沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩395 「人間の国」でない国にいる我々 15

2012年10月29日 22時46分02秒 | 政治論
 NHK沖縄ニュース610で仲井真知事の訪米を扱って記者解説していた中、アメリカのパトリック・クローニン安全保障上級顧問の、相変わらずの「国家安全保障優先」思潮をこの国、日本(とりわけ沖縄)の上に適用することが、さながらアメリカ合衆国独自の際立った特権として確定した事項であるかのように語られているが、これはこの国アメリカ合衆国が、「世界性」における(従って「人間的であろう」とする人間、としての)「倫理的実質」の課題追究という、「(過ちに満ちた)人間の行為」に関して絶えず課される普遍的義務(従って権利に必ず付随する絶対的要件)を果たすことをせず、第二次大戦以来(それ以前にも度々立ち現れた形跡があるが)連綿と持続され深化した、「国家安全保障」という名の、欺瞞に満ちた許しがたい黙過できぬ謀略諜報活動を、あらゆる国、民族、宗教に対して実行してきた、様々な「人道に対する罪」に該当する行為として考えるべき事柄なのであり、彼らアメリカ合衆国が、例えば日米安保に基づき(沖縄の場合)常時駐留してきた米軍戦争準備発進基地にあって、これを日本のなかの一行政単位である沖縄の県民が、民主的方法で言挙げした「普天間問題」の「普天間無条件撤去」又は「県外移設」という要求につき、これ(辺野古移設)は米側が外交上日本国政府と国家間で取り決めた合意事項であり、これに対する反論は必ず「国内問題」に限定され(日本国が沖縄県民を慰撫する方策を如何に取るかにかかっているだけで)決してアメリカ合衆国は(沖縄県民の実情に鑑みてもこの合意を改変するというような)「内政干渉」?はしないしできないと言って、事実上の倫理的理念的責任を回避しているという事態なのであろう。原爆使用を肯定しているし決して謝罪しないこの民族は、16年間進捗しなかった「辺野古移設」の「非現実性」という客観的状況など「知ったことじゃない」のであろう。なんだかんだ言っても結局普天間飛行場は(無条件撤去どころか撤去移設さえ叶わぬまま)いよいよ危険性を増幅(オスプレイ配備)しながら今後何年となく騙し騙し継続して使用していくに違いない(その欺瞞性たるや恐るべき厚顔としかいいようもないではないか)。この事実を踏まえながら考察していくと、こうした不逞の国に対して民衆が執るべき自己保存の手段というものは、例えば高江(オスプレイヘリパッド建設地)で地元住民はじめ有志協力者による「非暴力不服従」工事阻止抗議活動や「座り込み」、あるいは普天間飛行場ゲート前の「座り込み」「抗議目印凧揚げ作戦」など、昨日も今日も明日も明後日も休みなく、老体鞭打って炎天下、台風の中、紫外線に焼き尽くされながら続けられているし、その人員も早朝から夜半まで隙間なく送り込むには絶対数が足りないという感じだが、いずれにしても同盟関係にある他国の人民にこのような苦しい生存を強いているアメリカ合衆国は決して民主主義の国ではなく、それを武器のように騙る、自分自身に対する「大嘘つき」人種だ(中断)。