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地場・旬・自給

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2021年田植えが終わった。

2021-05-31 03:58:39 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


  田植えの終わった柿の下田んぼである。ここまで見事に順調に来た。半年前までは耕作放棄されていた場所が、これほどの美しさによみがえった。江戸時代と同じ景色が戻ってきた。こうして田んぼに戻せたことは、役割を果たせたような安ど感がある。

 今回の復田は渡部さんと東さんの努力の結果である。そこに加わらしてもらえたことは大きな喜びである。ここから収穫までの無事を祈願したい思いになる。自然という物はどのように働くのかわからない。どれほど努力したとしてもどうにもならない力に支配されているのが、農業である。

 この欠ノ上の河岸は数年おきに崩壊している。その都度田んぼの一部が流されている。田植えの前後に、吹き飛ばされるほどの風が吹いた。強風に翻弄されながらの田植えだったのだが、富田さんの田んぼは葉先の枯れる被害になってしまった。


 こちらが欠ノ上田んぼである。こうして無事すべての田んぼの田植えが終わった。水面に漂って見えるのはそば殻である。近所に久津間製粉という大きなそば粉を精粉する会社がある。そこでそば殻の壊れたものを売ってもらえる。

 そば殻は昔は枕の中に入れてものだ。正四面体をしている。そのような見事な形のものは製品として販売されるようだ。その破片のようなものを安く買う事が出来る。これを田植えが終わった後に蒔くと、水面を漂っている。その内田面まで水没する。

 これが抑草すると考えている。少しづつ根気良く撒いて、2週間ほど覆っていれば、イネは7葉期になり、それなりに田んぼを覆い始め、今度は稲自体が日陰を作り抑草するようになる。これで草がかなり抑えられることになる。その頃には沈んだそば殻が分解をはじめ、その時出る成分で草の発芽抑制が期待できる。それがイネの肥料にもなる。

 ここで考えている抑草の仕組みはどこでも通用する、科学的抑草効果とまでは言えないが、それなりには効果を上げているし、稲の生育にも悪くない経験をもう10年以上体験している。有機農業で畝取りするための一つの技術になると考えている。

 今年は1反近くの田植えをやった。延べ時間で21時間ぐらいである。1時間で0.5畝植えることが出来たという事のようだ。やっていて昔よりずいぶん遅くなったとは思うが、根気が良くなって、楽しんで田植えをすることが出来るようになった。

 まだ頼まれれば他所のグループ田んぼにも田植えに行く元気がある。老人力は飽きないことだわかる。同じことを繰り返す粘り強さは、若い頃よりも強くなっている。単純労働の中にある楽しみのようなものを馬鹿馬鹿しいことと感じなくなっている。

 今日の午前中は捕植をする。風が強かったせいで抜けて浮き上がった株がかなりある。今日株のない場所やまだ植えられる場所を探してきれいに植え直す。2本植えればご飯1杯である。それが終わったところで、そば殻を播く。

 そば殻は風上から流すように静かに播く。できるだけ全面を覆うようにする。出来れば少しづつ何回も撒いた方が効果が高くなるようだ。1回目のコロガシを田植え1週間後に行うが、コロガシの後にまた撒いた方がいい。

 今回の田んぼは復田した初めての年だから、まず草は出ないはずだ。どれほど雑草の種が強いものであれ、60年間眠っていてまた発芽するとは思えない。今年は雑草取りでは楽を出来るのではないかと思っている。

 田んぼのトンボ均し、苗取り、田植えと5日間の連続農作業であったが、別段疲れたという感じは全くない。明るくなったらすぐにでも田んぼに行きたいぐらいの高揚した気分だ。この年齢になって、これほど充実した農作業に加えてもらい、いくらかでも役に立てたと思えることのありがたさをしみじみ思う。

 主食作物を作るという事の重さは、決して経済的な意味だけではない。お米など安いものだから、買うのが一番だと思う人は生きるという事の大切な部分が見えていないかもしれない。労働というものは決して経済だけのことではない。

 一人で一日田植えをしているときに、動禅田植えになっている時間があった。ただ田植えしている機械化していた。行為の意味を問わないでただその行為になり切る。その時間の大切さは自らが自分の生きるを探して選択していることなのだと思う。やらされている感が全くない。

 自分が食べるものをつくるという、根本的な生きるに向き合う時間になる。生きるという事の意味は「人はどこから来て、どこに行くのか」という日々なのではないだろうか。日常に紛れてしまわない時間がわずかでも必要なのだと思う。

 今年の田植えもいろいろの人に出会えた。なかには数年ぶりの人もいた。それぞれの今を聞かせてもらえた。コロナの中でも、それぞれの人生を生きている。結婚した人。子供が生まれた人。離婚をした人。新しい道を歩み始めた人。

 子供が10人ぐらいは来ていた。田んぼの作業には子供は邪魔なように見えるが、子供がみんなで遊んでいる中での田植えは良いものだ。今の時代子供が野外で走り回っているような光景はまずはない。子供には一番必要な時間のはずだ。

 走り回っている子供を誰かが見守りながら、大人たちはひたすら田植えを続ける。両者が精一杯働いている。子供たちに伝わるものもあるはずだ。こういう光景の中で子供が育つことこそ大切なものだと思う。老人にも目が覚める大切な時間だった。

 田んぼをやる時は絵を描くように、絵を描くときは田んぼをやるように、そう思ってやっている。柿の下田んぼはまさに絵を描くような田んぼである。過去にない美しい田んぼである。その美しさが土木的な合理性と地形にある必然の上に成り立っている。

 まさに絵を描くというのはこの人為と自然の織り成す美しさを自分の目が確認するという事だと思う。そう思うようになれたことは絵を描いてきたおかげである。そして田んぼをやってきたおかげであると、改めて思った今年の田植えであった。

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第58回 水彩画 日曜展示

2021-05-30 04:16:13 | 水彩画
第58回 水彩画 日曜展示






306「桃の節句」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






307「光の川を横切る」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






308「シーラ原田んぼ」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙







309「シーラ原」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙





310「橋のある景色」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙






311「シーラ原田んぼ」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙





312「篠窪のツツジ」
2021.5
ファブリアーノ中判全紙


 小田原に来ているが、石垣で描いた絵を展示している。いま、絵葉書づくりのための、絵を選んでいる。是非ともコメント欄からこれを作れという意見を頂きたい。だいぶ寄せられてきているが、同じ作品が選ばれたことはまだない。

 皆さんの見方はさまざまであるとわかった。考えてみれば当然である。何番という指摘だけで、楽しみなことなのでぜひお願いします。できた絵ハガキは送らせていただきます。

 石垣に戻って、選んだ絵の写真を撮り直し、印刷に回すつもりだ。あと3週間先になる。
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2021年の田植え

2021-05-29 03:54:25 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 柿の下田んぼの全景である。田んぼは久野川に降りる斜面に作られている。田んぼから久野川までは5mほどである。写真は田んぼの上にあるバス通りからとっている。観音堂前というバス停なのですぐに場所がわかる。

 ここ一帯を1haほど使わせてもらっている。すべて耕作放棄地だった場所を復田したところである。一部柿畑と栗畑の所だけはそのまま残されている。この場所は車では行けない畑だったところを道を作り降りて行けるようにした。

 湾曲した畔の形が古い棚田の形を残している。この湾曲が水圧土圧を和らげている。もうこういう田んぼは小田原では少ないともう。復田してみて、良い田んぼを復田させてもらったと、感激したところである。人間の技が美しい景色を作っている。



 柿畑の下には上野さんの家庭菜園がある。荒れ放題のこともあったのだが、柿畑の下の家庭菜園でとても美しい。草花も植えられていて、美しい庭の畑の典型ではないだろうか。ちょっとした心遣いが積み重なり、絵になる景色が生まれる。



 右側にはみんなが憩えるひだまりガーデンがある。その奥には渡部さんがミツバチなどを飼っている渡部ワールドと呼ばれるこれまたすごい場所がある。その間をトラックターが降りれる道を作った。いつもはこの場所に車が3台止められる。

 この一番奥の場所に久野川がある。久野川は箱根明星岳を水源とし、久野を通り、小田原市内を抜けて山王川となり、相模湾にそそぐ。小田原市内だけを流れる2級河川である。箱根山ろくに豪雨があると、すぐ滝のようになり、田んぼの脇の擁壁は10年の間に3回も崩されている。

 その擁壁をイノシシがよじ登る。2メートルもあるほぼ垂直の壁を掻き上るのだから驚く。仕方がないので網で登れないようにしてある。このところ上った形跡がないので、しばらくは大丈夫そうだ。


 田んぼの線引きである。ここは3畝の田んぼで線引きは1時間はかからないで出来た。線を明確にひくためには水の引き具合が重要であるこのくらいがいい状態である。24時間前に水を抜き始めた。土の状態で良い状態を作るのは案外に難しい。

 慣れた人ならば見えないところあっても田植えは出来るのだが、初めての子供でも田植えが出来るというためには、この状態のように分かりやすくしなければならない。しかもここに水を入れたらばまた見えない。だからみんなでやる田んぼは水のない田植えである。

 この線の十字の場所が植える場所である。線をひくときにできれば十字の所を避けたい。と言ってもそれはなかなか難しい。今回は短いトンボに葉をつけた新しい線引きを使った。山北田んぼがくれたものである。幅は短いことと、田んぼの凸凹に応じ切れないところが欠点だが、田んぼが整っていれば、問題なく線が引ける。


 このように植える速度に合わせて、わずかに水を入れたながら、植えてゆく。一本植である。頼りないように見えるが、これが24時間で活着して、停滞無く成長を再開する。苗が落ち着くまでは浅水にして置くつもりだ。

 この田んぼは3畝ほどである。小さな田んぼのイネ作りに丁度良いサイズである。これで180キロ採れれば、普通の家族ならば十分ではないだろうか。個の周りに大豆を植えるつもりである。苗を現在作っている。田植えが終われば植えるつもりだ。

 3畝の田んぼの田植えが一日がかりであった。江戸時代の田植えの記録では1反植えたというから、その3分の一人前というところ。以前試した時は4畝が一日の田植えだった。3畝まで体力が落ちたという事になる。しかし、若い頃より良くなったこともある。


 田植えが終わったところの写真である。3時30分ぐらいである。そう、歳をとって良くなったのは根気である。飽きなくなった。粘り強くなった。若い頃は気力を振るって我慢してやっていたが、今は楽しんでやれる。気分の良いものだ。

 今朝は少し腰が痛いが、今日も田植えである。明日も田植えである。そういう身体を使った繰り返し事が何でもなくなった。自分でも不思議な気がするが、年齢で変わるものもあるようだ。これが老人力なのかもしれない。

 幸い今日も明日も田植え日和である。田植えを楽しみたいと思う。心底田植えになり切りたい。昨日は一人で黙々と田植え機になったつもりで植えていた。機械を使う人には理解できない喜びだろうが、人間は案外こうしたところで生きている。
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2拠点生活小田原の農作業

2021-05-28 04:28:42 | 暮らし


 小田原生活が始まり筋肉痛である。14日に石垣島に帰るまでの三週間である。三週間ごとの行ったり来たりである。この暮らしもすこしづつ慣れてきた。なかなか良いものである。気持ちが変わるというところで、暮らしにメリハリが付く。さあやるぞと言う気にどちらに移動してもなるものだ。

 コロナで不要不急の移動を自粛しろという事だ。何かすっきりしない気分はある。生きているという事はそもそも不要不急のようなものだ。生きている一日を意味あることにしようとしている。ワクチンも打ったから少しは安心して小田原でくらせる。と言っても一回だけだと33%と効果は弱いということだ。二回目は石垣島に戻って打つ。まだまだ、いままで通り気をつけたいと思う。

 非常事態宣言下、石垣島を抜け出て小田原に来ていることになる。田んぼや農作業である。農作業の集中する時期を選んで小田原に来ている。前回の小田原暮らしは絵を沢山描いたが、今回は田植えが主目的なので、田んぼが終わらなければ他のことは出来ないだろう。

こちらは以前からの田んぼ。左隅に見えているのが柿木。

 田んぼは現在水が張られている。緊張して田植えを待っている。トンボでずいぶん土を動かし、かなり良い均平がとれている。放棄地を良くここまできれいに田んぼに戻したものだ。土はそれなりに良い。結構とれるのではないかと思っている。

 この田んぼはとても古い形の棚田の形を残している。たぶん江戸時代に作られたときのままの形である。畔が弓なりになっている。土圧水圧から畔を守るための形である。大抵の田んぼは関東大震災の後、直線に直された。ここの田んぼは崩れなかったのかもしれない。

 石垣島での三週間もかなり絵を描いた。この後ブログで日曜展示して行くことになる。今回の石垣島は市民による自給の田んぼの話から始まっている。大勢の人が田んぼをやりたいと言うことになった。そこから田んぼを探して歩いて石垣の農業者にお会いすることが出来た。なかなか見つからないが、石垣島の農業の実体を感じる意味では充実した石垣生活だった。



 人の居る室内には極力行かないのは、石垣島でも小田原でも一緒だ。スーパーに夜の人の少ない時間帯に一度だけ出かけて、三週間分を買ってきた。後は家と田んぼと畑とため池の行き来になる。時間が空けば車で絵を描きに行く。知らない人との接触はできる限り避けている。


こちらは新しい田んぼ。右に見えるのが柿木。その下にあるので柿の下田んぼ。

 2拠点生活はコロナで大分ゆがめられたが、何とかワクチンを打つまでにたどり着いた。PCR検査では陰性だし。不安を抱えながらも行き来が出来る。エライ世の中になったもんだ。コロナの次が無いはずがない。ウイルスとのいたちごっこになったと考えれば、もう昔のような暮らしには戻れないのかもしれない。これが人類の宿命だったのだろう。

 暮らしを変える以外、人間は変わることなど出来ない。自分と思っている自分など、たまたまその環境に作られている自分である。だから、成長しようと思えば、日々の暮らしの方を変える以外方法はない。そのように考えて、あちこち暮らす場所の移動を重ねてきた。

 行きたいところへと移動して暮らしてきた。山梨藤垈に生まれて。東京三軒茶屋。世田谷。太子堂。金沢。フランス。東京。山北。小田原。そして、石垣島。いままで長いところで小田原の15年である。細切れで、二拠点生活もあった。


東さんの、山田錦の5葉期2分けつの苗。

 最終的に小田原と石垣島の2拠点生活になった。予定では小田原では農的生活。石垣では水彩画生活。と思っていたのだが、小田原でも絵を描くし、今度石垣島で田んぼをやることになりそうである。それはそれで成り行きに従うことでもいいのかと思っている。余り決めたことに拘らないで遣りたいようにやれれば、一歩前進になるかもしれない。

 今回小田原で田植えをする田んぼは柿の下田んぼである。柿の畑の下にある田んぼだから、柿の下である。田んぼから柿の木の眺めは実に美しい。柿の木は実に美しい木だ。新緑の黄色の鮮やかさは春先際立っている。葉の色づいた紅葉もすばらしいし、実の付いた姿の良さも格別である。

 柿の下田んぼは美しい柿の木に負けないくらい、美しい田んぼである。古い時代の湾曲した石積みがいい。畑でも田んぼでも美しくなければ、だめだと思っている。庭の畑ほど美しいものはない。ガーデニングと言うが、私には花より団子である。作物ができると言うことが一番魅力がある。

 欠ノ上田んぼから、柿の下まで1町歩ぐらいを農の会でまとめて管理するようになった。考えても居なかったことだが、耕作放棄されていることよりも、田んぼになることの方がすべてに良いと思っている。田んぼとしての管理を続けて行くくためには、専業農家では難しい場所なのだ。

 欠ノ上の久野川に向かった崖下は、農家には不向きかもしれないが、市民が利用させて貰うには絶好の場所である。耕運機しか入れないような場所もあるが、私たちが使うには様々に良い場所である。一つは水を自分たちの都合だけで入れたり出したりが出来る。水管理でよそ様に迷惑をかけない田んぼ。

 だから苗代も作れる。今回石垣島で田んぼを探してみて、そうしたことが改めて分かった。農家が使えるような所は農家に任せておいた方が良い。農家がもう経営的耕作が無理だとなったときに,すぐ市民が取って代われるような体制を作っておくことだろう。

 今回の柿の下田んぼは東さんが中心になり、私をふくめて4人の協力体制である。本当であれば、種まきから10週目の7月4日前後の補肥の時期は私も居た方が良いのだと思うが、申し訳ないが石垣で絵を描いていると思う。と言うか、もしかしたら、石垣の新しい田んぼの苗代の頃になる。

 6月前半のどこかで大麦の収穫。同じくタマネギの収穫。ジャガイモの収穫。そして、出来ればカキツバタの株分け。ため池の草刈り。下の池の水漏れの修理。田んぼのコロガシは一通りやるつもりだ。今回も筋肉痛の充実した農作業になりそうである。

 農作業優先でゆくつもりだが、予定が空けば山梨に絵を描きに行きたいと思っている。これはやってみなければ分からない。仙石原や篠窪も又描きに行きたいものだが、空いた日があればすぐに行ける準備だけはしておきたい。

 小田原に居る間は毎朝の水回りには行かして貰うつもりだ。東さんは6時30分と言われていた。田んぼと言う現場に行かなければ伝えられないことも多い。朝、見回りをしながら、できる限り知っていることは伝えたいと思う。そういうことが出来るのも今年が最後かもしれない。来年も出来れば幸せと言うことだ。

 思いつくことを今上げれば、田んぼ見回り棒。水深確認板。畦の水漏れ防止の対策。排水口の水位調整。田植え一週間の水管理。今年新しく使う予定のソバ殻蒔きと抑草の様子の確認。追加の必要性、表面を覆う時間。沈降するまでの様子の確認。そば殻の抑草効果は期待できると思っている。

 田んぼの生き物観察。これは渡部さんに教えてもらう事になる。モノアラガイの卵とコオイ虫を昨日教わった。湧いてくるミジンコ、赤虫は出ないのか。期待の豊年エビの発生はあるか。オタマジャクシ。ドジョウは現われるか。もずくがにやオニヤンマのヤゴは見つかるか。蛍はもうでていると言うことだ。水温の場所による違いの確認。田んぼの土の状態の変化。土の匂いと感触の変化。泡の出方。泡の匂い。

 直播田んぼがこの後どのように田植え部分と違ってゆくのか、あるいは同じなのか。いずれにしても直播田んぼは1本植にして、ここはハルミの種取り田んぼにすればいいかと思っている。今年のハルミとサトジマンの結果次第で今後の品種が決まってゆく。

 肝心の苗の活着と成長の状態。欠ノ上田んぼと柿の下の新田との違いを観察したい。昨日の苗取りでは、結局のところ、1㎡に200グラム以下の播種量でないと良い苗は出来ないという事だった。柿の下C田んぼのサトジマンの種籾確保。これは来期の他のたんぼの分も考えておきたい。サトジマンの種籾の入手は今後困難になる。分ゲツがよく出る品種を確立させたい。この点ではあと一息の所に来ていると思って居る。

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石垣島の巨木伐採

2021-05-27 04:23:46 | 石垣島

 首里城が燃えてしまい、今再建が進んでいる。本殿の再建のための材が沖縄各地から集められている。石垣市にも要請があり、崎枝の屋良部岳の奥にあるウラジロガシが切られることになっているらしい。果たしてこれは正しい選択なのだろうか。

 前回、台湾の檜の巨木が大量に切られて、首里城は作られた。日本には檜の巨木などなかったのだ。そこには台湾の方々の日本に対する温かい心が込められていた。台湾人の暖かさの美談として語られてきた。その美談を裏切るかのように火事を起こしてしまったのだ。

 形あるものはいつか滅びるという事は止む得ないことかもしれないが、今度の首里城をどのように再建するかは、新しい時代の文化財の考え方を取り入れる必要があるのだろう。世界自然遺産に選ばれたやんばるの森から巨木を切り出してよいものだろうか。ここは考えどころかとおもう。

 首里城を再建することに反対する人は居ないだろう。問題は集成材でいいのかという事だろう。私の叔父笹村草家人は法隆寺の夢殿の再建にかかわったのだが、一部木の中が空洞の材を使うという話が出たそうだ。どんな材かわからないが、今でいう集成材のようなものかもしれない。その柱が外から見ても空洞なことがわかるとがっかりしていた。

 過去の首里城を再建するという意味で、伝統技術を伝統的材料で行うという考えを尊重するべき、という考えは当然あるのだろう。むしろ、首里城再建に我が方の材を提供するという崇高な気持ちというものもある。

 「国頭サバクイ」という木遣り唄である琉球古民謡がある。首里王城の正殿は、40~70年毎に改築される事になっていた。その建築用材の大木を、国頭村の山から切り出し、村の男衆の運びこみに唄われたのがこの唄。勇壮で喜びに満ちている。
 
 両方の正しさがあるのだろう。「巨木は自然遺産として大切にすべきだ」「首里城を伝統文化の象徴として再建しよう」。どちらかが正しいというようなことではない。どちらの考えも正しさがあるのだと思う。この首里城再建の機会を伝統文化とか、自然保護とかを、市民全体の議論にして考えてみるべきだと思う。

 この両者の議論を対立にしてはならない。両方が一つの正しい考え方なのだという前提で、どの道を選ぶことが良い選択になるのかである。確かに集積材に漆さえ塗れば、何も変わらないという感性の人もいる。しかし、伝統建築にかかわった人には、一目瞭然に違うものなのだ。

 いずれにしても石垣市民が知らない間に巨木が切り出されるという事になってしまう事が一番悪い道である。行政はめんどくさいことを嫌う。それで事勿れになりがちである。そのことで市民参加が衰退してゆく。今はまだ良いかもしれないが、遠からず市民参加なしでは市の運営は出来なくなる。

 シンポジュームを行うべきなのだろう。自然保護と伝統文化継承。議論を尽くすという事こそ大切である。問題があると隠して進めてしまう。そうした正面から問題に向かい合わない態度こそ、民主主義をないがしろにしていることになる。

 民主主義は時間がかかる。決められない事すらある。しかし、その結果は議論に参加したものすべての責任となる。ウラジロガシを切ってしまう責任。首里城を集成材で作ってしまう責任。民主主義は議論を尽くした後に、進むからすべてが人ごとではなくなる。

 市民が知らない間に独裁的に進められれば、素早く進むであろうが、行政という悪人を作り出し、市民が成長する機会を奪う事になる。むしろそのことが一番罪が重い。

 第3の道はあるはずである。今複数の木が予定されているらしい。石垣市から1本だけにするという事もありうる。一番切りやすい周辺に影響しない木があるのであればそれを切る。もちろんこれは私の第3の道だが、それぞれが自分の意見を持ち、提案すべきだと思う。

 そして、その自分の意見に対して責任を感じることだと思う。首里城は集成材が良いという人は何故それが良い選択であるかの意味を、未来の人たちに判断を仰がなければならない。もちろん巨木を切るべきという人はその考えの是非を未来の視点から、もう一度考えてみる必要があるだろう。

 
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動禅体操の少しの変化

2021-05-26 04:05:11 | 暮らし
 

 石垣に居るときには早朝の動禅体操を行う。そして1万歩の歩行禅を欠かしたことが無い。しかも、いやいやとか、我慢してとか、努力としてとか、そういうのではなく、やりたくてやっているのだから驚く。ぐうたらでも続けていることで、何とかなるようだ。

 自慢げに書いたが、小田原に行けば全く出来ない。情けないことだが、農作業で精一杯で体操の余力が無いと言い訳をしている。それだけではなく、石垣島のコロナ生活がそうさせている。変わろうと思えば環境を変える以外にない。

 動禅体操は明るくなる頃の60分である。始めた時間にはまだ暗く、終わると明るくなっているという時間が一番良い。以前は50分だったのだから、少し長くなった。やることも増えたこともあるのだが、前よりもゆっくりやるようにしている。

 基本速さは一つの動きで吸気なら一回とする。呼気でも一回の動きとしている。動作一回の呼吸をゆっくりすれば、自ずと全体がゆったりとして動く。全体の時間が掛かる。余り長いのも困るのだが、1時間に収まれば良しとするしかない。

 1,スワイショウもできるだけゆったりと腕を振る。背骨の周りの筋肉をほぐすという感じで、できるだけゆっくり動く。3分ぐらい行う。60回から70回ぐらいである。回数は適当でこだわらない。充分背骨回りをほぐしたと言うぐらいにしている。スワイショウは動禅の心境に入る導入体操である。

 2,八段錦は長くて、19分から20分かかる。八段錦は呼吸法なので、これこそ自分の限界まで一呼吸を細く長く行う。日常の呼吸と言うよりも、禅の呼吸と言うつもりで行う。禅の呼吸とは心が行う呼吸と言えば良いのだろうか。静かな細く長い呼吸である。体の動きはすべて呼吸を助けるための動きとする。

 吸気の時口は閉じて行うのが普通かと思うが、私は最後に口を開いてもう一息吸う。口を開かないでも限界まで吸える人はそれでいい。もう吸えないと思っても口を開くともう少しは吸える。吐く場合も最後まで吐いたつもりでも口を開けるともう少し吐ける。できるだけ長くやりたいので、口は開けてしまう。もう少し熟達したら、口を閉じたまま限界まで出来るようになるかもしれない。

 3、太極拳もゆっくりめにやるようにしている。13分である。ユーチューブなどでは10分ぐらいが多い。中国のものではさらにさらに早い。遅ければ遅いほどいいと思うので、中国という国の慌てようを見ているようだ。。速い動きでは心まで届かない。遅くなければ心がこもらない。形だけ動いても無意味だと思う。

 ゆっくり体重移動をすると、体幹が安定していないと動くが崩れてしまう。早く動いてしまうと、正確な体重移動でなくとも通り過ぎてしまう。自分の重心がどこにあるかを意識しながら、緩やかに力まず動く。

 他にもすこし変化をしている。より身体に良い方を探している。股関節が衰えて、痛み始めているので、進行させないようにと考えている。放下体操など禅的体操から股関節に良いものを取り入れた。また、体幹体操を禅的体操の立ち魚体操に変えた。

 1万歩の歩行禅が出来ている。1万歩歩いても股関節が痛いというわけではない。ただ右腰に違和感があり、悪くなりそうな様子なので、筋肉を鍛えているという所だ。予兆に早く気付けば、手立てはある。だから身体内観は必要だと思っている。自分で自分の体を感じてみる。人間ドック以上に不備なところに気付けるはずだ。

 千日回峰行は山の中を限度に近い速度で歩き続けるようだ。日本古来の修験道と仏教が重なったのだろう。中国にあった修行法とも思えない。足下の悪い山の中を歩いてみれば分かることだが、歩くことの注意以外考え事などしていられない。歩くことだけになる。ここに意味があるのだと思う。

 天狗信仰というものがある。南足柄にある道了尊最乗寺は曹洞宗の寺院であり、天狗の寺である。最乗寺は修験道と禅の修行が融合した寺院である。師であり祖父である黒川賢宗は若い頃この寺で修行したと話していた。箱根神社の信仰などとも関係があると思われる。久野にある坊所とか、天子台の地名には箱根山麓の回峰行を想像させるものがある。箱根の山中には古い寺院跡があちこちにある。

 天狗様は仏教以前の土俗的信仰に繋がっている。空を飛ぶように速く走る。山梨の藤垈にも誰々のおじいさんは天狗様のお弟子だと言われる人が居た。一日で東京まで行って用事をしてきたと言う話だった。ウルトラマラソンを考えれば不可能ではない。回峰行をしていて脚が達者だったのだろう。

 何故走ることが修行になるかと言えば、走ることになりきれるところにある。山の中を走れば、足下の注意が反射的に必要になる。ひたすら反応するだけになる。考えることの出来ない状況に成ることが意味があるのではないだろうか。

 それくらい人間は下手な考えにのめり込んでいる。考える葦とはよく言ったものだ。人間は考えすぎだ。もの存在である人間に立ち戻ることが修行になる。解脱である。身心脱落とは道元禅師が悟りを開かれたときの言葉である。「参禅は、身心脱落なり 」

 只管打坐で身心脱落するのが曹洞禅であるのだろう。確かに崇高なものではあるが、極めて難しい。道元禅師も若い頃は比叡山で回峰修行を見たはずである。やったのかもしれない。ただ座っていて身心脱落しろと言われても、常人には難しい。

 そこで出来ることでやってみようというのが、動禅体操である。体操と付けたのは禅に対する遠慮である。動禅ではもっともらし過ぎるからだ。動禅体操は一通りやると60分になった。エアロビックスやビリー隊長のように力を入れた速い動きとは逆の体操である。

 こうして朝の動禅体操が続けられているのは間違いなく、コロナの御陰である。毎朝の修業が喜んでできるなど夢のようだ。コロナを考えると言うことは自分の命のことを考えることになる。人間は生まれてきて死んで行く。その現実を受け止めなさいと言うことがコロナであった。

 コロナがとくに肺に来る病気である以上肺を鍛えなければならない。コロナに感染したとして、八〇才以上の男性は死亡率はダントツ高い。肺が弱まっているとコロナが致命傷になるのだろう。それなら肺を鍛えようと考えた。コロナの不安で動禅が続いたのだろう。

 石垣島に居るときに遣らなかった日はない。初めて一年を過ぎる頃から、生活の基本になった。何しろアトリエの掃除まで毎日するようになった。ここまで来ればコロナが終わっても,動ける間は続けることが出来るだろう。

 動禅体操が絵を描くことに役立っているかもしれない。絵に自分をどこまで注ぎ込めるか。絵がどこまで自分になるか。そういう覚悟ができてきているような気がする。静かにゆっくりと心を込めると言うことが、絵でも必要だと感じるようになった。

 今回の小田原生活では立禅だけでもやってみようかと思う。立禅は立ったままの禅なのだが、最近立禅にも成るほどというところがある。何でも続けてみるものだ。朝少し早く田んぼに行って、田んぼで動禅体操も悪くないかもしれない。
 
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石垣島ではハブが減っている。

2021-05-25 04:48:52 | 石垣島


 石垣島に来て一度もハブを見たことがない。夜行性らしいので、夜はすぐ眠くなるので、外に出ることがないことが一番の理由だと思うが。ハブが減っているのではないかと考えている。農家の人に会う都度、ハブを最近見かけたかと聞いていてみているが、最近見たという人にひとりだけであった。

 その方が言われるにはそれは小さなヘビだったそうだ。大きいものは最近見たことがないと言うことだった。減っているのではないかとやはり言われていた。具体性もあり、水のあるところに居ることが多いと、ヘビの居るところもよくご存じだった。ヘビを見るとハブを見たという人も居る。

  石垣島に居るハブはサキシマハブである。大きさはハブとしては小さいもので120センチまでとある。噛まれたとしても毒性は弱く,血清を打てないとしても死ぬことは滅多にないと言われている。台湾ハブも居るとか、本ハブも居るとか言われるが、私が調べた範囲では居ないようだ。

 それでも噛まれる人が居ないわけではなく、ピーク時には、年間500名を超えていた沖縄県のハブ類咬症者数だったのだが、ここ10年ぐらいは70名前後で推移している。2018年は初めて50名を下回った。このところ50名前後。石垣市では2019年は3人が噛まれたとある。 2000年以降、ハブの咬傷被害により亡くなる方はいない。

 石垣市観光協会のホームページの注意喚起では、沖縄県には猛毒を有するハブが生息し、年間100人前後のハブ咬症患者が発生しております。 と言うようなことが書かれているが、それは大昔の話のはずだ。2019年は石垣市では3人だけだったを強調して欲しい。2019年の話だから、コロナの影響ではない。

 何故多くの人がハブに注意しろと言うのかと言えば、幽霊見たりと枯れ尾花で、不安から何でも長いものであればハブと言うことになる。その昔親戚の誰それが噛まれたという話しがいつまでも語られている。ともかくいつも気を付けて居そうな所を探して見ているが、まだ見付けたことはない。もちろんハブ以外のヘビは見ている。

 ハブを石垣島で探し歩いた人の話があるが、2度訪れて撮影できなかったとある。2015年の話である。その時より孔雀はさらに増えているから、今はもっとハブ少なくなっていると見ている。実際に見たことがあると言う人の話は夜車のライトで見えたという話が多いが、それで普通の人に判断が付くとは思えない。

 日本最大のヘビ、サキシマスジオも石垣島に居る。そのほか18種のヘビが居るらしい。だから案外に他のヘビをみて、ハブだと思う場合も結構あると思われる。夜車のライトで見たという話は,可能性として18分の1が違うと言うことになる。

 石垣島には様々なヘビが居るので、それがハブと間違われる可能性はかなりある。しかし、ハブ以外のヘビも孔雀には食べられていることだろう。石垣島で一年に何人ハブに噛まれると思いますかと聞いたら、なんと100人ぐらいだろうという感想があった。こういう風に不安でイメージだけが膨れているのだ。

 天然記念物のは虫類と言うことであれば、セマウルハコガメは見た。30センチにも成ると言うが15センチぐらいのものを三回は見た。こちらは甲羅があるから、孔雀にやられないのだろう。のんびり歩いているのでゆっくり確認が出来る。

 そして入って欲しくない場所にはハブ注意という看板が一番有効とされている。ハブ注意の看板はハブの数どころでなく見かける。とって貰いたくない植物、とって貰いたくない昆虫の居るところ、入って貰いたくない場所にはハブ生息場所の看板が有効と言われる。

 ハブは減っていると考えていいのではないか。理由はキジと孔雀の増加にあると言う話である。同感である。鶏もそうだが、キジ科の鳥類はは虫類を非常に好む。ヘビは鶏の好物だった。良くヘビをなたで刻んで鶏に食べさせていたが、好んで食べた。

 余りヘビが好きなので、見ると捕まえてエサにしていたら、鶏小屋の周辺では全くヘビを見なくなった。それで困ったのがネズミの増加だった。それ以来絶対にヘビを殺さないことにした。ヘビはお米の国ではやはり神様だったのだ。

 ヘビはすぐ人に慣れ逃げなくなった。そのうち2メートルを超えるアオダイショウが鶏小屋に住み着いた。意外に成長の早いものだ。エサが多ければ数年で2メートルを超える。卵を狙うので、エサの卵を別に置いてやった。ネズミが来ない方が良いからである。

 孔雀の大きさになれば、先島ハブは丁度良いエサになるはずだ。孔雀は動作が鈍いから,ヘビを捕まえるのは下手かもしれないが、それでも人よりも早いのだから捕まえられないはずがない。噛まれてもたぶん毒で死ぬことはない。山北にいた頃犬がマムシに噛まれたことがあるが、脚を腫らしていたが、一晩で直った経験がある。

 高麗キジとインド孔雀が良い役割も案外にしていると言うことなのかもしれない。マングースは大失敗であったが、ハイムルブシから逃げ出した孔雀は失敗転じてハブ撃退の成功になったのかもしれない。生物多様性の維持という意味では問題の多い特定外来生物ではあるが、さすがに毒蛇は居ない方がありがたい、と考える普通の人が多いに違いない。

 マムシも希少生物になると言われているが、居なくなっても少しも困らない。そうコロナウイルスも病原菌もいなくなっても少しも困らない。シュバイツアー博士は病原菌を殺すのも罪だと悩んだそうだ。小学生の時に教科書でその話を読んで私も悩んだ。環境原理主義者はどこで線を引くのだろうか。

 生き物の中には居ない方がいいようなものも居る。私はハブは居ない方が良いと思うがどうだろうか。それでは狼が居なく成って良かったかと言えば、それは良くない悲しい事件である。狼は大神である。信仰の対象でもあったのだ。日本の野生動物の頂点に君臨する動物であった。日本人の暮らしは狼と共存していたのだ。ヘビも神様ではあるが、毒蛇となると別だ。

 こうなると孔雀もそう目の敵にするほどのこともないように思えてきた。ハブを食べる話を聞くまで、孔雀を捕まえて食べることばかり考えていたのだが、今はそんなことは全くない。どうだろうか、特定外来生物のオオヒキガエルも食べていてくれないだろうか。

 西表島は人口が石垣島よりはるかに少ないのに、さすがにハブの被害は多い。ハブは減っていないようだ。西表には孔雀が居ない。西表は世界自然遺産の島である。確かに孔雀などとんでもない話だ。

 石垣島でも孔雀がいいとは言えない。田んぼで稲を食べてしまうそうだ。駆除も続けられている。しかしハブも駆除を続けてきたのだが、孔雀が居ない頃はハブ被害は減らなかった。孔雀が増えてハブが減ったと言うことも着目して良いのかもしれない。

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12枚の絵はがき計画

2021-05-24 04:33:40 | 水彩画


 日曜展示してきた作品が1年を過ぎ、300点を超えた。100才まで日々の一枚を続ける計画である。365作品が無いのは残念なので、二年目が終わるまでには730点に追いつくつもりである。画狂老人卍2になる道である。

 絵はがきにする12枚の絵を選ぶ日がきた。何か自分で目標を作ることにした。石垣島では絵を描くばかりである。その絵の中から12枚を選び絵はがきを作ろうと思う。絵はがきが出来たら4つのことを考えている。

 ブログで日曜展示している絵から、選ぶことになる。12枚選んでセットで印刷屋さんにお願いする。セットでお願いするととても安く、気軽に頼める。

 コメント欄に何番の作品を絵はがきにしたら良い。と投票を頂きたい。メールでも良いです。投票を選ぶ参考にしたいと思っている。投票のお礼に出来上がった12枚の絵はがきを送らせてもらう。

 左側にある水彩画のカテゴリーをクリックして貰うと、絵がずらずら出てくるので、その中からこれが中では良い、というものを選んで欲しい。番号を書いてくれれば分かるので、コメント欄から番号を書いて送って貰えば大丈夫です。公開はしないので住所を書いておいてくれれば、必ず出来た絵はがきは送らせていただきます。

 絵はがき作りは500セット作るのも1000セット作るのも値段は似たようなものなので、是非とも多くの人に12枚の候補を選んで貰いたい。ぜひとも協力をお願いしたい。

 絵は自分のすべてである。自分の内側のすべてのはずなのだ。自分がものにどこまでなっているのか。自分が出し尽くせているのか。自分という存在の表現に果たして成るのだろうか。この事だけで絵を描いている。道は果てしなく遠い。

 絵にはすごく自信もないし、不安で一杯である。だから見てくれた人の意見を聞いてみたいものなのだ。自分の絵など本当にくだらない物で、何をやっているのだろうと思えて、苦しい日もある。

 それでもこうして日曜展示をすることでいくらか,自分の弱い心の助けになっている。お会いするとあれはいいよなどと言ってくれる人もいる。どうしてもブログでの作品発表と言うことになると、自己顕示欲でおかしくなった奴ともいえないこともない。すべては絵次第である。そもそもブログにはそういう匂いがつきまとう。まあそんなことを気にしている場合でもない。

 自分の人生である。好きにやるほかない。コロナの時代では他にやれることはいかにも少ない。絵はがきを作ることにしたのは四つの理由がある。

 まず第一は石垣島で絵を描いているときに、そばの畑の方には絵はがきを手渡している。そのための絵はがきが残り少なってきたからだ。随分配ったことになる。

 地域の農家の方にすれば、車を止めて何をしているのか不安になる。毎日来て車を止めているのだから不安になるのは当然である。不動産屋と間違えられたこともある。それで、絵はがきを手渡して、石垣島を描いていると言うことを認知して貰おうと考えている。

 2つ目は、コロナの時代になり、人との交流が難しくなっている。それでも個展をやる人がいるが、私はとうてい怖くて個展に出かけて行くことなど出来ない。この秋の水彩人もまだ出来るのかさえ分からない。

 何か目標が必要と考えて、絵はがきを作ることにした。石垣島の絵を中心に絵はがきを作り、これからの活動の材料にしたいと考えている。いくつか活動を始める考えがあり、その何かになるのではないかと考えている。東京のある場所で展示しようと考えている。その提出資料にしたい。

 3つめはアトリエ展の計画である。コロナが収束したならば、石垣島でアトリエ展を開催したい。その時に絵はがきを使えると考えている。見に来てくれた人に、お礼に差し上げるものである。

 そして4つめはある雑誌に載せて貰うための資料である。これも今のところ出来るのか先行きは分からない。ただやりたいと思うだけである。「一枚の繪6.7月号」という美術雑誌に今回絵を掲載して頂いている。ありがたいことだと思っている。こうしたことも絵を描く区切りになる。

 人間が分断される時代のなかで、絵には絵の役割というものがある。出来ることがあるのかもしれないと考える。人間同士の距離が遠くなり、美術というものの位置も変わってくるのだろう。何か新しい活動の方法を見つけたいと思っている。

 インターネットはその一つの手段になり得ると思う。ITにおける作品が15億円とかで取引されたという。人間が表現する生き物である以上、絵画する行為がなくなることはない。絵画した結果がどのようになるのか。ITに関わりが無いはずがない。

 絵はがきを作ることはささやかなことであるが、それでも四つの目標に少し動くことになる。是非協力をお願いします。

 
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第57回 水彩画 日曜展示

2021-05-23 04:04:39 | 水彩画
第57回 水彩画 日曜展示

 今回は小田原に4月16日から5月6日まで行っていた間に描いた作品を展示する。20点である。






286「塩山の桃の花」





287「塩山の桃の花」




288「南アルプス1」






289「南アルプス2」
寺尾から






290「南アルプス3」
寺尾から







291「篠窪のはる」


292「篠窪のはる」





293「篠窪のはる」








294「舟原ため池」この作品以降は10号くらい。







295「雲ノ平」
この絵は描いている内に雲ノ平を思い出してしまった。






296「境川村寺尾」






297「境川村寺尾」





298「小田原の家の庭の眺め」







299「桜咲く頃」






300「仙石原1」







301「仙石原2」








302「甲府盆地から見える富士山」






303「藤垈」







304「鳥海山の」
平5年4月22日に描き始めている。弁川という集落である。







305「小山町付近」

 懐かしい場所で、記憶がない交ぜになりながら描いた。最近そういう描き方が多い。記憶しているものの方が、意味が明確になっている。今見ているものの方が現実的存在感がある。このあたりを行き来している。

 石垣に来てからそういう描き方になってきたようだ。


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小田原の田植えが近づいている。

2021-05-22 03:54:35 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


  小田原から送られてきた写真である。欠ノ上の苗床。播種三週目に成る前ぐらいだろうか。18日撮影。4月25日蒔種。つまり3葉期である。苗床の幅は1メートル。23メートルの長さに4キロから5キロの種籾が蒔かれている。一番左が新長塚田んぼ、右側二つが欠ノ上田んぼ。

 左から2本目が今年参加させて貰う柿の下田んぼの苗床である。一番手前の1メートルが、酒米の山田錦。その次の3メートルがサトジマンで、あと20メートルぐらいが神奈川県の奨励品種であるハルミである。特Aを取った品種である。ハルミは初めて作る。生育を充分把握しなければならない。JAの作出した新品種。

 小田原の新しい田んぼ一反3畝の田植えが近づいている。緊張してきた。5月26日に田んぼの準備。27日28日が苗取り、29日30日が田植えになる。東さんが農家を体験する田んぼだと思っている。いままで学んできた、イネ作りをできる限り伝えたいと思っている。有機農法のイネ作りはやはり、経験者がその時に応じて,細かく見方を伝えることが一番良い。

 観察力を持つことが出来るかどうかが重要になる。イネの葉は多くの場合、品種によって違うが14枚から15枚出る。普通のことである。ほとんどの方が書物で稲のことを学んだわけではない。私の場合は絵を描くことから、みると言うことは専門のつもりだ。

 苗の時から、三つの株に葉にマジックで1番2番と印を付けて、サトジマンでは15枚出ると言うことを確認した。平均的な話ではあるが、3年やってみたが、変わらず15枚であった。そういうことをするのが好きなのである。



 ここは直まき実験田である。想定していたように、少しこちらの方が良いかもしれない。品種はハルミ。30センチ幅のスジ蒔きである。同じく3週目が近づくぐらいかと思われる。5週目になったところで30センチの間の苗は苗取りをして、補植などに回す。つまり、30センチ角一本上の直まき田になる。

 このやり方は100坪くらいまでであれば、田んぼの中央に30センチおきに、3本の畝のスジ蒔きをして、左右に苗取りをしながら、田植えをして行けば、苗床と本田を同時に進めることが出来る。究極の省力化田んぼになると思うのだが。

 昔このやり方で自分の小さな田んぼをやっていたのだが、草負けしてしまいなかなか大変だった。何故か今年はうまく草が抑えられている。初めての田んぼは草が出ない。代掻きも成功したのだろう。手作業で荒起こしをして、耕運機で代掻きをした。もちろん手の代掻きでも良いに違いない。昔は代掻きをしなかったことが草に巻けてしまうの原因だったようだ。

 15枚出るなどと言う事はどうでも良いことのようだが、生育の流れを葉の数で見て行くと分りやすいのだ。イネの葉は1枚は小田原では1週間ごとに出る。種を蒔いて1週目に張りのような一葉が出なければだめだ。2週目には稲らしい2葉が、この生育に気がついたときには嬉しかった。

 3葉期で一気に大きな葉を出す。この時から自分の根の力で動き出したのだ。苗床の土壌の状態が分かる。肥料が足りなければ苗の色が黄ばんでくる。黄色の苗が良いという人も居るが、黄色い苗では多収は出来ない。こうして、種まき9週目の稲はおおよそ9葉期の稲と考えて良い。

 9葉期には分ゲツが20本以上採れていることが目標である。20本分のゲツが採れるためにはすべてがそろわなければ出来ないことである。水の駆け引き、発酵型の土壌による、稲の力の引き出し方。9週目に稲の観察を必ず行い、分ゲツを数え、定点の写真を毎年撮る。人間の記憶より、写真の方が正確である。

 10週目の10葉期の頃イネは幼穂を株元に育て始める。この頃が補肥のタイミングとなる。補肥を与えるタイミングは難しいが、葉の色の緑の濃さや株ものとの膨らみ具合など判断しながら、補肥を与える。と言う具合に葉の数を数えながら、生育のあわせた管理が出来る。

 何故田植えのが5,5葉期になるかと言えば、この時期に両側に分ゲツが出始めるからだ。このタイミングで田植えをすると一番分ゲツが採れることになる。有機農法では分ゲツを確保することが、一番難しいことになる。土壌が充分に出来ていなければ分ゲツはしない。

 こうした色々のことは、何かに書いてあったわけでは無く、観察の結果そう思えたに過ぎない。だから、小田原の農の会なら参考になるが、他ではまた違うのかもしれない。この5,5葉期の苗は田植えをした翌日には生育を始める。翌朝には葉の先に露が宿る。

 この露を根付いた証だと判断してきた。つゆの付く時期が遅れるようならば、活着が遅れる何か原因があるわけだ。多くの場合土壌の状態が腐敗方向になっていることが多い。苗取りが雑で根を傷めていると活着が遅れることもある。

 苗取りでは株の根元が重要になる。根元から根も分ゲツが出てくるから、苗取りの時にこの根元を揺すって痛めたりすると、大切な分ゲツが充分に出ないと言うことになる。根に付いた泥は洗わない。そのまま植えた法が活着が良い。根はちぎれていても同じだという人も居るが、私には全く違うように見える。

 イネ作りで収量を上げるためには三つの重要なことがある。1,5葉期二分ゲツの苗を「5週間」で作る。2,10葉期前後に的確に補肥を与える。3,深水管理と間断灌水を最後の最後まで行うこと。結果として60センチの長さで、2センチの幅のある15枚目の止葉を作る。

 田んぼのあれこれでここに書いたことは思い出したことである。それを本にまとめたのだが、こういうことが山ほどあって本に書けなかったことの方が多い。すべては田んぼを見ることである。それは絵を描くことから得たものである。緑色の違いには自信がある。観察の仕方さえ確かであれば、その時々に何が大事で、何をやるべきなのかが分かるようになる。

 それが有機農法の面白さで、田んぼの観察は尽きることがない。そうした私が知った、畝取りまでの道のりを他の人に少しでも残したいと思っている。小田原で東さんに伝えることが出来るのも今年が最後だと思っている。東さんも真剣なので楽しみなことだ。

 私の稲作も上手くゆくばかりでなかった。失敗を重ね、改善を重ねてきたものだ。今度石垣島で田んぼを始めて見ても同じことだろう。失敗から始まるに違いない。失敗を材料にして3年先には石垣島向きの技術として確立したいと思う。その頃まで何とか田んぼが出来るだろう。

 失敗を重ねながら、学んでだんだん収量を上げられると思っている。何故収量にこだわるかと言えば、稲の元気の力を最高に引き出すことがイネ作りだと思うからだ。元気な稲であれば必ず良い穂を付けることになる。有機農業による多収は、嘘偽りのない元気の証明だからだ。

 
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高橋洋一内閣参与のさざ波発言の意味。

2021-05-21 04:40:12 | Peace Cafe


 高橋洋一内閣参与のさざ波発言の真意は、経済の重要性から言えば、感染症のパンディミックなどさざなみのようなものだと言うことになる。まあ、死んでも働け精神である。経済のためであれば、命に拘泥するなど愚かだと大本営が言っているのだ。

  コロナより経済が大事だと発言した人のことは忘れないようにしている。その人の発言は信用しないことにしている。人間として何が重要かが分からない危険な人物。コロナの蔓延がどれほど経済に影響するかすら分からないのだ。

 感染症がどれほど拡大しても、経済を重視しなければならないというのが菅政権の本音であることは確かだ。世界中でこういう考えが当初はかなり主流だった。アメリカやブラジルがそれで大失敗をした。経済を重視して、結局は経済の苦境に陥ってしまった。

 コロナで死ぬ人より、経済的困窮で死ぬ人の方が多いとよく言われたものだ。その後単純な経済優先主義の考えを謙虚に撤回した人は、日本でも多くなったが、内閣の参与にまだ残党が居たと言うことだ。単純に経済政策の考え違いである。コロナを抑えることが経済のためになる事がだんだん分かってきた。

 人間の全体のための経済という前提が崩れている。大金持ちがさらに儲けるための経済ばかりを考えているのが高橋洋一氏だ。どんなに国が豊かになったところで、貧富の格差が広がるようでは豊かな国とは言えない。日本がまだ民主主義社会であるとすれば、まともな選挙が行われ、格差社会が社会の安定性を崩壊させることになるだろう。

 富裕層を作ることは国際競争力を高めることであると考えているのだ。中国はそういう考えで、一部の企業に人材も資本も集中させることで、国際競争に勝利しようとしてきた。富裕層が下層民にどれだけ分配できるかといえば、全く分配しないのが現実である。その結果民主主義からどんどん離れていって居る。これが豊かな国の現実である。

 日本にも、竹中平蔵氏や高橋洋一氏はそういう富裕層形成こそ国力を上げるという考えなのだろう。新自由主義経済と言うらしい。これはインチキな命名だ。能力主義経済と言う方が正しい名称である。能力のあるものが上級国民になり、能力のないものが下層国民になる階級社会である。

 能力主義とは健全に聞こえるが、能力差別の別名である。菅総理大臣の自助努力の強調はまさに、誰もが努力して自分を救済しろというのだろう。その背景にあるのは、貧困は自助努力が不足している、あるいは能力不足だから仕方がないと言いたいのだ。

 能力主義でなければ、国際競争に負けるのだから、仕方がないではないかという主張だ。ところが、この能力主義というものが、国際競争力と言う意味で日本では役立たないと言うことが、見えてきたのがコロナ時代である。競争に強ければ良いのであれば、国家資本主義と言うことになってきている。

 しかし、人間の本質とはそんなものではない。経済競争にいくら駆り立てても力を発揮しない人もいる。自由で好き勝手にやったらば、すごい発見をするという話を聞くではないか。国に強制されて、競争するより、楽しんで好き勝手にやることの方が勝ると言うこともある。

 理想を言えば、強制されて能力を伸ばす人もよし。気まま勝手で能力を伸ばす人も良い。どちらもその人が選択して人生を選んで生きる事のできる社会が良い。自給自足で暮らして、絵を描いて生きる。こうした生き方も許される社会の方が好きだ。

 菅内閣の経済はまさに能力主義である。例の、自助を強調する考えである。頑張る能力のあるものを優遇すると言うことになる。その結果日本は衰退に向かった。あきらかに後進国になる分野が出てきている。コロナワクチンのネット予約が政府にはうまくコントロールが出来ない。情けないと言うより寂しい国だ。

 菅氏は地方出身者で夜学に通い、頑張り抜いた人だ。頑張る方向が保守政治家であったところが、同年生まれである私としては、ああ、そういう人が居たなという思いである。あの学生闘争時代に、保守政治家の秘書になる人は私の知り合いにも居た。

 菅氏が自助の思想になるのも無理からぬ事と言えるかもしれない。貧困層を無能な努力をしない人に見えているのだ。だから、生活保護があるだろうなどと、平然と国会で答弁するのだろう。努力をすれば何とかなると考えている。こういう人は社会では一般的である。

 しかし、GNPが過去最大の落ち込みであるに見関わらず、富裕層は増えているのが、現在の日本経済だ。株式投資に頭を働かせるなど、とうてい健全な努力ではない。生産活動に関わらない能力主義は、不健全な社会を作り出す。そんな若年層が出てきている社会を豊かな社会とは言いがたい。ミニホリエモンはまずい。

 当然その何十倍もの貧困層が出現している。ところがその貧困層の姿が見えない社会状況なのだ。どれほど外国人労働者が行き詰まっているかなど、大半の日本人には実感がないのだ。時々ニュースで流れてそんなものかという程度である。

 言い換えれば、日本で一番納税しているトヨタ自動車である。確かに日本の経済にすごい貢献をしているのだろう。その額は19年3月期で6599.44億円に達する。「法人税、住民税及び事業税」の額は4440億円。2位のNTTが5331億円と言うから、世界での企業規模から言えば、案外でもある。国民のひとりとして感謝していることであるし。嬉しいことである。

 しかし、トヨタ自動車が成長することが、日本人の暮らしを豊にすることにどれだけ貢献しているのかと言うことになると、トヨタは世界企業であると考えた方がいまや現実的である。企業の経済は国というものを越えていて、日本の国際競争力と言うこととは離れてきている。

 菅政権は経済に足を引っ張られながら、正しいコロナ対策が出来なかったのだ。そもそも、国の安全保障としての感染症対策など、全く行っていなかった。現在の予算を見ても国防費の増加など、安全保障の優先順位を見失っている。

 今必要なこにの安全保障は当然感染症対策である。ワクチンを作る態勢の強化である。感染症に対する医療体制の見直しである。そして次に必要な安全保障は食料である。そして、IT国家への転換である。軍事力など緊急性から言えば後回しである。

 

 
 
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まだ石垣島で田んぼが借りられない

2021-05-20 05:18:17 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」


 田んぼを始める場合、なんといっても一番難しいというのが、田んぼを借りることである。小田原でも田んぼを借りると言うことに一番神経を使ってきた。まして、石垣島という農業の盛んな地域である。なかなか貸してもらえない。

 農家にとって田んぼは他の農地とは少し気持ちが違う。ミカン畑も田んぼも同じように見えるが、貸借と言うことになると違う。主食を作る場と言うことと、貴重な水が使える場所と言うことがあるのだろう。

 石垣島で一度貸してくれることになっていた田んぼが、とつぜん貸せないという話に変わった。びっくりしたがこうしたことは珍しいことではない。農家の方が田んぼを貸すという意味はかなり重いことなのだ。石垣島にはまだそうした田んぼへの思いが残っていると感じた。

 この田んぼに対する特別な意識が残っていると言うことが、田んぼを維持している原動力になっている。すばらしいことだと思う。まだ石垣島の田んぼは大丈夫という証でもある。田んぼを維持している方に、田んぼを守って行くという思いがあると言うことが想像される。

 この間田んぼで作業されている方に色々お話を伺った。すべての方が、私より年齢の上の方か、同年配の方であった。石垣の田んぼ作業は厳しいと言うことを言われていた。暑さがやはり一番大変なようだ。耕作が難しいと言うことも言われていた。

 そのほか色々田んぼに関する情報を得ることが出来た。簡単には借りられるものではないと言うことも言われていた。何故あそこが耕作されずに荒れているのかと伺うと、様々事情があるらしい。地主さんが石垣に居ない事もあるらしい。

 田んぼの貸し借りについて、実情が知りたいと思い、農業委員会に田んぼを貸してくれるところがあるかを聞きに行った。一つわかったことは農業委員会では、簡単によそ者には田んぼを貸さないと言うことになっているようだ。当然と言えば当然である。

 貸したいという話が出たときには、その田んぼの周囲の方に情報を流し、優先して借りられるようにしているらしい。田んぼを耕作される人が集積された方が良いからである。当然の配慮だろう。田んぼは繋がっているから、一部によそからきたものが入るのでは、うまくないというのも当然かと思う。

 石垣島では五反の農地を購入するか、借りなければ、農地の貸借も売買もできないと言う条件になっている。これも普通のことだと思う。最低でもそのくらいやらなければ、農家になると言うことにはならない。農家でない人には農地を使わせないと言うことは、厳密に決まっているようだ。

 この辺は小田原とは少し違っている。耕作放棄地に対する、行政としての深刻さの認識から来ているのではないだろうか。耕作放棄地が限界を超えて増え始めてから、あわてると言うことになるのだろう。まだ石垣ではそれほどでもないと言うことのようだ。

 では現実には石垣島で田んぼは耕作放棄地がないかと言えば、そうでも無い状況がある。地域にもよるが、田んぼで耕作放棄されている場所はそれなりに目立つ。小田原とそうは変わらない状況だと見える。石垣の場合、草地への転用。サトウキビの転用が目立つ。この辺が赤土の流出に繋がっているのだろう。

 みやぎ米屋さんが20ヘクタールの田んぼを借りて耕作されている。貸したい人がいれば借りますという新聞広告を出していた。去年あたりからそれは出していない。20ヘクタール借りたことで田んぼ面積の減少は止まっていた。そして、みやぎ米屋さんが去年から借りることを積極的に行わなくなって、田んぼ面積は減少したと言われていた。

 みやぎ米屋さんはITによる水管理システムの導入。ドローンによる直まき栽培の試みなど、積極的に新しい農業を模索している。そしてお米屋さんとしての販売力もある。生産から販売までの一貫した立派な経営方針がある。今後もさらに広げてくれれば有り難いことだ。

 今後みやぎ米屋さんが20ヘクタールからさらに集積をして行くことになるのかが石垣島における、稲作にとっては一つの鍵になるのかもしれない。石垣島にも大規模化して成果が出る田んぼはある。大規模農業を目指す田んぼとそれ以外の基盤整備されていない田んぼを分けて考えるべきなのかもしれない。

 基盤整備されていない田んぼの場合、面積が小さいことや水管理が難しいためにどうしても、田んぼでなくなる確率が高い。すでにそうした現象は起こり始めているように見える。経営に困難な田んぼから耕作放棄されるのが普通のことである。

 大規模農家にとっては条件の悪い田んぼこそ、市民が耕作する田んぼと言えるのではないか。1人の自給の田んぼが2畝としても、100人の自給であれば、2ヘクタールというそれなりの大きさになる。消して小さな数字ではないとおもう。そうした小さな自給の田んぼの石垣島でのやり方を模索してみたい。

 昨日、EM農法で長年田んぼをやられていた方にお会いした。なんと鶴川のキリスト教の農業伝習施設で学ばれた方だった。アジア学院の前身のものである。ここの初期の立ち上げに関わられた高橋牧師さんが小田原協会におられた。その方とは路上生活接点があった。接点があった。どうも知り合いだったらしい。

 石垣では実に様々な方が農業をされている。この厳しい農業のなかで、実践されてきた力がある。考え方も芯が通っている。ただこの世代の方々がやれるのもあと5年という感じである。次の世代の方は畜産や果樹の方が多い。やはり田んぼの未来は厳しいものがありそうだ。

 石垣では田んぼはやらないと決めてきたことではあったが、何故か田んぼを探している。田んぼを探しながら、やはり田んぼを見る眼が変わった。それは絵にも影響している気がする。かなり距離が近くなったようだ。今日も絵を描きに行き、田んぼの方と話をしてみよう。

 
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赤木ファイルはアベ・菅政権を表している。

2021-05-19 04:27:11 | Peace Cafe

 石垣の田んぼの入水口。これがある田んぼ圃場整備がされていて、ダムからの水が充分来ることが分かる。これがない田んぼは澤水を使っていると言うことになる。

 アベ・菅政権は過去最悪の政権の連続のようだ。その悪事の実態報告となる文章が赤木ファイルである。総理大臣が無理矢理公文書の改ざんをさせたのだ。赤木さんはその実態を残し自死されてしまった。それ以外に選択できる道がないと感じたのだろう。アベ・菅政権の恐ろしさである。

 財務大臣たる麻生氏は衆院予算委員会での答弁では「赤木ファイルという定義が意味するところよくわかりません」とも述べ、何を「赤木ファイル」とするかがはっきりしないために探すために時間がかかったとの認識を示した。 こんな人を馬鹿にした話があるだろうか。誰にでも赤木ファイルが「何か」などたちどころに分かるだろう。

 たぶん赤木ファイルが公開されたとしても、何も状況は変わらないと思う。財務大臣を始め、関係者の誰もが責任を取ると言うことすら無いのだろう。アベ夫人が関係していたら、政治家を辞めるとした、国会でのアベ総理大臣の言葉の重みなど初めから無かったのだ。政治家というものは実に情けないものだ。

 分かりたくないのが文章改ざんの責任者である財務大臣としての麻生氏だろう。麻生氏にしてみれば、総理大臣夫人が碌でもないことをした後始末で、回りにしてみれば良い迷惑だったと言いたいのだ。真面目な赤木さんの気持ちなど、想像も出来ないに違いない。脅かして黙らせようとしたに違いない。黙ってやってればいいのだと言うことになる。

 この無神経の恐ろしさがあるから、官僚も政治家も逆らうことが出来ず、忖度をする以外に道がないと考えてしまったのだろう。それほどがんじがらめでたちの悪い、真綿首のアベ独裁政権であった。正義が失われている。ある意味北朝鮮よりもたちの悪い、民主主義の仮面をかぶった独裁なのだと思う。

 官僚という競争に勝ち抜いてきた、出世主義者にありがちなの成り上がり思考を巧みに操って、人間性を砕いてしまう。内閣法制局に憲法の拡大解釈をさせ為のやらせ人事。このように政治家として一番大事な憲法すら破壊してしまう。

 桜を見る会へ後援者の大量呼び込み、そしてホテルでの接待。国の行事を私物化した事には自覚すらない。河井元法務大臣に、一億5千万円の金権選挙を強制する。自分に逆らった溝手顕正 参議院議員を蹴落とすためである。税金がこんな汚い使われ方をしたのは珍しいことだろう。二階氏は全く知らない話だと突っぱねている。このことも追求されないままである。

 全く汚すぎる政権である。ところが国民もいつの間にか牙を抜かれ、忖度にいそしんで桜の会への参加を誇りにしている始末である。あの桜の会での晴れがましい芸能人の笑い顔がその象徴として思い出される。芸能人にしてみれば、日和見芸能人である証のための無料出演。

 これが日本階層社会の実態である。覚えめでたければ上層民になれるかもしれない。にらまれれば、下層民に突き落とされるという恐怖による支配である。その汚い手口の番頭が菅総理大臣というアベ後継者なのだろう。

 我々庶民とはそもそも関係ないところの話ではあるが、報道に関わる人間でも上昇志向の人間はこの渦の中に巻き込まれて行く。しばらくの間に起きた、報道の劣化は目に余るものがある。怖いのは批判精神を失った報道である。報道が大本営発表になり始めている。この点充分気をつけないとならない。

 特に人事で政府から圧力が掛かるNHKの劣化はひどいものがある。NHKのニュースサイトを見ると分かる。政府に都合悪いものは報道されていないものがいくらでもある。例えば、赤木ファイルについての解説は確かにある。麻生大臣の発言にも触れている。ところがそれに対する見解がない。それでどうしたがない。

 赤木さんに対する報道機関としての立ち位置が分からない。つまり視点がない。追及しない報道では、真実に至ることが出来ない。これがNHKの劣化である。報道記者の保身が見える。記者が忖度してどうする。報道は何が正しいかに対して見識が無ければ報道とは言えない。以前のNHKはここまでひどくはなかった。

 政府は学術会議の支配に乗り出した。学術会議は自ら組織の在り方を検討し、居間の組織で良いという結論を出した。それに対して4月末までに政府の任命拒否の理由の回答を要求していた。が、回答はないまま話が消えかかっている。

 政府は学術会議の在り方を五月末以降に有識者会議を作り、検討するというのだ。このやり方はおかしいと思う。任命拒否と学術会議の在り方は峻別しなければならない。政府は話をすり替えようとしている。このすり替えが読めば分かるようにはNHKはしていない。

 報道は実に諦めが早くなった。何故こういう問題を追及し続けないのだろうか。政府と一緒になって健忘症である。国民がコロナに気を取られていて、ミャンマーの軍事クーデター以降の民主主義の破壊に関して、報道の意見表明が少ない。本来、こうしたときにもミャンマー外交の専門家に意見を表明して貰う必要がある。

 政府のコロナ対応を見れば、政府が学問の価値をいかに低く見てきたかが分かる。感染症対策が全くないがしろにされた国だったのだ。10年前鳥インフルエンザが蔓延したときに、私でさえ人間の感染症を予告し、科学的な対応組織の設置を要求した。

 ところが政府は何の手立ても打たないまま、コロナの感染に巻き込まれたのだ。本来であれば、パンディミックが始まる前に、感染症の学者の声に耳を傾けなければならなかった。政治家は専門知識が無いのだ。政府にはそうした学問を尊重する精神が欠落している。

 どの問題を考えても、今の政治状況を一番表しているのが、赤木ファイルだろう。この事件を深刻に受け止めて、やり直さなければ成らないはずだ。赤い議ファイルを素通りさせてはならない。
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絵が分かるということ

2021-05-18 04:03:28 | 水彩画


 絵が分かったと感じることがある。確信的に分かってしまうことがある。そもそも絵が分かるということの意味じたいが、曖昧すぎることだから、分かろうと分かるまいとかまわないことなのだが、実は絵には明確な分かるという基準がある。

  この分かるがくせもので、感覚的な判断が入り込むから、その人それぞれの1+1は2になる。ところがわったと感じている人にはどう考えても明確に結論が出ていることだから、他の人の1+1は2を認めることが出来ない話なのだ。

 何かややこしい話だが、つまり絵はそれぞれのもので、共通評価など無いと言うことでも良いのだろう。しかし、描いている自分としてはそういうことにも行かない。自分にとって意味のある絵というものがあると言うこと事態に、共有できる人と、相反する人がいるということになる。分かりにくい書き方しか出来ない。

 そして世間にはその基準を認めてはいる。その上で、どうしても他者とは理解し会うことのできない絶対基準を求める。その絵が分かっているという基準は、分かる人だけに分かる基準なのだから、話の互いに通じない、分からない美術の世界のことになる。

 ますます分かりにくいので、具体的な話に戻す。以前、このブログのコメントで誰の絵が良いかという話のなかで、どなたかが藤田嗣治の絵が良いという意見があった。私にはフジタの作品は絵画には見えない。イラストの一種に見える。世間の評価からすれば、私に絵が見えていないと言うことになるのだが、自信を持ってフジタの絵を絵画から外す。それは私には私の判断する絵があるからだろう。

 と言う意味でここでの分かるは自分の好みがはっきりしていると言うくらいのことになってしまう。ところが、ここでの好みの厳密さは命がけに成るほど、厳密なものである。例えばベラスケスは絵だと思うが、ゴヤは話にならない。と言うような好みの判断であるかのようなものだが、実はベラスケスは絵だが、ゴヤは絵ではないのだ。ゴヤの作品は絵には入れない。それは一体どういうことかとなる。

 こんな風に具体的に書けば,ますますややこしく、随分傲慢なことになってしまうことなのだが、絵をそのように考えている以上、そう書く以外にない。ここでは世間が正しいとか、多数決とか言うことはまるで関係が無い。絵を描く以上自分というものは自分が決めるほかないと言う意味なのだろう。

 自分が決めて自分と言う何かが、自分の絵を描いている。それが絵というものだろう。ところが絵という絶対基準客観基準があるかのように思いがちである。私が絵であると感じることが、誰もがそうであるはずだと考えてしまう。

 あるのかないのか分からないような絵の基準の話を、言葉化しようとしている。この基準が絶対的なものでありながら、全く個人的なものだという、感じを分かって貰いたいものだという話なのだ。この絶対的かと思えば、たちまち霞の彼方に漂うぐらいに曖昧になる絵の基準。

 絵を描く以上自分の見方には確信を持ってやるほか無い。他人の絵の基準を絵の判断したところで自分の絵は出てこない。自分の絵は自分で見つける以外にないことだけは確かだ。

 絵が分かるなどと書けば、実に偉そうな話で申し訳ないのだが、確かに私のなかには絵の善し悪しの基準がある。本当に偉そうだが、1+1が2であるくらいはっきりとした絵には善し悪しの基準がある。他人の基準もとても参考になるが、描くときにはそれどころではなくなる。

 私にとって、絵を見るときに好きとか嫌いとかはない。好きな絵というのは誰にでもあるのだろうが、この絵は好きだというような感覚と、この絵はいい絵だという感覚はまるで違うものだ。絵の判断は直感で受け止めたものを、自分の哲学で確認しているといえる。真理にかなり近いものである。

 絵が分かるという感覚が形成されるのはたぶん育ちなのだと思う。10才ぐらいまでに定まっているのではないだろうか。その後いくら努力して頭で理解したところで、どうにもならない。いわば一子相伝の世界のような気がする。

 私が絵が分かるのは私の努力と言うより、先祖代々に伝わってきたものといえそうだ。ますます、ひどい話になるのだが、どうもそうとしか思えないので、仕方がない。ご先祖様が空を見上げて感動していたものが、現われてくるようなものだ。

 自分の描いている絵も残念ながら、とうてい絵だとは言えない。この判断が自分が分かるという絵の基準なのだ。まだまだ絵ではない。近づいているとも言えない。他人の眼の絵を目指していないと言うことぐらいが良さである。

 そう裏返せば、私が認めない領域で評価された絵の世界というものがある。私にしてみればグロテスクなだけなのだが、そちらの方が主流で世間的で、賑わっている。何とも末世だなと思うわけだが、そちら側の人から見れば、私のことなど、どうでも言いくずとしか見えないのだろう事もよく知っている。

 そちら側というのも、あるのかないのか分からない世界だが、世間様と言えば良いような価値世界である。履歴などから来る客観評価と、売れているか居ないかの現実社会での商品価値。それ以外を世間から外れた絵と言うことなのだろう。

 絵を描くと言うことは世間的なことから離れたことのように見えて、実はだからこそ、世間の影響を受けている。ゴッホはもがきすぎて描いたので、あそこまで到達したのだろうが、マチスは評価されたことであの絵を突き詰められたのだろう。

 日々どこに行くのか分からない、基準のない世界で描いているもので、ついついこんなどうでも良いような話を書くのだろう。絵を描いているときはただただ描く中に居るからまだ良いのだが、冷静になれば何をやっているんだろうと言うこともある。

 自分の絵を見て何故かと思うことがある。同じ空を描いたことが無いと言うことである。どの絵も空が違う。日々空は違うのだから、当たり前のことなのだろうか。特殊なことなのだろうか。結果的に空がいつも違う描き方になっている。

 空は比較的よくどの絵にも出てくるので、そういう比べ方が出来る。では木はどうだろうか。草はどうだろうか。土はどうだろうか。海はどうだろうか。こうしてみると、土はよく似た描き方をしている。海は空に次いで毎回異なる。これは結果的な話なのだが、今度よくよく考えてみたいことだと思っている。絵が分かるという材料になるのかもしれない。

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宮古島自衛隊基地誘致汚職

2021-05-17 04:26:03 | 石垣島


 沖縄・宮古島への陸上自衛隊の配備をめぐって業者に便宜を図った見返りに現金約650万円を受け取ったとして、沖縄県警は12日、前宮古島市長の下地敏彦容疑者(75)=宮古島市=を収賄の疑いで逮捕し、発表した。また、贈賄の疑いで、ゴルフ場経営の「千代田カントリークラブ」役員、下地藤康容疑者(64)=同市=を逮捕した。

 宮古島前市長下地氏は潰れかかったゴルフ場の用地を自衛隊に売るために、賄賂を受け取ったという。かねてより噂されていたことで、市議会では何度もゴルフ場選定の闇が追及されていた。選挙前には逮捕することが出来ず、落選してからの逮捕になった。

 下地氏が何が何でも自衛隊誘致を叫んでいた理由は、お金を貰うことにあったのだ。日本の国防とか、国の専権事項とか、何の関係もない。私腹を肥やすための自衛隊基地の誘致である。実にこういうことが横行している。そもそもいらないものを作るのだから、こういうわけの分からない汚職が生じかねないのだ。

 ミサイル基地誘致はお金がらみの可能性が常にある。市長が不動産屋まがいをやって、選定行為に関与して、バックマージンを貰う。宮古島ではばれただけで、こういうことは日本中であり得ることだ。

 自衛隊誘致利権にはもう一つの利権ある。建設業者からのバックマージンである。仕事を引っ張ってきた功績で、選挙で応援して貰う。これは普通のことであり、石垣島でも大いに行われている。お金が動くか動かないかの違いである。

 この土地はそもそも宮古島市に公園用地として購入して貰おうというので、ゴルフ場側は市長に近づいたのだそうだ。そこに自衛隊基地の話がきたもので、渡りに船とばかり自衛隊に売りつけることにしたのだ。自衛隊の誘致是非の住民投票をやらない理由はここにある。

 こういう汚いお金が裏で飛び交っているのだ。それは石垣島でも全く同じである。石垣島では現在ゴルフ場の開設を市長は必死に主張している。これからの観光にはゴルフ場はいらないという市民の声も多い。ゴルフ場を作ったところで経営が無理だという話はまさに倒産し掛かった、宮古島のゴルフ場の辞令通りだ。

 実はこのゴルフ場開発は実はホテルと考えた方が良い。農地にホテルを建てるために、あれこれ画策を市長はしている。普通なら農地転用など出来ない場所である。農地がホテル用地になれば、その結果として倒産したとしても、莫大な利益が出る。ホテルは潰れることはないだろうし、普通では作れない自然環境の良い場所に、巨大ホテルを作る計画である。

 裏でお金が動いていないと考える法が難しいぐらいだ。中山市長も下地市長もお友達である。発想は同じだろう。農用地の転用で一儲けを企てているのだ。そして自衛隊誘致である。これからの石垣島の観光にゴルフ場はそぐわない。市長は富裕層住宅とか、ゴルフ場開発とか、一時代古い発想なのだ。

 石垣の自衛隊基地も、ゴルフ場の跡地が一部である。於茂登岳の 山麓に作るべきではないという意見は保守層からも何度もあった。島の北部地域に作るべきだという意見だ。北部地区は過疎化しているからどうしても作るならそっちの方が良いと言う意見だった。

 ところが市長は何が何でも於茂登岳山麓を画策し、いつの間にか市有地まで販売してしまった。こんな馬鹿な話はない。自衛隊を誘致すべきかどうかも、あるいは水源地であり、しかも島で一番神聖な山である於茂登岳に作るべきかどうか。まともな議論など無いままに、市長の誘導で決まってしまった。

 こういう利権構造が、市民投票の拒否になっているのだ。自衛隊誘致の意味を市民が議論するという当たり前のことを、行えないようにしている。そうした議論自体が、国の専権事項には口が挟めないという嘘でごまかされている。

 宮古島市と同じような汚いお金のための自衛隊誘致と考えていいのではないか。自衛隊の話で一儲けしようというのが、中山市長の体質から言えば一番ありそうな話だ。だから自衛隊基地の話はまともな議論がないまま進められたのだ。

 石垣島のゴルフ場開発の話も一度立ち止まり、おかしな事が裏で起きていないか、もういちど精査しなければだめだ。ゴルフ場ホテルが予定されている地域は名蔵アンパルの上部の地域になる。ここで地下水をかなり汲み上げることが予想されている。アンパルが乾いてしまう可能性はないのか。

 また、ゴルフ場の農薬の使用も相当量が予想される。食べ物を作るためではないから、農業利用とは違う強力な残留性のある除草剤が使われる可能性がある。そうなると下流地域の地下水汚染がどうなるか、きちっとした環境アセスがされていない。

 環境評価はおざなりのものにしか思えない。アンパルの自然環境を守るためにも地下水の新しい利用はもう止めるべき事だ。むしろ田んぼを増やして、地下水を増やして行くような考えを持たなければならない。

 石垣島の価値は自然環境である。ゴルフ場は高級ホテルではない。それは10年後100年後ますます、自然の価値が高まって行くはずである。富裕層住宅など無くとも、まして自衛隊基地など無いことの方が、石垣島の未来は明るい展望が持てるはずだ。

 すべては市長が本気で島の未来を考えているのでは無く、自らの私腹を肥やすために腹黒く動き回っている結果に見えて成らない。もちろん実態は何も知らない。知らないことではあるが、宮古島前市長の汚職を見ると、すべてが思い当たることなのだ。

 もし、後ろめたいことが無いというのであれば、堂々とすべてを議論し直せば良いだけの事だ。このまま何の議論もないのでは、石垣島の未来をだめにしたことで歴史に残る市長になるだろう。ゴルフ場は中止。自衛隊も中止。今ならまだ間に合う。心を入れ替えて貰いたいものだ。

 市長選は近づいている。まず市長を落選させなければすべてが始まらない。市長を支持する、利権派になんとしても勝たねばならない。
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