沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩347 その2 日本の敗戦2

2011年08月02日 23時08分40秒 | 政治論
 ありきたりな人間的行為である戦争に負けた日本は「敗北感」において如何なる「価値」を喪失したと自覚していたか。ありきたりな戦争敗者の日本が特殊な敗者となるのはその戦前においていかに孤立的に自尊理由を保持していたかによる。この事情は同じ敗者ドイツでも生じるはずだ。イタリアでなくナチスドイツで何が起こったかを探るときユダヤ人絶滅計画やゲルマン優越主義は実に特殊な思潮として瞠目せずにはいられない。民族自決主義や排他主義は当時のドイツではむしろごく自然な風潮的傾向の思潮だったろうがこうした特殊な「英雄主義」はドイツ民族に際立つ思弁的性向に由来しないともいえない。ドイツ哲学の近世近代にみるヘーゲルらの所謂思弁哲学においてはドイツ観念論の脈々たる流れが見て取れる。この伝統的個別的性向がオーストリアのリンツ近郊に生まれたヒトラーにおいて彼の個人的野望乃至英雄主義と結託し稀に見る悪魔的犯罪性を帯びた無類の国家主義に変貌したときドイツは史上稀有な戦争犯罪国家として特殊化する運命を担った。最早言い逃れはできない。ドイツ連邦共和国の執拗で永久的なナチ犯罪追及の戦後史はかくしてドイツをこの一点でありきたりな敗戦国から未来永劫拭えない特殊な犯罪的敗戦国とした。一方日本は極東裁判を中心とするアジア各地での戦犯訴追裁判においてむしろごくありきたりな戦争責任の追究という性格に満ちたありきたりな軍法会議的報復裁判を繰り広げ結果こんにち多くの司法的不当性不法性を指摘される欠陥裁判に堕落した。連合国は日本の戦犯、戦争責任者において「天皇不訴追」を決した時点でこの裁判の理念的意義を喪失したといって過言ではない。というよりもこの裁判が復讐裁判の域を一歩も超えずこれをよしとした連合国の世界性への理念的怠慢が指摘されよう。といって優勝劣敗の法則によりこうした不服申し立てなど誰も相手にはしないので今更おおやけに自己主張しても甲斐はない。従って問題はひとつには北一輝以来喧しい国家主義がこの国の大東亜共栄思潮においてドイツ並みに観念論的に逆上したのかどうかだが、結果論から言えば圧倒的な物量を誇る欧米列強に敵うだけの国力を自国に有しない貧国日本のどこにも不敗神話の保障は無かったにも拘らず、アメリカの挑発に乗って片道切符の根拠のない必勝陣形で国民総ぐるみで滅亡鉄道をひた走ったことからいえるように、ヒトラー並の狂気がこの国の全体に覆いかぶさった。それこそが明治欽定憲法以来国民を唱導した皇民化教育と天皇神格化の悪しきマインドコントロールだ。(中断)

詩347 その1 日本の敗戦

2011年08月02日 15時14分28秒 | 政治論
 「敗戦後の日本」という題名の漠然とした思考資材を措定し歴史的実質による検証と実態解明と問題点の分析、を試みる。どの道このブログは試作的創作的な個人的公開性の、可能な限り客観性を重視したひとつの見解にすぎないので何も気張りすぎることはない。大方の専門家が膨大な字数を費やして膨大な数の資料と論評と展望を示していることはもとより承知のことでここに欲掻いてある一隅を照らすことなど目論んではいない。一個人の吹けば飛ぶようなたわごとなど衆目に曝すことさえ憚られるが私的には人生的晩年を迎え自ら自らの悟性において己の肺腑にストンと落としておきたい願望に憑かれ狂気じみて遣る瀬無い境涯にあるようだ。日本の「敗戦」という事件の本質はどこにもない。人類が生れ落ちて群落を形成するころからすでに小競り合いは間断なくあり勝者と敗者があった。つまり戦争はこの現代においてさえ日常茶飯事に近いごくありふれた人間的行為のひとつにすぎない。もし一切争いのない世界があるとすればそれは我々の星はおろか悠久の自然界宇宙空間のどこにもその実例を見ることは永久にないだろう。日本の軍国主義を論うなら世界の覇権国家やら大戦戦勝国が、ある美名のもとに多くの戦争に自国の人民を駆り出しては膨大な民衆を殺戮する事実はこれとどう異なるのかを問えば少なくともその被害実態の内訳によって実質大差ないことを認めざるを得まい。つまり日本の敗戦は多くの敗戦のなかの一例に過ぎず戦勝国が極東裁判で報復的に処断したところの結果だけで「はいさようなら」が本筋のわけだが、日本とアメリカはそうはならなかった。まず天皇は帝国憲法上の大元帥としてこの国をマッカーサー率いる連合国の裁量に一切委ねると進言し、同時に沖縄を防共最前線として今後も引き続き占領統治してくれるよう懇願した。つまりアメリカは、こうした敗戦国意識でグチャグチャの脆弱な国体性に付け込んでその後の日本有効利用路線をとることができた。天皇不訴追決断も一定の効果を発揮し国民のなかの右翼的愛国的反乱分子を端緒において押さえ込むことに成功した。戦後民主主義は雰囲気だけ自由な傾向を演出し多くの「水を得た河童」連中が様々な「民主的行為」をアピールした。しかし三鷹松川下山など主に国鉄労組乃至共産主義に対する陰謀じみた画策が次々と頻発し「自由」や「民主主義」が根本のところで矛盾した現実的功利性に凌駕される実情を露呈するにいたりこうした戦後民主主義の内実が極めて理念性に遠い実態にあることを国民は知ることになる。アメリカ始め欧州連合はアメリカ主導で国連を牛耳り私物化し専ら反共軍事覇権戦略に基づいて軍拡核武装強化路線を邁進し、徐々に国際警察軍事体制による世界制覇目標を実現していく。日本は憲法9条に「戦争放棄」を謳ったその舌の根が乾かぬうちにアメリカの世界戦略に乗せられ自衛隊に至る事実上の再軍備に着手する。こうした歴史的事実に照らせばいかに戦後の日本がアメリカのいうなりになり同時に理念的堕落を平然と繰り返しきれいごとを並べる国家に成り下がったかがわかろうというものだ。(中断)