大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・ライトノベルセレクト・『俺が こんなに可愛いわけがない・1』

2016-11-03 06:15:37 | ライトノベルセレクト
ライトノベルセレクト
『俺が こんなに可愛いわけがない・1』


 由香里が可愛いのは分かっただろうから、今日からタイトルがかわるぜ。

 今日は、由香里に付き添って、Hホールのロケに行った。
『はるか ワケあり転校生の7ヵ月』の中のピノキオホールと、コンクールの本選の撮影をやるので、新聞を通じてエキストラの募集もやっていた。
 市内の高校四校にも、募集の案内が来ていたのだ。

 断っておくけど、市内には五つの高校がある……。

 勘のいい人にはわかるだろ。いや、でしょ? 我がH高校は、その評判から、エキストラの案内は来ていなかった。むろんネットで流されている一般募集で出られないこともないが、所属のところに「H高校」と打ち込むと、それだけでハネられるという噂だった。合格者には、ネットアドレスで「合格証」が送られてくる。俺……あたしは由香里の従姉で、ヤンキーの演技指導もしたし、マネージャーに顔も通っているので、なにも言われずに、堂々と付き添いで出かけた。

「え、君が、あの時会った従姉さん!?」

 マネージャーも他のスタッフも驚いていた。この業界の人たちのヒラメキは大したもので、あたしを由香里の側に置いて、少し由香里のことを嫌がっている女子高生という設定になった。あたしが側に居た方が、由香里が安心して演技が出来るからだ。

 そして、本番直前に気が付いた。翔太にボコボコにされたMが真後ろに来ていた。

「よう、薫。それ衣装? メイク? すごいイメチェンじゃん。あ、こないだはどうもね」
「それは、もういいから。それよりエキストラなんだから、あんまし目立たないようにね」
「わかってるよ」

 最初は、雰囲気を掴むためと、そのものを撮るために、劇中劇の『すみれの花さくころ』が、そのまま上演された。プロだから当たり前なんだろうけど。切ないファンタジーに感動した。で、ラストは助監督の田子さんの指示だけではない、ごく自然な拍手が起こった。

「はい、みなさん、大変けっこうでした。これからカット毎のシーン取りになります。その都度初めて観たような感動くださいね。では、由香と裕也が感動するところ抜きでやります。一回リハーサルやりますんで、よろしく」
 観客席の由香役のさくらさんと勝呂さんのところに薄いライトが当たりレフ板やマイクを持ったスタッフが周りを固め、二台のカメラが付いた。あれだけの人に囲まれながら、よく自然な演技ができるもんだと感心した。むろん劇中劇にも。すみれと幽霊のかおるが仲良くなって、新聞の号外で紙ヒコーキを折って大川に飛ばしにいく。紙ヒコーキは風に乗って見えなくなるところまで飛んでいく。

 そして、かおるの体が透けて、消え始める。

すみれ: かおるちゃん……。
かおる: これって、成仏するともいうのよ。だから、そんなに悲しむようなことじゃない……。
すみれ: いやだよそんなの。かおるちゃんがこのまま消えてしまうなんて!
かおる: 大丈夫だよ、すみれちゃんにも会えたし……。
すみれ: いや! そんなのいやだ! ぜったいいやだ!
かおる: すみれちゃん……。
すみれ: ね、あたしに憑依って! あたしに取り憑いて!あたし宝塚うけるからさ!
かおる: だめだよそれは。そうしないって決めたんだから。
すみれ: あたし、素質あるんでしょ? あたし宝塚に入りたいんだからさ。ね、お願い!


 指示されていなくても、泣けるシーンだ。観客席には再び感動の波が押し寄せてきた。

 そして、もう三カ所ほど部分撮りして、午前の部が終わった。あたしは劇中劇の感動もあって、本当に女の子らしい薫……奇しくも劇中劇の役と同じ名前。そんなかおるに成れたと思っていた。

 でも、なかなか「俺」は「あたし」にはさせてもらえなかった……。

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・82『悪の法則』

2016-11-03 05:56:33 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・82
『悪の法則』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。

原題“THE COUNSELER” 弁護士っちゅう意味です。

 サブタイトルに“SIN IS A CHOICE”なぁんて意味ありげに付いています。脚本はコーマック・マッカーシー、例によって「人間の本性は悪だ」とさけんどります。
 毎度思いますが、ようまぁこんだけ“救い”の無い話ばっかり書けますねぇ、この人の過去に何が有ったのでしょうか。兎に角、余りの凄まじさに背筋が凍りつきそうであります。「ノーカントリー」に登場した悪魔の如き殺し屋(ハビエル・バルデム……今回も出演してますが、可愛い?役所)に比肩出来る、まさしく悪魔の如き存在もいます。
 コーマック・マッカーシーの解りにくさとテーマ性が嫌われるのでしょう、アメリカでも2週間でランクから消えそうです。本作のラストの意味は解釈のしようで3つに別れます。誰と誰がどの様に組んだのか一切明かしてありません、物語は大きな謎を残したまま終了してしまいます。考えようによっては続編ができそうですが……コーマック・マッカーシーの過去作品がそうであったように、本作もこれで完結していると見るべきでしょう。
 本作から教訓を得るならば、それは具体的な暴力を持たぬ者が“悪”に手を染めるなって事でしょう。裏をかえせば、力さえあれば何をやってもいいんだと成ります。この人の本は何冊か読んでいますが、そうとしか解釈できません。“人間存在は基本的に残忍で邪悪”という世界観に貫かれています。
 まぁ“悪”を賛美してはいないのですが、“悪”の本質を見誤った者は、自らも また 最愛の者までも悲劇に巻き込むという真実を語っている(最大善意に解釈して)という事です。
 この恐ろしい物語をスクリーンに乗せるのにマイケル・ファスベンダー/ペネロペ・クルス/キャメロン・ディアス/ハビエル・バルデム/ブラッド・ピット…もの凄い顔ぶれが集まっています。キャラクターを書くとストーリーに触れてしまうのでやめますが、本作 キャメロン・ディアスが断然ピカイチです。彼女を見るだけで本作を見たかいがありました。一人の女優が、全く新しい可能性を見いだした現場に立ち会えます。 毎度の事で、コーマック・マッカーシー作品(またリドリー・スコットが余すところなく映像化しています)は観客を選びますが、役者が全力でぶつかり合う作品です。何をくみとるかは人それぞれでしょうから、その点及び作品に描かれたアメリカの姿について押し付けはいたしませんが、この映画は是非ご覧下さいと敢えて申し上げます。多分にサディスティックな企みを含みながら……。

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