ライトノベルベスト
『ロストアンブレラ』
日本の南に台風が三つもある。それが複雑に絡み合って、今週の天気は、かなり気まぐれだ。
俊介は、小学校のころは台風というものに意思があると思っていた。だから元寇で神風が吹いたのは、日蓮上人の強烈な祈りに台風が呼応したんだと、日本の歴史を習ったころは思った。
思い続けていれば、俊介は今ごろ熱心な日蓮宗の信者になっていただろう。
今は、台風と言うのは、意思など無く、赤道付近で生まれた低気圧が発達し、太平洋高気圧と偏西風によって動くものだということが分かっている。
でも、感覚的には、ふと意思があるような気がするようなことがある。
一昨日は、天気図を見ても予報を聞いても雨は降らないと判断し、傘を持たずに家を出た。三講時目の心理学概論が終わって、B棟の講義室を出ると見事に雨が降っていた。仕方なく購買部でビニール傘を買って、正門を目指した。
途中にA棟の前を通る。
視線を感じた。
チラ見すると、A棟の前で屯している学生の中に千衣子がいるのが分かった。
「駅までいっしょに行こか?」
気のいい俊介は、気楽に千衣子に声を掛けた。千衣子は、当たり前のように俊介の傘の中に潜り込んできた。
「俊介、雨降らへんと思てたやろ」
「うん?」
「そやかて、購買のビニール傘や」
「ああ……」
千衣子自身傘を持っていないので、人の事を言えた義理ではないのだが、千衣子の自己中は入学以来分かっていたので、俊介は言い返しもしない。駅まで、ただ千衣子を濡らしてはいけないと思い、駅に着くころには俊介の右半身はずぶ濡れだった。
「どーも」
千衣子は猫が尻尾を振る程度のお愛想で反対側のホームに向かった。
――明日は傘持ってこなあかんな――
人のいい俊介は、千衣子の身勝手に呆れるよりも自分の不用意を反省した。
で、昨日は入学の時、父からのささやかな入学祝の黒い傘を持っていった。皮肉なことに雨には遭わなかった。代わりに千衣子の正直で、ちょっと毒のある言葉が飛んできた。
「アハハ、俊介、あんたホンマに間ぁ悪いな!」
――そうやなあ――
そう思ったころには、千衣子はスキップしながら正門を出ていくところだった。
「ティンカーベルみたいなやっちゃなあ……」
かすかに不満の混じった詠嘆が口から漏れただけだった。
そして今日、講義が終わって講義室を出ると、傘立ての傘が無くなっていた。
千衣子は、高橋を発見して、とっくに、その傘に潜り込んでいた。高橋は俊介と違って気の利いたお喋りをしてくれる。傘は一昨日のビニール傘と違って、二人をなんとか収めるだけの大きさがあった。千衣子は雨よけを利用して身を寄せてくる高橋の温もりが疎ましかったが、さすがに文句は言わない。
だが、駅の庇に入ると、千衣子は高橋を一刺しにした。
「その傘、人のん盗ってきたでしょ」
「え……」
「柄のとこにプレートがぶら下がってる。SYUNSUKEて」
「あ、これ、弟の傘だよ」
「あ、そう……高橋君て、下は妹やったと……ま、あたしの思い違いかもね」
「やるよ、帰り濡れるといけないから」
「あ、そ、ありがとう」
ビニール傘を買うお金も無かったので、俊介は、駅までずぶ濡れになって行った。駅に着くと千衣子からメールが着ていた。
――俊介の傘ゲット。四時まで梅田の改札出たとこで待ってる。千衣子――
「梅田……方向逆やのに」
ま、千衣子も梅田になにか用事があるんだろう……そう思って準急に乗った。
気まぐれな雨は十三(じゅうそう)を過ぎたころには上がっていた。