とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

トランプ氏はなぜ人気が高いのか

2016-09-25 09:11:55 | 社会
 アメリカの大統領選挙で予想に反してトランプ候補が善戦している。トランプ氏の保護主義的な政策が国民に支持されているのだ。確かにトランプ氏の言動には理解しがたい、腹立たしいものが多い。しかし、アメリカのグルーバル政策に対するアンチテーゼとしてトランプ氏が出てきたのだと考えると納得できる。

 アメリカは自分の国の製品を他国に売りつけるためにグローバル政策を推し進めてきた。古くはソ連に対抗するために、現在では中国経済と対抗するために経済の囲い込みを広げてきたのである。この政策は「グローバル」という名のもとに行われていたので、だれもが最初はどの国も未来志向の政策だと思うのだが、結局はアメリカのための政策だと気が付く。ここに感情的なもつれが生じてしまう。「アメリカに騙された。」 このような負の意識は心の奥底に根強くのこってしまう。

 当然この反動はアメリカ人に起きてしまう。アメリカは何も悪くしていないはずなのに、標的になってしまう。古くからアメリカにいた人々は保守化していく。その保守層を刺激し、躍進したのがトランプ氏なのだ。だから出るべくして出た大統領候補なのだ。

 とは言え、このままでいいはずがない。いくつか書き残しておきたいことが残っているので、次の機会に書きたい。
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シンゴジラは無理しすぎ

2016-09-24 07:34:19 | 映画
 シンゴジラを見ました。面白かったのですが、特別大ヒットするような映画でもないと思いました。わたしにとってマイナス要因となったことはこの映画のご都合主義です。

 ご都合主義の1点目はステレオタイプの日本人の描き方です。ゴジラが登場し、その対応に日本政府が右往左往します。日本政府は組織で動かなければならずすべてがまどろっこしい。こういう日本という組織の批判は『踊る大捜査線』で描かれ、その後もさまざまな作品で描かれてきました。パターン化してしまったストーリーは描きやすいのですが、時代とともに戯画化されリアリティを失っていきます。一方では各省庁の仕事ができるが変わり者が集められた対策室の様子もパターン化された一匹狼の集団であり、日本の映画やテレビで得意としたものです。かれらの活躍はもちろん面白いのですが、あまりにも非現実的に見えます。

 ご都合主義の2点目はゴジラそのものです。どんな攻撃にも対応してしまうというのはいくらなんでも無理な設定ですし、逆に最後の人間側の攻撃はあまりにもご都合主義的な展開でした。(これは見ている人は誰もが感じたはずです。)

 東日本大震災時の危機対応、日米安保、集団的自衛権、日本型組織など、さまざまな面での現在の日本を描き、考えさせられ、しかも楽しめるという娯楽作品に仕上がっています。しかし2時間に収めるために、無理をしすぎた映画のように私には感じられました。
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Bリーグ開幕!

2016-09-23 07:17:12 | スポーツ
 Bリーグが開幕した。コートが「LEDビジョン」という映像が映せるボードを敷き詰めたものとなっていて、視覚的にすごい演出だった。しかし言うまでもないが、本当に成功するかしないかは試合自体の面白さにかかっている。その意味ではかなり厳しいのではないか。理由は2点である。外国人とのレベルの差が大きすぎ、勝敗は外国人次第ということになるということ。そしてそのために日本人スターが生まれないということである。

 外国人とは体格的にも技術的にも大きな差がある。外国人選手は身長も体重も日本人選手をはるかに上回っている。体がぶつかり合うバスケットボールにおいてはその体力差だけでも大きな差となる。しかもバスケットボールは世界的にどこでも盛んにおこなわれているスポーツだ。多くの国でプロリーグがあり、技術レベルにおいても日本をはるかに上回っている。これではすぐれた外国人を擁しているチームが強いというだけになってしまう可能性が高いのだ。

 外国人によって試合が決まるとすれば、日本人の活躍が目立たない。だから日本人スターが生まれない。野球が日本でメジャーになったのは、長嶋、王がいたからである。サッカーが日本で定着したのは三浦知良がいたからだ。野球もサッカーも今はスターになりそうな人材が外国にいってしまう。だから盛り上がらなくなってしまった。プロスポーツにはスター選手が必要なのだ。現状ではBリーグからはスターが生まれそうな気配がない。

 とは言え私は雪国に住んでいるので屋内スポーツが盛り上がることを期待している。Bリーグは地域密着型プロスポーツを目指しているようなのであせる必要はない。じっくりと育てながら地域に浸透していくことができればいつかはブレイクすると信じている。大切なのは性急に結果を求めないことである。くれぐれも内部分裂し足の引っ張り合いになってしまうことがないことを望みたい。

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現代文の参考書シリーズ 言語論③

2016-09-22 02:21:34 | 国語
〔存在するのは言葉のおかげ〕
 言語論の特徴は、言葉によって存在が始まるという発想です。

〔具体例1 砂は何粒でも「砂」だし、どんな形でも「砂」でしかない〕
「砂」という言葉があります。「砂」というとみなさんはどういうモノを想像するでしょうか。「砂場」の砂であったり、砂浜の砂であったり、あるいは砂の一粒、一粒であったり、いろいろです。砂1粒でも「砂」、一握り(おそらく1000粒ぐらい)でも「砂」、砂場(おそらく何千万粒)でも「砂」です。「砂」という言葉はあるのですが、その「砂」が「砂粒」何個に相当するのかは考えたこともありません。

 砂粒ひとつひとつについて考えてみてください。一つ一つの砂粒は小さいので、特に区別もしないで「砂」と言ってしまいます。しかしよくよく見てみると、砂粒ひとつひとつはそれぞれ違う形をしているし、大きさも一定ではありません。それぞれ個性的なのです。なのに、それらひとつひとつに名前は与えられていません。なぜなのでしょうか。砂粒ひとつひとつならば、無視していいのでしょうか。

 人間ならば考えられない話ですよね。人間の場合ならば、すべての存在に名前が与えられるはずです。

 人間ではなくとも人間にとって身近な動物姿や形を全く無視して分類されるなんてことはありません。例えば犬の中でも大きな犬と小さな犬があり、外見上も大きく違ういろいろとの種類の犬がいます。それぞれの種類に応じたそれぞれ応じた名前が与えられます。セントバーナーナード、柴犬、チワワなど様々な種類の名前が登場します。

 命のないものでも同じようなことが言えます。例えば建物。小さな一軒家と大きなビル、建物という点では一緒ですが、「家」と「ビル」というように名称を別にします。アパート、マンション、平屋、様々な名称がつきそれぞれ別のものと認識されます。

 繰り返しになりますが、砂の場合、全く違う大きさの、まったく違う形の、しかも素材も違うような砂が区別されることなく、「砂」という名前しか与えられていないのです。変な話ではありませんか。

 「砂」よりも「犬」や「建物」が偉いということでしょうか。いいえ違います。

 名称を与えるか与えないかは、人間の勝手な判断によっているのです。人間にとって分類すべきものには別の名称を与え、分類する必要のないものは一つの名称ですませている、それだけのことなのです。

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憲法改正問題(議論のできる子供を育てよう)

2016-09-20 08:27:20 | 社会
 憲法改正の問題について議論が混乱している。一度整理しておきたい。

 憲法改正問題について大きく3グルーブに分かれる。次の通りである。
 ①憲法改正反対の人
 ②憲法改正に賛成だが、憲法9条の改正には反対の人。
 ③憲法改正に9条を含め賛成の人。
 この中のそれぞれには、憲法改正の議論をすること自体には賛成の人と、議論をすることも反対の人がいるが、話が複雑になるので以上の3グループで論をすすめたい。

 ①の憲法反対の人はおおむね同じ考えである。憲法によって平和が守られているので憲法を変える必要はないという考えである。反対派の人は憲法9条を変えたくない。他の条項はこだわりはないが、他の条項を変えると憲法9条を変えるハードルが低くなると考え、すべての憲法を変更したくないのだ。
 ①の人に対しては、平和を守るという理念は共感できるが、憲法改正の議論を拒否するような態度は民主的ではないので賛成できない。

 ②の人は平和主義者でありながら、民主的な手続きを大切にしようとする人である。だから一見常識的に見える。
 しかし②の人は日和見的な人が多い。その場の雰囲気によって①にも③にも変化するのではないかと考える。

 ③の人は戦争主義者というわけではない。国を守るということはどの国でも大切なことである。だからその権利を憲法で認めるべきだという考えである。また、ここにはアメリカからの真の独立を主張している人もいる。現状のようなアメリカに守ってもらっている状態は真の独立とは程遠い。真に日本が独立国家になるためには日本の国は日本で守らなければならないという考えである。
 ③の考えは論理的には一番筋が通っていると考える。しかし、論理以前の根本原理である「戦争で人が死んではいけない。」という定理には逆行している。

 私自身は現状は②の立場だ。だがそれを主張する以前に議論が足りなすぎると思っている。大切なことを議論しないで「御上」に任せてきたのが日本人であり、それが様々な場で破綻をきたしているのだ。憲法改正は日本人みんなのテーマだ。みんなで議論しみんなで考える必要がある。

 だかたこそ私は議論のできる人間を学校で育てなければならないと考えている。
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