沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩127

2010年07月16日 23時25分47秒 | 政治論
 彼は4年くらいの時間で沖縄を理解したなどとゆめ思わないが、しかし100年たっても理解できはしないとも思う。この「理解」という軽い言葉には沖縄にふさわしくない薄っぺらさもある。もし言うならもっと適当なのがありそうだが今はわからない。「理解する」ということには第一に量的時間が必要なのかそれとも質的豊穣で可能なのか。第二に人間や自然、また社会や集団がどれほどの「理解力」を必要とするのか。ましてウチナーグチというのは沖縄人にさえ十分理解されてないし使いこなせるウチナンチュさえごく限られてくる。おまけに本島のなかでも北中南と違いがあり離島となればもはや異国であろう。琉球文化と一口で括れるほど単純でない文化がある。ほんの入り口にさえ至っていない。そして沖縄戦。ここでようやく本土の人間がその歴史的叙述に直接的に関与できるのだが、その実少しも嬉しくはない。何故なら出てくる歴史的事実は本土の人間が眼を覆う苛烈な事象に満ち溢れているからだ。明らかにここ沖縄はかつて日本と思い故郷と思っていたあの土地とは全く別な地球だということだ。にもかかわらずここは日本で日本に駐留する米軍基地の75%を押し付けられている。アメリカは容易には出て行かない。日本政府が「思いやっている」からだ。ところで皇民化教育によって沖縄戦を旧日本軍と一体になって経験した沖縄県民は死地にありながらそのありのままの自己を開陳してみせた。護国の鬼、軍国少年、と言った本土並みの洗脳成果が沖縄少年にも現れ、ひめゆりの少女たちには男まさりの敢闘精神があふれる様子を見て取れる。しかし一方で旧日本軍の沖縄に対する利己的態度はどうしても本土との差別を連想させる。.....さて今アメリカでは海兵隊不要論が湧き上がっている。どちらかというと学識者や良識派がアメリカの国情への憂慮から海外派兵の停止を呼びかけ内政の建て直しへの重心移動を訴えている。さもありなん。あらゆる他国への干渉が結果的に病的現象しか残さない現状を顧みれば、沖縄の犯罪的占領体制は勿論、アフガン、イラクはあきらかにアメリカの許されざる罪過としか評価できない。マスコミが何故あの連日のテロによる市民の大量死亡報道に大きな疑問符を付さないか不思議でしょうがない。あれはどうみてもアメリカの悪魔の爪あとであり今後も出口のない地獄を見せ続けるだろう。