ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

井上ひさしの予想に反し、日本人の米の消費量は、漸減の一途である(ただしそれは、日本人が米から精神的に離れていることを意味しない)

2024-04-17 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

先日地元の図書館で、こちらの本を見つけました。

どうしてもコメの話

1993年11月の出版で、帯に「緊急出版」とあるのは、この年が冷害で非常に米の生産が悪く、その関係での出版という意味合いもあったのかと思われます。文庫オリジナルです。この前の年に、こちらも出版されています。

コメの話

本日は、続編の本の話で。著者(井上ひさし)は、次のように主張しています。なお下の数字は、1989年ごろの数字です。


日本人が1年に1人食べるコメの量は、約70キロである。

(中略)

日本人のコメ消費量は、ぐんと減っており、今後もさらに減り続けるだろう考える人もいる。しかし私は、これ以上減ることはないと思っている。なぜなら、日本人は箸を手放していないし、今後も当分は手放さないであろうと信じているからである。また、お客さまにご馳走を出そうとするとき、パン食にする家庭はまだごく少ない。箸をもっているかぎり、日本食をご馳走と考えているかぎり、いくら消費量が少なくなったとはいえ、日本人はコメに愛着をもち、コメから離れることはないはずである。(P.238~239)

以上漢数字は算用数字に変換しました。また振り仮名も省略、段落の一字下げはせず。

著者は、同趣旨のことをほかのところでも語っています。なお下の引用中「去年」とは、1992年のことではないかと考えられます。


日本人1人当たりの年間米消費量は年ごとに減ってきている

(中略)

がしかし、50年以上もつづいたこの傾向も去年あたりから変わってきた。とくに若い人たちの焼きおにぎり好きはたいへんなもので、これ以上米消費量は減らないだろうと、わたしは見ている。(ページ数記載なし。巻末の「参考資料集 <資料25>国民一人1年あたりの純食料供給量」につけられたコメント)

つまり井上は、この89年ごろの70㎏くらいが、日本人の米消費量の底打ちではないかと予想したわけです。で、井上がこの本を出して31年たった今日の数字はどうか。引用はこちらから。グラフも同じ記事より。

> 
消費量が減っても日本人はお米好き
株式会社ナビット

2022年9月22日 17時20分

年間消費量はピーク時の半分以下
農林水産省によると、お米の1人当たりの年間消費量は約50kg。ピークだった1962年(昭和37年)が118kgですから、半分以下の水準に落ち込んでいます。これに伴い、最近ではお米の1世帯当たりの消費金額は、パンより少なくなってしまいました。

というわけで、井上の予想は大外ししたわけです。井上が亡くなったのは2010年であり、晩年彼は、あまり米の問題について語らなくなったかと思いますが、あるいは日本人が彼の予想(願望)を裏切ってどんどん米の消費量を減らしたことに嫌気がさしたということもあったか?

で、井上は、同じ主張を、この2年前に発売された本(続 井上ひさしのコメ講座)でもしています。岩波ブックレットです。これが、この本の最初の章に収録されています。引用を。


いまの70キロもっと減るかどうかは議論があるようですが、私はこれがドン詰まりだと思います。70キロ以下にはならないだろうと思います。(P.56。漢数字は算用数字に変換)

井上がそう考える論拠は、最初の引用とおなじなので引用を省略します。

上の井上の主張も、その論拠は、前者は日本人の米への愛着を指摘しており、また後者は、若者の焼きおにぎり好きなどという「え、そんなことあったの」という程度の話でしかありません。しょせんは、そんなものは流行りものでしかないでしょう。たぶんですが、井上も、自分の主張は、かなり願望が前に出ているということを意識していたのではないか。2024年の今日では、日本人の米消費量は、50㎏を割り込んでいるでしょう。

で、私も、井上が主張する、大要「日本人は、米に対して愛情がある」という意見には賛成します。ただそれは、米の消費量の減少と完全に両立しうることです。まさに私が引用した記事にあるように、

> 
消費量が減っても日本人はお米好き

ということだと思います。上の記事から引用すれば、


お米は「好き」と「どちらかといえば好き」を合わせると94.3%と、回答者の9割を超えました。「好きではない」と「どちらかといえば好きではない」の合計は、わずか1.4%でした。お米の消費量は減っていますが、お米と日本人は切っても切れない関係にあることがわかります。

ということです。グラフを引用します。

そもそも人口が高齢化すれば、どうしたってトータルの消費量は減りますし、1人当たりの消費量も漸減は避けられません。。井上のいう米消費量の現状維持というのは、いわば人口の高齢化に抗うことであり、それはできない相談というものです。また時代の変化とともに、主食なりおかずなどの嗜好にも変化が生じる。主食ではありませんが、こちらの記事によれば


2023年9月13日、韓国・ニューシスはこのほど「韓国の成人の1日のキムチ摂取量が15年前に比べ男性は3分の2水準、女性は半分以下に落ち込んだ」と伝えた。

(中略)

成人男性の1日平均キムチ摂取量は2005年の94.4グラムから20年には61.9グラムに減少した。成人女性は70.1グラムから34.6グラムと、約半分に落ち込んだ。男性のキムチ摂取量は女性の約2倍に達している。

同期間、野菜の摂取量も減少を続けている。女性の果物摂取量は14年の184.4グラムから20年には134.7グラムに減少した。野菜の摂取量は男女間の差がほとんどなかったが、果物摂取量(20年)は女性(134.7グラム)が男性(106.7グラム)より多かった。

キムチの摂取量が年々減少していることについて、研究チームは「キムチの主な摂取場所である家庭での食事率の低下」「食習慣の欧米化」「正しい食生活に影響を与える配偶者がいない1人世帯の増加」を原因に挙げている。配偶者など家族と同居している人はキムチ、野菜、果物のいずれも摂取量が多かったという。

とあります。たぶん日本における米消費の動向も似たようなところが大きいのではないか。そして、数年前の記事ですが、


韓国人の7割はキムチが好き、人気のキムチ1位は?
  
 韓国人にとってキムチはどんな意味があるのか。キムチなしにご飯は食べられないと言われるほど、われわれの食卓にキムチは欠かせない。しかし最近では、キムチがなくてもご飯をしっかり食べられるくらいさまざまなおかずがあるので構わないという人たちも増えている。ある調査によると、10ー50代以上の男女10人のうち7人は「キムチが好き」と答えたが、「普通」という回答も20.8%を占めた。

とあります。グラフも同じ記事より、さすがに主食である米の日本人に対する態度ほどではありませんが、それでも韓国人もまだまだキムチへの愛着は強い。しかし消費量が減っていくのは、これもおそらく避けられないことだと思います。おそらくですが、韓国のキムチ離れにも、韓国社会の高齢化などによる小食化というのも、相当な要因としてあるはず。世界的に、いいとかわるいとかはともかく、おそらく似たような事態は広がっていくのだろうと思います。

なお井上ひさしは、「コメ」という表記を主としていますが、拙記事では「米」と漢字で表記していることをお断りしておきます。


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