ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

仏教35~唯識説の理論

2020-07-31 10:13:48 | 心と宗教
●唯識説

◆仏教の認識論
 次に、空の思想と並び立つ唯識の理論に移る。唯識の理論に関して述べるには、まず仏教の認識論から書く必要がある。唯識論は、仏教の認識論の深化・発展だからである。
 仏教は解脱を目指す教えであり、業(行為)を生み出すのは無明であると説き、煩悩の消滅を目指す。それゆえ、その教えは、修行の実践のために心のあり方を分析する認識論が中心となっている。仏教の認識論は、六入、十二処、十二界を挙げる。
 六入とは、眼・耳・鼻・舌・身・意をいう。六根とも呼ぶ。これらのうち、5番目の身は触覚器官である。最初の五つは感覚器官であるのに対し、意は思考器官に当たる。
 六入に六境を加えて、十二処という。六境とは、色・声・香・味・触・法をいう。これらのうち、色は色彩と形状、触は熱さ寒さ等、法は考えられる事物に当たる。境とは、感覚と思考の対象と見ることができる。
 十二処に六識を加えて、十八界という。六識とは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識をいう。これらは、感覚と思考の器官によって生じる内容と見ることができる。
 仏教では、六入、十二処、十二界という分析をもとに、認識は器官が対象をとらえる結果として、内容が生じると説く。この関係は、認識の器官、対象、内容という三つの要素で構成される。特徴的なのは、この構造において、認識の主体は問題にされないことである。認識の主体を立てると、何らかの形で自我や霊魂の存在を認めざるを得なくなる。これは、無我説と矛盾してしまう。そこで、認識の主体を立てることなく、認識の器官を所有し、認識の内容を統合するものを明らかにしなければならない。この課題のもとに、認識の主体を立てずに認識を論じるのが、大乗仏教の認識論である。そして、空の思想による無我説に基づいて認識の理論を展開したのが、唯識説である。

◆唯識説の理論
 西洋哲学では、万物の根本を精神的なものとし、物質的なものはその所産であるとする考え方を、唯心論(spiritualism)いう。この反対は、その逆を説く唯物論(materialism)である。(註1)
 近代西洋哲学の主客二項図式に則って言えば、唯心論には、神の心が世界を創造したとする客観的唯心論と、人間の心が世界を生み出しているとする主観的唯心論がある。便宜的にこの分類に従うならば、大乗仏教は、後者の主観的唯心論の一種である。この思想を体系的に説いたものが、唯識説である。
 唯識説は、純粋な精神作用に対象を含む一切のあり方を包括する理論である。この理論を展開した宗派を唯識派という。インド中北部で4世紀初めころ、マイトレーヤ(弥勒)が創始し、アサンガ(無著)、ヴァスバンドウ(世親)が大成した。
 ヴァスバンドウは、生年320年頃、没年400年頃と伝えられる。北インド生まれで、出家してはじめ説一切有部、次に経量部を学んで、『阿毘達磨倶舎論』を著わし、部派仏教の教義を集大成するとともに、大乗仏教を批判した。しかし、兄・アサンガに従って大乗仏教に転じ、アサンガが発展させた唯識説をさらに進めて、『唯識三十頌』『摂大乗論釈』等を著し、唯識説を完成させた。
 唯識派は、その理論がヨーガの実践に支えられるものであることから、瑜伽行唯識派ともいう。同派は中観派と並ぶインド大乗仏教の二大主流になった。また、チベット、シナ、日本等に広く伝わった。シナには玄奘が伝え、法相宗を開き、日本にも伝えられた。


(1) 唯心論の一種に、観念論(idealism)がある。観念論は、西洋文明に特有のイデアを原理とする思想である。イデア論、イデア主義ともいう。ギリシャのプラトンに発し、アリストテレスが体系化し、それを摂取したヨーロッパで、キリスト教の理論に応用され、スコラ神学、バークリー、カント、ヘーゲル等が展開した。インド文明の唯心論は、イデアの概念がなく、イデア論的唯心論とは異なる非イデア論的唯心論である。

 次回に続く。

************* 著書のご案内 ****************

 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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人種差別問題~克服すべき米国、利用する中国1

2020-07-30 08:49:14 | 国際関係
●はじめに

 本年(令和2年、2020年)5月25日、米国ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性ジョージ・フロイドが白人警官による暴行で死亡した。この事件以降、米国各地で人種差別に反対する抗議デモが起こり、拡大・激化し、欧州諸国や日本等にも広がっている。
 最も注目すべきことは、デモが過激化しつつ本年11月に行われる大統領選挙に影響を与える勢いとなっていることである。そこには、米国の混迷がよく現れているとともに、背後に人種差別問題を自国に有利に利用しようとする共産中国の策謀がある。
 私は、拙稿「人権――その起源と目標」「トッドの移民論と日本の移民問題」等で、人種差別や民族問題について書いてきた。これらの拙稿は、紙製の拙著『人類を導く日本精神~新しい文明の飛躍』(星雲社)の付録CDにデータを収録している。本稿は、これらの拙稿に書いたことをもとに、米国の人種差別問題について、その構造、歴史、大統領選挙への影響、米中対立との関係について述べるものである。20回ほどの予定である。

●白人警官による黒人殺害事件

 本年5月25日、ミネアポリス白人警官黒人殺害事件において、黒人ジョージ・フロイドは、偽の20ドル札を使用した疑いで、白人警官デレク・ショーヴァンに取りさえられた。ショーヴァンはフロイドの首を膝で押さえつけて窒息死させた。フロイドには前科があった。覚せい剤所持で何度も逮捕されたり、女性を武装強盗した犯罪を起こしたこともあった。この点は、マスメディアが、ほとんど報道していない。
 白人警官が用いたのは、チョーク・ホールドという拘束技で、ショーヴァンそれを8分間以上続けた。フロイドは、この間、「息が出来ない」と言ったり、「死にそうだ」と語った。これだけ長時間、首を押さえつければ生命にかかわることは、警察官なら当然わかることである。ショーヴァンは、翌日解雇され、第2級殺人罪となる重過失致死罪で起訴された。現場にいた同僚3人も制止を怠ったとして後に解雇、起訴された。うち2人は殺人の幇助・教唆の罪で起訴された。1人は黒人、1人はラオス生まれのアジア系だった。残る1人は新人だったので、不起訴になった。
 米国では、白人による黒人への人種差別が今も根強い。白人の警官が黒人に過度の制裁を加えたり、安易に銃撃して死亡させることが多く、社会的な問題になっている。だが、事件が起こったミネアポリス市は、以前からそうした問題が多い場所ではなかった。ミネアポリス市は、市長が民主党で、13人の市会議員中12人が民主党、残り1人が緑の党だというから、民主党系のリベラルが市政を支配している。また、同市のあるミネソタ州は、州知事が民主党で、地域選出の連邦下院議員は、民主党最左派で女性イスラーム教徒のイルハン・オマールである。それゆえ、この地域はリベラル勢力が強く、米国の中では人種差別が比較的少ない地域と考えられる。そのような地域において、警察だけが黒人への人種差別意識で固まっているとは考えにくい。白人警官黒人殺害事件は、特定の警官が職務規範を大きく逸脱した事例と見るべきだろう。日本の警察官は職務に忠実であることで知られるが、多数の警官の中には犯罪を侵す者もいる。一人そういう者がいるからといって、皆がそうだと考えるのは誤りである。
 もう一つ考えるべきは、この事件は、世界コロナ危機で起こったことである。米国では、事件発生の時点で武漢ウイルスに10万人以上が感染し、2万人以上が死亡し、また経済活動の縮小したことで失業者が急増していた。武漢ウイルスよる死亡者の比率は、黒人が白人の2倍超となっていた。黒人の失業率は16%とこれも白人より2倍ほど高かった。白人警官による黒人殺害事件は、そうした社会状況で起こった。そのため、事件をきっかけにした人種差別への抗議運動は、コロナ危機での社会的不満の噴出と重なり合って、急激に拡大した。
 事件後、ドナルド・トランプ大統領は、5月27日フロイドの家族に弔意を示すツイートを投稿した。人種差別に反対する人々の怒りは収まらず、パンデミックによる社会不安や生活苦の訴え等が重なり、事件への抗議活動は5月27日から、全米に拡大した。28日には抗議デモの一部が暴徒化し、暴動が各地に広がり、店舗からの略奪、パトカーへの放火等が相次いだ。
 6月1日、ジョージ・フロイドの弟テレンス・フロイドは、 兄が死亡した場所を訪れ、「暴力的な方法ではなく平和的な解決をしよう」と訴えた。破壊行為を続ける人々に「あなたたちがやっていることは何にもならない。そんなことをしたって、兄は戻ってこない」と語り、政治参加で社会を変えることを呼びかけた。だが、一部では暴徒による破壊活動が続いている。
 抗議デモは中南米出身のヒスパニック(ラティーノ)ら低所得層にも広がっている。人種差別に経済格差がもたらした社会分断が重なって、収束が困難な事態となっている。
 人種差別は、当然許されない。米国やそのほかの国々で、人種差別反対の抗議活動が高まるのは、当然である。また、人種の違いを基礎とした経済格差は、是正されなくてはならない。だが、今回の抗議活動には、背後からそれを政治的な目的に利用しようとする勢力がある。社会の是正ではなく、秩序を撹乱し、体制を転覆させようとする動きである。一つは、中国共産党による工作である。もう一つは、黒人等の権利拡大運動と結びついた極左団体の活動である。それらにも目を向ける必要がある。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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仏教34~空の思想

2020-07-29 10:20:25 | 心と宗教
●空の思想

 空(シューニヤ)とは、すべてのものは、みな因縁によって起こる仮の相であり、実体性がなく固定した本質を持たないことをいう。空の思想では、説一切有部が説く事物の構成要素としての法はすべて本性を持たないとして、その実体性を否定する。この思想は、般若経の経典群で多く説かれ、ナーガールジュナ(龍樹)によって体系化された。

◆般若経
 空の思想を表した経典の代表的なものが、般若経の経典群である。般若経は一個の経典の名称ではなく、般若経という名のつく経典の総称である。紀元前後からの約100年間に個々に成立したと見られる。
 般若経に基づく思想では、すべてのものの本性は固定的なものではないことを、自性空(じしょうくう)と呼ぶ。そして、悟りに達するために、すべてのものを空と観じて執着を離れるべきことを説く。
 般若経は、悟りに達するために、六つの修行を挙げる。この修行を波羅蜜(パーラミター)という。波羅蜜には、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の6つがあり、これらを六波羅蜜と呼ぶ。
 第一の布施波羅蜜は、分け与えることであり、喜捨を行なうこと、仏法について教えることなどをいう。第二の持戒波羅蜜は、戒律を守り、自己を反省すること。第三の忍辱波羅蜜は、完全な忍耐を行うこと。第四の精進波羅蜜は、努力を尽くすこと。第五の禅定波羅蜜は、心を特定の対象に集中して統一すること。第六の般若波羅蜜は、すべてを空と観じる最高の智慧を完成させることをいう。第1から第5までの5つの波羅蜜は、最後の般若波羅蜜を成就するための階梯である。
 般若経は、波羅蜜の実践を通じて、空の智恵を得ることを目指す。般若経の要諦を表す般若心経に「色即是空、空即是色」という言葉がある。この名句は「諸法皆空」の思想を端的に表すものである。
 空の思想は、般若経以外に、浄土系経典、『法華経』『華厳経』等にも盛られている。

◆ナーガールジュナと中観派
 空の思想を体系化したのが、ナーガールジュナ(龍樹)である。ナーガールジュナは、生年150年頃、没年250年ごろとされる。南インドのバラモンの出身で、最初、部派仏教を学んだ後、大乗仏教に転じた。
 縁起説によれば、すべてのものは原因・条件の結果として成り立っており、何一つとしてそれ自体で存在するものはない。ところが、説一切有部は、三世実有・法体恒有の説に立って、一定の性質をもって実在する諸法相互の関係を縁起と説いた。ナーガールジュナは、『中論頌』『大智度論』等を著して、これに反論し、独立の実体や固定した本質すなわち自性を立てようとする考えを完全に否定し、あらゆるものは無自性すなわち空であると説いた。この説は、虚無を説くものではなく、それ自体で存在する実体を否定し、すべてのものを関係においてとらえる見方である。
 ナーガールジュナは、縁起を因縁によって生起することととらえているだけではなく、相互依存の関係と理解している。AとBが互いに因となり果となり、双方が互いを規定し合い、相互依存関係を通じて、AとBが同時に決まるとする。それゆえ、時間的に継起する因果関係だけでなく、非時間的な依存関係をも因縁と理解するものといえるだろう。
 空は、有ではなく無でもない。有と無は対立する概念だが、空はその両者を超えた概念である。ただし、単にそれらを否定したものではない。空は有でも無でもないが、同時に、空は有であり無であり、また、有と無以外のものでもある、とナーガールジュナは説いているからである。この論理は、アリストテレスの形式論理学及びそれを基礎とした近代西欧の論理学では、論理と認められない。だが、この言わば論理を超えた論理が、空を示唆するものである。私は、論理を使って論理を超え、言語的な思考を停止させて、悟りに導こうとするものではないかと思う。
 ナーガールジュナは、すべてのものは空であるが、それを相対的な日常的立場からは有と見るとして、空を説きながら空に執着しない中道を説いた。これを中観と称し、中観派が形成された。
 彼の思想は弟子のアーリヤデーバ (提婆) に継承され、以後の大乗仏教各派に多大な影響を与えた。シナに伝えられて三論宗となり、わが国では南都六宗の一つとなっている。
ナーガールジュナの空論は精緻なものだが難解であるため、一部に空の思想を虚無主義ととらえる誤解を生じるようになった。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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仏教33~仏の三身説、弥勒菩薩、無我説

2020-07-28 10:10:36 | 心と宗教
●仏の三身説

 釈迦の超人化・神格化の結果、仏の三身説が成立した。これは、仏を法身(ほっしん)・報身(ほうじん)応身(おうじん)の三相で考える説である。
 法身は、永遠なる宇宙の理法そのものとしてとらえた仏のあり方である。法身仏とは、法そのもの、永遠不滅の真理であり、釈迦の本体である。『法華経』の久遠の本仏は、法身仏であり、『華厳経』の毘盧遮那仏、『大日経』の大日如来もそうである。
 報身は、過去の修行によって成就した仏のあり方である。報身仏とは、修行の結果、願を成就して仏身を得たものである。すでに自ら仏となりながら、さらに衆生済度(しゅじょうさいど)のために様々な姿を取って利他の働きを行ずる諸仏をさす。済度とは法を説いて迷いから救って、悟りを開かせることをいう。阿弥陀仏または阿弥陀如来、薬師仏または薬師如来は、過去の修行によって仏となり、一切衆生の救済者となった報身仏とされている。菩薩ではなく仏陀である。
 応身は、仮に相手に応じて出現した仏のあり方である。応身仏とは、衆生を救うために、仏が如来や菩薩等の種々の姿を取って権(仮)に現れたものである。法が人格化した存在であり、歴史上に出現した釈迦は、これとされる。仏の化身であり、権現と呼ばれる。
 仏の三身説もまた明らかにヒンドゥー教の影響である。法身仏は、ヒンドゥー教におけるブラフマンに相当する。ヴィシュヌはブラフマンと同一とされるから、法身仏は、ヴィシュヌにも当たる。法身仏と応身仏の関係は、ヴィシュヌとその化身に対応する。ヴィシュヌの第9番目の化身が、ゴータマ・ブッダとされている。
 ヒンドゥー教では、実在した人間と考えられるクリシュナが超人化され、神の化身とされた。釈迦は紛れもなく実在の人物だが、その超人化・神格化には、クリシュナの場合と似た展開が見られる。その一方で、違いもある。クリシュナは軍人の英雄が民衆によって神格化され、神の化身に祀り上げられたのに対し、釈迦は修行によって悟りに達した覚者が仏の応身とされている。
 このことに関連して、釈迦が原型となって過去の諸仏や菩薩等が生み出されたことについても、修行の実践による悟りという体験が不可欠である。ヒンドゥー教の化身は神の現れであるから、修行によって悟る必要がない。そのうえ、魚、亀、猪など人間ではない動物が、神の化身とされている。こうした動物が修行して悟ったのではない。
 なお、仏教には、ヒンドゥー教にはない報身仏があることも、特徴の一つとなっている。

●弥勒菩薩

 ヒンドゥー教は、釈迦をヴィシュヌの第9番目の化身とする。また将来、第10番目の化身カルキが現れると信じられている。この未来の救済者の観念が仏教に影響したものと考えられるのが、弥勒菩薩である。
 弥勒は、マイトレーヤの音写による漢訳である。現在、兜率天で修行中の菩薩であり、釈迦入滅の56億7000万年後に、この世に下生して、釈迦の救いに洩れた衆生を救済すると信じられている。弥勒信仰では、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が下生するまでの間は無仏の時代であり、誰も悟りに至れる者は現れないと予想されている。
 マイトレーヤの名は、ヴェーダの宗教の神ミトラと似ている。ミトラは、先の項目に書いたように契約神・軍神・太陽神とされ、特に歴代のペルシャ王朝で国家の守護神として崇拝された。ゾロアスターの宗教改革後も、民衆の間でミトラ信仰が続き、ミトラを太陽神・光明神にして万物の豊穣を司る神と仰ぐミトラ教が現れ、紀元前1世紀からローマ帝国に伝わった。インドでも、民衆の信仰を集めた。このミトラ教のミトラが仏教に取り入れられ、マイトレーヤすなわち弥勒菩薩となったと考えられる。ミトラ教には、ゾロアスター教から受け継いだ未来の救世主の思想があり、これとヒンドゥー教のカルキの観念が結合し、仏教の菩薩となったものだろう。
 弥勒菩薩は、実在の人物が理想化されたものという説がある。釈迦の弟子でアジタというバラモン出身の出家者の伝説がもとになっている。弥勒信仰は、紀元後3世紀半ばまでに形成され、一時は盛んだったと見られる。インドには、多くの弥勒像が残っている。また、弥勒三部経と呼ばれる『弥勒下生経』『弥勒大成仏経』『弥勒上生経』が作られた。

●大乗仏教の無我説

 釈迦は、自我を現象としては認めるが、それが恒常不変のものではないことを示して、現世への執着を捨てさせ、涅槃寂静という目標を明確にして修行に専念させようとした。これが釈迦の無我説の主旨と私は考える。
 仮に自我はそれ自体で存在する実体ではなく、恒常不変の本質を持たないとするとしても、自我の存在を全く認めないならば、因果応報の主体がなくなる。行為をする者とその結果を受ける者との同一性が成り立たない。また、輪廻転生をする主体もないことになる。だが、輪廻転生する霊魂を認めないならば、解脱を目指す必要もなくなってしまう。死んだら身体の消滅とともに、五蘊が消散し、精神(我)も消滅するという唯物論的な考え方を排除できない。
 この難問を解決するために、大乗仏教はアートマン(我)としての自我を全く否定する無我説を説きつつ、自我に替わるものを打ち出す思想を発達させた。それが空の思想と唯識説である。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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仏教32~阿弥陀信仰、法華経

2020-07-25 08:33:01 | 心と宗教
●阿弥陀信仰

 大乗経典のうち特に古いものの一つに、『大阿弥陀経』がある。浄土系経典の最初期のものである。ここにおける阿弥陀信仰は、早期に仏教の有神教化が鮮明になったものである。
 阿弥陀信仰は、現世に出現したゴータマ・ブッダへの信仰ではなく、西方の極楽浄土にいるとされる阿弥陀仏または阿弥陀如来への信仰である。阿弥陀はアミターバすなわち無量光、またはアミターユスすなわち無量寿を漢訳したものであり、阿弥陀如来とは、「無量の光あるいは寿命を持つ仏」を意味する。
 阿弥陀信仰には、ペルシャの宗教の影響が見られる。ペルシャで盛んだったミトラ信仰のミトラは太陽神であり、またゾロアスター教の最高神アフラ・マズダは光の神である。阿弥陀如来が無量の光を持つ仏とされたのは、こうしたペルシャ系の太陽神・光明神を仏教の中に取り入れたものと考えられる。
 また、ヒンドゥー教の影響があるとも考えられる。ヴィシュヌは、太陽が光り照らす働きを神格化したものであり、太陽神にして光の神である。ヴィシュヌ信仰は、紀元前後から徐々に盛んになったので、これが阿弥陀信仰を誘発したり、ヴィシュヌを信仰していたヒンドゥー教徒が仏教徒となって阿弥陀信仰に転じたりした可能性がある。
 もとがミトラにせよ、ヴィシュヌにせよ、阿弥陀信仰は、阿弥陀仏という一種の神格への信仰であり、仏教の有神教化をはっきりと示すものである。それは、すなわち仏教のヒンドゥー化の現象である。
 阿弥陀信仰は、死後、西方の極楽浄土に往って生まれることを望む。これを極楽往生という。インドの阿弥陀信仰は、浄土に生まれた後、阿弥陀如来の説法を聞いて修行をして悟ることを目指す。それゆえ、信仰だけでなく、修行も必要だとする。ところが、わが国における阿弥陀信仰は、浄土真宗の開祖・親鸞の教えが典型的であるように、「南無阿弥陀仏」すなわち「阿弥陀仏に帰依します」と唱えるだけで、誰もが阿弥陀如来のいる極楽浄土に往生できると信じるようになった。これは、完全他力である。自力による修行は、必要ないわけである。また、浄土に生まれることが最終目的とされ、ただ浄土への往生を願うものとなった。日本人は、仏教を通じてインド文明の輪廻転生の観念を受け入れたが、この極楽往生の願いは、仏教の多生説より、神道の単生説に近いものになっている。
阿弥陀信仰に基づく浄土系経典は多くあるが、日本では、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つを浄土三部経と総称している。

●『法華経』

 阿弥陀信仰は仏教の有神教化の早期の例だが、さらに発展した段階の例の一つが、『法華経』の信仰である。
 『法華経』は、紀元前後にインド北部で成立したと見られる。『妙法蓮華経』が正式名称であり、「蓮華のような素晴らしい教えを説く経」を意味する。蓮は泥の中から現れるが、その花は泥に汚されることなく、白く美しく咲くことから、この経典の名称に使われている。
 『法華経』が成立する前、大乗仏教では、出家者より在家者の優位を説く経典が現れていた。『維摩経』は、在家者が出家者をやっつける筋書きであり、菩薩の理想像を在家の維摩居士の姿に描いている。また、『勝鬘経』は、国王の娘である勝鬘夫人が釈迦の神通力を受けて在家信仰を鼓吹した。
 『法華経』は、前半を迹門(しゃくもん)、後半を本門と呼ぶ。迹門においては、それまで大乗仏教の一部が部派仏教の出家者は悟りを得ることができないとしていたのと異なり、釈迦の教えを聴いて悟りを求める声聞(しょうもん)、師を持たずに悟りを求める縁覚(えんがく)も、悟りを得ることができるとした。
 大乗仏教では、乗り物のたとえを使って、声聞乗、縁覚乗といういわゆる小乗の二乗と、大乗の菩薩乗という三つの道があるとする。部派仏教では菩薩乗を説かず、かわりに仏乗すなわち仏の乗り物を立てる。これに対し、『法華経』は、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗は一乗すなわち一仏乗に導くための方便であり、真実なる一乗によって一切衆生が等しく成仏し得ると説いている。これは小乗の二乗を否定せずに包摂するもので、寛容で宥和的な思想である。
 本門においては、歴史上の釈迦は方便すなわち衆生を正しい教えに導くための手段として現れた姿にすぎず、本当は永遠の過去から存在し、常住・不滅であることを強調する。その一節に大意次のように書かれている。「私が仏陀になって以来、限りない年月がたっている。常に何億という衆生のために法を説き、教化して、限りない時がたった。衆生を救うために、方便として私が入滅した様子を見せるが、実は決して入滅することなく、いつも法を説いている」と。
 この本来の仏を「久遠(くおん)の本仏」という。ここには、宇宙の根本原理であるブラフマンとヴィシュヌを同一視して最高神とするヒンドゥー教の影響が濃厚である。
 『法華経』本門の思想は、阿弥陀信仰より仏教の有神教化が一段と進んだものである。釈迦を超人化・神格化した仏教は、釈迦を一種の人間神とした。次にこの人間神を宇宙神に高め、さらに宇宙神が人間の姿を取って歴史的世界に出現したものが釈迦であると理解し直した。その理解に立って、『法華経』が編まれたと解することができる。
 『法華経』には、個人の救済だけでなく鎮護国家の思想がある。護国経典としては『金光明最勝王経』こと『金光明経』、『仁王護国般若経』こと『仁王経』が代表的だが、『法華経』もこれらとともに鎮護国家の経典として重視された。『金光明経』はインドで成立後、様々な言語に訳されて重用されたが、『仁王経』はシナで作られた偽経と見られる。
 『法華経』は、罪障を消滅する経典としても尊崇された。とりわけ提婆達多品は、どんな悪人でも、また女性でも滅罪がされ、成仏できる経文として尊崇された。仏教では女性は救い難い者とする思想が支配的になってきていたが、提婆達多品は、女性を死後、男子に変えて成仏させるという女人成仏を説いて、女性に救いの道を示したものとして、女性の信徒の信仰を集めた。
 『法華経』は、非仏教徒に仏教の信仰を勧めるとともに、仏教徒を含むすべての者に対して『法華経』を崇拝すべきことを説いている。他の大乗仏教の経典に見られないほど、『法華経』は排他的・闘争的である。「南無妙法蓮華経」を唱える儀礼は、この経典の題目を唱えて「『法華経』に帰依します」という信条を告白するものである。経典自体の神聖化は、ヴェーダの宗教がヴェーダ文献を聖典とすることに類似している。
 『法華経』は「経典中の王」と呼ばれるが、インドの仏教哲学者たちは『法華経』をあまり重要視しなかった。『法華経』を中心とする宗派も成立しなかった。だが、シナで智顗(ちぎ)が『法華経』を高く評価し、日本では聖徳太子、最澄等が重んじ、日蓮はこの経典を絶対とする日蓮宗を開いた。

◆観音信仰
 『法華経』の本門には、観世音菩薩普門品という章がある。観世音菩薩が一切衆生を救うことを説くもので、独立して観音経となり、観音信仰の経典となった。
 観音信仰は、4~5世紀以降に顕著になった。観音は観世音菩薩あるいは観自在菩薩の略称で、もとはアヴァローキテーシュヴァラの漢訳である。
 観音信仰は現世利益を求める信仰と結びつき、様々な利益に応じて変化身(へんげしん)が現れるようになった。衆生の求めによって姿を変えるとされ、三十三身が最もよく知られる。輪廻転生の世界を六道に分ける世界観により、それぞれの領域にある衆生を救う菩薩として、六観音が立てられた。十一面観音には、多くの顔を持つヒンドゥー教の神々の影響が見られる。また千手観音は、千手千眼観自在菩薩の略称で、千の眼を持つインドラや千の手を持つヴィシュヌやシヴァの影響である。ここにも仏教のヒンドゥー化が明確に現れている。

 次回に続く。

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
 『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1

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ウイルス7~生命力と調和の精神の発揮を

2020-07-24 10:11:53 | 国際関係
 最終回。

●生命力と調和の精神の発揮を

 20世紀以降の世界では、新たな感染症が次々に現れ、世界的に流行して、多くの被害を出している。この原因として、先に人口爆発・グローバル化・森林伐採の影響を挙げた。今後も、世界の人口が増え、大都市が発達し、人やものの移動が加速し、また地球に残された森林の伐採が続けられるならば、新たな感染症が出現し、パンデミックが起こるだろう。とりわけ森林の伐採によって、野生動物等に寄生していた未知のウイルスが人間に感染することは避けがたい。野生の哺乳類には少なくとも32万種類の未知のウイルスが潜んでいると推定されている。そうしたウイルスが国境や人種、大陸や大洋を超えて世界的に広がる可能性は高い。コロナウイルスの新型が今後も出現することも想定される。
 武漢ウイルスの感染が拡大するなか、「これはウイルスとの戦いだ」「ウイルスとの戦争だ」という表現が多用されている。生死・興亡を賭けた取り組みである点では、その通りである。だが、ウイルスは、独自の意思を持って人類を攻撃しているのではない。自らが生存・繁殖するための活動をしているにすぎない。
 人類は、地球に発生以来、多くの細菌やウイルスに感染してきた。天然痘、はしか、マラリア、結核、腸チフス、ハンセン病、コレラ、ペスト等々。だが、人類はそれでも滅亡せず、逆に繁栄してきた。国連の将来人口予測(2013年)によると、世界人口は2050年に96億人を超える。人類のゲノム(全遺伝子情報)のなかには、ウイルスの遺伝子がかなりの割合で取り込まれている。ウイルスに由来し、人類の生存に必須の役割を果たしている遺伝子もある。その点を考えると、ウイルスは人間の外敵であるとともに、人間が生きる上で、うまく付き合っていかなければならないものでもある。敵視して殲滅しようとしても、殲滅することは出来ない。科学技術を用いて、ウイルスを力でねじ伏せようとするだけでは、問題は解決しない。自分の生命力を発揮し、健康の維持に努めながら、共存していくしかない。
 そのためには、まず自らに内在する生命力の偉大さに目覚め、生命力を十分発揮できるような生き方に努めることが必要である。医学のあり方も、この点に根本を置かねばならない。衛生技術やワクチン・薬剤・医療機械等は有用だが、あくまで生命力の働きを補助するものにすぎない。人々は、近代西洋医学の医療への過度な依存を脱し、健康を増進する生き方に転換しなければならない。当たり前のことだが、十分な睡眠、バランスの取れた栄養の摂取、適度な運動が求められる。また、ストレスの軽減や解消、化学物質による汚染の除去等も必要である。また、気力や意志も重要な役割をする。
 次にウイルスとの共存のためには、人と自然が調和し、また人と人が調和して生きると生き方が求められる。
 まず人と自然が調和して生きるという考え方が必要である。近代西洋文明では、自然を唯一神によって創造されたものとし、これを物質的・機械的なものととらえ、自然を支配するという思想が生まれた。だが、この思想は地球環境を破壊することになり、文明の土台を危うくしている。そして、自然の改造の一環としての森林の乱伐は野生動物に寄生するウイルスが人間に感染するという問題を生み出している。
 欧米人と異なり、日本人は、自然は自ずから生成するものであり、人間もその一部とみなしてきた。人間と自然を連続するものととらえ、自然との調和を図って生きるようとする思想である。もちろん水田を作るにしても、川の水を引くにしても、木材を利用するにしても、自然を変えることになる。だが、その際に、自然環境を出来るだけ壊さないように配慮し、様々な知恵を蓄積してきた。
 こうした日本的な考え方に立てば、ウイルスへの対応の仕方は、ウイルスを敵視し、これと戦うという姿勢ではなく、どうやってウイルスと共存するかという生き方を追求する姿勢が大切になる。
 また、人と自然の調和に加えて、人と人が調和して生きるという考え方が必要である。近代西洋文明は、自由の拡大と富の増大を追求しつつ、国家・民族・集団の対立・抗争を世界に広めた。近代西洋文明が支配的な現在の世界において、武漢ウイルスの感染拡大への各国の対応は、国家間の相互不信と分裂を加速し、経済の混乱や社会不安を招いた。また、パンデミックの中で、人間の心に根深く存在する利己主義が表面化した。だが、感染症の広がりによって、国家間・民族間・集団間の対立・抗争が激化して共倒れにならないように、人と人が調和して生きるという考え方が広まらなければならない。
 日本人は、人と自然が調和して生きるとともに、こうした人と人が調和して生きる生き方を大切してきた。それが日本精神となって表れている。日本人は自らの伝統的な精神を発揮して、人類とウイルスの共存に貢献したいものである。また、その貢献は、結果として日本人自身の生存と繁栄をもたらすことにもなる。自利的な行為と利他的な行為は相反するものではなく、自利的かつ利他的な行為が可能であり、それが共存共栄の道、大調和の道だからである。
 日本人が伝統的な精神を発揮して、人と人、人と自然が調和して生きる道をまず日本人自身が実践し、それを世界に広めていこうとする場合、人類の多くがその意義を理解し、自ら取り入れるかどうかという課題が生じる。
 私は、紙製の拙著『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』に次のように書いた。「人類は今日、かつてない危機に直面している。最大の危機は、核兵器による世界戦争であり、また地球環境の破壊である。われわれは、自滅したくなければ、自ら飛躍しなければならないという瀬戸際に立っている。世界平和の実現、及び文明と環境の調和のために、人類は精神的な進化に迫られている」と。こうした瀬戸際に立っている人類を新たな感染症が襲った。感染症による危機は、核兵器による世界戦争と地球環境の破壊に比べれば、これらほど決定的ではない。だが、この危機において求められているものが、人類の精神的な進化であることは、共通している。人類が精神的な進化の道を進むときにこそ、本稿に書いた生命力と調和の精神の発揮が大きな働きをすることになるだろう。この生存と飛躍のために必要な人類の精神的な進化については、紙製の拙著をご参照願いたい。(了)

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 『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
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仏教31~大乗仏教の勃興、仏教のヒンドゥー化

2020-07-22 10:12:36 | 心と宗教
●新たな経典の出現

 部派仏教の盛んななか、紀元前後の時期から新しい性格を持った経典が現れ出した。その内容は、釈迦が折々に説いた教えを集成したものとは違い、新たな思想を表現したものである。それらの経典のうち、特に古いと考えられているのは、『般舟三昧経』『阿閦仏国経』『大阿弥陀経』である。続いて、般若経の経典群、浄土系経典、『法華経』、『華厳経』等が作られた。後代のものになるほど、経典に神話的要素や文学的色彩が目立つようになった。

●大乗仏教の勃興

 一連の新経典が立脚するのは、出家者が個人の解脱を目指す立場ではなく、在家者を中心として大衆の救済を求める立場である。自分が解脱して涅槃寂静に至ることを目指すことを自利、一切衆生の救済を助けることを利他という。自利より利他を尊ぶ立場の信仰運動から興ったのが、大乗仏教である。また、一連の新経典を大乗経典と呼ぶ。
 大乗とはマハー・ヤーナの漢訳で、「大きな乗り物」を意味する。乗り物とは、川のこちら側から向こう岸へと渡る船をイメージしたものであり、迷いの世界である此岸から悟りの世界である彼岸へ行くための手段である。
 大乗に対する小乗はヒーナ・ヤーナの漢訳で、「小さな乗り物」または「劣った乗り物」を意味する。これは、大乗仏教の側から部派仏教を呼んだ蔑称である。現在では、世界宗教会議での合意により、小乗仏教という言葉は使用しない。インド仏教史上では部派仏教と呼ぶ。

●クシャーナ朝における発展

 マウリヤ朝の衰滅後、インドは小国が興亡する分裂時代を経て、紀元後1世紀に、イラン系の遊牧民族クシャーン人がインド北西部に支配を及ぼして統一国家を作り、クシャーナ朝が成立した。彼らを月氏と呼ぶ。月氏の支配はインド南部には及ばなかった。
 2世紀前半、クシャーナ朝のカニシカ王は仏教を篤く保護した。当時の仏教の主流は大乗仏教に替わっていた。クシャーナ朝では、陸路でローマ帝国との交易が盛んに行われた。そのため、ギリシャ=ローマ文明のヘレニズムの影響によって、現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部にあったガンダーラ王国で仏像彫刻が造られた。そのガンダーラ仏教美術とともに敦煌やトルファンなどの中央アジアに大乗仏教が広がり、東アジアのシナ、さらに朝鮮や日本へと伝わっていった。この地域に伝来した仏教を、北伝仏教という。一方、部派仏教のうち保守的で権威のある上座部仏教は、スリランカやビルマ、タイ等に広がったので、その名称で呼ぶか、または南伝仏教という。

●仏教のヒンドゥー化

 大乗仏教は、在家者を中心とする信仰である。在家者は、現実社会で家庭生活・職業生活をしており、出家者のように修行生活を送ることはできない。そのため、自力による解脱は、ほとんど不可能である。そこで在家者は、他力による救済を求めた。釈迦が超人化・神格化され、救済者として崇拝されるようになったのに続いて、過去仏の信仰が現れ、さらに如来(タターガタ)や菩薩(ボーディサットヴァ)への信仰が生まれた。如来とは、ブッダの尊称の一つである。釈迦如来以外に、阿弥陀如来・薬師如来等が創り出された。菩薩とは、ブッダに次ぐ修行者である。観音・弥勒・普賢・勢至・文殊等の菩薩が立てられていった。これらは、超人的存在であり、一種の神格である。如来や菩薩への信仰は、本来無神教である仏教が有神教化したものである。この現象が意味しているのは、仏教へのヒンドゥー教の影響である。本稿では、仏教がヒンドゥー教の影響を受けて変化していった現象を、仏教のヒンドゥー化と呼ぶ。
 なお、菩薩について補足すると、菩薩とは、自利とともに、一切衆生の救済を誓願して実践する修行者をいう。だが、救済を祈願する信仰対象をいったり、大乗仏教を信奉するすべての者をいうなど、多義的である。
 仏教のヒンドゥー化には、早くから現れた兆候がある。第一は、聖地巡礼である。ヒンドゥー教徒は、神話や叙事詩と結びついた聖地への巡礼を行っていた。仏教徒は、これをまねて釈迦の由来の地に巡礼するようになった。第二は、仏像がヒンドゥー教の神々が身に付ける装身具を付けるようになったことである。装身具には、宝冠や瓔珞(ようらく)等がある。第三に、ヒンドゥー教の神像礼拝の祭儀であるプージャーにならって、仏像に花や香を供え、歌舞を奉納するようになったことである。
 これらの兆候は、もともとヒンドゥー教的な信仰を持っていた人々が、仏教に帰依した後も、以前からの慣習を保っていたためと考えられる。大乗仏教出現以降のインド仏教の歴史は、ヒンドゥー化の進行の過程となった。

 次回に続く。

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ウイルス6~感染症を通じて21世紀の世界は変わる

2020-07-21 10:16:07 | 国際関係
●中世ヨーロッパのペストによる社会の変化

 武漢ウイルスの感染拡大は、社会に大きな変化をもたらしている。次に、この社会の変化を考察するために、中世ヨーロッパにおけるペストの流行と、それによる社会の変化を振り返ってみよう。
 14世紀には世界的に黒死病(ペスト)が大流行した。1347年にアジアからイタリアに上陸し、イタリア北部では住民がほとんど全滅した。1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2千万から3千万人が死亡したと推定されている。
 1347~50年に黒死病がはやった時、キリスト教徒の間に、ユダヤ人が水や食物に毒を入れたせいだという噂が流れた。黒死病は、人間の悪意によって蔓延した病気であると人々は信じるようになった。取調べはユダヤ人に集中した。脅迫されたユダヤ人が拷問を受けて自白すると、さらに、ユダヤ人への嫌疑が強まった。あらゆる場所でユダヤ人は井戸に毒を投じたと訴えられた。ドイツでは黒死病流行の後に、ユダヤ人の追放が行われた。
 当時のヨーロッパは、封建制の社会だった。封建領主が農民を奴隷のように使役する農奴制のもと、領主が農奴に土地を貸し付け、農作物を納めさせる荘園制が行われていた。ペストで人口が激減し、農奴が一気に減少すると、封建領主は労働力を確保するため、農奴への支配の手を緩めた。農奴は待遇改善を要求し始め、農奴制が崩れていった。農奴が賃金小作農に代わることで社会構造が変化し、後に賃金を得て労働する賃金労働制へと移行することになった。また、労働によって蓄えた富を領主に支払うなどして農奴から解放される独立自営農民が出現した。こうして封建制の基盤である荘園制が解体されるに従い、封建領主は段々没落していった。また、独立自営農民が増えるにつれ、徐々に農村で商品経済が発達し、やがて社会全体に大きな変化を生み出していった。14世紀の危機は、西欧で社会的・経済的な近代化が進む前の、暗黒の序章となったといえよう。
 疫病の蔓延は、社会的・経済的な変化だけでなく、文化的な変化をももたらした。当時、西方キリスト教では、教皇の全盛期で、教会がすべての権威を持っていた。だが、ペストは、信心の浅い者も熱心な者も無差別に襲った。教皇や神父が儀式を行ない、神に祈ってもペストは治まらない。人々は、不満と懐疑を抱くようになった。宗教的権威が揺らぐなかで、14~15世紀にはイタリアでルネサンスが起こり、16世紀には内陸部で宗教改革が進むことになる。また同時に価値観の揺らぎの中から科学的精神が復興し、西欧の思想・文化に大きな変化を生み出していった。そして、宗教的な聖職者に代わって、世俗的な国家の警察が権力を執行し、近代西洋医学の医者が権威を持つようになっていった。

●感染症を通じて21世紀の世界は変わる

 14世紀を中心とするヨーロッパは人口が少なく、移動手段は限られ、情報の伝達も遅かった。そのため、ペストによる社会の変化には、約400年がかかった。だが、21世紀の現在は、人やものがわずか2~3日で世界の各地から各地へと移動するようになった。カネや情報は、ほとんど瞬間に近い速度で流通や伝達をするようになっている。それゆえ、中世ヨーロッパで1世紀かけて起きた変化が、1年や数カ月で起きる可能性がある。
 まず世界コロナ危機の中で、働き方が変わってきている。外出自粛や都市封鎖が実施されるなかで、インターネットを使ったテレワークが広がった。長時間かけて職場に通勤し、一定の空間に人が集まって労働する形態から、家庭に居ながら働く形態が急速に取り入れられた。オンライン会議がまたたくまに採用され、オンラインでの医師の診療、職場の面接、学校の授業等が行われるようになっている。書類の押印や手交も電子的な方法に変化しつつある。
 経済的には、グローバリズムの進展によって、この20年ほどの間に、「世界の工場」としての中国の役割が大きくなった。さまざまなものの生産拠点が中国に集中し、安い中国製品が世界各地に輸出され、各国の国内産業は衰退した。だが、武漢ウイルスの感染拡大によって、中国と他国との間の人とものの移動が止まり、また中国の経済活動が低下したことによって、それまでのサプライ・チェーンがマヒ状態になった。そのため、各国ではさまざまな製品を自国で生産する方向への転換が起こり、世界的なサプライ・チェーンの組み換えが起こっている。グローバル経済からナショナル経済への転換である。より正確に言えば、ナショナル経済が連携するインターナショナル経済への回帰である。
 また、政治的には、各国における国境の閉鎖、物資の国内優先使用等にみられるような自国優先の姿勢が、今後も強まると予想される。感染症は国際問題だから、国際的に協調しないと解決できない。世界的なパンデミックは世界各国が協力して英知や技術を結集しなければならない。だが、感染拡大の中で中国が世界保健機構(WHO)を支配していることが明らかになり、米国政府を始めWHOのあり方への批判が高まった。米国がWHOに拠出金を出さないとか、脱退も辞さないことを表明すると、中国は一層WHOへの影響力を強めようとしている。国際協調が最も求められる状況において、逆に中国は、コロナ危機に乗じて、自国の利益を増大しようとする利己的な行動を露わにしている。大衆の選挙で指導者が選ばれる自由民主主義の諸国と、共産党が支配する統制主義・全体主義の国家との世界的な対立が強まっている。自由主義的民主主義と統制主義的権威主義のどちらが、世界的な主導権を握るかの戦いともいえる。

 次回に続く。

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仏教30~部派仏教、釈迦の超人化・神格化

2020-07-20 08:33:50 | 心と宗教
●マウリヤ朝と仏教の最盛期

 仏教教団が発展を続けていた時代に、インドは外部からの侵入を受けた。紀元前326年に、インド北西部はマケドニアの王アレクサンドロス(アレクサンダー大王)に支配された。アレクサンドロス大王はインダス川流域まで到達した。これに刺激されて、インド北部の都市国家に統一への動きが生じ、前317年頃、チャンドラグプタがマウリヤ朝を創始した。チャンドラグプタは、インドのほぼ全域及びアフガニスタンとバルチスターンにわたる大帝国を建設した。この時はじめてインド全体が統一された。首都はパータリプトラに置かれた。統一帝国の形成・拡大は、宰相カウティリヤの画策に負うところが大きかったとされる。
 紀元前3世紀半ば、チャンドラグプタの孫アショーカ王の時代に、マウリヤ朝の発展は絶頂に達した。アショーカは、仏教を篤く信仰し、仏教の教えに基づく政治を志した。同王の治世の時から、仏教は急激にインド中に広がって、他の宗教に対して圧倒的に優勢になった。この頃が、インドにおける仏教の最盛期となった。現在でもこの時期に造られた石柱碑が各地に残されている。
 南伝仏教の伝承によると、アショーカ王の仏教の師であるモッガリプッタ・ティッサが中心となって第三結集が行われた。また、彼の指導によって、南アジア、西アジア、ヘレニズム諸国、東南アジア、中央アジアに伝道師が派遣された。伝道師は、サンスクリット語でまとめられた仏典を用いて布教した。これによって、仏教は世界宗教への道を歩み出した。
 アショーカは熱心な仏教信者だったが、他の宗教を排斥しなかった。ヴェーダの宗教、ジャイナ教等の宗教も仏教同様に保護し、すべての宗派を崇敬した。これは、アショーカ個人の寛容性だけでなく、インドにおける宗教の寛容性をよく表す事実である。
 紀元前232年にアショーカが亡くなると、マウリヤ朝は急速に衰えた。その後、インドは小国が興亡する分裂期が、紀元後1世紀のクシャーナ朝の成立まで続いた。この間、強力な王の保護を失った仏教は、困難な時期にあった。

●部派仏教

 根本分裂で一度、分裂を起こした仏教教団は、次々に分裂を繰り返した。これを枝末分裂という。その結果、20の部派に分かれた。
 部派仏教の時代には、それまでに成立していた経蔵・律蔵に加えて、論蔵(アビダルマ・ピタカ)が作られた。これは釈迦の教えについて、各部派が研究し、解釈したものをまとめた文献である。分類や定義づけを目的とするもので、学者たちによる詳細な教義論である。論蔵は、紀元前1世紀までには出来上がった。これによって、経蔵・律蔵・論蔵の三蔵(トリ・ピタカ)が成立した。
 各部派は独自の所論(アビダルマ)を持ち、教義に関する論争をした。出家者による議論は、在家者には理解しがたい高度で、また煩瑣なものだった。教義論争を続ける部派仏教は、一層ドグマ的になり、在家者の心から離れていった。
 部派仏教は、基本的に上座部と大衆部に分かれており、上座部から11派が派生し、大衆部は8派に分かれた。これらのうち重要なのは、上座部から分派した説一切有部と、さらにそこから分派した経量部である。
 説一切有部は、当時最大の学派だった。三世実有・法体恒有を基本的な立場とする。三世実有とは、森羅万象を形成するものとして、約70の構成要素を想定し、これを法(ダルマ)と呼び、法は過去・現在・未来の三世に常に実在するという説である。未来に存在する様々な可能性を持つ法が現在に引き出され、現在における瞬間に認識され、過去へ去っていくと説く。法には、一時的に現れる作用と、永遠に実在する本体があるとする。これを、法体恒有という。一種の存在論であり、時間論である。また、説一切有部は、心の理論としては、心心所相応説を説く。これは、約70の法のうち46を「心所」と呼ばれる精神的要素とし、その要素が「心」と呼ばれる基体と結合して、心理現象が現れると説くものである。説一切有部の教義は、紀元後100~150年頃に編集された『阿毘達磨大毘婆沙論』で確立された。
 説一切有部は、法を恒常的に実在するものとする点で、諸行無常の考え方とは異なり、釈迦の本来の教えから逸脱する。これに対し、説一切有部から分派した経量部は、三世実有・法体恒有の説を批判し、現在有体・過未無体の立場をとる。これは、法は非有から現れ、一瞬の間、発現し、次の瞬間には消滅するという説である。だが、経量部の立場からは、法が発現する潜在的可能性や発現と消滅の必然性は、よく説明することができない。また、経量部は、心心所相応説を否定し、心を基体と精神的要素に区別せずに、統一的にとらえるべきだとした。これも説一切有部の説を完全に斥けるほどの説得力を持たない。そのため、議論は収束せず平行線となった。
 部派仏教の時代に、出家者たちは、釈迦が戒めた形而上学的な議論に入り込み、そこから抜け出せなくなっていったといえよう。

●釈迦の超人化・神格化

 釈迦は、ヴェーダの神々を否定することでブラフマンからダルマへという「神から法へ」の転換を行った。だが、釈迦の入滅後、釈迦は単なる人間ではないとして、超人化されるようになった。釈迦の生涯を伝える話には、多くの神話的要素が加えられていった。釈迦は、超人的存在として崇拝され、人々がその慈悲にすがる信仰の対象となり、救済者としての神に似た性格を持つことになった。一種の神格化である。この超人化・神格化によって、今度は「法から神へ」の逆行が起った。
 その兆しとなったのが、仏塔信仰である。

●仏塔信仰

 部派仏教の時代に、在家者の間で、釈迦の遺骨を納めた仏塔を中心とする信仰が起った。釈迦の遺骨は、舎利または仏舎利といわれる。分骨された舎利を収めるため、ストゥーパ(卒塔婆)と呼ばれる塔が、在家者によって造られた。その仏塔を中心として、在家者の集団が生まれた。インド文明では本来、墓を造らない。そうした社会において、釈迦の遺骨を守る信仰が発達したことは、釈迦の超人化・神格化への動きである。
 超人化・神格化が進む中で、釈迦は最初のブッダ(目覚めた人、悟りを得た人)ではなく、彼以前にもブッダが何人か存在したという過去仏の信仰が現れた。やがて釈迦は歴代のブッダのうちの6人目とされた。在家者の中にはヴェーダの宗教から改宗した者たちが少なくなかっただろうから、歴代のブッダへの信仰はヴェーダの宗教の中にあった信仰が仏教に持ち込まれたものかもしれない。
 こうしたことから、仏塔信仰が大乗仏教の起源となったとする見方がある。これを大乗仏塔起源説という。

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