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自民党119議席

2009-08-31 06:04:51 | Peace Cafe
大きな転換といわれた、衆議院選挙の結果が出た。予想通りの自民党の大敗に終わった。自民党は政党として、維持できるのだろうか。小泉元首相が自民党をぶっ壊す、と叫んだ「逆説」で勝利した事を思い出した。これが解党的敗北というのだろう。まざまざと見せてもらった。「楽観論にはエネルギーが要るのです。」こう叫んだ、麻生首相の脳天気さが不気味だった。本当のエネルギーは新しい事を作り出すことにある。新たな地平に向う事こそ、エネルギーが必要だ。現状にしがみつく事が一番エネルギーが要るんだ。とトンチンカンを叫んでいるような首相では、とてもこの難事を任せるわけには行かない。これが国民の総意であった。安部、福田と2回の投げ出し首相。そして、今度は選挙のための首相のはずが、1年間のしがみつき。政党としての末期的な姿を、保守政治の悪臭を随分撒き散らした。

民主党は308議席。何人ぐらいの松下政経塾出身者がいるのだろうか。私の選挙区で当選した、神山洋介氏は松下出身者だ。平和憲法を明確に改定すると言っている。神山氏が、どのような行動をこれからとるのか、選挙民として注視が必要である。ここでもう一度どんな人間忘れないために、政策・政治スタンス朝日・東大調査のアンケートを上げておく。
「憲法を改正すべきだ」の意見に賛成ですか、反対ですか。
賛成
「道路予算を維持すべきだ」の意見に賛成ですか、反対ですか。
反対
「5年以内の消費税率引き上げはやむをえない」の意見に賛成ですか、反対ですか。
どちらかと言えば賛成
「永住外国人の地方参政権を認めるべきだ」の意見に賛成ですか、反対ですか。
どちらかと言えば賛成
A「日米同盟は日本外交の基軸」、B「日本外交は国連中心主義で」のどちらに近いですか。
Aに近い
これからの日本は、どんなふうに呼ばれる国になってほしいですか。
科学技術先進国

それにしても選びようのない選挙だった。小選挙区はどうにもだめだ。投票できる人がいなかった。この制度は日本の政治風土には、適合しない選択だった。こうやって、100が300になり、300が100になるような大きな揺れが起こる選挙制度は良くない。民主主義が育たないことになる。平和憲法を守るという人が、一人も立候補すらできないような制度では、どうにもだめだ。これから議員の数を減らそうということが起こるだろう。これも困る。少数意見が見えなくなる制度に進む事は、民主主義が危うくなる。経費を安くするなら、給与を下げればいい。政治に金がかかるというのは、嘘だ。言い訳に過ぎない。本当に経費をかけずに自分の政策を人に伝えたいと思うなら、インターネット利用だ。そうした努力をせずに、政治にお金がかかる。それは汚い政治にはお金がかかると言う事だろう。議員数の削減は間違っている。

いよいよ民主党の農業政策が、現実社会で試される事となる。注視する必要がある。調べるといい所は沢山ある。沢山あるが、現実と成るとどう現場におろしてくるのか。麻生さんが廃止するといっていた、農政事務所など、どんなことになるか。民主党の政策を強く批判していた、農水省の事務次官など、どう抵抗するのだろうか。官僚が取り仕切ってきた、と言っても農水の中も多様である。民主党の政策を待っていた官僚もいる。政権が変ると言う事が、現実の農政にどんな反映があるか。とても興味深い。

昨日、一昨日の自給作業:大豆の草取り2時間、堆肥撒き1時間 累計時間:22時間
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夕顔の花

2009-08-30 04:58:19 | 身辺雑記
そらやさんが夕顔の種をくれた。沢山ポットに蒔いたのだが、2本だけしか発芽しなかった。その話を、沖津さんのおかあさんに話したところ、種を僅かに傷つけなければ発芽しないという事を教えてくれた。沖津さんのおかあさんは詩人である。詩人と言っても詩を書き付けるわけではないが、話すことが全部詩なのだ。つまり、生まれ着いての詩人で、本当のいきている詩人だ。おかあさんは全国に、夕顔の苗を毎年送っている。夕顔が好きだからそうしているのだろうが、それは、寂しく死んだ金子みすずが夕顔の詩を書いているからだ。金子みすずの熱烈なファーンなのだ。全国をそのことで歩いている。日本いたるところに仲間がいる。それで全国に、夕顔を送るおかあさんになった。それで毎年田んぼの頃に成ると、合うたび、「もってけ、もってけ、」という。詩人への思いまで全部を戴くようで、何とかごまかしていた。それが、そらやさんから種をらってしまったので、今度は貰わない訳に行かなくなった。

2本だけじゃどうしても寂しいというのだ。それで、さらに苗2本戴いた。寂しい金子みすずだから、寂しい方がいいと思うのだが、それじゃー絶対に承知しないという勢いなのだ。頂く事になった。日よけを兼ねた、花壇を作り、立派な竹組みをしたので、これに絡ませる事にした。それはぐんぐん伸びた。丈夫なものである。あの寂しそうな花からは、信じられないほど、旺盛な草である。てっぺんまでいって、今度は絡み合いながら、下に降りてきた。寂しい人だったから、丈夫な旺盛なものが好きだったのかもしれない。あれよあれよという間に、窓を覆った。花壇の具合がとてもいい雰囲気になった。8月に入ってすぐに、1輪が咲いた。真っ白な大きな、大きな花だ。朝顔を思っていたから、随分ゆったりとした、たおやかな空気があるものだと感心した。朝顔は江戸文化。夕顔は京風なのか。それからは毎夕必ず一輪、二輪と咲いている。それが最近は10輪20輪になっている。
「夕顔」   金子みすず作

お空の星が
夕顔に、
さびしかないの、と
ききました。

お乳のいろの
夕顔は、
さびしかないわ、と
いひました。

お空の星は
それつきり、
すましてキラキラ
ひかります。

さびしくなつた
夕顔は、
だんだん下を
むきました。

大きな葉はさつまいもの葉と良く似ている。ゆうがおといえば、かんぴょうを作る、大きなうり科のユウガオがある。冬瓜もある。冬瓜の方でも、夕顔とは親戚ぐらいの品種的距離がある。花の夕顔は違うもので、さつまいもとおなじ科である。要するにどちらもヒルガオ科の一種である。当然朝顔もヒルガオ科である。
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最高裁判所裁判官の国民審査

2009-08-29 04:56:14 | Peace Cafe
訳がわからないが、どうにも気になる国民審査。何しろ、司法の一番偉い方々について、国民が審査してもいいですよ。というすごい制度である。もちろん一度も機能したことはない。この制度こそ、日本の司法の建前主義の象徴である。形は憲法に基づいて立派に公正に出来ている。しかし、本当には機能しないように出来ている。しかし、今回の「竹内行夫」氏はもしかしたら、17%台の最高記録を塗り替える可能性を持っている。それ位問題ありの人だ。今回は衆議院選挙の方も、まだ迷っているくらい難しい。あまり民主党を調子に乗せるのもよくない。と言って、自民党はお灸をすえなければならない。こう思っている。難しい。社民なのか。共産なのか。日本新党なのか。今回はまだ決まらない。

それでいよいよ投票が終わったとする。オマケのようにくれる紙が、「最高裁判所裁判官の国民審査」これがますます、わからない。わかる人が居たら、是否教えてもらいたいぐらいだ。なにしろ、×以外かいちゃいけないそうだ。全員×でもいいが。何でも偉い人は支持する人でも〇書いたら、無効。何か良く分からないので、何も書かずに出すと。信任した事になってしまう。そこで、資料を市役所でもらってきた。これで成るほど、竹内バッテン運動の意味がわかる。竹内行夫何しろ最高裁判事と言っても、裁判員と同じくまったくのド素人である。これには驚いた。イラク戦争に日本を巻き込んだ責任者の一人。それが功績で、全く司法関係者でもないのに、突然素人が最高裁判事となった。と言われている。どうも最高裁というのは任命者によって、ゆがめられているといえる。ともかく今回の総選挙が、官僚政治からの脱却なら、天下りの象徴である「竹内行夫」。今度止めさせたら、ワタリをするおそれがないでもないが。平和憲法を評価するものは、憲法違反の竹内行夫氏で、せめて最高記録更新をしよう。

今回は、「冤罪」御殿場事件を扱った、最高裁判事がいるはずだ。めちゃめちゃな上告棄却。あの時は何故、と絶句した。と言ってももう最終判断で、事件は確定してしまった。事件そのものが、あったのかどうかすらわからない。犯行日時自体が、その日は犯人とされた少年たちのアリバイが一回は証明される。そこで今度は、被害者は日時の変更を申し出ることになる。被害者と称する者の行動のほうが、ここでは書かないが事実がわかると、よほど怪しげである。当日の雨について、消防署の記録によって、土砂降りが証明される。被害者の衣服が濡れていない。いくつもの不自然さを、証拠に取り上げない。御殿場は以前、卵の配達で毎週行っていたので、何となく空気が分かる。どうせタムロする不良少年だというような、偏見に基づいた警察の逮捕であり、それに引きずられた司法判断ではないか。名前は挙げないが、上告棄却した裁判官はバッテン。

もう一人は裁判員制度の原案を作ったとか言う人。確か、やはり竹が付いた。と思っていたらいない。しかし良く探したら、一番筆頭の長官の「竹博允」この人こそ裁判員制度を作った功績で、14人抜きで長官になったと朝日新聞が書いた人か。しかし、よく調べてみると、どうももともとは裁判員制度には反対の人らしい。分からなくなった。反対だが、出来てしまった以上、最善の運用をするしかないといことも書いてある。裁判員制度の定着の為に反対だった人を、抜擢するというのも、どう言う事なのだろう。こう成るといよいよ分からないのだから、空欄しかないないのか、悩む。大勢いて名前も覚えていられないから、結論が出たら、メモを持ってゆこう。なるほど、やっと判った。国民審査とは、これで国民の成熟度を審査しているのだ。

昨日の自給作業:キュウリの植え付け1時間 累計時間:19時間
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ごみ処理広域化

2009-08-28 05:09:09 | 環境関連
昨夜、市役所7階の大会議室で、「ごみ処理広域化の考え方」に基づく、説明会が開かれた。ごみ焼却場が、又久野に作られるということが、ありありと感じられた。小田原市・足柄下地区ごみ処理広域化協議会が主催である。6月に考え方が発表された。この考え方は、間違えも多い。例えば、広域化するとごみ処理費が320億円から、231億円に89億円も安く成ると書かれている。その根拠は示されていない。たぶん、今のバラバラに燃やしている経費と、広域化して一箇所で燃やす方が安い。その程度の事ではないだろうか。そもそも、廃棄物会計が行われていない。正確なところは誰にもわからないのが現状である。少なくとも、遠くから集める、運送コストは確実に増える。その積み替え施設も必要となる。道路も新たに必要かも知れない。焼却炉を熱回収施設と、呼び変えているから、発電的手法が取り入れられれば、その費用も新たに生じる。売電益で利益が出ることは先ずない。

この説明会は内容が、乏しい。肝心なところが、議会の委員会での説明と食い違っている。委員会では、焼却炉は小田原というのは、決定であると説明した。所が今回の説明では、そういう方向で、現在の段階では考えていると言う事で、決定ではないというような、曖昧に説明した。そもそも、この短時間の質問では、少しも明らかになったきがしない。個別に親切に説明が必要。

質問:堆肥化について検討している。やることになった時、小田原に堆肥化施設を   作ることが、農地との関係で合理性がある。この場合、焼却施設も小田原に   作ることは、一部に施設が集中して問題がある。
回答:ごみ処理施設は、各地に分散作ることが合理性があるので、箱根、湯河原、   真鶴にも堆肥化施設を作ることになるでしょう。

質問:小田原で焼却施設を作ることは、誰の責任で、どのように決めたのか。
回答:協議会の代表は加藤市長だから、加藤市長の責任で決めた。

質問:焼却炉の場所の設定は、どんな順序で、進めるのですか。議会にも諮るので   すか。(この質問は閉会後)
回答:広域化協議会で決めればすむことだ。行政の決定事項なので、議会にはかる   必要がない。

ごみ行政は閉鎖的になっている。相変わらず、迷惑施設の建設は秘密裏に行うしかないのだ。こう言う事を公言している。先日は広域の検討委員会の傍聴に言った4人の市民が、時間前なのに、席があるのに、断られた。理由は、内部規約がそうなっているからというだけだ。内部の規約が閉鎖的でおかしいとは思わない。出来るだけ秘密に進めることが習い性となっている。今回の説明会も、「今こんな考えを持っているが、市民とともに考えていきたい。」本来こういう姿勢のはず。考えが、固まる前に市民に示して、充分に練って行きたいというのが、市長の発言である。あくまで考え方であって、少しも動かさないという姿勢では、話し合いの余地もない。

話の途中で、「そうか、焼却施設は久野の今の場所に作ると決めているな。」と言う事が直感的に感じられた。都市計画を持ち出して、既にごみ処理が行われている場所はそういうところ、つまり、ごみ処理関連施設の場所、と都市計画決定されている。そういうことを変更するのは大変な事なのだ。新たな場所に、都市計画決定するには議会の承認がいると言うになる。迷惑施設の都市計画決定の変更はなかなか難しい。
久野に作ると言う事は相当に覚悟しなければならない事のようだ。こちらもいよいよそのつもりで、対策をしなければならない。
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日本農業の再生3

2009-08-27 05:24:14 | 地域
こうして、食糧の問題を、世界で検討せざる得ない下地が生れている。日本が有効な提案をいい場面で行えば、かつてのWTOとは変わった反応になる。何が何でも自由貿易という、先進国有利な条件は、既に結べない状況が生れている。交渉が進まない状況になっているのは、この現われなのだろう。この背景から、自由貿易から食糧をはずすこと、主要食糧に別枠を作ることは可能になってくる。これが人類という枠組みでの行うべき日本の政治的努力であるべきだ。しかし、行われてもいないし、行われる希望もない。

一方、我が家の農業から考える事。先ず各家に於ける自給である。これは農家非農家に関わらず、自給したいという人に自給の権利がある。憲法第25条 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」その権利に基づき、国は耕作しない農地を強制的に借り上げ、無償で自給したい人に貸与する。これを国民の自給権として確立する。

農業者が農地を借りて、農業生産をする場合を優先する。国が貸与するが。但し、産業として成り立つ小作料価格をその状況に応じて決めてゆく。生産物は主要な「米、麦、大豆、穀類」については、生産することで農家が最低生活できる価格を保証する。普通の農家の普通の働きで、生きていけることを国が補償する。これは各藩が江戸時代行おうとした事と、おなじである。但し、価格を保障すると同時に、バランスの取れた生産量になるように、作付けを調整する。主要作物は経済とは切り離したものとして、別枠を確立する。これを一定量生産すれば、最低限の生活が可能なことを保証する。現在国は農業者に対して、主要作物以外の国際競争力のある農産物を主張しているが。これについてはあくまで、主要農産物とは別に考える。

農家が普通に生きていけるとは、失業しても農業を選ばないという、労働人口をどう転換するかである。生活保護を貰うにしても、農業に進もうとはなかなか考えない現実がある。それは農業が、成立困難な上に、つらい職業になっているからである。農業は普通に行えば、最低限の暮しは可能なのでなければ、今のような、農業者の減少にはならない。安定的職業と位置づける。具体的方策を上げてゆく。1、農業技術を学ぶ場所を確保する。2、農業者用の住宅を確保する。3、農地の斡旋の仕組みを作る。4、農業機械の貸し出しのシステムを作る。5、自給的生産を行うものに、農地の利用を可能にする。6、基本作物の穀物を作る場合の保証制度を確立する。具体的方策は、それほど難しい事ではないが、政治的に具体策に入ると、実はどの段階にも困難が伴う。そこで、さらに私個人の視点から、その具体策を検討してみる。

世界的な規模での農産物調整は行われない。国内的な意味でも改革は遅れる。そうした状況を想定して、それを念頭に入れて、小田原地域の農業の再生は、可能かを検討する。小田原の条件は、大都市近郊に位置する。地域には産業も存在し、勤務先はある程度存在する。人口20万人で農業者人口は数百人に過ぎない。多くは自給的兼業が行われている。農地は入り乱れて、大規模農業が可能な所は、僅かしかない。また、農業を経営的な視点で考えようがないため、農地を資産管理的な視点で考えている人が多い。1、市民の自給的生産に、農地を利用する。2、農地を生産場でなく、生産を行う人を呼ぶ農業にする。3、農地の集約が難しいため、ゆるやかな地域指定を行う。(条例:美しい久野里地里山)一塊の地域を、特徴ある地域指定を行い、大きな方向付けを行う。(未推敲つづく)
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日本農業の再生2

2009-08-27 04:54:44 | 地域
今後、日本経済の浮き沈みはあるにしても、大きな流れとしては、工業製品の輸出は出来なくなる。その理由はいくつかある。大きくは、後進国と呼ばれた国家が、日本と同じ経済レベルになる。中国、インドという、日本の10倍も人口がある国家が、工業製品の輸出の競争に名乗りを上げている。中国やインドでも先端技術者は、日本の10分の一のレベルの存在だとしても、日本と同じ数存在する事になる。日本人だけが優秀などと考えたら、間違う。その工業に少数の有能な人材が、きわめて安価な有り余る日本の10倍の労働力と、有り余る広大な土地を利用して、日本と競走を始めているのだ。遠からず、日本が優位である分野は限定される。今起きている100年一度といわれる経済転換の実態は、世界の新しい枠組みが生れて来ていることと考えるべきだ。日本人だけが頑張ってどうにかなるというような事ではない。まして、これから成長する国の方が、無闇に頑張る力が存在する。日本が高度成長期といわれた頃、公害を垂れ流しながら、必要悪と承知で頑張ってしまったのである。欲すると欲しないとに関わらず、工業製品の輸出は頭打ちになる。どの道かつての先進国は、同じ道を歩む事になる。

この過程で大企業、大資本は、日本という国家が企業として活動しにくい環境になれば、運命を共にする事はないだろう。より有利な条件を求めて、世界企業と変貌してゆく。既に、生産部門を労働力の安い地域に移動することは普通になっている。国が企業に対して、税制や労働条件、公共事業と有利な条件を作るといっても、日本という条件の限界が生れている。技術立国、先端技術と言うことが言われるが、日本人だけがずば抜けて優秀のはずもない。オリンピックを見ればよく分かる。頭脳においても各民族教育段階はあるにしても、最終的には同じことになる。

もう一つの要因は金融資本主義の登場である。国家予算を超えたような巨額な資金が、利益を求めて、世界中を投機的に巡っている。生産に伴う利益ではない。これが健全な生産という仕組みを、今後もゆがめてゆく。企業によっては、生産による利益より、投機による利益の方が大きいという事態が生じる。大学という教育機関が、巨額な投資で経営まで危うくするという、おかしなことが起きている。現代の資本主義はこの不健全を止めるすべをもたない。人類生存の基本的産物である、食糧までもが投機対象として、価格の操作が行われる。そのことによる世界の飢餓が増大している。利益だけを求めて、資本が動く。資本主義の末期的様相が表れ始めている。世界経済が未来永劫拡大再生産を続けられることはない。今、大不況を切り抜けつつあるというのが、大方の認識になり始めているが、何も根本が変わったわけではない。サブプライムローンと同じことが違った形で又繰り返され、より危機を深めるだろうと考えておいた方がいい。

地球環境の崩壊が進む。温暖化問題を見ても、経済を優先する現在高度成長を続ける国と、一定の成熟期を迎えている国家とでは、対応が違う。さらに食糧すら足りない国においては、環境問題どころでない。世界の合意が遅れる間に、環境の悪化は後戻りできない深刻な事態に進んでゆく。食糧生産に影響が生れるような、環境悪化も避けられない状況であろう。又、現代のくらしが自然から離れる方向で、あることも、工業化社会の危うい進み方を産んでいる。このままでは、原子力発電所が世界各国に無数に作られる状況が生れるだろう。管理能力がない国にも、作られることになる。こうしたリスクが高まることによっても、経済は衰退をする。衰退するというより、拡大一方の経済では立ち行かない、状況が近づきつつある。
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日本農業の再生1

2009-08-27 03:22:47 | 地域
農業の再生は可能か。この問題を考える時。世界の食糧生産をどのようにするかという、人類的な食糧の安定生産の仕組み。この方向を作り出すという、途方もなく大きな問題と、久野の舟原の農地を、私という個人の管理が可能であるか。こうした、両極の問題を同時に考えなければならない。そのために、問題が複雑化して、見えなくなりやすい。しかし、問題の本質はどの段階の、どの場面を考えるにしても、この両極の問題が連動している事を忘れると、混乱を始める。当然小田原の農業を活性化する方法を考えるためには、この両方から考えてみないとならない事である。具体策はその上での事である。

ウミガメは5000の孵化した子供の内、戻って来れるのが1匹という中で生きている。4999匹が死んでしまうと言う事は、悲惨でも、不条理でもない。そういう仕組みが維持されることが、ウミガメという種の生存に必要なことである。人間という種も少しも違うものではない。その土地、土地において、生産可能な食糧の量に応じて、以上には生きることは出来なかった。その特定地域が食糧を作りやすい所で、必要以上に作られた食糧が、食糧生産の出来ない所に、大量に移動する事が起きたのは、20世紀の事だ。本来人が存在できない場所でも、人間の暮らしが行われるようになった。不自然な人口増加が起こり、人道的な支援という食糧援助が行われる。古代文明においては、人口の増大に食糧生産が追いつけなくなったときが、文明そのものの終末となっている。

現代は、食糧の輸出が経済行為として、拡大することが当然とされている。そのために、食糧生産が出来ない地域で、人口が増えてゆく。その背景として、食糧とは比べられないほどの規模の、鉱工業製品の輸出入が行われている。このように、地球規模で、食糧という水や空気と同等の人間が生きる必須、基本的なものを、生産をしない地域がうまれた。当然のごとく、食糧が鉱工業製品と、同じ扱いをされることとなった。土地の持つ食糧生産能力とはべつの要因で人類は暮すようになった。食糧生産しない、あるいは出来ない国や地域は不安定な要因となる。人類の安定的な生存方法として、出来る限りその地域の食糧生産に伴う、くらしを目指す必要がある。たとえば、石油の生産国が食糧生産を今のうちに確保しなければ、将来大きな不安定要因になると言うような意味で。食糧支援が、飢餓の延長になりかねない、場合もある。

日本人が日本という国土に応じて暮す。この基本原則に戻ること。これは食糧安全保障以上に考えて置かなければならない、種としての人類の要件である。特に、基本的な食糧となる、「お米、麦、大豆、穀類」のようなものは輸出入をしない。これを国是と先ずすべきだ。自給での必要量が日本人が日本で暮す適正密度であると考える。このことを、日本人共通の約束にする必要が生れてきている。車一台が100万円という価格と、お米20トンが100万円という価格は、実は、意味が異なっている。生産コストで較べるものではない。その必要度から価格の意味を考える必要がある。20人の1年間の生存を保障する、お米。これは生きることに必要不可欠で、先ずそれを作ると言うことは、各民族最初の目的として行うべきものである。全てはその上での事である。このことを世界で確認してゆく努力をしなくてはならない。もちろん工業製品の輸出で経済を膨らませて来た日本が、そんな転換を出来るかと言う問題が、次ぎの重要な検討事項である。

昨日の自給作業:キュウリの植え付け1時間 累計時間:18時間
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韓国人工衛星と田母神発言

2009-08-26 06:16:56 | Peace Cafe
誰もがミサイルと呼ばない、韓国の人工衛星の打ち上げが失敗した。このロケット打ち上げに対し、日本政府は日本領空を飛ぶ事に抗議したのだろうか。北朝鮮のロケット打ち上げのときは、今にも日本に落下する。どのコースをを通るから、打ち上げ何分後には、どこあたりだ。一段目が切り離されたら、どうだあこうだあ。自衛隊は対空ミサイルの配備までした。戦時体制のように、煽動するような報道が行われた。当日は生中継から、臨時ニュース号外である。韓国の打ち上げの軌道も、以前の発表では、南方方面の日本領区を通過するはずだったが。静かなものである。戦略的に見れば確かに違うものである。韓国の日本の友好理解は随分深くなっている。李承晩政権時代を思えば隔世の感がある。それゆえに、北朝鮮に対する態度は、ほめられたものではない。同じく平明に扱わない限り、北朝鮮との和解は遠い。

発表当初は7月打ち上げ予定だった。ロシアの技術支援によるという。何故アメリカでないのかは不思議である。その上に、一度成功したと発表して、その後失敗に訂正。なかなかロケットは難しい。日本のロケット打ち上げも「成功」を繰り返し、実は失敗だった事が後でバレル。北朝鮮は成功発表のままだが、誰も成功したとは思っていない。アメリカが月に行ったなど嘘だという人もいる。ロケット打ち上げは、怪しげなことがある。見えない所の話だから、いつも大本営的発表。日本の北朝鮮監視衛星は上手く機能しているのだろうか。大規模災害等への対応に備えるという目的を付け加えた「情報収集衛星」。事実上の偵察衛星の保有を日本はしている。今後毎年打ち上げてゆく。しかし、北朝鮮のロケット基地の写真はアメリカの物が出てくるが、日本も同じレベルの精度監視能力の衛星のはずだが、一度も写真を見た事がない。600億円もするというが、本当に機能しているのだろうか。打ち上げた事にして、何もしないのも安上がりでいいか。

同日、元幕僚長の田母神氏が広島の平和式に集まるのは「被爆者はほとんどいない」「並んでいるのは左翼」ととんでもない発言をした。日本の保守派の知的レベルを象徴している。こんな情報収集能力のない人間が、幕僚長であったというだけでも、自衛隊の人的能力について、相当に不安になる。広島に集まる人が左翼で、そこで挨拶をする、保守派の自民党の総理大臣という構図はどう考えればいいのだろうか。多分、田母神氏のような核武装論者には、麻生首相も左翼思想の持ち主と見えるのだろう。田母神氏は講演活動で全国を回り、人を相当に集めるらしい。日本の軍国主義者たちが、あんな知的レベルの人物を持ち上げておいて、平気でいるのが不思議だ。田母神氏の情報収集は広島の友人から聞いたとの事だ。なかなかの友人である。信頼する諜報先がこのレベルでは作戦が立てられない。

北朝鮮が日本人を多数拉致している。日本人だけでない。韓国からも他のアジアの国からも人を拉致している。この理由が良くわからない。在日の朝鮮人は地上天国を信じて、随分帰還した。諜報活動に使う、生の人的情報が欲しいなら、この人達から聞けばいい。あれだけ韓国との離散家族が存在するのに、まだ韓国から拉致を行う。多分それほどに不安にさいなまれ、妄想が起きていたとしか思えない。田母神氏も同じではないか。広島平和式に集まるというだけで、左翼革命家たちとでも見えてしまうのだろう。優越的武力を持たなければ、安心できない人間というのは、妄想を育む。大阪で改革クラブの選挙応援をしていたというから、改革クラブは喜んでいるのか。悲しんでいるのか。大打撃だろうと思うが、むしろ、支持者が増えると考えるのか。もうすぐに結果はわかる。
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尾崎好美選手

2009-08-25 05:30:20 | 身辺雑記
尾崎選手が、世界選手権女子マラソンで2位になった。尾崎選手に気付いたのは駅伝の日本代表として、走った時山北の出身の選手がいると、ビックリした。山北で暮していたとき、すぐ下に見えていた、河村小学校、山北中学出身の選手だ。山北中学には陸上部があるわけではなく。尾崎選手が陸上に本格的に取り組む事になるのは、小田原の城山にある、相洋高校に入ってからのようだ。しかし、相洋高校時代の最高成績は3年時の県総体で800メートル8位という選手。当然、高校総体にも出られない選手である。高校時代の私より少しはいいが、とても陸上を続ける気持ちに成るとは想像できない成績。その後、地元の企業である、第一生命に入社。正社員であり、陸上で引っ張られての入社という訳でもないのだろう。ここに、山下佐知子監督が第一生命の監督として、移籍してくる。山下監督は世界陸上東京大会で2位になった、元ランナーの女性監督である。この人の人間性が素晴しい。マラソンでは監督の力がとても大きい。練習方法が選手に適合するかが、育つかかどうかを握っている。

山下監督の発言では「入社当時は体が弱くて練習ができなかった。貧血になるし、風邪をひく。とてもマラソンをできるとは思わなかった」。性格もおとなしく、存在感が薄い。成績は伸びなかった。尾崎選手の転機は約3年前。自分の意思で正社員から契約社員になったとき。契約社員にも色々ある。「正社員では午前に仕事し、午後から陸上の練習。甘えを捨ててもっと陸上に集中したかった」。山下監督も力が宿ってきたのを感じたという。25歳になって、本気になった陸上選手。ついに、山下監督にして、尾崎選手を育てる道が分かったのだと思う。

初マラソンに出場したのも入社9年目の2008年名古屋国際で27歳。この時は一般参加ながら2位。これで一気に注目選手となる。北京オリンピックには惜しい所で出れなかった。しかし、エリートコースを歩んだ選手でないから、そのくらいの事でくじけないのは、当然の事かも知れない。そして2度目のマラソンが昨年の東京国際女子マラソン。逆転で初優勝。世界陸上ベルリンの女子マラソン代表内定第一号となった。これが幸いした。他の選手より代表が決定が早かった。マラソンはそう何回も走れるものではない。半年以上の準備期間が必要である。箱根駅伝でも予選会に回ることが、本レースで不利になるとは、よく言われることである。今回の尾崎選手の2位を教訓に、早く出場決定を行うように改善する必要がある。オリンピックでも日本マラソン陣が良い成績が残せなかった原因の一つはここにあると思う。尾崎選手は春先に腰を痛め、一時は歩行も困難な状況だった。多くの選手が一度はこういう状況に陥る。但し、決定が早かった、尾崎選手はもう一度立て直すことが出来た。アメリカの高地で最終調整をしていた。その状態ををテレビで見せていた。まだ、速度は不足していた。が、とても身体が絞れていい練習をしてきていることが伺えた。

マラソン選手に良くあるのが、不安から来る練習のし過ぎ。マラソンは精神的負荷が大きな種目なのだ。一人で座禅をしてはならないと、師から言われていた。おかしな所に行くものだと。マラソンを走っている精神は、きわめて座禅の状態と似ている。山下監督との良い人間関係が、一度起こしてしまった肉体のトラブルを、その後良い方向に転換できたのだと思う。瀬古選手の場合は最高の条件だった、モスクワオリンピックが政治的欠場。その後のロサンジェルスオリンピックでの14位と実力を発揮できなかった。早稲田時代からの中村監督が、一緒にヱスビー食品に入社。発言の強い中村監督の指導法が注目されすぎてた。負けたら死んで責任を取るなどと発言したことが、とてもプレッシャーに成っただろう。練習をし過ぎてしまって、体調の調整が出来なかったのではないか。指導スタッフを変えて、なかなか力を出せなかったのは、高橋尚子選手も同じではないだろうか。最高のスタッフを自ら作り上げての、挑戦であったが、オリンピック優勝以降もう一つ結果を残せなかった。

尾崎選手が素晴しいのは、陸上を目指すと決めたのは、強かったからではない点。陸上が好きだったのだろう。そして、なかなか芽が出なくて、25歳になって背水の陣をひく。山下監督という、類希な監督と出会い、いい練習をつめたこと。こんな素晴しい人間が、山北の尾崎さんなのかと思うと、本当に嬉しい。
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蕎麦づくり活動

2009-08-24 04:00:02 | 地域
神奈川県主催の「蕎麦作り」が始まった。久野の坊所の坊所川に面した、1反の畑だ。一家族が、10メートル5畝を栽培すると言う。畝巾は60センチほどのようだった。草一本ないように綺麗に耕されていた。準備をされたのは坊所の、里地里山のメンバーの方達だ。どんな風に準備をするのかとても、楽しみだった。みなさん本当の農家の方々だから、さすがに手順がいい。参加者は20家族ぐらいだっただろうか。スタッフの方も、30人近くいた。昨日の炎天下の暑い熱い畑での作業。午前中は9時から開校式などがあって、作業が1時からに設定。熱中症にならなければいいがと、それがちょっと心配だった。1時集まりで、4時から作業ぐらいの方が夏場はいいと思った。暑い中で、15分ほど作業の説明を、県の担当者から聞いてきた。子ども達が大丈夫かとひやひやした。講師は初瀬川さんで、本当のお百姓さんがやる種蒔きです。と言う事で演舞のようで美しかった。

このところ雨が降らないから、土が乾いている。乾いている時の種蒔き方法。さすがに農家の方で、当然のように進めたが、この臨機応変には感心した。先ず畝の中を、しっかりと歩いて溝をつけるように踏み固める。そこにパラパラと種を蒔いてゆく。一畝10メートルで50グラムの種と言う事だった。50グラムづつ、封筒に入っていて5袋が手渡される。1反5キロぐらい蒔くといわれていた。竹の棒が2本と、1メートルの紐が1本各家族に渡される。それを畝にしっかりと張って。子供たちが、その紐を綱渡りにようにいったり来たりする。そして、小さな手でぱらぱらと蒔いていく。中学生だと思って、もっとこう蒔いたほうがいいよ。など言ったら、お母さんで驚いた。きれいに蒔く事は難しいようだ。一度蒔いてしまうと、どこが薄いかがわからない。1週間で発芽するというので、時々見てみるつもりだ。

大勢の応募者の中から、抽選で選ばれた皆さんと言う事だ。そばにいた男の子に、まごのりさんが、どこから来たのか聞いたら、横浜の蓮正寺だ。と元気に答えてくれた。小田原には来たことがあるが、久野は初めてだそうだ。このあと、草取りやら、管理に3回通って、最後に蕎麦打ちとなる。本格的な体験作業でどなたが考えたのか、行政が取り組み企画にしては、農業的に良く出来ている。こうして、都会から来て、本当の農作業をする。必ず将来に繋がる。今回は、行政の方が中心に企画して、坊所の里地里山の方が作業協力する。という形だった。初めての試みだったが、順調な滑り出しである。小田原の農業の未来はここにあると考える。都会には農業希望者が多数存在する。別荘で、農作業するというのが、憧れのような所がある。

坊所の連合自治会長の星野氏は、多分、実質そばの体験の皆さんの「久野の里親さん」に当るのだろう。地域に全てを配慮できる、「農家の里親さん」を募集する。実質作業に当る。NPO法人のような組織を配置する。久野では現在、5団体が存在する。もちろん、地域の方で作業を請け負える方がいたら、むしろ優先的にお願いする。大切なことは、安易な農業体験にしないこと。都会の人に、農業の汗をかいてもらう。汗の結晶を食べてもらう。子どもだからと言って、農作業に当る以上一人前扱いをする。きちっとできなければ、畑に入れない。農家では当たり前の事だ。農業体験を農村の都会へのサービスにはしないこと。お互いに、ありがたい仕組みを作る。「蕎麦、お茶、小麦、田んぼ、大豆、」本格的に取り組める品目だろう。小麦で言えば、パン作り、うどん作り。まで繋げる。蕎麦ができたらば、製粉をすることになるが、これが小田原では出来ない。やはり製粉機が必要になる。
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見学と研修

2009-08-23 06:14:52 | 自然養鶏
笹村農鶏園は火曜日の午後見学を行っている。ほぼ毎週どなたかが見える。鳥インフルエンザが国内で流行して居る時は、見学を休止したが、小田原に移って10年続けてきた。鶏を飼っている人、飼う予定の人が対象である。自給的生活に関心がある人の体験も行っている。興味半分で来てもらっても、時間の無駄になるからお断りする。美味しい卵が欲しいとか言う人もお断りしている。もちろん、卵を購入している人は、自分の養鶏場なので、いつでも来てもらってかまわない。ときどきは外国からの見学者もいる。韓国、フィリピン、タイ。の方が来てくれている。中国には自然養鶏の指導にも行ったが、見には来ていない。自然養鶏には国境がない。自然に則して養鶏を行えば、世界各国同じことになる。見学より踏み込んだ形で、研修というものも、行ってきた。20名ぐらいだろうか。見学にしろ、研修にしろ、実際に養鶏や農業を私と同じにやる、というのが方針である。

今も、研修に見えているが、なかなか大変そうである。いつも思うのだが、体力が落ちている。江戸時代から見ると、四分の1の体力が私である。その私の半分ぐらいが、今の若者の一般的体力のようだ。体力と言っても、スポーツ能力というのとは違った、農業を実践する体力というものがある。以前、オリザ農園でときどき研修生といっしょに食事をした。食べながら寝てしまう研修生が居た。体力の限界に達しているのだ。オリザの窪川さんは体力があるほうではなかった。その窪川さんがあきれるほど、体力がない人が多かった。農的生活ぐうたらそうで良さそうだけど、体力で躓く人が多いいのが現実である。除草剤を使うなという人には、是否夏の田んぼの草取りをやってもらいたい。「草取りを、1週間出来てからものを言え。」とつい、暴言を吐く。自分が出来ない事を、想像力欠乏のまま、人に要求して欲しくない。下手な農業体験などやると、まるで田んぼをやったような気に成って、かえって農業を誤解することになる。

見学でも出来るだけ、いっしょに働いてもらう。出来ないなりに重い桶を持ってもらう。身体が体験しなければ、見たことにはならない。見ると言う事は、実は難しいものなのだ。絵を描いているとそう言う事は良く分かる。同じ景色を描いても、同じものを見ているわけでもない。見る事の深さがまるで違う。水を見て描く。水に触れたことのないものがみる視覚的水では、見ているのはその実像の僅かな側面に過ぎない。水で泳ぎ、水を飲み、水の存在の自分の命とのつながりを実感し、水の宇宙的意味まで理解した時、水が描けるかも知れない。水を映像として写すことで、自足しているものの見方の浅さ。そう言う事は、絵を見るとすぐ分かる事だ。これは、描く人間の深さと言う事で、深く描けるものは、深く見えているという前提がある。見学も、そうした全てにつながる、深く見ると言う事を知ってもらいたい。

見る難しさは、その人の目で見る。と言う事にならなければならないところにある。私の見方を押し付けることは簡単であるが。私の見方は、あくまで私にとって意味があるので、それを押し付けるのでは既に宗教である。その人が、自分のやり方を発想できるようになることが目的のはずだ。正直、農業のカリスマのほとんどはエセ宗教者という雰囲気がある。自分の個別の体験を真理のごとく、断定する。これでは次にやる人が自分でで考えると言う事にならない。こうした所で、研修している若者を見ると、いかにも視野が狭められている。農業体験は知的なものである。あくまで科学に基づいていなければならない。科学性がなければ、苦行のようなものになる。こちらにしても、説明して意味が通らないのは困る。公開し、見学を受け入れてきて、段々に整理されてきたと思う。出来るだけ長く、見学研修は続けてゆくつもりだ。
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新型インフルエンザ

2009-08-22 04:56:00 | Peace Cafe
アメリカの養豚会社に、多分由来する、インフルエンザが流行している。今回のインフルエンザについては、書き尽くしているのでさらには書かない。マスメディアでは相変わらず、的外れの不安感を煽る報道をしている。死者が出たためである。その中で、東大の上昌広准教授がインフルエンザについて、発生当初から的確なコメントをしていた。水際防除は出来ないこと。流行は、繰り返し波のように起こるだろう。感染症について、日本の病院は体制が整っていない。専門の医師も少ないし、施設も各県に任せて、厚生省は予算措置をせず、発熱外来を作れと呼びかけるだけ。インフルエンザ患者が病院に押しかけることは、病院にいる重症患者が危機にさらされる。何もせずとも一般に治る。ワクチンはリスクもある。(大原麗子さんがかかっていた病気。)必ずしも使う必要はない。など上氏はコメントされてきた。

日本人は必ず、いつかは感染する。当たり前の事である。健康な人であれば、怖れる事は少しもない。健康な人がワクチンを接種するなど、自分の身体をリスクを高める事になる。健康で免疫力が高まるような生活をおくることである。免疫力を高める方法。「充分な睡眠。まともな食事。適度な運動。必要なストレス。」これが出来れば、インフルエンザは恐くない。ともかく「良く寝る」ことが一番。早寝する。昼寝もする。毎日8時間は寝れる能力を身につける。寝るのは案外に難しい。日頃から、規則正しく訓練をしなければ、なかなか寝れるものではない。夜更かしは、このおかしな社会で生きている以上避けられないが、せめて週2回以下にする。次が、「まともな食事」これも意外に難しい。出来るだけ、普通のものを食べる。化学合成添加物を出来る限り取り入れない。普通に、病院で貰う薬ぐらい食べている可能性。不安がある。

「運動」これは当たり前に暮すと言う範囲で充分。暮し方が当たり前かどうかを考えた方がいい。わざわざ、健康の為に運動をする。こんな事はおかしい。運動を伴う、当たり前のくらしをする。自給の為に、毎日1時間働けば、ちょうどいい運動になる。最後に必ず必要な「ストレス」。ストレスのない暮らしを、健康的と思っているが大間違い。それはもうボケ寸前。ぼけていなくても、世間的にはボケ状態。悟りを開いた高僧のイメージ。世間に生きているのだから、ストレスは当たり前。むしろストレスの受け入れ方。あきらめること。明らかにすれば、あきらめられる。生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり。人間は死ぬという最大のストレスをかかえて生きている。受け入れる事しかない。インフルエンザ程度で大げさだが。ともかくストレス無しを、健康生活など思わないこと。ストレス受け入れ能力の向上。

テレビでは手を洗え、うがいをしろなど、見当違いな指示を繰り返している。あれを見るたび、もっと勉強してくれといいたくなる。インフルエンザを映像化すると、「マスクと、手洗い。」日常と違うセンセイショナル映像を作り出せる。「落ち着いてください。落ち着いて行動してください。」と叫んで不安を生み出す。どんなに避けようとしても、必ずいつかはかかるのだ。11万人患者がいる。というなら、少なくとも、その10倍、100倍かもしれない。感染はしたが、発症に気付かないという人が居る。そうやって人類全てが、感染して普通のインフルエンザの一つになる。しかし、不安はある。次に生れる可能性がある、強毒のインフルエンザである。これは当たり前には終わらないかもしれない。発生の前に止める、最大限の努力が必要があろう。大型畜産の禁止。生き物を何万単位で飼う事を禁止する。原因は特定は出来ないが、間違いなく一番怪しい。

誕生日の記録:172,0:55,6:13,1:31,6:19,7:37:19,0:1373:4
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行政の事業仕分け

2009-08-21 05:36:34 | 地域
「行政の事業仕分け」について、構想日本の政策担当ディレクター 伊藤伸氏からお話を聞く事が出来た。今度小田原市が、市長の意向もあり、行政がおこなっている事業の見直しをする。その見直しの方法のひとつが「事業仕分け」と言う事だった。

●事業仕分けとは?
・実施する自治体職員と「構想日本事業仕分けチーム」(他自治体の職員、民間、地方議員などで構成)が侃々諤々の議論をする
・国や自治体の行政サービスについて、予算事業一つひとつについて、そもそもその事業が必要かどうかを議論
・必要だとすると、その事業をどこがやるか(官か民か、国か地方か)を議論
・最終的には多数決で「不要」「民間」「国」「都道府県」「市町村」に仕分け
・「外部の目」(特に他自治体職員。いわゆる「同業他者」)を入れる
・「公開の場」で議論する(広く案内し誰でも傍聴できる)
・「仕分け人」はボランティア(企業がコンサル業務を行うのではない)


事業仕分けという意味不明の命名をして平気でいる人は、学者か、司法関係者か、行政関係者である。分からなくても関係がないと思い込んでいるから、分かりやすい言葉を使おうなどという発想がない。構想日本という組織はどんな人が作ったのだろうか。など思いながら話を聞いていた。伊藤氏の話はとても分かりやすい。何故こういう明快な人が、事業仕分けなどと言う学者用語のような不思議な名称に疑問を持たないのだろう。行政の仕事の総点検をする。というような仕事を、事業仕分けという、システム化された手法で進めてゆくことらしい。盛んに素人にも分かるように、素人が当事者であるから、行政は素人に分かるように説明する責任があると、言われていた。私など、仕分けの意味がいまだにわからない。わからないときは聴けと言う事なので、聞いてみたが、行政の事業を本来やるべき所に、仕分ける。民間、県、国、市町村、入らない場合もある。と言う事らしかった。何故仕分けるというのかは、良く分からなかった。事業責任の見直しはだめか。

実際に模擬仕分けをやってみた。良く知っている福祉課の課長さんが、一つの事業を方式に従い、準備されて本番さながらに、進められた。やって見てよく分かった。とてもリスクのある手法である。何しろ、素人が、全体を分からないまま、一事業の細部を点検する。市民は生活感覚という意味では、素人ではないのだが、福祉分野のように、少数の弱者が対象の場合、日常の生活感覚だけでは見えない部分がある。どうも、専門の仕分けに慣れた自体職員の人が、加わり仕分けをリードするらしい。しかし、30分の間に判断してゆく。相当の能力と、事前の勉強が必要だろう。それでも、福祉分野は向いていないと見えた。この手法は、誰でもが利用するもの、関わりがあるもの。市民会館、図書館、お祭り、区民館、病院、道路、焼却場、火葬場。などには良い方法ではないか。焼却場など、この手法で仕分けしたら実に面白そうだ。今回小田原市は、1000以上ある事業の中から、80事業を先ず行うというから。又、体裁のいいものだけをやることになりそうだ。

財政の見直し、国、県、市町村、と各段階で、徹底して行うべきだ。間違いなく1割は不要事業である。伊藤氏もそうした今までの事業仕分けの結果を言われていた。その意味ではあながち民主党の言う、無駄な予算を見直して財源とする。という考えは間違えではない。その一見無駄と思われる事業にも、それを取り巻く族議員がいて、がっちりと固める官僚がいる。もちろんその背景には様々な利権団体が、ズラーと存在する。それは、市町村レベルでも変わらない。地域代表である市会議員。俺があの公園は作った。わたしがあの道路は作った。こう言う世界はどこにもある。この既得権を防御する、諸勢力をどう突破するか。これにはもっと知恵と時間が必要なようだ。「行政の事業仕分け」がその一手法である事は良く分かったが。現実の中でこれを実現するには、よほど、市民の覚悟がいる。久野寄り合いという言葉があって、話し合いばかりで、結論が出ないという事らしい。しかし、結論を出さずに、何日も時間をかけて、話し合う。これが昔の決め事の知恵であった。
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舛添発言、

2009-08-20 05:20:18 | Peace Cafe
舛添要一厚生労働相は十八日午後、横浜市内の街頭演説で、「年越し派遣村」に関し、「(当時)四千人分の求人票を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を、働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と述べた。(東京新聞)

やっぱりな、そう思うんだ。多分口にはしないが、多くの人がこんな推測をしているるだろう、を利用した。まして、担当責任者の厚労大臣の発言だから、説得力がある。「誰も応募をしない。」はまさか無いだろうと思う。本当に応募しなかったのなら、4千人の求人票を用意して、裏切られたという思いはあるだろう。「仕事を失った人に、仕事を紹介したら、応募もしない。」以前、このことは書いたことがある。私はその時、「働く意欲が弱い人」と書いた。そこから、一次産業の人不足との、関係など書いた。意に染まないことはしない。何が何でも働こうとは思っていない人が出現している。舛添氏のような優秀の標本のような人には、少し理解しにくい人達が表れている。新人類の名称の方が想像できるかもしれない。もちろん、派遣村の人がそうだったと言う事ではない。

派遣村の人は、派遣切りにあった人ということだった。みんなの頭の中に、秋葉原事件が存在した。格差社会の現実が、正面からたち現れた感じがしていた。あの時、厚労省の講堂が超法規的に開放された。その直後「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」。総務省の坂本哲志政務官からそんな発言が出た。実際、村に集まった人たちはどのような人たちだったのか。派遣村実行委員会が、村民354人から聞き取った集計によると、景況悪化を理由に解雇された派遣従業員は日雇いも含め、全体の40%にあたる130人。33人(9%)は従来からの路上生活者だった。また、厚労省の調査によると、滞在村民が約300人だった1月5~7の3日間で、臨時に設けられたハローワークに相談に来た人は約200人(66%)。具体的な就職相談まで話が進んだ人は約120人(40%)だったという。(産経新聞)

厚労省の調査結果からも、「誰も応募しない」とする舛添発言は捻じ曲げている。しかし、この発言を選挙の応援で、あえて行う背景がある。こういう発言が、大方には受けるだろうという。計算が働いている。二つある。「派遣失業者と言いながら、実は路上生活者であろう。」「どうせまともに働く気がない人達だろう。」こういう先入観によって作られたイメージに働きかけている。社会的弱者につめたい社会に益々なってきている。先行き不安をかかえた人達にに対し、さらに弱者を批判することは効果がある。「ああなりたくないだろう。」自己責任の論理である。派遣という不安定な仕事に、全ての職種を認めてしまった。大企業の経営だけを優先した、政府の労働政策の間違えが根本にあることを、認めない強弁である。確かに人間は駄目なところがある。駄目で普通じゃないか。少々駄目でも、普通にやれる社会。舛添優等生だけじゃ、つまらない。
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エコカーはエコか

2009-08-19 05:24:03 | 環境関連
今の所、エコカーはエコな商品とは言えない。だから、エコカーに乗っているのは格好が悪い。詰まり、「騙されているじゃないの」と言う事だ。というような、正しい見解を、研修に見えているMさんが言われた。環境にいいというのは、実に複雑に出来ている。アメリカのグリンニューディールでは、風力発電を20%に高める計画だそうだ。これを日本でやったら大変な事になる。日本のような人口密度の高い所では、生活環境を破壊するだろう。もちろん景観がめちゃめちゃなものになる。繰り返し言われるのが、太陽光発電が環境にいいかどうか。これも意見が分かれる。割りばしはどうか。ペットボトルの再生は。レジ袋は。厳密に考えてゆくと。賛否それぞれに理由はあって、すっきりとした結論が出ない。こうした議論の際、数字を明確に出さないから、正しい議論ができないというのがある。確かにイメージ的に考えるのが、人間の常であろう。

イメージに訴えるのが、コマーシャルであり。政治である。エコカーというイメージ戦略で、ともかくトヨタは危機を乗り切ろうとしている。時代の流れを掴んだと言う事であろう。正しいかどうかは、この流れとは別物である。エコ家電の需要創出というのも、全く同じ流れだ。政府は15兆円といわれる補正予算の大半で、大企業を後押ししている。それが経済危機を乗り切る。止む得ない処置であるような、論調も見受けられる。景気回復至上命令で、一くくりで日本人全てに降りかかっているかのようだ。「景気回復ちょっと待ってよ。」などと言えば、とんでもない奴になりそうな空気がある。これは議論を封殺する。この封殺が、エコ商品の推進を厳密に論証しないで、これしかないというような、今の日本の進み方ではないか。エコカーは確かにまだエコではない。太陽光発電は既にエコである。これが個人的判断。

太陽光発電でも、パネルの製造コストが大きい、ここでのCO2排出量を取り戻すには時間がかかる。原子力発電では、建設、廃棄、安全、周辺対策、等コストが存在して、到底エコな方法と言えない。こういう書き方が、まさに数字に基づかない議論で、イメージ手法である。数字を簡単に出せない為に、何がエコか分からない議論になる。何とか出せば良いのだが、調べても良く分からないというのが、正直な所である。太陽光発電については、ネットで調べても様々な、製造コスト、希少メタル、廃棄費用。諸説ある。私の判断では、概ね(ここが困る)取り入れてもいい状況に入っている。原発については、政府の主張と、反対論が乖離が大きいので、比較議論にも入っていない。原発の安全性など、安全と危険の意見以外にない。より安全な原発というものはないらしい。核燃料再処理まで含めた議論に成ると、極論対極論で終わって噛み合わない。もちろん私は、危険この上ない派である。

大統領候補ゴア氏の邸宅には、太陽光発電パネルが大量に設置されていて、アメリカ的消費生活をしていたらしい。要するに暮し方ではないか。石油由来の電気であろうが、ほとんど使わないくらしをするほうが、エコである。明るくなったら起きて、暗くなったら寝る。エコカー以前によけいに自動車を使わないくらしである。ところが、これでは景気回復が出来ない。もっと消費しろ、高速道路1000円。意味がどうしても理解できない。お金がないときは、使わない。使えない。節約である。無駄遣いすれば景気回復というのは、まやかしの主張だ。昔の燃費の悪い冷房機を、最新の省エネ型に買い換えれば、エコポイントが付きますよ。テレビも省エネ型の最新機種なら、エコポイントです。冷房を付けて、テレビを見ているような暮らしを、少し変えたほうが、いいと思うのだが。この辺がどうもすっきりしない。

昨日の自給作業:肥料、堆肥撒き1時間 累計時間:17時間
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