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稲田防衛大臣の程度の低さ

2017-06-30 04:31:17 | Peace Cafe

稲田防衛大臣は右翼思想の持ち主という事で、安倍さんのお気に入りかもしれながい、前代未聞、過去最低の防衛大臣だ。確か、日本会議の森友さんの顧問弁護士でもあったはずだ。森友さんと安倍さんの奥さんも仲が良かったらしい。アベ内閣は演出家は優れているが、実質は程度が低すぎる。右翼的思想は滅私奉公を理念としていて、自分一人ならともかく、配下にまで自分に対する滅私奉公を要求する。人の命に係わる防衛大臣という立場に関して自覚に欠けている。自衛隊を誤解しているのではないか。相変らず、自衛隊のPKO派兵南スーダンに関する、日報隠ぺいの内部調査に関する報告はない。この防衛大臣は省内に力が全く及んでいないという事ではないか。都議会選挙で応援演説に行って、練馬駐屯地のそばなので日ごろのお礼を申し上げたと説明していた。これは一体何を意味しているのだ。つまり、自衛隊が地域防災や災害救助で協力しているのだから、こういう時にはその関係を持って、都議会議員に一票をお願いしたいという事なのだろうか。こういうことは市長選挙などでもよく言われる選挙戦略だ。自分が当選したら、自衛隊の迅速な協力が得られるなど、適当なウソを並べ立てる。

自衛隊はの災害救助は誰が市長であろうと、同じでなければならない。共産党市長だから、そこには急いでは行かないなどと防衛大臣が脅していいのかという事だ。軍隊は独裁政権の、手先になりがちである。神経を使い、つねに徹底的に検証しなければならない。ましてソフト独裁のアベ政権下である。一方に自衛隊が革命軍になることもある。日本の自衛隊は一体どこを向いているのだろう。たぶん機動隊と同じではないだろうか。沖縄に行けば差別発言をして住民を痛み付けるような、精神構造ではなかろうか。少なくとも防衛大臣にはそういう意識があるらしい。今回の防衛大臣の発言を見ると、まるで政府を奉る部隊のような意識が隠れているように感じられる。靖国神社にいつも参拝するのが売りの防衛大臣である。右翼の自衛隊であってもらいたいと本音では考えているはずだ。すでにそう思い込んでいる節がある。防衛大臣を右翼的な人間がやるというのは、アベ政権らしいとは言え、ソフト独裁の本音が見える。こういう時であるからこそ、即刻防衛大臣は党内で最もリベラルな人が行うべきではないか。

少なくとも、弁護士が公務員の何たるかも理解していない人間ではどうにもならない。そうではないと思いたい。ここまでは大丈夫と意識して発言をしたと考えざる得ない。まさか弁護士をやっていた人が、普通の人よりも法律を知らない訳がない。どんな弁解するのかと思いきや、即座に撤回で終わりである。失言を取り消せば終わりにできるというルールをアベ政権は作った。それはアベ政権に対する国民の半数の判断を行使しない支持である。残念なことであるが、ダメな国民という事になるのだろう。アベ政権支持者の好きな防衛大臣が、これほどの無能であっても、それで発言を取り消したので、問題なしという事だ。もし発言を取り消したというなら、その集会に集まっていた全員に、発言の訂正文を送らなければだめだろう。その場にいた人には、いまだ自衛隊として投票をお願いしたままなのだ。

今度の都議選では自民党にだけは投票してはだめだ。もしこれで都議選で自民党が勝利するようでは、アベ政権の驕りと腐敗が承認されたことになる。それでも共産党じゃだめだという人は、思想的にはほぼ自民党と同じである、都民ファーストに入れる選択肢がある。都議会がどうなるかは不明だが、自民党が勝利することだけは、日本の未来にとって最悪の結果だ。アベ一座の演出家は何でもできると自覚することになるだろう。アベ一座のビックデーターがそう示すことになる。自民党全員があの狂気の叫びの豊田議員のようになりかねない。大半の議員先生の精神構造はあんなふうになりがちなものなのだ。権力者というものは常にそういうリスクの上にある。いつの間にか人が変わるのだ。賢い人は表面的には下手に出て、柔らかな印象を与えているが、まさに安倍氏の好きな印象操作である。稲田防衛大臣だって運転手に聞けば、豊田議員と同類ではなかろうか。もうちょっと粘質か。

 

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自然栽培の田んぼの葉色による判断

2017-06-29 04:36:37 | 稲作

10番の1本植えの田んぼに来て餌を探すカルガモ夫妻。まだ隙間が多いいからだろうか。

6月28日あしがら農の会田んぼ勉強会を行った。18名の参加だった。指導は農業技術センターの岡野さん。そして有機農業学会の井上駿さん。欠ノ上田んぼからは、4名。舟原田んぼ、子の神田んぼ。坊所田んぼ、山ちゃん田んぼ、新永塚田んぼ。志村田んぼの初参加。有機の里づくり協議会の緑肥作物実証圃場の活動でもある。緑肥作物による、雑草の抑制効果の研究である。有機農業では田んぼの雑草が大きな課題である。あしがら農の会の田んぼではそれぞれの方法によって、それなりの抑草効果を上げてきた。その一番の要因が冬の緑肥作物ではないかと考え、研究を続けている。土壌に腐植を増やすことで、土壌微生物が増加し発酵型土壌に成る為と想定している。今回は田植え1か月前後の田んぼにおける抑草効果の検証である。何処の田んぼでもそれなりの結果が出ていた。特に久野の3つの田んぼの比較で、どのような経過で抑草が起こるのか、また失敗して草が出てしまうのか。少しづつ見えてきている気がした。

慣行農法では葉色は田植え後1か月で5程度の葉色になる。それが徐々に浅くなってゆき、出穂時には3程度に落ちるとされる。ところが有機農業ではこういうことは起こらない。田植え一ヵ月の現在が4程度になり、徐々に色はさらに上がってゆき5~6ぐらいまで葉色が濃くなる。追肥をしなでいても、これが出穂の時期まで続く。地中の窒素の発現が地温の上昇共に高まってくるのだろう。根の量も増え、活動も盛んになり、地中から窒素の吸収を高めてゆく。株姿はさらに開帳型になり、厚みのある、葉幅の広い、9葉期以降の葉が出始める。この葉が光合成を盛んに行う事で、分げつを増やし、葉色もさらに濃くしてゆく。例年7月初め10枚目の葉が出始める。出穂40日前になると、葉色が一番濃い時期になる。幼穂形成期となる。この時期から稲は穂の形成に肥料の吸収の体質の変化をさせる。この変わり目が重要。葉色は出穂の時期までこのままで続いてゆく。これが健全な自然栽培の稲の姿だと考えている。慣行農法と同じような葉色診断をすることは危険だ。

勉強会の具体的な課題としては、緑肥作物の草の抑制に関しては一定成果があった。この後の田んぼの管理である。穂肥を与えられる状態の観察。出穂40日前の穂が準備され始めるときに葉色が、4より浅いという事はあったことがない。という事は慣行農法で言えば、穂肥は無用と考えた方が良いのだろう。しかし、有機農業で葉は色は必ず濃くなる。特別に肥料を入れない田んぼであっても、葉の色は5から6まで濃くなる。その理由を単純に肥料分の窒素の量が多いという事に限定して考えるのは危険だ。良い生育をしていれば、根の活力が高く、自分で肥料を吸収しようとする能力が高いと想像している。また土壌も微生物の活動が高いことや、腐植量が多い田んぼでは窒素が失われることが少ないのではないだろうか。無肥料で管理して来ても、葉色は慣行農法の田んぼより間違いなく濃くなる。後半になればなるほど濃くなってくる。窒素が土中に発現してくるというより、窒素を吸収しやすい根になっていると考えられる。土壌が良くなっている有機農業では穂肥は与えないのが普通と考えて良いようだ。倒れないのであれば穂肥を与えるという事は考えられない訳ではない。

では干し田は行うべきかどうか。干し田は行わざる得ないかもしれない。緑肥作物の分解が続き、後半に倒れる傾向が出てくるのかもしれない。さらに観察をしたいと考えている。穂肥を与え強い干し田を行うという組み合わせは可能かもし得ない。例年サトジマンで背丈は毎年1メートルを超えている。そして倒れる。かなりがっちりした株になっていても、背丈がのび過ぎて倒れる。10俵とるためには倒れるまで栽培しなければ無理と感じてきた。最後まで根の活力を高めるためには、干し田をした方が良いのかどうか。干し田をして地面を固めるという事は、稲の生理上どういう意味になるか。自然農法では良い結果にはならないと感じてきた。今まで恐る恐る干し田は最小限にしてきた。今年は試みてみたいと考え始めている。もう少し観察をして結論を出さなければならないが、迷うところである。7番田んぼより下の田んぼを干してみるという事もあるかもしれない。成育も進んでいるし、例年倒れやすい場所である。

 

 

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藤井4段の29連勝の理由

2017-06-28 04:16:25 | 身辺雑記

藤井4段が29連勝をした。将棋というゲームの成り立ちからして、信じがたいことが起きた。まだ14歳である。コンピューターがもたらした天才なのだと思う。藤井4段がプロになって以来の36戦を不思議な将棋と思いながら見てきた。なかなか理解しにくい将棋だと思う。理解しがたいから、研究して対戦している人達が勝てなかったのではなかろうか。羽生将棋というものがあって、はぶマジックと言われていた。それは、従来この形で進めば相手は勝てるという形の先に、実はそれまで勝利の筋道の観念を打ち破る罠が仕掛けられていて、勝てると思い進めていた相手にとって、驚きの指し手が待っている。まさか、ここでこの手があるのかという意外性が、マジックのような勝ち方と呼ばれた理由だ。素人の私レベルのものにも、その驚くべき指し手には魅力であった。相手にしてみれば、勝てると考えていた流れをひっくり返されるのだから、これは別次元の将棋ではないかという驚きがあった。その意味で羽生将棋は理解しやすかった。

藤井4段の場合、今もってなんで29連勝もするのかという信じがたい思いが、プロ棋士にはあるのではないか。今までは終盤力で勝つと言われていた。つまり、藤井4段が詰め将棋では、小学生の時からの最強である。他の人よりもかなり早い段階で詰みまで読み切ると考えられていた。負けた人の感想が、中盤まで良かったのだが、終盤にミスを出し負けにしてしまったと、大抵の人が感想戦で述べている。プロになってからの36戦を見直してみると、そういう勝ち方でもないというのが私なりに分かってきた。一言で言えば、ミスが少ない驚異的な精神力の持続し続ける将棋のようだ。将棋というのは最後にミスをしたものが負けるものだ。良い手を指して勝つというより、悪手を指して負けにしてしまうものだ。羽生将棋には勝利に導く一手があったわけだが、藤井将棋にはそいう妙手が少ない。プロ棋士でも想像しがたい手が出るというより、間違えが小さい。最善手ではない差し手を指してしまったとしても、その後にミスが続かない。その内必ず相手がミスを指してしまう。もちろんミスと言えるかどうかは微妙なのだが、ミスを指したいう事になるような流れに持ち込む。

一手一手の局面の分析で、それ以前の流れを持ち込まず、常にその場を新たな局面として見ることができる高い能力のようだ。この能力をコンピュターから学んだのではなかろうか。コンピューターは案外に局面判断が悪い。良いと想定する場面が実は判断を誤っている。次の場面の判断を自分良しと考えてしまうために、案外につまらない負け方をする。ミスで負けるわけではないのだ。もし、次の局面判断が正確にできるようになれば、一段階強くなる。成功体験を引きずらない。好手を指しても、自分の好手の意味を消去して、新たな場面として次の最善手に向える。コンピューターには疲労とか、動揺とかがない。常に自分の持つ能力の100%を出すことができる。どうも藤井将棋はいつも最高の能力の出せる、負けない将棋のような気がして来た。

絵を描いて居て、それまで描いた画面に拘るものだ。それを何とかしようとする。実は目の前の描こうとしている現実は、その先にはないとしても何としても、描き出してしまった目の前の画面に引きずられて描き続けてしまう。それを何とかしようと考えてしまう。それが普通のことだろう。将棋には対戦相手というものがある。絵には相手はないが、描こうとしている世界はある。その世界をどこまで表現しているのだから、自分のやり方とか、自分の癖とか、そいうものを取り払うことが重要なのかもしれないと考えることができた。描き出しも、一息ついた時も、描き継ぐときも、つねに新たな気持ちでゼロから描けるのかどうか。それが精神の強さなのではなかろうか。そういうことを藤井将棋を考えていて気が付いた。

 

 

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田植後一か月の管理

2017-06-27 04:10:17 | 稲作

右から3番、4番、5番、6番、7番、8番、9番、奥に12番、その上が2番

田植え一か月後でその年の稲作は定まる。この時の田んぼの土壌の状態で、その後の管理が決めればいいと考えている。田んぼ中を歩いてみる。土を握り触ってみる。その感覚でその年の土壌の状態が分かるように感覚を磨く努力をする。1、歩いて見て田んぼの深さはどこまで深くなっているか。2、泥の粘着度はどうか。3、表層のトロトロ層はどうなっているか。4、泡の沸き具合いはどの程度か。泡の匂いは。5、土の匂いはどうか。6、水口と、水尻のちがいはあるか。7、草の生えるところはどういうところか。8、藻が出るとすればどんな条件の所か。9、生育の良いところ、例年との違い。10、葉色の淡い変化でおかしなところがあれば、土壌の確認。

田んぼごとに違うのだと思うが、自分の田んぼではどういう時に良いお米が出来たかを記憶する。そして、その良い土壌のできる条件を覚えておく。

手前が11番の冬水田んぼ、その上が里地里山の10番田んぼ奥に9番と、8番と7番。さらに奥が12番と2番 田植え直後が13番、14番の岡本田んぼ

田植え一ヵ月までが停滞気味であるか、順調な生育であるかを判断する。苗が良かったのに、停滞気味であれば、土壌に土壌分析でわかるような問題がある場合も多いい。リン不足の経験が多いい。冬の間の土壌の管理状態の是非を再考する。今年は田植え3週前にソバカスを撒いた。これが初期生育に好結果となっている。良い生育であれば、その理由を考えてみる。秋起こし、藁の状態、緑肥、堆肥、天候。苗が重要という事は一か月後によく表れてくる。1か月後に分げつが充分でない理由は、水温、日照、肥料分、が苗に直接的に作用している。水温が低ければ、水尻は良いはずだ。日照不足であれば、全体的に生育の遅れが生じている。肥料分が足りなければ、葉色が浅い。いずれにしても株をよく触ってみる。握って硬さを確認する。葉が厚ければ、握ってゴワゴワする。シナシナするようではすべてに良くない。有機栽培であれば、初期生育が遅れるという事が言われるが、そういうことは全くない。苗作りが失敗しているか、土壌が悪いかである。そもそも有機農業だから収量が少ないなどという事は、全くない。

冬水田んぼ、田植え直後とは水の状態がまるで変ってきている。

有機農業技術は自然に従い、判断してゆく、柔軟さと研究が必要という点で、体験的な蓄積が必要。有機農業の方が、手間がかかることは確かだ。水管理もその日その日で変えてゆくほどの細やかさが必要になる。そして天候の影響を強く受ける。その年の天候の読みも必要になる。1月目の稲は分げつが平均で10本に達していれば安心である。あと3週間で6月20日で20本分げつを目指す。葉は9枚目前後が出ている。分げつも3回目が出始めたころだ。その株が、扇のように広がり開帳型であってほしい。握ってすすきのような硬いイネであってほしい。田んぼを歩けば根が切れるようなブチブチ感がある。根が田んぼ全体に広がり始めている。この時期にはヒエが出るなら出始める。見つけ次第取り除く。今は一本のヒエも出ていない。取り除くことは可能な雑草だ。コナギに集中するようにしなければ、性格の違うコナギの駆除ができない。コナギの性質が分かれば対応ができるのだが。これがなかなか手ごわい。

里地里山の田んぼ 一本植が、右側の4本植に近づいてきている。左奥の白く見えるところは陥没して土嚢袋で補修。

コナギが無くなれば1俵増える。草が無くなれば、田んぼ作業の労働時間が半分になる。草取りを頑張るより、草を出さない努力をする。その方が作業時間は半減する。1か月までのコロガシである。コロガシを縦横2回行えば、かなりのコナギは取りさることができる。残ったコナギは7月中の拾い草程度で何とかなる。この後の課題はは穂肥をどうするかである。倒伏させずに畝取りするのが目標になる。今まで倒伏が心配だから、追肥は控えてきた。肥料と言っても糠を使う位しかないのだが、糠の緩やかな肥料の効き方が、稲の丈を伸ばしてしまい、倒伏に繋がる不安がある。しかし、穂肥を与えない栽培では最後の穂の大きさ、粒の張り具合に物足らないものがある。多分穂肥と、干し田は組み合わせ技術なのだろう。干して倒さないという事と、穂肥を与えられる土壌作り。ここからが重要な管理となる。

 

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加計学園問題

2017-06-26 04:17:25 | Peace Cafe

加計学園問題など些末な問題だとする主張を流布している人たちがいる。しかしこの問題は日本の社会の深刻な衰退を表している。政治だけでなく、日本の社会の崩壊の兆しが表れたことではないかと恐れている。忖度とか言われ、大したことではないだろうという気分ですべてのことがないがしろに、流されようとしている。安倍氏自身まさかこんなどちらでもいいような問題で、足を引っ張られるとは思いもよらなかったことではないだろうか。獣医学部が四国にできるかできないかは、どちらの正義もある。私は出来た方が良いと考えている。地方が衰退する中、もし獣医系大学が四国にできるとすれば、それはそれで価値があると考えている。問題は権力者がその仲間を優遇したかにとられかねない、進め方にある。安倍氏の友人がやろうとしていることであれば、自分が総理大臣である間は待ってもらいたいぐらい言えなかったかである。法律に違反するとか、違反しないとかの問題ではない。日本は倫理の崩壊に繋がりかねない、権力者が権力行使に無頓着になっている。

上に立つものの顔色を見るのは世間では普通のことである。会社に勤めれば、上司の意向をつねにおし計り、支えるように努力する。組織全体がうまく回るように、陰ひなたなく努力する。これが良い組織であろう。上司は上から全体を把握し、影なる努力も見逃すことなく差配する。そして上に立つものほど、自己犠牲をいとわない。ところが、こうした良い日本の慣習が失われ、露骨な行為が重視される傾向が目立つ。総理大臣が家計学園を優遇してもらいたいと考えているに違いない。このように想像するような人間が周辺に配置される。つまり、都合の良い人間が重用される。安倍さん、加計さんとは友達なのだから、ここは抑えてください。というように上に立つものを諫める人は周辺には存在しないだろう。それを承知する人ばかりが、出世するのを見ているので、損なくじは誰も引かなくなる。これがアベ政治の気持ちの悪いところだ。一見万事滞りなく動いているように見えながら、内実空洞化している。

アベ政治の在り方を、ソフト独裁と呼ぶ。言わずもがなで、ことが進むように仕組む。例えば加計の獣医学部設置を決めたのは、審議会で在り、総理大臣の自分は関与するところではないと、国会で力説していた。そもそも総理大臣は関与してもいいのだ。関与すべき立場なのだ。それをいかにも関与ていないかのように主張する卑劣さである。その審議会の委員を決めたのは誰か。上手く忖度する人間を審議委員にする訳だ。状況をよく分かり、こざかしく動く人間だけを審議委員にしてゆく。苦言を呈するような人間を排除してゆく。その結果、審議委員になりたいというような人間は、アベ政権の気に入る内容をこれ見よがしに、表現する。アベ政権の意向を忖度できる人間であることを誇示してゆく。自民党議員はおおむねこういう人間になった。こうして政府の意向に沿う人ばかりが浮かび上がる結果となり、議論というものが失われたのだろう。すべての問題に賛否は存在する。受動喫煙であれ、死刑廃止であれ、それぞれの人間に判断がある。それを議論し、将来を見据えて決めてゆくのが多数決の民主主義政治である。ところが、ソフト独裁では大いに議論するべき結論が決まっている。審議会が言い訳の組織になる。憲法の解釈ですら、アベ政権の自由になる。自分と同じ結論になるように、人事を動かす。

ソフト独裁の閉鎖社会の実態は、上ばかり見る人たちで出来ている。自由に自立して生きる尊厳を、自ら捨て去る社会。自分がこうであるというより、上がどう考えるかで自分の考えを変えてしまう。前文部事務次官の前川氏は立派な人であるが、何故在任中に頑張れなかったかである。多分頑張れるような風土が失われているのだ。だから、アベ政権がここまでひどい政権であっても、アベを支持した方が、自分には有利だと考える人が多数派なのだ。前川氏も辞めさせられて見て、この危機を自覚したのだろう。危険な時代に日本の社会はある。この危険度すら判断できない社会のようだ。今回の危機は個々人の中にある。もし国民の半数がこの危機に気づけば、日本はソフト独裁から抜け出せる。しかし、このソフトな抑圧は、自分の利益を拒絶しなければ抜け出せない。さて、利己的である人間が主流になった日本人はどうなるのだろう。

 

 

 

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大豆の会のはじまりまで--1

2017-06-25 04:06:03 | 自給

味噌づくりを始めた頃のことを連載で書いてほしいという事で、書き始めたのだが、やはり私が山北の山の中で開墾生活を始めた頃からを書き起こさないと、味噌づくりを始めた経緯がよく分からないようだ。それは農の会を何故作ったのかという事でもあるのだが。私個人のことで申し訳ないのだが、山北に来た頃のことから書き始めてみる。30代は東京の世田谷学園というところで、美術の講師をしていた。私の出身校でもあった。絵描きになろうと東京で様々に活動をしていた。行き詰まり環境を変えようと東京を離れる決意をする。しかし、世田谷学園を辞めてしまう決断も出来なかった。そこで、世田谷学園に東名高速で通える場所に移住しようと探した。その候補地が山北だった。しばらく山北の山の中をあちこち歩きながら絵を描いて居た。

半年くらい通っている内に、夕刻山北の高速バス停で山の上を見上げると、明かりがついている。次の週に山の上まで歩いて登った。山の上にまで車の通る細い道が続いていて、小笠原プレシジョンという名前の大きな建物があった。会社があるということなら、水もあるし、電気もある、道もある。この辺りなら暮らせそうだなと目を付けた。その翌日学校に行くと、学校の同窓会名簿が出来てきたという。5㎝もある分厚い名簿をひらいてみた。その開いたページに、小笠原プレシジョン・住所は山北とある。奇跡が起こった。あの山北の山の中の建物は同窓生の会社だ。その同窓生はその時の櫻井教務と同学年だった。すぐ聞きに行ってみた。友人だというのでその場で電話をしてくれた。

次の週に山北に絵を描きにゆき、小笠原プレシジョンを訊ねた。山北によく絵を描きに来ていると話すと、何と社長の小笠原さんは世田谷学園の同じ美術部の先輩だった。美術の稲田先生に教えて頂いて自分も絵描きになりたいと思ったこともあった、というのだ。アトリエを作りたいなら協力するよ、と言っていただけた。それから土地探しをした。工場の奥に少し平らな場所を見つけた。なんとなく良さそうな土地に見えた。ここなら気分良く絵が描けそうだというので、地主さんを探して土地を購入を申し入れた。地主さんはランの栽培をされている人だった。当時、私はパフィオペディュラムを熱心に栽培していて、世界蘭会議などにも出品していた。話がとても合った。ラン栽培にはあの山の上はいいはずだと言うので、土地を売ってくれることになる。偶然が続いて、とんとん拍子で話が進んだ。

37歳くらいの時だと思う。山北の山の上に通いながら開墾を始める。東名高速の山北バス停から、20リットルのポリタンクに水を入れて、リュックサックで山を登った。まず物置を買って山の上まで運んでもらった。わずかな平ら地を作り、物置を組み立てた。山北に行けばその一坪ほどの物置に寝泊まりをした。そして杉林を一本づつ切り開いた。そして平地を徐々に広げていった。人力のみの挑戦と決めていたので、シャベルとのこぎりだけである。汗を流す開墾暮らしが東京暮らしの息抜きだった。斜面にブルーシートを張って、下に大きなポリバケツを置いて、水を溜める装置を作った。そんな風に楽しんでいる内に、ふと、この場所で人力だけで、人間は生きることができるのか試したくなった。自給自足というものは人力で実現できるかの実験をしたくなった。そこからやり直さなければ、絵など描けないと思ったのだ。

今回は前段の前段で、まったく味噌づくりに入れず。次回につづく。

 

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石垣島の梅雨明け

2017-06-24 04:36:04 | 石垣島

いつもの宮良川の橋の上の場所で、いつものように描いた。田植えが終わり、田んぼが安定したので、石垣に絵を描きに来た。田植えが終わってから、田んぼの毎日いるような状態だった。田んぼが気がかりという事もある。田んぼで絵を描いて居たという事もある。昨年も田んぼが一段落して、同じころに石垣に来た。その時は慰霊の日を西表島で体験した。今回は石垣島だった。石垣は何度描いても新鮮なものがある。石垣の田んぼは今が稲刈りだ。稲穂の輝く色彩が緑濃い林に続いている。これは本土の紅葉の中の実りの秋とは違う景色である。むしろ、本来の稲作の姿を感じる。面白い絵になりそうな気がした。

 いつも描く宮良川の場所なのだが右奥にあるのが田んぼである。写真ではなぜか手前が大きく映ってしまうが、実際は田んぼはそう遠くないところにある。左側は元は田んぼだったようだが、現在は牧草地になっている。石垣牛が増加して、牧草地は年々増えているように感じる。川の様子がいかにも自然のままである。こういう川は本土ではまずない。また川の両岸にある農道が何とも言えなく魅力的である。踏み跡がいつか道になる。川にはいくらか空が映っている。然し川でなくとも実は空は、畑にも、田んぼにも、茂みにも映っている。見えるものはすべて同じに映っているという意識がある。

 

こちらは名蔵湾だ。やはり田んぼ、マングローブと続いている。これは描きだしたところだ。こんな風に描きだしているのだと、自分でも不思議な気がする。出来る限り考えなく描いている。座禅で言う無念無想。全くその時初めて絵筆をとるような気持で始める。もちろん、それはかなわぬことなのだが、ともかくできる限り前提を取り去り、その場の自分というものが見ている世界を、画面に移そうとする。やはり田んぼの様子に惹きつけられる。田んぼを縫うように川があり、マングローブの林に溶け込み、干潟に続く。そして海に静かにとしか言いようがなくつながっている。山、川、海、そして田んぼと人の暮らしが混然と存在する。

 

この素晴らしい場所が、どうもゴルフ場になる場所と思われる。私がとやかく言う事ではないが、残念である。今更ゴルフであろうか。ゴルフをやるのは、もう安倍晋三氏とトランプぐらいではないだろうか。若い人が車離れと言われる。ゴルフをやるような人は過去の話になる。宮良川の方は自衛隊基地予定地である。残念としか言いようがない。人がどこを目指しているのかという事を考える。石垣は日本で最も日本人が日本人らしく暮らしている場所だと思う。日本最古の人骨が見つかった。3万年、日本人がここで、日本人になるべく生きてきたのだ。日本がこれからどこへ行くのかを考える上で、石垣ほど大切な場所はない。

 

 

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石垣島で2万7千年前の全身人骨 19体

2017-06-23 04:38:24 | 暮らし

沖縄県・石垣島(石垣市)の「白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡」でで見つかった旧石器時代の人骨が、全身骨格がほぼ残った人骨としては国内最古の約2万7千年前のものとみられることが分かった。縄文時代は1万3000年前に始まる。人為的に安置されていたらしい。旧石器時代に人を葬る思想があったことをうかがわせ「墓域を国内で初めて確認した」と説明している。

飛行場の中の調整池に遺跡は保存されている。

 

 白保竿根田原洞穴遺跡で見つかった約2万7千年前のものとみられる人骨(沖縄県立埋蔵文化財センター提供)
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 白保竿根田原洞穴遺跡で見つかった約2万7千年前のものとみられる人骨(沖縄県立埋蔵文化財センター提供)

 これまで最古とされていたのは、沖縄本島南部で発見された「港川(みなとがわ)人」の約2万2千年前。同センターの金城亀信所長は19日の記者会見で「日本の人類史に新たな一ページを刻むことができる重要な発見だ」少なくとも19体分以上の骨があることも分かり、旧石器時代の人骨発掘としては「世界最大級」。

この向こう側あたり思われる場所 案内板などないのでわからないのだが。

日本の南の島には2万7000年という古い時代から人が暮らしていた。縄文時代が始まるさらに1万4000年も前のことだ。今回の発見で日本人のルーツがかなり明確になって来るのではないだろうか。空想では、南の島から、一人また一人と北上してくる人たちがいる。フィリピンに、そして台湾に。台湾からどうやって海を渡るのか、当時の資材と技術で実証実験の航海が試みられている。前回は潮の流れに押し戻され失敗に終わった。風や、潮を十分に把握していなければ、海の民にはなれない。頭の中にそうした自然が完全に入っていた人たちだと思う。舟を操り、漁をしていたはずだ。そして海の潮を知るようになり、遠くまで航海できるようになった。そうした冒険心が人間にはあった。そう出なければ人間は今に続いて居ないだろう。ついに与那国島に、西表島に、そして石垣島に徐々に人が暮らすようになる。生きるという事が冒険であった時代。

日本列島に最初に来た人たちが暮らした場所は今はこんなところだった。

稲作もこうして最初に南西諸島に渡ってきたものだと想像している。全ては海を越えてやってきた。その技術が徐々に北上してきた。そして、弥生期になって、一気に稲作技術と呼べるような方法が確立し、また稲作方法が南下していった。私はこんなイメージを持っている。日本は南西諸島に始まる、水土の国である。このことを忘れてはならないと思う。新しい人が少しづつ、少しづつ渡ってきた。その新しい人を受け入れる力がかつての日本人にはあったことを思い出すべきだ。日本列島は孤立していたわけではない。東アジアの島じまの一つとして、人間の緩やかな交流の中に存在した。今を生きる日本人ができることは、2万7千年前のご先祖を思い、さらに南の島を思い、東アジア全体を思い、世界で一番心豊かな国なることだ。

今はサトウキビ畑と飛行場に挟まれていた。

何故南の島にだけ古い人骨が残るのかは、人がいたからであるが、サンゴ礁で出来た石灰岩の土地では、骨が保存される可能性が高いのだそうだ。南西諸島に初めて日本人は暮らし始めた。このことは日本人が大切にしなければならない歴史だ。日本人は日本列島にやってきた人々だという事である。北から来た人も居ただろう。朝鮮半島から来た人たちもいただろう。日本列島という場所は暮らしやすい場所だったのだろう。徐々に人口が増え、日本人が誕生する。縄文の土偶や土器を見ると、すでに素晴らしい芸術的感性を持つ民族だったことが分かる。それは日本の多様な山、川、海の自然環境の中で、厳しい冬もある四季のある気候のなかで暮らしたことで、文化的な感性が育まれたはずだ。災害の頻発する土地であったことも日本人を鍛えたことであろう。この魅力的な日本列島に徐々に技術を携えた人たちが渡ってきた。争いもあり、融和しながら、稲作技術が広まるとともに日本国が出来上がってゆく。

 

 

 

 

 

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ジャガイモの保存方法

2017-06-22 04:42:43 | 自給

ジャガイモを保存して一年間食べている。春ジャガイモを10キロの種イモを植えて作る。これが我が家の一年分になる。5,60キロかと思う。今年はどうなるだろうか。6月18日に半分を収穫して35キロ、20日に全部の収量をして70キロを超えた。私としては最高の出来であるが、10倍にはなるのが普通らしい。今年はタマネギもジャガイモも、大麦も過去にない豊作である。天候の影響もあるにはあるが、一人で作るのではなくなったためだと思う。みんなで共同で作るようになって意見を出し合っていろいろやるのが良いのだと思う。楽しいから畑に行く回数も増える。みんなの自給の良いところではないだろうか。70キロもジャガイモがあってこれを食べるとなると、イギリス人という事になるらしい。イギリス人は年間100キロを超えるジャガイモを食べるという話だ。まさかと思うが。私はそんなには食べないので、喜んでくれる人に送ろうと思う。そして保存をする。毎年秋じゃがを作らないで、1年持たせている。

ひと箱あるダンボールがジャガイモ保存の箱。

ジャガイモは10個ほどづつ新聞紙にくるみ、段ボール箱に入れる。段ボールは光の漏れないもの。段ボール箱の中に詰め込み過ぎないようにして、50個づつほど10箱に入れれば500個の保存ができる。光を当てないという意味は収穫してから一貫してのことで、露天で太陽に充てて干すというようなことはしない方が良い。ジャガイモの収穫は葉が完全に枯れるのを待つ。出来るだけ畑の乾いた状態で収穫してゆく。梅雨時で少し難しいのだが、収穫を遅らせても大丈夫なので、地中で乾燥してから収穫する。日に当てないという意味では夕方暗くなりかけてやる様にしたい。その場で新聞紙にくるみながら、段ボールに詰めて、ガムテープ止めしてしまうくらいがいい。収穫ではできるだけ静かに丁寧に扱う。イモに衝撃を与えると長期保存が出来なくなる。また、腐りそうな柔らかなジャガイモ、虫の食ったり、欠けたジャガイモは保存ではなく、早く食べる方に回す。一つが腐ると周辺のイモまで腐る。じゃがいもは玉ねぎとは逆で小さいほうから食べて、大きいのを残す。芽が出たり、柔らかくなっても食べやすいからである。

 ジャガイモは全部で70キロだった。10キロの種イモだから、7倍である。10倍にはなるというからもう一工夫なのかもしれない。でも良い大きさの、きれいなイモばかりだった。齧られたいもが20個ぐらいあったから、鼠がいるのかもしれない。病気は全く出ていない。ジャガイモを始めて作る田んぼだったという事が良かったのではなかろうか。今回は連作すると取れなくなるということを考えた。作るものを回してゆくということは、病気対策にはやっても良いことのようだ。土寄せは必要だと思う。今回は、土寄せする前にそばかすをまいて、それから土寄せをした。そしてよく茂ってから、根元にそばかすをまいてみた。効果まではわからないが、以前より採れたのだから悪くはないのだろう。草取りは最初のころ一回だけして、あとは何もしなかった。よく茂った株は影響を受けないようだ。それでもイモが10個もしっかりついているものもあるのだから、全部がああなるように努力したい。

来年からは大豆との裏表の組み合わせを、大豆:麦、大豆:ジャガイモ、大豆:タマネギという3つの組み合わせを3年ごとに回していったらいいかと考えている。欠ノ上田んぼの周辺に3か所おおよそ3畝の畑で大豆を作ることになった。その裏で少しづつやったらどうかと考えている。個人で作れる人は、舟原田んぼの下の畑の方でやってもらえばいいかと考えている。

 

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良い世の中にするために絵を描く

2017-06-21 03:55:35 | 水彩画

水彩人では絵を語り合う研究会をやっている。先日の絵を語る会で、学生の頃良い世の中を作るために絵を描くと考えていたと語り、若干失笑をかった。そうだろうと思う、自分でもその後50年絵を描いてきて、私の絵が社会を変えたとは思えない。もちろん、この50年社会を変えた絵はあったかと言えば、なかった。私の絵が力不足なだけではなく、世の中を変えたいなら、絵など選ぶべきではなかったのだ。そのことが失笑の対象になったわけだ。当然のことである。では、デモをして何かが変わったことがあるかと言えば、デモの方がいくらか効果があるようだ。では、何をすれば世の中は変わったのだろう。何をしたって世の中はずるずると悪い方に引き込まれてゆくだけに見える。お仲間優遇のアベ政権ですら、世の中を変えることなど出来ないようにも見える。何か人間の業というか、宿命のようなものが世界を混沌に引きずり込んでいる。この人類の何かに突き動かされ、亡霊のように歩まされているかのようだ。

山梨の寺尾の景色 上の絵が描いている途中 遠く南アルプスが見える。

絵を描くことは自分を変えることであることは、間違いがない。絵を描くということで自分を確認できるということは確かなことだ。変わってゆく自分の記録が絵。絵を描くということは楽しいからやり続けている。だから修行の厳しい側面はない。どうにも思うように描けなくて困るというようなことがないわけではない。それでも、絵を描く楽しさは、生きているという深い所での実感がある。その意味では田んぼは行であるかもしれない。座禅のような意味不明なものに、行を感じることが出来なかった者としては、行は具体的な行為がなければできない。武道や、音楽のように、結果が具体的なものだ。武道の名人が、弓を忘れるならいいが、今の武道は弓を忘れるどころか賞金を目指すブドウに成り下がる。それでは人間を深めるどころか、堕落させるだけだ。賞金という餌につられた、見世物である。武道が世界を良くするどころか、堕落してゆく世界の息抜きになりかねない。

それは絵で言えば商品絵画の世界である。売れる人が偉い大家の画家である。ピカソの絵は1億円だから素晴らしい。絵画投機。しかし、芸術としての絵画は人間にどれだけ影響を与えられるかだと思う。ゴッホも、セザンヌもまるで売れない絵描きではあったが、人類への影響はあった。社会にもあったのだと思う。絵というものを通して、人間の問題があるからだ。人間が生きるという不思議が描かれている。絵はその人間のレベルまでである。人間の不思議の精神世界の中に分け入らない絵であれば、それは装飾品どまりである。自分が生まれてきて死んでゆく、生きているというこの時間の中で、自分存在の実感にどこまで迫り、その迫り方をそのままに示すことができるのが絵だ。私は今を自給生活で十分楽しく生きている。その楽しさの深さを絵は示しているかもしれない。人は死んでゆく。その死んでゆく悲しさも感じている。その受け入れられないが受け入れるしかない、どうにもならないものも描いている。

絵は確かに社会を変えるような直接的な力は失われた。しかし、絵というものは人間の真実を感じる手段としてはすごいものがある。人間の奥底にある訳の分からないものを、訳が分からないままに、そのままを伝えることができる。それは私にだけ私の絵が見えるという事かもしれない。ダビンチさんも、雪舟さんも、石濤さんも、マチスさんも生身の人間として、私の前に絵として存在を続け、その生き様の深みを絵画として残している。個としての人間の私と、物存在としての絵の間にだけ伝わる、なにものかがある。これが人間というものが本質に向かう、道しるべになる可能性はある。人間が生きることの真実を感じるようになれば、戦争などしない人間になるだろうと信じている。他者を思いやることのできる人間になれると信じている。私にできるかどうかは別にして、絵画がもう一度、私の中に戻ることでその力を取り戻せるのかもしれないと、まだ諦めないでいる。 

 

 

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タマネギの保存方法

2017-06-20 04:12:58 | 自給

大・中・小で平均が246グラム。小さいやつが保存用。(ソニックとネオアース)

今年はタマネギが365個は確保できた。これで一年分である。タマネギとジャガイモは長期保存ができる。私は一年間保存して食べている。タマネギ栽培はあまり上手ではないが、保存の方法は上手く行っている。それは小さなタマネギの方が保存がきくという事だ。保存と栽培は繋がっていて、出来の悪い硬い小さなタマネギほど保存がきくのだ。だから、私は保存用のタマネギ栽培を目指してきたと冗談で話している。何しろ25年間毎年作ってきて、保存用と言うしかないほど小さい玉ねぎしかできなかった。保存用なら聞いてくれと言いたいほどのヘタだ。今年も実は種から作ったタマネギは全て保存向きである。うまく出来ずに小さいままである。苗を作るのが難しい。来年こそ苗を頑張りたいと思っている。保存方法の事だった。

 
 

家の北側の石垣の下。屋根はある。風通しは良い方である。タマネギはこのように積んである。

良くできたの人にもだいぶ差し上げたので、かなり減った。それでも365個はある。保存に向くのは晩生の品種で、ネオアースの方が良い。他にも良いのはあるのだろうが、いろいろ作ったことがないのでわからない。いずれにしても大きいものから食べて、小さいものを保存用に残してゆく。収穫したらビニールハウスに1,2週間は置いておく。畑に広げておいてもいいのだが、雨の多いい季節なので、ハウスに取り込んでおいた方が確実に乾燥する。ここで良く乾燥させることが保存をよくするコツのようだ。保存するためには、まず根を切る。茎は上から15センチほど残して切り落とす。根を切るのは根があると水分を吸ってしまい、芽を出しやすいからである。頭を15cm残すのも芽が出ない為である。根と頭を切ったらば、風通しの良い、日陰に置く。農家の北側の軒下に、紐で縛って吊るしてある。私の家では苗箱に入れて、棚に並べておく。一日1個ぐらい用意しておくと、2人分で一年でちょうど食べ終わる。最後には小さいものばかりになるが、充分タマネギとして1年間美味しく食べることができる。

栽培は今年はタマネギの会で作ったものが一番よくできた。最初はどうなるかというほど生育が悪く見えたが、後半ぐんぐん太った。それは信じられないほど最後の最後で大きくなったという感じだった。葉が完全に枯れるまで成長しているようだ。引き抜いてみると、葉は刈れていても根は生き生きしている。ネギ坊主さえ出なければそのまま置いておく方が良いようだ。畑の場所を極端に選ぶことを実感した。場所によって出来がまるで違う。玉ねぎは田んぼのような土壌の方が好きなようだ。浸透性の良い畑向きの土壌ではあまりよくはならない。土があまり乾くのが良くないのかもしれない。草を出さないという事は、決定的なことのようで、それはドジョウの根の状態に影響があるという事もあるが、どうも日当たりが悪いと余計に良くないようだ。またタマネギ同士がくっつきあうほどの密植でも問題はないようだ。苗作りが重要ですんなり大きくできた苗でやるのが重要なようだ。本に良くある良い苗の基準、鉛筆ぐらいの太さというより大きいくらいの方が良い結果が出た。

 

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ラムサールネットのシンポジュウム

2017-06-19 04:15:27 | 地域

ラムサールネットのシンポジュームが小田原で行われた。100人以上の人が集まった。私も実践者の一人として田んぼの報告をさせてもらった。一番言いたかったことは水田は続けなければいけないという事だ。水田も一応湿地に入っている。水田のない日本など考えられないという事。それは環境保全という事以上に、文化の基礎に水田あるという考えである。もう一つ言いたかったのは、有機農業だから収量が低いというのは、間違いだという事だった。それは努力が足りないからであってそんなことを公言すれば、有機農業者として恥ずかしいことだ。有機農業の普及の足を引っ張るだけである。畝取りを目標にして、ほぼ達成している。慣行農法で畝取りする自信はないが、今のやり方なら、よほどのことがない限り畝取りするつもりだ。有機農業を真剣にやればそういう事になる。もちろん収量がすべてとは思わないが、それだけの技術力がなければ、普及など人に呼び掛けてはならないと考えている。有機だから仕方がないとか言い訳に使う事だけは口にしないでほしいと言いたかった。

生きものの多様性はどのような水田をすれば実現できるのか。長年田んぼをやってきたが、これが分からない。この点は聞きたかったところだ。経験では同じ有機農法で、20年耕作しても居なくなった生きものは戻っては来ない。例えば、欠ノ上の田んぼには9番という一番下流の田んぼには毎年ホウネンエビが出現する。そこで産卵し、冬や卵で過ごし、春になって水が入ると湧いてくるように出現する。しかし、上流の8番や、7番にはホウネンエビは現れない。この秋には9番の土壌を7番と10番に入れてみようと考えている。こういうことはビオトープの思想ではやってはいけないことなのだろう。しかし、多様性という意味では確実に増える。7,8,9,10、11番と出現すれば、絶滅する可能性がぐんと減る。それに意味が有るのかどうか。どうもこの辺の認識がそれぞれに違っているらしい。私の場合はホウネンエビのいる田んぼの方が好きだからである。

居なくなったドジョウを、桑原から捕まえてきて入れてもよいのかどうかである。ドジョウがいた方が良いと考えている。わざわざ、取り寄せて田んぼで養殖をやったこともある。それではタニシやシジミはどうだろう。桑原から持ってきて入れてもいいものだろうか。「とんでもないことだ」と、自然保護原理主義者から怒られそうだ。では田圃で鯉の養殖をするのはどうだろう。ドジョウの養殖はどうだろうか。これも否定はできないだろうが、原理主義者には気に入らないに違いない。農地で産業として禁止されていないことを行うに、自然の攪乱も何もない。ジャンボタニシでは文句も出るだろうが、食用に食べるようになればたちどころに居なくなるだろう。外部に出てよほど迷惑という事になっていない生き物なら、何処のの農地で飼おうと構わないはずだ。ただドジョウでも韓国ドジョウであれば怒られることになる。売られているドジョウには韓国産が結構ある。外来生物の増加は生物多様性と言えるのだろうか。この辺の整理がまだよく分からない。

トウキョウダルマガエルが減っているそうだ。カエルが住めないようなところは遠からず人間も住めなくなるという意味で問題なのだろう。ただ他のカエルがいて、東京ダルマガエルが居なくなった理由には、水田の減少だけでなく、吸盤のない種のカエルには不利な環境に変わったという事があるらしい。水路がコンクリート化すると生き物は急減する。つまらなくなるが、人間が住みにくくなるわけではない。このあたりでは春蘭やエビネを見ることはない。春蘭やエビネが無くなった最大の理由は人間が取りつくしたのだろう。春蘭が住めないような環境になった訳ではない。自然を環境のバロメーターと考えた時の多様性は、土壌微生物の種類と数量の違いで見る方法の確立が必要だ。目に見える生き物の世界以上に異変が起きているはずだ。ラムサール条約で問題になる湿地の減少は、間違いなく人間の増加である。人間を減らすこと以外に解決策はない。幸い日本は人口減少に転じた。湿地もそうだが海岸線の回復を考える必要がある。まずは自然環境を未来から逆算して、区分けすることではなかろうか。

 

 

 

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大麦の刈り取り

2017-06-18 04:02:49 | 自給

大麦畑 家の隣にある。2畝位だと思う。奥の下の方がよくできていて、手前は草が多くて出来が今一つだった。手前の方が草取りがある程度できたのだろう。

家の脇の畑で大麦を2畝ほど作っている。将来はビール作りたいと思いながら、果たせずに今年も麦茶と麦みその原料になりそうだ。毎年40キロは取れる。これでみんなで麦茶を作る。今年はどう見ても豊作である。特別なことはしていないのだが、良くできている。冬の間に分げつが進んだ。麦作りは立ち上がりが大切なようだ。他の畑の麦に比べて出来がとても良い。何故か家の畑だけはよくできた。特別に肥料を入れたことはない。畑は大豆、麦を繰り返してきた。ソバカスを時々撒く。何かを作った後には撒いては耕しておく。確か、今年は追肥をした。これが良かったのかもしれない。分げつが良くなるようにきたしてソバカスを撒いた。くらいで、漠然と土が良くなってきたようだという事ぐらいしかわからない。私としてはもったいないほどの上出来である。草取りも特に行っていない。カラスムギも、ネズミ麦も出てはいるが、生育をそこなうほどの出方ではなかった。昨年は麦わらをたい肥にして戻した。これが良かったのかもしれない。麦刈りの前に除去すれば済む程度である。

この大麦の麦茶は評判が良い。何しろ、アサヒビールの麦茶を作る専門家の方が、この麦茶を飲んでこれは美味しいと評価してくれたそうだ。いろいろの麦で麦茶を作っている人が美味しいと言ってくれたというから、なかなかのものではないかと思っている。夏の間この麦茶で農作業を乗り切っている。今年は、53キロの収穫だった。豊作ではないかと思う。反収にすると300キロぐらいで、面積が正確でないのでよく分からないのだが。悪くはなかったとおもう。麦刈りは梅雨の晴れ間の6月17日に行った。麦の水分は13,8%だった。今年は晴天が続いて、良く乾いてくれた。ここまで乾いてくれれば特に干しはいらない。田んぼのみんなが協力に来てくれた。有難さに感謝に満たされた。麦作りこんなにも嬉しい活動はない。何か皆さんの思いが、自分の為ではなくみんなの為となればと協力してくれている。こういうことができる友人がいるという事だけで、生きてきた甲斐があるというものだ。

最近の梅雨は雨が少ないから助かる。ここで麦刈りをすれば、次の大豆の播種が7月7日前後だから、ちょうど間に合う事になる。麦を刈ったらすぐにソバカスを撒く。撒いて耕しておく。刈り取った麦わらにもソバカスを混ぜて、堆肥にする。堆肥にしてから畑に戻す。もしこれが昔のように田んぼで作っていたとすれば、今日明日にでも水を入れて、すぐにアラオコシ代掻きという事になる。昔のお百姓さんの能力はけた外れだ。1週間の間に準備をして、24日に田植え。ぎりぎり間に合うというところだろうか。しかし、この手順をこなす能力は私にはない。頭の中が混乱してしまい、裏作の麦という事は一度やっては見たが、どうしてもこなせない。そこで、大豆と麦の組み合わせで、やることにした。これなら畑も空けないで済む。畑はいつも何かを作っていた方が良くなるものだ。田んぼの裏は緑肥を作ることにしている。

畔で大豆を作るのもなかなか難しかった。大豆が一番よくできる方法だと思う。田んぼの畔は風通しが良いせいかあまり虫にもやられない。問題は畔の草刈りが大変になるのだ。一気に草刈りをしたいのに、ついつい大豆を切ってしまうのだ。大雑把な性格だからだろう。今年大豆の種が余ればどこかで実験をしてみたい。一番奥の日陰の畔はどうだろうか。53キロの麦は醤油と味噌と麦茶にしようと考えている。麦茶には30キロ。醤油に10キロ。味噌に10キロ。タネに3キロ。こんな感じだろうか。醤油の希望者が多ければ、麦茶20キロ。醤油20キロという事になる。大豆の会で相談して決めよう。

 

 

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農業の多面的機能

2017-06-17 04:43:08 | 自給

農業は産業という枠では捉えにくいものではなかろうか。たぶん自動車産業であっても、産業だけではない側面もある。しかし、農業ほど幅広い意味を含み込んではいないだろう。それを農水省では多面的機能と呼んでいる。資本主義的な産業の一つとしての側面だけで、競争の原理を持ち込むことは難しいと考えている。切り捨てられてしまうものが多すぎるという事だろう。切り捨ててしまっても競争社会では構わないのだろうが、人間の豊かな暮らしという意味では、問題が出てくる。農業の環境維持機能や教育的機能地方社会の維持機能など、一緒に切り捨てられることになる。それは社会全体としてみれば大きな損失になる。農業を止めることで、老人医療費が上がるとか、社会福祉施設の新たな受け皿が必要になるとか、その果てに地域そのものが消滅してゆく。日本の社会構造のすべてに及んでゆくのではないだろうか。特に、自然環境や暮らし方の異なる国との貿易において、同じ産業の枠で競争を考えることは無理なことに考える必要がある。

かつて農業は人生そのものであり、日本教の信仰のようなものであった。日本人の生活規範は農業から産まれた。農業が精神生活を支えたと言える時代すらあった。多分そのことが、日本人と天皇の関係を生んだのだと個人的には考えている。そんな特異な観点でなくごく普通に、農業は健康法ともいえる。ジム通いの代わりだという人、歩き回って徘徊と間違えられるよりはましというので、農業を続けている人も知っている。もちろん、ジム通いなら好きだが、畑などこりごりという世代の人が多数派だろう。所が農業は楽しいという若い人も登場している。農的生活に入り身体を直したという人にも会う。特に心の病が農業によって癒されたという話は珍しくない。劣悪な人間関係やブラック企業で働いているよりは、生きて行けるなら農業の方がどれほど良いかという人が居る。こういう農業はお金にはならないが、生き方としての価値があるという事は大切な側面だ。

先日田んぼで、農の会の仲間で田んぼをやっている人の奥さんから、お米は買った方が安いのに、何故田んぼをやるのかと真顔で聞かれた。正直な人である。そういう時、田んぼが好きだからとかしか言いようがない。やはり、農業は産業ではない。価格というものがどこから生まれるかである。自分が作ったものを自分が食べるという安心は価格にはならない。絵を気持ちよく描けるようになったのは自給農業を始めてからだ。それまでは絵を商品として描いて居た。なかなか売れない商品を描いていたのだから、絵は苦痛を伴うものでもあった。しかし、自給農業を始めてわかったのは、絵が産業ではなく、芸術だという当たり前のことだ。なぜ絵を描くのかと言われれば、自分の生き方だとしか答えようがない。自分という人間をやり尽くしたいという事だろう。自給自足で生きてみたいという意味は、生きるという芸術的日々を歩むようなもので、産業の視点とは別のことになる。

こうした多様な農業にあった意味が失われてきた。芸術としての絵画が終わろうとしているのと同じだ。売れない絵を描いて居たり、割に合わない米作りをしたり、そいう生き方はいつの時代も許され難いのだろう。競争を強める世界全体の方向はどうにもならない事であろう。しかし、絵は勝手に描いて居ても、文句まではいわれない。農業で困るのは、無理やりやめろという圧力があることだ。何とか1キロ300円なら続けられたが、200円にしかならなくなって、やむなく辞めざる得ないという産業としての農家の現実がある。ご先祖の残してくれたものを守ろうとしてきたのに、無念という人も居るだろう。新規参入の素晴らしい農業法人の話が、希望として語られる。補助金もそこに集中するのだろう。やめてほしい小さな農家はさらに経営から外れてゆく。こうして美しい日本の、水田景観が失われてゆく。美しい田んぼとは区画整理された巨大な田んぼではない。美しい水田の景観は今が見納めなのではないだろうか。

 

 

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アベ政権の限度の超え方

2017-06-16 04:04:50 | Peace Cafe

アベ政権はやりたい放題になってしまった。それを受け入れる国民なのだから当然である。言いなりの公明党と、媚びを売る維新の会を従えて、何も怖いものがないかのようである。独裁政権というのはこういうことになる。共謀罪のことなどまともな議論も行われていない。初めから結論ありきで、一応の通過儀礼のように国会審議が進められただけである。根拠となるテロ対策の国際法加盟に、共謀罪が必要なのか不要なのか議論がなされていない。この間、存在した森友事件や加計事件はまるでなかったのように、共謀罪が進められ、前例のないような強引な国会運営で決められた。独裁政治を受け入れた国の危険が現実化してきている、国民がどう判断するかである。明日は我が身である。ソフト独裁は、国民の顔色を判断している。印象政治である。印象操作だと叫び続けた安倍氏の本音は、国民を印象操作しようとしている裏返しの叫びだ。ソフト独裁は印象独裁だ。印象の見栄えの為には、演出に従い台詞の嘘を平然と言い放つ。

印象政治は印象の潮目がある。人気役者でもある日突然見向きもされなくなることがある。印象と実力は違う。共謀罪がきちっと議論され、必要なものであれば有効になる。法律ができたとしてもその運用は時の政権が行う事になる。新政権が取り締まるつもりだった自民党を共謀罪で取り締まるようなことだってありうるのだ。悪い法律は早く廃棄する以外にない。前川元事務次官に対する読売新聞のスキャンダル報道をよくよく考えておかなければならない。誰かが監視しているのである。監視社会の裏付けになる法律が共謀罪である。監視を隠れてやるか、合法的にやるかの違いだ。意にそぐわない人間をこういう形で抹殺しようとするのだ。その事実や細部は私にはわからないが、ともかく反政府的な言動をすると、新聞社がこういう記事を流すのだ。これは大本営発表以上にソフト独裁政治の本質を表している。この事実を見て、怖くて黙る人が自民党内にもいるだろう。文部省の義家副大臣は省内の情報を漏らした人間は、公務員の守秘義務違反で逮捕されるとまで国会で発言した。とんでもない国民の利益に反する発言だ。機密文章ではない。むしろ特区の選定に関して国民にすべてを公表すべき種類の文章である。義家氏をむしろ、恐喝罪かパワハラで告訴すべきだ。

文部省で共有化されていた文章を、出ろころ不明の怪文章と決めつけてもみ消そうとした。菅官房長官は、匿名の内部告発者に対して、名前を出して発言するなら取り合ってやると脅した。守秘義務違反と脅され、正義の為なら名乗り出ろという姿が、まさにソフト独裁の本質なのだ。官僚に対するパワーハラスメントではないか。名乗り出た前事務次官は、スキャンダル情報が読売新聞に掲載されたのだ。このがんじがらめの公務員の姿こそ、これからの日本人全体に及んで来る監視社会としなければならない。私など取るに足らない人間だから無視されているのだろうが、以前要注意人物として、警察の監視を受けていたことがある。たぶん私の個人情報など、データーベースに残っているに違いない。小物で良かったようなものだが、共謀罪で大っぴらに調査を受けることになると、さすがに周りの人にまで迷惑がかかる。そうして活動力を抑えることができることになる。

それでも国民の半数がアベ政権支持を変えない。独裁政治であろうとなかろうと、自分には関係がないと思っているのだ。ソフト独裁の怖いのは、真綿首で絞めつけられているので、気づかないうちに支配されていることだ。国民が全体が、お上に対して忖度することになる。議員の先生に逆らわない方が得策だ。このような感覚が社会に蔓延して、自らの首を差し出すことになる。経済さえ何とか乗り切ってくれれば、後のことなど関係ない。というのが今の苦しい日本人の意識なのではなかろうか。格差社会の方が独裁を求めるのだ。しかし、さして根拠のない安倍政権支持だから、潮目が変われば手の平を返すだけだろう。思想や論理性は関係がない。あくまで印象操作なのだ。野党は政府の政策に対して、論理で立ち向かうが無駄なことだ。そんなことでは印象操作に立ち向かえない。家計、森友でもダメなのだから、国民を意識した戦い方が必要なのだろう。緑のおばさんの都知事を見習う必要がある。

 

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