沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩407 日本の生き死に 22 幻想的国防免除思想

2013年07月02日 07時34分48秒 | 政治論

 日米政府が盛んに煽る中国、北朝鮮の脅威に対する西太平洋軍事戦略について、所謂科学的実証主義の観点から指摘される論理学的矛盾というものは、単に日米政府が抱える産軍複合戦争経済主義の醜悪な正体を暴き出すだけの話にすぎないが、「仮想敵」に基づく防衛費としての国家予算の計上には、当然人民の側から徹底した突き上げがなければならない。

 問題を整理するなら、日本国は太平洋戦争の敗戦によって、西側陣営に取り込まれ就中アメリカ合衆国の従属国家に成り下がり、それも当座その軍事的地政学上対ソ防共最前線に位置づけられながら、「平和憲法」故に通常の軍隊を保持しえず、予備役的「自衛隊」を抱え込み、彼らの思惑に沿ってこれを実質的な軍隊としては留保する取り扱いとした。

 つまりアメリカ合衆国の都合で持たされた憲法違反の実質的軍備として、戦後60年近く「自己矛盾」状態のまま経過したのが日本の軍事組織である。周知の通り日本国はアメリカ合衆国軍隊の基地施設を、米側の意のままに日本国土に展開することを了承する条約に調印し、これを更新してきた。何故か。自国の自由裁量になる国軍を保持できない憲法により、自力国防の術がない以上、同盟国アメリカ合衆国の「核の傘」に頼るしか方法がなかったのだった。

 米ソ冷戦がたけなわの頃には、この幻想的安全弁は錯覚にしろ有効と信じられたので、あたかも一つの論理が正当に立証されているかのように、この安保体制はそのレーゾンデートルを権力的に(政権与党として)理論上確保し来ることができた。いずれにしろここまでもこれからも、「仮想敵」を前提にする限り日米同盟も、日本の特に政権与党が保持する国防思想も、幻想に包まれた架空の「思い込み」以外に意味するところはなく、国民は大方この幻想的「核の傘」と、「国防意識の免除」というありえない錯覚において不思議な生存空間を漂っている。

 尖閣を巡る対中紛糾に火をつけたのは、石原老人に乗せられた民主政権がこれを「国有化」したことだったが、石原老人は日中戦争の再来を願望している中途半端なナショナリストで、橋下もこれに引っかかって愚にもつかない歴史詮索で墓穴を掘り、対韓的にも引っ込みのつかない情勢に陥った。

 彼らもまた日米同盟体制内で、自己矛盾そのものの「言いたい放題」を繰り返している、精神年齢12歳の「坊ちゃん」的存在だが、こうした明らかに愚昧としか言い様もないレベルの知識層で世論を混迷させる状態が、現今日本国の知性乃至精神状況を形成している。北朝鮮の核問題についても、小出裕章氏は、この弱小国家の核開発又は核兵器製造に大国アメリカが脅威を覚えるほど重大な戦力的進歩は考えられないとしている(つまり言われるほどの実質的核開発はこの国には無理な話だそうだ)。(つづく)