地場・旬・自給

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物理学者、ゴミと闘う

2009-03-31 04:46:18 | 環境関連
「物理学者、ゴミと闘う」(講談社現代新書)は町田市のゼロウエスト運動の先頭で、活動されている、広瀬立成早稲田大学物理学教授が書かれた本である。先生は町田市でごみゼロ市民会議の代表をされている。町田市はの活動は大都市において、ゴミをどこまで削減できるかに挑戦している貴重な事例である。小田原で広瀬先生のお話が伺えると言うので、とても楽しみにしていた。何故物理学者がごみの事に。二つあると思う。一つはお住まいが小山田地区と言う、焼却炉のある地域にと言う事。もう一つがものは、燃やそうが埋めようが、水に流そうが、物質の総量は変わらない。1トンのごみは物質として、どんな変化を加えようとも1トンであること。これは当然であるようでイメージしにくい。ごみは燃やせば、かなり減るように見える。とくに溶融炉のように、高温で燃やせば、何十分の1に成るような気がしてしまう。所がこれが、変化しているだけで、1トンは1トンであると言う。それが物理の定理。

気体になり水に薄められ、一見消えたように見えるが、総量は変化しただけ。そして今度はその薄めれた物質は散らばり、生物濃縮と言う形で、最終的に人間の体内に入る。ごみの事を学んでゆくと、いわゆる環境問題と言われる、複雑な体系に到る。何が良いか、何が悪いのか、先生の言われる所の、「ごみオタク」の世界に入り込む。善玉が悪玉になり、温暖化さえ良いという人と悪いという人が現れる。そこに、環境で一儲けしようと言う、例えば溶融炉メーカーなど、経済問題が登場するから、全体が複雑化してゆく。広瀬先生は物理学者としての物の姿の専門家として、実にわかりやすく。ごみの事を教えてくれた。本質を捉えている人しか、判りやすくは説明できないものだ。半可通の話だと、簡単なことまで難しくなる。何しろ先生は、わかりやすくするために、講演の中で西田佐知子さんの歌まで熱唱された。

質問がとても印象的だった。一つは「何故ここに行政の人は来ていないのか。いるなら手を挙げて欲しい。」もう一つは「町田市の取り組みは、小田原では既に取り組まれていることだ。」さすがに、ごみオタクの世界だ。熱心な100人あまりの聴衆が時間目一杯質問をさせてもらった。当然、私もごみオタクの一人として、モグモグのアピールをさせてもらった。さらに興味深かったのは、これを主催した国府津海岸をきれいにする会と言う団体の方々だ。何しろ、海岸の清掃活動を熱心にされている。しかし、小田原のごみ処理の実態については、良く知らない。先生にいわれて調べてみたが良く判らなかったと、言われていた。たぶん広域化の検討や、生ごみの堆肥化が加藤市長のマニュフェストにあったことなども、ご存じないようだった。ともかくこれは大切そうなことだ。と言う事で開催されたらしい。

ごみを「燃やして埋める」は大間違いだ!ここに原点がある。間違いなのだから、最小限にするよう、工夫をしてゆこう。こうした市民の取り組みが、紹介された。「出前ごみ広場」この取り組みはおもしろい。イベントがあると、出かけていってごみの分別とその意味を、学んでもらう。学んだらトイレットペーパーがもらえるそうだ。軽トラにコンテナを積んで、お祭りに行く。毎週日曜日にスーパーの駐車場に、分別カーで出かけてゆく「出前ごみ広場」。こんな活動は現実的かもしれない。そこでダンボールコンポスト「モグモグ」も宣伝させてもらう。小田原と町田の違いは確かに、ほとんどない。違うのは指し示している方向。町田の行く先は希望。小田原の行く先は混沌。燃やすの整理がついていないところ。
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りんごが捨てられている。

2009-03-30 07:22:04 | Peace Cafe
ひょう害やつる割れなどに見舞われた2008年の青森県産リンゴが大量に余り、農家が処分に四苦八苦している。リンゴ収穫量日本一の弘前市では、2月末で30万箱(一箱20キロ)以上を在庫として抱え、苦肉の策として堆肥(たいひ)化が進められている。板柳町の河原では大量の不法投棄が見つかるなど、余剰リンゴの後始末が問題化しつつある。一箱300―500円の市場価格では出荷しても採算が取れず、加工用リンゴとしての引き取り手も見つからなかった。(以上河北新報)農業の実状が良く見て取れる。売れなければ捨てるしかない。捨てるにも費用がかかる。一方、海外からはドラム缶で濃縮ジュースが、日本産のたぶん数百倍輸入されている。小田原のスーパーで日本産のジュースは、ポンジュースぐらいになった。つい最近まではメグミルクの国産ジュースを扱っていたが、今めったに置いてある事はない。売れないからである。

日本農業が危機的状況にあると言う事は、誰もが言う。田んぼが様々な意味で大切であると言う事も、今や常識のように言われるようになった。所がお米は余るし、ジュースの加工も国内産では出来ない状況なのだ。どこから解きほぐせば良いのか途方にくれるような状況である。輸入ジュース100%濃縮還元。これが1リットル120円とかからある。200円以下が大半である。はっきり言わせて貰えば、濃縮還元は美味しくない。国内産ジュースは1リットル500円以上と見れば良いだろう。もう少し安い製品もある。調べた範囲では300円以下はない。価格はは蜜柑だろうが、りんごだろうが、たいした変わりはない。何しろ、横浜港にドラム缶で濃縮されたジュースが到着してから、山北の柑橘加工工場に運ばれる費用の方が、ジュース現物よりかかると言われている。製品価格の120円の中の、海外での農家が受け取るりんご一個の価格は、1円以下と想像される。

それでも、りんご1個が1000円で上海で売れているから、競争力のある農業に成れ。これが小泉改革の主張であった。農産物を工業製品と同列に論ずることは、出来ないこと。日本では、余って不法投棄するりんごも、加工用に回せない。全ては価格差である。日本でりんごを絞れば、原料が安くても加工費が高い。加工費の差は人件費であり、工場の規模、システムと成る。農家のだけの責任ではない。少なくとも、りんご農家に蜜柑農家に、手に負える問題ではない。消費者が変わること。本当の搾ったジュースの美味しさを思い出すこと。ジュース会社が悪かったのだ。日本酒が売れなくなったのは、不味くなったからである。酒造大メーカーが擬似日本酒を大量生産した。これが悪かった。今は小さな酒造メイカーが普通のお酒を造り、徐々に美味しくなって、売れているものも出てきた。

ジュースと言いながらも着色剤のオレンジ色にサッカリンでも混ぜた、擬似ジュースが横行し、ジュースの味がわからなくなった。味が判らないから、ジュースが価格だけで選択される。食べ物をこうして、つまらない、奥行きの無いものにしてしまったのは工業的かかわりにある。全ては経済に負けたのだ。安さを超える価値観は、存在できない。それは、国土を守ると言う価値も存在できないと言う事を意味している。国土が荒れてきている。農業、林業、衰退が著しいのは、安さに負けたわけだ。高いけれど、地域のものを食べる。地域が守られなければ、国は滅ぶ。安さという魔物に、日本国は滅ぼされそうだ。農産物が捨てられると言う事は、そう言う事だ。踏みとどまるすべは、工業製品と、農産物を同列に考えない。国土を守るためには、価格を超えること。それが、地場旬自給である。

昨日の自給作業:めだか田んぼの準備4時間 累計時間:16時間
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有機農業業協議会

2009-03-29 05:42:05 | 地域
「小田原有機の里づくり協議会」発会記念式が行われた。小田原の農業にわずかでも役立つことが出来ればと思う。ジョイファーム、自然農法、報徳農場、そしてあしがら農の会の4団体が、連携する協議会である。各会それぞれに特徴がる。農業の置かれた危機的な状況の中で、有機農業を推進して来た団体である。ジョイファームは地元の有力で意欲的な営業農家が、生協出荷と言う形で、多数協同した組織である。農事組合法人小田原産直組合が正式名称である。実力、参加者数、出荷量共に、際立った組織である。今回協議会に参加してもらえたことだけでも、手を合わせたくなるほどありがたい稀有なことだと思っている。「小田原の農業を何とかしたい。」そうしたことなら気持ちは繋がっている。参加を決意してくれた。

自然農法関係はMOAの組織である。全国的に見ても、戦前に始まると言う、最も歴史があり、有機農業の技術的な確立において、研究施設の充実。技術の普遍性という意味での確立、普及。日本の有機農業を黙々と支えてきた組織である。これからの日本の有機農業の展開において、最も重要な技術集団であることは疑いがない。とくに石綿氏の農業技術は、全国でも一般の果樹農家にも普及した。ヘアリーベッチや麦類を混ぜて播種する下草技術として広まっている。報徳農場は二宮尊徳思想の下に、明治期に結集した報徳会の流れを汲んでいる。報徳会の会長をされている田嶋氏が、農業の実践の為に設立した農業法人である。田嶋氏は地元のスーパーの会長でもある。会長と言っても自ら、泥にまみえて耕作されている姿は、現代の尊徳なのかもしれない。農の会は新規就農の集団である。若者中心で、ある意味ユートピア的集まりである。

4者4様の協議会である。新参者の農の会はフットワークは軽い。何とかつなぎ役になるべき努力してきた。それは自身、この20年やって来たことのままである。農家の通訳になる。と言ってきた。農の会は新しいものの集まりであるが、佐々木市議も農の会の会員が、後に市議になったのである。加藤氏現小田原市長も、農の会の会員であったものが、後に市長になったのである。まさかそんなことになるとは、思いもしなかった。そうした意味では、やっとその時が来たと言う事になる。が、関係があるからと言う事は、一切利用することはない。それぞれの方向が揃ってきたと言う事だろう。農の会自体は、刻々変化している。形はあるようで、何もあるわけではない。それは弱いようで一番強いと思っている。こうあるべきを排除した集団である。それぞれ一人一人が大切にされる。それだけを心している。

協議会の設立の大きな要因は、国の制定した、「有機農業推進法」である。この法が出来たために、有機農業は不可能だ。と判断してきた。各県の技術センターは不可能とばかり言えなくなった。法というのはありがたい物だ。不可能と思いながらも、調査、研究、普及と推進計画を各県は現在作っている。初めて公的な機関が動き出すことになる。この点に、一番期待するのだが、技術センターでは困惑しているに違いない。先ず、経営実態の調査から入る、らしい。技術的調査でない所がいかにも痛い所からという、さすがの役所の足をすくうセンスだと思う。それも良いだろう。大きな流れは、誰が食い止めても止まりやしない。農業が大切なのだ、有機とか、無農薬はその活性化の要素だ。農業に新しい風がおくれる可能性がある所は、全て掘り起こすべきなのだ。好き嫌いを言っている場合ではない。
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高速道路1000円

2009-03-28 05:54:04 | 環境関連
第2東名高速道路はどこの誰が、決定して作ることに成ったのだろうか。こう言う質問を建設省の担当官に、質問したことがあった。回答は、「国にそうした審議会があり、そこで作ることを決めたことが、スタートで、順序を経て建設に到った。」審議した委員は少しは反省しているだろうか。20年も前の事になるだろう。いまだ山北区間は作られてはいないが、徐々に着工が迫ってきている。着工を決定するには、環境アセスのやり直しが必要なはずだ。これは監視していないといけない。20年前に、不用な屋上屋のような道路だと言う事で、散々抗議したのだが、今思えば、あの時の指摘を少しでも考慮してくれていれば、これほど無駄な環境破壊をしないですんだ。地方には生活道路すら整備されていな区間がある。何故、既に高速道路がある場所に平行して道路を作らなければならない必然があるのか。全くの道路建設のための道路だとしか思えなかった。そのときの提出した、資料では、飽和し停滞する国内経済の先行きや、輸送手段の変化、化石エネルギー問題などシュミュレーションした。

ほぼその通りの変化をたどり、第2東名高速道路は無くてもいいレベルの道路になっている。その状況下、高速1000円の政策の登場。混みあってもう一本必要と言うならまだ判る。使う人が少ないから、安くしようと言う状態でも、もう1本作り続ける悲劇。国の舵取りが明らかに間違っている。世界の情勢変化を読みきれていない。1000円にして、大いに使ってもらおう。土日と言う事だから、高速を使い、遊びに行ってください。こう言う提案だろう。平日にすべき。これがこの国の緊急経済対策の一つである。どう考えても、経済はいい方向に進むとは思えない。さらに深刻な事態が近づいている。ごく当たり前のように、「消費を増やせば、景気がよくなる。」こう言う事が言われる。全く何を血迷っているのかと思う。そこでの景気の上昇は、一時の表面に現れたことだ。乗らないでいい人が、高速をビュンビュン飛ばす。「無駄使いせよ。」こう政府が叫んでいる。悪い政府だ。

幾ら無駄使いしても、景気の回復などない。必要でありながら、そろっていないものが幾らでもある。例えば小児科、産婦人科病院の充実。教育の多様性の保証。地方分権。そうしたことに手をつけるなら判る。無駄な消費は新たなものを生み出さない。新たなものを、産み出すものに投資するなら、その消費は回りまわって有効な結果を出す。ところが、思いつくのは高速1000円である。全く目先の事だ。やるなら平日からだろう。しかもトラックから。輸送コスト削減と言う事なら、まだ理解しやすいが、遊びに行けと言うのは、遊べばしっかり働けると言う事か。本音では国民を甘く見ている。何時までも古い観念の中にいる。なんだかんだと言っても、金をばら撒けば選挙に勝つ。このレベルの発想が背景にある。もちろん、ソーラーシステムの補助復活のようないい政策も在る。さらに、誰でもやろうかと思うぐらいに、思い切ってやるべきだ。ドイツの低燃費車買い替え補助など、日本でもやれるだろう。

投資するなら自分自身に対してが、こういうときは一番だ。例えば健康に100万円投資する。医療費が、120万円不用になれば、20万円の利潤だ。100万円の個々人の健康投資に税額控除を行う。教育投資もそうだ。とくに若年層に教育投資する。必ず国力を上げる形に繋がる。先ずは行政がこういう時間のかかるところを充実してゆく。老人施設もそうだ。ここで働く人の待遇の充実。海外から人をお願いしなければならない状況。景気がよくなることは無いが、暮らしは幾らでも良くなる。日本人の暮らしは、最近悪くなった。それは安定した、田舎が無くなった事が大きい。駄目なら戻れる田舎はもうない。この辺りにもいくらでも投資先はある。所で1000円で乗るにはETCと言う機材を車に付ける必要がある。これは売れているらしい。品不足。これが大体設置された頃、1000円は終わりになるのではなかろうか。(暫定期間2年)
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WBCの5度の日韓戦

2009-03-27 05:29:43 | 身辺雑記
素晴しい野球の試合だった。高いレベルの本気のスポーツは、類希な魅力を発することを教えられる。韓国は強かった。5回戦い、日本の3勝2敗だったが、優勝戦では、かろうじて韓国の強さを発揮させなかった。日本チームの勝負術で、日本に勝利が転げ込んだのだと思う。たかがスポーツ、されどスポーツ。4日経ってもまだ、あの勝負の余韻が残っている。野球は実に複雑なゲームだ。ルールの筆記試験をやると、プロ野球の選手でも、赤点がいるそうだ。我々団塊世代は野球で育ったから、この複雑なスポーツを何とか味わうことが出来る。オリンピックから外れたことも、このルールでは仕方がない。このゲームを急に理解して、強くなれと言っても無理。フランスのコーチに元阪神の監督吉田氏が5年ほど出かけた。しかし、根づいて強くなったという訳でもない。困るのはその複雑さに、野球独特のおもしろさがある。オランダがヨーロッパでは強いようだが、柔道でヘーシンクが東京五輪で優勝したことから、国際化した。オランダは古い付き合いがある国。

韓国の強さは、さすがオリンピック金メダル国。パーワー、体格で日本を圧倒していた。しかし、野球が体力勝負なら、キューバ、アメリカが圧倒する。なかなかの頭脳ゲームなのだ。日本には、高校野球という独特の、野球術が存在する。ワンアウトでもバントで送る。満塁なのに、敬遠する。こう言う独特の勝つ野球が出来上がった。非力で小柄でもノーヒットノーランをやった投手もいた。あえて野球と書いているのは、ベースボールではないという事なのだ。今のプロ野球は、ベースボールに近くなった。それでも、あえて野球がベースボールに勝利したと言いたい。野球のテレビ観戦では、見るもの全てが野球解説者と化す。「ここは、外郭低めのスライダー。」「いや、インハイのシュートだ。」「速球ではずす方がいい。」全てにそれなりの根拠がある。打者の今までのスタイル。性格。分析。その上でのその場面、状況判断。一筋縄ではいかない。野球嫌いには信じがたい所。

以前、サッカーではドーハの悲劇と言われた。最後の最後で、ワールドカップに日本チームが出場を逃したゲームだ。あの時「食べ物が違う」といった解説者がいた。サッカーはまだまだ日本人のゲームになるには、時間が必要だ。韓国との優勝戦、最後の最後でイチロー選手のヒットで勝負がついた。あそこで何故、敬遠しなかったか。色々の意見があるが、これが「食べ物が違う」と言う事だと思う。以前、日本でも敬遠は卑怯だと言われた。監督に指示されて、マウンドを降りたピッチャーもいた。プライドが傷付いたというのだ。今そんなことを言う選手は日本にはいない。侍ジャパンと言いながら、武士道に反するようなものだ。韓国にはまだそういう空気がある。試合中盤、青木選手に対し、2ボールになったら、キャッチャーが立ち上がり、敬遠をした。そのとき、ドジャーススタジアムを埋め尽くした。韓国人ファーンはすごいブーイングをした。映画の大島渚監督は野球をアメリカの与えた、戦後民主主義とオオバーラップさせていた。

10回2アウト、ランナー2塁3塁。イチローを迎え、敬遠が普通。それを先ず、勝負をして、カウントが悪くなったら、敬遠と考えた。日本ではむしろ敬遠は明確にやったほうが良いとされている。一応は勝負をするというのが、韓国の考えかた。2ストライク1ボールとなる。次々に、ストライクで勝負してくる。イチロー、ファールでカットして好球を待つ。魔がさしたように、真ん中に玉が流れる。イチローがセンターに向けて糸引くクリンヒット。9回の裏、韓国は主力二人に代走を送っている。とくにキャッチャーの代走は重大事。投手も8回から、抑えの投手を投入してしまった。戦力を使いきり長引けば、勝機は減ってゆく。もしイチローを敬遠すれば、中島もすごい打者である。日本選手は選球眼が良い。押し出しの四球の不安も生じる。そうした迷い。そこに加え韓国に残る、日本人と勝負を避けることは、潔くないと言う気持ち。あのブーイング。全てが集約して、勝負に行く。悪くないと思う。見事だと思う。勝って奢らず、負けて潔く。いい友達になろう。

昨日の自給作業:種籾浸種等1時間 累計時間:12時間
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司法の公正、公平、中立

2009-03-26 04:34:47 | Peace Cafe
民主党の小沢一郎代表は24日夜、公設第1秘書の大久保隆規容疑者が政治資金規正法違反(虚偽記載など)罪で起訴されたことを受けて、代表の続投を表明した。この問題には気になる点が二つある。一つは、東京地検には国の政治を、動かす力があると言う事がわかった点。虚偽記載以外は立証できない根拠で、今最も政治の焦点である「政権交代」に大きく影響ある行動を取った。もし、西松建設事件でこれ以上の起訴が出来ないとするなら、小沢氏が最初に主張したように、突然の逮捕と言う不自然な行為による、意図的如何にかかわらず、政治介入という可能性がある。同様な手法によって、政治に影響を与えたいと言う人間が、今後出てくる可能性があると言う事になる。司法の権威が失われれば、「公正、公平、中立」は崩れることに成るだろう。権威とは自ら作り上げる歴史だ。今回の東京地検の行動は、その歴史に汚点を残し、中立を神話としかねない行動ではなかったか。

肝心の西松建設事件は相変わらず、闇の中にある。海外で不正に得た資金7000万円の行方。正確ではないが、1000万円以外は行き先は見えていないという事だ。検察の捜査能力が問題なのではないか。能力不足から、小沢氏への賄賂と言う、思い込み捜査に走った。虚偽記載というのはダミー組織からの献金を、西松の献金と認識していたかどうかであって、くだらない意味論に過ぎない。西松が賄賂を使い、公共事業を受注したことを、証明できるかどうかが焦点。その自信がないなら、手を出すことは政治介入となる。自民も民主も、迂回企業献金で運営されている。百も承知の事だ。その処理を間違った程度では話にならない。大久保秘書の処理能力の不足が問題で、その程度の秘書しか居ないというのでは、小沢氏もたいしたことがない。と言うのが自民党の本音ではないか。この機会に、小額の政治献金を税金の減免とするようにしてもらいたい。それ以外の政治家、政党への献金は一切禁止する。小額とは5万円くらいまで。パーティー券の購入などと言う、不思議な便法が横行している。するほうもされるほうも、本人が居なければいけない。当たり前だろう。何百万円もパーティーに出すなど、いかにも政治の世界の不健全を表している。

司法への政治介入では、最高裁判事の任命に実におかしない事が起きている。竹内行夫氏の任命を麻生内閣は行った。イラク戦争に派兵した外務事務次官である。イラク自衛隊派兵では名古屋高裁判決では、憲法違反を指摘されている。もちろん多様な意見があるのは、当然である。しかし、ここまで思想の傾向のハッキリしている元外務事務次官を、最高裁判事官に任命するのは司法介入の、手法である。こうして「政治から、司法から」と公正、公平、中立をないがしろにしていないか。公正は作り上げるものである。国民がこぞって育て上げるものである。麻生政権に自らの憲法解釈があるだろう。そのためにも、都合のいい判事を任命したいだろう。しかし、そこを我慢するのが、司法を守り育てる要件になる。

もう一つ言えば、司法を駄目にするのが、裁判員制度である。司法の権威を失墜させることになる。司法は一段高い位置から眺める目が必要である。庶民的目線や社会的雰囲気は、要らない。絶対的公正が求められている。「裁く者が裁かれたい裁判であって欲しい。」私には到底出来るものでない。又素人に出来ないくらいの権威的なものであってほしい。どうしても裁判員制度を作るなら、死刑廃止をし、終身刑を作る事が大前提であろう。誤審、あるいは量刑の間違えで、死刑判決を出した裁判員は殺人者になる。日本の民主主義を育てるために、裁判員制度が必要という意見がある。しかし、裁判員の適正想定質問には、死刑制度の賛否もある。思想信条の調査が行われる。公正中立と選択された人間のみが、裁判員になる。これが民主主義であろうか。国民一人ひとりの尊厳が守られ、育つ為に現行の裁判員制度は何の益も無いだろう。
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神奈川県受動喫煙防止条例施行

2009-03-25 04:59:02 | Peace Cafe
全国で始めて、公共施設でタバコが禁止された。「神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例」ができた。骨抜きだとか、罰則が無いとか、批判的な報道もあるが、もうこれで充分と思うぐらいの条例である。対象施設に第1種と第2種がある。第1種には、学校や公民館や病院など、公共施設のすべてが含まれている。第2種は営業的な施設となる。第1種は入り口に「施設での禁煙」を表示する義務が課せられる。当然の事が、やっと当然に成った。議論になったのは第2種の方で、そちらは商売関係の所だ。タバコの煙が来る店は、できるだけ避けているので、もうこの条例でほとんど問題はない。自動販売機がカード、「タスポ」が無ければ購入できないことになり、既に小田原ではたばこ税の税収は昨年に比べて約13%減ったとある。小田原ではポイ捨て禁止の条例があるはずだが、こちらは効果の無い条例である。

野外でのタバコと、受動喫煙は関係があるかといえば、ない。風向きを考えれば、隣で吸われても、ほとんど影響がない。逆に言えば室内で吸われると、離れていても大変な影響がある。肺が良くないので、切実にそう言う事に反応してしまう。野外での問題は吸殻を捨てることのほうだ。あれはフィルターの材質を、溶解しやすいものに変えればいい。畑などで、フィルターに出会うと嫌なものだ。問題がある訳ではないが、気分が良くない。畑というのは、本当にビニールが出てくるところだ。掘れども掘れでも、何かしらビニールが発掘される。将来の20世紀から21世紀にかけての考古学的標準物質。

この条例の制定過程を見て、松沢知事の有能さを感じた。昨年4月、飲食店やパチンコ店、旅館なども含めて全面禁煙にする方針を発表した。関係業界からの強い反発が起こった。日本たばこも条例に対し、アンケートの組織的反対を行った。と言われている。2月県議会の厚生常任委員会で、規制の対象外を拡大して一部施設の罰則適用を1年間猶予する修正案が可決された。官公庁などを「第1種施設」として禁煙を義務付けた。飲食店や旅館などは「第2種施設」として禁煙か分煙を施設側が選択。このうち、調理場を除く床面積100平方メートル以下の飲食店と床面積700平方メートル以下の宿泊施設、パチンコ店などは「努力義務」にとどめ、規制対象外にした。罰則として、施設側には2万円、喫煙者には2000円の過料を想定。罰則の適用は第1種施設が条例施行と同時、第2種施設は施行から1年後。先ずは、制定することを目標にし、譲る所は譲る。このあたりの姿勢はとても素晴しい。

この条例が出来れば、小さな飲食店などは、結局行き着くところは、タバコを吸える店と、禁煙の店に収束してゆく。その辺は店の方に任せる、でかまわないだろう。飲食店全てが禁煙席があると言うのは、ありがたいが、そこまで行政がやるのは行きすぎ。出来れば、出入り口に喫煙の表示がされていると、判りやすくて良い。正直行きたい店でも、煙の為に、人の居ない時間を選んで行っているところがある。肺が悪いのも、花粉症と同じで、何でもない人には理解しにくいことで、自分から吸わないで欲しい、とは言えないものだ。ニコチンの中毒性、賭博の中毒性。アルコールの中毒性、身に覚えがある。始めれば落ち込むことは判っている。だから始めない所に、力点を置いている。ところが、様々な要因で気持ちが飛んでいると、抑止力が無くなる。過去何度か、抜けられなくなった体験がある。タバコを吸う人には辛い条例だろうが、何とか協力をして欲しい。
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小田原ブランド

2009-03-24 04:30:46 | 地域
先日、松本大地さんが養鶏場に見えてくれた。鈴広の鈴木さん等が企画された、小田原の循環型の仕組みづくりの、現地見学なのだと思う。鈴木さんにも、松本さんにも初対面であったが、小田原の将来にとって大切な人であることは、十二分に認識している。ハードスケジュールで一辺に回ったようだが、志村米店さんの企画のようでもあった。鈴廣の方は以前、熱心に見えたことはあった。その後、こちらから連絡しても連絡がぷっつりと途絶えた。大きな会社だから、色々あるのだろうと勝手に想像している。松本大地さんは小田原の街づくりにとても熱心に取り組まれているようだ。もちろん始めてお目にかかった。しかし、最近お名前はとても良く見かけるので、どんな方かお会いする前から、旧知の方のような気がしてしまった。小田原ブランドと言う事を模索されているのだと思う。

二宮ブランドとか、湘南ブランドとか、周辺のまちでも地域おこしにこうしたことが模索される。小田原土産と言えば、かまぼこ、アジの干物、菜の花や正栄堂の和菓子。頼まれるのはウイロウ。新しい物産でも探ろうと言うのが、小田原ブランドではないはずである。京都ブランドと言えば、京都という街の魅力である。古都京都に暮したいと言うような思いの集まる、ブランドであろう。小田原のブランドと言えば、これからの暮らしを、模索できる場所。あらゆる要素の詰まった街。観光地でもない。通勤のための住宅地でもない。日本人の暮らしのある当たり前の街。実はこの全てを壊してきたのが、20世紀の日本。普通に田んぼがある。山がある。海がある。そしてそこには、まだかろうじて、生業としてそこに暮す人が居る。もちろん消えかかってはいるが、林業に暮す人も、漁業に暮す人も居る。日に日に消えているが、様々な職種の職人も居る。もちろん畑作も、稲作もある。そんな街は他にあるだろうか。

小田原ブランドは「小田原の暮らし」にある。浜辺を歩きたい。川べりを散歩したい。蜜柑の丘を散策する。人間らしい暮らしが出来る町が、小田原である。田んぼをやって見たい。山遊び。山菜取り、栗拾い、木の子取り、竹の子堀。海遊び。魚釣り、潮干狩り、磯遊び、海草拾い。漁港の朝市。田んぼでの稲作。蜜柑の丘での菜園。川辺を歩けば、富士山の白い姿。箱根連山。丹沢の山系。曽我丘陵。遠く囲まれながらも、広々とした豊かな平野。人間の暮らしを再生できるとするなら、小田原は最適な場所である。あしがらに移り、20数年が経つが、自給自足をしてみたくなったのは、この地域の豊かさに触発されたのだろう。土壌のよさ。水の豊富なこと。日当たりのいい地域である。小田原はそれこそ、屏風に囲まれた最高の風土。暮らしを起こす気になる土地。他の者と、地の者とが、ほどほどに関係している土地の気質。これは東海道の宿場としての歴史か。

西の文物北の物産の交流拠点。ここで若干留まり、次に受け継がれてゆく土地。縄文弥生の古くから、動きのある土地であった。今は東京との距離。通勤には少し遠いいが、不可能ではない場所。次の時代を生み出しうる場所。私の住む舟原の魅力は、里地里山の暮らしの可能性にある。これを増幅して行けば、ブランドになる。軽井沢が別荘地としてのブランドであるなら、小田原は暮らしの深さ、奥行きにある。これは日に日に後退している。もう危うい所にある。しかし、今ならまだ可能性はある。可能性の大地小田原。次の時代の暮らしのヒントが沢山ある街。そうした仲間が居て、既に暮らしを模索している街。自給自足をしてみたければ、誰にでも始められる町である。農業に、林業に、漁業に、地に足をつけて暮したいと思えば、可能な街。つまり、地域に消費者が居る町。
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吉田邸炎上

2009-03-23 05:27:00 | 身辺雑記
22日大磯の吉田邸が炎上した。西武鉄道所有の建物である。15日、横浜市戸塚区にある国の重要文化財「旧住友家俣野別邸」が全焼。その前には藤沢市大鋸(だいぎり)にある昭和初期の洋館「旧モーガン邸」で出火し、木造の本棟と別棟が全焼した。 そして今回の旧吉田邸の全焼。2月14日には、杉並で「トトロの住む家」と呼ばれていた1929年建造の民家が燃えた。このように続くと、何か意図的に燃やしているような気がしてくる。犯人が居て、同一人物であれば、とても悪巧みに長けた人物のようだ。簡単には捕まらないような、証拠を残すような犯人では無さそうである。どうも寺院や公共施設ではないようなので、何か歴史的に評価を受ける民家に腹を立てて居る人物ででもあるのだろうか。小田原にも保存されている民家がある。気をつけなければ成らないが、放火というような捉えどころの無い犯罪に対するには、厳戒態勢と言っても難しい所がある。

こういう建物には、興味も教養も無いのであまり見ない。吉田邸については、先日集まりがあって出かけたことがあった。そのときにも少し触れたが、温室には感心をした。それは大きなガラス張りの部屋。実に居心地が良さそうだった。ビニールハウスに暮している人が居るのだが、上手く暮すとそれはそれでおもしろい。サンルームと言うのだろうが、とても大きい。二階建ての家がすっぽり入るような部屋だ。私の家でも改造して、猫のためのサンルームがある。8畳くらいのものだ。床はタイル張り、天井は二重のアクリル板。周りは木の建具でペアーガラス。タイルの下には床暖房も入っている。猫のための完璧なまでの部屋である。この部屋から、家中に暖気を取り入れる構造になっている。吉田邸では別段あの大層な本棟が素晴しいとは思わなかった。気取った文化人として振舞っていた吉田氏だが、いかにも財界人とか、政界人とかの好みは判った。

日本では全てが燃えてしまう。灰塵に帰す。金閣寺、法隆寺の夢殿、江戸は何度も大火で燃え尽きたようだ。そして、又再生してきた。吉田政治の終焉と思えば思えないこともない。延々とつづいてきた、自民党と財界の癒着政治の終焉になれば、せめてもの事である。企業から献金を貰わなければ政治が出来ない、と泣言を言う。政治はお金がかかる。繰り返しの言い訳。企業が献金するのは、企業にとって都合のいい、政治を行って欲しいから。お金で政治を動かしてきた。公共事業受注企業。電力会社の献金問題。以前は多額に行われ、問題化して自粛した。しかし、子会社役員からの、見えない献金は行われているようだ。取締り方法がないことは小沢氏の手法が示している。いずれ日本の政治は変わり目に来ている。経済も変わり目。

どこに日本人暮らしが行くかについては、諦めることはない。吉田大邸宅は燃えたけれど、あの温室は何故か燃え残った。大切なのは温室の方だと思っていた。客は豪勢な家屋で接待しておいて、温室で暮そうと言うような発想は良い。今までにないものを模索すること。もう大邸宅は終わり。日が出たら、温室の横穴から這い出てくるイメージ。あのガラスは外国から取り寄せたといっていたが、ペアーガラスではない。アクリルも無かった。新しいもので使えるものは使う。そして自然に則して暮す。燃えてしまうぐらいなら、解体してあの材は使いたかった。最近江戸時代の大樽の底板を手に入れた。厚さは10センチある。巾は広い所で45センチ。長さは2メートル。これを何に使おうか眺めている。生きているうちに使い方を思いつかないかもしれないが、こういう物は生かさないといけないと思う。
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能登島の農地

2009-03-22 04:51:25 | 地域
石川県の能登半島七尾湾の中にとても柔らかな島がある。「能登島」私が学生だった頃はまだ橋はなく、船で渡った。能登半島が少し重い空気なのに、この島に行くと不思議にのどかな空気が流れていた。何か格別の特徴があるという訳でもないのだが、ともかく悠久とか永劫とか、人間の暮らし以上の時間が流れていた。橋ができてからもいったが、とても変わった。ガラス美術館が島に似合わない様相でできた。異物のような感じになった。観光中心になったんだな。そう思わざる得なかった。「農業関連の土木事業は1962年から2005年までの43年間で300億円余りになる。」能登島の耕作地は2005年で410ヘクタール。1960年から、約373ヘクタール(47・6%)減った。農業就業者は60年の2462人から、05年には177人に激減した。

一方、「愛知県刈谷市が、優良農地(農振農用地)の土地改良事業完了から一年以内に工業団地化の構想をまとめ、転用の事前相談を受けた東海農政局が完了から三年後、許可する見込みを伝えていた。」どちらもいかにもありそうなことだ。農業が衰退してゆく姿。もがき苦しんでいる農地の事が見えてくる。全国いたるところで、農業予算で土地改良事業を行った農地が、後に農地で無く成るという事例は幾らでもある。住宅になり、工業団地に成る。崩壊ともいえる農業の中で、方向が定まらない。農地所有者の少なからぬ人が、農地以外に転用可能になることを、売る売らないにかかわらず、どこか希望している。土地の価格が10倍にもなる。資産管理が農地の目的化している以上。当然の希望である。そうして裕福になった事例をあまりにたくさん見てきた。

麻生首相のように、金融危機に対し、日本の成功した方法をアメリカに教えてやる。くらいの認識で居た人も居る。今でもまだ経済回復、とか幻想を持っている。山北に移った頃から、日本は1985年以降、本質的には経済は良くなっていない。海外の上昇に釣られて、日本が空洞する形で、日本人の暮らしが宙に浮いただけだ。背景にあるのは、どこかの国の貧困のお陰で、日本人の暮らしが裕福になる構図。経済と言う言葉は適当でないかもしれない。日本人の能力と言う方が正しい。実力がないのに、コロリ転げた木の根っこ。ウサギが転げてくるのを待つ暮らし。今もそうである。アメリカ経済の回復。中国経済の回復。自分たちが何を行うのか。こうした展望は、実に乏しい。政治家だけが、能力低下しているのではないと思う。官僚だって本当の人間力がないから、天下りと言うような所にしがみついている。

今国を挙げて行うことは、教育。米百表の例えどおりだ。人間の教育に投資する以外、日本人の生きる道はない。英才教育ではない。普通の人の普通である教育。国民全体の教育水準の上昇。学校の教員が忙しいなどと言う状態は、すぐにでも解消する。事務職員を一気に倍増する。教員に社会の優秀な人材を入れてゆく。教員の再教育の機会も充分にとる。学校には充分な農地を併設する。教育の多様性が保持されるように、初等教育から様々な対応を準備する。学ぶ側の個性に応じた選択の巾を広げる。社会人になってからも、学びたい教育を受けられるような、仕組みを整備する。還暦になってからでも学んで社会に貢献できるような、奥行きのある教育の仕組みを作る。教育への投資。一番立ち遅れた部分だ。企業が望むような即戦力的能力より、人間力を深める必要。つまり、美しいとか、悲しいとか、感激出来るとか。豊かな人間を作り出す教育。稲作の担って来た日本人を育てる教育が、今こそ再生される必要がある。
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水彩連盟搬入

2009-03-21 04:48:46 | 水彩画
水彩連盟展第68回展の搬入が、19日、20日とあった。搬入係なので早朝から新国立美術館に出かけた。会期は4月1日(水)~13日(月)7日(火)は休館となる。全国から1500点とか言う膨大な水彩画が集まってくる。連盟の名の通り、様々な団体個人が集まり出来たもので、絵の傾向も網羅している感じである。専門店と言うより、デパートと言うか、百貨店と言う方が良いか。そう先端の商品が並ぶ訳ではない。しかし、名実共に日本最高の水彩画の公募展であると、自負していいのだろう。もう一つ老舗の、日本水彩画会と言う立派な会があり、そちらの老舗にすれば、郊外のショッピイングモールのようにみ見えているかもしれない。いずれ、ありとあらゆる水溶性絵の具による絵画が集まってくる。新国立美術館にはいかにも適合した、公募団体の一つである。例えば、アンデパンダンテンも新国立美術館に移った団体であるが、どうも牙が抜けた感がある。

水彩連盟も年々出品者が増加してきた。最終数字は知らないが、今年は少し減少したのだろう。Nと言う会場設営会社が連盟も手伝ってくれていて、老齢化する出品者を手助けしてくれている。重いガラスの入った大作を運ぶことなど、もう出来なくなってきている。そのN社のTさんが情報通である。当然の事で、あらゆる団体の出品、審査、展示、搬出、と全てを手伝ってきている。当然内部事情的なことは、漏らさない節度があるが。出品作の減少傾向については、今年も話されていた。景気悪いからだろう。とくにお金のかかる、油彩画の地方からの出品が減少になっているらしい。1000点×400団体(全国)なら、40万点とか言う大作が描かれる。1点に5万円ぐらいの経費はかかるのだから、市場規模として、200億円。もう異様な状況と言える美術大国には違いない。これが1割減少したら、関係する事業者は全てに不景気と言う事になる。今そうしたことが起きているらしい。

美術展開催にはとても費用がかかる。水彩連盟の年会費は45000円。どんなに切り詰めてもかかる。高い所は10万円ぐらいの所も聞くから、経済的に参加できなくなる人も多数居るはずだ。Tさんによれば、続かない団体もでてくる可能性の話だった。絵のレベルで選別され、お金で絞られるというのは、嫌な話だ。審査と言えば、アンデパンダンテンは無審査と言う事だ。昼休みにアンパンの展示を見ると、審査の厳しいと言う団体と変わらぬレベルで、とんでもない作品がグンと減った。「これでも芸術だ。」と叫んでいるような、判断しようのないような作品が減って、きれいな新国立の会場に収まってしまった。土俗的芸能が、国立劇場にそぐわないと言うようこともあるか。反戦平和というような主張も、影を潜めてきた。他では拒絶されるようなものがあるのが、魅力だったのだが。ここにも経費の問題は影響しているに違いない。

自分の出品作を並べる時はドキドキしたものだが、今は普通である。家で見て居る時も、搬入の作業場で見るのも、当たり前だが変わりは無かった。以前は、搬入場所で、すぐ批評会が始まった。搬入されてくる作品を次々、楽しみで見ていたのだ。これは良いと、搬入場所で感心したものが、審査で落選すると言う事も間々あった。中には出品者自身が批評をしてくれなどと言うこともあった。以前は、担いで電車で持って来たものだ。描いた人自身が持ち込むことが結構あった。サイズも一回り、二回り小さかった。大きくないと入選できないと言う事があり、50号以下は先ず少ない。昨年私は40号にしたら、遺作なのかと思ったと言う人まであった。水彩画でこの事態だから、どうも普通ではない。水彩連盟を見てみたいと思われる人がいらしたら、招待状を送らせてもらいます。ブックマークのあしがら農の会のメールで、住所お名前をお知らせ下さい。
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議員が賛否表明を出来ない

2009-03-20 05:20:14 | Peace Cafe
議会運営委員会で、「議員個人の議決結果の公開を求める」陳情の審議を行いました。議会運営委員会は、委員長(公明党の堀村委員)とほかに6人。でも今日は、社民党の青木さんが欠席で5人でした。檜山議員と木村議員(フォーラム市民ネット)と、田中議員(共産党)の3人が、公開は時の流れであり当然と賛成。大村議員(グループ相和)・鈴木議員(至誠)が、小田原市議会はすでに開かれているので、そこまでの必要はないと反対。青木議員(社民党)の代理で出席した井原議員も態度表明は反対でした。(以上ある方から報告を戴いた。)

まさかという結果だった。同様の陳情は以前も行われている。又驚くべき結果になった。なんと言う旧態依然とした、小田原市議会であろうことよ。自分の意見が公開されることを避けたい、と言う意識はどの辺にあるのだろう。議員の議会での行動は公務であり、公開されない部分があること自体が、理解しがたい。それでもこれにはこれで理由はあるらしい。賛否の結果だけが伝えられることは、正しい議論が行われることを妨げる。確かそんなことだった。賛否でことが全て決まるのが、議会制民主主義である。ここで言う正しい話し合いと言うのは、さじ加減のようなものを意味するのだろうか。とくに大村議員は市民派を表明していなかったか。どう言う事なのだろう。青木議員の社民党と言うのは、一体あの社民党なのか。社民党本部に問い合わせてみたい。「あぁー小田原よどこに行く。」

議会に傍聴に行くと、ここで行われている話し合いは、確かにすんなり理解できる話は少ない。用語も市議会用語のようなものが存在して、市民の生活感覚の議論がされているとは思えない。市議会のネット中継をよく聞いているものとしては、失礼ながら、議論そのものが、市民生活実感を反映した、普通の話し合いにして欲しいとつくづく思っている。議論様式自体が、独特のルールのようなものが例えば、一問一答では無いようだ。回答者も指名できないようだ。質問者も大半が意見表明に終始している。朗々と演説を繰り返す人が少なくない。理念の表明が多い。議会という場で、自説を主張するのも良いが、具体的にこのことを、こう変える。そうした市民生活直結の具体的事物、問題が少しでもいい方向に変わるよう、その実現を目指してもらいたい。そして肝心の賛否は、傍聴に行ってもハッキリしないようにできている。

「日本農業はどうあるべきか。」これを述べるのもかまわないが。あそこの農道は、こうじゃないか。この辺に公共の堆肥場が必要じゃないか。レモンの今後の展開には、このことが必要だ。茶業には、こう言うプランが必要じゃないか。新規就農者対応にはどうする。農家の暮らしに繋がっている、具体的な議論の積み上げを期待したい。それに対する各議員の賛否は当然知りたい。知る権利も市民にある。知らなければ投票が出来ない。自分としては不本意な賛否の議員に、投票してしまうかもしれない。それらの背景にあるものは、市民への信頼感が成立していないのだろう。市民が成熟していれば問題は無いが、市民は利己的な、目先の利益を主張するものだ。こう言う認識が背景に、存在しているように思う。市民を尊重する、市政。これを否定する市会議員は居ない。とくに選挙のときだけは、市民は奉られ、尊重していただける。

<19日の議会運営委員会で「継続審査」となり、25日に本会議にかけられることはなくなりました。

 賛成は、木村信市・檜山智子・田中利恵子 各議員
 反対は、鈴木美伸・大村学 各議員
 欠席  青木正光議員

 議長が、3対2という拮抗した状態なので継続審査にしたらどうかと提案し、そのようになりました。25日に全議員の判断を聞きたかったのですが残念です。
しかし、傍聴に大勢の方が来てくださり、議員にはこの問題に対する市民の関心の高さはしっかりと伝わったと思います。
以上は陳情のため奔走されていた。Kさんからの報告である。短い言葉の中に、無念の思いがにじんでいると思う。ここにあるとおり、こうした賛否が判るのが困るのだろう。
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宇宙へ若狭さんが行く

2009-03-19 06:29:48 | Peace Cafe
北朝鮮が長距離ミサイルを、人工衛星と強弁して譲らない。各国の痛い所を上手く突いている。日本だって衛星を打ち上げ、偵察衛星を利用している。同じ技術であるのだから、そう言われてお前だけ止めろとは言えない。しかし、世界中でお前だけは止めろといっていることになる。世界の正義と言うのはそうしたものだろう。原子爆弾を作るという権利は、何故大国にだけあるのか。止めるなら全員で止めよう。これもしごく当然の話である。しかし、中国ですら自分は保持しながら、お前は持つべきでない。当たり前の顔で主張する。日本だって、アメリカの原爆を背景にしての発言なのだから、大きい顔は出来ない。それにしてもミサイルから切り離された部分が、日本に落ちてくるのでは北朝鮮の正義の理屈も、怪しくなる。北朝鮮の正義が国際的正義になるためには、全てを世界標準に合わせる必要がある。

若狭さんが宇宙に行くと言うのは、本当に意義あることなのだろうか。今まで7000億円かかっているそうだ。アメリカから費用分担が要請されている。1兆円ぐらいは必要。これからの日本を考えると、洗い直す必要がある。費用対効果と成ると、相当に怪しい。効果の中には当然、北朝鮮と同じ理屈の軍事的効果が入るのだろう。アメリカとソビエトは宇宙開発競争と言う事に躍起になってきた。その結果が気象衛星や、通信衛星が出来て、効果があったと言う事になっているのだろうか。一体その効果は、良い効果であったのだろうか。地球の方向は間違っていやしないか。成長神話のような、科学的探究心の危険は、どこにおけば良いのか。

その昔、アポロ計画で、人類が偉大な一歩を残した事になっている。あれから世界は良くなってきたのだろうか。あの時のテレビ中継を釘付けになって見た一人である。みんなが大絶賛で、地球の未来を語っていた。その中で、立川談誌氏がこんなこと無駄じゃねぇーか。こう言い放って、席を蹴った。今でもそのときのテレビの画面は忘れられない。あまりの絶賛は怪しい。ひねくれ者の方が時代を正しく見ていることもある。世界のリスクはドンドン高まった。北朝鮮が居ながらにして、原爆を日本に撃てる状況になっている。軍事競争と、宇宙開発は同じこと。若狭さんが明るく、健康な雰囲気で宇宙に出かけ作業をされている。そのことは素晴しいとは思うのだが、その作業が、世界に爆弾を落す作業と同じと言う事は、見落とせない。

次の時代が、どんな時代になるのか混沌としてきている。こうしたときはやはり地に足をつけて、考えた方が良い。地球自体が人間のお陰でコントロールを失い始めている。どの問題も解決どころか、悪い方向にさらに進んでいる。温暖化の事、水の事、食糧の事。戦争の事。経済の事。考えればどの問題も深刻なことである。解決の糸口もない。宇宙に行くことが、こうしたことから目をそらすことになるも怖い。自動車が生み出した便利さと言う事が、良かったばかりではない。ここまででそう言う事は良い。そうした歯止めが人間には出来ない。宇宙飛行士になられる人は、好印象を振りまく。いかにも健全そうである。頭脳も明晰そうだ。しかし、ちょっと待ってよ。そんな気分がずーとしている。私が、高い所は苦手だし。ジェットコースターなど乗れないタイプの人間のせいもあるだろう。

昨日の自給作業:トウモロコシの植える畝つくり1時間。累計時間:11時間。
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里地里山保全の予算

2009-03-18 05:34:42 | 地域
県も市も、つくづくお金が無いらしい。久野の里地里山保全の予算が、県と市併せて30万円である。経済状況がそこまで切迫していると言う事なのだろう。新規事業が取り組める状況ではない。むしろ、その中で30万予算措置をしてくれたことを、感謝すべき所かもしれない。感謝と言うか、力を入れていてくれる、関係者の努力が感じられる。お金の事は、ことの本質ではないから、むしろ今後の運営方法を工夫してゆく所だろう。ここまで進めてくる準備段階の方が、むしろモデル事業の予算があったと言う、逆転になってしまった。行政にお金がない。このことはよくよく判ったが、同じに人手もないらしい。市の農政課にはたまに行くので、感触はあるのだが、10年前とはだいぶ雰囲気が違う。ともかく忙しそうである。机の様子だと、人が減っている風でもないのだが、仕事が増えていると言う事なのか。ともかく手すきの人など居る状況ではない。

兄が県庁に勤めていたから、仕事の実態は聞いて知っているつもりだが、農政の複雑化が背景にあるのではないだろうか。長期低落傾向にある産業である。屋上屋を重ねている。様々に、新しい補助金事業が提案される。たぶん、行政の担当ですら、その全体を把握しているとはいかない。新規就農や、遊休農地に対する、様々なメニューは存在する。よほどの専門家でも存在しない限り、上手く活用はできない。とくに神奈川県という環境では、そうしたタイプの補助事業は、前例が少ないだろう。里地里山事業については、驚くほど熱心に行政の人がやってくれている。そのお陰で、一気に「明星登山道」が出来上がったといえる。他でも、メダカのためのビオトープ作りでは、同じ体験をした。思っているより、行政の人たちは行動が始まると、勢いがでてくる。どの人も休日出勤を厭わない。

これから、いよいよお金が無い、人手がない。その中でどのように工夫してゆくか。「業と結びつけて行く。」田んぼをやることが、採算が合うことなら、遊休農地など存在しない。農業が少しでも採算が合うものにする。全体で無理なら、地域で小田原ブランド化する。小田原にはメダカが居る。メダカの学校の歌が作られ、今も固有種が存在する。こうしたイメージと、お米とを繋げることで、付加価値をつけ有利販売する。先ず、費用がかからず出来ることからやる。給食での小田原米の利用。子ども達に地域の田んぼを守る大切さを知ってもらう。子供はパンが好きだとか、麺類が好む。そうしたことではなく。給食を小田原ブランドの未来のための教育手段にする。里地里山は景観が良い。これを生かした農業の模索。先行して成功している事例に協力させてもらう。個々の事業は、個人の営業ではあるが、これに協力できる方法が無いのか、当事者を含め研究する。

地元の事業者がより活性化することしか、里地里山を維持してゆくことは出来ない。その意味で、地域にたぶんに存在するだろう、開発規制になる不安。この問題でも、充分地域全体の計画の中で、開発と対立するのでなく。里地に相応しい開発はむしろ協力してゆく必要もある。本来の里地里山は人の暮らしである。自然と人との、好ましい関係の模索だろう。暮らしが崩壊して里山はない。そうした理念を充分に、議論して行ける環境を作る。優良田園住宅においても、それが乱開発になることは困るが、むしろ環境保全の新しい人材が来てくれる可能性も、高いと思っている。お金がない中で、そうした情報が流す方法。それはホームページしかない。「久野と言う所は里地里山保全をやっているらしい。そういうところに住みたいねー。」こう言う人はたくさん存在する。良い環境保全が、地域の活性化に繋がる。
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小田急フードエコロジー事業

2009-03-17 05:51:28 | 環境関連
食品廃棄物の豚の飼料化事業の見学をさせてもらった。「小田急フードエコロジー」以前から、畜産試験場の情報で、食品廃棄物を液状にして、発酵させている試験が進んでいるとは聞いていた。南足柄で養豚をされている相原さんから、見学に行くのでと誘われた。「鈴廣」でも廃棄物の有効利用を研究しているので、一緒に行くと言うような話だった。鈴廣は環境意識も高い部分もあるし、地域主義でやっているので、とても楽しみにしていた。ところが、参加できないことに成り、二見さんと志村さんと石井さんが参加してくれた。場所は相模原市の田名。小田原からだと50キロほどの所。実はどうせ、と言う安易な気持ちがあったのは、事実だ。リサイクル事業の見学では大体に現実離れしたものが多く。距離を感じることが多いいからだ。

小田急と名前があるように、小田急デパートや、小田急系のスーパー、そうした所からでる食品廃棄物を、豚の飼料として再生し、そうして育てられた豚を小田急系列で販売する。そういうところらしいとは聞いた。どうせ、そういうラインの中だから、成立しているのだろう。そう思っていた。所がこれは、すごい、素晴しい所だった。小田急フードエコロジーセンター顧問と言う肩書きの高橋巧一氏が、気軽にお会い出来たこと自体が奇跡のような方だった。目を洗われるとはこのことだ。企業の倫理を体現するような、大きな理念での事業だった。鉄道事業のこれからは、鉄道沿線の付加価値を高めることが、会社の未来でもある。開成町町長の露木氏を思い出した。普通高橋氏のような、理想家は会社ではちょっと困る場合もあろう。今の企業は直接の利益を求める。何か話を聞いているうちに、小田急沿線に住んでいることは幸せなのではないか、とまで空想してしまった。

一番すごいのは、一般廃棄物の回収コストが、普通の半額以下である。そして飼料としての販売額も、普通の半額になっている。そして事業としての採算性も、成立していると言うのだ。しかもこれらの事業がグループ会社内のリサイクルではなく、一般企業対象の事業となっている。そう一番感激したのは、小さな養豚家を大切に育ててる連携となっている。「フードリサイクルは多様性を大切にしなければならない。」事無げに言われた。しだいに、この事業以上に、高橋氏の人間に興味が深まった。この事業は4年前に立ち上げたそうだ。さらに10年前から実験を続けていたと言う。どうも国の未利用資源検討審議委員をされていたらしい。あまり個人的なことを語られるようなタイプでないので、そのあたりは良く判らなかったが、研究者のような印象の方である。

既に大企業を中心に、こうしたりキッド飼料の研究、実践は進んでいて100社を超えているらしい。高橋氏が協力して、日本ハムなどでも30万頭という規模の養豚場で進めているそうだ。国産飼料が叫ばれ、食品廃棄物の利用が模索されながら、たいていの事業が失敗に終わっている。企業的循環と言う形で、こうした新規の食品リサイクル事業がかなりのペースで進み始めているようだ。利益中心で考えれば一箇所の養豚場で行えばいいことなのに、何と養豚場に合わせて7種類もの餌を作っているらしい。農家養豚も良いですよ。取りに来る方式ならさらに安くだって出来ますよ。こう言う方が居て、こういう方を大切にする企業がある。まだまだ日本は大丈夫だ。
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