蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

生まれつき方向音痴です

2020-03-03 | わたし
わたしは、ものすごい方向音痴だ。
小学2、3年?の頃、理科の授業で東西南北の概念を習った。
もう少し後で習った星座などは、丸暗記すれば済むことだが、初めて教えられた東西南北には、さっぱりアタマが付いて行かなかった。
丸暗記といっても、理解できないものは、暗記もできない。
わたしの脳には東西南北は存在しない。
しかたがないから、右手側が東、左手側が西、上が北、下が南、と、無理やり覚え込んだ。
だだっ広い平野に暮らしていると、益々わからないだろうけれど、幸い、わたしの生活圏は平野ではなかった。
山と海に挟まれた、細長く伸びる地形。
後ろに山、前に海。どこからも山も海も見えるので、海を見ると、右手側は西。山を見ると、右手側は東。
実際には、山は北側、海は南側にあった。

そう覚えたら、大阪のような山も海もない、ただっ広い平野では、東西南北がまるでわからなかった。
市内には、南北に御堂筋などの「○○筋」と、東西に土佐堀通りなどの「▽▽通り」が、碁盤の目のように交差していた。
それはそれで、結構わかりやすかったのだが。

ではあるが、店内のトイレに入ると帰りに自分の席に着けるか?
駅を降りて歩く場合、目印はビルでも店舗でもなく、店先に並べられている商品。
駅を起点に、ぐるぐる歩き回って迷子になった時、あ、この商品、見た、見た!と、脳ミソでピントが合う。
東西南北の感覚が優れている人ならすぐ、駅の北側の商店街を何メートル歩き、東に曲がり、、、などとわかるのだろうけれど。
わたしの場合、明るい感じの風景から急に暗い雰囲気になって、甘辛い何かの匂いがして、やたらうるさい騒ついた場所を赤い旗がはためく方に曲がり、、、なんてことになると、なかなか目的地には辿り着けない。
感覚派は、自滅する。

こんなわたしなので、必要最小限だけ、丸暗記する。
降りた場所から10歩、歩いて階段を降りて右、とか、ピンポイントマーク。
トイレに行った場合は、必ず振り返って、来た道を復習する。

旅行に行くと、生まれつき目が見えない人より、目が見えない。
付いていくのみ。連れて行ってもらうのみ。
自立ゼロ。頭の運動ゼロ。

ある日、そういう自分ではない自分を経験してみたくなり、一人旅を夢見た。
誰のお世話も手引きもなく、一人で自力で現地を回る。
この方向音痴のわたしに、そんなことが出来るのか?

インターネットの時代はすでに到来していたので、それを駆使すれば、出来た。
だが、勇気は要った。
いつまでもグジグジ延々と実行を悩んで、ブログに、あーでもない、こーでもないと、チマチマ書いていたら、実姉が一言。
「いつになったら行くの?」
その、やや強引ともお叱りとも苛立ちとも取れる一喝で、姉に背中を押されて、一人旅を敢行することができた。
サンクス、姉!
幼稚園児の、「初めてのお使い」みたいなレベルではあったが。

それまで若い頃から海外旅行は何度か行ったことはあったが、全て、人の後を付いていく、「ここはどこ?」旅行。

一人旅においても、別に綿密に計画したわけでもないのに、成り行きでキーマンがいち早く見つかり、乗っかかる。

わたしの人生そのものかも知れない。
しかも、たまたまキーマンは、全て500%良い人たちだった。
自分が自立できてない分、勘が働くというか、鼻が効く。
全力で何もしないわたしは、全力でキーマンを探す。
ただし、泥舟には乗らない。
運の悪い人なら、悪人に捕まるかも知れないのに、わたしはたまたま、善人ばかりに縁がある。
何が危なくて、何が安全か、アタマではなく、勘、嗅覚で探るのだろうか。
というか、たまたまなんだろうけれど。
しかし、それに気を良くしてはいけない。
過信は良くない。
客観の目も同時に持たないと、単なる向う見ずのアホ。

しかしまあ、全力で何もしないとは、ほんとによく言い当てられたものだ。

語学ダメ、方向音痴、知力ダメ、ダメダメダメ、、、。
でも、けっこう楽しい旅行が体験できた。
わたしの人生経験の宝物となっている。