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米のセシュウム、基準値を越える

2011-11-30 03:58:39 | Peace Cafe
今回の福島のお米の放射能暫定基準越えは、政府のたび重なる失態が又出た。福島のお米は収穫前、出荷前に予備調査を繰り返していた。その結果不検出が相次ぎ、移行計数の予測が一ケタ違っていたのだろうという、推測に至った。しかし、予想外の米のセシュウムの検出が相次ぐ。最悪の展開である。余りの情けなさに、このところ体調まで崩れてしまった。米のことは心とつながっている。心にダメージが来る。牛の飼料に稲藁を使った時と同じ結果である。大丈夫と安全をアピールしているものから、放射能が出ればそれまでの対策のすべてが、信頼性を失う。政府の無能ぶり、無責任ぶりを繰り返しさらしている。理由は明白である。事前調査の段階では、放射能が少ないだろう田んぼを検査対象にしていた。どういう地形と水系で放射能がたまるかなど、小田原なら私にも推定できる。多分行政の関係者は、日々空間線量を調べ、放射能に関する情報も集めている。話してみるとどの地域が放射能が高いかをよく知っている。福島ならなおさらのことだ。

そしてその結果行った、小田原のお米の調査は千代と言う地域で行われた。あしがら地域では一番低いだろうと思われる田んぼである。付近には農の会の関係者の田んぼがあり、1ベクレル程度と言う、極めて低い値が出ている。県の発表では当然不検出と言うことである。そして神奈川県では、もう一か所横浜を行い。神奈川県全体のお米を安全宣言した。本来なら、ここが足柄地域で一番高いだろうと推測される田んぼのお米を測定してみる必要がある。ここは高いかも知れなかったという田んぼは、あしがら地域にもある。言いたくはないし考えたくもないが、そういう状況である。高いと言っても100ベクレルを越えることはないから、私にとっては食べる範囲であるが、子供が毎日食べるにはどうだろうかと思う。辛いことであるが、事実を受け止めるしかない。

お米の場合着目点は2つある。セシュウムは、土壌と水から吸着される。土壌からの移行は予想よりはるかに低い値であった。しかし、水からの移行についてはまだデーターが少ない。流れ込む水に、いくらかでもあれば、稲は自ら直接セシュウムを吸い上げると思われる。流れ込む水と言っても、田んぼの場合、水路や窪地などにたまっていた落ち葉や泥に吸着された放射能が、大雨で一気に流れ込む可能性もある。この時土壌の状態が大きく影響する。根の状態もそうである。上根ばかりの田んぼにおいては、高くなるはずである。土壌がフィルターになる確率が少ない。この点では土づくりを含む栽培法の研究の余地がある。入水口に、パーライトのような、吸着物質を入れておくことも良いだろう。これは山からの養分吸収も無くなるということだが、当分は仕方が無いことになる。山の落ち葉堆肥は、あしがら地域でも相当に高い値に成っていることが、分かっている。使わない方がいい。又そこから雨によって流れ込む水も、それなりに汚染が続いているとしなければならない。

放射能の影響は地形、水系が肝心になる。福島第一からの放射能雲の流れ込んだ山を、背後に抱えている田んぼは高くなる。福島では高くなりそうな田んぼの予備調査を避けていたと思われる。行政はごまかして通せると考えたのか、推理力が無く無造作に行ったのか。今やらなければならないことは、放射能が高い値を検出している田んぼを、徹底的に調べることである。高かった田んぼの土壌を入水口と排水口を調べて比較する。流れ込む水系の調査。失敗から学ばなければならない。そして公表して欲しい。少しは対応方が見える。お茶の時も、信頼性を疑われるような対応をしていたが、一向に学ぶことが無い。福島でも、20ベクレル以下不検出のお米が大半のはずだ。先日出た大波地区のお米でも、田んぼによって不検出のところも多い。しかし、検査の杜撰さから、すべてが等しく廃棄処分になる。福島米全体に影響が出るだろう。そして、東北のお米、日本のお米と稲作全体に影響を及ぼす。安くて、安全な、アメリカのお米と言うことになりかねない。
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秋苗作り

2011-11-29 04:17:36 | 自給




秋の苗は、タマネギの植え付けが終わって、エンドウ、ソラマメ、キャベツが苗箱にある。豆類は簡単だ。種に養分があるから、芽さえ出ればそれなりの苗にはなる。もちろん直播でも問題は無いのだが、ギリギリまで畑を寝かせたい。鶏糞堆肥を入れて耕して、時間をおきたい。前作を片づけるのがいつも遅れる。今回はトウモロコシを粘っていて諦めきれなかった。穂は出ていた。暖かい秋だから何とかなるかと思ったのだが、ついに実まではいかなかった。3週間前に漉きこんだが、随分の草量である。せめて緑肥になってくれれば。これを刈り払ってから、すきこむ前に鶏糞堆肥とソバカスを蒔いてある。これでよく耕して、できるだけ時間をおきたい。そうして苗を植え付ける前にもう一度耕す方針である。苗の方がスタートが早い分雑草が相当に減る。その時間稼ぎ為には、直播でなく苗作りが必要になる。自給農業では、細々長くが良い。終わりかかったトマトやナスが少しでも取れる位が、丁度良く11月まで食べると言うのがふつうである。

苗は、苗箱に蒔く。別段難しいことはしない。セルトレーなどに作るより、水やりが簡単である。良い苗作りは水やりが肝心。大切にして水のやり過ぎ、厳しく育てた方がと水を辛くしすぎる。気分しだいの、大雑把な栽培が一番良くないことになる。そこで、苗箱なら土が一体化しているから、水が適度に抜けるし滞留しない。大雑把が緩和される。これは大豆の苗作りで分かったことだ。苗トレ―で作ると失敗が少ない。水遣りを忘れても、すぐには乾かない。雨が降った時はどんどん雨に濡らす。雨には溶存酸素があるから、根ぐされは無い。土は、山土と落ち葉堆肥を混ぜたものである。山土は稲の苗土を振るった時の荒い方の残りで、酸性度は高い。落ち葉堆肥は踏み込み温床を作った時の底の方から順次出す。アルカリ度がある。これを良く混合して苗土にする。種を蒔いた後は、肥料分のない、草の種もない土を上から覆う。だいたいの場合は、種の大きさの3倍の深さ。と言ってももう少し浅いかもしれない。

ホウレンソウや長ネギは畑に直に蒔いた。小松菜はハウスと畑の両方にある。正月には小松菜はかならず欲しい。雑煮にはないと落ち着かない。冬の葉物は寒じめと言って甘みが増しておいしい。生育には時間がかかるが、虫も雑草少なくタイミングさえうまく行けば楽である。ニンジンはプランターで試してみている。いつも結局は草に紛れてダメになる。今蒔けば春野菜のない頃に出来るそうだ。なんくる農園のブログに出ていた。ニンジンほど有機栽培の特徴が出る野菜はない。人参らしい香りがする。きんぴらや野菜天ぷらにしておいしいような、少しくせのあるニンジンこそニンジンである。そう言えばサトイモだけは今年も良くできた。いつもすごい出来の近所の畑が案外に今年は駄目だったようだが、不思議に我が家ではいい。唯一工夫と言えば、水が多くなる場所がサトイモの定位置である。山際の斜面下である。日当たりは良い。肥料とかはあまり関係が無いようだ。

今は野菜が取れ過ぎである。白菜、キャベツ、大根、はどこに出しても恥ずかしくないできである。夏から秋にかけての土の持って行き方が見えて来た気分である。漬物にする予定で作った根の深い大根は抜いてほした。引き抜けないので手間がかかった。たくあんに挑戦する。白菜はキムチと、塩漬けをやりたい。当然笹鶏の水炊きもやる。白菜も作り過ぎで、30個もあるから、頭を結わえて冬越しをさせたい。キャベツの方もいくらでもあるので順次食べている。どう食べてもおいしいので、何と言うか一日1個ぐらい食べてしまう。お好み焼きに入れて食べる。小麦の味が良いので、抜群の味になる。卵を入れて、それだけで日本一の味だと思っている。春キャベツの苗は、もう少ししたら、今度はポットに移す。大きくなればそのまま、畑に植え付けるつもりだ。植え付けたタマネギは根付いたものか立ち上がってきている。
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政党政治の終焉

2011-11-28 05:19:57 | Peace Cafe
大阪では維新の会の候補が、大阪市と府の両方で圧勝した。既成政党の候補者はどの程度票を集めるのかに興味があった。75万対52万と言うことだ。既成政党が善戦したという気がする。既成政党候補には、民主から自民から、共産党まで並んだ。そう言う支持層が52万ということなのだろう。既成政党支持者はすべてを足しても過半数行かないというのが、どこにもある現実である。橋下氏が投票率を上げることを願ったが、市長選は60%、府知事選は50%。それ以外のつまり半数以外の人が、無関心層と言うことなのだから、既成政党支持者は全部合わせても20%しかいないというのが現実である。これが民主党が政権を取った、成果と言えば言える。政党に期待した所で、駄目だということが常識になりつつあるということだ。偉い先生にお願いして、社会が変わるような状況でないという認識というか、諦め。

マキャベリ的に言えば、衆寓政治状態に入っている。だとすれば、次に気おつけなくてはいけないのが、独裁政治と言うことになる。橋下氏の発言はここを上手くついている。ソフトなイメージを背景にして、極めて独善的な発言を行う。教育の独裁への改革を発言している。この点東京の石原氏と類似する。常に、大衆受けの計算が働く。石原氏が東北の震災瓦礫の処理をいち早く受け入れ、進めている。0,3%と言われる必ず、反対する人たちの動きを上手く計算に入れている。これは東京の廃棄物訴訟に加わった時に、実感したことだ。反対勢力こそをイメージアップに使う手法。反対をする人を狭量な、原理主義者にイメージ化して行く。論理を越える手法である。わざと過激発言を行う。それにつられたように、必ず、反対の中に狂信的意見が飛び出す。それをあげつらい、「こういうやつらが日本をダメにするのだ。半島の勢力に、動かされているのだ。」などと訳の分からないことを言って、大衆誘導を行う。

「何とかせにゃならん。」は誰もが考えている所である。その方法が見えない。野田首相のTPPの訳のわからないさが象徴的である。良くなるかどうか、分からないのだが、このままではどうにもならん。つまり泥沼にはまった、いかわ氏状態。一発逆転などない。ないにもかかわらず、追い込まれれば、いよいよ一機解決を期待する。農家を5年で30ヘクタールにする。もう政策とは言えない。この方針が良いかどうかより、これを進めるには、独裁しかない。と言うところに次は話を転嫁されてゆく。30ではだめだから、100と言う話を持ち出して、大型化したとしても何も解決できないかもしれないという、基本的議論を避けてしまう。日本はもう何ともならん所に来ているという自覚をしなければならない。貿易の自由化をしても解決などない。世界経済は激変期を迎えている。どう耐えるかを考えるべき所だ。

耐える政治局面はとても地味で、人気など出ない。成果も出ない。やれることは少なく耐え忍ぶ方策である。選挙で出来ている、民主主義では独裁に期待する危うさがある。政治家は選挙だけ見て生きているように見える。私はこんな事業を止めさせました。あんな政策も中止しました。ともかく何もやらないように食い止めました。これでは票にはならないだろう。少なくとも、諏訪ノ原公園を誘致したことを手柄にする議員に投票していても、状況が厳しくなるということではないか。日本の新しい形を提起できる議員を期待したい。石原氏や橋下氏に日本をお任せする訳にはいかない。と言って、既成政党はさらに駄目である。ここは地道に、段ボールコンポストをやることである。議員こそ自分の暮らしをしっかりと確立することである。先日、この地区の衆議院の候補にそう言ったら、そんな暇が無いと言っていた。残念ながら、そんな暮らしだから駄目だという意味が伝わらなかった。
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サツマイモの収穫

2011-11-27 04:12:39 | 自給
今年のサツマイモは何故か、きれいに2個づつだった。「安納芋とべにまさり」を植えた。べにまさりの方が、作りやすいということなので、比較するために並べて栽培した。しかし、どちらも2つづつしか実らなかった。なにか、私の意図を察して、2つづつにしようと決めたごとくである。下手な私としては、作りやすさの判断も、道遠しである。たまたま食べた安納芋の美味しさにびっくりして作り出した。毎年上手には出来ないが、今年は芋の大きさとしてはいい方である。品種的なことで、種子島の品種だから、関東では作りにくいのか。こう思っていた。べにまさりは良くできると言うことだったが、やはり出来なかった。まだ食べてはいないので味の方の軍配は不明である。さつまとか、かぼちゃは取ってしばらく置いた方が、甘みが増してくる。それにしても、何故に2つづだったのか。それが不思議に立派なスーパーにあるような芋が2つなのだ。

サツマイモと言うと、青木昆陽先生が飢饉に備えた作物として広めたと、小学生の時教わった。つまり、荒れた土地でもできる。なんにもできないような土地でもできる。というイメージである。肥料を入れるようなことは今回もしなかった。鶏糞のような窒素分があると、葉ばかりになるという先入観がある。葉の量が少ない。せいぜい1株1㎡ぐらいの面積だった。それでも、芋がもう少しついているのかと楽しみにしていた。芋蔓式でなければおかしい。きれいに2個づつだから、何かサツマイモにも甘く見られたような具合だ。もちろん感謝はしている。一つも芋ができない事さえ何度かある。荒地と雑草が繋がっていたが、案外に雑草には弱いのかもしれない。野菜については分からないことばかりだ。いや、土壌と言うものがなかなか厄介なものである。去年捨ててあった芋から出た、蔓の方は何と小さいながら、20個も付いていたのである。

冬寒くなると、一度くらいは焼きイモが食べたくなる。落ち葉焚きでは焼き芋は定番である。冬の間に子供が集まるとやったものだ。落ち葉や藁を燃やして、その灰の中に入れた。焚火が子供のころから好きだった。焚火と言うと、焼き芋をやるということが条件反射のようなものだ。昔はそのまま灰になったあたりに入れた。最近衛生的ということか、銀紙に包んで焼き芋をやる。しかし、濡れた新聞紙の方が良いと言う人もいる。銀紙は高価なもので無駄に出来ない気がする。今のアルミホイルはそうは高くないのかもしれないが。銀紙には、子供の頃の到底使ってはならない高級品のイメージが残っている。銀紙に包まれたということで、すでにすごいものであった。要するに焦げ具合が美味しいのだ。あの焼き芋の焦げた部分との境を剥がしながら食べる甘味がいい。そう言えば、房総の棚田の整備では、一休みしながら持参した安納芋の焼き芋を作って食べて美味しかった。

2個でも本当は良い。10株づつ20株作ったのだから40個ある。40個あれば我が家では十分である。そんなには食べない。焼き芋の次に好きなのが、バターを引いてフライパンで焼く。その次が、天ぷらである。リンゴと煮たり、きんとんにしたり、コロッケにしたり、きんぴらにしたり、色々あるようだが、あの甘みがおかずと言うよりおやつである。おやつと言うものを食べる習慣が無い。苗作りから長丁場である。その前に種イモの保存が手間取る。保存には、まず暖かいビニールハウスで1週間ほど乾かす。そして芋穴に保存する。しかし、保存は1種に細い一株ずつで良いので、ビニールハウスの隅にもみ殻を入れて埋めておく。春になって水をやると芽が出て来る。この芽を切って挿せば、苗は一応は足りる。
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NHKの受信料問題

2011-11-26 04:07:18 | Peace Cafe
久しぶりにNHKを毎日見ている。朝の連続ドラマのカーネーションが気に入っているからだ。余りスムースでない成り行きがいい。うまく行かないのが普通で、かなり本当のところがいい。ダメ親父の小林薫さんはさすがにいい。宝田明さんは大間のなずなで開眼して以来今回も、実に良い味わいがある。9月28日の参院予算委員会で、NHK職員の平均給与が1041万円と民放以上であることが明らかにされた。国家公務員の平均給与は658万円で、野田首相も「随分と開きがある。不公平感がある」と語っている。それでいて、NHKは受信料不払いの家庭を提訴したそうだ。見ない権利もある。裁判で十分戦ってほしい。わたしも、NHKの職員の汚職分は不払いにしている。現状では払っている。再三にわたる職員の不正が繰り返された。この分は受信料に反映すべきだ。ましてその不正職員が、1千万円を超える高級とりでは、ひどい不正行為だ。

NHKはせめて国家公務員まで給与を減額すべき。受信料で運営しておりながら、1千万を越える給与をもらう節度のない態度がそもそもおかしい。公営放送と言う精神を持っており、あらゆる家庭から、受信料を強制的の徴収しようと言うのなら、まず、職員の給与の半減である。何故この程度の感覚が持てないのかが不思議だ。高給取りのNHKが不払いをおかしいと言って裁判に持ち込む精神が分からない。まず自分達の給与の減額である。そして不払い問題に取り組むことだ。高給取りが作る公共放送では、公共にならない。金持ちの目線になる。上から目線になる。格差がいよいよ強くなる社会で、上に属する人の観点はもう沢山である。庶民と同じ暮らしをしながら番組は作るべきだ。公共放送とはそういうもののはずだ。こういう質問をNHKにした。返事はここに書いてあるから見て下さいと言うことだ。しらじらしくNHKを支援して下さいと言うことだ。読んでみたが支援どころでなく腹がさらに立った。

公共放送が守らなければならない事、「正しい批判精神と健全な社会の展望」を持っているということだ。それは気まじめすぎる位に追及しなければならない。民放でも不正行為や犯罪行為は結構起こる。しかし、NHKでは一つもあってはならなくい。それが公共放送と言うものの姿勢だ。それにほころびがある時は、国民は厳しくNHKを指弾しなければならない。公共を適正に監視する国民の義務である。公共放送が駄目であるということは、その国民が駄目ということだ。NHkは10%の視聴料の値下げを勧告された。にもかかわらず、7%の値下げにとどめるようだ。何故だろう。1000万以上の給与が払えるのだ。国民一般の生活から見れば、公共を名乗る以上余りの高額給与は不自然なことだ。せめて国家公務員並みは最低限のやるべき改革だ。これをやらずに10%の値下げが出来ない等聞きたくない。

NHK的きれいごとを建前で述べている。公共放送の意義も強く主張する。その点確かに必要だし、NHKの報道姿勢も、駄目だとは言いきらない。しかし、給与はおかしい。こうしたインチキが今の日本の姿である。外部に対してはきれいごとは言うが、自らは腐っている。黙って自らを正すことが、公共の価値を高めることになる。これは大企業の精神と同じである。金権主義である。日本の組織はいつの間にか、自分の資産を残す事が主眼に成っている。オリンパスも大王製紙も大した変りはない。良い人材を集めるためには、良い給与という考えに流される。公共のお金を湯水のごとく使う。あの財務省の宿舎と同じ精神である。最低暮らせればいいというような、公共の精神を忘れている。きれいごとを言うなと言われそうだが、それなら、公共は成立していないのだから、見ない権利を与えてほしい。
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冷房犬小屋を作る

2011-11-25 04:09:10 | 自給




犬が9歳になり、夏の暑さが耐えられなくなったようだ。来年の夏を思うと、冷房は不可欠なようだ。ピットブルも暑さに弱いし、今度来たセントバーナードの福は、この夏暑苦しくて居たたまれない様だった。写真は土台である。人間は我慢するが、犬は駄目なようだ。そこでついに冷房犬小屋を作ることにした。4畳半程の犬小屋である。一番大事な部分が基礎づくりである。下に断熱材を埋め込んで、その上に10センチのコンクリートを打ってもらった。土台の高さにブロックを2段積んだ。床は水洗いが出来る排水溝のある構造である。この上に小屋を建てる訳だが、窓は小さくして、二重にする。防音にも断熱にもなる。外壁も内壁も板張りで作り、間に5センチのスタイルホームを入れた。もちろん天井裏にも入れた。外の暑さが中に入りにくいし、中で啼いても外に音が漏れる量がだいぶ減った。問題は福と雷田が一緒に成れないので、二つに小屋は分けてある。現状では隣に居るのは分かっているが、まあ許しておこうという位のところである。まだ、1週間だから、少しづつである。

4畳半をさらに2つに分けて、雷田とどんちゃんの2頭と福1頭が入っている。ドンチャン達はさらに家の中に出入りできる構造で、いつもは家の中に居る。外気の遮断をきっちり行った。寒くなってきた朝でも、犬小屋の中は大分温まっている。犬の出す熱量が相当大きいようだ。窓は押し上げ式の小さなものが一つなので、夜も開けたままであるが、ガラス窓だけで寒さが入ってくるようでもない。福の方は、昼間は広い運動場に出してあるのだが、遊んでやらない限り運動はしない。朝3キロくらいは散歩はしている。午後も一度は外に連れて行ってやる。畑に行くときにつれて行きつないでおく。大人しい性格なので、どこにでも簡単に連れて行けるのがいい。福ばかり連れて行くので、雷田がいよいよ気に入らない所が困る。餌をなかなか食べてくれない。

夏の暑い時間だけでもこの中で犬に暮らしてもらう。この程度なら、冷房機の使用も少なく済ませられるのではないか。人間の方はもう長い間、冷房と言うものと縁なく暮らして来た。しかし、犬を弱らせる訳にはいかないので、苦渋の選択である。暖房の試運転はしてみたが、すぐに暖かくなる。もちろん暖房は使わない。今のところ3頭とも気に入ったようで、前よりおとなしく暮らしている。どの犬も自分の為に小屋を新築してもらえたことを理解している。不満はあるようだが、一応馴染もうとしている。犬は言葉が分からないが、気持ちを読む力は人間より強い。どのように考えているかぐらいすぐ理解する。受け入れる力である。不満を言わない。雷田歯先日足を怪我した。今も痛そうである。しかし、痛いのはもう前提として受け入れて、脚をかばいながら普通に散歩をしている。仕方が無いことでくよくよしない所は徹底している。

福は来た時の訓練された犬から、笹村の家族に成ってすっかり、その分野放図になった。子供のころから様々犬と暮らしてきたが、どの犬も飼い主に似て来ると言うか、自己主張が忽ちに強くなる。わがままになり大人しく従うということが無くなる。犬はいつでも、力関係を計っている。人間を支配しようとする。自由にはさせるが、犬には厳しいほうだとおもう。厳しく従わせるが、委縮はさせたくない。犬らしく、自由で、奔放で、やんちゃであれば、その犬本来の良さが個性として表れて来る。人に従うのだが、人に対して自分を発揮できる犬。セントバーナードは大きな犬である。中には凶暴なものもいないではない。人と本当の信頼関係を構築することが無いと、扱いにくい場合もある。今はとてもいい犬になった。
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タマネギの栽培

2011-11-24 04:08:14 | 自給
タマネギには今年も力を入れている。毎年それなりに力を入れている割に、上手くいったことが無い。今年こそである。ことしの苗作りについては、少し進歩してまあまあのところである。プロの農家から見れば、失敗と言うことだろうが、一応は出来た。苗箱方式でも少しはできる。来年はセルトレーでやってみようか、など考えている。タマネギも保存して一年食べる野菜である。こういう農作物は一人でやるより、グループで取り組む方が合理性があると考えている。小田原ではタマネギオーナー制度が取り組まれている。下中地区ではタマネギに取り組む農家が沢山ある。100軒の農家が20ヘクタールを耕作している。政府の方針によると、5年後には1軒になるのだろうか。4000円で200玉のタマネギがもらえるらしい。一個20円。農の会では1個50円くらい。苗を購入すると、1本6円。タマネギの会を作り300玉程度のタマネギを自分で作れないだろうか。

それにはともかく技術である。下中の農家のタマネギの栽培技術は高い。色々のやり方があるらしいが、とても工夫されている。慣行農法である。有機農業でタマネギを作る場合、問題はタマネバエである。毎年被害がある。堆肥や鶏糞の臭いで集まる性質があるので、とても扱いにくい。対策としては、できるだけ早く堆肥を入れて、充分に畑になじませる。しかし、それでも完全には防げないので、対策を検討しなければならない。もう一つが草である。ネギ類は草と共存が苦手である。草に埋もれると玉が小さくなる。暖かくなってくると時期、草が一斉に出る。春先稲などに気を取られていると、草が取り切れないほど、広がっている。良いタイミングで草取りが出来るかどうかが、大きなタマネギになるかの分かれ目になる。良く耕して、草取りがしやすい畑にしてみた。畑の土壌が出来てきて、変な草が減ってきたので、今年は草取りが出来るかもしれない。

トラックタ―でよく耕した。秋の小松菜で良いタイミングで耕せば、草が出ないということを経験したので、今度は、タマネギで試してみる。松本さんにそのことを相談したら、「耕し過ぎると、土が消耗します。」こう言われた。なかなか深い土の見方である。「それは、土の腐植が消耗するということか。」と質問したのだが、「まあー・・・そう言うこともあります。」と言うようなことだった。土は不思議なものだ。土壌の消耗という観点で、土を観察してみよう。耕し過ぎるほど勤勉ではないので、そういう心配は不要かもしれないが。この土壌に対する感じ方は参考になる。耕すことで、団粒構造を壊すということも言われる。不耕起と言う考えもここに繋がる。どうもイメージ化できない。自給の延長のような5畝程度の畑は、多様な種類の野菜を手掛ける。不耕起で安定的に作ることは、よほどの観察力が無いと出来ない。放任になってしまう。耕す所は耕した方が、ネギ類の場合は良いようだ。去年の比較実験では、作業性がともかく違う。

実は今年は、タマネギを1000もの苗を植えた。大部分購入した苗だ。自分の分は3分の1くらいだ。麦を家のそばの畑には蒔かなかったので、畑に余裕があった。いつかタマネギの会が出来る位の技術になるにはある程度の量を作ってみなければ話にならない。これで3軒分くらいである。なにしろ、野菜では成功が少ない。大雑把な性格では野菜は出来ないようだ。大豆も良くなかったが原因が分からない。どの野菜も要点をまだつかんでいないから、合理性が放任、手抜きに流れてしまう。タマネギも時間を記録しているのだが、余り時間がかかるようではだめだ。年間5回程度の作業で、タマネギが自給できるシステムづくりである。

昨日の自給作業:タマネギの植え付け1時間、長ネギ、ホウレンソウ種蒔きなど1時間 累計時間:17時間
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環境志民フォーラムと農業まつり

2011-11-23 04:07:11 | Peace Cafe
環境志民フォーラムが終わった。大がかりな取り組みであったが、どんな成果を残したのだろうか。19日と20日は農業まつりにも参加していて、お城と市役所を行き来して慌ただしくしている内に終わった。段ボールコンポストでは、35件の新規登録があった。新規登録をされる方が、段ボールコンポストを良く理解されているので、やはり環境に関心のある人たちが多く参加されていたのかと感じた。展示部門は見せてもらった。自分もかかわっているグループの展示も出ていた。展示はとてもきれいで、写真がきれいでよく整理されていた。これだけはゆっくり見せてもらった。2日目の午後だったが、見ている人がほとんどいなかった点がもったいない感じだった。各団体の説明の人がもてあまし気味に見えた。太陽光パネルは2社が出していた。うちでもお願いした会社が出ていた。きっと仕事はこご時世で忙しいのだろうが、ここで新規契約はあっただろうか。企業の展示と環境団体の展示があるのだが、環境志民と言っても様々である。

志民という言葉は初めて聞いた。造語だと思うが、違和感が強い。市民の方が好きだ。環境に志をもつ者と言う形で、別枠を感じてしまう。力味や大上段な印象。最初は誤転換かと思っていた。普通の人が普通の暮らしの中で、何をかえるのか。志が無ければできないような環境保護活動に成って行くでは、困る。環境フォーラムでも農業まつりでも、イベント一般であるが、もう終わりにした方が良いと思う。具体的な成果につながるものでなければ、意味が無い。意味が無いだけでなく、意欲を失う原因にもなる。私自身は25年イベントに参加を繰り返しながら、そのたびに意欲をそがれてきた。どんな事業でもやりっぱなしでなく、結果の検証である。どんな総括をするのだろうか。繰り返し似たようなイベントが行われるのだろう。先日の小田原電力に繋がる自然エネルギーの話が、一つも展示されていないのだから、内容についてはがっかりである。

農業まつりの2日目は、すごい人が出ていた。長く続けられているので、毎年楽しみに来ている人が相当数いることが分かる。一日目が豪雨で来れなかった人たちが、2日目に集中した。有機の里づくり協議会としては、有機野菜は売れなかった。全体が安売り合戦的で、お客さんもそのつもりである。高い野菜を買おうと言う人は、本当に少ない。現在、世間相場が下がっていることで、農業まつり全体が、売れなかったようだ。こういう場所に出る以上、有機農産物の紹介に専念しなければ意味が無いようだ。来年は試食してもらうだけというのもあるだろう。中途半端に販売をするのでは、売れないだけに空しい。できれば来年は販売については、参加しないで済む方向に行きたい。

生ごみクラブでは、月曜日に話し合いを持ったが、35件配布で来たことはよかった。また、講演が素晴らしかったという意見と、そんな内容は分かり切ったことであるという意見。講演はピーク時に170人だったとのこと。これだけの費用と労力を使って何が生まれたのか。これからイベントは成果という観点で見ようと言うことなどの意見が出た。段ボールコンポストの普及である。環境うんぬんを言いながら、家庭で段ボールコンポストが続けられないようでは、話にならないのではない。自分の暮らしを見直す事が大切。そこが崩れているということは、志がおかしいということになる。トヨタ神奈川から、電動生ごみ処理機が出ていた。一体どういう環境意識なのか。このことは直接申し上げたが、電動生ごみ処理機が環境商品であるという志レベルでは、どうにもならない。これが段ボールコンポストのブースの前にドカッと置かれているのには少し辛いものがあった。

昨日の自給作業:タマネギの植え付け2時間 累計時間:15時間
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土砂災害警戒・特別警戒区域指定

2011-11-22 04:24:23 | 地域
11月17日付の回覧で舟原地域が土砂災害警戒・特別警戒区域指定にされたということである。近年の激しい雨を考えると、必要な処置と思われる。全国的にみても、今までに見られないような土砂災害が起きている。今回の回覧の内容では具体的なことは不明である。具体的にと言う意味は土砂災害警戒区域の場合、どのような注意をしてどう対応すればいいのかの対策である。よくよく見たが、よく分からない。注意するとか、気おつけろ、と言う指示も無駄ではないが、どうしたらいいかは分からない。小田原土木事務所の添付資料によると、時間雨量で20ミリ、通算雨量で100ミリを超えた場合注意して下さいとある。とすると、つい先日の19日の雨はもう注意しなければならないレベルの雨と言うことになる。年間に2,30回はこういう雨がある。それで今まで何もなかったのである。

時間50ミリを越える雨。200ミリを超える雨も毎年ある。しかし、舟原の集落では特別のことはなかった。つまり、経験的に、20ミリの雨で警戒するような気持ちの人はいないだろう。注意と言うようなあいまいな表現でなく、実際的な行動を必要とするのは、どのレベルで判断するかである。私のやり方としては、上流部の雨の把握である。県土木の雨量情報の確認をする。少し強い雨が降れば見ている。この情報を久野川で考えれば、上流部の和留沢付近の観測地点を増やす必要がある。久野川の上流部の様子が把握することが、下流域全体の土砂災害には必要な情報になる。小田原土木の観測点と舟原の観測点では、雨量が倍も違うことが普通である。さらに箱根峠あたりで舟原の倍となる。この情報がとても重要で、同じ20ミリでも自分の住んでいる所の雨だけ見ていても、充分な判断は出来ない。

危険個所の詳細は、実は限られていると見ている。今まで地域の地盤や変化を観察してきて、崩れる可能性のある所はそれなりに想定している。お年寄りの話では、関東大震災の時に崩れた個所と言うのもあるそうだ。津波ではないが、そうした過去の情報を地域で十分に把握することが出発点になるのではないか。その情報を揃えた所で、専門家を迎え実際的な防災の体制を学ぶ必要がある。樹木の状態で、過去の土砂災害の傾向は判断できるとも言われる。地域防災の原点は伝承情報ではないか。全国では、178,448か所と言うから、各地域において防災拠点を整備して行く必要がある。舟原で言えば、自主防災本部の公民館が川沿いで、地域の中では一番の危険個所と考えていいだろう。これではいざという時の対応が難しい。こうしたことも今後どのように対応すべきなのか考えなければならないだろう。

実際に土砂災害に備えてどのようにするのか、もう一度整理しておけば。どんな状態になった場合、どこに避難するのか。これは現状では全く考えつかない。やみくもに家から出て避難するということの方が危険であろう。ではどの段階で避難を始めるのか。先日、久野川が氾濫する恐れで避難指示があったが、川の状態雨の状態から、舟原では避難する気にはなれなかった。私の家の場合で言えば、時間雨量50ミリを超えた場合なら、注意を始める。湧水の状態を確認する。濁りがあるか、水量がどうか。斜面から、水が吹き出ているような個所の確認。それでも山自体が崩れて来るのかどうかの判断はできない。避難する場所が確かで、そこに行くことで安全になる確信が持てるなら、避難したいが、豪雨の中避難するとすれば、小田原アリーナや久野小学校では、避難路が安全な気はしない。近くでは、フラワーガーデンには入れてくれないだろうか。今のところどこに行けばいいのか分からない。

昨日の自給作業:タマネギ畑の整備、一部植え付け1時間 累計時間:13時間
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TPPを抜けられるか。

2011-11-21 03:56:06 | Peace Cafe
野田首相はTPP交渉に参加することを世界に約束をした。参議院での答弁では、交渉には参加すると言ったが、TPPに参加するとは言って居ない。日本にとって大きく不利益なものがあるなら、日本は参加はしない。こういうことを発言をしている。しかし、アメリカの発表では、野田首相があらゆる内容をテーブルに乗せる約束したとしている。正式には、取り消しを要求しないのだから、そう約束したと見える。一応言わなかったことにしてもらったようだが、大変な事態になった。もうTPPから降りることは、相当の理由がなければできない。降りるとすれば、世界からつまはじきにされる覚悟が必要な所まで、進んでしまった。今後参加交渉を進めれば進めるほど、アメリカの厳しい要求にさらされる。アメリカは怪我をした巨象である。檻の中に居る時はそれで良いが、外に出て暴れ出したら大変なことになる。

以前から何度か書いているが、アメリカと経済連携を進めている韓国社会の実態をよく見てみることだ。韓国の世界企業は確かに躍進をしている。企業を各分野1社にした。自動車は現代一つに統合した。電気会社はサムスン一つに統合した。そうして、国際競争力をつけた。これは日本の農業に言われていることに似ている。確かに効率は上がり、一見素晴らしい。しかし、韓国国内の格差は今や大変なことになり始めている。当然のことで、効率が良くなるということは、数の減少した大企業にとって有能でない人間が要らなくなる。いらない人間の行き場が無くなっている。それは、資源のない、小さな条件の悪い国がアメリカと対等に戦う、必然である。熾烈な進学競争。就職競争。今や韓国では、アメリカでのキャリアを競う国に成っている。すさましい競争社会が一足先きに生まれている。それは北朝鮮と対峙する国として、止むえない選択なのかもしれない。韓国という文化の深い、儒教の国がアメリカ化を成り始めている。日本はそれで良いのかということを考えるべきだ。

自由競争の考え方は、思想としては間違いではない。ただし、農業は基礎条件が違う競争である。その土地に根差した、自然条件が絶対的な前提になる、食糧生産の自由競争がどんな姿なのか、公平な競争とはどのようなものかを考える必要がある。日本国内でも、山間部と平野部では、生産効率が違う。山間部を環境維持という名目で、補助をしている。全くの制約のない競争を行うことになれば、作物によって勝つ国は決まっている。自然条件もその国の持つ、石油のような資源と同じである。食糧生産の自由競争とは何を意味するのか、国際的な論議が必要である。本来食糧の自由競争はハンデ戦のようなものだ。そうでなければオッズが決まらない。そのひとつが関税である。食糧生産では関税と自由競争とは矛盾しない。希少金属を中国が独占し、先端技術で中国だけが有利な競争になった場合でも、アメリカは自由競争を言うだろうか。

TPP交渉をいつでも抜ける覚悟で。早急にアセアン+3を進めるべきだ。韓国や、中国も、アメリカに対抗する意味で、交渉のテーブルに着く可能性はある。先日は、日本との協定を進める方向を表明している。そうしてアメリカをけん制をする。日本にはアジアの日本と言う、正当な看板がある。アジアの安定こそ日本の安定である。アジアが不安定になるという理由なら、TPP交渉を抜ける正当な理由が出来る。特に食糧生産と言うことでは、これからの世界は中国、インドを抜きに考えられない。食糧は後5年すれば、足りなくなってゆく。石油や希少金属と近い感覚が生まれる。その時こそ、食糧の独占を許してはならない。日本は、農業をしっかりと維持しておくべきだ。国際競争力よりも、日本としての充分の努力を行う。質の高い農業者の育成。やりたい者が充分に展開できる環境の整備。これ以上の農地や農業者の減少は、食い止めなければならない。
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諏訪の原公園

2011-11-20 04:01:39 | 地域
暮らしている舟原のお隣の集落が諏訪の原である。随分長い工事で、大きな県立の公園が作られている。出来上がるにつれて、違和感のある都市公園が姿を現してきている。随分の費用をかけた破壊行為に見えるが、私の見方感じ方がおかしいのだろうか。一体誰の為の公園なのだろう。どれほど税金が投下され、今後どれほどの管理費用がかかるのだろう。毎日通る場所なので、見る都度がっかりのしっぱなしである。あの地域の畑や雑木林や、神社のたたずまいは久野に残された数少ない、里地里山環境だった。最近はもうろくしたのか、守旧派のような見方ばかりだ。あの公園の無駄使いを、このさい逆手にとって有効利用できないかと考えてみた。防災公園である。避難所建設予定地である。大きな自然災害が繰り返されている。海岸地帯を考えれば、津波対策は相当に手薄なようだ。大きなビルがいくつかあるから、ああいう場所が緊急避難拠点になっているのだろう。しかし、その後の事を考えた時、問題になるのは避難所である。

諏訪の原公園を避難所準備地にする。非常用電力の確保。ソーラー発電所の設置も良い。衛星回線を利用した、通信手段の確保。情報センターの確立が出来るようにして置く。150メートル以上の深井戸を掘リ水を確保する。仮設住宅建設がいつでも緊急かつ合理的に出来るように地盤の整備。プレハブの保管なども必要だろう。食糧の備蓄倉庫もいる。そして炊事場の設置。薪等でも炊事できるような施設を作る。風呂の準備。災害時必要になるのが風呂。個人的希望としてはお隣のフラワーガーデンを温泉風呂に変える。フラワーガーデンや、焼却炉もうまく連動する施設にして置くことも、重要である。さらに四方への交通路の確保もする必要がある。一定の物資輸送が可能な道路の整備。広域農道との連結を確保しておく。その他周辺の農地所有者は、緊急時の応援の体制もお願いする。かなり広い面積が、緊急時避難センターとして使えるのではないか。

小田原市役所だけを、指令本部として予定しておくことはリスクがある。緊急時には、焼却炉の管理棟やフラワーセンターの事務室などを、一定期間指令本部にできる体制を取っておく。小田原市民は、いざという時に備えて諏訪野原公園まで歩いてみる。1時間くらい歩けば、小田原中心部からの避難も大体に可能ではないか。小田原市の小学校の子供たちは必ず遠足の際来ておく。ここで、一日炊飯遠足を行う。何も無い場所で、どのように炊事場を作り、テントを張り寝る場所を確保するかを体験する。できればそばの畑でとった食材を使った調理を行う。私は小学校5年生の時にそうしたと飯盒炊飯の徒歩遠足を体験した。大抵のバス遠足を忘れてしまったが、その遠足だけは今でも鮮明に思い出せる。子供が生きる力をつける良い、教室になるはずである。

本来であれば、公園を作る前に市民的な組織を作る必要があった。地域住民にとってどのような公園が必要か。あるいは不要なのか。ヒルトン問題でもそうなのだが、市民とともに考える姿勢である。結論が先に出来ているのでは、市民参加の道がない。それは、生ごみの堆肥化のようにこれから進めようと言う、市の施策に置いても市民参加の手法を取り入れる必要がある。市民がどう考えるかを、自ら繰り返し問うと言うことである。口先での市民協働は、市がやるべき仕事を市民ボランティア肩代わりさせるいい訳のように聞こえる。今からでも諏訪野原公園の使用目的を変えることは可能なはずだ。少なくとも原点に立ち戻り、今小田原に何が必要かを考えなければならない。小田原市民にとって防災公園が必要だということならば、もう一度考え直す冷静さが必要である。
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小田原ヒルトン問題2

2011-11-19 04:19:44 | Peace Cafe
昨日、6名で企画政策課に、ヒルトンに小田原市の土地建物を売り渡す前に「市民説明会」を行うようお願いに行った。結論から言えば、行わないそうだ。問題は、小田原市の作った長期計画の矛盾である。いま読み返してはいないが、この中では、根府川地域を観光開発するなどとは成っていない。一応と言う形で、農業地域としての整備の方向が示されている。しかし、具体的には小田原農業に関する長期的展望を市民に示していない。ヒルトンホテルが根府川の農業地域のど真ん中に存在すること自体が、いかにも不自然な状況であった。このことをどうするか、こんな問題に立ちいたる前に、市民全体のテーマにすべきだった。根府川地域を小田原市として、どのような地域と位置付けて行くか。それを地域住民の認識と合意をどう形成して行くのか、それこそ市民参加の行政の役割である。ヒルトンの家賃免除から始まるのでは遅きに失した。

すでに売り渡すことは結論が出ているようだ。企画政策課の説明から受けた感触では9億円と言うことで決まりのようだ。あとは、議会の承認を待つ状態。議員に対しては、すでにヒルトンの責任者を加えた説明会が行われ、おおむね了承という認識のようだ。行政にはホテル経営に関する管理能力がないから、売り渡せれば御の字のようだ。あの施設は7万坪あり、2万5千坪が宅地だそうだ。後は雑種地。もし、ヒルトンに関係する投資ファンドが、5年後に転売するならば、9億円という安い価格のはずがない。坪1万円そこそこで、あの土地が売られるということは、あまりに不自然でないか。今、あそこの場所に向かって、大きな道路がつくられている。あの道路が完成したらさらに価値が上がる。9億円ならすぐにでも買いたいという中国の富裕層など、いくらでもいる。不況の日本にだって、広く公募すれば9億は安すぎる。

私だってすぐにでも買いたい。農業法人を作り買い取りとり、あの地域の農業開発の拠点にする。建物はすぐ取り壊す。1億円はかかるだろう。自給農業を行う、住宅を100軒計画する。一軒当たり、1000万円である。700坪の宅地つき、自給農家である。相当に厳しい条件を付けても売れる。家は100万円の最小限の家である。それぞれが自分で作る。日本のこれからの方角を示す事例にする。それが小田原の無尽蔵の財産ではないか。本来であれば、早川から湯河原まで、あの海岸線は大きな方向さえ定り、国の政策を変えられるならば、理想郷ともいえる素晴らしい場所である。国の政策を変えさせるためには、市民が一致できる、国民がこぞって賛成できる、希望あるプランを立てることだ。それをやるのが行政の役割だ。農業には2つの方向がある。自給的に生産する小さな農業と、大規模化し機械化する大型販売農家。TPPに加盟し進んでゆくことになれば、両極化する事は目に見えている。この両極の農業の形だけが経済の合理性を持つ。

今ヒルトンに売り渡すということは、5年後にヒルトンがどこに転売しても止むえないということである。あの小田原の可能性の土地を見捨てることにもなりかねない。最悪よく言われるが、宗教法人である。ホリエモンが保養施設に買い取ることもないとは言えない。観光化する以外ないという考えが一般的なようだ。観光開発が可能になったとして、その施設が障害になる場合も多いにありうる。これからの日本の社会状況で、ただの観光開発や別荘開発は、成立しない。小田原市の意思が働く内に、大きな展望のもとに判断すべきだ。大切な農地転用をして行うようなことではない。地域の人の気持ちを考えれば、農業で展望がないのだから、ヒルトンを核にしてリゾート開発以外の道は無い。これを止めるやつは、ハタ迷惑な奴だ。こういう気持ちの方も多くおられると思う。しかし、今起きている危険についても十分考えなければならない。いずれにしても、説明会も持たない市民参加の市制には失望する。
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トヨタ自動車の農業論

2011-11-18 04:04:09 | Peace Cafe
トヨタ自動車はトヨタ方式の農業改革を提唱しているそうだ。とても興味深い。TPPを行っても日本の稲作が経営可能なのか、是非ともトヨタ方式でやってみてほしい。今の取り組みでは、誤解される事を期待しているかのようだ。農家が経営改革できないことを努力が足りない、知恵が足りないとの主張にも受け取れる。確かに世界の自動車産業をリードするノウハウがあるのだろう。是非とも「稲作で」そのトヨタ方式で試してみてもらいたい。農水省が5年後に実現するという、30ヘクタールの稲作農家が、どうすれば経営可能になるのか、実際にやってみてほしい。農家は口先では動かない。実際にトヨタの農業法人がそうした農業経営を実現していなければ、話を聞く人はいない。今のところ、JAと協力してベビーリーフで実現しているらしい。ベビーリーフも良いけれど、それは特殊な正解である。稲作と言う普遍的な正解とは意味合いが違う。自動車と箱根細工くらい違う。

このベビーリーフの事業は2006年に取り組んで、1億円の売り上げが3億円に伸びたと書かれている。もうだいぶ前の話である。何故その後トヨタ方式で、稲作を行い、1億円が3億円に伸びる方式を示してくれないのか。TPPではベビーリーフは問題にならない。そもそも関税などない。是非とも稲作のトヨタ方式である。私にはどう考えても稲作で、生産効率が3倍になる方式は見えない。もしあるなら、稲作で示してからTPPに対して意見を述べるべきではないか。日本人が羊に成って草ばかり食べている訳にはいかない。農業者なら、野菜農家と果樹農家と花卉園芸農家と稲作農家の経営が全く異なること位い誰にでもわかる。TPPでは稲作農家の経営の合理化が問題になる。確かに稲作農家に置いても、特殊な正解はある。例の中国富裕層向け稲作農家である。今必要なのは、日本人の主食になるごく普通の、お米の生産をどう経営合理化し、政府の言う国際競争力を付けることが出来るかである。

やる前から否定する訳ではない。是非とも政府でもトヨタでもいいから、やって見せてほしい。そうすれば国民全体が安心できる。それまでは、日本の稲作農家が愚かで、努力が足りないごとくの宣伝は止めてほしい。すでに政府は、補助金の方向である。補助金で保護するのでは意味が違う。補助金と関税が違うのかどうか。TPPでは補助金は許されることになるのか。早急に対応策を出さなければ、ぼろぼろ70歳を越えた農業者は辞めて行く。後継者はやらない選択をする。実は辞めてくれたら有難いというのが、政府の本音だろう。この考えは、50年前から言われていた。農業者を工場労働者にするという考えであった。農業で培われた優秀な労働力が、工業分野に大量に供給され、日本は目覚ましい工業化を行う。しかし、現状では農家の若者を吸収する職場は無い。格差が広がって行くことになる。

工業社会の方では労働者を日本に求めなくなった。これから競争が激しくなればなるほど、日本から出て行くだろう。トヨタと言う世界企業はそれで良い。日本と言う国とは別に動いている。世界の中で、もっとも安くもっとも能力の高い国に工場を作る。そして関税も税金もとられない所に行くだろう。そうした資本の思想と日本と言う国のあり方は別である。日本人の幸せと言うことが、日本と言う国の目標である。国際的な企業と国の利害は別になっている。もちろん日本の企業人も日本人ではあるから、日本の国をないがしろにはしていないだろう。しかし、資本や株主の要望を優先もする。資本の利潤に従うことも企業人の使命である。もしかしたら、農業に間違った情報を流すような悪意に基づく意図で、農業論を展開しているのかもしれない。そうでないなら、基本中の基本である稲作でやってみろ。と言いたい。

昨日の自給作業:さつま掘り1時間 累計時間:12時間
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フェースブックについて

2011-11-17 03:29:25 | 身辺雑記
ブログは書いているが、仕組みについては良く分かってはいない。タケさんに設定してもらった当時は、なんとなく理解したのだが、その後何年もたつので忘れてしまった。おかしくならないように何も触らず続けている。しかし、時々gooブログの方から、案内がある。「フェースブックと連携できるようになりました。」と言うことである。前から、毎日メールでフェースブックの何かが来るようになった。アフリカや中東の、革命に影響したということは知っている。友人になりますか。とか言うのや、確認くださいのようなもの。それで友人ではあるので、登録だけはだいぶ前にした。そして友人のつもりでいたのだが、どうも違うらしい。フェースブックと言うものは見たことがない。名前を公表したブログのようなものだとは聞いたのだが、名前はブログでも公表しているので、どうも意味が分からない。分からないので判断はできないが、ともかく、gooブログの連携と言うことをしてみた。

果たしてどう連携しているのだろう。何かが変わったのだろうか。さらに何かをしなければ、変わらないのだろうか。フェースブックで困るのは、○○さんが挨拶をしております。とか言われて、返事をしないことである。失礼になっているのかもしれないが、やり方も分からないし、分かろうと言う気持ちもない。もし、失礼な奴だと思いの方がおられたら、馬鹿な奴だと考えていただきたい。挨拶をされて返さないのは、儀礼としてはおかしい。挨拶ぐらいはしたい。しかし、挨拶した後がどうなるか怖い。礼儀正しいつもりだから、あちこちから挨拶されたら、大変だと思う。あの人は友人であり、あの人は、友人でない。この人は知らないと思ったら、お世話になった方だった。というのも変である。友達の友達は皆友達だということらしいが、何千万人が居るのだろうから、想像すると怖い。きっと想像が間違っているのだろうが、調べる所までは行かない。

ブログくらいがちょうどいい。何がちょうどいいのかもわからないが、公開日記と言う発信の形である。読んでくれている人もいるのかどうか、確かに訪問者数と言うのはあるのだから、来てくれてはいる。読んでくれているのかまでは不明である。不明のままでいいと思っている。ともかく、考えていることを書きとめておくことは、後で参考になる。24年前、山北に移った時、日誌と言うものを書き始めた。作業を記録しておくことの必要に迫られた訳だ。山での自給生活には、記録することがとても大きなことになった。いつ頃までに薪の準備を終わる。どこに行けばいいのか。どんな薪がいいのか。キノコは、山菜は、あの花が咲いていた。いつごろ稲の種をまく。こうしたことは記録しておき、その場の情報を貯めておかなければ、何度も同じ間違いを繰り返す。それで作業日誌のようなことを始めた。今見てみると、最初の頃は、塩山の桃を描くには、家の杏子が咲く頃がいいとか。写生の為の情報が多かった。写生旅行でどこの旅館の3号室が一番眺めがいいとか、書いてある。

もう少し便利なものは無いものか考えていた。ブログと言うものの仕組みをタケさんが教えてくれた。設定までしてくれた。ともかく、毎日書くことにした。日記は途切れると、私には続けられない。御蔭で情報の整理が実によくなった。自給作業の必要時間が分かるのは我ながらすごい。2008年は302時間である。さらに気に行ったのは外部の人の参考にもなる。舟原の田植えはいつごろかと思えば、誰にでもわかる。便利なものである。私もそうして、他の人のロケットストーブの作り方を参考にしたりする。今、新しいロケットストーブのアイデアがあり、材料を集めている。実験したら書いておく。何でもそうなのだが、こうして情報を貯めておけば、何かの役に立つ。フェースブックには何か深い情報があるのかもしれない。ブログ機能で今のところ十分なので、フェースブックで失礼していたら、単なる理解不足と考えてお許し願いたい。

昨日の自給作業:冬苗の植え付けの準備1時間 累計時間:12時間
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何でも薪に!

2011-11-16 04:10:41 | 
現代農業の12月号は、燃料自給「何でも薪に!」となっている。現代農業らしからぬ、タイムリーな企画である。この冬も電力不足が宣伝されている。本当かどうかは分からないが、ともかく暖房に電気を使うなど、田舎暮らしの人間には許されないことである。小田原の状況なら、いくらでも暖房の薪程度は手に入る。と言ってもさてどこからと言うことが実際の問題になる。二宮金次郎は、薪を取りに箱根の東山麓にまで、栢山から矢住芝の上の方まで歩いて行ったらしい。1時間30分くらいだろうか。金次郎はその体験を生かして、薪山を買い付ける講を作り入札で買い取り、利益を上げたらしい。この時代、山には木が捨てられているが、薪にするからと言って勝手に持って来る訳にもいかない。入会権とか、学校林とか、村山とか、山を生かした仕組みは実際は機能していないのではないだろうか。

薪ストーブもピンからキリまでで、良いストーブは良い鋳物で出来ている。中の構造も実に工夫されている。それだけのことはあるが高い。特に煙突が高くてなかなか手が出ないほどの価格になる。そこで、自家製で蒔きストーブが作れないかと言うことになる。色々やっては見たが、余り成功したことはなかった。今回ロケットストーブに出会って、なるほどと言う構造を理解できた。工夫はこれからだが、アイデアはある。今回の現代農業では、当然のごとく、ロケットストーブも出ている。ロケットストーブの実証実験をやってみて、いくつかの特徴があることに気付いた。炊事用のコンロに向いているということ。ペール缶を使ったタイプで、練炭コンロぐらいの能力である。排熱で床暖房を行うにはいいことが出来る。欠点と言うかこれも特徴なのだろうが、短時間に一気に高温でという目的には向かない。ゆっくり長く温めると言うにはとてもいい。ヒートライザーと言われる、高温燃焼部分の構造によるのではないか。

もちろん家庭用ガスコンロ程度の熱量なら問題はない。中華料理のような火炎放射機のような火にはならない。室内で使うためには、焚口の工夫が居る。中に火を引きこむ力がうまく機能無くなった途端に、煙が逆流することになる。昔の農家の台所なら問題ないが、今の密閉の良い家では問題があるだろう。いずれも炊き方の工夫であり、慣れれば、つまり技術があるなら、クリアーできる問題であり、昔のお竈が、薪を節約するには、なかなか技術が行ったのと同じ、ちょっとした心使いが必要になる。そう言えば私は火遊びが好きなので、おねしょをするといつも言われていた。おねしょは治ったが、火遊びは今でも好きである。たき火は文化で、これを禁止するのは文化の弾圧であると考えている。それはいいのだが、私は暖房を使わない。寒ければそれだけ着込む。今も、寒いので懐に猫が居る。るるである。充分に暖かい。さっきからうずらが来て、わりこもうと邪魔をしている。

現在考えているのは、プロパンガスボンベを使ったロケットストーブである。肉厚で良さそうな素材である。長い廃材が入るストーブは作られている。半分位のサイズにして、ペール缶燃焼部を覆う蓄熱部分にする。加えて燃焼部分の拡大にも使う。「何でも薪」に出来るのは確かだが、入手法である。例えば、山で間伐材は捨てられている。これを自分で持ってゆくなら、無料であるという仕組みは出来ないのだろうか。山が片付くだけでもいいと思うのだが。まだ植林をした記憶のある方が、生きている内は良い。あと10年もすれば、植林した世代が居なくなり、山への愛着がどんどん薄れるだろう。薪や落ち葉が集められるような里地里山。そう考えて、やはりしばらくは放射能で駄目だと思う。諦める訳にはゆかないが、がっかりである。
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