ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

キリスト教132~世界大戦とキリスト教の混迷

2018-12-15 12:14:10 | 心と宗教
●世界大戦とキリスト教の混迷

 1914年7月に始まった第1次世界大戦は、英仏対独の戦いが主軸となった。フランスは、西部戦線で短期決戦を目論むドイツの侵攻を受け、パリ近郊まで攻め込まれた。しかし、9月のマルヌの戦いでドイツの進撃を阻止し、戦闘は塹壕戦に突入した。その後、戦闘はこう着状態になり、18年11月まで約4年4ヶ月続いた。主戦場となったフランスは、戦勝国となりながら、被った被害も大きかった。
 大戦の終結後、世界は安定せず、再び世界大戦が勃発した。1940年5月、ナチス・ドイツが電撃的な作戦を開始し、対独防衛のために構築していたマジノ線は、やすやすと突破された。今度はパリが占領され、第3共和制は崩壊して、ヒトラーの傀儡、ヴィシー政権が成立した。4年と約4ヶ月にわたって、フランス人は、鉤十字(ハーケン・クロイツ)に服従を強いられた。独立を回復できたのは、米英がドイツを打ち破ったからだった。
 世界大戦が繰り返される状況において、イエスの教えはほとんど無力だった。愛ではなく憎しみが、救いではなく殺戮が、大地を海を空を覆った。地球は、キリストの名においてキリスト教徒が異教徒を巻き込んで殺し合う修羅場と化した。
 そうした時代に、フランスには、人々に伝統的なキリスト教の枠を超えて、精神的な糧を与える思想家が現れた。アンリ・ベルクソンとピエール・ティヤール・ド・シャルダンである。

●ダーウィンの衝撃

 ベルクソンとティヤール・ド・シャルダンに共通するものは、キリスト教の肯定と進化論への独創的な対応である。そこで彼らについて書くために、ここで彼らが対応した進化論について述べる。
17世以来の科学の発達による世界観の変化、資本主義の発展による経済生活の変化、理神論や啓蒙主義、無神論の普及による思想的な変化が急速に進み、西方キリスト教徒の一部は、キリスト教を単純には信じなくなっていた。そこに登場したのが、進化論である。
 進化論は、フランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクにはじまる。彼は、19世紀の初めに、無機的世界だけでなく、生物の世界でもあらゆる物が変化する可能性があると説いた。その理論は、用不用説と獲得形質の遺伝説として知られる。
 ラマルクらの進化要因論を発展させてキリスト教の世界に大きな衝撃を与えたのが、イギリスの思想家、生物学者のチャールズ・ダーウィンである。
 ダーウィンは、1859年に刊行した『種の起源』で、進化要因論を体系的に提示し、センセーションを巻き起こした。ダーウィンは、海軍の観測船ビーグル号の探険航海に参加し、ブラジル、ペルー、ガラパゴス島、ニュージーランド、オーストラリアなどの世界各地を見てまわった。その間、膨大な数の動植物や化石の観察記録を作った。それをもとに、ラマルクらの進化要因論を独自に考察し、生き残ろうとする個体間の競争に基づく自然淘汰説を提唱した。これは、突然変異によって現れた個体が自然によって選択されることによって種の進化が起るという仮説である。聖書は、神が天地創造の後、すべての種を創造したと書いているので、ダーウィンの主張はこれと真っ向から対立するものである。
 さらにダーウィンは、1871年の著書『人間の由来』で、人間と類人猿はよく似ているので、これは過去同じ祖先の猿から分かれて進化したに違いないと論じた。聖書は、神が土くれからアダムを造り、アダムの肋骨からエヴァを造ったと書いているので、キリスト教界を中心に非難・反論が巻き起こった。彼の進化要因論は仮説に過ぎず、実験によって実証することは出来ていない。だが、彼の理論がキリスト教に与えた衝撃は、大きかった。天動説から地動説への転換に次ぐほどに大きな衝撃だった。
 ベルクソンとティヤール・ド・シャルダンは、ダーウィンの衝撃を受け止め、キリスト教を肯定する立場から進化論に基づく独創的な思想を提示して、人々に精神的な糧を与えた。

 次回に続く。