田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

イスラム国の外国人傭兵たちはなぜ戦場に赴くのか?

2015-05-21 23:15:26 | 大学公開講座


 ずいぶんと長いタイトルとなってしまったが、シリア・イラクで戦闘を繰り返すイスラム国(IS)に参加する外国人傭兵はいまや2万人を超えると見られている。その中でも旧ソ連諸国から流入する戦闘員には一つの特徴があるという。アゼルバイジャンをウォッチする講師から話を聞いた。 

 5月18日(月)夜、北大スラブ・ユーラシア研究センター主催の公開講座「動乱のユーラシア」の第3回目講座を受講した。(第2回目は所用があり欠席)
 3回目の講座は「『ムハージルーン(移住者)』を通して見るコーカサスのイスラーム復興」と題して、北大大学院専門研究員の立花優氏が務めた。
 複雑多岐な内容だったが、第1回目の時と同様、私自身の理解のために講義の要点を整理してみることにする。

 まず用語の理解であるが、「ムハージルーン(移住者)」という言葉だが、イスラム教の預言者ムハンマドがメッカで迫害に遭ったさいに、教友とともにメディナ(現在のサウジアラビア)に移住したそうだ。その移住した人たちを「ムハージルーン」という。
 そして今、シリアに流入する外国人戦闘員をISでは「ムハージルーン」と呼称しているそうだ。(※この部分はポイントの一つと思われる)

          
          ※ 講師を務めた若き研究者 立花優氏です。

 リード文で外国人戦闘員(傭兵)は2万人を超えるとしたが、そのうちの約3,000人が旧ソ連諸国(コーカサス地方)からであるという。
 旧ソ連諸国は、ソ連邦下時代イスラーム教は国家に管理され、自由な宗教活動は制約を受けていた。そうした状況がソ連邦の崩壊により、流動化し、諸外国との往来も活発となった。その結果、イスラーム教の世界にも、外の世界のイスラーム教の考え方や運動が影響を持ち始めた。
 旧ソ連邦の一つ、アゼルバイジャンにおいては、イラン、トルコ、アラブ諸国などから、宗教関係者が流入しアゼルバイジャン市民に大きな影響を与えるようになった。
 その中でも、初期イスラム時代を模範とし、そこに回帰すべきとする「サラフィー主義」(スンナ派)が大きな影響力をもった。
 その「サラフィー主義」は「イスラム原理主義」とも通底する考え方であると私は理解した。

 その影響を受けて育った人物たちが、コーカサス紛争と言われる、チェチェン戦争やナゴルノ・カラバフ紛争、南オセアチア紛争などにおいて指導的役割を担っていった。それらの紛争の背景には宗教的な要因もかなり色濃くあったようだ。
 やがてそれらの紛争が終焉を迎えたとき、イスラム国(IS)にとって、彼らの戦闘経験が重宝されたようだ。
 一方、イスラム国へ向かう若者たちも「サラフィー主義」の国家建設という宗教的大義から、イスラームに殉ずるということが彼らを戦場に向かわせているのではないか思われる。

 複雑、多岐にわたる講義の内容をごくごく簡略にまとめようとしたため、あるいは私の誤解や理解不足の面があると思われるが、その点はご容赦願いたい。
 (本講義においてはイスラームの「ジハード運動」については深く触れなかったが、「サラフィー主義」がその根底にあることは容易に想像できるところである)




《ウォーキング覚書》   5月 11日 ~ 5月20日までの記録

〔月 / 日〕  〔 ウォーク歩数 〕     〔 備  考 〕
 5/10   10,924             野幌森林公園観察会
 5/11    8,762 + 3,000     北大講座  
 5/12   11,020             動物園コース
 5/13   11,857             エルプラザ往復
 5/14   12,230
 5/15   12,589             ホテルライフォート片道
 5/16   10,820
 5/17   15,397             藻岩山登山
 5/18    9,069 + 3,000     北大講座  
 5/19   13,954             ホテルライフォート往復
 5/20   13,140             あやめ野小

※ +と表示した部分は自転車で走った分を距離に換算したものである。10分=1,000歩に換算した。

◇10日間の総歩数 135,762歩  ◇10日間の一日平均歩数 13,576 歩

 この10日間は一日も欠かさず一万歩をクリアすることができた。
 17日には久しぶりに藻岩山登山をした。平地を歩くのとは使う筋肉が違うためか、2日ほど筋肉痛が残った。
 11日、18日は北大講座を受講した日だが、夜間開催のため自転車を使用した。
 この10日間に2回の飲み会があった。いずれも前段に会議があるものだったが、こうした日にノルマをクリアするためにはいろいろと工夫しなければならないところが悩ましい。
 次の10日間の中では、25日に南幌町のリベンジウォークを予定している。雨が降らなければ良いが…。


札幌ぶらり散歩 72 蔵のある風景(7)

2015-05-20 23:57:10 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 つい先日、蔵のある風景(6)をレポートしたばかりである。なのにまたまた関連ある光景を目にすることが相次ぎ、3件の「蔵のある風景」がまとまった。そんなに札幌には蔵が多い?? 

◇古民家に連なるレンガの蔵 
 5月18日(月)、中央区の住宅街をウォークしているときに突然目に飛び込んできた蔵だった。中央区南4条西13丁目付近を歩いていたとき、大きな古民家風の建物に添うようにレンガ色の蔵が目に入った。
 意外な思いがしたが、レンガ造りのためにあまり注目されてはいないのだろうか?しかし、立派な石の蔵である。外からは推し量れぬが、今もきっと大切な品々を保管する倉庫として重宝されているものと思われる。

          

          

          


◇アパート風の建物に添って立つ蔵 
 同じく5月18日(月)、上記の蔵からそれほど離れていない南5条西12丁目に差しかかったとき、アパート風の大きな建物に添うようにまたまたレンガ造りの蔵が目に入った。
 この蔵の周りはびっしりと建物が建て混んでいて、いろんな角度から写真を撮ることはできなかった。
 そのため、現在どのような使われ方をしているのか想像することもできなかったが、現存しているということは、やはりそこの家にとっては貴重な倉庫(物置)となっているのだろう。

          

                

          


◇札幌祖霊神社の蔵
 この蔵についてはウェブ上で検索して早くからその存在を知っていた。先の蔵を目撃したこともあり、5月19日(火)撮影に赴いた。札幌祖霊神社は中央区南5条西8丁目という中心街のビルが立ち並ぶ中にあった。
 街中とあって敷地は狭いものの、建物自体は堂々とした建物である。札幌軟石製の蔵はその神社の社殿の横に鎮座していた。
 けっして大きな建物ではないが、神社に関わるさまざまな社宝が奉納されているものと想像される。

          

          

          


 今回の前記2件はまったく期待していなかったのに偶然目にすることができた物件だった。私が札幌軟石製に関わらず「石の蔵」としているので、案外この類いの蔵が存在するのだろうか?札幌軟石製にかぎらず、「石の蔵」はやはり他の建物とは明らかに違い、周りに異彩を放つ存在である。これからも目にした時には記録していきたいと思っている。

※ 本日は10日毎の「ウォーク覚書」をレポする日であるが、諸事情により明日レポすることにします。

日本の基軸は移動しているのか?

2015-05-19 22:09:41 | 講演・講義・フォーラム等
 私は時事問題に詳しくはないし、興味もそれほどない。だから政治に関するコミットは避けてきた。しかし、このほど聴いた田勢康弘氏の講演の中での一言を聞いて私は少なからず衝撃を覚えたのだったのだが…。

           

 5月18日(月)午後、東京ドームホテル札幌において「札幌信用金庫経済講演会」が開催された。今年の講演会は「アベノミクスは日本を救うか」と題して、政治ジャーナリストの田勢康弘氏が講演した。

 テーマに対する結論として田勢氏は「アベノミクスについて当事者は成果を強調しているが、内実はかなり空虚なものだ」と断じた。その根拠として、日銀の行った金融緩和は自らが国債を買い支えることで好況を生み出したかのような状況を作っていて、けっして本格的な経済好況ではないとした。
 アベノミクスについては多くのアナリストやジャーナリストがさまざまな見方・考え方をしているので、私は一つの見方として伺った。

                

 私が衝撃(ショック)を覚えたのは、田勢氏が自嘲的(と私には映ったが)に語った次の一言だった。
 「私は従来、自分の立ち位置は中心よりやや右寄りと思っていた。ところがいつの間にか座っている筵をずーっと左の方に引きずられてしまった」
と語った。
 氏が言うには、世の中の風潮が右寄りになっているのではないか、という指摘である。
 田勢氏はその傍証を次々と提示したが…。その中で特に氏が危機感を示したのが、彼の出身母体(田勢氏は日本経済新聞社出身)であるマスコミの腰の引けた報道ぶりを指摘した。
 もし、田勢氏の指摘が的を射ているとすると、マスコミ情報からしか世の中の動きを知ることができない私たち庶民は何を頼りにすれば良いのだろうか?

          

 そういえば以前、慶大名誉教授の小林節氏が「自分は改憲派の論客として政権の諮問会議等に呼ばれていたが、改憲に対して辛口の論述をしたところ呼ばれなくなった」という趣旨の発言をしていたのを思い出した。

 日本の基軸が移動している?…、そんなことは信じたくないのだが…。

成熟のジャズクラリネットを愉しむ

2015-05-18 21:46:18 | ステージ & エンターテイメント
 このようなタイトルを付けると、ジャズ通から「あなた、それほどジャズに精通しているの?」などと冷やかされそうだが、二人のクラリネット奏者の成熟した大人の演奏を愉しんだ1時間30分だった。 

               

 5月16日(土)午後、三岸好太郎美術館において「ジャズクラリネット 響きの競演」と題する美術館コンサートが開催され参加した。
 私は開演30分前に会場に着いたのだが、すでに満席状態だった。(狭い会場ではあったのだが…)そのため私はかろうじてステージを横目で眺めることができる椅子席を確保するのがやっとだった。
 
 私はジャズ演奏会とだけは承知していたが、誰の演奏かということ知らずに参加したのだが、会場の込み具合から見て、かなり高名なプレイヤーなのではと思いながら開演を待った。
 二人のクラリネット奏者は、バークレー音楽大学の木管楽器(クラリネット)教授を務めているという〔ハリー・スコラ―〕と、27年間札響のクラリネット奏者として活躍した〔渡部大三郎〕という、ジャズ界においてはかなりの大物と云っても良い二人だった。
 その他にバックとして、ドラムを岸林大輔、ベースを柳真也、ピアノを山元淳子がそれぞれ務めた。

          
          ※ 渡部大三郎氏の札響定年退職時の写真です。

 プログラムは次のようになっていた。
 ◇サマータイム / ジョージ・ガーシュイン 作曲
 ◇鈴懸の道 / 灰田有紀彦 作曲
 ◇道化役者 / 後藤丹 作曲
 ◇鳥たちの深淵 / オリヴィエ・メシアン 作曲
 ◇オール・オブ・ミー / ジェラルド・マークス 作曲
 ◇枯葉 / ジョゼフ・コスマ 作曲
となっていたが、後半の2曲は別な曲に差し替えられて3曲ほど演奏されたが、渡部氏のMCがよく聞き取れなくて、曲名は分からなかった。

                
                ※ ハリー・コスラーの少し若いときの写真と思われます。

 二つのクラリネットが掛け合うように演奏するさまはとても心地良く私の耳に届いた。
 ハリーコスラーは58歳、渡部大三郎氏は2005年に札響を定年退職されているから当年70歳だと思われる。
 年齢の違いによるものか、それともそれぞれの感性の違いによるものか、両者の奏法には違いがはっきり見て取れた。ハリーコスラーの方は、全身を使ったような音量十分の音を響かせた。対する渡部氏の方は、あくまで静かにクラリネットの音色の良さを引き出すような奏法に聴こえた。
 両者の演奏はそれぞれの持ち味が十分に出たものだったが、私としては渡部氏の音の方がより心地良く耳に届いた。それというのも、渡部氏の奏法に日本のジャズクラリネットの第一人者である鈴木章治を彷彿とさせるものを感じたからかもしれない。

 今回のコンサートで、いずれの曲もジャズの良さを堪能することができたのだが、最も私がジャズの良さを感じたのは、皮肉にもアンコール曲として演奏された谷村新司作曲の「いい日旅立ち」の曲を聴いたときだった。
 山口百恵の唄で何度も何度も聴き耳に残っている名曲である。それだけにその曲をジャズ曲として聴いたときに、何故かジャズの神髄(ちょっとオーバーですが)に触れたような気がしたのだ。
 耳慣れた原曲から入り、徐々に崩して(?)いき、奏者の感性のままに演奏されながらもどこかに原曲の香りを漂わせて、やがて原曲に戻ってくるという…。クラリネットの音色がまた良かったなぁ…。

 いや~、至福のひと時を過ごした気分であった。

札幌ぶらり散歩 71 蔵のある風景(6)

2015-05-17 19:31:46 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 その後も「札幌ぶらり散歩」の際に、石の蔵に出会うことがある。このほどそれが3件揃ったのでレポートすることにする。今回レポートする蔵は、白石区菊水、中央区南8西12と、南4東3で見かけた3件である。 

◇民家の倉庫として利用されている 
 5月3日(日)、白石区の菊水地区を歩いていたとき、菊水地区の一画に広壮な住宅があったが、その一角に札幌軟石製の石蔵が目に入った。規模としては大きなものではなかったが、ちょうどご主人が庭に造られている小さな畑の作業をされていた。
 その際、その石の蔵から肥料のようなものを搬出されていた。
 私はタイミングを計って、ご主人に声をかけさせてもらった。「この石の蔵はだいぶん時代が経ったものなのですか?」と…。すると主人からは「この蔵は移築されたもので、昔の建て方とは違った建て方をしています」という答えが返ってきた。
 なるほど、蔵全体としては札幌軟石を使用しているが、全体の形は現代の倉庫風の建て方になっているように見えた。
 おそらく札幌軟石の持つ保温性、保湿性に注目されて、移築しても札幌軟石を使用しようと考えた結果であろうと私は推測させてもらった。

          

          

          
          ※ ご主人の説明を伺うと、なるほど現代的な倉庫の建て方のように見えてます。


◇母屋も含めて創建当時の面影を残す蔵 
 5月15日(金)、私は某団体の会議に向かうため南8条の通りを東に向かって歩いていた。西12丁目付近に立派な庭木が植わった格式のありそうな民家が目に入った。
 私はその前庭と母屋を目にして「確かこの家の裏には石の蔵があったはず」と、以前付近をウォーキングした際の記憶を呼び起こしていた。
 そこで、この家の裏側に廻ってみると、そこには歴史を感じさせる素晴らしい石の蔵が建っていた。
 白い漆喰で塗装されたその蔵は創建当時そのままの姿をとどめてそこに建っていた。

          
          ※ なかなか格式の在りそうな前庭であり、母屋です。

          
          ※ 漆喰で塗られた蔵の後ろには、パチンコ店の大きな建物が控えています。

               
          ※ 写真が傾いていますが、歴史を感じさせる佇まいの石の蔵です。

          
          ※ 良く見ると、壁のところに等間隔にかぎ型の金具がありますが、何でしょうか?

          
          ※ 庭木も相当な歴史を感じさせてくれます。


◇カフェとして利用されている蔵 
 「蔵のある風景」が二つ収集できたことから、私がストックしていた南4東3のカフェに利用されている蔵を5月16日(土)、ウォーキングを兼ねて訪れた。
 ここの蔵は「LITTLE JUICE BAR」という名称のカフェとして利用されている。
 私は以前のこのカフェを訪れている。その際にブログに投稿しているので、の記事をリンクしておくことにする。こちら⇒をクリック
 
 札幌市内(特に都心近くに)においては、この「LITTLE JUICE BAR」のように店舗に転用して利用しているケースが多いようである。札幌軟石が醸し出す独特の質感が店を開店しようとする人たちに支持されているものと思われる。

          
          ※ ビルの谷間に呑みこまれそうにして建っている「LITTLE JUICE BAR」です。

          

                

 
 さて、この「蔵のある風景」シリーズはいったいどれくらい続けられるのだろうか?私の考えではまだまだ発掘できそうな予感がしている。ぼちぼちと発掘を続けることができたらと考えている。
 ところで、「蔵のある風景」などと称しながら、当初は蔵そのものに焦点を当てて写真を撮ってきたきらいがあった。そのことに気付き、今回は少し引いたところから蔵を写す一枚も加えてみた。どうでしょうか??

映画 134 グリーン

2015-05-16 21:05:51 | 映画観賞・感想

 ある意味衝撃的な映画だった。映画「グリーン 森を追われたオランウータン」はドキュメンタリー映画であるが、インタビューやナレーションは一切ない。画面を通して聞こえてくるのは、風の音と森の中の動物たちの鳴き声だけ…。しかし、そのことがこの映画の訴求力を一層高めたように思われた。 

 5月14日(木)午後、札幌エルプラザ内の情報センターにおいてエルプラ・シネマが開催され、観賞の機会を得た。

 映画の舞台はインドネシアである。インドネシアの豊かな熱帯雨林はパーム油の原料となるアブラヤシを植えるために森林伐採が進んでいる。森林伐採によって棲むところ失い、保護されたオランウータンに付けられた名前が「グリーン」である。

               
            ※ 写真は保護され生きる精気を失ったかのようにベッドに横たわるグリーンです。

 映画は森林伐採の様子、アブラヤシの果肉や種子を収穫する様子、それを大規模工場でパーム油に生成する様子、パーム油を原料とする大量の商品が店頭に並ぶ様子などが断片的に映し出される。
 それと同時に、伐採の進んだ山中に食料を求めて体中を泥だらけにしながら歩き回り、憔悴しきったグリーンが保護される。
 私はオランウータンの顔に表情筋があることを知った。グリーンの顔からは生きることに対して諦観しきったような表情が確かに読み取れた。

 およそ50分、インタビューもナレーションもなく、淡々と映し出す映画からは環境破壊を告発する強烈なメッセージが込められていたと感じさせられた。

 私はテレビ番組でもこうしたドキュメンタリー物を好んで見る。それはドキュメンタリー物は映像を通して事実を伝えていると思うからだ。
 しかし、今回の投稿をするにあたり、映画「グリーン」を評するある一文を見て、冷や水を浴びせかけられた思いをした。
 それは次のような一文である。

  
 (前略)
 ナレーションは全くないが、こうした語法により意図は確実に伝わる。(中略)
 したがって、観客が映画の作者の意図を見誤る可能性はまずない。きわめて雄弁な作品だ。
 作品の評価はここからである。
 個々の映像にはたしかに力がある。文脈は明らかに作為的だ。
 で、ここが問題なのだが、作者が作りここで提示した文脈が正しいかどうかは、この映画自体からは判断できない。「ドキュメンタリーは嘘をつく」のである(森達也)。
 だから、作品外の事情によって、作者の文脈に共感を感ずるならば「素晴らしいドキュメンタリー」ということになるだろうし、そこに疑問を感ずるなら「恣意的な作品」ということになるだろう。
(大友浩という文芸研究家と称する方のブログより拝借)

 
 「ドキュメンタリーは嘘をつく」という森達也氏の指摘は私にとってはハッとさせられる指摘であるが、冷静に考えると頷ける指摘でもある。
 しかし、大友氏が作品の評価に関して相対する二者を提示したが、私は少なくとも本作品において、作品外の事情は何もないが作者の文脈に共感したいと思うし、この「グリーン」というドキュメンタリーに関して嘘はないと信じている。


出口のない?パレスチナ問題

2015-05-15 08:44:12 | 大学公開講座
 講師の話に、何度も何度もため息をつきながら聴いていた私だった…。「いったい、どこに出口があるんだろう」と…。複雑すぎるパレスチナ問題だが、その問題の一端を聴いた。 

 ※ 本日はこれから外出し、帰宅するのが深夜になると予想されるので、予め投稿してから外出しようと考えました。 

 待望していた北大スラブ・ユーラシア研究センター主催の公開講座「動乱のユーラシア」~燃え上がる紛争、揺れ動く政治経済~ の第1回講座が5月11日(月)夜、北大構内で行われ、受講した。
 第1回講座の内容は、「ガザ戦争後のパレスチナ:長引く紛争に翻弄される人々」と題して、東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所の錦田愛子准教授が務められた。

               
       ※ 錦田愛子東京外大アジア・アフリカ言語文化研究所准教授です。
 
 錦田氏はパレスチナ問題の中でも直近に起こった「ガザ戦争」後のガザ地区を訪れ、その悲惨な現況を語った。その前提として錦田氏はパレスチナ問題の歴史を簡単に紐解いてくれた。非常に複雑、混迷化の度合いを深めるパレスチナ問題であるが、錦田氏のお話も参考にしながら、私自身がパレスチナ問題を理解するために、私自身の理解でこの問題を整理してみたいと思う。

               
    ※ イスラエルとパレスチナ自治区の国境線の形も問題を複雑化させている一つの要因のように思えます。

 そもそもの問題の根は、ヨーロッパにおけるキリスト教徒がヨーロッパ各国に在住したユダヤ教徒を排除しようとしたことが問題の根幹にあると私は理解した。誤解を恐れずに言えば、ヒトラー率いるナチスによるホロコーストもその延長線上にあったと言える。
 問題は少し遡るが、第一次世界大戦が終了した時点で、当時まだ力がありヨーロッパの盟主を自認していたイギリスが、アラブ人にも、ユダヤ人にも、またフランスやロシアに対しても都合の良い解決案を示したのが、今日のそもそもの混迷の大要因のようである。(俗にイギリスの三枚舌外交と称されている)

 このイギリスの解決案を盾にユダヤ人は1948年、イスラエル建国を宣言した。この建国に当然のように反発するアラブ側との間にパレスチナ問題が勃発した、と言ってよいのだろう。
 その後の混迷については目を覆うばかりである。双方が武力をもって衝突を繰り返し、間に立って仲介しようとする国々にも思惑があったり、影響力がなかったりして和解にいたることはいまだ出来ていないし、今後の見通しも暗い。
また、当事者であるイスラエルにしても、難民化しているパレスチナ側にしても内部対立が激しい。特にパレスチナ側は徹底抗戦を主張するハマースと話し合い解決を目ざそうとするファハタの対立は根深い。
 一方、イスラエル側は解決に向けての方法論の対立はあるものの、国民であるユダヤ教徒の間にホロコーストに対する根強い恐怖感があり、アラブ人を排除し安全な国家建設が国民の共通な思いであるという。(簡単な妥協は許さない)

 このような状況でどんな解決策があるというのだろうか?これまでも幾多の国が、幾多の指導者がパレスチナ問題解決に取り組みながら、その解決を見なかった問題である。
 暗澹とした思いをしながら本講義を受講した私だった…。
 はたして中東(パレスチナ)に未来はあるのだろうか?

映画 133 氷点

2015-05-14 22:02:02 | 映画観賞・感想

 ご存じ、故三浦綾子原作の映画化された作品である。地方(旭川市)で病院を経営する医師といういわば上流家庭における夫婦の愛憎劇である。あり得ないようなストーリー展開が当時は大ブームを巻き起こしたという。当時の「氷点」ブームを想いながら映画を観た。 

 めだかの学校の「映画の中の北海道-昭和編」は、5月11日(月)午後、本年度第2回目が行われ、三浦綾子原作の「氷点」が取り上げられた。

 三浦綾子は1963(昭和38)年、朝日新聞社が募集した当時としては破格の1千万円懸賞小説に応募した「氷点」が当選作となり作家デビューを果たした作品である。
 翌年から朝日新聞に連載されるや、たちまち評判となり、1966年にはテレビドラマ化されてまたまた大評判に、続いて同年本作のように映画化に至ったという作品である。

 映画は病院を経営する医師である辻口啓造と妻の夏枝の間にできた娘ルリ子が何者かに殺害されるが、辻口はその遠因は妻が不貞を働きルリ子を放置したために殺されたと信じてしまった。
 夫妻はその後養子をとることになるが、その際辻口は夏枝への復讐のため、娘ルリ子を殺害した犯人の娘を養女陽子として引き取った。
 何も知らない夏枝は陽子を溺愛するように育てるのだが、ある時夫の陰謀を知ることとなった。すると夏枝は一転、陽子を虐待し始めるのである。
 何も知らずに健気に生きる陽子だが、夏枝の仕打ちは執拗を極め、ついには陽子に出生の秘密を暴露してしまう。
 悲嘆にくれた陽子は自らの死を選択したのだった。

 というのが、おおよその映画のストーリーであるが、いくら妻への復讐とはいえ、我が子の殺人犯の娘を養女として迎え入れるというのは、いくらなんでもあり得ない話だと私には思われる。しかし、その非情ともいえる辻口の行動がこの作品が評判を呼ぶ要因の一つとなったことも否定できない。

          
          ※ 左から陽子の恋人役の津川雅彦、陽子役の安田道代、夏枝役の若尾文子です。

 私はテレビドラマというものをほとんど見ることはない。テレビドラマの設定などはこの「氷点」のような、あり得ないようなストーリー展開が視聴者の関心を呼んでいる面があるのではないだろうか?いわゆるドラマの世界というものだ。
 あり得ない設定と思われていたことに、やがて現実の世界が追いつき「あり得る」ことになったことも数多くあるような気もしているのだが…。
 そんな傾向の火付け的な役割もこの「氷点」は担っていたのではないだろうか、と考えるのはうがち過ぎだろうか?

 私は原作を読んではいないが、原作においてはクリスチャンである三浦綾子の人間観、世界観が滲み出たもっと深い作品(キリスト教の概念である『原罪』がその背景として重要なテーマとなっているという)であるということだが…。

 最後にまったく私的な見方だが…。ヒロイン役となった陽子役を映画では安田道代が演じているのだが、私にはいま一つしっくりこなかった。テレビの方で大評判となった内藤洋子の可憐な表情・演技の方がジャストキャストのように思われた。
 夫妻役の若尾文子、船越栄二が適役だっただけに惜しまれるキャスティングと思ったのは私だけか?

 最後に全くの余談を一つ。
 現在視聴率ナンバーワンとも言われている日本テレビ系の「笑点」だが、当時のブームをヒントに立川談志がもじって命名したと伝えられている。さすがにお笑い番組である。


春を満喫!森の観察会

2015-05-13 20:15:53 | 環境 & 自然 & 観察会
 春を待ちかねた山野草が一斉に花を咲かせている。木々の若葉は陽の光を浴びて萌木色の世界を創っている。頭上からは小鳥のさえずりが四方から聞こえてくる。春爛漫!心地良い春の光を浴びながら森の観察会を楽しんだ!
 

     
     ※ 森を散策中に、魚眼風に上空を見上げて撮った一枚です。春の森の感じが良く出ています。

 5月10日(日)、野幌森林公園 自然ふれあい交流館主催の「春のありがとう観察会」が開催され、参加してきた。
 ありがとう観察会とは、冬の間に公園内に溜まったゴミを拾いながら森林公園内の自然を観察しようという趣旨の観察会である。参加者は軍手とゴミ袋が必携となっていたので、私ももちろん持参した。

 参加者は意外に少なく5~60人くらいではなかったろうか?参加者が少なかったことが幸いした。この日は「北海道ボランティア・レンジャー協議会」の方が説明員だったのだが、参加者は小グループに分けられ、そこに一人の説明員が付いてくれた。私は4人のグループに振り分けられ、いつも近くで丁寧な説明を伺うことができた。

          
          ※ 主催者の説明を聞く参加者たちです。

 説明のレンジャーの方は道場優という私と同年配ではと思われる方だった。この方は自然にとても詳しい方であるうえ、たくさんの説明用具を持参してくれて、いたれりつくせりの説明をしてくれた。

 説明は白樺の木の枝のことから始まった。ちょうど私たちの肩の高さくらいのところにある白樺の枝先が鋭く切れている部分を指し、「これは冬に野ウサギが食した跡です」と説明してくれた。つまり、公園内の雪がそれくらいの高さまで積もったことを示す証拠でもある、ということだった。

          
          ※ 冬の間に野ウサギの食害を蒙った白樺の小枝です。

 さらには、触るとヒトの肌がかぶれてしまうツタウルシの見方について、実物を前にして、葉が3枚の小葉からできていること、周りに木がないと地面を這うように伸びるので要注意、というように具体的に注意を与えてくれた。
 一事が万事、非常に分かりやすい説明で、時にはオヤジギャグを織り交ぜながら楽しく説明してくれた。

          
          ※ 説明員が教えてくれた下方を向いたエンレイソウの花の内側を鏡を用いて写す技です。

 時には路傍の花を、時には木の肌や葉を見ながら、そして時には頭上でさえずる小鳥を、懇切丁寧に説明してくれた。特に、小鳥は葉が繁ってきたために、声はすれども姿は見えず状態だったのだが、小鳥の写真をたくさん持参して、その時々に鳴く鳥の姿を見せてくれた。

 私はといえば、次から次へと説明される野草や木の種、小鳥の名前を聞いても右から左へ状態で、まったく覚えることができない。この記憶力の悪さにはとうに諦めているのだが…。
 そこでここに紹介するのは、私が数少ない同定可能な野山に咲く花々である。

          
          ※ ニリンソウは今がちょうど満開の時を迎えていました。

          
          ※ オオバナノエンレイソウも森の中のいたるところで見ることができました。

          
          ※ 森の中にひっそりと咲くヒトリシズカはこれから見頃になると思われます。

 優しく丁寧な説明を伺いながらの4時間は、爽やかな空気の心地良さも手伝った至福のひと時だった…。

 あっ、肝心のゴミ拾いの方は、一つのゴミも見当たらず、最近は森林内を散策する人のマナーが向上したとのことで、私の軍手はザックの中に眠ったままだった。

札幌ぶらり散歩 70 札幌珍景大棚おろし

2015-05-12 20:56:33 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 えっ!?異常にドアが多い建物だぞ! あらっ!役目を終えた階段だろうか?  はたまた可愛い祠はきっと社員の安全を祈願しているんだろうなぁ…。 街中で見つけ思わずほっこりしたり、ニコッと笑えたりする、微笑ましくも珍しい光景を切り取ってみた。 

 「札幌ぶらり散歩」で撮り貯めておいた物件がけっこう貯まってしまった。何か共通のテーマができたときに投稿を、と思っていたが鮮度が落ちては価値がなくなるのではと思い、一挙棚卸しをすることにした。
 なお、取り上げた物件を揶揄しようなどという意図はけっしてない。街中にあって、それを目にした人たちが思わず微笑んでしまうような光景を提供してくれたことにお礼の気持を込めながら紹介したい。

◇異常にドアの多い家 
 4月19日、八軒地区を歩いているとき、なんだかとてもドアの多い建物が目に入った。数えてみると、4つものドアがあった。用途としては物置のように見えるのだが、どうして4つものドアが必要なのか、いくら考えてもその訳は分からなかった。
 あるいは家主の方が、道行く人に謎かけをしている建物なのかもしれない、なぁ~んて考えてしまったのだが…。

          

       ※ この4つのドアは謎である。ひよっとしてご主人はいたずら好きの人なのかもしれない?(いや、失礼)

          


◇細~い物置? 
 同じ日、住宅街で見かけた光景である。住宅のエントランスのところがポーチのようになっていて、そこはおそらく駐車場として使用していると思われた。
 そのポーチを作っている柱状のところにシャッターが設けられていた。おそらくそこは物置として使用されているのではと思われた。
 いや、シャッターが設けられているのだから物置に間違いない! ポーチの柱を物置として活用するとは! 家主のアイデアに脱帽である。

          

       ※ ご覧のように左側の柱状のところが少し太くなっていますが…、そこが下の写真のように…。

          


◇可愛い祠は社員のために? 
 4月21日、発寒の工業団地を散歩しているときだった。発寒13条12丁目に差しかかったときだった。そこに小さな鳥居と祠があるのに気付いた。そこは鋳物を製造している会社のようだった。
 それはきっと社業の繁栄と社員の安全を願う社主の思いがこもった鳥居と祠なのだろうと思えた。いや、きっとそうだろう…。

          

          ※ 周りの建物と比べてみてもその可愛らしさがお分かりいただけます。

          


◇都心に未舗装道路!? 
 灯台下暗しである。4月24日、自宅近くを散歩していた。往く手が突然ジャリの道路に変わった。「えーっ!こんな都心近くに!」と思った。
 場所は大通西21丁目のマンションや住宅が立ち並んでいる一角である。知人が言うには「そこは私道ではないか」というのだが…。
 子細に見てみると、一度舗装された道路のようである。そのアスファルトが剥がれてきて現在のような状態になったようにも見える。
 いずれにしても早晩舗装されるのだと思われるのだが、その後も違うところを歩いていて同じような光景にぶつかった。市内にはそうしたところがけっこうあるのだろうか?

          

          

          
          ※ この写真が以前は舗装されていたではないかと伺えます。

◇役目を終えた階段?
 4月29日の日である。友人たちと宮の森地区を散策していた。すると私が目ざとく見つけたのだ。外階段が付いた住宅があったのだが、その降り口が囲われてしまっているのを発見した。
 う~ん、これは二世帯住宅、あるいは2階を賃貸住宅として使っていたが、やがてその用を終えたために、2階の出入り口を閉じてしまったものなのか?

          

          
          ※ 2階のドアはきっと開かずドアでしょうね…。


 街を歩いていると、ちょっと珍しい、あるいは?と思える光景に出会うことがある。その光景を見て、自分なりにいろいろと想像してみるのが楽しい。本日取り上げた物件は、それぞれに現在に至った理由があるのだろうが、それを見かけた人たちに楽しい想像を提供してくれていることは間違いない!