ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

皇位継承19~歴代天皇が受けた帝王学教育

2021-11-30 09:32:43 | 皇室
●歴代天皇が受けた帝王学教育

 ここで歴代天皇が受けた帝王学教育を振り返ってみよう。

◆昭和天皇の帝王学教育
 昭和天皇は、明治天皇の孫である。明治天皇は、明治40年(1907年)1月に乃木希典陸軍大将を学習院院長に任命された。学習院に入学する自身の孫たちの養育を乃木に託された。乃木は質実剛健・質素勤勉を旨とする教育に努めた。昭和天皇は明治41年(1908年)4月に学習院に入学し、乃木のもとで厳しい教育を受けた。後年、乃木について「自身の人格形成に最も影響があった人物」と語っておられる。
 昭和天皇は、皇太子の時代に数え16歳から21歳まで、杉浦重剛に学ばれた。杉浦は「真の人格者」と尊敬された偉大な教育者だった。学習院初等科で教鞭をとった杉浦は、将来の天皇に天皇の倫理を説く重任に当たった。その際、講義のために書いたのが、『倫理御進講草案』(三樹書房)である。
 杉浦は『草案』の序文において、御進講の基本方針を次のように掲げた。
 「今進講に就きて大体の方針を定め、左にこれを陳述せんとす。
 一、三種の神器に則り皇道を体し給ふべきこと。
 一、五條の御誓文を以て将来の標準と為し給ふべきこと。
 一、教育勅語の御趣旨の貫徹を期し給ふべきこと」
 第一における三種の神器に関して、杉浦は、神話に現れ、歴代天皇に継承されてきた神器を「知仁勇」の象徴と解釈して、天皇後継者に倫理教育を行った。第二・第三における五箇条の御誓文と教育勅語は明治天皇によるものであり、昭和天皇にとっては祖父の遺訓ともいえる。杉浦は、それらを教授した。
 昭和天皇は、乃木・杉浦というその時代を代表する教育者を通じて、天皇の帝王学を学ばれた。

◆上皇陛下の帝王学教育
 昭和天皇は皇太子(現在の上皇陛下)の教育に心を注がれた。上皇陛下は、皇太子時代には東宮御学問所において、当代随一といわれる学者や有識者から様々な分野について個人教授を受けられた。東宮御教育常時参与となった小泉信三・元慶應義塾長からは、福沢諭吉の『帝室論』やハロルド・ニコルソンの『ジョージ5世伝』を学び、アメリカ人家庭教師のエリザベス・バイニング夫人からは、英語と欧米式のマナーを学ばれた。
 敗戦後、GHQの方針で東宮御学問所での教育が行なわれなくなると、一般国民が多く入学する学習院で学校教育を受けられた。しかし、それ以外に学者・有識者から個人指導を受けられた。

◆今上天皇の帝王学教育
 今上天皇陛下は、幼い頃から天皇となるべく帝王学を学ばれた。第一は、父である上皇陛下から直接教えを受けられた。これが最も重要である。第二は、一流の学者や知識人から様々な知識を学び、教養を身につけられた。
 今上天皇陛下は、宮中祭祀を司る天皇(父である上皇陛下)の厳粛な姿を間近で見ることによって、祭祀を通じて国家・国民の安寧を祈るという天皇の役割を学び、受け継いでおられる。また、当時皇太子だった上皇陛下は、息子・浩宮親王殿下に対し、学習院に通う車中で、新聞で読んだその日の出来事について話すよう命じていたと伝えられる。そうした直接教育は、今上天皇陛下の見識を広め、また深いものに育てたと言えよう。
 また、今上天皇陛下は、幼少期に10年間、ご養育掛りを務めた浜尾実元東宮侍従から様々な教育を受けられた。皇室全般に関わること、御所での生活、国民との接し方、公的な仕事、礼儀作法等に及んだ。また、学者や知識人から個人教授を受けられた。12歳の誕生日前に、漢学の権威である宇野哲人・東京大名誉教授に「論語」を学ばれたり、15歳の誕生日前に、王朝和歌の研究者である橋本不美男・宮内庁図書調査官から「徒然草」の写本の講義を受けられたりした写真がある。こうした個人教授は大学時代も続いた。また、美術や歴史などの専門家らが集うサロンのような勉強会が行われたという。

 次回に続く。

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日本の心30~為政者に日本の国柄を説いた明恵上人

2021-11-29 11:06:32 | 日本精神
 承久の乱(1221)の2年後、北条義時が亡くなり、その子・泰時が三代執権となりました。泰時は、人に与えること多く、自らおごることのない誠実な人間でした。善政に努め、厳正な裁判を行い、高位高官を望むこともありませんでした。この泰時によって、頼朝以来の武家政治は基礎を確立したのです。
 泰時には、明恵(みょうえ)という人生の師がいました。承久の乱の時、後鳥羽上皇方の兵が、京都栂尾(とがのお)の高山寺に逃れてきました。寺の僧・明恵は、彼らをかくまいました。そのため北条側にとらえられます。この時、明恵は泰時に対し、「救いを求める者は、今後も助けたい。それがいけないというのなら、私の首をはねよ」と言いました。その態度の情け深く、また毅然(きぜん)としていることに、泰時は感心しました。そして、後日、明恵のもとを訪れました。
 すると明恵は、承久の乱の処置について、泰時を諫(いさ)めました。「わが国においては、万物ことごとく天皇のものであり、たとえ死ねと言われても、天皇の命令には決して逆らってはいけない。それなのに、武威によって官軍を亡ぼし、太上天皇を遠島に遷(うつ)すとは、理に背く振る舞いである」と。
 乱の後、北条氏は、天皇を代え、三上皇を島流しにしました。国家権力を掌中にした北条氏に対し、ものを言うことのできる者はいませんでした。しかし、明恵は畏れず、為政者の泰時を叱(しか)り、日本の国柄を説いて武士のあるべき姿を諭したのです。泰時も、乱の際の父・義時との問答に見られるように、もともと尊皇の心をもっていたので、明恵の言葉は痛く響くものがあったのでしょう。以来、泰時は明恵を人生の師と仰ぐようになったのです。
 明恵は建永元年(1206)、34歳の時、後鳥羽上皇から栂尾山をたまわり、高山寺を建てて、華厳宗の復興のために尽くしました。その功績により、華厳宗中興の祖といわれます。   
 いったい仏教の僧侶である明恵がなぜ、わが国は天皇のものであり、泰時らの行為は理に背く振る舞いである、と諭したのでしょうか。
 明恵は両親を幼くして亡くし、天涯孤独の身でした。仏教の道に入り、修行を重ね、徳の高い名僧となりました。「山のはに われもいりなむ 月もいれ よなよなごとに またともとせむ」ーーこれは月を友として明恵が詠んだ歌の一つです。月を友とするというように、明恵は、自然の風物、身に触れるすべてのものに、深い情をもって接しました。明恵は刈藻島(かるもじま)という島で行をしたことがありました。島から帰った後に、自然の豊かなその島が恋しくなって、手紙を書きました。宛名は「島殿」となっていました。使いの者が「いったい誰に、手紙を届ければよろしいのでしょうか」とたずねたところ、「『栂尾の明恵房のもとよりの文にて候』と島の真ん中で読み上げてきなさい」と答えたといいます。
 こうして自然と一つとなって暮らした明恵は、自然のままであることを大切にしました。
 仏教には、王権を認め、国家の鎮護を祈るという教えがあります。また明恵が修めた華厳経には、すべてをあるがままに肯定するという思想があります。
 こうした考え方は、「人はあるべきやうはと云、七文字を保つべきなり」という明恵の遺訓に表れています。弟子の喜海が記したと伝えられるこの言葉は、『明恵上人伝記』や『沙石集』では、「王は王らしく、臣は臣らしく、民は民らしくふるまうべきだ」と解釈されています。つまり、王とは天皇であり、臣とは天皇に仕える者、貴族や官僚や武士であり、民とは一般の庶民です。明恵は、天皇と臣下と庶民、それぞれが分を守って振る舞うことが、自然な姿だというのです。
 この考え方は、明恵の独創ではありません。古代から我が国に受け継がれてきた考え方でもあります。鎌倉時代にもそれが当然のこととして、人々に定着していたのです。それは、日本の国は、天照大神の子孫である皇室が治めることが、在るべき姿であると思われていたことが前提となっています。皇室の権威は神話に根ざしたものであり、文字が使用される前の時代から伝わっている神的かつ伝統的な権威なのです。日本人は、この国は皇室が治める国であり、各自が在るべきように振舞うことを、自然な姿として受け止め続けてきたのです。
 明恵は、このような我が国の国柄と、日本人の在るべき姿を、泰時に説いて聞かたわけです。強大な武力を持つ権力者に、説教をするということは、並みの度胸ではできません。そこに明恵の精神力の強さや人格の高潔さがうかがわれます。
 明恵は、泰時に対し、「天下を治める立場の者一人が無欲になれば、世の中は治まる」という教訓を与えました。泰時はこれを肝に銘じて、実際の政治に生かしました。泰時自身、「自分が天下を治めえたことは、ひとえに明恵上人の御恩である」と常々人に語っていました。自分の家の板塀が壊れて内部が見えるほどになっても気にせず、御家人たちが修理を申し出ても、泰時は無用の出費だと断りました。裁判の処理も道理に適って明らかでしたので、武士の信望を集めました。
 承久の乱では朝廷から実質的に権力を奪った泰時でしたが、我が国の国柄の根本を損なわぬよう、朝廷の権威を侵さずに、武家政治を行うことに努めたのでした。

参考資料
・『人物叢書 北条泰時』(吉川弘文館)
・白州正子著『明恵上人』(講談社文芸文庫)

 次回に続く。

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プーチンはウクライナに侵攻するか

2021-11-28 11:02:16 | 国際関係
 ロシアがウクライナとの国境に近い露西部スモレンスク州に付近に9万2000人以上とされる大規模な軍部隊を集結させ、一帯での軍事的緊張が高まっている。
 冷戦終焉後、ウクライナの東部はロシアとの関係を深め、西部はヨーロッパとの関係を発展させている。ウクライナは旧ソ連圏でロシアに次ぐ第2の国家である。同国が親露路線を取るか、それとも親欧米路線を取るかという問題は、欧米とロシアの地政学的なバランスに大きく影響する。欧米にとっては、ウクライナを友好国・同盟国にできれば、ロシアの西進を防ぐとともに、他の旧ソ連圏の国家の民主化を推進できる。ロシアにとっては、隣国のウクライナが欧米側になると、直接、欧米の軍事的圧力を受けることになる。国家安全保障上、ウクライナを一種の緩衝国としておきたい、
 ウクライナでは、2004年に民主化を求めるオレンジ革命が起り、親欧米派のユシシェンコ大統領が誕生し、欧米寄りの政策を進めた。しかし、失政が続き、民衆の支持は低下した。2010年の大統領選挙では親露派のヤヌコビッチが大統領になった。これに対し、2014年(平成26年)年2月、大規模なデモが湧き上り、政変が起こった。再び親欧米的な暫定政権が誕生するや、翌3月プーチン政権のロシアはウクライナのクリミア半島南部を実効支配した。クリミア自治共和国の議会はロシアへの編入を決議し、ロシアはこれを受けてクリミア半島南部を併合したのである。
 ウクライナは、1991年にソ連から独立した時には、多数の核兵器と100万人の軍隊を持っていた。しかし、維持費がかかるし、隣国に警戒されてしまうから危険だとして、ウクライナは全ての核兵器を譲った。代わりにブダペスト協定書という国際条約を結び自国の防衛を他国に委ねてしまった。100万人の軍隊を20万人つまり5分の1まで削減した。しかも、大国の対立に巻き込まれないようにNATOのような軍事同盟にも加盟しなかった。ロシアは、こうしたウクライナを再び親露化させるため、様々な働きかけをしてきた。特にロシアに近いウクライナ東部を中心に親露派を支援し、工作員を送り込んで影響力を増加してきている。
 ロシアがクリミア半島南部を併合した際、ウクライナにこれを実力で取り返す力はなかった。安易な平和主義が外国の侵攻を招いた。クリミア半島は地政学的な要衝であり、黒海の北岸にあり、ロシアが地中海や紅海に出るための海洋上の拠点である。クリミアの併合は、冷戦終結後、世界的に初めての本格的な武力による現状変更の動きとなった。 ウクライナはもちろんのこと国際社会の大多数は、この編入を認めていない。欧米はロシアへの経済的な制裁を行っている。
 ウクライナは、ソ連解体後、ロシアを中心につくられた独立国家共同体(CIS)の一員である。現政権はCISからの脱退を準備中であり、将来的に北大西洋条約機構(NATO)への加盟を模索している。プーチン露大統領は、ウクライナのNATO加盟を「容認できない一線」と位置付け、一線を越える相手には「非対称的かつ苛烈な返答で後悔させる」と警告してきた。一方、米国は今年(2021年)に入って、対戦車ミサイル「ジャベリン」のウクライナへの供与を決定した。6月には、米国やウクライナの海軍を中心に約30カ国が参加する大規模軍事演習を黒海で実施した。
 これに対し、プーチンは、9月にNATOによるウクライナ支援の拡大も「一線」に含まれるとの認識を示した。現在、国境付近に大規模な軍部隊を配備しているのは、NATOによるウクライナ支援の拡大に対する警告と見られる。
 ウクライナ、米国、NATOはロシアがウクライナに攻撃を仕掛ける可能性があるとの懸念を表明している。米軍事メディア「ミリタリー・タイムズ」は、「ロシアは来年1~2月の侵攻を準備している」とするウクライナ軍情報部門トップの見解を伝えた。
 そうした中、11月27日、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「12月1日にクーデターが計画されているとの情報を得た」と明らかにした。ウクライナと敵対するロシアや財閥トップが関与している可能性にも触れたが、双方とも関与を否定したと伝えられる。
 ロシアとしては、国境近くから軍事的な圧力をかけながら、ウクライナ内部の親露勢力による政権奪取を推進し、新政権が要請すれば軍を送るという手かと思われる。相当数の工作員がウクライナに入って、反政府運動・武装闘争を組織しており、親露勢力の背後で暗躍していると見られる、
 果たしてプーチンが12月初めにクーデターを画策したり、来年1~2月の侵攻を準備したりするほど、ウクライナ情勢がロシアにとって重大な局面になっているのかどうか、各種の報道では分からない。国際的に見ると、来年2月4日から20日まで中国・北京で冬季五輪が行われるので、その前に五輪前に軍事行動を起こすことは、波紋が大きくなる。ロシアの友好国である中国にとっては、大迷惑だろう。
 ロシアがウクライナに侵攻する時期としては、中国が台湾に侵攻する時に合わせて東西で同時に動けば、中露が連携して欧米を大きく揺さぶることができるだろう。その点でも、北京五輪後に中国が電撃的な台湾侵攻作戦を計画していないか、要注意である。

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皇位継承18~天皇の帝王学

2021-11-27 10:11:59 | 皇室
7.「天皇の帝王学」を悠仁親王殿下に

●天皇の帝王学

 皇位の安定的継承のための具体的な方策の項目に、養子という方策を揚げた。その際、今上天皇陛下には男子がないため、秋篠宮皇嗣殿下は悠仁親王殿下を天皇陛下の養子に出されてはどうかという意見があることを書いた。悠仁様を養子にすれば、天皇家の子孫が皇位を継ぐことになる。この方策は、悠仁様の教育にも関わるものとなる。
 悠仁様は、将来天皇になるお立場にある。天皇になる方には、そのための特別の教育が必要である。これを帝王学と言う。
 帝王学とは、「帝王になる者がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修養」(「広辞苑」)である。シナの皇帝に関するものであるが、わが国には天皇になるべき方がそれにふさわしい素養や見識などを学ぶ修養として、天皇の帝王学がある。
 皇室に関わる制度は、日本文明に固有の国柄・伝統・宗教を中心とし、そこにシナ文明の政治・道徳・文化を取り入れたものである。帝王学も同様であって、わが国の天皇を後継すべき者としての修養の道を中心とし、そこにシナの帝王学を摂取したのである。
 シナの帝王学では、唐の皇帝太宗による三種の文献がよく知られている。まず『貞観政要』は、太宗とその臣下との政治問答録である。北条政子や徳川家康らが愛読し、今日でも帝王学の教科書として挙げられる。第二に『帝範』は、太宗が自ら撰し、皇太子(後の高宗)に授けた帝王としての訓戒の書である。第三に『群書治要』は、太宗が秘書監の魏徴に編纂させた政治の指針を記した書である。
 わが国の皇室においても、これらの三書は帝王学の必読書として読まれてきた。明治時代以降、近代化=西欧化が進み、漢籍を中心とした教育体系ではなくなった後においても、昭和天皇に至るまで、これらの書物は修養のために愛用された。だが、シナ文明の文献の学習は、あくまで補助的に、いわば肥料程度に採り入れられたものである。
 日本文明では、神話に記された初代・神武天皇から今上天皇まで、一系の家系で皇位が継承されてきた。天皇に求められるものは、神武天皇以来の血統、先代の天皇から継承される神器、君主としてふさわしい徳である。シナの皇帝には、古代の王朝から続く血統も神器もない。シナ文明では有史以来、幾度も王朝が替わり、支配する民族が替わった。神話・伝説に現れる王の系統は、早くも古代に消滅した。各王朝の皇帝は、国家・民族間の争いを通じてその地位を奪い、権力を掌握した者及びその後継者である。それゆえ、帝王学と言っても、日本とシナでは基本的な条件が大きく異なる。シナの帝王学から学ぶことのできる範囲は最初から限られている。
 私は、天皇の帝王学の主要な内容について、次のように推測する。第一は、皇室に伝わる神道の祭儀を司る者として礼式・作法を身につけることである。第二は、神武天皇が建国の理想とした八紘一宇の精神を継承することである。第三は、皇族の一員または皇太子としての役割・職務を通じて広く様々な経験を積むことである。第四は、歴代天皇の事績を学んで天皇にふさわしい君徳を備えることである。第五は、その君徳を養うために古今東西の文献を通じて知識・教養を吸収することである。
 シナの帝王学が役立つのは、これらのうちの第五に限られる。もっと重要なのは、第一から第四である。これら四つの要素を学び、体得する教育は、どのように行われるべきだろうか。
 第一に、天皇が自ら後継予定者に教育することが最善の道だろう。日常の生活と公務のすべてがその教育となるだろう。また歴代天皇が書き残した帝王学の書が活用されるべきだろう。そのような書としては、まず『寛平御遺誡』が知られる。第59代宇多天皇が、当時13歳だった息子の第60代醍醐天皇に譲位するにあたって、天皇の心得や作法などを書き記した書である。後の歴代天皇に尊重された。宇多天皇は臣籍から皇籍に戻って皇位に就いた天皇であり、天皇としてどうあるべきか真摯な姿勢がその書から感じられる。醍醐天皇は臣籍で誕生し、父の即位によって皇籍に入った。仁政を行ったことで知られる。次の書として有名なものに、『禁秘抄』がある。第84代順徳天皇が天宮中行事・儀式・政務などに関する故実・作法を記した書である。4歳で譲位した息子の第85代仲恭天皇のために書かれたものと見られる。後世に至るまで有職故実の基準とされた。 
 第二に、天皇や皇族に仕える者や優れた学者・有識者がそれぞれの学識を以って、教育に当たることである。ただし、彼らが担い得るのは、天皇による直接教育を補佐することであり、いかなる者による教育も天皇による直接教育に替わることはできない。
 第三に、将来天皇になるべき者は、特別の教育機関で教育を受けるべきである。そのための機関として、学習院がある。学習院は、19世紀初め徳川幕藩体制のもとで朝廷の権威の復活に努めた第119代光格天皇の構想に発する。平安末期以来断絶していた大学寮に代わる朝廷の公式教育機関の復活を図ったものである。第120代仁孝天皇がその遺志を継ぎ、第121代孝明天皇が京都に開設し、幕末まで続いた。明治維新後、第122代明治天皇は、明治10年(1877年)に皇族・華族の教育機関として学習院を東京に設立された。以後、今上天皇までの歴代天皇及び皇族は、学習院に学ぶのが伝統となっている。学習院は大東亜戦争の敗戦後、私立の学校として再建され、現在の学校法人学習院および学習院大学となっている。
 悠仁様には、これら天皇による直接の教育、学者・有識者等による教育、特別の教育機関での教育のすべてが欠けている。これは実に由々しき問題である。

 次回に続く。

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日本の心29~天皇に求められる君徳:承久の乱

2021-11-26 10:56:14 | 日本精神
 わが国の天皇は、古来、侵しがたい権威あるものと仰がれてきました。その権威は、天照大神の子孫である神武天皇の血筋を引いており、また天照大神から授けられた三種の神器を持っていることによっています。そして、そのうえに、天皇が天皇にふさわしい徳を備えていることが、国民の崇敬を集めてきた所以でした。そのことを強く確認することになったのが、承久の乱でした。
 源頼朝の死後、征夷大将軍となった長男の頼家は暗殺されてしまいます。続いて三代将軍となった次男・実朝は、朝廷に対して忠誠を誓う尊皇家でした。大政奉還の命令があれば、喜んで政権を朝廷にお返しするつもりでした。ところが、幕府の実権を握った北条氏は、政権返上に絶対反対しました。ために、実朝も暗殺されます。ここで頼朝の血流が絶えてしまいました。
 源氏は、頼朝の父・義朝が、子どもでありながら父親の為義を斬首刑にし、最後は自分が家臣に謀殺されました。頼朝も、異母弟の義経・範頼ら一族の多くを殺しました。そういう非道の報いが、血統断絶という結果を生んだのでしょう。
 さて、北条氏は、平氏に属する小さな武家でしたが、北条政子が源氏の御曹司(おんぞうし)の頼朝に嫁いだことで、権力の座にめぐり合わせました。頼朝の子孫が絶えたとき、源氏には名門・足利氏や新田氏がありましたが、北条氏は将軍の座を渡しませんでした。そして、執権という立場から、全国の武家を支配しようとします。執権は、将軍を補佐し政務を総轄する役職ですが、律令制の官職ではなく、幕府内の役職にすぎません。そこで、征夷大将軍には、頼朝と母系でつながっている藤原氏の公達を京都から連れてきました。この将軍は、わずか2歳。まさに傀儡(かいらい)政権です。しかし、北条氏にとっては、皇室の権威を仰ぐほかに、権力を維持する方法はなかったのです。
 北条氏に対して、朝廷側は、後鳥羽上皇が中心となって、幕府から権力を取り戻そうと軍を動かします。それが、承久の乱(1221)です。
 わが国では古代より、天皇に刃向かうことは、強烈なタブーでした。皇室に対して兵を挙げる者は必ず敗けるという観念があったのです。さらにまた、鎌倉武士の間には、尊皇心に篤い頼朝の考えが定着していました。それゆえ、武士たちは、官軍と戦うことに対し、強い抵抗を覚えていました。これを打破したのが、尼将軍と呼ばれた北条政子でした。
 政子は、関東の諸将を集め、頼朝に受けた恩義を強調します。「いま讒諛(ざんゆ=人の悪口を言って取り入ること)する者が上皇を誤らせて、幕府を潰そうとしている。みながもし先の将軍(頼朝)の恩を忘れずにいるのなら、心を合わせて讒言者どもを除去して、幕府を安泰にして下さい。もし上皇の詔に応じて上京したい者があれば、今ここよりすぐに立ち去りなさい」と。頼朝の恩義には、決して背くわけにいきません。それに、政子は、朝廷に反抗せよと言っているのではありません。上皇の周辺で策動する者を討て、というのです。それならば、武士たちも抵抗は感じません。政子の訴えは、勘所を得ていました。
 政子の弟・北条義時とその子・泰時の間では、次のような会話がされました。
 泰時は言います。「一天悉(ことごと)く是れ王土に非ずと云ふ事なし。一朝に孕(はら)まるる物、宜しく君の御心に任せらるべし。されば戦ひ申さん事、理に背けり。しかし、頭を低(た)れ手を束(つか)ねて各々降人に参りて嘆き申すべし」と。すなわち、わが国の国土はことごとく天皇の土地です。その中のものはすべて天皇が思いのままにされるべきものですから、天皇と戦うことは道理に背きます。戦わずに降伏しましょう、と泰時は父を諌(いさ)めたのです。
 これに対し、父・義時は答えます。「尤(もっと)もこの義さる事にてあれども、其れは君主の御政(おまつり)正しく、国家治る時の事なり。……是は関東若(も)し運を開くといふとも、この御位を改めて、別の君を以て御位に即(つ)け申すべし。天照大神・正八幡宮も何の御とがめ有べき。君を誤り奉るべきに非ず、申勧(もうしすすむ)る近臣どもの悪行を罰するまでこそあれ」と。すなわち、お前の言うとおりだけれども、それは君主の政治が正しく行われ、国が治まっている時の話だ。今は違う。この度は、現在の天皇に譲位していただき、別の方に天皇になっていただこう。天照大神・正八幡宮のおとがめはあるまい。なぜなら、天皇ではなく天皇を誤らせた側近の者がよくないので、側近を処罰することが目的だからだ、と父・義時は、泰時に答えました。泰時はこの意見に従い、官軍と戦うことにします。
 天皇ではなく、天皇の周囲の者が悪い。だから、側近を討つことを、「君側(くんそく)の奸(かん)」を除くといいます。この考え方は、天皇を中心とした政治を実現するために、また時には反乱を正当化する考え方としても、後の時代に繰り返し使われることになったのでした。
 鎌倉幕府から実権を取り戻そうと、後鳥羽上皇は、討伐の院宣(いんぜん=上皇の命令)を発しました。承久の乱です。これに対し、抵抗を正当化した北条義時・泰時父子は、武士団を指揮して官軍と戦います。幕府は官軍を連破し、泰時は出発後20日目には京都に入りました。この勝利によって、皇室に刃向かう者は必ず敗けるという古来の観念は破られました。義時・泰時は、後鳥羽院ら三上皇を島流しにし、天皇の周囲の有力者を除いて、仲恭天皇を退位させ、後堀河天皇を擁立しました。
 臣下が天皇を力づくで替えてしまうというのは、前代未聞の暴挙です。それゆえ、承久の乱は、日本の国柄を考える上で、非常に重要な事件なのです。この事件以前の日本人は、「日本人民の尊皇心は当時に在りても、実に一種の宗教なりき」と明治の史論家・山路愛山が言うように、皇室に対して絶対的な崇敬を持っていました。天皇は、生来、常人を超えた神秘的な能力、カリスマがあるとして畏敬を受けていたのです。皇室は神の子孫だから神仏が加護しており、皇室に刃向かって兵を挙げると必ず敗れる、と思われていました。臣下は、天皇の命令には絶対に逆らうことができない。背くことは人倫にもとる行為だと信じられていました。ところが、北条氏によって、この観念が破られたのです。イザヤ・ベンダサン(山本七平)は、承久の乱によって天皇の在り方が変わったとし、これ以前を「前期天皇制」、以後を「後期天皇制」と呼ぶほど、この事件を重視しています。
承久の乱以後、天皇はもはや血統と神器だけでは、権威を保てなくなりました。つまり、天照大神の子孫である神武天皇の血筋を引いており、また天照大神から授けられた三種の神器を持っているだけでは、十分ではないのです。そのうえに、天皇が天皇にふさわしい徳を備えていなければ、崇敬されなくなったのです。
 保元・平治の乱以後、世の中は大いに乱れました。そこに秩序を回復したのは、武士の力であり、幕府は善政に努めていました。もし幕府をなくして、朝廷による政治に戻そうとするならば、幕府以上の政治を行うのでなければなりません。この点、承久の乱を起こした後鳥羽上皇は、君主としての徳に欠けるところがありました。男女の道にもとる点があり、実務的な政治能力も不足していました。南北朝期の南朝の指導者・北畠親房は、鎌倉幕府は善政を行って特に罪科はなかったと認めており、それなのに幕府を倒そうと戦いを起こしたのは、「上(かみ=後鳥羽上皇)の御科(おんとが=過失)とや申すべき」と『神皇正統記』で批判しています。江戸時代には、新井白石が、後鳥羽上皇は「天下の君たらせ給ふべき器にあらず」と言い、勤皇家の頼山陽でさえ『日本政記』で、上皇は「軽挙妄動」したのであって「志ありて謀(はかりごと)なし」と断じています。
 さて、承久の乱で天皇を交代させた北条義時は、そのことによって天皇の権威を引き下げる結果となってしまいました。しかし、義時には皇室そのものを滅ぼそうとか、自らが皇位に就きたいという考えは、全くありませんでした。義時は、幕府が実権を保つことのできる体制を作れれば、それでよいと考えたのです。それどころか、北条氏は、朝廷から征夷大将軍という官位を受けられなければ、幕府を維持することができません。朝廷の権威は、幕府の存立に不可欠なのです。源頼朝以後、三代実朝で源氏の嫡流が絶え、北条氏は将軍に貴族や皇族を招いていました。摂家将軍・親王将軍です。このような史実に、わが国の国柄の特徴が表れています。
 承久の乱を通じて、武士は政治権力を保持し、幕府の基礎は確固となりました。このことは、わが国に意外な幸運をもたらしました。というのは、その約半世紀後、蒙古が襲来したからです。その際、武家政権が奮戦したことによって、わが国は亡国の危機を免れることができたのです。

参考資料
・三浦朱門著『天皇 日本の成り立ち』(小学館文庫)
・山本七平著『日本人とは何か。』(PHP文庫)

 次回に続く。

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 人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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皇位継承17~憲法第14条1項との関係

2021-11-25 08:55:43 | 皇室
●憲法の規定上の問題(続き)

#憲法第14条1項との関係
 次に、憲法第14条1項の問題に移る。今回の有識者会議のヒアリングでは、21人のうち半数以上が男系男子を堅持するための旧宮家の皇籍復帰に賛成を表わした。だが、旧宮家の皇籍復帰の実現に関しては、第14条第1項が関係するという見解がある。
 第14条1項は、次の通り。
 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的関係において、差別されない」
 男系男子による安定的な皇位継承を実現するうえで、最大の課題は憲法のこの規定に関わる問題になる。女系継承容認派の神道学者・高森明勅氏は「ゴーセン道場」 2021.5.15付けで次のように述べている。

-------------------------
旧宮家案は憲法が禁じる「門地による差別」という決定的な指摘
 5月10日に開催された皇位の安定継承を目指す有識者会議の第4回会合。
 “憲法上の検討”を中心課題としたので、他の回とは異なる重要性を持つ。
 そこで、現在の憲法学界を代表する2人の学者(京都大学名誉教授の大石眞氏、東京大学教授の宍戸常寿氏)が、「旧宮家案」(更に旧宮家に限らず、皇族ではない皇統に属する男系の男子に広く皇籍取得を可能にする案)に対し、揃って憲法が禁じる「門地(もんち)による差別」に当たるとして、憲法違反の疑いがあることを指摘された。この事実は重大だ。
 参考までに、それぞれが提出された「説明資料」から、関連箇所の一部を掲げておく。
 「(上記の案は)一般国民の間における平等原則に対して『門地』などに基づく例外を設け、『皇族』という継続的な特例的地位を認めようとするものである。そうすると…憲法上の疑念があると言わざるを得ない」(大石眞氏)
 「法律(皇室典範)等で、養子たりうる資格を皇統に属する(皇族ではない)男系男子に限定するならば…一般国民の中での門地による差別に該当するおそれがある。さらに、仮に旧11宮家の男系男子に限定する場合には、皇統に属する(皇族ではない)男系男子の中での差別に該当するという問題も生じる」
 「内親王・女王との婚姻を通じた皇族との身分関係の設定によらず、一般国民である男系の男子を皇族とする制度を設けることは…門地による差別として憲法上の疑義があると考える」(宍戸常寿氏)
 念の為に、憲法の該当条文を引用すると、以下の通り。
 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的関係において、差別されない」(第14条第1項)
 「国民平等」の原則を定めた条文だ。この例外は唯一、憲法第1章に基づいて国民とは立場を異にする、天皇・皇族“のみ”。
 皇統に属する男系の男子は旧宮家系に限らず、国民の中に多くいる。しかし、皇族でない以上、この条文自体が改正されない限り(たやすく改正されるとは考え難いが)、例外扱いは許されない。
 なお、「門地」とは一般に「家柄。家格」(『明鏡国語辞典〔第2版〕』)のこと。
 憲法の注釈書には以下のように説明している。
 「『門地』とは『うまれ』あるいは『家柄』の意味で、正確にいえば、出生によって決定される社会的な地位または条件をいう」(宮澤俊義氏、コンメンタール)と。
 旧宮家系男性(あるいは、広く皇族ではない男系の男子)の場合、まさにこれに該当する。
 政府が密かに、旧宮家案を早々と現実的な選択肢から除外した最大の理由は、実はこの点にあったのかも知れない。
--------------------------

 この意見に対して私見を述べると、解決法としては根本的には、憲法を改正することである。敗戦後、占領下に臣籍降下を余儀なくされた旧皇族の男系男子孫に限って皇籍復帰を可能にする。憲法第14条第1項に、特例として加筆する。
 憲法第2条に定める「皇位の世襲」は、第14条1項に定める「法の下の平等」の例外である。また、皇室典範は、第1条で皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子」に限定しており、女系天皇及び女性天皇を排除しているが、これも憲法第14条1項に違反しない。それゆえ、旧皇族の男系男子孫に限って皇籍復帰を可能にする特例を憲法第14条第1項に加筆することは、法理的に可能である。
 この改正までの間の方策は、二つ考えられる。(1)皇室典範を改正し、皇族の養子を可能にし、その資格は皇統に属する男系男子に限定しないこととする。(実際は旧皇族の男系男子孫に対象が絞られよう)(2)内親王・女王と旧皇族の男系男子孫の婚姻を実現する。
 わが国は、憲法を守って国が滅ぶか、憲法を変えて国を守るかの瀬戸際にある。この状況は、別稿に書いた国家安全保障の問題に限らない。国家の中心をなす皇位継承の問題においても同様である。日本を守るために、今こそ憲法を改正しなければならない。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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COP26~人類は気候変動を生き延びられるか5

2021-11-24 10:17:01 | 地球環境
 COP26について、杉山大志氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)が、産経新聞11月22日付に大局的な見方を書きました。「中国は何一つ譲らず、完全に独り勝ち」「先進各国は脱炭素で自滅する」という見方です。氏の専門は、温暖化問題およびエネルギー政策です。

産経新聞 2021.11.22付けより
 「COP26のポイントは2つある。まず、中国は何一つ譲らず、完全に独り勝ちだったということだ。2030年まで石炭火力も作り続ける一方、脱炭素化の目標は先進国が50年としたのに対し、中国は60年とするなど結局、所期のポジションから一歩も引かなかった。
 もう一つは、先進各国は50年の脱炭素をCOPの場でも宣言しただけでなく、毎年、進捗をチェックすると自分たちから言い出したことだ。これは勝手に自分たちの首を絞めているようなものだ。先進国は、二酸化炭素(CO2)を減らし、開発途上国にも多大な資金援助をすると約束したが、米国を筆頭に、各国国内で議会の承認を得られる見込みは低い。来年のCOPで早速、進捗を確認するとしたが、ほぼ間違いなく言行不一致で猛烈に糾弾されるのではないか。(略)
 COP26では石炭火力の議論が特に注目されたが、最終的には「段階的な削減努力」との文言にとどまった。英国政府や環境団体は「石炭は終焉」と言いはやして回ったが、そんなことはない。日本政府は、一定割合の石炭火力を堅持する方針だが、それに変更を迫るようなものではない。これは重要な点だ。
 原子力の存在も重要だ。COP26ではあまり話題にならなかったが、フランスや東欧を筆頭に、本当に脱炭素を進めるならば原子力が大事だ、というのが世界的な流れになっている。日本も原発の再稼働はもちろん、新増設や新技術の開発などに乗り出すべきだ。
 現在、世界的にエネルギー価格が高騰し、再生可能エネルギー優先の脱炭素政策は早くも問題が露呈した。現実的に脱炭素を目指すならば、再エネ最優先の考え方を今からでも見直し、原子力のさらなる利用を考えるべきだ」

 杉山氏は、同じ趣旨の記事「COP26閉幕:脱炭素で自滅する先進国を尻目に中国は高笑い」を11月15日付のDaily WiLL オンラインにも書いています。
https://web-willmagazine.com/energy-environment/1C2hs?fbclid=IwAR0whvn9NAN6FEaSz_Ak6eXmgUD7D0U_1oRTYrKDuqEQ92ovQtJnf-1eJSU
 
 私は、杉山氏の「中国は何一つ譲らず、完全に独り勝ち」「先進各国は脱炭素で自滅する」という見方、及び石炭火力と原子力の活用が必要という意見に賛同します。
 ところで、地球環境問題に関する政治家や専門家の見解には、重大な点が欠けています。杉山氏も同様です。中国の環境政策を世界戦略とリンクしてとらえていないことです。中国は、2030年まで石炭火力も作り続ける一方、脱炭素化の目標を2060年としていますが、この環境政策のスケジュールと、世界的な覇権奪取のスケジュールを重ね合わせてとらえなければいけません。
 中国は、「中華民族の偉大な復興」の下に「人類運命共同体」を構築するとして、2035年までに西太平洋の軍事的覇権を握り、2049年の中華人民共和国創設100周年までに世界覇権を握るという方針を打ち出しています。また、この方針のもとに世界最強の軍隊を保有する計画を進めています。特に海軍の増強に力を入れており、中国は既に海軍の艦船の数で米国を抜き、世界最大の海軍を持つに至っています。また、急速に核弾頭保有数を増やし、従来の「最小限の抑止力」の核戦略を変えて核戦力の急速な拡大を図っています。
 ここで中国の地球環境政策のスケジュールと世界的な覇権奪取のスケジュールを重ね合わせると、次のようになります。

・2030年まで石炭火力も作り続ける
・2035年までに西太平洋の軍事的覇権を握る
・2049年までに世界覇権を握る
・2060年に脱炭素化の目標を実現する

 もしこのスケジュール通りに進んだら、2050年の地球は、中国の非協力によって地球温暖化を抑えられず、気候変動による環境の破壊が進む中で、米国をはじめとする先進国は衰退を続け、中国が軍事的・経済的に支配する世界となるでしょう。それを共産党政府は「人類運命共同体」の実現と称し、「中華民族」の繁栄のために、他の国民・民族を利用・搾取し、また生存の危機にさらす恐るべき社会となるでしょう。

関連掲示
・拙稿「『地球に住めなくなる日 「気候崩壊」の避けられない真実』の衝撃」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09o.htm

※本稿を含む「COP26~人類は気候変動を生き延びられるか」の全文を下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09.htm
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日本の心28~悲劇の英雄・源義経に感動するのは

2021-11-23 10:16:27 | 日本精神
 源義経は、少年牛若丸の時代から逸話に富む英雄です。兄・頼朝の命を受けて木曽義仲を討ち、一ノ谷・屋島・壇ノ浦と平氏を撃滅した義経は、頼朝の嫉妬と不信を買い、最後は逆臣として討たれてしまいます。義経は、頼朝の許可を得ずに「判官(ほうがん)」という官職を受けていました。「判官びいき」とは、悲劇的結末を迎えた義経に対する同情を表わす言葉です。しかし、義経人気は、ただ同情によるだけではないのです。
 『平家物語』は、義経を武士の理想像として描いています。当時の武士は「献身の道徳」(和辻哲郎)を基本的な倫理としていました。これは、自分の主君に、一身を献(ささ)げることです。自分の親や子への愛をも超えて、主君に忠誠を尽くすことが、武士のあるべき態度とされたのです。主君もまた家臣に対して深い情愛をもって応えます。義経は、こうした「献身の道徳」を一身に結晶させた人物として描かれています。
 それを伝えるのが、義経とその家来、佐藤継信・忠信兄弟の物語です。『平家物語』巻第11の4、「嗣信最期の事」にあります。嗣信は継信のことです。時は屋島の戦い。平氏きっての勇者・能登守教経が、得意の弓で次々と源氏の武者を射落とします。そして、御大将の九郎判官義経を、一矢で仕留めようと狙いますが、源氏の方も心得て、伊勢の三郎らが判官を取り囲むように、馬を並べて矢面に立ちはだかります。教経が「そこを退け、雑兵共」と言いざま、矢継ぎ早に矢を放つと、たちまち源氏の武者は10騎ほども射落とされました。そのうち、真っ先に進んだ奥州の佐藤嗣信は、左の肩口から右の脇腹へ矢で射抜かれて、たまらず馬から、どどっと真っ逆さまに落ちました。
 義経は、討たれた嗣信を陣の後ろへ抱き入れさせると、馬から飛び降りて手を取って、「大丈夫か、嗣信」と声をかけます。嗣信は「最早これまでと覚えます」と、弱々しい返答。「この世に思い残すことはないか」と聞くと、嗣信は「別にありません。ただ、殿が出世された晴れの姿を見られずに死ぬのが、心残りです。弓取りの侍が、戦場で矢に当たって死ぬことは、もとより本望です。その上、奥州の佐藤嗣信という者は、殿の身代わりとなって討たれたと、末代まで語っていただければ、この世の誉れ、冥土のみやげになります」と言い、次第に弱って事切れました。
 義経にとって嗣信は、頼朝の旗揚げに奥州から馳せ参じて以来、一ノ谷の戦いまで常に自分の側にあって、手足となって働いてくれた家来。その嗣信を失った悲しさに、義経は、鎧(よろい)の袖に顔を押し当て、さめざめと泣きます。
 「この辺に、尊い僧はいないか」と命じて、僧を連れて来させると、「深手を負って今、死んだこの者のために、写経をして、弔(とむら)って下されんか」と頼みました。そして、名馬・太夫黒(たいふぐろ)を、この僧に与えました。この馬は、義経が一ノ谷の鵯越(ひよどりご)えにも使用した愛馬です。嗣信の弟・佐藤忠信ら、これを見た侍たちは、みな涙を流して、「この殿のために命を失うことは、塵(ちり)ほども惜しくない」と、一様に言うのでした。――『平家物語』は、このように義経とその家来らの献身の姿を描いています。
 こうして『平家物語』において、義経は武士の美しさを体現しています。さらに重要なことは、この義経が皇室の熱心な崇敬者として描かれていることです。平氏は一族の私利のために皇位を利用し、「三種の神器」をも危うくします。追い詰められた清盛の妻・二位の尼は、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の入った小箱を脇にはさみ、宝剣を腰に差し、幼い安徳天皇を抱いて入水します。源氏の武士は、天皇の母・建礼門院を海中から救い上げます。そして、義経は平氏から取り戻した神鏡と勾玉を、無事、宮中に届けます。この皇室への忠誠によっても、義経は武士の理想像と描かれているのです。
 義経の物語は、琵琶法師の吟唱によって、広く庶民に親しまれました。そして、義経の「献身の道徳」と尊皇心は、日本人に感動を与えてきました。江戸時代には、庶民は、楠木正成や赤穂浪士等、私心なく献身する武士に敬意を表し、浄瑠璃・歌舞伎等の大衆演劇は武士の忠義の姿を好んで題材としました。対象にかかわらず、自己を超えて忠誠を尽くす生き方を、日本人はよしとしてきたのです。義経の物語は、その中でも最も庶民に愛されるものでした。江戸時代には、山鹿素行や大道寺雄山らによって、武士道の理論化・体系化が行われもしました。その武士道の倫理や美意識は、単に武士たちの身分的なものではなく、庶民にも熱い共感を呼んでいたのです。
 幕末列強渡来の危機に直面した時、日本人は明治維新を起こしました。ここで国民の忠誠の対象が天皇に一元化された時、武士道は国民的な道徳として広く行き渡っていったのです。

参考資料
・佐藤謙三校注『平家物語』(角川ソフィア文庫)
・和辻哲郎著『日本倫理思想史』(岩波書店)

 次回に続く。

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皇位継承16~国柄と憲法の乖離

2021-11-22 08:57:19 | 皇室
6.根本的には国柄と憲法の乖離の問題

●日本の国柄と天皇

 私は、今回の有識者会議の議論を通じて、わが国が安定的な皇位継承を実現するためには、わが国の国柄と現行憲法の規定の矛盾を解消することが根本問題だと考える。
 わが国の国柄は、古来、皇室を中心としてきている。そのことは、江戸時代における歴史の研究によって深く認識された。幕末の危機において、徳川幕府は朝廷に大政奉還を行い、明治維新は天皇を中心とする近代国家を実現した。
 明治時代に日本人自身が作った大日本帝国憲法では、天皇について明確に定めていた。「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」等である。
 これに対し、現行憲法では、次のように定められている。

――――――――――――――――――――――――――――――――
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 (略)
――――――――――――――――――――――――――――――――

 敗戦により、GHQの圧力で天皇は象徴となり、統治権の総攬から国事行為のみへと権限が縮小された。天皇は国政に関する権能を有しない。特に民族の中心として神に祈りを捧げる役割が軽視されている。また、憲法に元首と規定されておらず、日本国の元首は天皇なのか、総理大臣なのか、あいまいな状態になっている。今後、本格的に憲法を改正する際には、こうした規定を改めていく必要がある。この課題と、安定的な皇位の継承を実現することは、切り離すことのできないものである。

●憲法の規定上の問題

 今回の有識者会議のヒアリングで出た意見を検討すると、安定的な皇位継承の実現に関わるのは、現行憲法の条文のうち、第2条と第14条1項である。

#憲法第2条との関係
 まず第2条は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めている。世襲とは、その地位につく資格が現に天皇の地位にある人の血統に属する者に限定されることを意味する。皇室典範は、この血統を有する者の中で、継承資格者を第1条で「皇統に属する男系の男子」とし、かつ、第2条で「皇族」に属する者に限定している。
 今回のヒアリングで、憲法および法律の専門家の第2条に関する見解は分かれた。
 憲法学者の宍戸常寿氏は、次のように述べた。「憲法第2条の定める世襲は女性を排除するものではなく、皇室典範の改正により内親王・女王に皇位継承資格を認めることは可能である。憲法第2条の定める世襲は女系を排除するものではなく、国事行為およびそれに準ずる活動は女系の天皇でも可能である」と。この見解は、憲法第2条の規定は、女性天皇及び女系天皇を排除するものではないとし、女性天皇・女系天皇を可能と解釈するものである。
 これに対し、憲法学者の百地章氏は、反対意見を述べた。「女系天皇は、2千年近い『皇室の伝統』を破壊するだけでなく、憲法違反の疑いさえある。もしわが国で『女系天皇』を容認すれば、その時点で初代神武天皇以来の皇統は断絶し、新たに別の王朝が誕生してしまうことになる。正統性が問われる」と。この見解は、女系天皇は、憲法第2条の規定に違反する疑いがあるという意見である。
 元最高裁判事の岡部喜代子氏は、「男系女子の皇族に皇位継承資格を認めることは望ましい」という見解を述べた。女系天皇については、「憲法違反であるとの説を採ることはできない」とする一方、女系への皇位継承資格の拡大は「強固な反対がある」として男系女子にとどめるべきだという意見を述べた。
 憲法学者の大石眞氏は、皇位継承権について「内親王・女王にも認めるとともに女系の皇族にも拡大するのが基本的な方向としては妥当」としながら、「古来、皇位が男系のみで継承されてきた伝統は重いものであって、それによる継承可能性が十分にある時点において、いわば一挙に、皇位継承資格を内親王・女王にも認めるとともに女系の皇族にも拡大するという大きな転換を遂げることが最善の方策とも思えない」と述べた。
 有識者会議での憲法および法律の専門家の見解を受けて、加藤勝信官房長官は6月2日の衆院内閣委員会で、憲法2条の政府解釈について「『皇位は、世襲のものであって』とは、天皇の血統につながる者のみが皇位を継承することと解され、男系、女系の両方が憲法において含まれる」と述べた。
 これが政府の公式見解だとすれば、政府はどのような議論を経て、女系天皇は合憲という見解に達したのだろうか。憲法学者の中に、百地氏のように女系天皇は憲法第2条の規定に違反する疑いがあるという意見がある中で、十分な議論のないまま政府が特定の憲法解釈を採ることは、軽率である。
 わが国の歴史においては、皇位は一貫して男系によって継承されてきている。また明治時代の皇室典範では、男系男子による継承を定め、現行の皇室典範もこの規定を保っている。私は、現行憲法を制定した時には、皇位は男系男子で継承することが大前提になっており、男系女子及び女系皇族が継承することは想定されていなかったと考える。ただし、その前提を明示した規定ではないから、純粋に憲法の理論上は、男系女子の皇位継承及び女系による継承も可能という解釈が現れる。この点に関しては、歴史的には、男系女子が天皇になった例があるので、男系女子の皇位継承は必要に応じて可能として担保しておくべきと考える。これに比し、女系継承はわが国の歴史上に例がない。百地氏は「もしわが国で『女系天皇』を容認すれば、その時点で初代神武天皇以来の皇統は断絶し、新たに別の王朝が誕生してしまうことになる。正統性が問われる」と述べているが、全く同感である。
 憲法第2条に定めるように、皇室典範は国会で定める法律であるから、女性天皇にしても女系継承にしても、これを可能という規定に皇室典範を改正すれば、可能になる。私は、この問題は、現行憲法がわが国の国柄と歴史を十分踏まえて制定されたものではないことによっていると考える。
 戦前の皇室典範は、憲法と同じく国家の根本を定める特別の法だった。だが、戦後の皇室典範は、GHQの占領下に内容を簡素化され、また国会で改正できる普通の法律と同じものになった。今後、日本人自身の手による憲法改正を成し遂げた後に、皇室典範を位置づけ直し、そのうえで皇室が末永く繁栄していけるように内容を整備する必要がある。

 次回に続く。

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外国人の就労を無期限かつ全分野に~日本の自滅が始まる

2021-11-21 10:15:17 | 移民
 岸田内閣が外国人の就労を無期限とし、かつ全分野に広げようとしています。これは、事実上の外国人移民受け入れ拡大政策です。
 日本を再建するための憲法改正が未だ実現せず、皇位の男系継承の方策も固まらず、帰化した国会議員の国籍履歴の公開も制度化されず、スパイ防止法も制定されていない状態で、移民の拡大をするのは、日本の自滅行為です。わが国より国家体制がしっかりしている欧州諸国ですら、移民を多数入れたことで混迷に陥っています。わが国に入って来る外国人の多くは、共産国で世界最大の人口を持つ中国から来ます。中国人移民の背後には、彼らを管理し、彼らに指示・命令をする中国共産党があります。
 財界を中心に経済的利益を優先して移民拡大を行うならば、政治と社会に混乱を招き、文化と精神が破壊されていきます。行き着く先は、日本が中国に併呑されることになるでしょう。

●産経新聞の記事より 2021.11.20

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 政府は18日、人手不足が深刻化する14業種で定める外国人労働者の在留資格「特定技能」のうち熟練者について、事実上、在留期限を撤廃する方針を固めた。
 これにより、農業、製造業、サービスなど幅広い分野で、永住権を取得できる外国人就労者の範囲が拡大される。政府は来年度中にも制度見直しの閣議決定を行う方向で調整する。
 これまで長期就労が可能だったのは「建設」と「造船・舶用工業」の2分野。介護士資格の取得を前提に、別の長期就労制度で運用されている「介護」を含め、特定技能全14業種で長期就労が可能となる。2019年に新資格の特定技能を導入して以来の政策転換となる。
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●ジャーナリスト・門田隆将氏のツイート

 「外国人在留資格の“特定技能”が事実上、無期限に。日経は“長期就労への道を開く転換点”と。“行うべきは国会を通さず厚労省の通達で決められた外国人への生活保護の廃止と、永住資格の更新厳格化。在留管理と出口を厳しくせぬ内に入口ばかり広げる愚かさ!”と小野田紀美氏。日本が溶けていく。信じ難い」
 「外国人就労が無期限、全分野になるという報に衝撃。事実上の移民受け入れだ。英仏が1940年代後半からやった事と同じ。“これからは多文化共生”と言って大失敗し、英は2011年にキャメロン首相が失敗を認めた。岸田政権が事実上の移民開放策を取った事は信じ難い。岸田さん、日本を潰すつもりですか」
 「外国人在留資格“特定技能”の在留期限をなくし、家族の帯同も認め、様々な業種に広げる方針の岸田政権。今ですら“世界4位の移民大国”日本。“新自由主義丸出しの移民政策。これで移民にますます歯止めが効かなくなって賃金はますます下落する事になりましたね”と藤井聡氏。岸田政権で日本が溶けていく…」

関連掲示
・日本の移民問題については、下記の拙稿の第4章以下をご参照下さい。http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09i.htm
・拙稿「外国労働者受け入れ拡大で、日本の再建が一層の急務」
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13-03.htm

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