ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

利賀ダム

2022-09-02 14:00:00 | 富山県
2016年9月24日 利賀ダム
2022年7月29日
 
利賀ダムは富山県南砺市利賀村押場の一級河川庄川水系利賀川に国交省北陸地方整備局が建設中の多目的重力式コンクリートダムです。
庄川は神通川や黒部川と並ぶ富山を代表する大河川ですが、有史以来頻繁に流路を変える暴れ川で、河道が固定されたのは明治期になってからでした。
明治末期より豊富な水量を活かし電源開発が活発に進められる一方、治水については水系にある治水ダムは左支流の境川ダムのみで抜本的な治水対策が望まれていました。
1989年(平成元年)に当時の建設省は庄川の主要右支流利賀川への多目的ダム建設に着手し工事用道路建設などが着工されました。
しかし、2010年(平成22年)に検討対象ダムとなり、2016年(平成28年)にようやく継続が決定。現在は2031年(令和13年)の竣工をめどに工事用道路の建設や河道整備、転流工事などが進められています。

完成の暁には、堤高112メートル、堤頂長232メートル、総貯水湯量3110万立米の重力式コンクリートダムが出現し、利賀川および庄川の洪水調節、流域の不特定灌漑用水への補給および安定した河川流量の維持、工業用水の供給を目的として運用される予定です。

工事は右岸国道471号線にあるダムサイト展望台から俯瞰するのみ
こちらが展望台入り口。
 
ダムの案内板。


事業概略図。


建設予定地を俯瞰
左手がダム湖になる予定。


こちらが2016年9月の写真。
三角錐の法面の右手がダム軸となります。

こちらが2022年7月の写真。
ほとんど変わりません。

 
水没予定地を拡大。
橋は工事用道路を兼ねる国道471号線バイパス。

本体工事に着手するのはまだ先のようです。
 
3024 利賀ダム(0624)
富山県南砺市利賀村押場
庄川水系利賀川
FNI
112メートル
232メートル
31100千㎥/26400千㎥
国交省北陸地方整備局
2031年竣工予定

猿越ダム

2022-09-01 12:00:00 | 富山県
2022年7月29日 猿越ダム
 
猿越ダムは富山県富山市八尾町切詰の一級河川神通川水系井田川(大長谷川)上流部にある富山県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により日本発送電は解体され北陸では新たに北陸電力(株)が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、同社だけでは開発の手が足りず北陸三県では公営発電である各県企業局による電源開発が併せて進められました。
富山県企業局は電源開発の手が付けられていなかった神通川水系山田川および井田川(上流は大長谷川)で水利権を獲得、1950年代半ばより順次発電所の建設に着手します。
猿越ダムは1981年(昭和56年)に竣工し、ここで取水された水は約5キロの導水路で大長谷第三発電所に送られ、最大8000キロワットのダム水路式発電を行います。
 
大長谷川沿いに国道471号線を南下し、右手の林道猿越線を辿ると大長谷第四発電所に到着します。
発電所のすぐ先に猿越ダムがあります。
クレスト自由越流頂1門と右岸に放流ゲートを備えています。


親柱の銘版。


天端は林道で車両通行ができ、この先は200名山である金剛堂山のサブコース登山口になっています。
上流側には建屋が二つあり手前は取水ゲート、奥は放流ゲートの操作室。


取水ゲート操作建屋と水利使用標識。


天端から
減勢工の先にはコンクリートブロックが四つ並んでいます。
右手の放流ゲートから維持放流中。


こちらは貯水池側。
貯水池と言っても水の貯留はなく、ダム便覧にも貯水容量は記載されていません。


左岸のリムトンネル
登山者のものと思しき車が一台止まっています。


ダムの貯水池に下りてみます。
左が放流ゲート、右が大長谷第三発電所の取水ゲート。
普段は維持放流用の水以外はすべて取水口に流入してるようです。


こちらはダムのすぐ手前にある大長谷第四発電所。
1989年(平成元年)完成で、最大266キロワットの水路式発電を行います。
取水堰は大長谷川のさらに上流にあり猿越ダムと水のやり取りはありません。


大長谷第四発電所のそばに第三発電所の沈砂池があり、猿越ダムで取水した水と第四発電所の放流水が流入します。


3590 猿越ダム(1880) 
富山県富山市八尾町切詰 
神通川水系井田川(大長谷川)
 
 
29.6メートル 
68メートル 
----千㎥/----千㎥ 
富山県企業局 
1981年

中山ダム

2022-08-31 18:00:00 | 富山県
2022年7月29日 中山ダム
 
中山ダムは富山県富山市八尾町中山の一級河川神通川水系井田川(上流では大長谷川)にある富山県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により、日本発送電は解体され北陸では新たに北陸電力(株)が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、同社だけでは開発の手が足りず北陸三県では公営発電である各県企業局による電源開発が併せて進められました。
富山県企業局は電源開発の手が付けられていなかった神通川水系山田川および井田川(上流部は大長谷川)で水利権を獲得、1950年代半ばより順次発電所の建設に着手します。
中山ダムは1961年(昭和36年)に竣工し、ここで取水された水は約2.7キロの導水路で仁歩発電所に送られ、最大1万1000キロワットのダム水路式発電を行います。
 
中山ダムは国道471号線沿いにあり、国道からその姿を望めます。
主ゲートはラジアルゲート2門、右岸側に排砂ゲートがあります


ゲートをズームアップ
豪雪地帯のためピアの巻き上げ機は被覆されています。


天端は立ち入り禁止。


ちょっと読みづらいですが、親柱にはダムの銘板と竣工プレートが嵌め込まれています。


国道を挟んだ向かいには1958年(昭和33年)に完成した大長谷第二発電所があります。
こちらは山向こうの山田川にある菅沼ダムから導水しており、放流も中山ダムの下流に行うため中山ダムとの直接的な水のやり取りはありません。


上流から
総貯水容量11万1000立米の小さなダム湖。
透明度が高く水はきれい。


左がゲート、右が仁歩発電所への取水口。


ゲートをズームアップ。


 (追記)
中山ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0847 中山ダム(1879)
富山県富山市八尾町中山
神通川水系井田川(大長谷川)
 
 
24メートル 
70.5メートル 
111千㎥/69千㎥ 
富山県企業局 
1961年 
◎治水協定が締結されたダム

菅沼ダム

2022-08-31 14:00:00 | 富山県
2022年7月29日 菅沼ダム
 
菅沼ダムは富山県南砺市利賀村百瀬川の一級河川神通川水系山田川にある富山県企業局が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令により、日本発送電は解体され北陸では新たに北陸電力(株)が誕生します。
同社は戦後の電力不足を補うために積極的な電源開発を進めますが、同社だけでは開発の手が足りず北陸三県では公営発電である各県企業局による電源開発が併せて進められました。
富山県企業局は電源開発の手が付けられていなかった神通川水系山田川および井田川(上流は大長谷川)で水利権を獲得、1950年代半ばより順次発電所の建設に着手します。
菅沼ダムは1958年(昭和33年)に竣工し、ここで取水された水は約630メートルの導水路で大長谷第二発電所に送られ、最大1万200キロワットのダム水路式発電を行います。
 
ダムは国道471号線沿いにありますが、敷地は立ち入り禁止のため撮影ポイントは限られます。
下流はこれが精いっぱい。ラジアルゲートを2門備えていますが見えそうで見えません。
ピアには切妻の日本家屋のようなゲートハウスが乗っています。


提体真横から。


上流から
左岸がコンクリートで護岸されていますが、これは止水工で堤体ではありません。


とにかく水がきれい。


さらに上流から
貯水池は総貯水容量52万4000立米。


ズームアップ
左岸に巡視艇の格納庫、主ゲート2門の両側に排砂ゲートがあります。
右手は取水口で大長谷川沿いの大長谷第二発電所に送られた水は流域変更してそのまま放流されます。

 
(追記)
菅沼ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0840 菅沼ダム(1878)
富山県南砺市利賀村百瀬川
神通川水系山田川
22メートル
50メートル
524千㎥/333千㎥
富山県企業局
1958年
◎治水協定が締結されたダム

小俣ダム

2022-08-31 10:00:00 | 富山県
2022年7月29日 小俣ダム
 
小俣ダムは左岸が富山県富山市才覚寺、右岸が同市中地山の一級河川常願寺川水系小口川にある北陸電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した北陸電力は、朝鮮戦争特需を契機とした電力需要急増に対処するために、戦況悪化で工事が中断したまま放置されていた有峰ダムに着目、1956年(昭和31年)に『常願寺川有峰開発計画(JAP)』に着手します。
そして3年後の1959年(昭和34年)に有峰ダムおよび和田川第一発電所(最大出力2万7000キロワット)、和田川第二発電所(最大出力12万2000キロワット)、新中地山発電所(最大出力7万3000キロワット)の運用が開始されます。
さらに翌1960年(昭和35年)に新中地山発電所の逆調整池兼小俣ダム発電所(最大出力3200キロワット)および小俣発電所(最大出力3万2700キロワット⇒3万3600キロワット)の取水ダムとして完成したのが小俣ダムです。
 
県道43号富山上滝立山線を南に折れ、有峰林道小口川線方面に進むと左手に小俣ダムが姿を見せます。
クレストローラーゲート2門を装備、ゲート部分が前面に張り出しています。
またゲート周辺は改修があったようで、コンクリートが白くなっています。


さらに右岸側に『カド』があります。
左奥は建設時の作業員宿泊施設跡。


左岸にはプラントの遺構。


ダムに併設された小俣ダム発電所。
皆さん指摘されていますが、一般にダム式発電所はダムの下流側にあるという印象なんですが、ここは上流側にあります。
発電されたあとの放流水は足元のトンネルから小俣発電所に送られます。


ダム下の様子
左手に調圧水槽があり川沿いの既得灌漑用水路に放流され、一部は河川維持放流されます。


調圧水槽をズームアップ。
金属板で蓋をしてあるのが灌漑用水路。


ゲート部分は下流側にクランク
石灰成分が染み出したコンクリートが60年の時間と風雪の厳しさを示しています。


毎度おなじみ
右岸側の『カド』。


右岸から上流面
ゲートの向こうに取水用スクリーン
こちらから見るとあの位置に小俣ダム発電所が置かれた理由がよくわかります。
小俣発電所への水路トンネルに平行になるようになってるんですね。

総貯水容量76万1000立米のダム湖。


ダム湖越しの新中地山発電所・小口川第一発電所 
一つの建屋に二つの発電所が入っています。 
小口川発電所は1924年(大正13年)に小口川水系で初めて稼働した発電所ですが、小俣ダムにより旧建屋が水没するため、新設された新中地山発電所内に移設されました。
見学中に発電所が運転を開始し、湖面が放流のため渦巻いています。 


(追記)
小俣ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0844 小俣ダム(1877)
左岸 富山県富山市才覚寺
右岸     同市中地山
常願寺川水系小口川
 
 
37メートル 
131.5メートル 
761千㎥/587千㎥ 
北陸電力(株) 
1960年
◎治水協定が締結されたダム

小口川ダム

2022-08-30 18:00:00 | 富山県
2022年7月29日 小口川ダム
 
小口川(おぐちがわ)ダムは左岸が富山県富山市水須、右岸が同市中地山の一級河川常願寺川水系小口川にある北陸電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
昭和50年代に入り、産業の発展に加えエアコンの普及が進んだことで、特に夏冬を中心に電力需要の日量変動が拡大し、電力需要ひっ迫時対応としてピーク発電が必要となってきました。
そこで北陸電力は同社最大の貯水容量を誇る有峰ダム再開発事業に着手し、1981年(昭和56年)に有峰第一発電所(最大出力26万5000キロワット)、有峰第二発電所(最大12万2000キロワット)を稼働させます。
両発電所はピーク発電のため、出力調整による下流の水位変動を平準化させるための逆調整池として同時に建設されたのが小口川ダムです。
さらに当ダムを取水ダムとしてダム水路式発電を行う有峰第三発電所(最大出力2万キロワット)も稼働しました。
 
有峰林道水須ゲートから林道を1キロちょっと進むと右手に小口川ダムが見えてきます。
発電ダムとしては珍しくクレストラジアルゲート2門のほか、オリフィス高圧ラジアルゲート1門を備えています。
これは、直上にある有峰第二発電所の出力調整による水位変動幅が大きい上に、1キロ下流には同じく新中地山発電所の逆調整池として建設された小俣ダムがあるため、より細かな放流調節が必要なのではないかと推察します。


ゲートをズームアップ
昭和50年代らしく高圧ラジアルゲートの操作建屋は前面に張り出し、全体としてもロボチックな造形となっています。


ダム下は堤体直下まで立ち入りできます。
提体から突き出た有峰第三発電所への水圧鉄管。


アングルを変えて
水圧鉄管と減勢工。


これは?
監査廊の通気孔でしょうか?


ダム下に展示されたジョンソンバルブ
1931年(昭和6年)に稼働した小口川第三発電所で約50年間使われてきたものです。


同じくダム下の小口川神社。


同じくダム下の小口川記念館
中には祐延ダムと真立ダム間で行われていた揚水発電用のポンプなどが展示されているとのこと。
ただ近年は開放されていません。


上流面
右手は有峰第三ダム取水口
左手にクレストラジアルゲートとオリフィス取水口、オリフィス予備ゲート。


さらに上流から
総貯水容量は271万8000立米。


ダム湖畔にある有峰第二発電所
最大出力12万キロワットでピーク発電を行い、最大使用水量が74立米/秒にも及ぶため出力調整による水位変動緩和のための逆調整池が必須となっています。


(追記)
小口川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0864 小口川ダム(1876)
左岸 富山県富山市水須
右岸     同市中地山
常願寺川水系小口川
 
 
72メートル 
245メートル 
2718千㎥/1469千㎥ 
北陸電力(株) 
1981年
◎治水協定が締結されたダム

有峰ダム

2022-08-30 12:00:00 | 富山県
2022年7月29日 有峰ダム
 
有峰ダムは富山県富山市有峰の常願寺川水系和田川上流部にある北陸電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
和田川最上流部は山岳盆地となっており戦前からダム建設適地として注目され、1938年(昭和13年)に富山県電気局(現富山県企業局)によって治水・発電目的の有峰ダムが着工されました。
事業は配電統制令により日本発送電に引き継がれますが、戦況悪化により1943年(昭和18年)にいったん中断します。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した北陸電力は戦後の電力不足に対処するためまず神通川で電源開発を進め、ついで工事が中断したまま放置されていた有峰ダムに着目、1956年(昭和31年)に『常願寺川有峰開発計画(JAP)』として建設事業を再開し、当時の資本金の10倍以上の資金を投入する文字通り「社運を賭けた事業」の末、1959年(昭和34年)にダムが完成しました。
堤高140メートル、堤頂長500メートル、総貯水容量2億2200万立米は当時としては屈指のスケールを誇りました。 
併せて和田川第一発電所(最大出力2万7000キロワット)、和田川第二発電所(最大出力12万2000キロワット)、新中地山発電所(最大出力7万3000キロワット)
の運用を開始、翌1960年(昭和35年)には逆調整池として小俣ダムおよび小俣ダム発電所(最大出力3200キロワット)、小俣発電所(最大出力3万2700キロワットのちに3万3600キロワットに増強)も完成し、計25万キロワットを超える発電能力を有します。
さらに1981年(昭和56年)には電力需給ひっ迫時のピーク発電対応として有峰第一発電所(最大出力26万5000キロワット)、有峰第二発電所(最大12万2000キロワット)、逆調整池として小口川ダムおよび有峰第三発電所(最大出力2万キロワット)が完成し、一般水力として単一のダムが生み出す発電量は奥只見ダムに次ぐ日本第2位となっています。
有峰ダムは日本を代表する発電ダムとして日本ダム協会により『日本100ダム』に選定されているほか、貯水池の有峰湖はダム湖百選にも選ばれています。

有峰ダムへのアプローチは有料の有峰林道を利用します。今回は小口川線から祐延ダム経由で到達しました。
 
祐延ダムから有峰ダムへ下ってゆくと、視界が切れ左手に有峰ダムが俯瞰できます。
クレストラジアルゲート2門、昭和30年代のダムらしく導流壁は一直線。
右岸にカドがあります。


堤頂部をズームアップ。


左岸、上流側から
右手は1981年(昭和56年)に増設された有峰発電所向け取水塔。


左岸から下流面
左岸は大きく湾曲。


天端にある半円形のバルコニー
これも昭和30年くらいまでの発電ダムでしばしばみられるデザイン。


天端も有峰林道の一部となっています。
大型車は離合困難のためダム両端の信号により交互通行となります。


天端から見下ろすと
右手は和田川発電所向けの調圧水槽
減勢工わきの小さな建屋は2010年(平成22年)にできた維持放流を利用した有峰ダム発電所(最大190キロワット)。


右岸の『カド』
高さがあるのとあまり角度がないのでイマイチな写真。


右岸高台に展望台があります。
展望台の『ダム湖百選』のプレート。


展望台から
有峰湖の総貯水容量は2億2200万立米で黒部湖を凌ぎ富山県最大。


ダム愛好家定番の眺め
左岸が湾曲、右岸にカドがある『S字』の堤体。
奥は有峰発電所向け取水塔、手前が和田川発電所向け取水設備。

さらに上流側から
二つの取水設備がよくわかります。


上流から遠望。


ダムの直接の目的は発電ですが、発電を通じ常願寺川の河川流量の季節変動を平準化することで流域の治水や安定した利水補給にも大きく貢献しています。
富山のダムと言えば黒部のイメージが強いですが、地元への貢献という意味では有峰ダムは黒部に勝るとも劣らない存在となっています。

(追記)
有峰ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0841 有峰ダム(1875)
富山県富山市有峰
常願寺川水系和田川
 
 
140メートル 
500メートル 
222000千㎥/204000千㎥ 
北陸電力(株) 
1959年
◎治水協定が締結されたダム

祐延ダム

2022-08-30 08:00:00 | 富山県
2022年7月29日 祐延ダム
 
祐延(すけのべ)ダムは富山県富山市有峰の常願寺川水系小口川にある北陸電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
北アルプスを水源とし水量豊富な急流河川が多い富山県では明治末期よりで活発な電源開発が進めれ、これを受けて沿岸部には電力需要が旺盛な化学や金属精錬産業が集積しました。
昭和初期において5大電力の一つである日本電力とともに富山県の発電事業をリードした日本海電気(株)は1920年代後半より常願寺川左支流小口川での大規模電源開発に着手し、1929年(昭和4年)の小口川第二発電所に続き、1931年(昭和6年)に小口川源流部の標高約1400メートル地点に建設したのが祐延ダムです。
ここで取水された水は約2.7キロの導水路でダムと同時に建設された小口川第三発電所に送られ、最大1万400キロワットのダム水路発電が開始されました。
同発電所の有効落差621.2メートルは国内一般水力発電所最大です。
さらに1936年(昭和11年)には発電所に揚水ポンプが増設され、国内2例目の揚水発電(混合揚水発電)が開始されました。(揚水発電は1978年(昭和53年)に廃止)
祐延ダムをはじめ日本海電気の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年’(昭和26年)の電気事業再編成により北陸電力(株)が事業継承し現在に至っています。
庄川や黒部川の発電施設が関西電力によって継承される中、旧日本海電気の発電施設の多くは北陸電力が継承し、日本海電気が北陸電力の前身と言われる所以となっています。
 
有峰林道水須ゲートから同林道小口川線を約16キロ進むと右手に祐延ダムが見えてきます。


堤高45.5メートル、堤頂長125.5メートル
完成から約90年経過した堤体は、豪雪地帯ということもあり遠目にも痛みが目立ちます。


放流ゲートは4門
ぱっと見自由越流式のようですが、実は越流部の奥にスライドゲートが隠れています。


ダム下の穴から河川維持放流が行われています。


ダムサイトから
見るからに痛々しい堤体
しかし老兵死なずの意気が伝わります。


放流口をズームアップ
ゲートを見たいのですが見えません。


ダムサイトの説明版。


天端は立ち禁。


対岸に取水設備と管理事務所があります。
またダムの上下流には巡視用の山道が続きます。


取水設備をズームアップ
もともと小口川第三発電所は融雪期や多雨期に運休してダムに貯留し、渇水期に運転するという形態ですが、訪問時は少雨の影響か?水位が取水ゲート最下部よりもはるか下まで低下していました。


上流面。


(追記)
祐延ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0819 祐延ダム(1874)
富山県富山市有峰
常願寺川水系小口川
 
 
45.5メートル 
125.5メートル 
8790千㎥/8753千㎥ 
北陸電力(株) 
1931年
◎治水協定が締結されたダム

与茂九郎1号池

2016-10-06 13:23:34 | 富山県
2016年9月25日 与茂九郎1号池
 
与茂九郎1号池は富山県高岡市太田にある灌漑・防災目的のアースダムです。
もとは与茂九郎池という溜池でしたが1993年(平成5年)に富山県の防災事業で改修を行い堤体が24.3メートルに嵩上げされ河川法上のダムとなりました。
現在は高岡市土地改良区が管理を行っています。
 
残念ながらダムの敷地は立ち入り禁止。
 
立入禁止なのに中部北陸自然歩道になっています。
ハイキングなら問題ないんでしょうか?
 
堤体は刈り払われきれいに整備されています。
 
ズームにしても上は見えません。笑
 
ダムへの道は中部北陸自然歩道になっておりダムへの道標も建てられていますが、管理する土地改良区の立入禁止警告に従って今回は入り口での写真にとどめました。
天端からは海が見えるという情報もあるので、見学できる機会があればぜひ訪問してみたいのですが・・・。
 
3630 与茂九郎1号池(0627)
富山県高岡市太田
河道外水系
FA
24.3メートル
113メートル
高岡市土地改良区
1993年
◎海が見えるダム

桑ノ院池

2016-10-06 13:20:29 | 富山県
2016年9月25日 桑ノ院池
 
桑ノ院池は富山県氷見市桑院にある灌漑用アースダムで、戦時中の1942年(昭和17年)に富山県の上庄川沿岸用水補給事業により着工され、1953年(昭和28年)に完成しました。
現在は氷見市土地改良区が管理を行っています。
 
国道415号から県道64号を南下、桑院地区で県道362号に入ると桑ノ院池が見えてきます。
時節柄、下流面は草ぼうぼう
刈り払いされれば見た目は変わるんでしょうね?
 
上流面
コンクリートで補強されています。
 
左岸の洪水吐。
 
洪水吐導流部
こちらも草ぼうぼう。
 
天端は車道で車両通行可能。
 
ため池。
 
右岸にも洪水吐がありますが、こちらは導流部がありません。
元はこっちが洪水吐だったのが改修で左岸に新しい洪水吐ができたようです。
 
右岸取水設備。
 
右岸の洪水吐跡。
 
湖岸には水分神社があり立派な社殿がつくられていました。
 
0834 桑ノ院池(0626)
富山県氷見市桑院
上庄川水系桑ノ院川
23メートル
86メートル
氷見市土地改良区
1953年

千石池

2016-10-06 12:08:13 | 富山県
2016年9月25日 千石池
 
千石池は富山県氷見市吉岡にある灌漑用アースダムで1965年に富山県の旱害恒久事業により建設され、千石池水利営農組合が管理を行っています。
氷見市北部は灌漑用水の水源となる河川もなく実質的に天水に頼りたびたび干ばつ被害に悩まされてきました。
千石池は氷見市二番目の規模となる溜池でこの池の完成で千石の米が増収できるという意味で千石池と命名されました。
 
氷見市中心部から氷見スーパー農道~県道306号を北上すると千石池に到着します。
左岸高台から
 
天端は車両通行可能ですが対岸から先はダートの林道となります。
 
左岸洪水吐。
 
上流面、草に覆われていますがコンクリートで補強されているようです。
 
ため池。
 
0852 千石池(0625)
富山県氷見市吉岡
下田川水系大谷川
32メートル
113メートル
千石池水利営農組合
1965年

利賀ダム(豆谷ダム)

2016-10-06 09:49:09 | 富山県
2016年9月24日 利賀ダム(豆谷ダム)
 
利賀ダム(豆谷ダム)は富山県南砺市利賀村の利賀川にある関西電力の発電用重力式コンクリートダムです。
日本水力工業により大牧発電所の取水ダムとして1943年(昭和18年)に竣工、その後日本発送電を経て戦後の電力分割民営化により関西電力が事業継承しました。
ここで取水された水は4357メートルの導水路で山を越え庄川右岸にある大牧発電所に送られ、最大1万5600キロワットの発電を行っています。
 
現在利賀ダム下流では国交省北陸地方整備局によ同じ名前の多目的重力式コンクリートダムの建設工事が始まっており、国交省の利賀ダムの完成により関西電力の利賀ダムは水没する予定です。
このダム建設にからむ道路付け替え工事のため、利賀ダム(豆谷ダム)へと通じる道路はすべて関係者以外通行止めとなっておりダムを見学することは叶いませんでした。
できれば水没する前に利賀ダム(豆谷ダム)の雄姿を一目見てみたいものです。
 
 
0825 利賀ダム(豆谷ダム)
富山県南砺市利賀村大字押場字向上
庄川水系利賀川
31メートル
70メートル
関西電力
1943年

千束ダム

2016-10-05 20:43:07 | 富山県
2016年9月24日 千束ダム
 
千束ダムは富山県南砺市利賀村の庄川水系利賀川にある関西電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1973年(昭和48年)のオイルショックにより水力発電が見直され電力各社は既存ダムを活用した発電所の再開発や新規の水力電源開発を推進します。
庄川水系では関西電力が支流の利賀川に着目、1978年(昭和53年)に千束ダムを建設しました。ここで取水された水は約5.8キロの導水路で山を越え庄川沿いにある利賀川第2発電所に送られ最大3万1700キロワットの発電を行っています。
 
利賀川に沿って県道34号を南下すると千束ダムに到着します。
 
ゲートは関電ブラックのラジアルゲートが1門
連日の秋雨の影響で放流が行われています。
 
正面から。
 
ちょっとアングルを変えて。
 
右岸から
左岸に取水口があります。。
 
天端を俯瞰。
 
駐在した職員さんの話では融雪期の放流は珍しくないが、この時期にこれだけは水位が上がるのは珍しいとのことでした。
千束ダムのさらに上流には県営の利賀川ダムがありますが、利賀川ダムに通じる県道は災害のため今年は通行止め。
復旧を待ちたいと思います。
 
0860 千束ダム(0623)
富山県南砺市利賀村大勘場字千束
庄川水系利賀川
23.5メートル
143メートル
関西電力
1974年

祖山ダム

2016-10-05 20:00:52 | 富山県
2016年9月24日 祖山ダム
 
祖山ダムは富山県南砺市祖山の庄川本流にある関西電力の発電用重力式コンクリートダムです。
庄川水系では庄川水力電気が1925年(大正14年)に小牧ダムを着工、ついで大同電力の子会社昭和電力が祖山ダムを着工して1930年(昭和5年)に完成、祖山発電所で最大5万4300キロワットの発電を開始しました。
戦中戦後の日本発送電時代を経て、戦後庄川の発電事業は関西電力が継承し祖山ダムも関西電力の所有となりました。
1967年(昭和42年に)に新祖山発電所が増設され最大6万8000キロワットの発電能力を加え、両発電所合計最大12万2300キロワットの発電を行っています。
祖山ダムは戦前では5番目に高いダムとされ、その歴史的価値を評価されBランクの近代土木遺産に選定されています。
また庄川が大きく蛇行した場所に建設され庄川を堰き止める本堤と地山を隔てた副堰堤(祖山城ダム)で構成されており、副堰堤は上流から筏で流下された木材を引き上げる施設を兼ねていたようです。副堰堤はは堤高が15メートルに満たないのかダム便覧に記載はありません。
 
地図の赤線が本堤、緑線が副堰堤(祖山城ダム)になります。
 
国道156号旧道から
奥が本堤、手前が副堰堤です。
 
本堤をズームアップ
右岸2門の下に排砂ゲートらしきものが見えます。
 
副堰堤。
 
副堰堤の構造物。
ここで上流から筏で流下された木材を引き上げていたようです。
副堰堤の天端は車両通行禁止ですが地元のおじさんが車で乗り付け釣りをしていました。
 
 
左岸から。
 
上流面。
 
右岸に取水口があります。
 
祖山集落でダムを正面から見える場所を探して右往左往~
ここは杉の植林が邪魔。
 
ここは木の葉が邪魔、でも初春や落葉後ならもっときれいに見えそう。
 
祖山集落にある祖山発電所のサージタンク。
 
国道156号線沿いのパーキングに展示された祖山発電所で使用されていた水車ランナー。
 
0818 祖山ダム(0622)
富山県南砺市大字祖山
北緯度分秒,東経度分秒
DamMaps
庄川水系庄川
73.2メートル
132メートル
㎥/㎥
関西電力(株)
1930年
◎治水協定が締結されたダム

小原ダム

2016-10-05 17:59:15 | 富山県
2016年9月24日 小原ダム
 
小原で『おはら』と読みます。
小原ダムは富山県南砺市葎島の庄川本流にある関西電力の発電用重力式コンクリートダムです。
1939年(昭和14年)に電気事業の国家管理を目的に設立された日本発送電は小牧ダムや祖山ダムといった庄川流域の発電事業を継承するとともに、新たな電源開発に乗り出し1942年(昭和17年)に祖山ダム上流に小原ダムを建設し、小原発電所で最大4万5000キロワットの発電を開始しました。
戦後の電力分割民営化により庄川流域の発電事業は関西電力が継承、小原ダムと小原発電所も関西電力の所有となりました。
現在は小原発電所で最大4万5700キロワット、1980年(昭和55年)に増設された新小原発電所で最大4万5000キロワット、合計9万700キロワットの発電を行っています。
 
白川郷から国道156号を北上、富山県に入り五箇山インターを過ぎ小原トンネルを抜けると左手に小原ダムが見えてきます。
左岸に新小原発電所の、右岸に小原発電所の取水ゲートが見えます。
 
ダム下流の橋から小原ダムを正対できます。
クレストは関電ブラックの8門のラジアルゲート。
右岸に小原発電所があります。
 
ちょっとズームアップ。
発電所の下から勢いよく放流が続いています。
気になる堤体の三つの穴は建設時の横抗だと関電の職員さんが教えてくれました。
 
 
左岸から俯瞰
ダムと発電所に位置がよくわかります。
 
ダム上流側の丸いバルコニーが特徴的。
 
0824 小原ダム(0621)
富山県南砺市大字葎島字開地
庄川水系庄川
52メートル
152.8メートル
関西電力
1942年