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欠ノ上田んぼの紹介

2018-04-30 04:28:40 | 地域

欠ノ上田んぼは小田原久野の田んぼです。5月26,27日が田植えになります。田植えをやってみたい方は、メールで連絡いただければ参加できます。参加いただいた方には、この田んぼで採れた2キロのお米を差し上げます。

欠ノ上の田んぼは江戸時代初期に開田された。久野川河岸にかなり大規模な土木工事を行い作られたと思われる。標高は80メール。いわゆる谷戸の棚田である。日本全国で江戸時代に入り開田が盛んにおこなわれる。徳川幕府のすぐれた政策のひとつである。多くの干拓事業や水土事業がおこなわれた。小田原久野でも少しでも田んぼを増やそうと、水路や溜池が作られてゆく。欠ノ上は水土の条件はあまりよくない地域だった。山を隔てた坊所から天子台という山の下に2キロほどのトンネルを掘り抜いて水を運んだ。大変な難工事だったはずだ。さらに一つ上の集落である舟原に3つの溜池を作った。その水を利用して集落の全体が田んぼに取り囲まれる地域になった。その結果山間の集落に10ヘクタールほどの田んぼが出来た。その棚田の久野川沿いの真ん中あたりにあるのが、いま私たちが使わしてもらっている欠ノ上田んぼである。

現在は緑肥の大麦が美しい。田んぼでも畑でも美しなければならない。

このあたりの田んぼは今から50年ほど前に、みかん畑に変えられていった。そしてみかんの輸入自由化に伴い徐々に放棄された。今でも荒廃農地化した元みかん畑だった場所が小田原には無数にある。この荒廃農地が国の元気回復事業の対象になった。地域の建設業に仕事を提供するという目的であった。農地が再生された後、誰かが有効に利用してゆかなければならないという事が条件にあった。元気回復事業の荒廃農地の選定を行った里地里山協議会の中で、欠ノ上の田んぼを再生したら、農の会で田んぼをやってくれないかという事になった。もう10年ほど前のことになる。そして田んぼ再生計画を笹村が作り、復田をした。しかし、何処の農地も同じ結果になったのだが、建設業の方たちは農業のことを知らないから、田んぼに石が沢山混ざる結果になってしまった。今もその膨大な量の石に悩まされている。

苗床では順調に苗が生育している。

久野川の左岸に位置する棚田14枚に分かれた6反の段々畑である。そこを現在、大豆の会が3枚。岡本さんが2枚。欠ノ上田んぼが12枚。畑を1反ほど耕作している。当初のメンバーの多くは原発事故を契機に止めることになった。そこで、舟原田んぼをやっていた笹村が、新メンバーを加え再出発した。もうあれから7年になる訳だ。現在の参加者は石原夫妻。岩本正。上野夫妻。太田夫妻。恩田夫妻。黒澤家族。近藤夫妻。笹村夫妻。清水康。白石登志子。杉山家族。根守良一。松田夫妻。吉田夫妻。渡部純一郎。である。12枚を、それぞれ担当が決まっていて、基本は自分が管理する田んぼは決まっている。それぞれの能力と、状況に従い、担当する田んぼの面積は異なっている。笹村は水管理だけの担当でずいぶん楽をさせてもらっている。過去最高のチーム欠ノ上になっている。

発芽の状態。このニョキっとした芽が太く、たくましいほど良い。発芽の量もパラパラで丁度良い。

耕作方法は苗床直播の苗作り。5葉期手植え。29㎝角植え。1本植えが中心。深水管理、流し水管理。ソバカス抑草。一部冬季湛水。徹底した転がし。水を温める水路でのクワイの栽培。平均的に畝取りを達成している。120キロの分配を目標としている。ほぼ達成してきた。理想の家庭イネ作りの形を追求している。専業農家のイネ作りとは違うやり方である。しかし、家庭イネ作りとしての合理性のある方法を追求している。田植えは手植えの方が楽しいというような、田んぼを楽しみながら、専業農家以上の収量を上げる方法である。田んぼをとことん味わう家庭イネ作りといえるだろう。一人ひとりでありながら、みんなとの緩やかな連携が保たれるという事。この誰でも畝取りできるやり方を現在「家庭イネ作り」という本にまとめている。農文協が出版してくれることになっている。

私がこの田んぼをやるのはあと2回と決めている。家庭イネ作りの農法を学んでみたいという方がいたら、最後の機会になる。自然養鶏もそうだったのだが、今でも教えて欲しいという方から連絡がある。終了してからでは、お互い残念なことになる。

 

 

 

 

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大徳寺のアニメ襖絵の歴史的評価は

2018-04-29 04:18:26 | 水彩画

大徳寺にアニメ襖絵が出来るそうだ。おかしな世の中になったものだとまずは思った。客寄せなのだろうとでも思うほかない。数奇というような枠に入ることなのだろうか。後世にこの時代の日本の絵画の文化レベルを残すことになる。絵を描く人間として、耐えがたいことだと感じていたのだが。確かに世間全体から見れば、こういう事なのかもしれないと思い直した。アニメ襖絵なら人を呼べるが、文化勲章の大家の絵でも人は呼べない。生きている絵という意味ではアニメ作家の物の方かもしれない。私自身の興味もそうだ。そのことに却って気づかされた。もうアニメとか絵画とかイラストとか、分けて考えること自体が時代の状況とは違うのだろう。世田谷学園の美術部も私が指導したころから、アニメを作りたいという人が中心だった。世間と平面作品の関係という意味では、当然アニメ襖だろう。アニメという手法に人と繋がる力があるという事だ。

「釣りバカ日誌」北見けんいち、GAINAXの山賀博之、ゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズで上国料勇、アニメ「オトナの一休さん」伊野孝行ということである。絵としては私はよく知らない。知っていたところで水彩画としてそれを判断したのでは見当が違うのだろう。見当が違う事は承知で写真ぐらいは見てみたいとは思う。何かを確認しておきたい。この時代を確認したいという事になるのかもしれない。外された長谷川等伯の襖絵も今の時代に見ると、描かれた当時とでは違うにちがいない。等伯の絵も日本画離れしている。普通の絵を超えていたように思う。後世に残るのは運命のようなものが絵にあれば残るのだろう。今から400年もし残っていて、未来の人はどう見ていることだろう。どうでも良いという事か。

50年前に予言していた通り、絵を完全に再現できる技術が確立してきたと報道されていた。何千万円も現状ではかかるそうだが、そのくらいで出来るのであれば、モナリザの完全複製を希望する美術館もあるかもしれない。こういう技術は忽ちに、何万円単位までコストダウンするだろう。本来アニメという技術は印刷する前提で描かれている。格安で普及してゆき、新しい手法になるのかもしれない。私自身は判別の付かない複製が出るという前提で最初から描いていた。だから、技術という方向に行かなかった。職人的技術というものは機械の得意とする分野である。レンブラント様式で家のおじいさんをお願いします。フェルメール様式で娘をお願いします。こういう時代が来ると思っていた。どうもこの予測は外れそうだ。北見けんいち様式でおじいさんで、上野料勇様式で娘を打ち出してくださいの方が可能性が高い。まあ、美術史的に生きてきた者としては、ずいぶん情けない結末が待っていそうだ。北見けんいち氏とダビンチが同じ価格の時にどちらを選ぶようになるのかである。まあ、選ばれるから価値があるという訳でもない。

希少価値というものが絵から消えるという事は大切だと思う。骨董価値とか投資対象とか、そういう物とは別世界になるという事は絵画にとって健全なことだ。水彩画の批評でイラストのようだという言葉が、否定的に使われる。絵画はイラストではないというようなことを時々耳にする。この言葉の語感はイラストを少し低いものとする空気があった。しかし、アニメ襖絵とくるとさすがに雰囲気が一転するものがある。アニメ襖絵の大徳寺と同じものを注文するお寺さんが現れるはずだ。一つの市場になるかもしれない。これは麻生財務大臣の発想に似ている。アニメが日本文化の代表という意識だ。確かに経済効果とか、海外の日本への関心となるとそいう事だろ。これを壁紙化するというのはなかなかのことかもしれない。私絵画の意味が、ますます重要になる。生きる一人の人間としては、日々をより深く味わいたいと思う。この顛末は400年後のことになる。

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舟原溜池は予定水位まであと5センチ

2018-04-28 04:21:34 | 環境関連

強い雨が降り、舟原溜池は満水に近づいている。上の池は上手く水がはけている。この溜池は江戸初期に作られた農業施設である。この農業施設をそのままにして、ビオトープのように手を入れてはならない。とする環境原理主義があった。とんでもないことで、ここを養魚場にしたとしても、蓮池にしたとしても、何の問題もない。以前は魚が放流され、釣り場になっていたのだ。当たり前のことだが溜池というものは、地域で暮らしに役立つように様々な形で利用されてきたものだ。田んぼが減少している中で、可能な形で利用することで、この溜池が維持される可能性が出てくると考える。農業遺構として、税金で管理するというようなことは、すでにできないことである。当面はこの溜池を農業遺構であるという共通の認識を持つことからだ。その結果、この地域の人が誇りの持てる、憩える美しい場所として大切にできれば、それが一番よいのだと思う。

60センチくらい水深があるのだが、ガマの穂が出てきている。手入れをしなければ、ガマの穂が水面一杯に広がることだろう。もう少し深くすることで広がることを制限できるかもしれない。左のミズキの枝を取り巻くように山藤が咲いている。なかなか美しいものだ。キブシ、こぶし、山藤、ミズキとなかなか見事な舟原の春になった。花が咲く美しい場所であるという事が、まず第一ではなかろうか。花は人を呼ぶ。人が来るようになれば、美観が維持される。大切な場所にしようという人も現れるはずだ。私はあと1年半で小田原を離れることになる。そうでなくても歳をとり草刈りも出来なくなる。誰かが引き続き管理してゆきたいと思うような場所にそれまでにしたいと思っている。美しい場所にならなければ、保全は出来ない。

排水口部分、ここもなかなか面白場所だ。

環境保護運動には原理主義がある。県の環境関係の職員にこの溜池をのことを相談して歩いたのだが、すべての方がそのまま残さなければならない。何かを持ち込んではならないという考えだった。環境というものをどういうものと考えているのか信じがたい思いになった。イスラム原理主義というものがどういうものかわからなかったが、自分たちの権力の拡大の主張にイスラム教というものを持ちだして、正当化しようとしているように見えた。イスラム教を持ち出せば、議論を封殺できる。環境運動でも環境保護という言葉を持ち出せば、論理を超えた錦の御旗のようなものとして、議論を抑えられるというような傾向である。私も小田原めだか会議の一員であった。小田原メダカの生息地を守る会にも参加していた。有機農業をしている。有機農業の方が環境に良いという意識もある。しかし、こうした活動の中で環境原理主義が障害になる。困ることの方が多かった。田んぼを干すのは環境破壊だといわれたことすらある。農業をやるという事はそもそも環境破壊である。その中で、環境の中に自分の暮らしを織り込むという事が重要と考えてきた。環境の中に暮らしを織り込むことができるかを模索してきた。

環境原理主義者に閉口するのは、暮らしの自然への折り込み方に苦情を言ってくるからである。自給農業に生きるという事も環境に負荷を与える側面がある。負荷を与えるし、環境を豊かにすることも行う。その綜合の中で、かろうじての調和を探そうということなのではないか。農業は美しいものでなければだめだ。原発と比較として太陽光がマシだと考える。電気を使わない暮らしが可能なら別だが、それが出来ない以上仕方がない。人間が生きるという事は環境を改変するという事だ。特に農業は環境破壊そのものだ。しかし、手入れをすることで新しい永続性のある自然の使い方を探しているのだ。生きる以上ものを食べる。あくまで比較的マシな農業のやり方を選択できるだけだ。一切自然に手を付けないというような原理主義的選択はない。人間の生きるすべてがそういうものなのだ。完全を求めて、調和というものが見えなくなる。ここが原理主義の怖いところだ。

 

 

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イネの発芽

2018-04-27 04:05:44 | 稲作

イネが発芽した。当たり前のことなのだが、芽が出るまで夜中に目が覚めるほど心配だ。田んぼを始めてからこのドキドキ感は少しも変わらない。それだけに発芽を見た時の喜びも大きい。種まきが4月21日だった。糯米の「峰の雪もち」が4日目の25日の発芽。サトジマンが5日目の26日の発芽。ほぼ例年通り展開である。早生品種の方が早く発芽する。糯米の方が早く発芽する。今年は良いと思う事はすべてやってみた種籾である。春分の日に海水で籾洗い。久野川に3週間浸種。冷蔵庫で5度で2週間。苗床も丁寧に作った。加えて、比較実験用の悪い状況でどうなるのかの実験種籾の播種。水道水に付けて、3日目に播種。これでどんな差が出るのか比較してみている。さてどうなることやら。違わないのであれば、手をかけない方が良い。今年は何しろ暑い。地表が45度にもなった。この影響が苗にどのように現れるのか。今朝の温度で、17,7度だった。昼間は35度は超えている。出来るだけ早くビニールをとりたいが。早すぎると雀が来る。

種籾で重要なことは2つある。一つは発芽までの条件。これがイネの一生の性格を左右する気がする。ここでがっちりした芽を出す。その条件はまずは充実した種籾であること。そして、充分に低温の川に浸すこと。そして5度の寒さに充てること。これが揃うと、発芽したものは極めて強健な病気になりにくいイネになる。今までの経験でそう思い込んでいるに過ぎないかもしれない。たまたま上手くいっているのかもしれないが、試行錯誤しながらどうもそれが良いようだという、結論に至った。農家の実践的な結果というものをどのように、次に繋げればいいのだろうか。

3葉期を過ぎてから、田植えをする5葉期までのすくすくとした勢いのある生育である。それは苗床の土壌が充実しているかどうかで決まる。良い条件であれば、目覚ましいほどの生育をしてくれる。5葉期の状態で、葉の厚みがあり、充実した茎。根本から分げつが始まり、一気の成長を見せる。そういうことを可能にする土壌でなければならない。

ここは3度代かきの実験をする田んぼ。トロトロ層というものが出来るのかどうか。稲葉民間稲作所のやり方に従って実験してみている。他の田んぼとトロトロ層のでき方が違うのかどうか。できる限りのことをしてみようと考えている。トロトロ層田んぼで良く言われる、イトミミズというものが出たことがない。いない訳ではない。イトミミズは7番田んぼの前の水路にはいる。

田んぼの畔はバンカープランツである。これが現在の状態である。が茂みのようになっていることで、様々な虫の生息地が出来る。稲作を行うという事は、単一的な生物環境になり、豊かな生態系を作るためには、条件が不足している。そこで畔を茂みにすることで、環境の補正が行われる。本来であれば一年中こうしておきたい。しかしこれでは作業が出来ない。田んぼの水漏れもわかりにくい。まずは一回目の草刈りが、田植え前になる。刈り取った草は上手く田んぼの中に戻したい。こうした草の量も田んぼの腐植量の増加につながる。

 

舟原田んぼの入り口部分のクリムソンクローバーが良く茂り咲いている。何故か畑に近いような場所には冬の緑肥が良く茂る。菜の花でも田んぼでは難しいのだが、畑ならそう難しいものでもない。以前からし菜を養鶏場で作っていた。ただ種をまき散らすだけで、上手く行っていたのは何故なのだろうかと思う。ともかく田んぼで安定して緑肥を作るには工夫がいる。

 

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野党にやらしたってだめだろう論

2018-04-26 04:15:24 | Peace Cafe

自民党はさすがにひどい。内閣支持率は20%台に落ちた。それでも野党への支持がなかなか集まらない。野党はアベ内閣よりももっとひどいだろう。こんなコメントを時々テレビで聞くようになった。野党がだめだというイメージの定着はこういうテレビに出てくる評論家と称する人たちの、誘導でかなりの部分出来上がってゆく。テレビ朝日のセクハラ対応で分かるように、アベ政権にたいして、臆病なくらいの忖度をしているのだ。そうしなければテレビ会社としての経営が出来ないという、内向きの意識であろう。野党を育てるというような報道を作ることも報道の役割ではないのだろうか。報道は権力批判をするという、社会の公器であるという意識がもうない。権力におもねり、その時の潮に乗って流されるだけのようだ。今行われている、安倍政権批判の番組作りも、その安全弁として野党の無能をさりげなく主張して、逃げ道を作っている。

野党だってだめだ。野党に変われば官僚の協力が得られなくなる。本当に国を動かしているのは官僚なのだというように、何かにつけて、野党の能力不足という負の刷り込みが繰り返し行われている。確かに、民主党政権をつぶした官僚である。そしてアベ政権には何故か、献身的に使えている。アベ政権が官僚の扱いに巧みという事なのだろうか。批判しかできない野党というレッテル張。共産党は主張は正しいのだけど、正しいだけでは世の中上手くいかないよ。清濁併せ吞むのが、政治というものだという様な風潮が作り出されている。確かに、国民の政治の選択はどっちを選べば、自分の景気が良くなるかということであろう。自分の得になるだろうかという事が選択判断。だから政府の不正に対して、批判的な投票行動に結びつかない。確かに現実はそんなものだろう。否定はしない。しかし、この得な方の選択は、結局のところ得は権力に集中してゆく結果になる。森友、加計を見ても、権力に近い人ほど得をする。だから、自民党政権が続くのだろう。現世利益の公明党も得な方得な方と選択して、今与党にいる。平和の党などという看板は下ろした方がいい。

自民党も野党も憲法論議はどうしたのかと思う。安倍氏自身があれほど憲法改定を主張しながら、自民党の憲法検討会では、出席して意見すら述べていない。そして、自民党では議長一任という事になった。憲法はそれほど軽いものなのか。今度こそ憲法の議論があるのかと思っていたのに、この国会での一番大切な部分が抜け落ちている。そして、これ以上安倍政権の不正追及を続けるなら解散総選挙だ。このように野党を脅している。国民が不正を選挙の選択にはしないと確信しているのだ。憲法に関する議論がないままおかしなことをやらないか心配でならない。私は平和憲法を守ってくれる政党に政治を任せたい。しかし、それはどうも票には結びつかないようだ。日本の農業が続いてゆく政策を希望する。しかし、それも票には結びつかない。

こうした政治の結果、格差社会が作り出される。格差社会の怖いところは、格差が固定されるという事だ。建前としては自由な競争なのだが、競争の基盤に格差が生まれ、公平な競争が出来なり始めている。50年前は自力で大学に行く人もたくさんいた。私自身の経験でもある。それが今の社会では不可能になっている。今の野党は政権の不正を暴くことが役割になっている。確かにそれも大切なことだ。しかし、今回の忖度事件の事実は別に暴かなくたって、ほとんどの国民は事実をわかっている。それを国民がどう判断して、投票する政党を決めるかが重要になる。悪いことはしているが、悪い奴の方が得をさせてくれる。国民の選択が特になりそうな選択ばかりではどうにもならない。国会で証人喚問をやったところで、空しいばかりである。野党はどうすれば、官僚の忖度行政を切り崩せるかの提案をすべきだ。ソフト独裁と報道の馴れ合い関係をどうすればよいのか。前向きな提案を出してもらいたい。国民はそうした希望を感じる提案を待っている。探しているのだが、今のところ見つからない。どなたかご存知の方がおられたら教えて欲しい。

 

 

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自給自足の暮らし

2018-04-25 04:12:24 | 自給

生きるという事を味わうためには、日々の暮らしを大切にしなければならない。自分の絵にたどり着くためには暮らしから始めるしかなかった。絵をよくするという事はとても難しいことだ。絵という事物があるという事は幸いなことだ。絵は年々上手になりながら、徐々に悪くなってゆく。悪くなることを上手さで補おうとしているのかもしれない。よほどの覚悟がなければ、上手くならないでいられないものだ。工芸であれば、上手いほど良いのだろう。ここが難しいところだ。絵画は工芸品ではなく自分という人間そのものだ。絵を描くことは感覚に動かされる側面が大きい。人間は若いうちの方が感性が優れているのが普通だ。だから、20過ぎたらただの人ではないが、よほどの人だけが感性というものを超えて、だんだん良くなってゆくもののようだ。この時代でもわずかの人だけが、年齢を重ねるに従って絵がすごくなる人がいる。そういう人の生き方を学ぼうと考えた。すると、絵の描き方というより、暮らしというものが違う。日々の暮らしのことを考えざる得なかった。

そこで、一度絵を離れて暮らしを立て直そうと30代後半に考えた。暮らしを変えなければ、自分の絵どころではないと思えたのだ。私の場合、若いころ感性が良かったわけでもない。要するに頭を使い、絵に関する情報をまとめあげて、上手くでっちあげようとしただけだ。そういう情報を工夫して絵をでっちあげるようなやり方が、何もならないのは当然のことだった。絵の世界が衰退したことが、その結論なのだろう。音楽と較べればよく分かる。この50年は絵画の社会的な意味が失われてゆく過程だったようだ。絵画の芸術としての社会的意味は失われてゆくのに、何故絵が好きなのだろう。何故、絵を見て感動するのだろう。何故、絵が描きたくなるのだろうと。あれこれ試行錯誤を続けた様な気がする。そして、徐々に私絵画というものに至った。人間を楽しませるとか、人間に影響を与えるとか、絵画は社会的な意味は失ったが、私自身には重要な絵を描くという行為が残った。この自分と切り離すことのできない、絵を描くという行為を突き詰めてみたいと思うようになった。

日々の暮らしというものを見つめ直すほかなかった。何を食べたかという事と、どんな絵になるのかという事は、密接なものだ。絵を描いている間に昼飯をどうするか。コーヒーは飲むのか。どうもこういう事が、その時に描いている絵に直接的に影響する。満腹で眠くなれば、どういう絵になるかというような生理的なことだ。絵を描くという事は、無意識化しているものを引き出すというそこ面が大きく占める。自分の肉体をどのような状態に置く必要があるか。これから絵を描き行くときに、帰りに牛乳を買ってきてくれと言われただけで、忘れてはいけないという心理で、一日絵が描けなくなったりする。自分を作り出す方法。自分を引き出す方法。坊さんの修行のための暮らし。座禅を組むのに、面倒くさい条件を設定する。朝の明けてくる時間。夕の日の暮れてゆく時間。この時が良いという。気が向いた時ではだめなのだ。しかもそれを習慣化する。日々の暮らしの中に織り込むという事が大切なようだ。

自分が出来ているのは食べ物だ。自給生活をしてみようと考えたのは、そこにあった。物存在としての自分が出来ているのは食べ物によってである。この食べるものを自分の手で作るという事が、自分に至る方法の一つではないかと思った。超スローフードである。それは心地よい暮らしではない。良いものを買って来て食べるというような、甘めの暮らしの方角ではない。まあ、そう思い詰めたわけだ。もちろん正解などない。自分という一度の命をこうして突き詰めることにしたのだ。あれから30年が経った。自分というものが30年で少しは進んだであろうか。それは絵が示している。絵を見ると進んだとは言い切れないと思う。ただ言えることは絵があるおかげで、大したことはない自分というものの前にいる。大したことのない自分の自覚ができた。がっかりさせられるが、まだ諦めていない。わずか進んでいるように思えることもある。進んでいると言えるほどではないが、間違った方向ではなさそうなのだ。ずうーと下って、自分に向ってはいる。わずかとはいえ進められているとすれば、まだ期待はできる。

 

 

 

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財務次官と報道機関

2018-04-24 04:41:35 | Peace Cafe

福田財務事務次官によるテレビ朝日の女性記者に対する、下劣な言葉が録音された。聞くのもつらい言葉である。そしてそれを、福田次官は世間に公表されてからも、全部を聞いてもらえればセクハラではないことがわかると主張している。麻生財務大臣は一貫してかばうような姿勢だ。さらに自民党下村議員はその女性記者を犯罪者扱いをした。自民党の長尾敬衆院議員は抗議した女性議員集団に対して、セクハラとは縁遠いかたがたと暴言を吐いた。そして政府は福田氏の処分を行おうとしない。これが女性活躍を政府の目標とする国の実態なのだろうか。女性蔑視は日本の伝統と言われるが、今回の事件はそれだけでは済まない行政の腐敗が推測される事件である。自民党の議員たちの感覚ではこの許してはならない事件の深刻さが理解さえできない。まるで日本が明治政府の時代に戻っているかのようだ。これを正すためには、政権を変える以外にない。腐敗構造をひっくり返して、沈殿している腐敗物を流し去る以外にない。

競争社会の中で弱い立場の人間がどのように扱われているかを考える必要がある。忖度の精神構造と同質のものである。忖度を受け続ける立場の人間たちの感覚がマヒしたのだ。弱い立場の者が、どんな気持ちで取材の努力をしているかを悪用したわけだ。悪用している意識すらないのが、ソフト独裁の意味だ。テレビ朝日によると、1年半も前から、こうしたひどい取材が続けられていたという事のようだ。この女性記者が週刊新潮に録音を持ち込んだ。そのことでテレビ朝日はこの女性記者の行為が、会社の業務として取材した内容を週刊誌に持ち込んだことは、記者として許されないことだとしている。これもまたひどい見解ではないか。会社内部で福田氏の問題を報道すべきと主張したという。テレビ朝日の上司は、我慢しろそれが女性記者の仕事だというレベルの判断しかできなかったのだ。福田氏もひどいが、テレビ朝日はさらにひどい。これが日本という国の倫理観の喪失した競争社会の実態なのかと思うと辛い。

報道機関は若い美人の女性記者を政府の取材に配置する。それが内部に食い込んだ取材をしやすいからだ。こんな政府はまともではないだろう。福田次官は複数回この記者を呼び出し、取材と称した会食。あるいは接待をさせた。女性記者は聞きだしたいことがあるので、喜んで伺いましたという顔をして酒の相手をしながら、取材をしたのだろう。それが報道機関の特ダネをとる取材方法なのだろう。どれほど腐った官僚と政府なのだろう。我慢して福田氏の呼び出しに応じざる得なかった所に付け込んでいる。事件が週刊誌に掲載した途端、財務省の対応は名乗り出られるものなら、名乗り出てみろ。このように財務省も福田氏も名乗り出れないことを予想していたのだ。女性記者は自分の立場を犠牲にしたとしても、何とかこのひどさを公表することこそ、報道の役割と考えたに違いない。週刊新潮に録音テープを持ちこむしかなかった。これはテレビ朝日をまともな会社にするためには必要な行為であろう。

報道機関の取材の実態が表面化した。報道もそれを受ける官僚も政府も、ひどい状態が続いている。日本を動かしている組織が大変な状態になっている。大変な状態であるにもかかわらず、その自覚すらない。明治の昔にもどったような実態である。もしかしたら、政治の世界はこういう暗い因習の続く、世界のままなのであろうか。世間の方は少しづつ改善されてきている。政治とか官僚というような権力を持つ世界にに行けば行くほど、古い体質を温存させているという事か。そして、それに媚びるような忖度報道機関の実態がある。政治と報道の癒着。これがアベ政権のソフト独裁を支えている。ソフト独裁は支配される側が優遇されたいがあまり、差し出して作り出してしまう構造が背景にある。安倍長期政権が、麻生長期大臣が、この明治時代に戻るような陰惨な暗黒政治を復活させているのだ。自民党政権の奢り。長期政権は日本の悪い因習までも復活させている。この問題を矮小化してはならない。

 

 

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沖縄の戦後史

2018-04-23 04:49:39 | 石垣島

日本の戦後史が今の日本の政治状況を作っている。アベ政権というものの背景に保守勢力がある。今の政治状況はその最後のあがきという事だと考えている。最後だからと言うのはこれで終わるというのではなく、新しい武力主義を台頭させようとしている。それは日本という国がどこに進むべきかという事を見失っている為に、分かりやすい拝金主義に傾斜しているのが現状であろう。革新的な勢力の方は、現状否定はしているが、明確な方角は示せないでいる。戦争に敗れた結果として目標としてきた平和国家への道も、見失っているような政治状況。その結果、自衛隊の存在を現実として受け入れる自己矛盾のようなものの上に国の安全保障がある。自衛隊を普通の軍隊にしなければ、日本の安全保障は成り立たないと考えるのが安倍勢力なのだろう。一方で、武力を放棄して平和外交で安全保障を確立しようというのが、革新勢力である。現実世界は、この平和主義が到底通用しないように見える。しかし、武力主義に戻れば、世界は次の戦争に向うという現実も迫っている。さあ日本は何処へ行くのだろうか。

この絶望的な妥協点のない対立が、日本の政治を不毛にして、政治への期待が持てない状況にしている。この原因は明治維新以来の日本の方角をどのように認識するかにある。このことを考えるにあたって、沖縄の歴史を考えてみると見えてくるものあるのではないだろうか。沖縄にある状況は、全く日本本土とは異なる。江戸時代琉球王国として、日本とは異なる国として存在した。民族的には日本人であったが、歴史的には日本に支配された国として存在した。このことが今の沖縄の状況に大きく影響する。沖縄から見た日本というものが存在する。このことをどのようにとらえるかである。そして、戦争の体験も全く違った。そして米軍による基地の島としての占領。この違いが今に至る沖縄の独自性になっている。普天間の問題も、辺野古移転の問題も、この沖縄の歴史を学ばなければ、全く見えてこない部分がある。厚木基地の米軍兵が起こす事件と、沖縄の米軍兵の事件とは、違う感触を産むことになる。

沖縄は受け入れて融合する文化である。宗教を見るとそれがわかる。神社と御嶽。墓地の形。拒絶はせず、融合を求める。武力を放棄させられ、平和的に支配者と接する中で、自分たちの独自の文化を生み出す努力をした。対立よりも妥協。妥協しながらも自らを失わない。これが沖縄のアイデンティというものなのだろう。石垣島といえば、沖縄本島の琉球国からの支配。薩摩藩の支配、さらにその上位に徳川幕府。その複雑な支配の中で、八重山という自己存在をどのように確立するかということがある。沖縄で生まれた空手の文化というものがある。刀という武力を禁じられる中で、どのように身を守るか。防衛をするかである。空手に先手無しという文化である。防衛のみの武力が空手なのだ。この精神こそ日本が目指すべき平和外交のカギがあるきがする。オリンピック種目になった沖縄生まれのスポーツの意味を再認識する必要がある。相手を威嚇しない、空手という自己防御の武力。いわば自衛隊の本来の精神である、防御だけの最小限の武力に似ている。何かヒントにならないだろうか。

八重山の音楽は世界に誇れるものだ。石垣のトゥーラバーマ、西表の仲良田節、こうした傑出した音曲が生まれた理由は、自分たちの存在をどのように確立するかという事にあったのではないか。琉球の音曲というものは、精神であり、沖縄のアイデンティというものなのだと思う。物ととしての芸術よりも、音楽という形のないもののなかに自己存在を求めたところに、八重山の文化を感ずる。八重山の音楽は人間のすべてといってもいいような重いものがある。音楽という形のないところに精神の確立を求める。そうせざる得なかった歴史というものがあるのだが、そのことがより深いものに至る道だったのではないか。本来の沖縄の御嶽という神のいる場所は、何もない拝みどころのようなものだ。何も形がないという事が、清々しいのであり、神の降りる場所として、ふさわしいものとして意識される。神社仏閣という形のなかに、神を意識する文化よりも、意味の深いものを感じる。何もない安心立命。果たして人間はそこまで行けるのだろうか。

 

 

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イネ作り:播種

2018-04-22 04:23:23 | 稲作

4月9日種籾を川から上げた。そして冷蔵庫に保存して、4月21日に苗代に播種した。川から上げたのは種籾は鳩胸状態直前である。一部芽が見え始めた状態である。全体としてはほとんど出ていないが、いくつか芽が出始めた段階である。3月21日に川に入れて、4月9日に鳩胸状態直前になった。19日間であった。鳩胸状態までとなると、20日か21日かかるというところか。10日で発芽してしまった年もあるから、まあまあの川の水の温度であった。10度から13度というところであった。春になって高温が続いているから、川の水温は高いと考えていたが、実際は低かった。冬の間の低温が川の水温に影響しているのではないだろうか。積算100度と良く書かれている。実際やってみると240度を超えている。理由は分からないが、書かれている事は案外当てにならない。自分でやってみない限り分からないものだ。何が違うのかの理由は置いておいて、自分流を探らなければならない。これが稲作の面白いところである。

そして冷蔵庫の野菜室に10日間入れた。白いコードは温度計である。5度になるように管理する。普通の冷蔵庫であれば温度調整をしないでもだいたい翌日には5度に落ち着く。入れてしばらくは温度が下がらない。4度から6度を行き来するので、冷蔵庫の温度設定を調整しながら管理した。そして、苗代での種まきが、4月21日になる。19日の朝に外に出して、桶に水を入れてその中に浸した。水を変えながら、様子をみる。なかなか芽が出てこない。少し不安になる。20日の夜に水から上げて、ネットの上に広げた。21日の播種の時に濡れが湧き状態位で、苗代に撒いた。7、5キロの種籾を40mに播種した。それでもけっこう密に撒かれた気がした。1㎡に188グラム撒きである。家庭イネ作りの500㎡の1キロ蒔きの人なら、5mの苗床という事になる。

 

 

 水を乾かして置いた苗床に種籾を蒔いてゆく。バラマキをする。その上から種籾が見えなくなるくらい燻炭を蒔いた。大袋4袋という例年より多く撒いた。その上から土ぼかしの振るったものを蒔いた。土ぼかしは苗床を作った日仕込んだものだから、一ヵ月のものになる。撒き終わってから、穴あきビニールを被せた。今年は暑くて、土壌の表面は32度にも上がっていた。この温度は苗箱をやる時の稲の発芽に最適な温度というが、苗床では初めてのことになる。穴あきビニールは張ることは張ったがさすがに暑くなり過ぎも困るので、脇を開けた状態にしておいた。穴あきビニールは雀除けでもあるから、2週間は取り除くことは避けたい。夕方になって水を軽く入れた。地面は水やりで湿っているぐらいが一番良い。水没すると良くない。

翌朝の苗床の様子。温度13,4度。湿った状態。

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自衛官国民の敵だ。発言の奥にあるもの。

2018-04-21 04:31:47 | Peace Cafe

防衛省統合幕僚監部に勤務する30代の男性3等空佐が、民進党の小西洋之参院議員に「国民の敵だ」と暴言を吐いたとされる事件が起こった。これに対して、小野寺防衛大臣は報道陣に「若い隊員なので様々な思いもある」と3佐を擁護したともとれる発言をした。テレビのインタビューを聞いて、見過ごせない違和感を感じた。どうも自衛隊内部が相当に危ないようだ。この防衛省の3空佐は小西議員の国会での質問を聞いて、国民の敵発言をしたようだ。そのほかにも小西議員に対する、右翼からの嫌がらせ以前からあったようだ。もし、国会での質問に基づいて暴言を吐いたとすれば、それは自衛官として処罰されなければならない。国会での質問は免責特権がある。議論の対象とするのは当然必要なことだが、発言は発言として誰もが尊重しなければならない重さがある。気になる所は、自衛隊批判をする人間に対して、感情的な反発が、自衛隊内部に起きているというところにある。そしてそのことを、若い隊員だから無理もないと発言した小野寺防衛大臣の意識である。

自衛隊は命を懸けて国民を守ってくれている存在だから、批判してはならないというような、認識が広がっているとしたら大問題である。自衛隊は武力を保持している存在だから、国民の厳しい監視の下に存在しなければならない。それが文民統制というものである。軍国思想を持つに至った場合。自衛隊を退職するほかない。退職をして武力を持たずに自分の軍国思想を主張すればよい。自衛官である以上は、国の政策や自衛隊を批判する国会議員に対して、一切の意見を述べてはならない。それが自衛隊法の定めである。この3等空佐の発言がどのような意味を持つかといえば、国会議員は身の危険を感ずるかもしれないという事だ。自由な国会での議論を遮るかもしれない。発言を控えるという人が出てくるかもしれない。武力を保持した公務員の発言が制限されるのは当然のことである。

このことで分かるのは、日報が隠蔽されたという自衛隊の内部の意識である。イラクの日報でも、スーダンの日報でも、現場の隊員は戦闘地域にいるという実感がある。しかし、そのことを記録することはできないという政治的な立場。それでも事実を書いた隊員はいた。ただそのことは握りつぶされた。そして、そのことを書いた隊員は今どういう立場にいるだろうか。立場が悪くなっていなければよいが。となると、自衛隊員は立場を考えて、事実を書いていないのであろう。こうした形で、自衛隊員は苦しい立場にいる。そのはけ口が小西議員に対する暴言に表れたと思われる。これは極めて危険なことだ。戦前の社会を思わせるような、危険な兆候を感じる。そして、こうした隊員が現地で、先走ったことをやりかねないという事になる。その暴挙が、戦争の引き金になる。もうそういう事があり得ないとは思えない空気を感ずる。これが、安倍氏の主張する憲法改定の背景にあるものだ。

やはり自衛隊は廃止すべきだ。日本が戦争に巻き込まれる危険は、むしろ自衛隊が存在することによるのかもしれない。自衛隊がないと、中国が攻めてくる。自衛隊がいると、戦争を起こしかねない。今の日本の状況はどちらの可能性が高いかである。そういうところまで自衛隊の内部は来ている可能性が見えた。文民統制どころではないのだ。自衛隊の中には、ヘイトスピーチをするような人間がかなり存在するとしなければならない。そう出なければ、小野寺氏が若い隊員だから、いろいろの考えを持つのも無理はない、などという意見は出て来るはずがない。小野寺氏がとんでもない発言だ、許すことができないと明確に言えなかったという問題である。小野寺氏自身も小西議員を国民の敵だと内心考えている可能性はないのか。

 

 

 

 

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2045年の人口は1億人になる。

2018-04-20 04:01:46 | 暮らし

2045年は生きていれば、95歳である。その頃の日本の人口は1億人に戻るという事だ。日本の人口が1億人を超えたのは1966年とある。高校生の頃、今日あたりだとか言われて、話題になった記憶がある。私が生まれた、昭和24年は8100万人とあるから、日本の人口は増えすぎたのだ。何とか人口は8000万人以下まで下がらなければうまく行かない。政府が人口減少を問題にする理由は産業の国際競争力。人口が減少すれば、外国人労働者までお願いしようというのが、政府の考え方である。全く日本の方角を誤っている。企業的な発想がすべてを支配している。そういえば戦争に勝つためには産めよ増やせよという号令まで言われた訳だ。企業には有利であろうが、国民全般にとっては有難いことはない。国民の多くがすでに人口減少は悪いことだと刷り込まれているのではなかろうか。企業の活動が衰退したら、自分の暮らしは大変なことになると思い込まされている。全くそんなことはない。人口が徐々に減少する過程は、苦しいはずである。それは、人口が徐々に増加する時期、バブルに浮かれたことの、お返しなのだから止む得ないことなのだ。

国力というものを人口の増加というものだと思わされてきた。一家にしても子だくさんの家ほど、豊かになれた。今も、産めよ増やせよはセクハラだそうだが、人口減少こそ美徳なのではないか。人類の安全装置が自然に働いて、何かおかしくないかという空気が、人口減少に進んでいるのだ。日本の国土に1億人以上が暮らしているという事がおかしいのだ。それは普通に暮らすには無理なことなのだ。外国に依存した部分がどうしても生ずる。ここ50年は外国に物を売って暮らしてきた。貿易立国である。その背景となったものは、農村で余る安くて勤勉な労働力と抜群の技術開発力とが相まって、世界の市場で有利に働いた。そして当然のことだが、日本の高い労働力になり、当たり前の技術力になった。貿易立国といってもなかなか大変な環境にある。自動車が自由化になったらば、日本の自動車産業は壊滅するという人もいた。ところが、あの頃の日本はまだ有利な条件下にあって克服できた。この先どうかは疑問だ。

いまさら人口が増加すれば高度成長に戻るとはだれも思わないだろう。下り坂の歯止めになるという事の期待に過ぎない。行政はいろいろ上手く行かない原因を人口減少に置いている。最近までごみ行政でも人口増加を前提にして、ごみは増加してゆく。それをどうするかばかり考えていた。ところが年々ごみは減少している。減少は良いのだが、ごみ処理をする税収という費用の方も減少している。何とか税収を増やすという事を考えるから、人口増加である。ごみは各自が出来るだけ出さない時代に進めばいいだけだ。過去の経験を引きづっていて、発想の転換が出来ないでいる。ごみも減る、人口も減る。財政も苦しくなる。地方の行政はその中で昔のようにごみ処理を各々が行うという利点の復活を計ることだ。行政サービスの意味を変える必要がある。何でもやる課ではなく、何でもお任せする課である。行政のやるべきことと、やるべきでないことを明確にする必要がある。行政はサービスはしないで良い。

日本の方角は、貿易立国から自国主義に戻るべきだ。鎖国とまではいわないとしても、日本は自立して成り立つ国になるべきだ。この自国主義はトランプのように世界を凌駕するというような発想ではなく、日本らしく、小さく安定する。穏やかな文化国家になるという事だろう。人口はまずは8000万ぐらいで落ち着くように徐々に持って行く。都市の人口過密と、地方の過疎をどのようにバランスをとるか。地方で普通に暮らせるようにすることだ。地方でも子育てに有利な状況を作る必要がある。8000万人まで減少しても、食糧自給が可能な農地を確保する。その為には、食糧自給をしたい人には可能な農地の在り方に変える。大規模機械化農業が可能な農地と、小規模で誰でも使用可能な農地に変える。放棄されてゆく農地は国が保有する制度を作る。今よりよほど良い国になるはずだ。人生100歳時代だというから、もしかしたら見れるかもしれない。

 

 

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麻生財務長官の経済認識

2018-04-19 04:34:21 | 暮らし

政権の安定があったからこそ、これまでの経済成長がずっと継続性を持たせられたのは間違いない事実であって、5年前より今の方が悪いという人は、よほど運がなかったか、経営能力に難があるか、なにかですよ。ほとんどの(経済統計の)数字は上がってますから。―――麻生財務長官の発言。朝日新聞

麻生財務長官は5年前より今が悪い人は、自分が悪いからだと。こういう経済判断をしている。これが日本の財務大臣の言う言葉かと思うと、本当に情けない思いがする。2012年12月 の第2次安倍晋三内閣発足以来財務大臣を担当してきた。その結果財務省がめちゃくちゃになったことをどう考えているのだろうか。麻生氏は論理的ではない。どちらかといえば親分肌の情の人のようだ。欠点はあるが、有能という人が好みのようだ。そして親分に従う子分が好きなのだ。そういう財務大臣が長期化すると、このようなひどい財務省になるのだ。福田事務次官のセクハラ行為。財務省の隠ぺいしようとする対応。その姿勢が2次被害をもたらそうとしている。そして自分の行為をしらを切り、裁判で争うとする人間とは思えないような卑劣さ。優秀であるとされる、官僚がこのように人間崩壊をしている原因を考える必要がある。

農業のことを考えれば、まさに政府の運がなかったというしかない。農家の方で5年前より良くなったと思える人は居るだろうか。確か企業化した大型農業では、補助金が出ているから、経営の良くなった所もあるのかもしれない。数字的にはそれなりのものが出てくる。しかし、そのことによって、個人経営規模の農家はさらに厳しい環境に置かれたという事になる。主業農家の17年度の総所得は前年度より6%減少した。労賃の上がる時代に、総収入が下がるという事は運で済ませられない。財務省の考えに農業のことが入っていないという事がわかる。日本全体のことを考えれば、農業は悪くても仕方がないし、経済全体への影響も少ない。こう考えているのだろう。こうした企業中心の考え方が、日本社会に格差を生む結果になっている。

今苦しんでいる人は、努力が足りない、能力が足りない、運が悪い人と切り捨てらえる社会なのだ。農業をやっている人は判断力のない人というのが、麻生的発想なのだろう。確かに麻生氏は農業には興味もないだろう。食べるものは輸入すればいい程度にしか考えていない人なのだろう。農家の人は日本政府のそういう本音を見抜いているから、先祖伝来の大切な農地であるにもかかわらず、自分の子供に継がせようとは思わない。これが地方の消滅に繋がっている。地方再生の本来の目的が分かっているのだろうか。農業者が故郷を捨てるには人間として、よほどの苦しい選択があるのだ。そのことが少しでも分かっているだろうか。多くの農家に生まれた子供たちも、親の気持ちを分からない訳ではない。辛い気持ちを互いに抑えて、就職をする。それで良かったといいながらも、自分で終わる農家の長い歴史を、仕方のないことではあるが、ご先祖に申し訳が立たないという思いを抱えている。能力があり、運のよい人である麻生氏にはそんな農家の思いにいたることがない。

美しい国土があって、日本なのではないのだろうか。その美しい国土が、自分たちを支える食べ物を生産する場であるという、有難さと喜びが、瑞穂の国日本ではないのか。人間がより豊かに生きるという事を失い、日本人という個個人が単なる労働力として見られ、ロボットと同じような立ち位置で良いのか。日本国が世界の中で、安定した位置を得るためには、日本の文化である。天皇家にその見本があると考えればわかりやすい。それが日本の象徴という意味ではないか。祖先を敬い、子孫の繁栄を願い、芸術を愛し、学問にはげみ、平和を愛し、安寧な日々の暮らしを大切にする。それを形に表したものが、後水尾上皇の造営した修学院離宮である。ホリエモンならば大金を稼げばそのくらいのものは作れるというだろう。ところがそう簡単ではない。文化というものが根底になければ、この時代の修学院離宮を作ることができない。 

 

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イラク日報に戦闘が記載

2018-04-18 04:00:53 | Peace Cafe

やっぱりイラクでは戦闘地帯に自衛隊はいたのだ。南スーダンでも日報にある戦闘が隠蔽されていた。イラクサモアに自衛隊は派兵されていた。そして、サモアでは戦闘はあったのだ。そのことは当時も報道でも繰り返し言われていた。そのことは国会の質問でも繰り返し言われたことだ。しかし、政府は一切戦闘はないと答えた。そもそも、国連決議のない、アメリカの派兵に、率先して自衛隊を派兵したのだ。この選択が間違っていたことは、イラク大量破壊兵器などなかったことで明確になっている。日本独自にイラクに大量破壊兵器が歩かないかなど、調べられるわけもない。すべてアメリカの言いなりになってイラクに派兵してしまったのだ。この時は小田原でもイラク派兵反対のピースウオークなど行われた。このブログのもとになる、ピースカフェーという通信もこの時に始めた。我々の当時の知識と感覚が正しかったことが今になれば良く分かる。政府と自衛隊は国民の騙していたのだ。

PKOによる自衛隊の派兵は憲法9条を逸脱している。その後の派兵でも、非戦闘地域のはずが、戦争状態に自衛隊は出出撃している。それが軍事同盟国アメリカの要請である。それを断ることで日本の経済的立場が悪くなるだろうという、のが主たる判断なのだと思う。それは政府もそうであるし、国民もそれで支持をするのだろう。その犠牲になっているのが自衛隊員という事になる。自衛隊員は現地から戦闘があるという事を報告をしている。この報告が無視されるのである。自衛隊員一人一人は戦闘地域に自衛隊がいることが憲法違反であることを自覚しているだろう。その問題点を日報という形で主張している。内部の悲鳴のようなものだ。ところがサモアのひげの隊長と呼ばれた、今自民党の国会議員である元自衛官は、サモアでは戦闘はなかった。と相変らず答えている。つまり、自部の部下の目が節穴だと主張しているのだ。

もし、そんな現状把握のできない節穴の隊員で、平和維持活動など出来るのであろうか。あるいは髭の隊長はそれほど現状を把握していなかったという事か。そして恐ろしいことに、その日報は握りつぶされていたのだ。そもそも国民は自衛隊が何をやっているのか、把握しにくい。だから、日報は適時公開される必要があるのだろう。ところが、私も恥ずかしい無知だった。自衛隊の隊員が日報を書いているという事を知らなかった。知らないのだから、公開の要求も出来なかった訳だが、現地の自衛隊員の悲鳴が握りつぶされていたことには怒りがある。自衛隊はこの日報に記されたことを政府にあげなかったのだ。今になり、髭の隊長は戦闘にもいろいろあるなど主張している。頭がずれている。それを判断をするのは自衛隊ではなく、政府である。それが文民統制という事であろう。もし、隊員の言葉の使い方が間違っていて、戦闘という言葉を使ったというのであれば、その時点でそのことを確認すべきだ。

軍隊というものは、命の瀬戸際で行動するものだ。いちいち、遠く離れた政治家である、戦争を知らない政府の判断など聞いていることができないのだろう。まして、平和ボケしているとされる国民の意識とはかけ離れている。こうした中で、現場主義的に行動を自衛隊がしてしまう。ありそうなことだ。文民統制等軍隊に不可能なのではないか。PKO派兵の現実を見ればそのことが明らかになる。歯止めに唯一可能な方法がある。自衛隊が行くところすべてに、報道組織の帯同を義務付ける。そして、逐一現状を国民に伝える。どんな状況の場所で、どんなことをしているのかを国民に直に伝える。自衛隊を危険な状況に陥らせないために、また勝手な行動をとらせないためには、どうしてもそれが必要である。自衛隊員の叫びは無視されるのだ。もちろん日本を自衛するだけはずの自衛隊が、海外の戦闘地域に出かけてゆくという事はあってはならないことなのだが。あってはならないことを、無理やりやるのだから、よほどの歯止めをかけなければならない。

 

 

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アベ政権の教訓

2018-04-17 04:27:22 | Peace Cafe

アベ政権がやっと終わりそうだ。あと一押しである。この馬鹿げた、戦後最悪の政権を日本の間違った選択として、教訓にしなければならない。アベ政権が誕生以来、この政権には今までとは違う違和感を感じてきた。その理由はなかなかわからなかった。だからアベ木偶人形劇団だとか、鵺が後ろにいるとか。いろいろ想像してきた。確かに日本会議のような、憲法を改定して軍隊の設立を目指す人間である。想像の行き付いた結論が、ソフト独裁を目指している政権という事だった。ソフト独裁というのは周囲に忖度をさせて、誘導する独裁である。ここが気持ち悪く肌感覚として、耐えがたかったのだ。安倍氏は保守主義者の元締めのおぼっちゃまである。周囲を無言で従わせるようなところは生まれついての物だろう。自分の考えというものを表明しない。お殿様の様な立ち位置で、良きに計らえ的に周囲に有象無象の取り巻きを集めて、好き勝手にさせているような空気だ。それが、結果として忖度政治を産んだ。バカ殿様に気に入られるために、草履を懐で温めているような、官僚家臣団の形成。

小選挙区制の失敗である。競争主義だけでは限界にきている日本という事だ。アベ政権は民主主義というものをないがしろにした。民主主義など建前だけにしておいた方が、経済の活性化のためには有利だとしてきた。どれほど面倒くさいようでも民主主義しかないのだ。加計学園のように、地方の活性化をする為には、少々強引であっても首相の権限を強めて実行しなければできないという考えであろう。15年も申請していたができなかった獣医学部の新設が、アベ政権のお陰で岩盤規制を取り払ったという事だ。このやり方でなければ、経済の活性化など出来ないという主張である。その極端な事例が、中国の国家資本主義であろう。独裁的な権力が政権にあるから、巨大なダム事業などでも住民の反対が少々あろうと、強引に進められる。地域が有機農業に進むとなれば、その地域全体が否応なく有機栽培の村になる。

中国方式の資本主義は圧倒的な成長になるだろうと思ったのは、もうずいぶん前になる。中国に自然養鶏のことで指導に行った時だ。土地の利用目的を国が自由に扱えるわけだ。頑迷な抵抗勢力というものが経済の展開の邪魔になるという事がない。これでは到底日本は競争に負けると思った。しかも地域のまとまりが日本より強い。地域ごとの競争で発展を促す政策。20年前に初めて中国に行ったときにはその農村の貧しさはかなりの物であった。しかし、次に行ったときには日本に追いついて来ていると感じた。そして3回目に行ったときには、日本は追い越されたのだと思わざる得なかった。民主的な資本主義というものは、独裁国家の資本主義との競争には、同じ方角では勝てないという事だ。それがアベ政権のソフト独裁資本主義の登場なのだろう。日本はやたら中国の悪口、問題点ばかり指摘して、中国から学ぶ姿勢というものがない。それは明治政府の脱亜入欧の後遺症なのだろう。アメリカの配下になることは、率先して行いながら、中国を一段下に見たいという虎の威を借る狐である。

日本は日本という経済地理の条件において、日本的な経済の展開を、自信をもって行うべきなのだ。一番にならなければいけないという馬鹿げた競争心から、一番に成れない現実が日本人の自信を失わせた。一番どころかびりだろうが構わない。自分が自分であるという事が大切なのだ。日本人が日本人であるという事が大切である。アベ政権の間違った競争主義の結果が忖度ソフト独裁を生み出した。真綿で首を締めるような訳の分からない支配体制が、日本全体がアベ政権に向けて身を投げ出させたのだ。従う事の方が自分の有利であるという価値観だ。仕事が創出されれば、自分の就職に有利である。そうした、国民の当たり前の気持ちを、企業の利益主義に利用した。ところが企業というものは世界での競争に勝つためには日本人というものを大切にするだけではない。利潤を求めて違法でないとなれば、生産地を海外に移す。外国人労働者も使う。タックスヘブンも行う。自衛隊まで、海外の日本企業の社員の保護に派兵する。

アベ政権の失敗は、日本人の失敗である。これを機に日本の政治の民主主義と、立憲主義を取り戻さなければならない。

 

 

 

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鳥インフルエンザと獣医学部

2018-04-16 04:18:57 | 自然養鶏

国家戦略特区での獣医学部新設を目指し、学校法人・加計学園と、競合していた京都産業大の教授をこの春に退職した大槻公一氏が朝日新聞の単独インタビューに応じた。鳥インフルエンザ研究の第一人者として2006年に京産大に招かれ、約11年間、獣医学部新設を目指して準備にあたってきた。そして加計学園が認可され、京産大は除外された。大槻教授は京産大の鳥インフルエンザ研究所の所長をされていた。大槻教授の見解は鳥インフルエンザ騒動の時にずいぶん読ませていただいた。北海道大学の喜田教授とお二人が冷静な見解を出されていたので、ずいぶん気持ちが助かった。学問のありがたさをつくづく感じた。その京産大の獣医学部新設の要望では、内閣府には合う事すらできなかったそうだ。獣医学部は学問的な意味で選択されたのではないことをうかがわせる。鳥インフルエンザ時でもお二人がどれだけ学問的に正しい見解を出しても、世間はある種のパニックに陥り、聞く耳を持たなかった。神奈川県では警察まで動き出し、現場をめちゃくちゃにした。何しろ、自治会で笹村の養鶏場は大丈夫なのかという、意見が出たそうだ。

この背景にあったのが、製薬会社の思惑である。WHOを巻き込んで世界的なスキャンダルにもなった。これは獣医学と、一般の医学との考え方の違いという事もあったのだと思う。人間の場合は万が一という徹底した予防が配慮される。鳥インフルエンザではまことしやかに人ひと感染が、始まるような報道がおこなわれた。日本の報道は科学部の力量が低いのではないかと思う。社会は不安を増幅させて、いつの間にか人間の方のインフルエンザの問題になった。製薬会社が利益の為に誘導的活動を行った。その結果、今は禁止になった薬まで備蓄された。現代人は万が一の不安の中で生きている。諦めがない訳だ。決まり切った死ぬことさえ受け入れることができない。鳥インフルエンザの問題が学問的な未開分野であった。基礎データーも不足して、それがデマにつながった。デマだったことは10年が経過して明確になっている。自然界においては鳥インフルエンザは何万年も繰り返されて来たことで、特別なことではない。にもかかわらずなぜ野鳥が今もいるかである。これを研究してゆくのが獣医学であろう。口蹄疫の問題、ヤコブ病の問題、動物由来の感染症が社会の不安を煽っている。きちっとした学問的なアプローチが必要なことははっきりしている。

獣医学部で本格的に、家畜の感染症を研究しなければならない。現実の社会では大規模畜産というものが、当たり前のように広がった。その安全性に関しては、研究がないといっても良い。一か所に鶏が何10万羽もいることで何が起こるかである。豚が1万頭一か所にいたら何が起こるかである。そうした研究が不足している。今の畜産の姿は農家畜産の発想のまま、規模が無限大に拡大されたようなものである。そこでは病気を薬で予防的に使うことが当たり前とされている。大規模になればなるほど、薬は予防的に使われる。人間であれば、100万人に一人が影響を受けるようなワクチンであっても問題になる。ところが、家畜であれば1000頭に1頭問題が起きていても許容範囲となる。消毒薬、予防薬、少々影響があるとしても、一年以内で肉になるとすれば、問題ないのが家畜の世界である。牛が問題になるのは少し長く飼育されるからに過ぎない。人間とは違う薬の使われ方が畜産ではされている。予防的に抗生物質の投与がされているのが現状だ。それが耐性菌の問題につながっている。

大槻教授は鳥インフルエンザの研究の第一人者である。もし、政府が主張している通り、家畜由来の病気の研究を重視して新設の畜産学科を設立するのであれば、当然京産大の大槻教授を軽んずることはできないはずだ。少なくとも実績のない加計学園が優先されなければならない理由はない。大槻教授も何故京産大が軽視されたのか、加計学園が優先されたのか、この点疑問を持たれているようだ。やはり安倍氏の友人である加計氏の存在が気になる所である。確かに、愛媛に地方再生の為に獣医学部を作るという事は一つの考え方である。私の発想であるなら愛媛大学に獣医学部を作る。大槻教授や喜田教授を招へいし、獣医学の研究センターにする。日本の現状としては地方であろうが都市の大学であろうが、大学は経営の危機を迎えている。どうしても必要なものであるなら、愛媛大学を強化する方が良い。一部の政治の力で、アベ案件、アベ友人案件として、議論抜きに進められたとすると、不自然という事になる。共通の土俵で開かれた議論がなかったところに問題がある。大槻教授の研究の方向が製薬会社の方角と違うという事であったとしたら、さらに問題は根深いことになる。

 

 

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