ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

高暮ダム

2021-06-10 18:11:17 | 広島県
2017年5月 7日 高暮ダム
2021年5月25日
 
高暮ダムは広島県庄原市高野町高暮の江の川水系神野瀬川にある中国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
日中戦争長期化に加えて日米開戦もあり軍需工場が集積していた広島・呉への電力供給拡大のため、日本発送電は広島県内各所での電源開発を活発化させます。
高暮ダムもそんなダムの一つで1940年(昭和15年)に建設着手され1944年(昭和19年)に竣工、ここで取水された水は神野瀬発電所に導水され最大2万キロワットのダム水路式発電を行います。
1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により高暮ダムおよび神野瀬発電所は中国電力が事業継承し現在に至っています。
高暮ダムの堤高69.4メートルは戦前のダムとしては6番目、江の川水系のダムとしては最高であり、戦時中の貴重な土木建築物としてBランクの近代土木遺産に選定されています。
一方で当ダムおよび発電所建設に際しては日本人のみならず朝鮮人応募工を含む過酷な労働という影の部分が纏わり付き、ダムサイトには日本人労働者の慰霊碑とは別に朝鮮人労働者の慰霊碑も建立されています。
 
高暮ダムには2017年(平成29年)5月に訪問しましたが、この時はゲートの改修工事中のため天端の立ち入りはできず。改修工事の完了を待って2021年(令和3年)5月に再訪しました。
ダムへは県道457号線を使い神野瀬川上下流両方からアクセスが可能ですが、どちらも隘路の険道となるため運転には注意が必要です。
 
下流から
これは初回訪問時のものです。
ゲートの改修工事中のため堤体に仮設通路や重機が乗った状態ですが、一番の特徴である導流壁のカーブはしっかりと見ることができます。
再訪時は下流県道が災害で通行止めのためこの位置まで行けませんでした。
 
右岸から
天端高欄には三日月形の「抜き」。
 
右岸親柱にある諸元プレートと日本発送電の社章。
 
今でもニッパツの社章が残るダムは珍しいのでは?
 
照明はガス灯風の凝った造り。
 
初回訪問時は日中なのになぜか点灯していました。
四国電力の大橋ダムを想起するデザイン。
 
高暮堰堤の銘版。
脇には日本發送電株式會社の名前が。
日本発送電の名前が残るダムはここと高知の長沢ダムくらいか?
 
ダム湖は神野瀬湖
総貯水容量は3965万8000立米でダム湖の大半が県立自然公園になっています。
 
左岸の取水口。
取水ゲートはキャタピラゲートです。
 
利水放流設備
河川法改正を受けて2000年(平成12年)に増設されました。
 
上流面
対岸に管理事務所とインクラインがあります。
 
5門のラジアルゲートは2018年(平成30年)までの改修で一新されたもの。
ゲートハウスは操作室は江の川や斐伊川水系の中国電力のダム同様被覆されています。
手前には2000年(平成12年)に付加された河川維持放流用取水ゲートがあります。
 
右岸の建物はプラントの遺構。
 
改修を待って再訪叶った高暮ダムですが、今度はダム下流の県道が通行止めで下流からの姿を拝むことができませんでした。
とはいえ、珍しいニッパツの社章が残るダム。
お気に入りのダムの一つです。
 
(追記)
高暮ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1947 高暮ダム (0989)
広島県庄原市高野町高暮
江の川水系神野瀬川
69.4メートル
195.7メートル
39658千㎥/35858千㎥
中国電力
1944年
◎治水協定が締結されたダム

中野ダム

2018-04-05 11:33:56 | 広島県
2018年3月23日 中野ダム
 
中野ダムは芸予諸島生口島中部、広島県尾道市瀬戸田町中野の中野川水系中野川源流部にある灌漑目的のロックフィルダムです。
瀬戸田町のある生口島は明治時代から続く製塩業を基幹産業としていましたが、1971年(昭和46年)の塩専売法制定により多くの製塩業者が廃業に追い込まれ、製塩業から柑橘を中心とした農業へ事業転換が迫られることになります。
そこで新規果樹園地開拓に伴うかんがい排水施設の整備を行うために、農林省(現農水省)の補助を受けた広島県の畑地帯総合土地改良事業が着手され、その中核施設として1975年(昭和50年)に竣工したのが中野ダムです。
運用開始後は当時の瀬戸田町が、その後の市町村合併により現在は尾道市が受託管理を行っています。
中野ダムの完成により安定した灌漑用水源が確保された生口島は、その後のオレンジ自由化の逆風をレモンやネーブル・はっさくなど付加価値の高い産物に特化することで乗り越え、シトラスの島として日本有数の柑橘産地となっています。
 
今回は因島から西瀬戸自動車道(しまなみ海道)で生口島に向かいました。
生口島北インターから県道81号線を反時計回りに西進し、旧瀬戸田町中心街を南に折れ果樹園の中を南下するとロックフィルの中野ダムが見えてきます。
花崗岩を積み上げた白いリップラップですが、逆光のため色彩感がないのが残念。
 
 
車道を上がるとダムサイトに到着します。
右岸の横越流式洪水吐。
洪水吐に沿って藤棚が作られています。
 
洪水吐導流部越しに。
天端から海が見えるダムです。
 
天端
車両も入れますが、ダートなので歩いて見学します。
 
ダム下には揚水機場がありその先に果樹園地が広がっています。
正面は高根島で左手には三原瀬戸を挟んで竹原方面、右手には三原市の佐木島が見えます。
 
下流面。
 
左岸の取水設備。
 
湖畔に集水トンネル吐口があります
年間降水量が1300ミリ程度の瀬戸内海気候のため、自己流域にとどまらず周辺河川から集水しています。
 
ダム湖インレットに堰堤が沈んでいます。
ダム建設前からあった砂防なのか?ダム建設に合わせて貯砂ダムとして建設されたものかは不明です。
 
上流から
総貯水容量は41万6000立米。
 
1978 中野ダム(1280)
広島県尾道市瀬戸田町中野
中野川水系中野川
A
R
44メートル
170メートル
416千㎥/416千㎥
尾道市
1975年

奥山ダム

2018-04-05 10:25:10 | 広島県
2018年3月23日 奥山ダム
 
奥山ダムは広島県尾道市因島中庄町の大川源流部にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
もともと当地には奥山大池という灌漑用溜池がありましたが、因島北部への灌漑用水拡充を目的とする広島県の畑地帯総合整備事業により再開発が進められ、2009年(平成21年)に奥山ダムとして生まれ変わりました。
奥山ダムは自己流域での集水に加えて大山新池から地下水路により補給を受け、因島北部の重井地区を中心に151ヘクタールの畑地に灌漑用水を供給しています。
管理は尾道市が受託しています。
 
農業用コンクリートダムらしく、洪水吐は自由越流式クレストゲート1門だけ
あとは利水放流設備があります。
 
ダム直下まで立ち入れます。
もろ逆光なので撮影には苦労しました。
 
これが放流設備。
 
下流面。
 
上流面
対岸に管理事務所、堤体に取水設備がビルドインされています。
 
 
減勢工とエンドシル。
 
総貯水容量は29万1000立米。
自己流域からの集水に加えて山向こうの大山新池から地下水路で補給を受けています。
 
天端。
 
竣工記念碑。
  
3135 奥山ダム(1279)
広島県尾道市因島中庄町
大川水系大川
32.7メートル
106メートル
291千㎥/277千㎥
尾道市
2009年

大山奥池

2018-04-05 09:38:22 | 広島県
2018年3月23日 大山奥池
 
大山奥池は広島県尾道市因島中庄町の大山川水系左支流(河川名未確認)源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧では広島県の事業で1943年(昭和18年)に竣工と記されています。
2018年(平成30年)時点ではダム便覧には経緯度は記載されていませんでしたが、広島県の『ため池ハザードマップ』に大山奥池が掲載されており位置を確定することができました。
 
下流から大山下池、大山新池、大山奥池と3基の溜池が並び、最奥が大山奥池となります。
ダム便覧や広島県のため池データベースでは堤高17.1メートルとなっていますが、どう見ても数メートルしかありません。
ダムの堤高は基礎地盤からなので見た目の高さだけでは判断できませんが、池下の畑が盛土された様子もなく、この堤高はいまいち信憑性に欠けます。
 
池の脇に小さなお堂があります。
 
中には石仏が数体鎮座。
 
左岸上流から。
 
天端は未舗装の車道
対岸に民家が2軒あり生活道路になっています。
 
洪水吐は見当たらずこのポンプで水量調節をしているようです。
 
貯水池は小さく便覧では総貯水容量3万8000立米となっています。
 
アングルを変えて天端を撮影
左手が池ですがかなり草が伸びています。
 
3688 大山奥池(1278)
ため池コード
広島県尾道市因島中庄町
DamMaps
大川水系大川
17メートル
41メートル
38千㎥/38千㎥
管理者未確認
1943年

宇賀ダム

2017-07-27 16:56:21 | 広島県
2017年7月17日 宇賀ダム
 
宇賀ダムは広島市安佐北区安佐町久地の太田川支流高山川にある中国電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電力分割民営化によって誕生した中国電力は、戦後の電力不足解消を目指し新たな電源開発を進めます。
太田川中流域では1925年(大正14年)に広島電気によって間野平発電所が建設され戦後中国電力が事業を引き継いでいましたが、太田川上流の王泊ダムの嵩上げ、樽床ダムの建設などにより間野平発電所地点での河川流量が安定し新たな電源開発の余地が生まれました。
そこで中国電力は1958年(昭和33年)から間野平発電所の再開発に着手、新たな水路を敷設しその途中の調整池として1959年(昭和34年)に竣工したのが宇賀ダムです。
上流の吉ヶ瀬発電所放水路および支流の水内川で取水された水を宇賀ダムにいったん貯め込み間野平発電所に送水することで、間野平発電所の発電能力は従来の最大9000キロワットから2万4000キロワットに大幅に増強されることになりました。
その後1986年(昭和61年)にも増強され現在の間野平発電所の発電能力は最大出力2万4500キロワットとなっています。
 
太田川右岸沿いの県道177号線を西進、宇賀集落で左折南下して集落を抜けると宇賀ダムに到着します。
この間、道路の大半は隘路となるので運転には気を使いました。
左岸から下流面
錆色のラインや苔がいい具合に時代感を醸し出しています。
 
 
天端は立ち入り禁止
堤体直下に1914年(大正13年)に建設された間野平発電所への水路橋があります。
 
水路橋をズームアップ Bランクの近代土木遺産に選定されています。
この水路も間野平発電所へと向かいますが、宇賀ダムとは直接の接続はありません。
 
天端と取水ゲート
ここで取水された水も間野平発電所へと向かいます。
 
ダム湖は総貯水容量90万3000立米
いわゆる調整池です。
 
下流から
アーチ越しにダムを撮りたかったのですが、ちょっと重なってしまいました。
 
アーチの橋脚を見上げると
煉瓦とコンクリートの違いはありますが、この眺めは紛いなく碓氷第3橋梁とそっくりです。
 
ダムの下流面
継ぎ目が明確でいかにも1950年代のダムといった風情。
 
ゲートピアや操作室は独特の構造。
 
夕暮れ時の見学となりましたが、逆に夕暮れの柔らかい日差しがこのダムの風情を一段と引き立ててくれたようです。
 
追記
宇賀ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに41万立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1961 宇賀ダム(1084)
広島県広島市安佐北区安佐町久地
北緯34度32分25秒,東経132度23分16秒
太田川水系高山川
31.5メートル
108メートル
903千㎥/410千㎥
中国電力(株)
1959年
◎治水協定が締結されたダム

魚切ダム

2017-07-27 15:27:17 | 広島県
2017年7月17日 魚切ダム
 
魚切ダムは広島県広島市佐伯区の八幡川水系八幡川にある広島県営の多目的重力式コンクリートダムです。
広島県佐伯区北部の東郷山から阿弥陀山に至る山域に源を発し佐伯区南部(旧五日市町)を縦断して瀬戸内海に注ぐ2級河川の八幡川流域では豪雨のたびに洪水被害が発生し、1945年(昭和20年)の枕崎台風、1951年(昭和26年)のルース台風では河口部にあたる旧五日市町中心部がほぼ全域水没するという甚大な被害が発生し抜本的な洪水対策が求められていました。
一方、高度成長期以降旧五日市町や廿日市町は広島のベッドタウンとして人口が急増、さらに都市化の進展により都市用水の需要が急拡大し、新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
これらの課題に対処するために広島県は八幡川上流部に多目的ダムの建設を計画、1981年(昭和56年)に竣工したのが魚切ダムです。
魚切ダムは八幡川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水の供給・安定した河川流量の保持、上水道用水の供給を目的とするほか中国電力魚切発電所で最大700キロワットの発電を行っています。
 
魚切ダムは県道41号沿いにありアプローチは簡単です。
まずは堤体直下へ。
クレストには2門の赤いラジアルゲートがあるほか堤体下部にコンジットゲート、写真では見えませんが右岸に利水放流設備があります。
 
左岸のダム概要モニュメント
サイコロのようです。
 
竣工記念碑。
 
下流面。
 
魚切ダムの銘板と魚釣禁止の警告板
語呂が合うかと思ったけど今一つ。
 
ダム湖(窓竜湖)は総貯水容量846万立米。
 
導流面と減勢工。
 
天端は車両通行可。
 
右岸から下流面。
 
上流面をズームアップ
2門のラジアルゲートの間にコンジットの予備ゲートが見えます
右手は取水設備。
 
1987 魚切ダム(1083)
広島県広島市佐伯区五日市町上河内
北緯34度25分36秒,東経132度19分49秒
八幡川水系八幡川
FNWP
 
79.8メートル
255メートル
8460千㎥/7860千㎥
広島県土木建築局
1981年
◎治水協定が締結されたダム

梶毛ダム

2017-07-27 13:14:22 | 広島県
2017年7月17日 梶毛ダム
 
梶毛ダムは広島市佐伯区の八幡川水系石内川右支流の梶毛川源流部にある広島県営の多目的重力式コンクリートダムです。
石内川は八幡川の主要支流で広島市西部を縦断する流路延長8.7キロの河川ですが、高度成長期より流域での宅地開発が進む一方、豪雨のたびに洪水被害が発生し抜本的な洪水対策が求められていました。
一方1989年(平成2年)から佐伯区から安佐南区にかけての丘陵地帯で広大な宅地造成を主軸とした西風新都事業が着工され、造成に伴う流出量増加のための防災調整池の設置が必要となりました。
 
このような環境の下、2008年(平成20年)に梶毛川源流部に竣工したのが梶毛ダムです。
梶毛ダムは梶毛川および石内川の洪水調節、既得取水権としての灌漑用水への補給と適正な河川流量の保持を目的とするほか、梶毛川ダムの貯水容量には『西風新都』のうち梶毛川の流域内に当たる162ヘクタール分の災害調整容量も含まれています。
つまり梶毛ダムは河川の治水と、都市開発に伴う防災調整機能を併せ持つ『地域整備ダム』となっているのです。
 
県道71号五月が丘交差点から石内バイパスに入り西進するとすぐに梶毛ダムの標識が現れます。
これに従い右折して梶毛川沿いを北上すると梶毛ダムに到着します。
右岸の管理事務所でダムカードをもらったのちダムを見学します。
上流から
取水設備は堤体にビルトインされています。
 
天端は対岸で行きどまり
親柱には枝垂れ桜の装飾。
 
ダムの説明板。
 
下流面。
 
もう少し下流から これが限界
残念ながら下流からダムを正対することはできません。
クレストには非常用洪水吐として自由越流式ゲートが並び、左岸寄りにオリフィスゲートがあります。
ダム湖対岸には西風新都のうち『セントラルシティこころ』と呼ばれる住宅街が広がっており公園も設置されています。
ただし天端越しに対岸に行くことはできません。
 
ダム湖(神原湖)は総貯水容量106万立米ですが実際はもっと小さく見えます。
湖岸に住宅やマンションが立ち並ぶ風景は余所ではあまり見られないものです。
 
減勢工
右手は利水放流設備。
 
左岸から天端
右の青い屋根が管理事務所です。
 
セントラルシティ側から俯瞰
こちらサイドにも立派な公園がありますが、これはあくまでも宅地開発による公園でダムとは接続されていません。
 
ダムをズームアップ。
 
河川の治水と防災調整池を兼ねたダムとしては今回訪問した兵庫県の長谷ダムや千葉県の矢那川ダムなどがあげられます。
 
3561 梶毛ダム(1081)
広島県広島市佐伯区石内
北緯34度26分06秒,東経132度22分37秒
八幡川水系石内川
FN
 
49メートル
170メートル
1060千㎥/930千㎥
広島県土木建築局
2008年
◎治水協定が締結されたダム

荒谷池

2017-07-27 11:34:02 | 広島県
2017年7月17日 荒谷池
 
荒谷池は広島市安佐南区上安町の太田川水系荒谷川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には1917年(大正6年)竣工と記されていますが事業者についての記載はありません。
またダム便覧への写真投稿もなかったため池の実態は不明で、今回のダム訪問に当たっては国土地理院地形図でおよびグーグルの空撮写真を参考にしました。
 
県道268号線で安佐動物公園を過ぎるとすぐに右手の旧道に入ります。
小さな河川(これが荒谷川)を渡る手前(川の北側)の分岐を右手に取り、分岐した旧坂を上り詰めると荒谷池に到着します。
今回は最初に荒谷川の先(川の南側)の分岐に入ってしまい距離にして往復約3キロ、標高差約200メートルの山道を無駄に歩くことになってしまいました。
 
池の堤体はフェンスが張られ立ち入りできません。
上流面はコンクリートで補強されているので竣工以降大きな改修があったと思われますが、記念碑等が全く見当たらないため詳細は不明です。
 
 
天端
フェンスによじ登って撮影しましたが天端も立ち入り禁止。
 
左岸の洪水吐。
 
アングルを変えて。
 
この先が導流部となります。
 
総貯水容量3万立米と小さな溜池です。
 
各種警告板。
 
周辺は花崗岩で形成され、標高の割に谷は深く傾斜もきつくなっています。
なによりも荒谷という名前がこの小さな谷川の性格を表しているのでしょう。
溜池は形式上は灌漑目的の貯水池ですが現実には洪水調節の役割も併せ持っています。荒谷池も貴重な水源であるとともに荒谷の洪水を防ぐという重要な役割を持った溜池です。
 
3561 荒谷池(1081)
ため池コード
広島県広島市安佐南区上安町
太田川水系荒谷川
17.5メートル
63メートル
30千㎥/30千㎥
管理者未確認
1917年

明神ダム

2017-07-27 01:17:32 | 広島県
2017年7月17日 明神ダム
 
明神ダムは広島県広島市安佐北区可部町南原にある中国電力の発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の南原発電所の上部調整池として1976年(昭和51年)に竣工しました。
明神ダムは下部ダムの南原ダムとの落差294メートルを利用して南原発電所で最大出力62万キロワットの揚水式発電を行っています。
 
南原ダムから県道253号線をさらに北上、県道とは名ばかりの南原渓谷の谷合の隘路を進むとやがて立ち入り禁止のゲートが・・・・
 
残念ながら明神ダムは間近でその姿を見ることは叶いません。
ただ落葉期などは周辺の登山道などからその姿を俯瞰することはできるようです。
首都圏近郊ならばそういうチャレンジもしてみるのですがさすがに広島では遠すぎる。
 
追記
明神ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに140万1000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1984 明神ダム
広島県広島市安佐北区南原
北緯34度35分08秒,東経132度30分18秒
太田川水系南原川
88.5メートル
402メートル
6145千㎥/5220千㎥
中国電力(株)
1976年
◎治水協定が締結されたダム

南原ダム

2017-07-26 23:01:44 | 広島県
2017年7月17日 南原ダム
 
南原で『なばら』と読みます。
南原ダムは広島市安佐北区可部町の太田川水系南原川にある中国電力の発電用ロックフィルダムで、揚水式発電の南原発電所の下部池として1976年(昭和51年)に竣工しました。
上部ダムの明神ダムとの落差294メートルを利用して南原発電所で最大出力62万キロワットの揚水式発電を行っています。
 
原爆投下から奇跡の復興を遂げた広島では、自動車産業や造船業などの重工業が集積するとともに人口も急増、それに合わせて電力需要も増加の一途を辿りました。
1960年代半ばから発電の主力は火力へと移り、さらに原子力発電の台頭もあり水力発電のシェアは低下する一方でしたが、1970年代に入り火力や原子力との連携が図れ余剰電力を有効に利用できる上に大出力の発電が可能な揚水発電に注目が集まりました。さらにオイルショックによる原油価格の高騰が揚水式発電建設の追い風となりました。
 
中国電力もこの流れに乗り広島市中心部から北東20キロ地点の可部町(現安佐北区)に建設したのが南原ダム・明神ダムおよび南原発電所です。
この地点は1974年(昭和49年)に運用が開始された島根原発からの送電線が通っており、深夜の揚水運転のための電力供給が容易であることが最大のメリットとなりました。
 
国道54号線可部バイパスの南原交差点から南原川に沿って県道253号線を北上すると南原地区の奥に南原ダムが見えてきます。
ダムの敷地へは立入りができませんが、下流上流それぞれ遠望することができます。
草が生えているものの花崗岩が積まれた白いリップラップが特徴です。
また右岸の洪水吐導流部はかなりの急傾斜となっています。
 
 
立ち入り禁止のフェンスの手前まで接近してみます。
 
洪水吐導流部の下にトンネルの吐口が見えます。
常用洪水吐もしくは利水放流用でしょうか?
 
県道253号線の樹間から
周辺の山々は花崗岩で形成されており、ダムの堤体もこれらの石を利用して建設されました。
 
上流から遠望。
 
ゲートが見えそうで見えない・・・・。
 
追記
南原ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流により新たに524万6000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1983 南原ダム(1080)
広島県広島市安佐北区可部町南原
北緯34度33分45秒,東経132度31分00秒
太田川水系南原川
85.5メートル
305メートル
5658千㎥/5246千㎥
中国電力(株)
1976年
◎治水協定が締結されたダム

高瀬堰

2017-07-26 15:34:03 | 広島県
2017年7月17日 高瀬堰
 
高瀬堰は一級河川太田川の河口から13.6キロ上流の広島市安佐北区高陽と安佐北区八木に跨る多目的可動堰です。
高瀬堰建設以前ここには江戸時代に建設された高瀬井堰という灌漑用固定堰がありましたが、固定堰のため洪水流下能力の阻害となり太田川の治水整備を進めるにあたっては、高瀬井堰の可動堰化が必要不可欠な課題となっていました。
一方で、広島は原爆投下から奇跡的な復興を遂げ自動車、造船など重工業を中心に大きく発展、併せて人口も急増し都市用水の爆発的需要増加に対応するための新たな水源確保が喫緊の課題となっていました。
太田川下流部は既得取水権により新規の水利権設定は不可能なことから、建設省は『江の川総合開発事業』によって江の川上流部で計画されている土師ダムに着目、土師ダムから19キロの導水トンネルを建設し江の川の水を太田川に導水して広島の新たな水源を確保することにしました。
そして太田川には取水口設置のための堰堤が必要となりました。
このような背景のもと5年の歳月をかけて1975年(昭和50年)に竣工したのが高瀬堰です。
高瀬堰は太田川の洪水調節、堰建設の際に太田川から切り離した旧流路である古川の河川流量の保持、広島市・呉市・竹原市・および江田島市などの芸予諸島への上水道用水および工業用水の供給を目的とするほか、土師ダムからの導水トンネル放流口に建設された中国電力可部発電所の逆調整池という機能も担っています。
高瀬堰の堤高は5.5メートルと河川法上のダムの要件である15メートルには及びませんが、特定多目的ダム法に基づいて建設された特定多目的ダムであり、法的にもダムと分類されダム便覧にも正式掲載されています。
 
高瀬堰は堰上を県道271号線を通過しておりアプローチは簡単です。
右岸のダム管理所でカードをもらったのち堰を見学することにします。
右岸にある高瀬堰概要図。
 
右岸上流から
6門の主ゲートと右岸に土砂吐が1門、左右両岸に魚道があります。
 
 
下流から。
 
右岸の魚道。
 
天端は県道271号が通っておりかなりの交通量です。
 
高瀬堰のプレート。
 
右岸の管理事務所。
 
ダム湖
そ右貯水容量は198万立米です。
 
左岸から。
 
なんと肝心要の高陽取水口の写真を撮り忘れるという大チョンボ。
せっかく予習してゆくのだから、もっと予習の成果を生かさないといけませんね?
 
1982 高瀬堰(1079)
左岸 広島県広島市安佐北区高陽町
右岸 広島県広島市安佐南区八木
北緯34度28分42秒,東経132度30分04秒
太田川水系太田川
FW
MB
5.5メートル
286メートル
1980千㎥/1780千㎥
国交省中国地方整備局
1975年

大和池

2017-07-26 13:53:51 | 広島県
2017年7月17日 大和池
 
大和池は広島県安芸高田市八千代町下根にある灌漑用アースダムで、ダム便覧では土地改良区の事業で2004年(平成16年)に竣工となっています。
実際に大和池を見るととても2004年にできた溜池とは思えず、また現地の看板には農業農村整備事業のロゴマークが入っていることから、以前より存在していた大和池が農水省の補助を受けた農業農村整備事業により2004年に改修され、堤高15メートル以上のダムとなったというのが正確なところではないでしょうか?
 
土師ダムから国道54号を南下して八千代町下根地区の集会所前交差点を左折、出口集落を抜けると途中で道路はダートとなりますが路面はさほど悪くないのでそのまま進むとすぐに大和池に到着します。
ダムサイトにある大和池の標識
右下に農業農村整備事業のロゴが入っています。
 
下流面
実は堤体下へ向かう道もあったのですが、草に覆われていたのでパスしました。
 
天端には轍があります。
 
上流面
草に覆われていますがコンクリートで護岸されているようです。
 
さらに上流から
手前に斜樋が、対岸に洪水吐が見えます。
 
貯水池は総貯水容量15万2000立米
池のうしろの山が実は瀬戸内海に注ぐ太田川水系と日本海に注ぐ江の川水系を分ける陰陽分水嶺なんです。
 
右岸の斜樋
斜樋の奥には流入口があります。ただの小河川だと思いますが、まさか遠方の河川から導水されているわけじゃ??
 
左岸の洪水吐。
 
例に洩れずここでも枝葉が覆っており、導流部の写真は撮影不可能。
 
左岸から下流面。
 
1954 大和池(1078)
広島県安芸高田市八千代町下根
北緯34度35分30秒,東経132度35分56秒
江の川水系簸川
15メートル
100メートル
152千㎥/152千㎥
管理者未確認
2004年

香六池

2017-07-26 11:58:21 | 広島県
2017年7月17日 香六池
 
香六池は広島県安芸高田市高宮町にある灌漑用アースダムで、広島県のパイロット事業により1965年(昭和40年)に竣工しました。その後1993年(平成5年)にかけて農水省の補助を受けた県の水環境整備事業によって環境整備が行われました。
現在は安芸高田市が管理を行っています。
香六池は『フィッシングレイクたかみや』として西日本最大規模のルアー・フライフィッシングの管理釣り場が設置され季節に拘わらず多くの釣り愛好家が訪れています。
 
ダム便覧では香六池は経緯度の位置情報が掲載されていませんが、広島県の溜池防災ハザードマップに香六池が記載されているほか、国土地理院地形図にも『香六ダム』としてその名が記載されており池の特定は簡単です。
また便覧では河川について江の川水系清水川となっていますが、実際には江の川水系若幡川が正しいと思われます。
 
中国道高田インターから高北広域農道を北上し、国道433号線を交差すると『フィッシングレイクたかみや』の標識が現れます。
これに従って左折すると香六池に到着します。
 
左岸から洪水吐越しに
堤体に管理釣り場の管理事務所があります。
 
アングルを変えて洪水吐を撮影。
 
下流面
夏場にもかかわらずきれいに刈り払われています。
 
管理釣り場の事務所。
 
右岸の斜樋。
 
天端
左岸の高台は公園として整備されキャンプもできるようです。
ダム湖を周回する遊歩道が整備され天端もその一部となっています。
 
上流面
コンクリートで護岸されています。
 
貯水池は総貯水容量28万6000立米。
 
右岸堤体下に底樋枡があります。
 
堤体下から下流面。
 
追記
ダム協会に位置情報を提供した結果、8月24日にダム便覧の経緯度が確定しました。
 
3547 香六池(1077)
広島県安芸高田市高宮町羽佐竹
北緯34度47分04秒,東経132度40分47秒
江の川水系若幡川
22.5メートル
178.5メートル
286千㎥/274千㎥
安芸高田市
1965年

土師ダム

2017-07-25 19:27:45 | 広島県
2017年7月16日 土師ダム 
 
古来より『中国太郎』と呼ばれ中国地方最大の河川である江の川は流域に大きな水の恵みをもたらす一方で、豪雨の度に洪水被害を引き起こしとりわけ主要支流が合流する三次盆地ではその被害が顕著になっていました。
戦後、江の川水系の治水はまず河川改修による堤防築造などを中心として行われましたが、1965年(昭和40年)6月と7月に連続して大きな洪水被害に見舞われ抜本的な洪水対策を求める声が一気に高まりました。
他方、広島は原爆投下から奇跡的な復興を遂げ自動車、造船など重工業を中心に大きく発展、併せて人口も急増し都市用水の新たな水源確保が喫緊の課題となってきました。
治水・利水両面の課題を解決すべく、建設省(現国交省)は『江の川水系工事実施基本計画』を改定して江の川上流部下土師地点に多目的ダムの建設を決定、ダム建設反対派との交渉を4年でまとめ、1970年(昭和45年)に着工し1974年(昭和49年)に竣工したのが土師ダムです。
 
治水面では2006年(平成18年)に竣工した灰塚ダムと連携して江の川洪水調節を行うほか、既得取水権としての灌漑用水への補給と河川流量の保持を目的としています。
特筆すべきは利水で、約19キロの分水トンネルで1日約30万立米の水を流域変更して太田川に送り、広島市・呉市・東広島市・竹原市さらには瀬戸内海島嶼部に上水道用水及び工業用水を供給しています。また分水トンネル出口の中国電力可部発電所で最大出力3万8000キロワットの発電も行っています。
 
分水トンネルによる流域変更概要図(国交省土師ダム管理ホームページより)
 
今回は中国道千代田インターから県道5号を南下して土師ダムを目指しました。
ダム直下の久保橋からダムと正対できるほか、天端も車道となっており車で通行することができます。
 
クレストにラジアルゲートが3門 オリフィスのラジアルゲートが2門
そのほか利水放流バルブと低位放流設備を備えています。
ダムでは珍しく黄色く塗装されたゲート操作室がとにかくよく目立ちます。
 
左岸のケーブルカー
堤体直下にあった運動施設と連動して使用されていたのでしょうか?
 
右岸から
堤体右岸側が湾曲しており、ミニ弥栄ダムといったところです。
左岸に管理事務所があります。
 
右岸展望台から俯瞰
堤高は50メートルと低めですが、湾曲した右岸がダムを精悍に見せています。
 
左岸から。
 
左岸のインクライン。
 
左は低位放流設備
右手手前は利水放流バルブ 右手奥は増設された管理用小水力発電所。
 
ダム湖(八千代湖)総貯水容量は4730万立米
ダム湖上流にはダム記念公園があり、サイクリングターミナルやスポーツセンターなどが設置されています。
 
天端から
町に隣接したダムです。
 
天端も湾曲しています。
 
上流から
左から低位放流設備の予備ゲート、取水設備(利水放流設備)、ラジアルゲート、オリフィスの予備ゲート、量水塔。
 
日本海に注ぐ江の川の水を流域変更で広島に送る重要な役割を持つ土師ダムです。
 
 
追記
土師ダムには3150万立米の洪水調節容量が設定されていますが、治水協定により豪雨災害が予想される場合には事前放流によりさらに738万9000立米の洪水調節容量が確保されることになりました。
 
1980 土師ダム(1076)
広島県安芸高田市八千代町土師
北緯34度38分37秒,東経132度37分16秒
江の川水系江の川
FNAWIP
50メートル
300メートル
47300千㎥/41100千㎥
国交省中国地方整備局
1973年
◎治水協定が締結されたダム

国兼池

2017-07-25 16:39:35 | 広島県
2017年7月16日 国兼池
 
国兼池は広島県庄原市上原町にある灌漑用アースダムです。
説明板によれば池の起源は江戸初期の1646年(正保3年)とされ、その後の堤の決壊の際に人柱となった『お国』と『お兼』という二人の娘の名前が『国兼池』の由来になったそうです。
江戸末期および明治期に2度の嵩上げ工事を行ったのち、1953年(昭和33年)に農水省の改修事業により総貯水容量106万立米と西日本有数の規模を誇る灌漑用溜池となりました。
さらに1995年(平成7年)には国兼池を含む周辺一帯が『国営備北丘陵公園』として整備され、各種レクリエーション施設や自然学習公園、オートキャンプ場などを備えた、総面積340ヘクタールの巨大な総合公園となっています。
 
国兼池を見学するには備北丘陵公園に入園する必要があり、入園料や駐車料金が必要となります。
池の堤体に一番近いのは第2駐車場でそこから徒歩5分ほどで天端に到着します。
天端脇に並ぶ各種記念碑。
奥の祠は『お国』『お兼』の二人を祀っています。
 
説明板。
 
堤体左岸に洪水吐があります。
上は斜樋の機械室。
 
洪水吐導流部。
 
天端上は遊歩道とサイクリングロードが通っています。
ちょうど園内を巡るSL型のロードトレインがやってきました。
 
上流面
奥に斜樋が見えその向こうに上の写真の記念碑などが立っています。
 
斜樋をズームアップ。
 
右岸高台から天端を俯瞰
右手が遊歩道、左手がサイクリングロードです。
 
総貯水容量106万立米は広島県最大、西日本でも有数の規模の灌漑用貯水池です
貯水池奥を中国道が跨いでいます。
 
下流面
ここから見ると初めて国兼池がアースダムだと実感できます。
 
ダム愛好家としてみれば駐車料金はいるわ、入園料はいるわ、どこが堤体やらわかりにくいわと、正直『うーん』となる国兼池ですが、家族で1日楽しく過ごすなら非常に健康的だし経済的な公園だと思います。
 
1953 国兼池(1075)
広島県庄原市上原町
北緯34度50分41秒,東経133度00分06秒
江の川水系国兼川
16.4メートル
100メートル
1060千㎥/1060千㎥
管理者未確認
1953年