ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

今年の10大ニュース(平成30年、2018年)

2018-12-30 09:37:33 | 心と宗教
 今年(平成30年、2018年)は、わが国にとって、明治維新から150年の年であり、平成の御世の最後の年でもありました。最も残念なことは、憲法改正への動きが十分進まなかったことです。
 昨年5月3日、安倍首相が自民党総裁の立場で、2020年に新憲法施行というスケジュール案を示し、憲法改正論議を活発化することを求めました。また、9条の1項、2項を維持し、3項に自衛隊を明記する案を提示しました。
 安倍氏の提案を受けて自民党では議論が進められ、本年3月25日の同党大会で、改憲4項目に関する条文イメージが発表されました。4項目とは、自衛隊の明記、緊急事態条項の新設、参議院の合区解消と広域地方公共団体の明記、教育の充実です。9月21日の自民党総裁選で、安倍晋三氏が三選され、10月初め第4次安倍内閣が発足し、安倍首相は臨時国会で憲法改正案を出す方針でした。しかし、3月25日以後、国会では、野党6党が憲法審査会の開催に反対し、憲法に関する議論が全く進ない状態が続き、自民党の改憲案の提示はできないままとなっています。
 こうした状態の一方、政府は臨時国会に出入国管理・難民認定法の改正案を出し、あれよあれよという間に、改正入管法が12月8日に成立しました。改正入管法は、外国人労働者のために新たな在留資格を設け、人手不足が深刻な産業分野で外国人労働者の受け入れを拡大するもので、31年4月に施行されます。受け入れる外国人のうち高度な技能を持つ者には、長期在留や家族の帯同が認めるものので、将来的には永住権付与の可能性が開けます。永住権の付与は、事実上の移民政策につながることが懸念されます。
 私は、外国人労働者の受け入れを拡大することになった今、憲法改正の重要性が一層高まったと考えます。早急に憲法改正をして、国のあり方を根本から立て直さないと、外国人労働者の急増によって日本の国家・社会が溶解してしまうおそれがあります。
 まず日本とはどういう国であるかを、憲法において明確にし、国民の国家・国民・国防の意識を高めることが必要です。日本はどういう国柄・伝統・歴史を持つ国であり、これからどういう理想に向かって進むのか。それを憲法に書き込み、日本とはどういう国かということを明確にする。これを欠いたまま、外国人労働者を多数受け入れ、一般永住者を増やし、さらに外国人に日本国籍を安易に与えたりすると、日本は独自の国柄・伝統・歴史を失い、日本としての特徴や美点を失ってしまい、やがて日本は東北アジアの一つの移民国家に変質してしまうと思います。来年こそ、憲法の改正を大きく前進させなければなりません。
 さて、世界に目を転じますと、今年最大の出来事は、米中貿易摩擦が激化したことです。米国は対中問題を単なる関税問題ではなく、情報や軍事の分野にも及ぶものと捉えており、今後、米中関係は一層緊張を強めていくことが予想されます。歴史を振り返ると、米中冷戦が開始された年と位置付けられる年となるかもしれません。
 中国では、3月11日に憲法が改正され、習近平主席に権力が集中する体制が強化されました。長期独裁政権となる可能性が出ており、個人崇拝の傾向が目立ってきています。米中貿易摩擦の激化は、中国指導部内で習主席への批判を生んでおり、習主席がこれを抑え込むか、それとも新たな体制への変革が起るのかどうか、注目されます。
 朝鮮半島では、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が、4月27日に板門店で会談し、朝鮮半島の「完全な非核化実現」を共同の目標に掲げた「板門店宣言」に署名しました。続いて、6月12日にトランプ米大統領と金委員長が、米朝最高指導者の初会談をシンガポールで行い、「朝鮮半島の完全な非核化」を目指すと明記した共同声明を発表しました。しかし、その後、北朝鮮側が自国の安全保障を優先する態度に変わったため、米朝間の協議はこう着状態になっています。
 来年5月、日本は新しい時代に入ります。4月30日に譲位がされ、5月1日に即位・改元が行われます。天皇は日本国および日本国民統合の象徴であり、皇位の安定的な継承は、憲法改正の実現とともに、わが国の根幹に係る重大な課題です。
 わが国は歴史の大きな岐路に立っています。日本人が日本精神を取り戻し、日本の再建を進めることが、国民一人一人の幸福と発展につながる。またそれが世界の平和と発展への貢献となると私は思います。
 来年も、どうぞよろしくお願いいたします。皆様、よい年をお迎えください。

 以下は、時事通信社による今年の10大ニュース。

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●時事通信社の2018年10大ニュース

【図解・社会】2018年10大ニュース
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_general-10bignews2018

 ※記事などの内容は2018年12月17日掲載時のものです

◇国内10大ニュース

1位・オウム松本元死刑囚らの刑執行
 法務省は7月6日、オウム真理教の元代表松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚=当時(63)=と元幹部6人の刑を一斉に執行した。同26日にも、元幹部6人の刑を一斉執行。1995年3月に発生した地下鉄サリン事件から23年余を経て、一連の教団事件で死刑が確定した13人全員の執行を終えた。
 松本サリン、坂本堤弁護士一家殺害などの教団事件の犠牲者は29人に上り、負傷者も6000人を超えた。教祖として教団を率いた松本元死刑囚は一審東京地裁の法廷で不規則発言を繰り返し、動機などの詳細を語らないまま、起訴された全13事件で有罪とされ、死刑判決を受けた。弁護人が期限までに控訴趣意書を提出せず、二審東京高裁は控訴棄却を決定。2006年、最高裁で死刑が確定した。
 
2位・日産ゴーン会長を逮捕
 日産自動車のカルロス・ゴーン会長(64)が11月、巨額の役員報酬を隠したとして、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に逮捕され、会長を解任された。仏自動車大手ルノーも統括し、業績不振の日産をV字回復させたカリスマ経営者逮捕のニュースは、世界に衝撃となって伝わった。
 日産は逮捕後、報酬隠しに加え、投資資金の流用や経費の不正支出疑惑も明かし、会社の「私物化」を公表。特捜部は日産の外国人執行役員らとの間で、他人の犯罪を明かす見返りに刑事処分を軽減する日本版「司法取引」に合意し、関連証拠を入手したとされる。弁護側は虚偽記載を否認しており、事件は検察、弁護側の全面対決となる様相を呈している。

3位・財務省が森友文書改ざん、20人処分
 学校法人「森友学園」へ国有地を格安で売却した問題で、財務省が決裁文書の改ざんや学園側との交渉記録の廃棄という不正に手を染めていたことが分かり、通常国会が騒然となった。財務省は6月、内部調査の結果を公表。改ざんを行った当時の佐川宣寿局長ら国有地を管理する理財局ぐるみで不正が行われたと認定し、関係者20人を処分した。理財局主導を強調する内容だったため、佐川氏らに責任を負わせたとの批判も起こった。
 文書改ざんは3月に発覚した。佐川氏は国税庁長官を辞任し、国会で証人喚問が行われた。財務省が大揺れとなる中、福田淳一事務次官は4月、自身のセクハラを報じられ辞任に追い込まれた。一連の不祥事で国の予算編成を担い「最強官庁」と呼ばれる財務省の権威が失墜した。
 
4位・西日本豪雨、北海道地震、災害相次ぐ
 6月の大阪北部地震は、学校のブロック塀が倒れ通学中の小4女児が死亡するなど6人が犠牲となった。7月の西日本豪雨は14府県で計220人を超える死者を出し、平成最悪の豪雨災害となった。広範囲な土砂崩れなどで1万7000戸以上が全半壊。避難所で暮らす被災者は一時、1万2000人を超えた。「災害級の猛暑」が続き、同月23日には埼玉県熊谷市で国内観測史上最高の41.1度を記録した。
 9月の台風21号は近畿地方を縦断し、10人以上が死亡。高潮などで関西国際空港が閉鎖され、関西経済に打撃を与えた。最大震度7を記録した同月の北海道地震では、厚真町を中心に41人の犠牲者が出た。震源地に近い苫東厚真火力発電所が停止し、道内ほぼ全域の295万戸が停電するブラックアウトも発生した。
 
5位・安倍首相、「2島先行返還」へかじ
 安倍首相は11月14日、シンガポールでロシアのプーチン大統領と会談し、北方領土問題に関して1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約締結交渉を加速させることで一致した。同宣言は条約締結後、歯舞、色丹両島を「日本国に引き渡す」と明記。これまで国後、択捉を含む4島返還を主張してきた立場から、安倍首相が「2島先行返還」にかじを切った形で、領土問題は大きな転機を迎えた。
 両国政府は、河野太郎外相、ラブロフ外相を責任者に交渉を進める方針。ただ、歯舞、色丹両島の「引き渡し」後の主権は「当然、日本側」(菅義偉官房長官)とする日本政府に対し、プーチン氏はロシアの主権が残る可能性をにじませている。双方の認識に隔たりがあり、交渉の先行きは見えない。
 
6位・陸自「イラク日報」見つかり公表
 防衛省は4月、存在しないとしていた陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報が見つかったと発表した。同月に公表した日報には、治安情勢について「戦闘が拡大」などと記載されていた。同省は5月、組織的な隠蔽(いんぺい)を否定し、情報共有の不足を原因とする調査結果を公表するとともに、統合幕僚長や事務次官ら17人を処分。防衛白書では「文民統制に対する懸念や不信感を生じさせた」と記した。
 問題をめぐっては昨年2月、防衛省が国会議員の資料要求などに「存在しない」と回答する一方、当時の稲田朋美防衛相が再探索を指示。翌月に陸自研究本部(当時)で日報が発見されたが、上層部に報告はなかった。再探索の実施要領や方針が示されなかったため、同本部では指示を認識していなかった。

7位・平昌五輪で最多メダル
 第23回冬季五輪平昌大会が2月、韓国で開催された。日本選手団はメダル13個(金4、銀5、銅4)を獲得し、冬季の最多記録を更新。2020年の東京夏季五輪に向けて弾みをつけた。
 フィギュアスケート男子では、羽生結弦が右足首のけがを乗り越え、66年ぶりの連覇達成で感動を呼んだ。スピードスケートはメダルラッシュ。女子500メートルで小平奈緒が日本女子初の金に輝き、高木美帆は女子団体追い抜きの金を含むメダル3個。姉の高木菜那は新種目のマススタートで頂点に立った。カーリング女子はLS北見(現ロコ・ソラーレ)が銅メダルを獲得し、プレー中の会話「そだねー」は流行語大賞に。ノルディックスキーのジャンプでは高梨沙羅が銅。期待に応えた女子選手の活躍は話題をさらった。

8位・中央省庁で障害者雇用水増し
 中央省庁が長年にわたり障害者雇用を水増ししていたことが発覚した。弁護士ら第三者による検証委員会が調べた結果、28の行政機関が不正を行い、2017年6月1日時点で3700人を障害者として数えていたことが判明。本来なら法制度を整備・推進する立場にある中央官庁のモラルの低さが批判された。政府は約4000人を新たに雇うことを決めた。
 障害者雇用促進法は国や企業に一定割合の障害者を雇うよう定めている。基準をクリアしたように見せるため、中央省庁では障害者手帳を持たない職員や退職者を障害者に含めるなどのずさんな運用が目についた。省庁別では国税庁が1103人で最多。制度を所管する厚生労働省でも不正があった。地方自治体などでも水増しの実態が明らかになった。

9位・働き方改革、外国人就労で関連法
 2018年は仕事と日本社会の在り方に大きな影響を及ぼす二つの法律が整備された。6月に成立した「働き方改革」関連法は、残業時間の上限に罰則付きの規制を導入することが柱で、70年ぶりの労働法制の大改正。高収入の専門職を労働時間規制の対象から外す「高度プロフェッショナル制度」の創設なども決まった。
 高度な専門分野に限ってきた外国人労働者を、新在留資格を創設して農業、建設など多分野に広げる改正出入国管理法は12月に成立した。19年4月にスタートするこの制度には「事実上の移民政策」との指摘もあるが、深刻な人手不足への対策として安倍政権が法制化。具体的な対象分野や人数、受け入れ体制は成立後に定める省令などに委ねており、野党からは「拙速だ」との批判を浴びた。

10位・日銀が政策修正、金利上昇容認
 日銀は7月31日の金融政策決定会合で、大規模な金融緩和政策の修正を決めた。デフレ脱却を目指す日銀は個人や企業がお金を借りやすいよう金利を極めて低く抑える政策を採ってきたが、国債取引の低迷や金融機関の収益悪化など副作用も大きくなってきた。このため住宅ローンの目安などとなる長期金利の上昇を一定程度容認し、こうした副作用を和らげつつ緩和を長く続けられるような仕組みに変えた。
 市場では、黒田東彦総裁の就任から5年以上にわたって緩和一辺倒で突き進んできた日銀が路線を転換した重要な決定と受け止められた。政策修正を先取りする事前報道の段階から円相場や金利は大きく変動したが、しばらくすると国債取引は再び低迷。日銀の大規模緩和策は行き詰まりが鮮明になりつつある。

◇海外10大ニュース

1位・米朝が史上初の首脳会談
 米朝首脳会談が史上初めて実現した。トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は6月12日、シンガポールで会談。「朝鮮半島の完全な非核化」を目指すと明記した共同声明を発表したものの、核廃棄の査察や完了期限といった肝心の文言はなく、具体策は先送りされた。
 トランプ氏は米韓合同軍事演習の凍結まで表明し、首脳会談は米側が大きく譲歩する結果となった。しかし、北朝鮮側はその後、非核化より自国の安全保障に関わる朝鮮戦争の終結宣言や休戦協定の平和協定への転換を優先させる姿勢を示し、制裁の早期解除も求めたため、米朝間の協議はこう着状態になった。両国は来年、2回目の首脳会談を行うため調整中。トランプ氏は「1月か2月」との見通しを明らかにしている。

2位・米中貿易摩擦が激化
 トランプ米政権は知的財産権の侵害を理由に7月から9月にかけて、最大の貿易赤字相手国である中国からの年間輸入額のほぼ半分、計2500億ドル(約28兆円)相当の製品に追加関税を発動した。これに対し中国は1100億ドルの米国製品に報復関税を課した。世界1、2位の経済大国間の貿易摩擦激化で、世界経済への影響が懸念されている。
 米政権はこのうち2000億ドル分に課す追加関税率を来年1月に10%から25%に上げる予定だったが、12月の米中首脳会談で決めた貿易交渉の間は税率引き上げを凍結する。交渉期限となる来年2月末までに中国が知財権や技術移転強要などの問題で改善策を示さなければ、米国は税率引き上げに踏み切り、対立が一段と深刻化する恐れがある。

3位・朝鮮半島非核化、南北首脳が合意
 韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は4月27日、板門店の韓国側施設「平和の家」で会談し、朝鮮半島の「完全な非核化実現」を共同の目標に掲げた「板門店宣言」に署名した。北朝鮮の最高指導者が板門店を越えて韓国側を訪れたのは分断後初めて。
 5月26日には文氏が板門店の北朝鮮側施設「統一閣」を訪れ、再会談。9月18~20日には平壌を訪問し、敵対関係の解消をうたった「平壌共同宣言」に調印した。両首脳は北朝鮮が「革命の聖地」としている白頭山を訪れるなど、南北融和ムードを盛り上げた。正恩氏は核実験場を閉鎖し、ミサイル実験場の廃棄を約束。寧辺の核施設についても「米国の相応の措置」を条件に廃棄の用意を表明したが、実現するかは不透明だ。

4位・米がイラン核合意離脱、制裁再発動
 トランプ米大統領は5月8日、欧米など主要6カ国とイランが締結した合意からの離脱を表明した。合意はイランの核兵器開発阻止を目的としているが、トランプ政権は弾道ミサイル開発規制などが含まれていないとして、経済制裁を8月と11月の2段階に分けて再発動した。
 2015年7月に成立した核合意は、イランが核兵器の原料となるウラン濃縮を含む核開発を大幅に縮小する代わりに欧米側が経済制裁を解除する内容。オバマ政権がこれを主導し、外交的な成果と位置付けられた。トランプ政権による一方的な離脱は、強硬派の共和党やイランと敵対するイスラエルなどを意識したとみられている。ただ、イランは「合意違反は一切ない」と主張、英仏独などは関係の維持に腐心している。

5位・韓国最高裁、徴用工への賠償命じる
 韓国最高裁は10月30日、第2次大戦中の元徴用工の損害賠償請求訴訟で新日鉄住金の上告を棄却、賠償を命じる判決を言い渡した。11月29日には三菱重工業を相手取った元徴用工らの訴訟2件についても賠償判決を確定させ、日本企業の敗訴が相次いだ。いずれも「1965年の日韓請求権協定では個人の請求権は消滅していない」と判断した。日本政府は「協定で解決済み」との立場で、「判決は日韓関係の法的基盤を覆す」として、韓国政府に是正措置を求めている。
 また、韓国政府は11月21日、日韓合意に基づいて設立され、元慰安婦らの支援事業を行っていた「和解・癒やし財団」の解散を決めたと発表した。日本政府は「合意の着実な履行が重要だ」と強調、「解散は受け入れられない」と反発している。

6位・メルケル独首相「引退」、欧州に衝撃
 ドイツで長期安定政権を率いてきたメルケル首相が10月29日、州議会選連敗の責任を取り、中道右派与党・キリスト教民主同盟の党首を辞任すると表明した。首相職には2021年の任期満了までとどまる方針だが、その後は政界を引退する。欧州連合(EU)をけん引してきたメルケル氏の引退表明は欧州各国に衝撃を与えた。
 メルケル氏は05年に首相に就任し、ギリシャ財政危機への対応や、15年の欧州難民危機で難民受け入れに積極姿勢を示すなど指導力を発揮。一方、欧州では反難民を掲げるポピュリスト政党が台頭、メルケル氏の寛容政策は国内外で反発を招き、求心力も低下した。昨年9月の総選挙では議席数を大きく減らし、半年間の交渉の末に中道左派・社会民主党との連立で第4次政権を発足させた。

7位・米中間選挙、下院で民主党が過半数
 トランプ米政権への審判となった4年に1度の中間選挙は11月6日に行われ、下院で野党・民主党が8年ぶりに過半数を奪還した。上院では与党・共和党が多数派を維持し、両院で「ねじれ」が生じる結果となった。共和党単独での法案可決が阻まれるため、今後は厳しい政権運営が予想される。民主党がロシア疑惑でトランプ大統領への追及を強めるのも必至だ。
 下院で民主党が奪った議席数は約40に上り、近年の中間選挙では2010年に共和党が奪った63議席に次ぐ多さとなった。共和党は保守色の強い州で底力を見せながらも、それ以外の州で現職候補が次々と敗れ、上院でもアリゾナ州など共和党が強い地盤で議席を失った。中間選挙では与党に厳しい結果が出る傾向にあるが、再選を目指すトランプ氏に不吉な兆候となった。

8位・習中国主席が「1強」強化
 中国の憲法改正(3月11日)でこれまで2期10年までとされてきた国家主席(元首)の任期が撤廃され、習近平主席に権力が集中する体制が強化された。習氏が兼務する共産党総書記と中央軍事委員会主席はもともと任期がなく、国家主席の任期を制限することで、総書記と軍事委主席も事実上10年までとされてきたが、その「たが」が外された。習氏が政権トップを10年以上務める可能性が出てきた。
 国家副主席には、高齢のため党中央の要職を退いていた習氏の盟友、王岐山氏が起用された。また、習氏がトップを務める党中央指導小組が委員会に格上げされ、党が政府機関を指導する権限が拡大。習氏個人の影響力がさらに強くなったが、「毛沢東時代への回帰を志向している」との批判的見方もある。

9位・サウジ記者殺害、皇太子に疑惑
 サウジアラビアの著名な反体制派記者ジャマル・カショギ氏が10月2日、結婚手続きのため訪れたトルコ・イスタンブールのサウジ総領事館で殺害された。サウジは当初、事件そのものを否定したが、殺害時の音声記録を持つトルコによる追及や国際社会からの批判が日増しに強まる中、サウジ検察は情報機関高官らによる計画的殺人だったと発表。容疑者20人超を拘束し、そのうち5人に死刑を求刑した。
 複数のメディアが、米中央情報局(CIA)はサウジの事実上の最高権力者であるムハンマド皇太子が殺害を命じたと結論付けたと報じるなど、皇太子の関与が取り沙汰されているが、サウジは一貫して否定。サウジとの関係維持を優先させたいトランプ米大統領は皇太子擁護の姿勢を続けている。

10位・米国抜きTPP11が発効
 米国を除く環太平洋連携協定(TPP)参加11カ国が合意した新協定「TPP11(イレブン)」が12月30日に発効。工業製品や農産品の関税撤廃・削減、知的財産権保護などのルールを定めており、貿易自由化を進め、太平洋をまたぐ新経済圏として発展を狙う。日本の消費者にとってはニュージーランド産乳製品の値下げといった恩恵が期待できそうだ。
 TPPは2015年10月、米国を含む12カ国で大筋合意したが、トランプ大統領が就任直後に離脱を表明。残る11カ国で再協議し、今年3月に新協定署名にこぎ着けた。その後、日本、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの批准手続きが完了し、発効条件を満たした。11カ国の人口は約5億人、国内総生産(GDP)の合計は世界全体の約13%を占める。
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キリスト教139~ニーチェ:ニヒリズムの時代を予言

2018-12-29 08:53:56 | 心と宗教
●ニーチェ~「神は死んだ」と言い、ニヒリズムの時代を予言

 19世紀の半ば、ダーウィンは進化論を唱え、マルクスは共産主義的唯物論を唱えた。彼らの思想は、近代科学的合理主義に立ち、キリスト教を否定し、同時に神や霊を認める伝統的な精神文化を否定するものであった。ダーウィンは自然淘汰・適者生存を原理とする闘争の思想を説き、マルクスは人類の歴史は階級闘争の歴史であるとする闘争の思想を説いた。彼らの後、フリードリッヒ・ニーチェが登場した。ニーチェは、ダーウィン・マルクス以上に徹底した無神論を説き、「力への意志」を生の唯一の原理とする闘争の思想を説いた。
 ニーチェは、1844年にドイツでプロテスタントの牧師の家に生まれた。父母ともに代々牧師の家庭である。「呪術の追放」を行ったプロテスタンティズムの家系から、キリスト教そのものを否定する思想が出現したわけである。
 ニーチェは、19世紀後半の西欧において、キリスト教によって代表される伝統的価値が、人々の生活において効力を失っていると洞察した。この状況を「神は死んだ」と表現した。彼は、西洋思想の歴史は、プラトンのイデアやキリスト教道徳といった、彼にとっては本当はありもしない超越的な価値、つまり無を信じてきたニヒリズムの歴史であるという。そして、このニヒリズムが表面に現われてくる時代の到来を予言した。ニーチェは、このニヒリズムを克服しなければならないと考えた。ニヒリズムが表面に現われてくる時代とは、「次の2世紀」とする。これは20~21世紀にあたる。ニーチェは、既にその時代が到来しつつある場所を、機械文明の国・アメリカに見ていた。
 ニーチェによれば、キリスト教による伝統的価値は「奴隷道徳」を体現している。この道徳は、強者に怨念や恨み(ルサンチマン)を抱いた弱者が作り上げたもので、やさしさとか温情といった言葉で形容される行動をほめあげる。しかし、こうした行動は弱者の利益にかなうものでしかない。彼はこうした伝統的価値にかわる新しい価値の創造を提唱した。
 「神の死」によって人間が直面したニヒリズムを克服するために、新しい価値の創造が必要とされる。この困難な課題に耐えうるのは、人間を超えた「超人」のみである。超人は、弱者に対する強者であり、奴隷に対する君主である。超人が生み出すものは、「奴隷道徳」に替わる「君主道徳」である。超人のみが新しい価値の体現者として、ニヒリズムを克服しうる。ニーチェは「人間は動物と超人との間に張り渡された一本の綱なのだ」と言って、人間存在の危うさを強調した。
 超人の価値創造力は、「力への意志」と呼ばれる。ニーチェは、神や霊や死後の世界、不可視界を否定する一方、現実世界における生を肯定し、生命の本質を「力への意志」であるとする。「力への意志」こそ、生の唯一の原理であると、ニーチェは説いた。
 ニーチェは、ショーペンハウアーから深甚な影響を受けていた。ショーペンハウエルは、カントが認識し得ないとした物自体とは、意志であるとした。意志とは、盲目的な「生きんとする意志」である。この「生きんとする意志」が現象世界全体を形成する動因であるとした。インド哲学や仏教の影響を受けたショーペンハウアーは、衝動的な盲目の意志を否定することで、解脱の境地へと達することができるという思想を説いた。ニーチェは、ショーペンハウアーの意志を、否定すべきものから肯定すべきものへと逆転させた。それが「力への意志」である。
 「力への意志」を原理とする思想は、ダーウィンやマルクスに共通する闘争の思想である。ダーウィンは種の間の、マルクスは階級や男女の間の、ニーチェは個人の間の闘争を説いた。
 ニーチェは、デカルト以来の近代西欧哲学が確実性の拠点としてきた「自我」や「意識」を疑う。それは、人間と世界との隔たりをもたらし、人間の「究極の拠り所」を亡失させるものであるという。これに対し、ニーチェが憧れた生は、人間の「究極の拠り所」である「一にして全」であるものであった。ニーチェはこの根源的な存在を「ディオニュソス的なもの」と呼ぶ。
 ディオニュソスとは、ギリシャ神話に現われる陶酔と熱狂の神であり、死して再生する神である。ニーチェは、この根源的な「一者」との汎神論的な同一化を求めていく。そして、超人のイメージと、古代ギリシャの陶酔と熱狂の神・ディオニュソスのイメージは重合していく。そして、ニーチェは、自らを聖書に記された「反キリスト」と同定するに至った。
 キリスト教的な西洋文明を批判し、西洋文明の根源を古代ギリシャに遡るニーチェは、さらに神話的な思考に立ち戻った。
 ニーチェには、永劫回帰という思想もある。永劫回帰とは一切のものが永遠に繰り返すという考え方で、神話的思考における「祖型と反復」(エリアーデ)に通じるイメージである。ニーチェは、永劫回帰を「無が永遠に続く」というニヒリズムととらえる。それを運命として肯定する者は、世界に意味を与える者となる。いわば無意味から有意味への反転である。このような極の反転は、神話的思考に見られる「対立物の一致」のイメージに通じる。
 ニーチェの思想は、このように複雑で、論理とイメージが混在し、矛盾を孕む。だが、その所論には鋭い洞察があり、欧米やロシアの知識人に重大な影響を与えてきた。そして、ニヒリズムという言葉は、ニーチェの思想から離れ、より広い意味で使われるようになった。ニヒリズムは、しばしば伝統的な秩序や価値を否定し、規制の文化や制度を破壊しようとする態度の意味で使われる。ニーチェが予言したように、19世紀末から欧米では、ニヒリズムが蔓延するようになった。世界的なキリスト教史について言えば、キリスト教徒のキリスト教離れ、キリスト教の衰退の進行である。
 ニーチェのいう根源的な存在、「ディオニュソス的なもの」は、近代西欧が否定し、退けてきた合理化し得ない領域である。すなわち、理性に対する情念に当たる。身体・生命に基礎を置くものである。これを心理学的に見れば、無意識に当たる。ニーチェは、1883年から『ツァラトゥストラはこう語った』を書いた。この書でニーチェは意識せずに、無意識の探検を行っている。ユング心理学者の林道義の著書『ツァラトゥストラの深層』によると、ツァラトゥストラはニーチェの心である。そこには、死と再生の物語があり、影・アニマ・老賢者が登場し、自己の象徴がマンダラ(註 円や4とその倍数を要素とする象徴図)として現われる。しかし、近代人ニーチェは、理想的な自我だけが正しいとして、無意識をすべて抑圧する。そこに自我膨張の症状が現われ、肥大した自我はついに破綻する。
 深層心理学者のユングは、ニーチェのいうディオニュソスとは、実はゲルマン神話の神・ヴォータンのことであると説いた。ニーチェは、ヴォータンの子孫・ゲルマン人を「金髪の野獣」といって賛美した。この言葉は、「超人」や「力への意志」といった言葉とともに、ナチスのイデオロギーの中で悪用された。
 19世紀前半のキルケゴールと後半のニーチェは、対照的な思想を説いた。前者は、「真のキリスト者」となることをめざし、後者は「反キリスト」の思想を説いた。その点では正反対なのだが、彼らには共通している点がある。既成のキリスト教への激しい批判である。また、その批判は、近代西洋文明の発展に苦悩する個人の生きざまから発している。20世紀の西欧に、彼らの苦悩をともにする哲学者が現れる。それが、ハイデッガーとヤスパースである。

 次回に続く。

キリスト教138~キルケゴール:真のキリスト者たろうとした単独者

2018-12-28 08:26:08 | 心と宗教
●キルケゴール~真のキリスト者たろうとした単独者

 マルクスは、ヘーゲルのキリスト教的観念論に対して、無神論的共産主義を樹立した。これに比し、ゼーレン・キルケゴールはマルクスとは正反対にキリスト教の信仰を深化する思想を展開した。西方キリスト教の宗教改革によって、神と人が絶対的に向き合い、自分が一人で神に対面して結果を受けるしかないという、厳しい個人主義的な宗教が成立した。キルケゴールは、そのプロテスタンティズムにおける信仰のあり方を徹底的に突き詰めた。彼の単独者の実存の哲学は、19世紀後半以降、プロテスタンティズムを中心にキリスト教における信仰のあり方に深刻な影響を与え続けている。
 キルケゴールは、1813年にデンマークに生まれた。20歳代初めまでに5人の兄姉と母とが相次いで死亡した。その不幸を父が先妻の死亡以前に暴力的に実母を犯した罪と結びつけて、自ら「大地震」と呼ぶ深刻な体験をした。以後、死の意識と憂愁の気分のとりこになった。レギーネという女性と婚約したが、苦悩の結果、婚約を一方的に破棄した。しかし、彼女への愛は変わらなかった。こうした家系的な罪の意識と、恋人への愛の内的反復という複雑な心理から、「いかにして真のキリスト者になるか」ということが、生涯の課題となった。
 キルケゴールは、近代西欧哲学が人間の本質を論理の能力たる理性に限定し、真理を合理的客観性として追及してきたことに反発する。本質規定に尽くされない人間の自由な生に注目し、思惟能力だけでなく、人間の生き様全体をとらえようとしで、そのような具体的な人間を「実存」と呼ぶ。そして、「人間は無限性と有限性との総合、時間と永遠なものとの総合、要するにひとつの総合なのである」(『死に至る病』)と説く。これらの総合は、相反する概念の一致をいうものである。だが、それは理性的な思惟によって、実現するものではない。人間は一つの本質に限定されない自由のもとにあり、常にそのつど自分なりの関係を自己の人格として生成させる実存的課題を負う。そして、「大切なのは、私にとって真理であるような真理を見出し、それのために私が生き、そして死にたいと思うようなイデーを見出すことなのだ」(『日記』)と書く。
 キルケゴールは、人間の生き方を三つに分ける。第一は、無神論的で享楽的な段階である、第二は、職業や家庭において善悪を正しく判断しつつ生きる倫理的な段階である。だが、人間が罪を負っており、こうした生き方は挫折せざるをえない。そこに、第三の宗教的な段階が開けてくる。絶対的な神を前にした畏れ、慄き、罪への自覚が、信仰へと人を導く。主体性は、本質としては無である自己を自覚し、存在の根拠を欠く無の不安の中から存在の根拠である超越的な神との関係で課題を示される宗教的実存において、はじめて成立すると説いた。
 ヘーゲルは、近代理性主義の哲学を体系的に展開した。キルケゴールによれば、ヘーゲルは、人間の思惟の論理で神的な絶対精神を論証したが、その神は理性の神格化であって、不安を抱えた実存に対面する人格的な神ではない。それゆえ、ヘーゲルの弁証法は、主体的な真理を求める道ではない。真理を知るための人間の弁証法は、絶望の中にある人間に語りかけてくる人格神と交わす対話であり、神と人間の異質的断絶を真の現実と認めるところに始まるとして、キルケゴールは質的弁証法を説いた。
 キルケゴールは、唯一人で神の前に立ち、自己の無力と自己の責任を自覚する。そうした彼にとって、歴史はヘーゲルの世界史のように客観化されたものではなく、永遠の神が介入する瞬間において、そのつど始まる歴史である。その瞬間において、人間は論理を越えた逆説の神に出会う。キリスト教の原点であるイエスの受肉を歴史的に一回限りの過去の出来事ではなく、この現在の瞬間における同時性としてとらえ、それを主体的に反復することが、真のキリスト者のあり方だ、とキルケゴールは考えた。
 『あれか―これか』『不安の概念』『死に至る病』等の一連の文学的・哲学的・宗教的な著作を発表した後、キルケゴールはルター派の教会の牧師になろうとした。しかし、レギーネ問題を中傷する人身攻撃にあい、衆人のそしりと嘲笑を受けた。この経験から、キルケゴールは、時代の客観性にあえて逆らう単独者の道こそが真理へ通じる道であるという確信を持った。
 その後、キルケゴールは、デンマーク国教会を激しく批判した。国教制度を取るデンマークでは、生れた者は幼児洗礼を受けて教会員となる。キルケゴールは、そのことの是非を問い、キリスト者は常に単独者として、真理の証人として、殉教者になる姿勢を持たなければならないと主張した。国教会の偽善を糾弾する活動を行っている中で、1855年のある日、キルケゴールは路上で倒れて、意識不明となった。その数週間後に死亡した。38歳だった。
 こうした彼の人生には、幸福も安らぎもない。自分の主観でとらえた限りの神、イエスの愛と恩寵を求めながら、挫折と屈辱の中で人生を終えている。そこに救いを見出すことはできない。だが、キルケゴールの思想は、20世紀西欧の危機の時代において高く評価され、ニーチェとともに実存哲学の先駆とみなされた。今日まで、プロテスタントを中心とするキリスト教徒に大きな影響を与えている。その影響は、ハイデッガー、ヤスパース等の哲学者や、バルト、ティリッヒ等の神学者に顕著である。

 次回に続く。

移民国家になったら日本は消滅する~西尾幹二氏

2018-12-27 06:59:01 | 時事
 評論家の西尾幹二氏は、改正入管法は「移民国家宣言」だとして、強く警告している。
 西尾氏は言う「多民族共生社会や多文化社会は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。日本は少数外国人の固有文化を尊重せよ、と早くも言われ出しているが、彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか。イスラム教徒のモスクは既に数多く建てられ、中国人街区が出現し、朝鮮学校では天皇陛下侮辱の教育が行われている。われわれはそれに今耐えている。寛容は限界に達している。34万人の受け入れ案はあっという間に340万人になるのが欧州各国の先例である」と。
 西尾氏は、ドイツを中心に、ヨーロッパの移民問題を日本に伝え、日本における移民の拡大を警告してきた。早くも1989年には『労働鎖国のすすめ』を刊行し、外国人単純労働力の導入に慎重論を唱えた。また2008年に自民党が「人材開国!日本型移民政策の提言」を出した時には、これに反対する論陣を張った。
 私は、拙稿「トッドの移民論と日本の移民問題」で、移民受け入れ1000万人計画を批判した。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm
 (第6章へ)
 
 西尾氏は、2010年には、「WiLL」2010年4月号)で、当時のドイツ事情を伝えた。
 「トルコ人問題で苦しんだドイツは、トルコへの帰国者を募り、相当額のお金をつけて故国へ返す政策を計画し、大規模に実行したことがある。しかし、間もなくムダと分かった。帰国させたほぼ同じ人数だけ、たちどころにドイツに新たに入国してくる。同じトルコ人が戻ってくるのではない。ドイツ社会に、トルコ人就労者を必要とする一定数の強い需要が生じてしまったのである」。
 外国人労働者を受け入れると、「先進国の社会は、送られてくる労働力のパワーに慣れ、それを頼りにし、次第にそれがなければ成り立たない社会に変わってしまう。先進国の側が外国人をつねに必要とする社会体質になり、その力を勘定に入れなければ国や、都市や、各種の組織が機能しなくなってしまうのである」と。
 西尾氏は、このことを次のように表現する。「ドイツは、トルコ人労働者という麻薬に手を出して抜け出せなくなったといっていい。じつはフランスも、オランダも、イギリスも、各国それぞれ様相は違うが、麻薬に手を出したという点では同じだといっていい」と。
 人間を麻薬に例えるのは不穏当だが、ここでは西尾氏の表現として引用しておく。
西尾氏によると、ドイツでは国家中枢部分である「教会」と「国防軍」の二つともが、外国人への依存によって左右されるようになっている。「教会」は移民受け入れを推進することで増収を図ることに賛成し、国防軍は外国人なくして成り立たなくなってしまった。
 西尾氏は「ドイツの現状は以上のような次第だから、国内で『移民反対』と今さらもうまったく言えなくなり、道を引き返すすべはもはやなくなったといっていい」。「メディアも政府も『沈黙』する。知識人も言論人も『ものが言えなくなる』。これが外国人流入問題の最も深刻な最終シーンである。外国人を労働力として迎えるという麻薬に手を出した国の道の先にあるのは、民族の死である」と西尾氏は述べている。
 わが国は、今回の入管法改正で、来年4月から外国人労働者の受け入れを拡大することが決まったところだが、マスメディアの多くは、この政策が日本を実質的な移民国家に替える危険性があることを、ほとんど述べようとしない。西尾氏は、言う。「一般に移民問題はタブーに覆われ、ものが言えなくなるのが一番厄介な点で、すでにして日本のマスメディアの独特な『沈黙』は始まっている」と。
 この沈黙の広がりを破るには、われわれ国民が発言していくしかない。
 以下は西尾氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年12月13日
https://special.sankei.com/f/seiron/article/20181213/0001.html
「移民国家宣言」に呆然とする 評論家・西尾幹二
2018.12.13

 人口減少という国民的不安を口実にして、世界各国の移民導入のおぞましい失敗例を見て見ぬふりをし、12月8日未明にあっという間に国会で可決成立された出入国管理法の改正(事実上の移民国家宣言)を私は横目に見て、あまりに急だったな、とため息をもらした。言論人としては手の打ちようがない素早さだった。

≪新たな民族対立に耐えられるか≫
 私が外国人単純労働力の導入に慎重論を唱え出したのは1987年からだった。拙著『労働鎖国のすすめ』(89年)は版元を替えて4度改版された。初版本の当時は発展途上国の雇用を助けるのは先進国の責務だ、というような甘い暢気(のんき)な感傷語を堂々たる一流の知識人が口にしていた。この流れに反対して、ある県庁の役人が地方議会で私の本を盾にして闘った、と私に言ったことがある。
 「先生のこの本をこうして持ってね、表紙を見せながら、牛馬ではなく人間を入れるんですよ。入ったが最後、その人の一生の面倒を日本国家がみるんですよ。外国人を今雇った企業が利益を得ても、健康保険、年金、住宅費、子供の教育費、ときに増加する犯罪への対応はみんな自治体に降りかかってくる。私は絶対反対だ」
 この人の証言は、単純労働力の開放をしないとしたわが国の基本政策の堅持に、私の本がそれなりに役割を果たしていたことを物語っていて、私に勇気を与えた。私は発言以来、不当な誹謗(ひぼう)や中傷にさらされていたからである。
 外国人は自分の欲望に忠実で、先進国に入ってくるや否や徹底的にそれを利用し、そこで出世し、成功を収めようとする。何代かけてもである。当然、日本人社会とぶつかるが、そのために徒党を組むので、外国人同士-例えば中国人とベトナム人との間-の争いが、日本社会に別の新たな民族問題を引き起こす。その争いに日本の警察は恐らく無力である。
 日本国民は被害者でありながら、国際的には一貫して加害者に位置づけられ、自由に自己弁明できない。一般に移民問題はタブーに覆われ、ものが言えなくなるのが一番厄介な点で、すでにして日本のマスメディアの独特な「沈黙」は始まっている。

≪大ざっぱな文化楽天論が支配≫
 今回の改正法は国会提出に際し、上限の人数を決めていないとか、すべて官僚による丸投げ風の準備不足が目立ったが、2008年に自民党が移民1千万人受け入れ案というものすごく楽天的なプログラムを提出して、世間をあっと驚かせたことがある(「人材開国!日本型移民政策の提言」同年6月12日付)。中心は中川秀直氏で、主なメンバーは杉浦正健、中村博彦、森喜朗、町村信孝などの諸氏であった。外国人を労働力として何が何でも迎え入れたいという目的がまずあった。
 これが昔から変わらない根本動機だが、ものの言い方が変わってきた。昔のように先進国の責務というようなヒューマニズム論ではなく、人口減少の不安を前面に打ち出し、全ての異質の宗教を包容できる日本の伝統文化の強さ、懐の広さを強調するようになった。
 日本は「和」を尊ぶ国柄で、宗教的寛容を古代から受け継いでいるから多民族との「共生社会」を形成することは容易である、というようなことを言い出した。今回の改正案に党内が賛同している背景とは、こうした大ざっぱな文化楽天論が共有されているせいではないかと私は考える。

≪歴史の興亡を忘れてはならない≫
 しかし歴史の現実からは、こういうことは言えない。日本文化は確かに寛容だが、何でも受け入れるふりをして、結果的に入れないものはまったく入れないという外光遮断型でもある。対決型の異文明に出合うと凹型に反応し、一見受け入れたかにみえるが、相手を括弧にくくって、国内に囲い込んで置き去りにしていくだけである。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、それに韓国儒教などの原理主義は日本に絶対に入らない。中国の儒教も実は入っていない。
 「多民族共生社会」や「多文化社会」は世界でも実現したためしのない空論で、元からあった各国の民族文化を壊し、新たな階層分化を引き起こす。日本は少数外国人の固有文化を尊重せよ、と早くも言われ出しているが、彼らが日本文化を拒否していることにはどう手を打ったらよいというのか。
 イスラム教徒のモスクは既に数多く建てられ、中国人街区が出現し、朝鮮学校では天皇陛下侮辱の教育が行われている。われわれはそれに今耐えている。寛容は限界に達している。34万人の受け入れ案はあっという間に340万人になるのが欧州各国の先例である。
 四季めぐる美しい日本列島に「住民」がいなくなることはない。むしろ人口は増加の一途をたどるだろう。けれども日本人が減ってくる。日本語と日本文化が消えていく。寛容と和の民族性は内ぶところに硬い異物が入れられると弱いのである。世界には繁栄した民族が政策の間違いで消滅した例は無数にある。それが歴史の興亡である。(にしお かんじ)
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キリスト教137~ヘーゲルの絶対的観念論からマルクスの無神論的共産主義へ

2018-12-26 09:30:26 | 心と宗教
●ロマン主義及び自由主義の神学

 カントの批判哲学の二元論的思考に不満を抱く者たちは、18世紀末から19世紀の初めにかけて、カント哲学を超える一元論を生み出そうとした。その取り組みの一つが、先に書いたフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらによるドイツ観念論であり、もう一つが、ゲーテ、ノバーリス、ヘルダーリンらによるロマン主義だった。ロマン主義は、文学を中心に展開されたが、プロテスタント神学にも影響を与えた。
 ロマン主義神学の代表的存在がへーゲルとほぼ同時代を生きたフリードリヒ・シュライエルマハーである。シュライエルマハーは、フスの系統のヘルンフート兄弟団で育ち、敬虔主義やシェリングの影響のもとに宗教哲学を展開した。シュライエルマハーが説いたのは、形式的な教義学や信条から離れた信仰論、宗教論であり、宗教の本質は学問や道徳の問題ではなく、神に対する直観と感情であるとした。彼は、自己と対象との対抗関係が統一され合一されるものに対する「絶対的な依存感情」が、信仰であると説いた。神との神秘的な結合を強調し、神と人間の直接的な関係を主張した。彼によって、絶対的依存感情としての敬虔の体験を記述することが神学の課題となった。
 シュライエルマッハーの神学は、直観と感情を基本とし、体験と価値判断を重視する。彼以後、彼における理性より体験を重んじる側面を継承するか、主観的な価値判断を重んじる側面を継承するかによって、異なる神学の系統が続いた。
 体験重視の側面を継承したのが、保守主義の神学である。これには正統主義と敬虔主義が含まれる。すなわち、ルター、カルヴァン以来の堅固な聖書主義から、歴史的・批評的な立場をある程度受け入れるものまでの幅があった。一方、価値判断重視の側面を継承したのが、自由主義の神学である。そして、この側面において、シュライエルマハーは、自由主義神学の祖ともされ、また近代神学の祖ともされる。
 自由主義(リベラリズム)は政治学の用語であり、これをキリスト教神学に用いる時は、政治的な思想・運動をいうのではない。自由主義神学とは、伝統的・組織的な教理体系に縛られずに個人の理性や感情によって教義を自由に再解釈する神学である。
 シュライエルマハー以後、自由主義神学というくくりの中で、様々な研究と主張が現れた。代表的なものは、ダーフィト・シュトラウスによる聖書の批評的研究、アルブレヒト・リッチュルによる道徳的宗教論、アドルフ・フォン・ハルナックによる原始キリスト教におけるギリシャ哲学の影響の研究、エルンスト・トレルチによる宗教史研究に基づくキリスト教の相対化などである。
 19世紀前半以降の自由主義神学には、次のような特徴を指摘できよう。聖書について科学的な見方を許容し、聖書に記されている物語を、必ずしも科学的または歴史的な事実とは主張せず、宗教的・道徳的に意味のある寓話と理解する。聖書の批評的な研究や解釈を支持する。聖書の無謬説や言語霊感説を採らない。旧約聖書では、モーゼ五書、イザヤ書等の成立に関する伝説を無批判に採用しない。新約聖書では、イエスの言葉とされる文言を含めて、福音書家の意図や教団における読まれ方を解釈の第一義とする。古文書学、考古学、歴史学の成果を活用して、原始キリスト教団の信仰のあり方を分析し、そこからキリスト教信仰を再構築しようとする、などである。
 ここには明らかに啓蒙主義の影響が現れている。その点では。カント以後のプロテスタント神学ということができる。

●ヘーゲルの絶対的観念論からマルクスの無神論的共産主義へ

 ドイツ観念論はヘーゲルで頂点に達したが、その体系哲学への批判を通じて、フォイエルバッハはキリスト教を批判し、唯物論に転じた。マルクスは、フォイエルバッハの説を受けて史的唯物論を説き、キリスト教を含む宗教を否定した。こうした唯物論哲学の登場には、自由主義神学が大きな影響を与えている。
 ヘーゲルの死後、ダーフィト・シュトラウスが1835~36年に『イエスの生涯』を刊行した。シュトラウスは、自由主義神学の立場に立ち、福音書は事実の記録や故意の創作ではなく神話であり、原始キリスト教団の宗教的理念の象徴的な表現だとする聖書神話説を打ち出した。彼は、福音書を歴史的・批判的に取り扱う場合、その神話的要素を削除しなければならないと説いた。イエスは歴史の発展段階に属し、その時代を代表する一人の人間であるとし、キリストの理念とイエスの人格を分離して、イエスはその理念を具現した、偉大ではあるが一人の人間であるとみなした。このイエス論は、キリスト教史において、画期的なものだった。
 『イエスの生涯』は、当時のドイツでヘーゲル学派に激しい論争を巻き起こした。その結果、へーゲル学派は左派、中間派、右派に分裂した。新たな思想を生み出したのは左派で、シュトラウスの解釈を支持する集団で、青年ヘーゲル派とも呼ばれる。
 左派に属したルートヴィヒ・A・フォイエルバッハは、『キリスト教の本質』(1841年)で、キリスト教で神として崇拝されてきたものは、人間の「類的本質」を対象化したもので、人間の自己疎外を示している、人間が自己の願望の対象を理想化した幻影にすぎない、と説いた。フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学の本質は神の彼岸性を否定する点にあるとし、「神学の秘密は人間学であり、神学の本質の秘密は人間の本質であること」を知らねばならない、「神の主体は理性である。しかし、理性の主体は人間である」と述べた。ヘーゲル批判を通じて、フォイエルバッハは唯物論に転じた。
 フォイエルバッハの説について私見を述べると、宇宙には万物を生々流転させる理法にして力が実在する。科学はこれを対象的に認識しようとするが、これを人格化してとらえることは可能である。神話や宗教の多くは、宇宙の理法にして力を人格化し、象徴的に表現している。ユダヤ民族も日本民族もアーリア民族も同様である。とらえ方や表現の仕方は異なるが、対象は同一である。キリスト教はユダヤ民族が人格化した神を、唯一男性神として崇拝する。その人格化された神を否定しても、理法にして力は宇宙に実在する。それをカミと呼ぼうが、存在と呼ぼうが、ブラフマンと呼ぼうが、人間の認識に関わらず実在する。このように考えると、フォイエルバッハのキリスト教批判は、キリスト教が人格化した神(God)を否定し、その人間学的または心理学的な解明をしたことにはなっても、人格化される前の本源の神(the godhead)を否定するものにはならないのである。
 だが、フォイエルバッハ以降、キリスト教の人格神を否定することで無神論に転じ、同時に宗教一般を否定できたつもりの唯物論者が、近代西欧には多く現れた。その代表格が、カール・マルクスである。
 マルクスは、フォイエルバッハの説を受けて観念論を批判し、史的唯物論を唱導した。ヘーゲルが依拠した宗教については「宗教は、悩める者のため息であり、心ある世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆の阿片である」として、現実の変革を主張した。(『ヘーゲル法哲学批判序説』) そして、歴史はヘーゲルの説くような絶対精神の自己展開ではなく、階級闘争の歴史であるとする唯物史観を打ち出した。その思想は、マルクス主義と呼ばれる。
 マルクスは『経済学批判』(1859年)の序言で、唯物史観を定式化している。「人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的生活諸過程一般を制約する」「人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。そのとき社会革命の時期がはじまるのである」と。こうした歴史観を以て、マルクスは、社会的不平等の根源を私有財産に求め、私有財産制を全面的に廃止し、生産手段を社会の共有にすることによって経済的平等を図り、人間社会の諸悪を根絶しようとする理論を説いた。
 マルクス=エンゲルスは、共産主義を科学的社会主義と自称した。彼らによる共産主義こそ、啓蒙思想の一つの帰結である。無神論・唯物論・物質科学万能の思想は、合理主義を推し進めたものである。マルクス主義は、神や霊魂や死後世界を全面的に否定する。人間理性によって社会の制度を設計し、計画経済が可能だとした。これこそ、近代合理主義の極致と言える。しかし、この合理主義的な唯物論的共産主義の実験は、20世紀の世界で1億人もの犠牲者を出すことになる。

 次回に続く。

キリスト教136~カント以後のドイツ哲学とプロテスタント神学

2018-12-25 12:49:11 | 心と宗教
●カント以後のドイツ哲学とプロテスタント神学

 1789年に起ったフランス市民革命は、当初、自由とデモクラシーを実現する画期的な変革と理解され、ドイツでも支持・賛同が高まった。だが、政体の変遷と虐殺・混乱が続くなか、期待は冷めていった。さらに革命の中から登場した独裁者ナポレオンがドイツを襲った。ナポレオンは神聖ローマ帝国の西部・南部諸侯にライン同盟を結成させた。そのため、1806年皇帝フランツ2世は帝国の解散を宣言した。
 フランス革命の帰趨を見たドイツでは、自国の後進性を理解し、観念の中で理性と自我の優位を追求する思想が発達した。カントの批判哲学は一種の二元論である。カントは、感性界と叡智界、自然と自由、実在と観念を厳然と区別した。その上で、断絶をつなぐもの、根源的なものを探求した。だが、その哲学は結論の出ないままに終わった。彼の哲学に不満を持つ思想家たちは、自我を中心とした一元論による形而上学的な体系を樹立しようとした。
 フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらである。彼らの思想は、それぞれ主観的観念論、客観的観念論、絶対的観念論と呼ばれる。フィヒテとシェリングは、カントが斥けた知的直観を認め、中世キリスト教教学的な知性を復権させ、個性的な思想を創造した。ヘーゲルは、彼らが開拓した観念論の可能性を最大限に追求し、壮大な哲学体系を築いた。
 フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらに大きな影響を与えた哲学者に17世紀のバルーフ・スピノザがいる。スピノザは、「延長のある物体」と「思惟する精神」は相互に独立した実体とする物心二元論の哲学を樹立したデカルトに対し、実体を自己原因ととらえ、無限に多くの属性から成る唯一の実体を神と呼び、神以外には実体はないとした。所産的自然としての個物は、能産的自然としての神なくしては在りかつ考えられることができないものとし、すべての事物は神の様態であるとした。そして、神は万物の内在的原因であり、すべての事物は神の必然性によって決定されていると説いた。また、延長と思惟はデカルトの説とは異なり、唯一の実体である神の永遠無限の本質を表現する属性であるとした。延長の側面から見れば自然は身体であり、思惟の側面から見れば自然は精神である。両者の秩序は、同じ実体の二つの側面を示すから、一致するとした。こうしたスピノザの思想は、一元論的汎神論といわれる。スピノザはユダヤ教の側から破門にされ、キリスト教の側からは危険人物視された。だが、その神即自然の思想はドイツ観念論哲学の形成に決定的な役割をはたした。
 ドイツ観念論の哲学者のうち、最もキリスト教神学の発展に影響を与えたのは、フリードリヒ・シェリングである。シェリングは、自然に対して深い関心を示し、自我と自然の相互浸透を論じる自我哲学と、有機体を自然の最高形態と見なす自然哲学を説いた。また、「人間の意識も自然も同じ『世界精神』の現れであり、この絶対者は芸術的、知的直観によってとらえられる」として、神と人間、絶対者と有限者は「あらゆる媒介なしに根源的に一つである」とする同一哲学を説いた。だが、無差別の絶対者からどうして人間や自然という有限者が生まれるのか、という問題が残る。絶対者から人間や自然が分離された瞬間、絶対者は有限者となってしまう。この点を掘り下げたシェリングは、『人間的自由の本質』(1809年)で、神の実存と実存の根拠を分け、実存の根拠を「神のうちの自然」と定義し、諸事物は神の実存の根拠から生成するとした。そして、人間の自由に悪を行う可能性があるのは、神の実存の構造に基づくとした。
 1830年代のシェリングは、従来の哲学は「あるものが何であるか」に関わるのみで、「有るとはどのような事態であるか」について答えていないと指摘した。そして、事物の本質を論じるだけの理性の哲学を消極哲学として、これを批判し、事物の実存を解明する積極哲学を標榜した。
 こうしたシェリングの哲学は、ロマン主義神学及び自由主義神学の祖とされるシュライエルマハーに影響を与えた。また、彼の実存に関する思考は、20世紀に入ってハイデッガー、ヤスパース等に大きな刺激を与え、またティリッヒの実存主義的神学にも影響を与えている。

●ドイツ観念論を極限まで進めたヘーゲル

 ドイツ観念論を極限まで進めたのは、ゲオルク・W・F・ヘーゲルである。ヘーゲルは、スピノザの唯一の実体という思想を自分の絶対的な主体へ発展させた。ヘーゲルは、『精神現象学』において、「絶対知」という概念を提出し、人間理性は精神の弁証法的な上昇運動によって神的理性に達し得ることを主張した。そして、絶対精神の自己展開としての体系的な哲学を構築した。
 ヘーゲルは、感覚から始まる人間知の歩みは、絶対知にまで到達しなければならないと考えた。「宗教の最高段階であるキリスト教は、人間知の絶対性を内容としながらも、神人一体の理念をイエスという神格に彼岸化し、その内容を表象化している。この彼岸性・表象性・対象性を克服したところに絶対知が成り立つ」とした。宗教と哲学とは同一内容の異なった形式であり、宗教はまだ絶対知ではない。「哲学は人間知の絶対性にまで達成しなければならない」と説いた。
 啓蒙主義によって、近代西洋人は、人間理性への自信を強め、自信のあまり、人間の知力でできないことは何もないかのような錯覚を生じ、人間が神に成り代わったかのような傲慢に陥った。人間がすべてを知り得るという思想は、人間理性が全体知と絶対的真理を知り得るというヘーゲルでその頂点に達した。
 ヘーゲルは、「これまでの哲学史を貫く一本の『太い糸』を発見して、これを合理的法則によって説明しなければならない」と考え、その「太い糸」をイデー(理念)と名づけた。イデーは、プラトンのイデアを継承したものである。
 プラトンのイデアは、現象界の事物の原型・模範であり、超感覚的で永遠不変の真実在を意味した。道徳、存在、自然等の統一的で超越的な原理だった。ヘーゲルのイデーは、「人間の理性によって到達し得る最高の真理」を意味し、その点ではプラトンのイデアに通じるが、人間の歴史において顕現し、自己発展するとした点が独特である。ヘーゲルのイデーは、人類の歴史の中に顕現して弁証法的に自己発展していく絶対精神とされた。ここで弁証法的とは、神の原初的同一性が疎外(外化)され、これが止揚されてより高い同一性に還帰するという過程的な構造をいう。
 こうしたヘーゲルの思想の核心は、キリスト教の信仰に基づくものであり、彼流にキリスト教の教義を哲学的に体系化したものである。その教義とは、父と子と聖霊の三位一体説を核心とし、原罪による楽園追放、神の独り子イエスによる贖罪、神と人の再結合という展開を持つ。ヘーゲルは、神は実体にして主体であると規定して、その疎外(外化)と還帰の弁証法の論理による絶対的観念論を体系化したのである。
 叡智界に想定されるイデアが現象界に歴史的に展開するというヘーゲルの発想も、キリスト教から来ている。キリスト教は始源から終末に向かう直線的な歴史における救済を説く。ヘーゲルはその宗教的な歴史観を哲学で表現したのである。ただし、ヘーゲルにおいて、歴史の目標は終末論的な未来にはない。絶対精神が哲学的思惟によって自己自身に到達得るところの歴史の過程そのものなのである。その点では、歴史の見方において、根本的にはキリスト教的でありつつ、実質的に脱キリスト教化しつつあるものである。それゆえ、ヘーゲルの絶対観念論による壮大な体系は、キリスト教に関する基本的な理解が変わると、崩壊に向かう可能性を秘めていた。

 次回に続く。

大嘗祭は国費で挙行すべきもの

2018-12-24 09:31:18 | 時事
 大嘗祭の位置づけ及び国費支出について、秋篠宮殿下は、11月30日に大嘗祭が「宗教色が強いもの」であるから、国費ではなく「内廷会計で行うべきだ」とし、「身の丈に合った」儀式こそが「本来の姿ではないか」と発言されました。このご発言を受けて、皇室制度の権威である大原康男・国学院大名誉教授は、次のように述べています。
 「政府は来年の大嘗祭について、平成度の前例を踏襲することを決めている。前回は政教分離の観点から大嘗祭の違憲性を問う訴訟も起きたが、原告の訴えはことごとく最高裁で却けられた。皇位の世襲は憲法で定められており、皇位継承儀礼も公的な性格を有する。国費を節約し簡素化を求められたご発言はありがたいものだが、大嘗祭に限らず宮中祭祀は国家国民の安寧慶福を祈るもので、一般の宗教とは同視できない。したがって、大嘗祭は国費で行われるべきである」
 深く同意します。大原氏は、このような見解をより詳しく、本年12月14日の産経新聞の記事に書いています。また、本件について、12月1日付の産経新聞の社説(主張)の見解は的確なものだったと思います。
 以下は、これらの記事の全文。

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●産経新聞 平成30年12月14日

国の儀式として大嘗祭の斎行を 国学院大学名誉教授・大原康男
正論
2018.12.14
 
11月30日、53歳の誕生日を迎えられた秋篠宮文仁親王殿下は、これに先だって行われた記者会見で、明年4月以降に営まれる御代替わりの諸儀のうち、最後に斎行される大嘗祭(だいじょうさい)に関していささか衝撃的な発言をされ、各方面に波紋が広がったことは記憶に新しい。
 殿下は「大嘗祭自体は絶対にすべきもの」とされつつも、大嘗祭が「宗教色が強いもの」であるから、国費ではなく「内廷会計で行うべきだ」と主張、「身の丈に合った」儀式こそが「本来の姿ではないか」と結論づけられたのである。

≪大正・昭和は法令に則り実施≫
 30年も前、日本国憲法の下で初めて行われた平成度の御代替わりに際して、その儀式が可能な限り伝統に即した形で執り行われるよう、微力ながらも奉賛活動に従事した一人として往事を顧みつつ、大嘗祭を含む次回の御代替わりについて少し考えてみたい。
 本欄で既述したこととも重なるが、皇位継承のあり方を初めて成文法で明確に規定したのは明治22年制定の旧皇室典範である。そこで確立された一つが皇位継承の資格を「皇統に属する男系男子」に限り、もう一つが皇位継承の原因を「天皇崩御」のみに限定するという二つの原則であった。
 過去にしばしば見られた「女帝」や「譲位」が、これまで皇位継承をめぐる激しい政争や流血を伴う内戦の悲劇をもたらしたことを真摯に省みて、明治維新という国家体制の大変革を機に明確なルールを定めたのである。まさに画期的なことであった。
 かような経緯で構想・整備された御代替わりの儀礼は「践祚」「改元」「御大喪」「即位の礼」「大嘗祭」の五儀によって構成される。「御大喪」を除く四儀は皇室典範に基本規定を置き、具体的な儀礼の次第などの細則は典範を根拠法とする皇室令の一つである登極令が網羅的に規定、残る「御大喪」も同じく皇室令たる皇室喪儀令の定めるところによる。大正・昭和両度の御代替わりの諸儀は整備されたこれらの法令に忠実に則(のっと)って営まれたのである。

≪条文欠いた「新しい皇室典範」≫
 ところが、先の大戦終結後、連合国軍総司令部(GHQ)の意向に沿って現憲法とともに昭和22年に制定された新しい皇室典範には「即位の礼」と「大喪の礼」は規定されているものの、その細則は何一つ備わっておらず、「践祚」「改元」「大嘗祭」に至っては該当する条文を全く欠いていた。
 このうち「改元」については、54年に元号法が制定されて、ようやく法的な根拠が与えられたが、残る2点についての立法化は手つかずのまま放置され、10年後の御代替わりを迎えたのである。苦境に立った当時の政府はさまざまな工夫をこらさねばならなかった。
 まず、「践祚」という語自体はなくなってはいるが、現典範の第4条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」の「即位」がこれに該当すると解し、いわゆる「三種の神器」のうち「剣」と「璽」の承継を「剣璽等承継の儀」と称して「国事行為」として行う一方、「鏡」を奉斎する賢所への奉告は宗教色を配慮してか、「皇室の行事」という別のカテゴリーを立てて挙行された。
 次の「改元」は「元号は、政令で定める」という元号法の規定に基づいて何ら問題もなく行われた。ただ、条文だけを見れば天皇と無関係に閣議決定だけで決せられる危惧があったため、公表の前に天皇のご聴許を得るという手順が踏まれたと伝えられるが、やはり明文で規定すべきであろう。

≪平成は賛成に630万人が署名≫
 今次の御代替わりは昨年6月に制定された「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて、200年ぶりに行われる譲位に伴うものであるから、御大喪のことは考えなくてもよいが、その代わりに践祚の前に譲位に関する儀礼が必要となった。
 最も重要な「即位の礼」はほぼ登極令に準拠し、「国事行為」として古式ゆかしく営まれたが、皇族方や役務を担った人々がすべて伝統的な装束を着用したのに対し、国民を代表して寿詞(よごと)を奏した海部俊樹首相が燕尾(えんび)服で参列したのには強い違和感を覚えた。
 続いて斎行された「大嘗祭」はその宗教色がとくに問題視されたものの、そこには「世襲」に伴う「伝統的皇位継承儀式としての公的な性格がある」ことが認められ、「皇室の行事」として同じく登極令に則って斎行され、費用は天皇・皇后両陛下をはじめ内廷皇族の日常の費用である内廷費ではなく、公的皇室費と称してもいい宮廷費から支出されたのである。
 秋篠宮殿下が「大嘗祭」の費用をできるだけ節約し、簡素化を求められたご発言は大変、ありがたいことではあるが、一方には国民の側の気持ちもある。平成度の御代替わりに際してキリスト教徒を中心とした「大嘗祭」反対の署名がおよそ5万8千人だったのに対し、「大嘗祭」を国の儀式として行うことを求めた署名は同じく630万人に達した事実を改めて想起したい。(国学院大学名誉教授・大原康男 おおはら やすお)

●産経新聞 平成30年12月1日
【主張】大嘗祭 国費でつつがなく挙行を

 来年の皇位継承に伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、秋篠宮さまが記者会見で、皇室の公的活動を賄う国費(宮廷費)を充てることに疑問を示された。
 「宗教色が強い」「国費で賄うことが適当かどうか」として、憲法の政教分離原則を念頭に、天皇ご一家の私的活動費である内廷費を充てるべきだとの考えを示された。「身の丈にあった儀式」とすることが「本来の姿」とも指摘された。
 政府は平成の御代(みよ)替わりの例にならって、来年11月の大嘗祭に国費を充てることをすでに決めている。西村康稔官房副長官は会見で、政府方針に変わりはないことを明らかにした。
 大嘗祭は、新天皇が初めて行う新嘗祭(にいなめさい)で、国家国民の安寧や五穀豊穣(ほうじょう)を祈る一世一度の祭祀(さいし)だ。即位の中核的な行事であり、国費の支出によってお支えしたい。
 憲法の政教分離原則に触れるという懸念は当たらない。平成の大嘗祭に対して複数の訴訟があったが、政教分離に反しないとの最高裁判決が確定している。
 政教分離は、政治権力と宗教の分離が目的である。天皇や皇族は権力を持たないし、宗教団体を擁さない。大嘗祭をはじめとする宮中祭祀を一般の宗教と同列視して、私的行為と見なす必要はないのである。
 祈りは天皇の本質的、伝統的役割といえる。大嘗祭を含む宮中祭祀を、日本にとっての公の重要な行事と位置づけるべきだ。
 費用を節約し、行事を簡素化しようと促された秋篠宮さまのご発言は、国民の負担をできるだけ少なくしようというお考えとして受け止めたい。
 長い歴史を振り返れば、戦乱期など大嘗祭が行われなかった時代もあった。つつがなく行えるのは日本が栄えている証しである。
 国民は、天皇陛下の即位に伴う重要な儀式として平成の大嘗祭を見守った。来年についても同様である。
 秋篠宮さまのご発言に対して、天皇や皇族が控えられるべき政治的発言ではないかとの指摘があるが、見当違いだ。皇室のご活動に関わる重要な事柄に天皇や皇族が考えを示されるのは当然であり、封じ込められるべきではない。
 ご発言で、山本信一郎宮内庁長官が「聞く耳を持たなかった」と評された。皇族と宮内庁の綿密な意思疎通も大切である。
https://www.sankei.com/column/news/181201/clm1812010002-n1.html?fbclid=IwAR3W7SPSCtFeSIKBrT7hxVLp6KuKybJMYwyRtmARFeNaJm0YZ6GJwKSym5s
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キリスト教135~ドイツ敬虔主義の登場

2018-12-22 08:50:46 | 心と宗教
●ドイツ敬虔主義の登場
 
 次に、世界的なキリスト教の歴史という観点から、ドイツの近代史を書く。
 ルターによる宗教改革は、ドイツ30年戦争が終結したときには、開始から100年を迎えていた。この間、改革の精神は段々形骸化し、17世紀後半には、信徒の信仰活動は、教理の解釈や説教に耳を傾けるばかりの受動的なものになっていた。
 ルター派の牧師フィリップ・ヤーコブ・シュペーナーは、このような風潮を批判し、硬直化した教会を内部から改革しようとした。ルター派の堅信礼を確立するともに、一般の信者の積極的役割と、禁欲的な生活を説いた。また、互いに信仰を深め合うために信者が定期的な集会を開くことを提唱した。集会では、祈りを捧げ、聖書を読むなどした。
 シュペーナーは、敬虔主義(ピエティズム)の始祖とされる。敬虔主義とは、信仰の本質は特定の教理を遵守することではなく、個人の敬虔な内面的心情にあると考える立場を言う。敬虔主義では、聖書の文言の解釈よりも、生きた宗教体験を重視する。そのような思想・運動を土壌として、やがてカントの批判哲学や自由主義神学が登場することになる。一方、ルター派において、旧来の伝統を保持する立場を正統主義という。

●啓蒙の完成者・カントと道徳的宗教への試み

 この間、17世紀中後半にイギリスで市民革命が起り、18世紀後半にはアメリカ独立革命、フランス市民革命が起こり、主権独立国家が発展した。だが、ドイツは小国群立のため、後進地域となった。自由主義、デモクラシーは発達せず、資本主義の発達も遅れていた。
 そうした状態のドイツに英仏で発達した啓蒙主義が伝わった。啓蒙主義の時代におけるキリスト教の問題は、理性と信仰の対立だった。ドイツでは、トマジウス、ヴォルフ、レッシング等が主に哲学・文学の方面で啓蒙主義を展開した。
 啓蒙主義の頂点に立つのが、イマヌエル・カントである。
 カントは、「啓蒙の完成者」といわれる。カントは、純粋理性と実践理性を区別して、神は純粋理性によって認識することはできず、実践理性の「要請」であると主張した。これによって科学的認識を根拠づけるとともに、信仰の領域を確保した。また、カントはアメリカ独立戦争やフランス革命を同時代として生き、当時の政治思想・社会思想を哲学的に掘り下げた。現代の人権の思想には、ロックと並んでカントが重要な影響を与えている。
 若き日のカントは自然の科学的研究に優れた業績を現した。数学・自然科学の論文を多く書き、特に宇宙の発生に関する星雲説は、ニュートン物理学を宇宙発生論にまで拡張適用したもので、カント=ラプラス仮説として名高い。カントは、数学・自然科学だけでなく、論理学・形而上学・自然地理学等、広い範囲にわたる科目を大学で講じていた。しかし、イギリス経験論の哲学者デイビッド・ヒュームによって「独断論のまどろみ」を破られた。
 ヒュームは、感覚的な印象によってものの観念ができ、観念の連想によって、高級な観念や知識ができるとした。自然科学が基礎に置く因果律も、連想の繰り返しという経験に基づく習慣に過ぎない。自然科学は理論的な学として成り立つか疑わしい。ましてや感覚的に経験することができない神や神の創造を問題にする形而上学は、学として成り立つことはできない、と考えた。カントは、ヒュームの懐疑論に衝撃を受け、それまで影響を受けていたライプニッツ、ヴォルフ等の思弁的形而上学を見直した。そして、人間の認識能力について根本的な検討を行うことにした。
 またカントは、ルソーの著書から人間を尊敬すべきことを学んだ。「私は無知の民衆を軽蔑していた。しかし、ルソーが私の誤りを正してくれた。目のくらんだ優越感は消え失せ、私は人間を尊敬することを学んだ」とカントは書いている。そして「人間を尊敬するというこの考え方こそ、すべての他の人に一つの価値を与えることができ、その価値からこそ、人間らしい諸権利は由来する」と信じ、自然の研究から人間の研究に向かった。
 こうした時、カントが強い関心を示したのが、視霊者エマヌエル・スヴェーデンボリである。スヴェーデンボリは、数学者、科学者として著名であるとともに、霊魂との意思交通、遠隔視を行うことで、当時西欧で評判だった。カントは、スヴェーデンボリを研究し、1766年刊行の『視霊者の夢』に自らの見解を書いた。この書でカントは、霊魂との意思交通や共同体的なつながり、来世の存在を信じる考えを書く一方、スウェーデンボリの語ることを幻想であると否認する見方も書くという二面的な態度を見せる。そして霊界を語る視霊者と独断的な形而上学者はともに夢想を述べているとし、自らは、経験に基づく立場から人間理性の限界を定める新しい形而上学へと向かう。
 そして、カントは、1781年の『純粋理性批判』で経験に基づく範囲で理性による科学的認識を基礎づけるとともに、88年の『実践理性批判』等で科学の理論的認識の対象とはならない道徳の実践を説き、科学と道徳・宗教の両立を図った。その哲学は、批判哲学または批判的観念論と呼ばれる。
 カントは、批判哲学の嚆矢となる『純粋理性批判』に、三つの問いを挙げた。(1)人間は何を知り得るか、(2)人間は何を為すべきか、(3)人間は何を望んでよいか、の三つである。三大批判書をはじめとするカントの主要著作は、これらの問いへの彼の解答である。
 第1の問い、人間は何を知り得るかについて、カントは形而上学を検討した。カントは、第一の批判書『純粋理性批判』で、理性による理論的な認識について検討した。カントは、人間の認識能力を感性・悟性・理性に分け、その検討を行った。現象は主観が経験に与えられた感覚内容を総合構成したものであり、物自体は感覚の源泉として想定はできるが、認識はし得ないとした。物自体は、物そのものというより、物事の真相というのに近い。こうして、カントは現象界・感性界と物自体の可想界または叡智界を厳格に区別した。ヒュームが成立を疑った自然科学及び数学については、感性のア・プリオリな直観形式としての空間・時間と悟性のア・プリオリな思考形式としてのカテゴリーの協同によって確実な学的認識たり得ているとして、学としての基礎づけをした。
 カントは知性に含まれていたより高次の能力を検討の対象から除いた。中世的な知性は直観的な能力だったが、カントは、人間の悟性・理性には直観を認めず、知的直観は神の知性に特有のものとした。そして知的直観の有無に、神と人間、絶対者と有限者の区別を置いた。
 第2の問い、人間は何を為すべきかについて、カントは道徳を検討した。理性には理論的な機能とは別に、実践的な機能があるとして、第二の批判書『実践理性批判』において、道徳法則の客観的な確実性を論じ、『人倫の形而上学』で道徳哲学の体系を示した。カントは、人間は、自分の行為の個人的・主観的な規則である格率を、普遍的な道徳法則と一致するように行為すべきものとした。無条件に「△△せよ」と命じる定言命法に従って実践すべきことを説いた。道徳の最高原則は、「同時に普遍的法則としても妥当しうるような格率に従って行為せよ」である。神の存在、霊魂の不滅、人格の自由については、理論理性は決定不可能である。だが、これらは人間の道徳的な行為が意味あるものとなるために不可欠であり、実践理性はこれらを要請するとした。
 第3の問い、人間は何を望んでよいかについて、カントは宗教を検討した。カントは、第三の批判書『判断力批判』で、悟性と理性を媒介する判断力について検討した。カントは啓示宗教としてのキリスト教から、啓示の部分を除き、道徳的宗教へと純化、改善することを試みた。人間は本能や衝動で行動する動物的な感性的存在者であるが、自由で自律的な理性的存在者でもある。人間は、欲望の誘惑に負けやすいが、理性は人間を超感性的な世界へと向かわせる。人間は理性の声に従って道徳を実践する者として、神・不死を望んでよいとした。
 こうして、カントは道徳哲学を構築するとともに、キリスト教を啓示宗教から道徳的な宗教へと純化、改善することを試みた。この試みは、以後、ヨーロッパを中心に哲学だけでなく、キリスト教の神学にも強い影響を与え続けている。

 次回に続く。

「56年宣言」を基礎とする北方領土交渉は危うい

2018-12-21 09:31:18 | 時事
 11月14日安倍首相とプーチン大統領が会談し、昭和31年(1956)の日ソ共同宣言を基礎に今後3年以内の平和条約締結を目指すことで合意しました。安倍首相は最後の任期にあって、日露問題の解決を実現したいという強い思いを持っていると見られます。
 産経新聞は、ウエブサイトに、北方領土交渉の特集ページを設けています。よくまとまっていますので紹介します。
https://www.sankei.com/politics/news/181116/plt1811160024-n1.html?cx_fixedtopics=true&cx_wid=d5ac4456c4d5baa6a785782ef4e98f6eb01bb384#cxrecs_s
 私は、領土問題に妥協はあり得ないという考えであり、この点で産経が四島返還の原則を貫くべきという姿勢で一貫していることを評価しています。産経は16日の社説(主張)でも、この姿勢から「56年宣言」を基礎とする交渉は危ういと指摘し、四島返還の原則を揺るがすなと主張しています。
 特に目を引くところを抜粋します。
 「日ソ共同宣言には、平和条約の締結後に、北方四島のうち色丹島と歯舞群島を引き渡すと記されている。このため、安倍首相が「2島返還」を軸にした交渉に舵を切ったとの見方が出ている。そうだとすれば、共同宣言以降の60年余り、四島の返還を目指して日本が積み上げてきた領土交渉をないがしろにしかねない」。
 「日露両国の首脳は1993年に、択捉島、国後島、色丹、歯舞の「四島の帰属」を「法と正義」の原則によって解決するとした東京宣言に署名している。プーチン氏自身が署名した2001年のイルクーツク声明は、日ソ共同宣言が交渉の出発点を記した「基本的文書」としつつ、東京宣言に基づいて四島の帰属問題を解決するとうたっている。今回の安倍首相とプーチン氏の合意は、共同宣言が「格上」であるというロシア側の主張に迎合したものではないのか」。
 「共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という課題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ。「人質」をとられてソ連と交渉した当時の厳しい状況を踏まえなくてはならない。苦肉の策で結んだ共同宣言を基礎に「2島返還」だけを目指すとすれば、ロシアの思うつぼである」。
 「日本の四島返還の対応を尖閣諸島の奪取を狙う中国や、竹島を不法占拠する韓国が注視している。ロシアとの拙速な交渉は中韓両国につけいる隙を与えるという意味でも後世に禍根を残す」。
https://www.sankei.com/column/news/181116/clm1811160001-n1.html
 上記の箇所は、よくポイントを突いていると思います。首脳会談後、プーチン大統領は、ロシアでの記者会見で、共同宣言で旧ソ連が引き渡すとした歯舞群島と色丹島について、引き渡し後の主権は協議の対象だと発言しました。これは、詭弁です。ロシアは北方四島を不法占拠しているのであって、もともと主権は日本にあります。引き渡しが行われれば、従来保有している主権を確認することになるのであって、協議の余地はありません。あたかもロシアが所有者で、ロシアが所有権を保ったまま、日本が借地するような状態になったならば、それを領土の返還とは言いません。
 次に、北方四島のうち、歯舞・色丹は領土の7%にすぎません。2島返還といっても、その時点で93%はロシアに占拠されているわけですから、4分の2が戻るのではありません。領海については、2島返還によって20%が戻ることになりますが、80%の海はロシアに占拠されている状態となります。ただし、もし2島の引き渡しはするが、主権は別問題だという詭弁に乗せられて、逆に事実上ロシアが主権を確保するような状態になれば、領土は引き渡されても、領海は戻ってこないことになります。世界三大漁場の一つといわれるこの海域における漁業権や資源に関する権利等は、戻ってこないことになります。領土とともに領海に関する主権の確認が欠かせません。
 ロシアとの領土交渉は、韓国との領土問題に重大な影響を与えます。尖閣諸島を「核心的利益」と主張する中国への対応においても同様です。プーチンの術中にはまってはなりません。

キリスト教134~ティヤール・ド・シャルダン:オメガ点へ向かう宇宙

2018-12-20 12:54:42 | 心と宗教
●ティヤール・ド・シャルダン~オメガ点へ向かう宇宙

 ピエール・テイヤール・ド・シャルダンは、1881年に生まれたフランス人のカトリック司祭であり、古生物学者・地質学者にして哲学者だった。アマチュアの自然学者だった父の影響で、少年時代から地質学や古生物学に強い関心を抱いていた。イエズス会の修練院に入り、司祭となった後も、パリ自然歴史博物館で古生物学の研究を行って博士号を取得した。1929年には、シナ(中華民国)で、カナダ人研究者とともに北京原人の発見をした。周口店で発見された旧石器時代の石器を鑑定して、北京原人がこれらの石器を使用していたと判断した。その後、ゴビ砂漠、中央アジア、インド、ビルマ、ジャワへの研究旅行を行った。
 1939年、シナに進出した日本軍によって、北京在住の外国人は軟禁状態に置かれた。その状態は、第2次世界大戦の終結まで続いた。テイヤール・ド・シャルダンは、この数年の間、人間と宇宙の進化についての思索に専念し、『現象としての人間』を執筆した。終戦後、ティヤール・ド・シャルダンの思想はカトリック教会及びイエズス会から危険なものと見なされ、ニューヨークでの生活を余儀なくされ、1955年にその地で死去した。
 ティヤール・ド・シャルダンの著作は、当時、進化論を承認していなかったローマ教皇庁によって禁書とされた。しかし、『現象としての人間』は草稿版の複写が作成・回覧され、多くの人が読んだ。本書は、ティヤール・ド・シャルダンの死後、禁書を解かれ、1955年に刊行された。出版されるや多くの言語に翻訳され、多くのキリスト教徒や司祭、非キリスト教徒らに読まれた。
 ティヤール・ド・シャルダンは、本書で古生物学と生物進化に関する学識と洞察によって、宇宙の始まりから終わりまでに関する壮大な仮説を提示した。
 その仮説において、宇宙の始まりであるアルファ(α)から始まった進化は、「オメガ点(Ω点)」へ向かって進んでいくとされる。ティヤール・ド・シャルダンによると、進化の前進と飛躍は「意識」と「多様性」を特徴とする。無機物から生物が誕生し、無脊椎動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類が続いた。この間、約40億年の生物進化は自然の多様性を実現した。そして進化の第1段階であるビオスフェア(生命圏、Biosphère)を確立した。ビオスフェアは、より複雑で精緻な高等生物を進化させた。神経系の高度化によって、知性を持つ人間が誕生した。こうしたティヤール・ド・シャルダンの見方は、聖書の創世記が記す神による種の創造と人間の創造を否定するものである。
 さて、人類が成長することによって、地球には進化の第2段階であるヌースフェア (精神圏、noosphere)が形成された。ヌースフェアは、人類の脳が複雑化・高度化したことによって生まれたもので、知識の集積としての思考の圏域を意味する。
 ティヤール・ド・シャルダンによると、精神圏の発展は、生命圏の発展とほぼ同じように枝分れを繰り返しつつ、「内的集中」の密度を増し加えながら進む。「内的集中」とは、生命の本源、精神の中心への集中である。人類における進化は、意識の上昇であり、上昇した意識は統一へと向かう。すなわち、地上に分散し、国家や民族に分かれて対立してきた人類は、統一へ向かう意識の中で人類として結合するようになる。
 ここで、ティヤール・ド・シャルダンは、現代の人類は進化の危機に直面していることを強調する。現在は分岐点にあり、人類は無知と内的葛藤、社会の不調和と戦争によって自らを滅ぼすのか。それとも愛の力で和解を見出し、惑星規模で目覚めることができるのかの分岐点にあるとする。
 ティヤール・ド・シャルダンは、人類は自らの未来を選択できる能力を持っているとし、愛を選ぶことによって人類は輝かしい未来へと歩むことができると考える。宇宙の進化は、究極点としてのオメガ点(Ω点、Point Oméga)へと向かっている。人類は、現在の分岐点を進化の方向に進むならば、遥か先の未来において、オメガ点に到達する。
 オメガ点は、科学的仮説というより、ティヤール・ド・シャルダンが抱いた一個のヴィジョンである。ティヤール・ド・シャルダンによると、オメガは未来に達成され出現する宇宙的なキリストであり、人間とすべての生物を含む宇宙の全体は、オメガの実現において完成され、救済されるという。こうしたティヤール・ド・シャルダンの思想は、生物学的な進化論、人類学的な進化論を超えた宇宙的な進化論であり、また同時にキリスト教的な進化論となっている。そこには、ベルクソンの影響が認められる。ベルクソンが、生物の進化を踏まえた人類の精神的な進化を説き、キリスト教神秘主義が人類を精神的な進化に導くことを期待したのに対し、ティヤール・ド・シャルダンは、宇宙そのものが宇宙的なキリストの誕生に向かって進化しつつあるととらえた。そして、人類が愛の力で現代の危機を乗り越えれば、この宇宙的な進化の過程で、万物とともにオメガ点に向かっていくと考えた。その点で、ティヤール・ド・シャルダンの思想は、まさにヴィジョン(まぼろし、幻視、未来図、理想像)と呼ぶにふさわしい。
 ティヤール・ド・シャルダンは、第1次世界大戦に担架兵として志願し、4年間負傷者の救護に当たった。彼は、夕べの戦場で、不気味な暗雲のたなびく空に、キリストの体を象徴する「白いホスチア(聖体のパン)」が大きい円となって広がり、最後に空間全体を占めるという幻影を見たという。こうした体験が、オメガ点という着想の根底にあると思われる。
 ティヤール・ド・シャルダンには、『神の国』という著書がある。そこで彼は「すべてのもののうちに神を見出す」と書いている。その思想には、汎神論的な傾向がある。その傾向は、自分の周囲のあらゆるもの、あらゆる出来事のうちに神の働きを見出そうとする彼の姿勢の現れであり、また自然と生物の研究に基づくものでもある。
 ティヤール・ド・シャルダンのヌースフェア (精神圏)という概念は、着想された当時は一個のイメージでしかなかっただろうが、世界中のコンピュータを連結するインターネットが人類の知能を発達させている21世紀の今日の社会では、まぎれもない現実となっている。
 カトリック教会は、聖書に基づき進化論を否定してきた。だが、2014年10月29日、教皇フランシスコは、生物は進化を遂げる前にまず、何者かによって作られたと説明し、その後は、進化をしてきたという進化論を肯定する見解を述べた。また、宇宙の創成に関するビックバーン理論も、創造主の存在と矛盾するものではなく、逆に「創造主の存在を必要とするもの」だと語った。この演説は、カトリック教会の教義を改める方向性を示したものとして注目されるものである。こうしたカトリック教会の変化には、ティヤール・ド・シャルダンの思想の影響が指摘されている。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「キリスト教の運命~終末的完成か発展的解消か」第2部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-5b.htm