経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

保守永久政権論

2016-03-27 13:23:18 | Weblog
保守永久政権論
 安倍内閣が出現して3年有余になる。自公連合政権は圧倒的な強さを誇っている。かって3年間政権を担当した民主党はそのあまりの無能さをあきれられ今や他党と合併し党名を変更しようとしている。私にとって民主党政権の出現は衝撃だった。日本という国家がとろけてなくなるような印象を持った。私は日本には責任野党(政権を担当するに値する野党)は今後出現しないのではないかと思う。そしてまた私はそれでいいのではないかとも思う。
 戦後70年になるが、自民党(あるいわそれと同根の政党)がほぼ全期間政権をとってきた。自民党以外の野党が政権を担当したのは3回になるが、政権担当期間は総じて5年間を超えない。野党政権は過去三つある。昭和20年代前半の片山内閣、平成初年度の連立政権、そして最近の民主党政権である。どの野党政権にしろ何かを為したという明確な印象はない。共通するのは政策の大綱を決められず、いたずらに空虚な理想をかかげ、分裂し混迷を極めたという事だけである。安倍内閣の誕生は保守永久政権の継続を意味する。責任野党がないのはいけないと言われる。しかし少し考えてみよう。
 政党は明治時代前半の藩閥政府に民間の勢力が対抗する形で生まれた。自由党と改進党である。議会政治に移行してからいろいろな合従連衡を繰り返し、1927年(昭和2年)に政友会と立憲民政党という形で整除された。両党とも保守政党(左翼の言葉を使えばブルジョア政党)である。無産政党(社会主義政党)は存在したがその勢力は微々たるものだった。戦後マルクス主義が強盛だったころ社会党が存在したが、議席は1/3を超えることなく抵抗政党のまま衰微し消滅した。
 戦前戦後の政治情勢を見てみると日本には保守政権しかありえないのではないかと思う。明治維新以来政党と政府は対立したが、そもそも政党も藩閥政権も同根の存在であり、その由来を武士階層にもつ。政府の指導者や官僚は圧倒的に旧武士出身者で占められ、政党の指導層も同様だった。伊藤博文も山形有朋も板垣退助も大隈重信もみな武士だった。藩閥政府は一種の共和制とも言ってよく、藩閥独裁と非難された割にはよくまとまってやるべきことをやってきた。ここで視点を少し変えて明治政府における武士階層の消滅について考えてみよう。周知のように明治政府は成立早々廃藩置県と秩禄処分を断行し、武士の特権をすべて剥奪した。自らの手で自らの利権をすべて放棄した。こういう事績は他国の歴史にはない。このように一度武士階層は整理整除され、その中のエリ-トが官界、政党、財界の指導者として登用された。ちなみに明治大正の時代に起業された近代的企業の創始者の90%以上が武士あるいはそれと同種の階層の出身である。武士がみずからの利権を放棄し階層を一度整理し、そこから新たな武士指導層を生み出し、政権を担当する。これはある意味で幕府の再来ではないのか。そして新たな政権、藩閥政権がやりだしたことは憲法制定と国会開設である。これは世論の重視であり自らの寡頭独裁と言われる政府の形態の自己否定である。この作業はかっての秩禄処分と同じではないのか。
 日本には天皇制という伝統、政治資産がある。徳川幕府は天皇の存在ゆえに自らを安楽死せしめえた。明治政府は日本の文化社会に圧倒的影響を持つ天皇を頂点に抱き、その下に武士層のエリ-トを結集して政権を運営した。ある意味で徳川幕府の顰に習ったことになる。武士とは基本的に中間層であり技能者である。天皇制と武士勢力は基本的に対立するものではない。武士の発生は仏教の興隆と併行し、両者があいまって天皇制の発展を助けた。言葉を換えれば天皇制という権力を柔軟なものとした。明治時代憲法制定においても天皇の存在が独差権力に転化しないように極めて慎重な配慮が試みられている。事実戦前においても天皇の存在は象徴的なものだった。
 文化の守護者としての天皇を頂点に抱き、その下に実務層中間層技能者である武士を置いて新たな政権が誕生し発展しえきた。戦後の保守政権はこの延長上にある。1500年にわたる天皇制、そして700-800年に及ぶ武士政権の伝統を引く日本の保守政権が簡単に崩れるはずはない。
 日本の歴史は学べば学ぶほど面白い、そして驚異だ。日本の農村は比較的豊かだった。シナコリアと比較してもそうだし、多分西欧と比較しても日本の農村の方が豊かだったろう。農民の耕作権はがっちり守られ英国における囲い込み運動のような事はありえなかった。江戸時代の武士は戦士としても教養人としても水準が高かった。幕末の時点で識字率は男女ともほぼ100%としか思えない水準に達していた。なによりも農村においてはしっかりした衆議機構が確立されていた。この点では武士階層でも同様だ。こういう歴史的前提において天皇と武士の提携としての保守政治が維新後発展してきたのだ。保守永久政権でいいのではないのか。私は天皇制という巨大な文化財が存在する限り保守永久政権は続くと思う。そしてそれで良いのだ。天皇制が存在する限り共産革命は起こりえない。
民主主義の濫觴は(古代ギリシャを除けば)英国だ。もっとも英国の民主主義正確には議院内閣制は慎重に検討する必要がある。英国では土地私有が発展した。少数の地主が土地を占有した。この地主の利権を王権から保護するための機構が議会だ。従って英国においては国民階層の身分的経済的格差が大きい。日本においては地主制はあまり発展しなかった。同根である武士と農民は相通じつつそれぞれ別個に自らの衆議機構をもった。農村では郡中議定であり、武士層では評定衆や評定会議だ。日本は黙示的には議会を持っていたことになる。自らの習俗は大事にしよう。いたずらに他国を模範としなくてもいいのではないのか。
結論。自民党の保守永久政権を前提とすれば、野党は中小規模で群生し、状況によって自民党と小連合を組めばいいのではないのか。現在公明党がしているように。
(付1)過日自民党の宮崎という議員が育休申請をして不倫を行ったとして議員の地位を失った。すこし酷い処置ではないのか。不倫は個人的道徳から見れば問題だが、政治能力とは関係ない。育休で虚偽を為したことは問題だがこれは陳謝で済むことだ。議員の行動を個人倫理で縛りすぎることは議員の政治行為を制約し議員政治家を小物にしてしまう。政治特に外交は優等生で為しえる行為ではないのだ。
(付2)全然話題は変わるが3月23日午後7時半からのNHKの番組で「7000カロリ-を採っても肥らない」とかいう内容を報道していた。私は疑問に思う。太らない理由はある体質の人は短鎖脂肪酸が腸内で作られこの物質が脂肪(厳密には脂肪酸だろう)の脂肪組織への取り込みを防ぐとか言っていた。では取り込まれない脂肪酸はどうなるのか。極めて高い高脂血症になり生命は危なくなる。また短鎖脂肪酸自体も脂肪に転化する。番組の解説は極めて曖昧なものだった。ラッキョウとオ-トミ-ルを食べれば短鎖脂肪酸が出るという。偶然にも私はラッキョウとオ-トミ-ルの愛食者だが食事の量に比例して体重は増える。番組を最後まで聞いていないので断言はできないが、この番組やらせではないのか。似たような話だが昨日の新聞広告に美容内科医とかいう医師が、美しくなる医療方法なる内容を著書として出していた。広告に載っている内容を読む限り、当たり前の事か実証されそうもない事ばかりだった。インチキに近い。医者は病気を治す者で本来保守的な作業者だ。健康の上にさらにプラスαを加えようとするのは医者としては邪道だ。

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