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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



秋晴れのある日、東京江東区にある富岡八幡宮に行ってきました。江戸幕府が初めて江戸での勧進相撲を認めたのは今から333年前、1684年、この富岡八幡宮でした。・・・そこにある相撲関係の石碑を紹介しましょう。

明和年間(1770年前後)には春・秋の年2場所のうちの1場所がこの富岡八幡宮で開催されていたそうです。・・・大関力士碑は鳥居を入ったすぐ右にあります。

「そういう意味で、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地と言えます」と神社の説明板に表記されていました。・・・大関力士碑の裏にある碑には、駒ケ嶽、伊勢ノ浜から始まり、昭和期は能代潟から平成期は霧島から順に大関名が刻まれていました。

こちらは、拝殿の右側奥にある明治二十八年三月吉日の横綱力士碑、左側に横綱不知火・右側に横綱陣幕の顕彰碑、魚かしの石柱は大正期のものでした。・・・左端は千代の富士が寄進した超五十連勝力士碑

 横綱力士碑の裏面には、初代明石志賀之助、二代綾川五郎次、三代丸山権太左衛門、四代谷風梶之助から続く横綱の名前がぎっしりと刻まれていました。・・・石碑の横面には陣幕久五郎の名前が大きく刻まれていました。

 横綱力士碑の右後方には協賛中曽根康弘とある横綱の顕彰碑があり、朝潮太郎、柏戸、大鵬から若乃花(三代目)まで刻まれています。

その顕彰碑の表側スペースが無くなった関係で、裏面に武蔵丸から稀勢の里までの横綱名が刻まれていました。裏面では最上段なので、まだ15名分のスペースが確保されています。すべて埋まるのはいつになるのでしょう。

実は、それ以降のこともちゃんと配慮されていて、横綱力士碑の左後方に名前の刻まれていない石碑があり、ここも三段×7名×裏表で計42名を刻めるスペースがありました。これが埋まる時期は想像できませんね。

超五十連勝を達成した力士は、双葉山69連勝(以下同じ)、千代の富士53、谷風63、太刀山56、初代梅ケ谷58の名前が刻まれていますが、白鵬(63達成済み)は現役なのでまだ表示されていません。ちなみに大鵬の記録は45連勝なので対象外でした。



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