ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

千五沢ダム(再)試験湛水

2024-01-31 08:13:23 | 試験湛水
2023年 12月31日 千五沢ダム(再)試験湛水サーチャージ

既設の農業用ダムを多目的ダム化する
『千五沢ダム再開発事業』の最終局面である試験湛水が2023年(令和5年)10月より開始されました。
そこで試験湛水が大詰めを迎えた同年12月14日、さらにサーチャージに到達した12月31日および翌2024年(令和6年)1月1日と2度にわたり千五沢ダムを訪問しました。
千五沢ダム再開発事業では新たにラビリンス洪水吐が設けら、希少なラビリンスからの越流が見られるということで多くのダム愛好家がサーチャージ到達を待ち望んでいました。

ここでは上記三日間にわたる様子を時系列で紹介したいと思います。

2023年 12月14日

すでに再開発事業の大半は終了、最後の作業のためクレーンが残っています。


白い建屋は新たに設けられた水位低下用放流設備。


サーチャージ到達まであと70センチ。
1日に5センチずつ水位が上昇しています。








2023年 12月31日

年末年始にかけてサーチャージ到達というニュースを受けて、急遽二本松に宿を取り千五沢ダムを訪れることに。
12月31日は風もなく穏やかな日和。
前回あったクレーンも撤去されすっきりした眺め。




ダム下や湖岸の整備も終わっています。
管理が県土整備部に移管されたのち、ダム下・天端が開放される見込み。


風や波がなく、じっと目を凝らさないと越流が確認できません。
コンクリートが濡れているので越流してるんだとわかる程度。




うっすらとした越流ですが、穏やかな水面とラビリンス洪水吐との断絶感が何とも言えません。




ダムの下流から。


こちらでは美しい転波が見られます。




ズームアップすると越流の様子がよくわかります。

2024年1月1日

午前10時から放流ゲートを開放するということで、9時前にダムに到着。
展望所には多くのダム愛好家が集まり、まるで賀詞交歓会の様相。
夜半に風雨があった影響で風が強く湖面も波立っています。


おかげで前日よりも荒々しい越流が見られます。


特に2番ゲートの越流が激しい。






許容範囲ですが洪水吐の敷高がわずかに揃わず、2番ゲートからの越流が激しくなってしまいました。


10時前に放送があり放流ゲート開放。


下流側に向かいます。


ゲートからの放流がよくわかります。


前日とは水勢が大違い。






依然越流は続いており、越流と放流の二本立て。


再び展望所に戻ります。
水位が若干低下したせいか、先ほどよりも越流も穏やかになりました。


これまで、サーチャージにはあまり興味がなく人生初サーチャージ体験となりました。
貴重なラビリンス堤体からの越流を見れたこともさることながら、多くのダム愛好家の皆さんの既知を得たことの方が大きな収穫となりました。
今年は熊本の立野ダム、試験湛水3年目の三重の川上ダム、4年目の香川の椛川ダムなどサーチャージイベントが続きますが、可能であればまた現地に赴きたいと思います。

南摩ダム

2024-01-24 08:00:00 | 栃木県
2023年 3月20日 南摩ダム
2023年12月15日
 
南摩ダムは栃木県鹿沼市上南摩の利根川水系南摩川に水資源機構が建設中の多目的ロックフィルダムです。
利根川・荒川水資源開発基本計画 の一環として1969年(昭和44年)に利根川水系渡良瀬川の主要支流である思川での河川総合開発計画が採択され、その中核施設として南摩ダム建設事業が着手されました。
しかし用地買収の難航に加えバブル崩壊以降の利水需要の低減や公共工事見直し機運の高まりなどもあり事業は停滞します。
2016年(平成28年)に国土交通省は思川開発事業の『継続』を決定、これを受けダム建設事業が本格的に始動し、2020年(令和2年)より本体工事が着手され2024年(令和6年)竣工をめどに現在は堤体盛り立て工事が行われています。
完成の暁には、思川水系の洪水調節(最大150立米/秒の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、異常渇水時の用水補給、栃木県南部・埼玉県および北千葉広域水道企業団への上水道用水の供給を目的として運用される予定です。

南摩ダム最大の特色は遮水方式としてコンクリート表面遮水壁型が採用された点です。
コンクリート表面遮水壁型ロックフィルダム(CFRD)は戦後間もなくの初期のロックフィルダムで複数採用されたものの、コンクリートの変形や劣化など耐久性に問題があり長く採用されることはありませんでした。
しかし技術革新によりこの問題が克服され、国内ダムの主堤体としては1972年(昭和47年)の岩手県の荒沢1号ダム以来実に50数年ぶりの建設となります。
事業を担当する水資源機構思川開発建設所で伺ったところCFRDを採用した一番の理由は『工期の短縮』。
CFRDはコア型ロックフィルダムに比べて堤体積の大幅削減が可能で工期の短縮、敷いては経費削減にもつながるとのことです。

ダムは南摩川に建設されますが、139.3平方キロの集水域のうち自己流域は12.4平方キロのみでその9割以上は思川主要支流の黒川及び大芦川からの導水によります。
黒川、大芦川にはそれぞれ取水放流工を設け南摩ダムへ導水する一方、渇水時には南摩ダムから両河川へ補給を行い河川流量を維持します。
また東日本のダムとしては初めて『渇水対策容量』が配分され、異常渇水時には1000万立米を利根川水系に補給します。

取水・放流工及び導水路(水資源機構思川開発建設所HPより)
黒川、大芦川から導水するだけではなく、渇水時にはダムから両河川に補給を行う双方向の導水路になっている点が特徴。
農業調整池では双方向の導水はままありますが、多目的ダムでは初めての例ではないでしょうか?

南摩ダムには2023年(令和5年)3月に初訪、同年12月に水資源機構職員様案内による見学会で再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
残念ながら見学会に際して工事現場内での写真はダムが完成するまでアップしないという条件となっています。

建設現場は左岸ダム上流側に設けられたダムサイト展望広場から遠望できます。
訪問時は堤体の盛り立てが佳境に入っていました。
(2023年3月20日)


南摩ダムの売りである、コンクリート表面遮水壁の建設作業はまだこれから。
(2023年3月20日)

右岸接岸部ではプリンスの設置工事が行われています。
(2023年3月20日)


見学会の開始前に展望台から
左岸側(向かって右手)からフェイススラブ(コンクリート表面遮水壁)の打設が始まっています。
また左岸では取水塔が8分程度出来上がってきました。
(2023年12月15日)


残念ながらこの日は雨予報のためメインスラブの打設は中止。
スリップフォーム(移動式型枠)には白いシートがかかっています。
(2023年12月15日)


左岸の管理棟建設も順調に進んでいます。
(2023年3月20日)

こちらはダム湖上流の南摩注水工の建設現場
大芦川・黒川からの導水がここから注水される一方、渇水時には南摩揚水機場からここ経由で大芦川・黒川に補給されます。
(2023年12月15日)


大芦川の取水放流工建設現場。
(2023年12月15日)


黒川の取水放流工建設現場。
(2023年12月15日)


ダム湖上流の原石山。
(2023年12月15日)


たぶん関東では水資源機構が手掛ける最後のダムになるであろう南摩ダム。
CFRDと言う型式以外にも特徴が多く、堤体完成後や試験湛水時も再訪したいものです。

0576 南摩ダム(1966)
栃木県鹿沼市上南摩町
利根川水系南摩川 
FNW 
 
86.5メートル 
359メートル 
51000千㎥/50000千㎥ 
水資源機構 
2024年竣工予定

三ツ森ダム見学・三ツ森ダム非灌漑期『ダム研見学会』

2024-01-23 08:00:00 | ダム見学会
2023年 3月17日 三ツ森ダム見学
 
東日本大震災から12年目、13回忌に当たる今年3月、鎮魂の意も込めて福島県のダムや溜池を回ることにしました。
そんな中、震災により堤体に亀裂が入るなど被災した福島県安達郡大玉村の三ツ森ダムについて、管理する大玉土地改良区にダムの見学をお願いしたところ職員様同行での見学許可がいただけました。
貴重な機会ですのでここではその詳細を記載したいと思います。

約束の時間よりも早く到着したので、見学可能場所からダムを撮影。
ダム左岸を通る県道146号線から
奥が堤体で堤頂長は205メートル、足元に斜樋があります。


もともと上流側は石積み護岸でしたが、復旧事業によりコンクリート護岸になっています。




ダムサイトに建つ赤い鳥居
この上に水神が祀られています。


職員さんが到着
門扉を開けていただきました。

天端
震災により堤頂部には長さ130メートル、深さ4~5メートルの亀裂が入りました。
即座に水抜き作業に取りかかりましたが、須賀川市の藤沼ダムの決壊もあり下流では住民の避難も行われました。


復旧工事では、既設堤体の上流面に傾斜コアを設置するとともに上流面全体と下流面下部に盛土を施し補強が行われました。
復旧事業により堤体積は26万5000立米から31万9000立米に増加
一方総貯水容量は72万立米から67万4000立米に減じました。


天端から下流を見下ろします。
下流側も下部で土が盛られ堤体が補強されています。


総貯水容量67万4000立米の三ツ森貯水池
4月中旬からの灌漑補給に備えてほぼ満水
バブル期に周辺でリゾート開発が進められ、立派な県道が建設されました。
しかし、バブル崩壊でダム下流にゴルフ場が建設されただけで開発はとん挫、結果、素晴らしい自然が残りました。
紅葉期にはもっと素晴らしい眺めになるんでしょう。


大きく湾曲した右岸の越流式洪水吐
1980年(昭和55年)にかけての大規模老朽ため池整備事業で改修されたものです。




よく見るとコンクリートがずれています。
改修事業さなかの1978年(昭和53年)の宮城県沖地震によりずれたとのこと。
洪水吐の安全性には問題ないのでそのまま使用されています。


建設当初の洪水吐は深さ2.5メートルでしたが、改修により6メートルとなり、また越流頂も延長され放流能力が拡大しました。


洪水吐導流部
上に量水計があります。
流下するのは山側ドレーンからの水。


ダム下に下ります。
減勢工は1991年(平成3年)にかけて改修されました。


左岸ダム下の取水設備からの樋門
非灌漑期のため河川維持放流だけ放流されています。


放流ゲートの先に幹線水路が伸びています。


河川維持放流用の分水
非灌漑期は大きなゲートを開放して維持放流を実施
灌漑期には大きなゲートは閉め、右手の小さなゲートから維持放流を行ないます。


維持放流は洪水吐減勢工下で七瀬川に合流。



擁壁は石積みで流路には石が敷かれています。
これは1939年(昭和14年)の竣工当時のもの。


ここから見ると、復旧事業で堤体下部に土が盛られたのが見てとれます。


堤体中段のゆがみ計。


再び天端に戻ります。
左岸の斜樋。




取水用のシャフトは6本。
このほか底樋ゲート2門を備えています。


各種データはリアルタイムで土地改良区に送られていますが、実際の操作はここで行います。




ダムの下流約1キロにある長井坂円形分水
かつて不買運動にまで発展した激しい水争いがあったとこから、視覚的に分水の公平感が実感できる円形分水が採用されたそうです。
百日川と安達太良川に3対2の割合で分水され、灌漑補給が始まる4月中旬から通水されます。


今回はダムを管理する大玉土地改良区様のご厚意によりダムの見学が叶いました。
同土地改良区はわずか職員2名(その後3名に増員)で運営されており、所々多忙の中厚く御礼申し上げます。
大玉村は人口9000人弱の村ではありますが、大いなる田舎を標榜し『メガソーラー望まない宣言』を村議会で可決するなど、豊かな自然との調和を図る政策を打ち出しています。
さらに奇しくも、訪問直後の3月26日の日本テレビ『鉄腕ダッシュ』の舞台はなんと大玉村。
これを機に、個人的にも大玉村を応援してゆきたいと思っています。

2023年12月14日 三ツ森ダム『ダム研見学会』

非灌漑期で水が抜かれた同年12月に再び職員様同行での見学会を実施しました。
今回は天端及び貯水池内での見学となります。
左岸の県道から
水がないので復旧工事で盛土で肉付けされた部分がよくわかります。


肉付けに合わせて傾斜コアも設置されました。


水位が低いので斜樋の6門の取水ゲートすべてが姿を見せています。


天端へ移動
例年灌漑期終了後に水を抜き12月から貯留を始めるのですが、今年は底樋に土砂が滞留したため流水で流下させるため12月半ばまで低水管理が続いたとのこと。


貯水池内へも立ち入らせていただけました。
職員さんに続き斜樋脇の階段を下ります。


斜樋を見上げます。
こんなアングルで斜樋を見る機会はなかなかありません。

一か月以上水が抜かれていたので、ぬかるむことなく進めます。


さらに貯水池を進み土砂吐ゲートへ。
もともとは斜樋近くにありましたが、復旧工事で上流側に新しいゲートが新設されました。


コンクリートで護岸された上流面を上ります。


再び天端へ。
土砂吐ゲートを閉めると、1日もたたずにゲートは水に没するそうです。


水がない状態での横越流式洪水吐。


3月に続き、今回は水が抜かれた状態でダムを見学させていただきました。
普段水中に没している復旧工事による盛土部分や斜樋、土砂吐ゲートなどを間近に目にし。ため池の構造についてより理解が深まりました。
大玉土地改良区様には返す返す御礼申し上げます。

三ツ森ダム

2024-01-22 08:00:00 | 福島県
2016年 4月10日 三ツ森ダム
2023年 3月17日
2023年12月14日
 
三ツ森ダムは福島県安達郡大玉村玉井の阿武隈川水系七瀬川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
安達太良山南東麓に位置する大玉村は透水性の高い扇状地のため水利に乏しく、渇水時には激しい水争いが勃発するなど灌漑施設の整備が強く求められてきました。
これを受け1939年(昭和14年)に県営農業水利事業により建設されたのが三ツ森ダムです。
貯水容量72万立米は当時は福島県の灌漑用貯水池としては最大規模を誇り、ダムの完成により大玉村は中通り有数の稲作地帯となります。
管理は大玉土地改良区が受託し、約700ヘクタールの水田に灌漑用水を供給しています。
しかし2011年3月11日の東日本大震災により堤頂部に全長130メートルの亀裂が入るなど被災、貯水池の水を抜くとともに一時七瀬川下流住民に避難指示が出る事態となりました。
2012年(平成24年)に県営災害復旧事業等が着手され、2015年(平成27年)に竣工、翌年より運用が再開されています。
三ツ森ダムには運用再開直後の2016年(平成28年)4月に初訪、震災から12年、13回忌に当たる2023年3月に再訪、さらに非灌漑期で水が抜かれた同年12月に3度目の訪問をしました。
天端やダム下は立ち入り禁止となっていますが、2度目と3度目の訪問時はともに管理する土地改良区の職員さん同行での見学が叶いました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
また見学の詳細については別項の三ツ森ダム見学をご覧ください。
 
本宮から県道146号を西進し、大玉カントリークラブを過ぎると左手に三ツ森ダムが見えてきます。
奥が堤体で堤頂長は205メートル、足元に斜樋があります。
復旧工事では、既設堤体の上流面に傾斜コアを設置するとともに上流面全体と下流面下部に盛土を施し補強が行われました。
もともと上流側は石積み護岸でしたが、復旧事業によりコンクリート護岸になっています。
(2023年3月17日)

再訪時は水が抜かれていたので、上流面の盛土補強部分がよくわかりました。
(2023年11月14日)

天端
東日本大震災によりここに長さ130メートル、深さ4~5メートルの亀裂が入りました。
(2023年3月17日)


天端からダム下を見下ろす
堤体下部も復旧工事により土が盛られました。
(2023年3月17日)

左岸の斜樋。
取水ゲート6門をここで操作します。
(2023年3月17日)

再訪時は水が抜かれた貯水池内へも立ち入らせていただきました。
下から斜樋を見上げます。
もともとここには取水ゲートのほかに土砂吐ゲートがありましたが、復旧事業の際に撤去移設されました。
(2023年11月14日)


こちらは貯水池中ほどにある土砂吐ゲート。
復旧事業の際に従来より上流側に新設されました。
(2023年11月14日)

ダム湖
当所は総貯水容量72万立米でしたが、復旧工事で堤体に盛土が施された結果67万4000立米に減じました。
湖畔を県道146号線を通ります。
バブル期にダム周辺でのリゾート開発が進められましたが、バブル崩壊でとん挫。
結果、豊かな自然が残っています。
(2023年3月17日)

ダム湖
非灌漑期で水が抜かれ空っぽ。
例年灌漑期終了後に水を抜き12月から貯留を始めるのですが、今年は底樋に土砂が滞留したため流水で流下させるため12月半ばまで低水管理が続いたそうです。
(2023年11月14日)


大きく湾曲した右岸の横越流式洪水吐
1980年(昭和55年)の整備事業で改修されました。
洪水吐は震災での被災はありませんでした。
(2023年3月17日)

こちらは再訪時の洪水吐
(2023年11月14日)


1980年(昭和55年)の改修で洪水吐の深さは従来の2メートルから5.6メートルに掘り下げられ、放流能力が大幅にアップしました。
(2023年3月17日)


洪水吐導流部
上に量水計が設置されています。
流下しているのはドレーンからの水。
(2023年3月17日)


洪水吐導流部と減勢工。
(2023年3月17日)


左岸ダム下の取水設備からの樋門。
灌漑補給は4月中旬からのため、訪問時は河川維持放流のみ。
(2023年3月17日)


灌漑用放流ゲート。
(2023年3月17日)


左岸ダム下から
ここから見ると復旧事業で堤体下部に土が盛られたのがよく見てとれます。
(2023年3月17日)

ダムの下流約1キロにある長井坂円形分水
ここで安達太良川と百日川に分水されます。
かつて激しい水争いが展開されてきた結果、視覚的に公平感が実感できる円形分水が設置されました。
通水は4月中旬から。
(2023年3月17日)


(追記)
三ツ森ダムはは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

0480 三ツ森ダム(0308)
ため池データベース 073220007
福島県安達郡大玉村玉井
阿武隈川水系七瀬川
28.8メートル
205メートル
674千㎥/666千㎥
大玉土地改良区
1939年
◎治水協定が締結されたダム

須川ダム『ダム研見学会』

2024-01-21 07:55:27 | ダム見学会
2023年11月27日 須川ダム『ダム研見学会』

11月後半に4泊5日で東海から近畿のダムを回り、その過程で木曽川大堰と須川ダムの2か所でダム見学会を開催しました。
須川ダムを選んだ理由は2点あり、普段は立ち入りが制限されていること、さらに全国で2基しかない市町村が管理するアーチ式コンクリートダムという希少性からです。
上水ダムということで見学のハードルは高いと思われたのですが、事前にダムを管理する奈良市企業局に問い合わせたところ意外にあっさり見学許可が下り逆に拍子抜けしてしまいました。
奈良市企業局では主として学校の社会見学を想定して見学対応をしていますが、個人ベースでも日程の都合が合えば見学の受け入れを行っているそうです。
ただし、見学者に奈良市民(奈良市に住民票のある者)が1人以上いることが条件となります。
今回はダム研メンバーのほか既知のダム愛好家に声をかけ、総勢6名での見学会となりました。
須川ダムの概要については『須川ダム』をご覧ください。

ダムには南北2か所から道が通じています。こちらは南側の門柱にある『須川ダム』のプレート


こちらはメインとなる北側の入り口。
普段はこのようにゲートが閉じられ立ち入りできません。


こちらにも同様の『須川ダム』のプレート。


職員さんにゲートを開けていただきダムサイトへ向かいます。
管理事務所前の案内板。
描かれているのは奈良市水道事業のキャラクター『なみか』ちゃん
頭から角が生えているところはせんとくんと同じですが、キャラとしてはこちらが先。


『須川貯水池』の記念碑。


ダムの竣工は1969年(昭和44年)
2年後の1971年(昭和46年)より運用が始まりました。


水利使用標識。


『奈水』と書かれた境界石
でもここは境界じゃなくダムの敷地内なんですが…。


左岸高台からダムを見下ろします。
小ぶりなアーチダムですが円形取水塔との組み合わせが秀逸。


ズームアップ。 


こちらは布目川・白砂川からの自然流下水源導水路流入口。
奈良市企業局は前川に水利権はなく、上水道用水はすべて布目川・白砂川からの導水に依ります。


ダムサイトには説明版が4枚設置されています。
こちらは自然流下水源導水路の説明板
須川ダムは自然流下水源導水路の調整池で、布目川・白砂川から導水された水はいったんここに貯留されたのち専用管で緑ヶ丘浄水場に送られます。
須川ダム経由で日量15万立米の水が送水され、これは奈良市水道事業の全体の6割強にあたります。


ダムの諸元。


曝気装置とダム及び取水設備の断面図。


ダムはドームアーチ、取水設備は多孔式選択取水となります。
奈良ということで大きさの比較の対象は大仏様。


いかにも学校の社会見学用という説明板。


左岸ダムサイトに下ります。
こちらは艇庫。


ダム上流面
洪水吐としてクレストローラーゲート4門を装備。


ダムと取水塔。


昭和40年代のダムとしては珍しい円形取水塔。
多孔式選択取水設備になります。


左岸から
ドームアーチが体感できます。


ダム下の建屋はバルブ室
その背後に突き出た感がプラムライン。
プラムラインがこんな風に見えるのもドームアーチならでは。


バルブ室と放流バルブ
事前放流など水位低下用です。


天端はゲート部分だけ高くなっています。


副ダムの先はそのまま前川となります。




こちらが河川維持及び既得水利権向けの放流設備
上記のように前川には水利権がないので、前川の流入量はここから放流します。


ゲートは堤体右岸寄りにあり減勢工は堤体に対し左向きに傾いています。




キャットウォークと細い管理用階段。
残念ながら現在は堤体右岸側およびダム下の見学は実施しておらず見れるのはここまで。


こちらは左岸にあるインクライン


最後に記念写真。
ここで解散。


ダムの見学を終えた後は、普段唯一須川ダムの展望スポットとなる上流の橋へ
貯水池は総貯水容量79万7000立米。


ズームアップ
堤体の一部と取水塔がかろうじて見えるだけ

こちらは布目川取水場。
もともとあった布目川の水利権に加え、布目ダムの水利権が加わり奈良市の水道事情は大きく改善しました。


上流からの布目川取水場と水利使用標識。


取水場の先には沈砂池。
ここから白砂川取水場を経由して須川ダムに送水されます。


沈砂池の擁壁には、『自然流下式水源導水路竣工碑』が嵌め込まれています。


白砂川取水場へは隘路のため訪問を断念。
現地に赴いたダム仲間のYさん撮影の写真をお借りしました。


上流から。
同じくYさん撮影の写真。

最後に布目ダムの写真
今回は須川ダムに先立ち見学しました。
水資源機構が管理する多目的ダムですが、利水に限定すれば奈良市水道事業のためのダムです。


今回は参加者6名に対し職員様3名での手厚い対応をしていただきました。
奈良市企業局の職員の皆様には厚く御礼申し上げます。

須川ダム

2024-01-19 07:31:08 | 奈良県
2023年11月27日 須川ダム

須川ダムは奈良県奈良市須川の淀川水系木津川左支流前川にある奈良市企業局が管理する上水道用水目的のアーチ式コンクリートダムです。
大河のない奈良市では県外の木津川に水源を求め1915年(大正4年)に近代水道事業が認可され、1922年(大正11年)に水道事業が開始されました。
戦後の復興や高度成長による人口増加から奈良市の上水需給はひっ迫したことを受け、1959年(昭和34年)に市東部の白砂川および布目川を水源とする『自然流下水源導水路事業』が着手され、その調整池として1969年(昭和44年)に竣工したのが須川ダムです。
事業全体も1971年(昭和46年)に竣工し、新たに日量8万4000立米の上水供給が可能となりました。
しかし大阪のベッドタウンとして宅地開発は続き人口増加に拍車がかかります。
そこで、奈良市は水資源開発公団(現水資源機構)の布目ダム建設事業に水道事業者として事業参加し1992年(平成4年)の同ダム供用開始により自然流下水源導水路事業による供給量は日量15万立米に増大しました。
布目川および白砂川で取水された水はいったん須川ダムで貯留されたのち専用管で緑ヶ丘浄水場に送水されます。
2021年(令和5年)現在、自然流下水源導水路による上水供給は奈良市水道事業全体の約6割を担っており、須川ダムはその根幹を担う重要な調整池となっています。

自然流下水源導水路概要図(奈良市企業局HPより)


須川ダムは前川に建設されましたが、前川に水利権はなく集水はすべて布目川および白砂側からの自然流下水源導水路に依ります。
また、福岡県の須恵ダムとともに全国で2基しかない市区町村が管理するアーチ式コンクリートダムとなっています。

須川ダムは奈良市水道事業の根幹を担う調整池となっており、保安上の理由から立ち入りは制限されており、ダムは上流からわずかに遠望するのみです。
今回は事前に見学申請を行い企業局職員様の案内でダムの見学が叶いました。
見学の詳細については『須川ダムダム研見学会』をご覧ください。

ダムの左岸側高台に管理棟や説明板が並びます。
これは須川ダム記念碑。


水利使用標識。


左岸高台から
須川ダムはこのアングルからの眺めが一番。
アーチ堤体と円形の取水塔の配置が絶妙。


自然流下水源導水路流入口
須川ダムの流域は直接流域5.2平方キロに対し間接流域119平方キロです。
前川に水利権はないため、直接流域分は河川維持放流として放流されます。


自然流下水源導水路の説明板。


ダム及び取水塔断面図
これを見ればドームアーチであることがよくわかります。
奈良ですから大きさを比較するのに登場するのは大仏さま。

 
左岸ダムサイトまで下りてきました。
洪水吐はクレストローラーゲート4門。
設計洪水流量は85.51立米/秒。


昭和40年代竣工のダムでは珍しい円形取水塔。
多孔式選択取水設備となっています。


左岸から
堤高31.5メートル、堤頂長107メートル
このアングルで見るとドームアーチだとよくわかります。


ダム下の建屋は放流バルブ室。
バルブ室の右手にプラムラインが見えます。
プラムラインが堤体から突き出ているのもドームアーチならでは。


天端はゲート部分だけ高くなっています。


天端から減勢工を見下ろす
右下は上記のバルブ室
ゲートは堤体右岸寄りにあり、減勢工はダムから左寄りに流下します。


副ダムのさらに下流
このまま前川となります。


こちらは河川維持及び既得水利権用のゲート
何度も繰り返すように前川には水利権がないため、前川の流入量はここから放流されます。

奥は艇庫
手前はインクライン。


残念ながら見学はゲート部分まで、今はダム下の見学も対応していないとのこと。
ダムの見学を終えた後は、普段唯一須川ダムの展望スポットとなる上流の橋へ
貯水池は総貯水容量79万7000立米。


こちらは布目川取水場。


白砂川取水場。
この写真はダム仲間のYさん撮影です。


上記のように、見学会の詳細については別項で紹介しますが、改めて対応していただいた奈良市企業局の皆様には厚く御礼申し上げます。 

(追記)
須川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。

1566 須川ダム(2031)
奈良県奈良市須川町
北緯34度43分29秒,東経135度54分48秒
DamMaps
淀川水系前川

31.5メートル
107メートル
797千㎥/793千㎥
奈良市企業局
1969年
◎治水協定が締結されたダム

布目ダム

2024-01-18 08:00:00 | 奈良県
2015年12月31日 布目ダム
2023年11月27日
 
布目ダムは奈良県奈良市北野山町の一級河川淀川水系木津川水系左支流布目川にある水資源機構が管理する多目的た重力式コンクリートダムです。
戦後の水道需要増大に対処するため1962年(昭和37年)の「水資源開発促進法」により淀川水系では水資源開発公団(現水資源機構)により河川総合開発が進められることになりました。
淀川左支流の木津川では1969年(昭和44年)の高山ダムを皮切りに、青蓮寺ダム室生ダムが建設され、布目ダムは大阪のベッドタウンとして人口が急増していた奈良市向けの上水供給を主目的として木津川上流ダム4番目のダムとして1991年(平成3年)に竣工しました。
布目ダムは高山ダム青蓮寺ダム室生ダム比奈知ダム川上ダムと連携して木津川および淀川の洪水調節(布目ダムとしては布目川の最大毎秒310立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定用水への補給、奈良市・山添村への上水道用水の供給を目的としています。
また河川維持放流を利用して布目発電所で最大990キロワットの管理用発電を行っがあります。

また布目ダムには右岸に脇ダムとして堤高18.4メート、堤頂長128メートルのロックフィルダムがあります。
ならば布目ダムはフィルコンバインドダムではないか?となるのですが、実はこの脇ダムは地山を削って設置された右岸鞍部止水工のため、型式は重力式コンクリートダムとなります。
同様にロックフィルの止水工を持つダムとしては山梨県の塩川ダムがあります。

布目ダム平面図(水資源機構HPより)


布目ダムには2015年(平成28年)12月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
右岸下流側に公園や遊歩道が設けられ堤体を望めます。
堤高72メートル、堤頂長322メートルとなかなかのスケール。
右岸側が屈曲しています。
(2023年11月27日)


洪水吐は非常用クレスト自由越流長11門、常用高圧ラジアルゲート1門を装備。
さらに写真では見えませんが低水放流設備として主管および分岐管ジェットフローゲート各1条ずつを備えています。
(2023年11月27日)

 
ダム下流面と管理事務所。
(2023年11月27日)

同じ場所から下流を見ると
こちらは山添村への上水道設備。
(2023年11月27日)

 
コンクリート堤体と脇ダムの接続点。


脇ダム下流面。
(2023年11月27日)

 
右岸脇ダム部は堤頂幅が50メートルに及び、写真のように園地になっています。
(2023年11月27日)

脇ダム上流面
こうやって見ると本当のロックフィルダムのようです。
(2023年11月27日)

 
重力式コンクリート堤体と脇ダム接続点から見た下流面
右岸側は独特のカーブを描いています。
(2023年11月27日)


天端は2車線幅ですが、一般車両は通行できず徒歩のみ開放。
(2023年11月27日)


天端の建屋群、右手が貯水池側
手前は選択取水設備、奥はコンジットゲートハウス。
(2015年12月31日)

 
減勢工を見下ろす
左手地下に管理用発電所があります。
(2015年12月31日)

 
ダム湖は布目湖で総貯水容量1730万立米。
利水容量の大半は奈良市向け上水容量となります。
(2015年12月31日)

 
上流から
左手は選択取水設備
右手のコンジット予備ゲートは改修工事中
(2015年12月31日)

 
貯水池上流の副ダム
貯砂及び上流の水位維持による環境保全を目的に設置されています。
(2015年12月31日)

(追記)
布目ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
1580 布目ダム(0163)
奈良県奈良市北野山町
淀川水系布目川
FNW
72メートル
322メートル
17300千㎥/15400千㎥
水資源機構
1991年
◎治水協定が締結されたダム

滝川ダム

2024-01-17 08:00:00 | 三重県
2015年12月30日 滝川ダム
2023年11月26日
 
滝川ダムは左岸が三重県伊賀市摺見、右岸が同市高山の淀川水系木津川の2次支流滝川にある三重県県土整備部が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
建設省(現国交省)の小規模ダム事業である生活貯水池事業の補助を受けて建設された補助多目的ダムで、滝川及び比自岐川の洪水調節(最大毎秒12立米の洪水カット)、安定した河川流量の維持と不特定灌漑用水への補給、伊賀市比自岐高山地区簡易上水道への上水の供給を目的として1999年(平成11年)に竣工しました。
滝川ダムには2015年(平成28年)12月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。

ダム下から
堤高29.8メートル、堤頂長120メートルの小ぶりな堤体。
洪水吐は非常用クレスト自由越流長2門、常用自然調節式オリフィス1門。
(2015年12月30日)


ゲートをズームアップ。
オリフィスの向こう側に除塵用スクリーンが見えます。
(2023年11月26日)


減勢工と放流設備
放流設備として利水放流用及び水位低下放流用スルースバルブを各1条ずつ装備。
再訪時は利水放流バルブから放流中。
(2023年11月26日)


堤体を直に触れることができます。
(2023年11月26日)


天端は徒歩のみ開放。
(2023年11月26日)


天端から減勢工と放流設備を見下ろす。
(2023年11月26日)


生活貯水池ダムということで総貯水容量はわずか28万2000立米
(2023年11月26日)


左岸から下流面。
襟が高い。
(2015年12月30日)

上流面
オリフィスから薄く越流ということで、これで常時満水位。
(2015年12月30日)


上流面と管理事務所。
多管式選択取水設備を擁していますが、水中にあるため目にすることはできません。
(2023年11月26日)


管理事務所右手の緑色の階段の下に繋留用浮桟橋があります。
(2023年11月26日)


こちらはダムのすぐ下流にある比自岐高山簡易水道浄水場。
(2023年11月26日)


(追記)
滝川ダムには洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。

3084 滝川ダム(0156)
左岸 三重県伊賀市摺見
右岸     同市高山 
淀川水系滝川
FNW
29.8メートル
120メートル
282千㎥/230千㎥
三重県県土整備部
1999年
◎治水協定が締結されたダム

寺谷池

2024-01-16 08:00:00 | 三重県
2023年11月26日 寺谷池

寺谷池は三重県伊賀市鳳凰寺の淀川水系服部川右支流高砂川にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
寺谷池もそんなため池の一つでダム便覧には大山田村耕地整理組合の事業で1935年(昭和10年)に竣工と記されており、ほぼ受益農家の持ち出しで建設されたと思われます。
現在は受益地区である鳳凰寺地区が管理を行っています。
ダム便覧では堤高15メートルになっていますが、ため池データベースでは9.1メートルにとどまりダムの要件を満たしていません。
 
伊賀市大山田の国道163号線から東に2キロ、車で5分ほどで鳳凰寺集落に到着します。
集落を抜け左手に史跡鳴塚古墳を見送ると池に到着します。
添付はグーグルの空撮写真ですが、北側の池が寺谷池で南の山神池とは連絡水路で結ばれた双子池になっています。 

 
まずは寺谷池の堤体直下に向かいます。
基部は石積みの擁壁で下流面はきれいに刈り込まれています。

 
見た目の高さは10メートルほど
とても15メートルあるようには見えません。


右岸から天端
天端も定期的に草が刈られているようです。


左岸の越流式洪水吐
すぐ右手が隣接する山神池の堤体になります。


洪水吐越流部
溝があり水位の微調整ができるようです。

右岸から
総貯水容量は2万1000立米(ため池データベース)。


上流面は昔ながらの石積み護岸。


ピンクのテープの場所に池栓が見えます。 

 
寺谷池と山神池の接続部。
ため池ではなかなか見れない造り。


山神池天端から見た寺谷池下流面と洪水吐。

 
こちらは山神池から寺谷池への連絡水路のゲート。
山神池のほうが水位は高く、山神⇒寺谷の一方通行。


山神池左岸洪水吐越しの眺め。
山神池の諸元は堤高8.3メートル、堤頂長45メートル、総貯水容量1万立米。


山神池洪水吐導流部
寺谷、山神ともに高砂川に流下します。


山神池の池栓。
昔ながらの木栓を差し込む尺八樋。


双子池である寺谷池と山神池の造りは非常に興味深いのですが、残念ながら寺谷池の堤高は見た目でもとても15メートルあると思えず。
ため池データベースの数値通りならいずれダム便覧からは消え去る運命です。
 
1297 寺谷池(2030)
ため池コード 242160460
三重県伊賀市鳳凰寺
淀川水系服部川右支流高砂川
15メートル(ため池データベース 9.1メートル
100メートル(ため池データベース 85メートル)
15千㎥(ため池データベース 21千㎥)/15千㎥
鳳凰寺区
1935年

田代池

2024-01-15 08:00:00 | 三重県
2018年 2月11日 田代池
2023年11月26日

田代池は三重県伊賀市山畑の淀川水系滝川上流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
田代池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1895年(明治28年)に竣工と記されています。
一方、現地には昭和9年(1934年)着工、昭和16年(1941年)竣工と刻された記念碑があります。
1895年に築造され、昭和16年に大規模な改修が竣工したとみるのが妥当でしょう。
管理者は伊賀町土地改良区ですが、実際の池の管理は伊賀地方で『井子(いご)』と呼ばれる受益者組織が行っています。
また約1キロ上流にある大平池とは上下池のような位置関係ですが、それぞれの池ごとに受益農地は明確に区別されています。
田代池には2018年(平成30年)2月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。

田代池と大平池の位置関係(国土地理院地形図より)

 
名阪国道上柘植インターから伊賀コリドーリロード~滝川沿いの市道で約8キロ、車で15分ほどで田代池に到着します。
左岸から見た下流面
堤高20.6メートル、堤頂長120メートル(ともにため池データベース)
堤体はきれいに草が刈られまるで芝生のよう。 


左岸の底樋樋門。

 
扁額には『源福民』と書かれています。


 
右岸から下流面。
本当にきれいに整備されていますが、土地改良区によると草刈は年に一度のみ。
実はシカが草を食みこのような状態になったのだとか。
農家にとっては厄介者のシカですが、こと池の草刈についてはありがたい存在のようです。

 
天端は立ち入り禁止
でも今回は土地改良区より立ち入り許可を頂いています。

 
右岸の記念碑
『昭和九年着工 昭和十六年竣工』と記されています。

 
総貯水容量74万立米の貯水池。
山中のため池としてはかなりの貯水量。
柘植川との合流点に至る滝川流域一帯の広範な農地が受益農地となります。
また上流約1キロには大平池があります。

 
左岸の斜樋。

 
円形越流式洪水吐と斜樋。
たぶん1941年(昭和16年)当時のままと思われる見事な花崗岩の谷積。

 
左岸から
天端のベンチは、かつてこの天端がハイキングコースだったころの名残。
上記のように今は立ち入り禁止。

 
円形越流式洪水吐をズームアップ。
堤体だけじゃなく洪水吐も美しい。

 
洪水吐越しの上流面
洪水吐の擁壁や上流面も花崗岩の谷積み。

 
造りが丁寧だったのでしょう、竣工当時のままと思しき石積には全く緩みがありません。

 
斜樋建屋
コンクリート製かと思ったら凝灰岩。

 
改修当時の姿を残す上流面や洪水吐の見事な石積などから当時の農家の田代池に掛ける期待の大きさが伺えます。
またシカのお手伝いがあるとはいえ、これほど美しい堤体の溜池はなかなかお目にはかかれません。
アースフィルダムとしては不破北部防災ダムとともに東海一を競う美しさです。
 
1293 田代池(1245)
ため池コード 242160548
三重県伊賀市山畑
淀川水系滝川
19メートル(ため池データベース 20.6メートル)
124メートル(ため池データベース 120メートル)
740千㎥/740千㎥
伊賀町土地改良区
1895年(ダム便覧)
1941年竣工(記念碑)

大平池

2024-01-14 08:00:00 | 三重県
2023年11月26日 大平池

大平池は三重県伊賀市山畑の淀川水系滝川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
大平池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1979年(昭和54年)に三重県の事業で竣工と記されています。
しかしこれは現地改修記念碑に刻された県営の老朽ため池等改修事業の竣工を指すもので、関係者の話では昭和初期に築造されたようです。
管理者は伊賀町土地改良区ですが、実際の池の管理は伊賀地方で『井子(いご)』と呼ばれる受益者組織が行っています。
また約1キロ下流にある田代池とは上下池のような位置関係ですが、それぞれの池ごとに受益農地は明確に区別されています。

田代池と大平池の位置関係(国土地理院地形図より)


大平池に通じる車道は下流の田代池手前から通行止めで徒歩でのアプローチとなります。田代池から貯水池湖畔沿いの遊歩道を進み、廃止された大阪市伊賀青少年野外活動センターの廃墟をやり過ごすと大平池に到着します。
右岸に洪水吐があり、それを跨ぐように管理橋が架かります。 

 
洪水吐導流部
このまま下流の田代池へと流下します。

 
上流面。


洪水吐越流部。

 
右岸湖畔の改修記念碑と水神。
こちらは1979年(昭和54年)の県営老朽ため池等改修事業の竣工記念碑でダム便覧ではこれを竣工年度としています。
工事協力者として三重県、伊賀町(現伊賀市)、大阪市の名があり青少年野外活動センター建設に合わせて池の改修が行われたようです。

 
天端入り口には関係者以外立ち入り禁止と書かれていますが、今回は事前に立ち入り許可を頂きました。
天端は芝生のようにきれいに草が刈られています。
また貯水池側にはかつて野外活動センターがあったためか、ガードレールが設置されています。

 
左岸に池栓がある一方、湖面からも取水用と思われるパイプが伸びています。
放流量を増やすために増設されました。

 
総貯水容量14万立米の貯水池。

 
下流面もきれいに草が刈られています。
土地改良区の話では、草刈は年に一度だけ、シカが草を食みこのような状態になったそうです。

 
左岸から上流面
花崗岩の谷積で護岸。


左岸の階段式池栓
チェーンは新しくこちらも取水設備として機能しています。

 
池の下に下りてみました。
堤高は15.4メートル(ため池データベース)
底樋管を探しましたが見つかりませんでした。

 
基部は石積。

 
帰宅後改めて土地改良区に両池の運用について問い合わせてみました。
大平池の水は田代池経由で滝川に放流されますが、両池の水利権は明確に区別されそれぞれ下流の取水堰から受益農地に補給されるそうです。
当然池の管理や維持・整備についても両池それぞれの井子によりに行われているとのこと。
 
1256 大平池(2029)
ため池コード 242160549
三重県伊賀市山畑
淀川水系滝川
15.1メートル(ため池データベース 15.4メートル)
124メートル
140千㎥/126千㎥
伊賀町土地改良区
1979年

竹谷池

2024-01-12 12:40:29 | 三重県
2018年 2月11日 竹谷池
2023年11月26日
 
竹谷池は三重県伊賀市柘植町の淀川水系柘植川右支流西竹谷川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
伊賀市のある伊賀盆地は豊かな地味と寒暖差の大きな気候を生かし江戸時代より良質米の産地となっていました。
一方で年間降水量は1200ミリ超の少雨地帯であり加えて大河がないため水源をため池に求め、現在も市内に約1400基のため池を有す県内屈指のため池密集地帯となっています。
竹谷池もそんなため池の一つで、ダム便覧には1960年(昭和35年)に柘植町土地改良区の事業で竣工と記されており、農林省(現農水省)や県の補助を受けた団体営事業で建設されたと思われます。
現在は土地改良区の統合により、伊賀町土地改良区が管理を行っています。
竹谷池には2018年(平成30年)2月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
名阪国道伊賀インターから国道のガードをくぐって南に進むとすぐに竹谷池の堤体が見えてきます。
下流面はきれいに刈り込まれ今も貴重な水源であることがうかがえます。 
(2023年11月26日)

 
ダム下で洪水吐からの導流路と取水設備からの水路が合流します。
(2018年2月11日)

 
底樋樋門と分水ゲート。
(2018年2月11日)

堤体直下から
堤高は23.8メートル(ため池データベース)で基部は花崗岩の谷積みの擁壁。
(2023年11月26日)

 
左岸ダムサイトに上がります。
池の入り口には関係者以外立ち入り禁止という警告板がありますが、事前に土地改良区の許可を得ています。
天端は草付きのダートで車で対岸まで行けますがそこでドン詰まり。
(2018年2月11日)

 
左岸の斜樋。
一段低いところにありちょっと秘密基地っぽい。
(2023年11月26日)

 
天端から下流を望む
受益農地は正面の杉林のさらに先約700メートルに広がり、当池のほか併せて4基のため池を水源としています。
(2023年11月26日)

 
総貯水容量21万5000立米の貯水池。
朝霧が立ち込めるちょっと幻想的な眺め。
(2023年11月26日)

 
きれいに刈り込まれた下流面。
(2023年11月26日)

 
上流面
草が生えていますがコンクリートブロックで護岸。
ダム便覧208メートル、ため池データベース108メートルと堤頂長の数値が大きく異なります。
実は対岸岬の向こうに洪水吐があり便覧はそこまでを堤体とみなしているのに対し、ため池データベースは岬の付け根までを堤体としているようです。
どちらが正しいのか?私にはわかりません。
(2018年2月11日)

 
件の洪水吐
一つ上の写真の岬の裏側にあたります。
(2023年11月26日)

 
洪水吐導流部
この下が上から2枚目の写真の洪水吐導流路に続きます。
(2023年11月26日)

 
きれいに整備され好感のもてる溜池ですが、かつて鈴鹿市女子中学生バラバラ死体事件の死体遺棄現場となった不幸な歴史があります。

1307 竹谷池(1244)
ため池コード 242160510
三重県伊賀市柘植町
淀川水系西竹谷川
22メートル(ため池データベース 23.8メートル)
208メートル(ため池データベース 108メートル)
215千㎥/215千㎥
伊賀町土地改良区
1960年

永源寺ダム

2024-01-11 08:00:00 | 滋賀県
2016年 3月20日 永源寺ダム
2023年11月25日
 
永源寺ダムは左岸が滋賀県東近江市永源寺相谷町、右岸が同市九居瀬町の一級河川淀川水系愛知川にある滋賀県農政水産部が管理する灌漑・発電目的の重力式コンクリート・フィル複合ダムです。
琵琶湖東岸、近江盆地中央を横断する愛知川沿岸は滋賀県屈指の穀倉地帯となっていますが、水源となる愛知川は集水域が些少かつ天井川となっており洪水と渇水を繰り返し、安定した水源確保は流域農民の永年の悲願となっていました。
流域自治体や農家による陳情の結果、1952年(昭和27年)に農林省(現農水省)による国営土地改良事業愛知川地区が着手され、その灌漑用水源として1972年(昭和47年)に竣工したのが永源寺ダムです。
事業全体も1983年(昭和58年)に完了し約8000ヘクタールにわたる農地への灌漑・排水設備の整備や圃場整備が行われ当地区の農業水利事業は大きく改善しました。
事業完了以降ダムの管理は滋賀県農政水産部が受託し、現在は約6900ヘクタールの農地に灌漑用水を供給するとともに関西電力永源寺発電所で最大5000キロワットのダム式発電を行っています。
ダムの下流にはダム名の由来となった紅葉の名所永源寺があるほか、ダム湖の永源寺湖周辺は登山や釣りなどが楽しめる自然公園として整備されダム湖百選に選ばれています。

永源寺ダムには2016年(平成28年)3月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載する写真にはそれぞれ撮影日時を記載しています。
 
名神高速八日市インターから国道421号を東に約11キロ、車で15分ほどで永源寺ダムに到着します。
まずはダム下へ。
農業ダムのため洪水吐はクレストラジアルゲート4門だけ。
赤いゲートが鮮やか。
(2023年11月25日)


ダム直下まで立ち入れ堤体にタッチできます。
ダム下から左岸フーチングを見上げる。
(2023年11月25日)

 
左岸ダムサイトから
堤高73.5メートル、堤頂長は392メートルに及びます。
左岸側がわずかに屈曲
フィルダムは右岸側の一部を占めるだけなので、こちらから見るとコンクリートダムにしか見えません。
(2023年11月25日)
 
ダムサイトの水利使用標識
当初8000ヘクタールだった受益農地は6877ヘクタールまで減少しています。
(2023年11月25日)

 
ダム左岸を国道421号線が走り、ダムサイトにはダム名のついたバス停。
(2023年11月25日)

 
同じく左岸ダムサイトのダム湖百選のプレート。
(2023年11月25日)


ダム湖百選に選ばれている永源寺湖
総貯水容量は2274万2000立米と農業用ダムとしては全国屈指のサイズ。
再訪時は灌漑期が終わり、ゲートの改修工事のためダム最低水位まで下げられていました。
(2023年11月25日)

 
左岸管理事務所とインクライン。
インクラインは途中で斜度が変わります。
水位が低いのでかなり長く感じます。
(2023年11月25日)

 
こちらは初訪時の管理事務所とインクライン。
ほぼ満水位。
(2016年3月20日)

天端は徒歩のみ開放
昭和30年代着工ということで設備は何かと大がかり。
下流側のエレベーター棟と上流側の取水設備はつながっています。
(2023年11月25日)


ゲート越しに見下ろす減勢工と発電所。
(2023年11月25日)

 
取水ゲートは多段ゲートと低水取水ゲートの2門があります。
写真は多段ゲート。
(2023年11月25日)

 
ダム下の関西電力永源寺発電所
利水従属で最大出力5000キロワットのダム式発電を行います。
こちらもゲート交換用のガントリーを備えるなど大掛かりな造り。
(2023年11月25日)

 
右岸フィル部から
左岸同様屈曲し、万一の堤体越流に備え重力式コンクリート部よりも天端標高が1メートル高くなっています。
(2023年11月25日)

 
フィルコンバインドダムでは必見、コンクリートとフィルの接続部。
(2023年11月25日)

右岸から
ここから見るとフィルコンバインドダムであること、フィル部の天端標高が高くなっているのがよくわかります。
(2023年11月25日)

こちらは初回訪問時の上流面
ほぼ満水位。
(2016年3月20日)

 
こちらは再訪時
ゲート工事に備え最低水位まで下げられています。
(2023年11月25日)

 
ズームアップ
1番2番ゲートと3番4番ゲートで敷高が異なります。
(2023年11月25日)

管理事務所で確認すると灌漑期が終われば水位は下げるのですが、今回は改修に備え最低水位まで下げたとのこと。
これはこれでレアな光景だそうです。
 
(追記)
永源寺ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
1361 永源寺ダム(0258)
左岸 滋賀県東近江市永源寺相谷町
右岸        九居瀬町
淀川水系愛知川
AP
GF
73.5メートル
73.5メートル
392メートル
滋賀県農政水産部
1972年
◎治水協定が締結されたダム

芹川ダム

2024-01-10 09:00:00 | 滋賀県
2016年 3月20日 芹川ダム
2023年11月25日
 
芹川ダムは滋賀県犬神郡多賀町一円の淀川水系芹川右支流にある灌漑目的のアースフィルダムです。
1939年(昭和14年)に着工されますが戦争激化による人員物資不足で事業は中断、戦後、農林省(現農水省)の補助を受けた県営事業で建設が再開され1955年(昭和30年)に竣工しました。
その後2021年(令和3年)にかけて県営農地防災事業芹川地区による耐震改修が実施され現在に至っており管理は芹川地区土地改良区が行っています。
芹川ダムには2016年(平成28年)3月に初訪、改修工事終了を受け2023年(令和5年)11月に再訪しました。

芹川ダムの流域面積38.7平方キロのうち自己流域は1.2平方キロにとどまりその大半は芹川承水路を通じての芹川からの導水に依ります。 

芹川ダムの改修工事では掘削等で生じる掘削土や底泥土をセメント系固化材で固化処理し築堤土として再利用する砕・転圧盛土工法が採用されました。



一円集落入り口の駐車場に車を止め、ダムへの管理道路を200メートルほど進むと芹川ダムが見えてきます。

ダム一帯は害獣防護フェンスで囲まれておりここがダムの入り口。
開けたら必ず閉めましょう。


堤高30メートル、堤頂長129メートル(ため池データベース)
改修ですっかりきれいになりました。


堤体は犬走を挟んだ3段で基部は石積みの擁壁。
ダム下に放流設備があります。

ダムサイトまで上がります。
改修できれいになった天端。


右岸湖岸の斜樋。

 
左岸の越流式洪水吐
洪水吐自体は改修では手付かず。
かつてトラスだった管理橋は一新されています。


洪水吐導流部。


総貯水容量142万6000立米(ため池データベース)の貯水池。
本州の農業用アースフィルダムとしてはかなりのサイズ。
灌漑期が終わったせいか?雨不足なのか?水位はかなり低め。

 
天端からの眺め
ダムの真下には放流設備、右手には墓地があります。
受益農地は正面の集落から下流に至る芹川沿岸。


上流面も改修でコンクリート枠工+中詰工で護岸。


右岸の斜樋機械室
ここは改修以前のまま。


ここからは改修以前、2016年(平成28年)3月の写真となります。
当時もダム一帯は害獣防除フェンスが張り巡らされていました。

 
ダム一帯は野鳥の森公園として整備され湖岸を一周する遊歩道も整備されましたが、訪問時はビジターハウスも撤去され『かつて公園だった場所』化。


洪水吐に架かるトラス橋。

 
天端と下流面。

 
上流面
対岸の左岸ダムサイトにかつて野鳥の森ビジターハウスがありました。
 
1355 芹川ダム(0261)
ため池データベース 254430006
滋賀県犬上郡多賀町一円
淀川水系芹川右支流
27メートル(ため池データベース 30メートル)
135メートル(ため池データベース 129メートル)
1781千㎥(ため池データベース 1426千㎥)/1781千㎥
芹川沿岸土地改良区
1955年

不破北部防災ダム

2024-01-09 07:00:00 | 岐阜県
2016年 3月20日 不破北部防災ダム
2023年11月25日
 
不破北部防災ダムは岐阜県不破郡垂井町岩手の木曽川水系岩手川にある農地防災目的のアースフィルダムです。
農水省の補助を受けた岐阜県の防災ダム事業不破北部地区により1985年(昭和60年)に竣工しました。
運用開始後は垂水町が管理を受託し岩手川下流域の農地防災を担っています。
一方現地には飲料用水源という標識や営農飲雑用水取水口という設備が設けられています。
この点を管理する垂井町役場産業課に問い合わせたところ、ダムは農地防災を目的に建設されたが地域の水不足に対応して堆砂容量から上水道用水の供給を行っているとの説明がありました。
名目的にはFの防災専用ダムですが、実際にはFWの防災・上水という運用になっているようです。
不破北部防災ダムには2016年(平成28年)3月に初訪、2023年(令和5年)11月に再訪しました。
掲載写真はすべて再訪時のものです。
 
垂井町岩手の県道53号から県道257号を北上し約3キロ、車で7分ほどで不破北部防災ダムに到着します。
まずはダム下から見学。
アース堤体はきれいに刈り込までまるで芝生のよう。
左岸に洪水吐があり地山を生かして斜水路が流下します。

 
洪水吐斜水路に接近します。
右手は常用洪水吐となる放流設備からの放流口。
有効貯水容量すべてが農地防災容量となるため、平時は流入量はそのまま放流されます。

一方ダム右岸側には半地下の建屋とそこから延びる水路があります。
手前は転流工の放流口になります。

 
ダム下の営農飲雑用水取水場
こちらが上水道用水の取水設備になり岩手地域に上水を供給します。

 
右岸から下流面
堤体にはダム湖名である『明神湖』の文字。
ここ以外にも岐阜県にはダム名や貯水池名が書かれた農地防災ダムが複数あります。

天端は車道で車両通行できます。

天端の警告板
防災専用ダムにもかかわらず飲料用水源とあります。
この警告板を見て疑問に思い確認の結果上水も供給している事実が判明しました。

 
上流面はロック材で護岸。
対岸には放流管と管理棟があります。

 
天端から
ダムの直下には岩手集落。
農地防災ダムではありますが、当然岩手集落の洪水被害も守りさらに上水用水源として運用されています。

 
天端からは名古屋の中心街まで遠望できます。


ダムサイトの記念碑。
明神湖と記されているだけで、ダムの由来や事業等については刻されていません。

 
石碑のそばの巨石は草を食む恐竜か?亀のよう。


左岸の洪水吐導流部。
この下は2枚目写真の斜水路に続きます。


非常用洪水吐となる円形越流式洪水吐
貯水池の明神湖は総貯水容量112万8000立米。
堆砂容量5万立米が貯留され、それ以外の有効貯水容量97万8000立米はすべて農地防災容量となります。
上記のように堆砂容量の一部は上水用水源として利用されています。


円形越流式洪水吐とロック材で護岸された上流面。
対岸(右岸)後方の山上には戦国時代に秀吉の軍師として活躍した竹中半兵衛の居城である菩提山城があります。

 
常用洪水吐となる放流管
平時は流入量はここから放流されます。

 
帰宅後に管理する役場に問い合わせ、防災のほか上水用水源として運用されていることが分かりました。
当然貯水池のどこかに上水用の取水口があるはず。
たぶん転流工を活用していると思われ、機会があれば取水口の所在も確認したいところ。
ダム自体は関が原古戦場の東端に位置し、ダムの近くには菩提山城や竹中半兵衛の子孫が藩主を務めた岩手藩の陣屋跡などがあり歴史好きにもお薦めのダムです。
 
(追記)
不破北部防災ダムは治水協定により台風等の襲来時は事前放流を行います。
 
1122 不破北部防災ダム(0264)
ため池データベース 213610034
岐阜県不破郡垂井町岩手
木曽川水系岩手川
F(W)
42.5メートル
142メートル
1128千㎥/978千㎥
垂井町
1985年
◎治水協定が締結されたダム