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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



手水舎のすぐ左、銅鳥居の敷地は、正面にある陽明門の敷地から2段分下がっていて、主として外様大名が寄進した灯篭が並んでいます。

銅鳥居の左側には、一切経を収蔵する輪庫(教蔵)。手前の石灯篭2基は毛利輝元の嫡男、長州藩主の毛利秀就(1595~1651年)の寄進

陽明門直下の敷地(譜代大名等の寄進した灯篭がある場所)から、さらに下がった石段の下にある伊達政宗(1567~1636年)が寄進した南蛮鉄の灯篭2基

灯篭の竿部分の拡大・・・元和三年(1617年) 寄進東照大権現 御賢所 敬白 卯(四)月 十七日 藤原朝臣政宗と読めました。

こちらは同じ敷地(石段の左)にある島津家久(1576~1638年)寄進の銅灯篭。家久は関ヶ原・敵中突破で有名な義弘の三男(忠恒)で、島津宗家の家督を継ぎ、初代薩摩藩主となっています。家康から偏諱を受けて家久と改名しますが、同名の叔父がいたので改名前の忠恒と表記されることが多いようです。

竿の部分拡大・・・東照大権現 元和三年丁巳 七月十七日と読めたので、伊達政宗より3か月遅れてここに寄進されたのでしょう。

大坂の陣で有名な「真田は日本一の兵(つわもの)」という言葉を残したのはこの家久です。・・・銅は鉄よりも腐食に強く、400年前の薩摩宰相藤原家久という文字も、はっきりと読むことができました。

さて外様大名の灯篭が立つ敷地から石段を上ると、陽明門下の敷地があり、そこには譜代大名の寄進した灯篭が並んでいました。・・・右手前は鼓楼、その向こうは鐘楼

譜代大名の灯篭が並ぶ敷地からさらに石段を上がったところに、修理が終わったばかりの陽明門がありました。

参考文献:日光東照宮 横山恵一編



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