蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

なにやら、わからんことにこだわり、前に進めない

2019-06-22 | わたし
これ、5日前に書きかけて途中で放置した記事です。↓

父のことを書いてみたくなった。
わたしは、思ったことや、実際にあった出来事は捻じ曲げ捏造してまで書かない主義。
事実を書くが、あえて書かかないこともある。
読む人は正確な事情がつかめないかも知れないが、わたしは自己開示を80%以上すると息苦しくなるので、しない。

たとえば、良い事ばかりをズラズラ書いたとして、書いてある事は事実。
悪い事ばかりをズラズラ書いたとして、書いてあるのは事実。
どっちがどれだけ多いかがポイントなのに、肝心のそれを示さないと、いくら事実でも、読んだ人がイメージする、事実ではないものが一人歩きしてしまう。

「昨日はよく眠れた」と仮に書いたら、昨日眠れたことは事実。
だが、「いつも毎日よく眠れているのに、さらに仕事中も睡魔が襲うが」なのか、「不眠症でここ数年眠れなかったが」なのか、それを書いていなければ、書いた事は事実であっても、本当の真実は、事実を寄せ集めて検証しなければならない。

勝手に読み手に誤解を与えるような書き方は、「どうとられようが、わたしは知らん、事実を書いている」と開き直れないと思う。

わたしのブログは、「事実を書いている」確信犯なのでタチが悪い。
真実は誰が知っているかというと、わたしだけが知っている。
と、これは長い長い前置き。

さて、父親。
78歳でこの世を去った。ちょうど良い、頃合いの年齢だと当時は思っていたが、あれから20年以上経った今は、少し早かったかな、と別の感想を抱いている。
今、生きていたらこの夏で、101歳。
あり得ないこともない。
78歳でサヨウナラして、やはり良かったように思う。
父は、サヨウナラの旬をうまく捕らえた。
祖母は3年ぐらい、旬を過ぎていたが、まあ誤差範囲内。
母は、おそらく旬を大いにはずし、年中常温のビニールハウスか、冷凍庫内の食品のように、旬を過ぎても、いつも旬で、いつまでも生き続けそうな気がする。
子供は親にいつまでも生きていて欲しいと願うものであるが、残念なことに、長生きし過ぎも、子供孝行とは言えない。
早死にする不幸と、長生きし過ぎる不幸。
両方ある。
長生きし過ぎて、親も子も共倒れにならないようにしなければ。
不老長寿を願った、欲の深い人間は、願いが叶ったのだろうか?
医学や科学の発展は、まるで近未来SFのよう。
だが、新しい悩みを生み出しただけでは?

誰もがピンピンコロリを願う。
90歳を超えて、ちょっと風邪を引いて、2〜3日で治る予定が、そのまま天国に行った人もいる。
一瞬、ほんの数分の人もいる。

色々ホンネがゾロゾロ出て来て、書いては消し、書いては消しが続いている。
やはり、いくらホンネでも、言っていいことと、悪いことがある。
わたしは、一旦書いたが、消す。

天に唾を吐いてはいけない。
ブーメラン効果あり。
こころ優しい人になりたい。
わたしは、まったく優しくないから。

「書きたいこと」は、「書いてはいけないこと」。
オトナの自主規制。
オトナというよりは、枯れゆく人の道徳観。
長く生きた年月を積み重ねた、こだわりの品格、美意識か。
だから書けなくても、欲求不満にはならない。ストレスは溜まらない。
赤裸々に書くほうが、ストレスが溜まる。

ホンネなど悪魔のつぶやきに過ぎない。
そんな恐ろしいものはアウトプットせず、自分で抱えて、自然に体内で散らすと良い。
なかなか、まだ散らせないが。かと言って、外に向かって吠えるのは卒業、暑苦しい。
だが、気分にも左右され、ちょっとした、宙ぶらりんのところに、しがみついている。

父のこと、書きたかったんじゃなかったの?
うーむ、自分が変化しつつあって、それどころではなくなった。
首を洗って?顔を洗って?出直すことにします。