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パリの外国人語学学校の思い出

2020-07-31 03:58:31 | 暮らし

 今はこんな形で絵を描いている。絵を描く材料は車の中に積み込んである。朝その日に描きたい絵を運び込んで出かける。写生に出かけるのだが、見える場所を描くとも限らない。しかし、外の光の中で光の状態だけは参考にしている。

 外国人が日本に来るために、日本の各種学校に登録をするというビィザの取り方がある。私も同じ事をしてフランスに行った。パリにあるアリアンセフランセーズと言う名前の語学学校であった。一応その学校に留学をするという形で、フランス大使館でビィザを取得した。

 それは最初から虚偽申請であった。ナンシーに行くつもりで準備をしているのに、ナンシーの美術大学の登録は、ナンシーに行ってからやった。ナンシーの美術学校には2人の日本人がすでにいた。1人が植村さんという方で写真学科にいた。もう1人の方はナンシー大学に登録をしてはいたが、どこか田舎の方に部屋を借りてすんでいた。たまにナンシーに出てくるだけだった。

 ナンシーに行くのに観光ビザでゆき、ナンシーで三ヶ月で美術学校に入る事ができるか不安があった。観光ビザが切れてしまうのが心配で、パリの語学学校に登録だけ日本から行ったのだ。方法は簡単なもので、高校の卒業証明書と入学申請書をフランス語訳して貰い送っただけだ。

 お金は数千円を払ったのかもしれない。それもパリに行ってからだと思う。その学校には日本人が溢れていて、何100人もいた。そして本当にフランス語を勉強している人もいた。植村さんもその学校に最初登録したと言われていた。当時フランスに行く人のかなりの数の人がその方法を取っていた。

 アリアンセフランセーズの入学許可書というものを添えて、フランス大使館に申請すると、すぐビィザがもらえた。ビザがあるので少しだけ安心してフランスに行けたと言うことである。ナンシーに行ってからナンシーの美術学校に入学できたので、アリアンセフランセーズには行くことはなかった。

 美術学校に入学できれば、カルトセジュールと言うものがもらえた。滞在許可書である。美術学校に入学が出来たのは日本人の留学の前例が沢山あったことと、日仏文化協会がナンシーにあったからである。ナンシーの日仏協会にはドランデールさんという元日本大使だった方がおられたからだ。

 金沢とナンシーは姉妹都市で、交換留学生も隔年でいた。毎年金沢から、訪問団が来ていた。金沢美大の美術史の先生でフランスに長く暮らしていた方から、推薦状もいただいていた。こう言う条件だったので、ナンシーの美術学校に入ることが許可されたのだろう。

 それでも、ナンシーで事が進むまでは心配でパリの語学学校の入学許可だけはもらっていた。結局は使う必要は無かったのだが。その後、パリの美術学校の入学試験を受けて、ザバロの教室に入れて貰った。ナンシーの美術学校にはお世話になったのだが、余り勉強にはならなかったので、パリに移ったのだ。

 昔の話を書いたのは、今日本に来る外国人が同じような手段で来ているというからだ。違うのは来るときに学校の費用を前払いさせると言うことだ。前払いさせておいて、きちっとした教育を行う、準備が不足している。来日する人の中には私と同じで、目的がその学校に入る人ばかりでない。

 大学を出てフランスへの留学を何故選択したのかと言ってもよく分からない。最初は日本の大学の大学院に行こうかと考えた。美術学校出身ではなかったので、美術学校がどういう教育をしているのか、興味があったのだ。しかし、教わりたいという先生が見つからなかった。

 それなら、フランスの美術学校に行く方が絵を描いて行く上で、何か見つかるかもしれないと考えた。フランスの美術学校の教育のほうが、美術教育があるかもしれないと考えたのだろう。それは今思えば間違った選択ではなかった。

 ナンシーの美術学校も、パリの美術学校も、確かに絵を描くと言うことを深く考えることが出来た。絵を描くと言うことは教わると言うことは少ない。自ら自分の絵を探求するのは、どこにいても一緒だ。探求をする条件をボザールは用意しているという事だった。

 フランス人の人は美術教師になるために、美術学校に来ている人が多かったのだと思うが、日本人は絵描きになるためにそこにいるだけだった。卒業する人は滅多にいなかったと思う。ザバロのアトリエには10年もいる日本人女性が2人いて、1人は卒業を目指していたが、なかなか試験には通らないと言われていた。学科の授業はソルボンヌで受けることになっていた。体育の授業まであると言っていた。

 日本人留学生のほとんどはモデルがいて、いつでも描けるという条件があるので、そこに来ているという人が多かった。学校が日中開いている間は常に学校にいて絵を描いていた。週に一度は夜にダンスクロッキーの日があった。この日は夜中まで描くことが出来た。

 10年ぐらいしてもう一度パリの美術学校を行ったのだが、全く日本人がいなくなっていたのには驚いた。いずれにしてもフランスの大学は授業料がなかった。これも留学した魅力であった。日本の大学院はお金が高かった。パリに行く方がお金がかからなかったのだ。

 一度いくらかお金を払えと、学校の事務所で言われて払ったのは健康保険料だった。これには健康診断もあった。後は一切無料だったので、今思えばフランスには感謝しなければと思う。お金がなくとも絵を専念して勉強が出来たのは、あのすばらしい条件があったからだ。あの濃密な時間が自分の絵の元になっている。

 パリの市内には10カ所ぐらいの学食があり、ここで安く食事が出来た。確かプチパレの地下にも学食があって、近かったのでよく行った。下宿はサンフロランタン通りという、コンコルド広場とサントノーレ通りの賑やかなところだった。

 ボザールまで歩いて、10分くらいでその道筋がルーブル美術館だ。学校の行き帰りに良く美術館に通った。学生書を見せれば入場無料だった。裏口から入り、表口から出ると近道だった。今のガラスのピラミッドはまだ無かった。ポンピドーセンターが出来て、パリらしくないと話題になっていた頃だ。食事は学食で食べていた。夜学食でパンを貰って帰り、朝食べていた。

 旅行に行っても余所の国でも学食で学生証が使えた。夏休みにはユーレイルパスでヨーロッパ中の美術館巡りをしていた。一等車に乗れるので、列車の中で寝ていて、昼間は着いた街で美術館を見ていた。だから、ミラノにいて、翌日はウイーンで、翌々日は又ミラノというようなことをしていた。

 文化というものにフランスは鷹揚だった。何故こんなに厚遇されるのかとフランス人の学生に聞いたことがある。ダビンチはモナリザを持ってフランスに来てくれた。また、ダビンチがフランスに来てくれるかもしれないと行っていた。
 
 金沢大学にいたときも、フランスの美術学校にいたときも、自分の力で何とか学校に行くことが出来た。今思えば、高度成長期と呼ばれる良い時代だったと言うことなのだろう。アルバイトをしながら、勉強が出来る。こう言う条件が今の時代は失われた。

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絵はどうやって描くかではなく、何を描くかなのだが。

2020-07-30 04:40:22 | 水彩画


 こんな感じで毎日絵を描いている。今は暑いので木陰で描いている。別段直接見ている場所を描いているわけではない。見ないのだが、見える場所で描いていたい。時々確認に見るくらいである。描いている世界の中に身を置いていないと、絵を描く何かが確認できない。絵として良くしようというわけでもない。その場を写し取っているわけではもちろん無い。自分の絵を描きたいに尽きる。

 絵を描くということはここがなかなかやっかいで難しい。いい絵が描きたいと言うことは、ないわけではない。いい絵と言うことがはっきりしていないと言うことになる。絵は表現手段としては、半分は終わったものである。残る半分は自分に剥けての確認行為なのだと思う。

 誰もが芸術的な絵画だと認めるような絵は、ルネッサンス時代ならあったのかもしれないが、その後は時代に評価された絵が、時代が移れば評価されなくなると言うことの繰返しではないだろうか。今の時代には特に絵画を評価すると言うこと自体なくなった。美術評論というものがなくなった。書く人は居るのだろうが、ネットで探しても、見つからない。人間に影響を与えるような絵画の意味が失われたのだとおもう。

 それでも絵を描く人は過去のどの時代以上に多く居るだろう。絵を描きたい理由は描くという行為を通して、自分という存在に向き合えると言うことだと思う。出来上がった絵画の結果的な意味よりも、描く行為から生まれる、自己存在との対峙。その対峙の姿が絵という画面にあらわれる。ここが歯ごたえがあり、面白いと言うのが、多くの人が絵描く理由になる。

 絵はどうやって描くかではなく、何を描くかだ。学校で教えてくれるのはどうやって描くかである。描きたいものは誰もが自分で見つけるほかない。リンゴを描きたいというのであれば、リンゴをリンゴらしく描く方法は学校で教えてくれる。食べたくなるようなリンゴを描きなさいとか。リンゴは腐るものですよとか。リンゴは果実であり、子孫へと命をつなぐものものですよとか。描く意味のヒントもくれるのだろう。問題は何故リンゴ描くことにしたかにある。

 何を描くかは、海を描くとか、リンゴを描くというような、「何かが」あれば分かりやすいことなのだ。海を描くのではあるが、海を通して何を表現するのかと言うことになる。ここから目的が不明瞭になる。

 海が美しいものだとすれば、その美しさを描くと言う人もいるだろう。ところが何故美しいものを美し描くのかと言うことが、絵を描く「何か」と言う問題に繋がっている。感覚的にははっきりとしている美しいと言うことの、自分の存在に関わる意味が明瞭では無い。美しいは何故描くかの答えにはまだ十分でない。

 絵を描く本質の問題としては、美しいものを美しく描くと言うことの前に、作者が何故それを美しく感じているのかがある。美しの根源的な理由は何なのか。同じ海であるのに、大津波の後の海は不気味なものでしかなかった。海の美しさは消えた。美しいだけでは何を伝えようとしているのかが十分ではない。

 美しさというのはきっかけではあるかも分からないが、美しさの意味と言うことになると、難しいことになる。描くものの気持ち次第で変わるものが絵であるのか。この心境次第で違って見える美しい海の、向こう側に心境を超えた自分の見ているがあるような気がしている。感情を通しての美しいだけではない、絶対世界に通ずる感覚とでも言うようなもの。

 表面的な美しさですませておくのでは、装飾品である。自分自身が装飾品を作り出して、満足出来るのであればそれはそれでいいのだが。自分が見ている世界はどうもそれだけではない。美しいからと言うことが理由になるとすれば、その程度の価値観しかないのかと言うことになる。

 美しいと言うことが描き始める要因であることはありうつことだろう。その美しさの意味と向かい合うことがなければ、自分と向き合うことにならない。自分と向き合うことなしに、客観的な美を求めるのであれば、それは通俗である。自分自身が美をどうしても描かなければならない必然にまで至らないのであれば、芸術とは到底言えない。

 そういうことも芸術として美術を考えている学校ならば、教えてくれるのかもしれない。絵ばかり描いてきて思うことは、絵を描くことは総合すると言うことということになる。生きるというようなことも。美しいというようなことも。一つの画面で総合する。

 何故、美しく感じるのだろうか。こんなことをぐずぐず思うことが画面に現われてくる。今日一日を充分に生きるという気持ちも、画面に現われてくる。そして、この見えている世界を動画面に表現するのかと言うことも、すべてが描いている画面に結果として表われている。

 画面というものが、生きているすべてを総合しているから、絵空事では耐えられないのだろう。そこで、少しでも生身の自分が刻印された画面に近づきたいと言うことになる。絵はどんな言葉に代えてみても、やはりまだまだだから、納得がいかないのだろう。

 目の前にある、自分が描いたその絵からしか始まらない。描いた絵を語り合うほか無い。それが出来ないような絵であれば、絵画とはまだ言えないのではないだろうか。絵らしきものはいくらでもある。絵のようなものもある。しかし、自分の対峙し自己存在の意味を表明するような絵はなかなか無い。

 絵の仲間がいるというのは絵を同じ次元で語り合えると言うことだろう。そういう人間を持たなければ絵は進まない。昔は漱石が坂本繁二郎の牛の絵を批評したりしている。現代では、絵のことを評論する人はいない。絵画評論が成立することもない世界になっているのだ。

 絵を描くその先にあるものは、自分という人間の世界観を示すことになる。だから世界観のないものには絵は描けない。どこの誰にも世界観はある。そういう世界観を絵は描くべきものなのだ。その世界観に向き合うと言うことに意味がある。装飾としての商品絵画に対して、表現内容を評論したとしても意味が無いからなのだろう。

 ただ描いた絵が、ある人には価値あるものであるとすれば、その絵の世界観が深いものであるからに違いない。誰にも絵にすべき世界観はあるのだが、他人から見てそれは絵だと思える世界観のある絵は、人に伝える価値のある世界観を持っているからだろう。

 そう思いながら、絵を描いている。そう思うとこれでは到底まだまだダメだと思わざるえない。それでもちゃちなものかもしれない世界観をしめそうとすると どう描くかということが出てくる。どう描くかなどと言うことは、世界観が明確であれば自ずと定まるはずである。その世界観に相応しい画面かどうかを自分で判断すれば良いだけのことだ。

 ところが、これがなかなか分からないのが絵だ。世界観が不明確なものである上に、それが絵画として表現されているかどうかが疑問になる。しかもそこには個人の持つ感性のようなものが作用して、感じよい方に進めている。感じが良いというのも世界観の表れなのではあろうが、それではまだ表現とは言えないと思っている。

 

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ウインザー・ニュートンの水彩絵の具の海外サイト購入方法

2020-07-29 04:22:13 | 水彩画

   飛行機に乗るときはできる限り窓側の席に座る。翼の位置も考慮して、地上がよく見える場所にする。石垣島から羽田に向かうときは左側。羽田から石垣島に向かうときには出来れば右側にする。下に何か見えないか気にしている。上からの景色がすごく面白いのだ。

 ウインザー・ニュートンの水彩絵の具の購入方法は海外サイトから直接購入することが一番良い。日本の画材屋さんで購入する、半額ぐらいになる。アマゾンで買うかEBAYで購入するかの二つである。この方法は水彩画を描く人には必ず役立つ。実際に行った間違えのない方法なので、水彩画を描く人に教えてあげて欲しい。日本の水彩絵の具の純度が高まることを願っている。

 価格が安くなると言うこともあるが、それ以上に日本では販売されていない画材が海外では売られている。例えば水彩絵の具が37mlの大型チューブで買うことが出来る。何しろ日本では5mlだから余りに小さい。値段も格安である。ただ同じ絵の具なのかはまだ使っていないので分からない。使ってみて同じであった。

 画材を海外ネットで購入している事例が余りない。水彩画のブログ等では出ていないようなので、今回、分かりやすく一度書いておきたい。必ず参考になる。ホルベインやクサカベの水彩絵の具よりも、ウインザーニュートンの方が安いのだから。しかも石垣島の場合、日本の通販で購入するより早く到着したので驚いた。

 透明水彩画会の方が、ブログでファブリアーノの紙を海外から購入したと書かれていたので、その方法を教えていただいた。これがなければ、研究してみなかった。教えていただき感謝している。あれこれやってみたのだ。結果的には日本の通販と同じということだった。別段難しいことはない。通販は今やそういう時代になっている。うまく使えば、画材購入は石垣島も東京も変わらないことになる。



 日本の水彩絵の具というものは一般的には5ml(左)である。これでは小さすぎて使いにくい。いつも、14ml(中央)のものを千葉の鎌田画材で取り寄せて貰っていた。親切に石垣まで送ってくれていたのだが、今は直接自分で海外通販を利用している。少々心苦しい気分はしている。恥ずかしいことだが、半値では義理や人情よりも現金に押し切られた形である。鎌田さん申し訳ない。右が37mlチューブ。

 大体に絵の具の購入は1度に4~5万円くらい買っていたのだが、それが2,3年に1度くらいである。平均すると絵の具の購入は1ヶ月1000円少しと言うことになる。少し計算がおかしい気もする。2000円くらいか。かなり描いているつもりでもそんなものだ。紙や筆よりも絵の具は安いものだ。

 絵の具のストックがすごい量ある。それをなし崩しにしていると言うこともある。春日部先生にいただいた絵の具がまだまだある。先生と私とでは使う色が重ならないので、なかなか減らない。絵の具は20年経過しても問題は無い。

 春日部先生は絵の具は山ほど無ければ、安心して絵は描けないといつも言われていた。高価な絵の具ほど使い切れないほど買っておけと言われていた。先生は画家としての心構えのようなものをいつも教えて下さった。画材は死んだときにはすべて、水彩人に寄贈するので、みんなで使って貰えばありがたい。

 海外にはニュートンの37mlと言うチューブもある。大きくなれば、やはり割安でもある。この大型チューブは一部の色だけであるのが残念なところだが、そのうち色数は増えるかもしれない。これは日本の画材屋さんではお願いしても買えなかった。今度、アマゾンEUサイトで購入してみた。アマゾンEUサイトと言っても取り寄せたら、アメリカのお店だったりする。

 今回買ったのはHYATTSという、ニューヨークにあるお店のようだ。石垣島で注文して届く時間は別段、日本の他の画材屋さんと変わらない。10日ぐらい見ておけば届いた。そもそも郵送料が東京からも、ニューヨークからもさして変わらないと言うことがどういうことなのだろうか。

 固形の水彩絵の具でも5センチくらいの陶器製のものがある。20倍ぐらいの量があるものも売られている。これは以前一度だけ平塚で偶然購入した。そうした固形水彩は案外使いやすい。今はその木の箱にセットされた、陶器製の器に絵の具を出して使っている。なかなかいいものだ。これもヨーロッパのネットでは売られていることがある。

 37mlチューブは、使う色の中ではセルレアンブルーとビリジャンと白がある。よく使う色はあとはカド・レモンとコバルト・バイオレットとぐらいなので、結構助かることになった。そのもう一つのありがたさは送料の関係である。海外からの送料は日本中同一料金なのだ。石垣でも送料で悲しい思いをしないですむ。日本の通販では沖縄は除外などという記載が結構ある。

 それでも普通は海外からだと送料は当然高くなりそうなものだが、石垣島だとそれが大差ないと言うことになる。国内の送料が高いので海外からと変わらない結果になる。それなら海外通販サイトで購入した方がましと言うことになってしまった。愛国者としてはまずい。

 シュミンケの絵の具も海外通販にある。これも購入してみた。価格は別にホルベインとさして変わらない。それならシュミンケの方が良いと思う。15mlチューブで売られていた。このことは絵の具が着いたときに又購入法を書いてみたい。

 さらに探していると、なんと海外サイトでは中古の絵の具というのもある。これはかなり安い。ちょうど良い色があればいいのだが、この辺は海外サイトの検索方がまだ十分ではない。

 言葉はどうなっているのかというと、インターネットサイトでは自動翻訳機能で訳してくれる。「こげたシェンナ」がバーントシェンナとか、「フランスの特別な海」がフレンチウルトラマリンというような不思議な訳があることはあるが、大体はわかる。

 問題はアカウントを作るとか、支払い方法とかになるが、実は日本の通販サイトと変わらない。同じようにわかりにくいが、あれこれやればそのうちなんとかなる。ネットに慣れた人なら、難しいことではないのだろう。騙されるかもしれないという不安さえ乗り越えれば大丈夫だ。きっとこの不安は乗り越えられない人が多いいことだろう。しかし、やってみると海外サイトの方が、懇切丁寧な上に、現在どこまで送られているかか、等事細かく出てくる。

1,アマゾンEUサイトに行く。EBAY EUでもよい。
2,アカウント登録をする 書いてあるとおりに従えば、なんとかなるレベル。
3、weter color と検索場所に書き込んでクリックする
4,左側にメーカーの選択一覧が出てくるので、ウインザー・ニュートンにチェック
5,絵の具だけでなくいろいろ出てくるが、ロールしながら、さがす。
6,一つどの色の絵の具でも14mlを見つけると、色の所をクリックすると他の色が出てくる会社のサイトがある。
7,クリックしながら、色や大きさを選んで行く。かごに入れておき、最後に全部を買えばいい。それでも送料は変わらなかったりする。
8,購入方法は日本のものと同じである。もう一度電話番号を入れろとなったときには、日本のナンバーの81を入れなければならない。これが分からず四苦八苦した。
9,日本のカードで購入できる。日本円払いである。正しダメだった場合もある。理由が分からないが、銀行に断られたと出てきた事がある。

 送られてくるまでには10日はかかる。だから急に必要なものを購入するわけにはいかない。絵の具は余裕を見て買っておく方が安心。と言っても、そもそも画材屋さんが石垣にはないから、買う場合は一ヶ月の余裕はいつも考えている。

 一番お金が掛かるのは紙である。ファブリアーノの640グラムの紙はゆめ画材で買えば一枚3000円になってしまう。これを月に10枚は使うだろう。いままでは750円でその昔まとめ買いしたものを使ってきた。死ぬまであると考えていたのだが、後100枚になってしまった。これは上質なものである。もう少し絵が良くなってから使いたいと使わないで温存している。

 紙は絵の具や筆とは桁が違う。そこで、石垣島にいながら、イタリアで安く買える方法を探した。海外通販でもファブリアーノ640グラムの全紙は見つけられたが、これは別の買い方があるので、改めて書きたい。現在輸送途上である。


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コロナ第2波対策の出来ないアベ内閣は退陣を

2020-07-28 04:04:51 | Peace Cafe



 コロナ対策を放置しているアベ政権は、即刻退陣して貰わなければならない。この期に至って憲法改正をして、緊急事態条項を作る等と寝言を言っている姿は、まともな政治の限界を超えている。緊急事態どころか、やっているのはGO TOトラベルだろうが。大いに旅行しろと国民にけしかけておいて、一体どこに緊急事態の認識があるのか。

 アベ氏はどこまで行っても憲法改正オタクだ。憲法を発言していれば、押してくれるオタク仲間がいるのだ。ゴーツートラベルと緊急事態法が一緒に出てくるぐらいだから、コロナの第2波への対応はまるで無い。政治には無能な軍国オタク勢力に過ぎない。

 世界にはブラジルのボルソナロ大統領のような、コロナなぞただの風邪に過ぎないという人がいる。誰でも自由に意見は述べるべきなので、コロナなど気にするなと言う見解が一部にあるのも分かる。どんな意見でも自由に発言すべきだ。しかし、科学的な論理で語って貰いたい。そしてその結果には、立場立場の責任を感じる必要がある。

 ボルソナロ氏はコロナ陽性と診断された期間も、マスクをせずに出歩いていたと言う。ただの風邪だから心配ないと言うことらしい。当人はそれで回復したらしいから問題ないが、この大統領にはうつされて重症化する年寄などの心配はないのだろうか。

 コロナの一番の問題点は医療崩壊にある。コロナの重症者はとても治療に手が掛かるようだ。アメリカでは直って良かったのだが、13000万円の医療費だったという話がある。一旦病院がコロナ指定病院になれば、他の患者を受け入れる余裕がなくなるらしい。この間他の患者の手術も出来なくなった病院もあると報道されている。私は人工呼吸器が不足したら、最初に外して貰って結構だ。

 アベ政権は憲法改正をして緊急事態法を作ると主張しながら、一方ではコロナの状況は緊急事態宣言をする状況にはないとしている。口にするのは相変わらずの自粛要請である。政府の説明する自粛の意味がどうにも理解しがたい。会社は70%自宅で仕事をしろと言うことらしいが、守れない企業はどうしろというのだろうか。

 コロナウイルスの性格は大分見えてきた。例えば、パチンコ屋では感染しないが、ホストクラブでは感染する。風呂屋も大丈夫だが、カラオケは危ない。ジョギングは問題ないが、スポーツクラブはクラスターが起こりやすい。自転車通勤はいいが、地下鉄の混雑は良くない。

 野外での感染例は極めて少ない。しかし、小劇場やライブハウスのような狭い空間に人が集まるところで、大声が出されれば感染クラスターが起こる可能性が高まる。人間同士が接触するような所も感染が起こる。それは間接的なものを通しての接触でも同じ事である。

 感染しないためにはどういう生活をすれば良いのか、科学的な判断が出来るようになってきた。潮干狩りも、海水浴も距離感すら間違えなければ、問題は無い。マスクをすべき場所と、マスクなど不要な場所も分かってきた。マスクはどちらかと言えば、気をつけていますという合図のようなものだ。散歩中のマスクは不要だ。

 自粛と言っても人間が何ヶ月も強制力なしに自粛など出来るものではない。論理的に考えればそれが人間だ。どこかで発散できる場が必要だ。大声だって出した方が良い。場をわきまえると言うことさえあれば、自粛しないでも良い場もある。このまま笑いのない新しい生活様式では人間が人間でなくなる。

 最近はお店に入る都度アルコール消毒が普通になったが、あれもお互いの合図である。私は感染していないから、そんな必要は無いと考える人がいる。あるいはコロナなど、風邪の一種だと軽視する人がいる。アルコール消毒は「私はそんな特殊な人ではないです。気をつけています。」と言う踏み絵を踏んでいるのだ。

 先日石垣のテイクアウトのお店にカレーを買いに行った。幸いガラス窓があった。窓を開けて貰い受け取ろうとしたのだが、ダメだというのだ。アルコール消毒をして、ドアを開けて入ってきて、カレー弁当を受け取れというのだ。なんとなくそのお店お店にルールがあり、それがコロナ対策の徹底なのだなと思って、浅はかな態度を反省をした。

 石垣ではどこのお店でもかなり徹底した対策をしている。あれを見ていると先ずはお店では大丈夫だと思う。まあそれでも私はお店で食べることは出来ないのだが。持帰りではあちこちでよく食べる。テイクアウトが増えて嬉しいくらいだ。一度食べてみたいと思いながら、少し敷居の高い店でもテイクアウトで食べさせてもらえた。

 国会議員も感染者が出ない。感染したら次の選挙が危ないと言うことで、公表が出来ないのか。全体にコロナ対策が大分見えてきている。それでも感染数は増加している。政府は感染を広げないと言うことが、一番の経済対策でもあると分かっているのだろうか。こんな場面で大いに旅行をしなさいはないだろう。こんなデタラメを言われたのでは自粛をしろとはどこの国の話だと言うことになる。

 ホストクラブでの大宴会も、分からないではない。感染したって関係の無い人達にしてみれば、自分の生活を守ることが一番だろう。当然のことである。年寄の人達が怖いなら、オレ達に近づくな。と言うことなのだろう。そういう人達は必ずどこにでもいる。感染など気にしない人達をどうするかである。

 若い人が感染しても軽症であるか、何でも無いかである。そこで若い人が自由に出歩くのも当たり前としなければならない。その権利もある。一方年寄は感染するとそれなりに重症化する人がいる。そして死亡率もただの風邪よりも深刻である。若者ではなく、年寄の方が大いに気をつけよう。

 年寄はともかく出歩かないことだ。経済のためを考えたら、年寄の外出禁止命令が出来れば一番である。これで医療崩壊が防げる。年寄が若者には距離を置くしかない。年寄は高度成長で良い思いをしてきたのだから、これからは我慢の自粛だ。どうせ年寄は不要不急が多いわけだ。少なくとも、私はそうだ。年寄が自粛することが日本のためだ。

 若い人はできる限り自由な暮らしをして貰う。一方で70歳以上の人は外出禁止である。これが唯一医療崩壊を防ぐ道である。こういうことは政府には言えないのかもしれない。それなら、年寄が自ら自粛するほか無い。と言いながら、稲刈りには又小田原に行きたい。10月には第2波が治まっていることを祈るばかりである。

 そうもうアベ政権には何を言っても無駄だ。アベ政権は対策をすべて放棄したのだ。政府が対策がない以上、後は70歳以上の国民がもう一度自粛で頑張るほか無い。若い人の未来のためなのだから、我慢も出来る。
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1,100歳まで生きるための食養生

2020-07-27 04:25:20 | 暮らし


 人間は20歳を過ぎれば一年ごとにカロリー消費量が落ちてくる。まして、70歳にもなれば、最高の頃に比べれば、7掛けである。つまり30%ぐらい落ちている。食べる量も30%落として同じである。年寄が若者と同じに食べていれば、身体に悪いのは当然である。

 そこでどうすれば良いかと言えば、60歳を過ぎたら夕食を食べないに尽きる。江戸時代に戻ると言うことである。本来の修行の僧侶として生きると言うことである。一日2食である。朝と昼はしっかりと食べる。しかし、夜食事は食べない。

 しかし、食べないというのも何だから、間が持たない。そこで私は泡盛をすこし飲む。泡盛(アルコール度数30度)のカロリーは、100mlあたり約168kcalである。こんなには飲まない。これでは18日で1本か。嫌このくらいは飲むが、168カロリーなら許容範囲である。

 食事ではタンパク質を意識して取っている。朝食は必ず、納豆に生卵とキムチを入れて食べる。ご飯は小さな茶碗に軽く一杯。後は野菜や味噌汁にあれば魚や肉。そしてヨーグルトに果物。朝食は良い食事をという気持ちで食べる。昼食は何でも好きなものを食べる。

  ヨーグルトに入れるのは何でも完熟の果物である。特に黒バナナが一番である。石垣では幸いに島バナナがいつでも手に入る。これは燻蒸殺菌がされていない。黒くなりぐじゃっとさせて食べる。これはバナナが発酵を始めている状態。果物はこの食べ方が良い。

 外食をするとしても昼食だけである。とんかつからラーメン、海鮮丼。カレーライスにビフテキ、ウナギまで食べたいと思うものを食べている。何は食べてはならないなどと言うことは全く考えない。食事は楽しいことである。楽しいことを我慢したら、食事の意味が半減する。美味しくいただくと言うことを昼に満喫する。

 そして夜は食事は食べない。昼に好きなものを充分楽しんで食べれば、夜は食べないでもなんともない。こう言うと酒を飲んでいるではないかと言われるのだが、168カロリーに過ぎないのだから、たいしたことは無い。正直に言えば、泡盛だけではない。何か度を過ぎないように食べている。豆腐とか、おひたしとか、枝豆とか。泡盛を美味しく飲めるものを食べる。

 計測マニアなので、体重はもちろん朝晩計る。食事で体重を調整する。55キロを目安にこれより増えたらば、増えないようにする。石垣島にいるときには増えることはないのだが、小田原にいると増える。間食はするし、食べるものが冷凍食品中心だからだ。石垣島では間食というものはまずしない。

 小田原にいるときは田畑に出て働くから、カロリー消費が大きくなるはずである。一日身体を動かし、万歩計で二万歩になる日もある。しかも酒は余り飲まない。石垣にいれば一日座って絵を描いている。よく、エコノミー症候群にならないと言う状態。夜飲まない日は少ない。ところが案外に石垣島の方がエネルギー消費が大きい位なのだ。

 小田原では頭を使わない。石垣では足りない能の容量を精一杯使ってフル回転を続ける。パソコンが熱を持ったような状態である。もうすこしあたらしい機能の能に変えたいのだが、そうも行かないので、ともかくやきもき絵を描いている。絵を描いているのはのんびりボーとしているようだが、意外にカロリー消費が大きくなる。

 こう言うエネルギーの消費は不健康だとは思うが、ともかく消費は消費で、体重はどちらかと言えば、下がって行く。54キロよりは下がらないように気をつけている。年寄は体重を一定に保つことが大切である。

 歳をとれば、筋肉の増加を意識しなければならない。体重が一定でも筋肉量が下がったのでは、どうにもならない。筋肉量が増える食事を心掛けている。まんべんなく何でも食べることが重要。そしてタンパク質を70グラムは毎日取ると考えている。成人男子の100グラムのタンパク質量の三割引である。

 おおよそ100グラムの肉は20グラムのタンパク質である。1個の卵であれば、6,5グラム。納豆1パック8、3グラム。豆腐半丁10グラム。あじの干物で20グラム。こんな感じ70グラムは食べるようにしている。他のものは余り気にしていないが、タンパク質だけは不足しないように意識をしている。

 飲み物としては午前中にコーヒーを4杯ぐらいは飲む。カフェインの入ったものは午前中以外は飲まない。お茶も同じである。何故か、カフェインがあるものを飲むと全く眠れなくなる。

 午後は甘酒を冷やしてあるのを薄めて飲む。氷を入れて冷やして飲む。麹を味噌造りの時にまとめて作り、1キロづつ小分けして冷凍してある。これは、同僚のご飯と混ぜてぬるま湯に混ぜて24時間保温箱にいてて置く。保温箱はヨーグルトを作るクーラーボックスである。麹の作り方は前に詳しく書いた。

 甘酒は疲労回復に効果的である。暑さにやられそうな時などには効果てきめんである。体重が下がったときも甘酒を飲めばすぐ回復する。滅多に疲れることはないのだが、疲れる前に飲む。

 飲み物では毎日飲むのが柿酢飲料である。柿酢を10MLを見ずと氷で割って、絵を描いている間400MLで割ったものを飲んでいる。黒砂糖を小さじ2杯入れる。柿酢はへたごと木からもいで、ガラス瓶に入れたもの。これを3年ぐらいおいておく。何もしないがお酢になっている。 作り方は前に写真入りで詳しく描いた。

 今年の秋も柿酢と麹は作りたい。この二つは私の健康の基本である。
 
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第11回 水彩画 日曜展示

2020-07-26 04:13:12 | 水彩画
第11回 水彩画 日曜展示







34,「石垣島 夏の海」1
  クラシコ・ファブリアーノ
  中判全紙
     2020.7






35,「石垣島 夏の海」2
  クラシコ・ファブリアーノ
  中判全紙
  2020.7





36,「石垣島 夏の海」3
  クラシコ・ファブリアーノ
  中判全紙
  2020.7

 石垣島に来てから海をよく描く。島に住んでいるのだから、美しい海と空を描きたくなるのも当然のことである。描きだしてみると、いつも目の前にあるあのすばらしい海と空とは違うものになる。見ているものと違うと言うことを突きつけられる。

 このところ田んぼに水がなくなり、ついつい海を描くようになった。この三点も続けて描いたものだが、それぞれに空と海とが描き方が異なる。意識したわけではないが、いろいろやってみるほかない。

 絵は何を描くのかが問題なのではなく、どう描くのかが問題なのだ。海と空を描くことの意味が問題なわけではない。美しいからと言うのも回答ではない。海と空を描くことを通して何をしたいかが大切である。

 生きると言うことは自分という存在の確認をしなければならない。それが私の場合絵を描くということだろう。絵を描くという行為で日々生きていると言うことを確認しているとも言える。海と空をこう描いた。教生きたという証明のようなことだと思っている。

 二枚目の絵はこれほど絵の具を塗り重ねたことは始めてかもしれない。海は何度でも海になるまで描いてみることにした。消しては描いて、洗っては描いて、白を重ねて描いて。こう言う描き方は初めてのことである。写真ではそういうことは写りにくい。

 それに比べて空はあっさりと積乱雲を描いた。もっと描く気だったのだが、なんとなく良くなってしまってここで止めた。海との境目当たりも厚塗りになるほど描いている。どうしてこういうことなのか、改めて見ながら考えている。

 どうも私の絵はどこかに向かっているのではないようだ。結論に向かっているのではなく、今精一杯やれることをしているようだ。次のためではなく、今のために描けるようになったのかもしれない。そうであれば悪いことではない。


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地方の暮らしで忘れてならないこと

2020-07-25 03:58:12 | 暮らし

 崎枝の小嶺牧場に行くと、生まれたばかりの子牛が茂みの方から出てきた。満潮の日に生まれると小嶺先生が言われていた。小嶺さんは元農業高校の先生だから、牧場のオジーではあるのだが、やはりみんなから先生と呼ばれている。

 子牛は茂みから追い立てられたのだが、すぐに親牛が反対側の谷の方に連れて行ってしまった。小嶺牧場は小屋のない放し飼いだから、親牛は人に見つかりにくい藪の中で子牛を産む。1週間ほどは餌場に出てこないこともあるそうだ。明日もう1匹生まれると言われていた。

 小嶺牧場は青草がいつも一杯だ。牛は食べきれないほどの広さに放牧されている。牧草がやはり美味しいのか、ススキなどは食べない。だからススキの方が優勢になってきている。あれで牧草が足りなくなれば、又ススキを食べるようになるのだろうか。

 小嶺牧場の牛たちは実に楽しそうである。一日描いていても一度も見ない日もある。彼らは全く自由に自給自足的に生きている。しかも、密ではない。まるで自然の中で自由に暮らしているように、日々に満喫しているようにみえる。美味しい餌などもらえないのかもしれないが、日本一良い暮らしをしている牛に見えてきた。

 コロナ流行は経済の転換点になる。理由は人間の暮らし方が変わるからである。小嶺牧場の牛のように、自然に従う暮らしに人間も少し変わる。だから経済が変わると言うことになる。世界は何一つ変わらないように見えても、いつの間にかすこし変化している。

 令和恐慌は世界恐慌になり、かつて経験したことのなかったようなものになるのだろう。政府も初めてのことのためか、繰り出す政策はことごとく間が抜けている。GO TOトラベルをみるともう政府には冷静な判断力が失われているとしか思えない。ついに政府が地方への感染拡大に手を貸してしまった。

 経済を考えるとすれば、消費税の一時停止しかない。今からでも消費税の停止を行うほか無い。景気回復策はまんべんなく行わなければならない。できれば、人間の移動は増えないで、消費が増える政策でなければならない。多くの人が指摘していることであるが、政府にはそれが出来なくなっている。

 新型コロナの流行は次のさらに恐ろしい感染症を予測させるものだ。社会は大都市集中の競走経済を限界だとし始めた。新自由主義経済の資本主義が一国資本主義になった。資本主義は新しい局面に至ったと言うことだ。それは大規模畜産が危険で、小規模畜産に戻る方が良いと言うことでもある。

 歴史を見ると不況が来ると、戦争である。外敵が悪いから不況が来たと責任を転嫁する政府がいつも現われる。コロナの流行は文明の形の問題である。競争社会の限界の一つなのだ。人間の暮らし方には節度が必要なのだ。能力があれば、贅沢三昧の暮らしが出来るというのは、間違っているのだ。

 しかし、悪いのは中国だと、アメリカのトランプは叫んでいる。そして、経済戦争を進めている。それは中国も同様に覇権主義を一層強化している。アメリカ経済がさらに行き詰まれば、どこかで武力的な行動が出てくるかもしれない。中国が行き詰まれば、力で抑えられた人達の暴動が起こるかもしれない。

 アメリカでのコロナウイルスの蔓延を見ると、アメリカ人の暮らしでは未来がないと言うことを示している。二番目の蔓延国のブラジルは大統領まで感染した。日本でも時々見かける、コロナなど恐れるに足らないという、科学性のない人の無責任な言説がこうして世界をダメにして行く。

 世界一豊かなアメリカがこの哀れな姿である。これが資本主義の末期的な姿なのだろう。恐慌は迫ってきている。猶予無くこの先どのように暮らして行くべきか行動開始する必要がある。それが各々の安全保障である。あと1ヶ月で71歳になる私でも、この先どうするかを考えている。

 これから生き方を進める若い人は、新しい時代が来ると考えて、どんな生き方をすれば、自分を生かせるかを考えてみる良い機会が来ているように見える。いままでの常識が捨てられる時代である。すでに新しい潮流として、地方の暮らしが着目されてきている。それを実戦してきた者として、都会よりも、地方には人間らしい生活があると言いたい。

 養鶏業が成立するのは都市近郊だと「自然養鶏」の本に書いた。東京まで二時間以内で行くことが出来て、開拓生活が出来る場所を探した。東京は仕事には良い場所だが、暮らしの無い場所だと考えた。今から、30年以上前の話だ。

 交通が変わり、東京には石垣島からでも時々行くことが出来る社会に変わった。若い人がテレワークなどで都会と関わりを持ちながら、地方社会の中で暮らすことが可能になってきている。日本であれば、大半の場所で新しい生き方を見つけても大丈夫になったと言うことだろう。

 絵は一人では描けない。東京には絵描きの仲間が集まる。若い時代に仲間から受ける刺激から離れることも考え物である。若い内に地方の暮らしを選択して絵を描いた人を何人か見てきたが、絵が独りよがりのものになっていた。自分を客観視できなくなる。人間がきちっと生きると言うことには、仲間を見つけなければダメだ。

 今の自分ではまだダメだと言うことがなければ、成長が出来ない。一人になると人間は後退することになる。怖いのは仲間のいない人はその劣化に全く気付いていないと言うことである。地方の暮らしを選択した場合、仲間を作り出す努力を忘れてはダメだと思う。

 私も絵の仲間とは会えなくなった。水彩人展が開催できない状況である。今の東京の状況を見ると開催したところで、見に来る人がほとんどいないことになるだろう。東京都美術館も開催する団体はまず無いだろう。業者の人達もどうしているのかと思う。

 水彩人展ではウエッブ展覧会を開催することにした。このまま展覧会をやれないままでは、ますます仲間との交流がなくなる。せめてもの事として、ウエッブで互いの作品を展示しようと言うことになった。新しい仲間との交流の方法を考えなくてはならない。


 
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水彩画の筆はどれが良いか。

2020-07-24 04:01:45 | 水彩画
 

 車の中の筆立てである。各社各様のコリンスキーの筆が10本挿してある。一番太いもので12ミリの太さのもの。一番細いもので、5ミリの筆である。メーカーは様々である。水彩用とされるものは軸が短いことが多く使いづらい。出来れば長いものが欲しいのだが、油彩用は長くて良いのだが、太い筆がない。どの筆もラウンドと呼ばれる丸筆である。

 書を描く人が平筆を使わないのと同じで、水彩画は普通は丸筆で描く。平筆は塗るものであって、丸筆は描くものだ。丸筆の中でも毛の種類はコリンスキーとか、セーブルと呼ばれるミンクの毛が一番良い。

   以前は不朽堂の隈取り筆ばかり使っていたのだが、今はほとんど使っていない。羊毛筆である。短峰の白という極太の筆である。これは石垣島に来るようになってから、変わってきたものだ。いままでの絵を捨てようと考えて、見て写し取ろうとするようになったためだと考えている。細かい作業がしやすいのがコリンスキーの特徴である。

 細かいことが出来る上に大ぶりの仕事も対応してくれる。幅があると言うことではコリンスキーの丸筆が一番である。太さは太い方が良い。使いやすいものをその都度使っている内に、使う筆が変わったのだ。

 筆は高いという人もいるかもしれないが、筆以外はいわゆる道具はないのだから、文筆三宝というぐらいなのだから、筆をそろえるくらいのことくらいに罪悪感を覚えることはない。

 筆は正直馬鹿げたほど持っている。数は分からないが、ミカンコンテナに1杯という量だ。ほとんどがインターネットで買ってしまったものだ。中国の筆で良いものがあるので、ついつい買っている内に増えてしまった。これはどちらかというと書の筆である。これだけの量あってもそれほど高い買い物をした訳では無い。

 最近買った筆が写真の左端のもので、ダヴィンチ コリンスキー 水彩筆 ラウンド コリンスキー 14号。定価で言えば、36500円もする。それを6250円で買った。筆はヤフーオークションに出てくるものが一番安い。何故そうなるのかは分からないが、時々見て安ければ買う。

 Raphael(ラファエル) 筆 はフランス。ISABEY筆もフランス。ダ ヴィンチ筆はドイツ。Winsor&Newton筆はイギリス。Picabia筆はフランスではないと思われるが、どこの国かは調べても分からない。Rembrandt筆はオランダ。どの筆も使っている。どれが使いやすいと言うことはない。それぞれにすばらしく使いやすい。

   忘れていたので、描き足して奥のだが、右奥の筆はホルベインの筆だがコリンスキーと思われる。とても描きやすい。日本の筆では名村の筆をよく使っていて、やはりとても描きやすい。それなのに、なんとなく海外の筆を多く使うようになっている。

 ピカビアは定価で言えば他の筆に比べて格安の半値以下である。安いから描きにくいと言うことはない。本物である。しかし、ネットで探していると、さらに安い価格で買える場合がままあるから、筆を定価で買うと言うことはまず無い。

 中国筆だとコリンスキーと言っても偽物がままある。純狼筆という名前がコリンスキーと言うことらしい。随分と騙された。別にコリンスキーと表記されていないところが味噌だ。安くて良さそうに見えるから、ついつい買うが、使ってみて描きづらいから偽物らしいなと思うだけである。純狼筆は書の筆である。

 書の世界でもコリンスキーが良いというので、日本でもふつうに作られるようになった。細かな文字を書くには向いているらしい。含みが良いから大文字も書ける。書では使ったことがないので分からないが、面相筆などでは特に良いらしい。そのほかネールアートや、化粧刷毛もコリンスキーが良いとされている。

 本来ウスリー地方の野生のミンクの毛と言うことだったらしいが、今は養殖されたミンクの毛であろかと思う。動物虐待だから使うべきではないという考えがあるのは分かっているが、残念なことに他の人工毛では今のところ代用できない。

 いつか、ナイロンで同じような筆が出来れば良いと思うが、現状ではどうにもならないほど違う。偽物が得意の中国の純狼筆は見た目は違いが分からない。しかし使うと、腰がない。水の含みが悪い。結果的に使えない。話では専門の筆作りの職人が騙されるほど見た目は同じものがあると、書かれている。中国からコリンスキーの筆の材料として輸入して、騙されるとある。

 どうも色は染めていて完全に同じになるらしい。毛の太さも作れるらしい。しかし、水の含みと腰の強さはどうにも違う。それなら、短峰にしてくれれば良いのだが、偽物の方が妙に長いものに作る。長いコリンスキー筆はさらに貴重と言うことなので、筆の長さを強調するのだろう。

 しかし、腰がないのに不必要に長いから、クニュクニョして自由がきかない。それが面白いと言うことはあるのだが、それならば、それ用の長い穂の面白い山羊筆が別にある。たぶん特殊な山羊の毛なのだと思うが、7センチはあるのに、自由のきく筆である。自由とは筆の調子が手に反応してくれると言うことだ。

 このところコリンスキー筆がなじんでいる。それで買い足している。思うときにそれにしっくりくる筆がいつでも無ければ、絵は描きづらいことになる。コリンスキーの筆は無くさない限りまず10年は使える。もちろんだんだんすり減るが、それはそれで良い描き味になる。

 この大事な筆は無くしたことがある。それ以来、このような箱に10本きちっと挿してある。描き終わって10本洗って挿す。その時もしなければとことん当たりを探す。よく落とすのである。絵を描いているとすべてにうっかりになる。何をしでかしているか分からない。

 石垣島でも、実は一本、長山先生御用達の筆は落としてしまった。どう探しても分からなくなってしまった。筆に申し訳のないことをした。それなりに書きやすい筆ではあったのだが、もう一本持っているのだが、あれ以来使ってみたことはない。あの筆は何故書道筆の軸にしたのだろうか。どうせ書道筆の軸にするなら、もう少し長くしてくれたら良い。穂が短かめの所は描きやすかった。

 コリンスキーが良いと言っていても、いつ又、羊毛の筆に戻るかは分からない。羊毛も山羊も狸や馬の筆も沢山ある。隈取り筆もかなりあるので、これは安心材料である。筆は短峰が好きで集めている。短峰は隈取り筆のように穂先の短い筆のことだ。長峰なら当然長い。これも何センチ表記の方が私にはありがたい。短峰は中国の言い方で、日本では短穂ということになる。穂の直径に比した穂の長さが3倍程度までを超短鋒という。写経筆がこれにあたるが、この筆は先だけ細いので使えない。

 筆の太さは14号と言っても各社違う。世界基準がある訳ではないのだろう。当然である。中国の筆の太さはそれこそ表記が様々である。買ってみればいろいろあって、買う前に太さを確認出来ないので時に間違う。日本の太さとなる基準があると言うが、これも良く私には分かっていない。ネットの時代では世界基準がないと困る。

 その時々描きやすいものがある。その昔1本ですべてを描いていた事もあるが、今は5.6本を並べておいて、その都度筆を変えて描いている。もちろんどちらが良いと言うことはない。その時の気持ちにしたがうしかない。考えて複数使っていると言うことでもない。

 色が混ざるのが嫌だから、筆ごとに色を変えて使っていることが多い。同じ筆で描き続けるには洗い水がバケツほどいる。しかも絵の具を水に流すことになる。それよりは色事に筆を変えた方が合理的と考えるようになった。筆を変えても調子が変わらないことが大切になるが。

 水彩筆にはリス毛というものがある。それなりの数持っているが、これは今のところ私には合わない。水彩筆とあるので、大分試したのだが使えなかった。ぐじゃっとして筆触が出ないのだ。筆触が気持ちよく出ない筆では描けない。今コリンスキーになったのは、自分というものを抑えたいと言うことのような気がしている。余り味がないからだ。

 油彩で使う豚毛の筆も使う。これはISABEYが良い。何故か具合が良い。こちらは平筆の方が多く使う。ただし、これを使う場面は限られている。そういう強い渇筆のような調子が必要と思えるときだ。一応絵の具箱に入れてはある。

 
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地方生活を希望する若者の可能性

2020-07-23 04:21:00 | 暮らし


 コロナウイルス蔓延の結果日本人の暮らし方に、変化の兆候が見えてきている。これは人間の防御本能が働いてのことだと思う。競争社会の限界に命が反応を始めている。新型ウイルスの登場の原因の一つには、大量生産大量消費の地球環境の破壊がある。

 地球の汚染が限界を超え始めているか兆しが新型ウイルスの出現である。新型ウイルスに対する見解のほとんどが、自然界に隠れていたものを人類が自然に入り込みすぎて、接触してしまったとみている。こうした言説は新型ウイルスを安易に考えているとしか思えない。

 ウイルスの出現はそれだけではないと思う。自然界を人間が作り出した化学物質が変異を与えている。ウイルスが新しい化学物質との遭遇で変異をしている。その変異の結果人間に感染する形に変わっている可能性がある。人間は闇雲に新しい化学物質を作り拡散させてはならないのだ。

 人間の暮らしの都合で、新しい化学物質をまき散らし続けた結果地球環境が大きく変化を始めている。マイクロプラステックによる海洋汚染は、もうすでに限界を超え始めている。マイクロプラステックの総量が海の生物量を超える日も遠くないだろうと予測されている。もう今止めたとしても手遅れという状態である。

 それに対して、せいぜいスーパー袋の有料化程度の対応しかとれなくなっているのが人間の世界である。これでは、未来から観ればどうしようもない対応しかできない人間世界だろう。そうしたことに人類は気づき始めている。それが、もう都会での暮らしはよした方が良いという、本能的な気づきだ。これは近代文明の否定なのだ。

 ところが現実の政治や経済は変わることが出来ない。競争社会の維持だけをみている。地元志向の若者の出現を、日本の経済の衰退の原因になるとしか見れない人達がいる。それほど、競争社会の価値観に浸りきっているのだ。新自由主義経済と呼ばれた一国主義がまだ先があるとでもいうのだろうか。どう考えても未来はない。

 このままでは現代文明は終わるというのが、コロナウイルスの示した方角である。それでも、既成概念にとらわれた人間達は、この下り坂の中でどのように自分だけが競争に勝てるかを小賢しく模索している。そして、地方生活を選べばどのように日本が衰退するかなどと模式図を作っている。

 もうそんな事態はとうに過ぎている。人類の文明は明らかに転換期に来ている。人間が生きると言うことの意味を考え直せない人達が、地球を崩壊させるのだ。せめて、その崩壊に手を貸さないと言うことが、今に至ってはまともな人間の生き方になる。

 アベ政権が、繰返し政策の失敗を繰り返している。そして朝令暮改で混乱を増幅させている。しかもそれは既得権益をいかに守るかだけが、裏にある意味である。今こそやるべきことは新しい人間の生き方を模索すべき時であると言うことを、少しも見えていないのだ。

 だから、やることなすことがちぐはぐになる。政府にはもう能力がないから、何をやるにも、既得権益を守ろうとする勢力への丸投げである。補助金をどのようにぶんどるかのすばらしい機会としか目に映らないのだ。自分たちの既得権益をいかにまもるか、それだけである。人の命が、お金より軽い。

 地方の暮らしや自給的な暮らしを否定し、その問題点を指摘してる文章はほぼすべてが、既得権益を守るための考え方である。若者が地方に分散して、競争社会を離れてしまえば、自分たちの領域が危うという意図が隠された発言に過ぎない。競争社会の勝者の生き残りをかけた論理なのだ。

 しかし、文明は方角を変え始めている。どれほど既得権益を守ろうとしても文明は戻ることはない。新しい価値に向かい動いて行くだろう。新しい価値とは金権主義の否定である。お金が欲しい教の終焉である。お金があれば何でも出来るが否定されるのだ。

 お金があっても、無くても、暮らし方でコロナに感染する。お金があっても死んだら終わりだ。ブラジルの大統領のように、経済のためにはコロナを無視しろというのが、文明の警告を無視しろと言うことになる。コロナは単なる風かもしれない。しかし、次に起こる感染症がはるかに手強いものである可能性はある。

 その時に備えて、コロナ程度の今の段階で、文明の方角の変更を促進しなければならないのだ。文明の動きを止めようとする既得権益者はいくらでもいる。トランプ氏など良い例だ。アベ氏もその類だ。そうして抵抗をしても混乱を増すだけになる。

 地球は新しい局面に動いたと考え、新し生き方を模索するのが人間のありようである。確かに持てる者は捨てなければならないから、もがくであろう。しかし、若者がいち早く暮らし方を変えようとしているのを止めてはならない。既得権はどうあがいても消えて行くのだ。

 むしろ、持てるものも新しい価値観の中でどう自分を生かすべきかを模索すべきである。持たないで生きることである。持たないで自由になるということだ。自分らしく生きると言うことが、実は捨てるということから始まると言うことになる。捨てるというのは何もものを捨てる断捨離だけではない。

 生き方を捨てると言うことである。そうしなければ新しい文明のなかで、自由に生きることは出来ない。人間は自分の体力で自給自足で生きることは出来る。すべてを捨てて、自由に生きることを恐れることはない。なんとかなるのだ。

 日本という水土は実に豊かである。一日1時間の肉体労働で、食の自給が出来る。一人100坪の土地で可能である。その暮らしは実に健全で愉快である。もし一人で孤立してやろうとすれば、2時間が必要になるだろう。共同でやれば、1時間である。
  

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石垣島はこれから、観光シーズンが始まる。

2020-07-22 04:19:06 | 石垣島


 石垣島は観光シーズンが始まり、21日の時点で、いつも描いている名蔵湾の湾岸道路を走るレンタカーが一気に増えた。カピラ観光に向かうのだ。いよいよGOTOキャンペーンが始まれば、かなりの観光客が押し寄せるに違いない。

  石垣島に行ってもいいものか迷われている人もいるかもしれないが、全く個人的な気持ちだが、是非とも来て貰いたいと思う。気をつけさえすれば、コロナは大丈夫だ。夜の3密飲食さえ注意すれば、全く問題ない。

 石垣島にとってとても大事な、心して掛からなくてはならない時が来ている。コロナは文明に疑問を投げかけるほどの大きな事件である。インバウンド観光客を期待する観光が終わり、新しい石垣島らしい観光を島から発信していく場面なのだろう。

 石垣島の空気はどちらかと言えば、戸惑いが強いのではないだろうか。きっと感染が起こるに違いないと言う島民が多い。まあ、それも経済のためには仕方がないという人と、不安で外にも出れないという人もいる感じだ。ともかく老人は不要不急の行動で行くしかない。石垣島には都会からのコロナ避難の人がかなり、増えていた。

 関東圏には怖くていられない気持ちの人が、石垣島に長期滞在していた。観光業が壊滅的な状況のなかでは、いくらか経済の足しにはなっていたのだろう。今その人達の引き上げが始まっている。そういう人達にしてみると、もう石垣島は安全な場所ではないと言うことらしい。石垣島には長期滞在型ホテルがかなりある。観光ホテルは長期休業でも、そういう所は営業をそれなりに継続していた。

 新しい部屋貸しホテルのようなマンションが、この最中だからこそと思われる状態で、新規に営業したところがあった。ご近所で二軒だから、きっと他にもあるに違いない。ホテルを始めたというようなことは全く分からない。しかし、出入りをしている人で、なんとなく分かるものだ。レンタカーが止まっているとか、出入りする人を見かけて分かるとかして、なるほどと思ったわけだ。

 いずれにしても石垣に観光客が増え始めれば、そうした避難型来島者はいなくなるだろう。これは原発事故後も同じだったらしい。聞くところによると、急に原発避難者と思われる人がいた。ほとぼりが冷めた頃いなくなったと言うことである。今回もいろいろありそうだ。恐怖感にとらわれると尋常な判断が出来なくなる。

 石垣島は観光業で繁栄して行く島である。観光業は次の時代の主要産業になるはずだ。ものを作るような生産には限界があるが、観光には限界がすくない。しかも、石垣島では新しい開発とか、発見はいらない。ありのままを見せることが出来れば、もうそれで充分なのだ。

 コロナ時代のそれだからこその観光を考えなければダメだ。東京からの観光客が押し寄せても、石垣島では感染が起きないという安心な島にならなければならない。そのためには科学性を持って、コロナウイルスに立ち向かわなくてはならない。恐怖心で立ち向かうのではなく、冷静にどうすれば安全な観光業があるのかである。

 残念ながら、このままで観光シーズンを迎えれば感染は起こる可能性が高い。感染が起こるから、来て欲しくないというのでは島の未来はない。私の気持ちとしては、それでも観光客には来て貰いたい。それが、感染症時代の暮らし方である。感染が起きても対応できる体制を作り出せない観光地は、観光地として終わりになる。

 しかし、感染を何とか少数の発生でクリアーして、石垣島が安全な島であると言うことになれば、むしろ観光地として評価されことになる。だから、ここで頑張ることが、これからのコロナと共存する時代の、島の観光のあり方だと思う。怖いから拒否ならば、その島は消滅の危機を迎えるだろう。

 幸い今回の新型ウイルスはそれほど感染力の強いものではない。工夫をすれば、観光と両立可能なウイルスである。石垣島がそのモデルの島になるくらいの気持ちで、取り組むべきではないだろうか。

 島民と観光客の暮らしわけが必要である。石垣島には日本人お断りのラーメン屋があった。同じことで、島民のみの店があっても良いし。観光客だけの場所があっても良い。時限処置である。

 病院は感染症対策を強化すべきだ。それがこれからの観光の島の有り様の一つになる。島の病院だから感染症が受け入れられないという言い訳をいつまでもしていたのでは、コロナ時代の観光は成り立たない。費用は掛かるだろうが、これこそ地方の創成という政府の仕事だ。

 石垣島市長の発言によると、石垣島のコロナ対策は「マスクのお願いの強化と空港でのサーモセンサーチェックだ」そうだ。これだけでは残念な対策である。市長にはその次に何をやるかを考えて貰わなくてはならない。大多数の店舗は対策が充分にされている。しかし、何も対策をしない店舗もある。問題は対策をしない店で感染が起こる可能性が高いと言うことだ。そうなれば、みんなのすべての努力が無駄になる。

 ただの一軒の店舗でも、コロナなどたいしたことは無いという、三密店舗があれば、ダメなのだ。石垣島では相変わらず路上寝が続いている。石垣サンサンラジオでは昨日の路上寝の報告がある。石垣のBARで感染があったときでさえ、路上寝は続いていた。つまり、どこかで深夜まで開いている三密のお店がいつもあったのだ。

 確かにあの頃は見渡したところどこのお店も閉店していた。ところが深夜になれば、三密で深酒をしている所はあったのだ。つまり、行政の自粛要請など、気にしていない店舗があると思われる。新宿のホストクラブが今でも大宴会で盛り上がっているそうだから、「ホストで死んだ人などいない」とうそぶくような人はどこにでもいるのだ。

 それは今更止めて下さいとお願いしても無理かもしれないので、そういうお店には観光客が間違って行かないですむように、そうでない安全な店の表示を徹底しなければならない。空港でこの表示のお店が安全です。ここに入るようにして下さいと観光客に伝える必要がある。

 感染は風の通る野外では起きない。野外でのマスクは余り強くお願いをしないで欲しい。私はマスクをして散歩をして息苦しくなった。石垣島はそれほど蒸し暑い。もしマスクをしていたために、熱中症になる人が出れば、義務のようにお願いした石垣島行政の責任問題にもなりかねない。野外での感染は考える必要は無いほど小さい。身体に触れるような行動を除けば、海岸で感染するようなことはない。

 石垣のバスは窓を開けて走らないものが大半である。バスは混んできている緊急にバスもタクシーも窓は開けることを義務化する必要がある。行政は窓開けを義務化していることを観光客に周知する必要がある。

 一番やらないければならないことは、テラス文化を広げることと考えている。野外の飲食の奨励である。海岸に仮設の夜の街を作ったらいい。台湾の夜市のようなものが良い。台湾ではあんなに繁盛しているのだから、日本でも受けいれられるに違いない。石垣島には(はまあしび)?と言うような夜浜辺に出て楽しむ慣習があったらしい。

 海岸で三線を弾いて、飲んで、唄う。石垣島らしい夜の観光を作り出せば良いだろう。出来れば舞台があり、そこで誰かが三線を鳴らして唄っている。それを取り巻くように夜市が立つ。空間を空けて、ゴロゴロしながら飲食が出来るスペースがあれば良い。きっと風に吹かれて気持ちの良いことだろう。

 コロナの時代はそう簡単には終わらない。ここはコロナだからこそ石垣島が良くなったというような機会にして欲しい。それは出来ないことではない。やろうと思えば、お金など無くても出来ることだ。島中のテントを持って集まるだけでもなんとかなる。

 このままGO TOトラベルが始まるようだ。マスクとサーモぐらいではなんともならない。是非市長は行動を開始して貰いたい。来たりもんが余計なことを言うように聞こえるかもしれないが。このままでは本当にまずいことになる。失礼かつ申し訳ないことだが、石垣島に寄せて貰ったものとして、苦しい発言を許して貰いたい。

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go to トラベルは中止ではなかった。

2020-07-21 04:14:07 | Peace Cafe

  描いている睡蓮である。名蔵の上流部である。田んぼの調整池のような場所である。こんなため池からの水を使って田んぼをやっているのだ。この水で出来たお米を食べてみたいと思う。自然のため池に育つ熱帯睡蓮。一見の価値がある。一度は石垣島に遊びに来て貰いたいと思う。

 それでもgo toトラベルは、今やるべきことではない。政府は問題や混乱があるだろうが、延期すべきだ。誤りを改めることを恥じることはない。トランプ大統領だって、マスクをするようになったではないか。女子医大だって、看護師さんのボーナスをなんとかするようだ。

 コロナの現状は第2波の不安が最大限に広がり始めている。もしかしたら、アメリカやブラジルのようになるのかもしれないのだ。石垣島でも又コロナの感染が起こるかもしれない。やはり、石垣島では感染のおそれが少ないだろうと、観光客は来る。新型のウイルスはまだどう変わるか不安はある。第二波が自粛疲れで起きているのでない可能性もある。ここはウイルスの様子を見るべき時だ。

 東京を外すと言うことがそもそもおかしいだろう。東京で感染が拡大している。何とか収まるように日本中で協力しなければならない。東京の人達には我慢させておいて、そのほかの日本人が大いに旅行をして楽しむ気にはなれない。これでは東京差別ということになる。

 東京は自粛が出来なくて、感染を拡大したのだから、自己責任と言うことなのか。菅官房長官の態度がこんな形に表われたのではとんでもない。みんなで一緒に耐えよう。東急問題ではなく、日本の問題だ。東京の人達が、我慢をしてくれることは日本全体のためになるのだ。東京の人にエールを送るのが当たり前だ。

 どのような角度から考えても東京問題というような、一部の問題ではない。なぜ、菅官房長官はあんなに差別的で、悲しい発言をしてしまったのだろう。日本人の都会に集中した暮らし方の問題なのだ。東京のような暮らし方を変えなければならないということだ。東京のような通勤方法を変えなければならない。東京の夜の街は危険だと言うことだ。

 コロナの災いを、人間の未来の幸せのための方角を変得る機会にしなくてはならない。文明の方角を変える機会と捉えなければならない。経済はとても大事だと思う。経済が暮らしの基本だ。旅行を活発化するという考えは、間違いなく地方経済の活性化のためにも良いことである。しかし、もう少し待つべきだ。

 石垣島では市長はGO TOトラベルには時期尚早としていると新聞にはある。こうした地方の自治体の不安も大きいことだろう。東京の人さえ来なければ安心できるとは到底思えない。観光客を見れば、東京から来たのかなと恐れる。不安が人間の精神を食い破りかねない状況である。

 先日実際にあった友人の話である。西表島に石垣島の人が旅行の予約をしていたそうだ。ところがなんと、西表島のホテルからお断りの電話が来てゆけなくなったそうだ。島の人達の不安はそれほど緊迫しているのだ。科学的に考えれば、石垣島の人はまず感染していないと考えそうなものだが、常軌を逸している。

 政府はそれでもGO TOトラベルと進めることにした。観光協会の代表でもある石垣市長はこの際態度を明確にすべきだ。観光客歓迎なのか、観光客お断りなのか。曖昧にしたまま観光客が押し寄せることになることはよいことではない。対策がないまま、観光客が押し寄せることになるのが現実だ。科学的判断に基づき、行政は緊急に対策を採らなければならない。

 新聞報道では市長は対策として、石垣島空港でのサーモグラフィ検査を強化する。観光関係者を集めて対策の注意を促したそうだ。この程度の対策では何の安心にもならない。先日感染し鹿児島から帰島した人も、空港の検査では分からなかったではないか。熱もない、自覚症状もない感染者がいるのが新型コロナだ。

 中山市長には形だけでなく、本気でコロナ対策をして貰いたい。費用も掛かるだろうし、経済にも影響はあるだろう。それでも島民の不安をなんとかしなければ、石垣島はとても不穏な状況に置かれる。観光客と島民の嫌な関係はもう沢山だ。私は観光客扱いを受けているからよく分かるのだ。

 石垣市はさてどうすべきなのか。緊急対策として、二つある。まずは夜の街対策の徹底である。前回の感染も夜の街の濃厚接触で起きたことだ。夜の街の濃厚接触は当分禁止して貰いたい。経済的保障はこの際する。石垣島で危険な場所は夜の歓楽街と考えていい。海岸で観光しているのは何の問題も無い。レンターカーで島巡りしている分には問題は無い。

 次はホテルや飲食店においては、市の発行するコロナ対策済み表示をすること。市は3つのことをする。1,コロナ対策を飲食関係とホテルに対策をとって貰い、完了済み店舗を表示する。2,店舗の混雑状況の表示をするアプリを導入して密を避ける。3,テラス文化の創設。観光客向けの野外の飲食を奨励し補助する。

 この3つのことは最低限行うべきことだ。すでに各々のお店の方がしているのだろうが、これを行政として徹底して確認し安心表示をする。そうして貰わなければ、石垣島の島民の不安は消えない。これが出来ないなら、入島自粛要請をやるしかない。もし対策をしないで、このまま22日に突入して、石垣島で感染者が出たとすれば、それは市長の責任と考えるほか無い。

 GO TOトラベルは現状では止めるべきだ。しかし、アベ政権はすでに判断力を失っている。明らかに感染者の増加しているタイミングでの、旅行キャンペーンは世界にも例を見ない、馬鹿さ加減も極まれるである。政府はコロナに関してやることなすことデタラメである。政府がおかしくなっている以上、受け入れ側の市町村がしっかりしなければ、日本はメチャクチャになる。

 中山石垣市長は、第2波が落ち着くまで、歓楽街での感染対策を徹底して貰いたい。市役所の街宣車で、マスクをして下さいと言って歩いてもしかたがない。マスクをしていて、熱中症になるリスクも高い。マスクをしないでの街歩きでも人と少し離れていれば、絶対に感染しない。それよりも夜の密室を当面止めて貰うほか無い。様々な問題はあるだろうが、やるほか無い。

 東京除外は、政府の小池都知事への面当てというように見える。菅官房長官の東京問題発言をあげつらった意趣返しにみえる。東京問題発言への反発でGO TOトラベルに異論を挟むなら、東京を外せばいいだろうと言うことだ。やることが子供じみていて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 
 これで東京オリンピックはなくなっただろう。旅行に行けないような場所でオリンピックは出来ない。ここまで来て残念なことだが、仕方のないことだ。そろそろ発表する方が、影響が少ないだろう。今に至ってはやらない代わりにどうしたらいいか。その方を考えるべきだ。

 結局の所人間の暮らし方を変えろと言うことだ。そもそも東京外しは憲法違反にならないか。東京の人の税金を東京の人を外して使うわけだ。返さないと言っていたキャンセル料は返すことになったようだ。全く当たり前のことが出来ない人達だ。


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藤井聡太棋聖の将棋のすごさ

2020-07-20 04:08:18 | 身辺雑記
 

  名蔵にある調整池。熱帯睡蓮が咲いている。橋の上から絵が描ける場所だ。車を止めていても迷惑を掛けない場所でありがたい。なかなか車の中から水面が描ける場所がなかったので、良い場所を見つけたと思っている。誰が植えたのか睡蓮がとてもいい。

 藤井棋聖が誕生した。羽生永世7冠が登場したとき、羽生将棋はマジックと言われた。それまでの将棋と変わったことを見せて貰った。それまでの将棋とは内容が違うのだから、それまでの将棋の観念が強い人には、羽生将棋には勝てなくなった。同じように藤井将棋はそれまでの将棋を超えた、新しい時代の将棋である。

 将棋がある程度理解できて良かったと思う。アマチア5段である。2人の天才がそれまでの常識を覆す姿をある程度理解して見ることが出来たのは幸運である。将棋というゲームに革命を起こしたのだ。ゲームの世界で起きたことだから、この革命の意味はある程度は分かる。たぶん、世界はこのようにそれまでとは変わるときがあるのではないか。

 第二次世界大戦。原子力発電所の事故。新型コロナウイルスの流行。私は3回経験したと考えている。第二次大戦の敗戦4年後に生まれたが、まだその影響下にある社会という意識がある。それまでの文明が革命的に変化するときであった。その変化を感じながら成長した。

 藤井聡太棋聖の登場は文明の変化ではないが、ゲームの上ではあるが天才がそれまで尊重され、学ばれていた価値観を覆すところを見せて貰った。羽生7冠が最後だと思っていたのだが、新しい考え方がそれまでの考え方を否定するところを再度見せて貰うことが出来た。

 羽生将棋や羽生7冠の考え方は実に面白いので、わざわざ講演会に出かけたことがあるほどである。天才というものを見てみたかったのだ。最前列に座ってどこが違うものなのか、良く見せて貰った。絵を描く目で天才の違いが見えるのかどうか試させて貰った。

 藤井棋聖の登場はIT将棋が人間を超えたからである。囲碁の方がITが早く人間を超えた。囲碁が中国や韓国や台湾より弱くなったのは、日本がIT技術で後れをとった結果である。すこしづつ日本の囲碁も新世代が、ITを研究して強くはなってきている。ゲームといえども世界の動きと連動しているのは確かなようだ。

 明治時代以降長らくの日本の囲碁は世界で圧倒的な強さであった。囲碁は棋道と呼ばれる、東洋のタオ・道であった。ゲームに何か人格形成の手段のような意味づけをするところが東洋的である。タオというのは中国の考え方である。強い人は人間も完成する。囲碁の手段にはそうした行き方をも考えさせるような言葉が多い。唐代にはすでに囲碁には囲碁十訣・・・王積薪と言うものがある。面白いので添付しておく。

    1 不得貪勝 むさぼり勝とうとしてはならない。2 入界宜緩 敵の境界に入るには穏やかであれ。3 攻彼顧我 敵を攻めるには味方をかえりみよ。4 棄子争先 石を捨てて先手を争え。5 捨小就大 小を捨てて大に就け。6 逢危須棄
 危機になれば棄てることが大事である。7 慎勿軽速 足ばやでありすぎないようつつしめ。8 動須相応 敵が動けば対応しなければならない。9 彼強自保 敵が強ければ味方を保て。10 勢孤取和 勢力が孤立しているときは和をとれ。

 囲碁の考え方に見えるが、実は戦略の問題にしている。将棋は囲碁よりも遅れて、将棋道になったわけだが、ただのゲームとはされてはこなかった。私が熱中した小学生の頃も、将棋ばかりやっていることを怒られてはいたが、将棋で思考能力が訓練されるという、気分が周囲にもいくらかあった。ベーゴマの熱中ほどは怒られなかった。

 藤井棋聖の登場は将棋をゲームであると言うことを明確にしたと言うことだ。IT将棋が人間よりも強くなった以上。実は将棋道の人生訓のようなことを考えていたら、勝てなくなったということになる。日本の囲碁が遅れたのは、この点である。まだ日本の旧世代は人生訓のようなものをひきずっている。

 藤井将棋は簡単に言えば、IT将棋に一番近いので強い。こう言ってしまえば、つまらないことのようだが、そうではない。人間が新しい発想法を見つけたのだ。ITの登場によって、未だかつて無い考え方を人間が見つけた。それまで人が挑戦して破れなかった壁を、ITの発想を学ぶことで身につけた人が、藤井聡太だ。ここが画期的だ。

 ITを人間がどのように活用すればいいのかを示している。学問でも芸術でも利用できるところは大いに利用して、新しい文化を切り開けると言うことを示している。人間にはまだ先があると言うことのような気がしてくる。もう人間はIT将棋に勝つことは出来ないだろう。しかし、ITを利用して、いままでの人間が到達できなかった領域に行けるのかもしれない。

 藤井将棋は先入観とか、流れとかを断ち切れる。自分という人間の癖を持たないのだ。過去にとらわれずその場面の判断が出来る。それは大山将棋のように相手顔色によって、手を変えるようなことが無い。誰であれ自分の最善だけを見つけることが出来る。

 これは絵で言えば新しく絵を描くと言うことが、いつでも無から始められると言うことである。しかもそこまで描いた流れのようなものにもこだわらないで進めることが出来る。常に描いたその場面を完成画面を想定して見ることができると言うことだろう。これは絵においても必要な見方だ。

 自分を捨てて、自分の中にある能のIT機能だけに委ねて描けるのか。そんなことを目ざしているようでもある。自分の絵画と言うものだけは捨てた。自分の中にある見えている世界だけに向かおうとしてきた。果たして藤井式は絵にもあるのだろうか。藤井棋聖の将棋はそういうことまで考えさせられるものだ。

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第10回 水彩画 日曜展示

2020-07-19 04:20:01 | 水彩画






31,「泉ここに存」 ①
クラシコ・ファブリアーノ  10号大

2020.7






32,「泉ここに存」②
クラシコ・ファブリアーノ 10号大
2020.7







33,「泉ここに存」③
クラシコ・ファブリアーノ 10号大
2020.7


 実はこの3枚は2015年の4月北海道芽室町の新嵐山荘で描き始めた絵である。宿泊した大きな国民宿舎の施設の庭で描き始めた。雪解けの水がいかにも冷たく、清冽に流れていた。その後何度か描き継いだのだが、どうしても終わりまで行かなかった。

 石垣に来てから、たまたま見た泉の印象と繋がり、描き継げそうな気がして持ち出して、又始めてみた。記憶の方がよく見えていると言うことがある。目の前に見ている石垣の泉と帯広の泉とではまるで違うのだが、やはり見ていないと描けないものだ。

 北国の泉と、南国の泉はもちろん違う。違うのだが、同じと言えば水が湧き出るという意味で同じだ。見た目を描いているわけでも無いので、湧き出でるという感じを描いた。水をかいているようで、水面を描いているかと思うと、水のしたの地面を描いている。そう思っている内に、空が流れて移る雲を描いている。

 何を描いているのかいつの間にか分からなくなる。美しい色を、美しい筆触で描ければとだけ思っている。見ている気持ちが画面に現われてくれれば、それだけでいいともう。構図とか、構成というようなものはまるで出てこない。ただ画面に従い筆を動かすようにした。そういう日もあってもいいと思った。

 これが絵なのかどうかは分からないが、そうしたこととは関係のないものも有るのだと思う。その日にやれることに従い、入り込んで描いた。
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敵基地攻撃ミサイルの保有は危険の増大になる

2020-07-18 04:47:14 | Peace Cafe


 元防衛大臣の小野寺氏は一番確実かつ簡単なのは相手のミサイル基地で発射される前の段階で抑止することだとし、敵基地反撃能力の必要性を訴えた。

 河野防衛大臣による、イジスアショアーのブースターと言われる推進部の落下危険による配備撤回以来、敵基地への攻撃力を保有すべき論議が高まっている。議論は充分にすべきではあるが、議論が敵基地攻撃に限定されすぎている。以前から、自民党では敵基地攻撃ミサイルを配備すべきという議論が中心に行われてきた。

 敵基地攻撃ミサイルを保有したときに、周辺諸国がどのような反発をして、どのような軍事強化をするのかを想定できているのだろうか。中国やロシアや北朝鮮の日本に対する軍備強化は、からず日本のミサイル準備を上回るに違いない。ミサイル配備は、軍事強化の正当性を与えることになる。

 結果的に日本の危険な高まることになるにちがいない。中国、ロシアの軍事力は日本より協力である。しかも、北朝鮮までもが原爆を搭載したミサイルを日本に向けていつでも撃てる準備がある。なまじの武器を持つことは危険が増すと考える。

 核武装が出来ない日本の現状を考えるべきだ。核武装の議論まですべきなのだ。核攻撃に対する非核国の防衛体制をどうするのかを、世界の非核国が考える必要がある。そうでなければ、核保有国が増加するだけである。世界が崩壊を免れるためには、日本は平和憲法の国の日本らしい安全保障を考えるしかないのだ。

 自民党アベ政権は敵基地ミサイル部隊を想定し、すでに現実に進めてきた。それが奄美から沖縄八重山に基地を並べることになった基本である。ここに中国および、北朝鮮に向けた、敵基地ミサイル基地を配備する計画である。地元への説明においては、ミサイル基地ではないというようなまやかしの説明をしてきている。作る本来の目的は敵基地ミサイル攻撃基地である。今や隠されていたその本質がはっきりしてきている。

 もし敵国が日本を攻撃するとすれば、まずこの琉球弧に並べられたミサイル基地への攻撃を行うであろう。日本がミサイル発射をしようとしたので、防衛のためにミサイル攻撃を行ったと世界に説明をするだろう。日本が攻撃力を持つと言うことは敵国に、より強固な武力を保有するきっかけを与えることになる。

 武力による対抗手段はより強い対抗手段が待っている。武力強化競争に入れば、日本には勝ち目がない。アメリカの虎の威を借りているから、かろうじて保たれている日本の安全保障に過ぎない。そのアメリカが一国主義に変わったときに何が起こるか分からないのだ。

 日本は武力に寄らない安全保障を模索して、動き出すべきだ。先ずは非核国の連携をとるべきだ。非核国を核保有国が攻撃できない、世界の状況を作り出さない限り、日本の安全保障はあり得ない。北朝鮮の姿と同じである。敵基地攻撃ミサイルは、幼児が銃を持ったような危ないことになる。

 日本を攻撃する国があるとすれば、日本が攻撃しようとしたので、事前にそれを叩いたと、理由付けをするに違いないのだ。日本だけが、専守防衛を主張しているわけではない。どんな戦争でも防衛のためと言うことで始まるのだ。現在の日本では敵国まで届くミサイルはないことになっているのだから、攻撃の理由を与えないという意味で、一定の安全保障になっていると考えるべきだ。

 さすがに攻撃力が無い国を一方的に攻撃することには、よほどの狂気の国以外には出来ないことだろう。狂気の国に関してはそもそも軍事的な防衛を論議しても無駄なのだ。

 防衛のための戦争が、現実には原爆による攻撃にまで及ぶことになる。つまり、世界の崩壊になる。武力は世界を崩壊させるほど強力になったために、簡単には武力使用を始めることの出来ないものになっている。

 現実の世界では最初に行われる攻撃はミサイル攻撃ではない。サイバー攻撃であったり、細菌テロであったりすると考えることが、現実的想定とすべきである。的基地攻撃の前に、まずサイバー攻撃や、細菌テロに対する防衛体制は出来ているのだろうか。ここを整えるのが、現実的な防衛構想ではないのだろうか。

 世界から反撃を受けるであろう、武力攻撃から始めるほど愚かで狂気な国であれば、もう何を準備しても無駄である。そんな極端なことを考える前に、日本経済の安全保障を議論すべきである。安全保障は豪雨災害も、大津波も、新型ウイルスも人の命を脅かすものとしては同じである。

 ウイルスで滅びる国が核弾頭を保有する意味が無い。国民の命と健康を守るという意味で、安全保障を総合的に考えるべきだ。だから、小野寺氏の主張する敵基地攻撃ミサイルを保有すべきと言うだけの議論では十分でないことになる。総合的に考えるべきことにもかかわらず、末端の攻撃ミサイルに議論を狭くしては国民の命は危険がます事になる。

 いや、沖縄は防人で、捨て石になればいいだろう。こう言う議論が自民党内部にあるのは分かる。第二次大戦における捨て石作戦から、意識は何も変わっていないのだ。にもかかわらず、自ら防人を名乗り出る、石垣市長や石垣保守系議員は、戦時中のように洗脳されている人達としか思えない。

 戦時中にも、そういう沖縄の人もいたに違いない。犠牲者でありながら、洗脳されてしまい加害者になるのだ。正義や武力を振りかざしてお国のためだと言いながら、お先棒を担ぎ、沖縄に犠牲を強いた人が、いつの時代にも現われる。

 辺野古米軍基地を進めてしまった仲井真知事は、沖縄の負の歴史の記憶に止めておかなければならない。石垣島にミサイル基地を誘致した、中山市長の名前も歴史に刻まなければならない。沖縄の被害を沖縄の人が起こしている。
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田んぼ10葉期、種まき10週目、田植え5週目の写真

2020-07-17 04:32:10 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 毎年、10葉期に定点観測をしている。その時に同じ場所で写真を撮ることにしている。今年の生育状況の判断のためである。この時点で10分ゲツ以上。背丈は60センチ。10葉期の葉の幅は12ミリ。これが標準としている。大体の場合は12分ゲツを超え、背丈も65センチにはなっている。今年はもそうであった。

 今年は7月6日に行った。その写真を整理して掲載しておく。来年のためである。

1番田んぼ

2番田んぼ

3番田んぼ

4番田んぼ

5番田んぼ

6番田んぼ

7番田んぼ

8番田んぼ

9番田んぼ

10番田んぼ

11番田んぼ

12番田んぼ

13番田んぼ

14番田んぼ

15番田んぼ

私と東さんの担当の、5,6,7番田んぼである。草はほぼない。畦周りは白クローバーが生えている。バンカープランツのつもりである。



 種籾の田んぼになる。7番田んぼ。昨年生育が良くなかった。今年も少し遅れている。水のわきがあるためのようだ。5,6,7番田んぼはすべて手作業で行っている。機械を使わないでも田んぼは出来るという小さな田んぼでイネ作りの考え方である。


 手前が7番田んぼで上を見ている。このあたりが悪い場所。


 道路から見ていて、手前が11番田んぼである。15番田んぼは見えていない。11番は土が悪くて昨年は作らなかった。11番田んぼの上にある大きな草は二メートルもあるマコモタケである。

 全体では11番が一番分ゲツが少ない。

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