翁長知事が帰沖 「基地問題、国際社会が見始める」
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249377-storytopic-271.html
翁長知事が「大変残念」と日本政府反論を批判
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249375-storytopic-3.html
台風接近でフロート撤去か 辺野古沖
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=134190
辺野古で逮捕の韓国人送検 帰国予定も釈放されず
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=134161
辺野古のことは、(その1)で述したところの安倍晋三従米主義と米国による日本国傀儡化の相乗によって固定化している(固定化しているのは勿論普天間ばかりではない)。この、さながら犯罪同盟の様な日米の鉄と血の誓いによる悪の要塞は、沖縄県にとって巌窟王モンテクリスト伯の閉じ込められた牢獄そのものの佇まい、と言っていいのだろう。何しろ、あらゆる民主的手法によって明確な拒否の意思を繰り返し表明しているにもかかわらずこれを全くかえりみず、自分たちの都合だけで、普通の人間が緩やかに手足を伸ばして住んできた懐かしい時間と空間を奪い取り、そこに、果ては狙い定めた弾道ミサイルが飛び交う戦場と化すべく予定された軍事基地の、一大拠点造りに勤しもうというのだから。しかも今後益々きな臭い紛争の場へと、沖縄の基地を使った「人殺し発進」当該地の負い目を県民に加えようという話だ。
彼らのしていることは、ハーグ陸戦協定違反の、先住民所有住空間奪い取りに始まる火事場泥棒(県民を収容所に押し込めている間に奪い取ったもの)的な在り様で、言わば、犯罪者の開き直り、居直り風情で今日(こんにち)の米軍基地沖縄県特化使用実態を正当化しているわけだ。このいけずうずうしい日米政府の戦争屋たちの思い上がった植民地主義は、当然に現代史上の時代遅れな理念的退廃、あるいは国家における近代化の異常奇形として一種世界的な好奇の目を惹こうとしている。翁長氏の国連演説は残念ながら何らの即効性をも有しない(国連そのものがこれらの覇権主義者たちの悪の巣窟と化している)のだが、活動としての「辺野古ノー」は実質上世界中に流布されたので今後それは大いに理念的な世界化の途を辿ることになり、いささかでも軍国主義者たちの手枷、足枷となるべく生き続け伸長していくに違いない。問題は「辺野古に基地は造らせない」ということの合目的化に集中していく。それが知事の言う、辺野古移設を阻止すべく「あらゆる手段」を行使することになる。つまり決定的なのは現今日米画策の全面撤退、であり、辺野古視点の完全封鎖だ。彼らが「基地存亡の危機」を少なからず感じたはずの1995年少女暴行事件とその抗議県民大集会に立ち戻って、改めて基地の段階的閉鎖の方向性を見つめなおし、同一県内に新基地を造るという本末転倒の暴挙を暴挙として認知し、日本政府は今も生きている「列島改造論」の「過疎と過密の解消」を米軍基地にも適用し、沖縄県に過密化したそれを分散配置すべく他府県及び米国と交渉することだ。この努力を惜しんでいてはほぼ永久にこの問題は泥仕合を続けることになろう。
いずれにしろ、辺野古も安保法制も安倍一派の皇国回帰、従米路線は本質的な意味で瓦解させなければならない。君たちはこの国の国民として自分らが米国のためのいけにえとされることをそんなに望んでいるのか。安倍一派の見る未来は玉砕であり、再び戦禍に投げ込まれるのは仕方がないと密かに思っているのである。君たちは結局一部の階層が生き残るためにその人柱になるだけだ。(つづく)
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