ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

蜂屋調整池(蜂屋ダム)

2023-04-30 18:23:22 | 岐阜県
2023年4月20日 蜂屋調整池(蜂屋ダム)

蜂屋調整池は左岸が岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋、右岸が同市や天野山之上町にある水資源機構が管理する灌漑・上水・工水目的のアースフィルダムです。
木曽川用水上流部事業は、木曽川水系馬瀬川に1976年(昭和51年)に建設された岩屋ダムを水源とし、中部電力(株)上麻生堰堤を利用した白川取水口から岐阜県南部一帯の木曽川右岸地区に対し、農業用水、水道用水、工業用水を供給するもので、1969年(昭和44年)に着工され、1983年(昭和58年)に竣工しました。 
蜂屋調整池は1978年(昭和53年)に上飯田調整池とともに木曽川用水の取水管理の安定と水利用合理化を目的に幹線水路末端に建設されました。
なおダム便覧では蜂屋ダムと記載されていますが、水資源機構では『蜂屋調整池』の名称を使用しているため、ここではそれに従います。

木曽川用水上流部事業概要図(水資源機構HPより)  
  

ダム下流から
右岸側がわずかに折れた珍し形状
さすが水資源機構、下流面は芝生のように奇麗に整備されています。


ダム直下の放流設備。


ダム中段を管理道路が斜行します。


天端は通行禁止。
水資源機構に電話で確認したら、洪水吐までなら徒歩で入っても構わないとのこと。


総貯水位容量63万1000立米
河道外貯留ダムで集水のすべては白川取水口からの導水によります。

流入口をズームアップ。


左岸から
中央の施設は水位計
水位計の奥に取水設備があります。


上流面はロック材で護岸
奥に越流式洪水吐があります。


下流面
見た目ではわかりませんが、遮水方式は傾斜コア。


右岸の洪水吐。


洪水吐導流部。

1119 蜂屋調整池(蜂屋ダム)(1969) 
左岸 岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋 
右岸       同市山ノ上町 
木曽川水系木曽川用水
AWI
30メートル
144.5メートル
631㎥/479㎥
水資源機構
1978年 

今渡ダム

2023-04-29 18:04:25 | 岐阜県
2023年4月20日 今渡ダム

今渡ダムは左岸が岐阜県可児市今渡、右岸が同県美濃加茂市川合町1丁目の木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の曲線重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が続く木曽川水系では大正期より本支流での電源開発が活発化し、昭和初期には日本屈指の発電地帯となっていました。
しかし発電所の出力調整による水位変動は下流での灌漑用水の取水や漁業への影響が大きく看過できない状況となりました。
事態を打開するため木曽川で発電事業を行っていた大同電力と飛騨川で発電事業を行っていた東邦電力2社の共同出資により新たに愛岐水力(株)が設立され、同社によって1938年(昭和13年)に木曽川・飛騨川合流点直下に建設されたのが今渡ダムです。
今渡ダムは逆調整池として上流の発電所の出力調整による水位変動を緩和するほか、併せて建設された今渡発電所(最大出力2万キロワット)でダム式発電を行います。
ダム・発電所は1941年(昭和16年)に日本発送電に接収されたのち、1956年(昭和26年)の電気事業再編政令により関西電力が事業継承しました。
その後1995年(平成7年)に右岸に美濃川合発電所(最大出力2万3400キロワット)が新設され現在の今渡ダムの発電能力は計4万3400キロワットとなっています。
今渡ダムおよび今渡発電所は戦前の貴重な土木建築物としてBランクの近代土木遺産に選ばれています。

今渡ダム下流の国道21号線『新太田橋』から
堤高34.3メートル、堤頂長308メートル
19門のローラーゲートで木曽川を締め切ります。ゲートはもちろん関電ブラック。
向って左手(右岸)に美濃川合発電所、右手(左岸)に今渡発電所があります。
左右両岸に発電所のあるダムは珍しい。


6番ゲートと7番ゲートの間に舟筏流路があります。


右岸の遊歩道からダム下流の河原に下りることができます。
余りにも川幅が広いため、超広角じゃないと発電所も含めた全景が撮れません。
両発電所ともに常時発電を行っており、河川維持放流は発電所の放流水および魚道経由となります。


舟筏流路をズームアップ。


1995年(平成7年)に稼働した美濃川合発電所。
従来ゲート放流されていた水量の有効利用のため新たに建設されました。
発電所の擁壁とゲートの間に魚道があります。

右岸から今渡発電所を遠望。


ズームアップします。
ほぼ竣工当時の姿を残し、ダムともどもBランクの近代土木遺産に選ばれています。
ちょっとわかりづらいですが、発電所の左手のダム最左岸に塵芥流路があります。


美濃川合発電所取水ゲート
関電ブラックじゃない!


上流から見た取水工
手前には塵芥除去装置が並びます。


上流面
対岸に今渡発電所の取水工があるんですがちょっと遠すぎます。


左岸から
昭和10年代の設計らしい絨毯を広げたような平面的なシュート
滑り台のような舟筏流路はこのダムならでは。


残念ながら今渡発電所の撮影ポイントはほとんどありません。
左手が発電所建屋、奥に取水ゲートが見えます。
こちらは関電ブラック。


ダム直上をJR大多線が走っており、車窓からダム上流面がよく見えるようです。
今回はまだ次のダムが残っていたの乗車する時間的余裕がありませんでしたが、機会があれば列車から舟筏流路の上流側を見てみたいものです。

(追記)
今渡ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1067 今渡ダム(1968)
左岸 岐阜県可児市今渡 
右岸 岐阜県美濃加茂市川合町1丁目
木曽川水系木曽川
34.3メートル
308メートル
9470千㎥/4240千㎥
関西電力(株)
1939年
◎治水協定が締結されたダム

大井ダム

2023-04-28 18:00:00 | 岐阜県
2016年1月 9日 大井ダム
2023年4月20日
 
大井ダムは左岸が岐阜県恵那市大井町、右岸が同県中津川市蛭川の一級河川木曽川本流にある関西電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
水量豊富で急流が多い木曽川では大正中期より木曽電気製鉄(株)による電源開発が進められていました。
1921年(大正10年)に同社を含む3社の合併により新たに大同電力(株)が誕生、電力王と呼ばれた福沢桃介指揮のもと同社は木曽川での電源開発に邁進し、同社初の発電ダムとして1922年(大正11年)に大井ダムが建設着手されます。
大井ダム建設事業はわが国初の本格的コンクリートダム建設事業であり、海外の先端技術を導入し機械化が進められ、関東大震災による資金不足や洪水による堤体流失などの障害を乗り越え1924年(大正13年)に無事竣工しました。
併せて建設された大井発電所も1925年(大正14年)に運用を開始、最大出力4万2900キロワット(のちに4万8000キロワットに増強)は当時のわが国発電所の最大出力を誇りました。
大井ダム建設の成功は大同電力のみならず、例えば東信電気による阿賀野川の鹿瀬ダムなど他の電力各社の電源開発にも大きな影響を与え、まさに戦前日本のダム建設の金字塔ともいえる事業となっています。
大井ダム・発電所をはじめ木曽川水系の大同電力の発電施設は配電統制令により日本発送電に接収されたのち、1951年(昭和26年)の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承し現在に至っています。
木曽川は中部電力(株)の営業管内ですが、日本発送電の分割に際しては発生電力はどの地域に供給されるか?という『潮流主義』が採用され、阪神地域への送電線網を持つ木曽川の発電施設はほぼ関西電力が受け継ぎました。
その後1983年(昭和58年)に新大井発電所(最大出力3万2000キロワット)が新設、1997年(平成9年)には大井発電所の出力が5万2000キロワットに増強され、大井ダムの発電能力は計8万4000キロワットとなっています。

大井ダムは日本初の本格的ダムとしての評価が高くダムおよび発電所は土木学会選奨土木遺産に、ダムはAランク、発電所はBランクの近代土木遺産および近代化産業遺産に指定されています。
またダムは日本ダム協会による日本100ダムに、ダム湖の恵那峡はダム湖百選に選ばれています。

大井ダムには2016年(平成28年)1月に初訪しましたが、この時は日没間際で駆け足の見学となりました。
今回は晴天確率100%、影の少ない正午でのタイミングで満を持しての再訪です。

先ずは2015年(平成17年)に完成した県道82号バイパスの東雲大橋から。
水面からの高さは80メートルあり、まるで空撮のようなアングルでダムを俯瞰できます。
ここから見ると大正期に木曽川を締め切るダム建設事業がいかに難工事だったかが容易に想像がつきます。 
ダムの背後に聳えるのは日本百名山の恵那山。


堤体をズームアップ
21門のラジアルゲートで木曽川を締め切ります。
ゲートはもちろん関電ブラック。
湖面では浚渫船が稼働していますが、大井ダムの浚渫は川砂採取業者が行っています。


ダム下の東雲橋に移動します。
ここも大井ダム撮影の定番スポット
手前が1925年(大正14年)運用開始の大井発電所。
現在はピーク発電を行っていますが、訪問時岐阜県は気温30度に迫る季節外れの夏日。見学中の正午ちょうどに発電が開始されました。
右奥は新大井発電所でこちらは常時発電を行います。


木曽川左岸の阿木川合流点にあるのは中部電力(株)奥戸発電所
1921年(大正10年)竣工と大井発電所よりも歴史の古い発電所ですが、こちらは阿木川の水を利用した水路式発電所で大井ダムとの水利関係はありません。


発電所下流の支流和田川に流下する大井発電所のサージタンクからの余水吐流路。
擁壁や流路はすべて石積、石敷で竣工当時のものと思われます。


右岸発電所脇からサージタンクの下を通り天端へ向かいます。
サージタンクから大井発電所に伸びる水圧鉄管。
内径は306~370センチ、有効落差は42.42メートル。


大井ダムの特徴の一つ、エプロン直下のシュート。
ブロックを積み上げたような幾何学形状のシュートは大井ダムならでは。
さらに21番ゲートからの導流部も大きく転流する独特の形状。


右岸天端には各種記念碑や説明板が並びます。
こちらは福沢諭吉のレリーフで『独立自尊』の文字が刻まれています。
大同電力を率いた福沢桃介の義父であり、維新直後から水力発電による国家近代化を訴えた諭吉を顕彰しています。


こちらの記念碑には大井ダム・発電所建設事業に貢献した大同電力幹部、国内外技術者、さらに資金難に陥った大同電力に出資した海外投資家など13人のレリーフが嵌め込まれています。


左岸ダムサイトの新大井発電所取水ゲート
1983年(昭和58年)に増設されたためコンクリートやゲートは見た目にも新しい。

右岸から下流面
21門のゲートが並びます。
この後全国で建設される発電ダムの多くが大井ダムをモデルとしました。


左岸エプロン下のシュート。
減勢や河底洗堀防止目的ではありますが、染み出した錆色の骨材成分と相まってもはや芸術作品の領域。


新大井発電所の取水工
スクリーン上に除塵機が鎮座します。


天端は恵那峡遊歩道として開放されています。
大正期のダムということで照明や天端高欄の意匠も手が込んでおり、当時流行だったアールヌーボーやアールデコが多用されています。


天端から
右手に新大井・大井発電所
手前の橋が東雲橋、高架橋が東雲大橋。


右岸にある大井発電所取水工
背の高いクレーンは取水工周辺の浚渫用。


左岸から発電所・サージタンクを俯瞰
ここから見ると発電所やサージタンクの位置関係がよくわかります。


ズームアップ
撮影時は新旧発電所ともに運転中
発電所手前に擁壁がありますが、1983年(昭和58年)の台風10号により浸水被害が出たため、この擁壁が増設されました。


左岸ダムサイトから。

上流からゲートをズームアップ。
この写真のみ初回訪問時のものです。
 
このブログでは一つのダムについては投稿写真を10枚超に抑えるようにしていますが、さすが大井ダム。
見どころが多く添付写真は20枚に膨らんでしまいました。
大井ダムだけに見どころも写真も『多い』…ちゃんちゃん・・・

(追記)
大井ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1057 大井ダム(0180)
近代化産業遺産
左岸 岐阜県恵那市大井町
右岸  同県中津川市蛭川
木曽川水系木曽川
53.4メートル
275.8メートル
29400千㎥/9250千㎥
関西電力(株)
1924年
◎治水協定が締結されたダム

上平第一溜池

2023-04-27 18:32:21 | 岐阜県
2023年4月20日 上平第一溜池

上平(うわだいら)第一溜池は岐阜県恵那市三郷町野井の庄内川水系土岐川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
恵那市三郷町野井地区は『上平』の通称が示すように土岐川左岸丘陵上に位置し、水利に乏しく農地開拓には安定した水源確保が必須となっていました。
大正期に入り貯水池建設機運の高まりを受け耕地整理組合が結成され、組合による事業で1925年(大正14年)に建設されたのが上平第一溜池です。
その後上下流に第二、第三溜池が築造され併せて約7万立米の貯水容量が確保されました。
現在は恵那土地改良区が管理を行い、引き続き野井地区に灌漑用水を供給しています。

恵那市三郷町野井の大規模農道『東美濃ふれあい街道』沿いに溜池への入口があります。溜池に通じる道路にはチェーンが張られているため、ここに車をデポし徒歩で溜池に向かいます。

溜池までは約1キロ、15分ほどの行程ですが東海自然歩道にもなっており歩く分には全く問題ありません。
狭い谷に急傾斜で盛り立てられているためか?真下から見上げた堤体は堤高17メートルよりもはるかに高く見えます。
天端への道が堤体に九十九折れにつけられています。
左岸(向かって右手)には洪水吐斜水路。


ダム下の底樋管。
野井地区ではちょうど田植え準備が真っ盛り、水が勢いよく流れています。


底樋管からの水は洪水吐に合流します。
専用の灌漑用水路はなく川を通じて用水補給を行うようです。


堤体につけられた九十九折れの道
東濃地方では花崗岩が広く分布しており、擁壁にも花崗岩の切石が谷積みされています。


天端
草は刈られていますが、轍はありません。
そばを東海自然歩道が通っているためか?貯水池側にはフェンスが張られています。


天端からの眺め
ダムの下流は杉林が続きます。
受益地となる野井地区の農地は1キロ以上下流になります。


総貯水容量5万4000立米と小さな溜池です。
『山中にひっそりと佇む』という飾り言葉がぴったり。


左岸の洪水吐脇から見た上流面。


草が生えていますが、上流面も花崗岩の切石で護岸。
たぶん竣工当時のものがそのまま残っていると思われます。


左岸の洪水吐
越流堤はなく流路がわずかに高くなっています。


洪水吐導流部
こちらの擁壁も谷積み。
写真ではわかりませんが、流路にも石が敷かれています。


地形図を見ると受益地の野井地区は水利が乏しいのが一目瞭然。
小さな溜池ですがよく整備された様を見ても貴重な灌漑用水源であることがわかります。
また、九十九折れの道路擁壁や上流面、洪水吐などに竣工当時のままと思しき花崗岩の石積みが多々残り、なかなか見ごたえのある溜池です。
一方で取水設備の写真を撮るのをすっかり失念していました。
ダム便覧フォトアーカイブスを見ると右岸にシャフト一本の斜樋があるようです。

1058 上平第一溜池(1967)
ため池データベース 212100246 
岐阜県恵那市三郷町野井
庄内川水系土岐川左支流


17メートル

80メートル
54千㎥/54千㎥
恵那土地改良区
1925年

保古の湖

2023-04-26 18:33:11 | 岐阜県
2023年4月20日 保古の湖

保古の湖(ほこのこ)は岐阜県恵那市東野の木曽川水系小野川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
岐阜県中津川市と恵那市境界上にある保古山山頂平坦部には上流側に根の上湖、下流側に保古の湖と2基の灌漑用貯水池が並びます。
一帯は根の上高原と呼ばれ風光明媚な景観が広がり、高度成長期よりゴルフ場や別荘地、キャンプ場などリゾート開発が進み「東海の軽井沢」と呼ばれる保養地となりました。
保古の湖は1924年(大正13年)に完成、保古の湖用水管理組合が管理し小野川下流の飯沼川から阿木川流域農地に灌漑用水を供給しています。
ため池データベースでは堤高19.3メートルとダムの要件を満たしていますが、ダム便覧には未掲載です。
根の上湖 と保古の湖は上下に連続する溜池ですがそれぞれ管理者と灌漑用水の供給先が異なっているのが興味深いところです。

下流面は犬走を挟んで二段構成。
根の上湖 と異なり下流面はきれいに草が刈られています。 




天端は舗装路ですが、関係者以外通行禁止の表記があったので立ち入りは自重しました。


貯水池の説明板かと思ったらボートの案内だけ。


上流面
満水なので見えませんが、コンクリートで護岸されています。|


右岸の斜樋。
斜樋のある半島の向こう側に越流式洪水吐があります。


浮桟橋に並ぶボート群
湖面は管理釣り場でワカサギ釣り場として知られています。


総貯水容量は75万8000立米で根の上湖 のほぼ2倍。 

ダム便覧未掲載のため軽く写真を撮っただけでしたが、帰宅後調べると明らかに『ダム』。
天端やダム下も見学が可能なようですので、機会があれば改めて訪問するとともに、細かな諸元等をまとめてダム協会に報告したいと思います。

保古の湖
ため池データベース 212100201 
岐阜県恵那市東野
木曽川水系小野川

19.3メートル
168メートル
758千㎥/758千㎥
保古の湖用水管理組合
1924年

根の上湖

2023-04-25 18:12:57 | 岐阜県
2016年10月22日 根の上湖
2023年 4月20日

根の上(ねのうえ)湖は岐阜県中津川市手賀野の木曽川水系小野川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
岐阜県中津川市と恵那市境界上にある保古山山頂平坦部には上流側に根の上湖、下流側に
保古の湖と2基の灌漑用貯水池が並びます。
一帯は根の上高原と呼ばれ風光明媚な景観が広がり、高度成長期よりゴルフ場や別荘地、キャンプ場などリゾート開発が進み「東海の軽井沢」と呼ばれる保養地となりました。
根の上湖は岐阜県営事業により1964年(昭和39年)に建設され、茄子川用水路管理組合が管理を受託し保古山北麓の中津川市茄子川地区に灌漑用水を供給しています。
ダム便覧では堤高15メートルとなっていますが、ため池データベースでは14.7メートルとなっており、ダムの要件を満たしていません。
また便覧では河川が百々川になっていますがこれも誤りで正確には小野川です。

一方下流側の保古の湖は保古の湖用水管理組合が管理し小野川下流の飯沼川から阿木川流域の農地に灌漑用水を供給しており、上下に連続する溜池で管理者や用水の供給先が異なっているのが興味深いところです。
ちなみに保古の湖はため池データベースでは堤高19.3メートルとダムの要件を満たしていますがダム便覧には未掲載です。

根の上湖には2016年(平成28年)10月に訪問しましたが、当時は改修工事中で立ち入りできず2023年(令和5年)4月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。

根の上高原はツツジの群生が多く湖畔はこれからが見ごろ、丘の上には『幸せの鐘』が建っています。

湖畔の芝生広場にある野外ステージ。
湖畔にはほかにも森林キャンプ場やコテージなどレクリエーション施設が整備されています。


右岸のボート乗り場。


左岸洪水吐にかかる管理橋。


洪水吐導流部
このまま下流の保古の湖に流れ込みます。


すぐ下流に保古の湖があるためか?根の上湖の洪水吐に越流堤などは見られません。


上流面はコンクリートブロックで護岸
前回訪問時の改修工事で刷新されたものです。


貯水池は総貯水容量33万2000立米。
満水です。


天端
花崗岩地帯らしく真砂土が敷かれています。
奥には日本百名山の恵那山。


右岸から上流面。
手入れの余裕がないのか?敢えて放置しているのか?定かではありませんが、改修から間がないにもかかわらずかなりの小松が茂っています。


右岸の斜樋
取水された水は山の反対側の中津川市茄子川地区に送られます。


堤体直下は樹林帯で、下流面にも草木が茂っています。
下流面全体を見る場所はなくこれが精いっぱい。
堤体直下には盛り土が施されているようで、見た目の高さは6~7メートルほど。

貯水池を周回する遊歩道が整備され、湖畔には林間キャンプ場もあり豊かな自然を満喫できます。
保古の湖と上下2連の溜池を形成していますが、管理者が異なり灌漑用水の供給先も別々なのは興味深い点です。
池建設に当たってはそれぞれの水利権の調整が大変だったのではないでしょうか?

3436 根の上湖(0662)
ため池データベース 212060250 
岐阜県中津川市手賀野
木曽川水系小野川


15メートル(ため池データベース 
14.7メートル
166メートル(ため池データベース 163メートル)
332千㎥/332千㎥
茄子川用水路管理組合
1964年

大郷戸ダム

2023-04-08 18:00:00 | 栃木県
2015年12月04日 大郷戸ダム
2023年 3月20日
 
大郷戸ダムは栃木県芳賀郡益子町大郷戸の利根川水系小貝川左支流松本川にある灌漑目的のロックフィルダムです。
益子町では灌漑用水源を小貝川および小規模溜池に依存していましたが、用水不足が絶えず安定した水源確保と灌漑設備の整備が求められていました。
1976年(昭和51年)に農林省(現農水省)の補助を受けた県営かんがい排水事業及び圃場整備事業が着手され、その灌漑用水源として1986年(昭和61年)に竣工したのが大郷戸ダムです。
管理は益子町土地改良区が受託し、約400ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。

益子といえば益子焼を連想しますが、大郷戸は『水と緑の大郷戸』をキャッチフレーズに豊かな自然との共生を図っており、ダム湖岸には遊歩道や親水設備が設けられているほか、ダム回りの丘陵地は『大郷戸アルプス』として登山道が整備されています。
大郷戸ダムには2015年(平成17年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。

ダム下の放流設備(2015年12月4日)。


ロックフィルダムですが堤体には芝が張られ見た目はアースっぽくなっています。
(2015年12月4日)


右岸ダムサイトの管理事務所
職員の常駐はありません。
初回訪問時は多数の釣り師が釣り糸を垂れていましたが、今は釣り禁止。
釣り糸をはじめゴミの放棄など行状の悪さによる自業自得です。


天端をはじめダム湖を周回する道路は車両の通行ができます。


総貯水容量は28万9000立米。
関東では珍しく自然林に囲まれています。
紅葉は素晴らしいだろうなあ。


天端から
ダム下は杉林、リップラップは秋冬に草が刈られます。


左岸の洪水吐斜水路
減勢工には1枚目写真の放流設備からの河川維持放流が流れ込んでいます。


左岸の横越流式洪水吐。


上流面はロック材で護岸。
唯一ロックフィルダムが確認できるパート。


関東では珍しい取水塔
陽に照らされ赤が鮮やか。


湖岸の記念碑。


ダム湖上流にある副ダム。
貯砂ダムと言うよりは親水設備として作られたようです。
対岸に歩いて渡ることもできます。


インレットは芝生の公園になっています。


ダム湖上流湖畔には遊歩道が設けられています。


 かつては釣りスポットとして知られた大郷戸ダムですが、釣りが禁止となり今はひっそり。
環境整備は素晴らしく、桜のや紅葉の季節にお弁当でも持参してのんびり過ごしたいダムです。

0579 大郷戸ダム(0079)
栃木県芳賀郡益子町大郷戸
利根川水系松本川
27.7メートル
150メートル
289千㎥/274千㎥
益子町土地改良区
1986年

菅又調整池

2023-04-07 18:00:00 | 栃木県
2015年12月04日 菅又調整池
2023年 3月20日
 
菅又調整池は栃木県芳賀郡茂木町下菅又にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
栃木県南東部に位置する芳賀台地は地味肥沃ながら水利に乏しく、生産性向上のため灌漑施設の整備が強く求められてきました。
1982年(昭和57年)に農水省による国営芳賀台地農業水利事業が着手され、栃木県が建設を進める東荒川ダムに特定灌漑容量を確保するとともに、灌漑施設の整備が進められその調整池として2002年(平成14年)に竣工したのが菅又調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、6町にまたがる約2700ヘクタールの田畑向けの灌漑設備が整備されました。
管理は併せて建設された塩田調整池などとともに芳賀台地土地改良区が受託しています。
事業の竣工により首都圏から100キロ圏内と言う立地の良さを生かし効率的な近郊農業経営が可能となりました。
菅又調整池には2015年(平成17年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。
 
茂木から国道294号を北に進むと左手に菅又調整池が見えてきます。
ダム下の建屋は揚水機場。


クレスト自由越流頂1門の簡易な洪水吐。


ダムサイトに上がります。
農業用ダムではおなじみ事業概要説明板。


天端にはチェーンが張られています。
塩田調整池訪問時に土地改良区で確認したところ、徒歩での立ち入りはOKとのこと。


上流面。


天端から
手前は放流設備、奥は揚水機場
減勢工は隧道を流下し100メートルほど先で小川に合流します。
菅又調整池の自己流域はわずかで集水の大半は塩田調整池からの導水によるため、簡易な洪水吐や減勢工で十分なんでしょう。


総貯水容量49万立米の貯水池。
集水の大半は塩田調整池からの導水によります。
導水路流入口は立ち入り禁止の上流側にあり見ることはできません。


日本家屋風?の取水設備機械室。


右岸から
堤高28.4メートルで堤頂部の『襟』がずいぶん大きく見えます。


天端は2車線幅ありますが、車両進入禁止。


右岸には駐車場らしきものがあります。
当所は塩田調整池同様親水施設として利用するつもりだったのでしょう。


洪水吐と取水設備。


3279 菅又調整池(0080)
栃木県芳賀郡茂木町菅又 
那珂川水系荒川
28.4メートル
105メートル
490㎥/488㎥
芳賀台地土地改良区
2002年

塩田調整池

2023-04-06 18:00:00 | 栃木県
2015年12月04日 塩田調整池
2023年 3月20日
 
塩田調整池は栃木県芳賀郡市貝町塩田にある灌漑目的のロックフィルダムです。
栃木県南東部に位置する芳賀台地は地味肥沃ながら水利に乏しく、生産性向上のため灌漑施設の整備が強く求められてきました。
1982年(昭和57年)に農水省による国営芳賀台地農業水利事業が着手され、栃木県が建設を進める東荒川ダムに特定灌漑容量を確保するとともに、灌漑施設の整備が進められその調整池として2000年(平成12年)に竣工したのが塩田調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、6町にまたがる約2700ヘクタールの田畑向けの灌漑設備が整備されました。
管理は併せて建設された菅又調整池などとともに芳賀台地土地改良区が受託しています。
事業の竣工により首都圏から100キロ圏内と言う立地の良さを生かし効率的な近郊農業経営が可能となりました。

ダムに隣接して整備された芝ざくら公園は関東屈指の芝さくら公園として開花期には人気の観光スポットとなっているほか、ダム湖の『芳那の水晶湖』 も渡り鳥の休息地として知られ、冬場には多くの野鳥を見ることができます。
塩田調整池には2015年(平成17年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
日時掲載写真以外はすべて再訪時のものです。

ダム下から
ロックフィル堤体ですが芝が張られ見た目はアースのようです。
凍上防止のため北海道などではロックフィルに芝が張られるケースが多々ありますが関東では珍しい。
向って左手(右岸)は洪水吐斜水路。
右手の建屋は浸透水観測所、左手は放流設備、青い鉄管は斜樋からの水路管。


ダム下には塩田揚水機場があります。
取水設備からの水がここで二つの幹線水路に揚水されます。


ダム上流から
『芳那の水晶湖』と名付けられたダム湖は総貯水容量は158万立米
集水はほぼすべて荒川からの導水によります。


ズームアップ
右手に斜樋、左手に越流式洪水吐があります。
湖畔には東屋が設けられるなど公園として整備されています。


右岸高台から
堤体は下流側から左岸に伸び堤頂長は460メートルに及びます。


森田頭首工からの流入口
訪問時は水田向け非灌漑期のため流入はなし。


右岸にある越流式洪水吐。(2015年12月4日)


洪水吐導流部
この先、1枚目写真の斜水路を流下します。


天端から
1枚目写真はちょうどこの下から撮りました。
手前建屋は浸透水観測所、青い鉄管は斜樋からの水路管、左手に半身で見えるのが揚水機場。


左岸から下流面
ロックフィルですが芝が張られ、草も伸びています。


天端は徒歩のみ開放
高台の建物は土地改良区地事務所
森田頭首工以下全ての施設をここで管制します。


右岸の斜樋
ここで取水された水が2枚目写真の揚水機場に送られます。

芳賀台地土地改良区ではパンフレットを作成して管理施設の紹介をしています。
詳しくはこちらをクリック。

3153 塩田調整池(0081) 
栃木県芳賀郡市貝町塩田 
那珂川水系荒川
29メートル
460メートル
1580㎥/1577㎥
芳賀台地土地改良区
2000年

西古屋ダム

2023-04-04 18:35:00 | 栃木県
2015年10月31日 西古屋ダム
2023年 3月20日
 
西古屋ダムは栃木県塩谷郡塩谷町船生の一級河川利根川水系鬼怒川左支流白石川にある東京電力リニューアブルパワー(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編政令により新たに誕生した東京電力は戦後の電力不足に対処するため積極的な電源開発や既設発電施設の増強を進めます。
鬼怒川水系では流域最大の発電能力を持つ下滝発電所の再開発に着手、1963年(昭和38年)に鬼怒川発電所として生まれ変わり、発電能力は従来の4万3000キロワットから12万7000キロワットに大幅増強されました。
一方で、従来下滝発電所の逆調整池の機能を担っていた中岩ダムでは増強された新発電所の水位変動を吸収することは不可能なため、鬼怒川左支流白石川に新たな逆調整池として西小屋ダムを建設するとともに、鬼怒川発電所放流口から当ダムへの導水トンネルを開削しました。
西古屋ダムは鬼怒川発電所と同じ1963年(昭和38年)に完成し、鬼怒川発電所の放流水の水量調整を行うとともに、併せて建設された塩谷発電所(最大出力9200キロワット)でダム式発電を行います。
全国には多くの発電用逆調整池がありますが、西古屋ダムのように河川変更による逆調整池は非常に珍しい存在と言えます。
西古屋ダムには2015年(平成17年)10月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
日時掲載写真以外はすべて再訪時のものです。

ダムには左右両岸からアプローチできますが、まずは右岸から
右岸の堤体は川からさらに50メートル以上続いています。
盛土されたのか?基礎地盤の関係でこうなったのか?

アングルを変えて。


右岸から超広角で
右岸ダム下に放流設備と分水工があります。
ここではダム建設以前からの既得灌漑用水と河川維持放流を分水します。


分水工をズームアップ
左手が河川維持放流、ゲートの先が灌漑用水路となります。
訪問時は非灌漑期のため、ゲートが閉められ河川維持放流が左手から白石川に流下します。
灌漑期になるとゲートが開けられ余水が河川維持放流となります。


洪水吐としてクレスト自由越流頂7門を備えています。
下の穴は排砂ゲート。


左岸から
写真左下に河川維持放流が見えます。(2015年10月31日)


転流工トンネル。(2015年10月31日)


左岸から天端
初回訪問時は天端への立ち入り規制はありませんでした。
現在は立ち入り禁止となっています。(2015年10月31日)


水利使用標識。


天端から減勢工を見下ろす
集水の大半が鬼怒川からの導水によるためか?水叩きだけの簡易な減勢工。
(2015年10月31日)


堤体右岸側にあるフローティング式の取水設備
ここで取水された水が3枚目、4枚目写真の分水工に送られます。
(2015年10月31日) 


上流面
手前が塩谷発電所向け取水工
奥の取水塔は今は稼働してないようです。


総貯水容量54万7000立米の貯水池。
白石川の集水域はわずか3%で貯水量の大半は鬼怒川からの導水に依ります。


鬼怒川からの導水路吐口。
 
(追記)
西古屋ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0562 西古屋ダム(0027) 
栃木県塩谷郡塩谷町船生 
利根川水系白石川
21.5メートル
189.7メートル
547㎥/400㎥
東京電力リニューアブルパワー(株)
1963年
◎治水協定が締結されたダム

金沢調整池副堤

2023-04-03 18:00:00 | 福島県
2015年12月20日 金沢調整池副堤
2023年 3月19日
 
金沢(かねざわ)調整池副堤は福島県郡山市田村町金沢の阿武隈川水系上石川左支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
金沢調整池三春ダムを水源とした農業用水の調整池で、郡山市東部土地改良区が管理をしています。
調整池がサーチャージ水位まで貯留した際に貯水池南側から水が溢れてしまうため、主ダムのほかに高さ22メートル、全長152.2メートルの副ダムが設けられています。
金沢調整池副堤には2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真は日時記載以外はすべて再訪時のものです。
 
堤体は犬走を挟んで2段構成
手前の建屋は浸透水観測所。


副ダムのため洪水吐はありません。


天端はアスファルト舗装されていますが、ゲートがあり徒歩のみ開放。


天端から
副堤周辺は郡山市東部森林公園として整備されましたが、現在除染物資の仮置き場となっており公園は立ち入り禁止。
ダム直下には駐車場もありますが閉鎖中。


貯水池越しに主堤と管理棟を遠望
管理棟は郡山市東部土地改良区の事務所になっています。


ズームアップ。


上流面はロック材で護岸。(2015年12月20日)
 
主堤から遠望。
 
3346 金沢調整池副堤(0131)
福島県郡山市田村町金沢
阿武隈水系上石川
22メートル
152.2メートル
1371㎥/1331㎥
郡山市東部土地改良区
2001年

金沢調整池

2023-04-02 18:00:00 | 福島県
2015年12月20日 金沢調整池
2023年 3月19日
 
金沢(かねざわ)調整池は福島県郡山市田村町金沢の阿武隈川水系上石川左支流にある灌漑目的の重力式コンクリートダムです。
郡山市東部の阿武隈川右岸丘陵地は年間降水量1200ミリの少雨に加え複雑な地形が災いし、農家の大半は零細な営農を余儀なくされていました。
1979年(昭和54年)に農水省による国営農地開発事業郡山東部地区が着手され、同省は建設省の三春ダム建設事業に参加し特定灌漑容量を確保するとともに、新規農地開発・圃場整備・灌漑施設の整備が進められその調整池として2001年(平成13年)に竣工したのが金沢調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、郡山東部地区約1500ヘクタールへの用水補給が開始されました。
管理は併せて建設された高柴調整池 などとともに郡山市東部土地改良区が受託しています。
金沢調整池は郡山市東部地区約1500ヘクタールの農地のうち南部の約1000ヘクタールを受け持ち、余剰期に揚水して貯留し、水量不足時及び三春ダムでの取水が中断される4月に用水補給します。
また金沢調整池は重力式コンクリートの本ダムとアースフィルので構成されていますがここでは本堤のみ取り上げ、については別項で記載することにします。
金沢調整池には2015年(平成27年)12月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。

ダム下から
洪水吐はクレスト自由越流頂2門だけで手前は放流設備。
集水の大半は三春ダムからの導水により事実上の河道外貯水ダムのため、簡易な洪水吐で十分なようです。 


ダム下の金沢揚水機場
三春ダムから導水された水を金沢調整池および末端の幹線水路に揚水します。


右岸ダムサイトには管理棟を兼ねた福島市東部地区土地改良区の事務所があり、門前に説明板や記念碑が建てられています。


天端は徒歩のみ通行可能で、周回道路で貯水池を一周できます。


右手の建屋は取水及び導水操作室
湖面に浮かぶのがヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備。


ヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備をズームアップ。
水中に『く』の字型の昇降機があり水位に合わせて表層取水を行います。


天端から
右手は放流設備、奥は金沢揚水機場。

総貯水容量137万1000立米の調整池
4月は三春ダムでの取水が一時的に中断されるため、それに備えてほぼ満水。


貯水池の対岸にある


左岸から
堤頂長247.8メートルの横長ダム。


上流面
堤体にビルトインされているのが取水及び導水操作室
右手に浮かぶのがヒンジパイプ昇降型フロート式取水設備。

から遠望
右手の建物が郡山市東部土地改良区事務所で、ここで灌漑設備全般の管制を行います。

貯水池周辺は郡山市東部森林公園として整備されており、本来なら市民の憩いの場となるはずです。
しかし、公園が除染物資の仮置き場となっているため今は使用禁止となっています。

0532 金沢調整池(0130)
福島県郡山市田村町金沢 
阿武隈水系上石川 
 
 
30.8メートル 
247.8メートル 
1371㎥/1331㎥ 
郡山市東部土地改良区 
2001年 

高柴調整池

2023-04-01 18:00:00 | 福島県
2016年4月10日 高柴調整池
2023年3月19日
 
高柴調整池は福島県郡山市西田町高柴にある灌漑目的のアースフィルダムです。
郡山市東部の阿武隈川右岸丘陵地は年間降水量1200ミリの少雨に加え複雑な地形が災いし、農家の大半は零細な営農を余儀なくされていました。
1979年(昭和54年)に農水省による国営農地開発事業郡山東部地区が着手され、同省は建設省の三春ダム建設事業に参加し特定灌漑容量を確保するとともに、新規農地開発・圃場整備・灌漑施設の整備が進められその調整池として2001年(平成13年)に竣工したのが高柴調整池です。
農業水利事業全体も2004年(平成16年)に竣工し、郡山東部地区約1500ヘクタールへの用水補給が開始されました。
管理は併せて建設された
金沢調整池 などとともに郡山市東部土地改良区が受託しています。
高柴調整池は郡山市東部地区約1500ヘクタールの農地のうち北部の約500ヘクタールを受け持ち、余剰期に揚水して貯留し、水量不足時及び三春ダムでの取水が中断される4月に用水補給します
高柴調整池には2016年(平成28年)4月に初訪、2023年(令和5年)3月に再訪しました。
写真はすべて再訪時のものです。
 
ダム下から
堤高24.3メートルと言うことですが、見た目の高さは15メートルほど
基礎岩盤からの高さが24.3メートルと言うことなんでしょう。


右岸ダムサイトの説明板


右岸の洪水吐
非常に珍しいシャフト式(竪坑落下式)洪水吐で、竪坑から隧道で南側を流れる大平川に流下します。
同じタイプの洪水吐を持つダムとしては香川の逆瀬池があります。


アングルを変えて
竪坑の先は隧道になっており越流した水は池の南側を流れる大平川に流下します。


下流面は犬走を挟んで2段構成
秋冬に草が刈られたようですが背の高い枯れ草が残っています。
堤体への立ち入りを阻止するために敢えて背丈を残して刈っているのか?


天端
わずかに轍が残っていますが、今は車両進入禁止。


総貯水容量11万5000立米と小ぶりな溜池サイズ。
貯留のほぼすべては三春ダムからの導水によります。
4月の三春ダムでの取水の一時中断に備えてほぼ満水。


ダム下の調圧水槽。

上流面はロック材で護岸
奥に斜樋が見えます。
左手は一般の民家。


左岸上流側から洪水吐と斜樋
斜樋の右手に細い水路は流入口。
三春ダムからの導水はここから流入します。


ダムの南約600メートルにある高柴揚水機場
余剰期にはここから調整池に揚水し、不足期には調整池から水を逆行させ補給します。

0534 高柴調整池(0307)
福島県郡山市西田町高柴
阿武隈川水系大平川
24.3メートル
128メートル
115千㎥/111千㎥
郡山市東部土地改良区
2001年