ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教113~第1次世界大戦とキリスト教

2018-10-31 09:36:55 | 心と宗教
第1次世界大戦とキリスト教
  
 1800年の時点では、欧米諸国は地球の陸地の35%を支配したに過ぎなかったが、1914年になると実に84%がその支配下に入っていた。19世紀末から20世紀初めにかけての列強の勢力争いは、先進国のイギリスと後進国のドイツの対立を中心とするものだった。諸国の植民地争奪戦が世界各地で展開され、世界大戦へとエスカレートしていった。
 ドイツは、1882年にオーストリア、イタリアと三国同盟を締結した。ロシアとは、独露再保障条約の更新を拒否したことにより、対立した。一方、イギリスは、1891年の露仏同盟、1904年の英仏協商、07年の英露協商によって、英仏露の三国協商を結んだ。こうしたイギリス対ドイツの対立を主軸とし、これにロシアやフランス等が絡む形で植民地争奪戦が行われ、それが高じて未曾有の規模の戦争にいたるのである。
 1914年7月、第1次世界大戦が勃発した。各国はドイツ、オーストリア、オスマン、ブルガリアの中央同盟国(同盟国)と、三国協商に基づくイギリス、フランス、ロシアを中心とした連合国(協商国)に分かれて戦った。多くの人々は、戦争は「クリスマスまでには終わる」と楽観していた。ところが、欧州を主戦場とする戦争は、誰もの予想を裏切って長期化し、1918年11月まで、約4年4ヶ月もの間、繰り広げられた。ヨーロッパだけでなく、アジアを含む30カ国以上が参戦する最初の世界戦争となった。キリスト教国を中心とした争いが世界全体を巻き込んだのである。
 第1次世界大戦は、国民全体の協力体制を必要とする史上初の総力戦となり、女性や植民地の住民までもが動員された。社会主義者の多くも自国の戦争に賛同したので、各国で挙国一致体制が成立した。毒ガス、戦車、飛行機などの新兵器が開発され、戦い方が大きく変化した。莫大な人員と物量が戦場に投入されることにより、犠牲者の数は飛躍的に増大した。
 こう着状態が続くなか、世界最大の工業国アメリカがドイツとの戦いに参戦したことによって、戦局は連合国側の優勢へと大きく傾いた。そうしたなか、ロシアで、1917年11月レーニンが率いるボルシェヴィキがクーデタを起こし、世界初の共産主義革命が起こった。革命政権は翌18年3月単独でドイツと講和し、ロシアが戦線から離脱した。西部戦線で最後の攻勢に出たドイツは、戦局を打開できず、国内の政情は悪化した。4月、キール軍港で起きた水兵の反乱をきっかけにドイツ革命が起こり、ヴィルヘルム2世が退位し、休戦条約が結ばれた。こうして第1次世界大戦は終結した。
 第1次世界大戦は、参加国の多くが共倒れに近い状態になった戦いだった。イギリスは戦勝国だったが、巨額の戦費支出により債務国に転落した。その結果、近代世界システムの中核部では、覇権国家がイギリスからアメリカに移動した。
 この大戦によって、ヨーロッパは疲弊した。終戦の年、ドイツの歴史哲学者オズワルド・シュペングラーが『西洋の没落』を刊行した。その書名が象徴するように、西洋文明は衰亡の兆しを示した。なにより戦争の悲惨は、キリスト教的な価値観に揺らぎをもたらした。戦場の荒廃のなか、キリスト教徒にとっては、どこにも神は現れなかった。神への訴えに答えは返ってこなかった。深い失望と疑念が広がった。
 そうした精神的状況において、敗戦国のドイツを中心に、キリスト教とヨーロッパと人類の危機の時代を考察する哲学者や神学者が現れた。前者はハイデッガー、ヤスパース、後者はバルト、ブルトマン、ティリッヒなどである。彼らについては、ドイツの近代史を書く際に述べる。

 次回に続く。

IMFが衝撃のレポート~高橋洋一氏

2018-10-30 09:35:20 | 経済
 嘉悦大学教授の経済学者・高橋洋一氏は、我が国のバランスシートをもとに財政の実態を明らかにして財務省を批判し、財政再建のための消費増税は必要ないと主張しています。
 先般公表されたIMFレポートは、氏と同様に、我が国の財政が決して悪くないことを明らかにしたもので、財政破綻を説く学者・官僚にとっては、衝撃的なものとなったでしょう。高橋氏は、IMFの衝撃のレポートを、10月15日の記事で紹介しています。

 高橋氏によると、このレポートでは、主に一般政府(General Government)と公的部門(Public Sector)のバランスシートが分析されています。一般政府とは中央政府(国)と地方政府を併せた概念であり、公的部門とは中央銀行を含む公的機関を含めたものです。

 高橋氏の解説によると、IMFレポートでは、日本の公的部門のネット資産対GDP比はほぼゼロということが示されています。高橋氏は、次のように言います。「ここから出てくる話は、「巨額な借金で利払いが大変になる」というが、それに見合う「巨額な資産」を持っていれば、その金利収入で借金の利払いは大変ではなくなる、という事実だ」と。
 このことは、宍戸駿太郎氏、菊地英博氏、田村秀男氏、三橋貴明氏らが明らかにしてきたことです。

 高橋氏は、IMFレポートが一般政府バランスシートでのネット資産対GDP比も分析していることを紹介し、「ここでも、日本は若干のマイナスであるが、ギリシャ、イタリアと比べるとそれほど悪くない」と述べています。また、一般政府でのネット資産対GDP比とその国の信用度を表すCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)レートの関係の相関についても触れ、「CDSのデータからその国の破綻確率を計算し、日本は今後5年以内に破綻する確率は1%未満である」と述べています。

 高橋氏をはじめ、財務省におもねらないまともな経済学者・エコノミストが主張してきたことの正しさを、IMFレポートは、あらためて裏付けています。財務官僚が省益を拡大するために虚偽のデータをもって政治家や国民を欺いてきた財政破綻という論理は、もはや使えないことは明らかです。しかし、増税派は、今度は財政破綻の回避のためではなく、「将来の年金など社会保障のために増税すべき」と言い方を変えてきています。この点について、高橋氏は次のように主張しています。
 「何より、社会保障財源として消費税を使うというのは、税理論や社会保険論から間違っている。大蔵省時代には、「消費税を社会保障目的税にしている国はない」と言い切っていたではないか。そんなデタラメに、まだ財務省がしがみついているのかと思うと、心の底から残念で仕方ない。
 社会保障財源なら、歳入庁を創設し、社会保険料徴収漏れをしっかりとカバーし、マイナンバーによる所得税補足の強化、マイナンバーによる金融所得の総合課税化(または高率分離課税)といった手段を採ることが、理論的にも実践的にも筋である。
 それらを行わずに、社会保障の財源のために消費増税を、というのは邪道である。さらに、景気への悪影響も考えると、いまの時期に消費増税を行うというのは尋常ではない」と。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57978

 安倍首相は、もう一度、財政のデータをしっかり読み直し、来年10月の消費増税を考え直すべきです。

関連掲示
・デフレ下では積極財政を取るべきと説くエコノミスト、宍戸駿太郎氏、菊地英博氏、田村秀男氏、三橋貴明氏らについては、下記のページの拙稿をご参照下さい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion13.htm

キリスト教112~キリスト教諸国の帝国主義(続き)

2018-10-28 08:55:00 | 心と宗教
●イギリスを先頭とするキリスト教諸国の帝国主義(続き)

 キリスト教的帝国主義の勢いは、世界中で猛威を振るった。
 西アジアでは、13世紀から東ヨーロッパ・西アジア・北アフリカを長く支配したオスマン帝国が、1877年の露土戦争に敗れた。イギリスは、オーストリアとともに露土間に干渉した。78年ビスマルクの仲介でベルリン条約が締結された。その結果、オスマン帝国はヨーロッパ領の大部分を失い、「瀕死の重病人」と呼ばれるまでに衰退した。
 東アジアでは、欧米列強は18世紀後半から、新しい市場と資源の可能性を求め、広大なシナへの進出を行った。ここでも先頭を切ったのは、イギリスだった。イギリスは、インドでアヘンを栽培し、これを清に密輸することを考え出した。イギリスの工業製品をインドへ、インドのアヘンをシナへ、シナの茶をイギリスへという三角貿易を行った。
 シナでは、アヘンを売って銀を得て、その銀で茶を購入する。これによりイギリスはそれまでの貿易赤字を黒字に転じ、清からは大量の銀が流出した。富の獲得を目的としたキリスト教国による麻薬、アヘンの密輸は、世界キリスト教史に消すことのできない汚点である。
 1840年には、清国がアヘン輸入禁止令を出したことをきっかけとして、アヘン戦争が起こった。イギリスが軍艦を派遣してシナ沿岸の各地を攻撃し、圧倒的な軍事力で清を屈服させ、南京条約を結んで、清の貿易制限を撤廃させたのである。続いて、56年からアロー戦争が起こった。イギリスがフランスと組んで、清に戦争を仕掛け、清と北京条約を結んで、開港場の追加やキリスト教布教の自由を認めさせたのである。要求の一つに、キリスト教布教の自由が入っていることが注目される。イギリスをはじめ列強の近代化された軍事力の威力の前に、清国はあえなく敗れた。戦後、列強は競ってシナに進出した。それによって、列強による清の半植民地化が決定的なものとなった。近代西洋文明は、アジアの文明をまた一つ支配したのである。
 19世紀前半には、アジアにはインドにムガル帝国、西アジアにオスマン帝国という二つのイスラーム文明の帝国が存在し、東アジアには清帝国というシナ文明史上最大の版図を持つ中華帝国が存在していた。ところが、19世紀後半にはそれらがいずれも急速に揺らぎ出し、崩壊に向かった。西洋文明による他文明の周辺文明化となる動きだった。これは、西方キリスト教文明による非キリスト教文明の支配である。
 帝国主義の時代に欧米諸国が世界の大部分を征服・分割することが出来た理由は、強力な新型兵器にあった。圧倒的な軍事力がアジア・アフリカの人々の抵抗を押さえつけ、近代西洋文明の受容を強いたのである。その軍事力を生み出すものは、近代資本主義による経済力であり、物質科学による工業技術だった。そして、経済力・技術力・軍事力で圧倒する欧米列強によって、アジア・アフリカの人々の多くは、自由と権利を奪われた。逆に欧米列強では、この構造的な支配・収奪の上に、欧米列強では、諸国民の権利が拡大されていった。
 近代世界システムの中核部のキリスト教諸国は、周辺部からの富の収奪をもとにして繁栄し、経済的な豊かさの中で本国の国民の権利が拡大された。一方、非キリスト教的な植民地においては、本国政府の統治に協力する土着の支配層やエリート層を除いて、大多数の人民は自由と権利を奪われた。ここに帝国主義の時代における世界的な人権の二重構造がある。上層にして中核部では人権が発達し、下層にして周辺部では人権が抑圧された。前者では国民の権利が人権の理念のもとに拡大され、後者では伝統的な人民の権利が剥奪されたのである。 この上層にして中核部には西方キリスト教徒が多く存在し、下層にして周辺部には非キリスト教徒が多く存在した。文明間の支配―被支配関係は、同時に宗教間の支配―被支配関係となっていたのである。キリスト教は、近代西洋文明の科学技術、制度、思想等とともに、非キリスト教圏に流入し、一定の信者を獲得していった。
 ところで、大英帝国では、王侯・貴族と資本家が支配集団を構成し、帝国主義を進める帝国主義者がそれに仕えた。其の代表的存在が、セシル・ローズである。ローズは、イギリスのアフリカ進出の先兵となったが、彼の死後、彼の遺産を使って、1909年に「円卓会議(Round Table)」と呼ばれる秘密結社が作られた。大英帝国の維持・拡大に献身するための結社である。またこの結社がもとになって、王立国際問題研究所(RIIA:The Royal Institute of International Affairs)が作られた。諸大陸に植民地を所有する大英帝国における国際問題の調査・研究機関である。円卓会議のもとRIIAは、アメリカの外交問題評議会(CFR)に発展していく。

 次回に続く。

キリスト教111~イギリスを先頭とするキリスト教諸国の帝国主義

2018-10-27 08:29:47 | 心と宗教
●イギリスを先頭とするキリスト教諸国の帝国主義

 1870年代から第1次世界大戦に至る時期は、欧米列強が植民地獲得に狂奔し、数ヶ国で「世界の分割」を完成させた時期であり、それが帝国主義の時代である。イギリスは、この時代の先頭に立って、帝国主義を展開した。
 産業革命後のイギリスは、「世界の工場」として圧倒的な工業力・経済力を持つにいたり、自由主義の貿易政策の下で繁栄を誇った。とりわけ1837年から1901年に及ぶヴィクトリア女王の時代に、イギリスは絶頂期を迎えた。
 イギリスは、鉄道建設の先鞭を斬った。イギリスをはじめとして鉄道建設は、1840年代~50年代にヨーロッパ各地や北米大陸に急速に広がり、国内市場の統一、国民国家の形成に大きな役割を果した。鉄道は植民地でも敷設され、原料と商品の大量輸送が行われた。
 鉄道建設が世界各地で進んだことが、重工業の急速な成長をもたらした。鉄道は、機関車、レール、鉄橋等、大量の鉄製品を必要とする。56年にベッセマーが転炉、64年シーメンズが平炉による製綱法を発明し、銑鉄より丈夫な鋼鉄が生産されるようになった。鋼鉄は、精巧な機械や兵器の製造を可能にした。鋼鉄は、科学革命と産業革命の合体を確固たるものとした。
 科学革命と産業革命の合体において画期的だったのが、1851年にロンドンで開かれた第1回万国博覧会である。第1回万博は、産業革命で工業生産と国際貿易に支配的地位を確立したイギリスが、その繁栄を誇示する一大イベントだった。会場は、鉄とガラスで初めて作られた巨大な建築物「水晶宮」だった。場内には、参観者を驚嘆させる当時最先端の工業製品が数々展示された。ロンドンを中心に発達した鉄道網を利用して、延べ600万人もの入場者が集まった。
 資本主義の発達によって、イギリスのネイションでは、労働者大衆の所得が増大し、生活水準が向上した。近代世界システムの中核部の最先進地域にあって、富を巨大に増殖したイギリスでは、資本主義の矛盾を是正しようとする政策が行われた。これは、市場にすべての決定を任せる自由主義を修正した修正自由主義や、キリスト教的な慈善運動に基づく社会改良主義の政策である。そうした政策によって、イギリスの労働者大衆の生活は豊かになり、政治的社会的な権利も拡大した。国民の権利としての人権が、ネイションを基盤に発達していったのである。
 1890年代には、新エネルギーとして電力が登場し、内燃機関が使用されるようになった。第2次産業革命である。技術体系の変化と産業の巨大化に伴って、新産業分野では膨大な設備投資が必要となった。巨額の資金を調達するため、銀行・証券会社などを通じて市場で投資を募る株式会社が普及した。各国に大企業・財閥が出現し、利潤を求めて競い合った。イギリスの資本は、巨大資産家の私的資本が中心だったため、技術革新ではアメリカ、ドイツに遅れをとった。
 そこでイギリスは、それまで蓄積した富と権益をもとに、金融大国として生き残る方法を取った。ロンドンのシティは世界の金融センターとして、この時代に支配的な地位を確立した。それとともに、イギリス資本は、安価な労働力と資源に恵まれた諸大陸の植民地に資本を輸出した。政府は資本家と協同し、対外投資による利益拡大へと政策を転換し、植民地の拡大を図る政策を推進した。それがイギリスの帝国主義政策である。
 帝国主義という言葉は、1870年代からイギリスで使われ始めた。帝国主義は古来、軍事的な膨張主義である。これに資本の利潤獲得という経済的理由が重なっているのが、資本主義的帝国主義の特徴である。イギリスの帝国主義的な対外政策は、インド、アフリカ、シナ等へと展開された。イギリスは、1600年東インド会社を設立してインド洋交易に参加し、以後、インドへの進出を続けたが、1857年にムガル帝国を滅亡させ、77年にはヴィクトリア女王が皇帝を兼ねるインド帝国を創建した。その結果、インドを、実質的に植民地化した。このことは非常に重大な出来事だった。キリスト教的な近代西洋文明が、初めてアジアの非キリスト教的な文明のひとつを完全に支配下に置いたのである。
 イギリスのアフリカ・アジアへの進出の大きなきっかけとなったのは、スエズ運河の株式を取得したことだった。スエズ運河は1869年に開通した。これにより、ヨーロッパの船は、喜望峰を回らずに、地中海からインド洋、海洋アジアへと出られるようになった。世界交通史上の一大転機だった。運河の建設はフランス人レセップスが成功させたもので、管理はフランスとエジプトの共同出資による会社が行っていた。ところが、財政難に陥ったエジプトは、同社の株式を売却しようとした。この情報を得たイギリスのディズレーリ首相は、ロスチャイルドから巨額の資金を得て、一挙に同社株式の44%を取得し経営を支配した。さらに82年には、運河地帯を占領した。
 スエズ運河の支配は、イギリスの帝国主義政策を促進した。イギリスは、スエズ運河を通って、中東、インド、シナ等の植民地支配を大々的に展開するようになった。
 さらに、イギリスは、アフリカ大陸に進出した。イギリスに負けじと、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギーなどもアフリカ分割に参加し、1880年代以降、アフリカの植民地化が一気に進んだ。キリスト教諸国が猛獣の群れのように、非キリスト教的な地域を寄ってたかって奪い合った。
 イギリスは、北アフリカのカイロと南アフリカのケープタウンを結ぶアフリカ縦断政策を進めた。この線をさらにインドのカルカッタに伸ばそうとした。この政策を、三つの都市の頭文字を取って、3C政策という。
 一方、ドイツでは、ヴィルヘルム2世が3B政策を推進した。3B政策は、ベルリン、ビザンティウム(イスタンブール)、バグダードという三つの都市の名に由来する。目的は、これら3都市を結ぶ鉄道を建設し、バルカン半島から小アジアを経てペルシャ湾に至る地域を経済的・軍事的にドイツの勢力圏にすることにあった。そのため、アフリカの南北からインドまでを押さえようというイギリスの3C政策と対立した。
 イギリスとドイツは、植民地の拡大を巡って対立関係に入った。ドイツは、1882年にオーストリア、イタリアと三国同盟を締結した。一方、イギリスは、1891年の露仏同盟、1904年の英仏協商、07年の英露協商によって、英仏露の三国協商を結んだ。
 こうして、19世紀末から20世紀の初頭における西欧の国際関係は、イギリス対ドイツの対立を主軸として進んでいく。英独にロシアやフランス等が絡む形で植民地争奪戦が行われた。こうしたキリスト教国同士の争いが高じて、世界大戦へと大規模化していった。

 次回に続く。

「世界の工場」が中国から大移転する~石平氏

2018-10-26 09:33:50 | 国際関係
 シナ系日本人評論家の石平氏は、早くから米中貿易戦争の狙いは「中国潰し」と看破している。8月16日の当ブログに、石氏の次のような見方を掲載した。
 「中国からの貿易赤字(すなわち中国にとっての貿易黒字)の是正を目標とした米国の貿易戦争は、中国の対外輸出を直撃し中国の稼ぐ貿易黒字と外貨準備高の大幅減をもたらすことによって、中国の経済・産業、国民生活・外交戦略に多大な打撃を与えかねない状況である」「中国の立場からすれば、米国の仕掛けた貿易戦争は単なる貿易領域の戦争ではなく、中国の経済と産業、そして政治と外交に大打撃を与えようとする「全面戦争」なのだ」「貿易戦争を発動したトランプ政権の狙いは最初からそういうところにあるのかもしれない。トランプ政権は、貿易戦争の発動で本格的な「中国潰し」に取り掛かろうとしているのである」と。
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/fa04ccbbdad801b586850612e2304740
 米国政府は、9月24日中国製品に対する制裁関税の第3弾を発動した。これに対し、中国政府は直ちに報復措置を発動した。これによって、石氏の表現によれば、「米中間の貿易戦争は史上最大規模の全面戦争」となったと言える。トランプ政権は、中国共産党の対米工作活動や、新疆ウイグルでの人権問題へも批判を広げており、もはや単なる貿易戦争ではなく、非軍事的な方法による米中対決の様相を呈しつつある。
 石氏は、米中貿易戦争については、10月4日の産経新聞の記事にて、米中貿易戦争の拡大化・長期化が日本を含めたアジア地域全体にどのような影響を及ぼすかを論じている。その要点を記したい。
 石氏は、アジア地域への最大の影響の1つは「世界の工場」の中国からの大移転であるという。近年、中国での人件費高騰などの影響で、各国の生産メーカーの多くが中国から東南アジアへ工場や拠点を移転する動きが活発化しているが、米中貿易戦争によって、「中国大陸からの対米輸出が高い関税を課されるため、それを避けての外資企業の中国からの移転はより一層加速化する」というのである。「場合によっては数年間のうちに、世界の工場の東南アジアへの大移転が完成してしまい、中国には二度と戻らない」とも述べている。
 次に、石氏は、米中貿易戦争の長期化がアジア地域にもたらす良い影響として、「中国の「一帯一路構想」のしかるべき早期終了」を揚げる。一帯一路構想はインフラ投資を柱とするので莫大な外貨準備が中国の資金面の支えになっている。石氏は、「米国との貿易戦争で中国の貿易黒字が大幅に減っていくと、中国の手持ちの外貨準備はいずれか底をつく」「習近平主席の「新植民地戦略」は失敗に終わる運命となる」と予想する。
 次に、石氏は、米中貿易戦争が日中関係に与える影響を揚げる。それはまず「習近平指導部を「関係改善」へと駆り立てる効果を持つこと」だと言う。中国は、米国市場から締め出された中国製品の日本への輸出の拡大を望む。また、外資企業が中国から撤退していく中で日本企業をできるだけつなぎ留めようとする。そして、「風前のともしびとなった「一帯一路」の延命のためにはぜひ日本側の協力が欲しい」から、関係改善を進めようとするというのである。その他、石氏は、米中貿易戦争の日本経済への影響の良い面と悪い面を挙げている。
 さて、わが国は、これまで米国と中国の間に立って、米国と同盟を結びつつ、中国とは友好関係を保ってきた。米国は長期的には衰退しつつあり、中国は急速に国力を増大している。トランプ政権は、米国を再び偉大な国にするために、中国との対決へと舵を切った。中国は、世界的な覇権の拡大を図っているが、その経済・社会は危うさを強めている。今後、中国もまた衰退の局面に移っていくことが予想される。こうした米中間において、わが国はいかなる外交・経済政策を行うべきか。基本的にはトランプ政権と緊密に連携し、中国の覇権主義に屈するべきではない。だが、米国の国益追求に利用されて、主体性を失ってはならない。あくまで日本の国益を第一とし、また同時にアジアの平和と繁栄を目指す戦略的な姿勢が必要である。

 以下は、石平氏の記事の全文。

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https://www.sankei.com/column/news/181004/clm1810040005-n1.html
2018.10.4 10:00更新
【石平のChina Watch】
「世界の工場」大移転も

 9月24日、米国政府は中国製品に対する制裁関税の第3弾を発動し、それに対して中国政府は直ちに報復措置の発動に踏み切った。これで中国の米国に対する輸出品の約半分、米国の中国に対する輸出品の8割以上が高い関税を課されることとなり、米中間の貿易戦争は史上最大規模の「全面戦争」となった。貿易戦争の展開が米中両国の経済や政治に与える影響について本紙でもさまざまな分析を行っているから、今回は、いわば「China Watch」の域を越えて、米中貿易戦争の拡大化・長期化が、日本を含めたアジア地域全体にどのような影響を及ぼすかを検討してみたい。
 米中貿易戦争がアジア地域の経済にもたらす最大の影響の1つは「世界の工場」の中国からの大移転ではないかと思う。近年、中国国内の人件費の高騰などの影響で、各国の生産メーカーの多くが工場や拠点を中国から東南アジアへ移転する動きが活発化している。今後の米中貿易戦争において、中国大陸からの対米輸出が高い関税を課されるため、それを避けての外資企業の中国からの移転はより一層加速化する。
 一方、アメリカ国内では中国からの輸入品が制裁関税によって割高となり、流通業界のバイヤーたちは当然、東南アジアなどへ行って代替品を求める。それに応じて東南アジア地域の関連産業は設備投資を拡大して生産拡大を図り、多くの外資企業も中国から工場をこの地域へ移していく。その結果、場合によっては数年間のうちに、世界の工場の東南アジアへの大移転が完成してしまい、中国には二度と戻らないのである。
 米中貿易戦争の長期化がアジア地域にもたらすもう1つの良い影響は、中国の「一帯一路構想」のしかるべき早期終了であろう。インフラ投資を柱とするこのような壮大な構想をアジア地域で進めていくには、中国が持つ莫大(ばくだい)な外貨準備こそが資金面の支えになっている。だが、米国との貿易戦争で中国の貿易黒字が大幅に減っていくと、中国の手持ちの外貨準備はいずれか底をつく。そうすれば「一帯一路」は単なる絵に描いた餅にすぎない。習近平主席の「新植民地戦略」は失敗に終わる運命となる。
 米中貿易戦争が日中関係に与える影響に関していえば、それは当然、習近平指導部を「関係改善」へと駆り立てる効果を持つことである。中国からすれば、米国市場から締め出された中国製品の日本への輸出を拡大したいし、外資企業が中国から撤退していく中で日本企業をできるだけつなぎ留めたい。そして、風前のともしびとなった「一帯一路」の延命のためにはぜひ日本側の協力が欲しい。習近平主席は今後、心にもない「日中友好」を盛んに唱えるのであろう。
 米中貿易戦争が日本経済にもたらす影響となると、良い面と悪い面の両方があると思う。貿易戦争において、中国も米国からの輸入品の多くに高い関税を課すこととなったから、中国国内メーカーは、今までアメリカから調達している生産に必要な部品などを今後日本から買うことになるかもしれない。結果的には日本の中国に対する輸出拡大につながることとなろう。一方、中国に進出している日本企業が貿易戦争のしわ寄せを受けることとなり、日本経済にとっては損する面もある。
 もう1つ、貿易戦争が長期化すると、日本にくる中国人観光客が減る方向になると思う。貿易戦争で中国の貿易黒字が減って手持ちの外貨準備が減ると、国民に対する外貨管制を厳しくするのは必至である。「金持ちの中国人観光客」と彼らによる「爆買い」はいずれ過去のものとなるかもしれない。日本側の関係業界はそれを見通して、そろそろ善後策を考えた方がよいのではないかと思う。
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キリスト教110~キリスト教に代替する社会主義・共産主義

2018-10-24 09:42:35 | 心と宗教
●キリスト教に代替する社会主義・共産主義

 次に、社会主義及び共産主義について述べる。
 イギリスにおいて、自由は、極少数の人間の自由と大多数の人間の不自由の対比の中で拡大されてきた。不自由な状態にある大多数の側が自由を求めるとき、それは平等への志向となる。ピューリタン革命では、水平派が急進的に平等を求めた。その動きは、クロムウェルによって弾圧された。18世紀に始まった産業革命は、それまでの社会を大きく変え、階級分化を促進した。この過程でイギリスではリベラリズム(自由主義)とデモクラシー(民衆参政制度)が融合してリベラル・デモクラシー(自由民主主義)となり、それが西洋の他の多くの国家の理念となった。
 その一方、自由民主主義に対抗するものとして出現したのが、社会主義である。社会主義は、社会的不平等の根源を私有財産制に求め、それを廃止ないし制限し、生産手段の社会的所有に立脚する社会を作ろうとする思想・運動である。19世紀前半における社会主義初期の代表的な思想家はフランスのアンリ・ド・サン=シモンとシャルル・フーリエ、イギリスのロバート・オーエンである。彼らの社会主義は、キリスト教的な社会思想から離れて、啓蒙主義的・合理主義的なものとなっている。彼らに続いて、ドイツのカール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスは、1848年に、『共産党宣言』を発表した。マルクス、エンゲルスは、サン=シモンらの初期社会主義者の思想を「空想的(ユートピア的)社会主義」と呼び、資本主義の分析に基づく自分たちの理論を「科学的社会主義」と自称した。彼らの説く科学的社会主義は共産主義とも言われる。
 マルクス=エンゲルスは、フランス革命をブルジョワ革命と規定し、一定の評価をするとともに、その限界を主張し、プロレタリア革命の理論を提示した。彼らは社会的な不平等の原因を、所有の概念で分析し、財産の私有に階級の発生を求め、歴史の動因として階級闘争を強調した。被支配階級は、支配階級の権利を戦い取るべきものとされた。そして、それが人間の解放であると説いた。
 マルクスは、1849年から83年の死まで、イギリスのロンドンを中心に活動した。ここで『資本論』等の主要著書を書いた。先進国イギリスは、マルクスの資本主義研究と革命理論構築の対象となった。
 1864年にマルクス、エンゲルスの理論を取り入れた国際労働者協会(第1インターナショナル)がロンドンで結成され、国際的な社会主義運動が広がった。その後、社会主義は、主として議会を通じて平和的に目標を実現しようとする社会民主主義と、武力革命によって社会改革を行おうとする共産主義の二つに大きく分かれた。前者を社会主義、後者を共産主義とする分け方もある。
 19世紀末から社会主義が勢いを強め、多くの国で社会民主主義の政党が結成された。社会民主主義は自由を保ちつつ平等の拡大を図る態度である。これに対し、共産主義は平等を価値とする。ごく少数ではあるが、共産主義者は武力革命を目的とする活動を展開した。
 平等を志向する社会主義が広がると、自由の思想の側にも変化が現れた。イギリスで発達した伝統的な古典的自由主義は、国家権力の介入を排し、個人の自由と権利を守り、拡大していこうという態度のことである。これに対し、19世紀半ばイギリスでそれまでの自由主義を修正した修正的自由主義が出現した。その代表的な思想家が、先にふれたJ・S・ミルである。修正的自由主義は、社会的弱者に対し同情的であろうとし、社会改良と弱者救済を目的として自由競争を制限する。
 古典的自由主義は、個人の自由を中心価値とする。古典的自由主義は、主に米国でリバータリアニズム(絶対自由主義)として存続した。修正的自由主義は、自由を中心としながら自由と平等の両立を図ろうとする態度である。修正的自由主義は、社会主義に対抗して、労働条件や社会的格差を改善し、平等に配慮するものである。古典的自由主義は国権抑制・自由競争型、修正的自由主義は社会改良・弱者救済型で、思想や政策に大きな違いがある。平等に配慮する修正自由主義は、古典的自由主義よりも、ナショナリズムと親和的である。また、キリスト教の社会思想に根差している。
 こうして19世紀末以降の欧米では、自由と平等という価値の対立軸をめぐって、政治や社会運動が展開された。重点のありかを自由から平等の方へと順に並べると、古典的自由主義、修正的自由主義、社会民主主義、共産主義になる。20世紀は、レーニンが言ったように「戦争と革命の世紀」となった。その時代に、イギリスは第1次世界大戦、第2次世界大戦、共産主義革命の広がりの中で、自由民主主義の側の指導国であり続けた。

 次回に続く。

新疆ウイグルで「中国化」が進められている

2018-10-23 09:40:22 | 国際関係
 8月13日スイス・ジュネーブで開かれた国連人種差別撤廃委員会で、米人権活動家らが「新疆ウイグル自治区で、少数民族のウイグル族が100万人以上、中国政府によって収容施設に不当に拘束されているという情報がある」と指摘して中国側に説明を求めました。これに対し中国の代表は「自治区では過激派の取締りと再教育に取り組んでいるが、指摘されたような収容施設は存在しない。中国の分裂を狙った根拠のない中傷だ」と述べて強く反発したと報じられます。
しかし、産経新聞中国総局長の藤本欣也氏は、自治区の治安当局者はこのほど、強制的な再教育施設が存在すると明かしたと伝えています。
 この強制的な再教育施設では、どういう教育がされているのか。藤本氏は、現地取材をもとに、次のように書いています。
 「関係者の話を総合すると、再教育施設では少数民族の言葉の使用を禁じ、(1)中国語(2)中国の法律・規則(3)党や習国家主席を賛美する歌-を学習させている。つまり、イスラム教徒の“中国化”を急ぎ、当局がテロリスト、分離独立派、過激派とみなして警戒する「3大勢力」の台頭を抑えこむ狙いがあるようだ」と。

 以下は、藤本氏の記事の全文。

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●産経新聞 平成30年9月18日

2018.9.18 08:37更新
【緯度経度】
新疆ウイグル 進む「中国化」 中国総局長・藤本欣也
https://www.sankei.com/world/news/180918/wor1809180009-n1.html

 中国の西端、新疆(しんきょう)ウイグル自治区カシュガルでのこと。古くからシルクロードの要衝として栄えた町だ。
 ホテルのフロントでパスポートを渡すと、女性従業員がチェックインの手続きを始めた。そこへ1本の電話。受話器を置いた彼女はすっかりおびえていた。
 「申し訳ありません。外国人は泊まれません…」
 外国人も宿泊できることは予約の際に確認済みである。しかしホテル側に抗議しても仕方のないことだ。
 この日、タクシーに乗ってもナンバープレートのない不審な車に追い回され、街中を歩いていても2~5人の男に尾行されていた。
 「早く町から出ていけ」。記者に対する治安当局の無言の圧力なのだろう。
 結局この夜、ホテル4軒に宿泊を断られ、ようやく横になることができたのはカラオケボックスだった。
 当局がピリピリしているのは、国連の人種差別撤廃委員会で8月、「新疆ウイグル自治区でウイグル族などイスラム教徒100万人以上が再教育施設に収容されている」と報告された問題と無縁ではあるまい。
 中国政府は否定するが、自治区の治安当局者はこのほど、強制的な再教育施設が存在すると明かした。一体、何を教育しているのだろうか。
 当局はすでに、自治区でイスラム教徒の暴動が頻発し治安維持が必要だと説明して、住民監視を徹底して行っている。モスク(イスラム教礼拝所)やバザール(市場)周辺には無数の監視カメラを設置し、最新の顔認証技術も導入、通行人を常時チェックしている。
 カシュガルに中国最大のモスクがある。監視カメラが設置された入り口には、「愛党愛国」と記された赤い幕が掲げられていた。
 モスク前の広場周辺でも「習近平同志を核心とする党中央の心のこもった配慮に感謝します」との横断幕がみられた。中国共産党がイスラム教徒に何を教育したいのかは明白だ。
 関係者の話を総合すると、再教育施設では少数民族の言葉の使用を禁じ、(1)中国語(2)中国の法律・規則(3)党や習国家主席を賛美する歌-を学習させている。
 つまり、イスラム教徒の“中国化”を急ぎ、当局がテロリスト、分離独立派、過激派とみなして警戒する「3大勢力」の台頭を抑えこむ狙いがあるようだ。
 党機関紙、人民日報系の環球時報は社説で、国際社会からの人権侵害批判に対し、「(自治区の)平和・安定を守ることこそ最大の人権だ」と強弁している。
 これが“中国モデル”である。「治安のためには人権侵害もやむなし」とする統治スタイルは、基本的人権や報道の自由、表現の自由などを尊重する私たちの価値観とは相いれない。
 自治区でインフラなどの経済基盤を整備する一方、言語・文化を強要し住民の同化も推し進める。まるで第二次世界大戦前にタイムスリップしたような統治スタイルではないか。
 さらに問題なのは、外国で中国型の住民監視システムを採用する動きがあることだ。中国の巨大経済圏構想「一帯一路」の一環として、ジンバブエやエチオピア、ブラジルなどが中国企業から顔認証技術の導入を進めていると伝えられる。
 反体制派に苦しむ途上国の政権にとって、これもまた一帯一路の“果実”。社会不安に悩む民主主義国家には“禁断の果実”である。(中国総局長)
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キリスト教109~功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

2018-10-22 09:38:33 | 心と宗教
●功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

 西方キリスト教は宗教改革を行い、それが文化的近代化の推進力となり、近代資本主義の発達にも寄与した。しかし、近代化の進行に対し、キリスト教は対応することができなくなっていった。そして、キリスト教に基づきつつ、キリスト教に替わって、近代社会における価値観や規範を提供する思想が現れた。それが先に述べた啓蒙思想や合理主義であり、19世紀にはそれらを発展させた新しい思想が現れた。功利主義、社会主義、共産主義である。
 まず功利主義(utilitarianism)は、19世紀にイギリスでジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル等によって唱えられた思想である。功利(utility)とは、物事の効用や有用性を意味する言葉である。その功利を倫理的な価値とする思想が、功利主義である。
 ベンサムはいう。人間は、快楽の総計を増大させ、苦痛の総計を減少させようとする。その結果、得られるものが、個人の幸福である。個人の幸福は、社会全体が幸福である時に最大になる。そこで、「最大多数の最大幸福」が目標となる。ベンサムはこれを「功利の原理」とした。ベンサムにおいては、効用の最大化が正義とされた。
 ベンサムに特徴的なのは、快楽を量的に表現し、計算することができるとした点である。ベンサムは、この計算を快楽計算とよんだ。計算の基準には、強さ、持続性、確実性または不確実性、遠近性、多産性、純粋性、範囲または影響を受ける人数を挙げた。この定量化は、ニュートンが万有引力の法則を発見し、自然を統一的にとらえる力学を完成させたのを受けて、精神科学を自然科学と同じような精密科学としようとする試みである。
 ベンサムは、「功利の原理」を、後に「最大幸福の原理(the greatest happiness principle)」と言い換えた。それゆえ、功利主義は、最大幸福主義と呼ぶことができる。
 ベンサムの功利主義(最大幸福主義)には、重大な欠点があった。どんな人間でも快楽を求め、苦痛を避けるものだとするのは、事実を単純化し過ぎていること。快楽の追求、苦痛の回避が善なら、すべての行為が正しいことになること。自分の幸福と他人の幸福とは衝突することがあること。快楽計算の実例が挙げられていないこと。快楽計算は、実際には非常に困難であること。最大多数の最大幸福のためには少数者の犠牲はやむを得ないとすると、個人の自由と権利が侵害される場合があること、等々である。
 これらの欠点を踏まえて、ベンサムの理論の修正を行ったのが、J・S・ミルである。ミルは、ベンサムが快楽を量的にとらえたのに対し、質の相違を認めた。ミルの「満足した豚であるよりも、不満足な人間である方がよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスである方がよい」という言葉は、食欲の満足のような質の低い快楽と、真理の探究のような質の高い快楽を区別したものである。
 ミルは功利主義者であるとともに、修正的自由主義者でもある。修正自由主義とは、17~18世紀のイギリスで発達した自由のみを価値とする古典的な自由主義に対して、自由とともに平等の価値を尊重する思想である。ミルは、功利すなわち社会全体の最大幸福を主要な原理とし、自由と平等の調和を補助的な原理としている。ミルは最大幸福を目的として、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。さらにサン・シモン、フーリエらの社会主義に共感を示した。ただし、社会主義に対しては、理念には賛成するが、個々の理論には反対するという立場だった。
 ミルは、最大幸福という目標の下で自由と平等の調和を図ったが、その思想は19世紀後半のイギリスで広く影響を与えた。私見を述べると、イギリスの社会主義が、マルクス=エンゲルスの共産主義と一線を画し得たのは、ミルの思想の影響によるところが少なくない。イギリスの社会主義は、イギリスの伝統的な個人主義や相互扶助的な要素を保持した。議会主義に基づく漸進的な社会改良を目指すウエッブ夫妻、バーナード・ショーらのフェビアン協会が社会主義の主流となった。
 ミルの修正自由主義的な功利主義(最大幸福主義)は、キリスト教の道徳思想とも親和的だった。ミルの思想は、利己的個人主義や利害打算的な考え方とは、大きく違う。そのことを最もよく明かすのは、ミルが次のように書いていることである。「ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義倫理の完全な精神を読み取る。おのれの欲するところを人に施し、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極致である」と。ミルはまた人類の社会的感情の根底には、「同胞と一体化したいという欲求」があるとし、社会全体における人格の向上が最大幸福の実現となることを説いている。ここにおけるキリスト教の理解は、キリスト教を啓蒙主義的に道徳的宗教ととらえる見方である。
 政治思想では、ミルはイギリス伝統の個人主義の立場に立ち、「権力からの自由」を強調しつつ、この政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。ミルはまた婦人問題に強い関心を示し、産業革命後のイギリスで悲惨な婦人が増大したのに対し、婦人の権利の拡大を追求した。さらに、ミルはイギリスの植民地支配に反対し、イギリスは植民地を独立へと導くよう主張した。ここにも道徳宗教化されたキリスト教の思想を見てとることができる。

 次回に続く。

キリスト教108~イギリスで現れたプロテスタント諸派

2018-10-20 12:56:48 | 心と宗教
●イギリスで現れたプロテスタント諸派

 次に、イギリスにおけるキリスト教の独自の動きについて述べる。
 イギリスでは、16世紀前半から17世紀にかけて、新しい教派が多く現れ、今日も活発に活動している。概要の教派の項目に書いたことと一部重複するが、イギリスにおけるプロテスタント諸派の出現と各教派の特徴を書く。
 まず英国国教会(聖公会)は、1534年、イングランド国王ヘンリー8世が離婚を認めないローマ・カトリック教会から離脱し、自らを首長とする国教会を創ったもの。ローマ教皇のような単一の支配者を認めない。現在も国王(女王)を首長とする。聖母マリアや聖人を崇敬しない。聖書のほかに伝統と理性を重んじる。そのため特定の教義を定めず、教派的な信仰告白を掲げていない。プロテスタント諸派の中で、最もローマ・カトリック教会に近い。二派を橋渡しするブリッジ・チャーチとも呼ばれる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 英国国教会には、3つの教派がある。高教会(ハイ・チャーチ)、低教会(ロー・チャーチ)、広教会(ブロード・チャーチ)である。高教会派は、教会の権威、歴史的主教制、サクラメントを重視し、それらに高い位置を与える立場である。低教会派は、逆にそれらに低い位置しか認めず、「聖書のみ」「恩寵のみ」「信仰のみ」の立場に立ち、典礼よりも個人の改心と聖化を強調する福音主義の立場である。広教会派は、高教会派と低教会派の抗争を嫌悪し、双方の立場を退ける国教会の中の自由主義の立場である。
 19世紀半ばに、広教会派から、F・D・モーリス、C・キングスレー、J・M・ラドローらのキリスト教社会主義運動が現れた。彼らは、産業革命以後の工場労働者の悲惨な状況を見て、キリスト者の社会的責任を強調し、愛と奉仕の精神による協同を目指し、労働組合を結成したり、労働者学校を開いたりして、社会改良に努めた。彼らの社会主義は宗教的社会主義であり、マルクスらによる唯物論的な思想・運動とは全く異なる。
 この国教会広教会派のキリスト教社会主義が、ドイツ、アメリカ等に輸出され、それらの国々でも発展した。19世紀末には、小崎弘道、安倍磯雄、片山潜らによって日本にも移入された。彼らキリスト教徒によって、日本の労働運動、社会主義運動が始まった。
 英国国教会(聖公会)より、プロテスタントとしての性格が明瞭な教派の一つが、改革派・長老派(プレスビテリアン)である。改革派の名称は、16世紀半ばにカルヴァンがルターの改革は不十分だったとして、改革を徹底しようとしたことに由来する。この系統に立つ長老派は、スコットランドでジョン・ノックスが創始した。ノックスはカトリック教会の聖職だったが、教会に批判的となり、亡命先のジュネーブでカルヴァンの親交を得て、帰国後、長老派教会を樹立した。その名は長老を代表とする教会政治に基づく。長老派は、1567年にスコットランドの国教となり、その後に自由教会(フリー・チャーチ)が分離した。聖書のみを人間の思想と行動の唯一絶対の指針とし、呪術的要素を徹底的に排除した。神はアダム・エバの堕罪以前に、予めすべての人間を、ある者は救いに、ある者は滅びに予定したという二重予定説(堕罪前予定説)を説く。天国に行くか地獄に行くかは、人間の意思や行動には無関係で、すべて神が決定するとする。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみ。ルター派等と異なり、幼児洗礼を認めない。
 会衆派・組合派は、16世紀後半にイングランド国教会からの分離を主張した司祭ロバート・ブラウンに始まり、ピューリタン革命時に長老派から分離・独立した。会衆派の名称は、会衆全体の合意に基づく教会政治に由来する。日本では、組合派ともいう。1620年にメイフラワー号に乗って北米のプリマスに入植したのは、この派の信徒である。ピューリタン革命の推進力となり、クロムウェルのもとで共和制を樹立した。カルヴァン主義を基本とするが、特定の信仰箇条を持たず、自由・寛容の傾向を示す。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 バプテストは、1609年にイングランド国教会から離脱したジョン・スマイスに始まる。洗礼(バプテスマ)は、全身を水で浸す浸礼が聖書にある方式であると主張する。自覚的な信仰告白に基づく者のみを信者とし、幼児洗礼を認めない。国家と教会の公的な結びつきに否定的で、信教と良心の自由を重んじる。一部の信徒は、天地創造、ノアの方舟、イエスの処女降誕と復活を文字通り信じる。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。
 メソディストは、18世紀半ば、イギリス国教会司祭ジョン・ウェスリーに始まる。「聖書に言われている方法(メソッド)に従って生きる人」を意味する。1795年に正式に国教会から分離して一個の教派となった。カルヴァンの予定説とは対照的に、すべての人間の自由意志による救済を説く。16世紀後半のオランダの改革派神学者アルミニウスが、人間は自らの意志で神の救いを受けることも、拒絶することもできると説いたのに基づく。人間の主体的な決断や回心体験、聖霊の働きを重んじ、信仰義認の後の聖化を強調する。道徳的で清廉な生活を心がける。サクラメントは、洗礼、聖餐の二つのみとする。イギリス産業革命で生じた社会的弱者の救済に尽力した。メソディストから1865年に救世軍が分れた。
 クェーカーは、キリスト友会(Religious Society of Friends)の一般的な呼称である。1650年にイングランドでジョージ・フォックスが創設した。名称は「神を畏れ震える者」に由来する。真理は、各自の魂に呼びかける神の声の中に見出されるとする。その神の声を「内なる光」と呼び、すべての人に内在すると考える。またその考えによって性別・人種などの差別を否定する。カルヴァンの予定説とは対照的に、万人が救済され得ると説く。形式・象徴・権威を否定する。すべての人は霊的に平等だとし、教職制度がない。霊性と感性を重んじ、虚栄を嫌う。宣誓や兵役を拒否する。非戦主義・非暴力主義で知られる。他の教派と違い、洗礼や聖餐はない。
 ユニテリアンは、17世紀イギリスに始まる。三位一体を認めない。イエスの神性を否定し神の単一性(Unity)を唱えた初期教会時代のアリウスの説を継承する。同じころ、アルミニウス主義に立って予定説に反対し、すべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストも現れた。これら二派は北米で1961年に合同することになった。自由と理性と寛容を重んじ、原罪やイエスの贖罪、処女降誕、復活等の奇跡を認めず、科学上の諸発見を尊重する。人間はみな神の子であり、イエスは神ではなく最も神に近い存在であるとし、究極の師と仰ぐ。他宗教にも救いはあると認め、他宗教との交流にも積極的である。サクラメントはない。
 このようにイギリスでは、プロテスタンティズムの多様な教派が現れた。それらが国王(女王)を首長とする国教会と併存しているところに、激しい教派対立を経て、リベラル・デモクラシーと宗教的寛容による国民国家を建設したイギリスの特徴がある。
 イギリスは、近代主権国家、資本主義、自由主義、デモクラシー等の発祥の地だが、ナショナリズムもまたイギリスに発する。イギリスは、イングランド国教会を創ってカトリック教会から離脱し、ナショナルな宗教を創った。このことがイギリスのナショナリズムの形成において重要な働きをした。ところが、国教会に反発するプロテスタント諸派が現れて、ピューリタン革命が起こるほどになった、しかし、イギリスの政府・支配集団は、そうした教派をナショナリズムで統合した。その中心には、国家元首であるとともに国教会の首長でもある国王(女王)がおり、国王を中心とするイギリスは、先進資本主義国として発展し、近代世界システムの覇権国家として繁栄を極めた。ここには宗教的ナショナリズムを超えた政治的ナショナリズムの強力な働きがある。

 次回に続く。

米中新冷戦が開始された

2018-10-19 10:00:07 | 国際関係
 米国のマイク・ペンス副大統領は、10月4日、ワシントンでハドソン研究所の主催による講演を行いました。ジャーナリストの長谷川幸洋氏は、50分に及ぶペンス演説の要旨を示しつつ、次のように述べています。

 「米国のペンス副大統領が10月4日、ワシントンで講演し、貿易など経済に限らず安全保障分野でも、中国に「断固として立ち向かう」と述べた。かつての米ソ冷戦の始まりを告げた「鉄のカーテン」演説に匹敵する歴史的出来事である」
 「ピルズベリー氏やナバロ氏が主導した中国脅威論は、2015年ごろから米国で本格的に議論され始めた。それが3年経って今回、ペンス演説によって正式にトランプ政権の政策に採用された形だ。今回の演説は、その証拠である」
 「米中新冷戦は、内実を見れば「トランプ氏という一風変わった大統領によって始められた」と理解するのは正確ではない。それはピルズベリー氏やナバロ氏のような専門家によって、米国の中国に対する認識が根本的に改められた結果なのだ。そうであるとすれば、新しい冷戦は簡単に終わらない。米国が勝利するまで続くだろう」
 「歴史家は「米中新冷戦はペンス演説から始まった」と書くだろう。もはや後戻りはできない。緊張と対立の新しい時代が始まった。米ソ冷戦が良かれ悪しかれ、戦後世界の骨格を形作る土台になったように、米中新冷戦は今後、数十年にわたって国際関係の基軸構造になる」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57929?page=2

 ペンス副大統領の上記の講演は、チャーチルの「鉄のカーテン」演説に匹敵する歴史的な演説となるかもしれないものです。その全文が邦訳されました。米国の対中政策の本気度が伝わってきます。
https://www.newshonyaku.com/usa/20181009

 米中新冷戦の行方について、米国の中国研究の第一人者とされるミンシン・ペイ教授は、旧ソ連と中国を比較し、「中国はすでに敗北の軌道に乗っている」と断定しています。

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■中国は、ソ連と同じ冷戦敗北の軌道に入っているのか
2018.10.16 14:42
【湯浅博の世界読解】

 米ソ冷戦の到来は、時間をかけてジワジワと始まった。そして、時代に鋭敏なチャーチル元英首相が1946年、欧州を分断する「鉄のカーテン」がソ連により降ろされたと、その到来を告げた。あのソ連崩壊から四半世紀が過ぎて、今度は対中「新冷戦」の到来が語られている。
 本欄でも米中冷戦の気配を紹介はしたが、ペンス米副大統領の4日の発言によって熱を帯びてきた。ここでは中国研究の第一人者、米クレアモント・マッケナ大学のミンシン・ペイ教授の見解から、米ソ冷戦と比較しながら新冷戦の行方を展望しよう。
 米ソ冷戦初期のころ、ソ連がやがて米国を追い越すことになると考えられていた。共産主義が欧州に浸透し、ソ連経済は今の中国のように年6%近い成長だった。ブレジネフ時代には550万人の通常兵力を持ち、核戦力で米国を追い抜き、ソ連から東欧向けの援助が3倍に増えた。
 だが、おごるソ連システムに腐食が進む。一党独裁体制の秘密主義と権力闘争、経済統計の水増しなどどこかの国とよく似た体質である。やがてソ連崩壊への道に転げ落ちていった。
ソ連共産党が91年に崩壊したとき、もっとも衝撃を受けたのが中国共産党だった。彼らはただちにソ連崩壊の理由を調べ、原因の多くをゴルバチョフ大統領の責任とみた。しかし、ペイ教授によれば、党指導部はそれだけでは不安が払拭できず、3つの重要な教訓を導き出した。
 中国はまず、ソ連が失敗した経済の弱点を洗い出し、経済力の強化を目標とした。中国共産党は過去の経済成長策によって、一人当たりの名目国内総生産(GDP)を91年の333ドルから2017年には7329ドルに急上昇させ「経済の奇跡」を成し遂げた。
 他方で中国は、国有企業に手をつけず、債務水準が重圧となり、急速な高齢化が進んで先行きの不安が大きくなる。これにトランプ政権との貿易戦争が重なって、成長の鈍化は避けられない。しかも、米国との軍拡競争に耐えるだけの持続可能な成長モデルに欠く、とペイ教授はいう。
 第2に、ソ連は高コストの紛争に巻き込まれ、軍事費の重圧に苦しんだ。中国もまた、先軍主義の常として軍事費の伸びが成長率を上回る。25年に米国の国防費を抜き、30年代にはGDPで米国を抜くとの予測まである。だが、軍備は増強されても、経済の体力が続かない。新冷戦に突入すると、ソ連と同じ壊滅的な経済破綻に陥る可能性が否定できないのだ。
第3に、ソ連は外国政権に資金と資源を過度に投入して経済運営に失敗している。中国も弱小国を取り込むために、多額の資金をばらまいている。ソ連が東欧諸国の債務を抱え込んだように、習近平政権は巨大経済圏構想「一帯一路」拡大のために不良債権をため込む。
 確かに、スリランカのハンバントタ港のように、戦略的な要衝を借金のカタとして分捕るが、同時に焦げ付き債務も背負うことになる。これが増えれば、不良債権に苦しんだソ連と同じ道に踏み込みかねない。
 かくて、ペイ教授は「米中冷戦がはじまったばかりだが、中国はすでに敗北の軌道に乗っている」と断定している。日本が首相訪中の手土産として、一帯一路に乗ることがないよう祈るばかりだ。(東京特派員)
https://www.sankei.com/wo…/news/181016/wor1810160019-n1.html
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 日本は、米国と中国のはざまにあって、どのように国家の存立を図るか。私は米国との戦略的な提携を第一とし、アジアの自由主義諸国と協力しつつ、わが国の政治・経済・外交・軍事・諜報・教育等の総力を挙げて中国を封じ込め、中国の民主化を進めることが、日本の平和と繁栄の道と考えます。
 逆に、日本が米国から離れ、中国と結ぶ時は、中国共産党と人民解放軍によって支配され、中国に併合されることになるでしょう。それは、服従と滅亡の道です。
 早ければ10年、遅くとも30年の間に、日本の運命は決します。国家と民族の存亡を賭けて、日本の戦略を練り上げ、国民が団結・実行する必要があります。