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経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

基礎年金への危険な行為

2010年11月30日 | 社会保障
 財政当局は、「埋蔵金」が底をついたため、国債発行44兆円枠の拡大を回避しようと、基礎年金の国庫負担を下げようとしている。貯金の取り崩しも、借金の積み増しも、純債務の増大においては同じことなのだから、素直に国債発行を拡大すれば良いことである。ところが、この経済的には無意味な枠を守ろうとして、大きな問題を作ろうとしている。

 国債枠の拡大の代わりに、基礎年金の国庫負担を下げても、年金積立金がバッファーになるため、給付を下げたり、保険料を上げたりする必要はない。ある意味、年金積立金を「埋蔵金」の代わりに取り崩すということである。問題は、国庫負担の引き下げは、基礎年金の最低保証に影響してしまうことである。

 低所得で保険料の全額免除を受けた場合でも、月額6.6万円の基礎年金の1/2の給付は受けることができる。これは、1/2国庫負担が根拠になっている。保険料を払わなくても、税の分だけはもらえるという理屈だ。これが日本の年金の事実上の最低保証である。以前は、これが1/3であり、あまりに低いということで、引き上げられた経緯がある。

 国庫負担を下げるということは、最低保証が逆戻りすることを意味する。民主党は、マニフェストで最低保証を引き上げようとしていたから、逆のことをするわけだ。他方、法人減税をするようだから、基礎年金の最低保証を下げ、企業を助けるという、およそ政治的には考えられない構図となる。

 国庫負担を下げるとなると、常識的には法改正が必要である。ねじれ国会で法改正ができなければ、今度は穴埋めのために、予算修正に追い込まれる。これは政権崩壊となりかねない重大時である。どうして、このような「時限爆弾」をセットするようなことを、財政当局がしようとするのか理解できない。もしや意図的なものなのか。 

 法的なテクニックを弄すれば、法改正なしに国庫負担の引き下げができるのかもしれないが、少なくとも、政権批判の大きな論点を作ることになる。他方、国債発行44兆円枠の拡大は、埋蔵金の代わりであれば、経済的には何の変わりもないことだし、「基礎年金を守るため」と言えば、国民の納得も得られるのではないか。

 そもそも、国債発行44兆円枠を作った時から、税収状況は大きく変化している。今年度でも補正予算において税収見込みを2兆円上方修正したし、来年度は更に3~4兆円の増収になろう。基礎年金の国庫負担分くらいは、楽に出る勘定である。財政当局は、これを隠して、基礎年金に手を着けるという政治的に危険なことをさせようとしているわけだ。

 財政のことばかりを考え、政府全体の制度運営やマクロ経済運営を考えない究極の姿がここにある。どうして、日本の財政当局は、こうもダメになってしまったのか。かつての栄光も、今は昔であろう。

(今日の日経)
 マツダ、メキシコに工場。北海道、森林取引に届出制。特許使用権保護を強化。社説・年金積立金に頼るのは禁物。武器禁輸の緩和提言。基礎年金、財源先食い。戸別補償見直し着手。来年度予算の71兆円枠財務省が圧縮検討。待機児童へ200億円。エジプト最大野党惨敗か。ホルムズ回避パイプライン稼動。ユーロ圏1.5%成長に減速。HV小型トラック燃費5割。生鮮品の直接調達拡大。債権相場1.2%目前に。ビジネスホテル稼働率改善。経済教室・整理解雇、日本の現実、通説とは差、神林龍。
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11/26~27の日経

2010年11月27日 | 経済
(11/26の日経)
 独歩改革、賃貸住宅融資、奨学金返済軽減。社説・環境に配慮しつつ環境税に道を。エコポイント駆け込み過熱、7000億円。中国、反米の軍が台頭。介護保険改革、見えぬ道筋。給与所得控除3案。輸出額7.8%増。ホンダHV比率2割強。経済教室・公立病院改革・松山幸弘。夕刊・消費者物価0.6%低下。

(11/27の日経)
 補正成立、問責可決。社説・高所得者増税。韓国図書引渡し見送り。農産物高騰国内に波及。日米長期金利に上昇圧力。スペイン国債利回り上昇。中国監視船、再び尖閣に。外食、外装投資を拡大。乗用車生産、前年同月比9.4%減。夕刊・現代アートの原石発掘。
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財政再建の犠牲者

2010年11月25日 | 経済
 昨日、たまたま見たNHKクローズアップ現代は「新就職氷河期」がテーマだった。大卒54万人のうち、パートアルバイト2万人、未就職9万人、留年7万人だという。 翻弄される若者の姿に、我々が残してやれる社会が、かように悲惨なものかと思うと胸が痛む。彼らは、一体、何の犠牲になっているのだろうか。

 日本は、雇用より財政再建を優先している。そうでなければ、前年度予算から10兆円も削減したり、3兆円以上もの今年度の税収増を隠したりしない。明日にも成立する5兆円規模の補正予算の雇用拡大効果は約50万人とされているから、どれほどの雇用を犠牲にしようとしてきたか、明らかであろう。

 むろん、財政再建も大事である。しかし、今年度予算を前年度並みにしていたら、国債金利が急騰して財政が破綻していただろうか。少なくとも、常識的な税収の伸びを予測し、今回程度の補正予算は、夏の参院選前に打っておくべきだった。このことは、あと知恵ではなく、本コラムでは夏の頃から再三指摘してきたことだ。

 理解してほしいのは、財政再建のために払った犠牲である。若者たちを困窮させてもすべきものだったのか、その痛みに見合うものだったのか、それほどまでに犯してはならないリスクだったのか、そういう評価をせず、なんとなく、「これ以上は国債を増やせない」という気分だけで経済運営をしてきたように思う。

 5兆円の補正予算の効果は、たった50万人と思われるかもしれないし、1人当たり1000万円もかかる勘定になる。他方、完全失業者は10年9月で340万人もいる。それでも、早い時機に打っておけば、来年度の新卒雇用は緩和され、かつての就職氷河期は上回らずに済んでいたかもしれない。

 財政再建を強調する決まり文句に、「子供たちに借金を残すな」というものがあるが、残さない代わりに与えているのは、失業なのである。筆者は、次の世代に本当に残せるのは、紙切れではなく、実物だと考える。職業能力や生産基盤を残してやれば、借金の後始末は、知恵で何とかなるものである。逆に、成長力を培わずに、借金など返せるものではない。

 幸い、消費動向は、世間で思われているより、良いものが出る兆候が出てきた。景気対策は何とか間に合うかもしれない。あとは、来年度予算を今年度補正後よりも減らすような「雇用削減策」を取らないことである。環境税も検討されているが、段階的に導入し、それこそ、問題の法人減税の先行実施と組み合わせればよい。それなら、環境投資を促進する効果が見込めるというものだ。

 政策は、より良い社会を残すことを起点に考えなければならない。成長と環境の組み合わせは、そういう観点からである。あるいは、環境と子育ての組み合わせが必要かもしれない。財政再建は、債権管理の性質上、まずは資産課税との組み合わせを考えるべきものだ。再建すべき対象は、財政ではなく、経済であり社会なのである。

(今日の日経)
 米韓が圧力、軍事演習に空母派遣。補正、明日にも成立、問責は採決後。超電導線を量産。みんなが尖閣映像をネット公開。環境税に段階導入論。百貨店売上高2年8か月ぶり増。08年度医療費2.0%増で34.8兆円、税負担37%。会社員の時給減少止まらず・熊野英生。ユーロ一時110円台。ASEAN+3の社債保証設立。変わらぬ課題・ロシア近代化。アイルランド財政赤字1.6兆円削減。米個人消費0.4%増、住宅8.1%減。薄型テレビ出荷2.4倍。IT派遣時給に底入れ感。経済教室・足踏み後に実感なき回復へ。

(お知らせ)
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アジェンダと年金財政

2010年11月22日 | 社会保障
 政治家が課題を設定し、処方箋を官僚が考えるというのが、本来の姿なのだろうが、日本の場合、これが逆になっている。しかも、設定される課題が愚にもつかないものだから、何とも言葉がない。今日の日経トップにある基礎年金の国庫負担は、そんな問題だ。

 まず、財源の調達だが、国債でしようと、特別会計の「埋蔵金」を取り崩そうと、実質的には同じである。一般の方には分かりにくいかも知れないが、貯金を取り崩して賄うのも、貯金に手を着けず、別途に借金して賄うのも、貯金から借金を差し引いた「純債務」の大きさは、どちらも同じということだ。

 国の財政の場合、特別会計の「埋蔵金」は、一般的に国債で運用されるから、取り崩すには、それを売らなければならず、市場に引き受けてもらうという意味で、国債の発行と同じことになる。どちらでも需給圧力に違いはない。むろん、細部には差もあるが、基本はこうなのだ。だから、「埋蔵金」がどれだけ残っているかという議論は、大して意味がない。

 こうしてみれば、基礎年金の国庫負担は、埋蔵金がなくなれば、国債で賄えば良いだけのことであり、「埋蔵金がなくなったので、どうしましょう?」と、官僚が課題を設定すること自体がおかしいのである。

 だいたい、09年度予算で国庫負担を1/2に引き上げ、国債の発行を44兆円まで膨らませて危機感を煽ったのは、誰なのか。国庫負担を引き下げれば、2.5兆円分の余裕ができるのだから、歳出削減を緩めてくれるとでもいうのだろうか。

 この課題は、財源を国債で賄っても、年金会計の積立金で賄っても、他の埋蔵金で賄っても同じである。解決策は、記事にあるとおり年金積立金で賄うという厚労省の案で十分だ。財務省が難色を示すのは、予算編成の枠組みが狂うからであろう。年金特会での借金を部分的にでも許せば、それを使って、いかようにも国債発行44兆円枠をごまかせることがバレてしまうからだ。

 そもそも、この44兆円枠自体がマクロ経済を運営していく上で何の意味もない。意味があるのは、政府セクターの支出と税収の差し引きが、前年度と比較して、どの程度のプラス・マイナスになるかである。これが経済へのデフレ圧力を決める。

 これをまじめに算出すると、この1両年は法人税収が相当伸びるので、支出を拡大しなければならない話になる。日本経済にとって、それは必要なことだが、財政再建しか視野にない者にとっては、知られたくない「課題」である。

 結局、官僚が財政運営に関する無意味な課題をいろいろと設定し、政治に突きつけているという構図なのである。政治は、それに振り回され、日本経済を悪くする方策として、どれを選ぶかに頭を痛めている。「政治とはアジェンダ(課題)の設定である」という政治学の言葉を知る人は多いと思うが、現実に、こういう重たい意味があるのである。

(今日の日経)
 基礎年金の国庫負担維持財源見えず。車7社は利益の1/3失う。米特別代表、急きょ訪問。領海警備強化調整難しく。専門職外国人日本を素通り。買い物難しい高齢者対策に助成。核心・新しいアジアのドラマ。子連れ専用車両導入を。インドネシア国営企業改革。米食品・外食価格に転嫁、金融緩和の副作用。冬ボーナス10業種でプラス。経営の視点・ベトナム原発に米の支援・中山淳史。太陽光発電の造水機。Li電池をナトリウムで代替。理研など国立機関に再編検討。課長時代・貿易研修センター。経済教室・有期雇用・鶴光太郎。バスケ日本代表が公認会計士試験に合格。
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怨念の渦巻く経済政策

2010年11月21日 | 経済
 本コラムの論陣は、法人税減税を強く批判し、需要管理の安定を求めるところに特徴がある。今の流行でないことは承知しているが、オールド・ケインジアンでもない。政策的な特徴は、穏健な需要管理による設備投資の誘発ということになろうか。逆に言えば、批判しているのは、経済政策における極端さである。

 日本経済をダメにしてしまった最大の原因は、財政当局の極端な緊縮財政にある。では、なぜ、財政当局は、そんなことをするのか。それは、政治的な財政出動に対する反動である。そして、なぜ、それが必要になるかと言えば、極端な緊縮財政をするからである。つまり、極端から極端への揺れ動きが、日本経済を疲弊させているということになる。

 現在のデフレ局面は、前年度に比較して2010年度予算を10兆円も削ったためである。なぜ、それをしたかと言えば、麻生内閣がリーマンショック対応で、巨大な経済対策を打ったからである。それは危機対応としては正しかったが、「骨太2006」に代表される、それまでの緊縮財政への反動もあった。

 「骨太2006」は、安倍政権当時、サブプライム・ショックで輸出の伸びが止まったときに、並行して4兆円の国債発行を削減するという緊縮財政をもたらしたものだ。これが「格差批判」を呼び、安倍政権は、参院選で惨敗し、崩壊した。

  この「骨太2006」を生み出した小泉政権の特徴は緊縮財政だが、これは、その前の小渕政権の金融危機時の大規模な経済対策の反動である。小泉政権時は、米国景気による輸出によって日本経済は支えられたが、これがなければ、発足当初の悲惨な状態を抜けられずに、早期に倒れていただろう。

 そして、小渕政権の経済対策は、橋本政権の極端な緊縮財政による経済危機の発生に対処したものである。橋本政権の極端さは、バブル崩壊後に相次いだ景気対策で積み上がった国債の膨張が背景である。そのバブル景気は、円高に対する極端な緩和政策が原因だ。その前は、鈴木政権による緊縮財政と、時間は、第二次オイルショック後にまで遡る。

 極端を繰り返す中で、スパイラル的に日本経済は悪くなってきている。悪くならない方がむしろ不思議だと言えよう。これは、財政出動に対する財政当局の怨み、経済苦境に対する政治と国民のつらみが相互に渦巻いた結果である。怨みつらみで舵取りをすれば、国運が傾くのも当然だろう。

 もし、今、法人税率を下げてしまうと、財政当局は、財政再建の唯一のよすがを失う。それは、一層、極端な政策を生み出すだろう。今日の日経にあるように、企業収益は好調であるから、来年は、「企業は高収益を上げているのに、税をさっぱり納めず、国民にツケを回している、国内への設備投資も大して増えてない」というキャンペーンが始まる。財政当局は、そのくらいの力は持っている。次は、大企業がバッシングの対象だ。

 これは不幸なことである。法人減税は、するとしても、配当課税の特例廃止など、資産課税の強化の範囲ですれば十分だろう。国が傾きだすと極端なことが注目され、それが一層、国をおかしくしてしまう。苦しくなると、他人の論理など視野に入らなくなるものだ。日本は今、そういう状態だ。本コラムが穏健さを唱えるのは、そういう理由なのである。

(今日の日経)
 欧州ミサイル防衛計画にロシア協力。上場企業の利益水準は危機前の96%、07年上期の最高益の8割、損益分岐点13%引き下げ、過去25年で最大。製造設備の高齢化進む。NTT株3%売却へ。日銀、財政政策も補完。中国が物価抑制策。利上げ排除できず。タイに投資加速、中国依存を引き下げ。エジプト議会選28日投票。袋小路の日ロ領土交渉。読書・軍事大国化するインド、大いなる不安定。スメサーストの高橋是清。死刑要望つらく葛藤。
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真実を語るべき場所

2010年11月20日 | 経済
 旧ソ連の有名な笑い話(アネクドート)に、赤の広場で「ブレジネフはバカだ」と叫んだ男が逮捕されたが、警察に罪状を問うたところ「国家機密漏洩罪だ」と言われた、というものがある。今回の法相発言の顛末は、これに似ていなくもない。 

 答弁は2つのパターンで足りるとする国会軽視の発言は、批判されてしかるべきだが、答弁が形式に流れていて、国会が実のある議論の場になっていないことは、大方が認めるところだろう。法相は「国会はバカだ」と叫んでしまい、野党に捕まってしまった。この罪状は何だろうか。国会の実態を国民に誤解させた罪か、それとも、真の姿をさらしてしまったことなのか。

 筆者は皮肉屋だから、法相は陳謝などすべきでなかったと思う。「発言は冗談に決まっている、真に受けないでくれ」と、かわすべきだった。陳謝などしたら、本当に、そう思っていたことになる。国会を侮辱したと責められているが、「事実に反する言説で名誉を毀損した」と非難されていないのは、悲しむべきことだ。

 そんなありさまで、補正予算は、未だに成立していない。10月29日に提出され、1か月がたとうとしている。日本経済は、今年度後半が景気を維持できるか否かの勝負どころである。「1日も早い成立」は答弁パターンの一つだが、これが本当に求められている。経済のことだけを考えれば、失言騒ぎをしている場合ではない。

 さて、師走の足音が近づいてくると、予算や税制の骨格が次第に明らかになってくる。今日の日経の記事は、そんな風物詩である。民主党税調は、配偶者控除の縮小に慎重で、法人税は実質減税にするという。それは、そうだろう。法人減税をしたら最後、他の増税はできなくなる。「企業のために犠牲にした」という批判が必ず出るからである。 

 マクロ経済的に言えば、現在は景気回復の初期であり、企業の賃金や金利の負担は軽い。大事なのは、法人減税で更に収益性を高めることではなく、先行きの需要を安定させることである。おそらく、法人税は、来年は更に4兆円近くの増収になるだろう。したがって、これを見込んで、来年度予算は10年度補正後の歳出規模を確保すべきである。そうしないと、デフレ圧力がかかってしまう。

 結局、日本は、するべきことをせず、しなくてもよいことに血道を上げている。どうして、自然体で経済政策ができないものなのか。本当は、補正予算の審議の中で、政策需要の見通しが明らかにされるべきである。こういうことが未だに「国家機密」になっているから、国会の議論は形式に過ぎないと思われるのである。

(今日の日経)
 配偶者控除縮小に党は慎重、法人税は実質増税。介護利用料、所得多い高齢者2割負担。預金準備率を中国0.5%上げ。子ども手当3歳未満2万円に、上乗せ分の財源が焦点。FRB議長、為替管理国に矛先。ノーベル賞・インドネシアも欠席。10月の電力需要前年比4.8%増。求人広告単価が上昇。柳田法相辞任へ。
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なぜ家計は貧しくなったのか

2010年11月19日 | 社会保障
 先日も、ほめたばかりで、ちょっと気が引けるが、良いものは良いからね。第一生命研のHPに掲載されている熊野英生さんの「なぜ、家計は貧しくなったか」という論考は、読ませる内容だ。アカデミズムの研究者も見習ってほしいものである。

 家計所得が1998年以降、下がる一方だということは、よく知られている事実である。熊野レポートは、その内容を分析したものだ。そこには、いつくもファクツ・ファインディングが含まれている。まず、高齢者編では、無職世帯の可処分所得が勤労者世帯以上のペースで減少しているとしている。その理由としては、年金支給年齢が引き上げられる一方、定年後の就労が困難になっていることを挙げている。

 熊野さんの問題意識も同様だが、この事実は、「高齢化が進んだから、ジニ係数が上昇し、格差が広がるのも仕方ない」とする従来の見方では、問題の本質を十分捉えていないことを意味する。格差の拡大は、人口構成の変化だけでなく、年金や雇用など、政策的な要因もあるということなのである。

 また、リポートは、勤労者世帯でも、60歳以上の勤労者は、その黒字率が趨勢的に低下しているとし、高齢者雇用の厳しさを指摘する。その上で、高齢者は求職をあきらめがちで、雇用の厳しさがデータに表れにくいと、的確に評価している。加えて、高齢者の場合、公的年金が自営業を続ける補助金の役割を果たしているとするのも示唆に富む。

 さて、以上のような事実を踏まえて、政策的なインプリケーションを考えるなら、一つ言えるのは、高齢化が進んでいるからといって、貯蓄率や成長率の低下を、簡単にあきらめてはいけないということであろう。むろん、高齢化による仕方のない部分もあるが、そうでない部分が十分にあり、それは政策次第なのである。

 気をつけたいのは、安易にライフサイクル仮説などを持ち出し、貯蓄率の低下を分かった気になってしまうことである。問題意識を持って、データを探せば、本当の姿が見えてくる。熊野レポートは、それを示している。

 問題意識は、「合理的な行動の結果と考えるにしては、どうにも悲惨な状況ではないか」というところから生まれてくる。経済学にウォーム・ハートが必要だとされるのは、そういうことなのだ。問題意識があり、データの検証があり、そして理論化である。合理性を前提にした理論や数式から、真実が導けると思ってはいけない。

 おっと、余計なことを書いて、紙幅が尽きてきた。熊野レポートは、給与所得者編の方も、なかなかのもので、「正社員といえども、パーアワーでは稼ぎが低下してきている」という指摘をしている。正規・非正規の格差から、正社員を批判する論には、一石を投じる内容だ。

 おわりに、熊野レポートに、一つ注文を付けるとしたら、タイトルの「なぜ」の部分に、真に答えていないということだろう。つまり、1998年に屈曲が生じたのは「なぜ」なのかである。これについては、本コラムでは、よく触れていることなので、今日のところは割愛する。

(今日の日経)
 日経平均1万円台回復、中国から資金シフト。低価格衛星を官民で7割安く。GMが17か月ぶり再上場、公的資金の全額回収は遠く。思いやり予算の有効期間5年に。環境税来年度に、5割上げ2400億円の増税。介護保険・看護と介護バラバラ、洗濯と掃除。台湾、9.9%成長、消費も回復。スペインへの連鎖回避を。半導体・液晶製造装置の受注がマイナス。ワタミ高齢者向け稼ぎ頭に。内需型企業も輸出に力。経済教室・国際関係システム・保井俊之。無視させぬ信号変わる。
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世代間不公平の内実

2010年11月18日 | 社会保障
 ある学会誌が届いたのだが、年金の積立方式への移行を唱える某教授の著書に賞を贈るとのこと。公的年金の本当の専門家は日本に10人もいないとは言え、既に無効性が数理的に証明されているのに、少しチェックが甘くはないか。

 この先生は、派手な厚労省批判で知られ、一般書を次々に出し、日経系のメディアにもよく登場する、とても有名な方である。しかし、基礎にしている理論には問題があると言わざるを得ない。その分かりやすい説明については、本コラムの「世代間不公平論の誤謬」(09/08/27)や「数理はとても酷なもの」(09/07/09)を御覧いただきたい。

 むろん、こうしたことは、筆者だけが言っているのではない。例えば、一橋大の小塩隆士先生の「人口減少時代の社会保障改革」(p.83)がある。この本は、若手の研究者には必読だ。積立方式の議論が下火になった理由も、はっきり書いてある。最近、世代間の不公平だの、事前積立だのと唱える若手がいるが、先行研究をしっかり把握しなければダメだ。

 正直に言って、米国と違い、少子化の激しい日本で、「世代会計論」を研究するのは要注意である。視野の狭い若手は、この論の陥穽に簡単に落ちてしまう。確かに、給付と負担を計算すれば、高齢世代は「得」で、若年世代は「損」という計算値は出てくる。そこで不公平を唱えたい気持ちも分かる。しかし、その「得」と「損」は、論理として、間接的にしか繋がっていないものであり、「得」を減らして「損」を増やせば解決するような単純なものではない。

 例を使って説明しよう。団塊の世代は、大きく「得」をしている。その理由は、兄弟が多いために、親を支えるのに1人当たりの負担が少なかったためである。つまり、「得」と言っても、潤沢な年金を得ているわけではない。2004年の改革で年金の削減計画も決まっているから、既に引退している団塊の世代に更なる負担を課すことには無理がある。

 次に、団塊ジュニアだが、親世代とは人数がほぼ同じであるから、支える負担が過重とは言えない。問題は給付であり、これを少子化で細った子世代に負担してもらわなければならない。少子化を起こしたのは、団塊ジュニアだから、その責任を取ってもらう必要があろう。十分な数の次世代を残すという「人的投資」を怠ったにもかかわらず、従前と変わらない年金をもらおうとするために、子世代に莫大な「損」が生じるからである。

 現在の世代間の不公平論は、あたかも、現在の30代や20代が「搾取」されているようなことを言う。しかし、本当に搾取するのは、この団塊ジュニア世代であり、本当に悲惨なのは、まだ幼児であるために何も言えない、その子世代である。

 今、団塊ジュニアは、「団塊以前の世代が、なぜ、もっと積立金を残してくれなかったのか」と不平を言っているが、20年後には、子世代から「少子化を起こしておいて、年金をもらうなんて虫が良い」と強く批判されよう。本当は、団塊ジュニア世代が「二重の負担」をして、積立金を積み増すという「損」をしなければならない。それが子世代の「損」を回避するのに欠かせないのである。

 団塊ジュニアの立場になれば、「就職氷河期だったし、非正規などで賃金も低く、結婚も満足に出来なかったのだから、少子化の責任を取れと言われても困る」と、世代特有の事情を言いたいだろうが、それは、彼らが、今の年金世代に対して、「貧しかった時代の負担の困難さを理由にするな」と、持ち出しを否定している理屈である。

 団塊ジュニアが負うべき「二重の負担」を助けるべく、それ以前の世代が、年金を減量したり、資産課税で負担を多くしたりすることは必要だし、すべきことである。しかし、結局、どんなに困難で、迂遠であったとしても、少子化を止めるしか、根本的な解決の道はない。本コラムは、そのために「小論」や「基本内容」で提案をしている。

 若手の研究者は、世代間の不公平論や、事前積立といった迷宮から早く出て、少子化対策の制度設計でも考えてはどうか。数式を作って展開し、インプリケーションを考えることぱかりしているから、社会問題の本質を見失うのである。政策科学とは、様々な論理と観点から考究する視野の広いものでなければ、意味をなさないものなのだ。 

(今日の日経)
 1票の格差5倍違憲、雇用増やせば法人税控除。DVD特許に勝る秘伝のタレ。社説・仕分け迷走、欧州の再波乱。社会保障改革、当座しのぎ。来年度予算目標達成遠く。総合特区予算認めず。レアアース対日輸出正常化か。在日米軍基地を中国ミサイル攻撃可能。上海株4日で9.8%安。中国消費意欲落ち込む。米消費者物価の伸び最低。米住宅着工件数11%減。経済教室・サービスの科学・藤川佳則。
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世界経済の転機を見る目

2010年11月17日 | 経済
 日経は「円高ドル安に転機の兆し」と言うが、もう「転機」になっている。「G20会議後、流れに変化」と言っても、FRBがQE2を決定し、市場が反応した段階で変化しているのであって、政治的な会議は関係ない。会議では認識を共有しただけなんだがね。

 こういう「見出し」が出ると、日本のエコノミストの大勢は、揃って円高トレンドの見方を修正するのだろうな。QE2のときに、「まだ円高が続くおそれ」なんて言っていたのが誰か、チェックする良い機会だ。

 その点で言うと、第一生命研の熊野英生さんは傑出している。10/15の時点で、「円高の潮目は近い」と的確に分析し、QE2直後に「ドル安修正の予兆」としている。なかなかのものだ。熊野さんの分析は、基礎がしっかりしていて、いつも読ませる。11/15のドル建て日経平均の分析も、ぜひ欲しい思っていたものだった。今後の御活躍を陰ながら期待しています。

 さて、転機と言えば、韓国にも訪れたように思う。今日の日経の一連の記事は、興味深い。物価上昇圧が増し、昨日、韓国銀行が利上げをしたところだったので、「おや」と思っていたが、内需が拡大し、企業業績が拡大しているとの記事をみれば、ウォン安局面も終ったことが分かる。にわかに起きた「韓国企業を見習え論」も、これで一服であろう。

 改めて言うまでもないが、内需が広がれば、低金利を続けることは出来ないし、そうなればウォン高になる。これまでのような為替介入も難しい。むしろ、ウォン高にして資源価格の上昇を緩和することが、マクロ経済的には正しい選択だ。

 韓国というのは日本以上の格差社会であり、少子化も日本を超える深刻さであることを踏まえれば、国内厚生を犠牲にしてきた面は否定できまい。これは韓国企業の世界的な躍進の陰の部分である。ある意味、韓国は、日本を極端にしたような存在だ。

 これまで、韓国の電機大手が揃って好調だったのは出来すぎであり、こうしたことには、マクロ的ファクターがあると見なければならない。今日の日経で、「二極化進む」というのは、普通の姿に戻ってきたことを示している。内需こそが国の豊かさなのだから、「サムスンに良いことが、韓国にとって良いこと」とはならない。

 韓国の電機大手が成功を収めてきたのには、リスクの高い巨額の設備投資を行っても、「最後はウォン安がある」という後ろ盾があった。しかし、今後は、当たり前のリスク管理が必要になる。日経の商品欄にもあるように、液晶パネルが急落したりと、電子デバイスは全般に軟調だ。高転びに気をつけなければならない。

 そういう懸念はあるにせよ、韓国経済が全体として良い方向にあることは確かだ。内需を大事に育てていけばよい。間違っても、日本の財政当局のように、緊縮財政で内需の芽を摘むようなことをしてはいけない。まあ、そんな外れたマネをするのは、日本だけか。

 それにしても、予算要求では、無理な1割削減をした上、要望枠で出ださせて批判の的を作ったり、税調では、各界が最も嫌う対抗案を連発してみたりと、恨みを買うようなことばかりしているが、奢れる者は久しからずだ。自己認識はどうか知らぬが、権限にモノを言わせて、知恵のないことばかりしているのだから、謙虚さを忘れぬようにね。

(今日の日経)
 円高・ドル安、転機の兆し、G20後に変化。企業第6部・タイ工場に敗北、NTTD、郵船、日揮。新防衛大綱、島しょ強化。イトカワで採取確認。中国不動産に海外マネー急増。マグロ乱獲国を来年禁漁に。税制論議、財務省寄り鮮明。介護保険・賃上げで入職も。家電エコポイント10月は3倍に。米小売り持ち直し。韓国、内需型回復広がる。工作機械受注・中国は調整期。FED来冬にも量産。13大学が仕分けに反発。
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日本よ、雪白の翼を再び

2010年11月16日 | 基本内容
公的債務累増下の成長戦略
―21世紀の日本に未来は開けるか―
「日本よ、雪白の翼を再び」

はじめに
 ちょっと日本人がかわいそうになってね。努力家で誠実なのに、こうも経済の低迷で苦しまねばならないのか。お題からすると、「消費増税と法人減税の組み合わせで成長率を引き上げる」なんていうのが、たくさん寄せられるのだろうなあ。そんなワンパターンこそが元凶だと思うね。第一、日本人は、まともな経済戦略なんて見たこともないだろう。今日は、おもしろいものを見せてやろう。まじめな日本人のために。

1 少子化の解消
 まずは、少子化を解消する。財政や成長でなくて、なぜ「少子化」? そう思うようだから、閉塞を破れないのだ。少子化の解消は、財政を劇的に改善し、成長を大きく伸ばす。ただし、これを理解するには、若干の年金数理の知識が要る。少しばかりお付き合いいただこう。 

 この少子化だが、最大の原因は、乳幼児期の保育が圧倒的に不足していることにある。現在は、子供を産むと預け先に困り、容易に仕事に戻れない。いきおい、出産か、仕事かの択一となり、子供をあきらめる人が続出して、合計特殊出生率1.3台という極端な少子化になる。ここまでは常識である。

 なぜ、乳幼児の保育が不足しているのか。これはコストが極めて高いからである。0~2歳児は、1人の保育士が3~6人の子供しか看ることができない。3歳以上になると、これが20人になる。保育所不足も、よく見ると3歳以上は概ね足りているのは、そういうわけなのだ。このコストをどう賄うか。ここで消費税を持ち出すようでは知恵がない。

 必要なのは年金数理だ。若者が働き始め、年収300万円をもらうとすると、年間の年金保険料は48万円ほどになる。6年経って結婚する頃には、若い夫婦の累計額は6×2倍の576万円になる。社会保険というのは、払った分は返ってくるのが大原則である。そこが反対給付と無関係に取られる税とは異なる。つまり、この576万円は、請求権という形ではあるが、貯金のようなものだ。

 これを少子化対策に使えるようにする。具体的には、乳幼児期の0~2歳の3年間、月額8万円を引き出せるようにする。子供2人分なら総額576万円である。8万円あれば、無認可保育所でも楽に預けることができる。若い母親がこれだけの支払い能力を持てば、それを目当てに次々に保育サービスが供給されるようになるだろう。これで保育所探しに駆けずり回る必要はなくなる。この少子化の最大のネックが解消されることで、出生率は大きく向上し、若者が希望する水準である1.75まで伸びるだろう。

 さて、こんな給付をして、年金財政は大丈夫なのか? むろん、何の問題もない。乳幼児給付を行う分だけ、老後の年金給付は減るので、年金財政上は、差し引きゼロの中立になるからだ。年金制度は十分な積立金を持っているので、当面の資金繰りにも困らない。

 それなら、年金給付を減らして、老後の生活に支障は出ないのか? 実は、576万円と言っても、老後の給付全体から言えば、15%ほどに過ぎない。それどころか、乳幼児期の給付をする方が、逆に年金額は増すはずだ。

 なぜなら、女性が仕事を辞めずに済み、より多くの保険料を納められるようになるからだ。働き続けられれば、576万円くらいは簡単に取り戻せる。もし、どうしても年金を減らしたくないのなら、引き出さなければ良いだけだ。乳幼児給付は、引き出しの選択権を与えるものなのである。

 こうして見ると、むしろ、現状の方が、いかにも、おかしいことが分かる。出産か仕事かを迫られ、お金さえあれば、子供の預け先を確保できるのに、自分たちが「貯めて」きたお金でも自由に使うことができない。年金制度にしてみても、子供を産んで働いてもらう方が財政的にプラスなのに、その手立てを許していないのである。

2 少子化と財政再建
 乳幼児給付の総額は、年間約2.7兆円になる。新たな財源を一切必要とせずに、大規模な少子化対策が実現できることが分かったと思う。しかし、なぜ、これが財政再建に役立つのだろうか。そこを理解するのにも、若干の年金数理の知識がいる。

 年金数理上、もし、少子化がなく、人口が静止状態にあるとすると、親世代の年金は、子世代の保険料だけで賄える。親と子の人数が同じなのだから、各世代で払った分だけもらえるように設計するのが容易なことは、直感的に分かるだろう。それでは、日本の年金制度が持つ巨額の年金積立金や税による国庫負担は、一体、何のためにあるのだろう?

 これらは、年金数理上は、保険料以上の給付をするために用意される。払った分を超える給付をする制度でなければならない理由はないから、そうした給付は政策的に行われるものである。ただし、日本の場合は、少子化の下にあるので、これらは、支えてくれる子供を持たない人の年金給付に充てねばならない。少子化とは、子供を持たない人が続出する現象であり、積立金や国庫負担は、保険料を負担してくれる子供の代わりになるものなのだ。

 勘の良い人は、もう分かったと思うが、もし、少子化が完全に解消されれば、年金数理上は、積立金も国庫負担も不要にできるということである。すなわち、130兆円もの積立金を国債と相殺したり、年間10兆円もの国庫負担を減らすことも可能である。

 もっとも、少子化の完全解消はすぐには無理だし、低所得で保険料を十分払えなかった人にも最低限の給付を保障する必要もあるから、すべてを財政再建に使うことはできない。それでも、少子化を緩和することが、いかに大きなインパクトを財政に与えるかは、お分かりいただけるだろう。

3 消費税の増税戦略

 次は、消費税の引き上げ方法を示す。財政収支のアンバランスを是正するために、消費税が必要なことは、改めて言うまでもない。問題は、どうやって、上げるかである。従来は、「何年までに上げる」と計画で縛る戦略できたが、失敗続きである。これに懲りず、再び同様のことをしようとしているのは、驚くべき反省のなさだ。

 失敗の本質は、経済が変動することを無視し、法的アプローチで臨んできたことにある。2009年度までに消費税を上げて、基礎年金の2分の1国庫負担に充てると決めたところで、リーマンショックの経済危機のさなかでは、増税できないのは明らかであった。

 他方、着々と負担増に成功している制度もある。それが年金だ。毎年9月に保険料率は少しずつ引き上げられてきている。2004年の年金改革で、多年にわたる引き上げを一括して決定したため、毎年の引き上げ時に政治問題になることもなく、わずかずつの引き上げだから、経済に大きな悪影響も与えずに済んでいる。

 消費税も、これに学んではどうか。すなわち、毎年、1%ずつ自動的に引き上げることを一括して決めればよい。ただし、消費税は1%で2.5兆円もあるため、この刻みを細かくできないのであれば、引き上げには、経済条件を付すことが必要になる。例えば、前年の名目成長率が3%以上、物価上昇率が1%以上を条件とする。経済が条件を満たせないほど不調なら、見送ることにするわけだ。

 この戦略では、「いつ上げられるか分からない」と思われるかもしれないが、どの道、デフレや低成長にあっては、経済への悪影響が大き過ぎ、引き上げは無理なのである。強引にすれば、経済を失速させ、却って税収を落ち込ませることになる。そもそも、財政赤字の弊害とは、インフレの亢進なのだから、物価上昇に応じて増税することが、経済的に最も正しい方法なのである。

 この場合の政治的なメッセージは、「景気回復で所得が増えたら、増えた分から税を払ってください」というものになる。既に財政赤字は膨大であり、負担をはるかに超えるサービスを国民は受けている。その幾ばくかを所得増に応じて払ってほしいと訴えるのである。その際には、増税できなければ、インフレが進んで不公平になると説明することも大切だろう。

 日本で消費税が上げられなかったのは、政治がだらしないからでも、国民が嫌がるからでもない。物価上昇率が低く、経済的に無理があったのである。日本でも、バブル景気に向かっていた1989年には消費税増税に成功している。結局のところ、失敗は、欧米との経済状況の差を理解できなかった財政当局にあると言えるだろう。

4 低所得層への手当て
 消費税を引き上げるには、一定以上の成長率なり、物価上昇率が要る。例えば、物価上昇率が1%というのは、需要が供給を1%上回っているということである。その範囲内で消費税を引き上げ、需要を削減することは、物価を安定させ、ひいては成長を促すことになる。この場合の消費税の引き上げは、マクロ経済政策上も欠かせないものになる。

 問題は、どうやって、そうした状態に持っていくかである。なにしろ、日本は長くデフレに苦しんでいる。そして、もう一つの問題は、消費税を上げるとなると、低所得層への手当ても欠かせないことだ。世の中には、年収150万円程度で暮らす人たちは大勢いる。所得税なら、非課税限度額の設定による免除も可能だが、消費税は、そういう人達からも否応なく徴収しなければならない。

 そこでよく議論になるのが、食料品への非課税と給付つき税額控除である。しかし、前者は、何を食料品にするかの線引きが煩雑で、高級食材まで免税にするのかという問題も生ずる。後者は、給付の仕組みを一から作らねばならない。

 そのため、現実的には、社会保険料の軽減で負担を和らげるのが最も効率的である。しかも、社会保険料には、低所得層にも同じ料率で課すという難点があり、「130万円の壁」という、一定所得を超えると一挙に保険料が課されるという不合理もある。これらを併せて解決したい。

 現在、社会保険料は、年金保険が約16%、健康保険が約9%の計25%が課される。これが年収130万円を超えた途端、33万円(労使折半)もかかってくる。ワーキング・プアには大変な重荷である。また、「壁」のあることが正社員になるのを難しくし、使用者にとっても労働力の柔軟な調整を難しくしている。せっかくの能力を制度の枠に押し込める、日本経済でも最悪の規制である。

 その解決策は、直立する「壁」を「スロープ」に変えることだ。具体的には、130万円から300万円までについて、保険料率をゼロ%から徐々に高まる形にし、300万円を超えたら本来の保険料率になるようにする。その際、軽減しても保険料は払われたものとみなし、軽減に伴って給付を受ける権利が減らないようにする。

 権利を減らさないのだから、財政負担が必要になる。その総額は約2兆円である。ただし、このうち、年金保険分の1.2兆円については、すぐに措置する必要はない。給付は将来のことであるし、当面も年金積立金で賄えるからだ。また、将来的に措置しないことも、できなくはない。その場合は、マクロ経済スライドによって、全体の年金給付水準が引き下げられることで調整される。

 さて、前に示した乳幼児給付の2.7兆円と保険料軽減の2兆円を合わせると、GDPの1%に近い所得の追加ができる。これが需要不足でデフレに苦しむ日本経済を浮揚させることは言うまでもない。しかも、これに必須の財政負担は健康保険の軽減分の0.8兆円だけである。それも、軽減策によって130万円を超えて社会保険に加入する人が増えるため、財政負担は更に小さいものとなろう。

 乳幼児給付で保育などの労働需要を作り、保険料軽減で労働供給も促進する。需要と供給の両面からの、理想的な雇用拡大策になるはずだ。雇用拡大は、所得税や消費税の増加にも結びつき、成長によって消費税の引き上げも可能となる。財政は次第に改善に向かうだろう。

5 保険料軽減の意義
 さて、社会保険料の軽減には、成長戦略の側面以外にも、大きな意味がある。それは、格差の是正である。保険料率が低かった頃なら、一律でも問題は少なかったが、保険料の上昇が続き、低所得層にとって負担は非常に重いものになった。しかも、高齢化に伴い、これから、ますます重くなっていく。

 最低賃金でフルタイムで働くと、年収は約150万円である。この生活保護水準と大して変わらない所得に、38万円もの保険料(労使折半)がかかる。これでは自立の足を引っ張るようなものだ。消費税の5%アップですら、低所得層の軽減措置が議論されるのに、社会保険料は25%もあって一律である。軽減措置は、格差の是正に避けて通れない課題である。

 また、一挙に社会保険料が課されるために、保険料を免れようと、労働時間を抑制する歪みも発生している。そのことがパートなどの非正規労働者を低待遇に押し込める結果になる。これは、夫の社会保険の庇護のない母子家庭の母などには著しく不利だ。日本で正規と非正規で差が大きく、容易に移れないのは、それを隔てる「130万円の壁」にも原因があると言わなければならない。

 さらに、一律の賦課という低所得者に辛い仕組みは、保育や介護といった対人サービスが広がらない理由ともなっている。こうした分野では、求人は多いものの、低賃金であるために定着が難しい。社会保険料の軽減は、こうした分野で働く人たちの生活を下支えするとともに、サービス供給も増やすはずだ。近年、ソーシャル・ビジネスの重要性が盛んに言われるが、社会貢献的な仕事は低所得になりがちだ。「130万円の壁」の撤廃は、新しい公共も切り開くことになろう。

6 経済運営の基本
 ここまで、社会保険を用いることで、財政赤字をほとんど出さずに、需要を追加し、雇用を拡大させる具体的な方法をお示しした。おまけに、少子化も解決し、格差の是正まで実現する。言われてみれば、あっけないほど簡単なことだが、これに日本が気づかなかったのには理由がある。

 それは需要管理の軽視であり、サプライサイドの政策さえすれば、経済は成長するという思い込みである。成長の原動力は設備投資だが、これは需要動向を見ながら為されている。決して、金利や法人税率が決め手なっているわけではない。これは、経営者にとっては自明のことでも、経済学の教科書からは外れる考え方だ。

 なぜ、こうした現象が起こるかというと、経営者は、収益性よりもリスクに強く影響されるからである。つまり、リスクがあると、たとえ期待値がプラスであっても、すなわち、機会利益がある場合ですら、あえて捨ててしまうのである。これは教科書の利益最大化の基準からすると不合理な行動になるが、現実的なものである。

 経営者には、任期という時間の制約があり、設備投資で失敗と成功を繰り返すわけにはいかない。経済学上の期待値は、繰り返しの効かない状況では、意味をなさないのである。大損を避けるため、小さい機会利益を捨てるのは生き残りの知恵なのだ。一般の人でも、損害をカバーするのに保険料を払い、保険会社を儲けさせるという、期待値からすると不合理な行動をしているではないか。

 したがって、経済運営においては、需要の安定が極めて重要になる。設備投資のリスクを癒すには、目の前に需要を示すことをおいて他にないからである。このことは、いかに低金利にし、法人税を下げても、財政再建で需要を抜いて先行きに不安を与えていては、設備投資も、成長もあり得ないことを意味する。

 実際、2000年代においては、設備投資は、2四半期前の輸出需要にパラレルに動いてきた。同じ低金利下において、輸出関連の設備投資は伸び、内需関連が低迷したのは、需要の差である。そして、リーマンショクによって輸出が失われた時、経済は逆戻りすることになった。

 世間では、法人減税と消費増税が喧しいが、これは余程うまくやらないと、経済に打撃を与えかねない。実は、この戦略は、日本が一度試している。1997年から99年かけてであり、消費税を上げて需要を削減し、法人税を引き下げて投資を促したが、結果は、惨憺たるものだった。このことを、皆は忘れているのだろう。

 現在でも、需要の軽視は続いている。もし、2010年度予算で、前年度補正後と比較して10兆円も縮小していなければ、今年度後半の景気停滞を心配することはなかっただろう。10兆円はGDPの2%にも相当する。財政が危機的とは言え、潜在成長率に匹敵する削減を一気にすれば、経済に影響が出ないはずがない。もし、半分の5兆円程度の緩やかな削減に止めておけば、エコカー補助金も続き、補正予算を考えるまでもなかった。こういう需要管理のセンスの無さが不況を長引かせているのである。

 経済運営で最も重要なことは、需要を安定させることである。政府自らが不安定要因になっていては話にならない。需要の安定を見て企業が設備投資を始め、それが所得増から消費増へと結びつき、更なる設備投資を呼び起こす、こうした自律的循環に移行するまで我慢が必要だ。財政が退いて良いのは、それからである。

 現下のデフレ状況においては、需要の追加が必要であるが、これほど財政赤字が大きければ、それを赤字国債の発行で実施するには理屈を超えた忌避感があろう。だからこそ、この論文では、社会保険を用いて、財政赤字を出さずに需要を追加する方法を示してきた。そして、これが社会保障と財政を一体化させた、統合的な経済戦略というものの本当の姿である。

おわりに…雪白の翼を再び
 戦後日本の世界史的な意義は、高度成長の経済モデルを創造し、発展途上国に伝播させたことである。輸出需要を起点に設備投資を起こし、内需に波及させて高い成長率を実現するモデルは、雁行的に成功物語を生み出した。残念ながら、今の日本は、財政再建を気にするあまり、内需への波及を自ら断ち切っている。

 かつて、高度成長をリードした下村治は、日本経済は醜いアヒルの子ではない、雪白の翼で羽ばたけるのだと説いた。社会保険を需要管理に用い、再分配を果たして成長を遂げることは、これからの世界標準になる。雪白の翼は失われていない。羽ばたくなら、再び大空を舞えるのだ。
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