ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

3・18セミナーの講演7

2007-03-31 08:46:41 | 日本精神
 最終回。

●教育の改革が第一の課題

 戦後60年、日本の教育を規定してきた旧教育基本法は、占領下につくられたものだった。それを一字一句直すことなく、来てしまった。その結果、教育において多数の問題が生じている。教育の基本方針を示す教育基本法に、愛国心・伝統の尊重・公共心が定められていなかった。
 これではいけないと、ようやく昨年(平成18年)12月に教育基本法が改正された。100点満点ではないが、国と郷土を愛する態度、伝統の尊重、公共心が盛り込まれた。それによって、国に対する誇りを教える教育や、国旗・国歌について教える教育、道徳を教える教育がようやく可能になりつつある。

 いじめ自殺の頻発、学力の低下等、教育問題は山積している。これに取り組むため、教育再生会議が1月に改革のための報告を出した。『社会総がかりで教育再生を』と題し、公教育の再生のために、国民みなの参画を求めている。ゆとり教育の見直し、教員免許の更新制、教育委員会の機能の強化等をはじめ、戦後教育の本格的な改革がめざされている。

 しかし、いくら制度を変え、学校のあり方を変えても、家庭における教育がちゃんとされないとうまくいかない。家庭において、しつけをしっかりし、子どもに基本的な生活習慣を身につけさせることが必要である。改正教育基本法は、家庭教育・幼児教育について新たな条項を盛り込んだ。
 第十条に「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」とある。また、第十一条に「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」とある。
 しかし、多くの人はこのこと知らないのではないか。テレビ局がたくさんあり、朝から晩まで包装しているが、こういう大事なことを国民に徹底しようとしていない。やる気があれば徹底できることである。

 教育改革への取り組みが始まったように、日本はどん底を打って、ようやく上に向かい出した。だから、いま一人一人が教育や国のことを考えることが非常に重要な時にある。

●憲法の改正が根本的課題

 さらに、日本を立て直すための根本的な課題は、憲法の改正である。憲法といえば、第9条がまず話題に上がる。国防のことは、当然大事である。それとともに、憲法の全体をつくりなおす必要がある。憲法もまた占領下でつくられ、一字一句変えずに後生大事に今日まで来ている。大塚先生は、現行憲法を「亡国憲法」といっておられる。日本人自身の手で、自分の国の憲法をつくる必要がある。
 憲法は国柄を表すものだと先に述べたが、現行憲法には、日本の伝統・文化・歴史や自然と調和して生きる生き方が盛られていない。これを改め、憲法に、日本の伝統・文化・歴史・生き方を明記すべきである。また、個人の自由と権利に対し、責任と義務をバランスよく盛り込むべきである。
 また現在の憲法には、家族という概念がない。個人中心の内容となっている。家族に関する条項を設け、日本の家族を立て直すことが必須である。

 これから、今年(平成19年)7月の参議院選挙に向けて、憲法改正の議論が高まっていくだろう。憲法をどうするかは、国民の意思による。最後は、国民投票で決めることになっている。国民各自が関心を持ち、日本人自身の手で新しい憲法をつくりあげることが、日本再建の重大課題である。

●結び

 日本精神は、日本人だけのものではないと言った。私は、21世紀人類の課題は、二つに集約されると思う。一つは、世界平和の実現。もうひとつは地球環境の保全である。テロリズムや核兵器の拡散で、世界は対立・抗争がたえない。人と人が調和して生きる生き方が求められている。地球温暖化や森林破壊、砂漠化等が進行している。このまま行けば、人類はこの豊かな文明を失ってしまうかもしれない。人と自然が調和する生き方が求められている。
 こうした時、人と人、人と自然が調和して生きる生き方を示せるものは、日本精神しかない。世界平和についても、地球環境保全についても、日本には重大な期待が寄せられている。

 大塚先生は、「日本人は日本精神に帰れ」と訴えておられる。そして、21世紀には、日本精神が世界で重要な役割を果たすようになると説いておられる。ようやくその深い意味を理解する人々が出てきている。
 まず、日本を再建し、そして世界により貢献できるようにめざしたい。そのために、日本精神を取り戻し、さらに日本精神の神髄を学んでいただきたい。
 大塚先生の著書に、『真の日本精神が世界を救う』がある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872576896/mixi02-22/
 アサヒビール名誉顧問の中條高徳先生は、「憂国の士、特に若い人達の必読の書」と推薦の言葉を寄せてくださっている。是非ご一読をお勧めしたい。(了)

3・18セミナーの講演6

2007-03-30 08:53:17 | 日本精神
●戦後、日本人が日本精神を失ってきた理由

 戦前は、指導層が本来の日本精神を踏み外した。しかし、戦後は、国民全体が日本精神そのものを失ってきている。日本精神を失ってきたことは、戦争に負けた以上に大きな誤りを冒し続けているのである。
 戦後、日本人は自己本来の精神を失ってきている。それは、どうしてか。

 日本人は敗戦によって自信を喪失してしまった。欧州の国々であれば、しょっちゅう戦争をしているから、戦争に負けても、またいつかやりかえしてやるというくらいに考えて、善の悪のとは考えない。ところが、わが国は四方を海に囲まれた自然条件に恵まれ、外敵に攻められて敗れるということがなかった。そのため、たった一度の敗戦で自信を失ってしまった。そして、日本の過去のものは、良いものも悪い物も何もかも、封建的だとか古いとかいう理由で捨て去ってしまうという愚かなことをした。

 その背後には、占領軍による占領政策がある。占領軍は、日本が再びアメリカ及び世界の脅威にならないように、日本を弱体化させようとした。
 まず戦争の罪悪感を植え付け、日本人を精神的に骨抜きにしようとした。民族の歴史や記憶を忘れさせようとした。日本人としての誇り、愛国心を消し去ろうとした。
 教育勅語を否定し、修身教育をなくした。教科書から教育勅語は除かれ、日本人の道徳、精神的伝統を教えないようにした。
 憲法までを変えた。GHQがわずか1週間ほどで造った英文の憲法を押し付けられた。銃砲下で言論が規制されるなかで、英文を翻訳して憲法がつくられた。現行憲法は、日本の国の国柄・伝統・歴史にふれていない。前文を読んでも、どこの国の憲法かわからない。天皇の権威と権限を弱め、個人の自由と権利を強調し、責任と義務の少ない規定にした。そのため、国の中心が見失われ、国民が精神的に分裂するようになってしまった。

 戦後の焼け野原から復興するため、父母や祖父母の世代は、苦労した。しかし、経済成長・物質的繁栄が得られると、段々経済中心・もの中心の考え方に陥るようになった。
 国家や公共のことを考えず、個人や私の利益を追求するうちに、個人中心・自己中心の考えが広がった。それが家庭にも及び、家族の中でも個人中心・自己中心の考えが強くなった。その結果、親が子どもをちゃんと教育できなくなった。
 
●日本精神を取り戻すにはどうすればよいか

 こうして日本人は、自己本来の日本精神を失ってきた。このまま進めば、日本はますます傾いていくだろう。
 それでは、日本精神を取り戻し、日本を再建するには、どうしたらよいか。

 日本精神復興促進運動本部は、「日本再生のための三つの提言」をしている。

①国にする誇りを持ちましょう
②日の丸の国旗を立てましょう
③家庭に日本の心をとり戻しましょう

 これらの三つである。これらを実行することによって、日本人が日本精神を取り戻し、日本の再生を進めることができる。

 ①は、誇りある歴史を教える教育、②は、国旗・国歌に関する教育、③は、家庭において伝統を受け継ぐ教育というように、これらの提言は、すべて教育に関わってくる。
 その点で、現在、安倍政権が教育改革を第一の課題に挙げているのは、非常に意義があることである。

 次回に続く。

3・18セミナーの講演5

2007-03-29 09:30:53 | 日本精神
●現在では国柄も心も知らない

 ところが、現在では、多くの日本人は、自分の国の国柄を知らない。自分の国に伝わってきた日本人の精神を知らない。そのことが、今日の日本の社会に現れているさまざまな問題の根本原因にある。

 現代日本は、家庭を見ると、家庭の崩壊が起こり、親子・夫婦・兄妹のバラバラ殺人事件が頻発している。また、しつけのできない親が増えている。
 学校を見ると、いじめ自殺が増え、中学生が文科相に手紙を書いて、助けてくださいと訴えている。校内暴力は低学年化し、小学生が先生に暴力を振るう事件が目立っている。
 社会を見ると、企業倫理が低下し、社内の基準を超えた牛乳を使ってお菓子を作っていた会社が問題になっている。美しい国・日本の象徴である富士山では、ごみを捨てて帰る人が多く、富士山がごみの山のようになってきている。
 また国家を見れば、政治家の実態が報道され、事業所費・光熱水費などが取りざたされている。1000兆円ともいわれる膨大な財政赤字があり、それを子供や孫に押し付けるような形になっている。

 このように家族・学校・社会・国家のさまざまなところで、問題が吹き出ている。これらの根本にある原因は、日本人が日本の国柄を忘れ、日本人の心、日本精神を失ってきているところにある。

●戦前は、本来の日本精神からはずれて大敗

 なぜ日本精神は、失われてきたのか。
 敗戦後、日本精神が失われてきたと考える人が多い。確かにそうだが、大塚先生は、戦前から日本精神からずれてきていたと見ておられる。その大意を述べてみよう。

 明治時代の日本人は、日本精神を中心として一致団結していた。だから、6億のシナや3億のロシアに勝つことができた。ところが、日本人は、それ以後、段々、日本本来の特質を忘れ、一にも欧米、二にも欧米という考えにとらわれてしまった。大正の初めごろから、さかんに外来思想をとり入れ、それを中心に動いてきた。外来思想とは英米の資本主義、自由主義がそうだし、共産主義も入ってきた。その結果、本来の日本精神がないがしろにされ、政治家も日本の本質がわからなくなってしまった。
 日清・日露戦争に勝った後、アジアは安定し、自分から攻めて行かなければ他から攻撃されるような心配がなくなった。そうなると次第に、政治家が国のことよりも、自分の利益にとらわれて、腐敗・堕落していった。その政界の腐敗ぶりを見かねて、軍人が政治に口を出すようになった。明治天皇は、「軍人は政治に関与してはならない」という勅諭を出しておられるが、軍人がそのお言葉に背き、政治に介入するようになった。そして、青年将校などが、時の政府を倒せばなんとかなると考えて、5・15事件、2・26事件を起こした。また海外では、軍部が満州事変を起こし、支那事変にいたると、シナで泥沼のような戦いに引きずり込まれていった。
 当時、わが国では盛んに日本精神が唱えられていた。しかし、大塚先生は、当時の学者や文化人等が唱える日本精神は、本来の日本精神からはずれてきていると見ておられた。そして、昭和14年9月11日、「大日本精神」と題した建白書の送付を開始された。先生は、独伊と結ぶ三国同盟に反対し、対米英開戦に反対・警告された。奥様の国恵夫人が先生の書いたものを編集・印刷・発行された。毎回千余の建白書を、時の指導層に送り続けた。開戦すれば、日本は大敗を喫し、新型爆弾が投下され、大都市は焦土と化すと予言された。しかし、時の指導層はその建言を受け入れなかった。
 そして、ヒットラーやムッソリーニ等の覇道をまねた東条英機が、遂に英米と開戦した。そのため、日本は建国以来はじめての敗戦を喫してしまった。

 昭和天皇は、三国同盟に反対され、英米との開戦を避けるよう強く願われていた。当時の軍部は、明治天皇の遺勅に反し、昭和天皇の御心に背いて暴走した。

 戦後は、日本精神そのものが間違っているように教育している。しかし、日本精神が悪いのではない。指導者が日本精神を踏み外したのである。大塚先生は、大意このように説いておられる。

 戦後の日本は、いま述べたことを根本的に反省して、再出発すべきだった。しかし、その反省をせずに進んできていることに気づかねばならない。

 次回に続く。

3・18セミナーの講演4

2007-03-28 06:34:29 | 日本精神
●五箇条のご誓文と教育勅語

 明治維新にあたり、明治天皇は、五箇条のご誓文を発せられた。ご誓文は、近代国家日本の出発点において、国是つまり国家の根本方針を示したものである。
 第一条には「広く会議を興し、万機公論に決すべし」、第二条には「上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸(けいりん)を行ふべし」とある。天皇を中心に仰ぐ新しい国を作ったところ、天皇は、国民に対して、広く会議を行なって、何でも話し合って決めたい、身分の上下に関係なく、みな心を一つにして国づくりを進めたいと言っている。ここにも聖徳太子の「和の精神」が表われている。また、神武天皇の国民を「おほみたから」と思う心や「八紘一宇」の理想が生きていることがわかるだろう。

 「五箇条の御誓文」というと、五箇条だけと思っている人が多い。教科書には、五箇条しか載っていない。しかし、実は五箇条の下に、重要な言葉が続く。明治天皇の誓いの言葉である。その中に「万民保全の道」という言葉がある。国民すべての安寧を実現する道ということである。天皇は、国民すべての安寧を実現することを、天地神明に誓う。そして、国民には、協力・努力して欲しいと呼びかけている。それが、五箇条のご誓文である。

 次に、明治23年に、明治天皇は、教育勅語を発せられた。教育勅語は、日本の国の国柄とその心を表わし、これを教育の根本にすえたものである。
 冒頭に「朕(ちん)惟(おも)うに 我が皇(こう)祖(そ)皇(こう)宗(そう) 国を肇(はじ)むること宏遠に 徳を樹(た)つること深厚なり」とある。皇祖皇宗とは、皇祖が天照大神、皇宗が神武天皇と解するのが有力な説である。皇祖皇宗つまり皇室のご先祖が、国を始めたとき、徳というものを立てましたというのが出だしの意味である。その徳とはなにか。これが先ほど述べた「仁」である。天皇が国民に対し、いつくしみ、思いやりを持ってまつりごとを行なうことである。
 こうした天皇の御心に応えて、国民は、君に忠、親に孝を実行してきたと勅語は言う。それが「我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に」の意味である。
 忠とはまごころを意味する。まごころをもって、天皇に仕えることを、君に忠という。親に孝とは、子どもが親を大切にすることをいう。このようにして、国民が忠孝を実行してきたことが、日本の国柄の最も美しいところだと勅語はいう。
 勅語は、それを、教育の根本にすえようと言っている。「億兆心を一にして 世々厥(そ)の美を際済(な)せるは 此(こ)れ我が国体の精華にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す」というのがその部分である。

 勅語は、続いて、家庭における道徳、社会における道徳、国民としての道徳を具体的に説く。それは、学校教育だけでなく、家庭教育の指針ともなっていた。だから戦前の世代の日本人は、うそをつかない、約束を守る、よく働く、みなで助け合うなど、外国人も驚くような立派な国民性を持っていた。

●日本精神の神髄

 このようにして、神武天皇の詔、十七条憲法、五箇条のご誓文、教育勅語に一貫して伝わってきたもの。それが、日本人の精神、日本精神といえる。
 日本精神という言葉は、戦前広く使われた。昭和8年から日本精神がブームのようになり、多くの学者や有識者が、日本精神を説いた。そのほとんどは、古事記・日本書紀などの書物の中から、日本精神とはこういうものだろうと考えた。しかし、大塚寛一先生の説く日本精神は、それらととらえ方の深さが違う。

 大塚先生は、真の日本精神は、宇宙の根本原理、万物を生み出す原動力の表れだという。その根本のところまで把握しないと、本当の日本精神とは言えないという。聖徳太子の「和」の精神は人の和を説くものだが、大塚先生は、宇宙万物を貫く法則、調和の理法に立って、日本の国に伝わる精神を見ておられる。そして、日本精神とは、宇宙の根本理法が人間生活のうえに表われたもので、自然の法則にかなっていると説いておられる。
 こうして大塚先生は、宇宙の根本理法を体得された境地、万有生成の原動力を発揮されるお立場から、日本精神の神髄を初めて明らかにされた。

 真の日本精神とは、宇宙の法則にのっとって、人と人、人と自然が調和して生きる生き方である。だから、世界中どこにもあてはまる精神である
 私たちの先祖は、日本精神の神髄のところまでは、把握できていなかったものの、親から子、子から孫へと日本人の心を伝えてきた。それによって、世界にも稀な立派な国柄を形成し、維持・発展してきた。そのことを今も明らかにしているのが、台湾である。
 金美齢氏がいうように、台湾では、今日も日本精神をリップンチェンシンといって大切にしている。日本精神は、誠実、勤勉、礼儀正しさなど人間のよいところを集約した言葉として、使われているという。

 次回に続く。

関連掲示
・日本精神の神髄については、以下をご参照のこと。
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/keynote.htm

3・18セミナーの講演3

2007-03-27 09:48:42 | 日本精神
●「わ」の国の「和」の精神

 わが国の国名は、日本(にっぽん)という。「日(ひ)の本(もと)」の国、つまり太陽のもとにある国、太陽が昇る国を意味する。それを旗に表したのが、「日の丸」である。国名と国旗が深く結びついている。
 もっと古くは、国名を「わ」と言ったらしい。「わ」は、「輪・環」を意味する言葉だ。シナ人に、お前の国の名はなんと言う、ときかれて、「わ」と言うと答えたのだろう。それでシナ人が、「倭」の文字を当てた。「倭」は、背が曲がってたけの低い小人をいう。日本人の先祖は、この字を嫌って、「和」の字を当てた。また国の中心、都を表わす「やまと」という地名に「大和」の文字を当てた。「大和」を「やまと」と読むのは、まったくの当て字である。日本人の祖先は、それほど「わ=和」を重んじたのだろう。

 こうした和を重んじる考え方を理念として表現したのが、聖徳太子である。約1400年前、推古12年(604)に太子は、十七条憲法を制定した。太子は、その中で「和の精神」を説いた。また同時に、わが国のあり方、国柄を表現した。
 憲法第一条は、「和をもつて貴(とうと)しとなし…」という言葉で始まる。「和をもつて貴(とうと)しとなし、忤(さから)うことなきを宗とせよ。(略)上(かみ)和(やわら)ぎ、下(しも)睦(むつ)びて、事(こと)を論(ろん)ずるに諧(かな)うときは、すなわち事(じ)理(り)自(おのず)ら通(つう)ず、何事(なにごと)か成(な)らざらん。」とある。「お互いの心が和らいで協力するのが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。(略)人々が上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらはおのずから道理にかない、何ごとも成し遂げられないことはない」というような意味である。
 太子は、「和」という言葉で、単なる妥協や融和を説いているのではない。「人々が調和すれば、道理にかない、どんなことでも成し遂げられる」という積極的な理念を説いている。

 また、太子は続く条文において、「和」を実現するための心構えを説いている。すなわち、第十条では人への恨みや怒りを戒め、第十四条では人への嫉妬を禁じている。第十五条では「私(わたくし)」を超えて「公(おおやけ)」に尽くすように説いている。そして、最後の第十七条には、「独り断ずべからず。必ず衆とともに宜しく論ずべし」と記されている。「重大な事柄は一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである」というのである。

 聖徳太子の「和」の精神は、一般に調和が大切という程度の意味と思っている人が多い。しかし、聖徳太子が説いたのは、「天皇を中心とした和の精神」である。ここをしっかり把握したい。
 第三条に「詔を承りては必ず謹(つつし)め」とある。天皇からお言葉を頂いたら、謹んで受けよというのである。太子は、豪族・官僚たちに天皇の言葉に従うように記している。
 第十二条には、「国に二君なく、民に両主(ふたりのあるじ)なし。率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以って主(あるじ)となす」とある。ここにも「おほみたから」が出てくる。国に二君はなく民に二人の君主はいない。国中の民は、天皇を君主とする。国民統合の中心は、天皇であることを明記している。
 第十五条には「私に背きて、公に向(おもむ)くは、是れ臣(やっこ)が道なり」とある。私の利益を超えて公のために向かって進むのが、臣下たる者の道であると説いている。
 ここに日本における天皇と国民のあり方が示された。さきほど国柄を具体的に表すものが憲法だと言ったが、十七条憲法は、日本の国柄を表現している。

 こうして太子は、天皇を中心として国民が統合された国のあり方を、理想として打ち出した。神武天皇の理想を受け継いだものといえる。
 太子の理想は、大化の改新や律令制において追求された。その後、平清盛、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉など有力者がいろいろ出たが、誰も皇室をおかして成り代わろうとする者はなく、皇室は一貫して存続してきた。
 19世紀半ば過ぎ、幕末に、欧米列強が押し寄せ、民族存亡の危機に直面した。このとき全国各地で草莽の志士達が立ち上がった。吉田松陰、西郷隆盛、坂本竜馬らだ。彼らは、天皇を中心とした新しい国づくりをめざした。

 次回に続く。

3・18セミナーの講演2

2007-03-25 08:41:23 | 日本精神
●日本の心~「おほみたら」と建国の理想

 では、こうした国柄を持つ日本に伝わってきた心とは、どういうものか。
 昨年、皇室に実に40年ぶりに、男のお子様が誕生された。悠仁様と名付けられた。お名前には、「仁」という文字が使われている。明治天皇、大正天皇、昭和天皇、今上陛下、皇太子様、秋篠宮様等、みな「仁」がお名前についている。皇族男子は、お名前にみな「仁」という文字をつけている。これは平安時代からの伝統だという。このことは、皇室が「仁」ということを非常に大切にされていることを表わしている。「仁」は、いつくしみ、思いやりを意味する言葉である。

 「仁」のルーツは、はるか歴史をさかのぼる。
 小学生に最初の天皇は誰かと聞くと、推古天皇、仁徳天皇などと答える。初代は、神武天皇だが、教科書に載っていない。だから子どもたちは、最初の天皇の名を知らない。
 神武天皇は、一説によると2667年前に、奈良県橿原の地で、最初の天皇の位についたとされる。そのとき、「橿原建都の詔」を発したとされる。その詔(みことのり=天皇のお言葉)の中に、国民を意味する言葉として「民」「元元」という文字が出てくる。これらの文字は「おおみたから」と読む。宝物だというのである。神武天皇は、国民を宝物のように大切に考えた。ここに「仁」のルーツがある。

 「橿原建都の詔」には、次のような部分がある。
 「六合(くにのうち)を兼(か)ねて以(も)って都(みやこ)を開(ひら)き、八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為(せ)むと、亦(また)可(よ)からずや」
 これは、「国中をひとつにして都をひらき、天の下を覆ってひとつの家とすることは、また良いことではないか」といった意味である。
 国中が一つの家族のように暮らせる国、世界中が一つの家族のように暮らせる世界をつくりたいーーそれが、日本建国の理想である。この建国の理想を一言で表す言葉が、「八紘一宇」である。八紘一宇は、日本がアジアを侵略するスローガンのように誤解されているが、東京裁判では、なんら侵略的な意図のない言葉だと確認された。英語ではuniversal brotherhoodと訳される。人類みな兄弟という意味になる。

 他の国では、国王・皇帝は、自分の権力を求め、国を支配し、国民から搾取する。それゆえ、それに恨みを抱いたものが、政権を奪い、新たな王朝を立てる。それを繰り返してきた。
 それに対し、日本では、建国の理想のもとに、天皇が国民をわが子のようにいつくしみ、国民に思いやりを持ってまつりごとを行う。国民はこうした天皇の御心に応え、天皇をわが親のようにしたい、天皇を中心として国民が家族のように結び合って生活してきた。だから、神話の時代から21世紀の今日まで、一系の皇室が125代も続いている。

 こうしたわが国では、各家庭にあっては、親は子供を愛情を持って育て、子どもは、親が年を取って弱ってもどこまでも大切にする。夫婦は、男女の特長を認め合い、欠点を補い合って、和を心がける。また祖先を大切に祀り、子孫の幸福・繁栄を願う。そうした家庭が寄り集まって、一つの国をなしている。社会にあっては、人々が助け合い、共存共栄を心がける。海外の文化も積極的に取り入れて、固有のものと調和させてしまう。その国全体の要に皇室があり、国民は皇室を中心として団結して生活する。
 これが、日本のもともとの姿であり、これこそ、日本人が世界に誇ることのできる国柄であり、その心である。

 次回に続く。

3・18セミナーの講演1

2007-03-24 09:58:02 | 日本精神
 3月18日、千葉市民会館で、「明けゆく世界セミナー2007 in 千葉」が開催された。主題は「世界に誇れる日本の国柄とその心~なぜ今、日本精神なのか」である。本セミナーは、「明けゆく世界の集い 千葉地区」の主催、日本精神復興促進運動本部の協力にて行なわれた。私は講師として参加した。
 プログラムの前半は、4人の青年によって意見発表やプレゼンテーションが行なわれた。続いて後半では、私が講演を行なった。
 小さな会場での集まりだったが、マイミクシイやインターネットで催しを知った方々も来てくださった。参加を希望していたが来られなかった人もいるので、私がお話したことの概要を掲示する。7回になる予定。

●自己紹介と構成の説明

 私は約30年前、学生時代に大塚寛一先生の教えに触れて感動した。以来、大塚先生の教えを学びながら、真の日本精神を伝える運動に携わっている。
 大塚先生は、戦前建白書を送付して三国同盟・米英開戦に反対された。しかし、時の指導層は建言を受け入れず、わが国は大敗を喫した。戦後、大塚先生は、日本精神復興促進運動を展開された。それを受け継いで、現在も全国各地でフォーラムやセミナーを通じて、日本精神を取り戻そうと呼びかけている。

 去る3月11日には、名古屋にて、中條高徳先生、金美齢先生にご登壇いただき、「日本の再生は家庭教育から」と題したフォーラムを行なった。私もパネリストして、両先生と語り合った。
(註 名古屋のフォーラムについては、以下をご参照のこと)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=372228773&owner_id=525191

 さて、本日のセミナーは、「世界に誇れる日本の国柄とその心」を主題としている。これから日本の国柄の特徴は何か、日本の国に伝わってきた心とはどういうものか、それがなぜ今日、失われてきたのか、それを取り戻すにはどうすればよいか、についてお話したい。

●日本の国柄と皇室の存在

 まず国柄について。日本といえば、昔はフジヤマ・ゲイシャといわれた。最近はドラえもん、ポケモンが日本のイメージになったりしている。しかし、日本の伝統や文化をよく知る外国の有識者は、日本の国のほかの国にない特徴として、皇室の存在をよく挙げる。
 現在の天皇は第125代。古代から今日まで一系の皇室がずっと続いている。こういう国は、他にない。イギリス、デンマーク等の王室は、せいぜい数百年。シナは、古代から王朝が何度も変わり、いろいろな民族が入って支配している。

 国柄を具体的に表すものを憲法という。英語では、国柄と憲法を一つの言葉で表す。constitution がそれだ。
 戦後の憲法は、主権在民、戦争放棄、基本的人権の尊重を三原則だと学校では教えているが、本当にそうか。憲法には、三原則の前に、日本の特徴を表わしているものがある。本文を読むと、第1章は、天皇と題されている。第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」であると書かれている。そこに、国柄が表されている。

 わが国は、皇室が国の中心に存在し、皇室を中心に国民が団結して、歴史が織り成されてきた。これが日本の国柄の最大の特徴である。この国柄の特徴を学ぶことなくしては、日本の歴史・伝統・文化を深く理解することはできない。
 戦後の学校教育は、この点を教えていない。自分の国のことを知らない青少年を日々作り出している。海外に出て、日本のことを聞かれて、答えられず、自分が自分の国のことを教わっていないことに気づく若者が多い。教育が間違っている。

 次回に続く。

麻生太郎氏の講演を聴く4

2007-03-22 09:25:30 | 国際関係
 麻生外務大臣は、インドの地下鉄工事で、日本人が現地の人と一緒に働いたと語った。アラビア海での給油、サマーワでの自衛隊員の規律、ラオスの日本橋のことも聴かせてくれた。
 それを聴いて思ったことが、もう一つある。現代の日本人が海外でしているのと同じようなことを、戦前の日本人も海外で行なっていたのだろう。言い換えると、戦前の日本人が海外でしたのと同じようなことを、日本人は今日も海外で行なっているのだろうということである。

 日本は戦前、台湾や朝鮮半島を領有していた。当時のことをいろいろ非難されるが、日本人は、悪いことばかりしたのでは決してない。日本人は、学校や病院やダムを作り、米や作物が豊かに取れるようにした。日本が作った橋や建物は非常によくできており、今も台湾や韓国・北朝鮮の発展の礎になっている。戦前の日本人は、誠実に、勤勉に、建設や開発に努めたのだろう。今日インドやラオス等で、汗水流して働いている日本人と同じように。

 大東亜戦争の最中、日本人は各地で激しい戦いを戦った。その間の出来事について、わが国は、60年以上たっても海外で槍玉に上がっている。戦争は殺し合いだから、恨みは残る。しかし、そんな中でも、日本人は、今なお感謝・賞賛されていることを多数行なっている。サマーワで任務を果たした自衛隊員と同じように、戦前の日本の兵士たちは、現地の人々のために、真面目に、親身に、尽くしたのだろう。

 麻生氏が述べたデリーの地下鉄工事の話は、私の中で、デリーという地名とともに、ある史実と重なり合う。インドの独立に日本人が貢献したことである。
 昭和16年9月、日米交渉が難航し、米英との戦争が避けがたい状況に陥った。その時、藤原岩市少佐は、特務命令を受けた。命令は、マレー半島の英国軍の中核をなすインド兵に対して、投降工作を行い、インド独立の基盤をつくることだった。藤原少佐が率いる特務機関は、「F機関(藤原機関)」と呼ばれた。
 12月8日、大東亜戦争が開戦された。日本軍は破竹の勢いでマレー半島を南下した。英国軍の一大隊が、退路を断たれ、孤立しているとの情報が入った。英国人は大隊長だけで、中隊長以下は、すべてインド人だった。
 この時、藤原少佐は一切武器を持たずに、この大隊を訪れた。少佐は、大隊長と会って全隊を投降させることに成功した。そして、約200名のインド人投降兵の身柄を預かった。この中に、後にインド国民軍を創設したモハン・シン大尉がいた。

 英国人はインド人を奴隷視・家畜視し、彼らと食事を共にすることなどなかった。しかし、藤原少佐は、インド兵達と共に、インド料理を手づかみで食べた。これには、インド人もビックリ。
 日本人は、インド人を同じ人間として扱ったのだ。彼らの心をつかんだ藤原少佐は、モハン・シン大尉を説得した。この戦争こそ欧米の支配からアジアが独立する絶好の機会だ、インド人自身によるインド国民軍を創設すべきだ、と。このインド国民軍が、インド独立の力となっていった。

 このほど地下鉄が敷設されたデリーの町は、インパール作戦で、インド国民軍が解放をめざした土地だった。インパール作戦は、大東亜戦争末期における最も無謀な作戦といわれる。しかし、日本人はインド人とともに、インドの解放のために血を流した。彼らの合言葉は「チャロー・デリー!」(征け、デリーへ)だった。

 「インドの独立は、日本のお陰で30年早まった」と、藤原少佐らは、インドの人々から感謝されている。
 平成10年(1998)、インド国民軍(INA)全国委員会は、靖国神社に感謝状を奉納した。そこには「インド国民は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本帝国陸軍によってもたらされました。ここに日印両国の絆がいっそう強められることを祈念します」と書かれてある。

 インドに限らない。インドネシアでも、パラオでも、日本人の心の美しさを伝える話が伝わっている。韓国でも台湾でも、そういう話は多数ある。
 そうした話が信じられるのは、今日も日本人が海外で同じようなことをしているからである。逆に言うと、戦前の日本人、私たちの親や先祖は、いま日本人が海外の各地で行なっているのと同じようなことをしていたのだろうと、私は思う。
 おそらく、もっと愚直に、もっと純真に、もっとたくましく。
 
 麻生氏の講演を聴いて、こんなことを私は思った。私たちは、日本人のよいところを確認し、日本人としての誇りを取り戻し、祖先から受け継いだ日本精神を大切にすべきなのである。(了)

関連掲示
・拙稿「日本人はインドネシア独立に協力した」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind06.htm
 上記の18
・拙稿「パラオの国と『日の丸』の話」
http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind03.htm
 上記の07

麻生太郎氏の講演を聴く3

2007-03-21 10:14:09 | 国際関係
(麻生氏の講演の大要の続き)

 アフガニスタン紛争で、日本の自衛隊が、インド洋で外国の艦船にオイルを補給している。イギリス、フランス、オランダ等の船に給油している。それで日本は非常に感謝されている。
 補給中は、ニ船が並行して走る。その時が一番狙われやすい。アラビア海の波は荒い。日本の給油船は艦船に近づいてきて、パッと補給して、パッと離れる。ガソリンスタンドで、給油口にホースを入れるが、それと同じことを、荒れた海の上でする。日本人はパッと入れて、パッと終わらせる。「ゴッド・ハンド」と言われている。それもゲーム感覚でやっているらしい。

 自衛隊員に聞くと、アラビア海の任務は楽だという。日本の海峡は、潮流が早くて変化が早い。そこをいつも通っているから、アラビア海の航海は楽だというのだ。それに海外赴任手当てがついて貯金もたまると言って、とても明るい。

 サマーワで、日本の自衛隊は、脱走兵、無銭飲食、婦女暴行が一つもない。他国では考えられないことだ。イギリス・アメリカは、日本は下士官ばかりを集めたのだろうと思って調べたが、そうではなかった。任務中に20歳の誕生日を迎えた人が、50人以上もいたのだ。20歳なら下士官ではありえない。はたちのアンちゃんが、日本のブランドを上げている。若い自衛官が、日本のイメージを作っているのだ。

 BBCが、世界27カ国のうち、世界に与える影響の大きい国について発表した。おととしは、日本がNo.1。去年も、カナダと並んで日本がNo.1だった。
 外務省の役人は、こういうことの意味を考えない。日本の影響力の大きさを踏まえて、これからやっていきたい。
 発想を転換する必要がある。そこで、私は、外交の三本柱に加えて、「自由と繁栄の弧」ということを考えた。

 日本に入ってくる石油の90%は中東からだ。中東が安定しなければ、日本は危うい。
 日本の石油利用の効率は、中国・韓国・アメリカより、10倍、20倍よい。だから、トヨタのレクサスやプリウスが売れる。アメリカはフェアーな国だ。以前は、日本車の不買運動があったが、今はそういうことがなくなった。日本企業は、現地に進出して工場を作り、雇用を生み出している。日本車は静かで、燃費がいい。いい車を安く売っている。だから売れている。アメリカ人はそれを認めている。アメ車が売れないのは、GMが悪いのだと彼らは言う。そういう意味では、フェアーな国だ。

 建設会社も海外の仕事が多くなっている。不況だから仕事がないと言うのではなく、発想の転換が必要だ。
 ラオスに行くと、メコン川に日本の建設会社の作った橋がかかっている。洪水になっても、日本の橋だけは残る。日本の川は、急流で水かさが急に増す。それで流されない橋を作っている。だから、技術が高い。メコン川のようにゆっくりと水かさが増す川なら、洪水でも流されない橋を、日本は作れる。だから、日本に頼もうということになる。その橋は、切手になっている。今度はお札にもなる。感謝の気持ちを表わすために、それが一番良いと考えたのだ。橋の名前は「日本橋」という。

 最後になるが、そんなことを言っても、日本は高齢化していくからと言う人がいる。高齢者についても考え方を変えたほうがいい。高齢者は元気だ。周りが迷惑するくらい元気な人がたくさんいる。85%は元気だ。要介護は15%のみだ。それに高齢者は、金を持っている。1400兆円の個人資産のうち、700兆円は70歳以上が持っている。老人に金を使わせることを会社は考えろ。高齢者は、金持って、元気で、だけどさびしい。だから老人が喜ぶものを作れ。入れ歯でも食べられる柔らかいステーキをつくったらどうだ。お子様ランチだけでなく、シルバーランチを作れ、と私は前から言っている。
 日本は人口が減っている。だからものが売れないと言う。海外に行けば、人はいくらでもいる。トヨタは、海外に出て行って、そこで車を作って売っている。発想の転換が必要だ。


参考資料
・ラオスの日本橋
http://www.apic.or.jp/plaza/oda/topic/20070118-02.html
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 あっという間の1時間。麻生氏は、生き生きと語り続けた。麻生氏の話には、みなを元気付け、自信を持たせ、硬直した発想を破らせるパンチがある。これはリーダーに必要な美質である。特に若者をやる気にさせるには、絶対に欠かせないものだ。
 インドの地下鉄や、アラビア海の給油、サマーワの規律の話を聴いているうちに、私は涙が出た。私の5~6m先に立って自分の感動を語る麻生氏の姿に、私は、ふと維新のリーダーを想った。草莽の志士たちは、こうやって年少者を鼓舞したのではないか。そんな考えが心をよぎった。21世紀東京のホテルの一室にいながら、幕末のどこぞの藩校にでもいるような気がした。

 講演が終わると、麻生氏は満面に笑顔。ここぞという場面でホームランを打ったか、ナイスシュートで逆転を決めたスポーツマンのような、純真な笑顔だ。

 私の受けた印象は、タフな政治家という以上に、発想力・突破力のあるビジネスマンという感じである。アメリカの政府は、多国籍企業の経営者が、そのまま外交や財務・商務のトップをやる。官僚上がりや世襲の議員では、太刀打ちできない。氏のようなしたたかなタイプが、日本の政界には、もっと必要だろう。
 次は、憲法・教育・家庭に関する意見をじっくり聞いてみたい。また、内政・外交全般にわたる構想を、本にして出してもらいたいと思う。

次回、感想をもう少し書く。

麻生太郎氏の講演を聴く2

2007-03-20 11:11:14 | 国際関係
(麻生氏の講演の大要の続き)

 アジアは、昔は貧しい地域だった。しかし、いまは台湾、韓国、シンガポール、香港のミニ・ドラゴンをはじめとして、アジアが繁栄している。ミニ・ドラゴンの4国は、日本との付き合いが深かった。付き合いの深い順に豊かになっている。
 華僑は、日本と付き合ったらもうかるということがわかった。それで、タイやマレーシア等も日本と付き合うようになって、発展してきた。

 なぜアジアは、うまくいったか。アフリカは欧州が、中南米はアメリカが、日本と同じことをした。しかし、アジアだけが繁栄した。それは、日本人は現地の人と一緒に働くからだ。
 私はシエラレオネに2年、ブラジルに1年住んでいたが、イギリス人やフランス人が現地の人と一緒に働くのを見たことがない。『やってみせ、いって聞かせて、させてみて、褒めてやらねば人は動かじ』というのは山本五十六の言葉だが、日本人は、一緒に働いてやってみせる。それが、アジアとアフリカ・中南米の違いになっていると思う。

 「俺たちの国は、おたくと同じで国は小さい。37万平方メートルしかない。そのうえ、おたくみたいに天然資源はない。でもやり方によっては、成功できる。そのやり方を教えますよ。俺たちと一緒に組みませんか」。こういうプロポーザルをすればいい。

 国によってみな違う。その地に合ったものをやっていく必要がある。ヨーロッパのように一律のやり方ではだめだ。ヨーロッパだって、中欧・東欧では違う。

 インドのデリーで地下鉄を見てきた。これは日本のODAで作られたと大きな看板が出ていた。どこかの国のように、ODAをもらっているのを国民に知らせていないようなことはしていない。それだけではない。エスカレーターを降りると、円グラフで4分の3は日本が出したと、緑で塗ってあった。言葉がわからない人のために、緑のところに、日の丸が書いてあった。
 地下鉄工事の副総裁をしていた人に会った。その人が、これは日本の金で作っただけでなく、日本人と作ったのだという。1日目、朝8時集合だというので、行ったら、日本人は全員来ていて、みな作業服を着て並んでいた。インド人がそろったのは、8時17分か18分だった。日本人の監督は、「8時と言ったら、8時から作業開始なのだ。背広で作業ができるか!」と言った。それで、次の日は、7時45分に行ったら、日本人はもうみな来ていた。それで次の日は、7時30分に行ったら、ようやく日本人と一緒に着替えができた。

 彼らが覚えた日本語は、ただひとつ。「ノーキ」。納期だ。日本人は、すべて納期、納期という。6時まで働いて、帰ろうとすると、監督が「あと2時間で終えられる」と言う。それで8時まで働いて終わらせた。こういう具合だから、工事が予定より、2ヵ月半早く終わってしまった。こんなことは、インドではいまだかつてなかったという。
 工事が終わったら、次に日本人が言った言葉は、「オンタイム」。今度は英語だ。全員がストップウオッチを持って、地下鉄に乗り込んできた。そして、電車が時間とおりに運行されるかどうかをチェックする。それで、この地下鉄だけは、インドで時間通りに動いているという。
 インドで工事がこんなに早く終わり、ちゃんと時間通り運行しているのは、この地下鉄のみだという。
 日本人が現場でインド人と一緒に働いて労働の大切さを教えた。現地の人たちは、彼らのような日本人が、最高のアンバサダー(大使)だと言う。
 外務省の役人は、こういうことを知らない。それでは、ものの見方を誤る。

 次回に続く。

参考資料
・インド・デリーの地下鉄
http://doraku.asahi.com/earth/abroad/column/060920.html