが、日々の一枚は継続するつもりだ。もちろんブログの日曜展示も継続する。

 こうしてブログを始めて、16年失うものと、得るものがあった。失うようなことを書いてきたから、得るものもあったと思っている。自分はだんだん何者か明らかになってきた。自分が出来ることの限界も分かってきた。今はこうしてのぼたん農園の冒険がブログの目的になってきている。
 
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独裁の限界は必ず来る

2023-04-19 04:30:04 | 楽観農園


 中国の経済発展の速度は、日本の3倍速くらいの勢いだった。中国に行く都度その変わり方で驚いた。この間自民党の議員の多くは中国は破綻すると言い続けていた。結局の所中国の失敗に期待しながら、日本経済は置いてけぼりを食らうことになった。

 独裁政権の方が、国家資本主義の方が、経済成長は早いということになる。経済成長は早いのであるが、行き詰まったときの危険が独裁政治にはある。中国は素晴らしい勢いで成長した。その分だけ社会的矛盾を抱えているはずだ。その反動を独裁で押え込んでいるのだろう。

 中国の問題はこの先にあると考えている。経済成長を続けている間には問題は起きない。後進国から経済先進国に変わり、独裁だけではどうにもならない時が来るということである。経済の停滞は経済の発展の途上に於いて必ず来る。

 社会が停滞に入ったときに独裁政権ではこの経済停滞はのりきれないと言う不安がある。独裁政権は停滞した経済から来る国民の反政府的な動きを、様々な形で押え込もうとするだろう。目を外に向けるために、軍事的行動に出ることもあり得る。経済停滞が独裁政府の為に起きているということになれば、独裁は崩れる。

 もし中国がその経済停滞を乗り切れるとすれば、それは上手く独裁政治から、民主的な政治に変更が出来たときだと言えるのかもしれない。経済停滞を政府の責任ではなく、国民一人一人の問題だと自覚できるかどうかにあるのだろう。そうでなければ、習近平がプーチンになり、さらなる強権政治になる。

 もし、中国が日本のような経済停滞に陥ったとき、明日の食べ物に不安が生じたときには、何か危うい兆候が現われるはずだ。それは中国だけでなく世界の不安定化に繋がる。食糧危機は近い将来の世界の一番の不安定要素ではなかろうか。

 それを食い止めるためには、世界中が戦争など止めて、食料の生産をしなければならない。日本のような自給率が3分の1という国は、成り立たない日が近づいている。日本の安全保障の第一は食糧自給である。そのためには大型有機農業稲作技術の確立である。

 世界の人口増加と食料生産の統計から見れば、後10年で、お米を輸出しなければならない時代が来る。ある意味世界の飢餓状況を見れば、すでにその日は来ているとも言える。貧しい国では食べるものがなくなり始めている。日本のその日に備えて、食料生産の体制を整える必要がある。

 中国との交流をしてゆく以外にないだろう。独裁国だから、距離を置くというのでは中国の民主化は遠のく。中国が普通の民主主義生寺に徐々に変わるためには、世界の民主主義国家が自由な関わりを持つことだろう。中国人は優秀である。必ず、民主主義社会の良さを理解できるはずだ。

 日本の今ある経済停滞は国民一人一人の問題でもあると言える。だめな政府を選択しているのも日本人である。だめな野党である事も自分たちの問題だと考えている人が多数派だろう。民主主義なのだから、仕方がない。諦めて停滞の中で生きて行く道をそれぞれに探すほかない。と言うような自助の国日本。

 その曖昧で決断がないのが民主主義政治なのだろう。不愉快で中途半端なものではあるが、軍事独裁政治よりはましだということを、何度でも考え直さなければならない。もし日本が再生することがあるとすれば、国民一人一人が成長して、他人を責めたり、政府を責めたりするのではなく、自分が社会を良くしてゆく努力をすると自覚できたときになる。それが民主主義国家である。

 民主主義社会は復元力あると思っている。人間は信じて良いと思っている。日本は今停滞した責任の所在を、自問しているのだろう。そして停滞した社会を復活してゆくための、一人一人の役割を見付けるはずだと思っている。たぶん成長志向ではない、幸せな国を目指すことになる気がする。

 だめな民主主義でも軍事独裁よりはよほど増しなのだと自覚すべきだ。アメリカではトランプが登場したように、中国の成長に驚き、強権政治への傾斜が起きている。民主主義を軽視しても強権を持って、外国と対抗するべきだという極右政党が各国に登場し、トランプ的な人物が選挙でかなりの得票を得ている。

 東アジアでもミャンマーのように軍事政権になり、国民の弾圧を続ける国が誕生している。北朝鮮の独裁は相変わらずである。中国は習近平政権にいたり、独裁政治体制を強めた。各国様々ない危うい状況を抱えているということだろう。日本はついに敵基地攻撃能力を保有するという、危険な戦争への道に入ろうとしている。

 岸田政権が何故かアベ政権どころではない、一気に平和憲法を放棄してしまった。それに対して大きな反発も起きていない。多くの国民がロシアのウクライナ侵攻を見て、恐怖で判断を誤っている。なまじの攻撃力を持つことは危険を増すだけだと、考えなくてはならない。

 平和外交を続ける以外にない。国民の交流である。互いを人間として知り合えば戦争がいかに馬鹿げているかを実感できる。人間として付き合うこと以外に平和はない。具体的にいえば、尖閣諸島の帰属を話し合うことだ。中国との関係の改善に尖閣諸島がなるとすれば、領土どころではない日本の利益になるはずだ。

 日本では極右勢力といえば、アベの10年間であった。アベは巧みにその本質を隠しながらの政治であったが、極右勢力に誘導されて動いていたことに間違いない。ある種の傀儡政権のようなものであった。極右勢力の巧みな木偶人形戦略である。そしてアベは反日勢力の統一教会問題で暗殺された。

 ここに在るアベの闇勢力は実に複雑で、混沌としている。財界右翼から電通。日本会議から統一教会まで含み込む、有象無象の得体の知れない、裏勢力。安倍晋三を含む19人の閣僚のうち15人が、改憲・右翼団体「日本会議国会議員懇談会」(日本会議議連)に加盟している第2次安倍改造内閣 。

 アベ時代は日本型の巧みな強権政治だったのだ。そのために日本の民主主義は弱まり、国民一人一人が国に対して希望が持てなくなった。国民が国に対する責任を感じなくなった時代だったのだ。政治に於いて何をやっても無駄だ。日本の独裁は真綿首だったのだ。

 誰もが諦めて政治に期待しなく成る状態を作り出し、いつの間にか再軍備をして、南西諸島に自衛隊攻撃型ミサイル基地をはいぶするという、新しい形の独裁。これに対して地方の政治は個別にお金や名誉によって、洗脳をされていったように見える。

 アベが暗殺され、岸田総理大臣もテロに遭った。時代が変わり始めている兆候と考えるべきだ。殺す必要など少しもないのが、民主主義体制の総理大臣でなければならない。民主主義が生きていれば、総理大臣テロをしたところで何も代わらないということが分かるはずだ。

 総理大臣は力などないほうが良い。国民の意思で政治は変わるというのが民主主義だ。日本は今軍事国家に変わろうとしているところだ。変わってからでは戻れない。この変わり目に対して、反対運動が起きない所に恐ろしさを感じている。

 
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マスク着用社会と5類の危険

2023-04-18 04:45:14 | Peace Cafe


 「マスク着用社会」は非常にマズい...今すぐ外すべき、これだけの理由ーーー石野シャハランSHAHRAN ISHINO1980年イラン・テヘラン生まれ。2002年に留学のため来日。2015年日本国籍取得。スカーフ問題という、イラン社会の流れを感じた。スカーフは良くて、マスクが良くないということはないだろう。 

 実におもしろい元イラン人の見解だ。イランで行われているベールの習慣はイラン社会にどういう結果を生んだのだろうか。マスク着用社会というのはむしろイスラム社会のことではないのだろうか。イランでは女性がベールをかぶり身体を隠さないと逮捕される。

 ノルウェーに拠点を置く人権団体「イラン・ヒューマン・ライツ」は、7日までにイランのスカーフ反対デモの参加者ら少なくとも458人が治安当局に殺害されたとしている。日本でもマスクをしていると非難されるという、反マスク警察の空気はある。

 イラン社会のスカーフをしていないと言うことで死刑判決をする政府を暗に批判しているということとも読める。女性だけにベールを義務付けるのはイスラムの文化である。日本人がとやかく言える問題ではない。問題があるとすれば、イスラム社会の中で解決すべき問題なのだろう。文化とか宗教とかいうものは部外者には計り知れない部分がある。

 イスラム文化には女性を見せてはならない、秘するべき大切な存在として評価している。とも言える考え方なのだ。多数派のイスラム女性はこの慣習を評価している。もちろんおかしいとの世界の常識からの批判も良くある。文化について外国人がとやかく言えない、奥深い問題なのだと思う。

 私の場合はマスクは危ない場所では今もしている。5類以降など科学的には無謀なことだ。マスクをしていて困ることなど年寄にはない。野外では今までも一度もしなかったし、今もしていない。あくまでマスク自己判断である。

 まだレストランでの外食やコンサートなどには行かない。コロナ感染は間違ってもしたくない。そもそも肺が弱い。老齢者である。コロナリスクは極めて高い。コロナ感染でまだ死にたくない。年寄が感染して、医療崩壊になることが一番困る。感染しない暮らしが当分必要だ。

 コロナが始まった当初、コロナ対策は老齢者の外出禁止だけで良い。こういう見解をイスラエルの学者が発信した。こうしてコロナ騒動が沈静化してみると、あれは正しい見解だった。もし出来ることであったのならば、感染が拡大してきたら、老齢者の外出禁止令を出すのが正解だったと思う。

 経済を停滞させないで、病院を崩壊させない唯一の方法であった。今現在もコロナは沈静化したとまでは言えない。それは死者数で見ると分かる。これもコロナ流行当初から主張してきたことだが、死者数だけを判断材料にすべきだと考えてきた。

 流行の始まりの頃パンディミックだと騒ぎになったときよりも、今の方がコロナ死者数は多い。13日現在で13人である。17日に久方ぶりに10人を切った。大分減ってきたとはいえまだ10人超えである。コロナ始まりの頃には10人に達していない。10人以下になれば、その背景にある流行はかなり収まったと考えられる。

 最後の6波(8波と言われている)は極端に死者数が多くなった。感染予防がいい加減になってきたことと、日本人にも重症化感染しやすいコロナウイルスの変異があったのだろう。500人以上の死者が出た頃もあった。そうした最中にコロナ感染症5類格下げの話が出た。実に不愉快なタイミングであった。

 確かに経済が限界に達した。誰もがそう感じざる得ないところまで来たから、もうコロナはどうでも良いとなったにすぎない。感染症の専門医の妥協の仕方は科学的なのだろうか。コロナ5類に何か根拠があるとは思っていない。だから私はマスクを相変わらず必要な場面では付けている。危うい場所でマスクをしていない人を見たらできる限り避ける。

 行かないですめば、人混みは避ける。それが感染リスクの高い年寄の暮らしだ。マスクをしていても大目に見てもらいたい。場面場面で対応を変えて万全を期している。今後死者数を発表しなくなるらしい。コロナを忘れて、商売商売ということなのだろうか。死者数だけは捕捉した方が良い。死者数だけが確実な情報だからだ。

  厚生労働省は12日、新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けを5類に移行後、都道府県ごとの死者数の報告と公表は原則として終了し「人口動態統計」により推移を把握する方針を感染症部会に示し、大筋で了承された。専門家から示された課題を今後検証する。厚労省によると、全ての死者数の公表までに2カ月程度、新型コロナを含めた死因別死者数の公表までには5カ月程度かかる見通しになる。 

 がっかりだ。これから第7波が始まるかもしれない。コロナが収まる兆候などどこにもない。また感染拡大が起きたときに、死者数の把握がなければ感染の広がりの程度が把握できなくなる。自助の国らしい判断である。仕方がないので、自助として今まで通りの感染対策を続けるほかない。マスクはリスクの高い場所ではするつもりだ。

 政府は経済のためにコロナを忘れてもらおうと躍起になっているのだろう。お金の方が人の命よりも重視されるような国なのか。貧乏が原因で死ぬ人がいるといった政治家がいた。年寄は自助努力で乗り切るほかない。マスクをしていても排除だけはしないで欲しい。

 マスク警察が無くなったと思えば、今度はマスク剥がし警察が登場する。日本では7万4244人17日現在がコロナで死んだのだ。スペイン風邪では死者38万8,727人(致死率1.63%)人口は今の半分以下の時代だ。ワクチンを打たなければこういうことになっていたのだろう。大災害である。東日本大震災では2万2318名(2万2212人 NHK)の死者・行方不明者が発生した。コロナは死者だけでその3倍以上。感染症の大惨事が分かる。

 このパンディミックを軽んじた人達がいた。おびえてはいけないと偉そうな口をきいて、経済を優先しろと叫んでいた。トランプなど好例である6,83万4,397 人が世界では死んだのだ。大戦争に匹敵する死者数である。こうした感染症はまた起こると考えなくてはならない。

 その時にどう対応すれば良いか、今回のコロナを十分に反省して、次の対応を考えなくてはならない。マスクの有効性は十分に示されたと思う。子供達がマスクをしなくなり、インフルエンザでの学級閉鎖が起きた。教室の環境は感染症的には問題があるのだろう。教室の感染対策は必要だろう。

 子供達がひ弱になっているような気がして成らない。青空教室。走り回ることども達になってもらいたい。食事も給食には毎回納豆卵にヨーグルト。アレルギーで食べれない子供も居るのかもしれないが、それぞれに工夫をして、給食から体質改善が必要なのではないだろうか。
 
 
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少子化は悪い事なのか

2023-04-17 04:59:27 | Peace Cafe

 異次元の少子化対策が検討されている。どうせ、効果のないばらまき政策が行われるだけだろう。少子化が異次元だろうが、過去にないほど手厚いものであろうが、効果がないと断言が出来る。たぶん日本人の大方の人がそう考えているのだろう。少子化は人類の生存本能の赤信号の結果起きていることだ。

 同じ異次元の黒田総裁の物価上昇2%は、ウクライナ戦争で実現したような最悪のものであった。何かが原因で少子化が解消されるとすれば、それはウクライナ戦争に匹敵した困ったことが原因するはずだ。さらなる感染症のパンディミックとか。

 本当の少子化対策は日本を幸せの国にすれば良いだけのことである。少子化でも幸せな国であれば良いのだ。日本政府の少子化対策は人口減少が企業の経済に悪いというところから来ているのだから、どうせ日本人を労働力としてしか見られない。これでは少子化は当然の結果である。

 人口が減ると経済規模が小さくなり、日本市場に依存している企業の売り上げが減るということを政府は心配しているにすぎないのだ。労働者人口が減ると社会保険料を払う人が減り、年金も医療も介護も破綻するに違いない。すでに破綻が始まっているとも言える。

 日本の国力が停滞すると、国際的に見て日本人の存在感が薄くなって行く。と考えているのだろうが、そんなことはない。小さくても尊敬される国はいくらでもある。人口が減れば兵力が減ると言うことはある。産めよ増やせよの満蒙開拓など最悪ではないか。どのみち日本の十倍以上の人口の仮想敵国には及びも付かない。
 
 少子化問題ではなく、企業利益の問題であり、社会保障システムの問題であり、日本人のみじめなプライドの問題であり、どうせ及びも付かない覇権争いの問題なのだ。少子化対策ではなく、本質的にはこれらの社会問題を解決することでしか、日本の少子化問題は解決できない。子供の数が少なくても大丈夫な国作りが本質である。

 岸田総理大臣が「人口減少こそ最大の課題」と言っているのは、実は世界の産業の変化に対応できない日本ということになる。日本は新しい産業の創出をうたったアベノミクスの地獄の10年間で、新産業どころか、世界の流れから取り残され続けた10年だったのだ。

 ニューヨーク証券取引所 で日本は買いと叫んだアベだが、日本は売りだったのだ。アベ時代の停滞の結果を見れば明らかなことだ。仕方がなく、政府が株を購入して株価をひたすら維持している。その姿を見て、投資家はまだ大丈夫と及び腰で株を買う。

 経済主体や経済システム、社会制度が機能不全を起こしている。異次元の緩和策などではだめだったのだ。経済主体が自分自身の個別の課題に正面から向き合うことでしか解決しないのだ。それを作り出すには日本人が変わらなくては出来ないことなのだ。 

 「新しい資本主義」の次は「異次元の少子化対策」ということのようだ。岸田文雄首相の頭の中は誇大妄想であって、本当の問題が把握できないらしい。言っている首相自身良く理解できないのだろうし、問題の本質は優秀と言われる官僚にも分からないのだろう。 

 私であれば、この停滞解決は自分に投資することが唯一の方法にみえる。色々投資先を考えると、自分に投資して、出来ることを力の限りするのが一番確実である。つまり社会としては「人的資本」に投資することだ。一人一人が新しい何かを生み出す人間になる。教育投資を異次元に増やすべきだろう。

 2020年で高等教育まで含む公的教育費支出のOECD平均はGDPの4.1%だが、日本は2.8%にすぎない。大学以上の公的教育費支出で、日本はたったの0.45%で、OECD平均0.93%の半分にも満たない。これでは新産業の創出がないのも当然だろう。
 新産業を作り出す人材には、やはり高等教育の充実が必要である。しかも、ノーベル賞を受賞するような、優秀な人材が日本で基礎研究を続けたいと考えるような教育研究環境である。今は大学院を出てしまえば研究が終わらざるえない人が多数存在する。研究所に所属しても臨時雇用である。

 少子化などひとまず置いておいて、日本に残されている力のすべてを教育に回すことだ。日本人であれば、希望者全員が高等教育を無償で受けられる状況を作り出す以外にない。教育を受けたものがそれに相応しい職業に就けるようにもしなければならない。そのことで新産業が日本に生まれる可能性が高まる。

 学問をしたいと考える人材が、就職先がないと言うようなことは、日本の大きな損出になっている。有能な高等教育を受けた人材が、海外に流出している。中国にも大量に就職先を求めて出て行く。これでは日本の開発力が低下してゆくのも当然のことだ。

 先ずはこの教育や研究の環境を改善しないことには少子化対策にはならない。少子化対策とは少ない子供でも何とかなる社会を作り出すことだ。子供を増やす少子化対策ではない。子供の増減に政府が関与する必要などない。政府は国民が幸せに暮らせることだけを考えれば良いのだ。

 労働人口が減っても、消費者が減ったとしても豊かに暮らして行ける国作りはある。まず食糧自給である。食糧自給率が今の倍くらいならなければ話にならない。農業で生活できる国になり、食料の不安がない国でなければ、幸せな暮らしは出来ない。

 方向は2つである。一つは大規模の有機農業農家の育成。その技術の確立。これを国を挙げて行う。すでに稲葉方式など大規模有機農家の技術が確立されかかっている。これをさらに改善し、洗練させ、日本各地に適合する技術に育てることだ。

 大規模農地の整備も国は積極的に進めなければならない。同時に、中山間地の条件の悪い農地をどのように整備してゆくかである。自給的に暮らす地域に指定して、都市からの距離が遠いいという不利な条件を、医療、教育、流通、情報、こうしたインフラを政府の責任で整備することだ。

 整備してゆくことも不可能な地域もあるだろう。各県の中から選抜して、中山間地整備地域を特別地域に指定して、集中して整備してゆく。そこでななら、何とか都会生活に近い形で暮らせる、自給農業を中心とした中山間地を国の責任で作る。
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第157 水彩画 日曜展示

2023-04-16 04:36:33 | 水彩画
第157 水彩画 日曜展示






189「のぼたん農園」
中判全紙 2023.4







190「雲ノ平」
2023.4 10号






191「桃の花」
2023.4 10号






192「花鳥山」
2023.4 15号






193「三俣蓮華」
2023.4 15号






194「岬」
2023.4






195「海越しの富士」
2023.4 12号






196「小島」
2023.4 12号






197「のぼたん農園」
2023.4 10号


   石垣に戻り絵を描いている。何かが変わったわけではないが、境川を眺めてきたことで、確かめられたことがある気がする。自分であれば良いと言うことの意味が、前よりはみえてきた気がする。

 描かなければならないものと、描いてはいけないものがある。たぶん絵はそういう物なのだろう。もう少しその当たりを突き詰めてゆきたい。
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