ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

平取ダム

2023-11-29 17:02:09 | 北海道
2023年10月19日 平取ダム 
 
平取(びらとり)ダムは北海道沙流郡平取町芽生の一級河川沙流川水系額平川にある国土交通省が管理する多目的ダムで型式は重力式コンクリートダムです。
沙流川は日高地方屈指の大河ですが、過去より洪水被害が絶えませんでした。
一方苫小牧市、安平町、厚真町にまたがる湧払平野では1972年(昭和47年)に国家的大規模開発プロジェクトである
『苫小牧東部開発計画』が着手され、同地域への工業用水源確保が求められていました。
これを受け建設省(現国土交通省)は沙流川の治水及び苫東工業地帯への利水供給などを主目的とした
『沙流川総合開発事業』を採択、沙流川本流および支流の額平川への2基のダム建設事業が着手されました。
しかし土地買収が長引き本流の
二風谷ダムは事業着手から25年後の1997年(平成9年)にようやく竣工に至りました。
一方の平取ダムも民主党政権による事業検証など紆余曲折はあったものの、2015年(平成27年)に本体工事が着手され2022年(令和4年)に竣工、運用が開始されました。

平取ダムは国土交通省北海道開発局が直轄管理する特定多目的ダムで、ダム地点で最大1750立米/秒の洪水カットによる二風谷ダムとの相互作用による沙流川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定利水への補給、二風谷ダムとの相互運用による平取町・日高町への上水供給を目的としています。
平取ダムの顕著な特徴としては、2003年(平成15年)の台風10号(日高豪雨)など近年の集中的な豪雨による山体崩壊や洪水の頻発により二風谷ダム貯水池内の土砂堆積が顕著に進んだことを受け、貯水池内の土砂排出に重点を置いた運用が行われる点です。
具体的には多目的ダムとしては異例の河床レベルに融雪期放流設備を設けるとともに、水量豊富な融雪期は貯水池の水を抜いて流水運用を行い、流水の掃流力による土砂排出を図ります。
堤体の低い位置にゲートを設け豊富な流水で土砂の流下を促すという思想は、宮崎県の九州電力西郷ダム山須原ダムの再開発で採用された『通砂運用』と共通する部分が大きいと思います。

平取ダムの容量配分(国土交通省北海道開発局HPの平取ダム容量配分図に加筆)
水量豊富な4~6月の融雪期(図の赤線部分)は貯水池を空にして流水型運用を行い、その掃流力により貯水池内の土砂を排出させます。
 
またダム建設地点周辺はアイヌの文化的所産が多く、ダム管理所にはアイヌ文化保全の取り組みを紹介するための「ノカピライウォ・ビジターセンター」が併設されています。
 
今回は事前に平取ダム管理支所に説明付き見学をお願いし、管理支所長さま直々のガイドでダムを見学することができました。
見学の詳細は平取ダム見学の項をご覧ください。

ダム下から
洪水調節は自然調節で、非常用洪水吐としてクレスト自由越流頂11門、非洪水期および洪水期用オリフィス各1門ずつを装備。
堤体下部には向って左手から土砂流下を目的とする融雪期放流設備、利水放流ゲート、魚道が並びます。
実は平取ダムの堤頂長は350メートルに及ぶのですが見えているのはその半分にすぎず、向って右手(左岸)の段丘上にさらに堤体が続きます。
なおダム下は立ち入り禁止で、今回は特別の計らいで立ち入りさせて頂きました。

 
土砂排出を目的とする融雪期放流設備は摩耗を防ぐためステンレス等でライニングされています。

 
こちらは左岸にある魚道
サクラマスの遡上に配慮しており、河川維持放流は魚道優先で行われます。 

 
ダムサイトの電源棟。

 
上述したようにダムの堤頂長は350メートルにも及び、その過半は左岸段丘上に続きます。

 
さらにさの先も透水性の高い砂礫層となっており、止水のため連続地中壁が埋設されています。
写真の砂利の下に地中壁が設けられています。

天端は徒歩のみ開放
過剰な装飾などは許されないご時世、高欄は凝った意匠などなく手すりもシンプル。

 
クレスト自由越流頂と取水設備。

 
総貯水容量は4580万立米
ダムは額平川と宿主別川の合流地点直下に建設されており左は額平川、右手が宿主別川になります。
訪問時の水位は魚道の流入水位を保つために、制限水位の152.5メートル。 

 
天端から減勢工を見下ろすと
左から魚道、利水放流設備、非洪水期オリフィス、洪水期オリフィス、融雪期放流設備という並び。

 
河川維持放流や利水放流は魚道優先で行われます。
また俎上する魚が利水放流ゲートに向かわないよう、段差が設けられています。 
 
オリフィスをズームアップ
左が非洪水期、右のデフレクター付きが洪水期オリフィス。

 
右岸から見た機械室建屋群
手前は融雪期放流設備。

 
右岸から下流面
堤趾導流壁とフーチングで仕切られた部分は堤体の半分でしかありません。

 
管理支所に併設された『ノカピライウォ・ビジターセンター』では、アイヌの文化や風習をパネルや展示物で詳しく知ることができます。
こちらは『サルンクル イ』(沙流川流域に住む人々の食事)
漫画『ゴールデンカムイ』で話題になったチタタも紹介されています。

 
今回は特別のご配慮により管理支所長様直々のガイドでダムを見学させていただくことができました。
ご多忙の中、お時間をとっていただき厚く御礼申し上げます。
おかげで全国でも特異な融雪期放流による土砂排出の仕組が十分に理解できました。
叶うならば流水運用中の4~6月期に再訪してみたいものです。

(追記)
平取ダムには洪水調節容量が配分されていますが、台風等の襲来に備え事前放流を行うため治水協定が締結されています。

0148 平取ダム(2016)
北海道沙流郡平取町芽生
沙流川水系額平川
FNW
55メートル
350メートル
45800千㎥/44500千㎥
国土交通省北海道開発局
2022年
◎治水協定が締結されたダム

門別ダム(庫富ダム)

2023-11-19 17:00:34 | 北海道
2023年10月19日 門別ダム(庫富ダム)
 
門別ダムは北海道沙流郡日高町庫富の二級河川日高門別川水系ダム沢川にある灌漑目的のアースフィルダムで、管理は日高門別土地改良区が受託しています。
ダム所在地から庫富(くらとみ)ダムとも呼ばれ、ダムサイトの記念碑や国土地理院地形図にも『庫富ダム』と記されていますが、ここでは門別ダムと記すことにします。

馬育成が盛んな日高地方の中で旧門別町では稲作中心の農業が展開されましたが、水源となる日高門別川は渇水が多く安定した農業用水源が求められていました。
これを受け道営事業により1971年(昭和46年)に竣工したのが門別ダムで、特定の農地に灌漑用水を供給するのではなく日高門別川で水不足が発生した際に補給を行う『補水ダム』として運用されます。
一方で昭和40年代以降の競馬人気や政府の減反政策を受け水田から競走馬育成や牧草地への転換が相次ぎ、これに比して門別ダムの放流頻度は減少の一途をたどります。
土地改良区のお話では直近では日高町の水田転作率は80%に達し、直近4年間は門別ダムからの用水補給は一度も実施されていないというのが現状です。
農業事情の変化とは言え、これほど立派な水源が十分に活用できないのはなんだかもったいない気がします。

ダムは関係者以外立ち入り禁止となっていますが、今回は事前に土地改良区の許可を頂きました。
その際、ダム建設の経緯や運用、日高町の農業事情についても詳しくご教授いただきました。
日高門別土地改良区には厚く御礼申し上げます。

門別ダムは門別本町から日高門別川沿いに道道351号を北東に約15キロの位置にあります。
ダムへの入口にはゲートが設けられ、『関係者以外立ち入り禁止』と表記されています。今回は立ち入り許可を得ています。

 
100メートルほど進むと右手に堤体が見えてきます。
堤高20.8メートル、堤頂長234メートル、犬走を挟んで3段の堤体。
ここ数年は補給がないとのことですが、定期的に草が刈られているようできれいな堤体です。
手前(右岸)に洪水吐斜水路があります。

 
余水吐斜水路に沿ってダム下に下ります
写真は減勢工で北海道の溜池ではよく見られるコンクリートの梁が渡されています。
この先を進むと底樋管まで行けそうでしたが、土地改良区の方にダム下はクマが出るので注意と諭されていたのでこれ以上進むのは自重。
天端に戻ります。


天端は草付き。
ちょっとわかりづらいですが、対岸に斜樋があります。

 
右岸の洪水吐斜水路
この先で流下し3枚目写真へと続きます。

 
横越流式洪水吐。
奥のトタン小屋は資材置き場。

 
洪水吐越しの上流面。


洪水吐のそばの水神
裏にダム建設の簡単な経緯が刻されています。

草が生えていますが上流面はコンクリートで護岸。
堤頂部のコンクリートは土留めのようです。


総貯水容量25万6000立米。
湖畔の紅葉が見ごろを迎えています。


天端から見た洪水吐。


左岸の斜樋
シャフトが10本並びます。

左岸から
奥の盛り上がった部分が洪水吐斜水路。


渇水に悩まされてきた農家の期待を背負って建設された門別ダムですが、農業事情の変化から灌漑需要が低減、なかなか出番がありません。
これに臍を噛んで悔しがっているのはダム自身かもしれません。 

0085 門別ダム(庫富ダム)(2015)
北海道日高郡日高町庫富
日高門別川水系ダム沢川
20.8メートル
234メートル
256千㎥/234千㎥
日高門別土地改良区
1971年

八ツ場ダム

2023-11-17 17:00:00 | 群馬県
2015年10月10日 八ツ場ダム
2016年10月09日
2023年 9月25日 
 
八ッ場ダムは左岸が群馬県吾妻郡長野原町川原畑、右岸が同町川原湯の一級河川利根川水系吾妻川にある国交省関東地方整備局が直轄管理する多目的重力式コンクリートダムです。
群馬北西部を横断し渋川市で利根川に合流する吾妻川は利根川の主要支流の一つですが、草津白根山をはじめとする火山活動の影響で水質は強酸性であり、吾妻川の治水は酸性水の中和事業がその前提となっていました。
1965年(昭和40年)の品木ダムおよび草津中和工場の完成により吾妻川の水質が改善したことから、1967年(昭和42年)に八ツ場ダム建設が採択されますが激しい反対運動により土地買収は長期化、1994年(平成6年)にようやく付帯工事が着手されました。
しかし民主党政権による事業中止決定などにより事業は翻弄され、2015年(平成27年)1月にようやく本体工事が着手、2019年(令和元年)に事業採択から50年以上を経過し八ッ場ダムが竣工しました。
同年試験湛水時に令和元年台風19号(東日本台風)が襲来、おりしも貯水池が空っぽだったことで吾妻川下流域での洪水被害低減に大きく貢献したのは記憶に新しいところです。
八ッ場ダムは国交省関東地方整備局が直轄管理する特定多目的ダムで、吾妻川の洪水調節(最大毎秒2800立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持、1都4県1市および2企業団への上水供給、2県への工水供給、群馬県企業局八ッ場発電所でのダム式発電(最大出力1万1700キロワット)を目的としています。

八ッ場ダム建設事業は我が国屈指の長期化事業となり、また政治に大きく翻弄された一方、本体工事着手後は見学会等積極的な広報活動が功を奏し土木ブーム・インフラブームの先鞭となりました。
ダム完成後はダムサイトの『なるほど!やんば情報館』や湖畔の道の駅を中心に関東のダム屈指の集客力を誇るとともに周辺観光の拠点として地域振興に大きく貢献しています。

八ッ場ダムには本体建設工事期間中に二度、さらにダム運用開始後の2023年(令和5年)9月に3度目の訪問をしました。
当ブログではまず完成後のダムを紹介したのち、終盤で建設工事中の写真を掲載します。
 
左岸ダムサイトの駐車場に車を止めたのち、エレベーターでダム下に下ります。
ダム下も下流園地として整備され、様々なアングルでダムを見上げることができます。
堤高116メートル、堤頂長290.8メートルの立派な躯体。

 
放流設備は非常用洪水吐としてクレストラジアルゲート4門
水位維持用オリフィスとして高圧ラジアルゲート1門、常用オリフィスとして高圧ラジアルゲート2門
さらに利水放流設備としてホロージェットバブルおよびジェットフローゲートを1門ずつ装備。
洪水吐直下には赤い管理橋(八ッ場もみじ橋)が架かっています。


洪水吐導流部とエレベーター出入口。
エレベーターは9時30分~16時30分に開放。


八ッ場もみじ橋から
クレストラジアルゲート4門と水位維持用オリフィス1門、常用オリフィス2門を見上げます。


ラジアルゲートをズームアップ。


洪水吐減勢工
八ッ場もみじ橋の下に利水放流設備があります。


右がホロージェットバルブ、左がジェットフローゲート。


ちょうど発電所の見学会があったので参加しました。
こちらが発電機で最大11700キロワットの発電を行います。
見学会はプロジェクションマッピングを駆使した斬新なものですが、担当者との質疑応答もなくダム慣れた人には正直物足りない。

エレベーターでダムサイトに上がり左岸上流側にある『やんば見放台』へ。
左手が情報館である『なるほど!やんば資料館』を併設した管理棟。
訪問時はまだ洪水期のため、貯水位はEL555.2メートルの洪水期貯留準備水位。
八ッ場ダムの洪水期は7月~10月5日まで。
それ以外の非洪水期は有効貯水容量すべてが利水容量となります。


左岸から下流面
高い襟が特徴。


ステンレス製の銘板。


総貯水容量1億750万立米のやんば吾妻湖。
正面は八ッ場大橋。
その袂に水陸両用バスが見えます。


直轄ダムらしく天端は2車線幅ありますが、開放は徒歩のみ。
左はエレベーター棟、右は取水設備機械室。
無駄使いは許されない時勢を受けてか?高欄や手すりの意匠は簡素。

 
ゲート越しに減勢工を見下ろす
あまり見ない黄緑のゲートが新鮮
一方、八ッ場もみじ橋の赤がよく映えます。


アングルを変えて
左岸広場中央の建屋の下に発電所があります。
左上の青い屋根は旧吾妻線を利用した自転車型トロッコの八ッ場駅。


右岸上流から
個人的にはこのアングルからの絵が一番好きかな?
管理棟の左手は巡視艇繋留設備。


ズームアップ
水位は洪水期貯留準備水位。つまり洪水期の満水。
オリフィスの予備ゲートが見れるのはこの時期ならでは。

上流の八ッ場大橋から遠望。


ここからは建設工事中の写真です。
やんば見方台から
9枚目写真と同じ位置になります。
掘削のため発破が行われています。
(2015年10月10日)


発破作業直後。
(2015年10月10日)


これは八ッ場大橋からの眺め
ブルーシートのあたりにかつての吾妻線川原湯温泉の駅がありました。
(2015年10月10日)。


初訪から1年後に再訪。
山留めが完了、いよいよ本体の打設がスタートします。
(2016年10月9日)


本体頭上にはケーブルクレーンが架かり、吾妻線鉄橋跡にはベルトコンベアが設置されています。
(2016年10月9日)


(追記)
八ッ場ダムには洪水調節容量が設定されていますが、豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらなる洪水調節容量が確保されることになりました。
 
0624 八ツ場ダム(0010)
左岸 群馬県吾妻郡長野原町川原畑
右岸         同町川原湯
利根川水系吾妻川
FNWIP
116メートル
290.8メートル
107500㎥/90000㎥
国交省関東地方整備局
2019年
◎治水協定が締結されたダム

大池

2023-11-15 17:00:10 | 長野県
2017年8月 5日 大池
2023年9月24日
 
大池は長野県中野市永江の信濃川水系斑川最上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では1927年(昭和2年)に建設と記されているだけで事業者等については記載がありません。
受益地となる中野市永江地区は千曲川左岸段丘上の平坦地に位置し、当地の開拓に併せてその灌漑用水源として建設されたものと思われます。
管理は北信州土地改良区が行っています。

大池には2017年(平成29年)8月に初訪、その後改修工事が一段落したとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
 
大池は北信五岳の一つで日本300名山の斑尾山東山麓、標高800メートル付近に位置します。
改修によってすっかりきれいになった下流面
背後には斑尾山が聳えます。
手前は支沢からの水路と桝。


池下から
右岸を改修で新調された洪水吐斜水路が流下します。

 
減勢工わきの底樋管
灌漑用水は斑川に放流したのち下流で取水されます。

 
減勢工
斜水路下段には石が積まれ、減勢工にはバッフルブロックとエンドシルが設けられています。
越流した水はそのまま斑川を下ります。

 
天端。


再訪時はすでに灌漑期が終わり池の水が抜かれていました。
殺伐とした眺めですが、おかげで普段水中にある諸設備を目にすることができます。
手前は斜樋。

 
所管する長野県北信振興局の許可を得て貯水池内に立ち入りました。
上流面はコンクリートで護岸、中央は斜樋でシャフトは一本。

 
斜樋の下には階段式の池栓が続きます。
こういう2段構成の取水設備は初見。

 
土砂吐ゲート
左右は蛇篭、背後は布製型枠で護岸。
水抜き後は流入量はここからそのまま放流します。

 
右岸から上流面。


刷新された洪水吐
越流堤には切欠きがあり小さなゲートが嵌められています。
これで水位を微調整するのでしょう。


緩やかにカーブを描く斜水路。

ここからは改修以前、2017年(平成29年)8月の写真となります。
盛夏のため濃い緑が水面に映えます。

 
取水設備
いたずら防止のためでしょうか?金属製のゲージで囲まれています。


総貯水容量16万2000立米。
満水です。


右岸から
対岸の建物は個人の住宅で池とは関係がありません。


堤体に切り込みを入れただけの洪水吐


天端右岸にある公衆便所『跡』
大池を『斑尾高原の穴場』と紹介する観光ガイドもあり、天端から先の山道には朽ちかけた道標もあります。
以前はハイキングコースになっていたのかも?

改修ですっかりきれいになった大池。次は満水の状態で見学したいものです。

3434 大池(1096)
ため池コード
長野県中野市永江
信濃川水系斑川
16メートル
118メートル
162千㎥/162千㎥
北信州土地改良区
1927年

大谷内ダム

2023-11-13 17:00:00 | 新潟県
2016年5月14日 大谷内ダム
2023年9月24日
 
大谷内(おおやち)ダムは左岸が新潟県中魚沼郡津南町秋成、右岸が同町中深見の信濃川水系釜川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
苗場山南西山麓は火山活動や隆起活動で形成された日本最大規模の河岸段丘が広がり段丘上の農地開発適地は1万6000ヘクタールに及びますが、浸食により谷は深く揚水技術のない時代段丘上の開墾は困難を極めました。 
苗場山麓では戦前より数次にわたる国営土地改良事業が進められ、大谷内ダムは1975年(昭和50年)に着手された農水省による国営総合農地開発事業苗場山麓第二地区の灌漑用水源として1989年(平成元年)に竣工しました。
運用開始後は津南郷土地改良区が管理を受託し、約700ヘクタールの農地に灌漑用水を供給しています。
大谷内ダムは既設の大谷内溜池を再開発、丘陵台地上を掘り込んだ皿池状の貯水池で貯水池外周がほぼすべて堤体となっており、堤頂長は日本のダム最長の1780メートルに及びます。
苗場山麓の国営土地改良事業も2012年(平成14年)の国営農地再編整備事業苗場地区の竣工をもって完了し、30年の年月をかけ約2400ヘクタールの農地が整備されました。
大谷内ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、夏場の渇水により水位が大幅に低下との報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
残念ながらその長大な堰堤の下流面を一望できるポイントはありません。
天端に向けて道路が斜行します。
(2023年9月24日) 

 
管理道路にはゲートがあり車両進入禁止。
土地改良区に確認したら徒歩での見学は問題ないとのこと。
(2023年9月24日) 


堤頂部の管理事務所
職員の常駐はありません。
そばには説明板や記念碑が並びます。
(2023年9月24日) 


事業説明板。
(2023年9月24日) 


初回訪問時はほぼ満水。
透水性の高い地質のため、湖岸はすべてコンクリートで遮水処理されています。
(2016年5月14日)

再訪時
ほぼ同じアングルですが水位の違いがはっきり分かるでしょう。
訪問直前の雨で水位は幾分回復していますが、それでも貯水率は30%程度。
(2023年9月24日) 

 
奥に見えるのはグリーンピア津南。
(2023年9月24日) 

ダム直上を柏崎刈羽原発から首都圏に通じる東京電力の新新潟幹線が通ります。
50万ボルトが2回線。
(2023年9月24日) 

大谷内ダムは流域面積17.4平方キロのうち自己流域はわずか0.4平方キロ。
その大半は釜川にある大場頭首工からの導水に依ります。
これはその導水路。
(2023年9月24日) 

導水路流入口
最大毎秒1.67立米導水されます。
2023年8月には渇水によりこの導水が停止、貯水率は一時10%割れとなりました。
(2023年9月24日) 


左岸の横越流式洪水吐。
この時はほぼ満水で、水位が越流部間際まであります。
(2016年5月14日)


アングルを変えて。
(2016年5月14日)

再訪時
水位の低さが一目瞭然。
(2023年9月24日) 


導流部は左岸堤体沿いを流下します。
(2016年5月14日)


洪水吐越しの堰堤と貯水池。
堀込式のダムのため、上流側も含め貯水池の周囲すべてが堤体となります。
(2023年9月24日) 

ダム湖中央にフローティングアーム式取水設備があり、最大毎秒1.57立米を取水します。
(2023年9月24日) 


国営土地改良事業の竣工により、津南町は「農を以て立町の基と為す」を町是とし、コシヒカリのほか野菜生産においても県内屈指の生産量を誇る農業王国となりました。
 
0795 大谷地ダム(0374)
左岸 新潟県中魚沼郡津南町秋成
右岸         同町中深見
信濃川水系釜川
23.2メートル
1780メートル
1206千㎥/1200千㎥
津南郷土地改良区
1989年

宮中取水ダム

2023-11-11 17:00:00 | 新潟県
2016年5月14日 宮中取水ダム
2023年9月24日
 
宮中取水ダムは左岸が新潟県十日町市宮中、右岸が同市小原の一級河川信濃川本流にある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に当ダムと千手発電所が完成、1945年(昭和20年)の浅河原調整池の完成により千手発電所の発電能力は戦前の一般水力発電としては屈指の出力12万キロワットに達します。
さらに戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成。
1990年(平成2年)には追加の水利権を獲得し当ダムに宮中第二取水口が増設されるとともに山本第二調整池と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工、3発電所合わせて最大45万キロワットの発電能力を有し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。

宮中取水ダムは鉄道電化による輸送力増強に大きく貢献したことなどを評価し、2016年(平成28年)に千手発電所や浅河原調整池などとともに土木学会選奨土木遺産に選定されました。
一方で1997年(平成9年)の河川法改正による河川維持放流義務化前までは、当ダムで信濃川の水を根こそぎ取水していたため小千谷までの信濃川中流域は水無川となり、伝統のサケ漁業は壊滅し流域の自然環境にも大きな影響を与え長く流域自治体や住民との対立が続いてきました。
さらに2008年(平成20年)に不正取水と悪質な隠ぺい工作が発覚し、一時水利権はく奪という厳しい行政処分を受けました。
それ以降は不祥事の反省から流域地域への発電の理解を深める施策に力を入れ、魚道観察室を設け開かれたダムを目指す一方、地元漁協と連携したサケの稚魚放流やNPO団体と共同での自然保護活動に注力するなど地域との共存共栄を図る努力を続けています。

宮中取水ダムには2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本パンフレットより)
宮中取水ダムで取水された水がいったん浅河原調整池に貯留され、千手発電所に送られ発電に利用されます。
さらにその放流水は山本調整池を経由して小千谷発電所に送られます。
一方、宮中第二取水口で取水された水は山本第二調整池を経て小千谷第二発電所に送られます。
 
ダム下流の宮中橋から、ダムと正対できます。
堤頂長330メートル、主ゲート9門と土砂吐ゲート2門で信濃川を閉め切ります。
宮中取水ダムは日本一の大河信濃川本流にある唯一のダムです。
(2023年9月24日)

河川維持放流は右岸にある魚道へ魚を誘導するため、右岸側ゲートで行われます。
訪問時は直前の大雨もあり4門から放流中。
(2023年9月24日)

 
ヘアピンカーブを描く右岸のは宮中取水ダムの特徴の一つ。
これぞ宮中取水ダム撮影の定番スポット。
(2023年9月24日)

多様な魚の遡上に対応するためアイスハーバー式魚道、階段式魚道、せせらぎ魚道の3種類の魚道が設けられています。
(2023年9月24日)

 
魚道観察室。
この日は魚は確認できず。
(2023年9月24日)

水利使用標識。
最大45万キロワットの発電のため、毎秒316.96立米もの水利権を有しています。
(2023年9月24日)

 
天端は職員駐在時間中の日中のみ開放され車両の通行もできます。
豪雪地帯ということでゲートビアは被覆。
機械室への階段がちょっとアンバランスな独特のデザイン。
(2016年5月14日)

管理橋の下には鉄骨トラスが隠れています。
(2016年5月14日)


主ゲートとなるローラーゲート。
(2016年5月14日)

こちらが1990年に増設された宮中第二取水口
山本第二調整池を経由して小千谷第二発電所で最大21万キロワットの発電を行います。
(2023年9月24日)

左岸高台から宮中第二取水口を俯瞰
戦前に建設された大がかりな宮中取水口に比べ、コンパクトな第二取水口は技術の進歩の証。
(2023年9月24日)


左岸から下流面
手前1番と2番ゲートは土砂吐ゲート。
(2023年9月24日)

当ダムで取水され発電に供された水は、その後各地の灌漑用水や消雪用水として再利用されます。
こちらはその水利使用標識。
全部で8枚の水利使用標識が並ぶのは珍しい。
(2023年9月24日)


(2023年9月24日)


こちらは1939年(昭和14年)に完成した宮中取水口
スクリーンの上には除塵機が鎮座します。
(2023年9月24日)

 
取水口の下流にある取水ゲート。
ここで取水量を調整します。
これだけで一つのダムのよう。
(2016年5月14日)


取水口と取水ゲートを俯瞰。
(2023年9月24日)

 
取水ゲートの下流にある巨大な沈砂池
JR東日本だけに恰もターミナルのようなスケール。
(2023年9月24日)

 
沈砂池にもスクリーンと除塵機が設置されています。
最初のスクリーンと併せ2段構えで除塵します。
(2023年9月24日)

沈砂池の先は浅河原調整池に通じる水路トンネル吞口となります。
(2023年9月24日)


水路トンネル吞口にも2段のゲート群が設置されています。
(2023年9月24日)


左岸の黄桜の丘公園にある選奨土木遺産のプレート。
(2023年9月24日)

宮中取水ダムは一般の発電ダムとは一線を画す複雑かつ独特の構造となっています。
見学の際は、全体の水の流れを頭に入れダムを個としてみるのではなく信濃川発電所のネットワークの一つとしてご覧になることをお薦めします。
 
(追記)
宮中取水ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
0735 宮中取水ダム(0378)
左岸 新潟県十日町市宮中
右岸      同市小原
信濃川水系信濃川
16.8メートル
330.8メートル
970千㎥/710千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1939年
◎治水協定が締結されたダム

小坂堤

2023-11-09 17:04:06 | 新潟県
2016年8月 6日 小坂堤
2023年9月24日

小坂堤は新潟県十日町市南鎧坂の信濃川水系小坂川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
信濃川沿岸の段丘上では揚水技術のなかった時代、目の前を流れる大河の水はただ見送るばかりで小河川や天水を水源とするしか手がなく小規模な畑作に留まっていました。
明治以降段丘上での新田開発が活発化し、併せて多数の小規模溜池が築造されますが小坂堤もそんな溜池の一つです。
ダム便覧には1881年(明治14年)に南鐙坂地区の事業で竣工と記されており、受益農家の持ち出して建設されたと思われます。
現在も受益農家で組織される十日町市土地改良区傘下の鎧坂水利組合が管理を行っています。
なお、ダム便覧では堤高が15メートルとなっている一方、ため池データベースや十日町市ため池ハザードマップでは11.5メートルと数字に大きな開きがあります。

小坂堤には2016年(平成28年)6月に初訪、その後改修工事が完了したとの報を受け2023年(令和5年)9月に再訪しました。
記事の前半は再訪時、後半は初訪時の写真となっています。

池は十日町市南鎧坂の東光寺というお寺の裏手にあります。
池下から
改修で刷新された洪水吐斜水路の白いコンクリートが目を引きます。
注目の堤高ですが、池の基盤をどこにするかで判断が分かれるでしょう。
単に堤の高さだけなら11.5メートルかもしれませんが、実際の池の基部はもっと下にあるように思えます。


緩やかにカーブを描く斜水路
向って右手に底樋管があります。


右岸から
改修後に植えられた草が未だまだら模様。


天端はコンクリート舗装ですが車両に進入はできません。


総貯水容量は便覧では1万8000万立米、ため池データベースでは3万1800立米。
いずれにしても小さな溜池です。


左岸の横越流式洪水吐と斜樋。
ともに改修で刷新されました。


洪水吐導流部。


横越流式洪水吐。


上流から
上流面はコンクリートで護岸。


洪水吐直上の斜樋。


対岸にある階段式池栓のあと。
改修以前はここから取水していました。


ここから先は2016年(平成28年)8月6日の写真となります。


天端はダート
車両の通行ができます。


見づらい写真ですが右岸の階段式池栓。
取水されており、ごぼごぼ音が鳴っています。


これまたわかりづらいですが左岸の洪水吐。


上流面は石積み護岸。


改修によりすっかりきれいな池に生まれ変わった小坂堤。
ダムかどうか?の議論はあるにせよ、今も受益農家の貴重な水源として重用されていることに変わりありません。

0713 小坂堤(0502)
ため池コード 152100151
新潟県十日町市南鎧坂
信濃川水系小坂川
15メートル(ため池データベース 11.5メートル
41メートル(ため池データベース 48.2メートル)
18千㎥(ため池データベース 31.8千㎥)/18千㎥
十日町土地改良区・鎧坂水利組合
1881年

浅河原調整池

2023-11-07 17:00:00 | 新潟県
2016年5月15日 浅河原調整池
2023年9月24日
 
浅河原調整池は左岸が新潟県十日町市小泉、右岸が同市北鎧坂の信濃川水系浅河原川にあるにある東日本旅客鉄道(株)(JR東日本)が管理する発電目的のアースフィルダムです。
大正期に入り首都圏への人口集中による大量輸送に対応するため都心を中心に鉄道の電化が進められ、当時の鉄道省はその電源を信濃川中流部に求めました。
まず1939年(昭和14年)に宮中取水ダムと千手発電所が、さらに1945年(昭和20年)に浅河原調整池が完成し千手発電所の発電能力は戦前の一般水力発電としては屈指の出力12万キロワットに達します。
さらに戦後の電力不足に対処するため1951年(昭和26年)に千手発電所の放流水を利用して山本調整池と小千谷発電所(最大出力12万3000キロワット)が完成、1990年(平成2年)には
山本第二調整池と小千谷第二発電所(最大出力21万キロワット)が竣工しました。
現在は3発電所合わせて最大45万キロワットの発電能力を有し、これはJR東日本管内で消費する全電力量の2割強に相当します。
一連の発電施設は鉄道向け発電ということで朝夕のラッシュ時と昼夜の閑散時の出力調整の幅が非常に大きく、上部調整池の果たす役割が一般的な発電施設よりもはるかに重要なため浅河原調整池では連絡水槽など一般の発電施設では見られない独自の調整施設が設けられています。
しかし、2004年(平成16年)の新潟中越地震では堤体に亀裂が入るなど大きな被害を受け大規模な補修を余儀なくされました。
さらに2008年(平成20年)には宮中取水ダムにおける不正取水と悪質な隠ぺい工作が発覚し、一時水利権はく奪という厳しい行政処分を受けた事実も記しておきます。

浅河原調整池はまだ土質工学が確立されていない時代に、海外の先端技術を駆使して築造された貴重なアースフィルダムであり、鉄道電化による輸送力増強に大きく貢献したことなどを評価し、2016年(平成28年)に宮中取水ダムや千手発電所などとともに土木学会選奨土木遺産に選定されるとともにBランクの近代土木遺産に指定されています。
浅河原調整池には2016年(平成28年)5月に初訪、2023年(令和5年)9月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
JR東日本信濃川発電所概要図(JR東日本パンフレットより)
宮中取水ダムで取水された水がいったん浅河原調整池に貯留され、千手発電所に送られ発電に利用されます。


下流から
堤高37メートル、堤頂長291.8メートル
ここから見ると大規模な溜池の堤体といった風。
(2023年9月24日)


左岸ダムサイトから
対岸に中学があり、天端は通学路として開放されています。
(2023年9月24日)

初訪時は調整池の水位がかなり高くなっていました。
手前の星型の構造物はサイフォン式余水吐。
奥に見えるのが浅河原調整池の中核をなす連絡水槽。
(2016年5月15日)

 
再訪時は水位が低く、湖面には水草が繁茂しています。
(2023年9月24日)

調整池は総貯水容量106万5000立米
こちらは初訪時の水位が高い時の写真。
手前の長方形のコンクリート構造物は余水吐。
制限水位を超えると壁の横に空いた穴から越流して余水を排出する仕組み。
(2016年5月15日)

再訪時に同じアングルで。
(2023年9月24日)

天端からの眺め
ダム下は運送会社の倉庫
正面に越後駒ヶ岳や八海山が遠望できます。
(2023年9月24日)

余水吐を真上から
まるで軍事要塞のよう。
(2016年5月15日)

二つの余水吐を並べて撮ってみました。
星形はサイフォン方式で、長方形は越流式で排水します。
これだけ見るととてもダムの設備とは思えず、湖上に浮かぶ巨大なクッキー。
(2016年5月15日)


同じアングルで
7年の間にずいぶん水草が繁茂しました。
(2023年9月24日)

連絡水槽を間近で見ます。
鉄道向け電源ということで、ラッシュ時と閑散時では発電の出力調整の幅が大きくなります。
発電所の出力が小さい際に調整池に水を貯留し、出力が大きいときには調整池の水を使用するバッファの役割を担う施設です。
初訪時は発電量が小さいためか、連絡水槽から調整池に水が流入していました。
(2016年5月15日)

再訪時はちょうど朝のラッシュ時
宮中取水口からの水は連絡水槽からそのまま千手発電所に送られています。
(2023年9月24日)


真正面から
前後2箇所にゲートが装備され、豪雪地帯らしく鉄骨トラスのビアは被覆されています。
ゲートが前後に二つあり、手前はが宮中取水口からの導水路のゲート、奥は浅河原調整池への水の出入りを制御するゲート。
宮中取水口からの水は手前足元から水槽に流入していますが角度的に見ることはできません。
一方奥に千手発電所への導水路入口となる穴があり、2箇所のゲートで流入、排出をコントロールします。
(2023年9月24日)

左岸湖岸に展望台があり、選奨土木遺産のプレートが設置されています。
(2023年9月24日)


展望所から連絡水槽を遠望します。
初回訪問時は連絡水槽から勢いよく流入中。
(2016年5月15日)
 
こちらはインレットにある水門
宮中第2取水口から山本第二調整池への導水路から分水された水の流入口。
2系統の微妙な水量調節などの際に利用されるのでしょう。
(2016年5月15日)

インレットから見た調整池。
(2023年9月24日)
 
調整池上流の浅河原川にある堰堤。
調整池の水はすべて宮中取水ダムからの導水に依っており、既得水利権のある浅河原川の水とは明確に分別されます。
浅河原川の水はこの堰から調整池をバイパスして下流に流下します。
(2016年5月15日)

次に千手発電所に移動します。
こちらにも選奨土木遺産のプレートが設置されています。
(2023年9月24日)


水圧鉄管は5本で最大12万キロワットの発電を行います。
(2023年9月24日)


千手発電所の全景
背後のタンクが上部槽になります。
(2023年9月24日)


連絡水槽や排水設備、余水吐など他のダムでは見ることができない珍しい設備がずらりと並んでいます。
まずダムのシステムが複雑なのでJRの概要図で水の流れを十分理解してから見学することをお薦めします。
 
0738 浅河原調整池(0385)
左岸 新潟県十日町市小泉
右岸      同市北鎧坂
信濃川水系信濃川
37メートル
291.8メートル
1065千㎥/853千㎥
東日本旅客鉄道(株)
1945年

笠堀ダム(再)

2023-11-06 17:00:00 | 新潟県
2023年7月21日 笠堀ダム(再)
     9月23日
 
笠堀ダム(再)は新潟県三条市笠堀の信濃川水系五十嵐川右支流笠堀川にある新潟県土木部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
五十嵐川の洪水調節、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、三条市への上水道用水の供給、新潟県企業局笠堀発電所(最大出力7200キロワット)でのダム式発電を目的として1964年(昭和39年)に竣工しました。
しかし1969年の昭和44年8月豪雨にて当初計画量を上回る出水となったことから、新たに五十嵐川本流への多目的ダム建設が進められ1993年(平成5年)に大谷ダムが完成、両ダム連携しての洪水調節が開始されました。
ところが2011年(平成23年)の新潟・福島豪雨では改訂された計画雨量をさらに超える流入量が記録され、下流域で甚大な洪水被害が発生しました。
これを受け当ダムの嵩上げ再開発が着手され2017年(平成29年)に竣工、堤体を4メートル嵩上げすることで新たに180万立米の洪水調節容量が確保され、笠堀ダム(再)・大谷ダム合わせて最大毎秒1200立米の洪水カットが可能となりました。
笠堀ダムには2023年(令和5年)7月に初訪、その後渇水による水位低下の情報を得て同年9月に再訪しました。
掲載写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダムサイトまで県道365号線が通じていますが、ダム下へ通じる管理道路は関係者以外立ち入り禁止。
ダムを正面から見学するポイントはありません。
左岸から
堤高78.5メートル、堤頂長250メートルの堤体
コンクリートが白くなった襟が4メートル嵩上げされた部分です。
(2023年9月23日)

洪水吐は堤体右岸側に寄っています。
ゲート部分をズームアップ
と言ってもわずかにアームが見えるのみ
非常用洪水吐としてクレストラジアルゲートおよびオリフィスラジアルゲートを1門ずつ、常用洪水吐としてコンジット高圧ラジアルゲートを1門装備。
(2023年7月21日)


アングルを変えて。
(2023年9月23日)

  
監査廊入り口
右手のパイプは既得灌漑用水向け水路。
(2023年9月23日)


ダムサイトに建つカモシカの銅像。
ダム周辺は手つかずの自然が残り1971年(昭和46年)に『笠堀のカモシカ生息地』が天然記念物に指定されたのを機に設置されました。
(2023年9月23日)

ダムサイトの竣工銘板
嵩上げ以前は親柱にあったものが移設されたようです。
(2023年9月23日)
 
天端は取水設備手前まで立ち入り可能。
(2023年7月21日)

 
堤体直上の浮桟橋と巡視艇。
(2023年7月21日)
 
天端からダム下を望む
左は新潟県企業局笠堀発電所
堤体から張り出しているのがコンジットゲートハウス
その右手にオリフィス、クレストの導流部が並びます。
(2023年9月23日)

導流壁の並びが独特です。
ダム下から見てみたいなあ。
(2023年9月23日)


ダム湖は総貯水容量1720万立米
嵩上げ再開発により180万立米増量しました。
常時満水位は草付き上端のEL207メートルですが、訪問時は洪水期のためEL194.5メートルが制限水位となっています。
(2023年7月21日)

再訪時は渇水の影響で貯水量が大幅に低下。
貯水率は30%まで低下していました。
(2023年9月23日)

 
選択取水設備
発電後に利水利用されるため、基本表層取水となります。
(2023年7月21日)

 
取水設備建屋。
(2023年7月21日)
 
水利使用標識。
(2023年7月21日)


こちらは大谷ダム上流からの導水路流入口で発電容量はすべてこの間接流域33.5平方キロにより補給されます。
これは笠堀ダム(再)の流域面積103.5平方キロのうち約3割に相当します。
(2023年9月23日)


ゲート配置や減勢工の形状に特徴のあるダムですが、立ち入り制限区域が多く肝心な場所が見れないのが残念なところ。
新潟県営ダムでは5人以上で事前予約すれば堤体内も含めた見学が可能とのこと。
機会があれば人数を揃えて、当ダムや奥胎内ダムなど規制が多いダムをじっくり見学してみたいものです。

(追記)
笠堀ダム(再)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

0753 笠堀ダム(元)
新潟県三条市笠堀
信濃川水系笠堀川
FNWP
74.5メートル
224.5メートル
15400千㎥/13300千㎥
新潟県土木部
1964年
---------------
3676 笠堀ダム(再)(2013)
新潟県三条市笠堀
信濃川水系笠堀川
FNWP
78.5メートル
250メートル
17200千㎥/15100千㎥
新潟県土木部
2017年 再開発事業竣工
◎治水協定が締結されたダム