●最も力を入れたい政策は「地域主権の実現」だと言う
鳩山氏は本年(平成21年、2009)5月、民主党の代表選挙で党代表となった。その際、記者の質問に対し、「最も力を入れたい政策」は、「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだと答えた。いわゆる「地域主権の実現」である。
極端に中央集権、東京への一極集中が進んだわが国は、そのための弊害が大きくなり、地方分権を必要としている。地方分権とは、端的に言えば権限と財源の委譲である。しかし、鳩山氏の言う「地域主権の実現」は、中央政府がそれぞれの地方自治体に対して、「地域主権」と呼べるところまで、権力の移譲を徹底して進め、日本の国の形を根本から変えようという政策である。鳩山氏はこの政策も友愛の実現として打ち出している。私は、この政策に強く反対する。
近代国家の主権とは、一国の政府が他の国に対して持つ自立的な統治権である。また、主権は、国内において領土・国民に対する最高の権限である。もし「地域主権」を実現し、個々の地方自治体の持つ権限こそが主権だとすれば、政府はその自治体に対して主権を持たず、政府の権限は、その地域については、自治体の権限より下になる。そのような政府は、独立主権国家の政府ではない。それゆえ、「地域主権の実現」は、独立主権国家を否定することになる。
しかも鳩山氏は、永住外国人に地方参政権を与えることが、友愛の実行だという。もしこの政策が行われれば、現在より遥かに大きな権限と財源を持つ地方自治体において、外国人が参政権を持つことになる。外国籍の住民は、自分たちの権利を拡大し、自分たちの主張を実現しようと図るだろう。人口30万人ほどの自治体なら、多数の外国人が計画的に移住すれば、選挙や行政に大きな影響を与えることができるだろう。
「地域主権の実現」は、主権の分散である。外国人参政権付与は主権の分譲である。主権の分散と分譲は、わが国の国家としてのあり方を、劇的に変える。その結果、生まれるのは、「地域主権国家」という新しい形態の国家ではなく、「主権喪失国家」という国家の残骸である。
国家統治権と地方自治権が、最も強い緊張関係に置かれるのは、他国による侵攻、内乱・騒擾、大規模自然災害等の場合である。わが国では現状、国民に国防の義務がなく、憲法に非常事態条項がない。こうした憲法のまま、地方分権を極端に進めたならば、万が一の危機のときに、国家分裂に陥りかねない。私は地方分権を進める前に、わが国が独立主権国家として体制を確立することが、絶対不可欠だと考える。この手順を誤ると、日本は崩壊するおそれがある。
鳩山氏の「地域主権の実現」という構想には、こうした問題意識が欠如している。日本の独立と主権についてしっかりした意思を持たずに、「地域主権の実現」を進めると、周辺諸国の軍事力や人口力によって、日本の国家・社会が浸食され、日本人は固有の文化や伝統、精神を失ってしまうだろう。
●「地域主権の実現」も友愛から導き出したもの
平成22年(2010)1月29日、鳩山氏は首相になって初めての施政方針演説をした。そこで首相は述べた。「本年を地域主権革命元年とすべく、内閣の総力を挙げて改革を断行してまいります」と。「革命」という言葉を一国の首相が使っている。この場合の「革命」は情報革命・ファッション革命のような比喩的表現ではない。文字通り政治権力が移動する「革命」である。鳩山氏は現政権が革命政権であるかのように錯覚し、「地域主権革命」を22年から推進しようとしている。
日本を解体に導く危険性の高い「地域主権の実現」もまた鳩山氏が「友愛」という理念から導き出した政策である。この点を説明するために、鳩山氏は「Voice」論文において、カレルギーの著書「全体主義国家対人間」の第12章「友愛革命」から、次の一節を引用する。
「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」。
私は先にこの一節を引いて、批判を行なった。友愛は兄弟愛であるが、兄弟愛は家族愛の一部に過ぎない。そういう部分的なものを拡大して家族や社会の構成原理とするのは無理がある。仮に兄弟愛を人間界の構成原理にしたとしても、友愛は人間のあいだの愛であって、大陸や地球・太陽系・宇宙には拡大できない。もし愛を人間界以外の自然界にまで拡大するならば、ロマン主義の思想となるだろう、と。
しかし、鳩山氏は、カレルギーを鵜呑みにし、次のように論を進める。「カレルギーがここで言っているのは、いまの言葉で言えば『補完性の原理』ということだろう。それは『友愛』の論理から導かれる現代的政策表現ということができる」と。カレルギーは友愛を個人から社会組織を構成する原理とし、さらに人間界だけでなく、自然界をも貫く構成原理だとしている。これに対し、補完性の原理とは、意思決定や自治等をできるかぎり小さい単位で行ない、できないことのみをより大きな単位の団体で補完するという考え方である。一方は社会や宇宙のシステムの構成原理であり、一方は人間の活動や行政の方法である。これらは、まったく異なる概念である。
大陸ができないことを地球が補い、地球ができないことを太陽系が補うなどとは、よほどの夢想家でも口にしない。ところが、鳩山氏は、「『友愛』の論理から導かれる現代的政策表現」が、補完性の原理だと主張する。ここには、大きな論理の飛躍がある。こうした飛躍を意に介さずに、鳩山氏は、次のように述べる。
「経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。(略)グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において『補完性の原理』を掲げた」「補完性の原理は、今日では、たんに基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている」と。
EUが補完性の原理を採用しているのは事実である。しかし、それをグローバル化とローカル化という「時代の要請への回答」だという鳩山氏の所論も、十分な検討を要する。
次回は新年明けに。
よいお年をお迎えください。
鳩山氏は本年(平成21年、2009)5月、民主党の代表選挙で党代表となった。その際、記者の質問に対し、「最も力を入れたい政策」は、「中央集権国家である現在の国のかたちを『地域主権の国』に変革」することだと答えた。いわゆる「地域主権の実現」である。
極端に中央集権、東京への一極集中が進んだわが国は、そのための弊害が大きくなり、地方分権を必要としている。地方分権とは、端的に言えば権限と財源の委譲である。しかし、鳩山氏の言う「地域主権の実現」は、中央政府がそれぞれの地方自治体に対して、「地域主権」と呼べるところまで、権力の移譲を徹底して進め、日本の国の形を根本から変えようという政策である。鳩山氏はこの政策も友愛の実現として打ち出している。私は、この政策に強く反対する。
近代国家の主権とは、一国の政府が他の国に対して持つ自立的な統治権である。また、主権は、国内において領土・国民に対する最高の権限である。もし「地域主権」を実現し、個々の地方自治体の持つ権限こそが主権だとすれば、政府はその自治体に対して主権を持たず、政府の権限は、その地域については、自治体の権限より下になる。そのような政府は、独立主権国家の政府ではない。それゆえ、「地域主権の実現」は、独立主権国家を否定することになる。
しかも鳩山氏は、永住外国人に地方参政権を与えることが、友愛の実行だという。もしこの政策が行われれば、現在より遥かに大きな権限と財源を持つ地方自治体において、外国人が参政権を持つことになる。外国籍の住民は、自分たちの権利を拡大し、自分たちの主張を実現しようと図るだろう。人口30万人ほどの自治体なら、多数の外国人が計画的に移住すれば、選挙や行政に大きな影響を与えることができるだろう。
「地域主権の実現」は、主権の分散である。外国人参政権付与は主権の分譲である。主権の分散と分譲は、わが国の国家としてのあり方を、劇的に変える。その結果、生まれるのは、「地域主権国家」という新しい形態の国家ではなく、「主権喪失国家」という国家の残骸である。
国家統治権と地方自治権が、最も強い緊張関係に置かれるのは、他国による侵攻、内乱・騒擾、大規模自然災害等の場合である。わが国では現状、国民に国防の義務がなく、憲法に非常事態条項がない。こうした憲法のまま、地方分権を極端に進めたならば、万が一の危機のときに、国家分裂に陥りかねない。私は地方分権を進める前に、わが国が独立主権国家として体制を確立することが、絶対不可欠だと考える。この手順を誤ると、日本は崩壊するおそれがある。
鳩山氏の「地域主権の実現」という構想には、こうした問題意識が欠如している。日本の独立と主権についてしっかりした意思を持たずに、「地域主権の実現」を進めると、周辺諸国の軍事力や人口力によって、日本の国家・社会が浸食され、日本人は固有の文化や伝統、精神を失ってしまうだろう。
●「地域主権の実現」も友愛から導き出したもの
平成22年(2010)1月29日、鳩山氏は首相になって初めての施政方針演説をした。そこで首相は述べた。「本年を地域主権革命元年とすべく、内閣の総力を挙げて改革を断行してまいります」と。「革命」という言葉を一国の首相が使っている。この場合の「革命」は情報革命・ファッション革命のような比喩的表現ではない。文字通り政治権力が移動する「革命」である。鳩山氏は現政権が革命政権であるかのように錯覚し、「地域主権革命」を22年から推進しようとしている。
日本を解体に導く危険性の高い「地域主権の実現」もまた鳩山氏が「友愛」という理念から導き出した政策である。この点を説明するために、鳩山氏は「Voice」論文において、カレルギーの著書「全体主義国家対人間」の第12章「友愛革命」から、次の一節を引用する。
「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである」。
私は先にこの一節を引いて、批判を行なった。友愛は兄弟愛であるが、兄弟愛は家族愛の一部に過ぎない。そういう部分的なものを拡大して家族や社会の構成原理とするのは無理がある。仮に兄弟愛を人間界の構成原理にしたとしても、友愛は人間のあいだの愛であって、大陸や地球・太陽系・宇宙には拡大できない。もし愛を人間界以外の自然界にまで拡大するならば、ロマン主義の思想となるだろう、と。
しかし、鳩山氏は、カレルギーを鵜呑みにし、次のように論を進める。「カレルギーがここで言っているのは、いまの言葉で言えば『補完性の原理』ということだろう。それは『友愛』の論理から導かれる現代的政策表現ということができる」と。カレルギーは友愛を個人から社会組織を構成する原理とし、さらに人間界だけでなく、自然界をも貫く構成原理だとしている。これに対し、補完性の原理とは、意思決定や自治等をできるかぎり小さい単位で行ない、できないことのみをより大きな単位の団体で補完するという考え方である。一方は社会や宇宙のシステムの構成原理であり、一方は人間の活動や行政の方法である。これらは、まったく異なる概念である。
大陸ができないことを地球が補い、地球ができないことを太陽系が補うなどとは、よほどの夢想家でも口にしない。ところが、鳩山氏は、「『友愛』の論理から導かれる現代的政策表現」が、補完性の原理だと主張する。ここには、大きな論理の飛躍がある。こうした飛躍を意に介さずに、鳩山氏は、次のように述べる。
「経済のグローバル化は避けられない時代の現実だ。しかし、経済的統合が進むEUでは、一方でローカル化ともいうべき流れも顕著である。(略)グローバル化とローカル化という二つの背反する時代の要請への回答として、EUはマーストリヒト条約やヨーロッパ地方自治憲章において『補完性の原理』を掲げた」「補完性の原理は、今日では、たんに基礎自治体優先の原則というだけでなく、国家と超国家機関との関係にまで援用される原則となっている」と。
EUが補完性の原理を採用しているのは事実である。しかし、それをグローバル化とローカル化という「時代の要請への回答」だという鳩山氏の所論も、十分な検討を要する。
次回は新年明けに。
よいお年をお迎えください。