昨日の錬成会の大和を見ていてあらためて感じたこと。
それは、やはり子供というのは親の影響が大きいということです。
昨日、大和は同級生のライバル君と延々と乱取りをしていました。
昨年の全国大会でも入賞している選手ですので、当然、投げられることもあって厳しい練習になるのですが、お互い納得がいくまでやっていました。
重量級選手とはともあれ、大和も自分と同じ階級の同級生あったり、やらなければならないと思う選手とは積極的に練習をしていました。
兄貴達の時の頃を思い起こしてみると、当然、それぞれにライバルがいて、錬成会等では必ずそんな選手とも乱取りをしていました。
でも、今思えば決してやりたくてやっていたわけではなかったと思います。
特に大悟なんかは常にボロボロになりながらの戦いになるので、本当に苦しかったと思うのですが、私の目があるから、とりあえずやっておかないといけない部分があったと思うのです。
そして、そんな練習を終えると一つの義務を終えたような感じで、自ら、もう一本!とお願いするようなことはあまりなかったと思います。
その違いは何か?
やっぱり親である私のプレッシャーのかけ方しかないんですよね。
投げられようが、負けようが、どっしり構えて、普通に良い部分を褒めて、悪い部分の修正をしているだけだったらプレッシャーに感じることはないでしょう。
勿論、それだけでは根性の部分はなかなか養えないのかも知れませんが、『自由』であったり『心の余裕』は柔道スタイルも大きく変化させます。
大悟の場合、合同練習等で一緒に戦ってくれる同級生が1人もいなかったもので、重量だろうが何だろうが全ての選手を自分が相手しなければならないのは辛かっただろうし、プレッシャーの中でも根性の部分は養ってはくれたとは思うんですけどね。
生まれ持っての能力だったり性格の違いもあるかも知れませんが、親の接し方で子供は大きく変化がある。
だから、親もずっと勉強なんだろうな。