沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩347 その7 日本の戦後

2011年08月28日 17時20分11秒 | 政治論
 沖縄を軽視する日本の構造的差別からすると沖縄戦は県民総ぐるみで激烈な戦闘の末ほぼ玉砕した「英霊」による美談的模範であり「尊い犠牲」、「感謝する」対象として見られることになる。勿論「集団強制死」は「玉砕」の手本、但しいくらか勝手に自裁して果てた印象の特殊な「愛国」的表象と位置づけられる。沖縄の反戦意思が無視されたときここは間違いなく第2次沖縄戦の舞台、主戦場となり、自衛隊米軍多国籍軍が集結、北朝鮮乃至中国との覇権争いが核戦争の強迫を随伴して繰り広げられるだろう。この戦争の、国費を投じ税金を浪費する大掛かりな準備が防衛省を中心に米軍共々着々と進んでいるのが現況展望だ。彼らにとって今更辺野古は目じゃない。南西太平洋海上覇権を巡る初めは小規模な小競り合いがあり陰謀と情報操作によって画策された外交的決裂の末、沖縄を真下にみながら大陸と太平洋の上空をあまたのミサイルが飛び交い、県民は再びこの腐りきった日本本土の防波堤として焦土と化す沖縄諸島を見るであろう。我々は想像しなければならない。この国とアメリカが人間の住む島々を軍事要塞とし住民を救う手立てさえないままに彼らだけの都合で始める戦争が「普天間」など知ったことじゃないとでも言いたげにいよいよ強引に強制的に「一歩も退くことなく」沖縄を我が物顔に牛耳っていくことになろう。今そういう関係性において沖縄と日本国政府乃至アメリカが対峙していると認識し、沖縄の憤怒の嵐は金輪際彼らを許してはならない。彼らは如何にしても天皇言質を盾に沖縄島嶼を防共最前線基地たらしむべく決して妥協しないのである。(普天間固定化は初めから仕組まれていたし「負担軽減」に尽力したという政治的アリバイの意味しかない)日本の戦後における沖縄の特殊な待遇は今後どう転んでも改善されることはない。先の大戦での沖縄の苦痛は決して癒されることはなく却ってその遠慮がちな心根を逆撫でする本土政府の機械的な「日米安保堅持」路線をひた走るであろう。憎むべきはアメリカであり蔑むべきは日本政府であり追及すべきは昭和天皇だ。そして優秀なる事務手続きのスペシャリスト「大日本帝国官僚」の残党とその子孫にはいかなる天誅を下すべきか、惜しむらくはあらゆる災忌が「最弱の民衆」においてしか顕現しない不条理をいかんせん。(中断)