野々池周辺散策

野々池貯水池周辺をウォーキングしながら気がついた事や思い出した事柄をメモします。

横綱審議委員長の意見に納得

2017-07-26 06:23:37 | スポーツ
25日の日刊スポーツ記事に、「横審、白鵬を特別表彰も立ち合い張り手に“物言い”」とあった。
「最近は立ち合いで張り手や変化が目立つのも事実。「(番付で)一番上に立つ人が下の人のほっぺたをたたくのは、禁じ手ではないが、印象がよろしくないという話を聞く。年も年で、いろいろな取り口で負けない、勝つんだという工夫の結果でもあるので、難しいところです。私は、あまりいい印象を持っていないということは確かです」と北村横綱審議委員長が苦笑いで明かしたと書いてある。横綱審議委員会と言えば、一応、横綱を推挙するための大相撲の権威集団だ。その委員長の発言に重みをもたせて是非実行して欲しいものだ。

名実ともに大相撲の顔である白鵬について、横綱審議委員長がこれほど苦情を挟むのは正直遅いぐらいだけど、白鵬の相撲に不満ありと言った事には大いに賛同する。つまり、我々一相撲ファンが白鵬に持ち続けている印象は、横綱の品格がない。


これは昨年の1月場所。白鵬の相撲について、こんな印象を当ブログに書いたことがある。
白鵬の相撲に、またしても拍子抜けするどころか諦めた心境になった。もうみるのも嫌だ。新聞の見出しは「横綱・白鵬また奇襲、右手で栃煌山に「目隠し」」。先場所の白鵬の「猫だまし」の次が「目隠し」の注文相撲。立会いの「目隠し」で制すると右に変わって送り出し。すると、さっそく観客の桟敷席から大ブーイング。横綱が勝つと普段は大拍手が起こるものだが、逆現象。「モンゴルに帰れ」との声が出る一方、「変化ではない。頭を使わないと。相撲は力比べではない」と白鵬は意に介せずと新聞には書いてある。相撲は大好きなので、早くからテレビの前に座り観戦しているが、白鵬の相撲は見るのをパスしたくなど情けなくて残念な気持ちになる。
  
優勝35回の大横綱が格下の関脇に奇策を繰り出す必要があるのか。相撲ファンが見たいのは、挑戦者の格下に力を出させた上で、圧倒的力量でねじ伏せる横綱だ。その役割を大横綱は宿命的に背負わされており、そのための努力が横綱の責務である。それが出来なくなったら綱を返すべきだと相撲ファンは思っている。白鵬は「相撲は力比べではない」と言う、それは正しいが、下位力士との立会い時の奇襲は単に相撲から逃げた、ごまかしにすぎない。がっちりと受けとめて、そこから相手の力を上手く利用したり、あるいは相手の力を削いで勝ってみせることこそ、「相撲は力比べではない」と言える。我々が大相撲を見るのは、ただ勝つことのみに執着する相撲を横綱に求めるのでは決してない。白鵬には相撲ファンが求める「横綱の品格」が全く感じられない。

加えて言えば、横綱の品格のなさを象徴して書いた、先場所の出来事を再投稿してみるとこうだ。
「観客を興奮の大一番に巻き込む相撲が連続する中、ある場面から急に興ざめで、観客を裏切ってしまう相撲があった。その元凶は何と言って横綱白鵬の相撲二番。 その第一は、何と言っても10日目の白鵬と栃煌山戦。大関や横綱は姑息な手段で相撲を取ってはいけないと思っている。何故なら横綱・大関は協会の象徴であり、 特に横綱は子供たちにとってもヒーローだからだ。格下の対戦相手が奇策に出ても、受けて立つのが横綱である。そんな思いで、毎場所、楽しみにテレビ桟敷で応援しているが、 白鵬・栃煌山の相撲だけはファンの方が苦虫を噛みしめてしまう。納得できない。

好調の栃煌山に前回の対戦で負けていると言っても、勝ちにすがりつくような戦いを見せられたら、誰が喜ぶんだろうか。
強いと言われる横綱に、奇策中の奇策で、相撲漫才でもあるまいし、あっち向いてほいの猫だましをやられたら、高い入場料を払って見に来た桟敷席からも 金返せの声があがるのは自然で、あっけにとられて声も出まい。まさに白鵬の猫だましに大ブーイング。解説の北の富士は「きょうは街に出ないほうがいいよ」と。もう一番は、嘉風をはたきこみで下した白鵬の一番。 先場所は2日目で嘉風に敗れ、翌日から休場していた白鵬。今場所の、この相撲も実にあっけないものだった。白鵬は立ち合い、右を張りながら体を右にずらすと、嘉風は前にばったり崩れ落ちた。決まり手ははたき込みだが、みんなあっけに取られて一瞬空白。 これも解説の北の富士のコメント「まぁ、しかし、受けてほしかったなということでしょう」と。嘉風は取組後、「横綱がまさかという感じだった」と。懸賞を受け取る白鵬から苦笑いが漏れたのをテレビで見て、テレビ桟敷の方が口あんぐりとなってしまう。・・・これが横綱相撲かと。

白鵬は何かと言うと、双葉山の”木鶏の話”や最近は”後の先”をよく使う。だけど、少なくとも、目くらましの奇襲は”後の先”の対極にあるもの。 金星を狙って、あらゆる秘策、奇策を総動員して向かってくる挑戦者に、正面から受けて立つ。相撲ファンが横綱に望むのは、そんな大勝負であるはず。かって朝青龍はヒール性を前面に出し、勝つ事のみが正義だと相撲をとっていた。これはこれで朝青龍の人気要因だし相撲ファンもそう認識していた。白鵬の相撲には朝青龍に似たヒール性が覗き見えるのに、相撲界の至宝である大鵬や双葉山を持ち出すから、ファンには受け入れ難い。今の大相撲界で白鵬は第一人者たる実力を持っているだけに、勝ちたいばかしのこうした拍子抜けの相撲を取るのが残念でならない。

横綱が張り差しや相手が脳しんとうを起こすほどのカチアゲの相撲は認められて、ある部屋の親方によると「カチアゲは下位力士が横綱に対して取る相撲ではない」と言う、部屋がこんな暗黙の縛りを日本人力士に教育指導をしている一方、海外の力士は勝つためには横綱と言えど何でもできると、日本人力士の弱さが目立だけ。それにしても、稀勢の里を筆頭とする日本人相撲取りの 愚直なまでの真面目さは、勝利に対する貪欲さがないのではと疑ってしまう。もう少し、勝つことへの執念を全面に押し出してくれ!と素直に思う。逆にいえば、モンゴル力士に馬鹿にされているとさえ思えてしまう。






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