のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

困ったもんです本当に

2018年05月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 夜、祇園祭の会議が開かれました。7月の後半の行事ですが、準備は早めにとさっそく取り掛かることになりました。

 もはや自分たちの地域では神輿を担ぐこともできないほど高齢化しているので、神輿の担ぎ手をよそから連れてこなければならないし、山車のお囃子の子供たちもよそから集めてこなければならない。

 毎年、今年は祭りができるのだろうか?と不安が募るような過疎地の現状。

 一人当たりの役割分担も増えるばかり。そして予算は減るばかり。困ったもんです。

 以前、神田の神輿の氏子さんに聞いた話では、お江戸の中心地も土地を売り払って郊外のニュータウンに出て行ってしまう家庭が多く、もはや原住民だけでは祭りが成り立たず、その地域の企業の社員をお借りして祭りを開催しているのが現状だそうです。

 会議の後の座談で話題になったのが、最近よく耳にする「オノマトペ」なる言葉。

 擬態語や擬音語、擬声語、疑情語、疑容語などを総称した単語らしいのですが、元々オノマトペとは(onomatopee)というフランス語らしいです。代用できる日本語はなかったのかな?

 日本語は元々このオノマトペの言葉が豊富で、病院などでは同じ痛みでもこの表現で随分変わりますね。ズキズキ痛いのか、ヒリヒリ痛いのか、チクチク痛いのか?一頃、日本で暮らす外国人向けの小冊子に、各国別に病院でのこうした表現に関する一覧が出ていました。

 森鴎外や三島由紀夫はこうした擬態語などを使うことを嫌った作家でしたが、ジャイアンツの長嶋さんなんかオノマトペだけで会話が成り立っているような人物。

 お祭りのお囃子など太鼓の拍子や笛の調べなど口伝のオノマトペで伝えられているので、地域によって微妙に違う。年に一度のことですから少しづつズレて行ってしまうんでしょうね。

 山の中で立ち枯れのヒノキがあるので伐倒して薪にでも使ってくれと言われて見に行ったら、クマハギと呼ばれるクマに木の皮を剥がれたものでした。

 住民は減る一方だけど、こんなもんばかり増えてきている。

 困ったもんです。

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