沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩578 日本国の現実 28の2 国政及び沖縄

2015年03月14日 07時49分24秒 | 政治論

 独立、とは何か。自分の食い扶持は自分で確保する覚悟である。勿論、不在地主、不労所得などもってのほかだ。当然米軍基地からのあがりなどどぶに捨てよう。専ら米兵相手に儲けている飲み屋さんも米兵お断りの看板を掲げよう。日本国政府が日米安全保障条約保持のためにやっている「沖縄振興策」なる「飴玉」はこちらから拒否しよう。観光産業、とサトウキビ、パイナップル、海ぶどう、モズク、マンゴウ、何度でも収穫できる米、地場野菜つくり、喰っていくに困るような状況はどこにもない。全ては日米政府の言うなりにならされたかつての脆弱な依頼心こそ我らの敵じゃ。

 移住者から見ると日本政府の対沖縄に関するすべての対応、態度は「つけあがっている」という表現しか思い浮かばない。これはここにきて明白になってきた安倍晋三眷属の、戦後これまで取ってきた「官尊民卑」「封建遺制」「支配者根性」「内国植民地主義」が政府内自民党に浸透し、誰も彼も平気で沖縄差別にふんぞり返っている様を指す。ここには、琉球王国に対してやってきたこの国の歴史が物語る「侵略者」本性が、露骨にして尊大にもふてぶてしく開陳されている。

 独立とは何か。日本政府が投げてくる「アメ」を投げ返してやり、盛んに繰り出す「ムチ」を引っ掴んで引きずり倒すこと。

 自分の中にある「なよなよとした」揺らぎの心性をとことん暴きたて、ほじくり出して抉り取る。自分の足で立つ、ということは不断の自己改革の積み上げでしか可能にできない。日本国政府という目に見える敵以外に自分という大敵こそ厄介な敵だと認識しなければならない。

 独立とは、自己革命である。相手を変えるということも必要だが、先ず自分から変わらなければ事は始まらない。

 米軍基地は、彼ら日米共犯で勝手に人の土地に侵入して造った泥棒どものアジトだ。これを追い出すのは我々地主以外にない。日米安保は国内ほとんどの自治体がその負担を拒否している体制である。尤も彼等ヤマトゥはこれを思い出そうとしない。何故ならその負担の殆どを沖縄に押し付けているから。それでいて安保容認は過半を占めている。つまり彼ら自身が矛盾しているのだが、そのことを彼らは決して意識しない、しないことができる、と思っている。

 政府が「ノー」と言えないなら、我々「オキナワ」自身がどこまでも「ノー」と言い続けるしかない。

 この国の司法行政立法は米国によって決定づけられている。憲法が我々を守ることはない。我々を守るのは我々自身だ。憲法は盾にすぎずしかも決定的でさえない。(つづく)