地場・旬・自給

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韓国と仲直りする方法はある。

2019-07-31 04:16:56 | Peace Cafe

 日に日に日韓関係は悪化している。すでに経済戦争にはいったと見ていいのだろう。現代の戦争は斯うして始まると言うことだ。武力的な攻撃はまだまだ先のことになる。多分そこまではゆかないのだろう。このままでは経済戦争は様々な手段が展開され、互いになにも良いこともない。

 仲良くならなければいけない。隣とけんかを続けていて良いことはなにもない。悪いところばかり見ないで、良いところを見ることだろう。政府の誘導に乗ってはならない。

 経済戦争も強い方が勝利するはずだ。アメリカほど強ければ、まずは負けない。中国と戦っても勝てるだろうというのが、アメリカ。となると弱い方はどうやって、周囲の強いものを味方に付けるかになる。その点、日本はアジアでは不人気かもしれない。

 これで日本の軍事力が圧倒的なものであれば、竹島を奪還などと言う世論が起こるところだろう。丸山議員のような人間がいるのだ。幸いに日本の軍備力はそれほどの力がない。だから、憲法改正をして、普通の軍隊を持つという、アベ政権の考え方は、誠に危険なのだ。

 この対立の原因は両国ともにある。戦争というのは常にそうだろう。互いに相手が悪いと主張しているが、両方に対立の原因はある。というより、問題化するような問題を残しておく方が得策という考えでアベ政権は持っている。韓国政府も同じである。両国の国民はヒステリック状況にある。

 だから、平穏なときに様々な対立要素を解決しなければならないのだ。深刻化した今になってはもう解決は難しいだろう。なんとか平穏な状態に戻る方法はないものだろうか。

 背景には過去の歴史問題がある。韓国とは様々な経済分野での競争関係もある。困ったことだが簡単に収まることはないと見なければならない。でもあきらめるわけにはゆかない。

 今後重要なことは、韓国以外の近隣諸国との関係である。中国、ロシア、台湾。東南アジア諸国。こうした国が日本をどう見るかで問題は変わってくる。日頃の日本がどんな関係を構築してきたかである。アベ政権では雲行きは怪しいものだ。

 経済戦争なのだから、近隣諸国にとってどちらが経済的に有利であるかが影響してくるだろう。日本トの関係が恩恵のある国であれば、日本の仲間になるだろう。この点で韓国の外交力は全く侮れない。WHOの福島の農産物規制でも日本は敗北した。

 アベ政権の外交力は本質から外れている。世界中を訪問しているが、何をしているのかよく分からない。アベ政権は中国を仮想敵国として、わざわざ対立を深めている。このことは韓国と同様の反日感情を持つ国としての中国の動き方に影響するだろう。中国をあなどるが故の失敗である。

 アジアに起きている現実は中国を中心に動いている。それを認めるところからしか、日本の外交はない。過去の遅れた中国に捕らわれて、それができないのが、日本の保守層なのだろう。

 アベ政権がやるべき事は、ホワイト国除外を止めることだ。3品目の輸出規制で十分である。すでに日本の意思は表現がされた。これ以上やることはやり過ぎである。事を深刻化するだけで、解決を遠ざける。

 徴用工問題を国際裁判所に提訴するとアベ政権は、宣言したはずだ。これをやるべきである。そこで結論を出して貰う以外にないのだ。輸出規制で妥協を引き出そうなどと言う手法は、悪い感情を増幅させるだけだ。

 何故徴用工問題を提訴せず、輸出規制に出たかであるが、それは裁判で負ける可能性がかなりあるからだ。世界は日本の軍国主義とナチズムが連携した歴史を忘れては居ない。

 植民地化されていた韓国に同情が集まる可能性は高い。つまり、国際裁判所の判断が、どれほど公正であるかという点では危ういところもあるのだ。

 公正でないとしても、提訴すべきだ。そして裁判で負けてもいい。戦争を続けるよりよほどましだ。負けたなら金銭的負担を国がすればいい。お金の補償で済むのであれば、補償をすればいいことである。悔しいとか、馬鹿馬鹿しいというような感情論で判断しないことだ。

 と言いながらもダメだろうと思う。アベ政権はまるで太平洋戦争に向かった、軍部のように判断力がない。今は冷静に客観的判断をする以外にないのだ。


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福井 豚コレラ、全国4県目

2019-07-30 15:51:50 | 自然養鶏


 福井県で豚コレラが発症した。この問題を書くのは3回目になると思うが、予測したとおりの展開になっている。イノシシに感染が確認された以上、全国に蔓延するのは当然のことだったのだ。

 政府はなんと野生のイノシシにワクチンを接種するから、感染は防げると馬鹿げた手段に出たのだ。イノシシは移動しない動物だとそのときには分析していた。それほどイノシシの習性に無知では、対応などできるわけがない。

 国の家畜感染症対策は、病気が出たならば薬で対応すれば、何でも解決できるという科学性のない考え方だ。日本の獣医学の知見のなさを、今回の事件で見ておく必要がある。豚コレラより怖い病気が次には発症するはずだ。

 四国に獣医大学もいいが、近畿大学の農学部は家畜感染症の研究に取り組んでいた。こちらは門前払いしておいて、アベさんの盟友に許可を下ろした。こういう姿勢が感染症研究を後退させている。

 鳥インフルエンザの発生の時、何度も書いた結論を繰り返せば、大規模畜産を見直す以外に解決はない。そして、病気を受け入れて、対応することだ。現在行っている、全頭淘汰の考えは捨てなければならない。全島淘汰したところで、野生の鳥やイノシシには何の関係もない。

 問題の根源に目を向けないで、何故か末端の業者にだけ目を向けている。国民向けの演技と言うことなのだろう。本当に抑えるなら、イノシシにワクチンなど考えるわけもない。つまり、抑える方法がないのだ。

 できるというなら感染したのだから野生のイノシシを全頭淘汰しろと言いたい。鳥インフルエンザの時にも、淘汰だけで対応した。しかし、感染した野鳥は淘汰されたわけではない。渡り鳥が居るから、常に感染原因は自然界に新たに登場する。

 養鶏場や養豚場を完全に自然界から遮断するというのが、政府の希望である。しかし、そんな窓もないような環境で飼育されたものしか、食べられない社会がまともなはずがない。その結果政府の好きな大企業畜産だけが生き残ることになる。

 人間の暮らし方が間違っている。間違いで起こる病気を薬で対応できると考えるのは、人間のおごりだ。恐竜だって病気はしただろう。薬などない。絶滅するのは隕石衝突であり、病気ではない。

 暮らし方を変える以外に病気を和らげる方法ない。あくまで手当である。薬は使うべきだ。しかし、病気の原因が大規模畜産にあると言うことは忘れてはならない。

 自然界に存在する病原菌をすべてなくすことはできない。当たり前のことだ。野鳥にもイノシシにも家畜に伝染する感染症ウイルスが存在する。これを完全に遮断しようとすれば、当然限度を超えたような消毒が行われる。

 そういう自然界にないような食べ物が人間の体をむしばまないだろうか。清浄というような考え方は危ういだろう。人間の体の中には細胞以上の微生物が存在するそうだ。

 そうした微生物と共生しているのが人間である。体内の微生物には良いものも、悪いものも、関係のないものも居るはずである。そうした総合によって人間は生かされている。病原菌との関係はむやみに排除するのではなく、上手く付き合うことが必要だ。

 イノシシにワクチン接種ができると考えた人は誰なのだろう。こんなできもしない発想をして、無駄な作業を繰り返している間に感染が広がる。
 
 このワクチンは大丈夫なのか。野生動物が餌から、ワクチンを接種され、野生のイノシシすべてに、免疫ができたというような事例はない。

 こうした手段がとられた原因は、大規模畜産を守る方法が他にないからである。鳥インフルエンザの時に私の養鶏場が要求されたことは、自然界からの遮断だ。放し飼いを禁止された。禁止するなら、野鳥が自然界に居ることを禁止しろと主張した。

 結局の所自然養鶏を行うものを全拒否した。こういう政府の無知蒙昧を憎む。理想の養鶏を行おうとの研究が否定された。こんな愚かな政府は日本だけである。

 そして、江戸時代に作り上げられた、鶏文化を消滅させた。その原因が政府の無知というのだから、情けない限りだ。そして次には、瑞穂の国の伝統稲作文化を、途絶えさせようとしている。

 自然界から遮断などしないで済むように野生の鳥にワクチン接種をしたらいいと主張した。できないことである。放し飼いを禁止すると言うこと。政府が考える衛生管理が不十分だと考える小さな養鶏場は止めろと言うことである。

 一体JAS有機認証の養鶏場というものはどうなるのか。放し飼いができないのでは成立しない。私がやっていた養鶏は日本で唯一の有機養鶏であったと自負している。

 素晴らしいはずの有機養鶏が実は禁止されるというのが日本の畜産の実態なのだ。その要因は大規模畜産を守るためである。


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水彩人展、出品作3点中の2点

2019-07-29 04:28:18 | 水彩画

 今のところ、東京都美術館である水彩人本展に出そうかと考えている絵3点のうちの一枚。宮良川上流を描いた絵。絵が明るい点で気に言っている。明るいと言うことは、余り手を入れない内に自分の絵になったと言うことになる。最近では珍しいことのような気がする。それでつい現場でサインまでしてしまった。初めてのことかもしれない。

 この絵は午前中朝8時から12時までの四時間を3回重ねて描いた。家では描いていない。合計12時間も描く絵は珍しい事だったかもしれない。と言ってほとんど手が入っていないと言うことは、描いていると言っても、なにもしていない時間が多かったのだろう。

 石垣島に来た最初の挨拶のような感じがする絵だ。やっと始まった気がしている。自分やっていた姑息とも言える絵作り知識を、捨てることに苦労した。自分の目だけに戻ることに、大分かかった。

 頭では考えないで、目にしたがって描いて、自分にたどり着く。これが目標である。

 宮良川の上流方向を見ている。この先に於茂登岳がある。於茂登岳の麓付近には素晴らしい田んぼが広がっている。このあたりを歩いていると、島に居るような気がしない。結構深い山の感じがある。すぐにも描きたいのだが、今水がなくて刈り取られたままになっている。

 サイズは中盤全紙。紙は古いファブリアーノ手漉き紙。発色がさすがに良い。絵の具はニュートンとシュミンケ。シュミンケのカドレモンのような色が、緑を美しく発色させる。

 緑の表現が少し分かってきた。何しろ石垣の景色は緑だけなのだから、緑を多様に使えないとどうにもならない。緑や黄色を薄く重ねて発色させる手間取るが良い色になる方法が少し分かってきた。

 水彩画は極めて技術的なものだと改めて思う。自分の目が見ているものを手の方が自由になんとかしてくれないと描くことができない。この点では明らかに最近に分かってきたことが多くある。

 それは石垣島の色彩や空気感、そして動き。こういうものにやっと反応できてきたと言うこともある。新しい場所を描くためには、新しい手が必要なのだろう。
 

 これは名蔵アンパルである。出品するもう1枚の絵。名蔵の集落はこの絵の右側である。この絵を見て貰って、名蔵湾と言ってもそこに住まわれている人が違うと言うくらいだ。それでいいのだが。

 いつも描くウラント農道の一番奥から描いた絵だ。今も又次の絵を描いている。まだまだ描きたい気持ちがつきない場所だ。一生描いていているような気がする。描き終わるようなことはないぐらい面白い。

 30号の絵だ。違うサイズを描いた方がいいと言うことを水彩人の批評会で言われたのが、頭に残っていていつもよりは少し大きい絵を描いた。

 大きい絵を描く必要は自分にない。しかし、サイズと表現というものは大切だと思う。私にとっての大画面は30号。小画面は名刺サイズ。

 世間での大きな絵というのは、展覧会のための絵の場合がほとんどであろう。展覧会というものが社会に対する表現手段として機能していないのだから、大きな絵が無意味だと考えるようになった。

 では何故水彩人をやっているのかと言えば、水彩人が研究会だからだ。水彩人は発表のためと言うより、自分たちの水彩画の研究のためにできた集まりだ。それは公募展になった今も変わらない。人に見て貰うと言うことも、研究発表のようなものだ。

 実は2枚の30号の絵は額装してある。小田原でいつもお願いする、アートポエムさんに額装をして貰った。石垣で額装しようとはしたのだが、額装は簡単ではなさそうである。2枚は一応小田原に確保してある絵だ。すぐにでも出品できるようにしてある。

 紙はファブリアーノのロール紙。のこぎりで半分に切り、石垣に送った。長いままだと、ユーパックでは送れないのだ。半分に切ればユーパックで2000円くらいで送ることができた。それを適当なサイズに切ったら、30号だった。

 30号のこの絵ならば、車のなかで描くことができる。車の中でなければどうにもならないのだから、これ以上の大きさは無理だ。何しろいつ雨が降るか分からないのが石垣である。

 絵を出品する状況が石垣と小田原とで不安定なので、今回早く準備を整えた。絵を展覧会に出す手順がまだ安定しない。額装して送ると言うことが、困難。

 巻いた絵を送ることは簡単にできるから、送った絵を小田原で額装して出品するのが一番良いようだ。巻いたものならば、手に持って飛行機でゆくこともできる。

 実際に出品すると言うこととは別に写真取りをしなくてはならない。絵はがきを作るので、早めに写真を撮らないとならない。どうなるか分からないので、額装したまま、写真取りをしておいた。

 写真の期限は8月20日になる。北海道の金田さんが担当である。今のところ宮良川上流部の絵の写真を送るつもりだ。


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外国人労働者、食料自給、専守防衛

2019-07-28 04:29:07 | Peace Cafe


 日本は外交やエネルギー政策、そして安全保障において、方角を見いだせないで居る。理由はアベ政権が徹底して目先を言いつのる政権だからだ。どれほど日本の未来に影響する重要な案件であっても、目先のこと以外は議論しないでいる。

 感情論に終始すると言ってもいい。大所高所というようなところがまるでない。今すぐの利害だけである。アベ政権の旗印である。憲法改定ですら、自衛官の子供がかわいそうだから等という言い方になる。従軍慰安婦問題も海外で暮らす日本の駐在員の子供たちがかわいそうだからが理由だった。

 アベ政権に方向がないわけではない。あるけど隠して進めようとしているから、国の未来については語らないようにしている。方向を見せれば反感を買うだろうと考えているのだ。静かに明治政府を再現しようとしている。自民党憲法のひどい改悪を見れば一目瞭然である。

 困ったことに本質から問題をずらす政治手法が成功している。国民自体が目先のことしか見ようとしなくなった。日本の未来のことなど、口にする人は滅多に居ない。韓国に反日的態度が強まると、それをどのように利用するかの方が政権の主たる発想になる。巧みにすべての案件が明治回帰に利用される。

 国際紛争を平和的に解決しよう等とは少しも考えない。中国が覇権主義を強めている。少数民族の弾圧もある。どうすればその動向を自分たちの保身に利用できないかとまずは考える。政治家渡世の世渡り術が巧みなのだ。自分の損得を超えて、国のために政治を行うと言うような、国のため意識は全くない。

 国家主義的なうわべの人にはそういう本音を隠す人が多い。国のためを保身の理由に使うのだ。今やアベ政権の憲法改定だって、四選を目指す自己保身の看板に過ぎなくなっている。議論しましょうと呼びかけながら、実際には議論できる土台を外している。

 話にすぐ乗るのはさすがの国民党だ。国民党の人は自民党に入れて貰いたいが、入れてもらえなかった人たちなのだから当然のことだろう。入党試験に落ちた人の2次募集と言えばいいのか。国民党が憲法議論に入る前提には、憲法裁判所はあるのだろうか。それとも党利党略だけなのか。

 NHKは憲法の時間を毎日30分設けて、憲法の解説や問題点を取り上げたらいい。それが国民的議論の基礎になる。アベ政権の看板政策なのだから、そのくらいやったっていいはずだ。本気で研究すれば、どれほど日本国憲法が理想のある素晴らしいものであるかが理解されてゆくことになる。

 大学の時に憲法の講義を受けたことがある。日本国憲法に感銘を受けた。世界一の憲法だと言える。今度沖縄の参議院議員になった高良さんは琉球大学の憲法学者である。憲法に従って、国が運営されるようにアベ政権に進言して貰いたいものだ。

 岩屋防衛大臣によると、沖縄には沖縄の民主主義があり、アベ政権にはアベ政権の民主主義があるそうだから、是非ともこのあたりから議論して貰おうじゃないか。憲法はそんな2枚舌を許しては居ない。

 今現在の政治的課題は「外国人労働者、食料自給、専守防衛」である。日本の方角が定まらなければ、憲法議論の基盤が定まらない。資本主義の行き過ぎた競争主義がこのままでは、国家を破壊してしまう。強い国の横暴が許されるような世界で良いわけがない。

 外国人労働者を受け入れることで、大きく日本は変化するだろう。現状の外国人労働者のひどい労働環境を無視してはならない。アメリカのような国になるのかもしれない。こうした国のあり方変化を、目先の労働力不足で仕方がないでは良くない。自分の暮らしにとってどう影響するかをそれぞれが考えるべきだ。

 食糧自給は現在40%を下回ったままである。政府の方針は口先だけで一向に自給率は上がらない。これは国の安全保障にかかわる問題である。世界の人口増加と世界の耕作地の減少を考えれば、どうすれば食糧生産が増加できるかを考える必要がある。この問題は先送りにしている間に、解決できない問題になろうとしている。

 専守防衛の研究をしなければならない。アメリカは信頼に足る同盟国とは言えなくなっている。同盟国と言いながらも、アメリカの利益にならないなら切り捨てると主張している。日本の安全保障をどうするのか。私は専守防衛を徹底することだと考えている。そして日本の平和主義を世界に主張してゆく。弱い国が尊厳を保てる世界を目指すべきだ。

 軍事力の弱い国である日本が強い国に仲間入りする必要はない。弱い国が差別されない正しい世界を、日本は目指すべきだろう。高い文化の国。自由で平等の国。一人一人の暮らしが大切にされる国。日本がその見本にならなければならない。

 
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石垣島石垣字会:豊年祭の開催

2019-07-27 04:50:18 | 石垣島
 石垣島の豊年祭に参加させて貰った。鳥居に横断幕が面白い。奥に高く見えるのぼりが二つ。こののぼりを立てると言うことが、豊年祭では大切なことのようだ。建てる人は地域において名誉なこととされている。
 石垣中学の生徒の踊り。「ションカネーと川良山節」これは後半の余興の中で行われた。前半が奉納部門、後半が余興となる。演奏も中学生が行った。これが専門家がやっているのかと思ったほどの完成度の踊りと唄と三線。8月23日には富山で開催される、全国中学生文化祭に出演とのこと。さすがである。


 獅子舞は独特である。動きが生きた獣をまねていて、迫力がある。泣き出す子供が居るような獅子舞である。この獅子舞を演ずる劇団が沖縄本島にはあり、相当に洗練されているらしい。石垣の獅子舞もなかなかの強者であった。
一曲目が終わり戻る中学生。
メンバーが替わり、もう一度行われた。違う踊りをメンバーが替わり行われた。多分、舞台が狭いから、急遽とられた方法であろう。広い舞台でなら、さぞ見栄えがするはずだ。遠征の費用の募金があった。是非出したいと思ったのだが、どうすれば募金できるのかが分からなかった。

 これは小学校六年生のブラスバンド隊。これもなかなか良かった。秦野演舞と太鼓の演奏。ピアニカで合奏をした。

 このほか幼稚園と保育園が出演した。これも良くできていて驚くべきものだった。なるほど音楽の島は斯うして生まれるのかと納得した。

 婦人会の踊り。手に旗を持って踊る。巻き踊りと言うらしい。明治初年にできたものらしい。これを唄う人の声が又良い。

 青年団がのぼりの奉納をする。のぼりを道路で立てるところ。長い幟なので、車道で建てて、鳥居の脇を抜けて社殿の前までゆく。青空を背景にして美しいものだ。奉納する人たちの意匠が又良い。

 のぼりの頭が今年一つ新調された。88歳のお祝いに寄贈されたのだそうだ。88歳に寄贈する事を呼びかけていた。私ももし88歳になれたら、是非奉納させて貰いたいが、よそ者が奉納などはできないのだろう。18年の間によそ者でなくなるだろうか。

 余興の最初には鷲鳥節が踊られた。ゆったりして良い踊りだった。衣装が又素晴らしい。短い紅型の着物に、白い袴なのだろうか。扇の緩やかな動きが、カンムリワシの姿を現しているのだろうか。


ここからは2日目の石垣中学のそばの真婆御嶽で行われた豊年祭の写真。

 豊年祭の様子は昔とほとんど変わっていないそうだ。小学校田で作られた稲が奉納される。優秀だった農業者が表彰される。サトウキビと稲作と肉牛である。農業の豊作を祝う本来の祭りである。こうした祭りはもう小田原では失われている。



 午前中には神聖なウタキで司の神事が執り行われ、午後はその前の拝殿に司が3人座っている。そこに対してイネが奉納され、幟が立てられる。そして芸能の奉納である。奉納の芸能は地面で行われる。すべてが行事が終わり、その後は余興の芸能が舞台の上で行われる。


荒川村ののぼり。唄期の前の鳥居に結わかれ建てられる。幟は竹ででき来ている。こんなに大きな竹は見たことがないが、石垣にもこういう竹はあるのだろうか。


これは大川の幟。

字石垣の幟が五風十雨と押風黄金どちらも北条を願うと言うこと。各公民館の幟があつまる。


全員が本気で祭りをやっている。暑さの盛りにみんな真剣である。
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吉本興業とジャニーズ事務所

2019-07-26 04:25:34 | Peace Cafe

 吉本興業とジャニーズ事務所が世間を騒がせている。アイドルとお笑い。まさにテレビの問題。テレビはすでに政権を忖度して、持ちつ持たれつでできあがっている。テレビには報道という側面は失われた。変わって登場したインターネットの方が正しく伝えられている。インターネットが管理されるようになれば、独裁国である。

 芸能の持つ批判精神はテレビでは消えた。テレビでは選挙が終わり、急に政策のことを放映している。選挙前にやるべき事をやらずに、吉本やら、ジャニーズで何故騒いでいたのか。アベ政権の望んだ低投票率を導いた功績はテレビにある。テレビ局経営者は今頃、アベと祝いの会食であろう。

 自民党はテレビ報道に正式に圧力を掛けている。スポンサー企業に対して、政権批判をする番組には圧力を掛けろと表明している。そして、テレビ局は静かに忖度をしている。静かにとは、政権批判を味付けに加える。自由に報道しているがごとくに見せながら、政権を巧みに忖度する手法。テレビができたときに、一億総はくちと言われたのは当たっていた。

 アベ政権を支えているのはテレビが一番なのだろう。どんな形で影響するかと言えば、一見与党に苦言を呈しているかのごとく見せる。ところが、決定的な批判が起こる前で他の目立つものに興味を移行させる。忘れさせ、与党でなければ仕方がないよね。疲れたような空気を形成している。

 テレビが与党を支えていると言っても大半の視聴者には、そんなことないよ。ということになるのだろう。世論の動かし方が実に巧みなのだ。電通的ビックデーターの運用。

 直接的にアベ政権を持ち上げるような言動も少ない。ところが、周囲から真綿で首を絞めるような形で、圧力を掛ける。その番組を降ろす事もできますよと言う、見えない力が働いている。その辺を上手く渡ることができない人間は、徐々に表舞台から消える。

 ジャニーズ事務所を止めたスナップの3人が、いつの間にかテレビには出なくなる。これを公正取引委員会が注意喚起した。さすがに人気のある3人なので、テレビに出ないのは確かにおかしいと言うことは誰にでも分かることだ。

 ジャニーズ事務所としては、タレントは長年経費を掛けて育てた人材である。気に入らないから止めたなら、新しい人材で穴埋めしなければ、採算が合わないと考えるのだろう。だから、会社の他のタレントを使ってください。止めた人間はもういいでしょうと頼むのは普通であろう。無理に使うなら、内の人気者はお宅には出させませんよ。こういう話し合いは普通にあるだろう。

 これをいけないと言うより、テレビは普通にそうしてできていると言うことを知った方がいい。テレビは公正なものでは始めからない。公正に見せかけているところが怖いのだ。静かな独裁の手段がテレビと考えた方がいい。

 吉本興業の芸人が反社会性力の宴会に、無断で出演し100万円を貰っていた。許されるわけがない。しかし、興行主ってそういう類のものでもある。吉本興業がアベさんを舞台に上げた方の理由の方が私には怖い。お笑いの会社が企業になっているのだ。芸能の持つ反権力はどこにもない。

 お笑いが権力におもねるようにな国は独裁国家である。真綿首の独裁国だ。庶民が変わったのだ。アベさんを舞台乗せるような、立派な忖度会社のお笑いをありがたがり、笑い転げる。自分の意見を述べているかのようなお笑いタレントも、実は手のひらの孫悟空なのだ。

 先日の石垣島での音楽イベントの司会は吉本興業所属であった。どんなつながりがあってこういうことになるのかは分からないが、日本津々浦々大手興業会社が大手を振るっているのだ。
 
 吉本興業とジャニーズ事務所が世間を騒がせている。アイドルとお笑い。まさにテレビの問題。テレビはすでに政権を忖度してできあがっている。報道という本来の批判精神は、たまに現れてびっくりする状態。

 そんなことたいしたことじゃないだろう。こういう感覚が蔓延している。吉本問題も、ジャニーズ問題もすぐ世間は忘れるに違いない。アベ記念小学校事件すら消えた。トランプの日米安保の見直し発言も取り上げようとしない。何もかも消しゴムのように消してしまう、無神経社会。誰かが意図的にそうしているのだろうか。

 今目先のことで騒がしいのは日韓経済紛争である。これは何故こんなに騒がしいのか。何かを目立たなくするために、煙を立てていると見ている。参議院選挙で反韓国意識を利用した。

 選挙後のアベ氏は得意げに憲法問題を野党も議論して貰いたいと主張している。私には議論を避けているのはアベ氏自身としか思えない。韓国問題はたぶん憲法改正問題の煙幕にも使われるのだろう。これから、数年間は時々煙が濃く出るだろう。

 憲法は感情的に議論するようなものではない。国の方向を決めることがまず大前提である。そして、憲法は政権に対して、国の運営方法を決めたものだという、根本を確認することだ。

 憲法を正面から議論するのであれば、2つの前提がある。ひとつはアメリカとの軍事同盟の問題。もう一つが憲法裁判所のことである。アメリカとの軍事同盟を離れて、日本国憲法はどうなるのか。もう一つが、憲法が政権によって拡大解釈されるなら、憲法をどのように変えようとも有効ではない。どうやって憲法を有効なものにするのかが議論されなければならない。

 
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石垣島の農業

2019-07-25 04:48:39 | 石垣島
 石垣島の農業の良さは地産地消という事だろう。そこで出来たものをそこで暮らしている人が食べる、こんな基本的な大切なことが普通に成立している。こういう場所は少ない。島という条件がこんな素晴らしいことを成立させている。

 もちろん農産物は島外にも出荷はされている。しかし、島の耕地面積と暮らす人の数がある程度バランスが取れている。 お米の生産量と消費量はかけ離れてはいない。スーパーに行くと様々なお米が売られてはいるから、入る分は出ていってはいるのだろう。

 石垣島での農業は生産高で言うと、一番が牛(黒毛和牛)の取引高は40億円、昔は子牛の生産が中心。最近は親にまで育て、島内に肉にして石垣牛や岬牛として販売されている。

 サトウキビ16億円、サトウキビは天候にかなり影響を受ける作物だ。大きな工場が名蔵にあり、ここに島中からサトウキビが運ばれてゆく。サトウキビは年に6回畑に行けばいいから、楽さ。という事だった。大型機械が使われ、大型トラックが島を走り回っている。

 葉タバコ10億円、米4億円、パイン3億円などとある。お米が少し寂しい。現在はサトウキビ畑に今成っているところも昔は田んぼだったところが多い。戦中ぐらいの航空写真を見ると、かなり田んぼが広がっていたことがわかる。

 そのほか野菜もかなり作られている。自家用というだけでなく、直売や加工などされて、野菜として統計に出てこないのではないかと思われる。農協の市場には島で作られた野菜が溢れるように並んでいる。私はほぼ地元野菜を食べている。

 果樹はパインは確かに多いのだが、マンゴーや島バナナもかなり出ている。パッションフルーツ、ドランゴンフルーツ、そのほか初めて見る果物もかなり出ている。果物はお土産は、島から親戚への贈答として使われることが多いのではないか。宅急便の旗が島中に立っている。観光客は立ち寄って、果樹の生産農家にお願いすれば、すぐに送ってくれる。

 全体に衰退しているというより、農業は活性化しているような印象がある。その原動力は観光が盛んになり、島内での消費量の増加だろう。石垣牛は島内消費が多いいと新聞にあった。確かに日常食べるには高い肉だ。しかし、観光客なら食べてくれる。アグ―豚の生産もある。豚にはサトウキビの搾りかすを餌に使うというようなこともあるらしい。

 何といっても田んぼの継続が大事ではないだろうか。島には豊年祭というものがある。これは祭りが大切な島の行事のなかでも、最も大切なもので、お米の収穫を祝うお祭りである。お米が島の人の暮らしを支えてきた。

 お米を作るという事に伴い、島の暮らしが生まれたのではないだろうか。石垣島には他所の島から来た人がとても多い。他所から来て、多良間田んぼなどは多良間島から出作りで作られていたらしい。

 そのほか、パラピドーは宮古、西表、多良間から来て開墾したと石碑が立っていた。白保地区も他の島から来た人が開墾したという地域がある。名蔵の山の方には、台湾から来た人たちが、開墾して作った地域もある。

 様々な人がやってきたとしても、水というものは限られた、貴重なものだ。これを大切に分け合い使うというところに、その地域の暮らしが生まれる。これが日本人というものを作ったと考えている。

 今は大きなダムが5つできて、水には困らなくなっているが、田んぼというものを通して、暮らしが生まれたことを忘れてはならないのではないだろうか。学校田というものが、石垣にはないそうだ。もし始めるなら、協力したいと考えている。


 さとうきびパインアップル水稲野菜
 面積   (ha)10a当り 収量(kg)生産量  (t)面積   (ha)10a当り   収量(kg)生産量     (t)面積   (ha)10a当り    収量(kg)生産量  (t)面積   (ha)生産量  (t)
石垣市1,31914,44267,8631152,0242,3284742991,3001021,130

 総面積       (ha)耕地面積  (ha)耕地の内訳 (ha)世帯数総人口農家戸数一戸平均耕地面積(ha)
水田畑 (畑、樹園地、牧草地)全体専業第1種兼業第2種兼業
石垣市

22,9005,400 325 5,080 22,152 47,873 9653992523145.6 
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石垣島野外音楽フェスティバル「リバーブ・フェスト」

2019-07-24 04:59:12 | 楽器


 石垣島で若い人たちを含めた野外音楽フェスティバルがあった。400人が集まった。よく分からないままに、石垣の音楽は面白そうなので出かけてみた。舟倉の里の野外ステージである。

 このフェスティバルはクラウドファンディングでお金を集めて、開催されたものである。このあたりの事情は会場では全く分からなかった。142万円が集まったそうだ。12回目だそうだが、3年ぶりらしい。舟倉の野外ステージでやったのは初めてのことらしい。表示がないので、主催者も運営も分からなかった。

 舟倉というのは、石垣の料理を食べさせるお店だ。古民家が8軒集められている。海岸まですぐの場所である。大きな古民家が舟倉だったと言うことだろう。ソーキそばも美味しいが、高い。それで私の八重山そばベスト3には入っていない。

 野外だから雨と晴天両方が怖かったことだろう。幸い最適の曇り日であった。入場券は3000円だった。全体の作りが学園祭的であったが、その手作り感の良さの方が上手く出ていた。野村組が設営したと何度も司会者が紹介していたのは、ボランティア的な仕事だと言うことだろうか。希望を言えば、全体が分かるような説明がどこかに欲しかった。いろいろ分かったのは家に戻って調べてからだ。

 出演者は12組。プロと高校生が、入り交じって出てくる。このことすら分からなかった。今思えば高校生が面白かった。荒削りではあるが、個性はむしろ強い。プロという人たちはいかにもという意味で上手であるが当たり前であった。今時の高校生とは到底思えない、破天荒なところが良かった。こういうやり方にすれば、プロと言われる人がよほどでなければ、高校生に負けるものかもしれない。

 高校一年生の4人組のロックバンドはド迫力だった。声もでかいし、完全に異次元に入り込んでいる。音楽が心に迫りくる。すべてオリジナル曲で、パフォーマンスした。中でも畑のロックは良かった。オクラ一本30円、10本なら200円。こんなことを叫ぶのだ。何か人ごとではなこれがロックだ。こんな歌を叫べる16歳の感性が素晴らしい。

 石垣島には健全な音楽文化がある。都会でプロになるなどくだらないと考えた方はどうでもいいだろう。良いものはどこに居ようが良いものだ。表現の方法はいくらでも広がる時代である。じいさんのロックンローラーが音楽業界に囲い込まれているよりも、遙かに健全だ。音楽は商業主義を超えなければ面白くない。プロの女性ラッパーの移住者を力説する姿は私には自戒になった。プロって自称しても人間はあんなもんだ。結局人間を聞きに行くのだ。

 会場の隅の方にちょこなんと座って、ビギンの比嘉栄昇さんがいた。反対正面に居たので、気づいた。みんなの態度が全く気づいていないと言う態度であったのがいい。気づいているのだが、石垣的気の使い方である。これが石垣島の良さである。

 吉本興業から来たという司会者が、夏川りみさんの唄と言って「涙そうそう」を紹介していた。作曲した比嘉さんの前で無神経ではないか。と思ったが、夏川りみさんも高校の先輩だからまあいいか。

 涙そうそうを唄った高校二年生の4人組の歌のうまさには驚いた。しゃべるように唄うと言うことが身についている。これができそうでできないものなのだ。その人自身の唄であること以外に大事なことはない。高校生がしゃべるままに唄えると言うことは、天賦の才なのか、八重山民謡をやっているのだろうか。

 石垣に戻り、毎日唄うようにしている。「月桃」を自分のものにしたいと思っている。いまがやっと歌詞を覚えたぐらいのところである。2ヶ月唄ってそんなものだ。しゃべるままに唄えるようになりたいと努力している。努力はしているが、上手く唄うの方が強くなる。

 三線はまだ良い音で鳴らせない。月桃の間奏に三線で弾きたい。三線の音だけで伝わるように引きたいと努力しているが、ほど遠い。力が入りすぎるのか、左手の小指が痛くなる。

 伝えたいのは平和の空気である。月桃の唄で言えば、「ふるさとのなつ」で平和への想いを表現すると言うことになる。月桃の花が、世界である。人間の悲しい愚かさを唄う。

 でん田楽団の唄「平和のキキュウ」も練習している。もう一息である。赤松さんの自然な歌い方をまねているのだが。なかなかできない。赤松さんが詩を書いたら歌を作ってくれるというので、田んぼの唄を作詞している。これもなかなかできない。
 
 
 
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参議院選挙結果を踏まえて、国の方向を議論して貰いたい。

2019-07-23 04:12:52 | Peace Cafe


 参議院選挙は自民党が支持が一番多かった。多かったが憲法改定に進むだけの得票を得ることはなかった。自民党の得票率は35,4%であった。公明党が13,1%。維新が9,8%。今後政権を支持する公明の13,1%の意味が大きくなるはずだ。

 石垣市の比例区の投票結果は、自民党4046票、公明党3584票、社民2154票、共産1737票、れいわ1631票、立憲民主1331票、国民党783票、維新587票、であった。

 投票率が50%を下回った。自民党は支持されていると言っても、有権者の15%ぐらいが投票したに過ぎない。石垣市の投票率は45,48%だった。政治への関心の低下が深刻である。50%を下回った選挙はやり直しにしたら方がいい。この解決はネット投票への移行ではないか。

 沖縄選挙区のオール沖縄候補の高良鉄美の石垣市における得票は8、189票。自民党候補の安里氏が8,668票。公明党票の400票は自民党安里氏に入れていないと言うことだ。一割ぐらいの反発が見られる。

 個人的には残念な結果であるが、この票は自衛隊基地反対の民意をある程度表していると思う。石垣にある公明投票と公明党支持者の得票率の高さを考えると、確信的な自民党票というものはせいぜい4000票にすぎない。自衛隊賛否の住民投票を拒否する市長の本音が見える。

 自民党は参議院での単独過半数を割り込んだ。これで民主主義の危機はかろうじて先延ばしになった。そして低投票率で議席を伸ばした公明党が今後与党内での存在の意味を増したと言うことだろう。公明党の自民党の声を聞く力が、忖度力として、アベ政権にさらに影響するのだろう。

 悪いことの中でもかすかな希望は、改憲勢力が、3分の2の議席を占めることができなかったことだ。公明党はそもそも9条改定には積極的ではなかった。そこで、アベ政権は改憲賛成の国民党を取り込もうと言うことになってゆくほかないが、自民党議員の多くは公明党票がなければ当選できない人だ。国民党とは全く意味が違う。現実的には憲法改定の発議はかなり困難になったと見ていいのだろう。

 自民党は改憲議論を避けている。野党が憲法論議を避けているわけではない。憲法における議論に入るためには議論すべき内容を明確にしなければならない。例えば、憲法裁判所を議論すべきである。内閣法制局の人事で政府の意向が反映する仕組みにしたのがアベ政権だ。

 憲法の議論とする前提として日本という国をどういう国にするかと言うことが議論されなければ、議論は不可能である。日米安全保障条約はアメリカから疑念が出されている。独立国としての国の安全保障をどのように考えるかを、緊急的に議論をぜひにして貰いたい。それが憲法の議論である。

 すでに、韓国とは経済戦争に入っている。現代の戦争は武力と言うより、経済戦が長期化する。まず経済戦に備えると言うことが安心の暮らしである。韓国が半導体材料を日本に依存していたと言うことは、日本の言い分を押し付けられると言うことになる。韓国の安全保障体制が弱かったと言うことだろう。

 現代の戦争は武力的にどちらが強いという以前に、経済の自立度が重要になる。日本は目先の経済ばかりが優先され、重要なものまで海外依存になっている。エネルギーは94%、食料の60%が海外依存。こんな自給率の国では、到底戦争のできない国になっている。

 中国のとの戦争も突然の武力衝突ではない。経済戦争から始まる。次の安全保障はまず、領土問題の解決である。維新除名の丸山議員のように、戦争しなければ領土は戻らないと考える議員すら存在する。この考え方によればロシアより軍事力の弱い日本は領土をあきらめなければならないと言うことだろう。

 ロシアが日本との領土問題に応じているのは、日本の経済力に期待するからである。中国も同様だ。尖閣諸島を領有したからと言って、経済的メリットなど微々たるものだ。むしろ経済的負担が増加する。人口減少の日本では離島は無人島になる流れである。

 国土が大切であるなら、消えてゆく地方をどのように維持するかの方が、はるかに重要である。経済合理性と暮らすことに厳しい地域をどのように国全体が支援するのか考える必要がある。

 日本が独立国として一番やらなければならない安全保障は、自給できる国作りである。できる限りのものを自給する。輸入しなければ暮らせないような国では、安心して暮らせない。食糧自給可能な農地はある。エネルギー自給のための循環型エネルギーの開発をすべきだ。

 国の方向が定まれば、憲法をどうするかという議論が初めてできる場が生まれる。このことを抜きに中国の脅威をわざわざ強めての議論では、稚拙な目先の議論に陥るばかりである。憲法は感情論で議論してはならない。

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「移民 棄民 遺民」安田峰俊著

2019-07-22 04:36:03 | 


 国と人間の関係を考えるときに、移民、棄民のことを考えることはとても重要だと思う。日本では外国人労働者を受け入れている。その労働環境には問題がある。日本人の大半の人が知っていることである。問題があるが、労働力不足が深刻と言うことで、問題は曖昧に見ないことにされている。

 国とはどういうものなのだろうか。明治大正昭和と帝国主義の富国強兵政策で人口増加が政策された。しかし、農村の疲弊は農地の不足になり、移民、棄民が行われる。この時代の農村部の貧困は江戸時代よりひどいものであった。それをごまかすために、江戸時代の飢饉が宣伝されるが、それは異常気象による飢饉で、明治以降の農村の貧困は軍事費の増加による。

 親戚にアメリカのサクラメントに移民した人が居る。その人が昭和35年頃に日本に里帰りしてきた。話だけだった移民した人と言うことが現実になった。北朝鮮に戻った友人がいた。東京の松陰神社にあった靴屋さん家族である。三宿の朝鮮学校に通っていた。昭和40年頃だから、最後の帰還事業の時だったかと思う。

 子供の頃の藤垈には満蒙開拓に行った家族があった。子供を連れて大変な思いをして逃げ帰った話を聞いた。樺太から引き上げて三軒茶屋で鞄屋さんをしていたSさん家族とは今でも連絡がある。国策に翻弄される人間の暮らし。

 国と言う暴虐は、一人で歩き出し、国民というもの食い尽くす。国家というものは本来国民の安寧な暮らしのためにあるものである。ところが、お国のためと言う錦の御旗を建てて、国民をむさぼり食うときがある。

 「移民 棄民 遺民」ではベトナム難民のこと。ウイグル弾圧のこと。台湾という、所属の定まらない国のこと。等がルポルタージュ的に取り上げられている。大体の内容は考えていた範囲のことである。どこにも行ったことはないが、想像していたことと違いはない。

 ウイルグル難民のこと、中国政府の過酷な弾圧のこと。そして、日本の右翼勢力のウイルグル問題利用。このブログにもウイルグル問題を取り上げろ。と言うコメントが繰り返されている。アベ氏の仲間達がやっていることだ。この著者はこのことに関連して訴えられたが、裁判で勝訴している。

 ウイグル問題の政治利用によって、ウイグル難民が翻弄されている現実。中国との敵対関係をことさらに強調したい勢力が日本には生き残っている。中国のことをシナと呼ぶような人たちである。

 中国の脅威を強調すれば、日本の再軍備が可能になると考えているからである。日本を、明治の日本帝国に戻したい人たちがいるのだ。そのためには、中国は極悪非道な独裁国家でなければならない。悪意の計画でその拡張主義と弾圧政策を強調しようとする。

 そういう人たちが不思議にアメリカの一国主義を批判しない。批判しないどころか、お友達であることを自慢げに吹聴している。尖閣諸島を東京都が購入すると石原慎太郎が記者会見したのもアメリカである。

 正義のアメリカとは今や言えないだろう。はっきりとアメリカさえ良ければいいと主張しているのだ。このアメリカ桃太郎に従うキジか、猿か、犬なのか。中国批判も正しい。それなら、アメリカ批判もしなければならない。アメリカは現状日本の宗主国である。日本は本質としてはアメリカから独立はしていない。

 アベ政権が辺野古米軍基地を強行するのは、日米安保条約に日本はアメリカは自由にどこでも基地を提供する。その代わり日本が攻められたときには守ってくれる。とあるからだ。

 国とは一体何なのだろうか。鵺のように増殖し一人で歩き出す。国というものを自分の野望に都合良いときに持ち出す。そして人間を踏みにじる。一人の人間というものは、国とは別の存在である。一人が幸せであることが、最も大切なはずである。

 カンボジアの人たちと、フランスのナンシーで知り合った。フランスにはベトナム人、カンボジア人は多く居た。フランス語がしゃべれる人が多かった。カンボジア人にはポルポト政権から戻ってくるように、戻れば政府で優遇すると言われていると言っていた。本気で戻ってはならないと引き留めた。その後一気にカンボジア難民が急増した。

 ベトナム難民は北朝鮮政府からの難民なのだ。カンボジアで起きたことと同じ事が、勝利した北ベトナム政府によって起こされたのだ。

 日本は危ういところに立つ。アジアの一国であることを忘れて、アメリカの虎の威を借りる存在になっている。この国のゆがみが日本人の暮らしにまで、今後及ぶと思われる。

 国家主義とは。ナショナリズムとは。一人の個人の観点からもう一度考えてみたい。

 
 
 
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石垣島絵画生活再開

2019-07-21 04:07:03 | 水彩画

 石垣で絵を描く暮らしを再開した。石垣に来たら絵を描く。それだけである。再開するときには少し緊張する。自分がどういう絵を描くのだろうかと思う。絵を描くときにはなにを描くかと言うことは決まっているのだが、どのように描くのかと言うことは、全くない。

 見ているものを画面で表現する。それだけである。それが絵であるとも思えないし。もちろん良い絵だというようなことは全くないのだが、ともかく自分が見ているものの中に、何かあると考えている。描きたい風景と向かい合い、描いてゆく。

 いい絵とか、絵らしいと言うようなことはもうどうでもいいことになった。先日、絵を語る会で疋田さんから、昔の絵の方が好きだと言われた。これはよく言われる。それは当然のことで、絵画志向の人には、いわゆる絵らしいと言う意味では、絵らしく描いていた昔の絵の方がましに見えるかもしれない。

 今の私には絵らしくしようなどと言う基準は捨てなければならない物になっている。そうしなければ自分の絵に近づけない。絵らしいと言うような価値観は、自分の世界には関係がない。絵らしいより、自分らしいである。自分がこの絵を描いた人間であると思われて、大丈夫かである。

 笹村という人間を知らない人が絵を見て、これを描いた人を想像して、ほぼ私のような人間を思い描ければいいと思っている。だから何なのかと言われれば、それが私絵画だと言うしかない。

 絵画は表現芸術としての意味は失っている。社会的な意味として残っているのは商品絵画と言うことだろう。もちろん商品絵画が悪いというのではない。商品絵画が表現芸術としても存在した時代もある。中川一政や須田克太などその最後の人だったのだと思う。

 平成以降は絵画芸術が失われた時代である。そもそも絵画評論というものが成立していない。商品絵画の宣伝文のようなものを絵画評論と勘違いしている人たちはいる。昭和の時代にはこれから値上がりする絵画というような雑誌すらあった。さすがに今はそれもない。

 自分の絵を描くことで、自分というものに至る。私絵画においては一番重要なことだ。描く自分というものが、人間存在としてくっきりしていなければ、つまらない人間の絵などくずである。私という人間がどれほど真剣に絵と向かい合っているかにつきる。

 そしてその向かい合い方が、打算とか、名誉とか、そういうものから離れているか。これは個人的な気持ちである。素晴らしい人間というものは居るものだ。そういう人から学んだことである。自分は到底及ばないが、くだらないインチキの自分の実態に踏み入ってゆくことはできる。

 せめて、嘘ではなくダメな自分がそのままのダメさを含めて絵になるようでありたい。この欲が乞食禅そのものである。しかし、乞食禅なら乞食禅らしく、やるほかないと。今のところ思っている。

 石垣で再開した絵は、前とは少し違っていた。何なのか分からないが、又違っている。違っていようがおんなじであろうが、自分の絵になるまで頑張るほかない。一枚の絵は粘り強く描いていると、最後には行き着くところがある。不思議なのだが、ダメという絵はない。

 やればやるほど、自分に近づく試行錯誤法は見つかってきたようだ。これが出発点に立ったと言うことだと思う。だから、あきらめて途中で終わる絵はなくなった。しかし、最後まで描いた絵があるかと言えば、最後まで描けた絵もない。いつももう一息で自分が描いたと責任の持てる絵になるのにと言うあたりである。

 9月17日までの2ヶ月間石垣に居る。どこまで進めるかは分からないが、大事なところに来ている感じはしている。いつも絵らしい絵を描く自分に戻ろうとする力が働く。これさえ押さえられれば、少し自分の絵に近づけるだろう。前回描いているときに、どうもスタートラインには着いた気がしたのだ。方向を間違えずに進めるかである。




 
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参議院選挙で民主主義は終わりになるのか。

2019-07-20 04:48:27 | Peace Cafe



 参議院選挙では与党が3分の2を獲得すると言われている。残念ながらそんな気もする。何しろ若者ほどアベ支持なのだ。これでは日本に戦後芽生えた民主主義政治の終わりになる。民主主義は情けない終焉だったのか。いたたまれない思いを込めて、反アベの一票を入れたい。

 何故、民主主義は失敗したのか。それは自分のことしか考えない人の方が多かったからである。追い込まれた若者の功利的判断につながっている。戦後社会は軍国主義の失敗が身にしみた結果もたらされた理想主義である。一人一人が成長して、民主主義社会という理想を達成しなければならないと、世界全体が政治的意識に目覚めたのだ。

 ところが、民主主義はマキャベリが指摘したとおり、衆愚政治に陥る。例えば、老人が増えれば、年金を優遇する政党が勝利する。減少する次世代は少数派である。貧困層に陥居る比率は高まる。そうなると自分だけは富裕層になりたいということになり、他人どころではないという事なのだろう。

 少数派である若者は政治的無関心になる。あるいは自分の利益だけを考えて社会全体のことは考えなくなる。その典型がトランプである。最近トランプはよくやっている。日本でもああいう政治家に登場して貰いたい。こういう危険な考え方が生まれている。

 中国の習近平。ロシアのプーチン。アメリカのトランプ。ヨーロッパ各国に次々と誕生する、極右政党。経済競争に勝利するためには、民主主義どころではないだろうという判断。弱者は自己責任。こういう考えが蔓延しはじめている。

 日本では第2次世界大戦の後の、謝罪の意識に基づく反省が消えかけているのだろう。安部氏の態度にはそのことが良く表れている。民主主義は100年は持たないものだと、すでにギリシャ時代に言われていた。

 資本主義の競争主義が激化している。わかりやすいのは日韓経済戦争である。経済がどちらが強いかで勝負は決まる。アメリカの仲裁はない。アメリカはアメリカ一国主義でゆくと言っているのだ。ここでは、正義とか、論理とかは、すでに関係がない。関係がないところが衆禺と言われるゆえんである。

 大衆が感情的に動き出すのである。論理的正しさなど、どちらでも良くなっている。その次に来るのが軍国主義である。軍事独裁でなければ、勝てないと言うことになる。どれほど日本が頑張っても、日本は軍事大国にはなれない。北朝鮮のような状況に陥る。

 アベ政権は鵺である。全く実態がない。強権政治を目指しては居るのだが、民主主義の仮面は維持したままである。国家主義的であるかと思えば、トランプアメリカの配下に徹している。そもそも実態とか核心部分とかは存在しない。

 打算的政権なのだ。打算的であるのが、日本の大衆である。このように調査結果が出たので、そのように動いているのが、アベ鵺政権。アンケート政治と言った方がわかりやすい。ビックデーター政治である。

 その結果人間あべ氏の発言は一貫性はまるでない。鵺てき混沌がアベ政権なのだ。その時々都合の良い側面を表している。アベ氏は常に台詞をしゃべっている。アベ劇団座長、脚本は外注。座長アベ氏に何をしゃべらせれば効果的かを、コンピューターが教えている。

 鵺という実態のつかみにくい、複合体。有利不利の方向は鵺のコンピューターが判断しているのだろうが、どこにゆくためかが見えない点である。旗印の憲法改正ですら、本当のところ意味不明にしか見えない。その先にある社会像は示されたことがない。

 外国人労働者の問題は深刻である。外国人労働者がひどい労働条件で働いていることは、日本人の共通認識であろう。しかし、それの方が日本にとってトクなのだから、仕方がなかろうというのが、衆禺の判断になる。外国人労働者は選挙で意思を反映できない。反映できないものは計算にも入らない。

 沖縄に民主主義がかろうじて残っているのは、人口構成がバランスが良いからである。若者の意見も得票に影響する。石垣島自衛隊反対署名は若者が動いた。辺野古反対の住民投票を動かしたのも若者である。若者にあきらめ感が少ないのだろう。若者が減少すると、民主主義は終わるもののようだ。

 アベ政権は今度の参議院選挙に勝利すれば、トランプ・アベ政権になる。何でも好き放題になるだろう。民主主義を主張しても、無視されるだけだろう。石垣自衛隊も、辺野古米軍基地も強行されるだろう。石垣で自衛隊反対の人は、自民党に投票してはならない。公明党に投票してはならない。もし、与党票が減少すれば、中山市長も考えが変わるかもしれない。

 立憲民主党に投票する。あるいは反自衛隊の野党である。野党の無能を言いつのる、裏安部支持者が蔓延している。これに惑わされてはならない。民主主義政治を作りだすのは国民である。立憲民主党は支持されればそれに答える力はある。

 いよいよ、参議院選挙はまともに行われる最後の選挙になるのかもしれない。ここで、3分の2を与党に取らせたら終わりだ。その深刻さは表現されていない。それが、アベ政権のビックデーター政治なのだろう。静かに静かに民主主義は終わろうとしている。




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石垣人気ラーメン店が「日本人観光客お断り」

2019-07-19 04:04:09 | 石垣島


 石垣のユーグレナモールにあるラーメン屋さん日本人客の入店を拒否している「麺屋 八重山style」が「日本人観光客お断り」をはじめた。日本人観光客の態度の悪さを、腹に据えかねたのだそうだ。入ったことがなかったのは、観光客のゆく店だったからだ。良く店の前に人が並んでいた。さすがにこういうお店は日本全体でも珍しいことだろう。外国人客だけで経営できると言うことになる。さすが石垣である。

 秦野の中華屋さんでスーラー麺というのはどういうものですかと質問したら、そんなことは常識だろう。そんなことを知らない人間に、食べさせるわけには行かないと言われたことがある。料理人にはとても偏屈な人が居るものだ。そのまま出ようとも思ったが、その勇気もなくて、普通のラーメンでと言ってまずく食べた。秦野の中華屋はその後前を通ったら止めていた。石垣のお店はどうなるだろうか。

 昔本土では「朝鮮人、琉球人お断り」の張り紙があったと言うから、その逆のことが起きているわけだ。この歴史を意識してやっているのかもしれない。これは日本人差別と言うべきなのだろうか。差別主義者と言うことでもないのだが、問題にならないといいのだが。

 そもそも石垣に来て、ラーメンを食べる観光客というのはどんなかな。石垣市ラーメン禁止条例というわけにも行かない。石垣では一度もラーメンは食べたことが無い。小田原に居ればラーメンでも食べるかというのは、年に1、2度くらいはある。しかし、石垣に来てまでラーメンを食べるというのは、どこか異質である。実はこのお店には八重山そばもある。

 観光客が何を食べようがかまわないのかもしれない。おかげで石垣の経済は順調である。農業も順調である。ありがたいことだとおもうが、観光に石垣に来たのだから、八重山そばというものがどんなものか食べてみた方がいいのではないか。そもそも八重山そばというのは、そばではなくラーメンの一種なのだから。

 沖縄本島ではラーメン屋が増えた。ラーメンチェーン店も展開しはじめた。今や、沖縄そばが劣勢では無いだろうか。かろうじてまだ大丈夫だと思っていた石垣島でも、ラーメンの勢いが増している。新規開店も目立っている。こうなったら、意地でも石垣ではラーメンは食べないぞ。日本人観光客ではないけれど。

 不思議なもので、だんだんソーキそばのおいしさにはまっている。最初は八重山そばの麺がダメだった。あの太麺と、腰のなさが、何を好んでこんな麺を作ったのか。怒りに近いものさえあった。それなら八重山うどんということで、鹹水を入れなければいいのにと思っていた。山梨生まれで、.石垣に来ても時々手打ちのおほうとうを作っている。

 ところが、粘り強く八重山そばを食べている内にこの味に慣れた。慣れれば八重山そばは八重山そばの良さがあることが理解できた。昔からどんな美味しくないと思うものでも、3回食べてみなければ分からないと決めている。

 フランスで牛の脳みそ料理が出たときは、最初生臭さでダメだった。ところが3回目にはいけるようになった。食べ物などそういうものだと思っている。だから石垣に来たら、八重山そばを3回は食べて貰いたい。それでもダメなら、日本人も入れるラーメン屋にすればいい。ただし、礼儀正しくして貰わないと、そこも日本人観光客お断りになっても困る。

 おいしん坊、仲良し食堂、アグリカフェ、これが私のソーキそばベストスリーである。ここを巡り歩いた上でダメなら、ラーメン屋に行けばいい。石垣に戻り、書いている内にソーキそばを食べに行きたくなっている。

 日本人観光客お断りの意味は、もう少し奥があると思っている。今、石垣を訪れる中国人、台湾人、韓国人観光客はマナーがいいのだ。少なくとも日本人観光客よりは紳士的である。昔パリでひんしゅくを買っていた中国人観光客は今いずこである。大声で叫び合うような人はまず居ない。石垣の町で出会ってもごく当たり前の人たちである。

 外国人観光客を重視して経営していった方がお店としていいと言うこともあるのでは無いか。推測では、日本人観光客がいると外国人観光客は、その空気が気分が良くない可能性がある。身勝手な態度から、差別の空気を感じるのかもしれない。

 旅の恥はかきすてでは無いが、日本の観光は昔から馬鹿を市に出かける。知らない土地で羽を伸ばすという風習。それだけ地域に縛られて生きていた日本人のしっぽ。今でも会社に縛れて抑圧されているのでは無いだろうか。そう思って我慢するのもひとつ。

 


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まごの森の子育て園(仮称)

2019-07-18 04:40:42 | 暮らし


 小田原の久野諏訪原に、近藤植木さんの植木の圃場がある。ここを子供が自由に遊べるような場所にする企画を立てている。広さは6反ある。圃場部分の面積で5反ほどだ。直径が一メートル近い大木が10本はあるだろう。全体では500本ほどの木があるのだろうか。

 この森は長く園主のまごのりさんが除草剤を使わず、有機栽培で維持してきた珍しい植木圃場である。普通であれば、植木の圃場は除草剤を使う。有機栽培が植木では付加価値にならない。それを草を手で抜き、手刈り除草で維持してきた。環境に対する思いがとても強いのである。

 今も植木の圃場としては管理されているのであるが、大木がドンドン流通するような時代ではなくなったらしい。そんなときに大豆の会で倉庫を使わせてもらえないかお願いした。そして今年の1月には、ここで味噌造りもやらせてもらった。

 味噌造りは大きな鉄釜を運ばなければならないので、大きな倉庫と隣接して、活動できる場所が理想的であった。力仕事を担う若者が減少した。大豆の会としてはありがたいことだった。草管理を一度くらいはやらせていただけないかと言うことになっていた。

 ちょうどその折に、この素晴らしい森の環境を生かせないかとマゴノリさんからも相談があった。まず一度草刈りをして、考えてみようということになった。草刈りをしながらこの森の素晴らしさを痛感した。

 大豆の会のメンバーが10人ほど集まり、草刈りをした。2時間半あまりの作業になった。大勢で草刈りをすれば、それほど大変なことでも無い事も分かった。都合の良いときに半日草刈りをすれば、自分の担当区画はなんとかなる。

 ここには果樹もある。珍しい木もある。まだ木を植えられる空いた場所もある。そこで、10人くらいのメンバーで自分の木を決めて、その木になる実は収穫して良いというのは道だろう。条件として、5反歩くらいの面積の草管理をする。木が売れてしまうこともあるが、そのときは又新しい木を植えればいい。

 植木場の草刈りをして、その代わり自分の木を植えさせて貰う。こういう考えが出てきた。樹木の会を農の会の中に作ってみようと言うことになった。先日の定例会で活動が承認されたので、募集が始まった。すぐに希望者10人は集まった。

 参加募集の際に自分の木にしたいという希望を出して貰った。案外に重ならないので、驚いた。梅、ジュンベリー、柑橘、薬草、亀甲竹、泰山木、モチ、クロガネモチ、などである。

 今後のことは決まっていないのだが、遠くの目標は子供達が自由に遊べる「自分の森」である。オジィーが手入れをした森で、子供達が遊ぶと言う空想。遊びながら、生きる力を高めてゆく。
 
 今の社会では、やりたいことをやれるという範囲が狭まっている。やっていけないことばかりの社会である。たき火などできる場所が無い。公園の落ち葉を集めて燃やす事さえできない公園。子供が生活力を高めるような自由な冒険の場が無い。こんなことで子供は生活力を持てるのだろうか。引きこもる人はこういう生活から生まれているのではないだろうか。

 私が自給生活ができたのは、子供の頃の向昌院での暮らしで培った生活力である。誰に教わったものでもない。思いっきり遊ぶことを通して、どうすれば水をせき止めることができるのか。どうすれば雨の中でもたき火ができるのか。竹馬や竹とんぼを手を切りながら作ったこと。地下の小屋を作って埋まったこともある。ツリーハウスを作りみんなで泊まった。鶏だって一人で工夫して飼った。誰に教わったわけでも無いが、面白くてやっていたことがその後の生活力になった。

 そういう暮らしを通して、自由に生きるという感覚を得たのだと思う。次の世界を生きる人たちにも是非あの生活感を獲得して貰いたい。そうした場を作ることは大人の責任でもある。

 参加希望者はあるいは協力したい人。ササムラまで連絡をください。すでに、定員の10名にはなっていますが、もう少しであれば、受け入れ可能かと思います。
 

 

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小田原生活の13日間

2019-07-17 04:03:57 | 「ちいさな田んぼのイネづくり」
 小田原には13日間いた。田んぼの水回りに通った。オロオロ悪天候を心配するばかりだったが。心配したところで始まらないのだが、「小さな田んぼのイネ作り」を書いた年にこの悪天候とは試練である。この悪天候でも収穫が出来たという事になれば。

 小田原にいて、農業にかかわれるという事は嬉しいことだ。自分が入って作業していい農地がある。身体が喜んでいる。田んぼに草が生えていると、取りたくなるが、他所の田んぼの草を取る訳にもいかない。小田原の家を訪ねてみえた農家の方が、話しながらついつい草取りをされている方がいる。小田原の家はいつも草だらけだったからだ。根っからのお百姓は身体の反応で、草を見ると手が出るのだ。

 田んぼに向うとついつい、百姓に戻る。自然に対して、百姓として向かい合える。何か手入れの必要はないかという眼で見る。絵を描くうえで大切なことだ。それは生きるという上でも大切なことになる。視点がある。自分の位置が確認できる。何のために自分はここにいるのかが、確認できる。

 小田原に戻りそのまま、24時間開いているスーパーに行った。13日分の食料品を購入した。13000円弱くらい買った。それが帰る日になりほぼ無くなった。不思議なほど計算通り、食べきった。つまり1日1000円の食費だった。外食は少なかったが、何度かはあった。食事はかなり熱心に作った。無くなるように食べた。少し食べ過ぎの嫌いはある。飲み過ぎもある。

 余分の食料品を買わない。大切にあるものを食べなければならない。これがうまく行ったので、気分が良い。何しろ、その後買い物というのを一度もしなかった。時間をすべて、農業のことに集中したかったので、予定通りことが進んだ満足感がある。

7月16日朝の大豆畑、本葉が出始めている。

 今回の農作業は田んぼと大豆の播種である。大豆の播種は昨年大失敗をした。理由が良く分からなかった。その為に、今年こそ成功させたいと、思っていた。ほとんどを太田さんが心配してくれたのだが、ほぼ90%の発芽になった。今までにない状態である。

 
まったく、鳥獣害がなかった。鷲のお陰か。

 7月7日に播種した。これは以前から私の考えと一緒である。大豆は七夕、小麦は11月11日とわかりやすく決めてきた。7日が良かったかどうかは分からないが、今年は7日から発芽までの間、一度も25度を超えなかった。強い雨もなかった。と言って乾くほど乾燥もしなかった。昨年は播種後強い雨があり、その後酷暑が続いた。これで大豆が腐ってトロケタというのが、ほぼ分かった。

 7月16日現在で、本葉が出始めている。本葉が出てくれれば、一安心である。大豆の厚い双葉はおいしいらしく、鳥に食べられてしまう事がある。双葉が無くなればもう駄目だ。今年もほんの一部三国上の畑で食べられている。その後広がらないから、何とか大丈夫なのではないだろうか。

 今度来るのは9月17日である。それまでいろいろ作業はあるのだが、おまかせするほかない。最後の草取りぐらいは参加できるかもしれない。収穫が10月の何処かであるのだろうから、その時は参加させてもらいたい。

 味噌づくりは多分、参加できない。1月味噌づくりが私の身体には無理だった。石垣の気候から、小田原の気候への変化について行けなかった。来年も無理だろうと思う。家の方でやれればやるつもりで、石垣に大豆を少し持って帰るという方法もあるか。

7月16日の小さな田んぼ3畝。分げつが12,3というところか。

 イネはともかく日照不足である。この後の天候次第なのだが、1週間は遅れている。一日も早い梅雨明けを期待するほかないが、このまま冷夏になると、かなり苦しいことになるだろう。覚悟はしておかなければならない。

 ただ、苗が良かったので、良い苗がどれほどの力を見せてくれるかには興味がある。苗8分なら、どんな天気であろうとも8割の出来でなければおかしい。苗が特に良かったのが、糯米である。糯米は自分たちのものもあるが、吉宮さんにいただいた、キジュモチ。舟原田んぼから頂いた、マンゲツモチ。どちらも良い苗であった。

 今のところこの良い苗が、やはり順調な生育を見せている。ほとんど遅れがない。すでに、20分げつを超えてきたものもある。良い苗を良い田んぼに植えるという事が、天候の不順に耐える一番であることは間違えのない事のようだ。

 
 

 

 
 
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