先日、ジェフリー・サックスの「世界を救う処方箋」を読んだ。内容は、リベラル派から見たアメリカである。若い人にはアメリカの政治経済を知るための良書だが、筆者にとっては、見知ったアメリカである。ただ、そこから受けた印象は、かつて知った時とは、随分、違ったように思えた。小さな政府の「病」は、いまや日本の問題でもあるのだと。
日本の政治経済の主流の思想は「近代化」であり、その推進役は官庁であった。産業技術を取り入れ、設備投資を進めて資本を蓄積する。輸出を増やすとともに、貿易や資本の自由化も受け入れていく。また、社会資本を建設し、高等教育や社会保障を徐々に整える。そうした営みである。欧米にあるものを、日本なりに消化して実現することとも言える。
一般的には、欧米へのキャッチアップは、高度成長期までに達成されたとされるが、社会資本は、1980年代でも不十分と思われていたし、社会保障は、最後の大型制度の導入となった介護保険の法制定は1997年のことだった。そして、1997年にハシモトデフレを引き起こしたことで成長力を喪失し、財源捻出に難渋するようになって、子育て支援については未完のままとなっている。
………
ハリウッド映画では、大企業が悪役の後ろ盾として、よく登場するが、日本人にとっては、今一つ実感が湧かないのではないか。こうした大企業への反感は、アメリカではごく普通のもので、サックス先生が指摘するところの、大企業や富裕層が政治経済を支配する「コーポレートクラシー」が反映されたものである。
日本では、まだ、大企業に対する反感は見られない。それには、いくつか理由があって、「企業にとって良いことは、日本にとって良いこと」という感覚がまだ残っていることである。近代化の過程では、資本蓄積が成長につながったから、それは自然なことだった。ところが、もはや日本でも、企業は国内に投資しようという気持ちを失っている。
消費税を増税し、法人税を減税する戦略は、日本の「小さな政府」派が大好きなものだ。財政再建で金利上昇を防ぎ、設備投資を刺激して成長率を高めるというのが建て前になっている。しかし、実際には、消費増税による需要低迷が設備投資の意欲を一層下げ、法人減税が税収に大穴をあけるだろう。財政当局と経済界は、この戦略で結託しているわけだが、建て前とは逆の結果になる。
日本の企業も変わったと感じたのは、管内閣での2011年度の予算編成過程における税制改正の論議である。法人減税を求める経済界に対し、財政当局は租税特別措置の縮小を条件にして抵抗を試みた。筆者は、「租特の業界益を超え、経済界の全体利益を取るのは難しかろう」と見て、「財政当局もやりおる」と頼りにしておったが、あっさり純減税が決まった。当然、消費増税への支持と引換えという趣旨もあったろうが、経済界にしても、個別の投資促進税制より、一般的な減税がうれしいと思う時代が来たのだなと感じた。
まあ、日本のような需要の伸びない国に、設備投資せよと言う方が無理なのだろう。設備投資のつもりがなければ、法人減税をしてもらい、配当を増やしたり、M&Aでもしたりする方が良くなる。もし、設備投資をするにしても、国内でなく海外だ。こうした行動を裏付けるニュースは、毎日のように日経をにぎわせている。海外投資も、多少は国内雇用は増やすだろうが、それを開き直って役所が強調しなければならないほどになった。
むろん、財政当局と経済界は、建て前を信じてないだろう。消費増税で3年連続でマイナス成長になったとしても、税率さえ上げておけば、いずれ税収は戻るだろうし、内需が潰れようと、海外で稼げば業績は伸ばせる。日本では資金調達だけで良い。結果として、日本が成長してくれるに越したことはないが、そうならなくても、目先で取れるもので十分というところだろう。
………
近代化の過程で、官庁と企業が欲したものは、国民のためにもなった。だから、アメリカに比べれば、日本における官庁と企業に対する評価は高い。しかし、それも、アメリカ同様、日本でも変わりゆくのかもしれない。サックス先生がアメリカ社会の分裂を嘆き、コーポレートクラシーを終わらせようと訴える姿は、筆者には、もう日本とは違う国の悩みとは思えなくなってきているのである。
(つづく?)
(今日の日経)
KDDIがスマートテレビ。LIBOR操作・業界ぐるみ当時から疑い。消費増税には政権交代して良かった。銀行との間合い・滝田洋一。維新八策第三の極の旗に小さな政府や規制緩和。英社買収でアジアの縫製拠点を拡充。
日本の政治経済の主流の思想は「近代化」であり、その推進役は官庁であった。産業技術を取り入れ、設備投資を進めて資本を蓄積する。輸出を増やすとともに、貿易や資本の自由化も受け入れていく。また、社会資本を建設し、高等教育や社会保障を徐々に整える。そうした営みである。欧米にあるものを、日本なりに消化して実現することとも言える。
一般的には、欧米へのキャッチアップは、高度成長期までに達成されたとされるが、社会資本は、1980年代でも不十分と思われていたし、社会保障は、最後の大型制度の導入となった介護保険の法制定は1997年のことだった。そして、1997年にハシモトデフレを引き起こしたことで成長力を喪失し、財源捻出に難渋するようになって、子育て支援については未完のままとなっている。
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ハリウッド映画では、大企業が悪役の後ろ盾として、よく登場するが、日本人にとっては、今一つ実感が湧かないのではないか。こうした大企業への反感は、アメリカではごく普通のもので、サックス先生が指摘するところの、大企業や富裕層が政治経済を支配する「コーポレートクラシー」が反映されたものである。
日本では、まだ、大企業に対する反感は見られない。それには、いくつか理由があって、「企業にとって良いことは、日本にとって良いこと」という感覚がまだ残っていることである。近代化の過程では、資本蓄積が成長につながったから、それは自然なことだった。ところが、もはや日本でも、企業は国内に投資しようという気持ちを失っている。
消費税を増税し、法人税を減税する戦略は、日本の「小さな政府」派が大好きなものだ。財政再建で金利上昇を防ぎ、設備投資を刺激して成長率を高めるというのが建て前になっている。しかし、実際には、消費増税による需要低迷が設備投資の意欲を一層下げ、法人減税が税収に大穴をあけるだろう。財政当局と経済界は、この戦略で結託しているわけだが、建て前とは逆の結果になる。
日本の企業も変わったと感じたのは、管内閣での2011年度の予算編成過程における税制改正の論議である。法人減税を求める経済界に対し、財政当局は租税特別措置の縮小を条件にして抵抗を試みた。筆者は、「租特の業界益を超え、経済界の全体利益を取るのは難しかろう」と見て、「財政当局もやりおる」と頼りにしておったが、あっさり純減税が決まった。当然、消費増税への支持と引換えという趣旨もあったろうが、経済界にしても、個別の投資促進税制より、一般的な減税がうれしいと思う時代が来たのだなと感じた。
まあ、日本のような需要の伸びない国に、設備投資せよと言う方が無理なのだろう。設備投資のつもりがなければ、法人減税をしてもらい、配当を増やしたり、M&Aでもしたりする方が良くなる。もし、設備投資をするにしても、国内でなく海外だ。こうした行動を裏付けるニュースは、毎日のように日経をにぎわせている。海外投資も、多少は国内雇用は増やすだろうが、それを開き直って役所が強調しなければならないほどになった。
むろん、財政当局と経済界は、建て前を信じてないだろう。消費増税で3年連続でマイナス成長になったとしても、税率さえ上げておけば、いずれ税収は戻るだろうし、内需が潰れようと、海外で稼げば業績は伸ばせる。日本では資金調達だけで良い。結果として、日本が成長してくれるに越したことはないが、そうならなくても、目先で取れるもので十分というところだろう。
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近代化の過程で、官庁と企業が欲したものは、国民のためにもなった。だから、アメリカに比べれば、日本における官庁と企業に対する評価は高い。しかし、それも、アメリカ同様、日本でも変わりゆくのかもしれない。サックス先生がアメリカ社会の分裂を嘆き、コーポレートクラシーを終わらせようと訴える姿は、筆者には、もう日本とは違う国の悩みとは思えなくなってきているのである。
(つづく?)
(今日の日経)
KDDIがスマートテレビ。LIBOR操作・業界ぐるみ当時から疑い。消費増税には政権交代して良かった。銀行との間合い・滝田洋一。維新八策第三の極の旗に小さな政府や規制緩和。英社買収でアジアの縫製拠点を拡充。
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