ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大浦ダム

2023-06-28 17:09:37 | 佐賀県
2019年7月15日 大浦ダム
2023年5月21日
 
大浦ダムは佐賀県藤津郡太良町大浦の田古里川本流上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県南部、有明海沿岸の太良町では温暖な気候を活かし昭和30年代から丘陵地でのミカン樹園地開発が進められましたが、干ばつ被害も多く水源確保や灌漑設備の整備が求められていました。
こうした中、農水省の補助を受けた佐賀県営かんがい排水事業・畑地帯土地改良事業・農地開発事業大浦地区が着手され1987年(昭和62年)に竣工したのが大浦ダムです。
運用開始後は大浦地区土地改良区が管理を受託し、約300ヘクタールのミカン樹園地に灌漑及び防除用水を供給しています。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで、国内ミカン農業は大きな打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄が相次ぎましたが、その後高品質の『太良みかん』のブランド化に成功したことで、今も全国有数のミカン生産地となっています。
 
大浦ダムには2019年(令和元年)7月に初訪、記念碑の写真を撮り忘れていたので2023年5月に再訪しました。
日付のある写真以外はすべて初訪時のものです。

下流面は草ボウボウですが堤体下部に一部石張りのようなものが見えています。
基部の擁壁なのか?実はロックフィルダムなのか?

右岸ダムサイトの竣工記念碑。
佐賀ではおなじみ金箔文字。(2023年5月21日)

碑文も金箔
ダム建設に至る経緯が詳細に記されています。
これを読みたいがための再訪です。
(2023年5月21日)


記念碑の奥に鎮座する胸像
野田末一と記されており、調べると太良町議会議長を務めたお方。
霞が関への陳情や農林省との交渉など大浦ダム建設に尽力されたようです。
(2023年5月21日)


天端は舗装されていますが車両通行禁止。
 
上流面はウレタン製遮水シートで護岸。
 
天端からは有明海を挟んで大牟田・荒尾方面が見えます。 
 
左岸の斜樋。
 
総貯水容量73万立米の貯水池。
貯水池は一面に遮水シートが敷かれ異様な雰囲気。
最初はアスファルトフェイシングフィルかと思いましたが、よく見ると黒い遮水シートが敷き詰められています。
この辺りは雲仙の火山活動による透水性の高い地質のため、遮水ゴムシートにより遮水処理が施されています。
 
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐。
 
アングルを変えて洪水吐と上流面。
 
左岸からダム下に下りるルートがありましたが、チェーンが掛かっていたので自重しました。
 
2534 大浦ダム(1506) 
佐賀県藤津郡太良町大浦
田古里川水系田古里川
45メートル
160メートル
730千㎥/709千㎥
大浦地区土地改良区
1987年

七曲溜池

2023-06-27 17:12:13 | 佐賀県
2023年5月21日 七曲溜池

七曲溜池は佐賀県鹿島市飯田にある鹿島市多良岳土地改良区が管理を受託する灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候と地味豊かな地質を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか花取溜池笹原溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

左岸から
堤体中段上部に犬走があり、ドレーン水路管が埋設されています。


天端は車両通行可能。


総貯水容量は6万9000立米で国営多良岳農地開発事業で建設された4つの溜池の中で最少。
七曲水槽から導水された水がいったん当池に貯留されたのち配分水路で受益農地に補給されます。


親柱の『七曲調整池』の銘板。


上流面
左岸に越流式の洪水吐があります。


洪水吐導流部。


アングルを変えて。


天端からは有明海が遠望できる『海が見えるダム』。


堤体上流中央にある取水設備と流入管。


右岸から。


上流面。

右岸の機械室
建屋の横に調圧水槽があります。


ダム下はルートが見つからなかったので下りませんでした。

2532 七曲溜池(1997)                           
佐賀県鹿島市飯田
飯田川水系飯田日当川
15.3メートル
133メートル
69千㎥/66千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1972年

笹原溜池

2023-06-25 17:07:51 | 佐賀県
2023年5月21日 笹原溜池

笹原溜池は佐賀県鹿島市音成にある鹿島市多良岳土地改良区が管理を受託する灌漑目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候と地味豊かな地質を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか花取溜池七曲溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

ダム下から
堤高26.3メートル、175メートルのアース堤体。


ダム下の調圧水槽(現地表記では減圧水槽)
ここから専用の配分水路で受益農地に用水補給します。


堤体を見上げると
中段にはドレーンおよび漏水計。


ダム左岸を洪水吐導流部が流下します。
導流部沿いの階段で天端へ。


下流面
堤体は犬走を挟んで2段構成。


左岸の越流式洪水吐。


洪水吐の奥には取水設備兼流入管。
当溜池は農業調整池で音成川上流で取水された水がいったんここに貯留されたのち配分水路で受益地に補給されます。


天端からの眺め
当地域では沢筋に水田、丘陵地にミカン樹園地が展開されています。
田植え作業中の農家に伺ったところ、水田向けの用水は既得水利権として笹原溜池をバイパスして供給されているとのこと。
写真ではわかりづらいのですが、奥に有明海が望める『海が見えるダム』。


総貯水容量は11万8000立米で笹原水槽からの導水によります。


天端は車道。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


笹原水系の配分水路図。


2529 笹原溜池(1996)                           
佐賀県鹿島市音成
音成川水系音成川
26.3メートル
175メートル
118千㎥/114千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1970年

花取溜池

2023-06-23 17:10:14 | 佐賀県
2023年5月21日 花取溜池

花取溜池は佐賀県鹿島市音成にある鹿島市多良岳土地改良区が管理する灌漑・防除目的のアースフィルダムです。
佐賀県の有明海沿岸では温暖な気候を活かし昭和30年代より丘陵地でのミカン樹園地開発が進められます。
鹿島市から太良町にかけての多良岳北東山麓では1964年(昭和39年)に約630ヘクタールの樹園地開発・収穫量9000トンを目的とした『国営多良岳農地開発事業』が着手されその灌漑・防除用調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが花取溜池です。
事業全体も1981年(昭和56年)に竣工し、当池のほか笹原溜池七曲溜池万才溜池が築造されるとともに延長123キロの配分水路網が整備され、当地域は佐賀県屈指のミカン生産地となりました。
しかし1991年(平成2年)のオレンジ輸入自由化により、ジュース向け原液がほぼ輸入品にとって代わったことで汎用ミカン価格が急落し全国のミカン農家は大打撃を受けます。
当地域でも離農や耕作放棄などが相次ぎましたが、現在は最高級品質の『祐徳ミカン』のブランド化に成功したほかレモン等への品種転換などにより生き残りを図っています。
なお、名称に『溜池』がついていますが国営事業で建設された農業用調整池ということで『農業ダム』の扱いとなりため池データベースにも記載がありません。

ダム下から
堤高22.6メートル、堤頂長176メートルのアース堤体
見た目と名前は『溜池』ですが、分類は農業ダムとなります。


下流面。


天端は車道
堤体は緩やかな逆アーチ状に湾曲。


総貯水容量24万4000立米。
当溜池は農業調整池で西葉川上流で取水された水がいったんここに貯留されたのち配分水路で受益地に補給されます。


奥から取水設備の斜樋、花取水槽からの流入管、越流式洪水吐。


天端から
ガスが掛かり視界不良ですが、わずかに有明海が視認できます。
『海が見えるダム』認定。
平地の少ない当地域では谷筋に水田、丘陵地にミカン樹園地が展開します。
果樹栽培が導入される以前は零細な稲作営農が大半でした。


上流面はコンクリートブロックで護岸。


花取水系の配分水路図。


右岸ダムサイトにある調圧水槽
現地では減圧水槽と表記されていますが同じ意味。
ここから専用の配分水路で受益農地に用水補給するほか、防火用水の役割も担っています。

右岸の越流式洪水吐。


右岸沿いに洪水吐導流部が流下します。
受益農地へは専用の配分水路が使われるため、いわゆる底樋管的な施設はありません。

2530 花取溜池(1995)                        
佐賀県鹿島市音成
西葉川水系西葉川
22.5メートル
176メートル
244千㎥/242千㎥
鹿島市多良岳土地改良区
1969年

深浦ダム

2023-06-21 23:01:24 | 佐賀県
2023年5月20日 深浦ダム

深浦ダムは佐賀県杵島郡白石町深浦の二級河川塩田川水系深浦川にある佐賀県県土整備部が管理する治水目的の重力式コンクリートダムです。
深浦川は流路延長2.3キロの小河川ですが、その間の標高差は200メートルに及ぶ急流河川で豪雨の際は水量が一気に増大します。
一方、下流域は干拓された海抜ゼロメートル地帯で本流の塩田川が天井河川のため、豪雨の際はバックウォーター現象により深浦川下流の排水が困難となり洪水被害が頻発していました。
こうした状況を打開するため県は1977年(昭和52年)に塩田川水系治水事業に着手、1989年(平成元年)に竣工したのが深浦ダムです。
深浦ダムは建設省(現国交省)の補助を受けて建設された補助治水ダムで、深浦川の洪水調節および不特定灌漑用水への補給を目的としています。
洪水調節についてはダムと同時に洪水吐トンネルが建設され、カットされた洪水はこのトンネルを経由して直接塩田川に放流されます。
洪水をダムに貯め込むのではなく洪水吐トンネルで逃すというシステムで、同様の運用をするダムとしては青森の浅虫ダムや岩手の遠野第2ダムがあります。

地図の茶色マルが深浦ダム、赤線が洪水吐トンネル
洪水時にはカットした洪水量は洪水吐トンネルで直接塩田川に放流されます。
一方、灌漑期にはダムの上下にある溜池へ不特定灌漑用水を補給します。


下流から
見た目はクレスト自由越流頂1門の農業用ダムのような姿
放流設備としてジェットフローゲート1門を装備。




ダム案内板。

竣工記念碑は佐賀ではおなじみ金箔文字。


左岸上流から超広角で。
総貯水容量はわずか2万7000立米。


クレスト自由越流頂と取水設備
田植え時期を控えてか?ダム湖は満水。


天端から
奥に有明海が望める『海が見えるダム』
下流に広がる白石平野の過半は干拓地で、豪雨の度に洪水が発生していました。


減勢工
直下に溜池があるため簡易な作り。


天端と管理事務所
天端は徒歩のみ開放、日曜日ということで管理事務所は無人でした。
左岸の山留に苦労の跡が!


右岸の艇庫
ちゃんとインクラインがついている!


右岸には横越流式洪水吐
これは常用洪水吐となり、溢れた水は洪水吐トンネルで塩田川に放流されます。
重力式コンクリートダムと横越流式洪水吐の組み合わせは極めて珍しく、他では北海道の美唄ダムくらいしか思い浮かびません。


洪水吐トンネル。


こちらは塩田川の洪水吐トンネル吐口。


ダムで洪水を貯め込むのではなく、カットしてバイパスで放流するという運用方法です。

2546 深浦ダム1994)                     
佐賀県杵島郡白石町深浦
塩田川水系深浦川 
FN 
 
26メートル 
121メートル 
27千㎥/22千㎥ 
佐賀県県土整備部 
1989年

六角川河口堰

2023-06-20 17:07:46 | 佐賀県
2023年5月20日 六角川河口堰 

六角川河口堰は佐賀県杵島郡白石町福富の一級河川六角川にある国交省九州地方整備局が直轄管理する治水目的の可動堰です。
干満差による潮位変動が6メートルを超える有明海沿岸では広大な干潟が広がり、有史以来干拓による農地開発が進められてきました。
六角川が貫流する白石平野もその過半が干拓地で、自然排水が困難な軟弱地盤で形成され、六角川自体も河口から約30キロ地点までが感潮区間となっています。
当然台風襲来時には高潮被害が発生するほか、灌漑用水の大半を地下水に依存せざるを得ず地盤沈下による高潮・洪水被害の激化という悪循環となっていました。
こうした状況を受け建設省(現国交省)が1982年(昭和57年)に河口から4.6キロ地点に高潮防御及び六角川流域農地への不特定灌漑用水の補給を目的として建設したのが六角川河口堰です。
不特定灌漑用水への補給については、灌漑期のみゲートを閉鎖し貯留した水を補給するという想定でしたが、閉め切りによる漁業等への影響懸念や、佐賀導水及び嘉瀬川ダムからの補給が開始されたこともあり、現在は高潮防御に特化した運用となっています。
なお、河口堰の堤高は11.5メートルでダムの要件を満たしていませんが、国交省直轄事業による治水ダムとして建設されたため堤高如何に関わらず河川法上のダムとなります。

六角川流域内標高及び地形横断図 (国交省より)
これを見れば流域の過半が満潮時水面以下になることがわかるでしょう。


右岸下流から
河口から30キロが感潮区間となっており、満潮時は川の水面が地上よりも高くなるため、両岸には高さ10メートルの堤防が続いています。
可動堰は右岸側(向かって左)からサイドゲート、閘門ゲート、調節ゲート、主ゲート×4門、サイドゲートとという並び。


写真中央の背の高いゲートが閘門ゲート
漁船航行用の閘門です。


アングルを変えて
下流側閘門ゲート
当所灌漑期はゲートの閉め切りを想定していたため閘門ゲートが設置されましたが、現在は高潮防御時以外は常時開放されています。


右岸上流から。


銘板。


ゲートプレート
ゲートは石川島播磨重工(現IHI)製。
これがなかったらゲートの区分がわかりませんでした。


これは上下2段の調節ゲート
微妙な水位調整を行います。


感潮区間が長く河口堰上流にも船溜まりがあります。


堤頂長226メートル
車両通行もできます。


右岸上流から。


左岸下流から
上記のように今は高潮防御に特化した運用のため、平時はすべてのゲートが開放されています。
撮影場所は河口から4キロ地点ですが、有明海より 遡上する浮遊粘土(ガタ土)が川の両岸に堆積し干潟のようになっています。
いちおう川ですが、ガタ土ではムツゴロウやトビハゼが見られます。


六角川河口側の眺め。


最後に上流から正対。

当初は不特定灌漑用水への補給も併せて建設されましたが、社会情勢の変化もあり運用は高潮防御に特化されています。
ダム便覧ではダムの目的は『FN』となっていますが、『F』が妥当でしょう。
また、令和元年8月豪雨による洪水被害を踏まえ、国交省は六角川水系河川整備計画を変更しました。

2537 六角川河口堰(1993)                  
佐賀県杵島郡白石町福富 
六角川水系六角川 
MB 
11.5メートル 
226メートル 
3700千㎥/---- 
国交省九州地方整備局 
1982年

八丁ダム

2023-06-18 19:05:24 | 佐賀県
2023年5月20日 八丁ダム

八丁ダムは佐賀県小城市小城町畑田の六角川水系晴気川源流にある灌漑目的のロックフィルダムです。
有明海沿岸部では戦後、温暖な気候と日照時間の多さを活かし各所でミカン栽培が進められます。
佐賀県の晴気川流域でも1973年(昭和48年)に県営かんがい排水事業八丁地区が採択され、沿岸丘陵地でのミカン樹園地開発が着手されました。
八丁ダムは同事業の灌漑用水源として1982年(昭和57年)に竣工し、運用開始後は小城町(現在は小城市)が管理を受託、当初は約250ヘクタールのミカン樹園地へ灌漑・防除用水が供給されていました。
しかし1991年(平成3年)のオレンジ輸入自由化を契機にミカン価格が急落、果樹農家の廃業や作付け変更が相次ぎ受益樹園地も大きく減少しています。

八丁ダムは小城市を流下する晴気川と多久市へ流下する今出川の分水嶺に位置し、東の晴気川側が副堤(グーグル写真の赤い部分)、西の今出川側が本堤(地図の白い部分)となります。


事業説明板。
ダム便覧の経緯度や洪水吐の配置場所から、当初は晴気川側を本堤だと思い込み訪問の際もそのつもりで見学して回りました。


帰宅後、事業説明板の図面を拡大してみたところ本堤と副堤の表記が逆になっていることに気づきました。
管理する小城市農村整備課に問い合わせたところ、事業説明板の表記で間違いないことが判明。まさかの本副逆転です。


当初本堤だと思っていた副堤
地山からの堤高は10.8メートル
堤頂長は346.2メートル。


副堤下にある灌漑用水放流設備
灌漑用水は2系統の導水路で受益樹園地に送られます。
口の空いたバルブは低水放流設備。


副堤左岸にある越流式洪水吐。
洪水吐がこの位置にあれば、こちらが本堤だと思いますよねー。


副堤天端は徒歩のみ開放。


総貯水容量34万6000立米。
ダム便覧ではすべて直接流域と記されていますがこれも誤り。
直接流域は0.245平方キロで今出川からの間接流域が8割強の0.859平方キロを占めています。
奥に見えるのが本堤。


対岸から洪水吐を遠望。


現地では副堤だと思い込んでいた本堤にやってきました。
上流面はコンクリートブロックで護岸。

事業説明板では堤頂長346.6メートルとなっており、堤体は奥まで続きます。

下流面
遮水方式は傾斜コア型で便覧ではロックフィル。
ロックフィルなら上流側もロック材で護岸するはずなんですが、コンクリートブロック。
アースなんじゃないかあ??
堤高は24.6メートルで目視でも十分に15メートルを越えます。
こちらには洪水吐がないので、『非越流型ダム』となります。


本堤の下流は今出川流域となり、2キロ下流には岸川防災ダムがあります。


本堤天端から斜樋を遠望
左手は副堤。


本堤と副堤が予想と逆でびっくり。
ダム便覧やグーグルマップの表記もすべて誤りということになります。

2538 八丁ダム(1992)
佐賀県小城市小城町畑田
六角川水系晴気川
24.6メートル
346.6メートル
346千㎥/300千㎥
小城市
1982年

北浦溜池

2023-06-16 17:06:37 | 佐賀県
2023年5月20日 北浦溜池 

北浦溜池は佐賀県小城市小城町松尾の一級河川嘉瀬川水系祇園川左支流(河川名不明)にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1948年(昭和23年)に佐賀県の事業で竣工と記されています。
現地記念碑には溜池築造の由来や経緯が刻されていますが、摩耗が激しく全文の解読ができません。
ただ戦前に溜池築造が着手され戦時中の事業中断ののち、戦後佐賀県営事業として再開され昭和23年5月(1948年5月)に竣工した旨は読み取れます。
九州北部は1929年(昭和4年)、1934年(昭和9年)と立て続けに大干ばつが発生しこれを契機に各所で溜池築造の機運が高まりました。
北浦溜池もそんな溜池の一つだったと推察できます。 
管理は北浦溜池土地改良区が行っています。

池の西側に日蓮宗円福寺というお寺があり日蓮上人の像がいいアクセント。

堤高19.7メートル、堤頂長200メートル(ため池データベース)の堤体。
堤体は犬走を挟んだ2段構成で下流側に湾曲した円形。
佐賀平野では今でも二毛作が広く営まれており、訪問した5月下旬はちょうど二条大麦の実りの季節。


左岸直下の底樋管と洪水吐導流部。


堤頂への道が堤体を斜行します。


天端右岸は墓地。
堤の上に墓地がある溜池は初見かも?


堤体は中央部が前面に張り出した逆アーチ。
これだと堤体中央に水圧が集中して宜しくないと思うのですが?
長崎県の犬木溜池や大分県の魚ヶ鼻池が同じような形状。


左岸の斜樋
わかりづらいですが、斜樋の右手に越流式洪水吐があります。


天端からの眺め
眼下には黄金色の大麦畑、麦の刈り取り後は田植えが始まります。
季節はまさに『麦秋』、耳にしたことはあったけど目の当たりにしたのは初めて。


左岸の洪水吐
明確な越流堤はなく、堤体が一段低くなっています。


左岸の斜樋越しの上流面。
コンクリートブロックで護岸されています。
奥に見える高架橋は長崎自動車道。


小城市の警告板
ため池コードが記載され、2次元バーコードでハザードマップにリンクしています。


左岸の改築記念碑。
裏面に池の由来等が記述されていますが、摩耗が激しく判読困難。


2522 北浦溜池(1991)               
ため池データベース 412080021  
佐賀県小城市小城町松尾 
嘉瀬川水系祇園川左支流 
 
 
17.9メートル 
192メートル(ため池データベース 200メートル) 
368千㎥/331千㎥ 
北浦溜池土地改良区 
1948年 

永池ダム(再)

2019-07-21 03:22:45 | 佐賀県
2019年7月11日 永池ダム(再)
 
永池ダム(再)は佐賀県武雄市北方町大渡の六角川水系経堂入江川源流にある防災・灌漑目的のアースフィルダムです。
経堂入江川には古くから永池上中下の3連の溜池があり六角川南岸の武雄市北方町や白石町の貴重な灌漑用水源となっていましたが、洪水による農地被災も多く、抜本的な治水対策が求められていました。
1988年(昭和63年)に佐賀県は農水省の補助を受けた防災ダム事業として永池上池の再開発に着手、1996年(平成8年)に永池ダム(再)が竣工しました。
同事業では既存の永池上池堤体下流側に新たに堤体を盛り立てて堤高を17メートルから34.8メートルに嵩上げし、灌漑用水容量に加えに洪水調節容量を追加しました。
管理は引き続き杵島土地改良区が受託していましたが、その後の土地改良区統合により現在は白石土地改良区が引き継いでいます。
永池下池・永池中池・永池ダム(再)合わせて1707ヘクタールへの農地に灌漑用水を供給するほか、下流域93ヘクタールの農地を洪水被害から守っています。
 
ダム下へ通じる道路もありますがかなり荒れたダートのため今回はパスしました。
また盛夏の訪問のため堤体は草木が伸び下流面全体を纏めて撮ることができません。
 
総貯水容量60万8000立米の貯水池。
 
左岸に洪水吐があります。
 
天端は車道。
 
左岸の洪水吐斜水路とダム下の様子。
右手に放流設備が見えます。
 
左岸の横越流式洪水吐。
 
洪水吐と上流面。
 
金箔仕様の竣工記念碑。
池の由来や再開発事業の経緯が書かれています。
 
上流面はロック材で護岸。
 
洪水吐を遠望。
 
既存の灌漑用ため池を再開発して農地防災ダム化した例としては北海道の杵臼ダム(再)があります。
 
永池ダム(元) 
佐賀県武雄市北方町大渡
六角川水系経堂入江川
17メートル
130メートル
381千㎥/381千㎥
----年
----------------
3278 永池ダム(再)(1473)
佐賀県武雄市北方町大渡
六角川水系経堂入江川
FA
34.8メートル
123.3メートル
608千㎥/602千㎥
白石土地改良区
1996年 

繁昌ダム

2019-07-20 15:46:05 | 佐賀県
2019年7月11日 繁昌ダム
 
繁昌ダムは佐賀県武雄市朝日町中野の六角川水系高橋川右支流繁昌川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
農水省の補助を受けた佐賀県の事業により1973年(昭和48年)から建設がすすめられ1978年(昭和53年)に竣工しました。
運用開始後は武雄東部土地改良区が受託管理を行い、武雄市北東部の農地356.6ヘクタールに灌漑用水を供給しています。
 
堤高は30メートル弱ですが、かなり下流から堤体を遠望できます。
 
管理事務所のある左岸ダムサイトに市道が通じています。
天端も車両の通行が可能。
 
天端からの眺め
左下に放流設備が見えます。
 
総貯水容量64万5000立米の貯水池。
貯水池を周回する道路がつけられています。
 
左岸の斜樋。
 
右岸の金箔仕様の竣工記念碑が建ちます。
 
右岸の横越流式洪水吐。
 
上流面
ロック材で護岸されています。
奥の白い建屋が管理事務所。
 
ダム下に下りてみました。
これは放流設備。バルブが2条見えます。
 
草を掻き分け洪水吐減勢工から斜水路を見上げます。
 
(追記)
繁昌ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2536 繁昌ダム(1472) 
佐賀県武雄市朝日町中野
六角川水系繁昌川
29.4メートル
156メートル
645千㎥/596千㎥
武雄東部土地改良区
1978年
◎治水協定が締結されたダム

渕の尾ダム(再)

2019-07-19 15:47:04 | 佐賀県
2019年7月11日 渕の尾ダム(再)
 
渕の尾ダム(再)は佐賀県武雄市武雄町武雄の六角川水系武雄川牛流(河川名未確認)にある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。
旧武雄市では1928年(昭和3年)に浅井戸を水源とした町営水道が開始され、戦後の高度成長を受けた水需要増大に対応して1958年(昭和33年)に初の本格的水源として踊瀬ダムが竣工、さらに第4次拡張事業として1973年(昭和48年)に竣工したのが渕の尾ダムです。
しかしその後も需要の増加が続いたため、第5次拡張事業として渕の尾ダムの嵩上げ再開発が進められ1980年(昭和55年)に竣工、翌1981年(昭和56年)より運用開始となりました。
なお2020年(令和2年)4月に武雄市を含む3市3町1企業団の水道事業が統合され現在は佐賀西部広域水道企業団が管理を行っています。
 
国道35号線に渕の尾浄水場の標識があり、これに従って南に折れると渕の尾ダム(再)に到着します。
上水道水源と言うことでガードは固く、ダムの手前の門扉から遠望するのみ。
市町村管理の上水ダムらしく洪水吐は自由越流式ゲート1門のみ。
 
実はダム下は地域コミュニティのゲートボール場になっています。
じいちゃんばあちゃんがプレイしていたらダム下まで行けるかも?
 
右岸を走る道路から上流面が見れます。
上水ダムではよくみられる円形の取水設備。
 
ズームアップ。
 
嵩上げ工事の竣工記念碑。
金箔文字です。
 
渕の尾ダムの嵩上げ以後も武雄市の慢性的水不足は解消せず、県営の本部ダム矢筈ダム狩立日ノ峯ダムの完成によりようやく武雄市の上水道は十分な供給能力を持つに至りました。
 
2556 渕の尾ダム(再)(1471) 
佐賀県武雄市武雄町武雄
六角川水系武雄川
29メートル
138メートル
585千㎥/560千㎥
佐賀西部広域水道企業団
1973年竣工
1980年嵩上げ再開発

日ノ峯ダム

2019-07-19 01:45:14 | 佐賀県
2019年7月11日 日ノ峯ダム 
 
日ノ峯ダムは佐賀県武雄市山内町宮野の松浦川水系狩立川左支流日ノ峯川にある佐賀県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1982年(昭和57年)に佐賀県は狩立川への多目的ダム建設を軸とした河川総合開発事業に着手します。
同事業においては地理的要因から狩立川と支流の日ノ峯川合流地点に、それぞれ狩立ダム・日ノ峯ダムを建設し両者を連絡水路と連結洪水吐で結び一体運用する方法がとられました。
両ダムは建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、狩立川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、武雄市山内町地域への上水道用水の供給を目的として2001年(平成13年)に竣工しました。
両者は延長148メートルの連絡水路トンネルと116メートルの連結洪水吐で結ばれ洪水吐は狩立ダムにだけ設置されており2ダム一体運用が行われています。
 
狩立・日ノ峯ダムの位置関係
赤マルが連結洪水吐で、これにより両ダムの水位は同一に保たれています。
 
狩立ダムから連結洪水吐沿いに西に進むとすぐに日ノ峯ダムです。
ダム下から
日ノ峯ダムには洪水吐はなく、水位が上昇した際には連結洪水吐を経由して狩立ダムの洪水吐から放流される仕組みです。
 
左岸から下流面。
 
上流面
対岸に管理事務所と狩立ダムとの連結洪水吐が見えます。
 
日ノ峯ダムは非越流式のためダム下には減勢工はありません。
右手の建屋は日ノ峯川の利水放流設備。
 
ダム湖の総貯水容量は46万立米。
両ダム湖は水路トンネルでもつながっておりは狩立・日ノ峯合計で179万立米の貯水池が一体運用されています。
 
狩立ダムの天端と同じくこちらも車両通行可能。
 
狩立ダムとの連結洪水吐と管理事務所。
 
天端親柱の銘板と装飾。
 
上流面。
 
連結洪水吐越しの上流面。
 
連絡水路トンネルと連結洪水吐で接続しており両ダムの貯水池を一つの貯水池とみなせば、実質的には狩立ダムが主堤、日ノ峯ダムが副堤という解釈もありかも。
 
(追記)
狩立・日ノ峯ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
2560 日ノ峯ダム(1470) 
佐賀県武雄市山内町宮野
松浦川水系日ノ峯川
FNW
28.4メートル
112メートル
460千㎥/447千㎥
佐賀県県土整備部
2001年
◎治水協定が締結されたダム

狩立ダム

2019-07-18 17:17:47 | 佐賀県
2019年7月11日 狩立ダム 
 
狩立ダムは佐賀県武雄市山内町宮野の松浦川水系狩立川にある佐賀県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
1982年(昭和57年)に佐賀県は狩立川への多目的ダム建設を軸とした河川総合開発事業に着手します。
同事業においては地理的要因から狩立川と支流の日ノ峯川合流地点に、それぞれ狩立ダム・日ノ峯ダムを建設し両者を連絡水路と連結洪水吐で結び一体運用する方法がとられました。
両ダムは建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、狩立川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、武雄市山内町地域への上水道用水の供給を目的として2001年(平成13年)に竣工しました。
両者は延長148メートルの連絡水路トンネルと116メートルの連結洪水吐で結ばれ洪水吐は狩立ダムにだけ設置されており2ダム一体運用が行われています。
 
狩立・日ノ峯ダムの位置関係
赤マルが連結洪水吐で、これにより両ダムの水位は同一に保たれています。
 
狩立ダム下流から。
非常用洪水吐として4門の自由越流式クレストゲート、常用洪水吐として自然調節式オリフィスゲート1門を装備。
朝までの雨の影響でオリフィスゲートから越流しています。
 
天端は車両の通行が可能
奥に隣接する日ノ峯ダムとの間に管理事務所があります。
 
上流面
対岸に日ノ峯ダムとの連結洪水吐が見えます。
 
天端から。
 
総貯水容量は133万立米。
 
左岸の艇庫とインクライン。
 
窯業が盛んな地域らしく天端高欄には有田焼の陶磁器が填め込まれています。
 
下流面
横長の減勢工。
 
上流面
ゲート右手が取水設備。
 
金箔仕様の竣工記念碑。
 
連結洪水吐と管理事務所。
運河のようです。
 
2ダム1事業で建設されたダムとしては兵庫県南あわじ市の北富士ダム成相ダムがありますが、あちらは両者ともに洪水吐を備えています。
一方狩立・日ノ峯ダムは連結洪水吐により狩立ダムにのみ洪水吐が装備され日ノ峯ダムは非越流堤体となっています。
 
(追記)
狩立・日ノ峯ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。  
 
2559 狩立ダム(1469) 
佐賀県武雄市山内町宮野
松浦川水系狩立川
FNW
28.4メートル
177メートル
1330千㎥/1243千㎥
佐賀県県土整備部
2001年
◎治水協定が締結されたダム

有田ダム

2019-07-18 14:24:40 | 佐賀県
2019年7月11日 有田ダム
 
有田ダムは佐賀県西松浦郡有田町白川の有田川水系白川川にある佐賀県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、有田川上中流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、有田町への上水道用水の供給を目的として1961年(昭和36年)に竣工しました。
有田ダムは佐賀県営ダム第1号となっています。
 
有田中心街から白川川沿いを北に進むと有田ダムに着きます。
ダム便覧には有田ダム下流からの写真はなくてっきりダム下にはゆけないと思っていましたが、職員さんに伺ったら難なく到着です。
ダムはゲートレスで非常用洪水吐として3門の自由越流式クレストゲート、常用洪水吐としてハウエンバンカーバブルを備えています。
 
竜門ダム岩屋川内ダムなど古い佐賀県営ダムではおなじみ、ハウエルバンカーバルブが常用洪水吐となります。
 
ダムサイトに上がってきました。
堤体はずいぶん苔むしています。
 
竣工プレートと概要板。
 
上流面
三角屋根の取水設備建屋が目を惹きます。
 
天端は立ち禁。
 
今回職員さんのご配慮で天端に立ち入りさせていただきました。
減勢工と副ダム。
 
ダム湖の名前は『秘色の湖』
総貯水容量188万立米です。
池の背後は黒髪山で山の向こうに竜門ダムがあります。
 
ダム湖右岸上流にある艇庫とインクライン。
 
上流面
とんがり屋根の取水設備建屋が目立ちます。

ダム便覧等によれば日本で最初にクレスト自由越流頂を採用したのは1973年(昭和58年)竣工の鳥取県の百谷ダムとされています。
当ダムは1961年(昭和36年)竣工でゲートレスダムとなっています。
当初はゲートダムとして建設され、その後に改修されたということでしょうか?
 
2526 有田ダム(1468) 
佐賀県西松浦郡有田町白川
有田川水系白川川
FNW
27.5メートル
108メートル
1880千㎥/1580千㎥
佐賀県県土整備部
1961年

竜門ダム

2019-07-18 11:40:43 | 佐賀県
2019年7月11日 竜門ダム
 
竜門ダムは佐賀県西松浦郡有田町広瀬山の有田川水系広瀬川にある佐賀県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(国交省)の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、広瀬川および有田川下流域の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得取水権への用水補給、伊万里市及び旧西有田町(現有田町)への上水道用水の供給を目的として1976年(昭和51年)に竣工しました。
有田川水系では1961年(昭和36年)に有田ダムが建設されており、竜門ダムの完成により上下流域での洪水対策が可能となりました。
有田から広瀬川沿いに東に進むと竜門ダムに到着します。まずはダム下へ。
クレストには非常用洪水吐として真っ赤なローラーゲートが2門、ダム下部には常用洪水吐となるハウエルバンガーバルブが備わっています。
ダム便覧にはこの位置からの写真はなく、貴重なショットと自画自賛。
 
広瀬川左岸沿いを進むと左手に竜門ダムが見えてきます。
ダム一帯は『竜門峡』として紅葉の名所になっている景勝地です。
屹立する流紋岩の大岩壁とダムが並ぶ眺めは絶景の一言。
流紋岩だから竜門峡というわけではないでしょうが。
 
堤体は右岸側がわずかに湾曲しています。
 
下流面。
 
上流面
堤体から管理事務所へと続く道路は橋梁となっており、地形の峻嶮さが伺えます。
 
竣工記念碑
金箔がかなり剥げ気味。
 
導流部と減勢工
右手が利水放流設備、左手はハウエルバンガーバルブ。
 
右岸の管理事務所
ダム湖は総貯水容量235万立米
奥の三角錐の山が黒髪山で周辺は流紋岩特有の断崖が続いており紅葉期には絶景が広がるそうです。
黒髪山の向こうには有田ダムがあります。
 
天端は車両通行可能ですが、ダム湖は時計回りの一方通行。
手前のクレーンはゴミや流木の吊り上げ用。
 
管理時事務所から見た上流面
橋の下に浮桟橋があり巡視艇が係留されています
上流面は右から取水設備、クレストローラーゲート、バルブ用のコースターゲートが並びます。
 
流紋岩の断崖に寄り添うように建設されたダムは、人工物でありながら絶景に溶け込んでいます。
できれば紅葉期に再訪したいダムですが混雑するんだろうなああ・・・・。
 
2535 竜門ダム(1467) 
佐賀県西松浦郡有田町広瀬山
有田川水系広瀬川
FNW
42.2メートル
150メートル
2350千㎥/2220千㎥
佐賀県県土整備部
1976年